<学歴・職歴> 昭和40年 3 月 長崎南高等学校卒業 昭和46年 3 月 長崎大学医学部卒業 昭和46年 4 月 長崎市立市民病院内科研修医 昭和48年 4 月 長崎大学医学部附属病院検査部病理科医員 昭和49年 1 月 長崎大学医学部附属病院検査部病理科助手 昭和49年 4 月 福岡大学医学部第二病理学教室助手 昭和52年 7 月 大分県立病院検査部病理科主任医師 昭和53年 4 月 福岡大学医学部第二病理学教室助手 昭和56年 4 月 福岡大学医学部第二病理学教室助教授 昭和60年 6 月∼昭和61年 9 月 西ドイツ,Münster 大学病 理学教室に留学 昭和61年10月∼昭和62年 3 月 西ドイツ,Tübingen 大学 病理学教室留学 昭和62年 4 月 福岡大学医学部第二病理学教室助教授 平成 2 年 4 月 長崎大学医学部第二病理学教室教授 平成14年 4 月 長崎大学大学院医歯薬学総合研究科(医療 科学専攻,生命医科学講座)教授 平成24年 3 月 長崎大学を定年退職 平成24年 4 月 NPO 法人長崎腎と病理ネットワーク理事長 <学会活動> 日本腎臓学会理事 2004 年 4 月∼2010 年 3 月 日本腎臓学会功労会員 2012 年 4 月∼ 日本腎臓学会学術評議員 1983 年 4 月∼2012 年 3 月 日本腎臓学会法人評議員 1994 年 4 月∼2012 年 3 月 日本腎臓学会誌編集委員 2002 年 4 月∼2006 年 3 月 日本腎臓学会査読委員 1994 年 4 月∼2002 年 3 月 腎病理標準化委員会委員長 2008 年 4 月∼2012 年 3 月 同 委員 2003 年 4 月∼2008 年 3 月 同 顧問 2012 年 4 月∼2014 年 3 月 腎臓病総合レジストリー小委員会 2008年 4 月∼2012年 3 月 日本腎臓学会企画委員 2006 年 4 月∼2009 年 3 月 日本腎臓学会学会あり方委員会 2008年 4 月∼2009年 3 月 腎臓学会用語集改訂委員会委員長 2005年 4 月∼2008年 3 月 ICD11専門委員 2009 年 4 月∼2012 年 3 月 ISN・ループス腎炎WHO分類改訂委員会 2002 年 4 月∼ 2006 年 3 月 日本医学会用語委員 2006 年 4 月∼2012 年 3 月 <所属学会> 日本病理学会(評議員) 日本腎臓学会(評議員,理事,2006∼2009 年) 日本臨床分子形態学会(旧日本臨床電顕学会) 日本組織細胞学会 日本腎病理協会( 世話人・顧問,2008 年 4 月∼2010 年 3 月: 世話人代表)
American Society of Nephrology International Society of Nephrology <学会運営> 日本腎臓学会西部部会会長(2005 年 9 月) 日本顕微鏡学会第 36 回電顕サマースクール(2010 年 7 月) 日腎会誌 2015;57(2):277 279.
追 悼
故
田口 尚 先生 略歴
(昭和21年12月13日生∼平成26年11月25日没)田口 尚先生を偲んで
長崎腎病院院長 原田孝司 晴天の霹靂とはこのようなことを言うのでしょうか。 日本の腎臓病理を代表する田口尚先生が急逝されました。ともにわが国の腎病理を担ってこられた先生 方に衝撃が走ったこととお察しいたします。 田口先生と筆者は昭和 46 年に長崎大学を一緒に卒業し,田口先生は病理に,筆者は臨床へと進みまし た。その後,専攻は彼が腎臓病理を筆者は腎臓内科を選択し,以来 43 年間二人三脚で腎臓病の病理と臨床 をやってまいりました。筆者にとって,彼の急逝は心の支えをなくしたに等しく,呆然と致しました。彼 が病理を選んだ理由は長崎医学史に遡る必要があるようです。1857 年当時,ポンペによって日本で最初の 西洋医学伝習が開始されました。原病学として日本で最初の病理学が開講されています。ポンペ以降,幾 多の病理学者に引き継がれてきたようです。そのなかには吉田腫瘍で有名な吉田富三教授も在職されてい ます。そのような病理学の歴史に魅力を感じ,病理学を専攻したものと推察致します。 長崎大学では腎生検法が普及して間もない昭和43年から腎生検による診断と研究が始まりました。当時 医学領域で電子顕微鏡研究のパイオニアの一人であった第二病理の竹林茂夫先生に腎グループの創設者の 堀田 覚先生が腎生検の電顕診断をお願いし,それから臨床と病理の連携が始まりました。昭和 49 年に竹 林茂夫先生が福岡大学医学部病理学教室教授に転出された折りに,田口先生は腎臓病学,血管病理学の教 えを乞い同行いたしました。長崎大学の私たちは腎生検病理カンファランスに定期的に福岡大学まで出か けて,臨床所見と病理所見から最終診断をしていただいておりました。 その後,田口先生は昭和 60 年から西ドイツの Münster 大学および Tübingen 大学病理学教室に留学し ております。筆者はロンドンの Guy s hospital に留学していましたので,同時に病理と臨床で留学したこ とになります。福岡大学時代に電顕を検索した腎生検症例は 1 万例を超えていました。その後,平成 2 年 に母校の第二病理学教室の教授として帰って来られ,私たち臨床家にとって非常に心強く大変喜んだもの です。長崎に帰って来られてからも腎生検症例は 1 万例を超え,国内では質・量ともに有数の腎生検ファ イルとなっています。近年では腎生検の診断は,光学顕微鏡,免疫組織化学でかなり情報が得られるよう になってはいますが,電顕がないと確定診断ができない疾患が数多くあります。菲薄基底膜病や初期の糖 尿病,遺伝性疾患である Alport 症候群,Fabry 病,nail-patella 症候群,LCAT 欠損症,fibrillary glo-merulonephritis や immunotactoid glomerulopathy などです。したがって,田口先生は常に電顕を用いた 研究の必要性を説いておられました。 学会活動では,日本腎臓学会理事や腎病理標準化委員会の委員長を務められています。そのほか腎臓病 総合レジストリー委員,ISN・ループス腎炎 WHO 分類改訂委員なども務めておられます。また,日本病 理学会,日本腎臓学会,日本臨床分子形態学会,日本組織細胞学会などに所属し,日本腎病理協会では世 話人代表もしておられます。特記すべきことは,日本腎臓学会,腎病理標準化委員会,日本腎病理協会編 の腎病理アトラスの編集に携わり,日本の腎病理診断の標準化に貢献されたことです。最近は腎病理研究 会の開催にかかわり,腎臓専門医のための腎病理夏の学校開催など,熱心に腎病理の教育にも力を注いで いらっしゃいました。 278教室では豊富な腎生検材料を用いた研究を行い,併せて動物実験を加え多くの業績をあげておられま す。現在ハーバード大学で研究員として活躍する人材(MS Razzaque)も輩出しています。 平成 24 年 3 月に長崎大学を定年退職されてからも,腎病理診断への思い・熱意は変わらず,NPO 法人 長崎腎と病理ネットワークを理事長として設立し,長崎のみならず九州内の他施設からの腎病理診断も引 き受けられ,腎病理診断を継続しておられました。田口先生の亡き後も彼の遺志を汲んで筆者が理事長を 引き継ぎ,病理診断を福岡大学腎病理の久野 敏先生にお願いして継続することになりました。先生も天 国から見てくださり,そして喜んでくださっていると思っております。 それにしても田口先生のご逝去はあまりにも早すぎました。日本の腎病理学における大きな損失となり ましたが,先生が育てた多くの腎病理にかかわる人材が遺志を引き継ぎ,さらに腎病理を発展させること を信じております。 長年にわたってご指導とご教授をいただいたことに御礼申し上げるとともに,ご冥福を心よりお祈り申 し上げます。 279