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日中農産品貿易における制度的障壁リスクに関する研究

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博士論文

日中農産品貿易における制度的障壁リスクに関する研究

2013年7月

滋賀大学大学院経済学研究科

経済経営リスク専攻

氏 名 索 珊

指導教員 小倉 明浩

指導教員 小田野 純丸

指導教員 金 秉基

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目 次

序章 本論文の課題と構成………1 第1節 研究の必要性と目的………1 第2節 研究方法………5 第3節 論文の構成………6 第1章 今日の貿易自由化問題における焦点の所在………7 第1節 はじめに………7 第2節 新たな自由貿易推進措置としての自由貿易協定………9 第3節 自由貿易協定における農産品貿易の位置づけ………15 第4節 貿易自由化問題における焦点の移行………19 第5節 自由貿易と安全基準………24 第6節 まとめ………30 第2章 日中間農産品貿易の展開………33 第1節 はじめに………33 第2節 日本農林水産品貿易概況………35 第3節 中国農林水産品貿易概況………50 第4節 日中間農産品貿易の展開………57 第5節 まとめ………67 第3章 日中間野菜貿易における制度的障壁リスクの分析 ―生しいたけ、冷凍ほうれん草、ねぎの事例によって………74 第1節 本章における分析の方法と目的………74 第2節 先行研究レビュー………83 第3節 実証研究の方法………88 第4節 品目別の実証研究の結果………90 第5節 実証研究の結果考察……… 112 第6節 まとめ……… 120 第4章 食品安全基準の制度的障壁リスクとしての性格の考察 ―政府・企業レベルの政策展開の事例とおして……… 123 第1節 はじめに……… 123 第2節 日本の食品安全の確保――リスク分析……… 125

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iii 第3節 中国における残留農薬問題の発生と対応……… 135 第4節 企業レベルの対応の事例 ―しいたけ輸入会社のインタビューを中心に―……… 144 第5節 まとめ……… 148 第5章 結論と今後の課題……… 151 第1節 論文の到達点……… 151 第2節 結論……… 153 第3節 問題点と今後の課題……… 156 参考文献 ………158 謝辞 ………164

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序章 本論文の課題と構成

第 1 節 研究の必要性と目的 グローバリゼーションの進展の下で、自由貿易政策をめぐる論点は新たな領域に展開し ている。 第一に、非伝統的貿易障壁、つまり関税など従来の国境での貿易制限措置だけではなく、 国内における内外無差別や各国の規制・制度間の差の調整が重要な課題領域として急激に 台頭している。WTO(世界貿易機関)の GATS(サービス貿易協定)は、国内における外資企 業(非居住者)と自国企業(居住者)を差別することを禁じる原則=内国民待遇原則を定め た。これは、従来の GATT(関税および貿易に関する一般協定)における無差別原則が、外国 に対する待遇を国毎に差別してはならないとしていたのに対し、自由貿易原則における公 正な競争の枠組みを新たな段階に引き上げるものとなった。また、WTO の TRIPS(知的財産 権の貿易に関連する側面についての協定)創設も重要な転換点となった。これは、知的財産 権制度という国内制度について、国際間の差異の収斂を求めていくものである。国民国家の 枠組みの下で、各国独自に形成・展開されてきた市場を支える諸制度の差異が、自由貿易(自 由かつ公正な国際競争)の実現という課題の中に、縮小を目指すべきものとして組み込まれ たのである。 第二に、WTO の創設を議論したウルグアイ・ラウンドは、農業分野をはじめて本格的な多 角的通商交渉の対象とした。モノの貿易である農産品貿易は、当然 GATT の自由化ルールが 適用されるべきものであったにもかかわらず、それ以前はルールの適用は骨抜きにされ、各 国はそれぞれ規制や支援策を展開することが可能であった。日本の米などの輸入数量規制、 欧州の小麦などの補助金付き輸出、アメリカの砂糖など熱帯農産品の保護、先進諸国はそれ ぞれに GATT 上問題のある政策を展開し、農産品貿易は自由貿易ルールの枠外に置かれてい るかのような状況であった。ウルグアイ・ラウンド交渉とその結果成立した WTO は、このよ うな農産品貿易分野の特別な地位を消失させ、自由貿易の一つの課題分野へと引き戻した のである。 WTO の新ラウンド交渉では、以上の二つの傾向がより鮮明となり、多様な分野で内外無差 別、国際間の差異の調整が課題領域とされるとともに、農産品分野の自由貿易の深化が目指 されることとなった1。しかし、同交渉は、2001 年の開始合意以来 10 年以上の交渉を経ても 1 WTO の新ラウンド交渉(ドーハ・ラウンド)については、経済産業省ホームページ

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(http://www.meti.go.jp/policy/trade_policy/wto/negotiation/doha/doha-2 なお決着が見通せない状況にある。これにかわり新たな自由貿易の推進力となっているの が、自由貿易協定(FTA)などの地域貿易協定(RTA)である2。1990 年代以降、FTA が通商手 段として世界経済の舞台で活発化する。多角的自由貿易の枠組みである WTO の設立以降に、 FTA の締結数が急激に増加し、世界中に拡散したのである。FTA においては、自由貿易展開 における以上の二つの傾向がより明確に、また範囲も広がって展開されている。 FTA の締結による関税撤廃は関税という貿易障壁を取り除くという意味である。WTO は協 定参加国と協定非参加国間に差別をもたらす地域貿易協定を承認する際の条件として、「実 質上のすべての貿易について」の関税撤廃を求めている。この規程によって、農産品分野も 例外とはならず、FTA の中で貿易自由化交渉の対象となっている。しかし、実際に締結した FTA には、センシティブ品目と呼ばれる例外品目と関税引き下げるまで長時間かかる品目が 多く設けられている。農産品分野はその代表例となっている。WTO は、地域貿易協定におい て、センシティブ部門の設置を認めているからである。このことは、農産品貿易が特別な地 位を依然持っていることの証左とも言えるが、逆に見れば、農産品貿易を貿易自由化の埒外 に置くことが許されなくなっていることを示している。 FTA は二国間または地域間の貿易障壁を取り除くことを目的としている。この貿易障壁と して問題になる範囲が、内外無差別、国際間の差異の調整へと一層拡大している。一般的に、 貿易障壁は関税と非関税障壁を分けることができるが、近年、FTA における貿易自由化の論 点は、非関税障壁として従来議論されてきた領域にとどまらず、環境問題や安全問題にかす る国内規制・制度など、さまざまな領域での国の措置や施策が有する貿易障壁としての効果 が通商政策の焦点となっている。グローバリゼーションの進展による国境を越えた経済活 動の拡大と深化が、各国市場制度間の差異を自由かつ公正な競争に対する障壁として機能 させる局面が増加していることによる。このような新た課題領域に焦点を当てるには、関税 障壁と非関税障壁という分類は不十分で、貿易障壁を伝統的貿易障壁と非伝統的貿易障壁 に分類することが妥当となる。非伝統的貿易障壁は、貿易制限的な効果を求めるために、投 資規制や、締結国間の様々分野における国内規制・制度を過度に設置すること、あるいは意 図的とまではいえなくとも実際に貿易障壁としての効果を持つという側面を指す。WTO 交渉 round.index.html)などを参照する。 2 自由貿易協定(FTA)など、地域貿易協定(RTA)の諸形態については、第 2 章第 2 節表 2-1 に詳述。そこで見るように FTA は RTA の下位概念である。しかし、多くの研究において FTA という用語によって、協定参加国間に限定された貿易自由化枠組みを指すものとして 使用されている。本論文でも特に断らない限りそのように用いる。

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3 内容の発展からみれば、世界自由貿易の焦点がさらに関税撤廃から制度・政策などの非伝統 的貿易障壁の撤廃に転換していることが見て取れる。それだけではなく、全世界の地域貿易 協定の内容を見れば、地域貿易協定の交渉焦点も非伝統的貿易障壁に転換する傾向がある。 貿易自由化の論点・交渉課題が、多角的通商交渉においても、FTA においても、非伝統的貿 易障壁の撤廃に転換していることがわかる。 以上のような自由貿易をめぐる新しい展開を踏まえ、本論文では、日中間の農産品貿易を 対象として、自由貿易と食品の安全基準の関係に焦点を当てる。そこでの伝統的障壁と非伝 統的障壁の効果を比較検証し、農産品貿易における非伝統的障壁のリスクとそれに対応す る政策のあり方について研究を進めていく。特に、この課題に取り組むことを選択するのは、 以下のような理由による。 第一に、農産品貿易分野とそこでの安全性の問題は、先に見た自由貿易の二つの新しい展 開が交錯する領域であるという点をあげることができる。WTO のドーハ・ラウンドでも、WTO 協定によって「実質上のすべての貿易について」の自由化という縛りを受けている FTA 交渉 でも、農産品貿易分野の自由化が課題となっている。関税撤廃という伝統的貿易障壁につい てだけでもそれは大きな論点となっているが、その上に各国間の制度の差異の調整という 問題が付け加わり、食品の安全基準をめぐる領域でも問題となっている。これまでの農産品 貿易自由化研究においては、主として関税撤廃に関する効果に注目をしている実証研究が 蓄積されている。しかし、近年の FTA 研究においては、そのような伝統的貿易障壁の貿易制 限効果にとどまらず、投資規制や、締結国間の様々の分野における国内規制・制度のハーモ ナイゼーション等(多様な貿易環境整備の効果)に注目が集まっている。本研究はその二つ の方向の成果の蓄積の上に、農産品分野における非伝統的貿易障壁の効果に関する研究を 展開したい。 第二に、この領域の研究は、自由貿易の進展あるいはグローバリゼーションとそれがもた らすリスクを考察するための事例としても好適であると考える。自由貿易の深化・拡充にお いて、内外無差別、国際間の差異の調整が課題領域とされるのは、自由かつ公正な競争の実 現が世界の厚生の改善につながるという、まさに市場原理の基本的理念による。他方で、グ ローバリゼーションによる市場の拡大は、現実の世界では市場参加者間の情報の非対称性 の拡大というリスクをもたらす。グローバリゼーションが進展する中で、安全基準等の規制 の重要性が高まっているのは、この非対称性が持つリスクを軽減し、市場取引の円滑な進行 を支えるものであるからである。その意味で安全基準の整備そのものは、グローバリゼーシ

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4 ョンと対立するものではない。グローバリゼーションに対応した安全基準の整備は、グロー バリゼーションの進展にとって必要なものである。 自由貿易にとっての問題は、それが国毎に異なる水準・枠組みで設定されていることにあ る。情報の非対称性などに対処し、市場を補完するための制度は、国民国家の枠組みで供給 されてきた。それゆえ、国毎の文化・社会の発展経路の差をも反映し、安全基準という一見 科学的に一つの回答しかないと考えられる領域においても多様な展開が見られる。この差 異は、公正な競争にとっては障害となる。差異への特別な調整コストを生産者に負担させる ことによって、市場へのアクセスを妨げる効果があるからである。WTO ルールでは、その調 整は基本的には国際的水準で科学的根拠を基準として処理することを定めている3。しかし、 このことは消費者にとって安全性を支える制度枠組みとの距離が拡大することを意味して いる。国際的機関による安全性に関する議論に通常の消費者が関与できる可能性は低く、ま た国内に限定されている民主主義制度によるコントロールの範囲外にある。その点で、この ような制度の国際的収斂過程が進行することは、経済社会にとって新たなリスクとなる可 能性がある。グローバリゼーションが加速すると同時に、地産地消などの地域を視点おいた 活動が展開していることは、このようなリスクへの対応と考えることができる。 他方で、グローバリゼーションに対応するために国が行う安全基準の変更は、一方的に行 われた場合、貿易相手国に打撃を与えるリスクとなることも否定できない。特に発展途上国 にとっては重大なリスクとなる。新たな安全基準への対応には、資金、技術、生産管理など の面での経営資源が必要となるが、現状の世界経済においては、そのような生産資源の保有 量には国際間に格差があり、対応力に差があるからである。先進諸国による一方的な安全基 準の改訂が、途上国の輸出に打撃を与えている可能性が指摘されている4。格差のある世界 経済における制度の収斂、調整のあり方が問題となっている。 以上のように、本来自由貿易の進展を補完するはずの安全基準などの制度が、貿易障壁と して機能する側面があり、その調整のあり方が多様な角度から問題となっているのである。 農産品分野は、検疫制度や食の安全性に関わる領域であり、制度の差異の調整を提起するリ スク諸問題にアプローチする上で適切な分野であると考える。 3 WTO の SPS 協定(衛生植物検疫措置の適用に関する協定)では、検疫などの基準におい て、加盟国は国際的基準や勧告がある場合にはそれに従うことが望ましいとされており、 それとは異なる高い基準を採用する場合には、科学的に正当な理由を要求している。 4 第 2 章第 5 節で詳述。

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5 第三に、日中間貿易を対象とするのは次のような理由による。日本の農産品における伝統 的貿易障壁は、米など一部重要品目を除けば、決して高い水準にはない。日本の食糧自給率 の低さが端的にそのことをしめしている。日本は農産品輸入市場として世界に大きな地位 を占めている。第 3 章に見るように、その市場への輸出国としては中国の存在が大きい。ま た、両国は農産品貿易において、その 20 年余の急激な拡大の歴史の中で、多様な摩擦を経 験している。セーフガードのような伝統的制限措置や、食の安全性に関わる問題、検疫制度 の変更のように、農産品貿易は伝統的、そして非伝統的貿易制限措置(制限効果をもたらす 措置や問題)の影響を受けながら展開してきたと言える。さらに、今後日中を含む FTA が政 策課題となっており、非伝統的貿易障壁に関わる問題領域に取り組む重要性は高まってい る。このように日中間の農産品貿易は、量的な観点からも、また内外無差別、国際間の差異 の調整が課題領域とされる自由貿易の展開がもたらす諸問題を考察するという観点からも、 本論文の研究課題とすることがふさわしい。 日中間農産品貿易に焦点をあてた貿易障壁に関する実証研究が行われてきた。しかし、主 要輸入農産品の日中間貿易動向についての先行研究はセーフガード発動期までの分析にと どまっている。本研究はその空白を埋めるという意味もある。 本論文は、先行研究を踏まえ、貿易が展開されている具体的な品目を取り上げ、非伝統 的関税障壁が日中間農産品貿易への影響を実証分析で検証するという方法で課題に接近す る。具体的に、生しいたけ、ねぎと冷凍ほうれん草を選び、実証で非伝統的貿易障壁の影 響を検証する。これらの三品目の実証研究を通じ、非伝統的貿易障壁の影響を検証し、そ の結果を基に自由貿易と食品の安全基準の関係、それがもたらすリスク問題について考察 することを本論文の目的とする。 第 2 節 研究方法 本論文は、非伝統的貿易障壁の影響を検証するために、貿易自由化の理論研究に基づ き、具体的な品目の貿易実態を把握する上で、「財務省貿易統計」と「内閣府国民経済計 算」のデータを用い、輸入関数で実証分析を行う。具体的な方法は、各品目の輸入関数を 計測し、価格の影響を確認する。次に、輸入量に影響を与える可能な要因をダミー変数と して、輸入関数モデルに入れ、その影響を計測し、貿易量への影響の有無について検定す る。 その結果をもとに、両国政府の政策資料や輸入企業のインタビュー資料によって、政府

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6 レベルと企業レベルにおける貿易障壁に関する評価と対応を検証することを通じて、農産 品貿易における非伝統的障壁のリスクとそれに対応する政策のあり方について研究を進め ていく。 第 3 節 論文の構成 本論文はこの 1 章の他、以下の 5 章で構成される。 第 2 章では、新たな自由貿易推進措置としての FTA の概念とその発展、及び WTO との整 合性を説明し、世界各地域の動きを整理する。日本、中国などの国々の FTA における農産 品の取り扱いのサーベイを行い、自由貿易における農産品貿易の位置づけを説明し、自由 貿易を考察する際に農産品分野の重要性を明らかにする。貿易自由化問題における焦点の 移行について説明する上で、SPS 協定の内容に基づき、近年関心が高まっている食品安全 問題と安全基準の重要性を明確にする。 第 3 章では、日本と中国それぞれの農産品貿易の概況を説明する上で、日中間農産品貿易 の展開について述べる。日中間農産品貿易の動向に影響を与えた要因について検討する。 第 4 章では、実証研究を行う。第 3 章で確認した日中それぞれの農産品貿易の位置づけ および日中間農産品貿易の変動要因の分析に基づき、また先行研究もふまえて、分析モデル、 分析対象を選定する。 第 5 章では、日本の食品安全の確保システムとポジティブリスト制度の導入と日本国内 の対応、中国における残留農薬問題の発生と政府・企業の対応について検証し、食品安全問 題に関わる措置や事件が、貿易におけるリスクとなり、障壁としての効果を持つ背景につい て分析する。このことを通じて、今日の自由貿易政策をめぐり焦点となっている安全基準と 自由貿易の関係という論点に新たな貢献を付け加えることを企図している。 最後に第 6 章では、本論文全体の分析結果をまとめ、結論を述べたうえで、分析上の問題 点や今後の課題を述べる。

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第 1 章 今日の貿易自由化問題における焦点の所在

第 1 節 はじめに 19 世紀後半のイギリスを中心とする自由貿易体制の成立以降、世界は基本的には自由貿 易の推進を目指し協力体制を構築してきた。その体制は、19 世紀後半の各国間の通商協定 のネットワークによる体制から、国際条約、国際機関の設立へと発展を遂げてきた。1930 年 代の世界大恐慌を挟む二度の世界大戦後、円滑な国際貿易を実現するために、1948 年 GATT (関税および貿易に関する一般協定)が成立した。そして、GATT のウルグアイ・ラウンド における合意により、1995 年 1 月 1 日に WTO(世界貿易機関)が、成立した。 このような多国間主義に基づく自由貿易の推進と並行して、地域貿易協定による貿易自 由化への枠組みづくりもすすんできた。特にグローバリゼーションが加速してきた 1990 年 代以降、世界における FTA の発展が加速された。GATT ウルグアイ・ラウンドが難航し停滞 する中で、それを補完するものとして、EU とアメリカが地域主義へ傾斜し、ほかの国も地 域主義に動き始めた。さらに 21 世紀に入りその動きは加速し、各国は FTA を貿易自由化推 進装置として積極的に展開するようになった。新ラウンドが交渉領域の拡大の一方、参加国 数も増加し議論が複雑化したこと、新興国の台頭の結果としての多極化により、それ以前の ようなアメリカ・先進国主導の交渉が難しくなったことによって、妥結の展望が見通せなく なったからである。そのため、80 年代末まで世界にはわずか 16 件の FTA しかなかったが、 2012 年 10 月の時点で、200 件以上の地域貿易協定が存在している。貿易自由化の進展、グ ローバリゼーションの進展が、地域主義も加速させているのである。現在も多くの FTA が交 渉中あるいは発効を待っている状況である。 アジアにおける FTA の動きは欧州に比べると遅いともいわれてきたが、2000 年代に入っ てから FTA の動きは加速した。東アジアにおける FTA の動きをみると、日本、中国、韓国は ASEAN 全体および各国に対して、それぞれ個別に FTA を締結した。2003 年 7 月に ASEAN 加 盟国と中国の間で FTA が締結された。2007 年 6 月に ASEAN 加盟国と韓国の間で FTA が締結 された。2008 年 4 月に署名した日 ASEAN 包括的経済連携は同年 12 月から発効した。東アジ アにおける FTA は ASEAN を中心として展開されている傾向が著しい。しかし、東アジアに おいて、中国と日本はそれぞれ世界 GDP 第 2 位と第 3 位の経済大国で、人口規模も大きい ため、日本と中国の存在が大きい。また、近隣国である日本と中国は経済、政治など多面的 に密接している。したがって、日中 FTA を先送りすることは東アジアの地域経済発展にとっ て大きな損になりかねない。確かに日中 FTA の実現はかなり難しいが、日中間の経済連携の

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8 重要性が顕在化している。 以上のように、現在の貿易自由化問題、また日中間貿易においても自由化推進装置として の FTA の理論的位置づけを理解することが重要となる。第 2 節では、新たな自由貿易推進 措置としての FTA の性格とその発展、また WTO との整合性を説明し、世界各地域の動きを 整理する。 第 3 節、第 4 節、第 5 節では、今日の貿易自由化問題における焦点に関して整理を行う。 第 3 節では、日本、中国などの国々の FTA における農産品の取り扱いのサーベイを行い、 FTA における農産品貿易の位置づけを説明し、自由貿易を考察する際に農産品分野の重要性 を明らかにする。WTO が、地域貿易協定承認条件として、「実質上すべての貿易分野におい て」貿易の自由化=関税撤廃を条件としており、各国にとって国内政策上慎重な取り扱いが 要請される分野(センシティブ分野)であることが多い農差品の取り扱いは、特別の配慮が 払われている。このあり方を明らかにし、農差品分野における貿易自由化の現状を理解する。 第 4 節では、貿易自由化問題における焦点の移行について説明する。伝統的な国境障壁に かわり、内外無差別、国際間の差異の調整という新しい(非伝統的)貿易障壁をめぐる問題 へと課題領域が移行している点ことを示す。 第 5 節では、そのような新たな焦点が交錯する分野である農産品の安全性の問題につい て、SPS 協定の内容を整理しつつアプローチする。近年関心が高まっている食品安全問題と 安全基準の重要性を明確する。最後に第 6 節では、本章で明らかにしたことをまとめること にする。 現在の貿易自由化問題の焦点についての以上の分析を通して、日中間の農差品貿易にお ける非伝統的貿易障壁の影響を分析するという本論文の課題設定の意義を明らかにするこ とが本章の目的である。

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9 第 2 節 新たな自由貿易推進措置としての自由貿易協定 19 世紀前半にリカードゥによって比較優位理論が提唱されて以降、自由貿易は発展を続 け現在世界規模で実現されている。19 世紀後期後半からの二国間通商条約のネットワーク による自由貿易体制に続き、第二次世界大戦後には、1930 年代の世界大恐慌をもたらした 戦間期の保護主義への反省に立ち多国間条約として、1948 年 GATT(関税および貿易に関す る一般協定)が発足した5。そして、1986 年から 94 年の GATT のウルグアイ・ラウンドにお ける合意により、1995 年 1 月 1 日に WTO(世界貿易機関)が成立した6 WTO の設立後、WTO への加盟する途上国が増加し、2012 年のロシアの加盟をもって移行経 済諸国もほぼすべてが加盟しおえた7。その点で多国間主義に基づく自由貿易体制は、WTO に よってその正統性を高めることに成功したといえる。しかし、そのことがドーハ・ラウンド の交渉難航をもたらしている。さらなる自由貿易の拡大を目指した 2001 年開始のドーハ・ ラウンド(ドーハ開発アジェンダ)交渉は難航し、交渉開始後 10 年以上を経過した現在に おいても妥結の目処は見えない。参加国の数の増加によって、意見の集約が難航し、停滞し ている。ウルグアイ・ラウンド妥結以来 20 年近く新しい多角的通商交渉の妥結がないこと になる。 このような事態の下、より一層の自由貿易のための制度整備を求める諸国は、FTA(自由 貿易協定)に代表される限定された諸国間での貿易自由化、地域主義へと傾斜を始めた。 FTA とは、Free Trade Agreement の略であり、二国間または地域間(多国間)の協定に より、モノの関税や数量制限など貿易の障害となる壁を取り除き、自由貿易を行うことに よって利益を享受することを目的とした国際合意のことである。WTO は、このような協定 -GATT の原則である最恵国待遇に抵触した例外的な協定-を「地域貿易協定(RTA: Regional Trade Agreement)」と総称している。地域貿易協定とは、GATT やサービス貿易 に関する一般協定(GATS: General Agreement on Trade in Services)の最恵国待遇原則 5 よく知られているように、第二次世界大戦後の自由貿易体制は、1944 年のブレトン・ウ ッズ会議においてその方向が定められたので、ブレトン・ウッズ体制とも呼ばれる。ブレ トン・ウッズ会議において創設が合意された IMF(国際通貨基金)と並んで、自由貿易の ための国際期間としては、ITO(国際貿易機関)が構想され、1948 年ハバナ憲章で合意さ れた。しかし同憲章は各国の批准が得られず、その一部である(その前年の 1948 年に成 立していた)GATT が多国間通商協定として自由貿易を支えることになった。

6 WTO は多数の付属書の協定を含み、そこには GATT も含まれる。それ以前の GATT と区別

する必要がある場合、以前のものを「1947 年の GATT」、WTO 下のものを「1994 年の GATT」 という。

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10 の例外事項のうち、GATT 第 24 条 4 項から 10 項に基づく自由貿易協定と関税同盟、いわゆ る授権条項に基づく特恵貿易協定、GATS 第 5 条に基づくサービス協定という 4 種類の特恵 貿易協定の総称である。 表 1-1 の地域貿易協定の各概念の区別の表によると、自由貿易協定と関税同盟の区別 は、域外貿易に関する規定にある。自由貿易協定では、参加国は各自の関税や輸出入制限 等を設定することができる。関税同盟については、域外貿易に関する取扱は全域が同じ関 税と輸出入制限を採用するということである。サービス協定は自由貿易協定と関税同盟の 内容の拡大、深化したものである。発展途上国が締約国である場合、サービス協定に求め る条件は緩くなる。授権条項の対象は特に発展途上国であり、サービス協定と同じように 求める条件は緩くなる。 表 1-1 地域貿易協定の各概念の区別 種類 定義 実例 自由貿易協 定 域内貿易に課される関税や輸出入制限などを 削減・撤廃する一方、域外貿易には各国独自の 関税や輸出入制限などの通商政策を適用する ものである。 EFTA、北米自由貿易協定 (NAFTA)、中欧自由貿易 協定(CEFTA) 関税同盟 域内貿易に課される関税や輸出入制限等を削 減・撤廃する一方、域外貿易には対外共通関税 やその他共通の通商政策を導入するものであ る。 欧州共同体(EC)、中米共 同市場(MCCA/CACM)、南米 南部共同市場(MERCOSUR) 授権条項 特に発展途上国締約国の間で相互に関税や各 種非関税障壁を削減・撤廃するものである。 ラテンアメリカ統合連合 (ALADI)、東南部アフリ カ共同市場(COMESA) サービス協 定 当該協定の締約国間でサービスの貿易を自由 化することである。 既存の自由貿易地域や関 税同盟をサービス部門ま で拡大したものである。 NAFTA、EC、CEFTA など。 出所:遠藤正寛(2007)『地域貿易協定の経済分析』東京大学出版会 PP.12-15 により筆 者整理作成

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11 WTO は、どの国に対しても同じ条件の通商政策をとることが原則である。すなわち、WTO のすべての参加国は最恵国待遇の原則を遵守しなければならない。自由貿易協定、関税同盟、 授権条項、サービス協定はその原則に反するものである。しかし、WTO において、これらは ある条件の下認められる。その条件とは、地域貿易協定と WTO の整合性である。 自由貿易協定と関税同盟あるいはそれらの中間協定は以下のような条件が満たさねばな らない。 1. 域外国との貿易に対して、関税などの通商規則は締結前より高度又は制限的なもので あってはならない。(GATT 第 24 条 5 項 a, b) 2. 妥当な期間内(原則として 10 年)に目標を達成させる。(GATT 第 24 条 5 項 c) 3. 締約国間の「実質上すべての貿易分野において」関税を撤廃することである。(GATT 第 24 条 8 項 a, b) そして、締結した国々は、自由貿易協定又は関税同盟の旨を WTO に報告しなければならな い。 発展途上国を対象とする授権条項に関しては以上の条件より緩やかで、まず発展途上国 の貿易を促進し、域外国の貿易の障害とならないこと、最恵国待遇の原則に基づいて貿易 障壁を低減することの障害とならないことが条件となっている。サービス協定について、 相当な範囲の分野を対象とすること、内国民待遇、協定非締約国に対する貿易障壁を引き 上げないことである8 しかし、WTO との整合性の中で問題となるのは、「実質上のすべての貿易分野について」 の具体的な定義である。それに関する解釈は、量(貿易額)あるいは質(貿易品目の種 類)が論じられているが、結論は得られていない9 多角的自由貿易の枠組みである WTO の設立以降、以上のように整合性に曖昧さをはらみ ながらも、RTA の締結数が急激に増加している。図 1-1 に見られるように、80 年代末まで、 世界にはわずか 16 件の FTA しかなかった。90 年代の 10 年間には 50 件増加した。そして、 2000 年代に入ると 2000 年から 2011 年 10 月までの 11 年間に 122 件の RTA が新たに誕生し た。2011 年 10 月の時点で、世界には 188 件の RTA10が存在している。貿易自由化の進展、 8遠藤正寛(2007)『地域貿易協定の経済分析』東京大学出版会 PP.38-39。 9 この点に関する議論については、たとえば、上野 麻子「地域貿易協定による関税自由化

の実態と GATT 第 24 条の規律明確化に与える示唆」『RIETI Discussion Paper Series 』 07-J –039、2007 年 9 月(pp.1-39)

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グローバリゼーションの進展が、地域主義も加速させているのである。現在も多くの FTA が 交渉中あるいは発効を待っている状況である。地域貿易協定の締結については、地域別では 主に以下のような動きがある。

欧州では、1980 年代に EC が統合を深化させる動きを開始し、1993 年 11 月に欧州連合 (European Union: EU)が正式に発足し、1999 年 1 月には通貨統合を実現させた。東方に も加盟国を拡大させ、1995 年 1 月に 15 ヵ国に、さらに 2004 年 5 月に 25 ヵ国になった。現 在、EU は 27 ヵ国体制となり、人口 4 億 9526 万人、GDP17 兆 55 億 US ドル(2011 年)の巨 大な共同市場を形成している11。EU は単一通貨ユーロが使われており、経済的な統合が図ら れるとともに、外交や安全保障政策、雇用や社会政策などについても幅広く協力し、政治と 経済の総合的な統合となっている。 アメリカはウルグアイ・ラウンド時から、いわゆるマルチ・トラック・アプローチを採り、 多 国間 交渉 と地 域主義 の交 渉を 並行し て進 め、 NAFTA( North American Free Trade Agreement:北米自由貿易協定、1992 年 12 月署名、1994 年 1 月に発効)などを実現してい た。NAFTA は、アメリカ、カナダ、メキシコの 3 ヵ国で構成され、人口が 4 億 6087 万人、 GDP17 兆 99 億 US ドル(2011 年)の巨大な自由貿易地域である12。世界最大の地域貿易協定 と言われる。2000 年代に入るとドーハ・ラウンドの停滞を受けて、アメリカが望む自由貿 易の強化を目指し13、積極的に地域主義の動きを展開している。日本においても論議の的と なっている TPP(環太平洋戦略的パートナーシップ協定)14もその一環である。

アジア・太平洋では、東南アジア諸国連合(Association of South‐East Asian Nations: ASEAN)の加盟国が 1992 年 1 月に ASEAN 自由貿易地域(ASEAN Free Trade Area: AFTA)を 成立させた。人口が 5 億 9791 万人、GDP2 兆 14 億 US ドル(2011 年)のアジア・太平洋地域

協定を含む。

11 人口と GDP は World Bank, World Development Indicators database による。 12 4 と同じ。 13 例えば、知的財産権のルールを WTO の TRIPs 協定(知的財産権の貿易関連の側面に関 する協定)以上の知的財産権保護を地域貿易協定で実現を目指している。このような動き が先進国と途上国間の協定において進んでいることとその問題点については、山口直樹 「南北間自由貿易協定と TRIPS 協定」『産業経済研究所紀要』18 号、2008 年 3 月(pp55-80)に詳しい。 14 TPP は、アジア太平洋地域の相対的に規模の小さい 4 ヶ国(シンガポール、ブルネイ、 チリ、ニュージーランド)で 2006 年に発足したものである。関税を全品目においてゼロ とすることを目指すなど特徴的な試みであるが、発足時それほど注目されていたわけでは ない。2010 年にアメリカなど 5 ヶ国が加盟のための交渉に入って以降、その注目度が上昇 した。

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13 最大の自由貿易協定である15 図 1-1 世界の FTA 件数の推移 出所:日本貿易振興機構統計資料「世界と日本の主要な FTA 一覧」により筆者作成 アジアにおける FTA の動きは欧州に比べると遅いともいわれてきたが、2000 年代に入っ てから FTA の動きは加速した。東アジアにおける FTA の動きをみると、日本、中国、韓国は ASEAN 全体および各国に対して、それぞれ個別に FTA を締結した。2003 年 7 月に ASEAN 加 盟国と中国の間で FTA が締結された。2007 年 6 月に ASEAN 加盟国と韓国の間で FTA が締結 された。2008 年 4 月に署名された日-ASEAN 包括的経済連携は同年 12 月から発効した。近 年、東アジアにおいて、ひとつの「ASEAN+3」を目指すのか、あるいは三つの「ASEAN+1」 の構造にとどまるのかが議論されているが、現状を見れば、三つの「ASEAN+1」の構造に向 かっている。つまり、東アジアにおける FTA は ASEAN を中心として展開されている。2012 年 9 月に日中韓自由貿易協定の交渉開始に向けた実務協議が始まったが、最近の日本と中 国・韓国の領土紛争の影響で日中韓自由貿易協定の未来は、不明確であるといわざるを得な い。(図 1-2) 15 4 と同じ。 1 2 0 4 3 3 3 18 32 51 71 0 10 20 30 40 50 60 70 80 55-59年 60-64年 65-69年 70-74年 75-79年 80-84年 85-89年 90-94年 95-99年 2000-04年 2005年~

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14 図 1-2 東アジアにおける FTA 関係図

ASEAN

中国

日本

韓国

発効済 発効済 発効済 協 議 中

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15 第 3 節 自由貿易協定における農産品貿易の位置づけ FTA の締結による関税撤廃は関税という貿易障壁を取り除くという意味であるが、実際に 締結した自由貿易協定には、センシティブ品目と呼ばれる例外品目と関税を引き下げるま で長時間かかる品目が多く設けられている。センシティブ部門とは、国際競争力が弱く、FTA の輸入自由化によって社会・経済に大きな影響を与える産業である。こういう産業に対して、 政府の保護が必要であると考えられている。WTO は、地域貿易協定において、センシティブ 部門の設置を認めている。しかし、センシティブ部門が多くなれば、先に見た「実質上のす べての貿易分野について」の関税撤廃、との関係で問題となり、FTA としての成立要件を満 たせなくなる。特に農産品の自由化の制約がある国では、センシティブ品目が多くなりその 水準如何によっては、WTO 協定と整合的な自由貿易協定の実現はかなり困難になる。本論文 が対象としている日中両国ともに、この課題を有している。日本と中国の締結した FTA のセ ンシティブ部門を考察すると、日本のセンシティブ部門の多くを占めるのは、農林水産品で ある。中国の農林水産品もセンシティブ部門として存在している16 表 1-2 は日本の発効済の EPA17の農産品分野の例外品と関税引き下げるまで長期間かか る品目を示している。 表 1-2 日本 EPA における農産品の撤廃状況 EPA 相手国 例外品目 長期間かかる品目 シンガポール 米麦、米麦調製品、指定乳製品、牛肉、 豚肉、鶏肉、砂糖、パイナップル(缶詰 等を含む)、でん粉、合板、かつお・まぐ ろ、水産品目等 オレンジ、ぶどう果汁 メキシコ 米麦、米麦調製品、指定乳製品、でん 粉、合板、くろまぐろ、さば等 なし、さくらんぼ、も も、グレープフルーツ果 16 阿部一知・浦田秀次郎・NIRA[編]『日中韓 FTA-その意義と課題―』日本経済評論社 PP.35-50 17 日本政府は、その自由貿易協定の取り組みを EPA(経済連携協定)として推進してい る。EPA と FTA 違いを以下のように定義している。 FTA:特定の国や地域の間で,物品の関税やサービス貿易の障壁等を削減・撤廃すること を目的とする協定。 EPA:貿易の自由化に加え,投資,人の移動,知的財産の保護や競争政策におけるルール 作り,様々な分野での協力の要素等を含む,幅広い経済関係の強化を目的とする協定。 外務省 HP(http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/fta/)、2012 年 11 月 15 日閲覧。

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16 汁 マレーシア 米麦、米麦調製品、指定乳製品、牛 肉、豚肉、パイナップル缶詰等を含 む、でん粉、砂糖等 乾燥たけのこ、グレープ フルーツ、卵黄、オレン ジ、緑茶 チリ 米麦、米麦調製品、指定乳製品、でん 粉、砂糖、チョコレート、水産IQ品目 グレープフルーツ、りん ご、ぶどう、たまねぎ、 うに(冷凍)等 タイ 米麦、米麦調製品、指定乳製品、牛 肉、サゴでん粉、水産品目 オレンジ、オレンジ果 汁、もも、りんご、グレ ープフルーツ、マヨネー ズ、ドレッシング、ソー ス、繊維板、ふぐ、しじ み インドネシア 米麦、米麦調製品、指定乳製品、牛 肉、豚肉、でん粉、砂糖、水産品目等 ココア、コーヒー、茶製 品砂糖、ミルクを含まな いものの一部等 ブルネイ 米麦、米麦調製品、指定乳製品、牛 肉、豚肉、でん粉、パイナップル缶詰 等を含む、砂糖、水産品目等 ぶどう果汁 アセアン(ASEAN) 米麦、米麦調製品、指定乳製品、牛 肉、豚肉、砂糖・砂糖調製品、でん 粉、パイナップル(缶詰等を含む)、 合板、かつお・まぐろ、水産品目等 塩蔵なす、カレー調製品、 くらげ等 フィリピン 米麦、米麦調製品、指定乳製品、サ ゴ、でん粉、水産品目等 グレープフルーツ、煎っ た コーヒー、カキ、ひじ き、オレンジ

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17 スイス 米麦、米麦調製品、指定乳製品、牛 肉、豚肉、鶏肉、雑豆、落花生、大豆 油、菜種油、砂糖、でん粉、パイナッ プル等 きゅうり(塩蔵)、乾燥 いちじく、あんず調製品 等 ベトナム 米麦、米麦調製品、指定乳製品、牛 肉、豚肉、鶏肉、雑豆、落花生、パイ ンアップル缶詰、砂糖、でん粉、水産 品目等 スイートコーン、カレー 調製品、パーティクルボ ード、繊維板等 出所:農林水産省資 http://www.maff.go.jp/j/kokusai/renkei/fta_kanren/pdf/1107genjyo.pdf(2011 年 8 月 29 日閲覧)より筆者作成。 表の示すように、日本の EPA では、農林水産分野で多くの例外品目を設けている。そし て、センシティブの品目は米麦、米麦調整品、乳製品、精製糖、粗糖、でんぷん、チョコレ ート、合板、水産 IQ 品目(輸入割当品目)、牛肉、豚肉、オレンジ、パイナップルに集中し ている。日本側の現在までの FTA の取扱をみると、農産品分野の合意が難しい状態であり、 今後日本が FTA を締結する際には、農産品分野の対立が予想される。 しかし、農産品分野を保護するのは、日本と中国に限らない。アメリカと EU などの先進 国も自国の農業を保護している。木村・安藤(2002)は NAFTA と EUMFTA18を取り上げ、農産 品分野の取り扱いについての特徴をまとめた。 NAFTA における農産品の取り扱いについては、3 点の特徴を指摘している19。第一は、NAFTA には農産品に関して三国間協定ではなく、米国・カナダ間、米国・メキシコ間、カナダ・メ キシコ間という三つの二国間協定を締結した。第二は、多くのセンシティブ農産品目につい て関税割当が導入された。第三は、輸入が一定水準に達したら自動発動される特別農産物セ ーフガードを規定している。 EUMFTA における農産品の取り扱いについては、以下の特徴を指摘されている20。第一は、

18 EU=メキシコ自由貿易協定(EUMFTA:EU-Mexico Free Trade Agreement、2000 年 7 月発

効)

19木村・安藤(2002) 20木村・安藤(2002)

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18 農水産品貿易について自由化の対象を限定している。第二は、農水産品を、関税撤廃品目、 ウェイティング・リスト品目、関税割当品目などカテゴリーごとに自由化スケジュールを定 めている。 これらの地域協定の農産品の取り扱いを見てもわかるように、各国とも自国の農業を保 護するために、何らかの保護手段を使っている。そして、貿易保護政策だけではなく、輸出 補助金などの様々な国内農業保護政策も実施されている。このように、農産品貿易問題は FTA を推進する際に、障害になる可能性がかなり高い。日中についても、農産品市場の開放 は、農産品部門がセンシティブである日本と中国にとって、かなりリスクが高いといえる。 農産品分野が自由貿易を考察する際に重要な問題であることは、常に指摘され続けてき たことである。そして農産品分野は、近年の貿易自由化への動き=自由貿易協定の隆盛を考 えるときにもまた、依然として一つの重要な焦点となっているのである。

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19 第 4 節 貿易自由化問題における焦点の移行 FTA は両国間または地域間の貿易障壁を取り除くことを目的としている。一般的に、貿易 障壁は関税と非関税障壁を分けることができる。非関税障壁とは、関税以外の方法で貿易を 制限することである。近年、非関税障壁において、従来議論されてきた領域にとどまらず、 環境問題や安全問題にかする国内規制・制度など、さまざまな領域での国の措置や施策が有 する貿易障壁としての効果が通商政策の焦点となっている。グローバリゼーションの進展 による国境を越えた経済活動の拡大と深化が、各国市場制度間の差異を自由かつ公正な競 争の障壁として機能させる局面が増加していることによる。このような観点から、貿易障壁 を伝統的貿易障壁(traditional trade barriers)と非伝統的貿易障壁(non-traditional trade barriers)に分類することがある21。伝統的貿易障壁は、以前から使われている関税 引き上げ、輸出入制限とアンチ・ダンピング税などの伝統的な措置のことを指す。非伝統的 貿易障壁は、貿易制限的な効果を求めるために、投資規制や、締結国間の様々分野における 国内規制・制度を過度に設置するという貿易障壁である。 自由貿易の拡大を目指す多角的通商交渉における課題は、1979 年東京ラウンドまで、主 に鉱工業品、補助金とアンチ・ダンピングを中心が置かれていた。しかし、ウルグアイ・ラ ウンドで農業交渉が本格的に行われるようになるとともに、経済主体の国境を越える活動 を前提とするサービス貿易分野や、各国独自の制度である知的財産権などが交渉の焦点と なった。その点で、ウルグアイ・ラウンドは、貿易自由化問題の焦点が移行する転機となっ た。その成果である GATS(サービス貿易に関する一般協定)は、内国民待遇原則を採り、 「国内」における外国の経済主体と国内の経済主体の公正な取り扱いを加盟国に義務づけて いるし、TRIPs 協定(知的所有権の貿易関連の側面に関する協定)は、国際条約水準での知 的財産権制度の構築を義務づけている。ただ農業分野では、関税障壁の撤廃に集中していた。 ウルグアイ・ラウンドにおける、農業交渉の成果としては、関税が農産品全体で平均 36% 削減したこと、原則としてすべての輸入数量制限などを関税に転換し、関税と同様に削減す るとしたこと、である。そして、農業補助金についても、助成合計量(AMS)を 20%削減し、 輸出補助金が金額 36%、対象数量で 21%削減を達成している。 2001 年ドーハ・ラウンドに入り、貿易円滑化と環境問題が交渉内容に含まれた。現在、 WTO 交渉は参加国が多く、合意に達するまで長期間かかる現状で、停滞している。しかし、 21 例えば、Hussain H. Zaidi(2004)

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20 WTO 交渉内容の発展からみれば、世界自由貿易の焦点がさらに関税撤廃から制度・政策など の非伝統的貿易障壁の撤廃に転換していることが見て取れる。 図 1-3 多角的貿易体制の発展 出所:外務省広報「わかる!国際情勢」2008 年 8 月 13 日から引用 前節で説明したように、WTO を中心とする多角的貿易体制による自由化推進の停滞と並行 して、さまざまの内容を含んでいる地域貿易協定が世界舞台に登場した。全世界の地域貿易 協定の内容を見れば、地域貿易協定の交渉の焦点も非伝統的貿易障壁に転換する傾向があ る。たとえば、TPP において、現在交渉が検討されている分野には、関税撤廃だけではなく、 貿易円滑化(衛生・植物検疫措置、標準規格・適合性、税関手続きなど)も含まれる。もう ひとつの例としてマレーシア・豪州自由貿易協定交渉では、SPS(衛生植物検疫措置)と TBT (貿易の技術的障壁)の内容が含まれる。Denise Prevost(2010)によれば、非伝統的貿易障 壁は主に技術的障害(TBT 協定:貿易の技術的側面に関する協定)と安全基準問題(SPS 協 定:衛生植物検疫措置の適用に関する協定)が対象としてきた問題ではあるが、ドーハ・ラ ウンドの交渉分野や TPP のそれを見ると、その範囲はより一層広がっている。 日本、中国の FTA を見ても、そのことは言える。日本と中国はそれぞれ発効済、署名済と 交渉中の FTA の内容により、両国ともに交渉焦点を非伝統的貿易障壁の撤廃に転換してい る。表 1-3 は、日本の FTA の進展状況を示している。

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21 表 1-3 日本の FTA の進展状況 相手国・地域 交渉開始年月 調印年月 発効年月 発効済 シンガポール メキシコ マレーシア チリ タイ インドネシア ブルネイ ASEAN フィリピン スイス ベトナム インド 2001 年 1 月 2002 年 11 月 2004 年 1 月 2006 年 2 月 2004 年 2 月 2005 年 7 月 2006 年 6 月 2005 年 4 月 2004 年 2 月 2007 年 5 月 2007 年 1 月 2007 年 1 月 2002 年 1 月 2004 年 9 月 2005 年 12 月 2007 年 3 月 2007 年 4 月 2007 年 8 月 2007 年 6 月 2008 年 4 月 2006 年 9 月 2009 年 2 月 2008 年 12 月 2011 年 2 月 2002 年 11 月 2005 年 3 月 2006 年 7 月 2007 年 9 月 2007 年 11 月 2008 年 7 月 2008 年 7 月 2008 年 12 月 2008 年 12 月 2009 年 9 月 2009 年 10 月 2011 年 8 月 署名済 ペルー 2009 年 5 月 2011 年 5 月 交渉中 韓国(中断中) 湾岸協力会議 (GCC) 豪州 2003 年 12 月 2006 年 9 月 2007 年 4 月 出所:外務省資料により筆者作成 日本・シンガポール経済連携協定は、日本初の FTA として、ほとんどの関税撤廃を規定 した。そして、日本とメキシコ、マレーシア、フィリピン、タイ、ブルネイ、インドネシ ア、インドの FTA において、すべて貿易円滑化とビジネス環境整備に係る分野の規程を含 んでいる。たとえば、日本・メキシコ経済連携協定には、ビジネス環境整備を目的とする ビジネス環境整備の章がおかれ、メキシコ側はインフラや治安の改善、出入手続きの円滑 化、知的財産権の保護などの改善を実施すると規定した。その後の協定でも、日本は発展 途上国との FTA においては、強く環境整備を求めている。

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22 表 1-4 中国 FTA の現状 名称 加盟国・地域 段階 発効年 中国・香港経済貿易緊密化協 定(CEPA) 中国、香港 発効済 2004 年 中国・マカオ経済貿易緊密化 協定(CEPA) 中国、マカオ 発効済 2004 年 中国・ASEAN 自由貿易協定 中国、ASEAN 加盟国 発効済 2005 年 中国・チリ自由貿易協定 中国、チリ 発効済 2006 年 中国・パキスタン自由貿易協 定 中国、パキスタン 発効済 2007 年 中国・ニュージーランド自由 貿易協定 中国、ニュージーラ ンド 発効済 2008 年 中国・シンガポール自由貿易 協定 中国、シンガポール 発効済 2009 年 中国・ペルー自由貿易協定 中国、ペルー 発効済 2010 年 中国・コスタリカ自由貿易協 定 中国、コスタリカ 発効済 2011 年 GCC(湾岸協力会議)・中国自 由貿易協定 GCC・中国 交渉中 2005 年交渉開 始 中国・アイスランド自由貿易 協定 中国、アイスランド 交渉中 2007 年交渉開 始 中国・豪州自由貿易協定 中国、豪州 交渉中 2005 年交渉開 始 中国・南部アフリカ関税同盟 (SACU)自由貿易協定 中国、SACU 加盟国 交渉開始合意 2004 年 中国・スイス自由貿易協定 中国・スイス 交渉開始合意 2011 年 出所:日本貿易振興機構「世界と日本の重要な FTA 一覧」により筆者作成

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23 表 1-4 は中国 FTA の現状を表示している。中国が締結した FTA の内容を見ると、中国 と香港、マカオ、ASEAN、チリとの FTA においては、制度・政策の調和と収束について規 定していなかったが、2007 年発効した中国・パキスタン FTA から中国の FTA が徐々に非伝 統的関税障壁の撤廃の規定を入れはじめた。中国・パキスタン FTA では、原産地規則、貿 易救済、TBT(貿易の技術的障壁)、SPS(衛生植物検疫措置)などについて詳細に規定し た。そして、交渉中の中国・アイスランド FTA には、SPS と TBT について実質的な進展が ある。GCC・中国 FTA の第 3 回交渉では、税関検査プロセス、貿易技術障壁、衛生植物検 疫措置、貿易救済、商品貿易関連の法律問題について意見を交換した。 以上の議論により、貿易自由化の論点・交渉課題が、多角的通商交渉においても、FTA においても、非伝統的貿易障壁の撤廃に転換していることがわかる。日本、中国もその FTA では、SPS と TBT などの非伝統的貿易障壁の撤廃に注目することになっている。

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24 第 5 節 自由貿易と安全基準 前節で見たように、近年の FTA の交渉課題として非伝統的障壁の重要性が高まっている。 そこでの重要な焦点は安全基準に関する領域にある。特に、近年、BSE22、口蹄疫と鳥インフ ルエンザなど家畜疾病が拡散するとともに、有害残留農薬による被害事例が増加しており、 その結果、世界で食品安全への関心が高まり、食品安全確保問題が重要な課題になっている。 WTO において食品安全性と貿易の関係について規定している協定は SPS 協定である。

SPS 協定とは、WTO 協定に含まれる協定(附属書)の 1 つであり、「Sanitary and Phytosanitary Measures(衛生と植物防疫のための措置)」に関するルールを定めているも のである。SPS 協定は検疫だけでなく、最終製品の規格、生産方法、リスク評価方法など、 食品安全、動植物の健康に関するすべての措置(SPS 措置)を対象としている23 山下(2008)は、GATT と SPS 協定との関係を以下の図が示すようにまとめた。 図 1-4 ガットと SPS 協定との関係 出所:山下(2008)P53 から引用24 GATT の第 20 条は、差別的に取り扱わないこと、また偽装された保護主義として利用しな

22 牛海綿状脳症 Bovine Spongiform Encephalopathy

23 農林水産省資料から引用 http://www.maff.go.jp/j/syouan/kijun/wto-sps/index.html 24 山下一仁(2008)第 2 章 WTO・SPS 協定の制定経緯と概要 ガ ッ ト お よ び SPS 協 定整合 SPS 協定整合であ るがガット規定に より反証可能 産品について内外無差別に適 用しても、条件に関して差別 的扱いをする、科学的証拠が ない等の場合SPS協定に違反 ガット・SPS 協定不整合な領域 ガット協定整合 SPS 協定整合

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25 いことを条件に、各国政府が、人や動植物の生命または健康を保護するために貿易に関与す ることを認めている。 SPS 協定と GATT など他の協定が抵触する場合には SPS 協定の規定が優先する。SPS 協定 は、加盟国が国際機関や条約が定める基準を採用せず、独自の基準を定めることを認めてい るが、規制は必ず科学的根拠に基づくことを求めている。科学的に正当な理由があれば、国 際水準より高い基準を定めることができるのである。特別な SPS 措置を導入すれば、外国の 生産者のコストを増加させるので、SPS 措置は輸入制限の効果がある。したがって、人の健 康を守るとういう名目で SPS 措置を利用し、国内産業を保護するおそれがある。これを防止 するために科学的根拠を要求しているのである。 近年、先進国における食品安全問題への関心が高まり、国際基準よりレベル高い SPS 措置 を導入することが求められるケースがある。しかし、その動きは、発展途上国の先進国市場 へのアクセスを阻害しかねない。途上国は先進国の高いレベルの SPS 措置を守るために新 たな投資が必要で、途上国の農産品のコストが増加する。それゆえ、途上国の農産品は世界 市場で競争力を失いかねない。そして、途上国は WTO の SPS 委員会や紛争処理手続きの議 論に十分に参加できないので、先進国主導によって策定された SPS 措置に受動的に対応す ることしかできない。このように、安全基準という公共性を有する分野での協力枠組みにお いて、その枠組み・ルールの形成そして利用において、途上国は不利な立場にある。途上国 にとり、SPS 協定を根拠とした紛争処理システムの利用は困難である。そのような問題に対 処するため、SPS 協定においては、食品安全と動植物の健康に対する十分な体制を持たない 途上国のニーズを考慮し、特定の義務の実施の免除や一定の猶予期間や経過措置を特別措 置として講じることを検討するよう規定しており(第 10 条)、また技術援助の規程も存在す る(第 9 条)。しかし、先進国と途上国の間の技術の格差は大きく、SPS 措置のレベルの差 がまだ大きい25

25 Sheldon(2011),p.395 (Sheldon, I., “Food Standards and International Trade,”

in J. L. Lusk, J. Roosen and J. F. Shogren eds., The Oxford Handbook of the economics of Food Consumption and Policy, Oxford University Press, pp. 393-415). 山下一仁(2008)は、先進国が定める一方的な SPS 措置が、途上国の資源制約(技術・資 金)の下では、途上国の輸出の制約となる可能性を指摘している(p.388)。Otsuki et al. (2001) は、EU の国際基準より厳しい安全基準が、アフリカからの穀物輸出を 6 億 7000 万ドル減少させると評価している(Otsuki, T., J.S. Wilson and M. Sewadeh, “Saving Two in a Billion: Quantifying the trade Effect of European Food Safety Standards on African exports,” Food Policy, Vol.26, 2011, pp.495-514、p.511) 。

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26 日中間の農産品貿易において、自由貿易と安全基準の問題は重要な要因となっている。日 本は、先進国で食料自給率が最も低く、外国からの輸入に依存している。そして、日本は世 界で食品の安全性を最も重視している市場である。日本政府は、輸入される農産品について、 生産から流通までの各段階に監視・検査を強化することにより、輸入農産品の安全性を確保 している。食糧・食品分野における大きな貿易市場である日本の安全基準動向は輸出国に大 きな影響を与えうる。 日本の従来の残留農薬などに関する制度は、ネガティブリスト制度であった。ネガティブ リスト制度は、原則規制がない状態で、規制するものについてリスト化するものである26 この「ネガティブリスト」の枠組みで、残留基準が設定されていない農薬などが残留しても、 そのものの流通に対する規制はなかった。この点で、従来の規制リストにない新しい農薬の 開発が進むと、人体と環境などへの悪影響が懸念されるものを禁止することができないと いう問題を持っていた。そこで 2003 年 5 月から日本政府は食品衛生法を改正して、2006 年 5 月末からポジティブリスト制度を施行した。グローバリゼーションが進み、世界的な農産 品・食品貿易が拡大の結果、食の安全性に関わる情報の非対称性のリスクが増大するという 新しい状況に対応する政策措置という側面も持っている。 ポジティブリスト制度は、原則規制(禁止)された状態で、使用を認めるものについて リスト化するものである27「食品衛生法等の一部を改正する法律」によると、基準が設定 されていない農薬等が一定量を超えて残留する食品の販売等を原則禁止する。ポジティブ リスト制度において注目されるのは、「一律基準」である。それは、全ての農産品・食品 について残留基準が設定されていない農薬が農産品・食品に残留する場合と、一部の農産 品・食品にのみ残留基準が設定されている農薬がそれ以外の残留基準のない農産品・食品 に残留する場合、この二つの場合に 0.01ppm の「一律基準」を設定することである。 中国の国家品質監督検査検疫局『中国技術的貿易障壁年度報告(2006 年)』によると、ポ ジティブリスト制度では制限数量が大幅に増加し、制限の基準も一層厳しくなった、と評価 している。この制度変更により、中国の監督と検査の作業量がそれ以前の 5 倍に増えるとし ている。例えば、化学物の検査の追加により、検査時間がより長く必要となった。これによ って、中国農産品の輸出コストが増加し、競争力に悪影響を与えるものと評価され、同書の 26厚生労働省医薬食品局食品安全部『ポジティブ制度施行後の状況および今後の対応につ いて』http://www.maff.go.jp/hokkaido/anzen/seikatsu/jyouhou/pdf/shiryou2.pdf 27 16 と同じ資料

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27 タイトルのように、「技術的貿易障壁」と認識されたのである28 中国は、日本などの先進国の高いレベルの SPS 措置に対応するために、農産品の安全性を 確保するための取り組みの強化にも取り組んでいる。2006 年「農産物品質安全法」を公布・ 実施し、管理体制を整備した。そして、農産品の安全性と関連する政策・法律・規程を改善 した。たとえば、2003 年の「無公害農産物の管理方法」と 2006 年の「農産物品質安全法」、 「農産物産地の安全に関する管理方法」が挙げられる。しかし、農業への資本投入の不足、 安全管理のノウハウ修得の不十分さと技術的対策の不足などの原因で、中国農産品の安全 確保は依然大きな問題となっている。 つまり、日本のポジティブリスト制度への変更によって、日本の高いレベルの安全基準と 中国農産品の安全管理の水準・能力の間に大きいギャップが生じたのである。そのギャップ によって、中国の農産品輸出企業は影響を受けた。先進国の SPS 措置の変更は、途上国の農 産品(食糧・食品)貿易に大きな影響力を持ち、途上国とその輸出企業にとって、重要なリ スク要因となっているのである。 以下の図は、2002 年から 2004 年まで中国の農産物輸出企業が受けた貿易相手国の技術的 貿易障壁の状況を示している。 28 WTO において、日本のポジティブリスト制度は「特定の貿易上の関心事項」(輸出国が、 ある輸入国の SPS 措置が自国からの輸出に悪影響を与えていると考える場合に、その輸出 国が懸念を提起し、輸入国の見解を求めることができる制度、紛争解決手続きが長期間を 要するので、簡便に貿易問題の解決を促進することを目的として設置されたもの)とし て、中国とアメリカから提起されている( WTO Committee on Sanitary and

Phytosanitary Measures, SPECIFIC TRADE CONCERNS, G/SPS/GEN/204/Rev.10, 10 February 2010 , p.18,

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28 図 1-5 中国の農産物輸出企業が受けた貿易相手国の技術的貿易障壁の状況 (2002 年―2004 年) 出所:国家品質監督検査検疫局『技術的貿易障壁年度報告(2002-2004)』2005 年 [注]:王芳(2009)により転載 この図により、実際に中国の農産品輸出は、技術的貿易障壁によって影響を受けたと中国 政府が認識していることが分かる。このように、この問題は貿易の技術的貿易障壁としてリ スク要因である可能性がある。したがって、その実態を明らかにし、問題点を示すことは、 中国の輸出企業のリスクの減少、さらには先進国と途上国間の農産品(食糧・食品)貿易の 発展のための国際協力枠組みの形成に寄与すると考えられる。 さらに、このようなギャップの存在は、国際間の摩擦要因ともなっている。日中間におい ても多くの問題が発生してきた。 2002 年には、中国産農産品における残留農薬問題が発生した29。この問題は、中国から日 本への農産品輸出の拡大に悪影響を及ぼした(2002、2003 年の中国からの農産品輸入額は、 29 2002 年 5 月、日本の厚労省は、中国産養殖ウナギから,国内で使用が禁止されている 合成抗菌剤スルファジミジンが検出されたことを発表した。また,中国産野菜 5 品(大 葉・パクチョイ・ケール・ニラ・ホウレンソウ)の各輸入元に検査命令が出された。この 命令を受けると,輸入元は自費で厚労省指定の検査を受け,違反がないことを証明するま で食品を販売できない。6 月 27 日、中国産冷凍野菜の 4.1%が残留農薬の基準を超えてい ることが,厚生労働省のまとめでわかり、同省は冷凍に回るホウレンソウの管理に問題が あるとして,中国政府に改善を申し入れとともに、7 月 10 日、厚生労働省は、基準を超え る残留農薬が相次いで検出されている中国冷凍ホウレンソウについて, 輸入を自粛する よう各検疫所や輸入業界団体を通じて業者側に通知した。この措置は、事実上の禁輸措置 として機能した。 61 50 44 29 26 20 19 0 10 20 30 40 50 60 70 比率

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29 それぞれ対前年比-2.7%、-1.5%30。セーフガード措置発動への動き、という日本側の輸入 制限の効果を持つ政策だけでなく、安全性という中国側の要因も、日中間の農産品貿易拡大 において重要に要因となっていることがわかる。 さらに別のケースとして、2007 年 12 月下旬から 2008 年 1 月にかけての冷凍餃子のケー スがある31。冷凍餃子のケース後の 2008 年の中国からの農産品輸入額は対前年比 19.7%の 減少となった32 日本市場が「食品安全性」に対して敏感な市場であり、政府もこの問題を重視している。 一方で、中国側には日本の食品安全の基準が高いという指摘がある。日本が 2006 年に実施 した残留農薬基準のネガティブリスト方式からポジティブリスト方式への変更時にも、先 に挙げた中国国家品質監督検査検疫局『中国技術的貿易障壁年度報告(2006 年)』の指摘の ように、中国側からは懸念が示されていた。中国食品安全問題は日中農産品貿易の動向を左 右する重要な要因であることが明らかであり、この問題を円滑に解決する枠組みが構築さ れなければ、今後も、「食品安全問題」は日中貿易摩擦をもたらす可能性があるといえる。 30農林水産省『農林水産物輸入概況』各年版による。 31中国の天洋食品が製造、ジェイティフーズが輸入、日本生活協同組合連合会が販売した 冷凍餃子を食べた千葉県千葉市、市川市、兵庫県高砂市の 3 家族計 10 人が下痢や嘔吐な どの中毒症状を訴えたが、その後の詳細な鑑定の結果、市川市の家族が食べて吐き出した 餃子の皮からメタミドホスが検出されたケースである。 32農林水産省『農林水産物輸入概況』各年版による。

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