―二つの近著から―
中野 忠
(1)はじめに 戦後のヨーロッパの都市史研究の第一世代が中世都市に抱いた中心的な関心は、都市共同体と そこで育まれた市民と市民社会―さらに「民主主義」―の伝統にあった。その先駆者の一人、増 田四郎は、都市史研究が農村研究に比して立ち遅れていることを指摘しつつ、現代にまでつなが るヨーロッパの市民意識の源流を問うことの重要性を強調した1。南欧型ではなく、「北欧」型 の都市に近代市民社会の原点を求めた増田の議論は、マックス・ウェーバーの影響を強く受けた ものだった。1971 年に創設された「比較都市史研究会」が比較の対象として取り組んだ大きな 課題も、自治体としてのヨーロッパの都市共同体とその構成員たる市民やギルドであった2。 それ以後、わが国のヨーロッパ都市史研究は多様で精緻な成果を着実に積み重ねてきている。 しかし最初の世代が抱いたような問題関心からの都市史研究は背後に退いたようにも見える。理 由の一つは単純で、研究そのものの専門化、細分化、多様化が進んだことである。いくつもの 「転回」を目撃した新しい世代の研究者にとって、市民権や民主主義といった古くて重い問題が 魅力的テーマには見えなかったとしても当然の成り行きともいえる。もう一つのより現実的な理 由は、中国に代表される非西欧世界の急速な経済的台頭である。産業革命に先立つ時代の西欧と アジア(中国)の経済発展の並行性を強調するポメランツの大分岐論は、そうした現実を歴史観 に映し出したものといえる3。西欧の歴史的個性を明らかにすることを目指したウェーバーの比 較社会学は、同時に、西欧世界の優位を論証する研究として受け止められることにもなった。彼 の議論も、「大分岐」の時代のさなかに書かれ読まれたからこそ説得力をもったのだろう。 もっとも、過去の都市の制度や政治に対する関心が失われたとみるのは早計だろう。それは視 点や論法を変えて社会科学の重要なテーマであり続けている。社会関係資本の概念を用いながら イタリアの南部と北部の統治の効率の違いを中世以来の市民社会の伝統の有無から説明した R. D. パットナムの研究はその代表的事例であろうし、様々な領域や時代に広がって論議されてい る J. ハーバーマスの公共圏論もその一つと見ることもできる。チャールズ・ティリーのような 歴史社会学者にとって、西欧の民主主義や市民の歴史は早くから主要なテーマの一つだったし、 経済学の分野では、ダグラス・ノースら「新制度学派」のグループが制度と経済的パフォーマン 1 増田四郎『西欧市民意識の形成』(講談社学術文庫、1995 年[初版、1949 年]);同『都市』(ちくま 学芸文庫、1994 年[初版、1952 年])。 2 創設 20 周年を記念して刊行された『都市と共同体(上・下)』(名著出版会、1991 年)所収の諸論 文および編者(鵜川馨)の序文を見よ。 3 K. ポメランツ著;川北稔監訳『大分岐:中国、ヨーロッパ、そして近代世界経済の形成』(名古屋大 学出版会、2015 年)。ス、あるいは政治的・社会的機能や効率性との関係を歴史的に考察してきた。 今日、市民権や市民社会、民主主義の問題は再び時代の課題になりつつある。非西欧世界の経 済的台頭は、グローバリズムの進展、人の移動の国際化、国家を超えた政治統合などとともに進 行した。新しい政治単位への帰属や移民の増加は多くの先進国で多文化化と国民意識の変化、 「想像の共同体」の再構築を促し、市民権とは何かを問い直す契機となっている。また後発国の 経済的成功はしばしば開発独裁や非民主的体制のもとで実現されたが、それは民主主義とは何か を改めて歴史的に問う動きに繋がった。制度学派の系譜を引くアセモグルとロビンソンが持続的 経済発展に対して果たす制度の役割、包括的制度と収奪的制度の相違を世界史的視野から論じた 研究4は、こうした時代状況を反映するものであろう。 都市史の分野でも、前近代社会における市民とその共同体、統治制度などに関する関心が再燃 しつつあることを窺わせる研究もあらわれ始めた5。本稿では二つの近著を紹介することで、研 究の現状を概観してみることにしよう。 (2)リディ:イギリス中世都市 まず「市民権」を表題に掲げた近著として紹介するのは、イギリスの中世都市を扱った C. D. リディの『都市を競う:イギリス都市の市民権の政治学、1250-1530 年』である6。構成は、 1.序論、2.市民権と市民、3.空間:境界、4.市民時間:選挙、5.コミュニケーション: 音と光景、6.書かれた制度:テキストと対象、7.結論の諸章からなる。 序論で著者は大陸都市の研究成果を参照しながら、本書の意図と方法について述べている。 ヨーロッパ大陸の都市と比べて、規模が小さかったこと、王権による統制が強かったことから、 イギリス(イングランド)都市はその例外性が強調される傾向が強かった。これを再考するこ と、大陸都市と共通の政治文化を探ることが本書の課題の一つとされる。手掛かりとなるのは都 市の紛争や暴動である。大陸都市の研究は、それらが偶発的要因によるよりも、都市の政治文化 の多元的性格に由来するものであることを明らかにした7。本書はこれを踏まえ、イングランド 4 ダロン・アセモグル、ジェイムズ・A・ロビンソン著;鬼澤忍訳『国家はなぜ衰退するのか:権力・ 繁栄・貧困の起源.上・下』(早川書房,2013 年)。 5 比較都市史研究会にとって、都市共同体は現在でも大きなテーマである。江川由布子「ドイツ学界に おける西欧中世共同体論の動向に関する一考察―都市ゲマインデ研究の新たな地平を探って」『比較都市 史研究』29-2(2010 年)13-31 ページ;「合評会:アルフレート・ハーファーカンプ著;大貫俊夫、江 川由布子、北島裕編訳『中世共同体論:ヨーロッパ社会の都市・共同体・ユダヤ人』(柏書房、2018 年)」 『比較都市史研究』38(2019 年)など。
6 Christian D. Liddy, Contesting the city: The politics of citizenship in English towns, 1250-1530(Oxford,
2017).著者はダラム大学歴史学部教授で、本書の他に地方都市の政治と財政を扱った次の著書がある。 War, politics and finance in late medieval English towns: Bristol, York and the crown, 1350-1400 (Woodbridge, 2005).
7 代表的研究として、Patrick Lantschner, The logic of political conflict in medieval cities: Italy and the
South-ern Low Countries, 1370-1440 (Oxford, 2015). 本書の概要について、河原温<新刊紹介>『西洋中世研究』 7 (2015 年)。
の 5 つの都市(ノリッジ、コヴェントリ、ブリストル、ヨーク、ロンドン)を例に、13 世紀中 ごろから 1530 年代までの都市政治に繰り返し起こった紛争に焦点を合わせ、市民と市民権の多 様な、矛盾を孕んだ意味を明らかにする。 イングランドでは市民はフリーメンとほぼ同意語として用いられた。フリーメンとは「自由 人」であることをも意味する。イングランド都市では自由身分である者だけが都市の特権(市民 権)を受けることができた。5 つの都市では、成人男子の 4 分の 1 から半分が市民権をもって いた。市民権はクラフト(ギルド)と徒弟制度を通じて獲得されるのが通例で、市民権とクラフ ト成員権は実質的に同義だった。市民となるには、自ら宣誓して都市の共同体に加わることが必 要だった。現実には都市は有力者と一般市民(庶民)の間の不平等を抱える階層的な社会だった が、宣誓を通じて形成される市民の組織は、支配する者もされる者も平等に含む共同体であっ た。市民は選挙や役職制度などを通じて都市の統治に関わることもできたが、税の負担、夜警へ の参加、区の陪審人を勤めるなどの義務を果たさねばならなかった。支配する側から描かれる都 市像が公共善と調和に満ちた社会であるのに対し、都市社会の現実を解明するために本書が注目 するのは、公式の記録には表れにくい、あるいは意図的に隠蔽されることもある、周縁的出来事 や場である。 例えば空間・境界。これまで公共空間は、儀礼や公開処刑などを通じて統治者が公共性を示現 する場所として捉えられてきたが、著者は区の陪審人を勤めるようなふつうの市民から見た空間 に着目する。13 世紀に国王の権利侵害を意味する公有地侵害という概念が生まれ、それはやが て都市の所有地にも及ぶようになった。都市の「共同の土地」(その中には、市壁外の共同地な ども含まれる)を私的利益のために利用したり囲い込んだりすることは、共同体の価値や市民的 理念に反する行為とみなされ、抗議行動を引き起こした。この問題に対処したのが区の集会と陪 審人だった。 都市の役人を指名する選挙は都市の年間の暦の節目となる行事であったが、同時に市民権、選 挙権をめぐって様々な主張が交わされる機会ともなった。混乱を避けるために都市指導者は選挙 への参加を制限することを望んだが、他方で市民権の誓約は、市民に公的奉仕を引き受けること を通じて統治に関わることを義務として課していた。都市指導層は市長選挙を非政治化し、市民 的儀礼の一つに転換しようと試みた。しかし都市の祝祭的伝統の発明は、著者によれば、都市の 自治の成功の証というよりも、それが危うく不確かなものであったことの証左でもある。 世論もまた都市統治に作用する現実的力だった。近代以前の世論は原理的に地域限定的なもの で、市議会の発言のような公式のものから街路や市場広場での都市役人に関するゴシップや批判 に至るまで多様な形態をとった。クラフト組織も経済や市政の問題について意見が交わされる場 であり、また公式の情報をより広い住民に伝えるチャンネルの一つだったが、都市政府は、それ が破壊的意見を育む潜在力をもつことを恐れてもいた。市議会やクラフト組織では秘密の厳守が 求められ、会議での個々の発言は一般に削除され、意見の相違はまれにしか記録されなかった。 だが他方で、市の条例や布告は、街路や市場などの「公共圏」で読まれ、一般市民に告知される 必要がある。都市政府は市議会での秘密を守るよう統制を加えつつ、法や条例を伝えるための公 開性を担保するという二重の課題に対処せねばならなかった。現実の都市の統治とは、どの情報 は隠し、どの情報は広報するかをめぐる支配層と一般市民の間のコミュニケーションと交渉の過
程だったということになる。 中世末期には都市の統治形態に関する様々なタイプの文書が作成されたが、都市政治の現実を 知る手がかりとして著者が注目するのは、一つは、統治のあり方について、都市指導者のそれと は別の見解があることを暴露するビラの言語、もう一つは、ロンドンの 1319 年の大特許状のよ うな、政治組織について明記した公的文書の文言である。ノリッジでも紛争を避け党派間の和解 を図る、市民による市民のための新体制が英語で成文化され、15 世紀の政治はこれをモデルに 展開されることになる。文書に表された政体は修正されたり補足されたりすることはあったが、 中世末期の都市の政治を動かし、支える力となった。 結論と評価:寡頭化の進行にもかかわらず、位階秩序に組み込まれた市民と連帯で結ばれた市 民という、二つの市民像をめぐる対立は 16 世紀になっても続いていた。こうした都市政治の不 安定さは、大陸の都市と同様に、多様な結び目をもつ都市統治の構造的特性、市民権という概念 の多義性に起因するものだった。宗教改革期のイングランド都市では市民的共和主義の流行が見 られ、ダイナミックな都市文化が形成されたとする見解がある8。しかし著者はイギリス都市の 土着の都市市民権の生き生きとした伝統―つまりはヨーロッパ都市に共通する政治文化―にこそ 注目すべきだ、とする。 本書の最大の貢献は、文書館に眠る記録からこの伝統を丹念に掘り起こした点にある。だがそ の発想や手法は明らかに大陸の都市研究から霊感を受けている9。歴史的背景もあって、市民権 についての関心も研究も大陸の方が一歩先んじている。それらはどの方向を向き、どのような成 果を挙げているのだろうか。 (3)プラック:市民権の世界史 市民権に関する研究として次に紹介するのは、プラック著『国家抜きの市民:ヨーロッパと世 界における都市の市民権』である10。リディの研究とは異なって、巻末の 70 ページにも及ぶ多 様な言語の文献目録から窺われるように、本書は市民、市民権に焦点を当てつつ、近年の実証的 研究の成果を吸収して書かれた比較都市論である11。少なくともヨーロッパ都市に関するかぎ 8 E. g. Philip Withington, “Two renaissances: Urban political culture in post-Reformation England
re-considered”, Historical Journal, 44-1 (2001), pp.239-67.
9 次も参照せよ。C. D. Liddy & J. Haemers, “Popular politics in the late medieval city: York and Bruges”,
English Historical Review, No.533, (2013), pp.771-805.
10 Maarten Prak, Citizens without nations: Urban citizenship in Europe and the World c.1000-1789
(Cam-bridge, 2018), xii+423pp., Bibliography, pp.340-410.
11 著者はユトレヒト大学の社会経済史の教授でこれまで低地地方の都市史やオランダ共和国の歴史など に関する多数の著書・論文を発表してきた。低地地方の中世都市史の現状に関しては、著者との共同研 究も多いマルク・ボーネの次の訳書が参考になる。ブルゴーニュ公国史研究会訳『中世末期ネーデルラ ントの都市社会:近代市民性の史的探究』(八朔社、2013 年);河原温編『中世ヨーロッパの都市と国 家:ブルゴーニュ公国時代のネーデルラント』(山川出版社、2016 年)。河原温「ヨーロッパ中世都市か ら現代へ―ブルッヘ史を事例として」『都市史研究』7 号(2020 年)、70-80 ページ、また主にドイツ都
り、最新の研究にまで目配りした都市史のサーベイともなっており、本書を紹介する理由の一つ もこの点にある。 本書は「市民権の世界」という序論と三部の構成をとっている。第一部は「ヨーロッパ都市の 市民権の諸相」と題され、公式の市民権、および市民権の関わる 4 つの領域として都市の統治 (政治)、ギルド(経済)、福祉と市民共同体(社会:救貧制度、飢饉対策、病院、養老院など)、 市民と民兵(軍事力)の考察に 5 つの章が当てられる。これらは中世から近世にかけてのヨー ロッパ都市で市民が多かれ少なかれ共通に関わった活動領域である。しかしそれには都市ごとの 相違があった。「都市と国家、またはヨーロッパの市民権の多様性」と題する 4 章からなる第二 部は、この問題を扱っている。ここではイタリア都市国家とその市民、都市の連邦からなるオラ ンダ共和国、宗教改革から名誉革命に至るイングランドの市民権、という市民権が独自の成果を 上げた三つのケース、およびそれ以外の大陸ヨーロッパの都市と国家の問題が論じられる。第三 部「ヨーロッパ以外の市民権」の2つの章は、中国と中東の「市民権」と、イギリスとスペイン の植民地となった南北アメリカの市民権の問題が論じられている。以下では、本書の方法的特 徴、およびその成果の要点を、筆者の関心から整理してみよう。 1.方法的特徴 射程:本書の際立った特徴は、その射程の広さである。時間的には中世都市の成立期から近 世、さらに 19 世紀まで含まれる。中世都市に発した「市民意識の源流」がどの時代、どの地域 にまで達するかを探る試みと言い換えてもよいかもしれない。ヨーロッパの都市に関する叙述が 大半を占めるが、比較はアジア(中国と中東)および新大陸にまで及ぶ。非ヨーロッパ世界との 比較はウェーバーの主要テーマであったが、本書が都市研究の現在の成果にたってその妥当性を 再検討する試みであるとも著者は明言している。 公式の市民権と実践的市民権:こうした比較を可能にするために、法制的な身分範疇としての 「公式の市民権(formal citizenship)」だけでなく、それに加えてより弾力的な「実践的市民権、 市民権の実践(citizenship practice)」という定義が採用される12。法的な市民権をもつかどう かに関わりなく、都市の構成員や住人が都市の政治や社会の領域で現実に果たしている役割や機 能に注目することになる。こうした広い意味での「市民権」は、非西欧世界の都市の「市民」を 探求するためには不可欠の定義であるが、ヨーロッパの都市の場合でも公式の市民権をもたない 人々の果たした役割にも目を向けることであり、都市をボトムアップの視角から捉える見方にも 通じる。 都市的共和主義:広い層の「市民」が都市政治の意思決定に関与したり、選挙を通じて都市の 統治者を選択したり、代表を市の統治機構に送ったり、都市の役職を輪番で勤めたりする都市統 治のあり方を、著者は「都市的共和主義」と呼ぶ13。鍵は「参加」という概念である14。ギルド 市について、田中俊之「西欧中世都市研究の動向に関する一考察」『北陸史学』48(1999 年)、1-19 ページも参照せよ。
12 Prak, Citizens without nations, pp.5-8, 27-38, 249-50, 270-71.
や教区、近隣団体などの市民組織を通じて、団体的形態の代表を市政府に送ることが最も一般的 な方法だった。制度的経路の他にも、市民の集会での協議、あるいは市当局への請願などの方法 があり、最終的には暴動に訴えられることもあった。古典的共和主義思想とは異なって、この共 和主義は体系的な政治哲学も代表的な著作ももたない「草の根のイデオロギー」だった15。こう したイデオロギーは 14 世紀から 18 世紀に至るまで、ヨーロッパの市民の間に多かれ少なかれ 広く共有されていた、というのが著者の主張である。 比較の領域:前近代都市が市民にどの程度、いかに公的生活に関わり、都市共同体の発展に貢 献できる機会を提供したかをテストするために、4 つの領域ないし指標が明示されているのも本 書の方法的特徴である。これらは市民制度の成功あるいは社会の「質」を図るための尺度であ り、ヨーロッパだけでなく、新大陸やアジアの都市についても適用される。 社会科学的・統計的方法:本書のもう一つの特徴は、社会科学的アプローチと数量的データに 依拠した研究であることである。本書には「ヨーロッパ 17 か国における 1500 年と 1700 年の 都市代表制度」、「ヨーロッパ都市の親方世帯の比率、1500-1800 年」などの統計表が多数掲載 されている。人口数や市民数の推定値を含め、ヨーロッパでは中・近世都市に関する統計的比較 研究が進められており、そのいくつかには著者自身も関わっている16。本書の議論はそれらの成 果を取り入れながら展開されており、その意味で、本書には都市と市民の数量史とでも呼びうる Schilling, Religion, political culture and the emergence of early modern society (Leiden,1992), chap.1, pp.3-59. 共和政の様々なあり方については、小倉欣一編『近世ヨーロッパの東と西:共和政の理念と現実』 (2004 年、山川出版社)所収の諸論文を参照。なお、「市民共和主義」の市民権には自由主義的市民権と
対比した別の捉え方もある。cf. D. ヒーター著:田中俊郎・関根政美訳『市民権とは何か』(岩波書店、 2012 年)、第 2 章。役職の問題については、イギリスとの比較も検討したオランダに関する次の文献が 有益である。Jan Hartman, Jaap Nieuwstraten, & Michel Reinders(eds.), Public offices, personal demands: capability in governance in the seventeenth-century Dutch Republic (Newcastle upon Tyne, 2009). イギリス については、Mark Goldie, “The unacknowledged republic: Office holding in early modern England”, in Tim Harris (ed.), The politics of the excluded, c.1500-1850 (Basingstoke, 2001), pp.153-94. 中野忠「商人の 「共和国」:近世ロンドンの役職と役職忌避」『比較都市史研究』30-1(2011 年), 45-61 ページも参照せ
よ。
14 政治参加の意義について、例えば統計分析に依拠した次の論文を参照せよ。Fabian Wahl, “Political
participation and economic development. Evidence from the rise of participative political institutions in the late German Lands”, European Review of Economic History, 23 (2018), pp.193-213.
15 中世末期の都市政治における市民参加についての最新成果として、Ben Eersels & Jelle Haemers
(eds.), Words and deeds: Shaping urban politics from below in late medieval Europe (Turnhout: Belgium, 2020). 北欧、低地地方、スペインなどの都市の事例研究からなる本書でも、程度の差はあれ、市民の参 加と都市政府に共同善への奉仕を求める共通のイデオロギーが見られたことを論じている。
16 統計的・計量的分析の一例として、都市の重心がイスラム世界からヨーロッパに移った長期的要因の
一つを、都市間の連携を可能にした都市の参加型の統治形態に求めた次の論文も参照せよ。Maarten Bosker, Eltjo Buringh, & Jan Luiten van Zanden, “From Baghdad to London: Unraveling urban develop-ment in Europe, The Middle East, and North Africa, 800-1800”, The Review of Economics and Statistics, 95-4 (2013), pp.1418- 37.
特徴がある。 2.成果 本書は何を明らかにしたのだろうか。 市民の数と広がり:第一に、ヨーロッパの都市の「市民」の数は従来考えられてきたよりも ずっと多いことを統計的に論証したことである。正式の市民権をもつものに限っても、北西部 ヨーロッパの 85 都市の観察例でいえば、70 の都市で世帯主の少なくとも 40 %以上が市民権を もっていた。賃金で暮らす労働者は通常市民権をもたなかったが、大半の都市では市民はかなら ずしも特別な存在、特権的少数者であることを意味しなかった17。 市民と市民権の多様性:ウェーバーの理念型とは異なって、ヨーロッパの市民のあり方は多様 であったことも強調される。市民権の認可の仕方や資格、購入の費用、さらに市民権そのものの 意義は国によって地域によって異なり、イギリスはヨーロッパ全体でみるとむしろ例外だった。 市民は公正な裁判を受け役職を担当する資格が与えられる代わりに一定額の家を持ち居住を条件 付けられるシエーナのような例もあれば、スペインでは都市と農村に特別の区別はなく、小さな 集落でも都市の特権を付与され、市民の男子にはほぼ自動的に市民権が認められた。フランスの 場合、多くの都市では市民と他の住民との間に確たる区別はなく、市民身分を獲得するための公 式な手続きも発展しなかった。 ギルドの役割:ギルドは様々な役割を担っていたが、その経済的意義に関しては、近年、ギル ドがレント・シーキングな組織で経済成長に足枷となったとする見解と、情報の伝達、契約の強 制、取引費用の低下、品質維持と熟練の養成などを通じて積極的な役割を果たしたとする修正主 義的見解との対立がある18。著者はギルドの弊害の一つとされてきた独占の問題を検証する。 ヨーロッパの 26 の都市のデータを集めた分析によれば、ギルドへの参入に対する社会的・地理 的背景の違いによる制限は緩く、幅広い人々にとって利用可能な組織だった。移入民に対して、 17 最新の成果として、1550-1849 年の北ヨーロッパの 35 都市について、市民数、人口に占める市民
の比率、その時期ごとの変化などを推計した次の論文を参照せよ。Chris Minns, Clare H. Crowston, Raoul De Kerf, Bert De Munck, Marcel J. Hoogenboom, Christopher M. Kissane, Maarten Prak, & Patrick H. Wallis, “The extent of citizenship in pre-industrial England, Germany, and the Low Countries”, Europe-an Review of Economic History, 24-3 (2020), pp.601-25. 世帯主ではなく人口全体でみれば、1600 ~ 1750 年のイギリスやドイツの都市の例では 10 ~ 25 %だった。市民登録簿などから市民の総数を推定 する方程式については、pp.608-9. 18 この論争については、唐澤達之「ヨーロッパ・ギルド史研究の一動向―オーグルヴィとエプスタイン の論争を中心に―」『産業研究』(高崎経済大学)45-2(2010 年), 72-86 ページ;米山秀「エクセタ縮 絨工ギルドの衰退のメカニズム―最近の二つの論争との関連で―」『比較都市史研究』37- 1・2 号(2018 年), 1-47 ページなどを参照せよ。徒弟制度の意義を積極的に評価する研究として、マドリッド、トリ ノ、低地地方、フィンランド、イングランド、フランスなどの徒弟制度の実態を明らかにした次の論文 集 が あ る。Maarten Prak & Patrick Wallis (eds.), Apprenticeship in early modern Europe (Cambridge, 2019). 否定的な見解の総まとめとして、Sheilagh Ogilvie, The European guilds: an economic analysis (New Jersey, 2019) も同年に刊行された。
都市やギルドが排他的な政策をとったとする統計的証拠も乏しい。著者は、ギルドの最も重要な 意義は熟練労働力を訓練する枠組みを提供したことにあるとして、修正主義の立場を支持してい る。 市民と軍事力:比較の 4 つの領域のうち、本書のユニークな点は、市民の軍事的機能に光を 当てたことである。軍事革命論や軍事財政国家論の影響のもとで、この問題は比較的等閑視され てきた。しかし職業戦士は中世から存在したし、民兵組織は近世でもイギリスやスイスでは軍事 力の一つだった。常備軍が国内における抑圧機構になるのではないかとの警戒心は、17 世紀イ ギリスでも 18 世紀のオランダでも民兵を支持する理由の一つとなった。民兵は新大陸でも重要 な役割を担ったが、南のスペイン領では、白人以外の現地の住民も組み込まれ、彼らに市民権を 付与する重要な要素となった。北では独立革命の初期に果たした民兵の大きな役割は、18 世紀 中ごろには有給の志願兵に委ねられることになった。アジアの世界では民兵の組織が広がってい た証拠はない。それは素人の戦士からなる民兵では対応できないほどの大反乱の時期を除いて、 アジアでは相対的に長い平和の時代が続いたこととも関連があった、とも著者は示唆する。 都市と国家―調整機構:都市と国家の関係も重要な論点である。ポイントは、都市と都市、都 市と国家の間の利害を効果的に調整する機構が存在するか否かである。イングランドがイタリア やオランダと異なっていたのは、例外的に強固な議会をもっていたことだった。特に名誉革命以 後、王権は都市への直接的干渉は控えるようになる。下院に占める都市は全議席の四分の三を占 め、議員の多くは都市のフリーメンにより選ばれた。イギリスの経済的成功の背景には、都市の 利害、市民権をより効果的に国家の政策に反映させることのできる代表制があった。国家が市民 の共同体に埋め込まれていたのであり、そのあり方に 18、19 世紀のイングランドの成功の一因 があったとされる。 新大陸の市民と市民権:市民権が「輸出」された新大陸植民地の北と南のコントラストも本書 の重要なテーマである。母国の市民権の違い、植民地政策の相違、現地の住民の密度や都市化の 伝統の有無、天然資源の存在、エスニシティへの対応の相違など、南北の違いを説明する要因は 多いが、興味深いのは市民権から見た南北の対比の見直しである。北と南は経済的に成功した地 域と停滞した地域として対比され、一般にその違いは両地域の構造的で長期的な要因に起因する ものだったとされる。しかし南では市民権は北アメリカよりも包摂的で様々なエスニック集団に も開かれており、独立戦争期に北アメリカの指導者が求めた市民権制度は、南ではすでに現実の ものとなっていた。南北が異なった道筋を歩み始めるのは、1800 年頃からの南の脱植民地化が 進行する過程を通じてであり、それ以前には南も経済的発展への道を辿りつつあったと考えられ る。 アジアの「市民」:ウェーバーを引用するまでもなく、ヨーロッパで見られるような公式の市 民権はアジアの地域にはなかった。だが実践的市民権という定義からすれば、同等な市民の組織 は存在し、公共財、クラブ財として地域の社会と経済を支えていた。確かに都市の自治特権や都 市的共和主義のような統治形態は存在しなかったし、都市の意志を中央に伝える市民の代表制度 もなかったが、同業者や同郷者の連帯組織や地域の団体が、経済活動の支援や福祉の領域で幅広 い役割を担っていた。こうした見方には、アジアの帝国を抑圧的体制の代表例と見てきた歴史観 を修正する最近の研究動向が反映されている。中国もトルコもヨーロッパよりもはるかに大きな
帝国を治めるためには距離の問題を克服せねばならなかった。したがって、政治の中心地の基本 的要求を受け入れるかぎり、都市や地域、地方の権力に相当程度の行動の自由が認められてお り、都市住民が実践的市民として活動する余地は十分あった、と著者は結論する。 フランス革命の位置づけ:市民権の歴史的転機となったのはフランス革命だとする「伝統的政 治史のナラティブ」についても著者は再考を促す。ヨーロッパ各国の 1820-99 年の人口に占め る成人男子の有権者の比率を比較して、それが多くの国で 10 %以上になるのは 1870 年代以降 だったと指摘する。フランス革命以前に多くの市民が都市の公的行政に様々な経路を通じて参加 してきたことを考えれば、この数値はけっして進歩を示すものとはいえない。福祉に関しても、 18 世紀中ごろからの 1 世紀には、国民一人当たりの社会保障費の支出額は顕著に減少した19。 近代的市民権が現実的成果をあげるのは 19 世紀後半を待たねばならなかった。 (4)まとめ 本稿で紹介した市民と市民権を扱う二つの著書は、方法も対象も大きく異なっている。しかし 二著から共通して得られる知見もある。一つは、ヨーロッパ中世・近世都市では従来考えられて いた以上に市民と市民権が広がりをもっていたこと、さらにこれらふつうの市民が都市統治に関 与しうる多様な政治的社会的回路があったことである。近代的意味での参政権とは異なっていた が、前近代の都市の市民はかならずしも「特権者の民主主義」(H. ピレンヌ)とは限定できない 都市統治の現実を共有していたのである。もう一つは、比較の重要性である。とりわけプラック の著書は、既存の比較史的研究が土台になっており、市民や市民権のレンズを通して鳥瞰すると き、経済や国家に焦点を絞った歴史とは異なった風景が見えてくることを立証する研究となって いる。 だがそのカバーする範囲の広さの故に、プラックの研究に対しては様々な方向、専門家からの 疑問や批判が予想される。すでに『国際社会史雑誌』の最近号には本書に関する合評会が掲載さ れている20。3 人の寄稿者はいずれも本書の意義を高く評価しつつも、リンチはジェンダーの視 点、救貧法の意義などの検討の必要性を説き、ゴールドストーンは 19 世紀にイギリスがそれま で越えられることのなかった一人当たり GDP の限界を突破できたのは、市民権制度そのものと いうより、名誉革命以後の自由、それに支えられた商業的・科学的文化にあったとする。中国史 から見たウォンの評価は厳しく、科挙の制度や地方エリートの社会観などに触れながら、政治の 原理も秩序の概念も根本的に異なる地域を比較するには、より「中立的な」用語が必要であると も指摘する。中立的なモデルが可能かどうかは別にして、プラックの比較のスキームが西欧中心 的だとの批判が(本書では取り上げられなかった日本やインドを含め)非西欧の都市史研究者か ら寄せられるのは避けがたいだろう。しかしそれは著者の歓迎するところでもあるかもしれな
19 福祉に対する支出に関しては、Bas Van Bavel & Auke Rijpma, “How important were formalized
chari-ty and social spending before the rise of the welfare state? A long-run analysis of selected western Euro-pean cases,1400-1850”, Economic History Review, 69-1 (2016), pp.159-87.
20 International Review of Social History, 65 (2020), pp.99-142. K. A. Lynch, J. A. Goldston, R. Bin Wong
い。今後の修正や補足はもちろん必要だとしても、プラックの著書が個々の都市史研究と研究者 がその位置を確認すべき海図の一つとなるであろうことは疑いない。 市民権制度と経済発展の関係についてのゴールドストーンのコメントは、著書の意図からする と、ややずれているところがある。本書の意図は、GDP で計れるような経済的成果よりむしろ、 より広い「社会の質」と市民権制度との関係を明らかにすることにあったからである。とはいえ 都市の比較経済史は市民権以外の方向からも進みつつあることも指摘しておかねばならない。か つて産業資本主義や経済的革新の起源は、プロト工業化論を含め、農村に求められた。しかしこ の四半世紀、中世から近世にかけての技術革新の拠点として焦点が当てられているのは都市であ る。この都市の創造力をめぐる議論のなかで、市民権やギルドをどのように位置づけるべきかを 検証することは、今後の課題の一つであろう21。 二人の著者が詳しくは触れなかったもう一つの重要な論点がある。ヨーロッパ中世都市の歴史 に、その誕生の時点から織り込まれていた「自由」の問題である。アセモグルとロビンソンに戻 れば、二人は 2019 年に新著を出版した22。前作と同様、世界史と現代世界の事例を駆使しなが ら論じるテーマは、今回は「自由」である。強すぎる抑圧的な国家でも、伝統的規範や慣習の檻 に縛られた国家のない社会でも、自由は育たない。自由が繁栄するのは強い国家とそれを制御す る能力のある社会の力が均衡している場合(「足枷のリヴァイアサン」と呼ばれる)だけであ る。しかしこの均衡は崩れやすい。自由が確保され維持されるためには有能な国家とそれを社会 が絶えずチェックするプロセスが必要である。二人はその機構が生まれ、時には蹉跌する歴史的 事例を丹念に探っていく。では「社会」とは何を意味するだろうか。歴史的に辿れば、この「社 会」は市民と市民権の世界と重なるところが少なくない。とすれば、プラックの著書は自由に関 する歴史の一つの特別版として読むこともできるのではないだろうか。 (本稿は科学研究費補助金(基盤 C)課題番号 19K02791 による研究の一部である) 21 代表的研究としてイタリアと低地地方の都市の様々な事例について検討した次の論文集を参照せよ。
Karel Davids & Bert De Munck, Innovation and creativity in late medieval and early modern European cities (Farnham: Surrey, 2014), esp., pp.4-12. また最近の産業革命論として、R. C. アレン著 / 眞嶋史叙(ほか)
訳『世界史のなかの産業革命』(名古屋大学出版会、2017 年)。
22 ダロン・アセモグル、ジェイムズ A. ロビンソン著 / 稲葉振一郎(ほか)訳『自由の命運:国家、社