生きる意味 : フランクルにおける自己実現の思想
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(2) 甲南女子大学研究紀要第 40号. 人間科学編 (2004年 3月. ). 、 tenz),後 者 は事 実性 (Faktizitat)に 属 す る4。 ″ と 身的. 活 を もた ら した。 しか し,そ れは よ り豊 か に生 きるた. 事実性 に対立す る精神 的実存 と言 う概念 こそ ロ ゴテ ラ. めの手段 の 追求 で あ って も,そ れが生 きる目的 を与 え. ピーの基礎 にあ る人 間理解 で ある。. て くれ る もので は な い。20世 紀 になる と,や が て 自 分 の本 質 を見失 い ,技 術 の究極 的 目的 が わか らな くな. ヽ 「決定論 は′ 理学 の次 元 の 内 にあ り,自 由 は精神 亡. った 反動 と して ,「 自分 の存 在 の 自覚 …… と本 来 的 な 9と い う実存 的 な問 いが起 こって くる。. 的 な次元 の 内 にある。そ して この次元 は独特 の人. 意味 の再考察」. 間的 な現 象 の次元 と定義 され るであ ろ う。 …… 人. つ ま り,第 二 次世界大戦 を通 して ,ま さにその戦 場. 間 の 自由 は有 限 な 自由 で あ る。人間 は さまざまな. 強制収容所 ,防 空 壕 な どで ,人 間 の生全体が単 なる手. 制約 か ら自由なので はな く,た だそれ らの制 約 に. 段 とな り,金 銭 ,権 力 ,名 声 ,幸 福 な ど人 間が所有す. 対 して態度 を とる とい う意味 で 自由 であ るに過 ぎ. るす べ ての ものが熔 け てな くな ったので あ る。残 った. ない。 しか し,そ れ らの制 約 は人 間 を一 義 的 に規. の は,人 間 に本来備 わ ってい る人 間的 な もの のみで あ. 定 して い るわけで は ない 。 なぜ な ら,そ の制約 に. り,あ らゆる こ とにお い て決定 的 に重要 なのは人 間 で. 負 けるか否 か ,そ の制約 に服従す るか否 か を決 め. あ る,と い う真 実 を知 る こ とに な っ た の で あ る 。. るのは,結 局 そ の 人 自身 にかか っているか らであ. 「 人 間が 自分 自身 につ い て 決 断す る存在者 で あ る と想. る。 つ ま り,そ の 内 で人 間が制約 を乗 り越 え,そ. 定 され る場合 ,人 間 は 自然主義 に よって終点 と定 め ら. れ に よって初 めて人 間的次元 へ と跳躍す る よ うな. H) れた ,ま さにそ の場所 か ら始 まる。 」. ,. 1°. 自らの 強制収容所 での体験 も含 めて ,こ う した歴 史. 余地 が 存す るのであ る。 」'. 的背 景 の も とで ,フ ラ ン クル は 人 間 の 精 神 性 ,自 由 人間 は ,さ まざまな境遇や所 与 の 条件 に対 して も自. 性 ,責 任性 を説 くこ とで ,そ の 「 自分 の 存 在 の 自覚」. 由 で あ り得 る。心 身的 な内面的環境 に対 して のみ な ら. とい う実存 的 な問 い に答 え ようとす るので あ る。 では. ず ,自 然的社会的 な外面的 環境 に対 して も,人 間 はそ. 「本 来 的 な意味 へ の 再考察」 に対 して は どの よ う に答. の瞬 間瞬 間お い て態度 を とる こ とがで きるので あ る。. えるのであろ うか。. しか しこ う した 自由 は恣意 で はないので あ るか ら,そ. 人間 は,で きるだけ意味 あ る人生 を送 りた い とい う. こには人間存在 の責任性 があ る。生 きる とは,後 で述. 意味 へ の意志 に基 づ い て ,自 分 の生 きる意味 を追 求 し. べ る よ うに人生 か ら問 われて い る こ と,そ れ に答 える. よ う とす るが ,そ の意味 は次 の よ うな仕方 で見 い だ さ. こと. (自. 分 自身 の 人生 に責任 を持 つ こ と)に 他 な らな. れ る。. いの であ り,ロ ゴテ ラ ピーは 自らの態度 を決定す る と い う患者 の 自由 に訴 えかけ ,そ の存在 の具体 的意味 に. 「 まず 第 一 に,人 間 は何 か を行 った りあ る い は創. 自ら突 き進 む よ うに促 す ので あ る。 つ ま り,人 間 は意. 造 した りす る こ との 内 に意 味 を見 る。 さらに,人. 味 の充足 と価値 の実現化 に対 して責任 を持 つ と考 え ら. 間 は何 か を体験 す るこ と,誰 か を愛す る こ との 内. れて い るのであ る。人間 とは単 に性 的快 楽 を追 求す る. に意 味 を見 る。 しか しまた 人 間 は場 合 に よって. フ ロ イ ト的 な 「快 楽 へ の意志」 や劣等感 の補償 を追求. は,か れが ど う しようもな く直面す る こ とになる. す るア ドラー的 「力 へ の意志」 に よって支配 されて い. 絶 望 的 な状 況 にお い て もなお意 味 を見 るの で あ. る もので はな く,自 分 の存在 の意味 を追 い 求 め る「意. る。 」. 味 へ の意志」 に貫 かれて い る存在 であ る. 6。. 12. 「力 へ の意. 志 と快 楽 へ の意志 …… は本来意味 へ の意志が欲 求不満 に陥 る ときに初 めて現象す るのであ る。 」 7. ところで ,フ ラ ンクルは第 一 に生 きる意味 へ の 間 に つい ての コペ ルニ クス 的転 回 を要求す る。 つ ま り「わ. ところで近代 の幕 開け とともに,自 然科学 とそれ に. た しは人生 か ら何 を期 待 で きるか]と 問 うの で は な. 基 づ い た技 術 が誕 生 し,19世 紀 にはそ れ らが 成熟期 を迎 える こ とになる。 そ して成熟 した 自然科学 は 自然. く,む しろ「人生が わた しに何 を期待 して い るか」 と い われ われ は「生 き 問 うべ きであ る と言 うので あ る. 主義 を もた ら し,技 術 は功利主義 的 な考 えを もた ら し. る意味が あるか」 と問 うて はな らないの で あ って ,む. た。 これ らは今 や 自明 な もの と見 な されてお り,自 分. しろ人生 こそが われわれ に間 をだ し,わ れわれ は そ の. を単 なる 自然物 と見 なす こ とに よって人 間に固有 な本. 間 に答 えなけれ ばな らないの で あ る。生 きる こ と自体. 質 を見 失 い ,世 界 は 手 段 に 貶 め られ る こ と に な っ た鉗。確 か に この技術 的進 歩 は物 質的 に よ り豊 か な生. が この ように問 われて い る こ とに他 な らない か らであ. )。. る。第 二 に,「 それぞれ の状 況 は そ の つ ど全 く限定 さ.
(3) 香川. 豊 :生 きる意味. れた意味 を持 ってお り,そ の意味はただかれのみに関 係 し,か れのみ を求 めてい る」nの で あるか ら,こ の 独 自性 と一 回性 か ら言 って,人 生がだす間 はその とき その とき,そ の人その人によって違 った ものになる。 それゆえ「生 きる意味 は何 か」 と人生の意味 を一般的 に問 うのは何 かおか しなことになる。 われわれは具体 的な状況 の要請 に対 しそのつ ど具体的に答 えて行 かね ばならないのである。人生が与 える間 (課 題)は ,そ の人だけが果たすべ きものであ り,そ の人だけに求め. 人間中心 的世界像 は近代哲学 とともに始 まる。ハ イ デ ツガーが 『世界像 の時代』 で指摘す るように,こ の 哲学 の流 れの 中では,わ れわれは主 体 (理 性 )と し て,何 が存在す るか,そ の基準 を決定す る もの とな り,存 在 の中心 に立つ ことになる。 ここでは「唯一の 意味発見 と意味解明 の可能性 として理性が偶像化」ゆ される ことになるが,「 知性 の内 に,す べ てを,最 高 にして究極的なものを,存 在理解 と意味理解 の排他的 な媒介者 を見なければならない と,人 が信ずる限 り ,. られてい る具体的なものであるか ら,例 えば,今 わた. この偶像化 は絶望 に至 るであろ う」. しはどの ように仕事 を成す よう求 め られてい るのか. 実現在 ではこの理性 の優位 は崩 れ,欲 望が優位 とな. あるい は,誰 か ら何 を期待 されてお り,そ の人のため. る。つ まり,自 分 の欲求実現 に最高 の順位が与えられ. にわた しは何 をなす ことがで きるのか, と具体的に問 い なが ら,そ の課題 に正 しく行動 で答 えて行 かねばな. るようになるのである。現代の若者が 自己実現 につい て,「 自分 の好 きな ことをす る」あ るい は「自分 のや. ・ らないのである. ,. 20と. 言 われる。事. しか も, どの ような仕方であった. りたいこ とをす る」 と言 う場合 ,た いてい単 なる自己. として も,わ れわれは,そ の ときその ときを意味ある. の欲求実現 を考 えてい ることか らこのことが窺 い知 れ. ものにする しかないか とい う二者択 一の前 に立 ってお. る。そ して現在 の過剰 な自己実現へ の関心 は,フ ラ ン クルによると意味へ の意志 のフラス トレーシ ョンに由. )。. り,そ の ときどきに,人 生の間 にどのように答 えるか 決断 してい く他 ないのである。第三 に,人 生がだす問 は「今 ここで」問われているのであ り, どんな未来が. 来す るのである。 自己実現 はそれ 自身が 目的にされて. わた しを待 ち受けてい るか知 る必要 はないのである。. はならないのであ って,そ れはあ くまで意味充足 の結 創 果 に過 ぎない. なぜ な ら, どんなことが まだ 自分 を待 ち受 けて い る. フランクルは人間形成 の秘密 を次 の ように語 る。. )。. か,誰 にもわか らないか らである。 われわれの生の舞 台である世界 には出会 うべ き他 の存在者や充 たすべ き. 「われわれは世界 につ う じる道 をた どってのみ 自. 意味がみちてお り,世 界 はわれわれによって「充 たさ れることを待 っている空位」耐の ごと きものである。. 分 の 自我 に帰 るのである。 われわれが 自分 の不安. それぞれの人はその人格 の独 自性 において, しか も自. 省 によってではな く,ま た 自己の不安 を思 いめ ぐ. 分 の置 かれてい る状況 の一 回性 の内で,そ の空位 を充. らす ことによってで もな く,自 己放棄 によって. たすべ く意味 を実現す るよう期待 されてい る。. 自己を引 き渡す ことによって,そ してそれだけの. ところでフランクルは「人間は,意 味 を実現す るだ け,ま た 自分 自身を実現す る」口と考 えて い る。そ こ. 価値 のある事物へ 自己をゆだねる ことによってで. か ら自由になれ るのは,自 己観察や まして自己反. ,. ある。 」. 22). で次 ぎに意味 の実現 と自己実現 との関係 を問題 にして み よう。. 自己実現 は単 なるわた しの欲求の充足 を意味するも のではない。マズロウは自己実現 とい う営みは重要な 2。. 人 間形 成 の 秘 密. 仕事へ の関与 を通 して最 もよく実現 されると言 ってい るが,フ ラ ンクル も同意見で,そ の ような仕事 や職業. 「天文学 にお い て地球 中心的な世界像が太陽中心. などに献身す るとい うようなことがなければ,人 間の. 的な世界像 に変 わった時期が,哲 学 において神 中 心的な世界像 が人 間中心的な世界像 に変 わった時. 自己実現 はその基盤 を失 うので ある")。 「自己実現 は 人間の究極 の 目的ではない。……・自己実現 は, もしそ. 期 とぴった りと一致す るとい うことは興味深 いこ. れ自身が 目的にされるならば,人 間実存 の 自己超越 と. とであ ります。 ……宇宙 の中心か ら投 げ出されて. い う本質 と矛盾す る。幸福 と同 じように,自 己実現 は. しまった と感 じた人 間は,次 ぎには少な くとも精. 結果 ,す なわち意味充足の結果である。…… もし人間. 神的な面 では今 までよりいっそ う存在 の中心 に立. が意味 を充足す るのではな く,自 己実現 に着手す るな. とう,神 の 占めるべ き地位 に立 とうとしたのであ ります。 」閣. る。 」. らば,自 己実現 はす ぐにその正 当性 を失 う こ とにな 24).
(4) 甲南女子大学研 究紀 要第 40号. 40. 人間科学編 (2004年 3月. ). 自己実現 は,あ る物 あ るいは誰 か を志 向 しつつ ,価. この非 反省的 に遂 行 され る「精神 的 な行為 の 中心 と. 値 ある何 か に 自分 を引 き渡 し,世 界 の 内 で意味 を充 た. して の 人格 の本 質 は,本 来純粋 な現 に行為 を遂 行 して. して行 く結果 と して実現す る ものであ り,人 間 の 自己. い る こ と」3・ で あ るか ら,精 神 は ま さに 自分 自身 (精. 超越性 と矛 盾す る もので あ って はな らな い 。「人 間存. 神的深層 人格 )で あ る ところで ,不 可避 的 に 自分 自身. 在 は,つ ね に自分 自身 を越 えて ,自 分 自身 で ない何 か. に無意識なのである34。 この精神的な人格 は「本来 の. あ る もの を指示 して い る。 …… そ して ,人 間 は,そ の. わた し―いわばわた し 》自体《 」 として「単 に遂行 し. よ うに して 自分 自身 を超越す る程度 に応 じて のみ ,ま. 得 るだけの もの,自 ら遂行す ることにおいてのみ,現. た 自分 自身 を実現す る。 ある事柄 に奉仕す る こ とにお. に遂 行す る こ とと してのみ,》 実存 す る《 もので あ. い て ,ま たは,あ る他 の人格 を愛す る ことによって。. 3'こ る。 」 のように本来的な自己 は 自らを意識す ること. 言 い換 える と,人 間が完全 に人間であ るのは本来 ,あ. な く,志 向的働 きとして現 にあるような存在 であ る。. る事柄 に完 全 に没頭 し,あ る他 の 人格 に完 全 に献 身す. それゆえ人間実存 は,あ る物あ るい はある人の「もと. る場 合 のみであ る。 そ して ,人 間が完全 に 自分 自身 に が 」人 なるのは,自 分 を無視 し忘 れ る ときなので あ る。. に―あ る」その程度 に応 じて自分 自身を実現す る。そ. 間 はその よ うに志 向的 で あ る (或 る もの の も とにあ. て,意 味 に出会 い,そ れを忘我的 に実現 して行 く,そ. る)分 だけ ,自 分 の もとに在 る。 もちろん この もとに. こに本当の 自分が実現す るのである。 自己実現が意味. sein)は 「決 して空 間 的 な もの で な. 充足 の結果 として実現す るのであって,そ れ自身目的. 一あ る こ と. (Bci―. 26も. して この「 もとに―ある」 とい う自己超越 に基 づ い. の で,「 精 神 的 な も の. に してはならない と言 われるのは,実 現 されるべ き自. は,一 般 に自己遂行 の なかにのみ,実 存が遂行するそ. 己が決 して対象化 され得ない 自己であ り, 目的 として. く,む しろ 《現 実 的 な》 」. p「 の現実性 のなかにのみある。 」 精神的存在 の この根. 源的能力 ,こ の根源的可能性 はそれ 自体 ,そ れ以外 の 可能性 ,つ まり知覚す る 0思 惟す る ・語 るといつた可. 意識 される自己 とはならない もので あるか らである。 ところで ,こ う した 自己超越 は決 して言葉 で言 い表 わ され ない超越者 にまで至 る と言 われ る。 しか し人間. 能性 の制約 で ある。 したが って,も とに一ある こ と は,決 して結果 ではな く,い つ も既 に思惟する・語 る. 実存 に とってそ う した超越者 との 関係 が なぜ必 要 とさ. といったものの制約 であ り, したが ってまた相互理解. を考 えてみ よ う。. や相互了解 の制約 をな してい る。 しか し,そ れはまた 郎 」こ 想起する ことや現前化す ることの制約で もある。. れ るのであろ うか 。次 に苦悩 の意味 を通 してその こ と. 3。. 苦 1歯 と超 意 味. の ようにすべ ての精神作用の根源 にある “もとに―あ 〕 ること"は 「現存在 が主観 と客観 に分 かれ る以 前」. 意味 を充 たす こ と,そ れ は価値 を実現す る こ とに他. にある事態 であ り,「 存在者 は,そ れ を認識す る精神. な らない 。そ の よ うな価値 の実現 は三 つ の仕方 で可能. 外 に》あ るのではな く,む しろ 的存在者 の,決 して 《. になる。 1.何 か を創造 した り,何 らか の 仕 方 で 世界. いつ で も端的 に 《現 に. を形 づ くる こ とに よる価値可能性 (創 造 的価値 )。. (da)》. あ る。そ して反省的態. 2.. 度 におい て初 めて,… …この端的 な 《現 に》―ある こ Ю と (《 Da》 一sdn)が 主観 と客観 に分裂す る。 」 そ して. 何 か を体験 す る こ と,つ ま り世界 や存在 の美 や真理 を. フランクルは,こ の根,原 的な「 もとに一ある こと」 と. 能性 (体 験価値 )。. 「反省的態度」 を「原意識 (Gewu3tsein)」 と「意識 = 劇 自己意識」 と呼 んで区別す る 。そ して この原意識 は. わた しの 内 に受 け容 れ るこ とに よつて成 り立 つ価値可. 3.苦 悩 す る こ と,運 命 を甘 ん じて. 引 き受 け る こ との 内 に 存 す る 価 値 可 能 性 (態 度 価 値 )36。 態度価 値 の 場 合 は,創 造 的価値 や 体 験 価 値 の 実現 が ,例 えば重度 の 障害 や不治 の病 に よって不可能. 主客分裂以前 の もの として無意識 である。. になった とき,そ れ に対す る苦悩 を通 して正 しい態度. 「精神的なものは,そ れが精神的な行為 の非反省. を とる (そ れ らの価値 に固執す るので はな く,断 念す. 的な遂行 に没頭 してい る限 り無意識 である。……. る)こ とに よって価値実現 の可能性 がでて くる。創造. 精神的な行為 は客観 を志 向す ることがで きるが その際 自分 自身 を一一 つ まり主観 を客観化 しつつ. ・体験価値 を断念 し,態 度価値 を実現す る能力 とは苦 悩す る能力 で あ り,そ の 能力 を獲得 させ る とい う こ と. 一―志向す ることはで きない。 したが って反省 も. は医学 的精神指導 と しての ロゴテ ラ ピーの重要 な課題. で きない。 」. で あ る3'。 倉1造 的価値 を実現 す るため には何 か あ る才. ,. 32. 能 を所有 して い なければな らな し,体 験価値 を実現す.
(5) 香川. 豊 :生 きる意味. るため には例 えばシ ンホ ニー を聴 く耳 と言 った器官 を 所有 して い なければな らない 。 この よ うな創造す る こ とと体験 す る こ とに よる価値実現 のため には,創 造力. とで》 で も自由であ り,そ して最後 の息 を引 き取 るま で続 くような自由であ る。それゆえ,極 端な状況 は人. の価値 実現 の可能性 は あ る限定 を もってい るこ とにな. 間を内的自由にい たらしめるだけでな く,人 間 をまた 司 内的成熟 にい た らしめる。 」 この こ とは言 い換 えれ ば,「 人間存在 は最 も深 い ところでは,ま た究極的 に. る。 しか し,世 界 や運命 を甘 受す る苦 1当 を通 しての意. は,受 難 (Passion)で あ る。 またそれが人 間 の本 質. 味実現 の可能性 は この よ うな限定 を受 けない 。 しか も. である。つ まり苦悩す る者 ,ホ モ ・パ ティエ ンス (HOmo. や体験 能力 を所有す る こ とが 必要 で あ るか ら,そ れ ら. こ こで は相 対 的価 値 を 自己 の 目的 ,つ ま り究極 の 意. 46) Patiens)で ある とい うことである。 」. 味 ,最 高 の価値 に しない こと (断 念)を 通 して,「 苦. フランクルによると,こ の三世紀 とい うもの苦悩 を. 悩 だけが 自らの内に包含する最高 の意味可能性 と価値 Dが で きるのであって 可能性 へ 突 き進 むこと」 ,そ こ. 回避す る逃避主義 によって現実 を言 い繕 い,能 動性 と 合理性 とい う二つの偶像 の背後 に隠れて真実 か ら遠 ざ. では単 なる一つの価値実現 の可能性 ばか りでな く. かって しまった。苦悩 とその必然性 ,苦 悩 の価値 の可. 「最高 の価値 を実現す る可能性 ,最 も深 い意味 を充 た. 能性 は知 られる ことはなか った。能動 (actio)と 理性. ,. 3"態. す機会が問題 なっているので ある。 」. 度価値 はこの. 意味 で創造的価値 と体験価値 を越 えてい る. (ratio)の 助 けをか りて,苦 しむ ことや死 ぬ ことを片. 付 けて しまお うとして,わ れわれは自分 自身 とお互 い. 40。. ところで,苦 悩す る力 (Lcidcnsね higkeit)を われわ. をだまして きた。能動 を越えた受動 を見逃 し,現 存在. れは生 まれつ き持 っているわけではない。 われわれは. が受難 で ある ことを忘れたので あ る。 この忘却 の も. まずそれを獲得 しなければならない。獲得す ることに. と,理 性や理性的人間,ホ モ ・サ ピエ ンスの神格化 が. よって運命的な ことを正 しい態度 で克服す ることがで. 生 じるのである 。 この啓蒙主義以来 のホモ ・サ ピエ ンス に対 しかれはホモ ・パ ティエ ンス を対置 しようと. きるようになるのである。 この内的克服 は,外 的な形 をとらないが れで も自己形成である綱 人間存在. ,そ. )。. 4つ. い うのである。人間は本質的 にホモ ・パ テイエ ンスで. は「決 して端的にそれであるところの もので 《ある》 のではな く,む しろそのつ どそれを決断す る存在 であ. あ り,苦 悩 を通 して内的に成熟 して行 くことはいかな. る。……この ように人格 の存在が決断す る存在なら 性格 は形成 された存在 であ る。……遺伝 と環境が人間. の息 を引 き取 るまでその機会 を失 わない。換言す れ ば,自 分 の人生 を意味あ るものにしたい とい う意味ヘ. を形成す るだ けでな く,人 間 は また 自ら何 か をつ く. の意志 は,苦 悩 の 中で人間を支 え続 けて い るのであ. る。……一人の人で 《ある》人格が,一 人の人が 《も つ》性格 と折 り合 い をつ けることによって,そ して人. る。 しか し存在す るものはやがて減び去 って しまう傍 い ものである。そ うす ると苦悩 を通 して意味 を充実 し. 格が性格 に対 して態度 をとる ことによって,人 格 は性. て行 くことは死 によって無意味なものにな りは しない. 格 な らび に 自分 を絶 え ず改 造 し,人 格 性 へ と 《な. か, とい う疑間が起 こる。それに対 しフランクルは次. る》 。 」 苦悩 は実行す ることで あ り,ま た成 長す るこ. のように主張す る。. ,. 4つ. る状況 の もとで も可能であ り,態 度価値 の実現 は最後. とである。 しか もまた自らを越えて成長す る人は 自分 自身へ と成熟す る 。 4勢. 「成熟 は,外 的な依存性 にもかかわ らず ,人 間が 内. 「過 ぎ去 って行 くのは本来可能性 だけ,価 値実現 の機会 だけ,わ れわれが創造や体験や苦1当. (実 際. a例 的 自由に達す るとい うことに基 づい てい る。 」 えば. に変 えることがで きない もの,真 に運命的 なもの. 強制収容所 のような極限状況 においては,わ れわれは. に対する正 しい,毅 然 とした苦悩 )の ために有 し. 自分 に押 し付 けられた条件や境遇 に依存す ることにな. てい る機会 だけである。そ してわれわれが これ ら. る。創造的な価値や体験価値 を実現す るとなるとそれ. の可能性 を実現す るや否や,そ れ らはもはや 《過. らに制約 され,依 存的であ らざるを得 ないが,こ のよ. ぎ去る》 ものではな くなる。む しろそれ らは 《過. うな外的状況 に対 して どのような態度 をとるべ きか と. 去 になったもの》 であ り,過 去 としてあるもので. い う態度価値 の実現 に際 しては自由である。「あ らゆ. ある。それ らはまさに過去存在 とい うあ り方 にお. る条件 や境遇 《か ら》 自由であ り,運 命 の内的な克服. いて保存 されてい るか らである。それらはまさに. に 《向かって》 自由であ り,正 しい,毅 然 とした苦悩. 過去存在 として 《存在す る》 と言 ってよいであ ろ. に 《向かって》 自由である。 このような自由は もはや. う。 なぜ ならそれ らはまさにその過去存在 におい. いかなる条件 も知 らない。それは 《いかなる境遇 の も. て保存 されてい るか らである。それゆえ, もはや.
(6) 42. 甲南女子大学研究紀要第 40号. 人間科学編 (2004年 3月. ). 何 もの もそれ らを害す る こ とはで きない 。 一 度生. 体的 に答えて行 くところに成 り立つ。そ うす るとわれ. じた もの ,一 度過去 になった もの は, もはや この. われは超意味 の地平か ら再び時間の内 に戻 り,時 間の. 世か ら追放 され る こ とはで きない。 一 度過去 にな. 内で創造 した り,体 験 した り,苦 悩 した りす ることに. ったもの,そ れは一回限りでかつ 《 永遠に》過去 になったのである。 」. なる。 しか し超意味 の地平 に越 え出るとい うことは. 48. ,. 超越者 との関わ りの余地 を残す とい うことで もある。 フランクルは無意識 の精神的な深層人格 に無意識 の宗. 人間の肉体的 な死 の 後 で もわれ われが 実現 して きた. 教性 を認めるが ,超 越者 の存在 は,わ れわれが時間の. もの は残 る。そ れ らは過 去存 在 の 内 に保 存 され る。. 内で関わる価値 を絶対化 しない とい う意味 で重 要な位. 「 あ らゆ る もの ,わ れ われの人生 の 全体 ,わ れ われ の. 置 を占めるのみならず,超 越者へ の 自己の関係性 の体. 創造 や愛 や苦悩 の全 体 が世 界 の調書 の 中 に収録 されて. 験 は運命的な限界状況において,わ れわれを支 え,守. い る。 …… 世界 はわれわれが 解読 しなければな らない. って くれる とい う治療上の意味 も持 つ“ われわれが. た解読 す る こ ともで きな い )草 稿 で は な い 。世 界. 具体的状況 の内で関わるのはあ くまで相対的価値 の実. はむ しろ ,わ れわれが そ こに書 き記 さなければな らな. 現 で あ り,そ の実現 は超意味 とは違 いあ くまで人間の. (ま. 49こ. の よ うに人生 で 実現 した こ と. )。. は過去 存在 として永遠化 され る。 しか しわれわれ はな. 業 に属す るものである。そ うす ると,こ の世界 でわれ われが充たす具体的価値 はすべ て相対的である とい う. お ,世 界 は全 体 として意 味 を持 ち得 るのか , とい う最. ことになるが,そ の場合 に, もし超越者 の存在 がない. 後 の 間 を発 す る こ とがで きる。 これはわれわれが 苦悩. とするならば, ドフ トエ フスキーの言 うように「すべ. に耐 える こ との究極 の意味 を問 う こ とで もあ る。 「す べ ての もの は結 局無意味 で あ る」 とす る考 え と. ての ことが 許 されてい る」 とい うことに な りかねな い。 こうしたニ ヒリズムは また許 されるべ きものでは. 「す べ ての もの は有意味 で あ る」 とい う考 え は,論 理. ないのである。 フランクルは,神 の存在 を遠近法 にお. 的 には何 れ も正 当性 を もつ 。 なぜ な らわれわれは全体. ける消尽点 にたとえ,消 尽点 は,そ れ自体 としては絵. を見渡す こ とがで きず ,全 体 の意味 はわれわれの理 解. 画の 中に現 れず ,絵 画の中に全 く与 えられてい ない に. 全体 の 意味 は証 明 で き 力 を越 えて い るか らであ る ‐ コ ない 。 もちろん ,す べ ての ものが無意味 で あ る とす. もかかわらず ,そ の絵画を構成 してい るように,諸 々 の価値 がそれへ と収敏す る構成的で超越的な一 なるも. る と,わ れわれは ニ ヒ リズム に陥 る こ とになる。 しか. の として,神 は所与 ではないが,何 らかの仕方 で与 え. しフ ラ ン ク ル に よる と,全 体 は 有 意 味 を越 えて い る. られてい ると言 う56。 超意味 の信仰 ,そ れはかれにお. (ubersinnvo11)と い う意 味 で 超 意 味 (3bersinn)を も. いてニ ヒリズム に陥 ることな く本来的な自己を実現 し. つ と信 じる こ とはで きる. さらに この 超意味 を信 じ. ようとする実存 の一つの可能な道 とい うことになる。. ない こ とは無意味 で あ るばか りで な く傲慢 で もあ る。. ただ非宗教的な人 は何 らかの仕方 で与 えられてい る構. なぜ な ら「すべ てが 無意味 で あ る と仮定す る こ とは. 成的で超越的なものを事実 として受け取 ることには躊. い調書 なので あ る。 」. 50。. 52。. ,. 自分 の 実存 が意 味付 与 の 唯 一 の 審級 で あ り,(た とえ. 躇する ことであろ う。 フランクルは超意味 も含めて こ. そ の よ うな意味 を与 える ことに失敗 して も)唯 一の意. うした ものに対す る信仰へ の決断を語 るが,超 意味 は. 味 保 有 者 で あ る と い う も う一 つ の 仮 定 を含 ん で い. 本来人間の業 に属す るものではな く,そ れは決断 とい. る」"か らで あ る。全 体 の 意味 充実 を見通 す こ とが で. うわれわれの業 とは関係 な く成立 してい るものではな. きな い とい うこ とを引 き受 ける とい う ことが 現存在 に. いであろ うか。超意味や超越者 の存在が事実その もの. 本来属 してお り,超 意味 を信 じる こ とが 意味 を もつ だ. を言 い当ててい るとい うことがなければ,そ の決断 は. け で な く,「 超意味 の信仰 が意 味 であ る。 」. 不確かなものをただ信 じるとい うことにな り,そ のよ. 5・. うな実存的決断に必要以上 の価値 が置 かれることにな 4。. な お 残 る疑 問. ろ う。 と くに非宗教的人間にとっては,そ の信仰 が何 か大変無理な決断. どの よ うな意 味 で す べ てが超 意 味 を持 って い るの. W。. 確 かである. (冒. 険)を 迫 るように見 える ことは. しか しそ う とはい え,超 越者 のわれわ. か ,わ れわれは知 らない 。 この無知 を越 え,そ れへ の. れに対す る隠れた関係性 とい うかれの主張 は,重 要な. 信仰 を決 断す る とき,わ れわれ は無 の深淵 の前 に立 つ. 意味 を持 つであろ う。 フランクル 自身のみでな く最近. こ とになる。 しか もわれわれの意味実現 の行為 は ,そ. の例 ではマザ ーテ レサの生 きる姿 の中にかれの主張の. の つ ど具体 的 な状況 にお い て ,人 生が提 出す る間 に具. 正 しさを見るのは筆者 だけではない ように思 うか らで.
(7) 43. 豊 :生 きる意味. 香川. 固体 を通 して創造的に あ る。 われわれを越 えた ものがイ 働 くとい うこう した事実がある限 り,か れの主張 は本 来的な自己実現 の一つの重要な道 と言 わねばならない. 自己放棄 が完全 なものでない場合があ るとい うことに なる。確 かに精神的な深層人格 は無意識 的な ものであ り,自 己意識 とい う意味 でのエ ゴはない。 しか し具体 的状況 での意味実現 に際 しては,そ れが人間の業 であ. であろ う。 ところで意 味 の実現 に当 た り,人 間 は 自らを放棄. る限 り,仏 教 の唯識論が語 るように深層 での無意識 的. し,認 識 しつつ愛 しつつ 自分 を捧げるために他の もの. な自己へ の執着 をな くす ことは容易 ではないで あ ろ. の もとにあると言われるが ,こ う した自己放棄や献身. う。 フラ ンクルは精神的な深層人格 は無意識的な もの. が 自己の評価 を高めるため とい うエ ゴか ら出て くる こ. であ り,超 越者 はそれを支 え,そ れを通 して働 くと考. ともある。 こう したエ ゴイズムをフランクルはどの よ. えてい るが ,エ ゴが深層 にまで及ぶ とい うことには言. うに克服 し得 ると考 えてい るのであろ うか。 確 かにかれの語 る 自己放棄 には,エ ゴの放棄 とい う. 及 してい ない。おそ ら く深層 での神 人関係 にお い て. 意味が含 まれてい るが, しか し無意識的な深層人格 と. 原理的 にそ う した関係 にエ ゴが介入す るとは考 えられ. してのわれわれは,は た してそれを徹底的に免れてい. ないか らであろう。 もちろん超越 の側か ら見 る限 り そ うした関係 は人 間の業 の次元 を超 えてお り,そ こで. るであろ うか。 かれが語 る良心 の超越 についての考察 か らその点 を探 ってみ よう。 「意味 を探 し求 める際 に良心が人間を導 く。一 言 で. は,わ れわれはその恵みをただ受け取 る器に過 ぎず. ,. ,. エゴが働 く余地 はない。 しか し,そ の関係 を受けてわ れわれが今 ここで忘我的 に働 く場面 では,エ ゴが忍び. シュタル トを具体的な人生の諸状況 において知覚す る. 寄 る可能性 は排除で きない。それを排除す るためには 禅 の修行 の ようなエ ゴを完全 に殺す とい う過程 が必要. 能力 であ ると定義 で きる。 しか し良心は人間を誤 らせ. であ ろ う。 しか しそのような過程 を精神療法 と呼べ る. 5'そ ない とも限 らない。 」 れゆえ,わ れわれは良心 を洗. のか どうか筆者 にはわか らない。. い えば,良 心 は意味 ―器官 である。良心 とは,意 味 ゲ. 練 させ るよう心 がけな くてはならない し,世 界 を意味 注. にみちた全体 として知覚す るよう努 め,そ の全体的意 味 ゲシュ タル トを完成 させ るため具体的 な意味 を実現 す るところに自分 の存在 の使命 を認めるとい うことが 重要になる。. 1)Frankl,Viktor E。 ,Theoric und Therapie der Neurosen, Einfuhrung in Logotherapic und Existenzanalysc, 8。. Reinhardt,Munchen Basel 1999,S.141。. (以 下. Aufl。. TTNと. ,. 略. し,ペ ー ジの み 記 す 。). ところで非宗教的な人 も内在的 ・心理的事実 として の良心 を持 っている。 しか しかれ らはそ こに止 まり ,. それ以上問お うとは しない. 5"。. 良心 は責任 がそれに向. けられるべ き究極的なものではないのであ って,良 心. 2)Frankl,Viktor E。 ,Der unbewusste Gott,Psychotherapic und Religion,8.Au■ .,Kё sel,Munchen 1991,S.20。. UGと 3)フ ラ ン ク ル 著. (以 下. 略 し,ペ ー ジの み記 す 。). 申経 症 Ⅱ (霜 山徳 爾 訳 ),『 ネ. と治療 』,み すず書房. 2002年. そ の理 論. 100ペ ー ジ参照。. 60な ので は「最後 か ら二番 目の もの」 ある。それ に対. 4)UG,S。. し宗教的人間にとって,良 心 自身はむ しろ「超越者 の. 5)Frankl,Viktor E.,Der Wille zum Sinn,Ausgewahlte vOr_. )で 声」 “ あ り,人 間 は 自分 が発 した ものでない この声 ` 60。 をただ聴 き取 るだけの もの なので あ る 「もし良心. trage ubcr Logotherapic, 4 Aufl。 , Piper, Miinchen Ziirich. が超越者たる汝か らの言葉でない なら,そ れは決 して 内在的な ものの内で権威ある言葉 にはな り得 ないだろ 0良 心が超越者へ の聴従 で あるな ら,意 味 ―器官 う。 」 としての良心 は,超 意味へ と超越 し,そ れへ の信仰 の もと,意 味 に充ちた全 体 を完成 させるため,価 値あ る ものの実現 に 自己 を棄 てて取 り組 まなければな らな い。 しか し良心 の洗練 と言 われるように,い つ も完全. 1991,S。. 18.. 156.(以 下 WSと 略 し,ペ ー ジのみ 記 す 。). 6)Vglo WS,S.H4.; TTN,S。 E。. Psychotherapie,2.Aufl.,Verlag Hans Huber Bern 1984, S. 183。. (以 下. 7)WS,S。. LMと. 19。. 9)WS,S.86-S.87. 10)WS,S.88. 11)WS,S.88-S.89. 12)WS,S。. 味 ゲシュ タル トを全体的 に知覚す るとい うことはない. 13)Frankl,Viktor E。. うい う力 を育てて行 くことしかで きない とい うことに なる。 しか しその ことは,そ れに際 してのわれわれの. 略 し,ペ ー ジの み 記 す 。). 8)WS,S.86.. に超越者の声 に聴従す るとか,具 体的状況 において意 のであ るか ら,わ れわれは有限で不完全 な者 としてそ. 144-S.115。 Frankl,Viktor. ,Der leidende Mensch, Anthropologische G}rundlagen der. 29。. ,_。 trotZdem Ja zum Leben sagen:. Einc Psychology erlebt das Konzentrationslager, 20。. Aufl。. Deutscher Taschenbuch Verlag, Miinchen 2000, S. 125。 (以 下. JLSと 略 し,ペ ー ジの み 記 す 6). 14)WS,S.30。.
(8) 甲南女子大学研 究紀 要第 40号. 人間科学編 (2004年 3月. 15)Vgl.JLS,S。 125,S.128-S.129.. 41) ibid.. 16)Frankl,Viktor E。 ,Arztliche Scelsorge,Grundlagen der. 42)LM,S.203-S.204.. Logotherapic und Existenzanalyse, 10。. Wien 1982,S。. 17)As,s。. 17.(以 下 Asと. Aufl.Franz〕 Deuticke. 略 し,ペ ー ジの み 記 す 。). 43)LM,S.207. 44)ibid. 45)ibid。. 77.. 18)フ ラ ン ク ル 著. (佐 野 利 勝 ,本 村. る神 』,み す ず 書 房. 敏 訳 ),『 識 られ ざ. 46)LM,S。. 208.. 47)LM,S.209.. 1962年 192-193ペ ー ジ。. 19)LM,S.227.. 48)WS,S.49-S。. 20)ibid。. 49)Ws,S.52.. 21)Frankl,Viktor E"The Will to Mcaning:Foundation and. 50)LM,S。. WMと. 略 し,ペ ー ジの み 記 す 。). 22)フ ラ ン ク ル 著. (宮 本 忠 雄 ,小 田. 晋 訳 ),『 ネ申経 症. そ の 理 論 と 治 療 』,み す ず 書 房. 2002年 176ペ. ジ。. 50.. 200。. 51)LM,S.201.. Applications of Logotherapy,Meridian]Book 1988, p. 38。 (以 下. ). 52)ibid. I. 53)ibid.. ー. 54) ibid.. 55)WS,S。 73-S.74.. 23)WM,p.38。. 56)WS,s.67.. 24) ibid.. 57)Vgl.UG,S.49.― 非 宗 教 的 人 間 に とって 神 や超 意 味. 25)As,s.160。. が 事 実 と して 与 え られ て い る か ど うか ,と い う こ とが. 26)LM,S.87. 27)LM,So H9.;Vgl.UG,S.23.. この 場 合 の 最 大 の 問題 で あ ろ う。 フ ラ ン ク ル の 消 尽 点 の 例 で 示 され る よ う に ,そ れ は 普 通 の 存 在 者 の よ う な. 28)LM,S。. 与 え られ 方 を しな い。 しか し宗教 的 な体 験 の 事 実 と し. 90。. 29)LM,S.86. 30)LM,S.90.. て は 与 え られ 得 る もの で あ ろ う。そ れ は 発 見 され た. 31)LM,S.135。. が ,た だ 事 実 性 (DaShcit)に お い て 与 え られ る も の. 32)LM,S.134. 33)UG,S.23. 34)uG,S.24. 35)UG,S.23.. で ,そ こ に は生 と して信 仰 を生 きて い る 者 が 求 め る こ. 36)LM,S.202-S。 37)TTN,S.179。. 38)LM,S.203.. り,何 か そ の 本 質性 が 問 わ れ る よ う な もの で は な い. との真 実性 (求 め られ るた もの と して与 え られ て い る) があ る とフラ ンクルは考 えて い る。 (ws,S。 203.. 58)WS,S.26. 59)UG,S,48. 60)UG,S.49. 61)UG,S,46.. 39)TTN,S.180。. 62)ibid.. 40)LM,S.203.. 63)UG,S.52.. 70。. ).
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