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治療のツールとして樹木画を用いるということ

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Academic year: 2021

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(1)77. 【コメント】. 治療のツールとして樹木画を用いるということ ・.'!. 'i. (兵庫教育大学教育臨床講座). 樹木画をいわゆるバウムテスト(検査法)としてではなく、治療(描画療法)のツールとして用いた研 究は、実際によく行われている割にはそれほど多くはありません。その意味でも坂中論文は意義あるもの といえます。 ところで、アメリカが生んだ前世紀最大の統合失調症治療者、 H.S. Sullivanは、心理療法の基本に participant observation'という概念を据えました。通常、 「関与しながらの観察」という訳語があて られていますl)。そこにいう"participantには、参加する、参入する、相手の混沌たる内面へ入り込む、 没入するという語感がありまず。 (ちなみに、 Levi-Br?hlの"partipacion" (F)は「融即」と訳されてい ます2)) この、いわば"治療のための没入"というすばらしいアイデアには、もちろん甘い陥穿が待ち受けてい ます。クライエントに投入した治療者が現実世界に"生還"できなくなるという事態です。 (私の師匠は、 このような状態を指して「砂の女症候群」と呼んでいます。) 実はまさにそこに、描画療法の存在事由の一つがあります。描画はクライエントの内界というか無意識 を外在化し可視化します。それを通して治療者は、 "没入"と"帰還"をより容易に行えるようになりま す。 以上のような私の思い込みにしたがって欲を言うと、せっかく樹木画を治療ツールとして用いたのであ れば、坂中さんには通常のバウムテストから一歩踏み出した活用-とくに"没入"的活用-をして ほしかったと思います。現象学的に言うならば、相互主観性(問主観性)の領域に踏み込むということで あり、下世話な言い方をするならば、 「描いた身になって考える」ということです。坂中さんのバウムテ スト的解釈が穏当なだけに、このことは惜しまれます。 残された紙数で、少しだけ私なりに例示してみましょう。まず図1の樹木ですが、樹高がわからないで すね。ひょっとしたら、このクライエント(cl.)は樹高をイメージすることなく描画したのかもしれませ ん。あるいは、樹冠が肥大しているというよりは描き手の視線が画面右下方に移動しているのかもしれま せん。次いで図2では、しっかりとした根に支えられながらも、本幹が迷いっつ地を這います。図4の樹 は、図1と同様に樹高不明で描き手の視線は画面下方に向かっていますが、今度は太くがっしりした本幹 の裏側に何があるのかと見る者をいぶからせます。こういった樹木画から、このcl.は未来への見通しをも てない中で、この人本来の豊かな心的エネルギーをアンテフェストゥム的構えを形成する方にではなく、 専ら現在の情動を安定させることに向けていることがうかがえます。 やがてそのかりそめの安定は2枚の枠付け描画(図3、図4)で破られ、画面は一変します。続く図5、 図6にみられる、 ``すがすがしい荒涼さ" -すがすがしいと同時に少し痛々しい-とでも呼ぶべき ものについてここで坂中さんと共有したいところですが、既に紙数もっきました。 (残念!) 枠付けのもっ表出促迫機能について、中井久夫の初期の著作や森谷ら3)を是非ご参照ください。 [文献] 1) Sullivan, H.S. (中井久夫、山口隆志訳) :現代精神医学の概念.みすず書房, 1972. 2) Levy-Bruhl, L. (山田吉彦訳) :未開社会の思惟(上) (下).岩波書店, 1953. 3)森谷寛之(編) :心理臨床学の冒険.星和書店, 1991..

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