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別府市における留学生の体験と異文化適応 : 多文化共生社会を目指して

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<論 文>

別府市における留学生の体験と異文化適応

― 多文化共生社会を目指して ―

筒 井 久美子 *

Experiences and Intercultural Adaptation of International Students

in Beppu City: In the Pursuit of a Multicultural Society

TSUTSUI, Kumiko

A number of local governments in Japan have been working to form a multicultural society due to acceleration of demographic aging. The Oita Prefecture in Kyushu was quick to respond to its depopulation and prompted the establishment of a university; thus the Ritsumeikan Asia Pacific University, known as APU, was established in Beppu City in 2000. APU was founded with the goal of Three 50s (50% international student intake, 50% foreign faculty, and student intake from 50 countries and regions), which boosted the number of international residents in the area. Oita City was ranked second after Kyoto City for the ratio of international students per 100 thousands in population in 2017. Now that seventeen years have passed since the foundation of APU, it must be investigated how global or internationalized Beppu City has become in the context of intercultural understanding and acceptance. This paper analyzes international students positive and negative experiences and attempts to find out which cultural and behavioral aspects they find it difficult to adapt to.

Keywords: International students, intercultural communication, positive/negative

experiences, cultural adaptation, multicultural society

キーワード: 留学生、異文化間コミュニケーション、肯定的・否定的体験、文化的適応、多文

化共生社会

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1.はじめに

本研究は、大分県別府市の多文化共生社会の実現に向けて、異文化間コミュニケーションの 観点から、留学生が直面する文化的な壁について考察する。現在、日本各地で多文化共生社会 に向けての取り組みが行われている(c.f. 一般社団法人グローバル人財サポート浜松、2015; 江成他、2013;財団法人かながわ国際交流財団、2012;多文化共生事例集作成ワーキンググルー プ、2017;蕭他、2017;毛受・鈴木、2007)。総務省は 2006 年に多文化共生社会推進のための 研究会を立ち上げ、その意義と必要性を訴え、地方自治体に多文化共生施策の指針を立て、計 画を進めるよう提言してきた(総務省、2006)。一方大分県は、県内の人口減少に歯止めをか けるために大学を誘致し、2000 年に立命館アジア太平洋大学(APU)が設立された。その結果、 県内の人口 10 万人あたりの留学生比率が、全国で京都と 1、2 位を競う留学生の街となった(大 分合同新聞、2018)。また、大分県内の外国人人口の割合は、2013 年度は別府市が 3.208%と 1 位となった(自治体ランキング、2013)。APU の設立から 17 年が経過した今、別府市はどの ような多文化共生社会へと発展しているのであろうか。本研究では、別府市の多文化共生社会 に向けた取り組みについて概観し、当市における APU 留学生の肯定的及び否定的な体験、そ して彼らにとって適応が難しいと感じる文化的・言語的側面について探る。留学生の体験をも とに、多文化共生社会を実現するために何が必要かを明らかにすることにより、地域市民との 理解促進の糸口を見つけ、真の多文化共生社会実現につなげたい。

2.多文化共生社会の必要性

2006 年総務省は「地域における多文化共生推進プラン」を策定し、全国の都道府県・政令指 定都市に指針と計画の整備を求めた。その背景には、日本国内における外国人登録者数が 2004 年末の時点で約 200 万人と、10 年間で約 1.5 倍となったこと、またグローバル化の促進と国内 の人口減少傾向から、さらなる外国人籍住民の増加が予想されることがあった。特に、前述の 総務省に設置された研究会の報告では、今後少子高齢化による人口減少が予想される中で、地 域の活力を維持するためには、日本人だけでなく外国人を含めた全ての人が能力を最大限に発 揮できるような社会づくりが不可欠となると指摘している。また、地方自治体が多文化共生施 策を推進する意義として、「国際人権規約」、 「人種差別撤廃条約」等における外国人の人権尊 重の趣旨に合致すること、地域社会の活性化により地域産業・経済の振興がもたらされること、 そして地域住民の異文化理解力や異文化コミュニケーション力の向上が期待されることが挙げ られている(総務省、2006)。総務省は、多文化共生を「国籍や民族などの異なる人々が、互 いの文化的ちがいを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に 生きていくこと」と定義している(総務省、2006、6)。

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日本における多文化共生推進の背景には、世界経済のグローバル化による経済的競争、日本 経済の低迷、労働人材の国際移動、そして少子高齢化の進展などの結果として外国人労働力が 必要になったという、どちらかというと経済・社会的事情で外国人に頼らざるを得ない状況が あったことは否定できない。もし、日本の経済成長が続き、少子高齢化による人口減少も起こっ ていなければ、多文化共生社会推進活動は行われていなかったかもしれない。つまり、かつて 経済大国だった日本は、その輝きを戻すために、また維持するために、外国人労働力や外国人 住民を必要とすると同時に、在日外国人を言語や文化的背景が異なる社会的弱者として認識し、 支援の対象として注目するようになったともいえる。 しかし、地方自治体による外国人在住者に対する支援の必要性は昨今になって生じたわけで はない。支援の必要性は数十年前から存在していたが、政府や地域住民はあまり関心を向けな かった。技術の進歩や世界経済のグローバル化の進展、日本社会の変化が、多文化に注目する きっかけとなり、外国人の増加に対する肯定的な見方や必要性も増えている(田村、2012)。 毛受は異なる文化が存在してからこそ生まれる「多文化パワー」を提唱する。多文化パワーと は、「多様な経験、文化、価値観を持つ外国人の潜在力が十分に発揮できる状況を作ることで、 周囲の日本人が触発され、両者の間でウィンウィンの関係が形成され、社会の活力が導き出さ れること」である(毛受、2016、81-82)。毛受は、在日外国人を支援の対象として見るのでは なく、外国人の持つ潜在力に目をむけることで、社会が活性化し、日本社会の閉塞感を打ち破 れるようになると述べている。

3.別府市と APU の特色

九州大分県に位置する別府市は日本一の源泉数と湧出量を誇り、国内外からの観光客が訪れ る日本でも有数の温泉観光地である。阿部(2012)によると、別府市は現在では観光サービス 産業として温泉が経済の基盤資源になっているが、昔は湯治客、戦後の傷痍軍人、被爆者の人々 のための治療所として利用されていた。そのため、温泉という自然の恵みを地元の人々だけで なく、それを必要とする人々と分かち合う平等の意識が根づいており、別府は「よそもんが集 まってできた街」で、「どんな異質なものでも受入れ、湯で癒し、水に流す」という独特の文 化があった(阿部、2012)。 温泉観光地として豊かな資源を持ち、全国から多くの人が訪れる別府市ではあったが、他の 地方都市でも見られるように、若者の都市圏への流出や出生率の低下などにより 1980 年以降 大分県における人口が減少し始めた。そのため、県は定住人口の減少を押さえ過疎化を阻止す るために企業誘致を推進し、交流人口を増やすために大学誘致を視野に入れ、1993 年には有名 私立大学に対し大分県への「進出意識調査」を行っていた(大分県、別府市、2010)。 一方、学校法人立命館は、1991 年から 1995 年まで近畿地区においてキャンパスの新設や新

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学部の増設など、大胆な改革を行い、さらに、21 世紀にはアジア諸国が急速に発展することを 予想し、アジア太平洋地域の未来に貢献する人材育成と学術や文化を創造する国際的な大学創 設の構想を練っていた。そこで、大分県からの「進出意識調査」がきっかけとなり、別府市十 文字原に APU が設置されることとなった(大分県、別府市、2010)。 APUは「自由・平和・ヒューマニズム」、「国際相互理解」、「アジア太平洋の未来創造」を 基本理念として、2000 年 4 月 1 日に設立され、開学時に 3 つの 50(留学生1)が 50%、外国籍 の教員が 50%、留学生の出身が 50 カ国・地域以上)を掲げ、それを開学初年時にほぼ達成し、 維持し続けている。2018 年 5 月 1 日時点で、留学生が 3,008 名、国内学生が 2,955 人、留学生 の出身国・地域は 88 となっている。 APUの設立は、大分県や別府市にさまざまな波及効果を生んだ。まず、大分県は京都府と 1、 2 位を競う日本で最も留学生の比率が多い県になった。2015 年度は、人口 10 万人当たり留学 生数が大分県は 288.6 人で首位、2 位は京都府で 283.4 人(国際政策課国際政策班、2016)、 2016 年度は、1 位の京都府の 307.5 人に次いで、大分県は 303.1 人で全国 2 位であった(国際 政策課国際政策班、2017)。また、APU 開学 10 周年時に大分県が行った大学誘致にともなう 波及効果の検証では、APU がもたらす県への経済効果は、年間 211.7 億円であった。別府市に おける効果は、APU や学生・教職員、来学者の消費支出 120.9 億円(推計)のうち、県内の財 貨・サービス購入にあてられる直接効果が 87.3 億円、原材料の購入を通じて生まれる県内産 業への第 1 次間接波及効果が 19.3 億円、第 1 次波及効果による雇用者所得が消費に回ること で発生する第 2 次間接波及効果が 13.9 億円となり、合計すると 120.5 億円の経済波及効果をも たらす計算となっている。別府市に対する経済波及効果 120.5 億円は、県内総生産の 0.19%と なり、911 人分の雇用に相当する。社会的波及効果としては、昭和 55 年以降、減少していた別 府市の人口が APU 開学以来、12 万 7 千人前後の水準を維持し、人口減少に歯止めがかかって いる(大分県、別府市、2010)。 大分県の留学生率が高いのは、APU の存在があるからであることは明らかであるが、実際 に多文化を受け入ける意識や体制はどうであろうか。2013 年度に大分県が実施した「人権に関 する県民意識調査」では、「日本に居住している外国人に関して起きていると思う人権問題」 について、「風習や習慣の違いが受け入れられない」が 25.4%、「就職・職場で不利な扱いを受 ける」が 24.4%、「結婚問題で周囲の反対を受ける」が 20.2% となっている。2012 年度に行わ れた全国調査と比較すると「職場、学校での嫌がらせやいじめを受ける」、「結婚問題で周囲の 反対を受ける」が全国平均よりも高くなっており、取り組むべき課題はある(大分県生活環境 部人権・同和対策課、2016)。これは大分県全体における意識調査で別府市に特化しているわ けではない。しかし、別府市の受け入れ体制について、阿部(2012)は「外国人の受け入れが 活性化している反面、彼らが実際に「生きる場」となる地域での受け入れ体制が整っているの か、またその形が安定して継続しているかと言えば、正直なところ不安定な部分も多い」と指

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摘している。 次に、大分県において、外国人在住者のための、また外国人在住者によるどのような活動が 行われているのか検証する。

4.大分県における多文化共生社会推進のための取り組み

大分県では、多文化共生社会の実現に向けてさまざまな取り組みが行われている(表 1 参照)。 例えば、JR 大分駅にほど近い総合文化センター内にある「おおいた国際交流プラザ」では、 その一角に交流スペースを設け、国際理解に関するさまざまな講座や研修会の開催、日本語教 室情報、そして多言語での情報発信を行っている。「おおいた国際交流プラザ」の現在の目的は、 「国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的違いを認め合い、対等な関係を築こうとしな がら、地域社会の構成員として共に生きていく」多文化共生社会の実現である(おおいた国際 プラザ)。そのホームページは、日本語、英語、中国語での閲覧が可能で、中国語、タガログ 語での暮らしに関する外国人のための無料相談も行っている。 また、2004 年に設立された「NPO 法人大学コンソーシアムおおいた」は県内の外国人留学 生を産官学で支援することを目的とし、留学生の生活支援(生活資金の貸付け、賃貸住宅の保 証、企業等でのインターンシップ、就職支援等)や、地域交流活動(外国人留学生の小中学校 等への派遣、語学教室や料理教室での市民との交流等)を行っている。さらに、留学生が卒業 後に就職や起業などで県内に定着する方向についての検討も進められ、2016 年 10 月に留学生 に特化して就職や起業をサポートする「おおいた留学生ビジネスセンター」が別府市に設けら れた(大分県企画振興部国際政策課、2017;大学コンソーシアムおおいた;おおいた留学生ビ ジネスセンター)。法務省入国管理局(2017)によると、2016 年度は 52 名の留学生が大分県内 の企業等に就職している。 表 1:多文化共生社会推進活動団体例 組織団体 活動内容 おおいた国際交流プラザ2) 中国語、タガログ語、外国人無料相談;医療ハンドブック―英語、中国語、 韓国・朝鮮語、タガログ語;日本語教室情報;情報誌の発信;国際理解講座、 国際交流研修会など 別府観光案内所 英語、中国語、韓国語講座;英語、日本語、中国語無料講座;多文化交流イ ベント週 2 回ほど 別府市文化国際課 無料日本語講座―毎週月曜、「別府市外国人留学生地域活動助成金交付事業」 活動にかかる経費の 75% を助成、1 回の申請に対し上限 20 万円 多文化こどもネットワーク いろは 大分県別府市の小中学校に通う外国ルーツの子どもたちの支援 NPO法人大学コンソーシ アムおおいた 社会教育の振興を図る活動、国際協力の活動、経済活動の活性化を図る活動、 職業能力の開発又は雇用機会の拡充を支援する活動など、留学生に特化した 就職や起業の支援を行う「おおいた留学生ビジネスセンター」の設置

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また、短大、高専、大学などの教育機関にも国際交流団体がある。APU では、別府市や別 府市周辺市町村との間で国際交流プログラムを提供している。地域交流担当が学内のスチュー デント・オフィス(学生課)に設けられ、大学による地域貢献の一環として地域住民と留学生 の交流を仲介している。2013 年度は、地域交流イベントが 124 件あり、652 名の留学生が参加 した(佐藤・柏崎、2014)。活動内容は、留学生の出身国を紹介したり多国籍な料理をしたり する交流会や、お祭りなど地域主催のイベントへの参加などである(APU HP)。しかし、こ れらの活動はどちらかといえば、一般生活の中に溶け込むというよりも、地域のイベントに留 学生を招待し、日本文化に触れてもらうとともに、地域住民との交流を促進させる意図があり、 留学生を特別な存在として見ていることが分かる。

5.別府市における留学生の体験

本研究では、多文化共生の現状の予備的調査として、大分県の留学生比率を上げた APU に 在籍する留学生に対し、彼らの別府市における肯定的・否定的な体験、そして適応が難しいと 感じる文化について自由記述方式のアンケート調査3)を行った。アンケートの回答者は 2017 年度に筆者の授業を履修した APU の留学生 200 名(女性 117 名、男性 83 名)4)である。質問 項目は以下の通りである。

1.What is your best experience you had with people in Beppu(not APU)? 2.What is your worst experience you had with people in Beppu(not APU)?

3. What do you find it difficult to adjust to Japanese culture, not environmentally such as traffic or lack of trash cans on the street, but more behaviorally or mentally such as being too polite or too punctual?

4. In order to make Beppu a global city, what do you think is necessary, in terms of attitudes, behaviors, knowledge, acknowledgement, collaborative activities, or particular facilities, for local government or people to develop or change?

回答の記述量は数ワードから 300 ワード以上とまちまちであった。記述はすべてコード化し分 類した。 回答の内容は多岐にわたっていたが、本稿では別府または日本が今後の多文化共生社会構築 に向けて参考にすべき市民との交わり、アルバイトや住居に関連する記述を中心に考察する。 (1)別府市における留学生の体験 表 2 は、別府市における留学生の肯定的体験と否定的体験を対比させたものである。

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A. 市民の親切で温かい行為・不親切で差別的な行為:留学生の肯定的体験で最も多かったの が、市民の親切で温かい行為である。例えば、留学生のつたない日本語でも理解しようとして くれたり、留学生が困っていると声をかけてきてくれたり、温泉の入り方を教えてくれたり、 歩いていると笑って挨拶してくれたりする例が挙げられていた。すべての学生がその時の様子 を細かく描写していたわけではないが、 別府の市民に対し kind friendly nice gentle

generous helpful patient caring always smile at us help us guide us などという 表現を使用していた。その一方で、レストランやカラオケ店、理髪店への入店を拒否されたり(3 名)、店やレストランでの対応が不親切であったり(10 名)、日本語が分からないと思われ否定 的なことを言われたりしたという記述も見られた。そのような行為に対し、留学生は「差別的」 で、「外国人を受け入れられない」と感じていた。 B.市民による積極的なコミュニケーション活動:留学生の別府における肯定的体験として 次に多かったのが、市民の積極的なコミュニケーション活動である。例えば、ベトナム出身の 女子学生(21 歳)は、バスの停留所でよく(特に年配の方から)話しかけられ、勉強を頑張る ように励まされ時々 や菓子をもらう例を挙げ、元気が出ると述べている。 また、留学生の親切な行動が市民とのよい関係を築いている例もある。ベトナム出身の女子 学生(20 歳)は、スーパーのレジで、自分の後ろに並んでいた年配の男性に順番を譲った。す ると彼はとても喜び、「学生は大変だから、たくさん食べて一生懸命勉強しなさい」とポテトチッ プスを一袋くれた。また、ベトナム出身の女子学生(21 歳)は帰宅途中、反対方向から伺をつ いて道を渡っていた年配の女性を支え一緒に横断歩道を渡った。するとその女性は感謝の印と して、買い物袋からビタミンドリンクを差し出し、後日この留学生を夕食に招待した。それ以 来、この留学生はその日本人女性の家に時々遊びに行くようになり、彼女から日本語だけでは なくさまざまな日本文化について学ぶことができた。留学生は当たり前のことをしただけのこ とである、と述べているが、市民にとっては留学生の温かい対応は新鮮で感謝の意を表したかっ たのかもしれない。しかし、その一方で、ただじろじろと見られたり、挨拶しても怪伬そうな 顔をして避けられたりした、という記述も見られた。 C. 市民による道案内:留学生の肯定的な体験として、11 名の学生が道に迷った際の別府市 表 2:別府市における留学生の体験例(対比) 肯定的体験 記述数 否定的体験 記述数 A 市民の親切で温かい行為 44 不親切、差別的行為 24 B 市民による積極的なコミュニケーション活動 23 じろじろ見られる、無視される 8 C アンケート時の市民の協力的態度 14 アンケート時の市民の非協力的態度 13 D アルバイト先での肯定的体験 12 アルバイト先での否定的体験 16 E 道案内 11 道案内の拒否 1 F 住まいに関する肯定的体験 5 住まいに関する否定的体験 10

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民の親切な対応について述べていた。留学生が別府に住み始める頃は特に道に迷うことが多い が、そのような時、市民、特に年配者の親切な対応が留学生にとって良い体験として心に残っ ているようである。あるインドネシア出身の男子学生(20 歳)の例を紹介する。彼は別府に来 て間もない頃、街のことを知るために市内を散策することにした。しかし、道に迷い、運悪く 電話のバッテリーも切れ現在地が分からなくなってしまった。田園を前にし、小さな道を歩い ていたところ、83 歳の女性が「こんにちは」と声をかけてくれた。彼はチャンスだと思い、知っ ている限りの日本語で助けを求めた。その女性はすべてを理解してはいないようだったが、一 緒に歩き彼を大通りまで連れて行ってくれた。この他にも、留学生が道に迷っていると声をか けてきてくれたり、目的地まで一緒に行ってくれたり、車で連れて行ってくれたり、市民の親 切な対応の記述が多く見られた。しかし、1 名のみ英語で道を尋ねた際、年配の日本人男性は 道を教えようとしたが、留学生が日本語を話せないと分かると、拒否のジェスチャーをして立 ち去ったということであった。 D. アンケート調査における別府市民の協力的・非協力的態度:APU の日本語授業では、留 学生の日本語の実践的活用として市民とコミュニケーションをはかることを目的とする課題が 出される。留学生は、簡単なアンケートもしくはインタビューの質問項目を準備し、別府市内 で市民に対する調査を行う。本研究では、その際の体験についての記述が多く見られた。肯定 的経験として、留学生がアンケートを依頼した際に、喜んで答えてくれた人(複数名)、座り 込んで留学生が理解できているかを確認しながらゆっくり話してくれた人(中国出身、女性、 19 歳)、自分が乗る予定のバスを見送ってまでアンケートに答えてくれた年配の女性(インド ネシア出身、女性、18 歳)、自分だけでなく友達も呼びアンケートに協力した年配の男性(中 国出身、女性、18 歳)などについて述べられている。しかし不快な経験として、単にアンケー トを断られた例だけではなく、 粗野な態度で断られた(中国出身、男性、18 歳)、まるで beggar (乞食)や thief (泥棒)を見るような目で見られた(ベトナム出身、女性、19 歳)、自分が ベトナム出身だと告げた瞬間何も言わず歩き去った(女性、18 歳)、自己紹介とインタビュー の目的を告げた後、あきれた表情をして何も言わずに去った(中国出身、女性、19 歳)人など について描かれていた。多くの留学生が、日本人は礼儀正しいと語る中で、このような行為は 差別的であると感じた者もいた。留学生が感じる日本人の礼儀正しさについては後ほど述べる。 E. アルバイト体験:留学生が市民と比較的長くかつ深く関わることができる場として、アル バイトがある。アルバイトは、単にお金を稼ぐ場ではなく、社会生活で必要となる働き方を学 び、日本人と働くことで、日本人の価値観や信念に対する理解を深めることができる場でもあ る。さらに、日本人が留学生に対して偏見や差別を含めどのような思いを抱いているのかを印 象づける場でもある。アンケートでは、アルバイト先での否定的及び肯定的体験はどちらも見 られた。肯定的体験としては、アルバイトを通して日本の働き方について学び、APU 生以外 の人との良好な関係を構築している記述が見られた。例えば、ベトナム出身の学生(女性、22

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歳)は、レストランでアルバイトをしているが、支配人や同僚から顧客サービスの基本だけで なく、お互いを元気づけ助け合ったり、ストレスが溜まる環境で落ち着いて対応したりするた めの実践的な方法を学んだ、と報告している。また、マネージャーの理解や夕食に招待された りする好意や同僚によるサポートにより、自分と日本人の壁がなくなり、快適に働くことがで きた学生(バングラデシュ出身、男性、22 歳)、お互い言語を教えあうことを通して良好な関 係を築くことができたおかげで、厳しい業務ではあったがアルバイトを継続できた学生もいた (ベトナム出身、女性、19 歳)。 アルバイトを通して学びを得る留学生がいる一方で、言葉や日本人の言動に苦労する留学生 もいる。ある学生は、ホテルの部屋を掃除した際、他の日本人から自分が掃除したベッドや窓 が不十分だと言われ何度もやり直さなければならない経験をした(ベトナム出身、女性、19 歳)。 彼女は日本語があまりできなかったので、その日本人の注意が理解できず、余計に焦り混乱し てしまったそうである。日本語が理解できないために苛立たれたり、能力がないと理解された り、軽 されたりした留学生もいる。また、仕事でミスを犯してしまった際に店長から怒られ たことを最悪な経験として挙げている学生も数人おり、それに加え This is Japan, not your country(スリランカ出身、男性、23 歳)や Go back to your country. Why you came here? (バングラデシュ出身、男性、21 歳)と言われたり、一度ミスをしたことで解雇されたりした 学生(スリランカ出身、男性、21 歳)もいた。 F. 住まいに関する体験:留学生が進級に伴い寮を出ると、多くが別府市内の賃貸アパートや 家に住み始めるが、貸主や近隣住民との関係も日本の印象を左右する。肯定的体験として、隣 人が毎月袋一杯の果物をくれたり(インドネシア出身、男性、21 歳)、隣に住む老夫婦がいつ も笑みかけてくれ時々お土産をくれたり(タイ出身、女性、20 歳)、アパートの家主が気にか けてくれ夕食に招待してくれたり、お菓子を持ってきてくれたり(タイ出身、女性、19 歳)さ れる記述が見られた。その一方で、隣人から冷淡な対応を受けた学生もいる。ここでは、2 人 の学生の例を紹介する。タイ出身の学生(女性、19 歳)のアパートには、彼女と友達が住んで いる部屋以外、すべて日本人が住んでいる。しかし、彼女たちがおしゃべりをして楽しむたび に、隣に住む男性が来てドアを激しく叩き、悪い言葉でぶしつけにののしる。玄関のベルが鳴 る度に彼女たちは恐怖を感じるので、ドアを開けない時もあるが、そのような時には彼は自分 のバルコニーに行き、彼女の部屋のバルコニーとつながっている仕切り壁を激しく叩き、いつ も国に帰れという。オーストラリア出身の学生(女性、21 歳)も一度であるが似たような経験 をしている。隣に住む日本人男性がいきなりうるさいとアパートに侵入してきて自分とハウス メイトに怒鳴った。彼女は出て行かないと警察を呼ぶと告げたが、彼は拒否し怒鳴ったり怒り でアパートの壁を叩いたりして、出ていくまで 20 分もかかったそうである。他にも、事実か どうかは不明であるが、「留学生を住まわせないアパートが多くある」(インドネシア出身、女 性、18 歳)、「最悪な経験はアパートを探すこと。時々、彼らは留学生に対して人種差別をする。

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私たちは審査に合格しないとアパートに住めない」(インドネシア出身、女性、18 歳)という 意見もあった。住居に関する記述は多くはなかったが、これらのことが起こった原因が留学生 だからなのか、それとも女性だから、大学生または未成年だから、またはルームシェアをして いるからなのか、明らかにする必要があるだろう。 別府における留学生の体験のすべてを紹介することはできないが、これらは多文化共生社会 を築くうえで参考になると考える。また、これらの体験のみではなく日本社会に適応できるか 否かも、卒業後の日本在住の選択を左右するであろう。 (2)留学生にとって適応が難しいと感じる日本人の行動や態度 ここでは、APU 生活を含め、留学生にとって適応が難しいと感じる日本的習慣や行動につ いて考察する。最も多く指摘されたものが、「日本人は何を考えているか分からない」、「礼儀 正しすぎる」、「時間に厳しい&労働意識が合わない」、「規則やルールが多く柔軟性がない」で ある(表 3 参照)。 表 3:留学生にとって適応が難しいと感じる日本人の行動や態度 日本人の行動や態度に対する意見 記述数 A 何を考えているか分からない 33 B 礼儀正しすぎる 24 C 時間に厳しい&労働意識が合わない 22 D 規則やルールが多く柔軟性がない 22 A. 何を考えているか分からない:本音を言わない、感情を出さない、いつも笑っている、No と言わない、いいことばかりをいう、という日本人の態度に対し、33 名もの留学生が難しいさ を感じていた。以下はその例である。 ●  日本人は正直な意見や感情を表現することを避ける傾向がある。何が起こっても、日本人 はお世辞をいう(ベトナム出身、女性、19 歳) ●  日本人は自分の意見を言わず、人の意見に合わせる(台湾出身、女性、18 歳;ネパール・ 日本出身、女性、20 歳) ●  日本人はいつもみんなに笑いかけている。自分のことを好きかどうか分からないので、日 本人とはなかなか友達になれない(ベトナム出身、女性、19 歳) ●  日本人と話していると時々彼らが何を考えているのか分からなくなる。日本人は嫌な時で も笑って「いいみたい」という。私は、台湾ではいつも相手に誤解されたくないから本当 のことをいう。(台湾出身、女性、19 歳) ●  日本人は何を思っているのか口に出さない。いい方に考えれば、歓迎されていると感じる。 しかし、日本人には近寄りがたいし親友もできない。日本人に話しかけて自分の気持ちを 伝えようとしているが、いつも一方通行にしか感じない(ベトナム出身、女性、18 歳)

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●  韓国と比べて日本人は自分の意見をほとんど言わない。時々何を考えているのか分からな い(女性、21 歳) また、アルバイト先で自分の感情を出さず、絶えず笑みを浮かべなければならないことにつ いて書いていた学生もいた。スリランカ出身の学生(男性、21 歳)は「バイト先の店長は顧客 に対して自分の感情や本性を隠す。それは尊敬に値するが、自分にとっては難しい。なぜなら、 僕たちは自分の気持ちに忠実だし、感情が表情に出てしまうから」と述べている。また、バン グラデシュ出身の学生(男性、22 歳)は、「バイト先で笑わないというミスを何度かした。母 国では、職場で笑うからには理由があり、顧客に対して感情を出してもいい(たとえ悲しくて も)。日本は面白いほど違う。日本では、どんなに落ち込んでいても特に職場ではそれを顔に 出してはいけない。みんな顧客や同僚の前では笑みを絶やさないことが義務づけられている」 と、素直な感情を顔に出せず絶えず微笑んでいなければならないことに難しさを感じているよ うである。 B. 礼儀正しさ:次に留学生にとって適応が難しいと感じる文化として 24 名が答えたものは、 日本人の礼儀正しさであった5)。多くが too polite と過剰を表す副詞を使用して表現しており、

so very extremely unnecessarily をつけたものもあった。例えば、礼儀作法の一つと して使用される敬語表現は日本語学習者にとって難しく理解しづらい、礼儀正しい行為が冷た く、無関心に感じるという意見があった。さらに、あまりにも礼儀正しくされると自分の居心 地が悪くなり、どう接すればいいか分からないと感じるという学生もいた。記述例としては、 日本人がミスをした時や遅れてきた時、「何度も謝るのでどうしていいのか分からなかった」(中 国出身、女性、19 歳;マレーシア出身、男性、21 歳;タイ出身、女性、20 歳)というもので ある。また、店で品物を購入後、店員が買ったものを出口まで運んでくれ深々とお辞儀をする 行為や、バスで年配の人がお辞儀をして隣の空いた席に座っていいか許可を取る態度に恥ずか しさや戸惑いを感じた学生もいた(タイ出身、女性、19 歳;中国出身、女性、19 歳)。礼儀が 正しいあまり本音が聞けない、関係が深まらない、親しい友達ができないという意見も多く見 られた。ドイツ出身の学生(男性、20 歳)は「日本とドイツは礼儀の定義が異なる。ドイツ人 にとって礼儀正しさとは自分の考えていることを正直に相手に伝えることを意味する。もちろ ん、礼儀と正直は同じではないし、多くの人にとって No というのは無礼である。しかし、少 なくとも相手をどう思っているのか分かる。日本では、相手が自分に言ったことに対して本当 にそう思っているのか全く分からない」と、相手にとって不快に感じるかもしれない返事でも 正直に伝えるのがドイツでの礼儀であり、日本のように人を傷つけないために伝える偽りの言 葉は礼儀ではないと述べている。また、マレーシア出身の学生(女性、19 歳)は、「礼儀正し さが、日本人の本当の態度を見えなくさせている。そのせいで、日本人と友達になるのが非常 に難しい」と述べている。礼儀正しさからくる建前は、表面的な付き合いのみ機能し、本質的 な関係構築には支障をきたすと考えているといえる。

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C. 時間と労働意識:時間や仕事に対して厳しいことも、留学生にとってはなかなか慣れない ようである。以下,例を挙げる。 ●  時間に厳しい日本人と付き合うのはとても難しかった。なぜならインドネシアにいた時は みんな時間を守らなかったから。最初は大変で嫌だったけど、徐々に規律を守れるように なってきた。(インドネシア出身、女性、19 歳) ●  最初は時間の厳しさになかなか慣れなかった。インドでは時間の流れがゆっくりだったし、 他の人もそうだったので、会議などは時間通りには始まらなかった。でも、日本ではみん な時間に慎重だし、時間を守らないと他の人に迷惑をかけてしまう(インド出身、男性、 20 歳) ●  日本人は時間を守るのが大好き。もし時間にルーズだったら、すごく悪い印象を与えてし まう。だから、時間を守ることを学ばないといけないけど、いつも遅れてしまうから難し い(インドネシア出身、女性、19 歳) ●  私はホテルでバイトをしているが、仕事を始める 5 分から 10 分前に来なくてはいけないし、 勤務が終わって数分後に帰れる。時間通りに来て、時間通りに終わると時給が減らされる (ベトナム出身、女性、20 歳) ●  日本人は時間に厳しすぎる。そしてそれは時々みんなに迷惑だ。(バングラデシュ出身、 男性、20 歳) ●  自分は工場でバイトをしているが、たった 1 分遅れても上司から怒られる(インドネシア 出身、女性、18 歳) 時間だけではなく労働の厳しさについても述べている学生がいた。ベトナム出身の学生(女性、 19 歳)は、 今まで、日本の飲食店でいくつかバイトをしてきた。勤務は 4 時間から 8 時間続くが、時 間が短くても長くても、自分の体調に関係なく、最高の仕事をし、すばやく効率的に働く ことを求められる。職場では椅子も食べ物もないので、短い休み時間だけ座って食べるこ とができる。5 時間勤務の時は 15 分しか休憩時間がなかった。15 分では急いで食事をと るくらいしかできなかった。勤務中は客が見ているところでは水を飲むことさえ許されず、 隠れて飲まなければならなかった。最初、このようなことに違和感を感じていたが、数ヶ 月経って何とか慣れることができた。もっと快適に働けたらいいと思う と、アルバイトといえども求められる完璧な態度や厳しい労働環境やマナーに戸惑いを感じて いる。この他、「日本人は賢い仕事(smart work)ではなく、仕事にたいする熱心さ(hard work)を重視している。日本の職場はどこも単調である。孤立しないようにするために誰も 創造的に考えることができない」(インド出身、女性、18 歳)という意見もあった。 D. 規則やルールが多く柔軟性がない:時間や労働の厳しさに加え、22 名の留学生が日本人 の規則やルールの多さ、柔軟性のなさ、保守的な態度、従来のやり方への固執について指摘し

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ている。いくつか例を挙げる。 ●  私から見ると、日本人は柔軟性が足りない。彼らはスケジュールに従い、一旦スケジュー ルが決まると、たとえよりよい解決策があっても変更したがらない(インドネシア出身、 女性、19 歳) ●  日本社会は規則を厳密に守るため、個人的なサポートを受けにくい。例えば、理解できな い時や、非常に都合が悪い時、代わりに何かしてくれるのではなく、盲目的に規則に従う。 このような問題は特に電話会社、銀行、郵便局で起こる。(オーストラリア出身、女性、 21 歳) ●  規則に厳しすぎる。日本人は規則を厳密に従うため柔軟性がないと思う。規則に従うこと はよいことだが、場合によっては柔軟性も必要である(ベトナム出身、女性、21 歳) ●  無意味な規則が多すぎる。例えば、図書館で飲食してはいけないこと。もちろん、本が所 蔵されているところで飲食してはいけないことは分かっている。でも私の国の図書館では、 飲食物を持ち込めるので勉強したりレポートを書いたりして一日中図書館で過ごすことが できる。・・・(飲食物持ち込み禁止の規則は)大人ではなく、まるでベビーシッターが必 要な子供のように扱われているようである。・・・大人として自分の行動に責任を持たな ければならないことは分かっている。このような規則のせいで、大人になる機会を奪われ ているように感じる。(アメリカ出身、女性、22 歳) ●  この前、友達との会話に夢中になってうっかり図書館で借りたパソコンを持ち出してし まった。すると、職員が即座に違反の用紙を取り出した。自分のせいではないのに。(パ キスタン出身、女性、20 歳) ●  適応が難しいと感じる日本文化の一つに、日本人の融通の利かなさがある。私の国では、 規則を破っても処罰は問題の深刻さによって決められる。初めて規則を破った時などしっ かりと反省しもう二度としないと約束すれば、担当者が同情してくれ不処分にしてくれる 時もある。・・・けれども日本では、過ちを犯すと何の警告もなしにすぐに処分が下される。 (ベトナム出身、女性、21 歳) ●  予想外のことが起こった時、日本人は解決できない。なぜなら、既成概念にとらわれてい るからである。一番適応が難しいのは時々意味の分からない多くの規則があることである。 例えば、高校の時どんなに寒くてもポケットに手を入れることができなかった。なぜなら それは先生に失礼だと見なされていたからである。(コロンビア出身、男性、23 歳) ●  私はいつもストレスを感じている。なぜなら日本人は従業員に高いレベルのサービスを要 求するから。彼らは従業員より規則を重視する。日本人はとても保守的で斬新なアイデア を受け入れたがらない(ウズベキスタン出身、女性、22 歳) このように,日本における規則の多さや規則を守る行為は、留学生にとって、日本人が柔軟性 に欠け、革新的なアイデアを生み出せない原因として理解されているようである。

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ここまで留学生にとって適応が難しいと感じる意見を紹介してきたが、5 名の学生は、適応 するのは困難ではない、また自分の成長につながると述べている。韓国出身の学生数名は、時 間に厳しいことと自分の意見をはっきり言わないことを除いては、日本と韓国の文化は似てい るので適応することにあまり問題は感じないと報告している。また、インドネシア出身の学生 (女性、18 歳)も、インドネシアは時間にルーズなことで有名であるが、時間や礼儀作法に厳 格な家庭で育ったので、問題ないと記述している。また、インドネシア出身の学生(男性、20 歳) は、「時々日本の文化に適応することは難しいが、それを楽しんでいる。なぜなら、自分のマナー を正すことができるし、母国に帰って友達に教えられるから。礼儀正しさは自分にとってよい ことでもある。ここに来て以来、いつも人を敬うよう努力している」、同じくインドネシア出 身の学生(男性、21 歳)は、「(日本の文化に慣れるのは)自分にとって難しくないと思う。日 本の文化は自分の人生にとても役立つ。例えば、何か大切なことをしなければならないとき、 時間を守るようになる。それに、規律を守れるようになる」、そしてモンゴル出身の学生(女性、 18 歳)は、「他の人は分からないけど、自分にとって日本文化に適応するのは簡単である。日 本人はお互いを大切にするし、人に親切にする方法や一生懸命働く方法を知っている。日本人 と付き合えば付き合うほど、自分の行動がよくなっているように感じる」と報告している。

6.考察

今回のアンケート調査では、留学生が別府で得た肯定的・否定的体験の実態、そして適応が 難しいと感じる日本人の習慣や行動を明らかにした。それらをもとに、多文化共生社会の実現 に向けて、今後取り組むべき課題を考える。 まず、留学生が道に迷った時と、別府市内でアンケートを実施した時の体験について考察す る。道に迷った際親切に案内してくれた、と多くの留学生が記述していた一方で、アンケート を行った際は、単に断られただけではなくぞんざいに扱われたという記述もあった。そこには、 緊急性と必要性(助けが必要なのか、それとも協力が必要なのか)が関係している。別府には 助けを求められれば助ける、「助ける精神」を持っている人が多いといえる。その一方で、緊 急性が低く、好意による協力を求めるアンケート調査では、アンケート実施者が誰であれ、回 答者の時間の余裕、意見を出すことへの抵抗感の差により拒否されることが多くなるのかもし れない。ただ、断る確率や断り方がアンケート実施者の外見や語学力により異なるのであれば、 そこには偏見や差別的意識が存在すると考えられる。また、接し方が外見や日本語能力の違い で顕著にあらわれるとすれば、それは今後多文化共生社会を築くにあたり、大きな阻害原因と なるであろう。 留学生のアルバイト体験については、さらなる調査を必要とする。しかし、今回の調査でわ かることは、言葉や文化が異なる人に対して、指導する側は根気強く丁寧に説明するできてい

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ない場合があるということである。APU には日本語力が全くない学生も入学してくる。徹底 した日本語教育を行っているが、日本の環境、文化、生活への適応と日本語学習の両立は非常 に困難で、苦労する学生は多い。また、経済的理由のみではなく、日本語能力を伸ばしたいと アルバイトに挑戦する留学生は多いが、複雑な仕事内容や流れを理解することは困難を要する。 ホテルの窓拭きの例をあげるとすれば、おそらく日本語を母語話者とする者でさえ、言葉で説 明されたところで完璧に拭きあげるのは難しいであろう。例えば、水滴一つ残さないレベルま で求めるのであれば、言葉だけではなく、どの道具を使ってどの順にどのように拭くのか実際 に見せるともに練習を行うことも必要である。つまり、長年働いている人々にとって「当然」 と思うことでも、初心者、ましてや留学生にとってはそうではないという意識を持ち、さまざ まな手段を使って丁寧に説明する必要があるであろう。また、日本語能力ができるかどうかと 仕事そのものができるかどうかを同等にとらえ、日本語ができない人を見下したり軽 したり することが実際に起こっているとすれば、多文化共生社会の実現に向けて第一に議論すべき問 題である。

留学生のアルバイト経験として、「 られた( I was scolded by... )」という記述が見られた。 留学生だけではなく現在の若者の傾向として、 られることに慣れていないことに加え、普段 だと られることのないような些細な事で られたことも、不快な体験として印象に残ってい る可能性もある。業務に真面目に取り組まなかったり、大きなミスをしてしまったことが原因 で られることは、今後同じミスを繰り返さないためにも必要である。しかし、「ここは日本だ。 あなたの国ではない」や「なぜ日本に来たのか。自分の国に帰れ。」という言動は、叱責では なく、感情的に相手を侮辱しているに過ぎない。アパートの入居者制限や隣人の態度を含め、 このような侮辱が一定の国や地域出身の学生だけに起こっているならば、それは差別問題とし てとしてとらえるべきである。 留学生にとって、日本人の礼儀正しさが順応するのに難しい文化として多く取りあげられて いたが、それは長く住むにつれて気づくことなのかもしれない。海外観光客のように、短期間 しか日本に滞在しない人々にとっては、日本人の礼儀正しさは心地よく感じるかもしれないが、 留学生のように 4 年間という長期に渡り日本に住み、親しい関係を築きたい人にとっては、反 対に大きな壁になっているようである。相手の気持ちを配慮し、傷つけないために、そして関 係を壊さないために伝えない本音は、留学生にとって逆に作用しており、親しい関係の構築を 妨げていることが分かる。 時間や規則を守る習慣については、それで社会の秩序や公平性、安全、快適さが保たれると いう意見もある一方で、それがストレスとなったり、柔軟性や創造力を失ったりすることにつ ながるのではないかというのが、留学生の意見であった。もちろん、留学生が指す規則とは日 本で初めて経験し違和感を感じるものである。社会や組織において、価値観や信念に反するこ とや想定外なことが起こると、新しい規則やルールが増え、次第に複雑化していくが、それら

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の規則は長年続くと、なぜ必要なのかという意義や目的が伝えられないまま、また忘れられた まま常識として残ることがある。ポケットに手を入れるのは失礼にあたるという考え方は、コ ロンビア出身の学生にとっては理解しがたいものだったのであろう。今後、特に留学生をアル バイト生として雇う側は、時間を守ることや日本または組織における独特な規則に慣れていな い人々に対しては、その意義を丁寧に説明し、慣れるまで見守る寛容さや、守れない人に対し 即座に否定的な判断を下すのではなく、何が難しいのか、意見を求める探究心を持つべきでは ないか。また、従来の慣例や決まり事の意義や目的を見直し、それらが創造力や柔軟性を妨げ ていないか熟考する必要もあるであろう。見直しと検討は、最も大切にしたい、そして必要と する文化的価値観を残し維持し後世に伝えるためにも大切である。そして、そのような取捨選 択の機会を与えてくれるのが、それらに疑問を持つ文化的背景の異なる人々なのである。

6.おわりに

本稿では、別府市における多文化共生社会への発展の可能性を探るべき第一歩として、別府 に在住する外国人のうち 70%6)を占める APU 留学生の体験と順応が難しい文化的習慣、行動 について分析した。その結果、安倍(2012)の記述にもあるように別府市は「異質なものでも 受入れ」る文化だけでなく、人助けの精神も根づいているといえる。しかし、それは緊急や必 要を要している場合に強く発揮され、それ以外の場合は少数ではあるが、異質なものに対して あまり協力的ではなく、時には冷たくあしらうこともあることが、留学生へのアンケートで明 らかとなった。しかし、自ら積極的にコミュニケーションをとろうとする市民もおり、それは 留学生の元気の源となっている。また、留学生が市民と深く付き合える場としてアルバイトが あるが、そこでは理解のある店長や従業員に恵まれた人とそうでない人で大きな違いが見られ た。さらに、留学生にとって適応が難しいと感じるものに、日本人の過剰な礼儀作法や時間や 規則に厳しいことがあげられた。礼儀は、人に親切に接するという利点もある一方で、過剰に なると本音が伝えられなくなるという欠点も出てくる。相手が気を悪くするような本音は言わ ずに接しようとする多くの日本人に対して、留学生はそれでは逆に関係が深まらないと感じて いることが分かった。また、時間や規則を忠実に守ることは、柔軟性が失われ、創造力に欠け ることにつながるという意見もあった。留学生にとって暮らしやすい社会を築くために「当然」 や従来の規則を見直すころ、偏見や差別に気づくことが明らかになったとともに、留学生から 学ぶことも多々見られた。 さまざまな文化的背景を持つ人々がそれぞれの力を発揮し共にいきていく社会をつくるうえ で、今後さらに外国人在住者のニーズや苦労、そして希望について明らかにする必要がある。 もちろん、行政の介入も不可欠であるが、もはや行政のみでは力が及ばない。本研究では留学 生の体験からその一部が明らかになったが、地域市民との理解促進のためには、さらなる調査

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が必要である。本研究が、市民そして外国人在住者が一体となり、お互いの要望を伝え合い、 どちらもが納得し、支え合い助け合う多文化社会への道を切り開く一助となることを願う。 1) APU では海外からの学生を留学生ではなく「国際学生」と呼ぶが,本稿では一般的呼称である「留学 生」を使用する。 2) 「おおいた国際交流プラザ」に掲載されている国際交流団体は 98 にのぼる。 3) アンケート調査は英語で行われた。回答は 1 名を除きすべて英語で記述されていた。英語での記述は 筆者が日本語に翻訳した。 4) 出身国は、多い順にベトナム 37 名、インドネシア 32 名、タイ 25 名、中国 24 名、韓国 19 名、台湾 9 名、 バングラデシュ 9 名、スリランカ 8 名で、他ミャンマー、モンゴル、ネパール、フィリピン、マレー シア、インド、パキスタン、ウズベキスタン、ペルシャ、サモア、アメリカ、ドイツ、コロンビア出 身が 1 名から 3 名おり、バイカルチャーの学生が 9 名いた。

5) 一つ問題点として挙げられるのが、アンケートの質問で too polite と too punctual を回答例とし て 提 示 し て お り、 誘 導 し て い る 可 能 性 が あ る こ と で あ る。 そ の た め、 too polite ま た は too punctual とのみ回答し、説明や描写のない場合は無効とみなし、回答数には入れていない。 6) 2018 年 5 月末の時点で別府市の外国人住民数は 4,266 人(別府市役所市民課)、APU の国際学生数は 2018 年 5 月 2 日の時点で 3,008 人であり(APU)、APU の国際学生は別府市在住外国人の 70% 以上を 占めていることになる。 参考文献 安部純子(2012) 『別府風多文化共生のあり方』 移民政策学会 2012 年 5 月 20 日 抄録原稿(2018 年 6 月 27 日 http://iminseisaku.org/top/conference/120520_abe.pdf) 一般社団法人グローバル人財サポート浜松(2015)『多様な人財を活用した地域社会の構築にむけた 多文 化コンシェルジュ育成事業における地域的効果と課題について』(2018 年 6 月 27 日 www.nihongo-ews.jp/contents_files/download/ ?cfid=425&content_id =880) APU(2018 年 6 月 27 日 http://www.apu.ac.jp/home/) 江成幸・藤本司・福本拓・長尾直洋(2013)『定住ブラジル人の子どもを地域にどう受け入れるか− 三重 県北部での日本人住民調査−』人文論叢(三重大学)第 30 号。 大分県企画振興部国際政策課(2017)『大分県における外国人留学生との多文化協創に向けた取り組み』自 治体国際化フォーラム、336。(2018 年 6 月 27 日 http://www.clair.or.jp/j/forum/forum/pdf_336/10_ tabunkakyousei.pdf) 大分県生活環境部人権・同和対策課(2014)『人権に関する県民意識調査報告書』大分県生活環境部人権・ 同和対策課(2018 年 6 月 27 日 http://www.pref.oita.jp/uploaded/life/290027_361435_misc.pdf) 大分県、別府市(2010)『大学誘致にともなう波及効果の検証∼立命館アジア太平洋大学(APU)開学 10 周年を迎えて∼』(2018 年 6 月 27 日 https://www.pref.oita.jp/uploaded/attachment/103975.pdf) 大分合同新聞(2018)『留学生数 大分県 2 位 少子化で受け入れ重視』2018 年 6 月 15 日(2018 年 6 月 27 日 https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2018/06/15/JD0057005839) おおいた国際交流プラザ(2018 年 6 月 27 日 http://www.oitaplaza.jp/japanese/) おおいた留学生ビジネスセンター(2018 年 6 月 27 日 https://oibc.jp/) 国際政策課国際政策班(2016)「平成 27 年度外国人留学生受入れ状況について」(2018 年 6 月 27 日 http:// www.pref.oita.jp/uploaded/attachment/1025299.pdf) 国際政策課国際政策班(2017)「平成 28 年度大分県外国人留学生受入れ状況について」(2018 年 6 月 27 日 http://www.pref.oita.jp/uploaded/attachment/1046844.pdf) 財団法人かながわ国際交流財団(2012)『外国人コミュニティ調査報告書−ともに社会を作っていくために』 財団法人かながわ国際交流財団(2018 年 6 月 27 日 http://www.kifjp.org/wp/wp-content/uploads/2014/

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02/community2011.pdf) 佐藤遼・柏崎梢(2014)『日本の多文化共生政策の推進による海外人材との知識交流の形成効果∼米国・台 湾・タイ在住若年層専門人材の日本との交流意識に着目して∼』平成 26 年度 国土政策関係研究支援 事業 研究成果報告書。(2018 年 6 月 27 日 http://www.mlit.go.jp/common/001085820.pdf) 自治体ランキング(2013)『平成 25 年度 大分県外国人人口割合ランキング』(2018 年 6 月 27 日 http:// www.jichitai-ranking.jp/rmbase.php?pt=00&nendo=2013&id=jk02&tcd= 44&skbn=0&rcd=0) 総務省(2006)『多文化共生の推進に関する研究会報告書』(2018 年 6 月 27 日 http://www.soumu.go.jp/ main_content/000539195.pdf) 大学コンソーシアムおおいた(2018 年 6 月 27 日 http://www.ucon-oita.jp/) 多文化共生事例集作成ワーキンググループ(2017)『多文化共生事例集∼多文化共生推進プランから 10 年 共に拓く地域の未来∼』 総務省(2018 年 6 月 27 日 http://www.soumu.go.jp/main_content/00047 4104.pdf) 田村太郎(2012)『多文化共生のまちづくり∼外国人パワーで地域を豊かに∼』国際文化研修、vol. 75。 別府市役所市民課(2018)『別府市の人口』(2018 年 6 月 29 日 https://www.city.beppu.oita.jp/sisei/sino gaiyou/detail11.html) 法務省入国管理局(2017)『平成 28 年における留学生の日本企業等への就職状況について』(2018 年 6 月 28 日 http://www.moj.go.jp/content/001239840.pdf) 蕭䌘偉・城所哲夫・瀬田史彦・佐藤遼・李度潤(2017)『外国人集住都市における多文化共生のまちづくり の現状と課題に関する一考察 愛知県豊橋市の南米系外国人市民向けの行政と市民団体による多文化 共生事業を中心に』都市計画論文集、52(1)、55-62。(2018 年 6 月 27 日 https://www.jstage.jst.go.jp/ article/journalcpij/52/1/52_55/_pdf/ -char/ja) 毛受敏浩(2016)『自治体がひらく日本の移民政策−人口減少時代の多文化共生への挑戦』明石書店。 毛受敏浩・鈴木江理子(編著)(2007)『多文化パワー社会−多文化共生を超えて』明石書店。

参照

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