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組織の歴史的伝統の探求 : 物語論の観点から(山内隆教授退官記念論文集)

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組織の歴史的伝統の探求

―物語論の観″

点か ら―

I は じめ に

Peters and Watermanの著書 『エ クセ レン ト ・カンパニー』ちミ_般 向けの 書籍であるに もかかわ らず,学 界 に対 して も広範囲な影響力 をもったのは,そ れが当時の組織論では十分 に考察 されていなかった 「組織の本質的ななにか」 を捉 えていたか らである。それは,組 織 には目に見 えない文化的な側面があ り, それが企業の卓越性 (高業績や革新性)の 源泉 となる可能性である。『エ クセ レン ト・カンパニー』の出版 を主たる契機 として,組 織文化論が80年代 に興隆 していったことはよく知 られるところである。

同様 に,Collins and Porras著『ビジ ヨナ リーカンパニー』2ちヾ広範囲な読者 をひきつけるのは,現 代の組織理論が見落 としている 「組織の本質的ななにか」 を暗 に提起 しているためではなかろ うか。われわれは,『ビジ ョナ リーカンパ ニー』が提起する隠されたテーマを,組 織の歴史的伝統の重要性だと考えてい 3 ) る。 ビジ ョナ リーカンパニー と呼ばれる卓越 した企業は,現 在か ら過去 を振 り 返 り,組 織の原点である理念 に思いをはせ る企業である。そ して,そ の理念 を 現在 に生 きた もの として再構成 して,未 来へむかっての指針 とする。 ビジ ョナ リー カ ンパ ニーの この特徴 を,Colhns and Porrasは,「基本理念 を維持 し,

1)1982年 出版 2)1994年 出版 3)ビ ジ ヨナ リー カンパ ニーは,特 別 なエ リー ト企業であ り,何 十年 に もわたって業界の超 一流企業 として尊敬 を集めている 「最高のなかの最高」の企業 とされる。このようにビジョ ナ リーカ ンパニーの定義 自体 は必ず しも明確 な ものではない。われわれは組織の歴史的伝 統 を理論 的 に考察す ることで,結 果 として,ビ ジ ョナ リーカンパニーを研究する道が開か れる もの と考 えている。 之 博 藤 伊

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2 1 4 山 内隆教授退官記念論文集 (第329号) 進歩 を促 す」 と表現 してい るが,そ れ は解釈 学が指摘 す る伝統 の特徴 その もの で もあ る点 に注 目 したい (Giddens,1979;Warnke,1987)。 ビジ ヨナ リー カ ンパ ニーは,自 らの過去 と無 関係 に環境 に適応す る こ とはな い。それ ゆえ,コ ンテ インジェ ンシー理論 な どの,歴 史 を考慮 しない環境適応 の理論 で は,ビ ジ ヨナ リー カ ンパ ニー を理解す るこ とは困難であ る。われわれ は,ビ ジ ョナ リー カ ンパ ニーの本 質がその歴史 的伝統 の なか にあ る と考 えてい る。但 し,本 稿 の課題 は,ビ ジ ヨナ リー カ ンパ ニー とはなにか を探 る こ とでは ない。全 ての組織 はその歴 史 の産物 であ り,ビ ジ ヨナ リー カ ンパ ニーだけが歴 史 的存 在 で は ない か らで あ る。 『エ クセ レン ト ・カ ンパ ニー』が,文 化 の研究 に組織理論 をむかわせ た ように,『 ビジ ヨナ リーカンパニー』 は,組 織 の歴史 的伝統 に対す る注意 を喚起するのである。 この ような問題意識か ら,歴 史的存在 としての組織 を考察することが本稿の 課題 となる。 また,哲 学者 (野家,1995)の 「歴史は物語のなかにのみ存在する」 とい う指摘 を受 け,わ れわれは 「物語」概念 に注 目する。本稿では,組 織理論 の物語概念 を 「物語の哲学」 に則 して拡張 し,機 能構造主義 にかわる解釈学的 な視″点を導入 したい。 本稿 は,以 下三つの節 より構成 される。 まず,組 織論 における物語概念 を批 判 的に検討 して,そ の意義 と限界 を明 らかにする。特 に,組 織論 における物語 概念 は,そ の概念の合意 を十分 に くみ尽 くしていないことが示 される。ついで, 「物語の哲学」 に依拠 して,物 語概念の拡張 を試みる。ここで,物 語概念 は, われわれの存在の様態 を規定する哲学へ と置 き換 えられる。最後 に,本 稿の議 論 を簡単 にまとめる。 正 組 織論における物語 組織の歴史的伝統を捉える可能性 をもった概念 として物語に注目しよう。組 織論における物語概念の変遷を検討することで,次 節で導入される 「物語の哲 学」の意義を理解する前提 としたい。

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1.組 織文化論 :人工物 としての物語

以下で検討 される他のアプローチ とくらべて,組 織文化論の影響力は大 きい ものであ り,組 織文化論の物語概念 は,多 くの人々にとって,物 語 という用語 のイメージの原型 となっていると考 えられる。そこで,組 織文化論での物語の 位置づけを検討することか ら議論 を始めたい。

80年代初頭 に出版 されたPeters and Waterman(1982),Deal and Kennedy (1982),Ouchi(1981)ら の影響力 のある著作 は,組 織文化が競争優位 の源泉 になることを主張す る。例 えば,Peters and Waterman著 『エ クセ レン ト・

カンパニー』ヤよ 「エクセ レント企業仮説」 を提示する。「強い文化」 と表現 さ れる一元的な価値共有 に基づいた組織文化が高業績を生み出すことを,「エク セレント企業仮説」は主張する。これら80年代に影響力をもった組織文化論は, 組織文化 を,管 理 システムや技術 システムと並存する,組 織の下位 システム (文化システム)と して概念化する (Smiricich,1983a)。そ して,文 化の機能 を,組 織 を一つに結びつける 「社会的,規 範的な凝着剤 (glue)」と仮定する。 このような組織文化論を体系的に説明したのがSchein(1985)である。Schein によれば,文 化は 「ある特定のグループが外部への適応や内部統合の問題に対 処する際に学習 した,グ ループ自身によって,創 られ,発 見 され,ま たは,発 展 させ られた基本的仮定のパ ターン」 (p。12)と 定義 される。この定義では, 組織 を統合 して環境適応 をはかる機能と関連 して,組 織文化が概念化 されてい ることに注意を要する。すなわち,組 織文化論は,価 値や規範 というシンボル の次元 を語彙 として用いなが らも,そ の基本的な観点は機能構造主義に通 じて いるのである。 この組織文化の定義の文言中に現われる基本的仮定とは,人 々が組織 と環境 をどうみるかを無意識に規定するものである。一方で,文 化の表層 レベルには, 価値 と人工物が現われるとされる。価値は,基 本的仮定 となる程の合意が構成 員間では得 られていない 「外部の環境適応や内部の組織統合の方向性」に関す るアイデアである。多 くの場合,価 値は トップマネジメントによって表明され る。この価値が十分に組織に浸透すれば基本的仮定となることもある。人工物

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216 山 内隆教授退官記念論文集 (第329号) は可視的な物理的空間や構成員の言動 などであるとされるも Scheinによれば,物 語 は,基 本 的仮定 と価値 を表層 で体現す る人工物 の一 つ にす ぎない。 さらに,人 工物のなかで も,物 語 は曖味でコン トロールが困難 とされ,組 織文化 の伝播 メカニズム として下位 に位置づ け られる。Scheinの 組織文化論では,文 化の創造 と維持 における, リーダーの役割が過度に強調 さ れる傾向にあ り,物 語 はリーダーの言動 と整合的な場合 に限つて,二 次的な効 果 をもつ とされる。 こうして,組 織文化論 は,一 応,物 語概念 を議論 に含める が,物 語 を重要な概念 とは考 えない。 日常の実践で も,物 語の重要性 は見過 ご される傾向にあるのは,こ の ような組織文化論での物語の概念化 と無縁ではな いだろう。 2.組 織 シンボ リズム :シ ンボル としての物語 4 ) 影響力の点では組織文化論 に劣 るか もしれないが,物 語概念 を最 も頻繁 に論 じるのは組織 シンボ リズムである。組織 シンボ リズムは,客 観主義的認識論 に 対 して,組 織的現実 を社会的意味構築プロセスの結果 として仮定する多様 な研 究の集合体 である (Morgan,Frost,and Pondy,1983)。 この ような認識論上 の前提 と密接 に関連 して,組 織 シンボ リズムでの物語の代表的定義 は,「組織

4)広 義の意味で 「物語」 に含 まれ る用語 を,Alvesson and Berg(1992)に依拠 して整理 し てお こう。「年代記(sagal」は企業の 「活 きた(語られた)歴史」であ り,「伝説(legend)」は 年代記 に含 まれる特定 の出来事 であ る。伝説 は しば しば英雄談で もあ り,英 雄 は組織 の価 値 や規範 を象徴 的 に体現 してい る。「神話(myth)」は年代記 とは異 な り,必 ず しも企業 の 現実 の歴 史 と関係 を もってい ない 「共有 された信念」 であ る。 「物語(story)」はその神話 を表現 した もの とされ る。 しか し,こ のAlvesson and Bergの区分では,「神話」 と 「物 語」 の区別 は必ず しも明確 ではない。それ に もかかわ らず,物 語 の様 々な用法 を整理 しよ うとす る彼 らの議論 は貴重である。組織論 では上記の用法が必ず しも厳密 な区分 に したが つ て用 い られてはお らず,ま た,一 般的に 「物語(story)」として総称 される傾 向にあること をす旨摘 してお こう。 5)さ らに踏み込 んで,こ こで,組 織文化論 と組織 シンボ リズムの違い を明 らかに してお こ う。組織 シ ンボ リズ ムで は,文 化 は「(組織 の)シ ンボルの体系」(Feldman,1989)と定義 さ れ,組 織文化論が想定するような文化が組織の下位 システム として存在する とい う観点は とらない。組織 は文化 を保有するのではな く,組 織その ものが文化である とされる。そ し て,組 織 シンボ リズムは,あ らゆる種類の組織現象 (例えば,戦 略,意 思決定や組織構造) をシ ンボルの観点か ら研究す る。 したがって,シ ンボルが組織 メンバーに共有 されること や,組 織全体 に明確 なシンボルの体系が存在す ることは,組 織 シンボ リズムの前提では/

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メ ンバ ー に とって重 要 な過去 の出来事 の社会 的 に構築 された説明」 (Feldman, 1989)となる。物語 は,社 会 的意味構 築 プロセスの分析 に関与す る概念 として, 組織 文化論 が想定 しなか った潜在 的 な重要性 を付 与 され る。 組織 シンボ リズムでの物語研究 はClark(1970)に遡 る。彼 は,「組織の年代記 (Organizational saga)」とい う概念 を提案 して,そ れを 「組織 に共有 される 独 自の出来事や達成 についての共同の理解の体系」 と定義す る。「組織 の年代 記」 は,創 業の経緯,カ リスマ的 リーダー,重 要な出来事 などの物語か ら組み 立て られるが,そ れは組織の文化的な統合機能 をもつ ことが指摘 される。

Clarkの視点は様々な研究に引 き継がれてい く。例 えば,MitrOr and Kllmann (1976)は,政 策や意思決定の全てに浸透 した共有 された物語である 「神話lmythl」 を,全 ての組織が保有 していることを主張す る。 また,物 語は,組 織 コンテク ス トを指定することで,既 存の権力集団を正当化するコン トロール装置 として 概念化 される (Wilkins,198a Pettigrew,1979)。あるいは,物 語 は,組 織 に とって,な にが重要でなにが脅威 なのかを明 らかにすることで,組 織メンバー に とって,問 題解決方法 などを指示す る認知枠 の媒介 となる(Pettigrew,197既 Wilkins,1983)。Btte et al(1982)は,「組織生活 に対 して意味 を見出す ことので

きる範囲 を限定す ること」(p。18)で,組 織 メ ンバーが 自らの行為 に意味 を付与 す る適応 プロセス として,「神話づ くり(myth―makingl」とい う用語 を用いる。 Smiricich(1983b)は,組 織 を 「共有 された意味の体系」 として概念化 して、物 語の解釈 を通 してそれ を探 ろうとする。 これ らの物語 は,い ずれ もが価値,規 範,世 界観 を体現するシンボルを意味 す る。組織文化論 とくらべ て,こ れ らの研究か ら次の ような物語概念 に関連す る洞察が得 られると第一に,組 織文化論では,人 工物 として物語の影響力は トッ プの リーダーシップに従属す る とされたが,「シンボル としての物語」 は,独 \ない。また,シ ンボルは個人の頭の外に存在するものであり,そ れは組織メンバーのみな らず研究者 にも観察可能な もの とされる。 6)以 下の洞察 は,組 織文化 に下位文化の並存 を認める立場 を示唆 している。組織文化論 と 組織 シ ンボ リズムの境界 は必ず しも自明な ものではないが,本 稿では,組 織文化論 を組織 全体 の合意 を重視す るSchein等の組織文化論 に限定 して,そ れ以外 のパ ースペ クテ イブ を組織 シンボ リズムに包括す る。

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2 1 8 山 内隆教授退官記念論文集 (第329号) 自に,共 有 されるべ き価値 を体現する。第二 に,組 織全体の 「凝着剤」 として 文化 を想定 した組織文化論 に対 して,「シンボル としての物語」 は,そ れ を共 有す る組織 の下位集団 ごとの凝着剤 として機能で きる。第三 に,組 織文化 を機 能的に定義 して トップの特権的なコン トロールを強調する組織文化論 に対 して, 物語 は,人 為的なコン トロールの道具 として,あ るいは,政 治的な影響力の道 具 として,組 織 メンバーにも政治的に利用 される可能性がある。 このように,組 織シンボリズムは物語の概念的な重要性を強調することとな る。 しか し,「シンボルとしての物語」 は集合的な認知枠の言語的媒介装置 (テクス ト)で あることが想定されるが, どのようにして個人がこのテクス ト を解釈 ・共有 しているのかは説明されない。また,組 織シンボリズムでは,組 織の歴史は 「組織の年代記」 (Clark,1970)のような神話 として創造されるが, それは,組 織の歴史的伝統の意味を明らかにするものではない。すなわち,創 造 された歴史が認識論上 どのような身分をもっているのか,ま た,歴 史 とはそ もそもどのようなものかは明らかではない。さらに,物 語は,シ ンボルとして 重要 とされるが,物 語以外の他のシンボルと本質的に区別されない。 3.ス トーリーテリング ・オーガニゼーシヨン理論 :テ クス トとパフオーマン スとしての物語 90年代 にはいると,物 語が語 られる状況 に焦点 を当てた研究が出現す る (Boie, 1991;Boyce, 1995)。 ケJえヤゴ, Boie(1991)は , 物語がテクス トとし て存在するほかに,そ れが実際に語 られるパフォーマンスとしての存在様態を もつことを指摘する。彼の提示する 「ス トーリーテリング ・オーガニゼーシヨ ン(以下 SOと 略記する)理論」を検討 してみよう。 SOと は,「物語のパフォーマンスが,個 人の記憶 を制度的な記憶で補完す る装置であ り,組 織メンバーの意味構築の主要な部分を担っているような共同 的物語システム」 (Btte,1991:p.106)と定義 される。 SOに おいて,物 語は 多様な解釈に対 して開かれているので,管 理者は解釈的規律のネットワークに 物語を当てはめようとする。逆に,物 語は組織を解釈するための規律 として,

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神 話 ,単 純化 ,概 念粋 を提供す る とされ る。 また,組 織 で語 られ る複数 の物語 間の競 合 に よつて,組 織 には,対 話 的 な ダイナ ミズムが生 まれ る とされ る。 こ の ような観点か ら,Btteは 「物語 る (storytelling)」行為が,話 し手 と聞 き手 の相互作用 プロセス (対話)のなかで生 じるとして,対 話分析か ら次の ような発 見 を導 き出す。それは,話 題の中断や拡散が不可避な現実の対話 プロセスでは, 物語 は短縮 ・断片化 され,完 全 な型での物語はほ とんど現われない,と い うも のである。 Btteの物語概念 は,テ クス トとしての物語 に加 えて,物 語が語 られる対話 プ ロセスを捉 えようとするものである。その意味 においては,Btteの 議論 は,物 語概念 に新 たな課題 を提起するqし か し,物 語の断片化 を主張するBtteに対 し て,Gabriel(1998)は,全 体性 を備 えた物語概念が依然有効 であることを指摘 す る。Gabrielによれば,断 片化 された物語 は意味の断片 に他 な らず,換 喩法 的│こ意味が伝 えられるだけである。換喩法的表現 までを物語 に含めて しまうと, 事実以外 の全 てが物語 と考 え られて しまい,物 語概念の独 自性が考慮 されな く なることを彼 は批判する。 この ような批判 を裏づけるように,Btteの 分析 は物 語 自体 よ りも,対 話 プロセスに焦点 を当て,解 釈の多様 さや対立 を強調するポ ス ト・モダン的な議論 を展 開 している。 「物語 り(storytelling)」概念 を理論 に取 り込 んでいる研究者のなかで も, Boyce(1995)のように完全 な物語の コミュニケーシ ョン機能0重 要性 を指摘す る考 えもある。彼 によれば,物 語のなかに 「タッチス トーン(試金石)・ス トー リー」 と呼ばれる ものが存在 している。これは組織の中核的価値 を体現する物 語であ り,そ の価値 は組織 メンバーの 日常の行動 に反映 されるとい う。Boyce の提示す るこの物語 は,「シンボル としての物語」 と同 じものである。 この よ うに対話の ダイナ ミズムを認めるに して も,組 織の価値 を体現する物語が存在 す る可能性が残 される。 しか し,そ の場合,「シンボル としての物語」概念が 残 した諸問題が再現す ることとなる。 さらに,Btteの 提起する物語の二つの存 7)換 喩法 とは,あ ることを表すのにそれに関係する属性で表す方法である。例えば,文 脈 を共有する人々の間では,い ちいち物語 を説明する必要はなく,「あの物語」 と表現する ことで,詳 細な物語の全体 を意味することができる。

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2 2 0 山 内隆教授退官記念論文集 (第329号) 在様態 をどの ように理解すべ きかは,依 然,課 題 として残 される。 4.物 語 と共同体 組織論 において,物 語 を哲学 に通 じる特別 な概念 として理解する可能性 を開 くのが,物 語の意味構築機能 に注 目す る研究である。この観点によると,物 語 を語 ることは,予 測不可能な ものを,予 測可能で制御可能なものに変換する試 みであ り,意 味構築 とは物語 をつ くることである(Robinson,1981)。この よ うな物語の意味構築機能 に注 目す る代表的な研究者が,Orr(1990)である。彼

女はゼロックスの修理技師(settice technician)の

エスノグラフイど

)を

提示す

る。 Orrに よる と,修 理技 師の仕事 は単純 に複写機 を補修することではな く,顧 客 との社会的な関係 を維持することを含んでいる。また、多 くの故障は,マ ニュ アルには記載 されてお らず,故 障の現 われ方 も現実 には様 々なバ リエーシ ョン がある。その結果, しば しば故障の修理は,規 則 に定め られた手順では進め ら れない。その ような場合,Orrは ,つ ぎの ような物語の交換が進展することを 観察する。 マニュアルによっては修理で きない故障について,修 理技師は,ユ ーザーか ら機械の歴史 についての情報 (ユーザーの物語)を聞 き,そ れ と機械の診断か ら 説明 (物語)を組み立てる。 しか し妥当な説明が一人で組み立て られない とき, 同僚達 と問題 を話 し合 う。必要であれば,一 緒 に機械 を診断 して妥当な説明を 皆で試み る。修理技師達 は,物 語 を語 ることで,経 験の因呆マ ップの作成 を試 みているとOrrは解釈する。 この ように して最終的に組み立て られた物語は修理技師の共同体で語 り伝 え られ,共 同体のメンバーにとって、別の診断セ ッシ ヨンで利用可能な物語 とな る とOrrは指摘す る。その意味で,新 しい物語 は共同体の集合的知識の一部 と なった とされる。 さらに,Orrに よれば,物 語 を語 り合 うこと自体が,つ ぎの 8)参 加観察や フイール ド・ノー トの作成 などの民族誌的方法 に基づいた濃密 な記述 (Geertz, 1973)。

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ような意味 で共 同体 での仕事 の進 め方 自体 を教 える とい う。す なわち,複 写機 の修理技 師は,会 社 が公式 的 に定めたマニュアル と現場 の実践 には乖離があ り, そ れ ゆ え に即 興が求め られてい る こ とを、 同僚 間で語 られてい る物語 を通 して 理解 す るのであ る。

この ように,Orrは ,物 語が共同体 にとって構成的であることや,物 語が集 合 的な知識 の在庫 となることを指摘 している。Brown and Dugid(1991)は, Lave and Wenger(1990)の正統的周辺学習の概念で,Orrの 記述での学習 を中 心 にした個人 と共同体の循環的な関係 を指摘する。周辺的学習の概念 によると, 学習 とは,抽 象的,客 観的,個 人的な知識 を獲得することでない。む しろ,学 習 とは,共 同体 に固有の視点や言語 を獲得することで,共 同体のメンバー とし て適切 に活動する能力 を身につけることであるとされる。

しか し,Orrの 議論 は,BrOwn and Dugid(1991)の認知的な解釈 に留 まるも のではない。 よ り根本的に,Orrの エスノグラフイーは,物 語がわれわれの社 会的世界の基礎 にあ り,わ れわれの存在 その もので さえ規定する可能性 を示唆 しているとわれわれは考 える。Orrはこの ような物語の可能性 を十分 に くみ尽 くす ほどの検討 を加 えてはいないが,わ れわれはその ような可能性 を以下で検 討 してみたい。 皿 物語の哲学 物語がわれわれの存在 をどのように規定するのかが理解できれば,そ れは組 織論の新 しいパースペクテイブの哲学的前提を提起できるかもしれない。以下, 主 として野家 (1995)の 「物語の哲学」にしたがって,物 語概念の拡張を試み よう。 1.物 語 と経験 「物語の哲学」の出発点は,「人間は物語る動物である」 という主張にまと められる。野家はそれをつぎのように説明する。人間は一定の時間と空間的広 が りのなかで,物 を見る,音 を聞 く,匂 いを嗅 ぐ,温 度を感 じる,痛 みを感 じ

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222 山 内FLA教授退官記念論文集 (第329号) る,な どの様 々な知覚 をおこなっている。この ような知覚的現在の多 くは意識 されることな く,時 間 とともに過 ぎ去 ってい く。注意すべ きは,記 憶が この知 覚的現在 の写 しではない点である。例 えば,わ れわれは,「一年前 に歯痛 をもっ た経験」 を想起で きて も,そ の ときと同 じ痛みを感 じること(体験すること)は で きない。 野家 によれば,瞬 間瞬間に過 ぎ去 ってい く感覚的知覚は体験 されるものであ り,そ れは記憶 に残 る経験 とは区別 される。経験 は,過 ぎ去 ってい く体験が解 釈 され,変 形 された,時 間的に前後する複数の出来事間の因果関係了解 (理解) として定義 される。 この因果関係 の了解が物語文 に則 してお こなわれるがゆえ に,経 験 は物語 としての性質 をもっているとして,野 家はつ ぎの ように指摘す る。 野家によれば,物 語文は,時 間を隔てた二つの出来事を,過 去時制で語るこ とである。物語文の例 として,「私が提案 した奇襲作戦は味方の部隊を勝利に 導いた」 という文があげられる。ここで,「私の奇襲作戦の提案」は,そ の時 点だけで孤立 して考えればなんの意味 ももっていない。時間的に後続する 「味 方の部隊の勝利」 と結びつけられることで,「私の奇襲作戦の提案」は優れた 提案 としての評価 を得て,「私の提案」が 「味方の勝利」をもたらしたという 9 ) 因果関係が了解 されるというのである。 野家は,経 験が 「語る」 ことを通 じて伝承 され,共 同体の規範 として機能す ることを指摘する。このような機能を果たす言語装置を,野 家は 「物語」 と呼 ぶのである。野家の指摘は,物 語が規範を支え,共 同体に対 して規範を媒介す る言語装置であるとする″点で,組 織文化論や組織シンボリズムの多 くの研究 と 共通点をもっている。 しか し「物語の哲学」は,言 語装置 としての物語よりも, 経験の基礎 としての物語行為を強調 している。組織文化論や組織シンボリズム が物語概念の十分な含意を引 き出せなかったのは,物 語を言語装置に留まる概 9)こ の体験 を経験に変形する操作は,信 念の体系 (経験の蓄積 されたもの)を参照 しつつお こなわれるという意味において,解 釈学的行為であるといえよう。そ して,新 たな経験は 信念体系 を再度意味づけ,そ の後の行為の規範 として機能するという 「解釈学的循環 (He idegger,1927)」のなかに存在する。

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念 として捉 えたためであると考 えられる。 2.認 知枠 としての物語 物語が なぜ認知枠 を媒介で きるのか を,「物語の哲学」以外 の議論 も援用 し て ここで論述 してお こう。「物語 ること(物語行為)」は,秩 序 を欠いている知 覚的現在の連続である体験の一部 を解釈学的に変形することで,予 期不可能な もの を,記 憶可能 ・予期可能 。制御可能なものにかえることである (Robinson, 1981)。これを,物 語が意味構築の枠組み を提供する と言い換 えることもで き る (Weick,1995)。「物語が認知枠 となる」 という主張は,わ れわれの知性が 「既知 なこと」 に依拠 して,「未知 なこと」 を理解す るとい うアナロジー (類 推的思考)に 負 っていることを理解すると納得のい くもの となる。それを以下 に考察 しよう。 暗黙知 の理論 を提唱 したPolanyi(1958)は,Kuhn(1970)が パ ラダイム論で見 本例 と呼ぶ具体的事例 (モデル となる科学的業績)を通 して,暗 黙の知識が獲得 されることを主張する。論理実証主義は知識の本質を規則の体系 として想定 し たが,規 則 を様 々な状況 に適応するためのメタ規則 は存在 しないことをP01anyi は指摘する。知識 を還元 していって も,規 則では表現で きない語 りえない暗黙 の 「なにか」が残 って しまうのである。 この ような暗黙知の性質 を,P01anyi lよ「われわれは語 る以上 に知 っている」 と表現 している。 この暗黙知のゆえに,わ れわれは見本例 を通 して しか,規 則の適用方法 を身 につけることはで きない。そ して,未 知の問題 に対 しては,見 本例 を出発点 と して,わ れわれが過去 に出会 った問題 との類似性 を探 ることで,解 決策を探 る のである。Kuhnが 通常科学 における科学者の問題解決 を 「パズル解 き」 と名 づ けたのは,こ のようなアナロジーを通 しての問題解決の特徴 を巧みに表現 し ている。 この ようにPolanyiとKuhnを あわせて読み解 くと,暗 黙知の理論は, われわれの知識のアナロジカルな性質 と,ア ナロジーの出発点 となる見本例の 重要性 を明 らかにする。 ここで見本例 を物語 に置 き換 えて考 えることがで きる。物語 も,本 来秩序や

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224 山 内隆教授退官記念論文集 (第329号) 関連性や統一的なテーマを欠いたわれわれの体験 (生活)の限られた領域 を切 り 取 り,物 語のなかで因呆関係 を明 らかにする。 この物語が,周 りの明瞭ではな い生活領域 に当てはめ られることで,そ の領域でのアナロジカルな意味構築の 枠組み となるのである。 これ までの組織文化論や組織 シンボ リズムでは,な ぜ 物語が集合的な認知枠 となるのかの説明 を欠いていたが,こ の議論 は,物 語が われわれの理解能力 にとつて本質的な ものであることを明 らかに している。 3.歴 史的伝統 と物語 ここで,本 稿 の 目的であつた,物 語 と歴史の関係 について考察 しよう。「物 語 の哲学」では,「始 ま り」か ら 「終 わ り」へ と進 む時間の流 れ を鳥限的な視点 か ら観察するような歴史観 は否定 される。この ような歴史観 に基づ くと,定 点 観測のスナ ップシ ヨツ トを比較 ・検討す ることで歴史が考察で きる とい う主張 となる。 これは,組 織のダイナ ミズムを,機 能構造主義の立場か ら捉 えようと す る際 に提案 されがちな方法である。 しか し,こ の ような方法論が提起 される こと自体が,歴 史に対す る認識の欠如 を表 している。 以下,野 家 (1995)が歴史 をどの ように物語 と関係づけるのかを考察 しよう。 野家 によると,歴 史は過去 に起 こった出来事の認識であ り,歴 史 を語 る人の共 同体的経験の解釈 と切 り離 しては存在 しない。そこか ら,歴 史記述は物語文の 基本的な特徴 を共有することとなる。歴史的出来事 は物語のなかで意味 を付与 される告 「私 の奇襲作戦の提案が味方の部隊の勝利 を導いた」とい う文 を例 に考 え よう。「私 の奇襲作戦 の提案」 はそれだけでは意味 をもたず,後 続す る 「味 方の部隊の勝利」 と結 びつけ られることによつて歴史的出来事 としての意味 を もつ。 さらに,そ の「出来事」の意味 は決 して最終的に確定す ることはない。 例 えば,「私 の奇襲作戦の提案」が,そ の後,孤 立 した別部隊の支援要請 を無 視 した ものであ り,大 局の戦略 を誤 つた ものであったことが判明 した場合 を考 10)Warnke(1987)も,歴 史哲学者のDantoから,「歴史的意味 は,そ の後 に起 こった と思 わ れて きた出来事の観点か らみると,あ る出来事の後 に形成 される立場か らその出来事 に対 して課 される説話構造が語 り出 した ものなのである」 (p.43)と同様 の指摘 を導出 してい る。

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組織の歴史的伝統の探求 225 えてみ ようと野家 は提案す る。す る と,先 の物語文は,「私が提案 した奇襲作 戦 は大局 の戦略 を誤 らせ る結果 となった」 とかわって しまう。その とき,「私 の提案」の評価 は,肯 定的なものか ら否定的なものへ とかわって しまう。こう して, どの ような物語文であって も,そ の意味が確定することはない。物語文 が再解釈の可能性 に対 して開かれているの と同様 に,歴 史 も再解釈の可能性 に 対 して開かれているのである。 一つの出来事は,そ れに後続する様々な出来事 との間に形作 られる関連 のネ ッ トワークのなかに組み込 まれることによって,次 々に新たな意味 を 身に帯 びてい く。物語文 はそれを再記述,再 々記述することによって,わ れわれの経験の地平 を幾重 にも重層化 してい く役割 を果た している。その 意味で,物 語文は現在のパースペクテイブか ら過去 を再解釈することによっ て歴史的伝統 を変容 させる 「経験の解釈装置」 にほかならない。(野家,1995 :p.84) このような歴史の可変性は必ず しも否定的に評価 されるべ きではない。歴史 的伝統は固定 したものではなく,常 に意味を変容 させる柔軟性をもち,わ れわ れの過去は書 き換えが可能なのである。このような伝統の解釈的な操作を分析 することがビジョナリーカンパニーの本質を解明する道であろう。このような 観点から,組 織論の物語研究を振 り返ってみると,そ こでの物語の意味は確定 した固定的なものと仮定されていた。また,物 語 と歴史のダイナミズムを結び つける視点 も欠けていたのである。 4.「 話すこと」 と 「語ること」 野家は,「話す」行為 と 「語る」行為 を区別 して,後 者を「物語の哲学」の対 象 として限定する。「話す」行為は 「話 し手」 と 「聞 き手」が立場を入れ替え つつ,即 興的に臨機応変なや りとりをおこなう相互行為であるとされ,一 方, 「語る行為」では 「聞き手」の応答 とは独立に,す でに物語の構造によって話

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226 山 内隆教授退官記念論文集 (第329号) しの流 れ は決 め られてい る とされ る。 野家によると,「話 し」 としての言語行為が話者の責任やコミットメントや 主体性を前提 とするのに対 して,語 られる物語はしばしば伝聞報告 という形を とり,話 者の 「発言主体」が個人ではなく,問 主観性に据えられる傾向にある という。これは物語の多 くが歴史的共同体のなかで伝承 されるものであ り,そ れを物語るということは歴史的伝統を共有することを意味 しているためである, と説明される。このような 「語る」ことの背後にある前提 を 「歴史負荷性」 と 野家は表現 している。 「話す」行為は (歴史)負 荷の度合いが低 く,歴 史的コンテクス トから 能う限 り自由であることによつて,共 時的コミュニケーシヨンの手段 とし て機能する。つまり,言 語的慣習を別にすれば,知 覚的現在に現われてい るコンテクス トが 「話 し」を理解する必要にして十分な条件を与えている といえよう。それに対 して,(歴 史的)負 荷の度合いが高い 「語る」 とい う行為は,通 時的コミュニケーシヨンの手段 として機能し,歴 史的あるい は物語的コンテクス トが理解の条件 として不可欠なのである。(野家,1995 : p . 1 0 4 ) このように「話す」行為 と 「語る」行為は,相 互補完的な機能を果たす。先 にあげたBtte(1991)の研究は,主 として 「話す」行為に注目したものであった。 「話す」行為が知覚的現在に現われることを考慮すると,「話す」行為を研究 するためには,濃 密な記述が非常に重要 となる。一方で, Weick(1995)に よれば,組 織化は事後的な意味構築プロセスに基づいているが,野 家の指摘は, この事後的な意味構築プロセスにおいて本質的なのは 「語 られる」行為である ことを示 している。このように,物 語を主要概念にしつつ展開される組織論で の研究が,異 なつた焦点をもつ可能性 を 「物語の哲学」は示唆 している。

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5 . ヒ ュー レ ッ ト ・パ ッカー ド社 の事例 最 後 に事例 分析 を通 して,「物 語 の哲学」 が ,組 織 の歴 史 的伝 統 に もた らす

洞察について例示 しておこう。C o l l i n s a n d P o r r a s ( 1 9 9 4 ) も

ビジョナリーカン

1 1 ) パ ニーにあげるヒュー レッ ト・パ ッカー ド社 について考察する。 創業以来,同 社の戦略の中心 には,「技術的貢献」の原則が掲 げ られて きた。 「技術 的貢献」の原則 は,「独 自の技術 で社会 に貢献す るこ と」 と定義 され, これは同社の創業理念であった。 同社 は,当 初,電 子計測器事業 に専念 してお り,同 社の顧客は科学者や技術 者であった。そのため,顧 客のエーズは明確 な機能 として特走が可能であ り, 新技術 でその機能 を追加 して,プ レミアム価格 を実現することが ヒュー レッ ト ・パ ッカー ド社の戦略であった。そ して,こ の戦略を反映 して,同 社は極めて 技術志 向の強いエ ンジエア中心の文化 を発展 させて きた。 これが ヒュー レッ ト ・パ ッカー ドの60年代 までの姿である。すなわち,当 時,「技術的貢献」の原 則 は,「先端技術 で顧客ニーズ を満 た し価格競争 を避 ける」 とい う方針 と結 び つけて理解 され,そ れが同社の伝統であると考えられていた。 しか し,こ の 「技術 的貢献」の解釈 は,主 として70年代 に同社が コンピュー タ事業 に進出す ると大 きな障害 になって くる。 コンピュータは大衆消費者 を顧 客 とす る。そ して,コ ンピュータは,他 社 にない技術的な卓越性 よりも,使 い やす さ,価 格が評価 される製品である。 これは同社の上記の伝統 とは相容れな い もの と考えられた。長い間,同 社 はこの矛盾 に苦 しみ,そ の過程では同社の 戦略 に迷 いが生 じることもあった。 しか し,80年 代後半のプリンター事業での成功が新たな見本例 (物語)を提示 す ることとなる。プ リンター事業 は大衆消費者市場 を相手 としてお り,そ の成 功 は,低 価格,使 いやす さ,モ デルチェンジなどに依存 していた。 このプリン ター事業での成功 を梃子 に して,「技術 的貢献」の原則 に組織的な再解釈が加 えられる。それは,「低価格や使いやす さを同社の技術力で達成するのであれば, 必ず しもユニークな機能 を製品に付加 しな くて も,そ れは同社の伝統的な価値 11)詳 細 なヒュー レッ ト ・パ ッカー ド社の分析 は伊藤 (1998が 1998b;1999)を 参照の こと。

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228 山 内隆教授 退官記念論文集 (第329号) に反するものではない」 という解釈である。これは,60年 代に同社が もってい た伝統 と明かに異なる解釈ではあるが,「技術力で社会に貢献する」 という創 業理念 とは矛盾するものではない。また,こ の新たな解釈は,60年 代の同社の 解釈 を包含するものである。このようにして,「技術的貢献」の原則 を,コ ン ピュータなどの新事業での戦略展開というコンテクス トで再解釈することで, 同社は歴史的伝統を再構成 したのである。 以上のごく簡単な記述から理解すべ きことは,同 社の歴史が上記の組織的解 釈 と孤立 しては存在 しないことである。同社が社内で歴史的伝統を継続的に再 構成 しつづけることが,同 社の歴史的存在 を構成 しているのである。また,同 社が,「なぜ ビジョナリーカンパニーであるのか」 を考察するためには,こ の ような同社の歴史的伝統の解釈のあ り方に注目する必要がある。 IV む すび 組織論では,物 語概念の理解 を徐 々に深めて きたが,未 だその合意 を十分 に くみ尽 くす に至 っていない。物語 は最 も表面的には,価 値や規範 を体現する言 語装置であ り,そ れはシンボルや人工物 として概念化 される。 しか し,物 語は, われわれの存在の様態 を捉 えなおす哲学 を提示す る可能性がある。ここでの考 察が萌芽的な ものであることは論 をまたないが,組 織の歴史的伝統が正面か ら 取 り組 むべ き重要 な組織論のテー マであることを本稿は主張 した。 参考 文 献

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