C A N C E R 12 (2003), p. 15戸17
モクズガニの陸上移動能力を示すニつの事例
浜
野
龍 夫
モクズガニEriocheirjaponica
(D e Haan) は, 日本全域の河川に生息し ,各地で食用に供されて いる. 本種は降河回遊を行うことで知られ,成体 は川 を下 って河口付近で交尾抱卵 し,鮮化 したゾ エア幼生は塩分のある河口 海域で育ち,稚ガニ とな って川 を遡る (小林, 1999). その移動 能力 はエピ類などよりも 高 く (浜野 ら,2002),r
畑の 中を歩いていたJ
,r
水力発電所の壁をよじのぼ っ ていた」など,水の中から 出て移動する姿がしば しば目撃されている . 筆者もまた,本種の 実験個 体群を追跡する 中で,その陸上での移動能力につ いて驚かされたことが2
度ほどあ った. 実 験 個 体 群 の 概 要 山口県を 北から南に流れて瀬戸内海西部に注ぐ 二級河川の木屋}II(こやがわ)の支流,歌野川には , 堤高4 4 m の歌野ダムがある. 魚、道は設置されて いない . 筆者は,本種の個体群生態を研究するた めに, 1994年 5 月20 日に,歌野ダムか ら2.5 k m 上 流の ー カ所に平均甲幅3 . 7 m m (C3 ) のモクズガ ニ種苗 (山口県水産研究センターのご好意による) 3 万 5 千個体を放流した (浜野, 2000). 天然の モクズガニは歌野ダムの直下まで来ているが, ダ ムに阻まれて遡上できず,ダムより上流には生息 していない . 実験個体の追跡調査は ,放流後9 年 を経た2003年 5 月現在でも続けており,今もなお 生残している個体が確認されている . 実 験 室 か ら 脱 走 し た オ ス 降河してくるカニ を捕 らえるために ,放流地点 の1 k m 下流で, 川を堰 き止 めるようにステーク ネ ッ ト (定置網の一種,全長8.5 m,内網目周長 T atsuoliAMAN
o: T w o cases showing potential abil-ity of the ]apanese mitten crabEriocheir japonica
to migrate on land 1 2 c m) を設置 している. この網で採集した個体 は水産大学校の飼育実験室 に持ち帰り,
2
トン水 槽で海水飼育を行 って,交尾や産卵状況を観察し てい る. 放流後7 年半を経過した 2001年11
月10 日には, 甲幅82.0mm と81.
2 m m の雄 2 個体が入網した . 海水飼育を行うため,背甲にダイモテー プで標 識を施してから ,飼育実験室の中においた馴致水 槽 (50% 海水) へ入れた . 翌朝 ,行 ってみると , 蓋をし忘れた水槽から甲幅82.0mm の個体が脱走 していた . この飼育実験室は1 階にあり ,出入り するドアは2
つ( 内側の廊下へ出 る ドア,建物外 へ 出 るドア) あるが,両 ドアとも施錠されてい た. 室内をいくら探しても見 当たらないため,カ ニが通れるほどに大きく開いている 排水口を通 っ て,地下を通る排水溝を伝って外部へ逃げたもの と判断した . この排水溝を伝 ってカニが歩けば, 8 0 0 m 程度で河川感潮域に出る . 途中のマンホー ルの蓋を開けてピ ッ トの中も探したが見つからな かったので捜索 を諦めた . 残 った81.
2 m m の個体 を海水 中で飼育したところ ,2002年 1 月14 日に自 然死亡 した . 2002年 4 月16 日の未明 ,雨の中を飼育実験室 に 行 くために校内を歩いていると,巨大なカニがコ ンク リート路面の上を歩いている影が見えた . 捕 らえてみると ,背甲に標識があり ,脱走した甲幅 82.0 m m (湿体重は 327g )
のカニであることがわ かった. 見た目には元気で,鉛脚や歩脚 に損傷も 無か った. 脱走後156 日が経過 していた . 脱走し た場所と発見された場所 は,距離的 には1 0 0 m ほ どしか離れていない (図1- a )
. 海へは下らず, 他の排水口から出て,水産大学校の敷地の中で生 活をしなが ら越冬した ようだ. しかし,人目に触 れずに , このような大型のカニが体全体を水中に 浸して生活できるような場所は ,近くにはない .16 モクスガニの陸上移動能力 を示す二つの事例 発見された場所は通路 とな っている所であり ,毎 日,延べ数十人が通るが, それまでカニが目撃さ れた こ とは なか った. 筆者が発見できたのも ,全 くの偶然で あ る. 天然では常に水 中で生活をしている大型モクズ ガニが,水産大学校の敷地の片隅で,おそ ら くは 陸生のカニのような生活を ,人知れず
5
カ月も続 けていたことは ,本種の陸上における移動能力 , 生活能力の高さを示す証拠となる . なお ,こ の個 体 は,改めて海水飼育を実施したが,2002年 5 月 22日に死亡した .ダム下の斜面で力尽きた オス
実験個体群の追跡調査ではカ ニ篭を 用 いた採集 も実施している . ダムの下流2 0 0 m の地点にも調 査定点を設けている .2003年 3 月19 日の調査時に , この定点の横の ,川面 から 4 m ほと手上 が った所に ある道路 の 山際斜面で,モクズガニの死骸を発見 した (図l-b
,2).
発見した カニは甲幅8 3 . 5 m m のオスで , 甲,鉛 脚 ,歩脚 は互 い に繋がってはいなか ったが,ほと んど欠損しておらず,割れもなく , ほほ完全な状 態で揃 っていた . しかし ,手にとるだけで割れた 部分もあり ,明 らかに劣化 していた . 内臓や筋肉 は一部が乾燥し ,一部は無か った. 直射日光にさ らされて甲の色は退色が進み淡い紫色で, ところ どころ白色化 していた . このような 状況から ,死 亡後数カ月は経過していると 判 断した . 発見場所の直下に ある調査定点では ,9
年間に 約 500個体 の天然個体をカニ 篭で採集し ,諸 波IJ定 後 ,再 放 流 し て き た . しかしなが ら, これまで は,筆 者が上流で放流したと思われる個体は採集 されていない . この定点で過去に採集された最大 個体の甲幅は 71.0 m m (雄 ) で,毎年の雄の平均 サイズは50 m mfri
後であり ,こ の付近に生息する 天然、のモクズガニは ,今回発見した死骸に較べる とかなり小さい . この死骸を 筆者が放流した個体 であ ると仮定すると ,前述の遺骸の劣化具合から 判断 して, 2002年の秋季に降河移動した個体 の可 能性が高い . 実際,加齢した実験個体群は秋季に 降河移動することが多く, 2002年秋季に上流のス テークネ ッ トで採集された 23個体の般の平均甲幅 は8
1.6 m m であり (浜 野, 未 発 表 ), この遺骸の 体サイズとよく 一致している . このようなことか ら, このカニは ,筆者が9
年前に放流した個体で あると思われる . ダム上流で放流した後に降河 してくる個体の多 くは , ダム湖に入る 前にステ ークネ ッ トで採集さ れるが,一部の個体 はダム湖 まで下 っている (浜 野,未発表) . しかし ,歌野ダムには魚道が無い . また , ダムの水は放流管から勢いよ く下流に放水 されており , この放流管を通 って無事 にダムを通 過 できる個体はいないだろうと考えている . 今回発見したカニは ,その死骸が欠損したり割 函 1 水産大学校の実験飼育施設(a ) と歌野ダム(b ) の航空写真 . * :カニ発見場所,ワカニ脱走場所浜 野 龍 夫 17 図2 2003年3月19 日に歌野ダムの下流2 0 0 mの路上横 の斜面で発見されたモクスガニ (雄、甲幅83.5 m m)の遺骸 れたりせずに残っていたことから,上流で鳥類や ほ乳類などに捕獲されて食べられる過程で運ばれ て来たのではない . もし ,万一,自らがダムの放 水管の中をくぐり抜 けて歩いてきたとしても,そ のまま河道を下って下流へ向かうはずで,わざわ ざ川面を離れて急傾斜の斜面を登るとは考えがた い. よって , このカニは ,陸上を歩行移動し , ダ ムを越えて迂回して斜面を降りて来る途中で力尽 きたのではないかと考える .