シ ュ
ムペーターの独占理論
最近における独占肯定の諸理論
その一白
杉
庄
一
郎
一 の 私はさきに、一部の経済学者たちがすでに早くから独占と経済進歩との両立しうることを強調してきているのは、けっ して単に独占資本の弁護論とのみ割りぎることのできないものであることを示唆しておいた。勿論といって彼らの理論が すべて認容されなければならないなどというわけではない。それどころか、彼らの理論はそうしたものとして厳正に批判 されなければならない側面をもつ。現代資本主義批判への手がかりとして、代表的な若手の学説につぎ、その聞の事情を 明確にしておこうというのが、本稿を最初として今後数回にわたるであろう渉猟の目的とするところである。 最近における独占肯定の諸理論にたいして先駆者的なものとして一もひとつ先算者的なものとしてはスラッファの労 作があるが一まずあげなければならないのは、ロビンソンの﹃不完全競争の経済学﹄とチェンバリンの﹃独占的競争の 理論﹄とである。それらはいずれも、近代理論を現実に接近させていこうとする意欲の表現において、劃期的な意味をも つものであった。もっとも、それらは独占資本主義そのものを深く分析したものではなかった。なかんずく、それらは独 占が経済進歩と両立しうることを直接に論証しようとしたものではなかった。しかし、それらが現代資本主義の現実はけ シュムペーターの独占理論 一シュムペーターの独占理論 二 つして単に競争のみを構成原理とするものではなくて、不可避的に独占の要素をふくむものであるとしたことは、さしあ たりシュムペークーにはじまる独占肯定への理論的な地ならしをしたものということができる。 他方、独占要素の重要性は、また、チェンバリンやロビンソンの著書とほぼ時を同じうして公刊されたバーリおよび、、、 iンズの﹃現代株式会社と私有財産齢によっても強調されるところがあった。その観点から見て特に本書が一般の注意を とらえるところとなったのは、アメリカ合衆国における最大の非金融会社二百社の産業支配についてのミーンズの統計に よってであった。ミーンズの計算 それによれば右の二百社は一九三〇年の初めに全会社資産︵八一〇億ドル︶の約半分 を所有していた一ば、細部については批判の余地がないでなかったが、 ﹁複占︵含。宕ζ︶の諸原理は自由競争のそれよ りも重要となってしまっている﹂という彼の主張をうらずつけるところがあった。そしてこの主張を一層おし進めたのが バーンズの﹃競争の衰退﹄であった。バーンズは、独占の要素はもはや競争からの偶然的にして相対的に重要でない偏碕 と考えることはできな・いのであって、それは産業制度の一つの有機的な部分となっているから、法律によって除去されう ると希望しても無駄であるとした。そして彼はこの見地からして純粋競争の欠如していることを、いいかえると価格指導 や市場分割や非伸縮価格や統合などのごとき小企業に競争上の不利益を与える方策がいかに広汎であるかを実証した。も っとも彼はその割合にもなお、従来の研究者と同様に、純粋競争状態のもとにおける雇用水準や資源利用をもって理想的 なものとして承認している。そしてただ、その理想状態を阻害する独占が、偶然的ではなくて、恒常的であることを確認 しているだけである。しかし独占の要素が現代経済にとって不可避的であり、その成功にとって不可欠であるとすれば、 それを単に攻撃するということは明らかにドンキホーテ的ということにならざるをえないであろう。かくして理論のいわ ば回心は不可避であったのであるが、その回心はまた一九三〇年代に連邦政府を申心として実施された大企業に関する一 連の調査によって促進されるところがあった。それは大会社の優越を一般的に確認した。そして、それは合衆国の産業を O
取扱う揚合には寡占こそが妥当な規定であるということの説得的な証朋となり、この規定をアメリカ経済思想のなかに確 ⑮ 定するのに大いに役だった。 しかし、こうした研究史を背景にして、現代的独占の積極的側面の理論的な定式化において最も大胆であったのは、ク ⑯ インズとならぶ当代の巨匠シュムペークーの﹃資本主義・社会主義および民主・ミ義﹄であった。 ①拙稿﹃独.占と産業技術の進歩﹄本誌、一九五・八年十月。 ﹁② ℃.QQ鑓ゑpω巳一①器冨臥。巳h冨。88日日きけ㌶胃。匙。件5面目節=&国。80ヨ一辞三口い↓ぽ冒9盲。・o︷労①εほ器q巳2 00日噂無三く①Oo昌二恩。霧噛国oo旨。ヨ8冒内旨曽押×××<眞U①P一〇悼ひ. スラノファは、現実の産業状態は一般に競争と独占との中 間にあることを示唆することにより、 ロビンソンによる不完全競争の理論の創造を刺戟した。 旨菊。び冒。。oP↓﹃㊦国oo昌。ヨ8。。o略 H営娼。鳳Φ900臼唱Φ警凶oP一8ρや心●旨.ω筈=B需8さ=♂8蔓oh国8昌。日言︾昌巴鴇β一8心”℃唱●一〇ミ.=9● ③園。鉱塁oPo喝.。霊 ④中餌Oご日ぴΦ島P.↓冨目冨oqo頃竃。ぎ℃o如け800ヨ勺亀鉱oPおω⊆。● ⑤シュムペーターはチェムバリンの著書をケインズの豊般理論﹄につぎヒソクス・の﹃価値と資本﹄などともに第一次世界大戦後に ’ おける最も成功した理論経済学書の一つに数えている。ωoゲロ8唱簿①♪oや。一汁・闇℃・=凹hoo臼。什P 、 ⑥い区.○更訂巴昏層ζ。岩沼。一団餌巳チ①O呂8導冨江書。出国8ロ。ヨ8勺。朝①♪﹀﹁Q∩葺︿2。hOo艮。ヨ℃o昼曙国8ぎヨ8。・讐&・ げ団瓢.ω・国=同q。“お心。。−℃や一〇〇t一〇7 都留重人訳監修﹃現代経済学の展望﹄理論言上、六五頁。 ⑦チェンバリンとロビンソンの理論は﹁古い意味における競争に対する信頼の終焉﹂︵ト囚■O巴げ冨搾貫︾日①ユ。きO的且邑δヨ. づ‘げ●日ゲ①Z①看﹀旨Φユ8昌ピ子強目鴇層一〇㎝ド唱.ω日︶をともなうことによって政策上も重要な影響を残した。ダーラムとカーンの研 究にも読まれる。 ﹁しばらくは新理論は暗黙のうちに純粋競争をその規範または理想として受けいれていた⋮⋮。しかし、それらは 公共政策への指針としての純粋競争に依拠することの現実性についてのi大不況のさなかでは理解のできる一広汎な懐疑を喚起 し強化した。独占の要素のひろがることが避けがたければ、純粋競争にむかって努力することに何の.効果があるか。寡占ないし独占 の分解は何の解決をも与えないように思われた⋮⋮。経済政策は、大企業、寡占、製動画別法、およびその他の不完全競争方策に自 己を適応させなければならなかった。﹂ ︵冒しσ’U岸冨8餌コ伍︾.国・閑切身り閏⇔騨Oo舅喝①諏口。タ一¢Gh♪づ賢・轟一㎝●︶ シュムペーターの独占理論 三
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シュムペーターの独占理論 、 四 誤﹁︾.buΦ=Φ印昌αO■○ζ①帥爵ω一↓ぴ。竃。匙興寓Oo憎℃o嵩甑。耳目嵩島℃厚く簿㊦℃困○娼Φ隊ざ2Φ霜鴫。﹁ぎ一8心・ Hげ乙・曽℃・心伊北畠忠男訳五五頁。 財即ゆ霞暴一↓冨UΦ。財器。幽O。6窟葺δpZ①≦鴫。鱒=8ひ● Hぴ一q・︸や Go■ ○巴げ門巴け芦寓。昌。も。ぢ餌コ島臣①Ooロ。Φ昌茸⇔畝。コ○︷国8poヨざ℃o毒①さ。℃.9けこO・一〇︽訳七〇頁。 U一昌日。コ餌囚①げPo℃.島f℃・〇一冒 ↓冨QD箕ロ。石臼。眠爵①>B①﹁汀自邸国8昌。欝ざ℃鋤隣rbu鋤ω一〇〇訂富里①臨ω鉱09≦助。。げ貯αq8p一8P﹁㌻8頃。 ○匹び目帥謬ダ。り9∼ロ.一〇ド訳七五頁。 旨︾.ωoげ⊆ヨ娼卑①さO帥且け螢一一ωヨ一Qりoo一巴一ω日鋤昌山UΦヨoo這。ざ一〇爵■ 二 、 シュムペ二二ーはすでに早く﹃経済発展の理論﹄において、晩年における独占肯定の理論を準備していると見てよいと ころがある。この旧著について見るに、経済発展の原動力は﹁革新﹂︵Z窪①歪ロαQ︶すなわち﹁生産諸手段の新結合﹂︵コ⑦口① 囚。ヨ甑溝ぼ8<8竿。α島沖δ器苫葺Φぽ︶Ilそのさい生産諸手段とは﹁我々の処分範囲に存在する諸物および諸書﹂のこと である一であるが、そのなかにはqD新財貨の生産、②新生産方法の導入、圖新販路の開拓、四新資源の占拠に加えて、 ㈲新組織の達成一なかんずく﹁︵たとえばトラスト化による︶独占的地位の形成または独占の破壊﹂1がふくめられてい る。つまりシュム、ぺークーによれば、独占の形成は、その破壊と同様、革新の意義をもっているのである。その見地から して、彼が経営組織における革新の一例として﹁これまで知られていなかった大経営の導入﹂をあげているのは、興味が ある。この場合にも彼は﹁大経営においては、より小さな経営や最小の経営におけるよりも、生産諸要素のより合目的的 な排列とよりよい利用とが可能であり、さらにまたより適当な立地の選択が可能である﹂となしている。のみならず、シュムペーターのいう新結合は資本の集中を含意していた。彼はいっている。 ﹁新結合は一般にそれの使 用する生産手段を何れかの旧結合から奪取してこなければならぬ⋮⋮。したがって暫結合の遂行は、影踏経済のもつ生産 手段貯蔵の転用を意味する。通例の資本形成論に介在している純粋経済的発展理論の初歩においては、つねにただ貯蓄と 労働とが論ぜられるにすぎず、またこれに関連して常にこれらの依存する年々の僅少な投資の増大が論ぜられるにすぎな い。それのいうところは必ずしも誤りではないが、それだけでは本質的な事態への展望が閉ざされることになるであろ う。時間の経過とともに徐々に一また連続的に−現われる生産手段の国民的貯蔵の増加および欲望の増大は、幾世紀 を通ずる経済史の説明にはもちろん重要である。しかし発展の機構にとっては、そのときどきに存在する手段の転用の背 後に全く隠されてしまう。そのうえ、さらに短い期間の観察においては、史的経過に対してすら、それらは説明の用をな さない。たとえば最近五十年聞の世界経済の外観を変更させたものは、貯蓄や処分の可能な労働量の増加そのものではな くて、この転用にほかならなかったのである。﹂勿論この転用がつねに集中を意味するとはいえないであろう。 しかし新 結合が旧結合の牧奪と駆逐とを意味するかぎり、それのおこなう転用は、既存の生産手段の体現している資本の新しいよ り大きな資本への集中を意味するのが通例であろう。そして集中が独占への積粁であるかぎり、新結合は独占への傾向を 内蔵するといってよいであろう。 さらにシュムペーターによれば、右のごとぎ新結合の担当者が企業者︵d昌醗ΦH昌①﹃bソ①巴︶であり、企業者活動の報酬が企業 ゆ 者利得︵¢葺Φ目①げBΦおΦ三聖︶にほかならない。彼は企業者利得を﹁剰余価値﹂ ︵ζ①冒≦巽叶︶とも呼びかえているが、その ヘ へ 実質はマルクスのいう一剰余価値そのものとは異なりi特別剰余価値に対応するものほかならない。したがって、それ ゆ は企業者活動の内実たる薪結合の普及するとともに、すなわち競争の結果として、消滅する。しかしシュムペーターも ﹁企業者利得が競争によって即座にはもぎとられえない﹂ということを認めている。理由とするところは明確とはいえな シュムペーターの独占理論 ・五
シュムペーターの独占理論 六 る いが、競争の過程に避けがたい﹁摩擦﹂のためと考えるほかないであろう。彼は明言している。.﹁黙しい生産物小初めて 現われるにあたっては、企業者はいかなる競争者をももたないから、その生産物の価格形成は全く一あるいは一定の限 ⑳ 界内でi独占価格の原則に従う。それゆえ資本主義経済の企業者利得には独占の要素がよこにわっている。﹂ といって勿論、独占利潤を企業者利得の固定したものとして把握するといった見解があるわけではない。彼は続けてい る。 ﹁いま新結合が持続的な独占的地位の創設 たとえば競争するアウトサイダーを恐れる必要の全然ないトラストの 建設一にあると仮定しよう。そうすると、当然、企業者利得を持続的な独占利得︵蜜8。℃9αq①三重︶と見なし、独占利 ヘ へ 得を単純に企業者利得と見なすことができる。しかし、ここには全く異なった二つの経済現象がある。独占的組織の実現 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ は一つの企業者行為であり、その﹃生産物﹄は企業者利得において現われる。運転させられると組織はこの揚焼くりかえ し剰余牧益を獲得する、しかし今やそれは独占的地位の基礎をなす自然的ないし社会的な要因に帰属すべきであるtそ ゆ れは独占利得になってしまう。﹂ おもうに新結合は、独占的地位の創設を直接の目的としない場合にも、少くとも一時的には競争の排除を含意するもの であり、そのかぎり企業者利得は一,時的な独占利得の性格をもち、持続的な独占利得は企業者利得の固定したものと見ら るべき側面をもつはずである。しかしシュムペークーにとっては、持続的な独占利得は、右の引用の示唆しているごとく 企業者活動とは本質的な関連をもたぬ自然的ないし社会的な要因にもとずく独占的地位に由来するものにほかならなかっ た。したがって、それは、企業者活﹁動の存在しない一したがって企業者利得のありえない一と想定される静態におい ⑳ ⑭ ても、地代や準地代とともに、存立の余地をもちうるのであった。所詮、いうところの独占利得はまだ現代の独占を把握 することを可能にするようなものとはなっていないといってよい。 こういうわけで﹃経済発展の理論﹄におけるシュムペー二巴は、独占を資本主義経済発展の不可避的な契機として把握
するという見地を準備しているところがないではないが、しかしその見地そのものからはまだまだ遠く離れた所に立って いた。 ほぼ同じことが﹃景気循環論﹄についてもいえる。そこでも彼は﹁企業者利・潤﹂︵団巨声望8①霞。。.℃8津︶iあるいは ⑭ ⑭ 単純に﹁利潤﹂一が独占利得の性格をもつことを認めているが、そのことから独占利潤を説明しているわけでなく、ま たアメリカにおける経済進歩の大部分が三百ないし四百の大企業の所産であったという解釈が見られないではないが、独 占がイノヴェーションを促進するなどとは考えていない。 しかるに﹃資本主義。社会主義および民主主義﹄になると事情は一変する。シュムペーターはそこではイノヴェーショ 醗 ンーそこでの用語をもってすれば﹁創造的破壊﹂︵ρ①幽くΦU①。。野地註自︶一の理論をもって独占の肯定的側面を積極 的に照明するに至っている。彼がそのように大胆な態度をとるに至ったについては、たしかに、三〇年代における独占理 ゆ 論の発展の与えた刺戟を無視しえないであろう。しかも彼は、その成果を総括したばかりでなく、さらに自分自身新しい 問題の提起者となっている。 ⑰↓冨。ユ①山巽三皇富。匿津一8ゲ8国具惹即ぼ凝”国冒oq舞臼。。二。げ琶σq口び9d三①目gげ日Φお。三三曽囲巷二巴唱閑肘巴詫Nヨωロ巳 恥①ロ閑。昌甘昌ぽロ旨矯蒔ロ。。曽一〇一P ⑱一げ乙こψδO一︸2・中由・東畑訳一六六−七頁。 ⑲串凶鮎二ω’蝕P訳三六六頁。 ⑳一げ置二Qっ●;ω.訳一七〇頁。 ⑳屋一匹‘の●=鼠h.訳一八三頁以下。シュムペータ!の企業者概念は非歴史的にして一面的なところをもつでいるが、これについて は別に述べる。 ⑳ 囲窪島ごQり.8刈受益三五七頁以下。シュムペーターの企業者利得の概念についても、くわしくは別に考えねばならぬ。 ⑯ 同げ藁●一ω・卜。OO︷h・訳三六〇頁以下。
シュムペーターの独占理論七
シュムペ!ターの独占理論 八 ㊧ Hぴ乙;ω.悼ωP訳三九八頁。 ㊧ 守達ごoQ・悼ω︽訳三九九頁。 ⑳⑳ H甑げ﹂ω・悼鍵.訳四〇〇頁。 ⑱ 本文のごとく述べるについては、私は、独占利潤にかんする私自身の定式化を前提している。くわしくは.私の﹃独占資本主義のも とでの剰余価値の法則﹄︵京大﹃経済論叢﹄一九五七年十月︶および﹃独占利潤の源泉について﹄︵﹃彦根論叢﹄一九五八年五月︶を 参照されたい。 ㊧ Hび一阜ゆqり●おhh訳六八頁以下。 ⑳ 一げ置こω“悼O。。■訳三五八頁。 ⑳G。。穿ヨ冨8びじdロωヨ①。・。。○団巳①。。”︾同ゲ8同房邑讐霞ω8腎巴る民ω叶巴。。野曽一﹀昌巴毬♂。ハ臣ΦO昌冨一発中。8。・。・b︿。﹃し。ωo. ⑫ シェムペ!ターは書いている。 ﹁企業者利潤は、資本主義社会における成功した革新に与えられるプレミアムであり、本来一時的 なものである。すなわち、それは、その後における競争と適応の過程において消滅するであろう。⋮⋮しかしながら、利潤が出現す るためには、﹃利潤の自殺的刺戟﹄︵.ゴ巳。乙巴ω臨B三島。吟唱δ︷諦ω、、︶が即座にはたらかないことが肝要である、ということに注意 しなければならない。﹂ つまり﹁我々の考える企業は一たとえ体制がその他の点では完全に競争的なものであろうとも ほとん ど必然的に﹃不完全な﹄状況のうちにある自己自身を見出すのである。⋮⋮その結果、競争の不完全ということにかかわるかぎり利 潤も独占利得︵目。口。℃o団匹σQ臥コ。・︶の範麟に含められてよい、ということになる。﹂︵O℃.9一二ぐ9﹂層℃眉﹂宝一一〇9一〇刈.金融経済 研究所訳工一五一二、 一五五一六頁。︶ ⑳ ﹃経済発展の理論﹄にかけると全く同様に﹃景気循環論﹄においても、独占利得は企業者利潤と関連をもたないので、静態におい ても存在の余地をもっと考えられている。.Ω.一び莚;℃℃.心ρ一8・訳五六−七、 一五三−四頁参照。 ⑭ Hげ践.”︿9●目層や一〇志・ ⑳ωo評日℃2Φ♪O曽豆巳=ω臣−ωo肩口一ωヨき山U①日。。轟。ざち念一噂.c。ω.中山・東畑訳ω一四六頁。 ⑳ 図甲O冨ヨげ三目♪目冨Hヨ℃p。oけoh園①8葺ζ8εo帯円円。崎。昌↓冨ω島ロヨ唱Φ件①ユ自QD誘陣ΦP↓冨菊Φ︿δ零oh国。80B一〇。・ 回想鎚QQ$江。。二〇ω”竃曙一8一、器肩一雨亀ωoプ賦日℃簿臼QQoo一画ω9①巨尻ゴ巴.ぴ網の.即日霞ユ。。−一〇凹℃餌郎江口。≦鉾島鋤ζ◎H① O窪震巴日﹃8蔓。︷<巴器び団国’=●○冨ヨげ霞=⇔り一8刈・
三 ﹃資本主義、社会主義および民主義﹄における当面の論点についてのシュムペ口無ーの骨揚は、さしあたり、つぎの章 句に要約される。 ﹁現行の経済理論は、ほとんど全部、与えられた産業装置の管理に関する理論である。しかし資本主義 が与えられた産業構造を管理する仕方よりもはるかに重要なのは、それがそれらを創造する仕方である。そして、この創 造の過程には必然的に独占の要素が入りこむ。﹂ 右の観点からおこなわれている同書︵第八章︶におげるシュムペークーの独占理論について見るに、そこで取扱われて いるのは現代的独占の現実的形態といってよい寡占にほかならない。もともと独占者とは﹁単一の売手﹂︵G。冒σq冨ω⑦=①じ 厳密にいえば﹁その市場が同製商品の生産志望者および類似商目叩の現実の生産者の侵入に対して開放されていない単一の 売手﹂あるいは﹁自分自身の行為からも自分の行為に対する他の会社の反作用からも厳しく独立した所与の需要表に対向 ⑭ ⑳ する単一の売手﹂のことでである。短期においては、このような独占者がないではない。しかし長期について、このよう ⑩ な独占者を考えることは、ほとんど不可能である。新生産方法や新生産物も、たとえそれを使用ないし生産するものが単 一の企業であったとしても、それだけでは独占をもたらすものではない。けだし、﹂いずれの揚合にも従来の生産者の競争 ㊥ をまぬがれることのでぎないのが通例だ.からである。しかしシュムペー二二は、独占が大規模企業︵苺σq①あ。巴①ぴ琶蕾。・も・︶ ⑫ と同義語となりつつあると見、大企業を擁護するために、以下のごとき独占論を展開している。 まずシュムペークは、独占価格は競争価格よりも高く、独占的生産量は競争的生産量よりも小さいという主張に疑義を さしはさんでいる。生産の方法と組織およびその佃の一切が全く同一であるならば、この命題は真実である。しかし実際 には、一群の競争者には全然または容易に利用できないが、独占者には利用できる優れた方法がある。たとえば独占体は
シュムペ﹂ターの独占理論九
ピ シュムペーターの独占理論 一〇 優秀な頭脳の影響範囲を拡大し、劣悪な頭脳のそれを縮小することがでぎるし、また比較にはならぬほど高い金融上の地 位を享受することができる。このような優越性は実際のところ典型的な大企業の顕著な特徴となっているが、たとえこれ が.真正の独占体であったとしても、そうでなければ勿論、この場合にはさぎの命題は妥当性をもたないであろう。そのさ い動機は問題ではない。 ﹁たとえ独占価格を設定する機会が唯一の目的であったとしても、改良された方法ないし巨大な 装置の圧力は、一般に独占者の最適条件点を競争的費用価格に近づけるか、あるいはてれ以下に引下げる傾ぎがあり、か くして、たとえ生産制限が実施され、過剰能力がつねに顕著であろうとも、競争機構のおこなう仕事を一一部分か全部 か全部以上に 遂行するのである。﹂勿論、普通のカルテルの揚合のように生産方法や組織などが独占化によって一 あるいはこれと結びついて1改良されないならば、独占的な価格や生産量についての古典的定理が再び登場する。その 場合には独占化は麻酔的効果をもつわけである。しかし特に製造工業においては、総じて独占的地位は企業に安眠を許す ㊥ クッションではない。それを獲得するのも保持するのも、ひとえに鋭敏と精力があってこそ初めて可能なのである。 このようにシュムペークーは、独占を社会的に非能率的なものときめてかかる伝統的な理論に対して、きわめて大胆率 直に独占的大企業の革薪者的な性格を強調している。もっとも彼は、この場合にも、その独占的大企業の獲得する利潤の 本質については、 ﹃経済発展の理論﹄以来の旧説を修正するの必要な感じなかったもののようである。すなわち彼はいっ ている。 ﹁資本主義社会によって成功した革新者に与えられる賞品たる企業者利潤のなかに真正の独占利得の要素のある 一またはありうる一ことは真実である。しかし、その要素の量的重要性、それの揮発的性質、およびそれが出現する ⑭ 過程におけるそれの機能は、それをそれだけの一クラズに組み入れる。﹂第二の文章の意湿するところは明確とはいえな いが、いずれにせよ、現代の独占利得を固定された企業者利潤として把握しようとするのではないように思われる。 しかし現代の独占利得の源泉としての独占体の企業者的性格についてのシュムペークーの認識には、疑義をさしはさむ 、
余地もなく、徹底したものがあった。彼は、完全競争についての伝統的命題を生んだ経済生活一般の図式には創造的破壊 の過程についての一切の本質的事実が欠如しているとして、およそ次のごとく述べている。 qD完全競争はあらゆる産業への自由な参加を意味するが、すべての産業への.自由な参加が資源の最適配分と生産量極大 化の条件であるというのは、一定の限界内でのみ真実である。もし経済界が従前から確立された方法でおなじみの商品を .生 Yする多くの既存の産業から成立っているとすれば、その貫合には、新企業が欲する産業に参加するのを妨害すれば、 ヘ ヘ へ 社会にとって損失となるであろう。しかし、ある新しい領域への参加の完全な自由は、それに参加することを全く不可能 ならしめうる。 ﹁新生産方法および薪商品の導入は、初発からの完全﹁競争1そして完全に敏活な競争1とともには殆 んど考ええないものである。そしてこのことは、我々が経済進歩と呼ぶものの大部分がそれとは両立しえないことを意味 する。事実、完全競争は、新しいものが導入される場合にはいつでも、自動的に、あるいはそのために考案された方策に よって、その他の点では完全に競争的な状態においてさえ、一時停止されるし、またつねに停止されてぎた。﹂ ②完全競争と両立しうるタイプの企業は、多くの揚土、内部的 とくに技術的 能率において劣っている。またそ れは生産方法を改良しようとする努力において資本を浪費することがある。新しい可能性を展開したり判断したりするの に不利な地位にあるからである。そしてそれは、大企業よりも、進歩または外的腸管の衝繋のもとではるかに消滅しやす い一−そして不況のバチルスをまぎちらしやすい ものである。結局、アメリカの農業およびイギリスの石炭業ならび に繊維工業などは、その各々が一ダースのよき頭脳によって支配される場合にくらべて、はるかに大きな犠牲を消費者に 与え、かつはるかに有害な影響を総生産量に与えつつあるのである。 圖かくして現代の産業状態のもとでは完全競争は不可能であるから、あるいは常に不可能であったから、犬規模の施設 または支配単位は経済進歩1これをそれがサボタージすることはその生産装置に内在する諸力によって阻止されている シュムペーターの独占理論 一一
シュムペ、ーターの独占理論 一二 のであるがi一と不可分の必要悪として承認されなければならないと議論するだけでは、十分でない。我々が承認しなけ ればならないのは、それがかの進歩1および特に生産量の長期的増大−一の最も強力なエンジンとなってぎたが、個々 の揚合や時間をとってみれば非當に制限的に見えるこの戦略にもかかわらずそうなってぎたばかりでなく、さらに相当の 程度まではこの戦略によってそうなってぎたのである、ということである。この点で、完全競争は単に不可能であるばか りでなく、劣ったものであり、理想的能率のモデルとして設定さるべき資格のないものである。それゆえ、大企業は当該 産業が完全競争のもとで作用するごとくに作用せしめらるべぎであるという原則の上に、産業に対する政府統制の理論を 基礎づけるのは、正しくない。 . かくして、創造的破壊の理論をもって大企業の積極的側面を照明し肯定したシュムペーターの独占理論が反トラスト政 策に対する反対にまで帰着しているということは注目さるべぎであろう。実際それは伝統的な反トラスト思想にあびせら れた全く劃期的な根本的批判であったのである。アメリカの反トラスト政策は、もともと、市揚力をもつものに対する攻 撃を目標としているといわるべぎ傾向があった。もっとも、その政策は必ずしも首尾一貫していたわけではなく、一方に 絶大な市場力をもつ大企業が放任されているかと思うと、他方にははるかに小さな市場力しかもっていないような企業連 合が解体を命ぜられるといった具合であった。しかし概していえば、市揚力の濫用というよりは、むしろ市揚力そのもの が攻撃の目標にされているといわるべきところがないでなかった。しかも政策のそのよう傾向は、特有の理論によって支 持されていた。すなわち政府内外の経済学者たちは、自由競争の条件についての静態的な分析から引きだした基準にもと づいて反独占政策を提唱し、大企業に対する敵対感を扇動するところがあった。シュムペーターの独占理論は、こうした 反独占思想の盲点一静態的経済分析のもつ制約1を鋭くついたものであった。そしてそれは、歴史の事実に照してみ ても、時流をぬぎんでた彼の見識を物語るものとして、独占資本主義の、1特に第二次世界大戦前後のそれの一現実を
説明する上で従来のあらゆるブルジョア理論にまさった有効性をもっているといってよい。 ⑰ ωoげロ日℃簿Φ5σ四℃搾巴一ωヨ一ωoo㌶=ωヨ”弾昌匹OΦ墜oo鎚。ざ℃N⑦hゆ。①8什﹃①ωoooロα国憲鉱oP℃●臥メ訳三七頁。 ⑱ 一げ乙こ唱℃.O。。lOO’訳一七三一四頁。 ⑳ Hげ置;℃﹂O悼●訳一七九頁。 ⑳ 一ぴ凱こ眉・Oρ訳一七四頁。 ⑳Hげ乙こ℃﹂oド訳一八○頁。 ⑫ Hぴ乙こ℃・一〇P訳一七六頁。 ⑯ Hび一画こ℃や・OO曾一〇一1一〇博.訳一七六−八頁。 ⑭ Hげ達二℃’おω・訳一八○頁。 ⑮ H玄餌こb℃﹂宝1一〇㎝.訳一八三−四頁。 ⑳ Hび一山.層噂﹂Oひ.訳一八六頁。 ⑰ 目げ一山こ喝﹂oひ’訳一八七頁。 ⑱ 頃ω.寓霧。♪ω。芝日貸①目窪。昌ζ08唱。¢帥巳呼①い母σq①閏酵β↓冨園Φ乱Φ≦o出国88旨剛。ω餌巳ω陣節駐鼠。9蜜国隣一8一噛 8停頓8匹ω。巨目℃g臼ω09巴.ω9①艮陣ω世a魯ξω.燭無二巳ω一一8一輸餌巳国88日ざ088三鑓江8きα夢①ζ8εoぐ準9 げ一㊦日一げ団国.ω﹂≦器oF一〇αざ℃唱・O一・露1¢ω噛︸Oρ一〇一・坂本二郎訳﹃社会科学者シュムベーター﹄二四七n二四八一九、二五九、 ご六〇頁。 一 四 しかしシユムペークーの独占理論も、それはそれでまた盲点をもつことを免れていない。まず彼は、自分の議論がすべ ての反独占政策に反対するものではなくて、ある種のそれに反対するにすぎないということを特に注意している。けだし 独占企業の採用する﹁制限的ないし規制的な戦略﹂のなかには、 ﹁生産量の長期的発展に対して有害な効果﹂を与えるも のが存在しうるからである。しか,し如何なる戦略が反対さるべきであり、いかなる戦略が支持さるべぎで.あるかについて シュムペーターの独占理論 二二
シュムペーターの独占理論 一四、 彼の説くところは必ずしも明確ではない。そして、このことは、現代的独占と技術革新との関係についての彼の分析が不 徹底であったこと・と関係をもつ。 ヘ ヘ ヘ へ 最近の技術革新は、シュムペーターが示唆しているように思われるごとく、はたして独占そのものによって可能であっ たのであろうか。この設問に対し我々はメースンの言葉をかって次のごとく答えることがでぎよう。 ﹁めいめいの分野に おいて重要な革新者となってきた大抵の大企業の発達史は、おそらく、それらが享有してきたであろう特許権による保護 に加えて、いかに妥当な反トラスト法解釈においても制限的と呼ばれるであろうような諸種の戦略や方策の使用を明らか にするであろう。しかし、これらの戦略や方策が革新者としてのこれらの企業にとって如何に重要であったかは、また関. 係諸産業において及び全体としての経済において結局のところ成長が促進されたか阻止されたかは、最も丹念な研究にと ってさえ確信をもって確証することが困難であろう。シュムペークーが自分の命題の支持に引用している企業や産業の歴 博一面スタンダード石油会社、・アル、・こ一ウム会社、レーヨンおよび自動車一は、むしろ異なった言説を許す可能性を ㊥ もつのである。﹂ シユムペークーの議論には、当面の論点にかんして、たしかに不用意なところがあった。しかし、その点の指摘をつぎ の疑聞にまで、すなわち﹁第一次および第二次合併運動の間におこわれた巨大な企業集中が実際に能率や能率の増進を促 進したであろうか。最近二三十年間、革新は主として大規模企業からもたらされたというのは、はたして本当であろう か﹂という疑問にまでつきつめられるならば、それは行ぎすぎといわなければならないであろう。 この点に関連して、シュムペーク二流の独占肯定論に対して批判的であるように見うけられるアダムズとグレイの解釈 はここで参照される価値をもつように思われる。いうところは、およそこうである。一現代の技術が与えられると、決 ヘ ヘ ヘ へ 定的な問題は﹁諸企業は大きくなければならないか﹂ではなくて、 ﹁一事業は能率的に操業するためにはどれほど大ぎく
なければならないか﹂である。例えば鉄鋼業において、一企業が水平的にも垂直的にも大ぎくなければならないというこ とを否定するものはないであろう。にもかかわらず、場所的ならびに機能的に別個独立の工揚単位の結合が何らかの重要 な経済的効果をもたらすかどうかは疑わしい。たしかに能率はゲーり一やピッツバーグやバーミンガムにおける一貫作業 を要求するであろう。しかし、これらの機能的に独立した工場体を単一企業の管理下に結合することに対する技術上の根 拠はありえない。してみれば、U・S・スティールの支配が縮小しても、それを構成する諸工躯体の操業上の能率が減退 するということはありえないであろう。現代の企業が大工場と大企業とを要求することは明らかである。しかし、それが 現代大企業の多くがあまりにも巨大であることをi単なる大企業から区別された﹁産業上の巨大病﹂︵貯含ω帥二巴αQ冨艮凶。。ヨ︶ を−正当化する科学的な根拠はない。勿論、技術の進歩に関する実例は、反対の論証に使えないわけではない。しかし客 観的に見るかぎり、事実は集中と進歩との相関関係を否定するように思われる。自動車工業における一時あたり産出量の 増加は、斯業が高度の集中を実現する以前1まだ若くて多くの企業から成っていた時代一における方が顕著であった。 また鉄鋼業のような集中化され允工業においては、ベスレヘム、リパブリック、アメリカン・ローリング・ミルといった 中規模の会社が、巨人U・S・スティール社よりも進歩的であった。勿論ある時点もしくはある生産.部門においては、大 規模技術は小規模技術に対する決定的な優越性をもつ。しかし、ここでも社会は独占を技術的必要として受容することを 強要されはしない。研究や実験に関する公共施設は、大規模技術と同等の能率をもった小規模技術を創造することができ ド るであろう。 おもうに、この著者たちが独占体の企業規模の巨大であることそのことが産業技術を進歩させてぎたのではないという ことを強調しようとしているのは、示唆的といわなければならない。しかし、この著者たちも、独占体も技術を進歩させ てきたということを事実として否定することがでぎないであろう。たとえば、彼らがU﹂S・スティールに対立させてい シュムペーターの独占理論 一五
シュムペーターの独占理論 一六 るベスレヘムその他の鉄鋼企業も、前者にくらべて規模ははるかに小さいにしても、それぞれ独占体であることに変りは ない。しかも相対的に小さな独占体の方が新技術に関してより多く創造的であったとしても、だからといって最大の独占 体の方が全然不毛であったなどとはいえないであろう。程度の差はあれ、どの独占体も進歩に貢献してきたというのが、 囚われることなく現実を見るものの否定することのできない事実であるとしなければならないであろう。 その点、エドワーズが技術革新と大企業との関連についてのシュムペーターの見解を全面的な否定ではなくて部分的な 割引の問題と見ているのは、示唆的である。すなわちエドワーズの場合は、シュムペーターの強調する創造的破壊が大企 業の行動の一つの重要な要素であることを認めた上で、理論どおりに行かない場合のあることを指摘して、つぎのごとく いっているにとどまる。 ﹁高価な研究はその費用を引受けることのできる人々によってのみ企てられうるけれども、旺盛 な技術革新がすべての大企業の特徴なのではない。⋮⋮のみならず、小会社も大会社と同様に創造的破壊の過程に参加す る。⋮⋮もし我々が小会社にのみ依頼することを余儀なくされるならば、我々の按術的進歩のどれだけが停止するであろ うかを何人もいうことはできない。シュムペーター教授の議論がどれほど割引されなければならないかは何人にとっても ⑯ 推測の問題でしかないが、多少の割引が必要であるということについては多くの証拠がある。﹂ かくして独占的大企業も程度の差はあれ技術を進歩させてぎたとして、それではこのことは一体いかにして可能であっ たのであろうか。独占そのこと、いいかえると、他の追随を拒否するような企業規模の巨大ということのみによるもので ないことは、右の著者たちの示唆している通りであろう。そうだとすれば、決定的であったのは何であろう。独占的競争 ということではなかったかと私は思う。そして、その点、チェンバリンのつぎの批判はさすが的確であると思う。 ﹁シュムペーターは﹃我々が経済進歩と呼ぶものの大部分は完全競争とは両立しない﹄といっている。しかし、独占者 はさまざまの度合における競争にさらされるということ、そして競争をあまりに少くもっことは彼にとっても﹃進歩﹄に
とってもよいことではないということを想起することなしに、経済進歩が独占の所産であると結論されてはならない。自 動車ならびに.航空輸送の発達前の鉄道の場合のごとく、かなりよく保護された地位をもつ独占者は、我々が多くの経験的 証拠から.知.るごとく、遺憾ながら遅鈍かつ怠惰になりがちである。必要なのは独占と競争.との双方であり、そして特に新 来者からの競争の酵母である。﹂ チゴンバリンは、ここで初めて彼の﹃独占的競争の理論﹄を経済進歩の問題に適用しているわけである。これは彼自身 にとっても一つの進歩であったといってよいであろう。それはとにかく、チェンバリンのこの批判の示唆しているごとく、 内在的な批判にかんするかぎり、シュムペーターの独占理論において問題とされなけれぽならないのは、彼の結論そのも のではなく、論証.の過程において彼が独占そのものがそれだけで何か創造的であるかのごとく主張して、独占は独占的.競 争のゆえにこそ創造的でありうるということを.明確にしていない点でなければならないQ
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ωoげ口旨︾Φ仲Φ♪○節唱膣帥謡ωヨ”ωOo一節凱の日”山昌匹一︶①ヨOo騰国。団”℃℃. O一. 漁訳一六。 ζ鋤ωopo戸良齢︾℃■Oド前掲訳書二四八頁。 目げ凱ご℃ヤ拐一¢弁訳二五〇頁。 Hび一畠こ℃.O。。’訳二五七頁。 .芝■諺鎚。日白。帥昌α団.ζ.O鑓ざ]≦o昌。も。ζ言誤ヨ2一〇帥⋮↓ぴ①Ωoく①3日Φ算器℃目。ヨ08び 岡ぴ乙;℃や・ヨー一ρ Hげこ﹂bづ●一QQ卜⊃1一〇。陣 ρ∪’団山≦帥巳ω”bd戯しご話冒Φωω蝉昌餌浄①℃o一一〇団ohOoヨ℃①鉱二〇♪一8ρやOρ oQ 盾クロ旨︾卑①♪o℃.鼠叶こ℃’一〇9訳一八四頁。 国団■Oずp旨げ9寓♪日。堵母餌ω四ζo話○Φづ2巴6﹃①o蔓。︷<餌ぼ①−一8ドやひ弁 五 シュムペーターの独占理論 一〇㎝伊 b戸 一G◎1一駆● 一七シュムペーターの独占理論 一八 しかしシュムペークーの独占理論にはなお重要な問題が残されている。残されているというのは、シュムペーターの理 論を論議するにあたって、従来−私の知るかぎり一ほとんどすべての論者は、問題を単に競争か独占かの詮議に制限 してぎたからである。しかし、そのなかにあって、ひとりアムステルダム大学のヘニプマンの批判だけが例外といつもよ い一点をもつ。彼は、大企業が技術の進歩に対して有利な事情をもつということを認めながら、しかもなおシュムペーク ー理論に全面的な同意をなすことを留保して、いっている。 ニ アコピユじア ﹁純粋もしくは準純粋競争は、他のどこかで創造された革新可能性の精力的な実現にはもちろん不利なものではない が、独占 類型はどうあれとにかくなんらかの独占1ほどには、この可能性をみずから発展させるのに好都合な条件 ではない。ヒの結論は、諸独占体は﹃自分の搾取するものを大規模に創造する﹄というシュムペークーの命題の確証と見 られうる。しかしながら、あらゆる独占者はけっしてこの創造的活動において卓越しているわけではない。彼らの優秀な 能率は一つの可能力︵帥宕け①言餌=受︶であって、必ずしも十分に実現されるとはかぎらない。 どこまで彼らが現実に活濃 に革薪をおこなうかは、多くの他の事情によって決定される。⋮⋮大独占体の優秀な革新能力の正確な評価は、なお若干 の非難を要求する。たとえそれらが技術的に進歩的であるとしても、このことは進歩が一般福祉の増大に最もやくだつ方 向に向うことを保証しない。大独占体の技術的達成を過大に激賞するまえに、それらは大部分、消費者に加えられる強制 ロ 的賦課によって融資されているということが了解されなければならない。﹂ これはシユムペーターの独占理論の最大の難点をついたものといってよい。しかし遺憾ながら、批判者はこの主張をこ れ以上発展させてはいない。そして彼の揚合も、議論は結局、競争か独占かの問題に終始している。そのさい、彼もまた 現実の独占を独占的要素と競争的要素との複合として把握し、その把握のなかにシユムペークーの理論を生かそうとする ⑫ もののようである。それによって、シユムペークーが経済進歩の推進力とした独占は実は競争的独占 寡占 のこと
でなければならないという批判は、支持されるところがある。しかし、それだけである。 問題を単に競争か独占かに局限していたのでは気づかれにくいであろうが、シュムペーターの独占理論の最も重要な開 題は、それが独占段階において顕著化する資本主義の暗黒面を全く不問にしているところにあるのでなければならない。 資本主義が独占、の段階に入ってからも生産力の発展を停止せしめていないということは、 たしかに事実である。 しかし ωその生産力の発展は、はたして、それが発展させてきた可能性を⋮1単に科学的技術ばかりでなく、増大した人口や、 発見されてい、る自然的富源や、蓄積されている資本などの保証している可能性をi完全にくみつくしているといえるで あろうか。勿論、与えられてぎだ可能性に対比してはなお狭小な範囲においではあるが、しかもとにかく生産力は発展せ しめられてぎたというのが事実であるけれども、しかし②その生産力ははたして人民大衆の生活水準をそれに比例して向 上させてぎたであろうか。生産力発展の成果の少からぬ部分が、無用な浪費に、一部少数者の奢修と単に資本主義体制を 維持するための軍備に濫費されていわしないであろうか。勿論、生産力の発展が、たとえそれに比例してではないにして も、ある程度、人民大衆の生活を向上させてきたということを疑ってかかるのは根拠のないことであろう。しかし圖防衛 的受動的になった体制のもとでは、たとえ人民大衆の生活がなにほどか向上せしめられたところで、それはいたずらに彼ら ゆ の精神的頽廃をもたらすにとどまるというところがありはしないか。これらの問題について我々はシュムペ白餅ーから何 も聞くところがないのである。彼はただ資本主義の独占段階においても保持されている肯定的な側面を一面的に強調して いるだけである。 τ なるほどシュムペーターも、資本主義は不可避的に社会主義に移行せざるをえないとのヴィジョンをもつていた。しか し彼においては、それは資本主義が暗黒面をもつから.ではなかった。彼の見るところによれば、資本主義は失敗のゆえにで はなく、かえって成功のゆえに社会主義に移行せざるをえないというのであった。この歴史理論のくわしい検討は別にな シュムペーターの独占理論 一九
シュムペーターの独占理論 二〇 されなければならないが、それは、それの経済理論的基礎たる独占理論の︼面性にぴったり対応する一面性をもっている。 たしかに現代独占資本主義は、自由競争資本主義に対して、より大ぎな生産力を発展させてぎたという点において、成 功を誇りうるものである。シュムペーターが強調しているのは核心においてそこのところであり、これは承認されなけ.れ ばならない。これに抵抗しようとすれば、批判はーー理論の批判も現実の批判も一いたずらに後向ぎとなるだけであろ う。しかし成功したものが将来をもたないというのは、どうしてか。シュムペーターはいろいろ理由をあげているけれど も、我々を納得させるに足らない。けだし、それらの理由はいずれも現代資本主義の否定面にかかわるところがないから 、である。しかし彼の意図を離れて客観的に、彼のあげている理由をつぎつめて行けば、大企業経営の官僚化や、政府なら びに労働組合の攻撃などにしても、結局は現代資本主義の否定面につながらざるをえないであろう。 つまり現代資本主義が成功にもかかわらず没落しなければな・らないというのは、その成功が経済の本来の在り方から見 ヘ ヘ ヘ へ てほんものとはいえない実質をもつがらだといわれなければならないということになるであろう。そうだとすれば、現代 の独占は、シュムペーターの解合とは観点を変えて、単に競争か独占かといった次元においてではなく、人民大衆の真実 の福祉という観点から改めて吟味しなおされなければならないであろう。 ㊥ ℃.安着三℃三雲Pζoコ。℃2団”Hヨ需象巳①算。同ω口壁三口ω8国8津。日8℃δαQおω。。” と。昌。℃oぼp。昌餌Ooヨ℃①け一身。跡節口伽↓げ①躍 園Φαq巳p。口。♪①鐸げ雪国.=■Oげp雪げ①江一P一¢望尋℃℃.含O一おP ヘニプマンはカルテルでさえ革新を促進する場合のあることに注意 している︵守凱こや心ω悼︶。 ⑳ oつ。ピ筥℃Φ什①びO巷ヰ巴一。。βωo。一巴一。。βき鎌∪Φヨoo冨。ざ唱﹂O一■訳一七八頁。 ⑳ 頃Φロ艮℃ヨ帥PoO・o一叶こ喝戸ホOーホ一■ ⑫H窪負題.盆黙. ㊥ ω.諺母。昌。︿#o戸竃。ロ○℃o¢”一8㎝、℃●一。。ひ・ ⑭ ωoげロヨ℃卑①さ。ワ。搾一℃罰一ω鳳捗訳、二三〇頁以下。