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(1)

外道哲学

著者名(日)

井上 円了

22

ページ

13-660

発行年

2003-03-20

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00004952/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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第四編 各論第二客観的複元論

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第一章声論

       第六九節 声論外道  四大論ようやく進みて方時論を生ずるに至れば、さらに時間・空間中に天地万物を見るは、時間.空間そのも のの現象にあらずして、時空のほかに、別にこれを造出せるものなかるべからずといえる一論を生ずるに至るべ し。これ、論理自然の勢いなり。なんとなれば、時空と万物とはその性質全く異なれば、時空変じて万物となる べき理なければなり。ここにおいて有神論起こる。前編に掲げたる諸外道はみな唯物無神論なるも、その論の結 果は天地万物の原因を究明することあたわずして、ついに有神論を呼び起こすに至れるなり。ゆえに、これより 有神論を述ぶべし。まず、声論のことを弁明せんと欲す。余がみるところによるに、仏書中に声論と名つくるも のに、およそ三種の別あるがごとし。   第一は、声明論あるいは声明記論を略して声論という。   第二は、毘陀論すなわち明論を呼びて声論という。   第三は、声生論師・声顕論師の所計を名づけて声論という。  その第一の声論は、帝釈の所造あるいは梵王の所説となす等の説あることは、さきに声明論を述べたりしとき

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第四編 各論第二客観的複元論 にすでに弁明せり。よろしく第一六節および第一七節につきて見るべし。しかして、ここに論ぜんと欲するもの は、第二および第三の声論なり。この二者は婆羅門の学派にして、ともに有神論の流派なり。しかるに﹃大日経 疏宥快紗﹄および﹃拾義紗﹄には、この第一の声論と、第二、第三と同一なることを示せり。すなわち、﹃宥快 紗﹄︵巻四四の二︶に出ずるところ左のごとし。    ニ       ノ      ニ       ノ   一義声論者帝釈所造論也、依ゴ学彼論一者生二此計一故、声即是声論外道、一義声論者指二梵王所説四吠陀論随   ナル         ハ   一声明論べ所レ明二彼論一声計二常住一也、但此二義始終一義也云云。   ︵一義に声論は帝釈所造の論なり。かの論に依学する者はこの計を生ずるが故に、声はすなわちこれ声論外   道なり。一義に、声論は梵王所説の四吠陀論の随一なる声明論を指す。かの論に明かすところは、声は常住   なりと計するなり。ただ、この二義は始終一義なり、云々。︶        ノ       ノ       ノ   ナル  また﹃拾義紗﹄︵巻六の一〇︶には、声論者帝釈所造論、又梵王所説四吠陀論随一声明論也、外道者依⊃学声 論一之人也︵声論は帝釈所造の論なり、また、梵王所説の四吠陀論の随一なる声明論なり。外道は声論に依学す るの人なり︶とあり。﹃弁義抄﹄︵巻三の三五︶にもこの説を掲げり。また﹃玉振紗﹄︵巻六本の一三︶には、声       シ     バ   ノ 生・声顕・非声の三種外道のみな毘陀論の部類なることを示して、若此三計明論部類、神我別有云云︵この三計 のごときは明論の部類にして、神我は別有なり、云々︶とあり。もし、声明論も毘陀論もともに梵王より出ずる ものとなすときは、三者同一なるべしといえども、その所計にいたりては全く別種となさざるべからず。毘陀の 声論と声生声顕論との二種も、また別計なり。毘陀の声論は、毘陀の文字音声を常住不滅のものとなすも、必ず 一切の音声をことごとく常住不滅となすにあらず。しかるに、声生声顕外道は一切の音声の常住を唱うるものな 391

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り。しかれども、後者は前者より転化せるものにして、 毘陀論師の声論と、声生声顕論師の声論とを述ぶべし。 その起源の一なることは、けだし疑うべからず。左に、 392        第七〇節 明論外道  ここに毘陀論を声論の一種となすは、﹃唯識論﹄︵巻一の一四︶の所説にもとつく。その論に曰く、   有余偏執、明論声常、能為二定量ハ表二詮諸法↓   ︵ある余の、偏執すらく、明論の声は常なり、よく定量となって諸法を表詮すと。︶  これを﹃述記﹄︵巻一末の七五︶に解説して曰く、   明論声常是婆羅門等計、明論者先云二章陀論ハ今云二吠陀論べ吠陀者明也、明二諸実事一故、彼計此論声為二能   詮定量一表二詮諸法べ諸法楷量故是常住云云。   ︵明論の声は常なり。これ婆羅門等の計なり。明論というのは、さきには章陀論という。今は吠陀論とい   う。吠陀というのは明なり。もろもろの実事を明かすが故に。彼が計すらく、この論の声は能詮の定量とな   りて、諸法を表詮し諸法を楷量す。ゆえにこれ常住なり、と云々。︶  これ、余がいわゆる第二の声論なり。すなわち﹃因明大疏﹄︵巻三の三二︶に、如下明論師対二仏法者一立中一切 声是常上︵明論師のごときは、仏法者に対して一切の声はこれ常なりと立つ︶というものこれなり。しかしてま た﹃唯識論﹄に曰く、   有執一切声皆是常、待レ縁顕発方有ご詮表↓

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第四編 各論第二客観的複元論   ︵あるが執す、一切の声はこれみな常なり。縁を待ちて顕発し方に詮表あり、と。︶  これを﹃述記﹄に解説して曰く、待レ縁顕者声顕也、待レ縁発者声生也、発是生義、声皆是常云云︵縁を待って あらわるというのは声顕なり。縁を待って発すというのは声生なり。発はこれ生の義なり。声はみなこれ常なり 云々︶とあり。これ、余のいわゆる第三の声論なり。ゆえに、その第二は毘陀論外道の所立にして、第三は声顕 声生外道の所立なり。これによりてこれをみるに、印度の外道中に声をもって常住不変となす説は、その源毘陀 論師より起こり、婆羅門の所計なること明らかなり。しかして、声生・声顕の両論の起こりたるは、けだし毘陀 論師の声論の分派ならん。もし年代をもって較すれば、毘陀論さきに起こり、声顕声生論のちに出でたるは疑い をいれず。ゆえに、余はこの二種の声論を合して、これを有神論の部類に属するなり。﹃十住心論冠註﹄︵巻三の 一三︶に解するところは、まさしくこの二種の一類なることを示す。すなわちその解にいわく、声論外道上文       ナリ 所レ言囲陀論師、於二此声論一大分二声生声顕二論一︵声論外道は上の文にいうところの囲陀論師なり。この声論に おいて大いに分かちし声生と声顕の二論とす︶とあるを見て知るべし。毘陀論すなわち明論外道のことは、﹃外 道小乗浬薬論﹄第四に出ず。しかして、﹃華厳玄談﹄にこれを引きて解説せるも、これみな、梵天より世界万物 の化生したる順序を開示せるのみ。別に声常住の理を証明するにあらざれば、その説明は後にまさしく有神論を 述ぶるときに譲る。ただ﹃大疏宥快紗﹄︵巻四四の二︶に、毘陀論師の声論につきて、外道意所レ明二声明論一声常 住也、余声必非二常住計一︵外道の意に明かすところの声明論は、声常住なり、余の声は必ず常住にあらざる計な り︶とありて、一切の声までを常住とするにあらざることを示せり。もし﹃義林章﹄︵巻一本の二一︶によらば、       郷 左のごとく詳説せり。

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  其明論者、婆羅門等執二吠陀論声唯是常べ不レ取二声性べ非二能詮一故、其能詮声詮二於明論所詮之義ハ此教是       ノ   常所詮定故、余一切教皆無常声以為二教体↓   ︵その明論とは、婆羅門等は吠陀論の声はただこれ常なりと執す。声性を取らざるは能詮にあらざるが故   に、その能詮の声は明論所詮の義をあらわす。この教はこれ常なり、所詮定まるが故に。余の一切の教はみ   な無常の声をもって教体となす。︶  もしまた﹃広百論釈論﹄︵巻一の四︶によらば、明論声与二所余声一同、是声性云何、但説此声是常、余声無常 云云︵明論の声は所余の声と同じくこれ声性ならば、いかんぞただこの声のみこれ常にして、余声は無常なりや 云々︶とあり。そのほか﹃方便心論﹄︵四︶に、如レ言二声常一囲陀経典従レ声出、故亦名為レ常︵声は常なり。囲陀 経典は声より出ずるが故に、また名づけて常となすというがごとし︶と説きたるは、この声論なること明らかな り。また﹃同論﹄︵一〇︶に、六十三字四句之義、是音声外道︵六十三字、四句の義は、これ音声外道なり︶と       ミマンサ    ヴエダンタ あるも、この声論のことなるか。もし、これを西洋の所説に考うるに、六大学派の弥曼差および吠檀多学派は、 この明論外道に当たるべし。なかんずく、弥曼差学派は声論外道なり。けだし、弥曼差も吠檀多もともに毘陀神 典にもとづきて起こりしものなれども、弥曼差は主として毘陀の儀式行法に関することを講究し、吠檀多はもっ ぱら毘陀の哲学道理に関することを論明したるものなり。かくして、弥曼差は毘陀神典そのものを神聖なるもの と信じ、文々句々みな梵天の金言なれば、その金口よりひとたび発したる言声は、常住不変にして永く神聖なる ことを証明せんと欲し、声常住論の起こるに至れるなりという。果たしてしからば、弥曼差は仏教のいわゆる声 論にして、声生・声顕もみなその分派なるべし。 394

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第四編 各論第二客観的複元論       第七一節 声生声顕外道  声論は声生声顕論に至りてようやく明らかなれば、これより生顕二論を弁明せざるべからず。﹃唯識﹄ならび に﹃述記﹄の所説は前節に掲げしも、いまだ﹃大日経住心品疏﹄の釈義を示さざれば、左に転載すべし。   経云二声非声一者、声即是声論外道、若声顕者計二声躰本有ハ待レ縁顕レ之、体性常住、若声生者計二声本生一   待レ縁生レ之、生已常住。   ︵経に声・非声というは、声とはすなわちこれ声論外道なり。声顕のごときは、声の体は本有にして、縁を   待ちて、これをあらわし、体性常住なりと計す。声生のごときは、声の本生ずるに縁を待ちてこれを生じ、   生じおわりて常住なりと計す。︶  これ声生・声顕の両種にして、三十種中の第二十八と第二十九なり。また、﹃楡伽﹄および﹃顕揚﹄の十六異 論の第二従縁顕了論は、数論および声論の所計なり。ゆえに﹃鍮伽論﹄︵巻六の三︶に曰く、   従縁顕了論者謂如レ有二一若沙門若婆羅門ハ起二如レ是見一立二如レ見論ハ一切諸法性本是有従二衆縁一顕、不二従レ   縁生べ謂即因中有果論者及声相論者作二如是計↓   ︵従縁顕了論とは、いわく、あるひとりの、もしくは沙門、もしくは婆羅門のごとき、かくのごときの見を   起こし、見のごときの論を立つ。一切の諸法は性もとこれ有なり、衆縁に従ってあらわる、縁より生ぜず   と。いわく、すなわち因中有果論の者、および声相論の者、かくのごときの計をなすと。︶  もし﹃十住心論﹄︵﹃十住心論冠註﹄巻三の=一︶によらば、第二計二従縁顕了一論者此二別、一数論外道計下法 95        3 体自レ本有従二衆縁一顕P二声論外道計二声躰是常、而但従レ縁宣吐顕了一︵第二に、従縁顕了なりと計する論者は、

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これに二の別あり。一には数論外道なり、法体はもとより有なれども、衆縁に従ってあらわると計す。二には声 論外道なり。声の体はこれ常なれども、ただし縁に従って宣吐して顕了なりと計す︶と解せり。ゆえに、その論 は声生声顕外道中の声顕論なること明らかなり。さらに声生・声顕二論の解釈を考うるに、﹃法苑義鏡﹄︵巻上の 四︶には左のごとく示せり。   因明疏云、声論師中総有二二種べ一声従レ縁生即常不レ滅、二声本常住従レ縁所レ顕、今方可レ聞、縁響若乱トキハ   遂不レ可レ聞、声生亦爾、縁息不レ聞、縁在故聞、今云二顕常一者声顕論師也、生常者声生論師也。   ︵﹃因明疏﹄にいう、声論師の中に総じて二種あり、一は声は縁より生ずるも、すなわち常にして滅せず。   二は声は本常住にして縁によりてあらわさる。今方に聞くべし、縁響もしやすむときは、ついに聞くべから        や   ず。声の生ずるもまたしかり、縁息まば聞こえず、縁あるが故に聞こゆ。今、顕常というは声顕論師なり。   生常は声生論師なり。︶  また、﹃大日経疏呆宝紗﹄︵巻二本一の三一︶に声顕論を釈して曰く、   此計声躰本有、宮商等声常恒有レ之、而待レ縁顕レ之、謂四大相撃等、縁合九二顕二声躰一也   ︵この計は声の体は本有にして宮商等の声は常恒にこれあり、しかして縁を待ちてこれをあらわす。いわ   く、四大相撃など、縁合して方に声の体をあらわすなり︶ と。また声生論を釈して曰く、        ノ       レハ   此計声躰有始無終也、初生本源待レ縁生レ之、生終躰是常住、善悪無記等一切声、常存不レ壊、尽二未来際一   不二壊滅一也 396

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第四編 各論第二客観的複元論   ︵この計は、声の体は有始無終なり。初生の本源は縁を待ちてこれを生じ、生じ終われば体はこれ常住な   り。善悪無記等の一切の声は常存にして壊せず、未来際を尽くして壊滅せざるなり︶ と。そのほかこれに与うる釈義は、みな同一の意義を重複せるに過ぎず。これを要するに、声生論は、声は本生 にして、もと生じたることあるも、ひとたび生じ終われば、その末は常住にして永く滅せずという。これ、有始 無終論なり。なんとなれば、その生ずるに始ありて、その滅するに終なければなり。つぎに声顕論は、声は四大 相うつがごとき縁によりてあらわるるも、その体常住にして前後にわたりて存すという。これ無始無終論なり。 なんとなれば、そのひとたびあらわれたる後、永く滅せざるのみならず、そのいまだあらわれざるとき、すでに 常に存すればなり。﹃宥快紗﹄︵巻四四の四︶には、顕生二声論の異同を掲げたるうち、その一義に、声顕者声躰 計二常住ハ縁起用必不レ謂常住ハ声生者縁起声計二常住べ必声躰非レ計二常住一︵声顕者は声体は常住なりと計す、縁 起の用は必ず常住といわず。声生者は縁起の声は常住なりと計す、必ず声体は常住と計すにあらず︶とあり。余 案ずるに、声生論師は声の用につきてこれを論じ、声顕論師は声の体につきて論ずるもののごとし。﹃住心品疏 略解﹄︵巻五の二六︶には、この二論の妄計なるゆえんを示し、声顕に対しては此計非レ是、何者諸法一概本有、 何唯声耶︵この計はこれにあらず、なんとならば、諸法は一概に本有なり、なんぞただ声のみならんや︶とい い、声生に対しては此計二声躰有レ始無ラ終、此亦邪計、生者必滅、有レ始者必有レ終故︵これは声体に始ありて終 なしと計す。これまた邪計なり、生ずる者は必ず滅す、始あれば必ず終あるが故なり︶といえり。けだし、この 二種の外道は、釈尊在世の時代にはいまだ起こらざりしは明らかなりといえども、無着・世親の前後には、大い       把 に世間にさかんなりしもののごとし。ゆえに、因明の論式のごときも、もっぱら声論師に対して声無常なるべ

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し、所作性なるが故にと立つるを見て、その一斑を知るべし。  ﹃因明大疏﹄︵巻四の一四および巻三の三九︶には、ただに声論に対して論ずるのみならず、声生・声顕両論を        モテ      モテ 掲げてその別を示せり。例えば、勝論師対二声顕論一立二声無常所作性因べ其声顕論説二声縁顕べ不レ許二縁生一云 云︵勝論師は声顕論に対して声は無常・所作の性因と立つ。その声顕論は声は縁もあらわると説き、縁をもて生 ずとは許さず、と云々︶と。また、声生論言、声是其常、所聞性故云云︵声生論は、声はこれ常なり、所聞の性 なるが故に、と云々︶とあり。かつ﹃方便心論﹄中に声論のことを論ぜしを見れば、竜樹の当時すでに多少の勢 力を有せしは疑いなし。もしそれ声の種類を考うれば、これに内外の別あり。﹃十住心論﹄の﹁傍註﹂︵﹃十住心 論冠註﹄巻一の一〇七︶に、内声は咽喉等の声にして、外声は四大等の声なることを示せり。また﹃住心品疏﹄ (『Z心品疏科文﹄巻三の二六︶には、彼中復自分二異計︵如二余処広釈一︵彼の中にまた自ら異計を分かつ。余処 に広釈するがごとし︶とありて、その類別は唯識・因明等の書類に出ず。まず、﹃唯識述記﹄︵巻一末の七六︶に は二類あることを示せり。すなわち左のごとし。         ニ スラク       ハ        ニ   此有二二類ハ一計 常声如二薩婆多無為べ於ご一一物上一有二一常声べ由下尋伺等所レ発音上顕、此音響是無常、ニ   スラク       ニ スルカ      ノ   計 一切物上共一常声由二尋伺等所レ発音一顕、音亦無常如二大乗真如万法共一故、唯此常者是能詮声、其音但   是顕レ声之縁非二能詮躰↓   ︵これに二の類あり。一に計すらく、常の声は薩娑多の無為のごとく、いちいちの物の上において一の常の   声あり。尋・伺等に発せらるる音によってあらわる。この音響はこれ無常なり。二に計すらく、一切の物の     ぐう   上に共じて一の常の声なり。尋・伺等に発せらるる音によってあらわる。音はまた無常なり、大乗の真如の 398

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第四編 各論第二客観的複元論   万法に共ぜるがごときが故に。ただこの常なるものは、これ能詮の声なり。その音は、ただこれ声をあらわ   すの縁なり。能詮の体にはあらず。︶  これ、﹃述記﹄に声顕・声生の二計を破する所に出ず。﹃因明後記﹄︵巻上の三七︶には、この二計におのおの 四種の声を分かち、合して八計となす。すなわち左のごとし。        ク     ニハ ルハ      ハ   声論師中総有二二類一者、一声生二声顕、此二計中一一皆有二四種ハ且声生論有計二内外声皆是常ハニ計二内    ハ      アリ     スルコト       ト   常外是無常べ此復二類、一者執二内声常其体是二如二大乗真如べ二者執二内外声常其体本多べ如一薩婆多択   滅ハ此為二四類べ声顕亦爾。   ︵声論師中に総じて二類ありとは、一は声生、二は声顕なり。この二計のうち、=にみな四種あり。しば   らく声生論には、有るは内外の声はみなこれ常と計し、二には内は常、外はこれ無常と計す、ここにまた二   類あり、一には内声は常にしてその体はこれ一なりと執すること大乗の真如のごとし。二には内外の声は常   にしてその体は本多なりと執す、薩婆多の択滅のごとし。これを四類となす、声顕もまたしかり。︶  ゆえに﹃義林章﹄︵巻一本の二二︶には、声顕論および声生論に、各計レ一計レ多、各通二内外一︵おのおの一を 計すると、多を計すると、各内外に通ずると︶の四種ありと説けり。また﹃略纂﹄に、彼声論計略有二八種︵謂 声生声顕各有レ四故︵かの声論の計に略して八種あり、いわく、声生と声顕とに各四あるが故に︶とあるも、こ の四種をいう。これを﹃同学紗﹄︵巻一〇の一四︶に解説して曰く、   於二声生声顕二師一惣有二八家不同ハ所謂能詮声随二=物ハ其躰各別或共一躰、此中各有二二計ハ一計二全分ハ   内外諸声皆常計也、一計一二分べ唯内声常計也 399

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  ︵声生.声顕の二師において、総じて八家の不同あり、いわゆる能詮の声は一一の物に随ってその体各別な   り、あるいはともに一体なり。このうち各二計あり。一は全分を計す、内・外の諸声はみな常計なり。一は   一分を計す、ただ、内声は常計なり︶ とあり。かくのごとく、声生・声顕おのおのこの四計を有するをもって、合して八計となる。﹃玉振紗﹄︵巻六本       ト  ト  ト  トヲ の一二︶に、因明大疏二計各分二内外全分一総為二八計一︵﹃因明大疏﹄の二計、各内・外・全・分を分かち、総じて 八計となる︶とあるは、すなわちこれなり。しかしてまた、二師おのおのその内声において三種を設く。すなわ ち響音.名句文声・声性なり。これを﹃因明輯釈﹄︵巻三の六︶によりて解すること左のごとし。       ヲハ   響音者耳所レ聞響、其躰即内道所レ談声塵也、此響音二師倶云三無常故非二能詮一也、名句文声者、乗二響音一        ノ  ツル      ノ      ヲバ   ハ   所レ顕能詮、即亦内道所レ立不相応中名句文也、此名句文二師倶云三常住故有二能詮用一也。   ︵響音は耳に聞くところの響なり。その体はすなわち内道所談の声塵なり。この響音をば二師ともに無常の   故に能詮にあらず、というなり。名・句・文・声は、響音に乗じてあらわさる能詮なり、すなわちまた内道   に立つるところの不相応の中の名・句・文なり。この名・句・文をば二師はともに、常住なるが故に能詮の   用あり、というなり。︶       ヲモ   声性者、即名句文声之実性也、警如三大乗真如為二有為実性べ故名句文是相也、声性是性也、即此声性亦二   師倶立二常住一也。   ︵声性はすなわち名・句・文・声の実性なり。たとえば、大乗の真如を有為の実性となすがごとし。ゆえに、   名.句.文これの相なり。声性はこれ性なり、すなわちこの声性をもまた二師ともに常住と立つるなり。︶ 400

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 かくのごときは、その名目を挙示するをもって足れりとす。ゆえに﹃因明大疏﹄︵巻四の四三、﹃瑞源記﹄巻五 の六七︶にも、声生説レ声総有二三類一云云︵声生は声を説くに総じて三類あり、と云々︶の説あるも、ここにこ れを略す。そのほか﹃解深密経疏﹄︵巻一の三︶に、外道諸派の声論を示して、数論外道声諦為レ躰、依二勝論宗一 声徳為レ性、順世外道四大為レ躰、一切皆用レ大為レ性故、故声論諸師、用声為レ躰︵数論外道は声諦を体となし、 勝論宗によりて声徳を性となす。順世外道は四大を体となす。一切みな大をもって性となす故に。ゆえに声論の 諸師は声をもって体となす︶とあるがごとき諸書に散見せる評論は、到底枚挙するにいとまあらず。 第四編 各論第二客観的複元論        第七二節 非声外道  ﹃大日経﹄﹁住心品﹂の三十種の最後に、非声外道と名つくる一派あり。これ、まさしく声論に反対したる論な り。ゆえに﹃住心品疏﹄に曰く、   彼計二声是遍常ハ此宗悉嬢為レ無、堕二在無善悪法ハ亦無二声字一処、以レ此為レ実也。   ︵彼は声はこれ遍常なりと計す。この宗はことごとく嬢して無となし、無善悪法に堕在す。また声字なき   処、これをもって実となすなり。︶  これ一切の声を援無する論なれば、必ず善悪なきところに帰着すべし。なんとなれば、善悪の別は言声・文字 あるによる。もし、言声もなく文字もなきにおいては、なにをもって善悪を分かたんや。その勢い、無善無悪の       スノ      ナリ 地に到達せざるべからず。今﹃十住心論冠註﹄︵巻一の一〇八︶によるに、一義云声是顕二善悪一能詮、然無二能詮   ニ      モ 声一故所詮善悪法亦無︵一義にいう、声はこれ善悪をあらわす能詮なり。しかるに能詮の声なきが故に所詮の善 401

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悪法もまたなし︶とあり。そもそもこの外道の要義は、﹃呆宝紗﹄︵巻二本一の三二︶によるに、是擬二無声躰ハ 無相離言処為二宗極一︵これは声の体を濃無す。無相離言の処を宗極となす︶と説き、﹃玉振紗﹄︵巻六本のニニ︶       ノ には、如レ是錐二悉接無ハ全存二声性べ一切声相所二援無一処謂二之声性一能詮実躰執二是常遍一︵かくのごとく、こと ごとく嬢無すといえども、全く声性を存ず。一切の声相、擬無するところの処はこれを声性という。能詮は実体 にして、これ常遍なりと執す︶といえり。また﹃住心品疏冠註﹄︵巻五の二〇︶によるに、そのいわゆる声字な きところを実となすは、かの禅門不立文字、維摩無言等なりとなす。しかりしこうして、かくのごとき外道の存 することは、他書に見ざるところなり。ゆえに、その宗意を明らかにすることあたわずといえども、﹃十住心論﹄       クハ        ノ の﹁傍註﹂︵﹃十住心論冠註﹄巻一の一〇八︶に、或云恐勝論外道異名欺︵あるいはいう、おそらくは勝論外道 の異名なるか︶とあり。余おもえらく、これ必ずしもこの名称を有する外道あるにあらず、すでに声論あれば、 これに反する宗義をとるものあるべきは自然の勢いなれば、すべて声論に反対のものを非声論と称せしならん。 しかしてこの二者は、ともに毘陀論の声常説より派生したるやまた疑いなし。すでに﹃玉振紗﹄には、声非声者 出三於明論立二声常住一云云︵声・非声は明論に声常住と立つるに出ず、と云々︶とあるを見て知るべし。ゆえに、 余は声・非声を合して、ともに有神論の部類となす。けだしこの両論のごときは、西洋の哲学史上にいまだ見ざ る論にして、印度特有の哲学なるべし。ことに声生声顕外道の唱うるところの声体常住論のごときは、印度哲学 一種固有の論というべし。仏教は声論に反して声無常を唱うるものなれども、真言の声字実相論のごときは声論 の所説に似たり。﹃声字義﹄︵一および六︶に曰く、         レ    ヲ       ハ ノ   夫如来説法必籍二文字べ文字所在六塵其躰、六塵之本法仏三密即是也 402

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第四編 各論第二客観的複元論   ︵それ如来の説法は必ず文字を籍る。文字の所在は六塵その体なり。六塵の本法は仏の三密すなわちこれな   り︶ と。またその頒に曰く、五大皆有レ響、十界具二言語べ六塵悉文字、法身是実相︵五大みな響あり、十界言語を具 す。六塵ことごとく文字、法身これ実相なり︶とあるがごときは、声常論といわざるべからず。しかるに真言家 は、外道の声論は常識によりて立てて、真言の声論は理想によりて立つるの別ありという。ゆえに﹃果宝紗﹄ ︵巻二本一の三二︶には、        ト  ヲ   外道不レ知二理趣べ但依二情量一而作レ計故、唯声常住云未レ知二其理ハ指二常住位一或云二神我所作べ或云二冥然処ハ   皆是妄執矯乱、以二凡情一構二執計ハ与二秘密声字実相義一天地各別也   ︵外道は理趣を知らず、ただ情量によりて計を作す故に。ただ声は常住といいていまだその理を知らず。常   住の位を指し、あるいは神我の所作といい、あるいは冥然の処という、みなこれ妄執矯乱にして、凡情をも   って執計を構え、秘密声字実相義と天地各別なり︶ とあり。また、非声論は文字.言声を否定する論なれば、禅宗の不立文字に似たるところあるも、これ常識凡情 の所計なれば、禅宗の妙理とは同日の論にあらざること明らかなり。       第二章 天 論        第七三節 天の名義  以上、声論外道を論じてようやく有神論を述べんとするに当たり、まず外道のいわゆる天につきて一言せざる 403

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べからず。けだし、天のことたるや仏教以前の説にして、印度最古の神話より起こり、﹁毘陀経﹂中に見るとこ ろの古説なるも、仏教はその話をかりて世間道を説きたるをもって、仏書中にも多く諸天の名称を掲ぐるを見 る。なかんずく帝釈天・梵天・自在天のごときは仏教中にありて、これを諸天中の最勝最尊なるものとなせり。 ただ、これを婆羅門に比して異同あるは、天部はすべてこれを世間門中に置きて、迷界の一部に属さしめ、さら にその上に悟界の存することを唱うるにあり。今、余が諸天につきて述ぶるところは、仏教の経論疏釈中に散見 せるものを比較参照するに過ぎず。そもそも天の名義たるや、支那のいわゆる天とその意を異にし、梵語の提婆 ︵06<①︶を訳したるものなり。しかしてその語に配するに天の字を用いたるは、最勝最尊の義なりという。﹃法苑 珠林﹄︵巻七の=︶に、天者如二婆沙釈一名二光明照曜バ故名為レ天︵天は婆沙の釈のごとくんば、光明照曜と名 つく、ゆえに名づけて天となす︶と、また光明増故名レ天︵光明増す故に天と名つく︶と、また戯楽故名レ天︵戯 楽の故に天と名つく︶との諸説を掲げり。もし、﹃翻訳名義集﹄︵巻二の一︶の示せる解釈は左のごとし。   提婆此云レ天、法華疏云、天者天然、自然勝、楽勝、身勝、故論云、清浄光潔、最勝最尊、故名為レ天。   ︵提婆はここに天という。﹃法華疏﹄にいわく、天とは天然・自然勝・楽勝・身勝なり。ゆえに﹃論﹄にいわ   く、清浄光潔・最勝・最尊なり、ゆえに名づけて天となす。︶        トバ ク       ノ  また﹃凡聖界地章﹄︵巻下の二︶によるに、天者論云、天謂光明威徳熾盛、遊戯謹論、勇悼相凌、或復尊高神 用自在、衆所二祈告一故名為レ天︵天とは﹃論﹄にいわく、天とはいわく、光明威徳熾盛にして遊戯諌論し、勇悼 にして相凌し、あるいはまた尊高神の用自在にして、衆の祈告するところなるが故に名づけて天となす︶とあ り。また﹃往生要集指摩⑳﹄︵巻四の五五︶によるに、論釈二天名一凡有二五説べ一云勝故名レ天、二云増上乗生故、 404

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第四編 各論第二客観的複元論 三云此名施設、四光自照故、五云以二善行一生レ彼常自遊楽故︵﹃論﹄に天の名を釈するにおよそ五説あり。一にい わく、勝なるが故に天と名つく。二にいわく、増上乗の生ずるが故に。三にいわく、ここに施設と名つく。四に 光自ら照らすが故に。五にいわく、善行をもってかれに生じ、常に自ら遊楽するが故に︶とあり。しかしてその 天のすみかたるや、最勝・最楽・最善・最妙・最高の所となす。﹃三界義﹄︵三五、﹃三界義略解﹄巻中の三五︶に、 天の十勝を挙示せり。すなわちいわく、   諸天皆有二十勝事べ一飛行、二来自在、三去自在、四無碍、五無骨、六無二便利べ七無二疲倦べ八天女不レ産、   九眼不レ瞬、十随レ意受二勝快楽↓   ︵諸天にみな十の勝事あり、一に飛行、二に来自在、三に去自在、四に無碍、五に無骨、六に便利なし、七   に疲倦なし、八に天女産せず、九に眼瞬かず、十に随意に勝快楽を受く。︶  実に天界は世界中、最勝・最楽の所なり。しかれども、なお生老病死の苦患を脱するあたわず。すなわち、 ﹃三界義﹄に述ぶるところ左のごとし。     ニ   諸天将命欲レ終、先有二五種小衰相現︵一者衣服厳具出二非声ハニ者自身光明忽然昧劣、三者於二沐浴位一水滴       ム  ヲ       ナレトモ    ス        ハルル   着レ身、四者本性鷺馳令レ滞二境べ五者眼本凝寂 数瞬動、此五相現 時、必定当レ死、復有二五種大衰相       ハレハ   現ハ一者衣染二咳塵ハニ者花童萎梓、三者両腋汗出、四者臭気入レ身、五者不レ楽二本座ハ此五相現 必定当レ   死。   ︵諸天のまさに命終わらんと欲するに、先に五種の小衰相の現ずることあり、一には衣服厳具、非愛声を出   す、二には自身の光明忽然として昧劣なり、三には沐浴位において水滴身に着く、四には本性鴛馳にして一 405

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  境に滞らず、五には本凝寂なれどもしばしば瞬動す。この五相現るるとき必定してまさに死すべし。また五   種の大衰の相現ずるあり、一には衣埃塵に染む、二には花髪萎梓す、三には両腋より汗出ず、四には臭気身        ねが   に入る、五には本座を楽わず、この五相現れれば必定してまさに死ぬべし。︹ω日仏全により愛を補う、②日仏   全、埃につくる︺︶  かくのごとく諸天にも生死の変あるをもって、仏教はこれを迷界に属し、さらにその上に悟界あることを説 く。迷界は、あるいはこれを地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道に分かちて、あるいはこれを欲界・色界. 無色界の三界に分かつ。欲界は睡眠・飲食・婬欲の三事を具し、色界は形質浄妙にして身相殊勝なり。無色界は ただ精神のみありて、形色あることなしという。そのつまびらかなるは、小乗哲学を講ずるときに譲る。今、天 界には欲・色・無色の三界あり、欲界には地獄・餓鬼・畜生・修羅・人と天の一部を含む。左に、﹃宝積経﹄︵巻 九四の五︶によりて三界の類別を示さん。   復次知二三界べ所レ謂欲界、色界、無色界、云何欲界、地獄、畜生、餓鬼、阿修羅、人、四天王天、三十三   天、夜摩天、兜率施天、化楽天、他化自在天、若於二此中一欲染貧著眼悪愚痴怖望、欲レ得二心所作業ハ是名レ   知二欲界ハ云何色界、梵天、梵輔天、梵衆天、大梵天、光天、少光天、無量光天、光音天、浄天、少浄天、   無量浄天、偏浄天、果実天、少果天、広果天、無量果天、無想天、無熱天、無悩天、善見天、妙善見天、阿   迦賦吃天、若於二此中べ色染愚痴怖望、欲レ得二心所作業べ是名二色界ハ云何無色界、空処天、識処天、無所有   処天、非有想非無想処天、若於二此中一無色染汗愚痴怖望、欲レ得二心所作業べ是名二無色界ハ是名二三界↓   ︵またつぎに三界たる、いわゆる欲界・色界・無色界を知るなり。いかんなるは欲界なる。地獄.畜生.餓 406

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第四編 各論第二客観的複元論   鬼・阿修羅・人・四天王天・三十三天・夜摩天・兜率陀天・化楽天・他化自在天にて、もしこのうちにおい   て、欲染の貧著・瞑憲・愚痴もて怖望して、心のなすところの業を得んと欲せば、これを欲界を知ると名つ   く。いかんなるは色界なる。梵天たる梵輔天・梵衆天・大梵天、光天たる少光天・無量光天・光音天、浄天   たる少浄天・無量浄天・遍浄天、果実天たる少果天・広果天・無量果天・無想天・無熱天・無悩天・善見天・   妙善見天・阿迦賦旺天にて、もしこの中において色染の愚痴もて怖望して、心のなすところの業を得んと欲   せば、これを色界と名つく。いかんなるは無色界なる。空処天・識処天・無所有処天・非有想非無想処天に   て、もしこのうちにおいて、無色染汗の愚痴もて稀望して、心のなすところの業を得んと欲せば、これを無   色界と名つく。これを三界と名つくるなり。︶  普通に解するところによれば、天を分類して三十三天となす。三十三天の梵語は、﹃法界安立図﹄︵巻中の上の 九︶によるに切利天といい、つぶさに恒利夜登陵奢というとあり。その名称に経論諸説の異同あること、﹃塵滴 問答﹄︵巻二の一二︶に見えたり。今左に﹃仏祖統紀﹄︵巻三一の二一︶によりて、﹃正法念経﹄の三十三天を挙 示すべし。   第一、善法堂天すなわち帝釈天、第二、住峰天、第三、山頂天、第四、善見城天、第五、鉢私地天、第六、   住倶旺天、第七、雑殿天、第八、歓喜園天、第九、光明天、第十、波利樹園天、第十一、険岸天、第十二、   雑険岸天、第十三、摩尼蔵天、第十四、施行地天、第十五、密殿天、第十六、童影天、第十七、柔鞭地天、   第十八、雑荘厳天、第十九、如意地天、第二十、微細行天、第二十一、歌音楽天、第二十二、威徳輪天、第   二十三、月行天、第二十四、娑利天、第二十五、速行天、第二十六、影照天、第二十七、智慧天、第二十 407

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  八、衆分天、第二十九、住輪天、第三十、上行天、第三十一、威徳顔天、第三十二、威徳輪天、第三十三、       08

  清浄天。      4

 その図は、﹃仏祖統紀﹄および﹃法界安立図﹄につきて見るべし。もし﹃開元録﹄︵巻一五の二四︶によらば、 ﹃梵天策数経﹄、一名﹃諸天事経﹄と題する書名あり。これ、諸天のことを記せしもののごとく見ゆるも、その書 を知らざればいかんとも判知し難し。けだし、これら諸天はその源婆羅門の神話より起こり、後に仏教中に入り て仏説となりたるや疑いなし。しかりしこうして、天部の解釈はここに略し、これより天中の主神につきて、そ の名義・性質を述ぶべし。        第七四節 天の種類  印度の歴史は、到底政治上にて世紀を立つること難きも、やや宗教上にて時代を定むることを得べし。例え ば、ホイーラー︵綱古oo一巽︹こ゜↓°︺︶氏の﹃印度史﹄︹庄ω9﹁ぺo︹甘庄P一。。Φベー。。ごのごときは、第一紀を毘陀時代 とし、第二紀を婆羅門時代とし、第三紀を仏教時代とし、第四紀を婆羅門再興の時代とするがごときこれなり。 しかして、第一の毘陀時代は多神の時代にして、当時の人民は毘陀の神話中に存する印度最古の諸神を崇拝せ り。つぎに第二の時代は、多神の裏面に含有せる一神の道理をようやく開発しきたりて、一体の神を崇拝するに 至れり。今、多神の主要なるものを挙ぐれば左のごとし。   因陀羅神︵ヨユ日︶ 婆楼那神︵﹀曽旨①︶  阿書尼神︵﹀ひq三︶ 婆由神︵<昌已︶   蘇利耶︵Qり巨葛︶  蘇摩︵oりo∋①︶    夜摩︵く①∋①︶

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第四編 各論第二客観的複元論  因陀羅神は仏教のいわゆる帝釈天なれば、次節に詳述すべし。この神たるや印度古代にありては、特に諸天の 最勝として尊奉せられたるは、その神の雨をつかさどる神なるによる。印度は熱帯地方なれば、雨を喜ぶこと最 もはなはだし。これをもって、因陀羅神を尊崇すること最もはたはだしきに至れりという。婆楼那神︵﹃枳橘易 土集﹄︵付巻一の二二には幡嘘那提婆︶は水神にして、江海をつかさどる神なり。阿書尼神は火神なり。﹃翻訳名 義集﹄︵巻二の三五︶には悪那尼と記せり。同書にこれを解して、或名二些吉利多耶尼︵此云二火神ハ︵あるいは些 吉利多耶尼と名づけ、ここに火神という︶とあり。婆由神は風神にして、﹃名義集﹄の婆痩これなり。しかして 同書に、この二神の名は﹃孔雀経﹄に出ずという。蘇利耶は日神なれば、﹃名義集﹄︵巻二の一〇︶に、或蘇黎 耶、或修利、此云二日神一︵あるいは蘇黎耶、あるいは修利、ここに日神という︶と解せり。蘇摩は月神にして、 ﹃名義集﹄にもその解あり。これみな天文・気象の神にして、多神の時代より一神の時代に移るに従い、ようや く人民の尊崇の度を減ずるに至りしも、仏教の時代においてもなお、その諸神を奉信せるものありしは明らかな り。そのほか夜摩と名つくる神あり。これ、天界の神にあらずして下界の神なり。すなわち、地下にありて死者 を支配する神にして、いわゆる冥官の長なり。これ、今日一般にとなうる閻魔王なり。これを静息あるいは双王 と訳す。左に﹃翻訳名義集﹄︵巻二の三三︶の解釈を転載すべし。        ニ   瑛魔或云二談羅べ此翻二静息ハ以三能静二息造悪者不善業一故、或翻レ遮謂遮令レ不レ造レ悪故、或閻磨羅経音義応   フ      ノ      フハ   云、夜磨盧迦此云レ双、世鬼官之惣司也、亦云二閻羅談魔一声之転也、亦云二閻魔羅社べ此云二双王べ兄及妹皆   作二地獄主ハ兄治二男事ハ妹治二女事べ故日二双王ハ或翻苦楽並受一故云レ双也。   ︵瑛魔あるいは瑛羅といい、ここに静息と翻ず、よく造悪者の不善業を静息するをもっての故なり。あるい 409

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  は遮と翻ず、いわく遮して悪を造らざらしむるが故なり。あるいは﹃閻磨羅経音義﹄にまさに夜磨盧迦とい   い、ここに双というべし、世の鬼官の総司なり。また閻羅談魔というは声の転なり。また閻魔羅社といい、   ここに双王という。兄および妹、みな地獄主となり、兄は男事を治め、妹は女事を治む、ゆえに双王とい   う。あるいは苦楽ならびに受くと翻ずるが故に双というなり。︶        フパ テ      ニ  ﹃釈氏要覧﹄︵巻中の五四︶には、閻羅王梵音閻摩羅、此云レ遮、謂遮令レ不レ造レ悪故︵闇羅王、梵音は閻摩羅、 ここには遮という。いわく、遮して悪をつくらざらしむる故に︶とあり。﹃倶舎光記﹄︵巻八の四一︶には、旧 云二閻羅一者説也、瑛魔此云二評息一云云︵旧に閻羅というは説なり。瑛魔はここには諄息という、云々︶とあり。 もし﹃鍮伽論﹄︵巻五八の一︶によらば、何故焔摩名為二法王バ為三能損二害諸衆生一故、為三能饒二益諸衆生一故︵な にが故に焔摩を名づけて法王となすや。よくもろもろの衆生を損害するが故にとやせん。よくもろもろの衆生を 饒益するが故にとやせん︶とあり、﹃顕揚論﹄︵巻一八の一七︶にも同じくその解を示せり。﹃玄応音義﹄︵巻二五 の七、﹃孟蘭盆経新記﹄巻下中の三五、﹃孟蘭盆経愚聞紗﹄巻下の七〇︶には、   或作二閻摩羅ハ或言閻羅、又作二閻摩羅社︵又言二夜摩盧迦︵皆是梵音、楚夏声之誰転也、此訳云レ縛、或言二   双世一云云   ︵あるいは閻摩羅に作り、あるいは閻羅という、また閻摩羅社に作り、また夜摩盧迦という。みなこれ梵音   なり。楚夏声の託転なり。ここに訳して縛といい、あるいは双世という、云々︶ とあり。もしまた閻摩の所在を考うるに、﹃倶舎論﹄︵巻一一の八︶には、於二此贈部洲下一過二五百輸繕那べ有二瑛 魔王国べ縦広量亦爾︵この贈部洲の下において、五百輸繕那を過ぎて談魔王の国あり。縦と広さとの量もまたし 410

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第四編 各論第二客観的複元論 かなり︶とあり。また﹃楡伽倫記﹄︵巻一下の一九︶には、   鬼住処者以二閻羅王処一為レ本、此於二閻部洲下深五百由旬一有二大国土べ縦広五百由旬   ︵鬼の住処とは閻羅王の処をもって本となす。これ閻浮洲の下、深さ五百由旬において大国土あり、縦広五   百由旬︶       ノ      ノ  ニ とあり。また﹃仏祖統紀﹄︵巻三二の一八︶には、閻部洲南二鉄囲山外有二閻摩羅王宮殿ハ縦広正等六千由旬︵間 浮洲の南、二の鉄囲山の外に閻摩羅王の宮殿あり、縦広正等にして六千由旬なり︶とあり。そのことは﹃超世 経﹄に出ずる説にして、﹃諸経要集﹄︵巻一八の二三︶につまびらかなり。そのほか諸書に閻摩王の解釈を見る も、今述ぶるところのものに異ならず。要するに、これ下界にありて鬼神の主となり、罪人を審理する判官な り。そのほか天部につきては、﹃三蔵法数﹄︵巻四六の=二、﹃大蔵法数﹄巻六四の四︶に、二十諸天の名義を挙 示せり。その中には、すでに説明せしもの、また後に解釈すべきものを混ずといえども、重複をいとわず、左に その全文を掲ぐることとなす。      ハ ハ      サニ         ニ   一梵天王梵梵語具云二梵覧摩一華言二離欲べ又云二清浄ハ謂此天王身心妙円、威儀不レ欠、清浄禁戒、加以二明        ニ スル        ノ   悟バ統二領梵衆ハ即法華経称娑婆世界主 棄、大梵主二大千世界一者是也。   ︵一に梵天王。梵は梵語、つぶさに梵覧摩といい、華に離欲といい、また清浄という。いわく、この天王は   身心妙円にして威儀欠かさず、禁戒を清浄にす。加うるに明悟をもってし、梵衆を統領す。すなわち﹃法華   経﹄に娑婆世界の主、 棄大梵と称す。大千世界をつかさどる者はこれなり。︶        ハ         ハ       ニ       ニ   ニ帝釈天主帝即天帝、釈梵語、具云二釈提桓因バ華言二能天主べ言二帝釈一者、華梵兼称也、此天居二須弥山頂べ 411

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       ニ       ス 即切利天主也、謂此天往昔因中迦葉仏滅時、有一二女人べ発心修レ塔、復有二三十二人一助修、由二是功徳べ女 為二初利天主べ其助修者皆作二輔臣べ合称為二三十三天↓也。 ︵二に帝釈天・王。帝はすなわち天帝、釈は梵語、つぶさに釈提桓因といい、華に能天主という。帝釈という は華梵兼称なり。この天は須弥山頂に居す、すなわち切利天主なり。いわく、この天は往昔、因中に迦葉仏 滅するとき、一女人ありて発心し塔を修するにまた三十二人ありて助修す。この功徳により、女を切利天主 となす、その助修の者みな輔臣となす、合称して三十三天となすなり。︶ 三毘沙門天王、梵語毘沙門、華言二多聞ハ謂此天福徳之名聞二於四方べ即北方天王居二須弥山半、第四層之北 水精埋ハ統二領無量百千薬叉ハ守二護北方一也。 ︵三に毘沙門天王。梵語に毘沙門、華に多聞という。いわく、この天の福徳の名、四方に聞こゆ。すなわち 北方天王にして須弥山の半ば、第四層の北、水精の唾に居す。無量百千の薬叉を統領し、北方を守護するな り。︶ 四提頭頼暁、梵語提頭頼吃、華言二持国べ謂此天能護二持国土べ即東方天王居二須弥山半、第四層之東黄金睡べ 領二乾闇婆富単那等べ守二護東方一也。 ︵四に提頭頼旺。梵語に提頭頼吃、華に持国という。この天はよく国土を護持す。すなわち東方天王にして 須弥山の半ば、第四層の東、黄金の唾に居し、乾閾婆、富単那等を領す。東方を守護するなり。︶ 五毘留勒叉天王、梵語毘留勒叉、華言二増長︵謂此天能令二自他威徳善根悉皆増長べ即南方天王居二須弥山半、 第四層之南瑠璃唾ハ領二鳩築茶等無量百千鬼神ハ守二護南方一也。 412

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第四編 各論第二客観的複元論 ︵五に毘留勒叉天王。梵語に毘留勒叉、華に増長という。いわく、この天はよく自他の威徳善根をことごと くみな増長せしむ。すなわち南方の天王にして須弥山の半ば、第四層の南、瑠璃の唾に居す。鳩葉茶等の無 量百千の鬼神を領し、南方を守護するなり。︶ 六毘留博叉天王、梵語毘留博叉、華言二雑語ハ謂此天能作二種種語言一故、又云二広目ハ以二其目広大一故、即西 方天王居二須弥山半、第四層之西白銀睡べ領二毘舎閣鬼等無量百千諸竜べ守二護西方一也。 ︵六に毘留博叉天王。梵語に毘留博叉、華に雑語という。いわく、この天はよく種々の語言をなすが故に。 また広目という、その目広大なるが故に。すなわち西方の天王にして須弥山の半ば、第四層の西、白銀の唾 に居す。毘舎閣鬼等無量百千の諸竜を領し、西方を守護するなり。︶ 七金剛密 天、謂此天手執二金剛宝杵ハ識二達如来一切秘密事 一也、往昔有レ王、生二一千有二子べ千兄同詣ニ       シ 仏所べ発心修レ道、而二弟不レ知、一弟発願、若千兄成道、我則為レ魔悩二害之ハ一弟発願我為二力士べ護二千兄 法ハ即金剛也、領二五百薬叉神ハ皆是大菩薩等、居二妙高峰ハ於二賢劫千仏中バ倶護二其法一也。 ︵七に金剛密 天。いわく、この天は手に金剛宝杵をとり、如来一切の秘密事 に識達するなり。往昔、王 あり、一千有二子を生ず、千兄は同じく仏所に詣り、発心修道す。しかして二弟は知らず。一弟は発願す、 もし千兄成道すれば、我はすなわち魔となりてこれを悩害せん、と。一弟は発願す、我は力士となりて千兄 の法を護らん、すなわち金剛なり。五百の薬叉神、みなこれ大菩薩等なるを領し、妙占口同峰に居す。賢劫千仏 の中においてともにその法を護るなり。︶ 八摩醸首羅天、梵語摩醗首羅、華言二大自在べ又翻二威霊ハ或云三目、故為二三界尊極之主ハ輔行記云、色界 413

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天三目八腎、騎二白牛べ執二白払ハ有二大威力べ居二菩薩住処ハ能知二大千世界雨滴之数︵統二摂大千世界ハ於二 色界中一此天独尊也。 ︵八に摩醗首羅天。梵語に摩醸首羅、華に大自在という。また威霊と翻じ、あるいは三目という。ゆえに三 界尊極の主なり。﹃輔行記﹄にいわく、色界の天にして三目八腎、白牛にのり、白払をとり、大威力あり。 菩薩の住処に居し、よく大千世界の雨滴の数を知り、大千世界を統摂す。色界の中においてこの天ひとり尊 なり。︶ 九散脂大将、散脂梵語、具云二散脂修摩べ華言レ密、陀羅尼集云、鬼子母有二三男ハ長名二唯奢文べ次名二散脂

大妥驚..名摩尼藷ハ能於二+方世異覆二護一切衆ま為。除二衰悩⇔畏墓局或空局各有二吾

      テ       シ      シ 替属べ領二二十八部鬼神べ随下是経典所二流布一処い与二諸鬼神一往、至二彼所一随三逐擁二護説法者バ消二滅諸悪ベ     ヲ       レ   ノ 令レ得二安穏ハ伍以二身口意三密べ而加二被之べ謂衆和精気従二毛孔一入、此身密加被也、荘二厳言辞弁べ不二断 絶べ此口密加被也、心進勇鋭等、此意密加被也、至下令二聞者受二人天楽ハ疾得中菩提い其於二賞善罰悪功一亦大  。 ︵九に散脂大将。散脂は梵語、つぶさに散脂修摩といい、華に密という。﹃陀羅尼集﹄にいう、鬼子母に三 男あり、長を唯奢文と名づけ、つぎを散脂大将と名づけ、つぎの小を摩尼践陀と名つく。よく十方世界にお いて一切衆生を覆護し、ために衰悩等の患を除く。常に地に居し、あるいは空に居す。おのおの五百の替属 あり二十八部の鬼神を領す。この経典の流布せらるる処に随って、諸鬼神とともにいき、かの所に至りて説 法者に随逐し擁護し、諸悪を消滅し安隠を得しむ。よって身・口・意の三密をもってこれを加被す。いわく、 414

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第四編 各論第二客観的複元論 衆味の精気毛孔より入る、これ身密の加被なり。言辞を荘厳し弁断絶せず、これ口密の加被なり。心進勇鋭        と 等、これ意密の加被なり。聞く者をして人天の楽を受け、疾く菩提を得せしむるに至る。その善を賞し、悪 を罰するにおいて功また大なり。︹ω縮蔵経、味につくる︺︶ 十大弁天、謂得二大智慧功徳一成二就大弁才一也、此天或居二山巌深険処べ或在二攻窟大樹叢林在処ハ常翅’二 足ハ八腎荘厳、常持二弓箭刀精長杵鉄輪べ帝釈諸天常加二供養讃歎べ具二無磯弁べ於二一切時ハ常自護レ世、済レ 物利レ生、流二通仏法ハ無レ所二怠倦べ以レ慧資レ福、故光明会上列レ之、在二功徳天之前一也。 ︵十に大弁天。いわく、大智慧功徳を得、大弁才を成就するなり。この天、あるいは山巌深険の処に居し、 あるいは炊窟大樹叢林の在処にあり。常に一足をあげ、八腎荘厳し、常に弓箭、刀稽、長杵、鉄輪を持つ。        すく 帝釈の諸天常に供養讃歎を加え、無擬弁をそなう。一切時において常に自ら世を護り、物を済い生を利し、 仏法を流通し、怠倦するところなし。慧をもって福に資す。ゆえに光明会上にこれを列し、功徳天の前にあ るなり。︶ 十一功徳天、此天浬薬経及陀羅尼集名二功徳天ハ金光明経散脂品名二第一威徳成就衆事大功徳天ハ於二過去金 山照明如来所ハ種二諸善根バ故感二福報べ相貌殊勝、能令二衆生福徳成就べ常居二最勝園ハ名日二金瞳↓若説法 者随二其所須一供給無レ乏、以レ福資レ慧、成二出世因べ則果満二二厳ハ依正殊勝也。 ︵十一に功徳天。この天は﹃浬薬経﹄および﹃陀羅尼集﹄に功徳天と名つく。﹃金光明経﹄﹁散脂品﹂に第一 威徳成就衆事大功徳天と名つく。過去金山照明如来の所において、諸善根をうえ、ゆえに福報を感ず。相貌 殊勝にしてよく衆生をして福徳成就せしむ。常に最勝園に居し、名づけて金瞳という。説法者のごときはそ 415

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の所須に随って供給して乏しきことなく、福をもって慧にたすけ、出世の因を成ず、すなわち果は二厳を満 たし、依正殊勝なり。︶ 十二章天将軍、章梵語、具云二章駄べ華言二智論霊威︵要略日二天神ハ姓章誰現、即南方天王八将之一臣也、 四王合三十二将、此為二其首ハ生知聡慧、早離二塵欲︵清浄梵行、修二童真業べ不レ受二天欲ハ面受二仏嘱︵外 護二仏法べ統二護三洲べ利レ物弘レ化、大済二群生ハ故凡建二伽藍ハ設レ像崇敬、以彰二護法之功一也。 ︵十二に章天将軍。章は梵語、つぶさに章駄という、華に智論霊威といい、要略して天神という。姓は章、 謹は現、すなわち南方天王八将の一臣なり。四王の合して三十二将、これをその首となす。生知聡慧にして 早く塵欲を離れ、清浄梵行、童真の業を修す。天欲を受けずして、面して仏の嘱を受く、外に仏法を護り、       すく 三洲を統護し、物を利し、化を弘む。大いに群生を済い、ゆえにおよそ伽藍を建つるに像を設けて崇敬す。 もって護法の功を彰すなり。︶ 十三堅固地神、堅固理躰不レ可レ壊、如三金剛王無二能破︼也、地者謂其利世之功、如下大地持二載万物バ出中生草 木百穀珍宝等上也、此天随二是経典流布之処へ常作二衛護べ隠二形法座べ頂二戴説法者之足ハ令下聞法者如レ服二甘       ニ       レト 露べ増中益身力い地蔵経仏告二地神一云、閻浮土地悉蒙二汝護ハ凡地所レ生皆悉豊足、利二益一切べ護二仏教法ハ 於二世出世一其功大 。 ︵十三に堅固地神。堅固は理体壊すべからず、金剛王のよく破することなきがごときなり。地とはいわく、 その利世の功は大地の万物を持載し、草木百穀珍宝等を出生するがごときなり。この天は、この経典流布の 処に随って常に衛護を作し、形を法座に隠し、説法者の足を頂戴す。聞法者をして甘露を服するごとく、身 416

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第四編 各論第二客観的複元論 力を増益せしむ。﹃地蔵経﹄に、仏、地神に告げていわく、閻浮の土地はことごとく汝が護をこうむれと。 およそ地の生ずる所、みなことごとく豊足にして一切を利益し、仏の教法を護り、世・出世においてその功 大なり。︶        ニ 十四菩提樹神、梵語菩提、華言レ道、謂由下此神嘗守中護如来成道処菩提之樹い因以立レ名、宿世因中自云、我 常念レ仏、楽レ見二世尊べ常作二誓願べ不レ離二仏日↓是知大権示 、微妙難レ思、覆二蔭群生べ現レ身利益、故諸 経讃護、功徳不レ可レ量也。 ︵十四に菩提樹神。梵語に菩提、華に道という。いわく、この神かつて如来成道の処の菩提の樹を守護する       ねが により、よってもって名を立つ。宿世の因中に自らいわく、われ常に仏を念じ、世尊を見ることを楽い、常 に誓願を作す、仏日を離れざらん、と。これ大権の示 なることを知る。微妙にして思い難し。群生を覆蔭 し、現身して利益す。ゆえに諸経を讃護す、功徳量るべからざるなり。︶        ヲ 十五鬼子母天、此天所生千子、最小名二愛奴べ極所二憐惜べ常食二人子べ仏為レ化レ彼、将二愛奴一蔵二之鉢下バ其        シ  リテ 母於二天上人間一寛レ之不レ得、既帰伏已、仏遂掲レ鉢還レ之、其千子皆為二鬼王︵統二数万鬼衆べ五百在二天上ハ       ヲ 常饒二乱諸天べ五百在二世間バ常焼二国界人民べ仏為授二五戒一帰ゴ依正法ハ得二須陀恒ハ住二仏精舎︵凡人家無二 子息一者、求レ之得レ子、有二疾病一者、薦レ之則安、故為二鬼王母ハ由レ受二仏戒べ亦呼二千子ハ同依二仏所べ不レ 悩二天人一也。 ︵十五に鬼子母天。この天の所生は千子、最小を愛奴と名づけ、極めて憐惜するところなり。常に人の子を 食う、仏、彼を化せんがために愛奴をもってこれを鉢の下に蔵す。その母天上人間においてこれをもとめて 417

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      す も得ず、すでに帰伏しおわりて仏ついに鉢を掲げてこれを還す。その千子みな鬼王たり、数万の鬼衆を統 べ、五百は天上にあり、常に諸天を娃乱す。五百は世間にあり、常に国界の人民を娃す。仏ために五戒を授 け正法に帰依し、須陀沮を得、仏の精舎に住せしむ。およそ人家に子息なき者、これに求めて子を得。疾病 ある者、これにいのりてすなわち安し。ゆえに鬼王母となす。仏戒を受くるによりまた千子を呼び、同じく 仏所により、天人を悩まさざらしむなり。︶        ニ 十六摩利支天、梵語摩利支、華言二陽焔へ以下其形相不レ可レ見不レ可レ執、如中彼陽焔上也、此天常行二日月之前ベ       ソ  ワ  カ     シ 護レ国護レ民、救二兵文等難べ大摩利支天経中、有二最上心真言ハ日庵摩利支娑縛賀、若人持二此真言べ無レ不二 感応ハ其不思議神力、誠可二依葱一也。 ︵十六に摩利支天。梵語に摩利支、華に陽焔という。その形相見るべからず執るべからず、かの陽焔のごと きをもってなり。この天は常に日月の前に行き、国を護り民を護り、兵文等の難を救う。﹃大摩利支天経﹄ の中に最上心真言あり、いわく、庵摩利支婆縛賀、と。もし人、この真言を持すれば感応せざることなし。 その不思議の神力、誠に依葱すべきなり。︶ 十七日宮天子、謂此天宿因布施持戒、修レ善奉レ仏、得レ生二其中べ其宮殿城郭、皆百宝所成、五風運持、不レ       ノノ  ニ    ニハ       ハ       ハ 令二停住ハ環二続須弥山半ハ照二四大洲バ所謂南閻浮提日正中、東弗干逮日始没、西聖耶尼日初出、北響単越 当二夜半ハ是為三一日照二四天下べ除レ冥破レ闇、成二熟万物一其功実大、法華経中名二宝光天子一即此天也。 ︵十七に日宮天子。いわく、この天は宿因に布施・持戒し、善を修し仏を奉じ、その中に生ずることを得。 その宮殿・城郭はみな百宝の所成にして五風運持し、停住せしめず。須弥山の半ばを環続し、四大洲を照ら 418

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第四編 各論第二客観的複元論 す。いわゆる南閻浮提は日の正中に、東弗干逮は日のはじめて没せんとするに、西聖耶尼は日のはじめて出 でんとするに、北薔単越は夜半に当たる。これを一日四天下を照らすとなす。冥を除き、闇を破し、万物を 成熟す。その功実に大なり。﹃法華経﹄中、宝光天子と名つくるはすなわちこの天なり。︶        ノ 十八月宮天子、謂此天宿因所修所証、与二日宮天子一同、故生二其中べ其宮殿百宝所成、五風運持、不レ令二停       ノ ハ       ノ ハ 住い環二続須弥山半べ照二四大洲べ其円欠者白月初日在レ前、黒月初日在レ後、因レ日影覆射、故有二円欠べ所謂 近レ日自影覆、故見二月輪欠ハ然月光陰滋二万物べ夜発二光明べ功次二於日べ法華経云、明月天子是也。 ︵十八に月宮天子。いわく、この天は宿因の修するところの所証は日宮天子と同じ、ゆえにその中に生ず。 その宮殿は百宝の所成、五風運持し、停住せしめず。須弥山の半ばを環続し、四大洲を照らす。その円と欠 とは白月のはじめは日前にあり、黒月のはじめは日後にあり、日によって影覆射す、ゆえに円・欠あり。い わゆる日に近ければ自影覆う、ゆえに月輪欠くと見ゆ。しかるに月の光陰は万物を滋し、夜光明を発し、功 は日に次ぐ。﹃法華経﹄にいう明月天子とはこれなり。︶ 十九娑端羅、梵語娑喝羅、華言二鍼海︵又翻二竜王ハ即鍼海中一百七十七竜王中第七竜王也、今独列二此竜王一 者、謂是大権菩薩位居二十地之中べ示二現竜身ハ処二於鍼海べ若降レ雨時、先布二密雲ハ端座挙念、其雨普治、       ノ 常随二仏会ハ護レ法護レ民、其利甚博、所レ居宮殿、七宝厳飾、与レ天無レ異。 ︵十九に娑喝羅。梵語に娑端羅、華に鍼海といい、また竜王と翻ず、すなわち鍼海中の一百七十七竜王の中 の第七竜王なり。今ひとりこの竜王を列するは、いわく、これは大権菩薩にして、位十地の中に居し、竜身 を示現し、鍼海に処す。降雨の時のごときは先に密雲を布き、端座挙念し、その雨あまねくうるおう。常に 419

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仏会に随い、法を護り民を護り、その利はなはだひろし。居るところの宮殿は七宝をもって厳飾し、天と異  なることなし。︶  二十閻摩羅王、梵語閻摩羅、華言二双王ハ又云二隻王べ謂由三此王与レ妹皆作二獄主一故云レ双、兄治二男事べ妹  治二女事ハ故云レ隻、又云二息評べ謂止二罪人諄一故、或云是菩薩為レ利二益衆生一故、変化所レ作、正法念経載二閻 羅王為レ人説予偏云、汝得二人身一不レ修レ道、如下入二宝山一空レ手帰い汝今自作還自受、叫喚苦者欲二何為︵又十  王経云、閻王於二未来世一作レ仏、号二普王如来ハ謂菩薩変化者良有レ以也。  ︵二十に閻摩羅王。梵語に閻摩羅、華に双王といい、また隻王という。いわく、この王と妹とみな獄主とな  る、ゆえに双という。兄は男事を治め、妹は女事を治む、ゆえに隻という。また息諄という、いわく、罪人  の諄を止むる故なり。あるいはいう、これは菩薩にして衆生を利益せんがための故に変化の所作なり、と○  ﹃正法念経﹄に閻羅王、人のために偶を説くを載せていわく、汝、人身を得て道を修せずんば、宝山に入り  て手をむなしくして帰るがごとし、汝、今自作して還りて自ら叫喚の苦を受くるは欲なんすれぞ、と。また  ﹃十王経﹄にいう、閻王未来世において仏となり普王如来と号せん。いわく、菩薩の変化はまことにゆえあ  るなり。︶ また、天部に四天王と称するものあり。その釈名は﹃法苑珠林﹄︵巻五の二︶に出ず。すなわち曰く、  第一四天王者依二長阿含経一云、東方天王名二多羅陀一此云二治国主一︵智度論云二提頭頼托一︶、領二乾闊婆及毘舎  閣神︵将二護弗婆提人ハ不レ令二侵害⊃南方天王名二毘瑠璃ハ此云二増長主二智度論名二毘楼勒叉一︶、領二鳩藥茶  及蒔蕩神ハ将二護閻浮提人ハ西方天王名二毘留博叉べ此云二雑語主二智度論云二毘楼博叉一︶、領二切諸竜及富 420

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第四編 各論第二客観的複元論   単那べ将二護聖耶尼人べ北方天王名二毘沙門べ此云二多聞主べ領二夜叉羅刹べ将二護露単越人↓   ︵第一、四天王は﹃長阿含経﹄によるにいう、東方の天王を多羅陀と名づけ、ここに治国王という︵﹃智度   論﹄に提頭頼死という︶。乾闘婆および毘舎閣神を領し、弗婆提人を将護し、侵害せしめず。南方の天王を   毘瑠璃と名づけ、ここに増長主という︵﹃智度論﹄に毘楼勒叉と名つく︶。鳩樂茶および酵蕩神を領し、閻浮   提人を将護す。西方天王を毘留博叉と名づけ、ここに雑語主という︵﹃智度論﹄に毘楼博叉という︶。一切の   諸竜および富単那を領し、聖耶尼人を将護す。北方天王を毘沙門と名づけ、ここに多聞主という。夜叉・羅   刹を領し、欝単越人を将護す。︶  また﹃浬藥経﹄︵﹃浬藥経会疏﹄巻二〇の六︶および﹃智度論﹄︵巻二二の二六︶には、世間天・生天・浄天・義 天をもって四種の天となす。あるいはまた﹃智度論﹄には、名天・生天・浄天をもって三種の天となす。今この 四種天の解釈は、﹃法苑珠林﹄︵巻五の二︶および﹃三蔵法数﹄︵巻一六の八、﹃大蔵法数﹄巻一九の一八︶等の数 書に譲り、ただここに、﹃智度論﹄︵巻七の一八︶に出ずる三種天の釈義を挙示すべし。   名天天王天子是也、生天釈梵諸天是也、浄天仏辟支仏阿羅漢是也、浄天中尊者是仏。   ︵名天とは天王.天子これなり。生天とは釈梵の諸天これなり。浄天とは仏・辟支仏・阿羅漢これなり。浄   天の中の尊者はこれ仏なり。︶  これによりてこれをみるに、その分類は仏教上に立つるところのものならざるべからず。また﹃大日経疏指心 紗﹄︵巻八の三〇︶に、五類の天あることを示せり。すなわち曰く、        ナリ      ニハ     ハ      ナリ      ハ   都部陀羅尼目有二五類天べ上界天、住虚空天、遊虚空天、地居天、地底天、秘蔵記上界天色無色界、虚空天 421

参照

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