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不安の文脈 : ジョン・ダンの"A Valediction: forbidding mourning"における比喩の一貫性について

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Academic year: 2021

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(1)Title. 不安の文脈 : ジョン・ダンの"A Valediction: forbidding mourning"に おける比喩の一貫性について. Author(s). 本堂, 知彦. Citation. 北海道教育大学紀要. 人文科学・社会科学編, 66(1): 111-19. Issue Date. 2015-08. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/7840. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) 北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)第66巻 第1号 Journal of Hokkaido University of Education(Humanities and Social Sciences)Vol. 66, No.1. 平 成 27 年 8 月 August, 2015. 不安の文脈 ジョン・ダンの“A Valediction: forbidding mourning”における 比喩の一貫性について. 本 堂 知 彦 北海道教育大学札幌校英米文学研究室. Context of Anxiety On the Consistency of Metaphors in “A Valediction: forbidding mourning” by John Donne. HONDO Tomohiko Department of Education, Sapporo Campus, Hokkaido University of Education, English Literature. 概 要 ジョン・ダンの諸作品を特徴づける独創的な比喩については,詩の構造を組み上げ,議論を 展開する機能に関して多くが語られてきた。このような構造主義的な(さらに古くはニュー・ クリティシズム的な)観点に対抗して,トーマス・ドカティはルネッサンス末期という時代背 景のなかでの,作者ダンの心理に踏み込もうとした。だが,その後ドカティを痛烈に批判する 研究が現れるなど,その研究の評価は必ずしも肯定的に捉えられていない面もある。 本稿では,近代的世界観に大きく転換するこの時代に生きた知識人の心理を「不安の文脈」 と規定し,ドカティの理論を再検討するとともに,そこから得られた視点により,作品が従来 とは違った意味でより精緻に組み上げられていることを論証する。. 111.

(3) 本 堂 知 彦. A Valediction: forbidding mourning As virtuous men pass mildly away, And whisper to their souls to go, Whilst some of their sad friends do say, “Now his breath goes,” and some say, “No.” So let us melt, and make no noise, No tear-floods, nor sigh-tempests move ; ’Twere profanation of our joys To tell the laity our love. Moving of th’ earth brings harms and fears ; Men reckon what it did, and meant ; But trepidation of the spheres, Though greater far, is innocent. Dull sublunary lovers’ love ―Whose soul is sense―cannot admit Of absence, ’cause it doth remove The thing which elemented it. But we by a love so much refined, That ourselves know not what it is, Inter-assured of the mind, Care less, eyes, lips and hands to miss. Our two souls therefore, which are one, Though I must go, endure not yet A breach, but an expansion, Like gold to airy thinness beat. If they be two, they are two so As stiff twin compasses are two ; Thy soul, the fix’d foot, makes no show To move, but doth, if th’ other do. And though it in the centre sit, Yet, when the other far doth roam, It leans, and hearkens after it, And grows erect, as that comes home. Such wilt thou be to me, who must, Like th’ other foot, obliquely run ; Thy firmness makes my circle just, And makes me end where I begun.. 112.

(4) 不安の文脈. Ⅰ コロンブスによる新大陸発見から80年,ヘンリー8世による国王至上法(Act of Supremacy)の制定か ら40年,コペルニクスが著した『天体の回転について(De revolutionibus orbium coelestium)』の出版から 30年。キリスト教世界の人々の世界観,ひいては精神構造を根底から揺るがす事件が相次いで起こり,ヨー ロッパが近代へと大きく方向転換を始めた時代にジョン・ダンは生まれた。 新大陸発見により大航海時代はさらに加熱し,聖書に書かれた小さな世界はもはや権威を失い,代わりに それまで知られていなかった広大な地球がその全容を明らかにしつつあった。ヘンリー8世の離婚問題に端 を発する英国のカトリック陣営からの離脱は,カトリックに殉じたトマス・モアの家系に連なるダンに対し て,人生の折々に抗い難い力として負荷をかけてくることになる。また,コペルニクスによって提起され, ガリレオによって検証された地動説は,キリスト教会から弾圧を受けながらも,新しい時代の宇宙観として 当時の知識人たちの間に急速に浸透しつつあった。これによって,地球はもはや宇宙の中心ではなく,その 外縁を回る惑星の一つという地位に甘んじることになる。これらはいずれも価値の転換や優劣の逆転を意味 するものであり,ダンの生きた時代は人間存在の基盤そのものが大きく揺らいだ時代でもあった。 そしてダンの個人的生活のレベルにおいても,弟がカトリック信者をかくまったことにより投獄され,そ のまま獄中で病死するという経験をするが,これもヘンリー8世による国王至上法以後の宗教的混乱の時代 がもたらした悲劇であった。本来なら誇りにすべきカトリックの名門という血筋が,反カトリックの時流の なかでその家系に災いをもたらしたのである。また,当時ダンが秘書として仕えていた国璽尚書トマス・エ ジャトンの姪であるアン・モアと結婚したことが原因となった裁判沙汰は,ダンにとって生涯最大の災厄で あったというべきだろう。アンの保護者の反対を押し切って,その承認が得られぬまま内密に進めた結婚に より,ダンは投獄の憂き目を見ることになり,官界での栄達の道は事実上閉ざされてしまう。これもまた, ダンにとって上昇を約束するかに思われたエジャトンが転落を突きつける存在に変わる,という価値の逆転 と見ることができる。 このような生涯を送ったダンにしてみれば,彼が生きた時代はまさに不安の時代そのものであった。そし てこれはダン個人に限ったことではなく,当時の英国人のすべてが多かれ少なかれ感じていたことでもあっ ただろう。スペインの無敵艦隊撃破に浮き立ち,後の大英帝国への階段を上り始めたこの時代のイギリスで, 知識人の中にメランコリーを装うことが流行したのも,理由の無いことではなかったのである。ジョン・ダ ウランドの音楽を覆う憂愁や,ハムレットを悩ませたメランコリーも,みなこの時代を背景として生み出さ れたものであった。 ジョン・ダンの詩もまた,このような時代の産物として読まれなければならない。この時代の,不安の文 脈とでも呼ぶべき枠組みの中に置き,ダンの詩を解釈し直したのが1986年のトマス・ドカティによる著作(1) であった。奇しくも同年に,アーサー・マロッティ(2)も,ドカティほど先鋭にではないが,文芸愛好サー クルという閉鎖社会にダンを置いて,その排他的言語からダンのメッセージを解読しようと試みているのは 興味深い事実だ。話をドカティに戻すと,彼はここで「ヨーロッパの後期ルネッサンスという特定の歴史的 な時期に作品を著した,書き手としてとしてのダンに関して問題とされねばならないことに対しては,ほと んど注意が向けられてこなかった。(3)」として作者であるダン自身の心理に目を向け,その作品のなかに不 安と,不安であるがゆえにそこから癒されたいというメッセージを読み取っている。 たとえば“The good-morrow”には次のような一節がある。 And now good-morrow to our waking souls,. 113.

(5) 本 堂 知 彦. Which watch not one another out of fear; For love, all love of other sights controls, And makes one little room, an everywhere. ここでの‘watch not one another out of fear’という,一見何の問題もないように思われる箇所に,ドカティ は重大な曖昧さを読み取っている(4)。これを「互いを,恐れや嫉妬の目で見たりはしない。」とするのが, 従来の普通の解釈である。すなわち not は out of fear を否定するのであって,恋人たちは互いに見つめ合 うのである。ところがドカティは,not は watch を否定する可能性もある,と主張する。するとこの箇所 は「恐れや嫉妬のために,互いを見ることができない。」と解釈される。すなわち「次に恋人を見るときには, 相手はすでに以前見たときの存在ではなくなっているのではないか」,という恐れが,愛し合う男女につき まとうのである。これもまたコペルニクスの地動説がもたらした「永遠に不変のものは存在しない。」とい う帰結がもたらす不安なのである。 この「天動説から地動説へ」すなわち,地球が中心に位置しその周囲を他の天体が回っているという宇宙 観から,地球もまた中心にある太陽の周囲を回る惑星の一つに過ぎないという宇宙観への転換を中心に据え て書かれたのが“The Sun Rising”である。この作品では,宇宙の中心にあって動かない存在であると考え られてきた地球と,新しい学説によって宇宙の中心に置き換えられた太陽との主従関係の転倒と,その和解 の模索が軸となって展開する。このなかの次の一節は,ドカティ自身は触れていないが“The goodmorrow”と同様の解釈が可能であろう。 Thy beams so reverend, and strong Why shouldst thou think? I could eclipse and cloud them with a wink, But that I would not lose her sight so long. 後半の2行は「そんなにも長い間,彼女の姿を見失っていたくないという私の気持ちがなければ,ちょっと 目をつぶるだけでおまえ(太陽)を覆い隠したり,曇らせてしまうことだってできるのだ。」という一節の 解釈を,従来なら地動説によって逆転した太陽と地球の力関係という文脈の中で,古い価値観に戻したい語 り手のジレンマ,と捉えてきた。すなわち,新しい価値体系の中での上位者である太陽に向かってその優位 性を否定しようとするのだが,否定する行為によって失うものが最も大きいのは語り手本人であり,太陽そ のものには何の変化もないのである。つまり語り手は目をつぶって太陽の光を遮ることができないのだ。 ところがドカティの解釈を当てはめると,語り手が目をつぶることができないのは,ただ恋人の姿を見失 いたくないのではなく,目をつぶってしまうと,次に目を開いたときには恋人は以前の恋人ではない,ある いは恋人はもうそこにはいないということになるのを恐れているのだ。だからこそ,恋人を見ずにいる時間 をso longと言っているのである。ここもまたシェイクスピアが As You Like It で展開してみせたような時 間の相対性への言及と考える従来の解釈とは異なる文脈,すなわち不安の文脈と呼べるものの存在が読み取 れるのである。 このように,ドカティはダンの詩の解釈の歴史に新たな局面を開いてみせたと言っていい。ところがこの ドカティによる“A Valediction: forbidding mourning”の解釈について真っ向から反論している研究者が いる。2013年に出た Donne Sex and God のなかで,ジョン・ホイルズはドカティの解釈について「これが (5) 」と口を極めて貶めている。 文学評論だなどと,いったい誰が本気で信じるだろう。. 114.

(6) 不安の文脈. ではそのドカティによる“A Valediction: forbidding mourning”の解釈とはいかなるものなのか。「不安 の文脈」をキーワードにそれを検証してみたい。. Ⅱ “A Valediction: forbidding mourning”は,旅立とうとしている男が,恋人である女に向かって「別れ はけっして二人が離ればなれになることを意味しない。肉体的には離れていても,二人は切り離されてしま うのではなく,一つに繋がっているのだ。」ということを言って説得する。 まずこの作品で用いられている比喩について,従来の解釈に従って整理してみたい。9連からなるこの詩 で用いられている比喩は4種類。まず冒頭2連における,高貴な人物の死の瞬間に関する比喩。これを第1 の比喩とする。次いで第3連と第4連で用いられている,遠い天体における天変地異と,この地球上におけ る天変地異に関する比喩。これを第2の比喩とする。次は第5連と第6連で用いられている,ごく薄く延ば された金箔の比喩。これを第3の比喩とする。そして最後が締めくくりの3つの連で用いられているコンパ スの比喩である。これを第4の比喩とする。 これら4つの比喩は互いに無関係なのではなく,それぞれが互いに関連し合うよう,巧妙に配列されてい るのである。第1の比喩は,魂と肉体の分離である。死に際して,一人の人間の存在が,魂と肉体という二 つの存在に分離するのである。ここでは単一の存在が二つに分離するということから,単数と複数という概 念が浮かび上がる。第2の比喩は少し複雑である。これは遠い天体で起こる天変地異と,われわれが住む地 球における天変地異の比較であるが,これは遠い天体で起こる大激変よりも,すぐ近くで起こる些細な変動 の方に人々は恐れをなす,ということを言っているのであり,明らかに第1の比喩とは異なる。この第2の 比喩はむしろ第4連の Dull sublunary lovers’ love / ―Whose soul is sense― を引き出すために機能してい ると言うべきであろう。彼方の天体の激変は地上では知覚されない。ところが近くで起こる小さな変化は感 じ取ることができるために大騒ぎとなる。このように,洗練されきっていない人間は感覚に縛られているの である。この洗練あるいは精錬が次に来る第3の比喩を引き出す。すなわち薄く延ばされた金箔の比喩であ る。純金の泊は思いもよらぬ大きさにまで薄く延ばされるが,それと同じように洗練された恋人同士は,感 覚的な肉体の愛を超越して,たとえ遠く離れても,限りなく広がる金箔のように一つに繋がった状態なので ある。ここで比喩は再び単数と複数という概念に戻る。そして第4の比喩では,この単数と複数という概念 が,製図用のコンパスの比喩を用いて,さらに詳細に追求される。 以上のように,この作品の通常の解釈においては,単数対複数という概念で作品全体を一貫することによ り,たとえ肉体は別れても,精神的には一つなのだという,多分に観念的な恋愛が讃えられることになる。 つぎにこの作品に関するドカティの解釈を検討してみたい。ドカティが論じているのは第2の比喩からで ある。これについて,われわれは再びコペルニクスの地動説による宇宙観の転換を思い出さなければならな い。しかも, Moving of th’ earth brings harms and fears ; Men reckon what it did, and meant ; But trepidation of the spheres, Though greater far, is innocent.. 115.

(7) 本 堂 知 彦. とあるように,はるか彼方のごく小さく見える天体も,じつは地球よりもはるかに大きいということを,語 り手は知っているのである。このことからも,根底に横たわっているのがコペルニクス以後の宇宙観である といって間違いないのである。地球はもはや宇宙の中心ではない。このような見方をすれば,この比喩にあ るのは従来の単数対複数という概念ではなく,中心から外縁への追放,あるいは逆方向の外縁から中心への 移行なのである。そしてそれは,価値や地位は不確実なものであり,けっして変化しないわけではない,と いう思想に通じることになる。 では第3の比喩はどうだろうか。ここでは,比喩として用いられている金箔の特質が問題とされる。たし かに金箔は,純度が高ければ原子レベルで考えることが可能になるほど薄く,そして大きく打ち延ばすこと ができる。しかし同時に,そのように薄く延ばされた金箔は,きわめて脆いものでもある。ごくわずかの風 が吹いただけでもそれは大きく翻り,またごく軽く触れただけでもそれは簡単に破れてしまう。このように, ここでもやはり存在している概念は単数対複数ではなく,男女の繋がりの脆さ,危うさなのである。そして これは第2の比喩における価値や地位の不確実性と一致することになる。 そして問題の第4の比喩,すなわちコンパスの比喩である。ここでドカティ自身の言葉を引用してみたい。 批評はこの作品を,wandering outside つまり男の文字通りの放蕩に直面した際の女性の貞節を讃 えたもの,と解釈してきた。そう解釈すると,これは異性間の関係における男性の優位性に捧げら れた讃歌ということになる。しかしこの読みは矛盾と難点だらけだ。まずは,一見静止しているか に見える中心軸(女性)は,実は全く静止してなどいないのである,と指摘することから読み直し を始めるのがいいかもしれない。固定された方の脚は,それ自身では動く素振りを見せず,動きた いという意志も示さない。ところが書いてあるところによると,もう一方の脚が動くと,この固定 された脚も何のためらいもなく動くのである。地球の動きについての(第3)連ですでに述べられ たように,中心は動くのである。言うまでもなくその動きは,中心を外縁へと押しやる動きである。 それと同じ動きがここ(コンパスの比喩)でも起ころうとしているのだろうか。もしそうなら,中 心と外縁は混乱し,一方を男性に割り当て,もう一方を「安定して」,「動かない」女性に割り当て (6) ることが,不可能ではないにしても困難になる。. このドカティの解釈は,遠い天体と地球における天変地異の比喩と有機的に関連づけられており,非常に説 得力が大きい。たしかに,付随して述べられている「(開いたコンパスの2本の脚は)セックスにおいて開 かれ,相手の体に巻き付けられた脚のことかもしれない。」や「もしこの詩が終始男性によって語られるの だとしたら,この詩の性的な示唆は,両者の関係がホモセクシャルであることを明らかにし始める。」とい う見解(7)は,ホイルズの言うとおり曲解であると言えるかもしれない。だが,end, where I begunne を「女 性器の中で果てる」と読む(8)のは,むしろ当然のことと言えよう。セオドア・レッドパスも,この詩の最 後の8行, And though it in the centre sit, Yet, when the other far doth roam, It leans, and hearkens after it, And grows erect, as that comes home. Such wilt thou be to me, who must,. 116.

(8) 不安の文脈. Like th’ other foot, obliquely run ; Thy firmness makes my circle just, And makes me end where I begun. を取り上げて,様々な解釈の可能性を示しているが,とくに And grows erect, as that comes home は,円 を描き終えて,開いたコンパスを閉じる行為を,And makes me end where I begun. は,描線の始点と終 点が,全くずれることなくぴたりと一致し,完全な円が描けたことを示す,としながらも「言葉に対する意 識が鋭敏だったダンは,32行目(And grows erect, as that comes home)を書く際に,erect に男性器に関 して使われる勃起の意味を感じ取っていなかったということはないだろう。」と述べている(9)。ホイルズは この箇所のレッドパスに対しても食って掛かっているが(10),この部分に関する限りはレッドパスは擁護さ れて然るべきであろう。何と言ってもわれわれが読んでいるのはジョージ・ハーバートではなく,ジョン・ ダンの詩なのだから。そして,さらに重要なことだが,このような解釈は“The Sunne Rising”のような 他の詩にも広く見られるコペルニクス以後の宇宙観が与える不安感とも一致するのである。サミュエル・ ジョンソンの古典的な見解を挙げて反論するホイルズは,残念ながらそこのところを見逃しているように思 われる(11)。 では,ドカティが触れなかった第1の比喩はどうだろうか。 As virtuous men pass mildly away, And whisper to their souls to go, Whilst some of their sad friends do say, “Now his breath goes,” and some say, “No.” So let us melt, and make no noise, No tear-floods, nor sigh-tempests move ; ’Twere profanation of our joys To tell the laity our love. ここで使用されている比喩は,実は一つではない。前半が4行が,高貴な人物の臨終の場面の比喩であるの に対して, 後半4行はイタリア・ルネッサンス,とくにペトラルカ以降の恋愛詩で繰り返し用いられてきた, 涙の洪水とため息の嵐というステレオタイプに関する比喩なのである。まず前半であるが,ここでイメージ しなくてはならない高貴な人物とはいかなる人物であるのか。それはけっして社会的身分のことを言ってい るのではない。社会的に地位の高い人物の葬儀なら,逆に大がかりで目立つものになるはずだ。したがって ここでの virtuous はむしろ精神的気高さを示していると考えた方がよさそうだ。そして社会的にはむしろ 目立たないようにして生きた人物が念頭に浮かぶ。さらにここでの virtuous は,後半部の profanation や laity という語が示しているように,多分に宗教的な含意を感じさせる。加えて,騒ぎを起こすことなく, 声を押し殺し,物音を立てずにいることを旨とした人物。そう考えると,これは当時迫害の対象となってい たカトリックの人々とは考えられないだろうか。先に述べたように,ダンの弟はカトリックの信者をかくまっ たことにより投獄され獄死している。カトリックの信者は,密告やスパイによって捕らえられたり処刑され たりしたのである。そのような背景に置くと,この比喩もまた不安の文脈に,それも見事に,当てはまるの である。そのうえ,後半部のほとんど宗教的な高みにまで持ち上げられた恋愛のイメージともぴたりと一致. 117.

(9) 本 堂 知 彦. する。 “A Valediction: forbidding mourning”の比喩を語る際に,ほとんどの批評家が触れなかった,という よりむしろ有名なコンパスの比喩の陰に隠れて見過ごされがちであったこの第1の比喩も,従来のような解 釈によるのではなく,ドカティのような文脈理解においてこそその価値を知ることができるのである。そう すると,ここで一貫する概念は, 「慎重に」 ,「慌てず騒がずに」,「静かに」,「目立たずに」というような言 葉にまとめられよう。第1の比喩は,密告されたりしないように「静かに」,そして「目立たずに」。第2の 比喩は, ちょっとした天変地異にも「慌てず騒がずに」。第3の比喩は,脆く破れやすい金箔を扱うように「慎 重に」 。そして第4の比喩(コンパスの比喩)は,正確な円が描けるように「慎重に」。このように,不安の 文脈の源となっている,個人的・社会的生活における抑圧感に押しつぶされないための慎重さ,平静さが, この作品を一貫する姿勢なのである。このような一貫性を読み取ることができなかったことも,ダンの詩に おける比喩が唐突であると,かつて人々が感じた理由なのではないだろうか。. Ⅲ ホイルズは「あまりにポスト構造主義的」であるとしてドカティを糾弾したが(12),それは必ずしもドカティ の主張を十分に理解しての発言とは思われない。これまで述べてきたように,かつての批評家たちをしてダ ンの詩を批判させた要因の一つである「こじつけの比喩」は,読み方を変えると,こじつけであるどころか, 非常に洗練された一貫性のもとに使用されていることがわかる。たしかにドカティやレッドパスの見解には, 未消化な部分も多く,その論拠も「慎重に」取捨選択したうえで取り入れられなければならないだろう。し かし,ホイルズのように細部をあげつらい声を荒らげて糾弾する前に,新しい読みによって何が得られるの かを考えてみるべきだろう。不安の時代を生きたダンが,その不安を自ら認め,その不安を克服しようとし た過程を伝えるドキュメントとして,ダンの詩は現代を生きるわれわれにも切実さをもって語りかけてくる のである。. 注 ⑴ Docherty, Thomas. John Donne, Undone. London: Methuen, 1986. ⑵ Marotti, Arthur F. John Donne, Coterie Poet. Wisconsin: Wisconsin U. P., 1986. ⑶ Docherty, op. cit., p.1. ⑷ Ibid., p.42. ⑸ Hoyles, John. Donne Sex and God. Hull: L’Age d’Or, 2013, p.66. ⑹ Docherty, op. cit., p.73. ⑺ Ibid., p.74. ⑻ Ibid., P.75. ⑼ Redpath, Theodore, ed. The Songs and Sonnets of John Donne. London: Methuen, 1983, P.262. ⑽ Hoyles, op. cit., p.65. ⑾ Ibid., p.66. ⑿ Ibid., p.65.. 参考文献 Edwards, David L. Jon Donne, Man of Flesh and Spirit. London: Ferdmans, 2001.. 118.

(10) 不安の文脈. Roston, Murray. The Soul of Wit. Oxford: Oxford U. P., 1974. Sanders, Wilbur. John Donne’s Poetry. Cambridge: Cambridge U. P., 1971.. (札幌校教授). 119.

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