『将門記』における朱雀天皇像(二〇一六年度卒業論文要旨集)
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(2) 『将門記』における朱雀天皇像 古典文学研究室 三四八一 清水 大暉 本研究では、従来の研究では取り上げられることのなかった 『将門記』の朱雀天皇に注目し、書かれ方の特徴を探った。. 副詞「めっちゃ」の使用に関する考察. 日本語教育学研究室 三四二四 古川 愛望. 本研究では、本来は関西方言である「めっちゃ」という言葉 が北海道でも一般的に使用されていることに着目し、副詞とし. 鏑」を放つ。阿闍梨の修法など「仏」にも頼るが、それ以上に. また、将門調伏のために祈禱を命じ、自らも「八大明神」に 祈った。「神祇官」の祀る「八大尊官」が、 後に将門を討つ「神. 一つである時の支配ができなかったこととは対照的である。. 天慶への改元は、実際は災異改元だが、天皇が自らの通過儀 礼の元服により行ったとする。将門が暦博士を置けず、王権の. は見られず、 天皇が主体的に行動したことが複数書かれている。. 志などを表す文や直接的な感謝、お詫び、ねぎらいの言葉との. 丁寧さを意識した場面では使用できず、命令・依頼・勧誘・意. が分かった。また、 「めっちゃ」は、否定文、改まった場面や. があるほか、 「めっちゃ」という語自体に、量として多いこと. ちゃ」には、 「とても」のような程度副詞としての基本的な役割. 『めっちゃ』がどのような場面では使用で 観点の一つ目は、「 き、どのような場面では使用できないのか。」である。これに. ての「めっちゃ」について二つの観点から考察した。. 神祇が重視されている。但し、 『平家物語』で朱雀天皇が祈った. 共起では、 使用できる場合とできない場合があることも分かった。. 『将門記』には、外祖父で摂政太政大臣だった藤原忠平も将 門の「私の君」などとして登場するが、天皇への直接的な関与. 伊勢や『愚管抄』の賀茂ではない。 『今昔物語集』巻二十五の. れらにより、貞盛ら公軍が将門と戦い、 「神鏑」が将門に止め. に仕える身だと自認していたことを、繰り返し書いている。こ. さらに、実際には下向しなかった藤原忠文は、派遣理由を将 門軍残党討伐と限定して職務を全うしたとし、平貞盛が「公」. 道よりも全体的にやや高い傾向にあった。また、関西では、程. は、元来、関西方言であるため、関西での使用意識の方が北海. の結果と比較することで、 使用実態を明らかにした。「めっちゃ」. の質問紙調査が行われていたため、本学の同数の学生への調査. や動作の激しさが含意されること、比較構文で使用できること. ついて先行研究の用例に基づき、 分析、 考察した。その結果、「めっ. 一では神仏が習合し、『将門純友東西軍記』は主に「仏」に頼る。. 「関西と北海道では『めっちゃ』の使用実態 観点の二つ目は、 に差はあるのか。」である。先行研究では関西で学生六〇名へ. を刺し、 忠文が残党を一掃して平定が完了したということになる。. 北海道では、 依然として程度副詞としての使用の方が多かった。. 度副詞を越えた新たな用法での使用も多くなってきているが、. 『将門記』の朱雀天皇は、 「帝王」としてふさわしい人物で あり、将門討伐の主体として位置づけられているのである。. - 74 -.
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〔付記〕