巳之吉教授の『独占分析の型と批判』および本間要
一郎教授の『競争と独占』における独占的剰余価値
論批判にたいする回答(商業学)
著者
松田 弘三
著者別名
Matsuda Kozo
雑誌名
経営論集
巻
5
ページ
279-310
発行年
1976-12-05
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00005900/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja一 平瀬巳之吉教授の『独占分析 の型と批判』お よび本間要一 郎教授の『競争と独占』における独占的剰余価値 論批判にたい する回答− 松 田 弘 三 本 稿 は 副 題 の とお り, 平 瀬 巳 之 吉 教 授 の 『 独 占 分 析 の型 と批 判 』 の 「 終 章 起点 へ =剰 余 価 値 再 分 配 論 か ら の 脱 出 =生 産 利 潤 論 へ の 徹 底 一 白杉庄一郎 『独占理論 の研究』の革新性- 」 お よ び, 本 間 要 一 郎 教 授 の『 競 争 と 独 占 』 第 四 章 第 五 節2 「 独 占 的 超 過 利 潤 と 『 限 界 原 理 』 一 白杉説 の検討- 」 に お け る 独 占的 剰 余 価値 論 批 判 に たい す る わ た しな り の回 答 で あ る 。 前 著 は1975 年2 月10 日 に, 後 著 は1974 年1 月5 日 に 刊 行 さ れ, そ れ ぞ れ 著 者 よ り恵 与 さ れ てい たに も か か わ ら ず, そ の回 答 が 今 日 ま で 遅 れ た こ と は, 主 と し て, わ た し がそ の 間 ア ノ リ カ 帝 国 主 義 の 第 二 次 世 界 大 戦 以 後 の 独 占 と恐 慌 を見 事 に 描 き 出 し た ヴ ィノ タ ー・パ ー1==i氏 の 『 不 安 定 な 経 済 』(TheUnsetableEconomy:BoomsandResessionintheu.s.since1945,1973 島弘 監訳1974 )をIコ メ ン ト す る三 つ の論 文,「 金 融 帝 国 に たい す る 告 発 状 一 戦後 アノリカの独占と恐 慌 一 (上 )」( 東洋大学『経済経営論集 』第75 号1974 年12月),「 同( 中 ) 同誌第76 号1975 年3 月, 「金 融 帝 国 変 革 の 展 望 − ヴィ クタ ー・ パ'―ロ『 不安定な経 済』によ せて」東洋大 学『経営論集 』第3 号1975 年エ2月)を 書い て い た た め で あ るが ,こ の 遅 延 にっ い て, 両 著 者 に たい し て お詫 び し たい 。 ま た 白 杉 庄 一 郎 博 士 没 後14,5 年 を へ て, な お こ の よ う な 批 判 を受 け る こ と は, た とえ 否 定 的 批 判 で あって も それは未だその理論が生きてい るとい う証拠であるから, 白杉 博士の薫陶 を受けた者 の一人 として両教授にたい して謝意を表する。本稿は 初 めにことわったように限定 されたものであるから,平 瀬教授が独占利潤・ 独占価格にかんする独自 の積極論を展開された『独占資本主義 の経済理論』
(1959年3 月31日刊)は, わが国 で とい う よ りも世界的 に見 ても,独占 利潤 ・独 占 価 格 とい う 現代 独占 資本主 義 の基 礎範躊 にっ い て初 めて独 自 の見 解 を明ら かに さ れた もので ある か ら, わ たしとして は 承服 し が たい と ころが ある と七 て も, また白杉 庄一郎 博 士 自身 そ の『 独占理 論 の研究 』(1961年4 月15 日刊)の 第 二章 第一節 「独 占資本 主 義 と価値 法則一 平瀬教授の所説を検討し。あわせて 拙論 への批判 に答 える 瀬教授 の所説 を中心 として 」 第 二節「 独 占資本主 義 と利潤 均 等化 の法則一 平 」 におい て, 詳 細に 批判 さ れて はい る か, 上記 の意 味 で非常 に重 要 で ある と考 える ので, い ず れ別稿 で わ たし なり の検討 を お こない たい と思 う。 ま た本 間教 授 の所 説 は「 独占 価 格 ・独 占利潤 論 」(『現 代帝国主義講座』第5 巻,1963年所収)- これ は わ たしは 「 独占 利潤 ・ 独占価 格 論 の展開 の た めの覚 書(一) 本間,大島両氏の所説の検討- 」(『経済経営 論集』第43,44 号,1966 年10 月)に お い て 既 に 検 討 し た 値は独占利潤の源泉であ りうるか は以 下 の 配 慮 を く わ え た 。 と「基本 的 な論理 は かわってい ない」(上掲書200頁)とい われているのであるから, そ の 積 極 論 の検討ははぷかせて頂きたい。 1 ま ず, 平瀬 教 授 の所 説 の検討 から はじ めよう。 ここで一言ことわっておきたい。平瀬教授はわたしの東亜研究所( これは国策研 究機関ではあったが,山田盛太郎博士をはじめ多数のすぐれたマルクス経済学者を 戦時中温存しておく役割を果 たした)時代の先輩であり,その後 も恩師岸本誠二郎 博士を中心とする研究的懇談会の常連メンバーとして親しくして頂き,独創的な経 済学者としてわたしの尊敬する方である。しかし学問の世界では見解を異にするば あいには,そのことをはっきりいう方がむしろ礼儀であろう。 平 瀬教 授 はい わ れる。「本 章 は もと『立 命館経 済学 』( 第n 巻第1 ・2 号)の 白杉 教授 音 陣記 念号に 掲 載 され た旧 稿「白杉 独占理 論 の 構 造一 特別剰余価 」を 再録し たもので あ る。 再録 に あたって (1) 旧 稿で は白 杉説 をもっ て《限 界必 要労 働時間 =価値》 説 とし たが, 現 在 では 《限界必 要 労働時 間 =価格レ 説 と改 め た。 本章 第一 節 の第一 論点 の部 分 にあ たる 。」( 前掲書221頁)(2) 本 章第四 節 「む す び」 では│日稿 の大部 分 を削 除 し た( 同書222頁)。(3)
は技 術 的 な こ と な の で はネ か せ て も ら う。(1) に っ い て は重 要 な ( 挿 注 ) か お る 。 「 こ の こ ろ (1960 年 と思 われる)お な じ よ う に 独 占 分 析 に 従事 し てい た 都 立 大 学 の 城 座 和 夫 教 授 が あ る秋 の一 日, 京 都に 白 杉 教 授 を お と ず れ, 限 界 必 要 労 働 時 間 で 決定 さ れ る の は 《 価 値 》 で は な く て 《価 格 》 で あ る こ と を白 杉 教 授 自 身 の 口 か ら知 ら さ れ る。 城 座 教 授 が そ れ を 私 に 伝 え る 。 私 か 了 解 し た む ねを 白 杉 教 授 に 書 信 す る 。 そ し て 右 の 注(1)〔平 瀬 教 授 が 私 の 独 占 利 潤 = 独 占 剰 余 価 値 説 は, 限 界 労 働 時 間 = 価 値 説 に たつ と い う の は(『独占資本主 義 の経済理論 』256頁 ,258 頁 ), 誤 解 で あ る, 云 云 。(『独占理論 の研究』94頁)〕 が 著 書 の段 階 で 追 記 さ れ る 。 と こ ろ が , こ の よ う な 経緯 に も か か わ ら ず, 私 か 旧 稿 で 《 限 界 必 要 労 働 時 間 ==価 値 》 説 を白 杉 説 とし て お し きっ た の は, す で に そ れ が 先 入 観 念 と な っ て い た か ら ば か り で は な く, 教 授 の著 書 『 独 占 理 論 の研 究 』 第 一 章 第 二 節 二(15 ペ ージ以下) のく だ り を ど う読 み か え し て み て 仏 旧 稿 で の 解 釈 の よ うに し か う け と れ な かっ た から で あ る 。 し か し, そ の後 松 尾 博 お よ び 松 田 弘 三 両 教 授 の 白 杉 理 論 研 究 〔 松 尾 博 「 独 占 的 剰 余 価 値 論 の 基 礎 理 論 一 平瀬 教授の白杉 説批判に よせて」『彦 根論叢』第93 号−94 号,1963年2 月, 拙 稿 「 独 占 的 剰 余 価 値 と 価 値 ・ 価 格 理 論 一 平瀬教授 の白杉独占理論批判の検討」『立命館経済学』第11 巻第5 ・6 号 ,1963, 犬 年2 月〕 に 接 す る に お よ び, よ う や く 旧 説 を改 め る 必 要 の あ る こ と を 悟 ら さ れ るに い だ っ た の で あ る(同書223 ∼224 頁 )。 こ れ は ま こ と に 平 瀬 教 授 の 学 者 的 良 心 を示 す も の とい え よ う。 未 だ に , 「 白 杉 氏 の理 論 展 開 に 則 し て 考 え る と, 公 平 にい っ て, そこ に ぱ 『 市 場 価値 概 念 と 市 場 価 格概 念 に お け る 混 乱 』( 井村喜代子氏『 独占理論 の研究』にたい す る『書評 』『三田学会雑誌 』第5 巻 第8 号)が あ る 」( 本間要一郎『競争 と独占』288 頁 )な どい っ て い る人 た ち と対 照 さ れ た い 。 そ うい う『 混 乱 』 は 読 ん だ 人 自 身 の 頭力 中 に あ る の で あ ろ う。 《 限 界 必 要 労 働時 間 =iM 格》 説 な ら ば , 白 杉 博 士 の 独 自 の 価 格 論 を示 す も の と し て 妥 当 で あ ろ う。 …‘… ② に つ い て も 同 様 な こ と が い え る 。 白 杉 博 士 が, ∧ 「私は独占利潤=特別剰余価値説に よって,単 に,現代独占 資本主義 のもとで も産 業 の進歩が停止 していないとりヽう現実 の事実 へ接近 して ゆく ことので き右ような理 論を探 求 しつっ あるにとどまるので はない。一 そ う重 要なのは ,生産力 を新 しく進
歩 させ ることによって独占資本主義が ますます社会主義 の到 来 を準備 しつっ あると い うことの論証で きるような理論である。独 占資本主義 がひ とりでに社会主義へ移 行 するは ずはない。独 占資本主義 の真実 の墓掘人 は誰で ある か。独占利潤 の基本的 部分が独占資本そ のものに よ‘る労働者の直 接的 な搾 取に由来 するとい うこと を明ら か にすることによって,それは労働者にほかならない とい うことが明 らかにされる。 独占資本 の基本的 な対立者 は,流通過程的収奪説 の示 唆する はずであるごとく中小 企業者( そして間接的 にはそのもとに働く労働者)お よび農 民 などではなく,特別 剰余価値説 の示 唆するごとく労働者( まず第一 に独占資本 の もとで働く労働者,そ して第二 に中小 企業 の もとで働く 労働者 )なので ある。 独占 利潤 が流通過程的収 奪 に 由来 する部分 をもつか ぎりにおい て,中小企業 者 も( そ して農民 も)独占資本 に 対立 する側面 をもつ。その側面におい ては彼ら も独 占資本主 義止揚 の担当者 たりう るの資 格 をもってい る。しかし彼 らは資 本主義的搾取 の反対 者た ることはで きない。 白 杉 彼らは自分 自身,中小資本家であるからである。したがって彼らは独占資本主義に たいする部分的な対立者だりうるのが精々である。所詮,彼らは労働者への協力者 ない し同盟者たりうるにとどまる。労働者こそは,前独占段 階からひきっづき,現 代の独占段階においても,資本制搾取の本来的な対立者として,その止揚にたい す る最も熱心な執行者たりうるはずのものである。労働者階級 の動揺のはなはだしい 現在,このことを基礎過程から確定しうるような理論がほかにあるであろうか。」( 前掲書,189∼150頁) との べら れてい る のを とら えて,「第五列 の論拠」(前掲論文153頁)と キ メう け ら れ た(それが理論に イデオロギーをもちこむなという 意味であったことは 今で はわかるが,科学的な経済学はイデオロギーと切り離せないとおもう)不必 要 に 刺 激 的 な箇所 な どは削除 されてい る。 わたしが生 産 論的 独占 利 潤論 に 独 占 利潤 論に で はない一 固執 す る理 由 は 少 し 違 っ たと ころ に ある( それは 後に述べる)が, 白杉 博士 の主 張 は, 日本共産 党 が「 プ1==・レタ リア ート独裁」 を「 プ9 レ タV ア ート執権 」に 改訳 し たの ち, 最近 の第十 三 回臨時 党 大会に お い てそ れ をも 削除 し なが らも, 「 労働者 階級 の権 力」 か目標 とす るこ とは 堅 持 してい る ところ か らみて も, 正 しい と思 わ れる。 これ から本 論に入 る。 平 瀬 教授 は, そ の「 第一 節 独占 利 潤の 源泉 」にお い てい われ る。 「 ここで 白杉 庄一 郎 教授 の独占 価 格論 を と りあげ る のは, 教 授 の理 論 が き わめて ユ ニ ー クで あ るか らにほ かな らない 。 ユ ニ ー クだとい う の は, 現代 独 占利 潤 の基本的 源泉 を独占 企業体 個 々 の〔 ?〕直 接生 産過 程か ら み ちび きだそ うと されてい る からで ある。 す な わち, 白杉 独占価 格論 の基本 構造 はつ ぎの二論点 に 要約 されえ よ う。い って し まえば, 《限界 必要 労働時
間 =価格》 説 と特 別剰 余 価値 論 と の二 本柱 からな り たつ もので あ る」(同書222 頁)o( わた しが〔 ?〕をつ けた のは, 金融資 本, コンツ ェル ン・ コンビ ナ ー ト ・コ ングロ マ リット, さらに国家 独占資 本主義 と もな れば 「 独占企 業体 個 々 の」 と はいい きれない ば あい がで てく ると 思われ るの で こ の一 句 は削 った 方 がよい と考 える から で ある)。 そして 「第一 論点 《限 界 必要 労働時 間 =価 格》 説」 と して, 白 杉 博士 の理 論 を, つ ぎの よ うに要約 される。\「競 争段階 では, 一物 一 価法 則は, 同種商 品 の価格 の限 界 個別的 価値 へ の平準 化 とい う形 で自己 を貫 徹 す る。 た だし, そ れは短期 的で あった のに, 独 占段階 では長 期的 な法 則 とな る(前掲書92ぺ¬ ジ)。つ まり, 競 争段階 では, 平均 化 原理 が, 一 時的 に 限 界 原理に 自己 疎外 さ れるだけで, 長 期的 に は自己 を貫 徹 する煩向 をもっ か のに, 独 占段階 では, 疎 外 が長 期化 し固定 化 す る傾向 が あ る。 換 言す れば, 独 占段階 では長 期的 に も限 界必 要労 働時 間 の平均 必 要労 働時 間 への接近一 価値 と価格 と の一致一 − が阻止 され る傾 向 か ある, とい うこ とだ。 この傾向 は, 競 争 のな かに一時 的 に 独占 のは たら く余地 か おる よ うに, 競 争段階 で も準 備 さ れてい た。 平均 原理 は限 界 原理 を媒 介 と して自己 貫徹 した。 総生 産量 が 総欲 望量 に ほぼ一 致 す るか ぎり, 日 々の変 動 を支配 す る のは限 界原理 だが, 長 期的 に は変 動はブ 定 水準に平均 化 された の であっ た。 し かるに, 独占 は長 期的 平均 化 を妨 害す る ので, 長 期的 に限 界 原理 が固定 化 する。 か くして, 独 占 の本質 は限 界原理 の支配を固定 化 しな け れば な らない( 前掲書93ページ)」(同書222∼223頁)。 つづい て 丁第二 論点 特別 剰 余価値 論」 として おなじ く次 の よ うに 要約 さ れ る。 「そ うす ると, 限 界以上 の有 利な 生産 条件 を もっ 企業 家 の手 もとに は, 社 会的 価値 が 個別的 価値 を こえ るぶ んだけ, 特別 剰余 価値 もし くは特 別利潤 が発生 するこ とに な ろ う。 この よ うな 特別剰 余 価値 もし くは 超過 利潤 は自 由 競 争 の段階 では一時 的 ・消滅的 な もので あった が, 独占 段階 で は特定 企業 に 長 期的 に固定化 する。 ニのば あい, 特定 企業 とは, い ノう まで もな く独占企業 の ことであ る。 なぜ な ら, 独占企 業 は, たえ ず新 生産 技 術 を導入 するこ とに よ って, 《例 外的 な生 産 力》 を培 養 する ことが で き, 《 例外的 な生産 力》 は, 《 強 められた労 働》 と し て, 同一 時間 に もヨリ多 くの価 値 もし くは 剰余 価値 を 創造する こ とがで 谷るから である。 この ように して, 現代 の独占企 業 に あ
つて ば, 特別 剰余 価値 もし くは特別 利潤 は, 地代 とおな じく固定 化 して, 農 業 部 面 だけ でな く,工 業 部面 で も一 種 の《 虚偽 の社 会的 価 値》 を構成 する。 そ して, こ れ こそ, 現代 独占 利潤 の基 本的 源泉 で なくて はな らない 。 かく し て, 現代 の独占利 潤 は独占的 剰 余価値 の 現象形 態 とい う べ き で あっ た(前掲 書17,124 ∼126ページ)。 か くして平 瀬教 授 はい われる。 「 とい う わけで 白杉教 授 のばあい, 現代 独 占 利潤 は, 独占企業 体 内部 の直接的 生 産 行程 からprotanto に生 みだ される もの となる。 が, そ れだけに, 私 と して は異 論な きをえ ない 。 第一 ・第二 両 論点 ともに 賛意 を表 しがたい の である。 以 下 はそ の論証 にあ てら れる 」( 同 書224頁)と。 そ こで「 第二節 限 界価 格論 の含蓄 」 に移 名o 「 白杉 教 授が限 界必要 労働時 間 で市場 価 格 を決定 させる 論拠 は, いっ もっ『 そ れ以 外に, 社 会の必要 とす る生産 量 を確 保 する道 が ない か らで あ る 』(前掲 書15ページ)とい うロ ジ ッ クがは たらい てい る よ うで ある。 あ る い は, 多 少 いい 方 を変 え れば, 『 需要 と供 給 とが均 衡 して, 限界生 産者 の供 給に たい し て も需要 のあ る かぎり, 限 界必 要労 働時 間に よって 価格 の決定 され ることは 不 可避 で ある」(前掲書128ページ)とい う1= ジ ッ クがひそ んでい る とい って も よい 。 「つ ま り, 平均 で きまっ て はい けない の だ。 な ぜ なら, 平均 で きまると, 限 界供 給者 が個 別的 価値 以下 で売 らなく て はな らない ので, 市場 から脱落 して し まい, そ こから需 給 の均 衡 が破 ら れる とい う わけで あ る。し て みると, 教 授 の理 論 は,ニ農 産物 の市場 調節的 生 産 価 格が限 界状 況( 限界資本,限界土地, 限界位置)で 決定 される…… とい う, 差 額地 代論 その まま の 適用 だ とい う こ とが わかる だろう」 丁しか し, はた してそ うだろ う か ? 工 業 部面 で もい わ れる とお りの状 況 が 成 立 す るだ ろう か ■p そうで はあ る まい」( 同書225頁)。 「『 それ以 外』に も犬『 社会 の必要 とする生 産量 を確保 す る道 』は 存在 しう る。 そ の《道》 は平均 労 働時 間に よる 《道》 で あって もよい 。 『限 界生産者 の供 給に たい して も需要 が ある 』 から とい っ て, 限 界 必要 労 働時間 で価値 や 価格 が きまら なけ れば ならこない とい う理 由 は少 し もない 。 そ の と きで ざえ, 平均
労働時間 で きまっ てけ っ こうな ので ある」 「 とい う の は こう だ。限 界労 働時 間で 価格が きまらな け れば(平均労働時間で きまったのでは), 限 界供給 者 が市場 から脱 落す るは ずだ とい う 論理 に は, 限 界価 格で売 れな け れば限 界供 給者 は損失者 だ との思考 が ひそ んでい ることは 確 かで ある。 しか し, た と え限 界 価格 どおりに売 れな く て も(平均価格であっ ても),そ れが 利 潤(個別利潤=単純再生産可能利潤であれ平均利潤であれ)を ふく んでお れば(市場価値もしくは生産価格で売れさえすれば), 限 界 企業 もけ っ して 社 会的な 意味 で の損失 者 でない ことは 明らかだ ろう。 し たが っ て, 限 界労働 時 間でな くて 平均 労 働時 間が, 限 界価 格ではな くて平 均 価 格 が, 市場 調節的 となって も, 限 界 企業 は市場 から脱 落 するわけ ではない 。 そ れ ゆえに, 供給 量 が需要 量 より少 くな って需 給の均衡 が破 れる とい う事 態 は生 じない だろう。 限 界生産者 は 個別利 潤 率な り平 均利潤 率な りを実 現 する か ぎ りで の限界供 給 者 である こと, したが って, 価格は平均 生産者 で 決定さ れ て よく, 限 界生産 者 で決定 さ れ るこ とが 『不 可避的 』で あ りえ ない こ と, こ のこ と を銘記さ れ たい もの で あ る」(同書226頁)。 ここで二 つ のこ とをい わ ねばな らない 。第一 にい ま問 題 に してい るのは 独 占 資本主義 の もとに おけ る価値・価格法 則で ある とい う こ とで ある 。そうす る と『独占 資本 主義 の経 済理 論 』に おい て平瀬 教 授は,独占 資 本主 義 の もとでは(1) 平均利潤 も平 均利 潤 率 も成 立 せず企業 別 のば らばら の 利 潤率 が 存在 する の だ とい われ てい る のだ から上 記 の言葉 は削 って頂 きたい 。 さら に電要 な のは 同 じく独占 資 本主 義 の もとで は生産 価 格 も市場 価値 も存 在 せ ず 裸 の価値 が存 在 するだけ だ と主 張 さ れてい る のだか ら,これら の言葉 を削 っ て頂 きたい 。と ころ がこれら の 言葉 を削 って しまえば平 瀬教授 の論 証全 体 が成 立 しな くな る。 第二に平 瀬 教 授に は白 杉博士 の独自 の市場価 格論 がお わか りに なっ てい な い 。そ れは一 言でい えば, 短期 =限 界, 長 斯 =平均 とい う こ とで ある。 そ れ を説 明す れば, 短 期で は需要 量 に応 ずるだ け生産量 を増 や す生産 力 の発展 が 望 めない か ら, 市場 価 格は限 界 価格で決 まり,長 期 に おい て は そうい う生産 力 の発展 がお こ な われ るから, 市場 価 格は平均 価格で 決 まる とい う こ とで あ る。 これは明 か に マル クス の『資 本論』 を一 歩踏 み出 た理 論で あ る。 これ ま た1941 年 度 に 京 都大学 で白 杉助 教授( 当時)の「経済学 史」 の講義 を聴い た
と きに既に の べられてい た白杉 博士 の多 年 の持 論 の一つ で あるが, 詳 しくは 松 尾博 教授 の「白杉 博士 の遺 稿 『価 格 の理論 』」(『彦根論叢』第169・170号,人 文科学第31号合併1974年11月) を読 んで頂 き たい1)。 1) これはわたしの憶測であるが ,白杉博士 の短期 =限 界,長期=平均 とい う市場 価 格論は ,マーシ ャルの短期正 常 ,長期正常 とい う理論 にヒ ントをえられたもので はない だろ うか。 とい うのは白杉博士 の師石川 興二 博士 がマ ―シ ャルに心酔し,欧 州留学のさい死没直前 のマ ーシ ャル氏 と感 激の対 面 をされたとい う話 を聞い たこと と,公表されたものはもと より遺稿 にも特 にマ,. シ ャル研究 とい うものは見あたら ないが,あれはどの勉強家で あった白杉 博士 がMarsall のPrinciplesofPolitcalEconomy を読 んでおら れない は ずは ない とおも うからとで ある。 平 瀬教授 はっ づい てっ ぎの よう にい われる。 「 これが白杉 教授の限 界労 働時 間 二価格説 に たい する私 の致命的 で 根本的 な 不 満 で ある。 とい っ て, 教 授 は も とよ りそ んな こ とぐら い百 もご 承知の はず で ある。 そ の証拠に は, 教授 自身, あ る場 所 で, 『私 か こ こで 平均 利潤 とい う のは限 界企 業 も 実 現す るで あろ う よう な 利 潤 部分の こ とで ある 』( 前掲書144 ページ) と明言 され てい る。 そ れば か りで は ない 。 第 二論点 で の重要 な理 論的 支 柱で あ り, それ がなけ れ ば《 生産 論的 》 と誇 称す る 〔 ?〕 白 杉独 占理 論 が そもそ もな り たちえない はず の『 特別 剰 余価値 もしく は超過 利潤 』とい う の は, 教 授 のば あい , 『限 界 企業 も実 現 す るで あろう ような 』平均 剰余 価 値 もしく は平均利潤 をこえ る とい う意 味 の もので あろう 。 して みれば, 教 授 も言葉 のう え だけで な く論理 構造 の うえ から も, 『 限 界企業 も実 現 するで あ ろ うよう な利潤 部分 』 のこ とを 考え てお ら れ た わけで, 《 近代 経済学 》 の よ う に限界 企業 では利潤 がゼ1==lだ と想定 してお ら れない こ とは 明ら かで ある」 「 ただ, そ れを ときに そ れ も重 要 な場所 で一 忘 れ ら れるだ けな ので あ る。 い や, 私自身 で さえ教 授 の理論 に ひっ かかっ て, そ れを忘 れそ うにな っ たくらい で ある。 そ れとい う の も, こ の種 の忘 却 と混乱 とは, 存 外根 ぷ かく 古い もので, すで に リカ ード ゥ=Xニ1−トベ ルト ゥスをお としこ んだ穴 で もあ っ たのだ からで ある」( 同書227頁)。 白杉 博 士が重 大な場所 のど こで限 界企業 も利潤 をう る とい う こ とを忘 れら れ たの か具体的 に引用 して もら わなけ れば, わたしに は わから ない 。
さ ら に 博 士 の 公 表 論 文 の ほ か に 遺 稿 を も 加 え た 『 独 占 理 論 と 地 代 法 則 』 (1963 年11月1 日刊) の 《 補説 》「平 均 原理 と限 界 原 理 」 ( これは1960年6 月立命 館大学で の講演 手 稿であ り,い わば教授就任講演 とい うべきものであ った)の か かに , つ ぎの よ う に の べ ら れ て い る 。 「 平 均 原 理 は マ ル クス 径 済 学 が 古 典 経 済学 か ら受 け っ い だ 考 え 方 で あ っ た。 そ れは, ス ミ ス 密 な意味 の リ カ ー ド マル クス の経 済理 論 の 根幹 を形 づ くっ てい 平均 と,(2)い わば大量的平均一 その部 る といっ て よい 。 それに対 して, 近代経 済学 の成立 が限 界革 命 と よば れ,る ご とく, 限 界原 理 は近代 経 済学 の 根幹 を形 づく ってい る とい っ て よ い 」(同書212 頁)。 「 マル クス経 済学 は平均 原 理に立 脚 する もので あるが, 限 界 原理 を止揚 しう る 可能性 を もっ てい る。 け だ しマル クス自身 が, リ カ ードに な らっ て, 限 界 原理 をも採用 してい る から であ る」(同書212∼213頁)。 丁問 題はす でに 価値 論 に ある わけで あるが, こ こでは 価 格論 を中心 として考 え, 価格の 考察 に必 要 な か ぎりにおい て価値 論に論 及 す る こ ととす る」 「マ ル クスの価 格論 は, 『 資 本論 』の う ち十分 に展 開さ れず 残 さ れ た部分 の一 つ で あって, そ れ を体系 化 す るこ とは非常に 困難 であ るが, そ れは お よそ次の ご とく再 構成 さ れ るで あろ う」「 価 格の本来的 な規 定者 と して の価値g 社会 的 価値 二市場 価値 は生 産 価 格(=費用価格十平均利潤)に転 化 し, 価格 は 生産 価格 を中心 と して 変動 する」 「 価格変動 の中心 として の生 産 価 格は, 厳密に い えば市場 生産 価 格で ある。 市場 生産 価格 は個別的 な生 産 価 格 から競 争 を媒 介 として形 成 さ れ る。 す な わ ち, 競 争に よっ て個別的 生 産 価 格 が平均 さ れて 市場生産 価格 が成 立 する」(同書213頁)。 「 それで は個別 的 生産 諸 価 格の 市場 生産 価格 への平均 と は, ど うい うこ とか。 マ ル クスはこ れ を説 明 してい ない 。個別的 諸 価値 の市場 価値 への平均 に よっ て類推 する はか ない。 そ れに よる と, 平均 が二通 りに 考 えら れ てい る。(1)厳 い わけ 理 念的 な 面の平均的諸条件のもとで生産され且つその部面の生産物 の大量 をな すもの とが , そ れ で あ る 。 そ し て マ ル ク ス が 問 題 と して い る の は , 主 と し て 第 平均 で ある。 明 言 されてい る わけで はない が, これ は, 厳 密 二 の意味 の な意味の平均が, 資本主 義社会においては, 大量的 =位置的平均に自己 を疎
外 する とい う ことに マル クス が気づ い てい たこ とを示 す もので は な か ろ う か」(同書213∼214頁)。 「 それでは, 厳 密な意 味の 平均 は, どう して大 量的 平均 に 自己 を疎外 する の で あろ う か。 一部門 の金 生産 量 の う ち大量的 地 位 を占 める部分 の 個別的 生産 価格か, その全生産量を確保 するために社会的平均的に 的 一 般的 もしく は社 会的通 常 的 に とい う のは社会 必要な価格であると見なされるからで ある。そのさい,全生産量 は5 方では生産諸条件によって定 まるものでは ある鶴 他方では社会的欲望に依存するものであることを銘記しておかねぼ ならないであろう。けだ①如何なる生産諸条件が与えら れすい ようとも, 欲 望 の存在 しないところでは,与えられた生産諸条件の発動はありえない から である。したがって市場生産価格は,生産諸条件から見 て社会的平均的に必 要な価格であると同時に,社会的欲望 かち 見てもまた社会的平均的に必要な 価格である わけである」(同書214頁)。 この部分 も前記「価格の理論」でい っそう詳 しく論ぜられてい る。 次に,「農業生産物におい ては限界個別的生産価格が市場生 産価格として 妥当 する」 ゆえんが論ぜられてい るが,これは マル クス経済学研究者にとっ ては自明の理であるから省略する。 最後にさきに述べた市場 価格の短期=限界,長 期=平均という理論が展開 されているが,くりかえす必要はないで あろう。 見られるよう に, この手稿は一般的な価格論であって, 決して独占価格論 てはないけれども,これによっても白杉博士の独自な価格論の一 斑を知るこ とができるであろう。これをもって,平瀬教授の白杉説批判 ぺの回答の一部 とみなす ゆえ んである。 2 しかし平顔教授はさらに追及される。て問題はそれだけではない。教授の 《限 界労働時間=価格説》だと弱肉強食過程が 説明できない。 教授の理解で は,限界企業つまり最も劣悪な条件の企業 でさえ, その劣悪な生産性に対応 するだけの財価値を実現できるのだから,お よそ企業の破産だの没落だのと い う論理はどこから もでてきようがない からである。 これでは,い わゆる中
小 企業 問 題 な ど, い っ たい ど こに 存 在 し う る の で あ ろ う か ?」( 同書227 ∼228 頁 )「 こ う い え ば, 教 授 は 答 え ら れ る だ ろ う 。 限 界 企 業 の 没 落 は,『生 産 過 剰 の 現実 化 す な わ ち恐 慌 ない し 不 況 に よ っ て 』 (前掲書98 ペ ージ) と。七 か し, こ れ は 苦 しい 答 弁 とい う は か ない 。 恐 慌 期 に は 大 企 業 で も没 落 す る こ と が あ ろ う 。 と こ ろ が, 一 方 , 中 小 企 業 は あ え て 恐 慌 を ま た ず に 年 ご と に 破 産 ・没 落 してい る の だ 。 こ の 現 実 はい っ たい ど う 説 明 さ れ る の か ?」 「 た だ, 教 授 の 回 答 が 多 少 と も 回 答 ら し く な りう る の は, そ のい う 《 限 界 企 業 》 が 寡 占 市 場 で の限 界 企 業 , つ ま り 独 占 体 の な か で の 最 弱 の 独 占 体 , で あ る ば あい だ け だ ろ う」(m 書228 頁)。 ニ 零 細企 業 が 恐 慌 ない し 不 況 期 以 外 に も破 産 ・没 落 して ゆく こ と は平 瀬 教 授 の おっ し ゃ る とお りで あ る 。 し か し そ れ は い わ ば 限 界 か ら は み だ し た 限 界 企 業 で は ない だ ろ う か 。 も し/こ の 回 答 に 満 足 さ れ ない な ら , 教 授 自 身 がい わ れ て い る よ う に 独 占 体 の な か の 最 劣 等 経 営 と し て も よい 。 白 杉 博 士 は 明 向 に こ う い うば あい に も特 別 剰 余 価 値 か 発 生 す る と 言 明 さ れ て い る の だ から 。 い わ ゆ る中 小 企 業 問 題 を 独 占 利 潤 論 の な か で ぜ ひ と も解 決 せ ねば な ら ぬ と は 思 わ れ ない 。 そ れ は ま た そ れ で 別 個 の 問 題 で あ ろ う 。 七 か し 平 瀬 教 授 の 追 及 は さ ら に す る どい 。 「 さ ら に, そ れ ば か り で は ない 。 《 限 界 労 働 時 間 = 価 格レ 説 だ と, 平 均 利 潤 の 成 立 が 理 論 的 に 説 明 で き な く な る だ ろ う 。 独 占 段 階 で も平 均 利 潤 法 則 の支 配 をみ と め ら れ る 教 授 と して , し か も そ れ こ そ が 教 授 の 当 面 の 著 書 『 独 占 理 論 の研 究 』 第 三 章 第 二 節 の 強 置 点ミで あ っ て み れば , 教 授 ほ んら い の立 場 と, ま た当 面 の 著 書 全 体 の 基 調 と,そ れ は ど の よ う に 両 立 し う る の で あ ろ う か ?」 Γが んら い , 平 均 労 働 時 間 とい う 価 値 論 で の 平 均 原 理 が, 利 潤 論 で の平 均 原 理 に対 応 し て 平 均 利 潤 とい う一 貫 し た 論 理 に な る は ず だ が , 教 授 の よ う に, 価 格 論で の限 界 原 理 , 利 潤 論 で の平 均 原 理 とい う の で は , ど う も論 理 的 一 貫 性 を欠 く よ う に お も ね れ る 。 教 授 に あ っ て は ‥…・価 格 論 と 利 潤 論 と が 分 裂 し て い る とい う べ き で は な か ろ うか 」( 同書228 頁 )。 そ れで は 平 瀬 教 授 は, 価 値 論 から 一 般 的 利 潤 率 ・ 生 産 価 格 論 ま で は 平 均 原 理 で お し き っ てい な が ら , 地 代 論 で は 限 界 原 理 に 立 っ て い る マ ル クス の 『 資 本 論 』を も, 「 論 理 的 一 貫 陸 」 を欠 き 「 分 裂 し てい る 」 とい わ れ る の だ ろ う
か。平均原理 といい 限界原理 といっても,それらは現実 をい かによく反映し てい るか, とい うことによって決せらるべきで ある。同じ理論体系は同じ原 理によって一貫されねばならない とい うことではないであろう2)。 2) この機 会に経済理論学会第20 回全国大会( 於 日本大学経 済学部1972 年11 月8 日)におい て わたしのおこなっ た報告「独占理論 の前進 のための一試論 」に たい して な された一 つの批 判( 残念なが らその方 のお名前は聞 きもら した) にたい するお答 をしてお きたい。 わた しの報告 の骨子 は,白杉博士 は同一部 門内 の競争 の制限ばか りを論 ぜら れ,異部 門間の競争 の制限 のば あい も原理的に同 様で あるとさ れてい る のにたい して,わ たし はそ れはちがうと考 え,異部 門間 の競争 の制限 のばあい には, 独占体間と非独 占体間とにそ れぞれ異った平均利潤率が成立 すると考 え( ここまで は白杉博士 と み とめら れてい るところである), 独占体間には「独 占的生 産価格」 ( これは本 間要一郎教授かは じめて 用い られた用語で はあるが , わたしのばあい に は内容 が まったくちが う)が成立 するとのべた。 これに たい して前記 の批判者は, 「限界原理 によって 立 つ白杉理論 に平均原理 をもちこんでは 元 も子 もなく なるので はない か」 と指摘 され,わたしはとっ さにお答 えで きな かっ た。 こ れにっい ては平 瀬教授にたい して と同 様の回答 をすればよい とおもう。 すな わち「限 界原理 といい 平均原理 といい ,い ずれも現実 をよく反映 してい るか どうか とい うこ とに よって決 せらるべ きで あって ,同 じ理論 体系は同じ原理 によって一貫 されねば なら ぬとい う ことはない であろ う」 と。 なお上記 の報 告は,「独 占段 階に おける生 産価格 と市場 価値」( 東洋大 学『 経済経営論集 』第64 号,1972年3 月 )を要約し たものでは ある が,こ の論文 のなかの数値 の不 適当な ところ を改 め,そ れにともなって不適当な章 句 を削ってい るので,今 後 わたし の理論 を批 判 される方 は, 経済理論学会編『現代 帝国主義 と資本輸出一 経 済理 論学会年報第10 集- 』1973年 ,青木書店 所収 の 上記報告につい て批 判して頂 きたい 。 3 平瀬 教授 はつ ぎに 「第 三 節 特別 剰 余価値 の内実 」に おい て, さら に白 杉 独占理論 を追 及 さ れる。 《強 めら れ た労 働 =独 占的 剰 余価値 》 説は, 白 杉 独占理 論 のい わば核 心で あ る。 それ は, 第一 に は絶対 的 剰 余価値 の生産 方 法と も相対的 剰 余価値 の生産 方法 と もちが う特 別剰 余 価値 の生 産方 法 だとさ れ, 第 二に は通 説的 な《流通 過 程的 手法 》 と も ちかっ て純 粋に 《生 産論的 》 だ とさ れる」 「 教授 が右 のよ う な構 想の も とに 何 を考 え てお ら れる かは, 説 明 のた めに使 われ たつ ぎの数 字的 例解 をみれ ば ほぼ 明ら かだろ う。 ただ し, つ ぎの 例解 は, 『 資 本論 』第
巻 第4 編 第10 章 に あ げ ら れ て い る も の を 多 少 数 字 変 更 し た だ け の も の で あ る 。 … … 弓│ 用 文 は 文 意 を と っ て 要 約 的 に 紹 介 す る 。 云 々 」 ( 同 書229 頁 ) と さ れ て い る の で , わ た し も 平 瀬 教 授 の 要 約 を そ の ま ま 引 用 し て お く 。 「 あ る 商 品 の 生 産 部 門 で 必 要 労 働 時 間 か6 時 間 。 労 働 力 の 日 価 値 が600 円 。 剰 余 労 働 時 間 は2 時 間 。 剰 余 価 値 の 日 生 産 は200 円 。 与 え ら れ た 労 働 の 生 産 力 で は1 労 働 ロ (8 時 間 ) に8 個 の 商 品 を 生 産 。 各 個 商 品 に 消 費 さ れ る 生 産 手 段 の 価 値 は100 円 。 商 品1 個 は200 円 。 そ の う ち100 円 は 生 産 手 段 の 価 値 。100 円 は 付 加 さ れ た 新 価 値 。-あ る 資 本 家 が 労 働 生 産 力 を 倍 加 し ,8 時 間 労 働 日 に16 個 生 産 し か と し よ う 。 生 産 手 段 の 価 値 は 不 変 で , 商 品 の 価 値 は150 円 に 低 下 。 そ の う ち100 円 は 生 産 手 段 の 価 値 。50 円 は 労 働 の 付 加 し た 新 価 値 。 生 産 力 は 倍 加 し て も1 労 働 日 は800 円 の 新 価 値 を 創 造 す る の み 。 こ の 新 価 値 は2 倍 量 の 生 産 物 に 配 分 さ れ る 。 で , 各 個 生 産 物 に 帰 属 す る の は 新 価 値 の1/8 で な く び16,100 円 で な く50 円 。 商 品 の 個 別 価 値 は 社 会 的 価 値 以 下 。 一 商 品 の 現 実 価 値 は 個 別 的 価 値 で な く 社 会 的 価 値 だ か ら , 新 生 産 方 法 を と る 資 本 家 は 商 品 を200 円 と い う 社 会 的 価 値 で 売 る な ら , 個 別 的 価 値 よ り50 円 だ け 高 い わ け で ,50 円 の 特 別 剰 余 価 値 を 実 現 す る 。 た だ し,8 時 間 労 働 日 は8 個 で は な く16 個 の 商 品 を 生 産 す る ゆ え に,1 労 働 日 の 生 産 物 の 販 売 の た め に2 倍 の 市 湯 が 必 要 。 商 品 は 低 価 格 に よ っ て の み よ り 大 き な 市 場 支 配 が 可 能 だ か ら , 新 生 産 方 法 の 資 本 家 は 商 品 を 個 別 的 価 値 以 上 √ 社 会 的 価 値 以 下 で 売 る 。 … … た と え ば ,1 個180 円 。 つ ま り1 個 あ た り30 円 の 特 別 剰 余 価 値 と な 右 。 一 以 上 は 新 生 産 方 法 に よ る 特 別 剰 余 価 値 の 取 得 だ が , 重 要 な の は 社 会 的 価 値 と 個 別 的 価 値 と の 差 額 と し て の 特 別 剰 余 価 値 の 源 泉 で あ る 。 資 本 家 は16 個 の 商 品 を1 個180 円 , 計2,880 円 で 売 る 。 生 産 手 段 の 価 値 は1,600 円 だ か ら,1,600 ÷180 す な わ ち3/3 個 の 商 品 で 表 示 , 剰 余 労 働 時 間 は7/9 マ イ ナ ス3/3 す な わ ち3/ 個 で 表 示 。 乗lj余 労 働 に た い す る 必 要 労 働 の 比 は , 社 会 的 平 均 条 件 の も と で は2 :6 す な わ ち1 :3 だ っ た の に , い ま で は3/9: ㈲3 す な わ ち17:15 と な る 。 同 一 結 果 は つ ぎ の 計 算 で も 可 能 。8 時 間 労 働 日 の 生 産 物 価 値 は2,880 円 。 う ち1,600 円 は 生 産 手 段 の 再 現 価 値 。 残 り1,280 円 か 労 働 日 を 表 示 す る 価 値 の 貨 幣 的 表 現 。 こ れ は 同 種 の 社 会 的 平 均 労 働 の 貨 幣 的 表 現800 円 よ り 大 き い 。 か よ う に 例 外 的 な 生 産 力 労 働 は 《 強 め ら れ た 労 働 》 と し て 作 用 す る 。 同 一 時 間 内 に 同 種 の 社 会 的 平 均 労 働 よ り も 大 き い 価 値 を 創 造 す る 。 そ れ に 資 本 家 は 労 働 力 の ロ 価 値 に た い し 従 来 ど お り600 円 し か 支 払 わ な い 。 労 働 者 は600 円 の 価 値 を 再 生 産 す る の に 前 の よ う に6 時 間 で は な く3/4 時 間 を 要 す る の み 。 と い う の は ,160 す な わ ち3/4 時 間 で 足 る は ず だ か ら 。 剰 余 労 働 は6 −3/4 こ2/4 時 間 だ け 増 加 し , 剰 余 価 値 は200 円 か ら160 × (2 +2/4 ) =680 円 に 増 加 。 で , 改 良 生 産 様 式 を と る 資 本 家 は 同 種 の 他 の 資 本 家 に く ら べ て 労 働 日 中 の よ り 大 き い 部 分 を 剰 余 労 働 と し て 得 取 。 娠 ・ ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●・ ● ● ● ● ● ● ● ● ● つ ま り , か れ は 資 本 が 相 対 的 剰 余 価 値 の 生 産 に お い て 全 体 的 に お こ な う と こ ろ を 個 別 的 に お こ な う ( マ ル ク ス ) わ け で あ る 。 ( 前 掲 書24 ∼26 ペ ー ジ )」 ( 同 書229 ∼230 頁 ) こ れ に つ い て 平 瀬 教 授 は い わ れ る 。
「(1)生産性の上昇とは, ほんらい物的生産性の上昇のことである。文中の例 でい えば, 同一労働時間に8 個生産されてい たものが, 工6個生産されるよう に なることを意味する。その結果,商品 の価値は200円 から150円に低下する。 ただし, このような生産性上昇とその効果とが, ある特定 の企業にだけおこ っ たと仮定される。(2) ところが, 社会的 価値の作用効果によって, 右の特定企業の低い 個別価 値 も社会的価値なみの高さで通用する。その結果,特定企業の物的生産性は 価値生産性に転化する。つまり,特定企業はより多 くの価値 を生産 したこと に なるのである。文中の例でい えば,特定企業は180 円で売 ることになるの で,150 円の個別的価値との差額30 円だけ1 個につ き特別に利得する。商品 総量は16個だ から, 総計では480 円の特定利得になる。 これが特別剰余価値 とい うものである。 こ こ か ら 白 杉 教 授 は 結 論 さ れ る。 して みれば, 特 別 剰 余価 値 は絶対的 剰 余 価値の生 産方法 と もちが えば, 相対 的剰 余 価値 の生 産 方法 と も ちが う, そ して, そ れ は生 産過 程 で創 造 され た もので あ って, 剰 余価 値 の再 分配 の よ う な形 で流通 過程的 要 因 か らで て きた ものでは ない, と。 しかし右 の よう な特別 剰余 価値 は 相対 的 剰余 価値 の生 産 方 法 と どう ちがう の だろ う か ? ちがう のは た だ, 『 資本 が相対的 剰 余価 値 の生産 に おい て全 体 と して 拾こ なう ところ を, 個別的 に お こなっ た 』( ヤルクス) だけ で はない か。 全 体的 と個 別的 とい う関 係 を べっ に すれば, 文中 例 の 特別剰 余 価値 は相 対 的 剰余価値 の生産方 法 とす こし も ちが わない 。」(同書231∼232頁)。 「 が んらい , 剰 余価 値 の生産 方 法 とい えば, 絶対的 か相 対的 かのい ず れ かに つ きるので … …独占 段階 だか ら とて, 独 占的 剰余 価値 の生 産方 法 な どとい う 特 別 な方法 が ある わけ で なか ろう。 ただ, 独占 段階 で は, 教授 の論 法 に した が えば, 特別 剰余 価値 が独 占企業 に長 期的 に 固定 する こ とは あろ う。 しかし, 《 固定 化》 と か《一 時 的》 とかい うのは生 産方 法で は ない 」(同書233∼234頁)。 お っ しゃ る とお り, 独占 段階 に みられ る特別剰 余価値 の長 期的 固定 化 は生 産 方 法で は ない 。 しか しこの よ うに固定 化 し た特別剰 余 価値 を独 占的 剰 余価 値 と名づ け て, そ こに独占 利 潤 の基 本的 源泉 をみい だ して なぜい け ない の か, わた しに は わから ない 。『 独 占資 本主義 の経 済理 論 』に おい て あ れほ ど オリ
ジ ナ リ テ ィ ーを 発 揮 さ れ た 平 瀬 教 授 執 他人 の ば あい に は 一 切 オ リ ジ ナ リ テ ィ ー を み と め ら れ な い と す れば , こ れは ま っ た く 不 可 解 で あ る 。 つ づ け て 平 瀬 教 授 は い わ れ る。 「 とこ ろ で, 以 上 の よ う に, 資 本 が 相 対 的 剰 余 価値 の生 産 を全 体 的 に お こ な う と こ ろ を 個 別 的 に お こ な う こ と に よ っ て 発 生 する の が 特 別 剰 余 価 値 で あ っ た と す れ ば, ま さ に そ の こ と の ゆえ に , 特 別 剰 余 価 値 は, 教 授 のい わ ゆる 《 生 産 的 基 礎 》 か ら で は な く て , 逆 に 教 授 の い わ ゆる 《 流 通 過 程 的 手 法 》 か ら 生 じ た も の だ とい うこ と が わ か る だ ろ う。 な ぜ なら , そ れは 引 用 文 中 の 例 で い え ば 特 定 企 業 の 個 別 的 単 位 価 値 が180 円 … … で売 る こ とに よ っ て 生 ま れ た も の だ か ら で あ る 。 生 産 過 程 か ら 直 接 に で は な く 七, ま さ に 社 会 的 過 程 を 通 過 し て迂 回 的 に 生 ま れ た の で あ っ た 。 こ れ こ そ,《流通 過 程的 手 法》《流 通 過程的 要因≫ で なくて な んであ ろ う」( 上点 引用者)。 「 そ れも当 然で あ っ た。 流通 過 程的 手法 に なるは かない のは当 然 で ある。乗U 余 価値論 が が んらい 実物 分析 の論 理 で あ 名以上, 独占 利 潤 を直 接生 産過 程 か ら説 明す るこ とが無 理 な ので, 何ら か の形 で の《流通 過 程的 手法 》 ①剰 ③貨 余 価値の再分 配 か, ②い ま間 題 に なってい る社 会化 作用 過程 で あ るか, 幣 流通利 潤で あ る か一 以外 のど こから もでて き ようが ない からで あっ た。 そ れ を, あ えて生 産 過程 に もとめ よ うとす るの は《哲学 者 の石》 も同然 であ る。 ケネ ー =ス ミス以 来 の伝 統 と して生産論 的 ない し生 産主 義 の論理 を固守 す る気も ちは わかる が, 白 杉 教授 のば あい は, それが あ ま りに一 方的 に強 調 さ れすぎる きらい が ある ようにお もねれる」(上点引用者)( 同書234頁)o ここで二 つ の こ とをい わ ねば なら ない 。 まず 第一 に平 瀬 教 授 は, 《 流通 過 程 的 手法》《流通 過 程的要 因 》 とい うこ とを, 「 社会的 過 程 」「社 会化 作用過 程 」 とい う こと と同一 視 さ れてい る。 これ はお かしい 。 社 会的 過 程 の なかに は流 通過程 とと もに と うぜ ん生 産過 程 がふ くま れる。『 資 本論 』第一 巻第一 編 第一章 第二節 の 複雑 労働 の簡 単 労働 への還元 のとこ ろで マ ル クスは「 諸 種 の労 働が その度量 単位 と して の簡 単労 働に還元 さ れ る比 率 は, 生産 者 だもの 背後 で一 つ の社 会的 過 程に よっ て確立 され る, 云 々」 と だけい っ てい る。 こ れは 明ら かに説 明不足 であ り, そ の ために反 マル クス主 義 者( ボ エーム・ バウ ェルク,高田保馬等) から循環 論 証 だと の非難 を うけ, マ ルキ スト のが わで も
ベ ル ソシ 。ダイ ン的 誤解 や ヒル フ ァ ーデ ィ ソダ的 誤解 が 横行 して き た。 しか しそ れはすで に マル クスが 『哲学 の 貧困 』で示 唆 してい る ごと く, 流 通過程 にお け る問題 で はな くて, 生 産者 た ちの背後 に あ る生産 過程 に か んす る問 題 で なけ れば なら ない 。 しか しア ダ ム・ ス ミス や リカ ード ゥはこ の労働 還元が 交 換過程 で お こな われて ると考 えてい た。 し たがっ て この点 に か んす る平瀬 教授 の白 杉博 士批 判は, ス ミス =リカ ード ゥ的 誤謬で あ る とい って よい であ ろ う。第 二に 平瀬 教授 は「実 物分 析 の論 理」 と「貨幣的 接 近」(『独占資本主義 の経済理論』303頁) とを峻別 されてい る, もっ とはっ き りい え ば バ ラバ ラに とら えら れてい る。 しか しそ れら重 商主 義 か ら近 代 経済学 にい たる ブルジ ョ ア経 済学 で は たし かに バ ラバ ラに なってい る が, マ ル クス『 資本論 』に おい て は統一 的に とらえ られてい る し, 現在 の わ れ われは ます ます統一的 に とら え なけ れば なら ない ので は ない だろ うか。 平 瀬教 授 はさ らにい われ る。「《強 めら れ た労 働》 の価 値生 産性 につい て も お なじ こ とがい える。 教授, 《強 めら れ た労 働》 が よ り多 くの価値 を 創造す るこ とを強調 され るが(前掲書125,126 ページ), 《強 め られ た労働》 と は《例 外的 な生 産力 を もつ労 働》 のこ とで あ り複 雑労 働 のこ とで あろ う。 す る と, 《強 め られ た労 働》 が より多 くの 価値 を 創造 す る とみら れ るのは 社 会的平 均 労 働(単純労働)に たい して であ る。 …… とVヽう ことは, つ ま り, 平均 労働が 社 会的基 準 と なってい るからで あ り, 社 会的 価値 の成 立 と支 配 とが前 提され てい る からで あ る。 して み れば, こ の想定 は, 特別 剰余 価値 の発生 と同一の 根拠に もとづい てい る ことに な る。 つ ま り, この ば あい も, 社 会的 過 程を と お して迂 回的 に 価値生 産性 が《 強 め られ た労働》 に 付与 さ れ ることに な る」 (同書285頁)。 そ の とお りで あ る。 ただ し, 「社 会的 過 程 を とお して迂回的 に」 お こな わ れ るとい うこ とは, 決 して 流通 過 程 を とお してお こ なわ れる とい うこ とでは ない。 4 。 平瀬教授はさらに白杉博士を追及される。 「 こういえば, 教授は, 独占利潤 の基本的源泉をどうで も生産過程に もとめ
た い あ ま り( 前 掲書2 ペ ージ)特 別 剰 余 価値 もし く は 超 過 利 潤 の 実 体 的 基 礎 を 強 調 さ れ る( 前掲書100 ペ ージ)。 こ こ で 重 要 な問 題 に で あ う わけ だ が, 《 実 体 的 基 礎 》 か お る の は 価値 の に な い 手 と し て の使 用 価 値 で あ る 。 物 的 生 産 性 が 高 ま る の だ か ら √ 使 用 価値 量 ほ ま ちが い な く ふ え て い る 。 そ こ へ社 会 的 価値 の効 果 が 作用 して , 使 用 価 値 が 価 値 膨 張 を とげ る。 物 的 生 産 性 が 価 値 生 産性 に 転 化 す る。 し た が っ て, 教 授 のつ ぎ の発 言 は 決定 的 に 誤 っ て い よ う。 『 弱 小 資 本 と の 関 係 に お い て 独 占 資 本 の 取 得 す る超 過 利 潤 を, す べ て 剰 余 価 値 の分 配 加 え に 帰 着 さ せ て し ま うめ は, 流 通 主 義 的 偏 向 と い わ な け れ ば な ら な い で あ ろ う 。 こ の 偏 向 を さ け る た めに は, 我 々は ど う し て も, 独 占 資 本 が 弱 小 資本 に たい し て 通 常 もっ て い る生 産 技 術 上 の 優 位 と い う こ と を 認 め て か か ら な け れ ば な ら な い で あ ろ う 』( 前掲書44 ペ ージ) しか し, 生 産 技 術 上 の優 位 は 直 接 的 に は 使 用 価値 増 大 に か ん し, 価 値 増 大 に は か ん し な い 。 使 用 価 値 の増 加 が 価 値 の 増 加 に転 化 す る た め に も, ど うし て も 個別 価 値 の 社 会 的 価値 化 とい う社 会 的 作用 , つ ま り は 《 流 通 主 義 的 偏 向 》, を と お さ ねば 不 可 能 な の で あ る 。 ど う や ら 白 杉 教 授 も ペ テ ィ か ら ア ダ ム・ ス ミ ス ま で の 多 く の経 済 学 者 をお と しい れ た使 用 価 値 と 価 値 と の 混 同 と い う論理 を, い ま こ の よ うな 形 で 再 生 産 して お ら れ る よ う に お も ね れ る」 ( 同書236頁 )。 し か し生 産 力 の 増 大 が 使用 価 値 量 を増 大 さ せ るだ け で 価 値 量 は 不 変 で あ る とい うの は , 絶 対 的 剰 余 価 値 の生 産 と一 般 的 な 相対 的 剰 余 価 値 の生 産 の ば お い で あっ て , 特 別 剰 余 価 値 の 生 産 の ば あい に は こ れ と 異 な る と お も ね れ る。 マ ル クス は こ う の べ て い る 。 特 別 剰 余 価値 のば あい に は , 「 例 外 的 な 生 産 力 をもつ労 働 は自 乗 さ れた労 働 と して 作用 する, す な わ ち, 同 じ時 間 内 に 同 種 の社 会 的 な 平 均 労 働 よ り も大 きい 価 値 を 創 造 す る 」 (KarlMarx,DasKapital.Bd,I,DietzVerlag,s.333 長谷部文雄訳 河 出書房260 頁)。 見 ら れ る ご と く特 別 剰 余 価 値 の 生 産 の ば あい に は, 例 外 的 な生 産 力 を も つ 労 働 が 「 自 乗 さ れた 労 働 」 あ る い は 強 め ら れ た 労 働 と し て 作用 し, 同 じ 時 間 内 に お い て 同 種 の社 会 的 平 均 労 働 よ り も 大 き な 価値 をつ く り出 す の で あ る 。 こ れ は マル クス経 済学 のABC に 属 す る問 題 で あ ろ う。 平 瀬 教 授 の よ うな す ぐ れ た学 者 が ど うし て こ ん な こ と を 理 解 さ れ な い の か, わ た し に は わ か ら な い 。 《 流 通
主 義的 偏向 》 とい われてい るのが, 社 会的 過程 で あ り, な か んずく生 産過程 で あ るこ とは前 に の べたから く り かえ さな い。 平 瀬教 授 はっ づけ てい わ れる。 「 最後に, 特別 剰余価 値に か んして とくに 重 要 なっ ぎの問 題が 残っ てい る」(同書236頁)「白杉 説 だ と, 特別 剰余 価値 は 自 由競 争 の段階 に も発生 し たが, ただそ れは一 時的 で あっ たのに反 し, 独占 段階 では長 期に わたって固 定 し, こ れが独 占的 剰余 価値 とな る, とい うので あ った」(前掲書27ページ)「す る と, その論 法で は, 自 由競争 の段階 で も一 時 的 に は 独占 が存在 するこ とにな り そ れ は そ の と お り [ 筆 者 ] そ の.さ い の特別乗U余価値 が一時的 な独 占利 潤 だ, とい うこ とに なろ う」 「 しかし, 特 別 剰余 価値 は, 一 時的 に もせ よ, 自 由競 争段 階 の独占 利潤 で あ りうるだろ う か ? これ はお かしい 」 「特 別剰 余 価値 とい うのは, くれぐ れ もい うよう に, 社 会的 価値 の 作用 効果 をま って は じ めて発 生 し たも ので あ る。 平均 利潤 を こえ る超 過利 潤で ある こと は, 概 念の約 束に よって確 かで あっ た。 その さ い , 平均 利 潤 の大 きさは もと より, それ をこ える超 過利 潤 の大 きさ も, 優位 企 業 の生産 力格差 が与 えら れ すれば, 社会的 に 決定 され る。 それ を決定 す る も のは, 社 会的 価値 とい う与 え ら れ た大 き さで あ る。 需 要を与 えられ たもの とす れば, 価格 もま たおの ず から社 会的 価値 に よっ て決定 され る。 …… その 上うに 自 由競 争 を通 じて社 会的 に決定 され た価 格が, ど うして独占 価格で あ りえ よ うか ? な ぜな ら社 会的 に決定 され た価 格 とは… …, そ れこそが ま さ に 自由競 争 価格な の だから。 そ の よ うな価 格 のふ くむ利 潤が 独占利 潤 だな ど と, ど うしてい える のか ? もしい え るな ら, 資本 の有 機的構 成が 高く生 産 性 の高い 企業 が生産 価 格(平均 利潤) で 売 って さえ, 個 別利潤 をこえる 超過 利 潤が そ こにあ るか ぎり, こ れまた 《 独占》 とい え るだ ろ う]( 同書287頁)。 ここで もま た, 平瀬 教授 は『 資本 論 』の重 要 な読 みお としを されてい る。 マ ル クスは産 業革命段 階 にっ い てい っ てい る。 「機 械経 営 観一種 の独占 状 態 に あ るこ の過渡期中 に は利 得 が 非常 な もので あう て, 資 本家 は, で きるか ぎ り労働 日を延長 する ことに よっ て, こ の『 わ かい 初 恋時 代 』を徹底的 に利用 しよ うとす る」(a.a.O.S.426 同訳326頁)だ から, 自由競 争段階 で も一 種の 独 占利潤 は ありえ た のであ る。 つ づい て教 授はい われる。 「 独占 とい うから には, い っ さい の経 済行為 が
社 会 的 な 調 節 過 程 を へ て 自 律 的 ・ 自 然 的 に 決定 さ れ る の で な く , 独 占 者 の 自 発 的 意 思 に よっ て 決 定 さ れ る の で な け れば な ら ない 。 特 別 剰 余 価 値 は 独 占利 潤 で はな い 。 特 別 剰 余 価値 を ふ く む 価 格 は 独 占 価 格 利 潤 とい う か ら に は , 社 会 的 調節 過 程 を へ て 成 立 す る 超 過 利 潤 で な く て は な ら な い 。 独 占 価 格 と は, そ の よ う な 追 加 利 潤 を ふ く む 指 令 〔 さ れ た 〕 価 格 に ほ か な ら な い 」 ( 同書238 頁 )。 と う と う平 瀬 教 授 の 本 音 が で て し ま っ た。 プ ライ ス ・ リ ー ダ ー シ ッ プ とい う も の を 独 占 者 の 勝 手 き ま ま な 自 由 意 思 に よ る もの だ と 考 え て お ら れ る 。 こ れ で は独 占 利 潤 ・ 独 占 価 格 に い っ さい 法 賠 匹 を み と め な い ス ウ ィ ー ジ ー的 誤 謬 に ゆき つ く よ り ほ か は あ る まい3 )。3 ) ここでい ささか私事 にわた るが わたしにとって忘 れえぬ一 つのエピ ソード を紹 介しておきたい。 わたしが1959 年5 月10 日経済学史 学会第15 回全国大会( 於専修大 学生田校舎)で ,はじめて「 オーウェン主義 の成立一 恐慌 観 と労働価値=貨幣論 を中心 としてー 」とい う報告 をした日の夜 ,例によって岸 本誠二郎先生 の世 田谷 区 梅ヶ丘 のお宅 で研究的懇 談会が もたれ,当時専修大学教授で あっ た平瀬 教授は幹 事役として 御多 忙 のところ出席 され,経済理論学会第1 回大 会( 於 法政 大学)に出 席 されてい たため大分遅 れて米 られた白杉博士に たい して,平瀬 教授が「ぼく の本 [『独占資本主義 の 経済理論 』〕 をどう思 うか」 と尋 ねら れた のにたい して , 白杉博 士 は「い やまだ十分 に読んでい ない のでい ずれそ のうちに」 と答えら れた〔そ の約 束 を白杉 博士 は『 独占理論 の研究』 のなかの前記 の二 つの平 瀬理論批判 の節におい て果された〕 のち,「 ところで ,あなたは プ ライ ス・ リーダ ーシ ップとい うものを どうお考えですか」 と反問 された。 これに たい する平瀬 教授 のお答 えは上記 のよう に無法則的 な ものだ とい うことで あっ たし,白杉博士 の方は法則的 な ものだと考え られてい たことは たしかで あろ う。 わたしの知 るか ぎり平 瀬・ 白杉両 教授が直 接面 談されたのは この時 ただ一 回 きりであっただろ うとお もう。 それだけに わたしには 忘 れが たい ので ある。 と こ ろで 平 瀬 教 授 は っ ぎ に い わ れ る 。 「 こ う理 解 しな い と 『 資 本 論 』 第3 巻第7 章第50章 の有名な命題 《 独占 利潤 =剰余 価値 再 分 配論》 の 意 味 が わか ら な く な っ て し ま う だ ろ う」 そ の命 題 と は つ ぎ の と お り で あ る 。 「剰余価値 の平均利 潤への均衡化 が種々の生産部面で人為的 または 自然的独占お 上 びとくには土地所有 の独占とい う障害にあい ,この独占独占 の影響 を 引 ナる諸商品 の,生産価 格および価値以 上にでる一の独占価格が可能 とな るに して も,商品 の価 値 による限 界はこれがために止楊 されることにならない。 一 定諸 商品の独 占価格と は,他の商品生産者 のえ るはずの利 潤の一部 を,この独占価 格 をもつ諸商品に移転 させることにす ぎない。種 々の生 産諸部 面への剰余価格 の配分 のうえには ,このた
め間接 に局部的波乱 がおこることに なろ うが ,この波乱は剰 余 価値 そのものの限 界 を変えない 。 もし独占価 格をもつ商品が労働者 の必要消費に帰 するとすれば ,労働 者 が依然 として労働力 の価値 を支払 われるかぎり,このため賃金 は騰 貴して剰余価 値 の減少 をきたすだろ う。 かような商品 は賃金 を労働力 の価値以下 におし下げる こ ともあ りうる。けれ ど乱 それは賃金 がその物理 的最低限以 上にたっ か ぎりでのみ お こな われる。 このばあい には労働者 の実質賃 金( つ まり労 働者が同一量 の労働に よって うけ る使用価値総 量) と他 の資 本家 たち のえるはずの利潤 との両 者からの控 除に よって ,独占価格が支払 われるだろ う。独占価格が商品価格 の調 節に影 響する 限 界は確 定 されていて正 確に計算 し うる」(イ ソスティトユ ート版917 ページ)」(同 書239 ∼240 頁 ) この命題にっいては白杉博士はすでにつぎのようにい われてい る。「私見 によれば, マル クスがここで独占価格とい っているのは,現代 の独占のごと く必 ずしも生産力の優位を基礎とすることのない一 資本制生産様式 の内的 必然性 から発生したのでない一 自然的なVヽし人為的な独占が可能にした独 占価格のことであって, 現代の支配的な独占価格と異な り, 完全独占の本質 をもったものと解釈されなければならない。この種の独占価格のもたらす独 占利潤は, それの本質的部分にか んして,当 該生産部門 に直接の生産的基礎 をもたず, したがってマルクスがなしてい るごとく, 他の生産部門で生産さ れた価値ない し移譲によって説明されるはかない。 しかしマルクスが今日循 し生 きていて, 現代の独占利潤を問題とする機会をもったとするならば,お そらく彼は同様の理論を適用することはな かったであろ う。そしてそれ自身 の生産的基礎をもっ ものを専ら流通過程からのみ説明す るものこそが流通主 義者な のである。……そしてマル クスが生 きてい た当時 は理由があってなし はしたけれども一 今日もし生 きてい たならば事情の変化に対処してなしば しないであろ うようなことを,彼の原則にしたが う所以 だと考えて, 事情の 変化に目をとざして今日あえてするものが教条主義者な ので あ る」(前掲書1O ∼11頁,上点引用者) 平瀬教授はい われる。「銘記しよう。『資本論 』第三 巻の《独占価格=剰 余価値再分配》ほまちがいなく独占の問題だが, 第一巻 の特別剰余価値は独 占の問題ではない。ただ特別剰余価値の《固定化》とい うことだけが, 独占 の問題でありうるにすぎない。 自由競争段階で一時的にせ よ成立 する特別剰余価値にしてすでにそうであ
る 。 だ か ら , 独 占 段 階 で 平 均 剰 余 価 値 を こ え る 特 別 剰 余 価 値 が 成 立 し た と し て も 成 立 し かとす れば, それ は固定 化 する だろ う こ うい う社 会的 作用 のかぎりでの特別剰余価値が独占利潤 だなどとい うことは, これまたあ りえないだろ う。それは独占企業 の生産力にたいする当然の社会的報酬にす ぎない。独占利潤とい うからには独占者の意思によって追加されたものでな け ればならない」(同書,240頁)。 さあここが平顔理論と白杉理論との岐 れ道 だ。平瀬説では独占者 は欲する だけの独占利潤 を獲得しうる万能の全権者だ。教授は「 こうい う社 会的 作用 のかぎりでの特別剰余価値が独占利潤の基本的 源泉だなどとい うことはあり えない」と断言されるが, 「こうい う社会的 作用」すな わち個別価値の社会 的 価値化によって生 ずる特別剰余価値の独占資本主義の もとでの固定化が, どうして「 独占資本主義のもとにおける剰余価値の法則」でありえないのか, 不明である。 平瀬教授はさらにい われる。「 ただし, 私は,現代独占の段階では平均利 潤率の成立 と支配とを みとめない から平均剰余価値率 をこえるとい う意味で の特別剰余価値をみとめない。私が みとめるのは個別的……乗U余価値をこえ るという意味での特別 乗U余価値だけである。この意味での超過利潤での超過 ならば,独占者の意思にもとづくのであって,社会的 調節過程をまつわけで ないから, 大 きくも小さく もありえ よう。それなら現代独占利潤 の源泉 とな りうるだろう。そして, 私は, 個別率をこえるとい う意味での超過利潤を, 剰余価値の再分配ぷんをこえる貨幣 =流通利潤としてっ かんだので あった」 (同書240∼241頁) 『独占資本主 義の経 済理論』において展開された平瀬教授 の独自 の 独 占 利 潤・独占価格論の検討は, さきにおことわりしたように別稿に ゆずる。 5 最後に平瀬教授は, 「第四節 むすび」 としてつぎのようにのべられる。 丁以上で もって白杉 独占理論の構造分析はおわった。これでわかったことは つ ぎのとおりであうた。《限界労働時間=価格》説は市場 価格の理論 として 支持しがたい こと, 特別剰余価値は独占利潤の源泉ではありえない こと, そ
れ ゆえに, 《限 界労働時 間 =価 格》説 を市 場 価格 の 理論 と して出 発点 にすえ るこ とに よっ て, 限 界企業 より も技術 的生 産 性 の高い上 位企 業 におい て, 社 会的 価値 の作用 効果 を うけて生 じ る特別剰 余 価値 を もっ て独 占 利潤 としそれ を もっ て 《生 産論的 》 説 明だ とす る理く っ はな り た たない こ と。」(同書241 ∼242頁)。 わたし は上来 平 瀬教授 が ここでい われてい る こと とまさ に逆 の ことを論証 して き たつ も りで ある。 「独 占利 潤 の《生 産論的 》解 釈 は失 敗 で あ る。《追記。しかし,きわめて野心的 で革新的な失敗であった》そ れは当 然 で なけ れば な らない 。 昔 から経 済学 者を 悩 まし た問題 の一 つ に《交 換価値 の矛 盾》 とい うのが あ って, そ れが示 して い るよ うに, が んらい生 産 力 と価値 とは逆 行 し, 矛盾 し あ う ものな のだから。 し たが って 独占 企業 の高い 技術的 生産 性 が, そ れ独 自で ( 社会的 価値 の調節 作用 を またない で), より多い 価値 を, そ れ ゆえに より多 い 剰余 価値 を, ま たそ れ ゆえに独 占的 剰余 価値 とい われ る よ うな もの をレ 生産 する ことは不 可 能 な ので あ る。 それを あえて 可能 だ と解 釈し よ うとす る のは, 理論家 の無理 とい うもの だろ う。 もう一 度い えば, 剰 余価値 が実 物分 析 の論 理で あ る以上 ‥・…'> 何 ら かめ意味 で の《流 通過程 的手 法》 に またなけ れば, 独占利 潤 は説 明し え ない ので あっ た」( 同書242頁)。 わ たしは さ きに, 生産 力 と価値 とが 逆行 し矛盾 し あ うの は, 絶対的 剰 余価 値 の生産 と一 般的 な 相対 的 剰余 価値 の生産 におい で であ って, 特別 剰余 価値 の生 産 におい ては, 生 産性 の高い 労 働が 「 自乗 さ れた労 働」 あるい は強 めら れ た労 働 とし て作用 して, 社 会的 平均 労 働 よ り も同一時 間 内に よ り大 きな価 値 をつ く りだ すこ とを論証 し か。 かく して, 失 敗 し たの は白 杉独 占理論 では な く て, そ れに たい す る平 瀬 教授 の批 判で あ っ たとい わ ねばな らない 。 6 つ ぎに本間要一郎教授の『競争と独占』第4 章 独占形成の論理,第五節 独占利潤の源泉,2 独占的超過利潤 と「限界原理」一 白杉説の検討- に おける,独占的剰余価値論批判の検討に うっ ろ う。 本間教授はいわれる。「独占的超過利潤の源泉は,少なくとも基本的には