1 滋賀県の地方誌教科書の刊行状況 明治期の地理教科書のなかに、「地方誌教科書」と呼ばれる一群の郷土地理教科書類がある。 教科書国定制以前に採用された府県別の地誌の教科書である。こうした府県別地誌とは別に、 府県内の各郡地誌の教科書も発行されていた。府県地誌と郡地誌とをあわせて「地方誌教科書」 ととらえて、郷土地理教科書の刊行状況を見ていこう。 本館には、滋賀県の「郷土地誌」教科書として、17種類(県地誌4、郡地誌13)、34点の和 装本数科書が所蔵されている。1870∼90年代(明治10∼30年代)の時期に刊行されたもので、 当時の滋賀県における郷土地理の教育を知るうえで貴重な資料である。 明治期の地方誌教科書の刊行と普及の状況は、① 1877(明治10)年前後数年間の時期、② 1890∼1900(明治23∼33)年の時期の2つのピークをもっている。小論では、第1のピークの 時期の滋賀県の動向に注目する。 表1の滋賀県の地方誌教科書の一覧を見ていただこう。最初の滋賀県地誌の教科書は、奥田 栄世編輯『滋賀県管内地理書』1877(明治10)年である。この改訂本である『改正滋賀県管内 地理書』1879(明治12)年をはじめ、県内各郡の郡地誌教科書の大半は、1879∼81(明治12∼ 14)年に集中的に刊行されている。 全国的な府県ごとの地方誌教科書の刊行状況は、『文部省年報』中の「小学書籍一覧表」か ら明らかとなる。中川浩一の調査では、1875(明治8)年までは全て日本地誌と万国地誌で占 められていたが、翌1876(明治9)年に地理教科書23種類のうち5種類が県別地誌、1877(明 治10)年に25種類のうち11種類が県別ないし国別地誌となっている。さらに、1878(明治11) 年には36種類のうち22種類にも達している。(中川浩一『近代地理教育の源流』古今書院 1978年) 1878(明治11)年刊行の県別・国別教科書の主要なものは、『東京府地誌略』『京都府管内地 理』『埼玉県地誌略』『上野地誌概略』『紀伊国地誌略』『新潟県管内地誌略』などである。これ らは教科書の名称も、府県・国名の統一もされておらず、内容も多様としかいいようがないも のであった。
明治期の郷土地理教科書
さて、なぜ1870年代後半期に、地方誌教科書が多数刊行されたであろうか。その理由の一つ は、文部省が地理教育の重点を変更したことであった。明治初年、「学制」期の小学校の地理 教育の原則は、小学生に日本と世界の地誌的知識を教授することにおかれていた。だが、1877 (明治10)年前後、文部省は全国各地の小学校への学事視察の結果、地方の実情にあった教育 を行う必要性があると考えた。「都 と 鄙 ひ 貧富ノ度ヲ測リ」「幾様ノ教則ヲ設ケ」「地方管内ノ風土 物件ヲ編成」する地方誌教育に重点をおくことに転換するのである。 万国地誌の教育は、「生計ニ遠慮セサルヘカラサル貧民子弟ニハ其益ヲ得ルノ効ヲ見スシテ 却 かえっ テ身心ヲ害スルニ到ラン」(文部大書記官九 く 鬼 き 隆 りゅう 一 いち の第三大学区巡視報告)のであって、エ リートの子弟のみ必要な知識であると考えられたのである。(『文部省第4年報 明治九年』 1876年) 2 明治10年代の地方誌教科書の内容 (1) 『滋賀県管内地理書』の内容 『滋賀県管内地理書』は、滋賀県の管轄であった近江国、若狭国、越前国敦賀郡について、 位置・地勢・集落を記述した教科書である。滋賀県の範囲は、明治初年の行政区画の未確定さ を反映して、若狭国および越前国敦賀郡の地誌をも含む、近江国の12郡と若狭国3郡と越前国 1郡であった。 東書文庫所蔵の梶山弛一『滋賀県地誌』1880(明治13)年も、三国16郡の郡別地誌である。 『滋賀県管内地理書』の編輯者は奥田栄世であり、彼は高知県士族で文部省から滋賀県学務課 長に転じた人物であり、奥付には「滋賀郡第八区船頭町4番地寄留」とある。 この県地誌教科書の内容は、次のようである。近江国の位置から説きおこし、国内の主要な 山川など地勢の説明に34丁のうち18丁の枚数を割いている。ついで、「大津ハ」「膳所ハ」など 主要な町村の概要を記述し、大津・彦根・長浜の市街図を掲げている。地誌教科書とはいって も、統計的資料はきわめて乏しい。近江国の人口数は、58万9747人、反別9万9598町余、寺院 数は3233ヵ寺、神社数2350社とある以外は、県全体の統計は載っていない。地勢の項、各町村 の項でも、さし絵が豊富なわりに、統計資料は貧弱であるのが、大きな特色である。 大津の町について、人口1万5611人、戸数4660戸の「当時管内第一ノ繁都ナリ」と書いた後、 次のように説明している。 「是地昔ハ一市駅ニ過キサリシカ 明治元年県庁ヲ置キ 後又大阪鎮台ノ分営京都裁判所 ノ支庁及ヒ病院小学校師範学校等ヲ建設シ小学8校設ケテ 前日ノ比ニ非サルナリ 近時 汽船大ニ増加シ諸港ニ航行スルモノ凡ソ20余隻 旅客ノ往復物貨ノ運輸等極メテ便ナリ 風俗ハ質素ニシテ奢侈ナラス 人民怜悧ニシテ能ク生計ヲ営ムト雖モ 概ネ皆卑近ノ業ニ 従事シテ進取ノ気象ニ乏シ 物産ハ針算盤糸紡車等ナリ」 第Ⅰ部 明治期から昭和戦前期の変遷
明治初期の滋賀県は、12郡から成っていたが、本館には、蒲生郡および浅井郡の2郡の郡地 誌教科書を除き、10郡の教科書がそろっている。浅井郡誌については、彦根市立図書館所蔵本 で確認できたが、蒲生郡誌については調査中である。なお、1879(明治12)年5月の郡役所開 庁で東浅井郡と伊香西浅井郡となり、翌1880(明治13)年5月に浅井郡の東西2郡分割が認め られた(太政官布告)。 1879(明治12)年から1885(明治18)年まで発行された10郡の郡誌教科書の内容を見ていく。 10郡12種類の「滋賀県管内」を冠する郡地誌教科書の内容を分析すると、大きく4つの類型に 分けられる。郡弛誌教科書の記述形式・内容を、A∼Dのタイプに分類できる。 (Aタイプ―「地理総論」「地理総説」を、郡地誌の前に付すもの)4郡誌 Aタイプの郡地誌として、『滋賀県管内滋賀郡誌』『滋賀県管内伊香郡誌』(「地理総論」郡地 誌)、『滋賀県管内坂田郡誌』『滋賀県管内野洲郡誌』(「地理総説」郡地誌)の4冊がある。「地 理総論」と「地理総説」は、内容上ほぼ同一であり、「洲、大陸、大洋、島、半島、地形、山、 岡、山脈、嶺、火山、原、野…………」などの概念を簡潔に説明している。 『滋賀県管内伊香郡誌』は、「凡例」において、地理総論を記載する理由を次のように説明 している。「学生ヲシテ洲洋水陸ノ区分卜至極経緯ノ線用トヲ記憶セシメ以テ地球儀・問答科 ノ資料ニ供セント欲スルカタメ也」 また、『滋賀県管内滋賀郡誌』の「凡例」では、地理総論にはふれていないが、「小学生徒ノ 為ニ著ハスヲ以テ文字ノ卑俚ヲ免レス勉メテ解シ易キヲ主トス」として、郡地誌の内容として、 「郡中ノ市街村落古城旧跡名山巨川等之ヲ記載スル」と述べている。同書は、さらに「地誌ヲ 読ムニ 先ツ一郡ノ地理ヲ知リ而メ一国ニ及ホシ 一国ヨリ天下ニ及スヲ順序ト云フベシ」と、 郡地誌→国(府県)地誌→日本地誌という「同心円拡大」の順序性による地誌学習を主張して いる。 Aタイプの編著者は、すべて他府県出身であることは興味深い。4郡誌とも、郡地誌の部分 の記載は、位置、山川、街道、寺社、小学校、村名などであり、統計資料としては、村数、戸 数、人口、反別、地価、地租金、神社、寺院、小学校数が書かれている。『滋賀県管内野洲郡 誌』は、「附録」に守山郡役所を起点とする郡内・外への里程を、「東京122里余大阪20里余西 京8里28町余」というように書いている。 (Bタイプ―「滋賀県令籠手田安定書」を本文前に付すもの)2郡誌 このタイプの郡地誌は、『滋賀県管内愛知郡誌』と『滋賀県管内栗太郡誌』である。両書と も滋賀県人の編輯本である。Aタイプにくらべて、Bタイプの郡地誌は、郡内の地勢(山川、 池など)や町村のようすについて格段に詳細な記述となっている。 郡地誌教科書の内容は、郡の位置、人口、村落数、反別、地価金を記し、ついで山岳、河川、
第Ⅰ部 明治期から昭和戦前期の変遷 ※24∼26は、『東書文庫所蔵 教科用図書目録』第2集(東京書籍)に記載あり 表1 滋賀県における地方誌教科書一覧 書 名 編著者名 発行者・所 発行年 丁数・装丁 折りこみ・地図の有無 県・郡地誌■ 1 近江風土誌 上・下 河村祐吉 大津・琵琶湖新聞会社 明治8年 上36丁・下23丁 県地誌 和装 2 近江地誌略 北川舜治 大津・澤宗次郎 〃 10年 上57丁・下46丁 〃 〃 3 滋賀県管内地理書 奥田栄世 〃 〃 10年 35丁・ 〃 〃 4 改正 〃 〃 〃 〃 12年 34丁・ 〃 〃 5 滋賀県管内栗太郡誌 山本清之助 〃 〃 12年 25丁・ 〃 郡地誌 6 改正 〃 〃 〃 〃 17年 25丁・ 〃 〃 7 滋賀県管内坂田郡誌 中矢正意 〃 〃 12年 12丁・ 〃 郡地図あり 〃 8 〃 伊香郡誌 長瀬登喜雄 〃 〃 12年 9丁・ 〃 郡地図あり 〃 9 〃 滋賀郡誌 村田巧 〃 〃 13年 15丁・ 〃 〃 10 〃 野洲郡誌 巽栄蔵 〃 〃 13年 11丁・ 〃 郡地図あり 〃 11 〃 甲賀郡誌 山縣順 大津・古川伊助 〃 13年 28丁・ 〃 郡地図あり 〃 12 〃 愛知郡誌 横内平 彦根・小川九平 〃 13年 18丁・ 〃 (概略)4枚 〃 13 〃 神崎郡誌 松浦果 大津・小川義平 〃 13年 15丁・ 〃 郡地図あり (参照字類)2枚 〃 14 〃 浅井郡誌 中矢正意 長浜・早瀬右内 〃 13年 11丁・ 〃 〃 15 〃 犬上郡誌 渡辺弘人 彦根・小川九平 〃 14年 22丁・ 〃 郡地図あり 〃 16 〃 滋賀郡小学地誌 川添清知 大津・澤宗次郎 〃 16年 18丁・ 〃 〃 17 〃 伊香西浅井郡誌 天守正信 伊香郡・安達湖一郎 〃 17年 10丁・ 〃 〃 18 鼇頭 甲賀郡小学地誌 高谷柳台・平田次勝 水口・薮音次郎 〃 17年 14丁・ 〃 〃 19 高島郡地理概畧 東郷秀太郎 高島郡・川上平兵衛 〃 18年 12丁・ 〃 〃 20 滋賀県管内小学地誌 川添清知 大津・島林専治郎 〃 16年 26丁・ 〃 県地誌 21 小学近江地誌 一井寿衛雄 大津・澤宗次郎 〃 24年 54丁・ 〃 県地図あり 〃 22 近江地誌 滋賀県私立教育会 京都・杉本甚之助 〃 27年 45頁・活版 〃 23 近江国滋賀郡誌 滋賀郡教員連合会 大津・島林専治郎 〃 32年 12丁・和装 郡地誌 24 滋賀県地誌 梶山弛一 大津・小川九平 〃 13年 24丁・ 〃 県地誌 25 (滋賀県)甲賀郡誌 森井春太郎 〃 〃 32年 〃 郡地誌 26 滋賀県管内甲賀郡誌 久野正二郎 甲賀・栗林徳平 〃 33年 9丁・ 〃 〃 27 近江地誌児童用 宗宮信行 大津・島林専治郎 〃 33年 33丁・ 〃 県地誌 28 新撰近江地誌 山木萬治郎他3名 大津・安原正光 〃 35年 15丁・ 〃 〃
っている。両誌とも、最後は郡内の神社数、寺院数、警察・郵便局などの資料をあげている。 (Cタイプ―郡内町村の沿革史中心に、郡地誌を記述するもの)1郡誌 『滋賀県管内甲賀郡誌』は、他の郡地誌と全く異なる記述の内容となっている。郡地誌の本 文の最初は、甲賀郡全体の地形・位置の概略を記すが、甲賀郡の地域史(支配者の変遷中心) が述べられ、その後に郡内町村の沿革にウエートをおく地誌が続く。実に28丁中の17丁までが、 町内の史談中心の地誌となっている。たとえば、「油日荘ハ」の項は、次のように書かれてお り、他の町村の記述もすべてこれと同様である。 「土山荘ノ南油日嶽ノ麓ニアリ地険ニシテ深樹日光ヲ蔽 おお フ……○油日神社ハ、油日祭神大 山咋神和子姫ヲ袷祀ス 延喜式内ノ社ニシテ明治十年郷社ニ列ス ○櫟野寺観音ハ……僧 最澄活Cニ彫刻スル所ナリ 此地紫雲英ヲ生セス ○寿永三年八月平田貞継四郎兵ヲ伊賀 ニ起シ平氏ニ応シ州守護大内惟能ヲ破リ転シテ近江ニ入ル時……○和田雄政伊賀守塞址ア リ鈎ノ役功アリ子清俊丹後守貞国和泉守ハ足利義昭ニ仕フ……○慶長ノ後幕府領及ヒ麾下 士堀田氏内藤氏采邑ニ分与ス」 郡地誌の最後5丁が「郡中有名ノ高山大川ノ概略」で、残り3丁が主要な「街道」の説明で ある。 (Dタイプ―郷土の境界・人口・物産を中心とする郷土地理的なもの)3郡誌 Dタイプは、郷土地誌の諸項目をほぼ満遍なくあげる網羅型のタイプである。すでにあげた A、Bタイプとも大いに重なり合っており、郷土の自然や生業、物産を書いた郡地誌として、 『滋賀県管内犬上郡誌』『滋賀県管内神崎郡誌』『高島郡地理概略』の3誌があげられる。 『滋賀県管内犬上郡誌』の記述内容は、町村、反別・戸口、山・川・沢、港・島、古跡、古 城跡、社寺、気候、風俗、学校、製糸場、物産となっている。製糸場の項では、製糸場操業の 図を掲げて、次のように説明している。 「彦根製糸場ハ平田村ニアリ 明治十一年中滋賀県ノ創設スル所ナリ 其法水車ノ機用ト 蒸汽ノ機関ヲ以テ其業ヲ繰ス 工女ハ専ラ彦根士族ヨリ採用セリ 其意蓋士族ノ就産ヲ主 トスルニアリ」 以上、郡地誌教科書の内容をみてきた。最後に、郡地誌教科書の特色についてふれておく。 郡地誌教科書の実際の利用状況や活用実態は、資料面で裏づけことができずよくわからない。 刊行の意味については、編輯著の「緒言」「凡例」や巻頭言からつかむことができる。 ① 郡地誌教科書は、「各地ノ境界・人口・物産等ヲ学フハ 其中心即チ学校所在ノ地ニヨ リシ(中略)。次ヲ追フテ周囲ノ遠地ニ及ボシ」(『滋賀県管内犬上郡誌』)というように、 生徒にとって「身近な」郡地誌を学ばせるものであった。
郡地誌→府県地誌→日本地誌→外国地誌というような『滋賀県管内滋賀郡誌』のいう 「同心円拡大主義」に立脚する地誌教育論の第一段階に位置づけられていた。 ② 郡地誌教科書は、「可成的其文ヲ簡易ニシテ読講ノ労ヲ省ク」「地理書ノ要ハ専ラ事実ヲ 記得スルニ在ルヲ以テ且ノ其読ミ易キヲ取リ」(『滋賀県管内神崎郡誌』)というように、 郡内地理の概略を授けるために、「読みやすき文章、文体」を工夫するものであった。 『滋賀県管内愛知郡誌』や『滋賀県管内神崎郡誌』には、巻末に難字の読み方、意味を 付しているのである。郷土地誌であるがゆえに、丁寧に「児童ヲシテ神崎全郡ノ風土ヲ概 了セシメンガ為」に、難字や文章をわかりやすく説明した。 ③ 郡地誌教科書の所収の地図は、まだ平面地図が少なく、ほとんど鳥かん図ないし絵図と いったものである。山川、街道、町村の項は、大まかな絵図のさし絵となっているものが 多い。想像図風なもので、平板な風景の絵である。また、統計資料については、今日から みると大変不備であり、現代とは関心の違いがきわ立つ。 (木全 清博) 第Ⅰ部 明治期から昭和戦前期の変遷 図4 彦根中学校 図3 彦根製糸場 図1∼4 『滋賀県管内犬上郡誌』 1881(明治14)年 図1 表紙 図2 犬上郡地図