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明治32年所得税法における納税主体 ―法人所得に対する所得課税の導入―(1)

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Academic year: 2021

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目次 はじめに 第 1 章 明治 32 年所得税法全文改正前後の社会 背景   1.1 不平等条約の改正と所得税法全文改正 の目的   1.2 明治民法・明治商法における「法人」 の明定   1.3 小括 第 2 章 明治 32 年における所得税法全文改正   2.1 課税方法とその内容   2.2 「所得税法講義」における逐条解説   2.3 小括   (以上,本号) 第 3 章 明治 32 年所得税法を巡る議論   3.1 内地雑居と納税義務者の範囲   3.2 明治 32 年所得税法における公債社債 の利子にかかる所得の位置づけ   3.3 法人所得課税と配当の取扱い   3.4 小括 第 4 章 明治 32 年所得税法 か ら 大正 9 年全文 改正前までの経過   4.1 明治 38 年非常特別税法における法人 所得の区分   4.2 大正 2 年所得税法における法人所得の 区分   4.3 小括 第 5 章 考察   5.1 法人所得課税における合名会社・合資 会社の位置づけ   5.2 法人所得課税 が 法人段階 で 行 わ れ た 理由   5.3 小括 おわりに はじめに  我が国の所得税法は,明治 20 年 3 月 23 日勅 令第 5 号1)(以下,「明治 20 年所得税法」という.) により創設された.同法案は,元老院において 第五百三十四号議案2)として審議され,その際, 論点の一つとなったのが法人所得課税導入の可 否であった3).この議論は,法人所得の帰属先が 会社自体と考えるべきか,それとも株主である のかという点にはじまり,会社が配当を行わな い場合に生ずる留保利益に対する課税上の取扱 いにまで及んだ.しかし,最終的には,殖産興 業政策の側面で商工業を保護するという観点か ら法人所得課税案が否決され,実質的に原案に 戻ることで配当は株主の個人所得として課税さ

明治 32 年所得税法における納税主体

──法人所得に対する所得課税の導入──(1)

本  多  八  穗

          1)明治 20 年 3 月 23 日勅令第 5 号.大蔵省印刷 局編『官報第千百拾五號(明治二十年三月二十三 日)』217 頁(内閣官報局,1887 年). 2)明治法制經濟史研究所編『元老院會議筆記 後期第二十六巻』151 頁(元老院会議筆記刊行会, 1982 年). 3)拙稿「明治 20 年所得税法における納税主体 ─法人所得課税の議論」横浜法学 27 巻 1 号 391 頁, 423 頁(2018 年).

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れ,法人所得課税は見送られることとなった.  明治 20 年所得税法審議 に お け る 法人所得課 税議論の萌芽は,会社の利益について,会社自 体に課税するかまたは株主の手元で配当に課税 するかという二つの課税段階の側面を顕在化さ せた.しかし,この議論は,旧民商法が制定さ れた明治 23 年より前の明治 20 年に行われたの であった.すなわち,のちの民商法により規律 される「法人」の規定が明治 20 年当時には存在 していなかったため4),「会社」(あるいは法人) と「株主」が,それぞれ別個独立の納税主体と なりうるか否かを私法上の法的根拠をもって議 論することができない時期であった5)のである.  その後 12 年の間に,明治政府は,欧米諸国と の不平等条約6)の撤廃という対外的最重要課題7) に対し,法典整備を完遂し近代法治国家の形成 を推し進めた.そして,ついに明治 32 年に,は じめての条約改正が結実した.この明治 32 年に, 近代資本主義経済における産業振興を背景に, 所得税は将来の歳入を担う確実な財源として嘱 望され,特に法人所得課税は民商法に定める法 人規定という法的根拠を得てその導入に至った のである.  そこで本稿では,法人所得課税の嚆矢となっ た,明治 32 年 2 月 13 日法律第 17 号8)に よ り 公布された所得税法(以下,「明治 32 年所得税 法」という.)における納税主体としての「法 人」を取り上げたい.なぜなら,同法こそが我 が国の法人所得課税の原点であり,法人所得課 税上の「法人」概念の端緒を見出すことができ るからである.なお,所得税法は,その後大正 9 年の全文改正9)で法人所得課税が再構築され るので,本稿では明治 32 年所得税法制定から 大正 8 年までを法人所得課税の導入期(以下, 「法人所得課税の導入期」という.)と捉え,本 稿での検討の範囲としたい.  第 1 章 で は,明治 32 年所得税法全文改正前 後の社会背景を確認し,不平等条約の改正に より同法に盛り込まれることとなった改正点 を 明 ら か に す る.ま た,明治民法10)・明治商 法11)によって明定された「法人」の規定につ いてその内容を確認する.第 2 章では,明治 32 年所得税法を概観し,特に納税義務者と課           4)元老院の明治 20 年所得税法審議で法人所得 課税の対象となる「會社」の意義を問われた三浦 安は,「漠然ニ會社トノミ記セルハ株式會社ノ外他 ニ同類ノ會社ヲ包含スルカ爲メナリ説ノ如ク合名 會社合資會社等ノ名稱ハ商社法ニ之ヲ見ルモ商社 法ハ未タ發表セサル者ナルヲ以テ此ニ其名稱ヲ示 サ ス」と 述 べ る.明治法制經濟史研究所編,前掲 注⑵,193 頁. 5)元老院 で の 同法審議 で は,議官山口尚芳 は 「無形人タル會社ヲ除税ニ付スル旨意ナルモ仔細ニ 論究スルトキハ是レ或ハ道理ニ適セス會社ト雖𪜈 政府ノ保護ヲ受ケ訴訟其他ノ権利義務總テ有形人 ニ異ナラス唯一個人ト集合體トノ同シカラサルノ ミ」〔明治法制經濟史研究所編,前掲注⑵,176 頁〕 と発言し,「無形人タル會社」が「個人」と同様に 納税主体と成り得ることを主張している.山口が, 単なる「會社」と「無形人タル會社」とを峻別し, その「無形人タル會社」について,「訴訟其他ノ権 利義務」の具備といった法人性に通じる法的性質 に言及していることは注目に値する. 6)安政 5 年(1858 年),我が国は米国と日米修 好通商条約(同年に英国,フランス,ロシア,オ ランダとも通商条約を締結し,これらの条約は安 政五か国条約とも呼ばれる.)を締結した.この条 約は,領事裁判権を認め,関税自主権がないといっ た不平等な内容であった.本稿ではこれら一連の 不平等条約の改正を,以下「条約改正」という. 7)大隈重信 は,「開國五十年史結論」で 明治維 新後の我が国の課題に関し,対内的課題としては 近代的法制度に立脚した国家形成を挙げ,対外的 課題としては不平等条約の撤廃による国際的な地 位の獲得であったと振り返っている.大隈重信「開           國五十年史結論」大隈重信編『開國五十年史下巻』 1033 頁,1035 頁(開国五十年史発行所,1908 年). 8)明治 32 年 2 月 13 日法律第 17 号.大蔵省印 刷局編『官報第四千六百八十二號(明治三十二年 二月十三日)』169 頁(印刷局,1899 年). 9)大正 9 年 7 月 31 日法律第 11 号.大蔵省印刷 局編『官報號外(大正九年七月三十一日)』1 頁(印 刷局,1920 年). 10)本稿では,福島正夫『日本資本主義の発達 と 私法』158 頁(東京大学出版会,1988 年)に 倣 い,明治 29 年 4 月 27 日法律第 89 号および明治 31 年6 月 21 日法律第 9 号を「明治民法」という. 11)本稿 で は,福島 に 倣 い,明治 32 年 3 月 9 日法律第 48 号を「明治商法」という.福島,同.

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税所得の範囲について同法施行当時の逐条解 説を参照しつつ整理する.第 3 章では,明治 32 年所得税法を巡る帝国議会の議論をまとめ, 法人所得課税の導入の経緯と他の改正点との かかわりを明らかにする.第 4 章では,明治 32 年所得税法に改正を加えた明治 38 年非常特 別税法および大正 2 年所得税法を取り上げる. なぜなら,これらの法は法人所得課税の目的 から,納税主体たる法人に 2 種の区分を設け たという特徴があり,この点で所得税法上の 「法人」の性質について示唆があるからである. 第 5 章では,第 1 章から第 4 章を踏まえ,法 人所得課税の導入期における合名会社・合資 会社の課税上の取扱いを考察する.また,法 人所得課税が,その源泉たる法人段階で行わ れた理由を通じて,法人所得課税の導入期に おける納税主体としての「法人」とはいかな る性質を有するものか考察を試みる. 第 1 章 明治 32 年所得税法全文改正前後の社会 背景  本章では,明治 32 年前後の社会背景を確認 しつつ,明治 32 年所得税法による全文改正の 目的を整理する.また,明治民法・明治商法に おける法人に関する規定を整理し12),明治 32 年所得税法における法人所得課税とのかかわり を明示する. 1.1 不平等条約の改正と所得税法全文改正の 目的  明治 27 年から 28 年の日清戦争は,償金の流 入という形で我が国の資本主義に飛躍的な発展 を招来することとなったが13),その一方で,軍 備の拡大により膨張してきた財政のもとでの戦 後経営は,さらなる歳入補填のために巨額の財 源を必要とした14).また,明治政府成立以来の 対外的最重要課題であった欧米各国との不平等 条約の改正は,まず英国と明治 27 年 7 月 16 日 に「日英通商航海条約」15)を締結することで実 現することとなった.我が国は,この最初の改 正条約である「日英通商航海条約」の発効日, すなわち明治 32 年 7 月 17 日に先駆けて民法典 及び商法典を施行し,近代的法制度による法治 国家としての第一歩を踏み出した.特に,会社 を規律する制度の立法化は,会社の設立・振興 を促進する意味で16)資本主義経済による殖産           12)本稿における明治民法および明治商法の考 察の一部は,〔拙稿,前掲注(3),401 頁〕を参照 し引用している. 13)阿部勇『日本財政論─租税』281 頁(改造社, 1933 年).           14)明治財政史編纂会編『明治財政史(第六巻) 租税』12 頁(丸善,1903 年). 15)「日英通商航海条約」とは通称であり,「通商 航海条約」(明治 27 年 8 月勅令)のことを示す.日英 通商航海条約は,明治 27 年(1894 年)7 月 16 日,ロ ンドンで駐英公使青木周蔵と英国外相キンバレーと の間で調印された.なお,同条約は,明治 27 年 8 月 24 日に批准され,同年 8 月 27 日に公布された.大蔵 省印刷局編『官報第三千三百五十號(明治二十七年 八月二十八日)』1 頁(内閣官報局,1894 年). 16)明治維新初期においては,政府の保護勧誘 のもとで専ら銀行の設立が中心であった会社も, 明治 26 年 に 会社法 を 規定 し た 商法(明治 26 年 3 月 6 日法律 9 号)が 施行 さ れ,株式会社制度 が 普 及するとともに,民間起業の商事会社の増進をも たらす.阿部,前掲注(13),226 頁における「第 9 表・諸會社數及資本金額表」に よ れ ば,明治 17 年 の 会社総数 は 2,392 社 で 資本金総額 100,950,790 円(うち銀行業が 1,094 社で資本金合計 78,788,835 円であり,銀行業が全体に占める会社数の割合は 45.7%,資本金額 の 割合 は 78%)で あった.そ し て,明治 25 年の会社総数は 5,644 社で資本金総額 289,334,375 円(うち銀行業が 1,137 社で資本金合計 90,588,219 円であり,銀行業が全体に占める会社数 の割合は 20%,資本金額の割合は 31.3%)であった. このように,明治 25 年に至っては,民間起業の商 事会社が,会社数としては全体の 80% および資本 金額としては全体の 68.7% を占め,堅調な増進を 遂げたといえる. 明治 32 年における会社数と資本金総額は,合 計 7,621 社 で 1,028,297 千円 と なった.そ の 会社種 類別 の 内訳 は 株式会社 3,685 社(945,276 千円), 合資会社 3,290 社(51,844 千円),合名会社 646 社 (31,187 千円)である.矢部俊雄『會社の改正所得 税・営業収益税・資本利子税とその實際』34 頁(東 京税務二課會,1929 年).

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興業政策の力強い推進力となり,これに伴い法 人所得課税の導入が希求された.このように明 治 32 年所得税法は,条約改正による未曾有の 社会構造変化 や 法典整備 に よって 全面的 な 改 正が求められたのである17).これらの背景から も,日清戦争後 の 戦後経営 は,「所得税発達史 にとって創設に次ぐ第 2 の画期」18)と捉えられる.  明治 31 年 6 月 2 日の第 12 回帝国議会所得税 法改正法律案審査特別委員会の冒頭において, 政府委員若槻禮次郎 は,所得税法全文改正 の 趣旨を次のように説明している.まず,「此所 得税法ノ改正案デゴザイマスガ,現行ノ所得税 法ハ明治二十年デアッタト思ヒマスガ,制定ニ ナッタモノデ,大分古クナッテ居リマスノデ, 早晩改正シナケレバナラヌト云フ考ハ,豫テ大 蔵省ニ於テ有ッテ居リマシタ」19)と述べつつ, 十年以上にわたって適用されてきた明治 20 年 所得税法がもはや社会変化に即応しないため, 早々に改正すべきことを意識していたとする. 次に,内地雑居による外国人の在留に臨む税制 改正に関し,「殊ニ外國人ニ適用シテ参ルヤウ ニナリマスト,今ノ儘デハドウモ不完全ナ所ガ アリマスノデ,改正條約ヲ實施シテ外國人ニ課 税スルト云ウコトニナリマスレバ,ドウシテモ 變ヘテ行カナケレバナラヌ」20)と述べ,これま で定めてこなかった外国人への課税について制 度の立法的整理を行う必要があると指摘する. つまり,条約改正によって国際的地位が向上し たことを背景に21),関税のみならず所得税の課 税権を法的整備のもとで確立するという方針が 示された,と考えられる22)  具体的には,我が国の所得税法における納税 義務者の意義を明示する必要があり,若槻は所 得税の本質に触れつつ,「所得税ハ對人税デ人 ニ課税スルモノデアリマスカラ,日本帝國内ニ 居ル人ハ,先ヅ所得税ヲ納メナケレバナラナイ」 と述べ,さらに,第 1 条の意義とは,「帝國内 ニ住所若クハ居所ヲ持テ居ル者ハ,帝國臣民デ アラウガ,外国人デアラウガ,共ニ課税ノ義務 ガアルモノデアル」23)と述べた.すなわち,納 税義務の有無は,国籍に因ることなく住所また は居所をもって判断するとの意図を示した.ま た,第 2 条の趣旨について「帝國ノ内ニ住所若 クハ居所ヲ持テ居ラナイ者デモ,帝國内デ営業 シテ所得ノアルモノ若クハ財産ヲ持テ所得ノア ルモノハ矢張課税ヲスル」と言及し,本法施行 地内に住所または居所を有しない者であって も,本法施行地内で営業により得た所得または 財産から生じた所得を有する者は,納税義務者 となることを示した.若槻は,第 1 条で所得税           17)汐見三郎『各国所得税制論』260 頁(有斐閣, 1934 年)によれば,明治 32 年所得税法は,明治 20 年所得税法に対して「進み過ぎたる所を取り戻すと 共に遅れたる所を補ふ必要があつた」とする. 18)林健久「第 1 編・第 2 次大戦の終了まで」大 蔵省主税局編『所得税百年史』4 頁,12 頁(大蔵省 主税局,1988 年). 19)衆議院『第十二回帝国議會・所得税法改 正法律案審査特別委員會速記録(第一號)(明治 三十一年六月二日)』1 頁(衆議院事務局,1898 年). 20)衆議院,同. 21)行政学会編『内地雑居解説』96 頁(北隆 舘,1899 年)によれば,外国人の納税義務について           「租税は國家財政の基礎たる歳入の最要部を占むる ものにして國家の保護の下に立つ者の均しく負擔 せざるべからざる所のものたり去れば外國臣民と 雖も我内地に雑居し各般の營業に従事し國家保護 の下にある以上は納租の義務を免れざるは固より 言を俟たざる所なりとす」と示す.また,次のよ うに具体的な条約の文言を掲げて,外国人にも納 税義務があることを説示している.「日佛條約第一 條第二項に『右兩國民ハ互ニ他ノ一方ノ版圖内ニ 於テ旅行シ,居住シ,其職業ニ從事シ相續遺嘱贈 與又 ハ 其他 ノ方法 ニ 依リ各種動産及有價物ヲ取 得シ,所有シ又ハ移轉スルヲ得ベシ故ニ内國民若 クハ最惠國民ト同樣ノ特典自由及權利ヲ享有シ且 此等ノ事項ニ關シテハ内國民若クハ最惠國民ニ課 セラルベキ所ニ異ナルカ又ハ之ヨリ多額ノ税金若 クハ賦課金ヲ徴収セラルヽコトナシ』と規定し同 第五條にも殆んと同一の規定を爲したるを見るも 營業税其他 の 租税 は 内國人民若 く は 第三國人民 に賦課すると同一なる限りは之を外國人に賦課徴 収し得べきものたるは甚だ明らかなるべし」と述 べる. 22)林,前掲注(18),12 頁. 23)衆議院,前掲注(19),1 頁.

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が「對人税」として本法施行地内に住所または 居所を有する「人」に課税するものであること を示し,第 2 条では,前条を満たさない者で あって も 本法施行地内 で 営業・財産 か ら 所得 を得た者には課税するという点で「對人ノ主義 ハ取ッテ居ルガ,物ニ依テハ稍々對物ト云フ主 義ヲ加ヘテアル」24)として,同条では「對物税」 の側面を加えたとする.つまり,第 1 条では「對 人税」の観点から「住所」の有無によって無制 限納税義務者を定め,第 2 条では「本法施行地 内で生ずる所得」に対し住所または居所を有し ない者にも課税することで,「對物税」の観点 を加えて制限納税義務者を定め,住所または居 所を有する者との間の課税の中立性を企図した のである.  法人所得課税の導入に関し,若槻は,「法人 ト云フ其人ヲ見タノデ,其法人カラ配當ヲ受ケ ル人ニハモウ一段課税シナケレバナラヌノデハ アルガ,是ヲ止メルト云フコトニシタノデ,其 法人ノ所得ニ課税スルノガ公平デアル」25)と述 べる.ここで若槻がいう「人」とは,所得税が 対人税の性質を有するものであると指摘するこ とからも,権利の主体たる「人」を指すと考え られるのではないだろうか.すなわち,法人所 得への課税は,法人という「人」をみて行うの で,その配当を受け取る自然人たる個人をみれ ば本来別々のものであるからもう一段階課税し なければならないのである.しかし,この個人 段階では配当に課税しないということにしたの で,法人段階だけで法人所得に課税するのが公 平であると説明している26)  明治 31 年 12 月 8 日第 13 回帝国議会 の 衆議 院本会議 に お け る 各法律改正政府提出案説明 の 冒頭 で,大蔵大臣松方正義 は,明治 32 年予 算歳入不足が 3760 万 6300 円に達しているこ とを説明し,その不足額の対応策として「確實 ナル財源ヲ撰擇シナケレバナラヌト存ジマス, 是レ政府ガ地租及ビ酒税ヲ主トシテ之ニ加フ ルニ所得税登録税ノ改正等ヲ以テシ,三十二年 度ニ於キマシテハ三千三百八十八万八千四百 圓餘ノ歳入増加ノ計畫ヲ立テマシタ」27)と述 べている.この松方の示す政府の方針からも, 所得税 は,明治 31 年当時 す で に 明治政府 に とって「確實ナル財源」を担う税目の一つと して位置づけられていたと考えられる28)  したがって,明治 20 年所得税法は 12 年余り 改正されることなく実施されたが,資本主義経 済に歩みを強め,条約改正を契機に新たに広 がった国際環境での立場の変化を背景に,明治 32 年 2 月 13 日法律第 17 号によりその全文が 改正されるに至ったのである. 1.2 明治民法・明治商法における「法人」の 明定  明治民法は,起草委員穂積陳重,富井政章及 び梅謙次郎により起草され,民法第 1 編から 第 3 編が明治 29 年 4 月 27 日法律第 89 号によ り公布され29),民法第 4 編と第 5 編が明治 31 年 6 月 21 日法律第 9 号により公布され,とも           24)衆議院,同. 25)衆議院,同 4 頁. 26)明治 32 年所得税法 に お け る 法人所得課税 が法人段階で行われた理由については,本稿第 5 章で検討する.           27)松方の報告によれば,明治 32 年歳出予算が 2 億 2634 万 4700 円 に 対 し,歳入予算 が 1 億 8873 万 8400 円であるため,歳入不足が 3760 万 6300 円 に 達 し て い た.衆議院『第十三回帝国議會衆議院 議事速記録(第四號)(明治三十一年十二月八日)』 14 頁(衆議院事務局,1898 年). 28)第 13 回帝国議会衆議院議会 に お い て 政府 委員目賀田種太郎は,政府原案によって増収が見 込まれる所得税額について,「此方案ノ結果ニ依ッ テ,増シマスル所ノ増額ハ,百四十九万四千円餘 ニナリマス」と述べている.衆議院,同 21 頁. 所得税による税収の推移をみると,各年度の国 税収入のうち所得税が占める割合は,明治 20 年度 0.8% に対し,明治 32 年度 3.5% となり,12 年間に 約 4.4 倍に成長した.大蔵省主税局編『所得税百年 史』131 頁(大蔵省主税局,1988 年). 29)明治 29 年 4 月 27 日法律第 89 号,大蔵省 印刷局編『官報號外(明治二十九年四月二十七日)』 1 頁(内閣官報局,1896 年).

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に同年 7 月 16 日に施行された30).明治商法は, 起草委員梅謙次郎,岡野敬次郎及び田部芳の手 によるものであり,明治 32 年 3 月 9 日法律第 48 号により公布され,同年 6 月 16 日に施行さ れた31).旧民商法において,「会社」と「法人」 の関係は起草者を含めその解釈が区々であった が32),明治民法・明治商法においては,それぞ れ次のように明定された. ⑴ 明治民法  明治民法および明治商法の起草者の一人であ る梅謙次郎によれば,法人を定義して「法人トハ 人ニ非サル者ヲ以テ法律上或範圍内ニ於テ人ト 同一視シタルモノニシテ權利義務ノ主體ト爲リ訴 訟其他法律行爲ノ當事者ト爲ルコトヲ得ルモノナ リ」33)であると言う.つまり,「法人」とは,自然 人ではないものを法律上の範囲内において自然人 と同一視できるものであり,「法人」は「權利義 務ノ主體」となり「訴訟其他法律行爲ノ當事者」 となることができるものである.なお,梅は,「法 人」と「權利ノ主體」の関係について次のように 説明する. 「權利4 4トハ法律ニ由リテ許サレタル人ノ行爲ノ 範圍ヲ謂フ(中略)故ニ權利ノ主體4 4ハ常ニ人4ナ リ是レ本編第一章ニ於テ人ヲ論スル所以ナリ然 レトモ場合ニ依リテハ人ニ非サルモノヲ假ニ人 ト同視シ之ヲ以テ權利ノ主體ト為スコトアリ是 ヲ法人4 4ト曰フ」34)  つまり,権利とは法律によって許される「人」 の行為の範囲であり,権利の主体は常に「人」 である.しかし,場合によっては「人」ではな いものを仮に人と同視して権利の主体とするこ とがあり,それが「法人」であるとする.した がって,「人」と同視される「法人」は「權利 ノ主體」となることができるのである.  明治民法第 1 編総則では,第 1 章を「人」,第 2 章を「法人」とし35),第 2 章第 1 節「法人ノ設           30)志田鉀太郎『日本商法典の編纂と其改正〔復 刻版〕』53 頁(新青出版,1995 年), 原書初出 は, 1933 年で明治大学出版部である.明治 31 年 6 月 21 日法律第 9 号,大蔵省印刷局編『官報號外(明治 三十一年六月二十一日)』1 頁(内閣官報局,1898 年). 31)志田,同 86 頁 お よ び 111 頁.明治 32 年 3 月 9 日法律第 48 号,大蔵省印刷局編『官報號外(明 治三十二年三月九日)』1 頁(印刷局,1899 年). 32)旧商法第 73 条は,「會社ハ特立ノ財産ヲ所 有シ又獨立シテ権利ヲ得義務ヲ負フ殊ニ其名ヲ以テ 債権ヲ得債務ヲ負ヒ動産,不動産ヲ取得シ又訴訟ニ 付キ原告又ハ被告ト爲ルコトヲ得」と規定し,第 116 条「會社財産ニ屬スル物ハ社員ノ債権者其債権 ノ爲メ之ヲ請求スルコトヲ得ス」〔ここで旧商法と は,明治 23 年 4 月 26 日法律第 32 号 を い う.大蔵 省印刷局編『官報號外(明治二十三年四月二十六日)』 8 頁および 9 頁(内閣官報局,1890 年)〕と規定す る.これらの規定について,旧商法の起草者ロエス レルは,「商社ハ無形人ニ非ラスト雖モ法律上ニテ 無形人ノ如クニ見做サルヽヿ往々之アリ」〔ヘルマ ン・リョースレル『ロエスレル氏起稿商法草案(上)』 209 頁(司法省,1884 年)〕と述べ,「会社は法人と なるわけではないと解していた」〔河内宏「法人論」 星野英一編『民法講座第 1 巻民法総則』131 頁,133 頁(有斐閣,2012 年(原書初出 1984 年))〕とされる. しかし,これに対して,旧商法の注釈書「商法正 義」の著者である岸本辰雄は,当該第 73 条の義解 で,「本條ハ商事會社ノ法人タルコトヲ認メタル規 定ナリトス」〔岸本辰雄『商法正義第貮巻』36 頁(明 治法律學校講法會内新法註釈會,1893 年)〕と述べ, 商事会社が法人であることを明言している.このよ うに,「会社」が「法人」であるか否かについては, 起草者を含め論者によって大きな相違がみられた.           33)梅謙次郎『初版民法要義巻之一總則編』64 頁(和佛法律學校,1896 年).なお,同書 64 頁によ れば,この「法人」とは,「社團法人」と「財團法人」 の 2 種類 で あ る.「社團法人」と は「二人以上相集 マリテ一定ノ目的ノ為メニ設立シタルモノ」であり, 「例ヘハ會社,協會等ノ名義ヲ以テ營利ヲ計リ公益 ヲ圖ルモノノ類」がこれにあたる.そして,「財團法 人」とは,「或財産ヲ一定ノ目的ニ供シ其財産ノ主 體ヲ創生センカ爲メニ設立シタルモノ」であり,「社 寺,養育院等或財産ヲ以テ宗教,慈善等ノ目的ヲ達 センカ爲メニ設立スル法人ハ財團法人トス」と説明 している.両者を同じ章に規定した理由は「二者ノ 異ナル所甚タ大ナラサルカ故ニ新民法ニハ寧ロ之ヲ 一章ニ纏括シテ規定スルヲ便トシタルナリ」とする. 34)梅,同 4 頁. 35)大村敦志『民法読解総則編』128 頁(有斐閣, 2009 年)に よ れ ば,「富井 の 教科書以来,鳩山, 我妻 を 経 て 最近 の 四宮=能見 ま で,人(自然人) と法人は,『私権(権利)の主体』としてまとめて 説明されるのが通例である.(中略)フランス民法 典には法人に関する『章』は設けられていなかっ た(法人に関連する規定が散在する).」.

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立」で法人設立の条件およびその直接の効力を 次のように定める.まず,第 33 条では法人の成 立について,「法人ハ本法其他ノ法律ノ規定ニ依 ルニ非サレハ成立スルコトヲ得ス」36)とする.こ の規定の解釈について,梅は,「法人ハ事實上人 ニ非サル者ヲ法律ノ假定ニ因リテ人ト同一視ス ルモノナルカ故ニ法律カ特ニ之ヲ認ムルニ非サ レハ成立スルコトヲ得サルモノナリ是レ理ノ最 モ覩易キ所ニシテ殆ト疑ヲ容ルヘキニ非スト雖 モ學者中往々法人ヲ以テ法律ノ認許ヲ待タス自 然ニ存在スルモノノ如ク説ク者ナキニ非ス故ニ 本條ニ於テ特ニ法人ノ成立ニハ必ス法律ノ規定 ヲ要スルコトヲ明言セリ」37)と説明する.つまり, 法人は事実上人ではないものを法律の仮定によ り人と同一視するものであるから,法律がこれ を認めるものでなければ成立しえない.この道 理は分かりやすく疑いの余地がないものである が,学者の中には,法人は法律の認許以前に自 然に存在するもの38)と説く者もあるので,本条 では敢えて法人の成立は法律上の規定が必要で あることを明言したのである39)  また,梅は,民法上法人の成立を定めた趣旨 と特別法との関係について,「民法ニハ一般ノ 規定ノミヲ掲ケ他ハ總テ之ヲ特別法ニ譲ラサ ルコトヲ得ス是レ本條ニ於テ法人ハ本法其他ノ 法律ノ規定ニ依リテ成立スヘキコトヲ明言セル 所以ナリ」40)と述べる.すなわち,第 33 条に 法人の成立を掲げた理由とは,民法には一般の 規定のみを掲げ他は総て特別法に譲らざるを得 ないので,そのため本条では,法人は本法その 他の法律の規定によって成立することを明言し た,のである41).なお,法人の成立に関し,第 34 条42)では公益に関する社団又は財団で営利 を目的としないものを掲げ,第 35 条では営利 を目的とする社団を規定する.そして,第 36 条では外国法人43)を規定する.           36)大蔵省印刷局編,前掲注(29),4 頁. 37)梅,前掲注(33),65 頁. 38)民法修正案理由書〔廣中俊雄『民法修正案(前 三編)の理由書』92 頁(有斐閣,1987 年)〕によれば, この「法人は法律の認許以前に自然に存在する」と いう考え方について「法人ノ自然存在説」と示し,「此 主義ニ據リテ法律ヲ制定シタル國ナキニ非スト雖モ 是レ必竟法人タル資格ヲ受クヘキ團體ノ存在ト其團 體ノ受クヘキ法人タル資格トヲ混同シタルモノニシテ 其團體ハ或ハ自然ニ存在セリト云フヲ得ヘキモ其團 體カ人格ヲ得ルハ之ヲ法律ノ効力ニ歸セサルコトヲ 得ス是レ本條ニ於テ仍ホ既成法典ノ主義ヲ採用シ法 律ノ規定ヲ以テ法人成立ノ基礎トシタル所以ナリ」と 説く.また,大村はここに言う「自然存在説」につ いて,「『法人は自然に存在する』というのは,団体と法 人とを混同した考え方であり,団体は自然に存在する としても,その団体が法人格を得るのは法律の効果に よるのである」と解説する.大村,前掲注(35),131 頁. 39)廣中,同 91 頁によれば,「佛國民法」は,法 人という存在を明記せずに間接的にこれを認める にとどまり,その他は特別法に定めている.「佛 國民法」に倣う諸国は概ね同一の体裁を採ってい るが,「伊國民法ハ佛國民法ニ倣ヒタルニモ拘ハ           ラス其第二條ニ於テ法人ノ存在ヲ明記シ」ている. したがって,「佛國民法」を範とした「伊國民法」が 「法人」の存在を明記したことに倣い,我が国は, 明治民法において「本案ニ於テハ法人ハ自然人ト 相竝ヒテ私權ノ主格タルヲ以テ民法總則中ニ之カ 規程ヲ掲クルノ必要ヲ認メ」とし,法人が自然人 と相並んだ私権の主格であるので,法人の規定を あえて明記することとしたのである. 40)梅,前掲注(33),66 頁. 41)林良平・前田達明編『新版注釈民法(2)総 則(2)』181 頁(有斐閣,1991 年)によれば,「個々 の法人についての細部はそれぞれの立法に任すと しても,民法典の中に,包括的な前提として本条を 規定することが立法者の一つの意図であった.(中 略)立法者には擬制説的見解が多く,法人は法の規 定によって初めて法の世界に存在を認められるも のであり,ことに法人の細部にわたる構造は法の支 えによってのみ存立できるものであるとの見解が 多かったのではないかと考えられる」とする. 42)明治民法第 34 条「祭祀,宗教,慈善,學術, 技藝其他公益ニ關スル社團又ハ財團ニシテ營利ヲ目 的トセサルモノハ主務官廳ノ許可ヲ得テ之ヲ法人ト 爲スコトヲ得」大蔵省印刷局編,前掲注(29),4 頁. 43)明治民法第 36 条「外國法人 ハ 國,國 ノ 行 政區畫及ヒ商事會社ヲ除ク外其成立ヲ認許セス但 法律又ハ條約ニ依リテ認許セラレタルモノハ此限 ニ在ラス 前項ノ規定ニ依リテ認許セラレタル外 國法人ハ日本ニ成立スル同種ノ者ト同一ノ私權ヲ 有ス但外國人カ享有スルコトヲ得サル権利及ヒ法 律又ハ條約中ニ特別ノ規定アルモノハ此限ニ在ラ ス」大蔵省印刷局編,同.

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 営利を目的とする社団について規定を置いた 第 35 条は,「營利ヲ目的トスル社團ハ商事會社 設立ノ條件ニ從ヒ之ヲ法人ト爲スコトヲ得 前 項ノ社團法人ニハ總テ商事會社ニ關スル規定ヲ 準用ス」44)と定める.つまり,営利を目的とす る社団は「商事會社」の設立の条件に従い法人 となることができ,すべて「商事會社」に関す る規定を準用するのである.そして,この「商 事會社」の規定とは,具体的には明治商法の「第 二編會社」に定められる45) ⑵ 明治商法  明治商法「第二編會社」46)では,まず商法に おける「会社」を定義して,第 42 条に「本法 ニ於テ會社トハ商行爲ヲ爲スヲ業トスル目的ヲ 以テ設立シタル社團ヲ謂フ」と定める.そして, その「会社」の種類を第 43 条において定め,「會 社ハ合名會社,合資會社,株式會社及ヒ株式合 資會社ノ四種トス」と 4 種類に限定列挙した. また,同法における「会社」は第 44 条第 1 項 で「會社ハ之ヲ法人トス」47)とし,「会社」は「法 人」であると明定した.  梅謙次郎 は,明治商法第 44 条第 1 項 で「会 社」が「法人」であることを明定した理由につ いて,同趣旨を規定していた旧商法第 73 条に 関して,「会社」は「法人」であるという説と そうではないという説との二種の意見の間で従 来から議論があったことを挙げ48),それゆえ「会 社」が「法人」であると明定する必要があった と述べている49).梅いわく,民法における法人 とは,「固ヨリ法人ノ観念ハ人々之ヲ異ニスル ト雖モ民法ニ於テハ法人ヲ廣義ニ採リ總テ財産 ノ主體ト爲リ訴訟ノ主體ト爲ルモノハ皆法人ト セリ」50)と説明する.つまり,元々法人の観念 は論者によって異なるが,民法においては法人 を広義に採ることで,すべて財産の主体となり 訴訟の主体となるものは皆法人とするという理 由から,「会社」は「法人」としたのである. ⑶ 梅謙次郎の法人論と明治商法第 44 条  明治商法第 43 条は,「会社」を合名会社,合 資会社,株式会社及び株式合資会社の 4 種類に 限定し,同法第 44 条第 1 項で「会社」は「法人」 であると明示した.しかし,合名会社及び合資 会社は,人的会社として社員の個性と会社企業 の関係が密なもの51)であることを理由に,こ           44)大蔵省印刷局編,同. 45)志田鉀太郎『商法要義巻之二』1 頁(和佛 法律學校,1902 年). 46)第 2 編 は,第 1 章総則,第 2 章合名会社, 第 3 章合資会社,第 4 章株式会社,第 5 章株式合 資会社,第 6 章外国会社,第 7 章罰則 を 定 め る. なお,第 5 章の株式合資会社と第 6 章の外国会社 の規定は同法から新設された.また外国会社の規 定は,国際交通の発達に伴い外国会社を規律する 条項の必要性により設けられた.『商法修正案理由 書』35 頁および 37 頁(博文館,1898 年). 47)大蔵省印刷局編,前掲注(31),4 頁. 48)法典調査会『法典調査会商法委員会議事要 録第壹卷』124 頁(日本學術振興會,1936 年)に よ れ ば,第 38 条案(つ ま り 明治民法第 44 条)と           は,「梅委員ノ説明ニ曰ク本條ハ舊商法第七十三條 ト同一ナリト雖モ右第七十三條ハ其書方悪キヲ以 テ従來議論多シ」と記される.つまり,旧商法第 73 条も明治民法第 44 条第 1 項と同一の意義であっ たが,書き方が悪かったことを理由に,その解釈 について議論が生じたと説示している. さらに,梅謙次郎は,ロエスレルの商法草案の 説明〔ヘルマン・リョースレル,前掲注(32),209 頁〕を取り上げて,「『ロエスレル』氏原案ニ於テ ハ法人ト見ストアリ」と指摘し,ロエスレルが会社 を法人と見ないと解していた,と評している. 49)河内,前掲注(32),135 頁. 50)法典調査会,前掲注(48),124 頁. 51)上柳克郎・鴻常夫『新版注釈会社法(1)』 20 頁(有斐閣,1985 年).なお,同書 57 頁によれば, 合名会社は人的会社の典型とされ,「合資会社は人 的会社と物的会社の中間形態であるが,それは両 要素を機械的に併有する形態であり,全体として 人的会社性が濃厚であって合名会社の亜型とみら れる」. 人的会社・物的会社に関して,社員の個性と会 社企業との関係とは「社員の数の多少・出資の種 類および程度・会社業務に関与する程度・地位の 移転の難易・責任の種類および程度・会社意思の 決定方法・退社の許否・破産および解散の原因・ 清算 の 方法 な ど,会社 に お け る 法律関係 の 全面 にわたって現われる」ものである.大隅健一郎・ 今井宏『会社法論上巻・第 3 版』25 頁(有斐閣, 1991 年).

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れらに法人格を付与するか否かは,国によって 区々である52).その点で,明治商法上,合名会 社及び合資会社が「法人」とされたのは我が国 の法人規定の特徴といえる.  河内宏の研究によれば,同法第 44 条による 「法人」の明示は,梅の法人論に基づいて規定 されたと指摘する53).この研究は,梅が説示し た「民法講義」における「社団を法人とする利 益」について54),「法人」と「組合」とを対比 することによって,2 つの観点から考察してい る55)  梅は,例示として一定の目的のために 10 人 が集合した場合を挙げ,この 10 人各人は自然 人として権利能力を持っているが,会社を立て るということはその 10 人の外に会社という人 を認めることであると説く56).しかし,この社 団の財産を 10 人の共有財産とみると「組合」と なるが,「組合」には不便が多いと指摘する57) それゆえ,この社団を法人と認める利益につい て次の二つの事が言えるとする. ①「組合ノ財産ト云フモノハ十人ノ共有物デア ルト云フコトニ爲ル,サウスルト理論上ヨリ言 ヘバ其中ノ一人ガ例ヘバ破産ヲスル,又ハ破産 マデニ至ラズトモ差押ヲ受クルト云フコトニ爲 ツテ参リマスト,社團ノ財産ト云フモノガ直グ 其者ノ財産トシテソレゾレ處分ヲ受ケナケレバ ナラヌト云フコトニ爲ル,併シ是デハ如何ニモ 不便ガ多イカラ我民法ニ於テハ之ヲ制限シテ居 ル,ケレドモ法人ニ於テハ其資本額ガ登記シテ アツテ濫ニ之ヲ減額スルコトヲ許サス,之ニ反 シテ組合ニ於テハ組合員ノ協議ヲ以テ自由自在 ニ其資本ヲ減額スルコトガ出來ル」58)  河内の研究によれば,①の観点を次のように 整理する.  「(a)10 人の人が組合をつくった場合,組合 の財産は 10 人の共有物となり,理論的に言え ば,組合員の一人が破産ないし差押を受けると 組合財産は組合員の財産として処分を受けなけ ればならない.ただし,これではいかにも不便 が多いから我が民法においてはこれを制限して           52)安岡重明『財閥経営 の 歴史的研究─所有 と 経営の国際比較』68 頁(岩波書店,1998 年)では, 田中耕太郎 の 調査〔田中耕太郎『合名会社社員責 任論』32─58 頁(有斐閣,1989 年(原書初出 1919 年))〕として,合名会社・合資会社の法人性をま とめている.これによれば,ドイツでは「法人で はない」,スイスでは「組合であって法人ではない」, フランスでは「法人格を否定する説もあるが,例 外を除き法人である」,イギリスでは「partnership と limitedpartnership の二種があるが,法人では ない」,スコットランド・イタリア・ベルギーでは 「法人である」. な お,上柳克郎「合名会社 の 法人性」上柳克郎 編『大森先生還暦記念商法・保険法 の 諸問題』11 頁(有斐閣,1972 年)によれば,ドイツ法のもと で合名会社が法人として認められない理由は,カー ル・レーマンがコーラーの合名会社法人説を批判し た論文で述べた「合名会社の権利能力が認められる ためには,ドイツ商法におけるよりもその構造がよ り 強 く 定型化(formalisiert)せ ら れ,強行法規 の 数が増加され,個々の社員が会社から決定的に分離 されなければならない」という理由づけが支配的な 考え方を代表していると指摘する.その理由づけと は,「会社債権者の債権の担保となるべき会社財産 の充実維持のための強行法規定が殆んどないこと, 社員の債権者もドイツ商法 135 条の定める手続に よって実質上会社財産から弁済をうけることがで きること,そのように会社財産の充実維持のための 法的配慮が欠けている反面において,社員が会社債 権者に対する直接無限責任しかも補充性のない責 任を負うことが,法人性否定の主要な論拠となって いると解すべきであろう」とする. 53)河内,前掲注(32),137 頁. 54)梅謙次郎『民法講義』28 頁(同文館,1901 年). 55)河内,前掲注(32),136 頁.           56)梅,前掲注(54),27 頁.梅 は「社團 ト 申 スノハ是ハ多クノ人ガ集ツテ一定ノ目的ノ爲メニ 集合シテ居ル,此場合ニ於テ其各自ハ無論自然人 デアリマス,其各人ガ矢張人トシテ相當ナ権利ハ 持ツテ居リマスケレドモ,ソレノ外ニ法律上別ニ 一人ノ人ガアルト視ル」と説明する. 57)梅,同 28 頁. 58)梅,同.河内,前掲注(32),142 頁によれば, 法人の資本額の減額について「最後に述べられて いる点は,株式会社には当てはまるが,合名会社, 合資会社には当てはまらない.梅博士の誤解であろ う.」としている.

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いる.しかし,法人ではその資本額が登記して あって濫りにこれを減額することが許されない が,組合では組合員の協議で自由にその資本を 減額できる.」59) ②「組合ニ於テ權利ヲ得,義務ヲ負フ場合ニハ 其組合員ガ共同ニテ權利ヲ得,義務ヲ負フノデ アルカラ,契約ヲスルニモ登記抔ヲスルニモ皆 連名デスルカ又ハ委任状ヲ與ヘテ組合員中ノ一 人又ハ數人ニサセルノ外ナイ,又訴訟ヲ起シ若 クハ訴ヘラルルニモ矢張連名デナケレバナラヌ 是ハ非常ニ煩ハシイコトデ,若シ組合員ノ数ガ 多ケレバ殆ド其煩ニ堪ヘナイノデアル,然ルニ 法人ヲ認ムルトキハ社員ガ幾人アラウトモ其外 ニ別ニ法人ナルモノガアツテ是ガ権利義務ノ主 體ト爲リ訴訟ノ當事者ト爲ルノデアル」60)  さらに河内は,②の観点を次のように整理す る.  「(b)組合の場合は,契約するにも登記など をするにも連名でするかまたは委任状を与えて 組合員中の一人または数人にさせる外ない.ま た訴訟を起こしもしくは訴えられる場合にもや はり連名でなければならない.これは非常に煩 わしいことであり,もし組合員の数が多ければ ほとんどその煩に堪えない.しかし法人の場合 には,社員が幾人であろうとも法人が権利義務 の主体となり訴訟の当事者となる.」61)  河内の研究では,梅の①・②の説明において 「法人は,構成員(ないし寄附者)の財産と団 体財産(ないし寄附財産)とを分別し,多数当 事者の法律関係を単純化するために必要」62) あると述べている点を指摘している.つまり, 「法人」となることで,多数当事者との複雑な 法律関係が単純化されるという有用性を明らか にしているのである.また,「法人では,構成 員の連名ではなくて法人の名で訴訟や契約がで きるという点を強調しているのが梅説の特色で ある.」63)と言及している.  さらに,同研究では,梅の言及する組合と法 人との関係性が,「組合ハ往往ニシテ之ヲ法人 トスルコトアリ而シテ其目的公益ニ在ルトキハ 民法第三十四条ニ従フヘク営利ヲ目的トスルト キハ同第三十五条ニ従ヒ商事會社ニ関スル規定 ニ依ルヘシ」64)とする点から,「梅説は,法人 格を与えられる対象である団体を個々人の集合 と考えている.それ故,個々人を超える団体が 存在するいわゆる『社団』と個々人の集合にす ぎないいわゆる『組合』を区別し,前者は法人 になれるが後者はなれないといった見解はとら ない.(中略)実質的には組合であると言われ ている合名会社や合資会社を含む会社を法人と したのも,梅博士の法人論からすれば当然なの である.」65)と指摘する.したがって,同研究 はこのような梅の考え方に基づいたため,他国 で法人とされない合名会社・合資会社について も我が国においては明治商法第 44 条において 法人としたのである,と述べる.さらに,これ らの考察から「梅説は,法人格が与えられる対 象である団体を個々人の集合とみる点で,非常 に個人主義的色彩の強い理論であり,法人格に ついては技術性を強調する理論である.」66) 言及している.河内の研究は,社団が法人格を 与えられ法人となることで,多数当事者の複雑 な法律関係が単純化され,その法人自体が訴訟 や契約の当事者となり,これらの効果が,社団 が法人となることの利益であると示す.このよ うな利益が導き出されるのも,団体が個々人の 集合と見るからこそであり,その点で梅説は, 法人擬制説(ないし法人否認説)に立っていた ということが理解できる.           59)河内,同 136 頁. 60)梅,前掲注(54),28 頁. 61)河内,前掲注(32),136 頁 62)河内,同.           63)河内,同. 64)梅謙次郎『民法要義巻之三〔訂正増補第三四 版〕』782 頁(有斐閣,1914 年(原書初出 1897 年)). 65)河内,前掲注(32),136 頁. 66)河内,同 137 頁.

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 したがって,上述⑵で指摘した,梅が明治 商法第 44 条第 1 項で会社が法人であると明定 した理由について「固ヨリ法人ノ観念ハ人々之 ヲ異ニスルト雖モ民法ニ於テハ法人ヲ廣義ニ採 リ總テ財産ノ主體ト爲リ訴訟ノ主體ト爲ルモノ ハ皆法人トセリ」と述べるのも,財産の主体と なり訴訟の主体となるという観点から広義に法 人を捉える法人論に立脚していたとすれば,当 然に合名会社・合資会社が法人格を有すると解 すべきこととなろう.これらの点は,明治商法 第 44 条における我が国の法人の考え方の基底 をなすものであり,その特徴と考えられる67) 1.3 小 括  明治 32 年所得税法は,さらなる軍備拡張の 予算に対し確実な財源を担う税目として嘱望さ れるものであった.明治 20 年所得税法からの 主要な改正点は,まず条約改正に伴い在留する 外国人への課税を明文により立法化したことで あり,これにより所得税法による課税権が明ら かとなった.次に,明治民法・明治商法が「法 人」を明定したことで,「法人」に対する私法 上の法的根拠に基づき,所得税法上も法人所得 課税を導入することができたことである.特に, 河内宏の研究によれば明治商法第 44 条は,起 草者のひとりである梅謙次郎の法人論に基づい て規定されたとの指摘がある.梅は,財産の主 体となり訴訟の主体となるという観点から広義 に法人を捉える法人論に立脚しており,この点 からすると国によってその法人性が区々である 合名会社・合資会社を,我が国において法人と するのは至当であり,我が国の法人規定の特徴 と言える.そこで次章では,第 1 章で整理した 所得税法全文改正の目的と明治民法・明治商法 における「法人」に照らし,改正に関する論点 がいかなる構造で明治 32 年所得税法上立法化 されたのか,その具体的な課税方法とその内容 を確認する. 第 2 章 明治 32 年における所得税法全文改正  本章では,明治 32 年所得税法の課税方法と その構造を概観し,明治 34 年に出版された同 法の逐条解説書である上林敬次郎の「所得税法 講義」68)に基づき,法人所得課税に関する各条 文の適用要件を整理する. 2.1 課税方法とその内容  明治 32 年所得税法は,全 50 条から成り,こ れに伴う所得税法施行規則は,明治 32 年 3 月 30 日勅令第 78 号69)により公布された.この明 治 32 年所得税法で改正された所得課税の要点 は,次の 3 つである.第 1 に,明治 32 年所得 税法における納税義務者と課税所得の範囲は, 同法施行地内に「住所または一年以上の居所」 を有するか否かにより明示された.第 2 に,分 類所得税として課税所得を 3 種類に区分し,新 たに第 1 種として法人所得を課税対象とした. また,第 2 種の公社債の利子にかかる所得には, 源泉分離課税が導入された.第 3 に,課税所得 の種類ごとに税率を設け,そのうち第 3 種の所           67)富井政章『民法原論第一巻』223 頁(有斐閣, 1922 年)では,法人に関する 3 つの学説(擬制説・ 不存在説・実在説)を論じる中で,擬制説を梅が採っ ていることを挙げつつも,同説に対し「法人格ニ 限リ法律ノ擬制的創造ニ因ルモノトスル如キハ自 然法ノ觀念ニ囚ハレタル謬見ニシテ純然タル法律 論ニ非サルナリ要スルニ擬制説ハ學理上ノ基礎ヲ 缺クモノニシテ自然人ト法人トノ間ニハ唯人格ヲ 享有スル形式及範圍ヲ異ニスルニ過キス」と批判 的見解を示している.なお,不存在説については 「此説ノ如キハ自然人ノ爲メニ起ッタ制度デアルト 云フコト,即チ立法ノ基因ヲ説クモノトシテハ一 説ト見ルベキデアル」と評している.富井政章「法 人ノ本性」法学志林第 31 号 11 頁,20 頁(1902 年).           68)上林敬次郎『所得税法講義』(松江税務調 査會,1901 年).武田隆二は,同書の復刻版出版に あたっての挨拶文で,同書が「法人税法の最古の 文献」であるとし,「法人課税」制度詳解の原点と なる極めて精度が高い文献であると評している. 69)明治 32 年 3 月 30 日勅令第 78 号.大蔵省 印刷局編『官報第四千七百二十號(明治三十二年 三月三十日)』529 頁(印刷局,1899 年).

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得(第 1 種および第 2 種以外の個人所得)には, 所得金額に応じ 12 段階の単純累進税率を設け たことである70)  また,所得税の調査や手続きの側面では,従来 府県知事および郡区長の所管してきた所得の調 査決定に関する事務は,独立した税務機関である 税務管理局および税務署に移管されたので71),当 該執行にかかる条文が盛り込まれた. 2.2 「所得税法講義」における逐条解説   ここでは,明治 32 年所得税法における課税 方法の逐条かつ詳細な解説書として,同法施行 2 年後の明治 34 年に出版された松江税務管理局 長・上林敬次郎による「所得税法講義」72)を取り 上げる.上林の逐条解説によれば,明治 32 年所 得税法の各条文は次のように説明される. 【納税義務者と課税所得の範囲】  「第一條 帝國内此ノ法律施行地ニ住所ヲ有 シ又ハ一箇年以上居所ヲ有スル者ハ此ノ法律ニ 依リ所得税ヲ納ムル義務アルモノトス」  第 1 条は,納税義務者と課税所得の範囲を定 めるものである.上林によれば,「税法上納税 義務ハ主體ニ依リテ定マル場合ト客體ニ依リテ 定マル場合トノ二アリ」73)として,税法上納税 義務は「主體」と「客體」という 2 つの側面か ら決定されるとする.本条は,「主體」すなわち 「人」と同法施行地との関係性の観点から「人カ 税法施行地ニ關係ヲ有スルニ因リテ納税義務ヲ 負フ場合」を定めている.つまり,「人ト土地ト ノ關係ハ必ス住所又ハ居所ヲ顯出ス故ニ税法モ 亦此ノ二ヲ以テ納税義務ノ條件」74)とし,「人ト 土地トノ關係」で必須となる「住所」の有無を 所得税法上もその納税義務の条件としたと説明 する.  我が国の所得税法は,なぜその納税義務の 要件に「住所」を用いたのであろうか.筆者は 上述の上林が指摘した「人ト土地トノ關係ハ必 ス住所又ハ居所ヲ顯出ス」という文言の意味が その端緒となると考える.梅は,「民法要義巻 之一」の第 1 章「人」で「住所」に関し,「第三 節ニ於テ住所4 4ニ關スル規定アリ而シテ人カ其 所在ヲ失ヒタル場合ニ於テハ其權利義務ヲ如 何ニスヘキカヲ定メサルヘカラス故ニ第四節 ニ於テ失踪4 4ノ規定アルナリ」75)と指摘し,第 3           70)金子宏『租税法〔第 22 版〕』45 頁(弘文堂, 2017 年)によれば,明治 32 年所得税法について,「税 率は低い(2.5%)がともかく法人所得が課税の対象 とされたことは,注目に値する.しかし,公社債の 利子(第二種)が分離して低税率で課税されたほか, 法人からの配当および賞与が非課税とされ,さらに 譲渡所得が依然として非課税であったため,全体と して資産所得が優遇されていた.」と評価する. 71)税務管理局管制 が 明治 29 年 10 月 21 日勅令 第 337 号によって公布され,同年 11 月 1 日から施行 さ れ た.大蔵省印刷局編『官報第三千九百九十五號 (明治二十九年十月二十一日)』253 頁(内閣官報局, 1896 年). 72)上林,前掲注(68),1 頁.上林は,現在の法 政大学の前身となる東京法学校を明治 19 年に卒業 し,文官高等試験 を 経 て 内閣法制局試補,大蔵省 試補を務め,東京税務管理局後,司税官として金沢・ 松本・広島・秋田税務管理局を歴任した.本書出版 時の明治 34 年は,松江税務管理局長として執務し ており,翌年 11 月に松江税務監督局長となっている. また,上林は,吉田佐一郎および東京法学校の創 立者の一人である薩埵正邦との合著である『大日本 帝国憲法精義全』(時習社・岡島宝文館,1889 年), 同じメンバーの合著『大日本帝国憲法付属法精義全』 (時習社・岡島宝文館,1889 年),さらに大蔵省試補 時に『営業税法要義』(明法堂,1896 年)を出版して いる. な お,当該「所得税法講義」に は,若槻禮次郎 に よる和仏法律学校での講義録「和佛法律學校講義録           現行租税法論」(和佛法律學校,1900 年)(法政大学 学術機関リポジトリ(https://hosei.repo.nii.ac.jp/) 2019 年 4 月 28 日現在)からの引用がみられる.若 槻は,東京法学校と東京仏学校が合併し改称した和 仏法律学校で,梅謙次郎のもとで民法と租税法の講 師を務めている.また,若槻は,明治 37 年 9 月か ら 39 年 1 月まで兼醸造試験所長に就き,上林敬次 郎は明治 37 年 5 月に醸造試験所事務官に着任して いるので,両者は職務上のつながりがあったと思わ れ る.大蔵省百年史編集室『大蔵省人名録─明治・ 大正・昭和』197 頁(大蔵財務協会,1973 年). 73)上林,同 27 頁. 74)上林,同. 75)梅,前掲注(33),5 頁.

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節において「住所」に関する規定を置きつつも 人がその所在を失う場合に権利義務がどのよ うになるか定めないわけにはいかないため,第 4 節に「失踪」の規定があると述べる.これは, 翻って解すると,人はその所在があることで権 利義務が定まるということになるのではないだ ろうか.すると,上林が指摘した「人ト土地ト ノ關係」とは,人が(その土地に)所在すると いう関係を成立させるのが「住所」であり,「住 所」をもって権利義務を定めることができるの である.  大村敦志 の 研究 で は,民法上 の「住所」の 規定 に つ い て,「民法総則 の う ち の『人』の 章に書かれたことがらだけでなく,書かれな かったことがらを想起させる」76)と指摘する. その書かれていないことがらとは,「住所と は,法律関係において重要な意味を持つ場所 の一つである」77)とする.その根拠として,我 妻を引用して「我妻 93 頁は『われわれの生活 は,土地と密接な関係を有する』」78)および我 妻の付記の「住所によって権利主体の場所的 個別性が定まる(örtlicheIndividualisationder Persönlichkeit)ともいうべきである」79)を取り 上げる.同研究では,この我妻の指摘が貴重で あるとし,その理由は,「住所は,権利主体た る人を同定するための有力な指標であることを 示唆しているからである」80)とする.また,大 村は,我が国の「民法典の『人』の章には住所 規定を除き,人の同定に関する規定が置かれて いないことに気づく」81)とし,他国では人の同 定に関し民事身分や氏名に関する規定82)が置 かれていることとの比較から,我が国の「住所」 の位置づけについての指摘がある83).これらの 研究からは,我が国における「住所」とは,人 の同定に深くかかわり,またこれに関する唯一 の規定であるということがわかる.  したがって,これらの研究も踏まえると,上 林が指摘した「人ト土地トノ關係ハ必ス住所又 ハ居所ヲ顯出ス故ニ税法モ亦此ノ二ヲ以テ納税 義務ノ條件」とは,まず人が(その土地に)所 在する関係が権利義務を定まらせ,これを明ら かにするのが「住所」である.そして,若槻禮 次郎が,住所の説明について,「民法ナドデモ 既ニ定メテゴザイマス通リニ生活ノ本據ノ在ル 所ガ住所デゴザイマスノデ,日本ノ此法律ノ施 行サレマスル所ニ以テ來テ自分ノ生活ノ本據ヲ 設ケル,斯ウ云フコトニ致シマス」84)と民法に 倣うこととしていることからも,所得税法もこ の民法の「住所」概念に倣い,権利主体の場所 的個別性という点からその納税義務を「住所」 をもって決定することにしたのではないだろう か.なお,この考察は国内法に基づく国内事情 の範囲のみを取り上げたものである85)  また,課税対象となる所得の範囲については,           76)大村,前掲注(35),84 頁. 77)大村,同 85 頁. 78)大村,同.我妻栄『民法総則(新訂版)』 93 頁(岩波書店,1965 年). 79)大村,同.我妻,同. 80)大村,同. 81)大村,同. 82)大村によれば,「フランス法を見ると,民 法典の『人』の編には『民事身分(étatcivil)』に 関する一連の規定が置かれている(仏民 34 条~           101 条.なお,住所に関する規定は 102 条から始ま る)」とする.また,「日本法と近いドイツ法を見 ても,住所のほかに『氏名』に関する規定が置か れているのが興味を引く(独民 12 条)」と例示する. 大村,同. 83)大村は,日本における身分の視点について 「身分証書に関する規定は旧民法には置かれていた ので(「住所」,「失踪」の次の章とされていた),日 本法が民事身分に関する規定を置くという考え方 を全く知らなかったわけではない.おそらくは,こ うした問題は戸籍法の問題であると考えたのだろ う.それは,一つの考え方ではあるが,その結果と して,人の同一性に関する規定が民法からほぼ脱 落することになった.」と指摘している.大村,同. 84)貴族院『第十三回帝国議會・貴族院所得税 法中改正法律案特別委員會速記録(第二號)(明治 三十二年一月十六日)』7 頁(貴族院事務局,1899 年). 85)「住所」が納税義務の分水嶺となったこと に関しては,外国法からの影響も検証が必要であ る.この国外事情からの考察は,現在進行中である.

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「住所ヲ有スル者又ハ一箇年以上居所ヲ有スル者 ハ其ノ個人タルト法人タルトヲ別タス又其ノ所得 カ何レノ地ニ於テ収入セラレタルモノアルヲ問ハ ス所得税ヲ納ムル義務アルヲ原則トセリ(外國又 ハ税法施行地外ニ於ケル所得ニハ課税セサルコ トハ第五條ニ於テ之ヲ規定セリ)」86)と解説する. したがって,本条は,個人所得または法人所得 を問わず,「住所」を有することによる無制限納 税義務者を原則と定めた上で,改めて第 5 条で 外国又は税法施行地外における所得には課税し ないことを規定しているのである.ただし,その 例外として第 5 条第 6 号後段で,「但シ此ノ法律 施行地ニ本店ヲ有スル法人ノ所得ヲ除ク」と規 定しているので,「税法施行地ニ本店ヲ有スル法 人ノ所得ハ外國又ハ税法施行地外ニ於ケル資産, 營業又ハ職業ヨリ生シタルモノアルモ之ヲ控除セ ス其ノ總所得額ニ課税ス」87)ることとなる.結局, 本法の施行地内に本店を有する法人にかかる法 人所得に限っては,本法施行地外で稼得した所 得についても課税対象所得とするのである88)  ここで住所とは,「民法ノ規程ニ依リテ定マ ルモノニシテ即チ個人ニ在リテハ生活ノ本據地 ヲ謂ヒ(民法二十一條)法人ニ在リテハ其ノ主 タル事務所(本店)ノ所在地トス(同五十條商 法第四十四條第二項)」89)と説明する.つまり, 個人の住所とは,明治民法第 21 条90)に規定す る「住所」すなわち「生活ノ本據」であり,法 人の住所とは,同法第 50 条91)および明治商法 第 44 條第 2 項92)に規定する主たる事務所(本 店)の所在地である.ただし,生活の本拠は事 実に着目するという観点から,「個人ノ生活ノ 本據地ハ必スシモ戸籍法上ノ本籍ニ依リテ定マ ルモノニアラス又必スシモ其ノ現ニ居住スル地 ヲ指シタルニアラス此ハ事實ニ依リテ決スヘキ モノニシテ其ノ主タル財産又ハ營業,職業ノ所 在若ハ家族ノ居住等ハ之ヲ決スルニ主要ノ條件 ナリトス」93)と言及する.つまり,個人の生活 の本拠は,あくまでも主たる財産又は営業,職 業の所在若しくは家族の居住等といった事実関 係を主要な条件として決定すると説く.  「第二條 前条ニ該當セサル者此ノ法律施行 地ニ資産營業又ハ職業ヲ有スルトキハ其ノ所得 ニ付テノミ所得税ヲ納ムル義務アルモノトス」  第 2 条は,「客體」である「所得」が本法施 行地との関係を有することによって納税義務が 決定される場合を定め,「所得カ税法施行地ニ 關係ヲ有スルニ因リテ其ノ所得者ニ納税義務ヲ 負擔セシムル場合ヲ規定」94)すると説明する.           86)上林,前掲注(68),27 頁. 87)上林,同 107 頁. 88)上林,同.このように,例外を設けた理由は, 「法人ノ所得ハ其ノ全部ニツキテ計算スヘク本店ト 支店トヲ區分スヘキモノニアラス随テ其ノ所得ノ 生シタル地ヲ區分スルコト能ハス本店ニ於テ損益 ノ計算ヲ爲シタルトキニ始メテ所得ノ確定スルモ ノナルカ故ニ其ノ所得ハ本店ニ於テ之ヲ収受シタ ルモノト看ルノ外ナケレハナリ」とし,法人の所 得はその全部について計算することで損益が確定 できるので,それぞれ所得の源泉となる地を区分 するのではなく本店において収受するものと看ざ るを得ないと考えるからである. 89)上林,同 28 頁. 90)明治民法第 21 条「各人ノ生活ノ本據ヲ以テ 其住所トス」.なお,住所の決定については,従来           から 2 つの主義があり,「一ハ届出其他形式上ノ條 件ニ依リ住所ヲ定ムヘキモノトシ一ハ一切形式ヲ 離レテ單ニ事實ニ依ルヘキモノトセリ」とする.従 来は,前者の形式主義を採用していたが,事実に 反し甚だしいものもあり,「本法ニ於テハ第二ノ主義 ヲ執リ專ラ事實ニ依リテ住所ヲ定ム」として,後 者の主義とする家族の居住するところや主たる財 産の所在等の事実に基づいて判断するとしている. 梅謙次郎『民法要義巻之一總則編(第二十四版)』 59 頁(有斐閣書房,1905 年). 91)明治民法第 50 条「法人 ノ 住所 ハ 其主 タ ル 事務所ノ所在地ニ在ルモノトス」.法人の住所とは 「法人ハ素ト形體ナキモノナルカ故ニ眞ノ生活アル コトナシ從テ生活ノ本據タル住所アルコトナシ因 テ本條ニ於テハ其主タル事務所ヲ以テ其住所ト看 做セリ」とする.梅,同 115 頁. 92)明治商法第 44 条「會社ハ之ヲ法人トス 會 社ノ住所ハ其本店ノ所在地ニ在ルモノトス」.大蔵 省印刷局編,前掲注(31),4 頁. 93)上林,前掲注(68),28 頁. 94)上林,同 36 頁.

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