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ホイジンガにおける古代ギリシアの競争の理解

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Academic year: 2021

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(1)Title. ホイジンガにおける古代ギリシアの競争の理解. Author(s). 越川, 茂樹. Citation. 釧路論集 : 北海道教育大学釧路校研究紀要, 第51号: 95-101. Issue Date. 2019-12. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/11210. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) 釧路論集 -北海道教育大学釧路校研究紀要-第51号(令和元年度) Kushiro Ronshu, - Journal of Hokkaido University of Education at Kushiro - No.51(2019):95-101. ホイジンガにおける古代ギリシアの競争の理解 越 川 茂 樹 北海道教育大学釧路校保健体育研究室. Competition in Ancient Greece understood by Huizinga KOSHIKAWA Shigeki Department of Health and Physical Education, Kushiro Campus, Hokkaido University of Education. 要 旨 本研究では,ホイジンガがその遊びや文化の思想を論じていく中で,古代ギリシアの言語や思想をどのように取り上げ 理解していたのか,それを踏まえ文化と遊びとの連関において古代ギリシアの競争をどのように理解し位置づけていたか について考察することを目的とした.その結果,ホイジンガは,自らの遊びの思想についてプラトンの遊び観を基盤とし つつ,ギリシア社会の文化が,遊びを基調とする競技の形式によって成り立っていたと理解していた.また,二つのもの を対立させて考える対の思想(二元性的思考)から派生する対抗心や競争心,あるいは生活の中のさまざまな経験におい て実感してきた物事の対立・対抗のありようがギリシア人の生きざまとしてごく普通であり,それが社会に根づいていた と考えていた.加えて,ホイジンガは,その文化的発展と文化的退廃のさまをも古代ギリシアにおける競技の歴史的な変 遷から捉えていた.そして,人間の生にとって尊く,生に対する根源的なものとしての遊びを示すための重要な拠り所の 一つとして古代ギリシアの競争(の思想)を自身の思想的基盤に位置づけていたことが認められた.. 1.はじめに. 355) ..   「生涯にわたる豊かなスポーツライフの実現」という観.  ホイジンガは,人間の生の根本現象として遊びを認識. 点から,体育科・保健体育科の授業づくりを考えていくこ. し,その概念に言及しつつ, 「文化の中にとけ込んでいる. とが求められて久しい.こうした動向における取り組みの. 遊びの形式から文化自体を解明」(里見,2001,p.123). 一つとして,スポーツ固有の面白さを追求する子どもたち. しようとした.換言すれば,彼は,文化がどこまで遊びの. の自発的な学習をめざした授業づくりがある.この授業づ. 性格をもっているかを解き明かそうとした.そうした取り. くりの前提には,スポーツ固有の面白さを味わい追求して. 組みの中で,競い合うことは文化を創造する機能として遊. いくことが,学び手である子どもたちのからだやこころの. びの形式によって示され,歴史に刻まれてきたとホイジン. 健やかで伸びやかな成長につながり,一人ひとりの可能性. ガは認識する.その際,文化のもつ対抗的・競争的基盤が. を切り拓いていくということ,また,そうした学習活動自. あらゆる文化よりも古く,より根源的な遊びの中にすでに. 体がスポーツを文化として育んでいくことを可能にすると. 存在していることを遊びと競争の関係性,ならびに競争の. いう理解がある.そして,こうした授業論は,ホイジンガ. われわれにとっての意味を含みながら論及している.. の『ホモ・ルーデンス』 (1989)における遊びの思想を理.  こうした思索過程において,ホイジンガは古代ギリシア. 論的基盤としている注1).. の言語や思想を示し,それに基づいて自身の遊び論を展開.  『ホモ・ルーデンス』において,ホイジンガは,遊びの. している.ホイジンガにとって古代ギリシアとは,遊びの. 根源的な性格と意味を定義するとともに, 「真面目」との. 概念を定め,文化の成立・発展との関係を示していく理論. 対立的性格を越えることによって,遊びを確固たる生の. を固める上で重要な地平であったことが窺われる.ところ. 独自の領域として位置づけ,さらに文化が原初から遊び. が,ホイジンガにおける競争の意味と古代ギリシア思想. の性格をもち,「人間の文化は遊びにおいて,遊びとして. の関係について論じているものは管見の限りではみられな. 成立し発展した」という命題を実証していくとともに,産. い注2).一方,近・現代のスポーツ理解において,古代ギ. 業社会の文化に対する批判を行っている(栗原,1972,. リシアの競争性の受容と密接に関連している(Krüger,. pp.196-202;佐伯,1981,pp.181-187;里見,1989,pp.354-. 2004,p.126)ということは広く認められている.例えば,. - 95 -.

(3) 越 川 茂 樹 クーベルタン(1966,1972)が古代オリンピックの思想. ければならないと考えられています.しかし事実は,戦争. を彼のスポーツ教育の考え方や近代オリンピックの理念の. のうちには真の意味の遊び(パイディア)も,私たちにとっ. 基盤においていたことはその典型であるといえよう.. て言うに足るだけの人間形成(パイディア)も現に含まれ.  したがって,ホイジンガの遊びの思想における競争,と. てもいませんし,将来もないでしょう.しかし,わたしの. りわけ古代ギリシアの競争をめぐる考え方の理解や遊び論. 主張からすれば,この人間形成こそ,わたしたちにとって. における位置づけについてみていくことは意義があると考. もっとも真剣なことなのです.ですから,各人は,平和な. える.なぜなら,古代ギリシアとホイジンガの思想の関係. 生活をできるだけ長く,できるだけ善く過ごさなければな. 性について読み解いていくことが,彼の遊び論に基づく体. らないのです.では,正しい生き方とはなんでしょうか.. 育の授業(づくり)論を練磨していく上でなんらかの示唆. ひとは一種の遊びを楽しみながら,つまり,犠牲を捧げた. を与えてくれるように思われるからである.また,スポー. り歌ったり踊ったりしながら,生涯を過ごすべきではない. ツの存在様態としての競争の教育的意味を問うていく上. でしょうか(プラトン,pp.57-58). で,競争(という形式)がどのように取り上げられていく ことが望ましいのかについて方向性を示してくれるのでは.  このようにプラトンの遊びと神聖性の同一視をあげて,. ないかと考えられるからである.. そこに遊びという概念が精神の最高領域にふさわしいもの.  そこで本研究では,ホイジンガがその遊びの概念や文化. とすることによって遊びの価値を高めていることを示し,. について論じていく中で,古代ギリシアの言語や思想をど. ホイジンガは遊びがあらゆる文化に先行して存在している. のように取り上げ理解していたのか,それを踏まえ文化と. という自らの遊び論の根拠とする.ホイジンガは, 「人間. 遊びとの連関において古代ギリシアの競争をどのように理. は子どものうちは楽しみのために遊び,真面目な人生のレ. 解し位置づけていたかについて, 『ホモ・ルーデンス』を. ベル以下として休養のために遊ぶ.しかし,その水準を越. 手がかりに引用・要約しつつ考察していく.. えて遊ぶこともできる.それが美と神聖の遊びである」 (ホ イジンガ,2017,p.28)と述べて,遊びの生におけるよ. 2.ホイジンガの遊びの思想における古代ギリシアの思想. り質の高いありようを指摘する.そしてその拠り所をプラ.  ホイジンガは,文化そのものが歴史の中でどれだけ遊び. トンの遊び論においた.すなわち,ホイジンガは,プラト. の性格を持つのかについて,裁判や戦争,知識,詩,哲学. ンの遊びの理解を自身の遊びの思想の基盤とした.. や芸術などの具体的な現象にみられる遊びの形式を明示し.  また,遊んでいる人は己の全存在をあげて遊びに熱中. て説明していく.その際,古代ギリシアにおけるそうした. し, 「ただの遊びごと」という意識が完全に背後に押しや. 文化や行為, もしくは言語を手がかりに論じている.また,. られてしまうこともあるとホイジンガは指摘し,遊びと離. ホイジンガ(1989,p.246)は,遊びという概念で描き出. れがたく結びついている喜びは緊張に変わるだけではな. そうとする意味領域の中で,その真ん中に位置づくのがギ. く,感激にも変わり,遊びの情緒は,一方では羽目を外し. リシア人のソフィストの諸郡像であると述べている.なか. た気ままな気分,他方では我を忘れた恍惚感を持っている. でも,ホイジンガは遊びの根源的な意味をプラトンの遊び. と述べる(ホイジンガ,1989,p.43).こうした楽しい情. の定義にみている(栗原,1972,pp.198-199;ドブロウ. 緒も遊びの特徴として形式的なものとともに数えられる. スキー,2009,p.73) .ホイジンガはプラトンの『法律』. が,それ以上に本質的な特性が遊びには結びついていると. (1993)における次のような対話を示して,自身の遊び. ホイジンガ(1989,p.45)は指摘し.それが, 「しかした. の概念を固めていこうとした.. だそうしているだけ」という意識であるという.そして, それがどれだけひたすら己を無にして行われる聖なる行為. (アテナイからの客人). とどれだけ結びつくかを検討する.そして,最終的に,聖.  ・・・人間の方は, ・・・神の何か玩具として工夫さ. なる意識を遊びの内容規定と結びつけることができるとい. れたものであり,そしてじっさいこのことが,人間に. う確認を,プラトンが理解したように必要と真面目の味気. とって最善のことなのだということです.ですから,す. ない世界の外でそれを成し遂げられる行為,すなわち,神. べての男も女も,この仕かたに従って,できるだけ見事. に捧げられた遊び,人間がこの世で己の情熱を捧げうる最. な遊びを楽しみながら,その生涯を送らなければなりま. 高の目標(ホイジガ,1989,pp.45-52)としての遊びにおい. せん,現在考えられているのとは正反対にね.. て行なっている.ホイジンガは,遊びについて,その全て. (クレイニアス). は完全なまじめさの中で行われうる,つまり聖なる真面目.  どういうふうにですか.. さで遊ぶと捉え,その一方で人はそれが遊びであることを. (アテナイからの客人). 知っていると説く.そしてそれこそが遊びであると述べる.  現在では一般に,真剣な仕事は遊びのためになされるべ. が,ホイジンガは聖なる行為を遊びとみなすことをプラト. きだと考えられています.たとえば,戦争に関することは. ンにみて,それを自らの遊びに思想の基盤としているので. 真剣な仕事であり,それは平和のために,うまくなされな. ある.. - 96 -.

(4) ホイジンガにおける古代ギリシアの競争の理解   加 え て, ギ リ シ ア 語 で は, 真 面 目( ス プ ウ デ ー:. は文化現象における遊びの要素について,文化の発展に伴. σπουδή)と遊び(パイディア:παιδιά)が際立った対立を. い,本源的なものとして仮定された遊びと遊びでないもの. 示し,真面目の語義的出発点は「勤勉,熱中,急ぎ」といっ. との関係は不変のままではなく,一般的には文化が進展す. た意味で,ゲルマン諸言語や他のどの言語と同様に真面目. るにつれ,遊びの要素は次第に背景に退いていくという.. を意味する言葉は遊びという普遍的概念に対して遊びでな. ここには,遊びの要素は普段は文化現象の中に完全に隠さ. いという概念を作るための,受け身の努力を表していると. れているが,どんな時代になろうとも,たとえ高度に発展. ホイジンガ(1989,pp.81-82)は述べる.そして, 「勤勉,. した文化形式の中でも,遊びの衝動は湧き溢れるような力. 緊張,努力」という概念が引っ張り出され,これらが遊び. をもって再び勢いを取り戻し,個人も大衆も区別なく巨大. と関係するとしても,これらの言葉の領域において真面目. な遊びの陶酔の中に巻き込んでしまうことがある,とその. を表現するようになり,こうした経緯が,遊びの観念が真. 人間において望ましくない事態になることを危惧するホイ. 面目と異なったものとして完全に意識されていたことを示. ジンガの姿勢が見られる.. すとホイジンガ(1989,p.82)はいう.しかしながら,.  こうした点を踏まえた上で,文化は,とりわけ社会的な. 遊びと真面目の概念的対立についてみると,二つは対等の. 遊びや集団的な遊びにおける対立し合ったグループの秩序. 価値を持つものではないと次のように説明する.. 立った行為において躍動するとホイジンガは捉える.そし てそれについて次のように説明する..  遊びは積極的概念だが,真面目は消極的だ.真面目の 意味内容は遊びの否定として規定とされ,それにつきて.  個人もしくは集団の生活の緊張を高めるよう仕組まれ. いる.真面目は遊ばないことであり,それ以上ではあり. るにつれて,ますます遊びは文化へと近づき高まってい. えない.これに反して,遊びの意味内容は真面目でない. く.神聖な催し物の上演と祝祭の競技は二つのどこでも. ものといっても定義にならないし,それにつきてしまう. 繰り返される形式であり,この形式の中で文化は遊び. ものでもない.遊びは何かしら独立したものだ.そうし. として,しかも遊びつつ成長するのだ(ホイジンガ,. た意味の遊びの概念は真面目の概念よりもより高い次元. 1989,p.89). のものだ.なぜなら,真面目は遊びを締め出そうと努め るが,遊びは喜んで真面目を自己の中に抱き込むことが.  ホイジンガは,競争的な性格をもつ対抗の遊びでは,緊. できる(ホイジンガ,1989, p.82). 張,チャンス,不確実さの要素が極度に高められるとする 一方で,勝利のために情熱を傾け尽くさねばならないの.  ここに遊びが生の根本現象であり,根源的な機能である. で,そのことにより遊びのウキウキとした軽やかさを吹き. という思想が認められる.こうした遊びと真面目の二元的. とばされそうになる(ホイジンガ,1989,p.89)と競争. 対立において,遊びの意味の高さを示すべく,古代ギリシ. 的な遊びにおいて遊び心が失われてしまうさまに注意を. アの言語,文化や社会を用いてホイジンガは,自らの遊び. 払っている.そして,改めて競技を遊びの概念に含めてい. の概念,そしてその文化との結びつきについて論じてい. いかを問う.ホイジンガ(1989,p.90)は,競技の要素. る.つまり,古代ギリシア,とりわけプラトンの遊びの理. として遊びの形式が支配的であることと,競技の機能とし. 解とそれを含めた文化や社会全般が,ホイジンガの遊びの. ての遊びの存在様態を認める.競技は,それ自体で完結し,. 思想に影響を与えている,あるいはその根拠の重要な一部. その結果は集団の不可欠な生活過程にはなんら寄与しな. として位置づけられていることが認められるのである.. い.つまり, 「行為の究極的本領は第一にその行為そのも のを目的とするのであり,その結果については直接関係し. 3.ホイジンガにみる競争観. ない.遊びの結果は客観的事実としてはどう見ても意味の. 3.1.文化創造の要として関係する遊びと競争. ないものだし,どうでもよいこと」 (ホイジンガ,1989,.  ホイジンガ(1989,p.31)は,遊びを遊びたらしめる. p.91)と述べる.しかしながら,遊びの世界に浸りきり,. 二つの基本的態度には,何らかのための戦いと何らかのた. その規則に従った人間にとっては大変重大であり,それは. めの演技があり,それらがより高級な遊びのもつ機能であ. 遊びがうまくいく,スッキリやり遂げたという理念的事実. ると述べる.このより高級な遊びとは,遊びの性格を有し. に関わっていると認識し,そこに遊びの本質が表現されて. 発展する文化を意味している.ホイジンガ(1989,p.87). いるとホイジンガ(1989,p.92)は述べ,人は遊びに勝. は,文化がその根源的段階においては遊びの性格をもち,. ち誇り,それを他人に伝えることができるという事実の中. 遊びの形式と雰囲気の中で活動すると述べ,文化と遊びの. にすべての遊びにとって非常に本質的なものがある(ホイ. この二者一体化の中で,遊びは根源的であり,客観的に捉. ジンガ,1989,p.92)と主張する.競争的行為としての. えられ得る具体的に規定される事実である一方で,文化は. 競技に遊びの形式は存在し,それが維持されていくことで. われわれの歴史的な判断がこの与えられた事例に下す名称. 文化が育まれていくとホイジンガは認識し,それを求めて. に過ぎない. 注3). と説く.そして,ホイジンガ(1989,p.87). いるのである.. - 97 -.

(5) 越 川 茂 樹 3.2.競争の文化的展開の条件. 文化的退廃をもたらし,生の豊かさを逸してしまうことを.  また,文化が育まれていく過程において,遊び,とりわ. 危惧しており,この点について彼の生きた時代,ならびに. け相手のある遊び(競い合う対抗の遊び)と最も密接に結. 将来に対して警鐘を鳴らしているのである.. びついている概念が「勝つ」ことであるとし,その意味に.  ホイジンガは,どんな世界でも同質に,競争的な形式は. ついてホイジンガは触れる.ホイジンガ(1989,p.93)は,. 「常により高いものに向かって努力する人間性そのものの. 「勝つ」とは遊びの終末においてより優れていることが明. 中に潜んでいる」(ホイジンガ,1989,p.128)というこ. らかになることであると述べる.しかし,このより優れて. と,そして「そのより高いものが現世的名誉や卓越であろ. いるということが,遊びの世界を超えて一般的に優れてい. うと,あるいは現世的な勝利であろうと,それは構わない.. ると拡大解釈され価値づけられる傾向をもっている(ホイ. 人間がこうした努力を現実化するときの本来の生得の機能. ジンガ,1989,p.93)という.そしてこうした傾向にお. が遊び」 (ホイジンガ, 1989,p.128)であると結論づける.. いては,遊び自体の勝ちよりも何かそれ以上のものが勝ち. 対抗的・競争的な遊びは,競争の形式の中で,文化は洗練. 取られ,そこに尊敬が得られ,名誉が与えられ,その名誉. され円熟していき,その過程において遊びの精神が欠落し. と尊敬は勝者の属する集団全体に直接の利益をもたらす,. てしまえば文化的な退廃へと向かっていくということがホ. すなわち,遊びで得た成功が個人的なものから集団的なも. イジンガの競争観の根底にあり,文化と遊びと競争との関. のへと即座に移ってしまいやすいとホイジンガ(1989,. 係において語られ競争の文化として実在していく条件とし. p.93)は指摘する.しかし,遊びの最も重要な特質は,競. てそのありようが示されている.. 争本能においても,人は最初から権力への渇望,支配への 意志を持って行動しているわけではなく,はじめは他人. 4.ホイジンガの把握する古代ギリシアの競争. より優れたい,第一人者でありたい,そんな人として尊敬. 4.1.古代ギリシアの精神としてのアゴーン. されたいといった憧れがあるということで,当事者にとっ.  こうした競争観をもつ中で,ホイジンガは遊びの形式が. て肝心なことは「勝った」かどうかであるとホイジンガ. 原始古代時代から文化においてみられる有力な論拠の一つ. (1989,p.93)は説く.また,次のようにも語る.. として,古代ギリシアにおける競争といった存在様態を示 す競技を取り上げている..  子供の生活から最高の文化的業績に至るまでの全てを貫.  古代ギリシアでは,競争をアゴーン(ἀγών)注4)という. いて,最も強力な自己及び自己集団の完成を目ざす原動力. 語で表現していた.この語は,元々自分たちのことについ. として働くのは,自らの優越性のゆえに称えられ名声を. て助言し合う自由人の男性の集会を意味しており,共通の. 得たいと思う願望である.人は互いに相手を讃え合い,. 神の庇護のもとで開かれたこの集会注5)をきっかけに,市. 自分自身をも讃えているのだ.人は自己の徳性によって名. (いち)やスポーツ競技会も行われた(ベーリンガー,. 声を得ようとする.立派にやり遂げたことで満足感を得よ. 2019,p.41) .ギリシア社会では,すでに早くから競争的. うとする.立派にやり遂げるとは,つまり,人よりよく. なものが非常に幅広い領域を占め,はなはだ真面目な価値. やったという意味だ.第一人者になるためには, (中略). を付与されていたので,人々はもはやその遊びの性格を意. 第一人者を示さなくてはならない.この優越を実際に示す. 識しなくなった,すなわち,ギリシア人にとって競技はす. ために役立つのが競争であり,試合である(ホイジンガ,. べての中で,どんな機会においてもすばらしく強烈な文化. 1989,p.111). 機能になった,つまり, 「ありきたりの」日常的なものとなっ ていたので,遊びとは全く考えていなかったとホイジンガ.  ここであげられている徳性とは, 「何かを成し遂げる能. (1989,p.61)はみている.. 力」 であり, 真正で完全であるということを意味している..  こうした見方をする中で,ホイジンガはブルクハルトに. こうした遊びの根底にある名誉や徳が文化(の洗練や発. おける古代ギリシアの文化の捉え方を持ち出し,競争の概. 展)を支えるとホイジンガは考えている.しかし,ホイジ. 念をめぐって,つまり,アゴーンの概念をめぐって論を展. ンガ(1989,p.111)は,原始古代的時代にどんな文化の. 開する.具体的にはホイジンガは,ブルクハルトが,競. 発展段階をみても,そこに競争的な機能と構造があるが,. 争的なもの(agonal)をギリシア文化の特徴の一つとし. 社会が複雑化し多様化し技術がより発展していく社会の生. たことを批判することから始める.ホイジンガ(1989,. 活では,古い文化の土台が遊びには全く関係のないもので. p.123)は,競争的なものは特殊なギリシア人的な特徴で. 覆われ,文化は真面目なものとなってしまい,遊びには付. はないし,その活動はギリシア文化のある特定の時期に集. 随的な役割しか残らなくなってしまうと述べる.否, 「競. 中しているものではないと主張する.ギリシア人の発展過. 技は遊びの中で文化に高まるのであり,遊びの要素を失っ. 程において,競技的人間の時期が紀元前6世紀であると区. た文化は,闘いの激情に流され,豊かな生にとって不毛に. 分され,競争的なものとは他のいかなる民族にも知られな. なる」 (佐伯,1981,p.185)というように,ホイジンガは,. い衝動力であるとブルクハルト(1998,pp.141-374)は. 遊びの性格が減じてしまう,あるいは欠いてしまう競争は. 理解している.しかしながら,そこでは民族学的な素材を. - 98 -.

(6) ホイジンガにおける古代ギリシアの競争の理解 扱うことはなく,民族学についても限られた面で部分的に. ることに慣れてきた.ヘシオドスもまた悪しきエリスと並. 知られていたに過ぎない(ホイジンガ,1989,p.123)と,. んで良いエリス,つまり健全な対抗心を認めている(ホイ. その考察の限界をホイジンガは指摘する.. ジンガ,1989,pp.198).  さらに,ブルクハルト以後この考え方を支持するエーレ ンベルクをあげ,古代ギリシアにおける限定的な競争的な.  こうした二つのものを対立させて考えること自体に潜む. もの,そして競技の精神の捉え方を批判する.古代ギリシ. 対の思想から派生する対抗心や競争心,あるいは生活の中. アにおいては,オリンピア,イストミア,デルフォイ,ネ. のさまざまな経験において実感してきた物事の対立・対抗. メアにおける全ギリシア統一の競技によってはじめて競. のありようがギリシア人の生きざまとしてごく普通であ. 争が数百年続くギリシア社会の生活原理になったことは否. り,それが社会に根づいていたとの推察がホイジンガにみ. 定されないが,競技の精神はそれ以前にも以後にもギリシ. られる.換言すれば,二元性的思考における対立的・独立. ア文化を支配していたとホイジンガ(1989,p.124)は説. 的関係性が,古代ギリシアにおいてはアゴーンといった様. く.その理由として,ギリシアにおいてアゴーンとは,民. 態として現れ生活様式の根底に位置づいていたことをホイ. 族の純粋なスポーツの祭典としてしかみられないこともあ. ジンガは認識していたのではないかと考えられる.. るが,そんな時でも密接に宗教と結びついていたこと,ギ リシアの伝承において競技を国会,戦争,法に関する競技. 4.2.アゴーンに内包される徳. や,力,知恵,富についての競技と区別していたことをあ.  原始古代社会において尊敬される徳とは, 「何かを成し. げ,特定の時期に限られることなく古代ギリシアにおいて. 遂げる能力」という意味に対応しそれなりに真正であり完. ギリシア人は争いの種になり得るものすべてを対抗試合の. 全であるということであるとホイジンガが指摘したことは. 形にすることを常としていたとホイジンガ(1989,p.125). すでに述べた.この点について,ギリシア語の徳(アレ. は指摘するのである.. テー:ἀρετή)にも,同じようなことが言えるとホイジン.  ホイジンガ(1989,p.127)は,ギリシアにおける競争,. ガは指摘する.そして,それぞれのものがそれぞれのアレ. つまりアゴーンを踏まえて,競争的なものが,文化に対. テー,すなわち,徳性を持っているとし,力や健康は身体. して持つ意義の十全な定義とは, 「競い合う遊びの中で文. の徳,知恵や洞察力は精神の徳である,高貴な人間の徳は. 化に向かう」ことであると述べる.そして,その際,競技. 戦ったり命令したりすることを彼に可能ならしめる独自な. は文化生活を越えて激化し,それとともに遊びとしての,. 力の綜合であるとし,その中には,寛大さ,知恵,正義な. 奉納的な,文化的な価値を失い,純粋な対抗意識の激情に. ども加わるとホイジンガ(1989,p.112)は述べる.さら. 堕落してしまう危険性を指摘する.それゆえ,ホイジンガ. に,アリストテレスが,名誉は徳の勝ち得た賞品であり,. は,出発点は子ども子どもした遊び心でなければならず,. 名誉は徳を測る尺度であると考えていたと述べる(ホイジ. 名誉,誇り,優越,美に向かって努力する精神は,この遊. ンガ, 1989,p.112).ホイジンガ(1989,pp.112-113)は,徳,. び心に伴われて登場すると主張する.そして,文化は遊び. 名誉,高貴,名声ははじめから競争(遊び)の領域内にあり,. 「として」 , もしくは遊び「から」始まったものではなく,. 若い高貴な生まれの戦士の生涯が,絶えざる徳の実践を自. 遊びの「中で」始まった(ホイジンガ,1989,p.127)と. らの高い地位にふさわしい名誉のための戦いであったと,. 述べる.文化のもつ対抗的,競争的基盤は,あらゆる文化. ホメロスの「常に最上のものであれ,また他者より優れた. よりも古く,より根源的な遊びの中ですでに存在している. ものであれ」注6)という言葉をも示して指摘するのである.. と,ギリシアにおける競争を理解する中で,その論拠の一.  競争において,人は何を求めるのかについて,ホイジン. つをそこにみているのである.. ガは勝つこと, 「勝つ」とは,遊びの終末においてより優. 4. 4. 4. 4.  また,ギリシアの初期哲学において,世界の生々流転の. れていることが明らかになることである(ホイジンガ,. 動的な歩みの中に根源的対立物を見る傾向が強く,あらゆ. 1989,p.93)と述べる.しかし,このより優れていると. る事物の本質に厳然としてそうした様態があるとし,次の. いうことが,遊びの世界を超えて一般的に優れていると拡. 点をあげながら競争的な契機を推察している.. 大解釈され価値づけられる傾向をもっているという.そし てこうした傾向においては,遊び自体の勝ちよりも何かそ.  ヘラクレイトスにとって争いは「万物の父」であった.. れ以上のものが勝ち取られ,そこに尊敬が得られ,名誉が. エンペドクレスはそもそものはじめから未来永劫にわたっ. 与えられ,その名誉と尊敬は勝者の属する集団全体に直接. て世界の動きを支配する二つの原理として「愛」(フィリ. の利益をもたらす,すなわち,遊びで得た成功が個人的な. ア:φιλία)と「争い」 (ネイコス:νεῖκος)を定立した.初. ものから集団的なものへと即座に移ってしまいやすいとホ. 期哲学者の森羅万象に対する対立的解明の傾向は,初期社. イジンガ(1989,p.93)は危惧する.遊びの最も重要な. 会の対抗的,闘技的構造と対応するものであることはどう. 特質は,競争本能においても,人は最初から権力への渇望,. みても決して単なる偶然ではない.ひとは古くから全てを. 支配への意志を持って行動しているわけではなく,はじめ. 対立する二元論で考え,競技によって支配されていると見. は他人より優れたい,第一人者でありたい,そんな人とし. - 99 -.

(7) 越 川 茂 樹 て尊敬されたいといった憧れがあるということで,当事者. 的思考が古代ギリシアのアゴーンを支えて,それが文化と. にとって肝心なことは「勝った」かどうかであるとホイジ. して発展を作動させる支点として作用していたのではない. ンガ(1989,p.93)は考えている.しかし,それは「た. かと推察される.こうした理解のもとで,動的な二元的関. だそうしているだけ」という意識のもとでの行為において. 係が,今日の遊びやスポーツのありようを把握し,教育的. であるということがホイジンガにおける(文化としての). 可能性を考えていく上で一つの重要なポイントになるよう. 競争観である.. に思われる.それは,この関係が,例えば遊びにおいては.  確かにホイジンガは勝つこと自体をめざして人々は遊ん. 遊動関係を論じた西村(1989)や,スポーツにおける人. でいるが,そこにはそれを楽しむ様々な方法が組み合わさ. 生を単純化した経験の結びつきを論じたグルーペ(1997). れているとし,集団の中で賞賛されること(それにより名. のスポーツ文化論に相通じるとも考えられるからである.. 誉,尊敬,威信が生まれる)と,金品を賭けることをホイ.  また,古代ギリシアにおいては,競争(アゴーン)が高. ジンガ (1989,pp.93-94) はあげる.金品について,それは,. 尚な遊びとして位置づけられていた.しかしながら,競争. 「シンボルとしての性質のものだったり,物質的価値のあ. が過剰な対抗意識にその精神部を占有されてしまうと生の. るのものだったり,また純粋な理念的価値のものだったり. 意義を失ってしまう.遊びとしての形式を有する競争こそ. する」(ホイジンガ,1989,p.94)賞品である.こうした. が古代ギリシアにとって人間の生を崇高なものとし,よ. 文脈において,ホイジンガ(1989,p.95)は,ギリシア. り善く生きることの行為様式として位置づけられていた.. 語の例を出す.それによると,ギリシア語の賞にあたる言. 人間の根源的な生の営みとしての遊びとしての競い合いが. 葉は,ἄθλον(athlon 競技の賞)であり,同じ語源から出. 人間を人間として成熟させてくれ,人間の生の環境とし. た言葉に競技者(ἄθλητής athletes)があり,この中に含. ての文化を醸成させ洗練しより善く生きる我々の生の営み. まれる意味として,戦い,緊張,練習とその持続,忍耐,. を拓いてくれる.こうした考え方がホイジンガにおける. 完徹,精神的苦痛などがある.ホイジンガは,物質的価値. 古代ギリシアの競争の理解であったと考えられる.古代ギ. 以上に精神的価値の尊さを示す上で,ギリシア語を持ち出. リシアにおいて,遊びながら張り合う競争が生を充実させ. している.そこには古代ギリシアにおける競争思想の根底. 文化の諸形式を創り上げてきたということが,ホイジンガ. にあるものを根拠とするホイジンガの態度が現れている.. のみた古代ギリシアの競争の思想であると整理される.す. 対抗的・競争的な遊び,もしくは,遊びの性格を有した競. なわち,ホイジンガは,古代ギリシアの文化や社会,なら. 争的行為は,競争の形式の中で,文化は洗練され円熟して. びにその基盤にある思想や精神に遊びの根源的な精神とあ. いき,その過程において遊びの精神が欠落してしまえば文. りようの典型を認め,その文化的発展と文化的退廃のさま. 化的な退廃へと向かっていくというホイジンガの競争観に. をも古代ギリシアにおける競技の歴史的な変遷から捉えて. は,こうした古代ギリシアにおける競争に結びついた徳の. いた.そして,人間の生にとって尊く,生に対する根源的. 思想が影響を及ぼしていると考えられる.そして,それは. なものとしての遊びを示すための重要な拠り所の一つとし. プラトンの遊びの理解を結びつけられ,真面目の概念より. て,古代ギリシアの競争(の思想)を自身の思想的基盤に. も高い次元である遊びの概念に覆われた世界の意味の尊さ. 位置づけていたことが認められるのである.こうしたホイ. をホイジンガは大切にするのである.. ジンガの古代ギリシアにおける競争の理解,ならびに他の 見解をも踏まえてスポーツの存在様態と理解される競争の. 5.まとめ. 教育的意味について論及することがさらに求められる..  本研究では,ホイジンガがその遊びの思想において古代 ギリシアの思想のいかに受容し,競争(の精神)をどのよ. 付記. うに位置づけていたのかをみてきた.その結果,ホイジン.  本研究は,平成30年度科学研究費助成事業(学術研究. ガは,自らの遊びの思想についてプラトンの遊び観を基盤. 助成基金助成金〔基盤研究(C)課題番号:18K10952〕). としつつ,ギリシア社会の文化が,遊びを基調とする競技. の助成を受けて行われた研究の一部である.. の形式によって成り立っていたと理解していた.また,二 つのものを対立させて考える対の思想(二元性的思考)か. 注. ら派生する対抗心や競争心,あるいは生活の中のさまざま. 注1)日本において,竹之下(1972)が体育授業のあり. な経験において実感してきた物事の対立・対抗のありよう. 方についてホイジンガの遊びの理論的根拠として構. がギリシア人の生きざまとしてごく普通であり,それが社. 想し,スポーツ固有の面白さを追求する子どもた,. 会に根づいていたと考えていた.. ちの自発的な学習を意図した単元計画の形式を提.  ホイジンガは,こうした古代ギリシアにみられる二元性. 案した(竹之下,1980) .その後授業づくりの取り. 的思考における対立的,独立的関係性が,競争と文化と遊. 組みを主導してきた一人である佐伯(1981,pp.187-. びの関係性の基盤を成しているという理解をしていると考. 194)は,ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』から. えられる.そして,ホイジンガの見立てから,この二元性. 体育に対して示唆される点を整理している.. - 100 -.

(8) ホイジンガにおける古代ギリシアの競争の理解 注2)古代ギリシアにおける競争をめぐる思想を考察して いるものとして,例えば,ブルクハルト(1998) やニーチェ(1980)の論究が広く知られている. 注3)ホイジンガ(1991,pp.16-33)は,文化の言語概. 成田十次郎編,身体と心の教育,講談社,pp.175-194. 里見元一郎(1989)解説.ヨハン・ホイジンガ:里見元 一郎ホモ・ルーデンス 文化のもつ遊びの要素について のある定義づけの試み.河出書房新社,pp.351-357.. 念に言及する中でも,言語的,歴史的な考察から,. 竹之下休蔵(1972)プレイ・スポーツ・体育論.大修館書店.. 「文化」とは激しく流動する概念であり,それは常. 竹之下休蔵(1980)計画の立て方とその考え方.こども. に抽象であり,一つの歴史的連関に対してわれわれ. と体育,33:7-15. ヴォルフガング・ベーリンガー:高木葉子訳(2019)スポー. が与えた名称であると述べている. 注4)ベーリンガー(2019,p.41)は,ホメロス以後の ギリシアにおいては,競技会ないしはスポーツの祭. ツの文化史 古代オリンピックから21世紀まで.法政 大学出版会.. 典だけを意味するようになったと述べている. 注5)ホイジンガもアゴーン(ἀγών)について,元の意 味が集まることであったらしいと述べ,広場や市場 を意味するアゴラ(ἀγορά)を参照することを促し ている(ホイジンガ,1989,p.90) . 注6)『イリアス』第六歌にある言葉(αἰὲν ἀριστεύειν καὶ υπείροχον ἔμμεναι ἄλλων)である. 文献 Coubertin,P.de.(1966)The Olympic Idea Discourses and Essays. Carl-Diem–Institut. Coubertin,P.de.: Hojer.E, Anselm, Ashtari,K.(Hrsg.) (1972)Schule Sport Erziehung Gedanken zum öffentlichen Erziehungswesen. Hofmann. Dombrowski,D.A.(2009)Contemporary Athletics & Ancient Greek Ideals. The University of Chicago Press. Huizinga,J.(2017)Homo Ludens Vom Ursprung der Kultur im Spiel. Rowohlt Taschenbuch. ヤーコプ・ブルクハルト:新井靖一訳(1998)ギリシア 文化6.ちくま学芸文庫. ヨハン・ホイジンガ:里見元一郎訳(1989)ホモ・ルー デンス文化のもつ遊びの要素についてのある定義づけの 試み.河出書房新社. ヨハン・ホイジンガ:磯見昭太郎他訳(1991)汚された 世界.河出書房新社. Krüger,M.(2004)Einführung in die Geschichte der Leibeserziehung und des Sports Teil 1:Von den Anfängen bis ins 18.Jahrhundert. Hofmann. 栗原福也(1972)ホイジンガ その生涯と思想.潮新書. 西村清和(1989)遊びの現象学.勁草書房. ニーチェ:西尾幹二訳 (1980) ホメロスの技競べ.ニーチェ: 大河内了義・三光長治・西尾幹二訳, ニーチェ全集 2(第 I期) .白水社,pp.355-366. オモー・グルーペ:永島惇正他訳(1997)文化としての スポーツ.ベース・ボールマガジン社. プラトン:森進一・池田美恵・加来彰俊訳(1993)法律(下). 岩波文庫. 佐伯聰夫 (1981) ホイジンガ 『ホモ・ルーデンス』 .松田岩男・. - 101 -.

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