近代詩論史稿(二)
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(2) . 第 17 巻 第 1 号. 北海道教育大学紀要 (第一部A). 近. 代. 詩. 角. 論. 史. 敏. 田. 稿. 昭和4 1年6月. (二). 郎. 北海道教育大学函館分校国語教室. T0s iゐ KAKUTA : A N。te on Modern Poet i ) 1887~1897 2 c Theory(. は. じ. め. に. さきに明治20年から30年あたりまで約10年間の新体詩論の動向を, 主として 『女学雑誌』 『文 学界』 『太陽』 の三誌を中心として捉えよ うと試みたが, その後, やはりこの時期では重要な雑 誌 である 『早稲田文学』 (第1次, 明24 . 8) . 10~31 . 2~31 , 10) および 『国民之友』 (明20 の調査を行なっ たので, 前稿* の補足をする意味からも, 重点的にまとめておきたい. この度の 『早稲田文学』『国民之友』 に見える諸資料を加えて, さらに明確にな って来たことは 革新の意識の消長と いうことであろう. 『新′ 体詩抄』 の著者らに代表される詩歌革新の意識も, 明治30年前後ま での期間で, その役割を一応終了 したと考えられる, 『詩抄』 序文にあらわされた思想や見解は, この期間に提出されたさまざまな意見 や論議によ って, もはやその単純な次元にとどまること を許されなくな った. 新思想を盛るにふさわ しい新 詩体ということで出発 した 『詩抄』 の方向は, 広い意味では継続したけれ ども,, 伝統詩歌の検討 と西欧詩歌についての知識は, 出発当初より一段と進展して行ったのである. 新体詩論は, 漢詩 や和歌の側の理論や思想を脱 皮して, 西欧詩学的観点を積極的に消化吸収 して, 視野を拡げて行 っ た,. 『早稲田文学』 に あらわれた諸評・諸論は, まさにその意味において重要な役割をはた してい ると思うのである. 明治24年10月に創刊されたこの雑誌は, ちょう どここに扱う期間の後半期全 体において, 詩論的な活動を精力的に展開 している. 二段組の時文月旦欄や桑報欄における新例 ; 詩に関する記事は, とりもなおさずこの期の新体詩壇の動向の縮図 であった し, また数号にまた がる長論文 は西欧詩学的観点を導入した着実な論考が多かった. 外山正一, 井上哲次郎などの草 創の権威が, もはや昔日の面影を失うのも, こう した着実な詩論の出現によるところが大きいの で ある,. (一) 『国民之友』 は, すでに明治20年2月に創刊された綜合雑誌であるが, 新体詩論に関 しては, 『早稲田文学』 ほ ど鮮明な特色が出ているとはいえない. 大雑誌と しての重みから, 世評にのぼ るような論がいくつか出ているが, それらの諭相互の連関はほとんど見られないし, 少くとも新 * 「近代詩論史稿-明治3 0年頃までの動向-」 北海道学芸大学紀要 (第一部A) 第15巻第2号, 昭3 9 .12 .. - 38 -.
(3) . 近 代 詩 言 論 史 稿 鈎. 体詩論の分野においては, 新傾向を推進する側に立つものは少かった, ただ池袋清 風の 「新体詩 批評」 や山田美妙の 「日本韻文論」 の発表の場とな ったこと, 西堂居士 (大西祝) の 「批評論」 な ど, 間接的ではある が重要な論を出したことを含めて, 簡単に見す ごすことのできない雑誌で あ っ た, こ れま でに 触 れ 得 な か っ た の で, こ の 『国 民 之 友』 に 出 た 詩 論 の 一 例 と な る も の を, い く つ か こ の 期 に 出 て い る も の か ら拾 っ て み る,. おそらくこの雑誌では, 詩論と呼び得るものの最初に位置すると思われる が, 明治20年12月 第 1 3号に出た森田女蔵 (思軒) の 「詩歌文章の神韻」 という文章がある, これは題目のように詩歌 に限って述べたものではないが, 引例の多くは漢詩文 やわが国の僅謡となっている. これはまだ その教養の依って立つ所が和漢の側に重かった証拠であろう・ そ の い う と こ ろ は, 詩 歌 文 章 に お い て 必 要 な く 元 素 > と い うも の は く調 ・ 意 ・ 辞 > で あ る が,. その他に<更に一種秘密不可思議の作用 を有する>ものと して<神韻>がある, と強調するので ある,. この<神韻〉は, 読者を忘我の境にさそう詩歌文章の魅力だとするのである が, これの生ずる 因は 二つあって, <想像>とく成る可く自然有体の儀を写し出すこと>との二つをあげている. この両者の関係は, 一見矛盾するようにも思われるのであるが, それについて思軒はふれていな し、.. くわ しく内容に立ち入ることは, 今は略するが, いずれに しても, こうした詩歌や文章に<神 韻>を求める思想は, 伝統的な文学観であり, 殊に僕学的な素養の深い思軒であるから当然であ るが, 詩歌の場合に限っ てみれば, <想像>を単なる奇想天外な絵空事のよ うなものと し, む し ろより写実精神に依拠させて<神韻>という用語を見なおそうとしているところに, 新旧両思想 の結接点が見出されて興 味深いのである.. * 前稿で一部ふれた 「新日本の詩人」 (明2 1 . 8) に しても, 池袋清風 の 「新体詩批 評」 (明 22. 1~4) に しても, この 『国民之友』 にあらわれた諸論は, 新思想流入の先頭に立つ といい 得るものは, む しろ少かった. 新しく文学の視野を拡大する方向へはむかいなが らも, その拠っ て立つ基盤は依然と して伝統的な和漢の文学思想であったといわざるを得ない, 例 えを 社説と して掲げられた 「新日本の詩人」 は, おそらく徳富蘇峯が その筆者であろ うが,. きわめてきめの粗い天才待望論となっている. 冒 頭 に < エメ ル ソ ン>(Ra l do Emer l son) を 引 い て, 詩 人 の 使 命 に つ い て 述 べ て い る が ph Wa. それを敷桁するところを見ると, <彼 (詩人) は宇宙の美妙を吸収して, 之れを同胞の人類に分 配するものなり, 宇宙の秘密を穿璽 して, 之れを同胞の人類に説明するものなり, 目から美妙の 観念を以て, 天地万有より動かされて, 更に美妙の観念を以って, 人間社会を動かす者なり. 而 して其動かすや, 皮相に非ずして人間胸臆最後の琴線に触る も の な り 〉と い うも の で あ る, つ まり詩人の使命は, <人間社会の洗濯者>たることであり, <詩人は実に人類に生命の水を与ふ る 者 〉な の である, と こ ろ が こ う した 観 点 か らす る と, < 真 正 の 詩 人 > は 日 本 に あ らわ れ てい な い と い う の が,こ の あしな. 論者の見解 である, 漢詩も<其格調声律に拘はるの甚た しき遂に之れが為めに詩をしで恰も駿へ 者の念仏と一般, 墓も生気無く, 真気無きに至らしめ> られている し, 和歌も<其美甚た少に, 甚た薄く, 甚た軽し, 未た之れを以て宇宙の美を示現するに足らず〉 という具合である, そして * 拙稿 「池袋清風の 『新体詩批評』」(言語と文芸 昭4 1 ) 参照. .3 , -3 9-.
(4) . 角. 田. 敏. 郎. このく文学隆運の期〉に あらわれたく新体詩とか云ふ一種の詩>やく唱歌とか云ふ者> が振わな い の は 理 由 が あ る と して, 二 つ あ げ て い る,. その第一はく我邦の現今に於ては, 未た新日本の新体詩を作る可き詩の格調声律を発見する能 はず〉という形態面での不備であり, その第二はく我邦に欠乏 したろは, 詩の思想なり〉という 形成的ポエ ジイ の欠如 であった. この二つの指摘は, それぞれに一面の真はあるけれども, いか にも粗大な論断であ ったといわねばならない. . 第一については, <和歌素より頼みとするに足らず, 支郡詩亦た以て依頼するに足らず必ず他 の模型を発見せざる可からず〉 と述 べているところからして, 詩体・詩形についての不満と解 し て よ いだ ろ う,. し か し発 見 で き な い か ら不 可, と い う の は 積 極 的 な 姿 勢 で は な い, こ の 程 度 の こ. とは, すでに 『詩抄』 序に示されている見解 であり, それ故にこそ, 新体詩の試み がおこされた のである. 所詮は責任を負わ ぬ傍観者の発言ということにならざるを得ない, ただこうした見解 に代表される世評が, さらに詳細な韻律や詩形の検討を誘発させる下地を作 った事実は見落して は な る ま い.. 第二のく詩の思想> がわが国に欠乏 しているとの論は, 結局く詩の思想>を体現 したような詩 人 が, わ が 国 に は い な か っ た と い う事 の よ う で ある, <荷も詩の思想中に動けば, 詩の格調声律 は目から外に応 じて来る者なり, 古へより格調声律あって, 然して後に詩人あるに非す, 詩人あ って然 して後, 格調声律ある者なり>. それではく詩の思想>そのものは何かということになる が, これは冒頭で定言した詩人 の使命 の自覚を指していると察せられる, <我邦に於て適当なる, 調声律を見出す能はざるは, 適当な る詩人無きに拠る, 而して詩人無きは, 詩の思想無きに拠るなり>これは性急な論断である. は た して エ マ ー ソ ン 流 の意 味 で の 詩 人 の 自覚 が 皆 無 で あ っ た だ ろ うか, 蘇 峯 は 次 の よ うに も い う,. <我邦は今日に於いて詩の思想無きのみならず, 古 へより してあらざりしなり, 我邦の詩人は, 詩人に して自ら詩人たるの職分を知らず, 自ら詩人の地位を知らずして, 我れ自ら我れと海とれ り, 淡泊に之れを評すれば, 詩人とば殆ん ど無用人と云ふと異名同意に して, 何人も自身親から が詩人と呼ばる を承認するを好まず, 人に対 しても, 余儀無く詩人となれりとか, 他に専門の 業はあ って, 片手間に詩人となれりとか, 色々の 口実を附けて以て其弁解を為せり> こうした指摘は, 一面の真を含むものではあるが, その性急な論断のために, 歌人の側からは かなりの反擬を受けた. 例えば同誌翌9月 第29号では, 井上通泰が, その和歌や国文学史的な知 識の不足を批判 しており, また前稿でふれたように 『女学雑誌』(明21 . 8) でも 「新日本の詩人 の 評」 の よ うな も の が 出 た,. 恩 要するに, この 「新日本の詩人」 は, く一国に於て詩の格調声律なるものは, 一国詩宗の詩, の 動 ける 足 跡に 拠 っ て 定 ま れる者 > である か ら く ホ ーマ ー・ チ ョ ーサ ー ・ ダン テ・ 杜 子 美> のよ. うな大詩人が, わ が国にも生まれなければならないという天才待望論と なっているのである, そ してこれを批判 した井上通泰の論, 『女学雑誌』 の批評, ともにきめの粗い点を難 じながらも結論 的に は, 前者は新 詩を否定し, 後者は新詩を待望する形となっていて, この 「新日本の詩人」 は 新体詩にと っては 活殺両様の意見を導き出すという奇妙な役割を果 している, 後に 『国民之友』には, 池袋清風の 「新体詩批評」(明22 ) や山田美妙 の 「日本韻文論」 . 1~4 (明23 1月に, 「新日 . 9~24 . 1) な ど, より専門的な詩論が出て論議をあっめたが, 明治25年1 本の詩人」 と同 じ論者 (蘇峯) による 「詩人の題日」 という文章が出ている. その諭旨は, 新旧メヒの要請によ って生まれた新体詩は, <詩題を一変せよ〉ということであっ - 40 -.
(5) . 近 代. 詩 論. 史 稿 O. た, 漢詩和歌は, く旧家と同じく, 生を回顧の世界に托するもの >であって, <物の哀, 花鳥風 月 てうり・天地, 旧社会に寄生するの外, 其の題案とすべきものなき>事は当然だが, 新体詩は, <新社会の需要より来れる者 >であるか ら 漫に旧家と風流を争う〉ような事はやめて, く人生・ 自由・社会・人物>とし ・うような く人間世界>を詩の題目と しなければな らない, <今や第二の. エマンシペーションラフヒウマンマインド. ノvD開放の時至らんとし, 詩人に待つこと甚だ大なるものあるを知らざる乎〉と, 新社会の思想 を自 由に 表 現 す る こ と を 望 ん で い る の で あ る.. こうした啓蒙的文明論* が, この雑誌の-特色であり, 詩論の分野においても, それは例外で はあり得なか ったが, ややもすると詩歌自体 の本質を探求することよりも, む しろ時代思想を盛 る単なる容器も しくは手段と見る傾向があった. 次の部分は端的にこれを証 している, くり 島呼詩人よ, 詩人よ, 憲法を破らんとする頑迷の徒に, 光明を示す能はざる乎, 我国民を習 慣と, 圧抑より脱れしむる自由神を昧する能 は ざる乎. 四海開田なきに, 農夫独り南畝に 泣く の惨状を歌ふ能は ざる乎. 死生自由と共にせんとする板垣伯に与ふること, バイ ロンがフラ ッ クスに与ふるが如くする能は ざる乎, 少年に希望を与ふるロン グフェルロウの如くなる能は ざ る 乎,>. したがっ て新体詩が文学と しての鑑賞に十分に堪え得る-分野となるためには, さ らに本質的 な探求がなされなければならなかった. おそらくこの明治20年代後半にあって, これに応 じた有 力な場のーつか 『早稲田文学』 であったといえよ う, (二) 伝統詩歌を検討し, 海外の詩学思想を摂取するということは, 単に詩歌という一分野に限られ た行き方ではなく, 文明開化という当時の風潮全般に共通する性格であったが, また新体詩とい う一分野独自の事情も存在した. それは新体詩というものが, まったく新しい-分野と し創設さ れたとする観点と, 本来存在 したものに改良の手を加えたにすぎなし ・分野とする観点との微 妙な くいちがいである, 『詩抄』 の著者らの立場は, まさに前者を代表するものであった し, 歌人 ら はおおむね後者の立場をとっていたのである, 新体詩を革新的所産と見るか, 改良の所産と見る かは, 論者 らの意識の基底にあって, この期の幾多の議論の色彩を微妙にぬり分けているといえ る の で ある.. しか し新体詩というも のが, 革新の子であると, 改良の子であるとを問わず, 人々の心の中で <韻文 > あるいは 〈詩>というような呼称の中枢を占める位置を獲得するまでには, さらに詩歌 というも のを本質的に見なおす視野の転換が行われなければな らなかった. こうした動きのあら われは, 先程から述べているように, 西欧詩学思想の積極的な導入という点には っきりと見 られ る の で ある.. 『早稲田文学』 は明治24年1 0月に創刊 された が, 翌25年2月 の時文評論欄では, 「外国美文学 の 輸 入」 と 題 して, <的当綿密なる翻訳を盛んならしむる>ことを提唱 している, その理由とし て 三 点 を掲 げ て いる の で ある が, 第 一 と して < ヒ ン トの 入 要 > を 論 じて い る, < 今 の有 為 な る 文. 人の中に和漢の文学には精通したるも 泰西の文学には殆ど全く通ぜざる人ありさて此等の人の中 には僅にヒン トをだに得たらんには 或は一躍して豹変 し新文学の先導となり得べき人なきに しも あらざる べし叉ほゞ泰西の美女学に通 じたれども 和漢の文学に精しか らぬが為に如何に して彼れ * 明治2 9年2月の 「何故に大詩人出でざる」 も同趣の論で, 「新日本の詩人」 から一貫している,. - 41 -.
(6) . 角. 田. 敏. 郎. と此れとを調和帰一すべきかを覚り兼ねて岐路に紡錘ひつ. ある人もあらん 若し国文 の国交たる. 所以を失わずして 而もよく原文の理想と其章句の美 とを伝ふるが如き良好の翻訳出来せんには此 後者をも益すべし> この主張は, 実作のすぐれた翻訳を望んでいるのであって, 直接詩学思想の導入をいうも ので はない. しかし論者を支えているものは開かれた目であり, 新 しく西欧詩学的観点をふまえたも の で あ っ た に ち が い な い,. 第二は, 理由というより実際的な方策を述べたものである が, <見慣れざるはよか らぬやぅに 思ふ >習慣の弊を考慮 して, <大家の作を翻訳 して先づ読者を教化>するのがよいというもので もなか. あった. 第三は, <和漢洋三文体の帰一策は 美女学翻訳の盛んなる最中に於て定まらんしからざ れば心長く自然の変遷を挨つよ り外な し>という一つの見通 しとな っている. こ のよ う に 第 二, 第 三 は, 方 策 や 見 通 し の よ う に な っ て い る が, 第 一 で 説 く < ヒ ン トの 入 要 >. という観点は, これ以後の,『早稲田女学』 にあらわれる詩論の一要素 となっ ているのである. 3月, 坪内迫迄に依頼された宮崎湖処子は, 時文評論欄に 「韻文所見」 と題 した一文を発表 し ている が, その内容を要約整理する と, 次のような四点になろうかと思う, 1 ( ) 韻文の範囲は 広大である, 自分が今日も っとも待望するのは <改革的予言詩人>である. 落 合直交が新体詩を排斤して長歌を復興 しようとしているが, 自分が望む<改革的予言的詩人> とな って<自由を歌ひ希望を発揮し乃至時間空間, 生命, 運命, 上帝の愛等を発揮>するなら ば, すばらしいことだ, 自分はそれを見たい ものだ. } 韻文の格調は, 長歌五七, 今様七五というように < 一体に拘泥せ ざるを可とする,> 各人の 2 { 詩情に応 じたく 格調声調>があるのが当然である, 3 ) 韻文のく用語〉も自由であるべきだ. 言語は時代とともに推移するのだから, <雅言>以外 ( に詩のく用語〉はないなどと考えるのは誤りだ, 漢語・俗語・雅語という<三個の国語を巧み に陸続 した時の謡曲>な どがよい く作例>となる. 4 1 先輩 (詩歌における) は <-韻文出る ごとに忽ち弁難攻撃 してその美処をすら棄地する >こ ( とをやめないと, 韻文の進歩は望めない, ここで湖処子は, 落合直交の名をあげているが, 前年 (明24 . 11) 直交の編で出た, 『新選歌 典』 は, 単に和歌の分野だけでなく, 新体詩の側か らもかなりの注目を集めた, その緒言はく改 良主義的な詠歌論の噛矢>とされているが, 湖処子の 「韻文所見」 は, 新体詩の側か ら改良主義 的歌人に抗議 したものといえる, 実際, 改良和歌論者は, 立場上新体詩を否定せざるを得なか っ たといえるわけで, 『早稲田文学』(明25. 2) でも 「和歌に就きての説くさぐさ」 の中で, 次の よ うに 報 じて い る.. <落合氏また弁難攻撃 して余す所な し 『新選歌典』 の緒言にも 「近頃新体詩といふもの起れり, この人々の議論を聞くに短歌にては複雑極なき想思を満たすこと能はずといへり 然り誠に然りさ れど論者は短歌の外に長歌といふものふあることを知らぬに やあらむ われわれは特に長歌を振ひ 興 してかの無味なるかの蕪雑なる新体詩を退けんとす」 とあり其の論鋒の鋭きを見るべし> こ う した 攻 撃 に 対 して, 湖 処 子 は,. <当今新文学膝胎の時代新思想発生の時期に在ては 文飾を後にして意達を先にするの傾向あり随 て往々修辞上文法上の体裁を欠くものあるは当然の事なり 先進家は須 らく一方に は後進 者の短処 を秀て しむの労を取り 一方には 自家も亦た後進者の阻噸せる所の新事物新思想を消化 して模範を 示すべし〉と, あくまでも新体詩の存在意義をまもりな がら, しかも温健な論調で切り返えして - 42 -.
(7) . 近 代 詩 論 史 稿 〇 い る.. なおこの25年には, 「旗野士良氏が音韻論の由来」(7月) という紹介と, その 「無韻非歌論」 (7~8月) が掲載され, またこれを中心とする 旗野 (桜坪) の一連の論に批判を行 った新井虎 南・磯貝雲峯の論な どが, 『城南評論』 その他に出たが, さ らにこれに反論した 「あらえのいそ がひ」 (10月) な どが出ている, しかし経緯の大略は, 日夏歌之介 『明治大正詩史』 その他に紹 介されているので, 今は 『早稲田文学』 の立場を示 している女界桑報欄 (11月) の 「韻論」 と題 する記事を見ておく. これによると, 『早稲田文学』 記者も, この時点ではまだ必ず しも韻 や律に関 して明確な見解 を持 っていたのではな いことがわかるのであるが, さすがにこの方面 の研究検討の必要性を感ず るだけの見識は持 っていた. したが ってその見識のもとに, この一連の論争 の発展を企画したと い うふ しも うか が える の で あ る,. <歌はウタフといふ上は視覚のみをたよりとはせず聴覚にも訴 へて心に伝ふるものなり されば韻 らべ. の要 否 は 兎 に 角 調 の 必 要 な る は 勿 論 な り 叉 歌 を 作 らん と す る 者 の 所 謂 t ingl l l i remb cat e taste y de. を声調の点に有せざるべからざるはいふまでも無 し 然るに新体の歌 (豹文) を起さんとする 人々 の中に律叉調といふものに心をば注がずして歌 を見るもの 如く心得たらんが 少か らず見ゆ是 れ 一つには音韻の学理の知られざるが故なるべし 世或 は韻の研究をもて将来の歌の為には必要なき が如くいふもあれどこれ吾人 の同ぜざる所なり 韻の研究と韻を将来 の歌に用ふるとは各別の問題 なり 韻の研究と は韻とは何, 韻の歌に及ぼす勢力, 調と韻との関係, 調と なふれば韻はこれに 伴ふか, 韻を押せば調と なふか, 従来の国家に韻の有無, 将来の歌に韻の要否等 をいふなりこ れ将来の歌人の必しも一わたりは心得置くべ き事なるべし 吾人は久しくこの韻の事につきて何人 も口を籍めるを怪 しみにき然るに 本年五月桜坪隠士の 「俗歌韻話」 一度 「読売新聞」 紙上に現れ 十有余日間載せられしより 吾人は直に其大要を記して 「時文評論」 欄内に納め尚 旗野氏を訪うて その説を叩き且これを世間に紹介せんと力 めたりき 吾人が 「無韻非歌」 といふ梢過激なる方便的 に賛 して掲げたるには非ず 氏の詳密なる研究を世に伝 へて韻と調と の研究を鼓吹. 題目を字のま. せんと欲せしなり (以下略)> このように 『早稲田文学』 の立場は, 詩論史上ゆるがせに出来ないものがあった. この年, 第 22号の時文 評論欄 (8月) においても 「機械の研窮」 という題目で, 同趣の文章を掲げている. 没理想論争における追遥 の拠 った立場とも通ずる 客観的現象把握 の態度 が打出されていることは もはやくり返す必要もあるまい, <音韻を研究し字典を編成する之を創作を正的と したろ点よ り見れば 並に大詩文 を作る料なり , 詩体の新律を工夫 し国交 の語格を正 し辞句の雅俗妥否 を論ずる 是もまた作詩作文 の階梯なり其他 詩文章を類別し弁に其究寛目的を論ずるさヘ 若し創作を正的と していは ば大建築の足場設けなる べしいづれも皆機械の研究なり我 『早稲田文学』 の目的もまた是なり 世間或は機械 の研究を蔑視 し単に日覚しき離れ業をのみ見んことを望む者あり か. るは楢子を用ひず して屋頂 に飛び上れよ. と望む類なり (下略)> この一文によ っ ても 『早稲田文学』 のと った態度は, 現象の客観的把握と, これを近代詩 の面 でいえば, 着実な詩学的研究の観点を持している ものといえるのである, 伝統詩歌の検討と西欧 詩学的観点の導入ということは, 初期の素朴な革新意識による 啓蒙的議論の域から, より専門的 に深め られた段階に達 しては じめて結実を得るといえるが, それは 『早稲田文学』 のよ うなこう した着実な詩学的研究態度を通 してこそ実現する のである, 時流の表面に浮ぶものは常にはなや 一 43 -.
(8) . 角. 田. 敏. 郎. かである. しか し流れの方向を見定め, む しろこれを動かしもする作用というものは, 決 して水 面にはあらわれないものである, 近代詩史においても, 脚光を浴びている作品, 例えば, 『若菜 集』 の出現までには, その<階梯> であり, <足場>となる幾多の詩論や詩学的営為が積み重ね られているのである, われわれが真にこの分野の発展 や成果を望むのであれば, 水面下にある作 用 や動因と しての詩学的営為に注目 し, これを検討することから出発 しなければならないであろ う,. (三) 明治25年においては, 主と して 『早稲 田文学』 の詩論における基本的態度を見たのであるが, 翌26年にはさっ そくこれを裏付けるよ うなものがあ らわれている. 1号までに連載された一種 坪内追遥の 「美辞論稿」 (1~6月) である, これは第31号から第4 の文章論である が, 詩歌に関する部分には注目す べき所も多い. 本稿の立場上, 特に重要と思わ れる所のみを見ておきたい. 81 6刊) を引い 第三章 (32号) の 「語の源」 において, 語の変遷を鈴木娘 の 『雅語音声考』 (1 オノマトビヤ. なぞらへことば メタホル. て<諸種の擬声語叉は 唯唾詠嘆の声より転用語叉は 比職語 (隠輪) に移り覚には幾たびも転託 し て殆ど原始の音韻の跡をとゞめ ざる ほ どに変化したろ言葉となり (すなわち後の平語となり) 更 に また幾たびか離合 して今の億万の言葉となりしならん>と考察 して いるあたり, 興 味深いもの があるが, 今は横道に入ることは許されない, これに続く第四章 「女の形」 において, <文章>の形を< 律語と散文>の二種に分けているの であるが, この<律語〉に関する考察 が目下のところ最も注目される, 前稿の◎でもふれたが, 散文に対するものと して, < 韻文>の語を用いたのは山田美妙が最初と推定され, 以来一般化し しか しこ の用 語 は, も と も と < 韻 > と く 律 > と の誤 解 混 同 に よ る 造 語 で あ っ て, 正 しく は く 律 女 〉 と で も さ れ る は ず の も の で あ っ た. 筆 者* の こ れ まで の て 今 日 に 至 っ て い る の が 実 情 で ある.. 見解では, この誤りを指摘 したのは島村 抱月 の 『新美辞学』 であった, しかしそれは, この第四 章において, 追遥がすでに指摘して いることなのであった, してみれば, 抱月 は師追遥の説をふ まえて再度それを指摘したにすぎないことになる. 以下追遥の説を要約しつつ, 抜粋 しておく. 追遥の眼日は, 文章の形式と性質との区別を明確に し, 両者の混同から生ずる誤解を避けるこ とに あった, これを混同する傾向は, 英国にも中国にもあったが, コールリ ッジの説や 『文体明 弁*』 が出て, それぞれこれを正 している事を述べ, < ポ エ トリ ー > < 詩 > < 歌 > な どは, す べ て文章の形では なく性質を表示する用語であると説いている. さらに遭逢は名目の論の重大性を強調 して, <名は 実の賓たろに過ぎねば珠を呼びて石といふ , も共の珠たるに妨な しといひけたば世に名目の論は なか らめ ど 差別の止むべからざる は現・ 世の常 まぎら. 理なり名の紛は しきときは 見解人毎に殊にてそれが為に紛議百出することあり 古より大小の忠区 々たる名目の論に由来せ しこと少からず 己に幾世の習慣によりて訓称謬名 したろをば今更に改め んとするは無要なれ ども 共の未た確定せざるや命名の沙汰も決 して等開にすべか らざるなり〉と 説いている, まことにその通りで, 適切な統一的批評用語なく しては, 詩学の発展は望み得ない の で ある, *才 H稿 「現代詩における韻律論と音数律論」 昭3 i 66「解釈と鑑賞」 参照. , . なおこの本文中で, 槍遥はすでに明 4年4月初旬に 「読売新聞」 の叢調欄に発表したと記している. 治2 *8 4巻, 明, 徐師曽撰. うち文章綱領1巻に文章詩賦に関する議論および各文体詩格の源流を掲げている,. - 44 -.
(9) . 近 代 詩 論. 史 稿 〇. ところ が皮肉にも, 道遥かまさにこの論で正そうと したく韻文>という当の用語 は, <己に幾 と称謬名 したろ >まま昭和の今日に至ろ うと しているのである, 世の習慣>となってく討 追遥はく散文>という用語を文章の形を表示するものと捉えたが故に, これに対応する種類の 文章に与える用語も, 形を表示するに適正でなければならないと考えたのである, <字典を案ずるに詩は 志也とあり叉 「心之所之, 謂之志心有所之必形千言故E i詩言志」 とあり (これ上文に予が女の義を解 したろと殆ど同 じ)『文体明弁』 にも 「詩の大序を按ずるに詩は 志の 之く所なり, 心に在りては志たり言に発 しては詩たりと即ち書の所謂詩は 志を言ふ者なり詩には 六倍を含む, 故に情に発 して礼儀に止まるなり云々」 とあり其他 『読書作文譜* 』 の中にも尚書と 詩の序とを引きて 「情動千中而形千言. 言之不足, 故嵯嘆之, 嵯嘆之不足, 故詠歌之, 詠歌之不 足, 故不知手之舞之足之踏之, 鴫呼詩之旨, 寧有外千此乎云々」 といへり (皆詩を以て文 の一種 となせるに外な らず) 案ずるに詩といふ語は必 しも韻語 叉は律呂ある言葉といふ意義を含まざる なり正当 の解を土 i 青熱の言葉といふに過ぎざるか如 し (而 して情熱の言葉は散文中にも しばしばあ ることを記憶すべ し)> このような検討 の仕方で, 〈歌謡〉も<質の名に して形の名にあらざる >ことを説き, <我が 国のウタといふ名目〉も古今序や平田篤胤の説を援用 して <質にゆかり多く形にゆかり少き>も の だと して い る,. こうした手続き の後, <散文に対すべき一種の語形の名>と して <韻文>が不適当であること 1 の 説 明 に 入 っ て い く, <韻文と いふ字面は何人がいつ ごろよ り1 昌へいだしけん三四年前よりは古 からずと は 恩へ どくは しくは記憶せず〉として, 『女心彫龍』 のく異音相従謂之和, 同音相応謂 之韻 > を引いて, 字義の面からまず不当性を指摘 し, さらに英語との関連から, <ザ ルス (有律 語)>の訳語と して考える場合に, < 韻文>をあてると, < ブランク・ザルス (没韻の律語) を何 と訳すべきか無 韻の韻文といはんは奇怪ならずや〉 と実際面からも不便なことを指摘 している. 最後に 道迄は, もっとも適切なものと して<律語>という用語を提唱するのである. 『文体明 弁』 『釈名*』 『繭雅釈言』 『繭雅釈話』 などによ って<律>の語 義を検討して, < 律の字は 一定 の規律の義なり而して律呂に因縁深き言葉なれば詩学, 就中節奏女の科語とするには適 したろに 似たりすなわち総て一定の規律によりて 整理調合せ られ若くは一定の句拍子によりて組立てられ た らん を 律 語 と 名 け ん こ と 穏 健 を 欠 か ざ る べ し 〉 と い う の で あ っ た, な お 批 評 家 の 中 に は, こ の. 点に気付いて く韻文〉 に代わる用語を使用 している者もあることを記 し, 鴎外のく結語〉, 忍月 のく整句>, 某のく節奏文 >などというのがあったが, 一般化するに至らなかったという, いずれに しても遭逢のここで示した見解は妥当穏健であり, 日本詩学の発展にと っては時宜を 得たものであった, ただ今日情まれるのは, 以後の詩論の流れがこうした基礎的な先行業績を十 分にふまえることなく, 海外文芸思潮の後を追うことに 急なあまりに, かえって未解決の問題を 多 く 抱 え こ んで 今日 に 至 っ て い る と い う こ と で ある,. ′ Lス ′ ワ. ・. ブローズ. さ らに 付 言 す れ ば, こ の 第 四 草 で は, 英 語 の くver se> の 訳 語 と して < 律 語 > を, <prose> に. 相応するものと して<散文 >を考えるべきこと, およびリズムの根元性などに言及 して見識を示 し<詩歌と詩歌ならぬものとの別は語の形にはあらで語の質すなわち思の質に因る由> を強調 し *1 2巻, 清, 唐彪撰. 読書, 作女に関する古人の言, 及び自己の意見を叙述したもので, 学基, 読書法, 文章 の総諭, 文章の諸法, 女の体裁, 作詩法等を論じ, 初学の便に供したもの, * 釈名 8巻 後漢 劉無撰 爾雅 十王経の一つで 文字の説明書 , , , , , , 秦撲頃の成立といわれる. 択言, 択話 . はその19縞のうちの各1編,. - 45 -.
(10) . 角. 田. 敏. 郎. て 結 ん で い る.. この他にも 「美群論稿」 で注目すべきところは多いが, 第十一章(3 9号) の 「情の文一(第四) 詩歌の三体」 あたりは見逃されてはなるまい. ここで迫迄はく詩歌>を三分 し, (甲) 主観の詩 i i 歌 Lyr t t c Po ry c Poet r c Poe ry e y .(乙) 客観の詩歌 Epi , (丙) 主 観 兼 客 観 の 詩 歌 Dramat ,と. して, それぞれ和漢 洋の引例を行いつつ詳説 している, しかし今は細密にふれることを略する, 「美辞論稿」 の掲載がは じまった同 じ31号 (明26, 1) に, 正岡子規の 「文学雑談」 が出てい る. これは, <-, 国詩と欧詩 二, 韻文と散文 三, 和歌と俳句>の三節になっているが, 全 体に貫流しているのは, 国詩 (和歌俳句) の長所美点を主張する素朴な感性の説である, ここに はまだ, 後に新体詩* を試みるに至る片鱗さえもうかがえない. 以下和歌・俳句の世界にと どま って, 仕事をした子規が, 新体詩興隆のこの時期に どういう考えを持っ ていたかを見るために, <- >とく二 > とを見ておく. < 国詩と欧詩〉においては, 両者の比較を行い, く欧米諸国の詩歌は主と して人事を叙 し, 和 漢二国の詩歌は主と して自然を叙す〉と して, こうしたく吟味の材料〉によ っ て両者の詩形の長 短 や, 内容の複雑と簡潔といった相違が起こるという. そしてこうした性格的な相違をもつ両者 の優劣については, <人間の噌好, 美術の趣味は固より一個人の判断を以て正否を決すべきにあ らず〉と しながらも, 結局は子規個人の趣味, 噌好によっ て, <余は思ふ美は彼に在らず して却 て此に在り, 醜は此に在らずして却て彼にあるを,>と和歌, 俳句を擁護 している. <韻文と散文 〉におい ては, <西洋学者は時と して韻文と散文と判然たる区別なかる可 らざる を説く>が, これは<不条理の説> であると批判する. こうした分類法は, 我国のく 小説軍記謡 曲院本>の類に適用 できない し, む しろ<我邦の文学は散文と韻交との外に一種固有の妙霊なる 文字を有せり〉というべきだと している, すべてを欧米の尺度で測定しようとする考えへの反撒 である, そして<散文放縦に過ぎ韻文窮窟に過 ぐとせば其中間に一種の折衷体 あるは勢の自然に 投 じた ろ 者 > で あ る か ら, <長編ブ く作の韻文 >を望むならば, 必ずしも<万葉の長歌>やく明治 の新体詩〉にこれを求めなくても, < 謡曲の文体> <巣林の格調><曲亭の句法〉に学べばよい しく自家の才識を以て一体を創開> してもよいではないかと, あくまでも伝統的な文学の世界に. と どまろうとする姿勢を示 している. こ うした中で, 『早稲田文学』 の積極的な新見地導入の姿勢をあらわすものと して, この年3 月 および4月に出ている 「詩諭雑纂」 (3 6号, 38号) も見過すことはできない. 内容はくマシウ l d thew Arno ・ ア ーノ ル ド (評 論 稿)> (Mat .1822~88) を も と に して, 一 一 (一) 詩 の 効用. (二) 詩の最高資格. ゼニユイン. ことば. (三) 真正の詩の詞. (四) 詩の大. (五) 文学-があり, これらはアー. l l i ノ ル ドに よ る < ラ ル ズ ラ ル ス > (Wi th, 1770~1850) の 見 解 の 紹 介 と な っ て い am Wordswor IJohnson,1709 る. また さ らに (七) 詩 人 の 本 分 一 では く ジ ョ ン ソ ン (ラ セ ラ ス 物 語)> (Samue l ~84 as se .1759) か ら抄 訳 し, (八) 詩 人 と は 何 ぞ や- では く ラ ル ズ ラ ル ス > の説 を 採 り, , Ras (九) 詩 の 三 時 代 一 で は, < ュ ‐ ゴ ー > (Vi ct or Hugo ,1802~85) の 戯 曲 「ク ロ ム ウ ェ ル」 の, おそらく序文であろ うと推察される部分を < ボス ネ ッ ト* の 「比照文学」 によ て紹介し さ ら. っ. ,. に (→-) そ の 評 一 で は, < ボ ス ネ ッ ト> の こ れ に 対 す る 批 判 を 掲 げ て い る. こ れ を通 読 して, (六) が 脱 落 して い る こ と に 気 づ い た の で ある が, そ の 理 由 は わ か らな い. * 子規は竹の里人の名で 2 3号 (明3 0 ) の桑報欄によると , 9年頃より新体詩を書いている. 「早稲田文学」3 .5. この頃さかんに新体詩に押韻を試み, 「日本人」 には, その押韻論を発表したりしている,. ‘ * Hut ‘ [ t i ture“ London chs on N ay posnet t era acaul ve Li . Cbmparat .1886 ,・. 一 46 一.
(11) . 近 代 詩 論. 史 稿 □. すべて<鄭 隈生 義訳> あるいは〈鄭隈生 訳>とな っている, これが誰であるか, 少 し後にな るとこれに似たく鄭州生>の名が 『早稲田文学』 に登場してくるが, これは抱月 の別名であると 7年7月 以後であるから, く鄭隈生 > 知られている, 抱月がこの雑誌の記者とな ったのは, 明治2 を抱月とは考えられない, おそらく道遥ではないかと臆測される, いき. (-) 詩は諸の知識の息に して一段微妙なる精気なり. t t (二) 詩の最高資格は, その実質 (Ma r and substance) と 風 姿 (mannerand style) の う e ちに あ り,. (三) 真正の詩は霊魂に由りて事物を観察して作りいでたろ者なり, (四) 詩は所詮人生の批判なり, マツタル・サブスタンス. マンナル スクイル. (五) 実質の真と厳と風姿の妙と円と (意の厳正と辞の霊妙と) が詩的 美と詩的真との法則に したがひてものせられたる人生の批判の要件なり, (七) 詩人の本分は箇物を検せずして類を検するにあり, (略)万古不易なる普遍超絶の真理に 達 せ ざ る べ か らず,. (八) 詩人とは人間に対して談ずる人なり通常の人よりも一層活溌なる感受力, 一層広大なる 生に関する一層大なる知識, 一層広潤なる霊魂を享有する人なりおのが 熱情と慈愛と, 人1 ライフ. 情感と願望とを悦び他の人よりもおのが身のうちにある 生活の精気をば娯 しみ悦べるもの なり 即ち宇宙間の諸動作にあらはれたろ己れのと同類の願望と情感とを冥想することを楽 しみ且か. る情感と願望とを発見し得 ざるときは そを自ら創作せざれば安ぜざるやうの習. 癖ある人なり,. オ「ド ヱビツク. (九) 詩に三代 ありそはおのおの社会の-時期に相応す ode, epic, drama の 三 代 な り 原 始 の 1 ヱタルニチ← リリカ ′ ヒストリー オ【ド 代は汗情的, 上古は叙事的, 近世は ドラマ的なり拝情詩は恒久を歌ひ叙事 詩は 経緯を伝 へ ライブ. l i i e) 第 二 の は 単(Simp ty) 第 三 の は 真(Truth) ドラ マ は 人 生 を 描 く 第 一 の 性 は 質(Naivet c な り (略) 此 の 三 様 の 詩 は 三 大 源 よ り 出 づ - 聖 書, ホ ー マ ル, シ ェ ー ク ス ピ ャ, 是 れ 人 と. 世との異れる時期に於ける 思想の異相とす.. (十). こ止 ま ら ざ る な り か ュ ‐ ゴ ー の 論 た ろ や菅 に 拝 情, .叙 事, ドラ マ の 三 語 を 濫 用 した るむ. る濫用の底には往々に して 推理の誤謬潜伏す (略) ュ‐ ゴーが目 ざましき誤謬の大原因は ルウソウの謬見と同一なり 即ち個人の主観的叉客観的自由の太古に存在せり しことを仮定 パルソナリチー. したるにあり (略) 原始の団体の純乎たる客観的, 動物的個人性と後に大に発暢せる主観 i インヂ ヒヂユアリズム. 的甚深の個人主義とを分別する深遠なる差別を発見せざりしが如 し, 以上は, (一) か ら (十) までの要点抜粋 であるが, も し道遥の筆になるとすれば, 追遥は 「美辞論稿」 執筆の間に, こうした主として英国十九世紀後半の詩論 や詩学を研究 して, 新見地 の 導 入 に つ と め て い た こ と に な る, i t ve Li erature“ は, こ の 殊 に (九) (十) で と り あ げ て い る H. M, ボ ス ネ ッ トの “Comparat 抄訳 か ら, 僅 か 7 年 前 に 出 版 さ れ た も の で, 昭 和 の 今 日 に おい て こ そ, く ハ ー バ ー ト・ ス ペ ン サ. ー* の社会学的概念に影響され, 制度の発達と文学の成長との間に密接すぎる並行現象をみた> 時勢おくれのも のと批判されているが, く比較文学の最初の理論>であり, 言語上の区別を越え て広い視野の ,もとに文学を見ようとする理想にもと づいた著作であった. 訳者がどの程度まで批判的に 原典を見得たかはわからないが, 新しく進展 しようとする世界的 * R, ウェレック A, ウオーレソ 「文学の理論」 太田三郎訳 p 54参照 , , . . - 47 -.
(12) . 角. 田. 敏. 郎. な詩学の動向の息吹に, 直接この時点において触れている事実は見 落 してなる まい, リズム なおこの26年には, こうした詩学思想に関するものの他に, 伊藤武一郎の 「歌の律呂」 (8月 6号) 4 0月49号) などが出ている, , 大西祝の 「国詩の形式に就いて」(1 前者は, 五音七音の分析を試みた元良勇次郎・ 芳賀矢一の説を論評 したもので, 〈和歌のリズ ム><俗歌のリ ズム>の二節か らな っている. <俗歌のリ ズム> ではくなげぶ し><都々一節> をとりあげ, また大西操山 (祝) の試作 刊七夕」 を例と して批評している. 後者は, 元良・芳賀・米山保三郎の諸説, さらに伊藤の 「和歌の律呂」 などを総合的に論評し て いる が, 諸 家 の 言 及 も あ り, 略 して お く.. ただここで一言すれば, これらのリズム論は決して単なる和歌という一分野の研究と して行わ れたものではなく, 新体詩をも含めた日本の詩歌という立場で論 じられたものであるから, 近代 詩諭史の研究に おいては必ず取り扱わなければならない項目であるということである.. (四) 明治2 7年は, 前稿 でもふれたとおり日清戦争 (7月) がは じまり, 『早稲田文学』 においても 見るべき詩論はあらわれていない, <或条件の下に漢語を交へ今日の言語を用いろは既に短歌に 於てさへ屡々見る所, 新体詩叉は軍歌等に在 りては今更なり> (9月71号) というような軍歌 の 流行, しかも漢語や平常語を混 じ, いわゆる〈朗詠調 > のものが種々試みられたのであった. し かしこうした流行は, 新体詩を普及さ せは したが, 質的には停滞もしくは低下させたとも いえる わけで, 10月 の時文月且欄ではく ほしづくよ > (抱月) が 「新体軍歌」 と題 して批判して いる. その主張の根祇に, <詩は感情の声也 〉ということを据え, <内に動 くの同情を櫨べて外に表 白 す る > の が, <詩的 〉ということであると して, 当代流行の軍歌の欠陥を三 つに分けて指摘し て い ろ,. <第一詩に入れ る思想の甚だ乏 しく, 且陳腐なるを如何せん>. これについては例えば, <東 洋の平和を維持せんといふ事 >など, 単に<今日の日本国民が一般に有する, 種々の感情につき て抽象叉抽象した >観念的なものを伝えようと しているにすぎないし, <直に此等の思想を言ひ 表すのみが詩人の本務にはあらず〉というのである. <連念連想 >をも惹かない<露骨の思想> に従 っているだけではく詩情 〉は発揮できないのが当然だろ う. <第二詩 の陳述の方法は迂遠に して真実と建 へり>. この点でも, <詩人の想像に映 じ来れる 事実を陳ぜんには, その方法また詩的ならざるべからず〉と して, まったく正当な批判を展開し て い る. <詩的と は漠然の謂ひにあらず, 写実の謂にあらず そもそもまた調を巧にするの謂に , もあらず> して, まず自分自身のく内に動 く同情>が根本になるというのである. <第三死語 を弄ぶの順に堪へ ず>. これも詩語が生きるか死ぬかは, <言語句調の性質 >その. も のに あ る の で は な く, こ れ を 使 用 す る 詩 人 の く 真 心 > と く、熱 情 〉 に よ る と い う. 万 葉 語 を そ の. まままねても, それだけでは万葉歌の生命を当代において生かすことにはならないというのであ る.. 要するに, <恩 、想 > 〈方法> <詩語> の三方面から, 安易に流行し画一化した軍歌の非芸術性 を 批 判 した も の で あ っ た,. 8年になると, 3月に鄭州生 (抱月) は, 経験万能主義を排 した 「詩人と 実 験」 (84号) を 翌2 出 して いる, <経験 を博うするは善 し, 之れによりて詩人が天禦の才を琢磨 し, 以て美を結構す. るは, おの づから経験その物と別なり, 経験界にも美あるべし, しかも詩人の作れる美は, 経験 - 48 -.
(13) . 近 代. 詩 論. 史 縞 憐. 界に存せし美其の物の模写なるべからず, 此の意にて詩人は創造者なり. 詩人に於ける 実験の価 値はこの点よ り打算し来たるを得べき也,> ここにいう<詩人 〉は文学者の意ととるべ きであろう, そして<実験 〉とは, 実際の体験の意 と と る べ きで あろ う, しか しだ か らと い っ て こ れ を 新 詩 と 無 縁 の 論 と す る こ と は 当 ら な い , ,. <詩人は模倣者にあらず, また発見者に あらず詩人は創造者ならざるべか らず〉と して<経験 上の智識〉は結局 <詩人の想像力 >を養うにすぎないことを論 じている. しかも<想像> がすく さま<詩〉な のではなく, <夢と 覚と神来>という三要素からなる <美象を造る能力 〉によ って は じめて<詩〉は生まれると説 いている, ここには, 単純な写実説を越えて, やがて着実な建設 的詩論を展開する抱月の姿勢がうかがえるのである. 4月, 時文月 旦欄では 「俗謡的新体歌」 と 「pun 地口, ひきかけ言葉」 の二丈が, 鄭隈子の署 名で出ている, 前者は, 新体詩人が, 種々の模索の過程と して, <万葉的詩藻>やく新古今的詞 花言葉>の採用を試みたか, 結局適 しないことを知って, あらたに〈僅歌俗曲>を採り入れよう と して い る 情 況 を 報 じ, しか も そ の 方 向 が, < し や ん せ > < ご ざ ん す > < 何 々 じや 〉 < 何 々 わ い な 〉と い っ た く 花柳 狭 斜 の 通 用 言 〉 に 傾い て い る が, まこ と に 見 識 の な い こ と だ と 批 判 し て い , る. < 詞譜は語を撰ぶを第一とする >のだから <僅語>を採るのはいいか < 「浮いた」 を理 , ,. 想とする狭余 斗語に就きて 明治の新詩語を求めんとする >ことは間違っているというのが論者の意 見である, 後者は英語でいう pun(地口) と, わが国のくかけ言葉>の差異を論 じたもので, 両者はく一 ポン イズ ロウエス1 ・キット. 見酷似しているが, pu l lはく地口は是れ最下等文才〉といわれ<同音を利用 して異義を含ませ- 言両意の兼ぬる>に すぎないのに 対し, <かけ 言葉〉はそれが眼目ではなく, <語を簡にするこ と ><語 呂を滑にすること > < 語 を 美 に す る こと > の 三 つ を 目 的 に して い る の だ と 説 い て い る, しかも論者は, くかけ言 葉>を重視して, < 隠- - 命直- 除に比すべ きもの>であり<一種の 6gure た るを信じ><国語の性質の大変 せざる 眼は軽々しく棄つべきにあらず〉と している, ここにあらわされている見解は, 修辞的な分野に限られたものと解すべきではない. <かなた の修辞則を以て軽々律し去るべからず> という慎重な態度をこそ汲みとるべ きであると思うので ある,. 8月 (94号) の桑報欄は 「新体詩」 と題 して精しく詩壇の傾向を報じている, 一種の グルーフ 比較評とな っているので, 詩史の直接資料ともなるものである. 今その内容の一部 を見ておく, まず全般的に, く新体詩壇は旧 様を改めず〉 と しなが らも, <青年派>- 『青年女』 『‘ i ・年女 庫』 『小文学』 『も しほ草紙』 『帝 <大学派 - <文学界派 国文学 > の三派に分け それぞ > 』 , , , れの特徴を述べている, <大学派〉では, 武島羽衣の 「小夜砧」 を例示 して, <此の派の特色は宏 辞に して典雅 今様 , 長歌等の姿極をも失はずして而も能く単調に流れざる所にあり〉と, 調のく典雅>を特 色と 見て い る.. ・. また〈青年派 〉では, 河井酢者の 「大魔王」 を例示して, <詞調生硬 〉な面もあり, <俗さ> もあるが, そのく想>には見るべきものがあると して, <意余ありて詞足 らざる感 > のあること を あ げ て い る,. さらに〈文学界派 〉では, 島崎藤村の 「与作の馬」 を例示 して, <新思想を歌はんと して頗る 勉むるに似たり且つ辞に於て, 青年派の上にある〉からく形想ともに略々調へるを見る〉と特徴 づけ‐て い る.. - 49 -.
(14) . 角. 田. 敏. 郎. そして結局 この<文学界派 〉を, も っとも嘱望 して, <優雅は 『帝国文学』 に及ばずと いえど も彼れに比 して措辞自在, 加ふるに想の見るべきあり斯かる風調はた とヘ西洋には早く之れあり きとするも之れを国詩界の物とせるは作者の効なるべし 吾人は新体詩壇の調子の此等新思想派の 手によりて高め られる 日遠からざらんを予期す 〉 と結んでいる. 高山樗牛も詩評家, 詩論家と して活動 したが, 「際職体の末路*」 (明30 .9) などで行った藤村に対する評価が, やや的はず れであったのに比 して, この 『早稲田文学』 桑報欄の筆者が予見 した藤村の役割についての考え は適確であ ったといわねばな らない, 10月, 鄭腰生は 「『新体詩歌集』 を読みて」 という短文を掲げているが, 着実な詩学的研鎖を積 み重ねつつある 『早稲田文学』 の論者 らの目には, もはや 『詩抄』 の著者外山正一や, そのグル ブの人々の活動は, 稚気を帯びたものとさえ見えたのではなかろぅか, く まづ目にとまるは外山氏の新 作也管々 しき評論に及を ずして吾人が感じたるまふをいへば i 外 山氏 の 諸 作 は・orat on な り Poetry にあ らず. 外山氏は修辞家なり布置結構行文力めたりといふべし 外山氏は頭も冷に して腸も (?) 冷なり 外 山 氏 は 始 終 コ トワ リ つ. あり 「佐久間玄審」 の如き. ならず Lyrical にもあ らず. Expos i tory. Dramat i i c Monologue も Dr amat c とは. 1とな れり 要 す るに 外 山 博 士 の解 釈 と i となり orator ca. なれり さもあれ外山氏は. orator. としては比較的に成功せり 氏が朗読を聞いて口をつ ぐみ し批評家等. ry と は蓋 し詩人としての氏に服せ しにあ らで orator と して の 氏 に 服 せ しな らん 氏 の 作 を Poet. いはば古来の. orator. は殆 ど悉く詩人ならん散文と律語との別は今後全く絶滅せん. 外山氏につぎて新感想を吐露せるは上田万年氏なり評して同はく 帰化外人が衣冠束帯せるが如 し 最も風調に於て優れるは中村秋香氏也 評 して日はく 上野公園の雅楽協 会に臨みたろが如 し 阪正臣氏に至りては流暢なる今様ぶりさらさらとtて (?) 也其の外山氏に徽ひたるは 純然たる. 叙事丹情の散文 ion orat. にもならずもとより詩で はなし. こ れ を 『新 体 詩 歌 集』 と い ふ オ ッ ナ も のな り >. 以上 が その全文であるが, これに関連してとりあげておきたいのは, 11月 『国民之友』(268号) に出た内田魯庵の 「読詩鎌舌」 である. 内容は, < (一) 汗情歌の統 一, (二) 新体 詩, (三) 汗情歌の批評, (四) ウオ ヅウオルス, (五) 松尾芭蕉>とな っているが, 純然たる新体 詩論で あ る.. く漢詩 ><和歌 ><俳句 >というそれぞれの詩歌 が, 自分の殻にとじこもるのは, 〈一方に偏 する学風 >があるためで, 〈美学上 の批評を盛んにして従来の汗情歌人が作れる関門を破壊せざ れば新体詩が興隆は決 して望む べからず〉と説いている, そして世間的に権威をもっている外山 シヤーラタン. 正一をはじめ上田万年 らの在り方を諒 して, <予輩は不幸に して我美女壇が此行険者の為に多少 腰隅せ られたり しを認めて之を悲しむと共に新体 詩 壇が幸に 此行険者の競争境た らざらん事を望 む〉と述 べて, この<行険者の闘入>を防くためにも <拝情歌の批評>を盛んにすべきだと説い * 拙稿 「際鹿体論議と樺牛」 ( 「語学文学会紀要」 3号, 昭40 ) 参照. ,3. - 50 -.
(15) . 近 代 詩 論 史 稿 鈎 て い る,. 外山正一は 『新体詩歌集』 序文 (明2 8.9)を発端として詩の形想関係論議を誘発 したり, 「新 体詩及び朗読法」 (明2 9, 3~4帝国文学) で際腕・ 体論議に関係したり, とかくこ●の期の表面に あらわれてはいる, また井上哲次郎も26年1月 2 日に 「詩歌改良の方針」 (国民之友197 , 181 , 1 82号) を出し, また30年1月に 「新体詩論」 (1~2号帝国文学) を発表したり, その他 『歌学』 (1~3号) 『青年文学』 (5~10号) 『文章』 (1~3号) な どにく詩歌論>を発 表 し, 講演なども 行 っ て い る.. しかしそれにもかかわらず, 『詩抄』 序にあらわれた見解から 幾分の新味も見 られないものば かりであった. 専門的に深められた見地か らすれば, 所詮は啓蒙論の域を脱していないといわれ ねばならなかった, それのみかいたずらに〈元祖〉 や創始者意識 を持することは, 後進から見て シヤーラタン 進歩をはばむ<行険者>と見えたのである. 魯庵の 「読詩筋舌」 で,.も う一点注目すべき事がある, それは, ワーズワース* と芭蕉をあげ て両者の相違に留意しながらも, <二者共に平淡なる俗語を以て成効したり >として, <新体詩 家何ぞ一段の勇を鼓 して言文一致の作を試みざるや〉 と口語詩運動の先躍をつとめていることで ある. そしてその際に, 芭蕉の識見と伎価とを讃えて<言文一致の韻文を興 さんとするには俗語 を正すを目的とせざれば野卑濃雑に陥るの愛あり〉とは付言している, 普通口語詩運動に直接した論としては, 明治40年7月 『詩人』 に出た森川葵村の, 「言文一致 詩」 などが, 最初のものとされているが, 詩論史的には少くとも10年以上先立って<散文に於け る言文一致未だ全く成功せず 猶ほ頗る不完全を免れざるに当って韻文に言文一致 を求むるは余り に急激なる説なれども全く架空の希望にあらざるを信ず〉 とするこうした論のあることを見れば 通説のよ うに自然主義文学の興隆にうながされて口語詩運動が起った, と単純に割り切れないと もいえるのである. 自然主義思潮は, 有力な機縁とはな っただろうが, 『詩抄』 以来の継続的な 志向と, さ らにこうした 「読詩銃舌」 のような主張が底流となっていることを考慮す べきであろ う・ な お 周 知 の ごと く, こ の11月 か ら12月 に か け て, 『早 稲 田 文 学』 で は 4 号 に わ た っ て, 抱月 の. 「新体詩の形に就いて」 が出て いる, 抱月 がどういう立場からまたどういう意図をも ってこの論 を出したかは, 諭そのものによ ってもうかがえるのであるが, 同 じ月 の莫報欄にも 「新体詩形」 という題目で, 当時の情況が記 してある. これによると, 鴎外らの 「於母影」 (明22 ,8) の実 験や, 旗野士良の 「無韻非歌論」 な ど<音韻論〉も, すべてが詩形を模索して来たあらわれであ るというのである, そして<近事は概して七五・五七の旧調のみが弘く行はる に 至 > っ て い る が, その中で外山正一だけが, <一人異様の文体を創し新体の詩なりと呼号>して, これに対す る是否の論が起 っているとして, 世評を各雑誌によ って分類している. 『国学院雑誌』 , 『高等国 文』 の中村秋香, 『帝国文学』 の林斧太などはく賛成の意 >を表した側に属し, 『国光』 『国民 之友』 『文 学界』 な どは否定の側に立ったものという , , こうした情況の中で, 抱月 はその詩学的 知識を発揮し, 新体詩の性格を<汗情>とく律語>の二面か ら規定して行 ったものである. この時期には, 一般に詩学的関心が高まり, 種々の詩評・詩論が出ているのであるが, そこに が論議 として発展し, はまた用語・概 念などについての誤解 や混乱も少くなかった, 従 って論議. 本質的な意味での十分な成果を得るということは多くなかったともいえる , 同 じ11月 の時文月 且 * 宮崎湖処子の伝えた 「ウオルヅウオルス」 ではなく , ワーズワースそのものを研究せよと述べている, 湖処. 子著 「ラルズオルス」 明2 6 .10民友社刊,. - 51 -.
(16) . 角. 田. 敏. 郎. 欄では, 鄭隈生が 「散文の詩といふこと」 という短文を掲げて, <詩>の広狭二義か らく散文の 詩>とく無韻の詩>と の相違を説明している, この両者の混同が, 一部で行われていることを指 摘 した後, <無韻の詩とは blank verse> で, < 一 定 の 律 呂 あ る も 脚 韻 の 無 い詩> の こ とであり <散文の詩とは律呂も無く韻も無く而も其の表白する所のミル トンの所謂 Simple, Passionate, and Sensuous なる文> のことであると説明 している. そして く無韻の詩> のく詩〉は狭義の場 合で, <一定の律呂を具へたろ華女〉というにす ぎないし, <散文の詩 >のく詩〉は 広義の場合 で, く 情 の 女 〉 と い う こ と だ と して い る, こ う し た 面 で の 混 乱 は ず い ぶ ん 多 か っ た だ ろ う と 推 察 さ れ る.. 明治29年の詩論史上の トピックはく 際腕体>論議 であろうとは, すでに前稿でふれた事である が, 『早稲田文学』 では他に, 詩の批評の在り方を論 じた 「詩を解するもの」「解詩者と批評家」 (3月集報欄) という項目の文章 が ある. 重要なものと思うので, 若千内容にふれておきたい, まずく詩 を解する者と詩の関係〉に ついてであるが, 人によ ってく美の賞翫力の高下〉はある に して も, <解詩に特別 の技能〉は要 しないと断 じている, そしてこの両者 の区別を明らかに し. ないから, 〈作詩の上, 批評の上に混雑を来たす〉といい, 殊に く 今の批評論にこの弊多き が如 し〉と問題を提起して, <詩を作るものにあらざれば, 到底詩中の趣を語る べ からず>などとい うよ う な 論 は 誤 っ て い る と 論 じて い る,. 同 じように〈解詩者と批評家との関係〉でも, <作者評者合一論 >が横行するからく批評の価 値>を疑うものが多くな っているのだと指摘 し, この方面の研究の必要性を強調 している. 詩評 ・詩論の機能 や本質に目を向けた貴重な文章といえよ う. また 「叙事詩」 (7月集報欄) という文章も 『早稲田文学』 の特色がよくあらわれた文章で, 叙事詩 が我国で育 っ ていないというような論議に対 して, <精確なる定 義を与 へて>からでなけ れば, どんな議論も実を結ばないと述べて いる. この他2 9年30年には, 新体詩壇の動向を報 じ, あるいは, そこから問題を提起したものなど多 数ある が, 今はふれ得ない, ここでは比較的諸家の目をひいていない, しかも詩諭史上重要なものと して, 抱月 の 「『月草』 を読みて」 をとりあげて一応稿を閉 じたい. 7号から 第30号まで4回にわた って出たものであ これは明治30年2月 3 日の 『早稲 田文学』 第2 9号第30号が当面の対象である, るが, そのうち後半の第2 『つき草『 (明2 9 . 12春陽堂) は, 鴎外がそれより7年前までの論文・雑緑をまとめて出した ものである が, 抱月 はここか らいくつか問題をとりあげて, 精撤な批 評を行う, 鴎外の詩論史上 の業績を性格 づけて<第一は, 其の極めてサ ゼスチーヴなるにあり> く第二は其 の審美上文学上 の用 語 の佳 なる も のに 富 め る こ と > で ある と 二 つ に まと め て い る,. 抱月 は, 『つき草』 の言文論の部のうち242頁から308頁をとりあげ, <一半は 詩形の諭><- 半は 詩想の論>と見て, 詩形論のうちのく律語〉に関 しては, く一躍 して一切の詩形を破却 し去 らんとする急進論者を# ”へ, また句の韻律, 音の抑揚長短高低の区別をす ら弁へざる音韻両者を 講へたろ>点に鴎外の功績を認めている, そして抱月 自身はく律語界に於ける律格破却詰 むは, 見易き理に於て敗れな がらも今に猶其跡を * 日夏政之介 『明治大正詩史』 では 明治2 0年代では 「詩歌絶対の本質を明確な文章で示しえたのは, 美妙が , 詩諭を総収した 『つき草』 に於ける鴎外一人であった」 と評しているが, 「つき草」 の内容にはふれていな し・ .. - 52 -.
(17) . 近 代. 詩 論 史. 稿 〇. 絶たず, 畢覧従来の国詩が外形の一辺に偏りたりし結果, 之れを矯めんとする反動力の根深きに 由 る か,>と して 打 ち 切 り, 以 下 美 妙 ・ 鴎 外 の く 想 の上 の 論 > を 見 る こ と に 主 力 を 注 い で い る,. ここで 抱月 は, 鴎外の 「美妙斎主人が韻文論」 のうち, とくに〈余情>をめく っ て, 鴎 外 ・ 美 妙の論点を整理 し, さ らに 抱月自身の見解を加えている, まず美妙が 「日本韻文論」 同 (国民之 友98号) でとりあげたく余情〉に関する問題を, <-, 景の趣の因りて基く所を考ふる事, 二, 余情といふ事, 三, 歌人が秀句に耽るは余情を持たせんが為なる事の三疑案あり〉と して, これ に対する鴎外のく駁論> が, も っぱら美妙の用いたく考ふ >を<理知にたよるれる考恩の義>と した上で行われている事を指摘している, しかしなが ら美妙のいう<考ふ>は, 他にく汗情的な れ 〉 と も 解 せ る し, <想 像的もしくは高等美的なれ>とも解する余地があることを示 して, 鴎外 に も 一 方 的 なと こ ろ が あ っ た 事 を 明 らか に して い る,. また〈余情の説〉については, 鴎外が<ハルトマソの意を援いて><余情>をく所謂個的小天 地的なる美の必然の結果と見倣>していることを前 提と して, 鴎外のを<審美的余情>と名づ け 他に<心理的余情>というものも考えられると している, この<心理的余情 >はく美象を成すに 当りて, 材の組織に多く聯念の作用 を籍る >が, この<関係〉や過程に, より多く関心をよせる のが<心理的余情> の特徴だと説明して, 美妙の指すのは, あるいはこれではないかと推定して い る, さ らに 〈 秀 句 〉 に つ い て は, 美 妙 は 否 と し, 鴎 外 は 是 と して い る の で ある が, 抱月 ぼ く 特 別 な. る時処に限らるべき経験は, 之れを以て他に強ふるの権 〉はないのであるから, 〈非審美的なる 実感を詩に入れんとする> <心理的余情>を目的とする<秀句 〉には賛成できないと して, くわ しく論 じ, 結論として<審美的余情主義, 秀句主義は弊ならずして心理的余情主義秀句主義の審 美界に獄入する時>弊害が起こると述べている, こうした抱月 の論は, 美妙・鴎外の論を客観的に公正に検討したよい意味での詩学的な詩論の 典型といえるであろう. 抱月 はここで<余情〉に精力を注いで解明 した後, さらに鴎外のく和歌 と俳句との比較〉論やく詩想の幽玄*>論をとりあげているが, 省略する, 本稿では, 前稿を補う意味でこの期間の 『国民之友』 『早稲田文学』 の諸資料の整理を試みた のであるが, 2 9年30年あたりでは, ふ れ得ないものも多かった, 『国民之友』 では, 浩々歌閣の 「井上博士の新体詩論」 (明30 , 3) , 桂月 の 「散文詩と韻文詩との得失」 (明30 . 4) 『早稲田 抱 文学』 では, 月 の 「新体詩集を読む」 (明30 0 , 繁野天来の 「花密蔵難見評」(明3 , 4~5) , ,6) 0,6) などである, その他莫報欄あたりの短章にも, まとめるべき 同 「『拝借詩』 を評す」 (明3 問 題 は 散見 した が, ふ れ 得 な か っ た,. (1966, 4, 29). * 石橋忍月を相手としたもので 「答忍月論幽玄書」 明2 3 1「志がらみ草紙」 などがある, .1 ,. - 53 -.
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現を教えても らい活用 したところ 、その子は すぐ動いた 。そういっ たことで非常 に役に立 っ た と い う 声 も いた だ い てい ま す 。 1 回の 派 遣 でも 十 分 だ っ た、 そ
北区らしさという文言は、私も少し気になったところで、特に住民の方にとっての北