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エビデンスに基づく療育・支援とは何か

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Summary 療育とは児童福祉の精神に依拠しながらも「不治」と いう医療の限界を超えた課題に対する教育との架橋的試 みから始まり,医療と育成の合成語として誕生した.こ れまで,医療モデルと生活モデルという異なる障害モデ ルより療育の目標や方法なども異なる療育が実践されて きた.しかし,今日では人間発達における生物心理社会 モデルの浸透などにより生活モデルに集約される傾向に あり,「発達の最適化」が療育の共通目標として認識され つつある.すなわち,発達的可能性をどのように保障し ているかという点に注目が寄せられたが,その議論を前 進させるのは研究デザインによって位置づけられるエビ デンスレベルと療育実践におけるエビデンス検証であ る.が,こうした包括的アプローチにおいては安易な時 間的展望の中で処理されたり,低いエビデンスレベルの まま実践されるという陥穽が用意されていることを忘れ てはなるまい. キーワード:エビデンス,障害モデル,療育の質,発 達の最適化,発達支援 はじめに 我が国で「療育」という言葉を最初に用いたのは 高木(1951)で,医療と育成の合成語として雑誌 「療育」で紹介している.高木によると,「一人格と してこれを尊重しながら健存権を護り立てる」とい う児童福祉の基本理念より「健存権を護り立てるに は,単に生物学的生存の安全性を護るばかりでな く,さらに社会的生存の安全性をも護る必要があ る」と強調する.このように「療育」という言葉は, 児童福祉の基本理念の中で語られたという起源に着 目しておかなければなるまい.また,高木(1954) は「療育とは時代の科学を総動員して,肢体の不自 由を出来るだけ克服し,それによって幸いにも回復 したる回復能力と残存能力と代償能力との三者の総 和(これを『復活能力』と呼称したい)である復活 能力をできるだけ有効に活用させ,以て自活の途の 立つように育成することである」と定義している. すなわち,単に医療に留まらず,肢体不自由児に対 する科学を総動員して障害を可能な限り克服し,自 立していくことを促すこととした. 高木は,「肢体不自由」に対して療育という言葉を 提唱したが,今や肢体不自由に限らず,知的障害や 言語障害等を含めたすべての発達期の障害に対して 用いられている. Ⅰ.我が国における療育の歴史 我が国における療育の歴史は,1910 年代に高木 憲次らを中心とした医療,教育・職能訓練を三位一 体とする肢体不自由児療育運動に始まる.この運動 を通して,肢体不自由の子どもが通う学校や施設が 創設され,手足の不自由な子どもたちに教育,医学 的治療,職業教育等が提供され得るようになった.

エビデンスに基づく療育・

支援とは何か

小林勝年1),儀間裕貴1),北原 佶2) 1) 鳥取大学地域学部附属子どもの発達・学習研究センター 2) 鳥取県立総合療育センター

総説

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そうした学校・施設は第二次世界大戦によって大き な戦禍に見舞われることとなったが,1963 年には すべての都道府県に肢体不自由施設が設置されるま でに復興する.この間,療育対象も栄養状態や治療 薬の普及等によって時代と共に変遷してきたが, 1960 年代後半よりポリオや先天性股関節脱臼が激 減し,脳性麻痺や二分脊椎などの割合が6割を越え てきた.それに呼応するように,1975年にはボイタ 協会,1977年にはボバース研究会が発足し,障害児 の早期発見・早期療育に注目が集まるようになっ た.それを自治体単位で実現したのは大津市 (田 中,1990)で,これ以降地域のシステムとして評価 する動きが北海道や湖南市などでも活性化されてい く(鈴木,1999; 湖南市糸川一雄生誕100年記念事 業実行委員会,2014). 一方,知的障害においては石井亮一が 1897 年我 が国で初めての知的障害児施設「滝乃川学園」を開 設したことに始まる.石井は 1891 年濃尾地震に よって孤児となった少女の生活保障の場として「孤 女学院」を創設するがその中に知的障害のある子ど もがいたために,こうした子どもの教育に深い関心 を寄せ,セガンの「生理学的教育法」を学ぶ.セガ ンは知的障害の特徴を神経系の脆弱性に見出し,遅 滞・無能・孤立という基本症状は「2次障害」であ り,「活動・知性・意志の調和的全面発達」や「生活 と労働を通した人格発達」をめざした教育を志向し ていた.石井は信仰としての愛を発達的共感として の愛情へ膨らませ,単にセガンに立脚するのみなら ず「科学の力」を貪欲に取り込むことで,知的障害 のある子を教育対象として明確に認知させることに 尽力した.糸賀一雄も 1946 年に戦災孤児を収容す るとともに知的障害児の教育を行う「近江学園」を, 1963年には重症心身障害児施設「びわこ学園」を創 設し,地域の療育体制を飛躍的に発展させた.ここ での療育を支えたのは「発達保障」という思想と共 に,後に「可逆操作の高次化における段階−階層理 論(田中,1987)」へと結実化していく田中昌人の 発達診断とそれに応じた取り組みに対する往還的検 証作業であった.これ以降,1979年養護学校教育の 義務化は障害のあるすべての子どもの教育権を保障 し,2005年発達障害者支援法施行は発達障害のある 子どもの早期発見・早期療育を促し,2007年特別支 援教育の本格実施は特別のニーズに応じた教育を提 供していくシステムへと移行するなど療育対象は障 害種や支援時期を含めて拡大し,療育内容も大きく 変化してきた.しかしながら,これまで主として取 り組まれた技法として脳性麻痺にはボイタ法,ボ バース法,上田法,感覚統合法,乗馬療法,動作法, スイミング療法などが,知的障害にはポーテージ・ プログラム,モンテッソーリ法,音楽療法,応用行 動分析などが,発達障害にはムーブメント教育法, ソーシャルスキルトレーニング,TEACCH プログ ラム,SCERTSモデルなどが,また言語やコミュニ ケーションに課題を持つ子どもに対してはインリア ル・アプローチ,マカトン法,VOCA(Voice Output Communication Aid)に代表されるような拡大・代 替コミュニケーション(AAC;Augmentative and Alternative Communication)の活用が実践されて きたが,そのほとんどは輸入科学で効果が歴然と判 明するものはともかくエビデンスの吟味に慎重で あったかどうかは疑わしい. また,肢体不自由の療育においては治癒の限界か ら教育が求められ福祉として実現されてきたのに対 して,知的障害の場合は社会的養護から教育権の保 障が叫ばれ,それが制度的に確立されるまでにはか なり長い年月が費やされてきたことの原因として は,障害特性による制約のみならず,教育・保育界 からの医療への消極的アプローチやエビデンスに基 づく実践検討が余り盛んに行われてこなかった点, 更に脳科学からの接近が最近になってようやく可能 となった点などが挙げられよう. Ⅱ.医学モデルと生活モデルが求める「療育」 の質 そこで,今後ますます科学的検証作業を旺盛に進 めていくことが求められていくこととなるが,効果 的な療育を見出していくためにはまず障害について

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の適切な理解が不可欠である.障害の見方・捉え方 の違いは,障害のある子への対応に大きく影響す る.例えば,医学モデルと生活モデルとでは障害の 捉え方に発して,治療的介入の目標やアプローチに おいても基本的に異なる. また療育の枠組みや方針決定,療育の効果の有無 を検討する際にも大きく影響するため,両者のモデ ルの相違について確認しておきたい. 医学モデルは,急性疾患の治療に基づく考え方で疾 患の治癒や救命が目的である.それゆえ,治療的介入 の目標は生命の維持であり健康の回復・維持である. 対象は疾患であるために身体の一部である臓器に主に 限定され,その臓器の生理的正常状態への回復・維持 が目指される.治癒・正常化を目指し,病的状態を引 き起こしている原因を身体から排除する,あるいは病 的状態の臓器を身体から取り除くための介入(治療) が行われる.排除する,取り除くという治療的介入が 行われる場所は主として病院で,治療を行うチームは 医療の専門職によって構成される.治療は専門職に委 ねられ,患者は受け身である.医学モデルでは,WHO 国際障害分類(ICIDH; International Classification of Impairments, Disabilities and Handicaps)に 依 拠 して病因や病的状態を身体から排除することを目指 している. 一方,生活モデルにおいて療育を行う場合には慢 性疾患の治療に基づいて考えられる視点が重要とな る.生活モデルの目的は生命を支え生活・人生の質 (QOL)の向上である.小児期での目標は成長・発 達の促進で個々のスキルの獲得や適応力の広がりで ある.対象は身体の一部(臓器)ではなく,たまた ま身体の一部に障害のあるひとりの子ども全体,す なわち「障害児」であり,障害児の活動すなわち遊 びの広がりである.ここでは疾病により生じた機能 障害は身体から排除できないものとして受け入れら れ,子どもとの共存が図られる.成長・発達促進の ための活動・遊びが行われる場所は,主に家庭や学 校等であり,地域社会である.子どもに介入するこ こでのチームは医療専門職に限定されず,本人はも とより親・家族,保育士,学校の教師等を含む様々 な人々からなる.そして成長・発達の促進が得られ るためには,本人の自発活動をはじめ周囲の支援や 協力が必要となる.生活モデルでは,ICF(国際生 活機能分類)の「心身機能・身体構造−活動−参加」 の考えに立って,心身に障害があってもいかに充実 した生活・人生を送るかを目指していく. このように,医学モデルと生活モデルでは,目的, 目標,対象,スタッフ,指示形式等が大きく異なる. どちらが正しいかではなく,何を目的・目標にする か,対象にするかの違いである.救命救急,急性期の 病気の治療には医学モデルは必要不可欠なモデルで ある.しかし,小児の療育を進める上で,障害児から 機能障害を取り除くことはできない,治癒・正常化 できないという前提で,生活モデルを採用し,障害 児の活動・参加の広がり・深まり,すなわち生涯を 見通したQOLの向上を目指すことが重要となろう. 以下,両下肢に麻痺のために歩行ができない子ど もを例に検討してみよう.両下肢麻痺はImpairment (機能障害)である.両下肢に麻痺があっても椅子に 座って勉強している限り,麻痺は子どもの活動を制 約しない.立って移動しようとした時に麻痺のため に歩けない,移動できないことが明瞭になる.これ が Disability(能力障害)である.麻痺のために歩 けなくとも,杖や車椅子を用いれば移動可能であ る.目的地にひとりで移動可能となれば,能力障害 は解消したことになる.一方,道路は段差が多く車 椅子で移動できないために買い物ができない状態を Handicap(社会的不利)と言う.あるいは車椅子で 平地を移動できたとしても学校にスロープやエレ ベーターがないために段差を越えられないために音 表1 医学モデルと生活モデルの比較 医学モデル 生活モデル 目的 治癒,救命 生活の質の向上 目標 健康 成長・発達 対象 疾患 子ども 主たる場所 病院・施設 家庭・地域社会 チーム 医療従事者 多職種 指示形式 命令 協力 対象の捉え方 病因–病理–症候 機能障害–活動–参加 (広井良典:ケア学,医学書院,2000, p. 37より一部改変)

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楽室に入れず授業が受けられない状態も社会的不利 である.このように,機能障害が直ちに能力障害や 社会的不利に結びつくわけではない.他の機能での 代替が可能であっても機能障害になっている機能の みに固執して一人の子としての活動をする,あるい は活動を要求される時には活動制限,あるいは能力 障害に結びつく.また機能障害になっている機能の みを用いて社会的役割を果たすことを要求されれば 活動制限,あるいは参加制約となる.一方,活動制 限や参加制約は障害のある子が住む環境要因により 大きく影響を受ける.いずれ機能障害がある限り, 日常生活・社会生活を送る上で不便が生じやすいの だが,それを最小限にするためには環境整備が重要 となる.障害児・者が快適な生活を送る上でのバリ アフリ−である.これは障害児・者が変わることを 求めるだけでなく,周囲も,即ち環境も変わる必要 性を示している.環境の中には,社会的バリア,物 理的バリア,技術的バリア等がある. Ⅲ.発達の最適化に集約される療育の効果 子どもの療育の対象となる障害の背景疾患は多様 である.また,疾患の自然経過により療育の目標が 異なる.療育は疾患の自然経過を基本的に変えられ ないので,疾患の自然経過の特徴を十分配慮すべき である.この点を曖昧にして療育を進めると,二次 障害を強めたり,親・家族を含めた障害児と関わり を持つ人々との療育の効果の判断に食い違いが生じ たりする.北原ら(2005)は小児期に障害をきたす 疾患の経過について大きく5つに分類し代表的な疾 患群を以下のように挙げている. ① 発達がゆっくりの疾患群:脳性麻痺・精神発達遅 滞など ② 急激な機能低下後,再びゆっくりと発達する疾患 群:頭部外傷・脳炎・脳血管障害など ③ 機能がゆっくりと低下する疾患群:筋ジストロ フィー・先天性代謝異常症など ④ 緩解・憎悪を繰り返しながら退行する疾患群:多 発性硬化症・ミトコンドリア病など ⑤ 緩解・憎悪を繰り返し発達する疾患群:難治性て んかんなど 正常と診断される子どもの発達において個人差は あるものの,一定の時間推移の中で種々のことがで きるようになる.一方,障害のある子では通常の子 と異なる発達経過を示す.基本的に,療育によって 疾患の自然経過を変えることはできない.自然経過 を変えられるのは,医学モデルに基づく治療法の進 表2 環境における3層バリア 社会的バリア 障害への考え方,捉え方により生ずる バリア.障害を出来損ない,半端もの という見方をすれば蔑視につながる. 障害は誰にでも起こり得ることである と捉えれば,障害を持った子どもや大 人への社会的援助は当然のこととなる が,蔑視は社会からの排除になる.社 会的支援が当然と考えれば,物理的バ リアの解消や生活保証も含めた制度上 の整備もされていく. 物理的バリア 建物,道路,交通手段等での不便さを 指す.車椅子を用いている人にとって は,道路の段差は,移動する際に非常 に不便である.エレベーターがあれば 独力で二階への移動が可能であるが, なければ困難となる. 技術的バリア 機能障害を軽減したり,活動制限・参加 制約を改善したりする等の手段の質の 悪さを指す.褥瘡や拘縮を予防できるに も拘らず,治療・訓練の仕方が悪くて褥 瘡・拘縮をつくったとしたら技術レベ ルが低いということになる.適切な装具 をつくれない,適切な訓練を提供できな い等も技術的バリアである. 図1 障害が生ずる背景疾患の自然経過

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歩である.自然経過を変えられないが,発達促進,活 動や行動の広がり・深まり,生活の充実に向けた取 り組みは可能である.療育の関わりは,障害の存在を 前提に発達の促進,生活の充実を目指すが,そのため の関わり方は背景疾患の自然経過によって異なる. 医学モデルの主たる治療対象は障害のある子ども よりも障害,特に機能障害である.一方,生活モデ ルの対象は,障害のある子どもであり,その子の活 動・参加である.発達主体のモデルとして分類すれ ば,前者が生物モデル,後者は生物心理社会モデル (biopsychosocial model)と言えよう.生活モデル に基づく療育において障害のある子は「他の子ども とは異なったニ−ズを持った特別の子どもと考える べきではなく,通常のニ−ズを満たすのに特別な困 難を持つ普通の子ども」である.ここで強調すべき ことは,医学上「障害児」と診断されたとしても生 活主体として置き換えてみれば「普通の子ども」で ある.普通の子どもたちと同じように「仲間と一緒 に遊びたい,語りたい」などのニ−ズを持っている. 但し,異なるのは障害を持っているために,これら のニ−ズを満たすのに困難がある点である.これを 解決するには,ニ−ズを満たすことの困難さをしっ かりと評価する必要がある.普通の子どもと同じに 育てれば良い,普通の子どもの集団に入れさえすれ ば良いというわけではない.聴力の程度,言語発達 レベルを無視して多くを話しかけても言語発達が促 進されるわけではない.脳性麻痺のある子は運動障 害を持つ普通の子どもであるが,運動すれば他児に 比べて下手だったり,できるのが遅かったりする. 知的障害のある子は仲間と一緒に遊べなかったり, 集団の規則が理解できなかったり,気持ちを言葉で 伝えるのが苦手だったりする.聴覚障害のある子は 音声を聞き分けるのが苦手である.しかし,「身体を 使って遊びたい,皆と一緒に遊びたい,会話をした い」などは,通常の子どもと何ら異なることはない. これらのニ−ズを達成するのに困難があることを理 解し,達成できるように指導・援助していくこと が,「特別なニーズ=困難」を理解することである. 一方,特別な困難を特別視しすぎると普通の子ども であることを忘れ,専門家によってしか育てられな いとか,特別な育児・治療・教育が必要で通常の子 とは異なる場で育てられるべきという考えに陥りや すい.重要なことは,ニ−ズを達成するのに困難な だけでその困難性を理解すれば必ず解決策は見つか る.そして,特殊扱いせずに治療・訓練・教育・育 児が可能である.親も自信を持ってわが子を育てる ことが可能となる. 障害特性について診断・評価がなされた後に,治 療・訓練の必要性の有無が検討されるが,医学モデ ルにおいて「異常」と判断された場合,それは直ち に治療対象になる.何故なら,治療しないとその子 の死や平常の日常生活の制限,この先の日常生活か らの長期的隔離・離脱を意味していているからであ る.したがって,たとえ日常生活を一時的に中断し ても,治療を最優先する.しかし,生活モデルにお いて機能障害は治療・訓練しても治癒しない.長期 にわたる治療・訓練(cure)が必要となる.それは 治療・訓練と言うよりも生活管理(management) というべきである.このように,機能障害・活動制 限・参加制約の軽減を目標とする訓練の必要の有無 を確かめることは極めて重要な作業過程である.こ の作業過程では,機能障害の正常化を目指す治療・ 訓練ではなく,障害児の成長・発達を最適に促す関 わり,「最適化」に向けた関わりの検討が重要とな る.「最適化」の関わりは,障害の有無とは別に子ど もを最適に育てる関わりでもあり,子どもが最も成 長・発達しやすいように配慮された子育てと位置づ けられる.医学モデルの考えに基づく治療・訓練だ けではなく,最適な子育てとしての介入も含めた包 括的アプローチこそ求められていくのである. Ⅳ.研究デザインによって異なるエビデンスレ ベル 医療と教育の合成語としての療育に関する評価は 単なる医療成果や教育効果の加算作業に終わらず, それらの相乗効果や発達的可能性をも包含した「子 育て環境の最適化」として包括的アセスメントとそ

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のアプローチへと議論は向かっていくが,それを可 能とするのは「科学的根拠」である.しかしながら, そもそも「科学的根拠(エビデンス)とは何か」を 理解せずに,この議論を展開するのは危険が伴うた め,改めてエビデンスの意味について確認しておき たい.科学的根拠に基づく医療(EBM; evidence-based medicine)を例にあげると,これは個々の患 者の治療に関する意思決定をする際に,最新で最善 のエビデンスを良心的に,分かりやすく,よく考え て慎重に用いることである(Sackettら,1996). EBMでいうエビデンスは,「証拠」という意味より も医療の有効性を示す科学的根拠のことを指し, 種々の臨床的研究によってもたらされるものである. 臨床研究の中でも,特にヒトを対象として行われた臨 床研究の成果が重要視される傾向にあり,動物実験 などの基礎研究やその分野の権威者・大家による意 見(総説)などは根拠としては弱いものとされる. また,図2に示したようにエビデンスの質は研究 デザインによって段階づけられており,無作為に対 象者の割り付けをして意図的に介入する無作為化比 較試験(RCT; randomized controlled trial)は,因 果関係を検証する厳密な方法とされている.複数の RCT の結果をまとめて整理(解析)したシステマ ティックレビューのエビデンスレベルが最も高く位 置づけられ,多くの先行研究によるエビデンスレベ ルをまとめる際に統計学的に定量的な手段を用いた ものを「メタアナリシス」という.介入研究とは, 研究対象の集団に対して,何らかの介入を一定期間 にわたって実施し,その後に期待する変化がみられ たかどうかを評価することにより,その有効性を検 証する研究デザインである.これには,介入群と比 較するための対照群の設定が不可欠で,さらに介入 群と対照群の特性は均質なものである必要がある. この均質な両群を設けるために用いられる方法が無 作為化であり,研究対象となる集団を無作為に割り 付けることで,どちらの群に割り付けられるかの確 率を同じにすることができる.先述のRCTは,対象 にこの無作為化が行われた比較研究である.観察研 究は,対象者の疾病や障害などの状態や関連要因に ついて,何かしらの介入を加えずにありのままを観 察する研究デザインである.一時点における複数の 要因の関連性の検討や一定期間にわたって集団を継 続的に観察して予後との関連性を検討するものなど が例として挙げられる.後者の検討を行う研究をコ ホート研究といい,要因と帰結(結果)との時間的 な前後関係を示す上では有用なデザインであり,検 証事項の因果関係を明らかにしやすく,症例対照研 究(case-control study)のような横断研究よりもエ ビデンスが高く位置づけられている. Ⅴ.エビデンスの質を高める療育実践の創造 研究デザインによるエビデンスの段階づけを確認 した上で,高いエビデンスレベルに支持された療育 を創出していくためにはどうするべきかを考える. その答えは当然,いかに適切な研究をデザインする ことができるかにかかってくる.言い換えれば,「エ ビデンスに基づく療育」を展開するためには,その 初歩として,療育の対象となる子どもたちを対象と した多くのRCTと,そのRCTをまとめて整理した 多くのシステマティックレビューおよびメタアナリ シスが必須ということである.療育の対象となる子 どもにおいては,その病態像および障害像が極めて 多様であり,これに個々の成長と発達の要素,養 図2 研究デザインとエビデンスレベル

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育・教育などの環境的要素が加わると,その多様性 は一段と複雑なものになる.エビデンス構築のため に必要な研究デザインには,比較研究に必須となる ベースラインの揃った群(均質の介入群と対照群) が対象として必須になる.また,これらの対象者に 行われる療育および発達支援としての「介入」も定 量化が必要となる.我が国における療育の効果は, 先人たちの長年の努力によって多くの成果が上げら れてきたことに疑いの余地はない.しかしながら, 定量化されない(定量化が困難な)方法による介入 が実践されてきたこと,その効果を検証するために 標準化が不十分な評価尺度等が用いられてきたこと など,効果の科学的検証,エビデンスの構築を困難 にしてきた背景もある.現在,療育のエビデンスは 蓄積されつつあるとはいえ,その一方で RCT に よって療育・介入の効果を明らかにしたエビデンス はかなり乏しい.一例として,Novakら (2013)に よって報告された脳性麻痺児への介入のエビデンス に関するシステマティックレビュー 4 を紹介する. この報告によれば,多くのシステマティックレ ビュー論文を含む計166編の関連論文を解析した結 果,64通りの介入方法と,131件の介入結果(アウ トカム)の報告があった.それぞれのアウトカムを 検証した結果,介入方法の16%が「do it(その介入 は行うべき)」にランク付けされ,痙縮(痙性)の 管理にはボツリヌス毒素療法,抗痙攣薬(ジアゼパ ム)の 使 用,選 択 的 後 根 切 除 術(selective dorsal rhizotomy)が,関節拘縮の管理には下肢のキャス ティング(連続ギプス固定)が行われるべき介入と して高いエビデンスレベルで推奨された.また, 運 動 能 力 の 改 善 に は CI 療 法(constraint-induced movement therapy),課題や環境の調整と代償手段 の導入による介入(context-focused therapy),目標 指向トレーニング,ホームプログラム,ボツリヌス 毒素療法後の作業療法,両手指の協調トレーニング が,機能とセルフケアの改善には目標指向トレーニ ングとホームプログラムが行われるべきと推奨され た.検証された介入方法の多く(70%)は,「probably do it(その介入は行ってもよい)」または「probably do not do it(その介入は行わない方がよい)」にラ ンク付けされたが,関節拘縮や運動機能の改善に おいて神経発達学的治療法(neurodevelopmental therapy)や感覚統合療法(sensory integration)は 「do not do it(その介入は行ってはいけない)」にラ ンク付けされた(全体の6%).この結果の傾向は, 同研究チームがより大規模なデータに基づいて行っ た 最 近 の 追 研 究 に お い て も 同 様 と な っ て い る (Novakら,2020). 我が国において,脳性麻痺のあ る子に対する,特に医療的なリハビリテーションの 場面において,神経発達学的治療法や感覚統合療法 はよく用いられ,その効果が報告されてきた.しか しながら,『科学的根拠に基づく療育』の視点から評 価した場合,これらの介入方法は「やるべきではな い」ものとして推奨される.このギャップを埋める に は,先 述 し た と お り 多 く の RCT と シ ス テ マ ティックレビューおよびメタアナリシスが必要にな るが,両者の介入方法においては「介入の定量化の 難しさ」がこれを阻んでいる.高いエビデンスレベ ルで推奨されているそれぞれの介入方法は,介入の 頻度や量(回数や時間や投与量など)が比較的定量 化しやすいものが多いが,そうでない介入方法に とってはやはり高いエビデンスレベルとなる研究デ ザインによる成果が蓄積されにくく,これがエビデ ンスレベルの低さに直結している.療育に携わる 我々が注意すべきは,エビデンスの意味を正しく理 解し,レベルの高いエビデンスの不足がその介入方 法に効果がないことを証明するものではないという 側面と,どのような介入方法であれ,適切なデザイ ンを用いた研究に基づくエビデンスの創出と蓄積に 努めなければならないという側面に意識と責任を もって,療育を実践することであろう. とりわけ,療育においては,その対象となる子ど もを「発達主体」として捉えながら実践を構築して いくことが肝要である.また,発達が未分化な段階 においてはその養育者や家族の役割も蔑ろにはでき ない.療育とは発達支援であるから単純に効果を期 待したいしがちだが,何らかの刺激,感覚,知識な どを一方向に提供するだけでは,発達を促進する支

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援となり得ることはない.ヒトの発達のメカニズム は非常に複雑であり,これをできる限り深く理解し ようとする時には,神経系,運動系,認知系,情動 系といった様々な側面だけでなく,胎児期,新生 児・乳児期,幼児期,学童期,青年期といった各 発達段階(ライフスパン)に応じた理解が必要と なる.何れの側面や段階においても,その発達が活 動依存的(activity-dependent)または経験依存的 (experience-dependent)に起こることが多くの研 究によって示されている.また,近年では環境に よって遺伝子のスイッチが変化するエピジェネティ クスについても明らかとなり,発達と環境の深い関 係性が示されている.発達の根本的なエネルギーが 活動,経験,環境であるとするならば,活動を創り 出すための自発性や能動性は発達に必須の条件とな る.効果的な療育および発達支援の実践において は,自発的・能動的に発達しようとする子どもや家 族に対し,そのタイミングを見逃さず,その時に最 も効果的と考えられる方法でアプローチする必要が ある.方法の選択において,やはりエビデンスレベ ルに基づき推奨度の高いものを選択する可能性が高 いが,必ずしもその方法が対象者にマッチするとも 限らず,これまでの経験や知識に則った方法の選択 も必要になる.小林(2003)はICFモデル(国際生 活機能分類)に示された個人因子の発掘こそ「個」 の発達を支援する必要条件としたが,そのためには 臨床的研究からの蓄積と妥当性の吟味も問われてく るだろう.更に,大切なことは一つの手段ですべて が解決できるような療育や発達支援の方法論という のは存在しない.発達主体の自発性・能動性に応 じ,信頼性の高い介入手法を適切に組み合わせて提 供できる専門的な知識と技術が,療育および発達支 援に携わる者に今後切に求められていくだろうし, それに対する説明責任を果たすことでエビデンスの 高い療育が構築されるに違いない. まとめ 療育は子どもの人権に立脚しながら「不治」とい う医療の限界を超えた課題について教育との架橋的 試みとして誕生し,その目的は「発達支援」に集約 されてきた.そのため,医学はもちろん,教育学, 社会福祉学,心理学,保育学などの近接領域からの 知見が集積され,対象となる子どもに時間的・空間 的に一貫した発達支援システムとして提供されてい くことが求められるようになってきた.しかしなが ら,こうした包括的アプローチであるからこそ個別 科学におけるエビデンスが省かれたり,安易な時間 的展望として処理されたり,低いエビデンスレベル に放置されたまま実践されてきたことはなかっただ ろうか.療育者はもとより研究者においても自省的 に眺めてみることは決して無駄ではあるまい. 文 献 広井良典(2000):ケア学.p. 37, 医学書院,東京. 北原 佶,吉田一成(2005):発達障害児の小児科医療と 在宅リハビリテーション.小児在宅リハビリテー ション Monthly Book Medical Rehabilitation 50, pp. 16–25, 全日本病院出版会,東京. 小林勝年(2003):個別支援システムと発達診断.発達障 害支援システム学研究 3:23–30. 湖 南 市 糸 川 一 雄 生 誕 100 年 記 念 事 業 実 行 委 員 会 編 (2014):発達支援をつなぐ地域の仕組み.ミネル ヴァ書房,京都.

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