略
本 系﹁俊頼髄脳﹂の研究︵二︶
1関西大学図書館蔵﹃俊秘抄﹄翻刻1
俊
頼
髄
脳
研
究
会
∧ 解 説 ︾ 本 研 究 に 取 り上げた略本系﹁俊頼髄脳﹂は、赤瀬知子氏﹁﹃俊頼髄脳﹄における享受と諸本1諸本論のための試論ー﹂ ︵﹃国語国文﹄一九八二年八月︶が略本11類と分類した諸本を謂う。赤瀬氏は三十二本を挙げる。うち﹁唯独自見抄﹂ 一 の 書名を持つ三本︵書陵部本、松平文庫本、彰考館文庫本︶は、別類にするのが適当である︵俊頼髄脳研究会編﹃唯独自 28 見抄﹄一九九七年一二月刊に述べた︶。略本11類の本文は、広本と比べる時、久曾神昇氏や赤瀬知子氏などがすでに指 一 摘している通り、また両氏の指摘するほかにも異名一覧の後に続く箇所やかやり火の注文に目立った異文が認められ るなど対立する本文がある。いま詳細に論及する余裕はないが、これらの異文の存在は﹃俊頼髄脳﹄の読解において 注 意 すべきであろう。本研究で翻刻した関西大学図書館蔵﹃俊秘抄﹄は、すでに︵一︶で触れたように坤巻末尾に明 暦二年校合の奥書が見え︵それ以前の本文を伝えるとすると当該伝本中最も古い書写年代になる︶、さらに天保九年の岩崎 美隆による丁寧な朱書イ本校合もあって、略本H類の伝本中で、その基準となるべき良好な本文をもつと思われる。 い ま﹁俊秘抄 下﹂を翻刻するにあたり、以下に若干の事柄について解説する。関 大本の傍書における朱墨の区別および頭注 上 巻 と下巻を便宜分けて︵両巻の違いでもある︶、それぞれ該当する傍書を頁・行で示す。 上 巻 の 場 合 ﹁∼イ]とあるものはほとんどが朱で、﹁イ﹂と記さない傍書、漢字に付された訓みや﹁∼歎﹂﹁本ノ マ ・ ﹂ とあるなどは、墨である︵ただし、﹁イ﹂のない朱傍書は、ら 61・H、いへ 73・1、と歎 89・14、は 91・14、 か 脳・13、と 酷・2、塩 m・2、ふ 田・13。なお99・13の本文中﹁よき寄に﹂の﹁に﹂は朱書き、底本では行末にあ るため本文中に挿入されている︶。﹁∼イ﹂の形で墨であるものは次の通り。他本にもみえる場合で、カタカナ書きが目 立ち、多くは美隆の校合とは区別すべきものと考えられる。 河 内イ 63・5、かイ かし だてイ 64・10、御返事ならてイ本 65・3、まイ れイ 65・6、ヲキイ
70.1、コノイ る 70.7、なりイ 73.2、にイ 73.4、歳イ 73.8、ものイ 74.2、そ きイ 76. 一 10、ハカナクテイ 79・4、ハイ 81・12、ホリヱイ 84・3、よもイ 88・12、春さくイ 94・11、ソイ ル 29
イ 94・12、くもれイ 95・4、身イ 95・H、とめイ 96・1、クルイ 96・5、きイ 96・11、にしイ 96・ 一 14、カツイ ツライ とイ 97・1、イマコンイ本二 皿・H、ふるイ 皿・12、のこイ ㎜・5、タイ m・ 12、イイ m・13、タイ m・2、ヒルハフカテヨルフクカセナリイ ヲンナノ⋮ヨムヘシイ m・1、カホカ ニカセノ⋮ヨマサルヲハイ本 田・3、家によひあつめてイ 肚・7、きみイ 皿・13、マロイ 旧・14、ユキ イ本 ㎜・5 下巻の場合 上巻に比べ墨傍書は少なく、引用歌の頭に記された合点︵33・4、34・1、35・1、35・8、37・4、38・ 2︶や﹁本ノマ・﹂以外では、墨傍書は次の通り。なお、67頁8行の﹄などは朱。 趙 葛 35・2、胡城 35・8、カイリツ 35・9、ケン 36・3、ヘンクハ 37・4、セウカウふりて 37・11、 遍 照 寺 43・8、キ 43・H、餓鬼 66・12、いか 95・14 略 本 系﹁俊頼髄脳﹂の研究︵二︶
略 本 系﹁俊頼髄脳﹂の研究︵二︶ また、上巻の初めあたりには頭部分の余白に岩崎美隆によると思われる次のような注が書き込まれている。適当な 位 置 を翻刻本文の頁・行によって示す。参考に朱墨の別、底本の丁数をあわせて記す。 此一件此抄の序文なり 61・4 墨、一丁表 此書名或ハ俊頼髄脳トモイヘリ 61・4 朱、一丁表 手名槌足名槌稲田姫父母素蓋鳴尊稲田姫をよはゐ給ふ時姫の寄日もくれぬさくさめのとじにて出よ心のヤミに我 まとはすなサクサメ刀自は尊︵ミコト︶ノ媒せし人也 62・12 墨、三丁裏から四丁表 聖 徳太子 墨、63・2 四丁表 あはせたきものすごしと云十文字を句の上下に置也 朱、65・1 六丁裏
万 葉に短寄と云は普通三十一字の寄也こ、に短寄といへるは長寄也貫之万葉を見誤りて古今集に短寄としるせる 一 を後人馨説をくはへて何かと云也貫之の比は万葉の和点なかりし故むまくよみえさる歎後撰集の選者五人にあふ 30
せ て はしめて和点をくはへしめられたりこれより万葉は人よくよむことを得たる歎古今集には万葉の寄を入さる 一 よし序にかけれ共誤て数首入是万葉を見しらぬ故也 65・11 墨、七丁裏から八丁表 錯 簡について 関大本も含め、同系統の諸本には﹁みかのよのもちゐは⋮﹂︵四二九番歌︶の注文中と巻末部分に錯簡がある。同系 統 の 諸 本の多くが、その原型をひとつにする証左となる。ただし、彰考館文庫蔵﹁俊秘抄﹂、東京大学総合図書館蔵 ﹁無 名抄﹂︵明和九年田代更生写︶、京都大学文学部蔵﹁無名抄﹂は錯簡をもたない。この三本は、錯簡が生じる前の 形 を伝えていると考えられるが、錯簡のある諸本との関係は、ひとまず同系統と認められるものの異同もあり簡単に 論 じられない。なお、後者二本について、池田富蔵氏﹃源俊頼の研究﹄に紹介解説がある。
さて、錯簡部は、下巻翻刻本文中に次のような符号によって便宜示した。翻刻本文93頁4行から9行までの︻︼ 内の一節は、m頁2行の*印の位置にあるべきで、すなわち、﹁よの人もさまてはおもひ*わかしとて﹂の﹁おも ひ﹂は﹁︻ひたらさめりされはなをしらぬことなめり⋮﹂に続き︵﹁ひ﹂が重複するのは錯簡後の処理の結果であろう︶、 ﹁後 冷泉院の御時四条の宮の御ゆめさ︼﹂の後に﹁わかしとて﹂が続く形に修訂されるべきである。 ﹁或 本﹂校合について 錯 簡の存在は、この系統の諸本の原型を限定できる特徴だと思われるが、さらに、次の①∼⑫に挙げる︵翻刻本文 頁で示す、なお全て上巻にあるので頁数は前号分︶ように﹁或本﹂校合を記している。︵カタカナによる比較的長いイ本注 記 もあるが略す。なお伝本により記載のない場合や本文化している場合などがある。関大本も⑤⑦を落としている。︶ 一 ①80、②92、③94、④皿、⑤皿︵7行目﹁よのすゑには﹂に傍書して﹁サラテモァリヌヘキコトナメリ或本﹂とある、 31
関大本は欠く、いま内閣文庫本で補う︶、⑥鵬、⑦伽︵−行目に傍書して﹁或本云タレトテカマウスサトハイッコソナ 一 ト・ヒタラムカヘリコトソカクハスヘキトオホユレトアシカラム古今ニイラムヤハ云云﹂とある、関大本は﹁已下別也﹂ ﹁ 己上別也﹂と記すが傍書を欠く、いま内閣文庫本で補う︶、⑧珊、⑨珊、⑩㎜、⑪盟、⑫㎜ 以上のうち、①⑤⑦⑧⑨は、近似した本文が﹁唯独自見抄﹂にだけみえる。②③④⑩は不明︵②は略本−類の一本に み えるが︶、⑪⑫は広本に近いというわけで、現存伝本中にすべて合致する一本は見当らない。しかし、﹁唯独自見 抄﹂にのみ一致する本文があることは注意してよいだろう。なお、この﹁或本﹂校合は、前述の錯簡を持たない伝本 にも見られる。いまのところ校合の時期は不明とせざるをえない。 なお、本系統の伝本の多くは、関大本同様、寿永二年八月二日の見合云々の奥書を載せているが、国文学研究資料 館蔵﹁俊秘抄﹂、酒田市立光丘図書館蔵本、神宮文庫蔵﹁俊頼髄脳﹂などは奥書を持たない。また、内閣文庫蔵二本 略 本 系﹁俊頼髄脳﹂の研究︵二︶
略 本 系﹁俊頼髄脳﹂の研究︵二︶ や 書 陵 部 蔵 ﹁俊 秘 抄﹂、彰考館文庫蔵本などは寿永二年見合の奥書のみで智範相伝の奥書を持たない。これら奥書の 問題も含めて、残された課題は多い。 略 本 系﹁俊頼髄脳﹂の研究︵一︶の訂正 誤 御返事なくてイ本 65・3、 正 御返事ならてイ本 ハイ ルイ 94・12、 ソイ ルイ れ歎イ 96・11、 れはイ 最後になりましたが、﹃俊秘抄﹄の翻刻を許可された関西大学図書館ならびに、いろいろお世話いただいた同図書館の関係 各位に研究会一同心より深謝申し上げます。 一 32 ◇ 俊 頼 髄 脳 研 究会 一 芦田耕一・海野圭介・北山円正・小林 強・佐藤明浩・田中宗博・中原香苗・福島 尚・安井重雄 鈴木徳男・山本和明
︽ 翻 刻∨ 俊 秘 抄 下 ふる雪にみのしろ衣うちきつ・はるきにけりとおとろかれぬる 山さとのくさはに露もしけからんみのしろ衣ぬはすともきよ へ﹂れはとしゆきかむつきのついたちにきさいのみやにまいりたりけるに雪のふりけれはおほうちきをたまはりてよめ る寄なりみのしろ衣とはゆきのふりか・るにうへにかひくしくうちきたるなむみのしろ衣とおほゆるとよめるなり 一 33 はるきにけりといふははるのはしめなれはことさらにとておほうちきをたまはりたるかめつらしさにはるきにけりと 一 はよめるなり つ きの寄ははしめの歌をためしにしてたひのみちにはつゆけからむみのしろにきよとてぬはすともとよめるなり せ なかためみのしろ衣うつときそ空行かりのねもまかひける これもおなし心なり つくはねのにゐくはまゆのきぬはあれと君のみけしにあやにきまおし ひイ あらたまのてたまもゆらにをるはたを君かみけしにぬはてきむかも 略 本 系﹁俊頼髄脳﹂の研究︵二︶
略 本 系﹁俊頼髄脳﹂の研究︵二︶ へ﹂れ﹁は﹂ふたつは万葉集の寄なりつくはねといへるは木のおひたるところをいへるなりにゐくはまゆといへるはく はの木のわかきなるはをはしめてこきくはせかいこのまゆ﹁か﹂してをりたるきぬといへるなりみけしといへるはお よしイ てイ もひかけたる人の身にちかくふれたるきぬならねはとかしなしきみか身にふれたるきぬなんあやにてにきまほしとい ツギ へ るなり次の寄もおなし心なり こイ くれはとりあやにわひしくありしかはふたむら山はこえすなりにき か へ し こそイ めイ
か ら衣たつをおしみし心うちふたむら山のせきと成ける 一 34 この寄はおほやけのつかひにてあつまのかたへまかりけるにあらためたる事ありてめしかへされてみやこへまうてき 一 たりけるをめき﹀てよろこひなから人をこせてはへりけれはみちにてひとの心さしをこせてはへりけるくれはとりの あやをふたむらつ・みてをこすとてよめる寄なりくれはとりといへるはそのあやのなをいはむとてふたむら山とはよ める也 か をさしてむまといひける人もあれはかもをもをしとおもふなるへし か へ し なしといへはをしむかもとやおもふらんしかやむまとそいふへかりける
へあ寄のことは、拾遺のかε題のところにほのー申たりこの寄の心は秦のよに撰いときこゆるみかとをはしけ りイ 趙 葛 りそのみかとのち・の王にもにすをうかにおはしけるときの大臣にてうかうといふ臣ありその大臣みかとのをうかに さイ おはするけしきを見てくにをうははんの心あるなり御はおもひなから人の心もしらすおほつかなさにたれか・たにか 候イ よりたるところみむとてかのし・をていわうの御前にゐてまいりてか・る馬なんゆけると奏し申けりみかとあやしみ て これはしかなりまたくむまにあらすてうかうまうさくまさしく馬也あまたの人にとはしめ給へしみなまうさくまさ しく馬也とまうす人くはわか・たによるなりけりとて王位をうはひたてまつりけるとそいへる
秋 風 に初かりかねそきこゆなるたかたまつさをかけてきつらむ 一 5 胡 城 3 へ﹂の寄は漢の武帝とまうしけるみかとの御ときにこせいといへるところに蘇武といへる人をつかはしたりけるかえか 一
㌘㍑
へ らてとしころありけるを衛律といひける人の又ゆきて蘇武はありやととひけれはあるをかくしてその人はうせてと すこイ しひさしくなりぬといひけれはそら事をかくしていふそと心えて蘇武しなさなりこの秋かりのあしにふみをかきてた りイ てまつれりそのふみをみかとこらむして蘇武いまにあ○とはしろしめしたり﹁とはかりごとをなしていひけれはしか さるにてはやくなしとおもひてまことにはありといひてあはせたりけるとて﹂これによそへてかのかりの寄はよめる なり 天 の 河うき・にのれるわれなれやありしにもあらすよはなりにけり 略 本 系﹁俊頼髄脳﹂の研究︵二︶略 本 系﹁俊頼髄脳﹂の研究︵二︶ め さイ これはむかし﹁の﹂うねへなりける物をみかとたくひなくおほしけりれいならぬ事ありてきとにいてたりけるほとに わすれさせたまひにけり心ちよろしくなりていつしかまいりたりけりむかしにもにすみえけれはうらめしとおもひて ケン まかりいて・たてまつりける寄なり本文あり漢の武帝の時に張鴛といふ人をめしてあまのかはのみなかみたつねてま い れ とてつかはしけれはうき﹀にのりてかはのみなかみにたつねゆきけれはみもしらぬところにゆきてみれはつねに るイ みる人にはあらぬさましたかものはたあまたたて﹀ぬのを・りけり又しらぬをきなのありてうしをひかへてたてりこ とイ れ はあまのかはといふところなりこの人くはたなはたひごほしといへる人くなりさてわれはいかなる人とそとく ひけれは張篶といへる人なり宣旨ありてかはのみなかみたつねてきたるなりとこたふれはこれこそは河のみなかみと 一 36 い ひ て いまはかへりねといひけれはかへりにけりさてまいりたりけれはいかにそかはかみはたつねえたりやと・はせ 一 たまひけれはたつねてはへりあまのかはのほとりにまかりたりつれはたなはたひごほしなと牛をひかへてたなはたは たを・りてこれなむかはのみなもと・申つれはそれよりかへりまいりたるとそ申けるところのさまのありしにもあら す か はりたりけれはそのよしをき、てかくよめるなり﹁この﹂この寄をみかとこらむしてあはれとやおほしめしけむ もとのやうにかたときもたちさらすおほしめしけりそののちいくはくもへすしてうせたまひにけりつかのうちにおさ めたてまつりけるをりにこのうねへいきなからこもりにけりそのつかはいけこめのみさ﹀きとてやくしてらのにしに いくはくものかてありまことにや張けんかへりまいらさりけるさきに天文とものまいりて七月の七日けふあまのかは
の ほとりにしらぬほしいてきたりとそうしけれはあやしみおほしけるにこの事をきこしめしてこそまことにたつねゆ きたりけりとおほしめしけれ ちのなみたおちてそたきつ白河は君か代まてのなにこそありけれ Qのなみたといふ事はを巨りある事なりもろこし齢舷といへるたまつくりのありけるかたまをつくりてみかとに た て まつりたりけるをみかとことたまつくりをめして見せさせ給けれはひかりもなく不用の物なりと申けれはいかて か・る不用のものをはたてまつりけるそとて左の手をきらせ給けりさて又よかはりてあたらしくた﹀せたまへる宇王 に又たまをたてまつりけるをはしめのやうにたまつくりをめしてとはせ給けれはこれ又不用の玉也と申けれは又右の 一 37 手をきられにけりなきかなしむ事かきりなしなみたつきてちのなみたをなかしてよるひるなきけり又よのなか・はり 一 て あたらしきみかとおはしましたるになをこりすまにたまをつくりてたてまつりけれはみかとたまつくりをめしてや さ ニイ うあらむとてみか+せさせ給けれはえもいはすひかりをはなちて・らさぬところなかりけり御てこ代といへるたひま めくみをかうふりてイ セウカゥふりて 帝イ て ちのなみたをなかしてなきけるか三代といふたひ蒙賞そよろこひける宇王のをうかにおはしますためしに申事也み よイ かとの御前にて荒涼してはよむましき事とそうけたまはりしかと承暦の寄合にもこひのうたに候めりしはいかなる事 に か 初 春のはつねのけふのたまは・きてにとるからにゆらくたまのを 略 本 系﹁俊頼髄脳﹂の研究︵二︶
略 本 系﹁俊頼髄脳﹂の研究︵二︶ たまは・きかりこかまきのむろのきとなつめかもと﹀かきはかむため へだまは・きといへるは著と申きにねの日こまつをひきくしてはxきにつくりてゐなかうとのいゑにむつきのはつね ふイ のひかひこかにやをはこやとそ申すなるそのやをねむまのとしむまれたるをんなのこかひするものよきをかひめとつ つイ けてそれしてはきそめさせていはひのことはにいへる寄なりとそいひくたへたるされとつきのうたにむろのきとなつ くイ たまとイ めかもと﹀かきはかむためとよめるはた﹀には︾くはxきなとをもいふにやあらむようつのものに又いふことはをは たイ そへてよめはは﹀きなりともかれをほめむひはなとかたまといへることはそへさらむた、しは、きのうくはむかし京 こくの宮すところと申人は時平の大臣のむすめなり延喜帝王の女御にたてまつりたまはむとせられけるに日ころよく 一 8 くイ つロ くいとなみてすてにそのよになりてたしかくるまなとよせて女房なとのるほとになりてにはかに寛平法皇御かうあ 一 りて御くるまよせけれはかの大臣おもひかけぬさましてさはかれけれはたてにきたるなりとおほせられてをしていら せ 給にけりをと﹀すへきやうもおほえたまはさりけれはた・あふきてをはしけるほとに内より蔵人御使にてまいりて よいたくふけぬいかなることそとたつねさせ給けれはをと・よろこひなからこのよしを・つく申されけれはしはし れイ 御 返 事 もなくてとはかりありてしきりにをととしはふき申されけるはこれはをいほ・したまはりぬとおほせられけれ は いとあへなくあさましきことにてたしくるまにのりたる女房たちみなおりにけりいかによの人さたしけむとこそを しはからるれ蔵人かへりまいりてこのよしをそうしけれはものもおほせられさりけりみやすところのむかし﹁は﹂三
井 寺 の か た はらに志賀とてことのほかにけむしたまふところありけるにまいりたまひけるにかの寺ちかくなりてとこ ろのさまこのましくおほえ給けれは御車のものみをひろらかにあけて水うみのかたなとみまはさせ給けるにいとちか くきしのうへにあさましけなるくさのいほりのありけるかことのほかにをいおとろへたるをいほうしのしろきまゆの したよりめをみあはせ給へりけれはいとむつかしきものにもみえぬるかなとおほしてひきいらせ給にけりさてかへり 給 て 又 の日をいほうしのこしふたへにか﹀まりたるかつゑにすかりてまいりて中門のほとりにた・すみてきのふしか 侍イ に て 見 参 し給し老法師こそまいりたれと申させ給へといひけれはしはしき・いる・人もなかりけれとひねもすにゐく らしてあまりいひけれはか・ることなむ申もの・はへると申けれはしかさることあらむとおほせられてみなみおもて 一 ひさしイ 9 かイ 3 の ひ ○くしのまにめしよせていかなることマ﹂そと・はせ給けれはしはしはかりためらひてし賀にこの七十年はへ 一 りてひとへに後世菩提のこといとなみはへりつるにはからさるほかに見参をしていかにもたのおもひなくいまひとた ひけさんをせんの心のはへりて念佛もせられすほとけにもむかはれさりつれはとしころのをこなひのいたつらになり なんことのかかなしさにもしたすけもやせさせおはしますとてつゑにすかりてなくくまいりてはへるなりと申けれ は いとやすきことなりとのたまひてみすをすこしまきあけてみえさせ給けれはおもてのしはかすもしらすまゆのしろ さイ かまりイ きゆきなとよりもまさりてをいかはりて人ともおほえすまことにをそろしけなるさましてまもりいれてとはかりあり て その御てをしはしたまはらむと申けれはまうすにしたかひて御てをさしいたさせ給たりけれはわかひたいにあて︾ 略 本 系﹁俊頼髄脳﹂の研究︵二︶
略 本 系﹁俊頼髄脳﹂の研究︵二︶ ようつもおほえすなきてかのてにとるからにといへる寄をよみかけ申てすこしゐのくやうにてこのよにむまれ候ての ち九十年にをよひはへりぬるにまたかはかりのよろこひはへらすこのつとめをもてもしおもひのま、に弥陀の浄土に むまれなはかならすみちひきたてまつらむ浄土にむまれさせ給は・みちひき給へと申てなきけれは御返 を よしさらはまことの道にしるへして我もいさなへゆらくたまのを とそおほせられけるこれをき﹀てよろこひなからかへりにけりと能因法師帥大納言にかたり申けるにこの寄は萬葉集 第廿巻にあれはことのほかのそらことにてそひとへにものかたりにいへはことのほかのひかこととおもふへきに万葉 集 廿 の 巻 にある本ありなき本ありこの本﹁はこ﹂の寄のみにあらすいまうたの五十余首なけれはきはめておほつかな 一 〇 とはイ 4 きなりよくたつぬへしそのうたにゆらくたまのをとよめるゆらく○しはらくといふこと、はなりたまのをとはいのち 一 をいへることはなりされはこの御てをとりたるによりてしはしのいのちなんのひぬるとよむなりさせることなけれと もかやうのこと・もしろしめしたらむにあしかるましきことなれはしるし申せるなり か そ色は哀とみえむつはめすらふた﹁た﹂りのひとにちきらぬものを む か しおとこありけりむすめにおとこをあはせたりけるにおとこうせにけれは又ことひとにむことらむとしけるをむ す め のき、ては﹀にいひけるおとこにかつしてあるへきすくせあらましかはありつるをとここそあらましかさるほう しシイ の なけれはこそしぬらめたとひしたりとも身の宿世なれは又もこそしぬれさることおほしかくなといひけれはは﹀
き﹀ておほきにをとろきてち、にかたりけれはち︾これをき、てわれしなむことちかきにありさらむのちにはいかに そイ してよにはあらむとてさる事はおもひよるそといひてなをあはせむとしけれはむすめおやに申けるやうはさらはこの うイ をイ い ゑ にすくひてこそみたるつはくらめをころしてめつはくらめにしるしもしてはなちたまへさらむに又のとしおとこ つ はくらめをくしてきたらむをりにそれを見ておほしたつへきといひけれはけにさもといひていゑにこうみたるつは くらめをとりておとこつはくらめをはころしてめつはくらめにはくひにあかきいとをつけてはなちつ、はくらめかへ たイ りてひとりくひのいとつきてまてきたりけれはそれをみておやともおとこあはせむの心もなくてやみにけりむかしの をむなの心はいまやうにはにさりけるにやつはくらめをとこふたりせすといへるふみの文なり 一 41 か らすてふおほをそとりの心もてうつしひと・はなになのるらむ 一 此寄伊勢國の郡司なりけるもの・虜にからすのすをくひてこをうみてあた・めけるほとにおとこからすひとにうちこ ろされにけりめからすごをあた﹀めてまちゐたりけるにまことにひさしくみえさりけれはあたためけるこをすて、こ く りイ とおとこからすまうけていまめつらしくうちくしてありきけれはかのかいこかへらててさりにけふ﹁子﹂それを見て い ゑあるしの郡司道心おこして法師になりにけりそれか心をよめるなりおほをそとりとはからすのな・り あさくらやきのまうとのにわかをれはなのりをしつ︾ゆくはたかこそ このうたはむかし天智天王太子にておはしましけるとき筑後國あさくらといふところにしのひてすみ給けりそのやを 略 本 系 ﹁俊 頼 髄 脳﹂の研究︵二︶
略 本 系﹁俊頼髄脳﹂の研究︵二︶ ことさらにようつのものをまうにつくりておはしけるよりきのまうとのとはいひそめたりけるなりよにつxませ給こ こイ く とありてみやうにはえおはせてさるはるかなるところにおはしけるなりさるつ、み給事あるかゆへにいりかくる人に るイ ウケ か ならすとはぬさきになのりをしていりた○と起請をせられたりけれはかならすいているひとのなのりをしけるとそ い ひ つたへたるこのうたを本たいにしてきのまうとのになのりをしつ﹀よむなり大斎院と申ける斎院のとき蔵人のふ ふらイ のり女房にもの申さむとてしのひてよるまいりたりけるにさる、ひともみつけてあやしかりていかなる人そととひた つ ね けれはかくれそめてえたれともいはさりけれはみかとをさしてと・めたりけれはかたらふ女房院にか﹀る事こそ は へ れ と申けれは寄よむものとこそきけとてゆるしてやれとおほせられけれはゆるされてまかりいつとてよめる寄 一 2 ねイ 4 か み か きはきのまうとのにあらねともなのりをせぬはひと・かめけり 一 とよめりけれは大斎院きこしめしてあはれからせたまひてこのきのまうとのといふことはしかくき・しことなりと とイ お ほ せ られてとくゆるしやれ○さふらひをめしておほせられけれはいてにけり女はうにあひたりけるにこのことはさ そイ うとおほせられつるとかたりけるをき・てこのことよみなからとしころおほつかなかりつることをき﹀あきらめつる ところこひけるとそこの斎院はむらかみの御むすめなれはさためてしろしめしたらむとそのふのりも申けるその・ふ のりは﹁候し﹂もりふさかせむそなれはき・つたへてまうしし そのはらやふせやにおふるは・ききのありとてゆけはあはぬきみかな
にそイ この寄のこ﹀うたしかにかきたる物なししなの﹀くにたるのはらふせやといふところ﹁は﹂あるにそのところにある もりをよそに見れはには﹀くは・きに・たるきのこすゑのみゆるかちかくよりてみれはうせてみなときはきにしてな るイ ん み ゆるといひつたへたるをこのころみたる人にとへはは﹀き・と見えたるきもみえすさるきのみえはこそちかくよ りてもかくれめとそ申すむかしこそはさやうにもみえ候けめ み ちのくのしのふもちすり誰ゆへにみたれそめにしわれならなくに これらはかはらの大臣なりしのふもちすりとつ・くへきにはあらすみちのくに・しのふのこほりといふところにみた れ たるすりをもちすりといふなりそれをこのみすりけるとそいひつたへたるそれをところのなとやかてそのすりのな 一 ヨ 遍 照 寺 故 帥 4 とをつ︾けてよめるなりへむそうしのみすのへりにそすられて候しは四五寸許きりとりてこそちの大納言のせいわ院 一 の みすのへりにまねはれて候しかはよの人みけうせし せ りつみしむかしの人もわかことや心にものはかなはさりけん
献
緋
これは文書に秋芹と申こと候へとかなひ候はすた・ものかたりに申すはこ・のへのうちに・は・くものなと申すはと かイ のもりつかさなとにやにはをはきあるきけるにきさいの御かたにてよせのみすをにはかにふきあけたりけるにせりを め しけるにみてもの思になりて人しれすおもひあるきていかていまいちとみたてまつらむとおもひけれとすへきやう もなかりけれはめし﹀せりをおもひいて、せりをつみて﹁みす﹂のかせにふきあけられたりしみすのあたりにをきけ 略 本 系﹁俊頼髄脳﹂の研究︵二︶略 本 系﹁俊頼髄脳﹂の研究︵二︶ イ同 りとしふれともさせるしもなかりけれはつゐにやまひになりてうせなむとしけるほとにめにもしらせてしなんかいふ せ さにこのやまひはさるへきにてうけたるやまひにあらすしかくありしことによりて物おもひになりてうせぬるな をイ り我をいとおしとおもは︾せりつみてくとくにつくれといきのしたにいひてうせはてにけりその・ちいひをきしこと りつイ くにせりつみてほとけにまいらせやそらにくはせなとそしけるそれかむすめのそのみやの女官になりてはへりけるか るイ このものかたりをし出るをきこしめしてあはれからせたまひてさる物にはみえしやうにおほゆれとのたまひてその女 官をつねにめしよせてあはれにせさせ給ひけるそのきさきはさかのきさきとそ申けるさもやおほしけんつねにみそか ことをこのみてちむのとにいてたまひけるとマ﹂かやつねにくたものとおほしくてなかひつにいりてそいてたまひ 一 44 けるもちたてまつりたりけるふさやこ、ろひたりけん心をあはせてさかさまにたて﹁く﹂まつりたりけれはかほに ﹁ りイ ちたまりてたへかたくおほしてなかひつあるきそれよりそと・まりにけると人ものかたりにしけるとかや ことしけししはしはたてれよひのまにをけらむつゆはいて・はらはむ はそくイ この寄そくのきさきの寄とてはしにしるし申たることはにはうへわたらせたまひたりけるをりにとそあれとこのもの イ同 にイ かたりをうけたまはりてのちはさやうのみそか人はおほせられけるにやとそおほゆる み つ のえのうらしまかこのはこなれやはかなくあけてくやしかるらん こイ されはみつのえのうらしまのこといふ人ありけるなりみつのえのうらしまとは所のな、りおほきなるかめをつりい
て 、をきたりけるにうらしまのこかねたりけるにをむなになりてをりけるをみてめにしてありけるにめいさたまへわ か すむところへとさそひけれはつりしけるふねにのりて見もしらぬところにゆきてすみけれはまことにたのしくおも ふ こともなかりけりしかはあれとふるき宮このこひしかりけれはわかありしところへかへしやりたまへあからさまに ゆきてかへりまいらむとあなかちにいひけれはしかさおほさはかへりたまへとてかへしけるときにちいさきはこをゆ ひ ふ む してとらすとてこのはこをかたみに見たまへあなかしこあけたまふなとかへすくいひかたらひてとらせつそ の は こをとりてふねにのりてかへりぬもとのところにかへりつきけるま・にいつしかゆかしかりけれはみそかにとお にイ もひてなわのいりたるそとてをつくほそめにあけて見れはけふりいて・そらにのほりぬその、ちをひか﹀まりても 一 45 のもおほえすなりぬはやくこの人のよはゐをこめたるなりけりあけたることをくやしくおもひてかへせとかひなしそ 一 えイ れ に ご・ろをえてよめるなり 我 心 なくさめかねつさらしなやをはすて山にてる月を見て この寄はしなの﹀くに、さらしなのこほりにをはすて山といふやまのあるなりむかしひとのめゐをこにしてとしころ やしなひけるかは・のをはとしをいてむつかしかりけれはこのは・のをはをすかしのほせて八月十五夜の月くまもな くあか︾りけるににけてかへりにけりた﹀ひとりなをやまのいた・きにゐてよもすから月を見てなかめける寄なりさ すかにおほつかなかりけれはこの寄をそうちなかめてなきをりけるその・ちこの山をはをはすて山といふなりそのさ 略 本 系﹁俊頼髄脳﹂の研究︵二︶
略 本 系﹁俊頼髄脳﹂の研究︵二︶ きはかふり山とそ申けるかふりのこしににたるとかや か ひ か ねをさやにも見しかけ﹀らなくよこをりふせるさやの中山 この寄にけけらなくといふはこ﹀うなしといふむかしのことはなりかのかひのくにのふそくなりよこをりふせるとは ことのほかにたかくなかき山なれはよこをりには・かりてかひのしらねをふたけてみせねはよめるなりくやるといへ ることははするかのくにのふせりといへることはなりこのさやの中山はとをたふみとするかのくにとのなかにあるや まなり ね らひするしつをのこやにしなへたるやさしきこひも我はするかな 一 6 を・イ 4 ね らひといふはし、をとることなりましはといへるこのはをりあつめて人をかさりて人のやうにみえぬほとにかさり 一 なして山にたてたれはしかの人とも見えねはうちとけてよりくるなりさてちかつくをりにいるなりしなへたるといへ るはさすといふことはなりこしにやをさしたれはやさしとはそへよめるなり 月よめはいまたふゆなりしかすかにかすみたなひく春たちぬとか なイ 月よめはといふは月なみをかそふれはといふをりしかすかといふはさすかにといふことはなりとしのうちに春たちけ るとしよめるなり こイ ゆきを、きてむめをならひそ足引のやまかたつきていゑゐせるきみ
や まかたつきてといへるは山のふもとにといへるなり 我 宿のぞともにたてるならのはのしけみにす・む夏はきにけり そともといへるはしりへといへることはなり いさ・めにときまつまにそひはへぬる心はせをは人に見えつ・ いさ︾めにおもひしものをたこうらに咲る藤なみひとへ、にけり いさ﹀めといへるはた、しはしといへることはなり 夏かりのたまえのあしをふみしたきむれゐるとりのたつそらそなき 一 7 るイ 4 たま江とはゑちせんのくに・あるところなりあしはあきかる物なるをとくかりほとになるあしのあるをなつかりをき 一 はイ なイ て つ みをきたるうへにとりのむれゐるなりたまえとはたまの江といふなりみつのあるえに○あらするつかりといへる つイ これイ はしめのいへもしもかりかねのなつまてあるをいふそともいひし人ありこわもやまのひかことにこそかりかねならは すゑにむれゐるとりのといはむにもあしくきこゆ﹁又ししかりのにはかにいてきたらむもこ、うえすこれらかさたに こそこ・ろ得たるひと心得ぬ人は見ゆれ﹂ 神風やいせのはまをきをりふせてたひねやすらんあらきはまへに おもふイ神イ 君 か 代 は つ きしとそ見る秋風やみもすそ川のすまんかきりは 略 本 系﹁俊頼髄脳﹂の研究︵二︶
略 本 系﹁俊頼髄脳﹂の研究︵二︶ 秋 風といへるはふくかせにはあらす万葉集にかみかせやとかきたれはもしにはかられてふくかせとよみたる人あまた よイ きこゆもろくのひかことにや神の御めくみといへることなりさらはい勢とかきるへきことかはこと神にもうかまむ えイ にとかあるへからすといひかしかはか﹀ることはふるくよみつるま︾にておそろしさにえ○よまぬなりこのころの人 もおちなくよむものあらはよまれてこそあらめとそ申さるとそうけ給はりしはまをきとよめるはおきにはあらすあし をかのくに・ははまをきといひならはしたるなりみもすそかはとはかの大神宮の御前になかれたるかはなりいかてこ の か は は いま﹀てよみのこしてをきたりけんとそさねつなは申しか なイ みちのくのあさかのぬまのはまかつみかつ見る人のこひしきやなぞ 一 8 みイちイ 4 か つ み といふはこもをいふなりかやうの物もところのなもところにしたかひてかはれはいせのくに・はこもをかつ 一 をイ みといふなめり五月五日にも人のいゑにあやめもはふかてかつみふきとてこもをそふくなるかのくに・はむかしさう ふ のなかりけるとそうけたまはりしにこのころはあさかのぬまにあやめをひかするはひかこと・も申つへし はなかつみめならふ人のあまたあれはわすられぬらんかすならぬ身は これらははな・とつみいる・こなめりこれらかく申ましけれともはしめのうたにまきるれはかきて候なり ちりぬへき花みるほとはすかのねのなかきはるひもみしか・りけり すかのねのなかくといふあきのよは月見ぬ人のいふにそ有ける
はイ これはやますけのねを申なめりこれかねいもの・ほとよりもなかきなめり やイ わかことにいなをほせ鳥のなくなへにけさふくかせにかりはきにけり いなをほせとりとはよくしれる人もなしにはたxきと申とりなめりす・めと申人もあれともす・めはつねにあるとり 申イ すイ リイ なれはいまはしめてなくなへなとうへきにもあらはこのにはた・きといふとりはとつきをしゑとりと申なるそれにつ きて心ある寄 あふ事をいなをほせ鳥のをしへすは人をこひしにまとはさらまし この寄をかの鳥のなにおもひあはするなめり 一 49 いくはくの田をつくれはかほと﹀きすしてのたをさをあさなくよふ 一 してのたをさとは郭公を申なめり すかるなく秋の萩原あさたちてたひゆく人をいつとかまたむ すかるとはしかを申なめり さイ はなちとりつはきのなきをとふからにいかてくもゐをおもひかくらむ きイ これはかひなとしたるとりのつはさもなくをはなちなとしたるをよむなり わすれなんときしのへとそはまちとり行ゑもしらぬあとをと・むる 略 本 系﹁俊頼髄脳﹂の研究︵二︶
略 本 系﹁俊頼髄脳﹂の研究︵二︶ かイ これはちとりのうたなりまきるれはよきて候なり も・ちとりさへつる春は物ことにあらたまれとも我そふりゆく やイ えイ 我○とのえのみもりはむも・ちとり春はくれとも君はきまさぬ は しめのうたにさへつる春とよめるはうくひすなりつきのうたのえのみもりはんといへるはもろくのとりといへる なりすいなうにうくひすをも﹀ちとりとかけるにつけてうくひすとこころ得てはあしかりなん たかみそきゆふつけとりそから衣たつたの山にをりはへてなく 麟つ ゆふつけとりはにはとりをいふにはとりにゆふをつけて山には夏まつりあるとかや 一 50 夏くれはやとにふすふるかやりひのいつまて我身したもえにせん 一 足 引の山田もるこかおくかひのしたこかれのみわかこひをらん よるイ か や りひとはなつになれはかたゐなかにはかと申むしのおほかれはやとをとをくのけてひをたくなりうるのくらけれ きイ らイ は ひ の けにつけてそこにのみつとふなりよもすからたけはとみにもえぬものをあつめてしたにひをつけたれはきら・ もイ か に ○もえす又きえもやらねはしたこかるなとはよそへてよめるなめりおくかひもをなしことにやすくもひさやうの ことなめり か す か の・とふひの・もり出てみよ今いくかありてわかなつみてん
これはむかしかすかのにひのとひけれはおそりをなして野もりをすへてまもらせけるとそ申この・もりにわかなはつ む ほ とになりにたりやととひたる寄なめりこのことまこと﹁に﹂ならはとふひの﹀もりといはんことはかすかのにの よむへきなめりほかの﹀によみたらはひかことにてそあるへき み まくほし我まちこひし秋はきはえたもしみ・に花さきにけり えイ しみ・と申ことはしけしと申ことはなめりおほくはきくさのえたにそよめるになふと申すもしをこのみかくはえたも はイ たわたにと申ことはよめるにやあらむとみたまふるに万葉集 は こイ い へ ひらはえたもしみ・にかよふらんわかまつきみ○かへりひしぬかも 一 51 かうもよめるはなをしけしとよめるなめり 一 か の みゆるいへにたてるそかきくさのしかみさえたの色のてこらさ そかきくといふはしようわのみかとのひともときくをこのませたまひてたかくを、きにひろこりたらんきくまいらせ たらむ人をしやうせむとせんしくたさせたまひたりけれは世のなかの人我もくといとなみてひともときくをつくり て まいらせけるとそ申し・さてひともときくをしようわきくといふなりしかみさえたのといふはしつえといふやう に 黄イ に・れはみまさかのくにのことはとそうけ給はるそかかきくとは○きくを申といふ人もあるにやなをひともときくに ほ て こそかなふやうにはおをゆれひともときくはきのやうにたかき物なれはしかみさえたもなとかなからんむらきくの 略 本 系﹁俊頼髄脳﹂の研究︵二︶
略 本 系﹁俊頼髄脳﹂の研究︵二︶ しかみさえたは心えすそれもしたえたはあれとうへのえたにうつもれて見えし又つちにつきてうへにあらむえたには くイ ふからは をとりなん物をそかきくをなをき﹀てそといひはらつきなるひともときくとそいふへきをさはいはさめり けイ あま、へしのをかのくかたちきよけれはにこれるたみもかはねす﹀しも みイ くかたちといふはむかしぬすひとをとふとてほときといふものにゆをたきらかして、をさしいれさせてそこをさくら なイ とイ せ けるよりそれにあやまちたる人はてたたれけるにあやまたぬ人はあかみたにせぬにそありけるはしめのいつもしは とかイ ところのな・り御神にいのり申てしとそ世のすゑになりてしとけなきこと・もありけれはと・まりにけるにや こイ から衣したてるひめのしたらひにあめにきこゆるつるならぬねを 一 52 したてるひめはあめわかみこのめなりそのおとこうせたるときかなしふごゑそらにきこゆるなり又つるのさはになく 一 こゑなんそらにきこゆるといふことのあるなり いくしたてみはすゑまつるかんぬしのうすのたまかけみれはともしも さイ これはゐなかに田つくるをりにすることなりたのかみまつるときにごへいを五十はきみてたのくろといふところにた て ﹀さけなともそのれうとてきよくつくりまうけてまつるなりそのさけのなをみわけとは申なめりうすのたまかけと はまめつらぬきてうすのやうにしてかさりにするとそうけたまはる 我 宿 をいつならしてかならのはのならしかせをにいをりてをこする
か へ し か しはきのはもりのかみのましけるをしらてそをりした、りなさるな これはとしこかいゑにありけるかしはきををりにつかはしたりけれはとしこかよみてひはの大臣にたてまつりける寄 なりはもりのかみとはきのはをまもるかみのきにはおはするなり お きなさひ人なとかめそかり衣けふはかりとそたつもなくなる これはせりかはのきやうかうにゆきひらの中納言の御たか・ひにてたもとにつるのかたをぬひものにしてこのうたを しイ や か て もしきにぬひてつけたりけるとそかきたるおきなさひといふはおきなされと・いふことはなり 一 53
桜 花ちりかひまかへおいらくのこむといふなるみちまとふかに 一 らイ おいぬといへることをもしをた・さむとていへることはなり おもひきやひなのわかれにおとろへてあまのなはたくあさりせんとは これはをの︾たかむらをきのくに、なかされてはへるける時よめる寄なりひなといふはゐなかをいふなりあまのなは たくとはあまのすむところによりて物もとめてはんとはおもはさりきとよめるなり たまくしけふたとせあはぬ君かみをあけなからやはあはんとおもひし らかイ うイ これはらうゑいしうにある寄なりをの・よしふるといふ人のうてせんしをか○ふりてにしのくに・まかりむかひてお 略 本 系﹁俊頼髄脳﹂の研究︵二︶
略 本 系 ﹁俊 頼 髄 脳﹂の研究︵二︶ えイ うイ もひのことくうちえてたてまつりたりけるにその﹀ちしやうか○ふるへしとおもひけれとそのこときこえてふたとせ ことイ になりておほかたにしゐすへきとしにてありけれはしゐをしてくちおしくしやうにしゐをしてことし従上をしたらま しかはとおもふらむとてきむた﹀の弁のつかはしたりける寄なりあけなからやといふは五ゐのうゑのきぬといふなり さてあけといはんとてたまくしけとはおもひよりたるなり 河 や しろしのにをりはへてほすころもいかにほせはかなぬかひさらむ 行 水 のうへにいのれるかはやしろ河波たかくあそふなる哉 このかはやしろのこといかにもしれる人なした・人のをしはかり申はみつのうへに神のやしろをいはひてかくらをす 一 54 るなりされはかはやしろとはみつのうへにあるやしろといふなりつきのにてはさもこ﹀うえつへしはしめの寄はすゑ 一 イ同 に かくらやのよしもいはすまことにやしろめりとおほゆることはもきこえすおもひかけぬころもをほしてひさしくひ こシろイ ぬ よしをなけきたりかくらにはいかにもかなはすつらゆきかしうにもなつかくらのことかけりた・をして寄のころを はイ ゆるに河やしろといふ○やしろをかはのうへにいはひたれはかはのみつもはやく神もいちはやくおはするによそへて とうよりほすといへるなめりしのにといへることはしけくひまなしといへることはつねにつかへはぬのををりてほす そトろイ にもひさしくひぬよしをなけきたるなめりとそこ・うえたるさらはつきの寄そ、うたかひぬる あけのぞをふね
た ひ にしてものこひしきに山もとのあけのぞをふねきしにごき行 あまのはしふね か 久 方 の あまのさくめりはしふねのとめしたかつはあけにけるかも あからをふね 奥にこくあからをふねにつとやみんわかき人みてときあけむかも い へ て ふ ね 江イ さきもりのほりてこきいつるいへてふねかちとるまなくこひやわたらん 一 55 たななしをふね 一 いり江こくたな・し小ふねこきかへりおなし人をもこふるころかな あしからをふね 本ま・ ねイ めイ も・つしまあしからをふ○あるにおほみやこそかならめこ﹀ろはおもへと もろこしふね あやしくも袖にみなとのさはく哉もろこしふねもよせつはかりに まつらふね 略 本 系﹁俊頼髄脳﹂の研究︵二︶
略 本 系﹁俊頼髄脳﹂の研究︵二︶ ほイ まつらふねみたれをそをのみをはやみかちとるまなくおほくゆる哉 おほふね しイ 如何イ おほふねにまかちし・ぬきこくほとをいたくなごひそとしにある如何に これはさせることなけれとふねの寄あまたあれはかきつけたるなりたかせふねなとはつねのことなれはと、めつ 天 の 河 あさせしら波たとりつ、わたりはてねはあけそしにける この寄古今の歌なりこの寄のこ﹀ろはあまの河のふかさにあさせしら波をたとりてかはのきしにたてるほとにあけぬ れ は いまはいか、せむとてあはてかへりぬるなりさることやはあるへきた﹀人すらひと、せをよるひるこひてたま 一 6 くイ 5 くかならすあふへきよなれはいかにしてもかまへてわたりなんものをましてたなはたと申はさうすくにおはします 一 本マ・ ふイ かはしイ のイ や あまのかはふかしとてかへりたま○へきにもあらすいかにいはんやそのかはにはかさ、きありてもみち○はし ありと も イ きわたしともいひわたしふねはやわたせともいひきみわたりなはかちくしてよともよめはかたくにわたらんことさ またけあるまし﹁わたしもりの人をわたすはしるしらぬやはあるたなはたのこ・うさしありてわたらんあらんにわた くイ しもりなとてかはいなひまうさん﹂又かはもさまてやはふか・らんかた○こ・うえられぬ寄なりまたひかことをよみ たらんに古今にみつねつらゆきいれむやたとひかの人くこそあやまちていれめえんきのみかとのぞかせたまはさら ん や はもし古今のかきあやまりかとおもひてあまたの本のよきとおほしきをかりあつめて見れはよきとおほしきには
わたりはてなはとありをうさかしき人のかきけるにやあらんわたりはてつれはとある本もありおほつかなさに人にた つ ね申かはこれはわたりはてねはとあるへきなりわたりはてつれはとあるは古今のあやまりにこそあめれかやうのこ ちイ とはふるき寄のひとつのすかたなりこひかなしひていつしかとたらゐまちつることはひと﹀せなりひをかそふれは ヘイ 三 百六十日なりたまくまちつけてあくることはた︾一夜なりそのあへるほとのあなかちにすくなけれはまことには か はをもわたりてあひたれともあはぬかやうにおほゆるなりされはあひたれともほとのすくなけれはまたあはぬこ・ ちこそすれなとよむへけれと寄のならひにさもよみ又あひたれとも人にまたあはぬさまによむなりこれのみかは・な をしらくもにみせもみちをにしきににせなとするもひとへにそれにこそはなすめれことたかくものいふ人のいふこと 一 57 は にたるものをもひとへになしきかぬことをもひとへにき︾たるやうにこそはいふめれそれかやうに寄をもあひなか 一 らあはすとはいふなりとありしにこそよあくるこ、ちしてうれしくおほえ候しか 昨日こそさなへ取しかいつのまにいな葉もそよと秋風そ晴 るイ この寄又おほつかなし四五月にうへたる田は八九月にこそいてきと﹀のをりていなはもそよにはなみよたらめきのふ にイ さなへにてうへたらんなへの一夜をへたて・いなはもそよにはなみよるへきことかはあやしさに人のたつねまうし・ かはこれは一夜をへたて﹀秋かせになみよるにはあらすたた月日のほとなくすくるをいはむとてことたかくきのふと は い ふ なりきのふなとおもふことのかそふれはとしつもりにけりなといふことのことしかやうに心えつれはことはり 略 本 系﹁俊頼髄脳﹂の研究︵二︶
略 本 系﹁俊頼髄脳﹂の研究︵二︶ おほくそきこゆる しほみては入ぬるいそのくさなれや見るひすくなくこふらくはおほし に この寄はひかことにやと申つへしいそのくさをこひしき人もたとへてしほみちぬれはうみのそこにかくれてしほひぬ はイ れ はいてくるを見るなんまれなるとよめるかうみのしほのみちひることに一日にいちとかならすのことなり時こそ月 の い て いるにしたかひてはかはれともつゐにみちひることはあへてたゆることなしこの寄の心はみちては日ころあり てたまくひてはた・一日ありて又みちぬれは十日廿日もありてひることのたまさかなるやうによまれたるなりこれ きイ は お ほきなるあやまりとうちきくはおほゆれといそのくさはしほみちひるにしたかひてあらはれかくる、ことはおな 一
か
イ 田
しほとあれとあけくれめもかれす見まほしき人のたまさかにもかくれみえぬるつねにしほのみちてかくしたるやうに 一 おほゆるなりたとへはいたきところのものにあたりたるかことしまことにはたまさかにあたれとつねにあたりていた なれと るイ きやうに﹁みえの﹂みえぬことはおなしほと○あかぬおもひのあなかちになれはみることはなをたまさかにおほゆ○ ん とよめるはめてたくこそきこゆれこの寄いとしもなから○にはようつのしうにはいりなんや そイ なのみして山はみかさもなかりけりあさひゆふひのさすにごふかも 此うた心得かたしなからんかさをはあさひゆふひなりともなにをかさ、むなにしおは・といひてこそひのひかりにも さ、せめみしかき心にはをよはすそきこゆるされともあさひゆふひのひかりまことにてをさ︾けてかさをさすものならはこそそのかたはもみえさらんかさをはなにをかさ﹀むともいはめた・ひのひかりをさす﹁ふ﹂といふものなれは ちイ か たちみえすともなはかりをもなとさ、さらんこれはあなからのことなり はイ ねイ 人 ならしむれのちふさをほむらにてやくすみそめの衣きよ君 くイ これはとしのふるなかされけるときなかさる、人はふくのころもをきてまかるなれはは、のそめてつかはすとてよめ るなりすみそめのきぬといふはいろのくろけれはいふなりまことにすみしてそむるにはあらすこの寄の心はおこす・ こそそイ み してふくのころもをそむるやうによめるなりたとひすみしてそむるにてもす・りのすみしてころくめ・いかてかお こす﹀みしてはそめむ﹁いかなることにかおもへとふくのきぬはすみそめといふにはあらすまことにも﹂むかしはす 一 59 み してそめけるを此ころの人のふしかねしてはそむれはこの寄よみけんころほひはすみしてそめけるにやあらんおこ 一 す、みとす・りのすみとのことはさもおほめかれたることなれとかやうのことつねのことなりす﹀りのすみをよむへ か らんところにおこす、みよみたらんにとかなしやかすともくさはもえなんとよめるはひのもゆるとくさかれのいま つむイ めくみいつるとはことくにはあらすやされともかうもよめるはあみのひとめをつらんなとよめるうひはいをのな、 り人のひとをこふるこひはことくなれともしのおなしことなれはかよはしてよむつねのことなり又す・りのすみも や かすやはあるす︾りのすみをつくるにはまつのきをもやしてそのけふりをとりてつくるものなれはた︾す、りのす み をやくすみそめとよみたらんにとかあるへからすとうけたまはりしにはけにさもとこそおほえ候しか 略 本 系﹁俊頼髄脳﹂の研究︵二︶
略 本 系﹁俊頼髄脳﹂の研究︵二︶ 神まつるうつきに咲るうの花のしろくもきねかしらけたる哉 この寄の心ははしめに神まつるといひてすゑにしろくもきねかといへりしらくといふことはよねをしろくなすことは とイ ひつイ なりきねをいふはかんなきのならりさらはかんなきのよねをしろむへきにやさや○のことはあやしのしつのめかする ことなりかくらなとするをりかんなきやをとめなといひてからきぬなときていつくしくめてたきものなりさやうのこ にイ とすへしともみえすいかなることにかとてなかころの人くにたつねしよ﹁は﹂その人くもおほめきてたしかにも もイ こイ 申さすかんなきといふもの○やをとめするときにもそいつくしく見ゆれまことにはしつのめといひつへきものなれは そイ なとかしろくもきねかともいはさらんといへる人もありまたよねしらくるうつはもののくにきねといふものありけれ 一 〇 むイ 6 か よねをはしろむるものなれはさよるにやあらんと申す人もありきされとそれをよまはまたそれかくのものあるへし 一 ものイほイ ひとつくなけれはことかくるものなりとてきくあほ○ほゑみきた・うのはなのうつきにさけるものなれはしろしと い は ん とてしろくもきねかとはいふなりまことにけふのやをとかしろむるにはあらすはなかさといふものあれはうく へきイ あれはイ ひ す に ぬはするはまことにうくひすやはぬふらんた︾春﹁の﹂うくひすもありうくひすのかさきぬふてふなとはよむ なりされは神まつるといふにひかされてかんなきにしらけさせんとかなしとそ 雪のうちに春はきにけりうくひすのこほれるなみた今やとくらん はイ このうたにはるくといふことおほつかなし鶯のなかむにはなみたやはあるへきとうたかはれしを人の申﹀はゆきのう