第35回発展途上国研究奨励賞の表彰について
権利
Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア
経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization
(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp
雑誌名
アジア経済
巻
55
号
3
ページ
120-124
発行年
2014-09
出版者
日本貿易振興機構アジア経済研究所
URL
http://hdl.handle.net/2344/00006915
「発展途上国研究奨励賞」は発展途上国に関する社会科学およびその周辺分野の調査研究水準の 向上と研究奨励に資するために,アジア経済研究所が 1980 年に創設しました。 表彰の対象は,発展途上国の経済およびこれに関連する諸事情を調査または分析した著作とし, 次の①あるいは②に該当するものとします。 ①前年 1~12 月の 1 年間に国内で公刊された日本語または英語による図書,雑誌論文,調査報告, 文献目録 ②前年 1~12 月の 1 年間に海外で公刊された日本人による英文図書 2014 年度は各方面から推薦された 34 点を選考し,最終選考で下記の作品が第 35 回受賞作に 選ばれました。表彰式は 7 月 1 日にジェトロ本部において行われました。 ───────────────────〈受 賞 作〉─────────────────── 『反市民の政治学――フィリピンの民主主義と道徳――』(法政大学出版局) 日 くさ 下か 渉わたる(名古屋大学大学院国際開発研究科准教授) 『ガーロコイレ――ニジェール西部農村社会をめぐるモラルと叛乱の民族誌――』(平凡社) 佐さ久く間ま 寛ゆたか(東京外語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助教) ──────────────────────────────────────────── 〈選 考 委 員〉 委員長:長澤栄治(東京大学東洋文化研究所教授),委員:杉村和彦(福井県立大学学術教養セ ンター教授),中西徹(東京大学大学院総合文化研究科教授),広瀬崇子(専修大学法学部教授), 牧野文夫(法政大学経済学部教授),白石隆(アジア経済研究所所長) 〈最終選考対象作品〉 最終選考の対象となった作品は受賞作のほか,次の 4 点でした。 1 .『イスラエル・パレスチナ和平交渉の政治過程――オスロ・プロセスの展開と挫折――』 (ミネルヴァ書房) 著者:江崎智絵(防衛大学校人文社会科学群国際関係学科准教授) 2 .『障害と開発の実証分析――社会モデルの観点から――』(勁草書房) 著者:森 壮也・山形辰史(ジェトロ・アジア経済研究所研究員) 3 .『中東湾岸諸国の民主化と政党システム』(明石書店) 著者:石黒大岳(ジェトロ・アジア経済研究所研究員) 4 .『東アジアとアジア太平洋――競合する地域統合――』(東京大学出版会) 著者:寺田 貴(同志社大学法学部法学研究科教授)
121 本書は,ピープルズパワー以降のフィリピン の民主主義の動態を,「政治の道徳化」に着目 し,「二重公共圏」のせめぎ合いから分析した, 極めて野心的かつ独創性の高い分析である。 著者は,まず,フィリピン政治におけるヘゲ モニー的実践を,①「市民」という中間層と 「大衆」という貧困層が共通の敵(腐敗した政 治家・役人)に対抗するために一時的に連帯し 「国民」となる「道徳的ナショナリズム」,② 「市民」が「大衆」のために政治家・役人を矯 正し社会改革を実現しようとする「包摂的市民 主義」,③「市民圏」という場で中間層が貧困 層を排除しようとする「排他的市民主義」,④ 「大衆圏」という場で「大衆」が彼らを抑圧す る「金持ち」に対立する「ポピュリズム」,の 4 つに類型化する。そのうえで,「利益の政治」 であれば階層間の所得分配政策によって解決が 可能であるが,フィリピンの民主主義にあって は,「道徳の政治」が階層間に固有の価値判断 にもとづく感情的な排除の原理が働き両者の間 に埋めがたい溝をもたらし,調停することが極 めて困難な不安定性が現出したとする斬新な仮 説が提示される。 そして,著者は,都市貧困層に密着した緻密 な調査を行いつつ,マスメディアを含め,フィ リピンで繰り広げられる多くの分野の言説を丹 念に読み解き,中間層と貧困層への膨大かつ詳 細なインタビュー結果にもとづいて,この仮説 を検証しようとしている。この点で,本書は, フィリピン政治に関する質の高い文化人類学的 研究となっており,利用されている一次資料の 価値も極めて高い。審査会において高く評価さ れた理由である。 たしかに,本書に残された課題もある。まず, 「政治の道徳化」がもたらされたメカニズムを より積極的に論じる必要があったように思われ る。たとえば,「大衆」から「市民」への階層 移動についての突っ込んだ分析は不要なのだろ うか。一世代ほど前までは貧困層に属し,その 記憶を有する中間層も多い。対立の軸を階層移 動過程からも論じる必要があるのではないだろ うか。あるいは,富裕層などの外部諸力が対立 を煽り,「分割統治戦略」を行っている可能性 はないだろうか。「新自由主義」に言及するの であれば,「市民」と「大衆」の対立によって 利益を得る人々の存在はもっと重視されるべき だろう。一次資料のより積極的な活用も望まれ るという指摘もあった。「大衆圏」の人々の生 活,その言説やモラルをよりダイナミックに描 く素材が埋もれているように思われる。 しかし,このような課題は残るものの,先行 研究の的確な批判的展望にもとづく本書の独創 的な議論の展開とそれを支える地道な現地調査 は高く評価されるべきである。審査員は全員一 致で,本書はフィリピン政治についての本格的 学術研究であり,発展途上国研究奨励賞にふさ わしいと判断した。 (東京大学大学院総合文化研究科教授)
中
なか西
にし徹
とおる日下渉『反市民の政治学――フィリピンの民主主義と道徳――』
●講 評●このたびは,名誉ある発展途上国研究奨励賞 を賜り,大変な光栄に存じております。選考委 員の先生方,院生時代からご指導を賜っている 清水展先生と岡崎晴輝先生,とても丁寧な編集 をしてくださった奥田めぐみ氏,私を支えてく れた多くの方々に心より御礼を申し上げます。 拙著では,「政治の道徳化」が民主主義を脅 かしていると論じました。政治の道徳化とは, 資源の不平等な配分をめぐる問題が,善悪をめ ぐる道徳的対立によって上書きされ,隠蔽され る現象を意味します。この着想は,マニラのス ラムで暮らした経験から得ました。マニラでは, 中間層と貧困層の生活空間と言説空間(英語と タガログ語)が分断されています。私は 2 つの 世界を行き来しながら生活するうちに,両者で は政治を語る道徳が異なると気づきました。 スラムでは芸能人への投票や票の売買が盛ん です。また貧困層は,役人や警察に「みかじめ 料」を渡して,不法占拠や街頭販売で生計を立 てています。そのため,「法治主義」や「良い統 治」を掲げる中間層は,国の発展を損なう悪者 だと貧困層を道徳的に非難し,排除を強めてき ました。しかし貧困層からすれば,都市で生き 延びていくためには,不法な生計や票の売買と いった非公式な手段に頼らざるを得ません。貧 困層の生活基盤が不法なのは,彼らの道徳的問 題ではなく,不平等な社会経済構造のためです。 一般に,民主主義には道徳的市民が不可欠だ と主張されます。しかし,さまざまな構造的制 約によって,どうしても「市民」になれない 人々がいます。そのため,「正しき市民」の標 榜は,特定の人々を「非市民」として排除する ことに繋がり,民主主義の複数性を脅かしてし まいます。しかも,悪しき「非市民」とされた 人々の声には耳が傾けられないため,社会には 敵意や怨嗟が積み重なっていきかねません。 昨今の日本でも,福祉国家が解体し雇用が流 動化するなか,自らの苦しさを他者に転嫁して, 彼らの排除を叫ぶ政治の道徳化が進んでいるよ うに思います。他方,フィリピンでは,国家が 人々の生を保障しないため,道徳的に反目しな がらも互いの生を支えあう実践が濃密にありま す。また中間層と貧困層が,海外の移住先で道 徳と階層を超えた新たな共同性を創出させるこ ともあります。こうした実践に学びつつ,政治 の道徳化に抗して,生の被傷性を支え合う共同 性を民主主義の基盤にしていく方途を今後も考 えていきたいです。 略歴 1977 年埼玉県生まれ。早稲田大学政治経済 学部卒業。九州大学大学院比較社会文化学府博 士課程単位取得退学,博士(比較社会文化)。 京都大学人文科学研究所助教等を経て,2013 年より名古屋大学大学院国際開発研究科准教授。 主要著作 「秩序構築の闘争と都市貧困層のエイジェン シー」『アジア研究』53(4),2007 年(第6 回アジア政経学会優秀論文賞)。 「フィリピン市民社会の隘路」『東南アジア研 究』46(3),2008 年。 「境界線を浸食する『癒しの共同性』」『コンタ クト・ゾーン』5,2012 年。
123 ニジェール川流域の小農村の 19 世紀末から 21 世紀初頭に至る歴史民族誌として,ニジェー ル西部の農村社会の土地をめぐる村落の分裂を きわめて詳細に描き出した大部の力作である。 行政村の分裂というひとつの「事象」を通して, 植民地主義や近代化というマクロな視点にも留 意しつつ,それを一貫して内部からその意味を とらえなおすすぐれた視点を有している。調査 地で生じた問いを,先行研究を踏まえて考察す る視点には,現象と対峙しつつその意味の広が りを取り出すフィールドワーカーとしての深い 洞察力を感じさせる。また本書は「開発」にか かわる長期的視点をもった歴史人類学的研究と いうこともでき,そうした視点からも十分に評 価できる作品である。 ただ上記の課題設定においては,著書のメイ ンテーマとなった土地をめぐる村の分裂が,民 族誌記述を旨とする氏の調査の最終段階ではじ めて浮かび上がってきたものであるということ もあり,テーマ自体の論点の深化にややもの足 りなさもある。アフリカ農村の土地所有,土地 保有のユニークネスに関する議論は,これまで も多くの研究者によって広範に展開されてきて いる。本書で取り上げた事象との関係が地域比 較の視点からより詳細に考察されていれば,本 書の研究のスケールと射程はより広がりを有す るものとなったと思われる。 しかし,本書の中での著者の情動,自己の重 層性といった民族誌記述の最先端的領域を取り 込んだ重厚な記述,調査者自身の位置を相対化 した実験手法などとともに,土地所有をめぐる 住民のモラルに着目した言説分析は説得的であ る。階層も含めた立場の違う住民のそれぞれの 生きざまや人間性,想起される過去にも内在し, そうした人々との対話の中での著者の経験を, 考察のためのひとつの資料として提示し,現象 の意味を読み解く方法は興味深い。またそのこ とを通して,「土地は誰のものか」という土地 制度研究の中での通常の問いの前提を,相対化 しうるところまで練り上げた著者の自問自答の 方法は,読者を引き込み,本書を,きわめて魅 力的な書物に仕立てあげるものとなっている。 アフリカ農村研究の中でも,土地と親族の関 係を詳細に描いた研究はこれまでもあるが,外 部社会との関係での動態を,小さい農村の住民 の土地との関係の間に作り出しているモラルと の関係を含めて描くことによって,これまでの 開発研究の想定する平板な人間像と動態分析に 風穴を開け,新しい視点を切り開いている。こ のようなミクロな視点にかかわるユニークな視 角とともに,村落の分裂をそのリアリティに迫 るかたちで,圧倒的な筆力で描き切った本書に おける記述全体は,開発研究にかかわる古典的 なテーマを革新する新しい研究視点を示してい るように思う。 (福井県立大学学術教養センター教授)
杉
すぎ村
むら和
かず彦
ひこ佐久間寛『ガーロコイレ――ニジェール西部農村社会をめぐるモラルと叛乱の民族誌――』
●講 評●本書は,西アフリカ・ニジェールに所在する 行政村ガーロコイレの分裂を主題とした民族誌 です。ターナー(V. W. Turner)の古典的研究
Schism and Continuity in an African Society: A Study of Ndembu Village Life(Manchester
University Press, 1957)に代表されるように, 「村」の分裂とはかならずしも珍しい民族誌の 主題ではありませんが,本書には,おおむね以 下 2 つの特徴があります。 第 1 は,古典的民族誌で描かれてきたのが, 出自原理と居住規則の齟齬といった社会的論理 をめぐる葛藤であったのに対し,本書の最大の 関心事は,政府主導の農村開発によって引き起 こされた土地をめぐる社会的葛藤,いわば国家 と社会の葛藤だという点です。しかもこの葛藤 は,冷戦崩壊前後のアフリカ研究で盛んに論じ られた「国家に抵抗する社会」なる構図に還元 できるほど単純なものではなく,国家と社会の 葛藤が社会の内なる葛藤を連動的に引き起こし た末に村を分裂させるという錯綜した過程とし てしか捉えられないものでした。 第 2 の特徴は,この複雑な過程をとらえるた め,私的ともいえる経験に注目した点です。そ もそもニジェール西部農村社会の土地制度は, 自らの土地を何者かに奪われるかもしれないと いう猜疑や恐怖を個のうちに誘発する仕組みを 備えており,それこそが行政村分裂に帰結する 状況を作り出していくのですが,調査時のわた しには,こうした葛藤に自らも巻きこまれた末 に,人々から土地を奪う外部者(=「白人司令 官」という国家審級)とみなされていった形跡 がありました。そこで本書では,わたし個人の 葛藤の経験を手がかりに,国家と社会,および 社会内部の葛藤に接近することを試みました。 「わたし」を民族誌に記すことは,かつての 人類学で「実験的」と評された手法です。本書 にオーソドックスな社会科学的研究を求める読 者は,期待を裏切られることになるかもしれま せん。それだけに,こうして第 35 回発展途上 国研究奨励賞を賜ったことは,身に余る栄誉と 感じております。選者の皆様には,本書の完成 度より今後の可能性を評価していただいたので はないでしょうか。ご期待に応えるべく,いっ そう精進していく所存です。 略歴 1976年 千葉県生まれ 2002年 明治大学大学院商学研究科商学専攻 博士前期課程修了 2010年 東京外国語大学大学院地域文化研究 科地域文化専攻博士後期課程退学 2013年 東京外国語大学アジア・アフリカ言 語文化研究所研究機関研究員 2014年 同助教 主要著作 「ウラン開発と福島原発事故」『経済』225,新 日本出版社 2014 年。 「祖先・奴隷・腹――ニジェール共和国ソンガ イ系社会における親族のモラル」『社会人類 学年報』39,弘文堂 2013 年。 「交換,所有,生産――『贈与論』と同時代の 経済思想」モース研究会編『マルセル・モー スの世界』平凡社 2011 年。