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政府解釈における「武力の行使」の系譜 : 「現点」 の確認 (スケッチ) と分析視角

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1 序-本研究をはじめるにあたって

⑴ 本研究の目的は、憲法9条1項の定める「武力の行使」に主た る着眼点をおき、憲法制定前後から今日までの政府の9条解釈を系 統的・体系的に整理・分析することにある。  本研究にとりかかろうとする直接の契機は、いうまでもなく、 2014年7月1日の閣議決定(「国の存立を全うし、国民を守るため の切れ目のない安全保障法制の整備について」平成26年7月1日、国 家安全保障会議決定・閣議決定。以下、「14年閣議決定」あるいは 単に「閣議決定」ということがある)が、憲法上許容される「武力 の行使」についての従前の政府解釈を変更して、集団的自衛権の行 使を「限定容認」1)する解釈変更を行うとしたことである。これま で政府が明確に否定してきた集団的自衛権の行使としての「武力の 1) 以下、集団的自衛権の「限定行使」は憲法上「容認」されているとする「論 理」ないし「議論」のことを集団的自衛権の「限定行使論」ないしは「限定容認 論」という。集団的自衛権の「限定行使」の意味と、安倍政権が「限定容認」論 を採用するにいたる政治的背景については、さしあたり、渡辺治ほか『集団的自 衛権容認を批判する(別冊法学セミナー)』(日本評論社、2014年)25-30頁以 下(渡辺治執筆)、127頁の「用語解説」参照。

政府解釈における「武力の行使」の系譜

「現点」の確認(スケッチ)と分析視角

森 山 弘 二

1 序-本研究をはじめるにあたって 2 現点-1 政府解釈の「文理」と「論理」を支える基本概念<以上、本号> 3 現点-2 従前の解釈(その「文理」と「論理」) 4 現点-3 あらたな解釈(その「文理」と「論理」) 5 小結-分析視角

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行使」が容認されるのを前にして、国会の内外で抗議の渦が巻き起 こったことは記憶にあたらしい。 ⑵ 集団的自衛権の「限定行使」を容認する政府の論理(閣議決定 「3 憲法9条の下で許容される自衛の措置」2))に接して、私が はじめに感じたこと(大仰にいえば学問的な興味・関心)は、大 要、つぎのようなものである。  まず冒頭において、それは「政府の憲法解釈」に求められる「論 理的整合性と法的安定性」を否定しなかった。今回の「変更」は 「従来の政府見解における憲法第9条の解釈の基本的な論理の枠 内」での「解釈変更」3)であるとされる(閣議決定3-⑴)。つま り、「武力の行使」に関わる9条解釈を「一部」変更するが、9条 解釈の「基本的な論理」は変更しないとの論理である。それ自体と してはありうる論法とも思われるが、しかし、集団的自衛権の行使 を容認する「基本的な論理」なるものを、過去の政府見解からいか にして抽出できるのか?  つぎに、閣議決定は、「憲法第9条の下で例外的に許容される 2) 14年閣議決定の「3 憲法9条の下で許容される自衛の措置」については、文 末に添付した<資料1>を参照。 3) 閣議決定は、今回の「変更」が「9条解釈の変更」であることを否定しない。 そのことは3- (1) の書き出しから明らかである。すなわち、「我が国を取り巻く 安全保障環境の変化に対応」するには、「これまでの憲法解釈のままでは必ずし も十分な対応ができないおそれがあることから、いかなる解釈が適切か検討して きた」とした上で、憲法上許容される「武力の行使」の新三要件なるものが提示 されている(3- (3))。この閣議決定以前において、政府の憲法解釈が「変更」 されたのは、憲法 66 条2項の「文民」の意味についてのものが「唯一の例外」 であり、憲法9条を含めて、「政府の憲法解釈は…一貫して揺らぐことはなかった」 というのが政府当局(内閣法制局)の「認識」であった。阪田(元・法制局長官) は、こうした法制局の「合理的で一貫性のある憲法解釈」が、政府の行為の憲法 適合性を確保し、違憲の立法を回避してきたことを誇らしく語っている。この「書 き出し」は、歴代法制局関係者を刺激するのに十分なものだったことが推察され る。阪田雅裕『政府の憲法解釈』(有斐閣、2013 年)2頁、4頁参照。なお、横 畠(現・法制局長官)も、今回の「変更」が、「戦後二度目の憲法の解釈を変更 したという位置付け」であることを認めている。186・参・予算委・閉1号 23 頁(福 山議員・横畠法制局長官)2014 年 07 月 15 日参照。国会会議録の出典については、 以下、この形式、すなわち、国会回次・議院・委員会名・会議録号・頁(発言者) 年月日、で示す。

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『武力の行使』について」の「基本的な論理」なるものを提示す る。それは、閣議決定が明記するように、1972年に政府が国会に提 出した資料(「集団的自衛権と憲法との関係」1972.10.14参・決算 委提出資料/水口宏三委員要求4)、以下、「72年文書」という)に 依拠して作成されたものであり、閣議決定がいうところの「基本的 な論理」はこの72年文書に「明確に示されている」と断言される (閣議決定3-⑵)。しかしこの資料は、集団的自衛権の「行使」 について、それは「憲法が容認する自衛の措置の限界を超えるも のであって許されないとの立場」から書かれたものであり、その 結論部分も集団的自衛権の「行使」を全否定するものである。すな わち、72年文書によれば、(72年当時の)政府が「従来から一貫し て」とっているとされる「武力の行使」についての基本的な「考え 方」に当てはめれば、集団的自衛権に基づく「武力の行使」は全否 定されるということであり、他方、14年閣議決定によれば、集団的 自衛権の「限定行使」を容認する「あらたな政府解釈」は、「従来 から政府が一貫して表明してきた見解の根幹4 4」(傍点は筆者によ る、以下同)たる「基本的な論理」の「枠内」にある5)、と主張さ れているのである。ここまでくれば両文書の内容を詳細に検討する までもない。従前の「基本的な『考え方』」は集団的自衛権の「限 定容認」論によって「改変」されたことは明白である。そして、そ れにもかかわらず、閣議決定は、政府の憲法解釈に求められる「論 理的整合性と法的安定性」は維持されていると主張しているのであ る。  したがって、ここにおいてさしあたり4 4 4 4 4問題とすべきは、まず第一 4) 『2013 防衛ハンドブック』(朝雲新聞社、2013 年)579-580 頁でその全文が確認 できる。<資料2>を参照。 5) おそらく、この「根幹」という文字の挿入は意図的なもので、閣議決定のいう 「基本的な論理」は、72 年文書の基本的な「考え方」に依りつつ、しかし「あら たに」再構成するとの「告白」を示唆するものであろう。それは、結果において、「自 国への武力攻撃の発生」を、憲法上の自衛権を発動するための必須条件とはしな いということを、少なくとも表面上は、帰結した。

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に、「武力の行使」についての従前の「考え方」とはなにか、そし て、閣議決定はそれをどのように「改変」したかを確認することで ある。そして第二に、閣議決定が過去の政府見解から引き継ぎ、 (おそらく)「論理的整合性」なるものの拠り所とする「従来から 政府が一貫して表明してきた見解の根幹4 4」なるものを確認したうえ で、それに基づき、あらたに4 4 4 4設定された憲法上許容される武力行使 についての「基本的な論理」なるものの概略を見定めるておくこ と、第三に、閣議決定がいうところの、政府の憲法解釈に求められ る「論理的整合性と法的安定性」なるものについて、ある程度の見 通しを立てておくことである。第一の問題の確認自体は、それほど 困難はない。従来の政府が、憲法9条の下において許容される「自 衛権発動の三要件」(以下、「旧三要件」ということがある)と称 するものと、閣議決定後、政府が使用するようになった「自衛の措 置としての武力の行使としての新三要件」(以下、「新三要件」と いうことがある)なるものを確認すればさしあたりは足りる6)。し かし、あらたに設定された「基本的な論理」を従前のそれとの比較 のなかで同定する(第二の問題)には、旧三要件の合憲性を支えて いた論理、すなわち、14年閣議決定に至るまでの政府の9条解釈の 基本構造(その「文理」と「論理」)について、従前の政府の説明に即 した整理をしておく必要があろう。第二の点については、14年閣議 決定とその後の国会審議などから、ある程度のその輪郭を描き出す ことは可能であると考える。ここでの問題は、14年閣議決定の以前 と以後の対比において、従前の論理をどこまで継承したか、なにを 捨て去り、なにを付加したか、そして、そうした変更が継承したは ずの基本的論理との関係でどのように評価されるか、ということで ある7)。第三の問題については、少なくとも、以下のような見通し 6) 憲法が許容する「武力の行使」についての新・旧の三要件については、<資料 3>を参照。 7) 新・旧の「三要件」を対比すると、新三要件は、その第一要件に、「集団的 自衛権の限定行使」の要件が「付加」されているだけで、第二と第三の要件に変 更はないようにみえる(第二要件はいずれも、「武力行使」は最後の手段という

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だけは立つのではないかと考える。すなわち、閣議決定3-⑵と⑶ の行論からすれば、従前の基本的論理の「根幹」部分が継承されて いれば、「論理的整合性」は保たれ、「法的安定性」を破壊するも のではないといいたいようであるが、しかし、9条の「ある部分」 の解釈変更が従前の「基本的論理の根幹」の枠内にあるか外にある かは、つまるところ、従前の9条解釈4 4 4 4 4 4 4の「根幹」をいかに解し、い かに構成するかということに依存する問題である。ある変更が「根 幹」の枠内にある主張したところで、その「根幹」そのものを違う 意味(憲法が許容する武力行使の意味をより制限的なもの)にと れば、その変更は「根幹」そのもの改変であり、「法的安定性」 も「論理的整合性」も破壊するものとみなされることになり8)、ま た、そのような「改変」(理解)が、9条という法源の「解釈」と してはあり得ない、との評価を受ければ、いわゆる「解釈改憲」と の非難を受けることになる9) 意味であろう)。しかし、第一要件に、「個別的自衛権の行使」と「集団的自衛 権の限定行使」という異なる性質の発動要件を並列に並べておいて、それを受け る第二,第三要件が「おなじもの」というのはいかなることを意味するのであろ うか?筆者は、後述するように、従前(旧)の三要件は、「個別的自衛権の限定 行使」を意味するものとしてそれなりに一貫性がある解釈であると理解していた だけに「困惑」した。そして、新三要件における第二、第三要件が集権的自衛権 に相当する武力行使において、いかなる内実もつか、そこに限界はあるのかとい うことについては、今なお「迷宮」であるということを、あらかじめ告白してお く必要があるかもしれない。 8) 例えば、長谷部恭男「安保関連法制を改めて論ずる」長谷部恭男編『安保法制 から考える憲法と立憲主義・民主主義』(有斐閣、2016年)93-98頁参照。 9) この第三の問題は、内閣法制局が引き継いできた、9条解釈の「文理」と「論理」 の一貫性なるものを否定するといったレベルをこえる学理上の深・ ・ ・ ・ ・刻な問題につな がっている。憲法制定時に金森徳治郎が展開した9条解釈の「文理」と「論理」 が、自衛隊創設時前後に佐藤達夫や林修三が展開した9条解釈や、今回、現在 進行中の横畠祐介が展開する「文理」や「論理」と整合すると考える法律家はおそら く皆無であろう。しかしそれでも、筆者は、はじめの2つの解釈は、9条規範の 解釈としては「ありうる解釈」であると考えてきた。そうだとすると、前回の自 衛隊創設前後の政府解釈の「変更」はよくて、今回のあらたな政府解釈よる「改 変」がよくない理由とはなにか、「9条解釈として成り立たない」という理由は あるのか、という問題が浮上することになる。青井未帆・長谷部康恭男・豊秀一 (鼎談)「『安保法制』から考える最高裁と内閣法制局の役割」同上・長谷部 編・所収54頁の青井発言参照。なお、同書において、長谷部が、制憲時の政府解 釈と「従前」の政府解釈が個別的自衛権の(限定)行使という点で一続きのもの

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⑶ 14年閣議決定は、憲法9条1項が定める「武力の行使」の規範 的意味を明らかに改変した。しかし、「武力の行使」にかかわる他 の解釈変更も見逃すことはできない。  閣議決定は、「平時」から「有事」にいたる「切れ目のない」対 処(閣議決定「1 武力攻撃に至らない侵害への対処」、とくに1 -⑷参照)とか、「積極的平和主義」の下での「切れ目のない」対 応(閣議決定2参照)と称して、自衛隊の活動領域とその「実力」 を行使する契機(機会)を拡張した。第一に、それは「平時」にお けて自衛隊が行使する「実力」としての「武器の使用」の問題であ り、第二は、「有事」における他国軍に対する後方支援の憲法上の 限界を画するとされる「武力行使の一体化」の問題である。これ らは、対外的な武力行使を主たる任務とする自衛隊が創設されたと きから、問題としては存在していたものであるが、90年代以降、自 衛隊を海外に「派遣」する法制を整備する過程において顕在化した ものである。政府(内閣法制局)は、9条1項が許容する「武力の 行使」を厳密に、かつ、限定的に定義して、それに該当しない「武 器」(兵器)の使用は、「警察」的なものであり、「武力の行使」 の問題ではないとの論理を展開し、後者の問題については、この厳 密な「武力行使」概念を前提に、「有事」対応(国際法上の「武力 行使」)を行っている他国への「支援」について、単なる経済支援 や日本領域内で行う「支援」(基地の提供そのものもここに含めて いるようである)それ自体は「武力の行使」の問題ではなく、こう した「協力」と「戦闘への参加」の間のどこかに、「武力行使の一 体化」をもたらす限界があるとの論理を展開してきた。  「武装」した自衛隊の海外における「活動」には必然的に「実力 の行使」(武器の使用)が少なくとも潜在する。この「実力の行 使」と憲法上の「武力の行使」をめぐる憲法論は、しばしば、国際 法上ないし実際上の評価との厳しい緊張関係をもたらしつつ、「き のように説いている(ようにみえる)が、その実践的意図は理解するが、認識の 問題としては本稿の立場と異なる。

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わどい」線引きを行ってきたと評することができるものであった (発進準備中の戦闘機に給油しないとか、交戦中の現場に駆けつけ て戦闘に参加しないとか、平時であっても日本領域外で作戦行動中 の米軍防護はしないとか…)。個別的自衛権の限定的な行使しかし ないのが原則との論理(従前の「自衛権発動の三要件」)と同様、 ここでも従前の基本的論理は、一定の抑制的な効果をもっていたと 評価すべきかもしれないが、しかし、今回の拡張的な諸決定は、そ うした抑制的な線引きを突破し、また、国際法上の理解と政府の 憲法論は調整不可能なほどの「亀裂」をもたらしたおそれがある。 「平時」において作戦行動中(警戒監視活動など)の米艦や戦略爆 撃機を守る「アセット防衛」を自衛隊法95条の武器防護と並べて容 認したり、現に戦闘が行われていなければ、「戦地・戦場」で弾薬 を補給し、発進準備中の戦闘機に給油しても、交戦国の武力行使と 「一体化」しないという論理は、警察目的の「武器の使用」と「武 力の行使」との区別の溶解、「武力の行使」にかかわる国際法と憲 法論の整合性の破綻さえ引き起こしている可能性がある10) ⑷ 14年閣議決定と、そこでの「方針」をほぼまるごと法制化した 2015年の「安全保障法」11)には、ほかにも憲法上論ずべき問題は 10)たとえば、米軍機を防護(アセット防衛)中の自衛隊戦闘機が、正当防衛ない し緊急避難に当たると判断し、「事態に応じ合理的に必要と判断される限度で武 器を使用」(自衛隊法95条の2)して、第三国の戦闘機を撃墜すれば、それは 自衛隊と第三国との「武力衝突」と、すくなとも、報じられるあろうし、また、 「戦闘の現場」での活動ではないから他国の軍隊の武力行使と一体化しないとの 「憲法論」を展開したところで、武力攻撃を受けている相手方が、この「後方支 援」を理由として、自衛隊に武力攻撃を加えることが、国際法上、許容されるお それは十分あるのではないか。こうした状況を14年閣議決定がもたらしていると すると、ここでの理論上の問題は、第一に、自衛隊という武装組織が行う「警 察」活動と「武力の行使」との関係を問うこと、そもそも武力集団が行う「警 察」活動とはなにか(その本質と限界)を見定める必要があるのではないかとい うこと、そして、第二に、国際の平和と安全に関わる国際ルールと憲法上のルー ルの関係を問うこと、国内法のレベルでは憲法優位説が妥当だとしても、紛争の 平和的解決義務や武力行使禁止原則(国連憲章2条3項・4項)などは、もはや すべての国家を拘束する強行規範(jus cogens)になっているとすれば、9条解 釈を憲法論の枠組みで完結するものとみなすことはできないのではないか、とい うことである。 11)閣議決定で示された「あらたな安全保障法制」の「基本方針」は、憲法学者ば

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多々あろうが、本稿では、以上に示したような問題意識の下で、閣 議決定が明確に解釈の変更を宣言した、憲法上許容される「武力の 行使」の要件を中心に、政府の「武力の行使」解釈の「現点」につ いて、若干の整理を試みることにする。

2 現点-1 基本概念

 14年閣議決定の「集団的自衛権の限定容認」を論ずる箇所(閣議 決定「3 憲法9条の下で許容される自衛の措置」)には、人を 惑わせる様々な概念や用語が駆使されている。政府解釈の「論理的 整合性と法的安定性」、「従来の」政府解釈の「基本的な論理」 (以上、3-⑴)、「武力の行使」と「自衛の措置」、「国民の平 和的生存権」と「幸福追求権」、「外国の武力攻撃」と「急迫、不 正の事態」、「事態」に対処するための「必要最小限度」の武力行 使(以上、3-⑵)などがそれである12)。これらの語句について かりではなく、元法制局長官や元最高裁長官までが論陣に加わり、強い批判を受 けながらも、日米行政当局の間で改定された「日米防衛協力のための指針」(新 ガイドライン、2015年4月27日)に取り込まれた後、いわゆる新安保法制(同年 5月15日衆議院提出、9月19日成立、2016年3月19日施行)において、驚くほど 既定「方針」をなぞる形で具体化されたことは周知の通りである。新安保法制 は、正式には、「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛 隊法等の一部を改正する法律(平成27年9月30日法律第76号)」と「国際平和共 同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に 関する法律(平成27年9月30日法律第77号)」の二つからなり、政府はここでい う新安保法制を「平和安全法制」、前者の法を「平和安全法制整備法」、後者を 「国際平和支援法」と称している。この新安保法制によってあらたに付与され た自衛隊の任務の一部(PKO活動における駆け付け警護、北朝鮮情勢が緊迫す る中での米艦および戦略爆撃機に対する「アセット防衛」)は、すでに実施に 移されたことが報道されている。2016/11/22 日本経済新聞・朝刊4頁(南スー ダンの国連平和維持活動における「駆け付け警護」と「宿営地の共同防衛」)、 2017/05/02 日本経済新聞・朝刊1頁(米艦防護)、2018/01/23 日本経済新聞・ 朝刊3頁(自衛隊戦闘機による米軍・B1戦略爆撃機の護衛)。2019/02/28 日 本経済新聞・朝刊4頁は、米艦・米航空機防護が17年の2件から18年には16件に 急増したと報じている。 12)この文書には、かつて、武力の「行使」とその「保持」を第一義的に正当化し てきた「国家固有の自衛権」ということばも、「集団的自衛権」に言及する二 箇所を除いて、「自衛権」ということばさえも出てこない。過去の政府見解と の論理的「一貫性」を維持しようとする内閣法制局の努力の「成果」(その「現

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留意すべきは、まず、過去の政府見解などにおいて、同一の用語が 使用されていても、その語句が用いられている「とき」、「とこ ろ」、「場合」によって、必ずしもその意味が同一とは限らないと いうことである。そして、こうした語句を用いた議論は、あくまで 憲法解釈として展開されているものであり、国際法についての政府 解釈とは区別されているということである。これらのことは、14年 閣議決定に限られたものではなく、従前の基本的論理を形成する過 程においても確認できるものであるが、後者の点については、「武 力の行使」についての「国際法上の根拠と憲法解釈とは区別して理 解する必要がある」(閣議決定3-⑷)と明言され、国際法上の集 団的自衛権行使の一部を憲法上の自衛権行使に包含させる論理とし て利用されている13)  ここでは、閣議決定が用いている概念や語句の意味自体を分析す るのではなく、この14年文書や従前の政府解釈をまとめたはずの72 年文書がともに依拠したはずの憲法上の基本概念や用語のいくつか を、今の時点での内閣法制局(以下、単に「法制局」ということが ある)の説明に即して整理する。 ⑴ 「武力の行使」、「戦闘行動」、「国際的な武力紛争」  憲法9条1項が定める「武力の行使」とは、「基本的には、我が 国の物的・人的組織体による国際的な武力紛争の一環としての戦闘 行為」と解している。ここでいう「戦闘行為」とは、国際的な武力 点」)をかいまみるおもいがする。 13)この国際法と国内法である憲法の解釈との区別については、第一に、従前にお いては、個別的自衛権の「限定」行使という形で機能していたこと、第二、今回 は個別的自衛権でないものを憲法の自衛権行使に「包含」させるという意味で 逆の役割をもたされていること、第三に、すでに示唆したように、この両者の区 別は「峻別」と評するべきほどの理論上の潔癖さをもつものではないこと、すな わち、たとえば、憲法上は自衛行動権の行使だが、国際法上は「交戦権」の行使 であるとか、自衛隊は、憲法上は「軍隊」ではないが、国際法上はそれに準じた 組織として遇されるとかいった論理の展開にみられるように、あるときは国際法 を根拠に自衛隊の行動を正当化したり、またあるときは、国際法とは異なるとし て、自衛隊の行動とあり方を制限してみたりと、それほど論理一貫性があるとは 思えないということが窺われるが、政府(法制局)にとっての議論の起点が、9 条をめぐる「文理」と「論理」にあることはいうまでもない。

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紛争の一環として行われる「人を殺傷し、物を破壊する行為」をい い、「国際的な武力紛争」とは、「国又は国に準ずる組織の間におい て生ずる武力を用いた争い」をいう、とされる14)  したがって、この定義からすると、「人を殺傷し、物を破壊する 行為」そのものでない「後方支援」ないし「兵站」活動は、第一義 的には、9条が禁止する「武力の行使」の問題ではないというこ とになるが、こうした理解は、必ずしも国際法の議論とは一致し ない15)。また、「国又は国に準ずる組織」ではない集団(盗賊団 など)への自衛隊による「実力の行使」は、それが海外で行われた としても、そもそも「武力の行使」の問題ではないということにな り、他方、「実力の行使」(武器の使用)の対象が「国に準ずる組 織」の場合には憲法上の問題になりうるということである16) 14)浦田一郎編『政府の憲法九条解釈』(信山社、2013年)57頁。同書は、内閣法 制局自身によってまとめられた資料を浦田教授が、情報公開制度を使って入手 し、公刊したもので、内閣法制局の現在(2013年時点)の9条解釈の「現点」を 知る上で貴重なものと思われる。 15)国連憲章が定める「武力行使禁止原則」(2条4項)にいう「武力の行使」の意 味については、さしあたり、藤田久一『国連法』(東京大学出版会、1998年) 264頁以下参照。国際法の領域では、“use of force”の意味について、“force” には、そもそも「武力」だけではなく、「政治的および経済的圧力」が含まれる のではないかという議論が行われ、それを「武力」に限るとすると、その禁止さ れる武力の範囲(武力の「行使」の射程)はひろく解釈され、間接的な武力行使 (他国への武力行使への国家の関与や不正規兵による武力行使の国家の関与)も 禁止されるという解釈が有力であるという。政府の「武力行使の一体化論」なる ものは、国際法では、「武力行使禁止原則」の問題として直接的に論じられてい るということであろう。 16)「国に準ずる組織」とは、理論的には、「国際的な紛争の当事者たり得る実力 を有する組織」のことを指すが、その実際上の判断基準を強いて挙げれば、「行 為の主体が、一定の政治的主張を有し、相応の組織や軍事的実力を有するもので あって、その主体の意思に基づき当該破壊活動等が行われていると認められるよ うな場合」だとされる。浦田編・前掲注14)272頁。この「国又は国に準ずる組 織」以・ ・外に対する「実力の行使」は「武力の行使」の問題ではないとの論法は、 今回の安保法制では、PKO協力法で恣に活用された。すなわち、PKO協力法に は、自衛隊が協力業務に参加する条件として、法により「国家または国家に準ず る組織が敵対するものとして登場してこない」ような仕組みが予め設定されてい るから、「任務遂行型の武器使用」や「駆け付け警護」での武器使用が、憲法上 の問題に発展していくということは「全くなり得ないということは、はっきり申 し上げたいと思います」だそうである。189・衆・安保法制特委・3号6頁(安 倍晋三)2015年05月27日。

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⑵ 「武力の行使」と「武器の使用」、「武力攻撃」  「武器の使用」とは、「火器、火薬類、刀剣類その他直接人を殺 傷し、又は武力闘争の手段として物を破壊することを目的とする 機械、器具、装置をその物の本来の用法に従って用いることをい う」17)。「武力の行使」と「武器の使用」との関係については、 次のように説明される。  憲法第9条第1項の「武力の行使」は、「武器の使用」を含 む実力の行使に係る概念であるが、「武器の使用」がすべて同 項の禁止する「武力の行使」に当たるとはいえない。例えば4 4 4、 自己又は自己とともに現場に所在する我が国要員の生命又は身 体を防衛することは、いわば自己保存のための自然権的権利と いうべきものであるから、そのために必要な最小限の「武器の 使用」は、憲法第9条第1項で禁止された「武力の行使」には 当たらない18)  すなわち、「武力の行使」と「武器の使用」の関係は、「包含」 関係ではなく「交わる」関係であるが、「武力の行使」に当たらな い「武器の使用」についての説明は、「例えば」として、個別事例 が挙げられているだけで、それ以外にもありうるとの含意が読みと れる。この意味の「武器の使用」の従前の例としては、PKO等協 力法などにおける「自己保存のための自然的権利」に基づく武器使 用のほか、自衛隊法95条の定める「武器等防護」がある。前者につ いては、「現場に上官が在るときは、その命令によらなければなら ない」(PKO等協力法25条4項)ことを原則とし、また、後者に ついては、海外に派遣された自衛隊の装備(武器)にも適用がある とされてきた。今回の安保法制では、これらに加え、第一に、「自 己保存および武器防護を超える4 4 4武器使用」(閣議決定2-⑵のウ- (ア))として、いわゆる「任務遂行のための武器使用」と「駆け付 け警護」時の武器使用が、そして第二に、「我が国の防衛に資する4 4 4 17)浦田編・前掲注14)273-274頁。 18)衆議院・PKO 特委理事会提出資料(1991 年9月 27 日)。

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活動」に現に従事している米国軍隊等の「武器等防護」(アセット 防衛)が追加された(閣議決定1-⑷)。その合憲性の根拠は、端 的にいえば、前者については、日本の法制上、現地で自衛隊に敵対 する「国または国に準ずる組織」が登場しないような枠組みが設定 されているからというものであり、後者については、現に我が国の 防衛に「資する活動」をしている米軍等の「武器」は、自衛隊の武 器等と同様、「我が国の防衛力を構成する重要な物的手段」との法 的評価が可能であり、そして、「現に戦闘行為が行われている現 場」では「武器防護」はしないことになっているから(自衛隊法95 条の2)、自衛隊による「武器の使用」が「武力行使の一体化」を もたらすことも、自衛隊による「戦闘行為」との評価を受けること もないというものである19)  「我が国に対する武力攻撃の発生」は、自衛権を「発動」(武力 行使)する「契機」の中核概念である。わが国に対する「武力攻 撃」とは、「基本的には我が国の領土、領海、領空に対する組織的 計画的な武力の行使をいう」。特定の事例が「組織的計画的な武 力の行使に該当するか」については、「個別の状況に応じて判断 すべきものであり、あらかじめ定型的類型的にお答えするするこ とは困難である」、というのが法制局の説明である20)。他国軍と の偶発的な武力衝突(use of forceの衝突)と「武力攻撃(armed attack)」とを区別し、これを各国の自衛権行使(「武力の行 使」)の要件とするのは、国連憲章51条以来のもので、この要件 はすでに慣習法化しているとされる21)。「武力攻撃」の法制局の 19)法案の立案に関わったされる公明党の議員は、米軍等の武器防護について、 「武力攻撃に至らない事態、いわゆるグレーゾーンの部分のところで…極めて受 動的かつ限定的な必要最小限の武器使用を自衛隊に認めていこう(とする)…あ くまで広・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・い意味での警察権の範囲内の問題ですから、自衛の措置の問題ではあり ません」という。186・衆・予算委・18号9頁(北側議員)2014年07月14日。自 衛隊法95条の2は、こうした「武器防護」を行う自衛官の「職務」を、「合衆国 軍隊等から要請」に基づき、「防衛大臣が必要と認めるとき」に命ずる「警護」 業務と位置づけている。 20)浦田編・前掲注14)30頁。 21)酒井啓亘他著『国際法』(有斐閣、2011年)533-534頁(酒井執筆)参照。な

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(憲法上の)定義は、表現こそ違うが、国際法上のものと実質はそ う変わらないようにもみえるが、興味深いのは、法制局が「自衛権 発動」の第一要件として用いていたのは、当初、「我が国に対する 急迫不正の侵害があること」であった。「急迫不正の侵害」は、国 際法では、憲章成立以前から認められていた一般国際法上の観念 で、それは「緊急性」(急迫)を伴う「不正の侵害」行為を排除す るための、少なくとも理論上は、きわめて限定的な武力の行使を正 当化する理論であり、「自衛」を目的(契機)とする伝統的国際 法上の「戦争」(相手国が屈服するまで戦闘行為を続けることが 許容されるという意味で、「制裁戦争」との区別が判然としない 「戦争」)を「自衛戦争」とよぶなら、それとは、武力行使の「限 界」(武力「行使」の程度や態様における限界)において区別さ れるべき観念であるとおもわれる22)。他方、憲章上の「武力攻撃 の発生」要件は、武力行使の「契機」の要件(jus ad bellum)と しては、「急迫不正の侵害」要件を加重するものと一般に理解され ているようであるが23)、内閣法制局はいつのころからか(70年前 お、国連憲章51条は、加盟国に対して、「武力攻撃が発生した場合」にのみ自衛 権は発動しうると定めるとともに、自衛権行使の際にとった措置を安保理に報告 し、安保理が「必要な措置」をとった場合には自衛権行使は停止しなければなら ないこと、さらに、国家には「個別的自衛権」とともに「集団的自衛権」がある ことを明示的に認めた条項である。同532-541頁参照。 22)(戦前から慣習法として存在する一般国際法上の)「自衛権」は、理論上、 「急迫の必要の存在が止んだならば、同時に自衛権の発動は終わるべきもの」と する理解は、大戦中に出版された信夫淳平『戦時国際法提要(上巻)』(照林堂 書店、1943年)123頁にもみられる。もっとも、国家の「自衛行動の範囲及び限 度」がこれに止まることは実際上ない、というのが、jus ad bellumを法的には問 わない「戦時国際法」学者の結論ではある(109-125頁参照)。 23)横田喜三郎『自衛権』(有斐閣、1951年)45頁以下、59頁以下参照、酒井他・ 前掲注21)532-537頁参照。山本草二『国際法(新版)』(有斐閣、1994年)732 -733頁は、この急迫・不正の侵害を要件とする伝統的自衛権は、「戦争に訴え る権利」が公認されていた時代には、とくに「戦争に至らない程度の武力行使」 (平時封鎖、武力干渉、軍事力による示威、反乱団体の支援軍に対する攻撃な ど)を正当化する根拠として使用されていたこと、当該要件に充たせば「先制的 自衛」(anticipatory self-defence)も許されることがあること、憲章51条は、こ の伝統的意味の自衛権を前提にしつつも、その要件を厳しく制限していることを 述べている。

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後か?)、「急迫不正の侵害」と「武力攻撃の発生」とを「すな わち」ということばでつなぎ、互換的に使用するようになってい る24) ⑶ 「武力行使」と「戦争」、「国際紛争を解決するための手段」 との関係  「武力の行使」については、9条1項が定める「戦争」と「国際 紛争を解決する手段としては」という部分との関係が重要な意味を もつが、それらの意味や「武力の行使」との関係についての解説か らは、法制局の「現在」の9条1項理解の全体像が示唆されてお り、興味深い。  第一に注目されるのは、9条1項が定める「戦争」と「武力の行 使」の関係、「国際紛争を解決する手段としては」における4 4 4 4「国際 紛争」の意味を問われたときの法制局の回答、そしてそのような理 解を前提として提示された、9条1項の「武力の行使」と国連憲章 2条4項の定める「武力の行使」との関係についての(憲法)解釈 である。  9条1項の「国権の発動」たる「戦争」とは、「国家の行為 として」行われる「伝統的な国際法上の意味での戦争」をさ す。「武力の行使」は、本来、この意味の「戦争」を含む概念 であるが、同項はこれらを書き分けているので、9条1項の 「武力の行使」には、上記の意味の「戦争」は含まない。  憲法9条1項の「国際紛争」とは、「国家又は国家に準ずる 組織の間で特定の問題について意見を異にし、互いに自己の意 見を主張して譲らず、対立している状態をいうと考える」。  国連憲章2条4項の「武力の行使」は、「一般に、国家がそ4 4 4 4 の国際関係において行う実力の行使4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4をいい」、憲法9条1項の 「戦争」に当たるものも含まれるが、その「点を除けば」、9 条1項の「武力の行使」と「本質的には同一のもの4 4 4 4 4 4 4 4 4 4をいうと考 24)浦田編・前掲注14)25頁。

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える」25)  これは、2002年作成の答弁書の要約であるが、この答弁書の作成 にも関わったと推察される阪田雅裕は、政府解釈の解説書で、「国 際紛争を解決する手段としては」永久に放棄するとされる「武力の 行使」の理解に関連して、「第9条は『国際紛争』を武力によって 解決しようとする試み、すなわち『国際的な武力紛争』の当事者と4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 なることを禁じたもの4 4 4 4 4 4 4 4 4 4にほかならない」とする26)。したがって、 阪田によれば、9条1項は、わが国が、他の国や「国に準ずる組 織」と「武力を用いた争い」をする当事者になることを一般的に禁4 4 4 4 4 じた条項4 4 4 4だということになる。  これは、初期の、少なくとも憲法制定時における「国際紛争を解 決する手段」としての「戦争」(そして、理論的には「武力の行 使」も含む)についての解釈とは異なる。初期の見解は、制憲時の 吉田茂や金森国務大臣の答弁にみられるように、9条1項が放棄 したのは、直接的には、国際法上4 4 4 4、違法な「侵略」目的の「戦争」 (武力行使)だけで、「自衛」目的の(そして、理論的には「制 裁」目的のものを含めての)「戦争」と「武力の行使」は1項によ り放棄されていない。しかし、2項によって、それらを行う「手 段」(陸海空軍その他の戦力)と国際法上の「権原」(交戦権)が 全称否定されているから、9条全体としては、すべての「戦争」 (武力行使)が放棄されているのだという理解であった27)。こう 25)153回答弁27号・対金田誠一議員(衆)2002年2月5日の「三の1につい て」、「四の1について」および「四の2及び4について」を参照。なお、質問 主意書・答弁書の出典は、以下、この形式、すなわち、国会回次・答弁番号・質 問提出者(所属議院)・年月日、で示す。 26)阪田・前掲注3)20頁。阪田は、1999年から法制局第一部長、2002年から法制 次長、2004年から2006年まで法制局長官に就いている。 27) 制憲時の吉田茂の答弁(帝国議会90・衆・本会議・6号3頁(吉田茂)1946 年6月26日)、金森徳治郎の答弁(帝国議会90・貴・帝国憲法改正案特委・12号 24頁(金森徳治郎)1946年09月13日)を参照。なお、当初の見解がもとにした 条文は、現行9条とは異なる。1946年に提出された9条の原案は以下のものであ り、現行条文は同年8月24に衆議院で修正されたものであるが、(少なくとも) 政府はこの修正を原案の実質を変更するものではないものとして(私見によれ ば、1954年までは)扱っていた。

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した解釈を仮に「2項全面放棄からの1項全面放棄説」と呼ぶとす ると、学説にはこれと異なり、「国際紛争を解決する手段」として の戦争(武力行使)には、そもそも「自衛」を含めたすべきの戦争 (武力行使)が含まれるとする有力説(「1項全面放棄説」とい う)がある。阪田の説明が現在の政府解釈の基本を成しているとす ると、現在の政府解釈は、1項は、国際法上、違法な戦争(武力行 使)のみを放棄しているとする「1項限定放棄説」からは離脱し、 ひとたびは4 4 4 4 4「1項全面放棄説」に立つということを意味するであろ う28)。また、それは、9条1項を、1928年の不戦条約ではなく、 <帝国憲法改正案」(帝国議会に提出)1946年6月20日> 第二章 戦争の抛棄 第九条 国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他 国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを抛棄する。  陸海空軍その他の戦力は、これを保持してはならない。国の交戦権は、これ を認めない。  これをみれば、1項は特称否定命題であり、2項は全称否定命題とみることが自 然な文章であったことがわかる。もっとも、この原案をみて、横田喜三郎が、 「第二項は第一項の範囲で適用される」との見解を枢密院審査委員会審査記録の 段階で表明していたこと(のちに「芦田解釈」などと俗称される解釈の類)、そ の上で、1項は確かに自衛の戦争(論理的には、自衛目的の武力の行使を含む) を否定していないが、2項の「結果」、すべての戦争(武力行使)が否定されて いるとの政府解釈が表明されている。横田教授の見解についての潮枢密議長の言 及については、国立国会図書館「日本国憲法の誕生-資料と解説」の「4-1 枢密院委員会記録 1946年4月~5月」の「入江俊郎文書 31」(1946年4月24日 付)の潮委員長の発言参照。そうした解釈を否定する政府見解については、同 文書(1946年5月6日付)の林顧問官と入江法制局長官の応答を参照(http:// www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/04/111_1shoshi.html)。 28)「1項全面放棄説」の代表的論者である宮沢俊義・芦部信喜補訂『全訂日本国 憲法』(日本評論社、1978年)163頁は、自衛戦争(武力の行使)も、制裁戦争 (武力の行使)も、それらは、「被侵略国」と「侵略国」、および「制裁国」と 「被制裁国」との間に「主張の対立」がなければ「戦争が生ずる余地はなく」、 「主張の対立」があるがゆえに、「それを解決する手段として」戦争(武力の行 使)が行われている点では「侵略戦争」と異なるところはない、とする。法制局 の「国際紛争」に与えた定義は、それ自体、至極当然のことを述べているように みえるが、この宮沢説の説明と平仄があうものとなっている。なお、ここで、ひ とたびは「1項全面放棄説」に立つ、というのは、「2項全面放棄からの1項全 面放棄説」が維持されているという意味ではない。この説は、後述するように< 本稿「3 現点-2」>、2項の「陸海空軍その他の戦力」を、一項の「武力」 の行使に連結させる考え方であるから、9条1項の「武力」を、例外的にであ れ、行使する自衛隊の創設は、この説を維持したままでは不可能であろう。政府 は、とうの昔にこの説からも離脱しているというのが本稿の見立てである。

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国際紛争の平和的解決義務と武力行使禁止原則を定める国連憲章 (2条3項・4項)に準拠させる試みともみえなくもない29)  第二に、第一の点と関連して、政府解釈や阪田が、武力の行使に ついて、「わが国の行為」として行うという点を強調することにも 一定の示唆を思わせる。「国権の発動たる」という文言は、法文 上は「戦争」のみを修飾するが、「武力による威嚇」や「武力の 行使」も「国の行為としてとして行われるものだけを指す点では、 『国権の発動たる戦争』と異なるものではない」30)。これは、あ る意味当然のことをいっているようであるが、第一の点と合わせて 考えると、9条1項は、わが国が「国際的な武力紛争」の当事者に なっていないときに、「わが国の行為」として武力を行使し、武力 紛争の当事者になることを一般的に禁止している、との解釈を導い ているようにみえる。そして、この解釈の「裏」として、わが国が 「武力の行使」が禁止されていないのは、すなわち、憲法上「武力 の行使」が許容されるのは、わが国の主体的な意思に基づくもので はない、いわばが受動的、不可避的に「国際的な武力紛争」の当事 者の地位に立たされているとき、すなわち、「わが国への武力攻撃 が発生したとき」に限られるとする解釈が、9条1項の文理解釈の レベルに組み込まれているように思われる31)。そうだとすると、 29)9条1項が放棄している「武力行使」(戦争)とは国・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・際法上「違法」と評価さ れるものを指すというとき(9条1項限定放棄説)、そのベースとなる「国際 法」をどこに設定するかという問題がある。制憲時における理解は、それを1928 年の不戦条約(それに「武力の威嚇」と「武力の行使」を加えたもの)とみなし たことは疑いない。このことは学説(多数説)でも同様である。しかし可能性と しては、「武力による威嚇」「武力の行使」の原則禁止を定める憲章にベースラ インをひくことも可能である。しかし、ここでも、憲章が禁止していない、集団 的自衛権の行使としての「武力行使」と国連安保理の制裁決議に基づく「武力行 使」を自衛隊ができるのかという問題が、9条1項限定放棄説に立つ限り、残る ことは同様である。 30)阪田・前掲注3)18頁。 31)もっとも、「表」の命題が真であっても、その「裏」は必ずしも真ではないか ら、それを正当化する役割を果たしているのが「国家に固有の自衛権」(後述す る「狭義の自衛権」)ということになのであろう。しかし、それだけでは、国際 法上の(個別的)自衛権の行使をさらに限界づける論理は出てこないことにも注 意を要する。

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従前の9条解釈が、他国とわが国の同盟国が「国際的な武力紛争」 を行っているときでも(すなわち集団的自衛権の行使が問題となる レベルでも)、国連安保理の決議に基づき「多国籍軍」が「武力の 行使」を行っているときでも、さらに、国連憲章の43条の基づき正 規の国連軍が編成されたときでさえ、そこに「わが国の意思」に基 づく「わが国の武力行使」の契機が含まれている限り、憲法9条 (1項)は、それに参加することを禁じている、という法制局の答 弁には、それなりに一貫性があるということになろう32) ⑷ 「自衛権」と「自衛の措置」  国際法上の「自衛権」については、それが主張される時期(第一 次世界大戦以前とそれ以後、国連憲章以前とそれ以後)によりその 意義や要件に違いがあったり、また、慣習国際法上の自衛権が国連 憲章上の自衛権と区別して論ぜられたりすることはあっても、それ が、外国からの違法な侵害や武力攻撃に対して、自国を防衛するた めに「武力(実力)を行使しうる権利」であるとの理解は共通して いる。そして、国連憲章51条は、この従来からある自衛権を「個別 的自衛権」と称し、これに加えて、他国への武力攻撃を契機とする 「集団的自衛権」をはじめて実定法化したことは周知の通りであ る33)。これに対して、日本国憲法は、自衛権に基づく武力の「行 32)こうした9条1項についての理解が、たとえば、高辻正己が、「他国が第三国 から武力攻撃を受けた場合」に、わが国が集団的自衛権を行使することは「その 他国と第三国との間の武力衝突に因む国・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・際紛争を解決する手段につかえるもの 以外の何ものでもない」(傍点は筆者による)などして、その合憲性を否定する 見解(中村明『戦後政治にゆれた憲法九条(第3判)』(西海出版、2009年) 427-428頁、高辻正己「政治との触れ合い」『内閣法制局の回想-創設百年記念』 (ぎょうせい、1985年)42頁以下参照)や、国連決議に基づく集団的安全保障措 置への参加は、国際社会の意思に基づくものであるから「国権の発動」には当た らない、との主張を否定する法制局の論理(阪田・前掲注3)82-85頁)を導いて いるようにみえる。 33)国際法上の自衛権については、さしあたり、酒井他・前掲注21)532頁以下 (酒井執筆)、田岡良一『国際法上の自衛権(補訂版)』(勁草書房、1981年) 参照。憲章51条の成立経緯については、豊下楢彦『集団的自衛権とはなにか』 (岩波新書、2007年)18-33頁参照。なお、国際法で使用する“use of force"を 「武力の行使」と理解するか、より広い意味で「実力の行使」と理解するかはそ れほど重要な意味はないようにみえるが、9条の文理解釈においては、「武力の

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使」やその手段としての武力の「保持」を否定するかの条文をもつ ことから、「自衛権」そのものを否定する学説があったり34)、自 衛権を認めるにしても、その行使の手段として「武力の行使」以外 のものを含めて議論されたりしてきた。こうしたことから、「自衛4 4 権」とその行使としての「自衛の措置」ということば4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4は、それが議 論される状況により、広狭、様々なニュアンスをもつ使われ方をし てきたのであり、それは政府解釈においても同様である。したがっ て、政府解釈を分析するには、あらかじめその意味をいくつかに分 類し、区別しておく必要があるが、これらはすべて憲法上の「自衛 権」論であることはいうまでもない35)  まず第一に、「自衛権」ないし「自衛の措置」についての「最広 義の意味」として、わが国への不正な侵害に対する「抵抗」やその ための「防備」に限定されない、安全保障上の措置一般を「自衛の (ための)措置」と表現し、それを根拠づける(根拠づけているよ うにみえる)「自衛権」の使用法がある。  1997年ガイドライン作成に関連して、「周辺事態」における「後 方地域支援」の憲法上の根拠が質されたとき、法制局は、1959年の 砂川事件最高裁判決36)にある「自国の平和と安全を維持しその存 立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国 家固有の権能の行使として当然のこと」である、という部分を引用 して、今回の「後方地域支援」も「この一環として行われているも 行使」という場合の「武力」と、9条2号のいう「陸海空軍その他の戦力」(… forces , as well as other war potential)、さらには、いわゆる「警察力」との関 係は重要な意味をもつ。 34)山内敏弘『平和憲法の理論』(日本評論社、1992年)121頁以下参照。 35)「自衛権」ということばが使われる場合、それが「個別的自衛権」を意味して いるのか、それとも「自衛権一般」を意味しているのか、さらには、「国家の防 衛のような抽象的な自衛」を問題としているのか、判然としないということはす でに浦田教授によって指摘されているところである。浦田一郎『自衛力論の論理 と歴史』(日本評論社、2012年)68頁以下。もっとも、浦田教授が同書や『集団 的自衛権限定容認とは何か』(日本評論社、2016年)で展開している72年文書や 59年砂川事件判決の理解は筆者と同じではない。 36)最大判1959・12・16刑集13・13・3225。

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の」と述べた37)。そして、後日、この「国家固有の権能の行使」 としてとられる「自衛の措置」と、わが国に対する武力攻撃が発生 した場合における「自衛権の行使」との関係が問われたとき、以下 のような説明をした。  「前回のこの委員会」において使用した「自衛の措置」の意 味は、「紛争の防止や解決の努力を含む国際政治の安定を確保 するための外交努力の推進、内政の安定による安全保障基盤の 確立、そして日米安全保障体制の堅持、みずからの適切な防衛 力の整備等を含む自国の平和と安全を維持し、その存立を全う するために必要な措置という広い意味4 4 4 4で使用したもの」で、 「我が国に対する武力攻撃が発生した場合における、これを排 除するための自衛権の行使としての武力の行使4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4ということに限 定して使ったものではない」。  そして、「周辺事態における我が国の対応措置と我が国有 事、いわゆる我が国に対する武力攻撃がなされた場合における 我が国の対応との間で憲法上の根拠が同じなのか違うのか」と いうことについては、我が国としては「自国の平和と安全を維 持し、その存立を全うするために憲法第9条に違反しない範囲4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 内で4 4必要な安全保障のための措置をとり得るということは、憲 4 法13条及び前文の趣旨からして、4 44 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 国家固有の機能(ママ)の行使 として当然のこと」と考えているから、「そういう次元におい ては、憲法上の根拠は同じレベルの問題4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4である」38)  要するに、「自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするた めに憲法9条に違反しない範囲内で4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4必要な安全保障の措置をとり得 るということ」は、国民の幸福追求権を最大限尊重すると定める憲 法13条や「国民の」平和的生存権を定める前文の趣旨から、「国家 固有の権能の行使」として認められるというのが「基本」となる論4 4 4 4 4 4 理4であり、「我が国に対する武力攻撃が発生した場合には、そうい 37)140・衆・安全保障委員会・10号13頁(大森法制局長官)1997年06月10日。 38)141・衆・安全保障委員会・4号101頁(大森法制局長官)1997年年11月27日。

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う国家固有の権能の行使の一内容4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4として自衛権の行使をする」39) というのが、現在の法制局の見解(整理)のようである40)。そう だとすると、「最広義の意味」における自衛権なるものをここで 区別する必要はないともいえるし、また、こうした自衛権という ことばの使用法は、あまりにも国際法上の自衛権とかけ離れてい る41)。しかし、本稿では、「自衛の措置」は「自衛権の行使」の 顕現形態であると一応理解し、これを「最広義の自衛権」ないし 「自衛の(ための)措置」と理解しておく。  第二に、「広義の自衛権」として、違法な侵略に対してわが国が 行う「抵抗」一般4 4 4 4とそのための「備え」として「保持」する「防 4 備」一般4 4 4を正当化する「自衛権」観念をあげることができる。現在 の段階においては、先の法制局の整理にみられるように、「最広義 の自衛権」のほかには、9条1項がいう「武力の行使」とその裏づ けとしての「武力の保持」を正当化する自衛権(本稿がつぎにとり あげる「狭義の自衛権」に相当する自衛権観念)の二つに分類する だけで十分であるということにもなりそうであるが、自衛隊が創設 され、その自衛隊が9条1項の意味における「武力の行使」をにな うとの定式が確立する以前においては、「武力なき自衛権」や「戦 力なき自衛権」といった議論が大まじめに展開されていたこと、そ して、わが国の最高裁(砂川事件最高裁判決)がはじめて(そし 39)同上。 40)砂川事件最高裁判決にある「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするた めに必要な自・ ・ ・ ・ ・ ・ ・衛のため措置をとりうる…国・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・家固有の権能の行使」への言及は興味 深い。すなわち、国民の幸福追求権を最大限尊重すると定める憲法13条や「国民 の」平和的生存権を定める前文の趣旨を根拠として、憲法9条に違反しない範囲 内で必要な安全保障の措置をとり得るということが、現・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・在の法制局の「自衛権」論 の・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・「『基本』となる論理」であり、「我が国に対する武力攻撃が発生した場合」 における「自衛権の行使としての武力の行使」は、この「国家固有の権能の行使 の一内容」だという位置づけをしているのである。法制局は、武力行使と結びつ いた自衛権観念(本稿がいう「狭義の自衛権」)の上位に、こうした意味の「国家 固有の権能」なるものを設定している可能性があり、それをまるごと根拠づける 憲法の文理上の根拠を13条の国民の権利(への政府の尊重義務)と前文の「国民 の」平和的生存権に求めているのである。 41)横田・前掲書注 23)205 頁以下参照。

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ておそらく唯一)「主権国として持つ固有の自衛権」なるものに言 及したときの自衛権観念がこれに相当するものと思われるので、こ れを独立した自衛権観念として区別しておくことにする。なお、こ の砂川事件最高裁判決は、先にふれたように政府解釈においては、 「最広義の自衛の措置」を正当化する際にも、そして、(憲法上 の)自衛権にもとづく「武力の行使」の根拠にも、さらに、今回、 集団的自衛権の限定行使を正当化する際の論拠の一つとしても援用 されているが42)、同判決は、基本的には、この第二の意味の自衛 権を憲法は否定していないとしつつ、それにもかかわらず、直接そ れとは関わらない、第一の意味(最広義の意味)の「自衛の(ため の)措置」論を展開するという不整合を内在させた判決というのが 本稿の見立てである43)  また、我が国が不法な侵略を受けたとき、なんらかの「実力」を用 42)たとえば、189・衆・安保法制特委・14号3頁(安倍晋三)2015年06月26日。 43)砂川事件最高裁判決は、憲法9条が「いわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の 保持を禁止しているが」、「もちろんこれによりわが国が主権国として持つ固・ ・有 の・ ・ ・ ・自衛権は何ら否定されたものでは」ない、とした上で、「憲法の平和主義は 決して無・ ・ ・防備、無・ ・ ・抵抗を定めたものではない」とする。すなわちそこで想定され た自衛権の内実としては、さしあたり、不法な侵略に対する「備え」と「抵抗」 が想定されているはずであるが、実際に最高裁が違憲審査の対象としたのは、憲 法9条2項の「戦力」不保持規定によって生じる「わが国の防衛力の不足」をい かに「補うか」という問題設定のもとで、「国際連合の機関である安全保障理事 会等の執る軍事的安全措置」や「わが国がその平和と安全を維持するために他国 に安全保障を求めること」が許されるかという問題であった。そして、わが国自 身が行う「抵抗」の内容(「武力の行使」との関係)や抵抗の手段たる「備え」 (9条2項が「自衛のための戦力の保持」を許しているか否か)については、む しろ、慎重に判断を避けたのである。つまり、判決は、「憲法の平和主義は…」 といいながら、それではいかなる「防備」と「抵抗」が憲法上可能なのかについ ては一切ふれぬまま、第一の意味の「自衛の措置」論をひと続きのものとして展 開するという「筋の通りのよくない」判決である。国連の「安保理の措置」や条 約を結んで「他国に安全保障を求める」等は、本来、自衛権に基づく措置という よりは、主権国家が政策的に選択する安全保障上の措置とみるべきものであり、 しかもそうした政策上の措置は、もちろん憲法が許容する範囲内のものでなけれ ばならないというのが、法制局の見解であるし、判決でも、そうした措置を違憲 審査の対象にしているのである。いずれにしても、同判決は、いかなる手段に よって、いかなる抵抗(武力の行使)ができるか、について一切ふれていないの であるから、集団的自衛権の限定行使論との接続は、政策目的として掲げられた 「わが国の存立を全うし、国民の権利を守るため」という以上の接点はない。

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いて「抵抗」するというのが、この意味の「自衛権」であるが、ここ には、「陸海空軍その他の戦力」(9条2項)=「武力」(9条1 項)による抵抗は禁止されているから、「警察力」やその他の憲法に よって保持が禁止されていない「手段」(現に保有する手段)によ って「抵抗する」と答弁した憲法制定時の政府見解44)と、その後、 「間接侵略」への対処という国内警察目的を名目に、対外的侵略 (直接侵略)にも対応可能とする部隊を積極的に創設した「警察予 備隊」および「保安隊・警備隊」の時期における政府の見解が含ま れる。  第三に、憲法9条1項の意味における「武力の行使」と直接結び つき、その「裏づけ」として、対外的実力行使を主たる目的する「武 力の保持」まで正当化する、端的にいえば、自衛隊創設以後の自衛 権論を分析するために設定される自衛権概念である。国際法上の自 衛権は、第一義的には武力(実力)の行使を正当化するものであ るが、「陸海空軍その他の戦力」の保持を禁止する日本国憲法の場 合、「武力の行使」をになう武装組織の「保持」は、何らかの意味 で「自衛の措置」として正当化される必要があるものと思われる。  ここでの問題は、直接的には、個別的自衛権の限定行使を目的と して創設された自衛隊が、国際法上許容される武力行使をどこまで できるかということが議論の中心となる。私見によれば、政府当局 (内閣法制局)は、当初から、国際法が許容する以上の制約を「憲 法上」のものとして組み込む解釈理論を9条全体に張り巡らせてき たというさしあたりの認識4 4 4 4 4 4 4 4をもっているが、今回の14年閣議決定 は、従前の解釈が作り上げてきた「文理」と「論理」の一角を「力 尽くで」切り崩してしまった。 44)高柳賢三に、武力侵攻を受けた場合にでも、ガンジーの「無抵抗主義」によっ て、「武力に對して武を以て抗爭すると云ふことはしない」というのが「第九條の 精神」であるか、と問われて、9条2項は「武力は持つことを禁止して居りますけれ ども、武力以外の方法に依つて或程度防衞」する(つまり「抵抗する」)ことは「 9条の精神」に反するものではない、とする金森徳治郎の答弁を参照。90・貴・ 帝国憲法改正案特別委員会・12号24頁。

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 最後に、政府は、「武力の行使」の発動要件を「外国の武力攻撃 の発生」に求めていることから、「武力攻撃に至らない侵害に対す る自衛権の行使を一般に指すもの」として、「マイナー自衛権」と いう「自衛の措置」論を展開している。政府によれば、これは国連 憲章51条に基づくものではなく、一般国際法上認められたもので、 このことを国連憲章は排除していないという45)。国際法でいうと ころの「比例した対抗措置(proportionate countermeasures)」 に相当する議論46)のように思われるが、「マイナー自衛権」の他 にも「広義の警察権の行使」とか「グレーゾーン事態」における措 置といったかなり恣意的な概念が複数あり、相互の関係は必ずしも 判然としない。本研究では、この概念も、一応「狭義の自衛権」の 下位ないし関連概念と位置づけ、研究の射程に置くことにしたい。 45)比較的最近の答弁として、186・参・決算委員会・7号28頁(新美外務大臣官 房審議官)2014年05月12日。 46)さしあたり、酒井他・前掲注21)534頁以下参照。

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<資料1> 国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制 の整備について (2014年7月1日 国家安全保障会議決定・閣議決定) 3 憲法第9条の下で許容される自衛の措置 ⑴ 我が国を取り巻く安全保障環境の変化に対応し、いかなる事態 においても国民の命と平和な暮らしを守り抜くためには、これまで の憲法解釈のままでは必ずしも十分な対応ができないおそれがある ことから、いかなる解釈が適切か検討してきた。その際、政府の憲 法解釈には論理的整合性と法的安定性が求められる。したがって、 従来の政府見解における憲法第9条の解釈の基本的な論理の枠内 で、国民の命と平和な暮らしを守り抜くための論理的な帰結を導く 必要がある。 ⑵ 【1】*憲法第9条はその文言からすると、国際関係における 「武力の行使」を一切禁じているように見えるが、憲法前文で確認 している「国民の平和的生存権」や憲法第13条が「生命、自由及び 幸福追求に対する国民の権利」は国政の上で最大の尊重を必要とす る旨定めている趣旨を踏まえて考えると、憲法第9条が、我が国が 自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛 の措置を採ることを禁じているとは到底解されない。【2】一方、 この自衛の措置は、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、 自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事 態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置と して初めて容認されるものであり、そのための必要最小限度の「武 力の行使」は許容される。これが、憲法第9条の下で例外的に許容 される「武力の行使」について、従来から政府が一貫して表明して きた見解の根幹、いわば基本的な論理であり、昭和47年10月14日に 参議院決算委員会に対し政府から提出された資料「集団的自衛権と 憲法との関係」に明確に示されているところである。

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