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ウェーバー支配論の研究(1) : 社会維持の一般理論とその応用

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ウェーバー支配論の研究(1)

一社会維持の一般理論とその応用一

国  木  正  仁

序 章  一九二〇年の初夏,マックス・ウェーバーが肺炎で五十六才の生涯を閉じ たとき,そこには,いくつかの未完の研究と構想のままに終った研究がのこ されていた。いま,仮に彼の膨大な学問業績を,方法論と政治社会学と宗教 社会学の三大領域に絞るにしても,完結していたのは,最初の方法論の研究 領域だけであり,他の二つは,作業の途中あるいは計画の段階にあるおおく          1) の研究を含んでいた。たとえば,宗教社会学の領域においては,原始キリス ト教の研究とイスラム教の研究が予定されていたにもかかわらず,まだ,手 つかずのままのこっていた。そして,なによりも政治社会学の領域において は,彼の遺著となった『経済と社会』の終章の一部(近代国家と近代政党の 研究)は,まだ執筆されておらず,しかもその一方で,この大著の全面的な        2) 改訂と再編成の作業が進行中であった。この間の経緯については,近年脚光 1)妻マリアンネは,死の直前のウェーバーが,「自分がもくろんでいる学問的課題は,な お百年かかるだろう」と語ったと伝えている。(Marianne Weber, Mex Vaeber, Ein Lebensbild, Tubingen,1926,大久保和郎訳『マックス・ウェーバー』新装版,みすず書 房,一九入七年,五一七頁〉。 2) 『経済と社会』の成立の編年史をかけば,つぎのようになる。一九〇九年『社会経済 学要綱』の監修依頼を受諾/一九一一∼一三年掛自己分担分の草稿を執筆/一九一四年  『網要』の刊行開始(叢書の構成一覧を掲載)/一九一八∼一九年 草:稿の改訂・再編 成およびその分冊形式での刊行を決意。第一分冊の原稿を出版社に送付/一九二〇年 同校正刷を校正。死去。  そして,一九一四年の「構成一覧」によれば,ウェーバーの自己執筆分の最終部分が, のちのヴィンケルマンの手になる「国家社会学」の章にあたる「近代国家の発展」と「近/

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をあびているF.H.テンプルックや折原浩の作品史研究が,つまびらかに          3) してきたところである。また,この「国家社会学」の延長上に,革命の社会       4) 学(転覆の理論)を企画していたのはあきらかである。あるいは,これらの 作業とはまったく別に,音楽社会学だけでなく,芸術全般にわたる包括的社       5) 会学の企図ももっていたという。  ともあれ,これらもろもろの進行中ないし未着手の作業のうち,死ぬ直前 のウェーバーがもっともうちこんでいたのは,近代国家と近代政党の命運を めぐる「国家社会学」の研究であったのは,まちがいない。そのことは,絶 筆となった『経済と社会』の一九二〇年改訂稿の終末部分(「支配の諸類型」) のなかで,あとにつづくべき章としての「国家社会学」へ再三にわたって言 及している事実からもあきらかであるし,また,彼の死で中断されたままに おわったミュンヘン大学での講義題目が,「国家論」であった事実からもあき らかであろう。そして,このことは当時のドイツ(ならびにウェーバー)の 置かれていた状況をもかんがえあわせるならば,しごく当然のこととおもわ れる。すなわち,当時のドイツは第一次世界大戦の敗北とそれにつづく社会 主義革命の結果,それまでの専制的なカイザ一息トゥムが瓦壊し,それにかわ るべき新生のワイマール共和制は面争期にあっていまだその基礎がかたまら \代政党」であり,この部分は未完のまま終った。その一方で,一九一八年時点で彼はこ  の草稿の大改訂・大再編を意図したのであり,その改訂ずみの部分が現行の『経済と社  会』第1部である。同第II部は,彼の死後,マリアンネをへて最終的にはヴィンケルマ  ンの手によって,改編途中にあったこの草稿を再度一九一四年の「構成一覧」にもどっ  て編集しなおしたものである。いずれにしろ,ウェーバーの主著とされる「経済と社会』  は,未完の著といわざるをえない。 3) F.H. Tenbruck, Das Werk Max Webers, in Kb’lner Zeitschnft fdr’r Soziologie und  So2ialPsychologie, Jg. 27. Heft 4, 1975, W. Schluchter, 〉 Wirtschaft und Gesellschaft<<,  Das Ende eines Mythos,茨木竹二訳「『経済と社会』仮構の終焉」『思想』七六七号(岩  波書店,一九入八年),折原浩『マックス・ウェーバー基礎研究序説』(未来社,一九入  八年)などを参照。 4)VVuG S.155,参照。 5)R. Bendix, Mau Weber. an intellectesal Portrait, Doubleday lnc.,ユ960.折原占術『マ  ックス・ウェーバー』(中央公論社,一九六六年)五一六頁。

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ウェーバー支配論の研究(1) 47 ず,内政外政にわたる数々の困難のなかで,まさに国家存亡の危機にたたさ れていたのである。こうした状況のもとで,これまでも国政にたいして積極 的に発言してきたナショナリスト=ウェーバーが,切迫した危機感をいだい たのは当然であった。彼はワイマール憲法の創案者のひとりとなり,「新しい ドイツ」「大統領」などの苛烈な時局発言をくりかえすとともに,他方で,その 理論的立場の整理と確認をもとめて,「国家社会学」の研究に没頭したとかん          6) がえられるのである。時局発言と国家社会学研究とは,いわば困難に対処す るウェーバーの活動の両輪であったといってよく,さらには,こうした営み のつみかさねのなかで,彼は,ドイツの未来を展望しようとしていたといっ てよい。  さて,ここでわれわれがとりあげるのは,最:晩年のウェーバーが心血をそ そいだ,こうしたいちれんの時局発言(政治評論)と政治社会学的研究(「支 配の諸類型」,「国家社会学」の構想)である。その理由は,おおきく三つあ る。ひとつは,未完におわった「国家社会学」の構想を,われわれなりに再 6)ビーサムはまったく逆に,つぎのようにかんがえる。「……ウェーバーが学問をなすこ とと政治的宣伝にたずさわることの間に,自分の学問的役割と政治的役割との間に,自 覚的な区別を立てた,……これは,彼の政治的著作の要点は政治的な脈絡の中に求めら れるべきであり,彼の社会学の要点は,少なくともまず第一には独自な学問的伝統の内 部に求められるべきである,ということを意味する。この方法でのみ,それぞれについ て明快な理解を得ることができる」(D.Beetham, Mex Weber and the Modern Politics, Allen&Urwin Ltd,1974.住谷一彦・小林純訳『マックス・ウェーバーと近代政 治理論』未来社,一九入入年,四二頁)。しかし,これにたいしてはシュルフターがつぎ のように批判する「……ビーサムは,政治的著作と学問的著作の境界線は守られている はずだ,という。なぜなら,政治的著作にたいする準拠点は政治的状況であり,学問的 著作のそれは科学的伝統であるからだ,というのである。個人的・政治的見解と学術的 作品の対応を構成するウェーバーの作品の解釈者はすべてあまりにも粗雑である,と彼 が確認するとするなら,私はビーサムの見解に賛成はするが,しかし政治的著作と学術       む       む   む   む       む   む  む       む      む   む   む       り      む 的著作の分離を確信することはできない。両者の分離という考えは,政治と学問,価値  む  む  む     む     む      む     む  む     む  む  む        む     む  む     り       む     む  り     む    判断と事実判断,政治的選択と価値自由というウェーバーの区別とは符合しないのであ  む る」(W.Schluchter, Rationalismus der Weltbeherrschzang. Stzadien zu Mas eWeber, Frankfurt am Main,1980,米沢和彦・嘉目克彦訳『現世支配の合理主義』未来 社,一九入四年,三ニー頁)。われわれの立場は,このシュルフターのかんがえを受けつ ぎ,さらに徹底させたものである。

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現してみたいという願望である。いまひとつは,このいちれんの作業のなか で彼がたどりついた,「人民投票的指導者民主制」という国家構想の歴史的評 価をいま一度おこないたいという願望である。そして最:後は,こうした社会 維持の力学の理想をもとめる彼の努力が,日本社会の現在にたいしてもちう る意味を検討してみたいというねがいである。  すなわち,『経済と社会』(第四版)第II部第九章の一部をなす現存の「国 家社会学(合理的な国家アンシュタルトと近代的政党および議会)」は,ウェ ーバーじしんの手になるものではなく,彼の没後三十年目まりをへて,『経済 と社会』の第四版を編輯したJ.ヴィンケルマンが,講義でウェーバーが予 告した体系にもとづいて,「一般社会経済史要論」「新秩序ドイツの議会と政 府」「職業としての政治」の諸論文から関連する部分をぬきだし,独自の観点        7) から再編・構成したものである。したがって,その内容は,ウェーバーの当       8) 初の意図を忠実に再現しているとはいいがたい部分がある。とりわけ,当時 の彼をとらえて離さなかった,ワイマール=ドイツにおけるよりよき政治指 導のありかたという文脈でみるとき,そこには,同時期の「支配の諸類型」 後半部の内容がじゅうぶん生かされていないきらいがある。なぜなら,「支配 の諸類型」の第七節以降には,あきらかに,こうした問題を解明するための 理論枠組が展開されているとかんがえられるからである。逆にいえば「諸類 型」の,正当的支配の三類型をめぐる前半部の議論と,合議制と権力分割・ 政党などいわば支配の民主化をめぐる後半部の議論のあいだにみられる一種 の断絶も,こうした問題意識から読むならば,当時のよりよき政治指導のあ 7)第九章第入節がそれであり,これとは別に,詳細な解説を付した単行本としてもヴィ  ンケルマンはこれを刊行している(」.Winckelmann, Staatssoziologie des rationalen  Staats und modernen Politischen Parteien und Parlamente, TUbingen, 1956). 8)これについては,モムゼンのつぎの批判が代表的である。「……『新秩序ドイツの議会  と政府』と『職業としての政治』とから抜粋された断片が,二つのテキストのあいだに  はマックス・ウェーバーの政治観の発展においていちじるしい飛躍一とくに議会主義  の評価にかんして一があるという事実にもかかわらず,ないまぜにされて示されてい  る。とりわけ,また,そのことによって,あたかもウェーバーの国家社会学は,もし彼  がそれを完成しえたならば,およそこのような姿をとっていたかのような誤った印象が  生まれよう。しかし,他方,ウェーバー自身によって完成されたであろう国家社会学に/

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      ウェーバー支配論の研究(1)  49 りかたをもとめる理論枠組として,無理なく読みとおすことができるのであ る。  そして,さらにいうならば実は,難解といわざるをえないこの「支配の諸 類型」の整合的な読解をめざしたい,というひそやかなねがいもわれわれに はあるのである。ちなみに,ウェーバーにかんする該博な受容史を書いたA. ツィンゲルレは,「支配社会学の受容史だけでも数巻を必要とする」としなが  9) らも,この領域の研究について,具体的にまとまったかたちのものとして参 照するのは,R.ベンディクス, W. J.モムゼン, D.ビーサムなど,数 人をかぞえるにすぎない。意外とこれについての研究は手うすなのである。 そしてたとえば,その代表と目されるベンディクスの研究をとってみても, やはり「支配の諸類型」の読解に難渋し,「……合法的支配の変形にかんする 分析は,明示的にはなされていない。その理由は,ウェーバーが彼の政治社       10) 会学を完成させなかったことにある」として,ちょうどその部分にあたると かんがえられる後半部の読解に失敗しているのである。けだし,この論文に は定義命題の羅列がおおく,その全体をとおした論旨を理解するのはきわめ て困難だからである。その読解が課題となるゆえんである。かくのごとく, \おいては議会主義的・民主主義的《イデオロギー》がなおいっそうつよく定式化された  であろうし,そして,人民投票的な要素がますますつよく前面にあらわれたであろうと  いうことはほぼ明らかなことである。・・…・〔こうして〕違った時期に,部分的に違った  意図をもって執筆された部分をぴったり接ぎあわすことは許されない」(WJ. Momm−  sen, Mav Weber und die deutsche Politile 1890−1920,3 Aufl, Ttibingen,ユ959, S.  xix)。なお,日本では居安正がより端的につぎのように指摘している。「しかし,こうし  てできあがった『国家社会学』は,……なお〔ヴィンケルマンが再現した〕構想のすべ  てをおおうものとはなっておらず,加えてそれらが異なった論文の異なった文脈から抜  粋されているため,必ずしも首尾一貫したものとはなっていない。ウェーバーがなお生  きながらえて自ら執筆することができたら,この『国家社会学』の諸部分でさえも,明  らかに別なものとなっていたであろう」(居安正「近代国家と大衆民主性」向井・石尾・  筒井・居回『ウェーバー支配の社会学』有斐閣,一九七九年,一七三頁)。 9)A.Zingerle, Mex Weろers雇s’碗s伽Soziologie, Aspelete undル観爾α伽zur  Wirkungsgeschichte’, Darmstadt,1981.井上博他訳『マックス・ウェーバー一影響と  受容  』恒星社厚生閣,一九入五年,一二二頁)。 10>ベンディグス『マックス・ウェーバー』,前掲訳書,五一六頁。

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50  彦根論叢第269号 国家社会学の再構築という課題のうらには,同時に,「支配の諸類型」の読解 といういまひとつの課題が含まれざるをえないのである。  つぎに,第二の理由についてだが,よりよき政治指導をもとめて,「議会制 民主主義」をへてウェーバーが最後にたどりついたのが,「人民投票的指導者 民主主義」という構想であった。ごくかいつまんで述べれば,この経緯はつ ぎのように説明されよう。すなわち,ビスマルクの第二帝政のもとでは,ド イツ帝国議会は徹底的に無力化され,指導者のそだちえない「消極的な政治」 の機関と化していた。ビスマルクの失脚後,国政は青年皇帝の虚栄心と無統 制の官僚支配によって迷走し,真に有能な政治指導の構築が焦眉の急となっ た。これにたいするウェーバーの解答は,帝国議会の権力を強化し,その熾 烈な議会活動のなかで頂点をきわめた政党指導者の手に国政をゆだね,この 政治的才にめぐまれた指導者が精確無比な官僚機構を駆使して,ドイツの舵 をとるというものであった。いわば議会による指導者選択だといってよい(議 会制的民主主義)。しかし,この構想は旧勢力の権勢のまえに,第二帝政下で は日の目をみることはなく,それが実現されたのは,敗戦と革命によってカ イザートゥムが瓦壊したのちのことであった。ところが,高価な犠牲をはら って成立したこの議会主義体制も,いざ実現するとただちにその欠陥を露呈       11) するにいたった。非民主的な旧選挙法への反動から完全比例代表制がとられ たこともあって,議会は利益代表的な小党分立におちいり,この分裂のなか から,国論を統一し国益を擁護する真の指導者があらわれることなど望むべ くもなかった(指導者なき民主主義)。こうした新しい事態に,ウェーバーは 旧来のかんがえをあらため,国民投票によって大統領をえらび,議会から独 立したカリスマ的権威をもつ彼に行政機構を駆使する強大な権限をあたえて, 個別利害をこえる真の国家指導を実現しようとした。いわば人民投票による 指導者選出といってよいだろう(人民投票的指導者民主主義)。そしてこの構 11)帝国の中枢をなしたプロイセン邦下院の「三級選挙法Dreiklassenwahlsystem」が,  それである。これは,多額納税者により大きい投票権をあたえる非民主的なものであり,  保守主義の牙城となった。

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       ウェーバー支配論の研究(1)  51 想の実現をもとめて彼は憲法起草委員会にくわわり,事実,ある程度までそ          12) れに成功したのである。  しかしながら,ウェーバーの「転身」にたいしては,W. J.モムゼンを       13) 代表とする厳しい批判がある。すなわち,ウェーバーの「指導者民主主義」 の思想は,没後C.シュミットなどに継承されて,ナチス=「指導者国家」 の悪夢の始祖となり,その歴史的責任は免れがたいというのである。すこし 説明すればこういうことだ。ウェーバーは社会の官僚制化の趨勢を過大にか んがえ,ドイツ帝国の繁栄のためには,官僚支配の重圧をうち破りドイツを 主導しうるカリスマの存在が不可欠だとする。こうした文脈から,民主主義 も指導者選択の装置としてのみとらえられ,「自由な市民による自律」という 本来の意味は軽視される。その行きつくところ,人民投票による強力な大統 領制の主張であり,この過程で,議会による大統領権力のチェック機能が脱 落する。党官僚によるカリスマの圧殺をおそれるあまり,逆にカリスマによ る専制の危険を等閑視してしまうのである。そして,これがシュミットにい たっては,完全な大統領独裁制の主張にまで行きつくのである。いうまでも なく,ナチズムのドイツ制覇は,議会制民主主義の崩壊→大統領独裁国家の 誕生→ヒトラーへの合法的政権授与,といういちれんの過程をへたものであ り,そのなかで,人民投票でえらばれた大統領がナチズムへの橋わたしをし たのは否定しがたい。その意味で,ウェーバーの理論がナチズムの制覇を容        14) 易にし,いわばその先導者になったともいいうる。こうしたモムゼンに代表 12)一九一入年十二月,ウェーバーは,彼とおなじ民主党に属する内務大臣H.フロイス  の要請を受けいれて,唯一の民間入として憲法起草委員会にくわわった。そこで彼は,  大統領の人民選挙・議会の調査権を強力に主張し,ある程度それらをワイマール憲法に  反映させるのに成功したのである。 13)W.J. Mommsen, Mex Weber und die deutsche Politik 1890−1920,参照。同様の批  判は,R.アロンによって,第十五回ドイツ社会学会(一九六四年,ハイデルベルグ)  のウェーバー生誕一〇〇年記念シンポジウムの基調報告でもくりかえされた(0.Stam・  mer Chrsg.),Mczx Weber und die Soziologie heute, TUbingen,1965,出口勇蔵監訳『ウ  ェーバーと現代社会学』木鐸社,一九七六年,参照)。 14)山口定「マックス・ウェーバーと指導者民主主義」「思想』第四七二号,岩波書店,一  九六三年,五三頁。

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52  彦根論叢第269号 されるいちれんの批判は,晩期ウェーバー理論にめばえた反議会主義を一面 的に拡大し,極端化するきらいはあるにせよ,やはり,いちめんの真理を含 んでいる。われわれとしては,こうした批判がどの点で,またどの程度あて はまるのか,いわばウェーバーの蹉跣とその理由をさぐるというかたちで, いま一度,彼の「指導者民主主義」思想の歴史的再評価をおこないたい。  さて,最後に第三の理由についてだが,以上からわかるとおり,晩年のウ ェーバーの心を占めたは,理論研究と実践活動のいずれにおいても,社会維 持の力学にかんする理想の追求であり,とりわけ政治的リーダーシップとし て現実化するそれであった。「国家社会学」の研究と「指導者民主主義」の主 張は,この文脈において表裏一体のものと理解できよう。すなわち,のちに くわしく述べるように,社会の維持の問題をウェーバーは規則の力(法)と 人間の力(カリスマ)の相互補完と相互対立のなかでかんがえる。そのさい, 両者の力学的バランスの近代的理想が追求されるのであるが,それが,「支配 の諸類型」の理論考察においては「カリスマの没支配的解釈がえ」という, カリスマ的支配から合法的支配への過度的類型の問題としてあっかわれ,「職 業としての政治」の政治評論においては「人民投票的指導者民主主i義」とい う,彼がドイツで唯一可能とかんがえる法とカリスマの統一の理想として主 張されるのである。この両者のバランスが,ウェーバーのばあいカリスマ(指 導者)優位に傾いているのはまちがいないにしろ,いずれにしても,社会維 持の力学の理想をもとめる彼の姿勢は終始一貫している。  ところで,こうしたウェーバーの努力は,現代日本に生きるわれわれにと っても無関係ではない。というのは,時代の危機はウェーバーにとってとお なじくわれわれにとっても,カリスマの専制にあるというよりカリスマの去 勢にあるといってよく,その意味で,彼の理想とその蹉鉄はひとごとではな いからである。すなわち,まずマクロ的にいえば,われわれは政治的リーダ ーシップに恵まれているとはかならずしもいいがたい。途上国や社会主義国 にみられるように強大なカリスマ的指導者のいる状態が幸福だとはけっして いえないにせよ,やはり,「経済一流,政治三流」と自国の政治を自嘲して語

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      ウェーバー支配論の研究(1)  53 らざるをえない状態というのは,どうかんがえても不幸といわざるをえない。 とりわけ,日本の経済力がアメリカ,E・Cとならんでこれだけ強大となり, その一挙手一投足が世界の進路に多大な影響を与えている現在,「顔のない大 国」と他国から非難されかつおそれられ,その政治的リーダーシップの確立 が待望されているというのは,尋常ならざる事態といわざるをえないだろう。 ウェーバーの故事にならって,われわれもまたよりよき政治的リーダーシッ プの育成に心を砕かざるをえないゆえんである。その意味で往時の彼の営為 は,われわれにとってひとつの参考例たりうるといえよう。つぎにミクロ的 にいえば,こうしたリーダーシップ不在の病理は,現代日本においては政治 にかぎらず社会生活のさまざまなレベルで,とりわけ若い世代において顕在 化しつつある。たとえば,近年問題となった子どもたちの「いじめ」をとっ てみても,いじめの対象となる子は,かつてのように「出来の悪い子」だけ ではない。そうではなく,むしろかってであればリーダーとなったような秀 れた資質の子までが,いじめの対象となるケースが少なくない。彼らのあい だには,社会の形成へむけた正のリーダーシップへの冷やかな敵意といった ものが伏流しており,そのはけ口が,昔日の優等生的リーダーにむけられて いるようだ。このことは,「遊べない子どもたち」の出現に象徴される自主的 な社会形成能力の喪失と,それと裏腹の上からの管理(規則)にたいする過 度の依存の結果ともかんがえられる。ともあれ,こうしたリーダーシップの そだちにくい時代にあって,時代にあったリーダーシップをいかにして形成 するか,まさに日本社会の未来にとって緊急の課題だといわねばなるまい。 ウェーバーにおいて政治の領域にとどまったカリスマ去勢の危機が,われわ れにおいては社会のあらゆる領域におけるそれとして,より深化したかたち でたちあらわれているのである。ウェーバーに学び,さらにそれを発展させ ざるをえない理由がここにある。  こうした以上三つの理由から,われわれはよりよき政治指導をもとめるウ ェーバーの営為について,その準拠理論とその限界および意義をあきらかに していく。そのさい,具体的にはつぎのような三つの手順をふんで作業をす

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すめて行きたい。すなわち,まず最初に『経済と社会』第1部を中心とした テキスト・クリティークによって,ウェーバーの社会維持にかんする一般理 論を再構成してみたい。指導者の存在にかぎらず,ひろく社会が形成・維持 されるとはどういうことなのか,第一章「社会学の基礎概念」にもとづいて, まず社会の維持機構の形成にかんする一般理論を再構築し,ついで第三章「支 配の諸類型」にもとづいて,おなじく社会の維持力学の類型と歴史にかんす る一般理論の再構築をめざすのである。この作業のなかで,社会維持の機構 と力学の近代的理想をもとめるウェーバーの一貫した志向があきらかにされ, また,その焦点が理想のリーダーシップの形成にあることがあきらかにされ よう。そして,「国家社会学」の再構築と「支配の諸類型」の読解というわれ       IS) われの第一の課題も,この作業のなかで果たされることになろっ。つぎに, こうした社会維持にかんするウェーバーの一般理論が,彼の生きたドイツの 現実にたいする指針としてどのように生かされたか,「新秩序ドイツの議会と 政府」などの政治評論をもとにして検証してみたい。いわばさきの一般理論 の応用編であり,これは,つぎの二つにわけて考察する。ひとつは,ウェー バーが生涯の大半をおくった第二帝政下の政治的現実と,それに対置してた てられた彼の政治的理想との対比である。いまびとつは,最晩年の帝政崩壊 という事態にたいして彼のたてた政治的理想と,それが実際に新生ワイマー ル・ドイツに生みだした政治的現実との対比である。こうした理想と現実の 二つの落差の歴史的変遷をたどることによって,よりよき政治指導をもとめ る彼の努力とその挫折があきらかにされよう。そして,この挫折の分析のな かで,「人民投票的指導者民主制」の構想の歴史的再評価というわれわれの第 二の課題も果たされることになろう。そして最後に,カリスマ受難の時代に あって,こうしたよりよき政治指導ひいてはリーダーシップー般の再建をめ 15)「国家社会学」の再構築といっても,ヴィンケルマンによっておこなわれ,モムゼン  などの批判をまねいた,ウェーバー諸論文からの抜粋によって論文を再現しようとする  わけではない。そうではなく,ここでわれわれがめざすのは彼によって書かれえた「国 家社会学」の論旨を再現することなのである。ヴィンケルマンのような試みは,やはり,  無理があるといわざるをえない。

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       ウェーバー支配論の研究(1)  55 ざすウェーバーの努力の現代的意義を,日本社会の現状に比してあきらかに したい。そのさい,めざされるべきは現代日本社会の若い世代にひろくみら れるリーダーシップへの冷ややかな視線のもつ歴史的意味の解明であり,予 想されるその論理的帰結とそれにたいする対処法の模索である。カリスマの 抑圧と過剰の病理はおたがいきわめて複雑な関係にあり,その両極端への振 動は,おおきな歴史的不幸をまねかざるをえないのである。ウェーバーの営 為の現代的意義を確定するというわれわれの第三の課題は,かくして果たさ れることとなる。  以上,われわれはひとつの社会・ひとうの時代を生きぬいた思想家ウェー バーの意義と限界を知るとともに,そのことによって,おなじくわれわれが この社会・この時代を生きぬいていくうえでの指針をもえたいと思うのであ る。

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