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総合芸術学について

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Academic year: 2021

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(1)Title. 総合芸術学について. Author(s). 野辺地, 東洋. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. A, 人文科学編, 17(2): 10-14. Issue Date. 1966-12. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/3916. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 7巻 第1. 2月 昭和41年1. 北海道教育大学紀要(第一部A). 第 2 号. 総合 芸 術学 につ い て. 野. 辺. 地. 東. 洋. 北海道教育大学岩見沢分校哲学研究室. 0ber d i Toy6 NoBBL ーHI: - e Gesan1tkunst-Wissenschaft. は. じ. め. に. ”. “. ‘総合芸術の学 のこ とであって, 総合的な芸術 こ こ で 私 が 総 合 芸 術 学 と い っ て い る の は, ‘ す る かと ’ と い う よ う な い み の も の を 指 して い る の で は な い 学’ 。 そ れ で は 総合芸 術と は 何 をいみ て 総 合芸 術 の l i = (Mus (drama) に 与 え た 名 称 と し い う と, そ れ は ワ ー グナ ー が み ず か らの 楽擦 twerk) の 内 容 と は, 必 ず しも 一 致 す る も の で は な い. か り に 一 致 す る 部 分 は あ る (Gesamtkuns に しても, 名称の動機 はまっ たく違っている. 彼は, 従来の歌劇にたいする彼独自の主張に立っ て, 彼の制 作 したものにこの名 称を与えたので あるが, ここで総合芸 術というのは, 時間芸術と 空間芸術との総合, これをさ らに厳密にいうな らば, 前者のもつ時間的 契機と後者のもつ空間的. i t) i t‐rauml che Kuns 契 機 と の 総 合 と い う い み の も の で あ る. した が っ て こ れ を 時 空 間 的 芸 術 (ze. と称 してもさ しつかえないのである, またこの種の芸術の制 作される場所を 舞台と名 づけるので, これを舞台芸術ということもある, さて, 総合芸術についは, 他の芸 術の分野にく らべて, その研究がはなはだ立ち遅れているよ うにみうけ られ る, 諸芸術分野のなかで 早くか ら研究の進んでい る領域は, 文芸に関するもので あったろう, 古代ギリ シャ の詩学や, シナ, 日本における 詩論, 歌論などは, 芸術論の歴史のな “ “ かで断然光彩を放っていたものである. これ らの研究は綜括 して 文芸学 と い わ れ る べ き も の つねに模範となっていたことは, 洋の東西 ) で1 , その発達は他の芸術関係の諸学の先 駆をなし, を問わずいわれることである, 絵画論や彫刻論や音楽論があらわれたのは, 部分的な述作はべっ と して, 体系的な ものと してははるかにて麦世にいたってのことである. 絵画学とか彫刻学とかと いう個々の 分野に関する学の成立については寡聞に して私は未知で あるが, それ らを綜括した遣 い し美 術 学 に つ い て は,. あ る 程 度 ま と ま っ た も の が, で き あ が っ て い る も の の よ う で あ る. ま た. 形芸術学な音 楽学に関 しても, 近年の進歩はめざましいもの があるようであり, まことに喜ばし く 感ぜ られる.. しか る に 総 合芸 術 に つ い て は, ま だ 研 究 が そ の 緒 に つ い た ば か り の よ う に 思 わ れ る, も っ と も 演 劇 論 に つ い て は フ ラ ンス で は ディ ドロ, ドイ ツ で は レ シ ソ グ な ど に よ っ て 近 世 的 な 学 問 の 道 が ‘文学” といわれている譜が, 女に関する学問についてであるか, 女に関する芸術についてであるか 1 ) 日本で ‘ すこぶるあいまいであることは, 和辻哲郎や岡崎義恵によって早くから指摘されているところである, 私も ‘ ‘ ‘ “V3 ‘ 文芸学” 4 かかる “文学“ なる譜を避けたいと思う. 和辻哲郎全集 I , 73頁以下 ; 岡崎義恵, 日本 頁以下. - lo -.

(3) . 総 合 芸 術 学 に つ い て. 開かれてきた, また日本の世阿弥もあるいみで演劇論といわれるべ き, す ぐれた著述を残 してい る, さか の ぼ っ て は, ア リ ス トテ レス の “Poe i t ca“ も, 現 存 す る 部 分 に 関 す る か ぎ り, 演 劇 論 を. 中心としたものとし ・えるであろう. ともかく演劇学なる言葉も近年聞かれるようになった, また その演劇学が, すなわち総合芸術学であるかのごとき観を呈 してもいるようにも思われる , と こ ろ が‐卑見 を も っ て す る な らば, 総 合 芸 術 の な か に は 演 劇 と い う ジ ャ ンル の ほ か に こ れ と ,. は独立に, 舞踊というジャ ンルが存在すると考え られる. さらに詳細に論ずるならば この両者 , の中間に, それ らの総合体 として, 舞踊劇 なるものも存在するように思われる, したがって学と しては, 総合芸術学のなかに, 演劇学とはべつに舞踊学がなければな らない し, またさらに舞踊 劇学もなければな らないわけである. 従来は舞踊に関する論議は演劇 学の片隅でなされていた, し, 事典の項目のなかでも演劇の附録のような記載のされかたをしていたのが舞踊である いわんや , 舞踊 劇 に つ い て は, ほ と ん ど 独 立 の 問 題 と は な らな か っ た の で あ る ,. 以上のことをひとまず念頭において, つぎに総合芸術につし ・て組織的な考察を進めてみたいと お も う, 論. 本. 総合芸術は, その作品が人間の身体を基調 と して作られたものであることが, その 特 質 で あ る, す べ て の 芸 術 制 作, い な す べ て の 制 作 に つ い て い わ れ る こ と で あ る が 制 作の 働 き は 人 間 の , 身 体 に よ っ て な さ れ る こ と は, い う ま で も な い こ と で あ る 作 られ た も の は こ の 身 体 を も て っ . ,. 制作するということか ら独立 して存するのが, 時間芸術と空間芸術の作品 である. 前者にあって は, 作品 は作られつつ存在する, 音楽は音楽を奏 していることによって存在 し, 奏 し終ることに よって消失する, つまり作品は制作とともにある, その点で, 身体をもって制作するということ か ら作品 が 独 立 して い る と は, い わ れ な い よ う に 考 え られ る か も しれ な い .. しか し, こ の ば あ い. 身体は作品のそとにある. 身体は作品の一部ではなく, 作品は身体から独立 している たとえば . 音楽はただ音だけで組織されており, そのなかに身体の要素は含まれていない. 後者においては もちろん制作 し終ったところ に作品は誕生するのであるか ら, 作品は明瞭に制作活動からの独立 性を示 している, これ に反 して総合芸術にあっては, その作品は身体をもって制作 しつつあるそ のこ と 自 体 な の で ある. 制 作 して い る こ と と 制 作 さ れ て い る も の と は 同 じこ と な の で あ る 制 作 . が 作品 で あ る. こ の こ と が こ の 種 の 芸 術 の 特 質 で あ る. した が っ て こ の 種 の 作品 に は 身 体 が 基 , 調 と な っ て い る,. も っ と も身 体が基調であるといっても, その身体は彫像 の ごとく静止 している. のではない. 静止 した身体の形態をもって作品とするのではない, それならば造形的な空間芸術 となり, 時空白 勺な総合芸術ではなくなる, 身体は動く身体であり, 動作が作品の基調をなす ので ある. この身体の動きの動きかたを規定するところに, 芸術性の問題がある, そ してばあいによ っては, いな多くのばあい, これにたい して他のもろもろ の芸術的要素の種類が参加協力するの である. いまここでは, この参加協力 の問題までを扱うわけにはいかないが, 別稿 “制作学とは 何か” の延長と して, 総合芸術のなかに分類されるジャ ンルをかかげておくこととする. A, 舞. 踊. 身体の運動はまず舞踊という作品と なってあらわれる。 a, 純粋舞踊 舞踊のもっとも純粋なものを考えてみよう. それ は他のなにものの表現でもないものである, - 11 -.

(4) . 野 辺. 地. 東. 洋. なにものをもいみせず, なにものをも再現 しない. ただその動 きが美的であればいいのである, したがっ てそれは体操的動作によるものである. もちろん, ふつうに体操的動作というと, 健康 とか美容とかを目的と したものである. したがってこのばあいの無目的動作をいいあらわすには 厳密にいっ て適当ではない, しか しいまは, これにふさわしい言葉がみあたらないので, 従来使 i われてきた “体操的 gymnast sch” と い う 表 現 を用 い て おく こ の よ う な 舞 踊 は 完 全 な 自 律 性 を も ち, そ の美 は身ら体 の 動 き そ の も の に よ る も の で あ る.. . そ の 動 き は と き に よ っ て, い な た い て い. は, リ ズ ム を 伴 う も の で あ る か ら, リ ズ ム を 強 調 す る た め の 音 楽 を 伴 奏 と す る こ と と な る. も っ l l とも音楽を伴うことは必ず しも要せず, 無音楽的 (mu i ) なこともありうる. またメ p デ ィ os ( s. をも った音楽を伴うことも多い。 そのことによって舞踊の効果が高まることになる, b. 汗情舞踊 純粋舞踊は純粋音楽の ごとく 時間的契機のゆたかなものであって, 時間流動そのものにもっ と も近いものである. これに文芸的要素が結びつく ときには, まず時間流動の濃厚な汗情詩がこれ にあたることに なる. 制作者の感情の表出が文芸的契機と舞踊との結合によっ て, 聴覚的視覚的 に お こ な わ れ る こ と に な る.. こ の ば あ い の 動 作 は, 喜 び, 悲 しみ, 驚 き, 怒 り な ど の 感 情 表 現 の. 動作の模倣となる, これによって意味表現がおこなわれることができる, この模倣的動作は, も ちろん舞踊におけるものであるから, 単なる写実ではなく, 舞踊化されたものでなくてはな らな い. すなわちなん らかの程度で, リ ズムにのり, 様式化されたものとなる. また多分に象徴性を 加えることもできる。 そこで模倣的動作を分けて, 写実的動作と象徴的動作と に区別する, この ばあいの “写実” は, 芸術化された写実のいみに制限されている. この拝借舞踊にあっ て, 汗情 詩が必ず伴うものであるとは かぎらない. ただ汗情詩的な内容を予想 して舞踊されることもあり, また詩文があわせて, ときに舞踊者自身により, ときに歌い手によ って, 歌われることもある, 拝情舞踊は純粋舞踊にたい して, 表題舞踊といわれることもできる. B, 演. 劇. 身 体の動きが舞踊的なものか ら離れて, 人生の事件的経過を芸術的写実性をもとと して再現 し ようとするときに, それは演劇 (または劇) となる. このばあいの身体的動 作は, もちろん模倣 的動作であって, 体操的ではありえない. また写実的ではあっても, 象徴性をも含みうるもので あ る. ま た 舞 踊 的 で は な い が, 様 式 的 で あ る こ と は で き る の で あ る.. a. 叙事詩劇 文芸における叙事詩は過去の事件を詩の形で述べ たものであるが, その内容を過去のままに身 体的動作で再現せんとするとき, 叙事詩劇が生まれる, もっとも身体による再現は, つねに現在 的 で あ る ほ か は な い か ら, こ の ば あ い は 過 去 に お け る 現 在 と して う け と られ る,. い わ ゆ る “仕 型. 言雷’ において典型的にみ られるようにである, この種の劇にあっては, 文芸上の叙事詩が全体の :詩がかたわ らで朗唱されなければな らない. いな, む しろ叙事詩の朗 構成を規制 しており, -叙事. ) 命的な言葉をもってすれば ”挿 絵” な の で あ る1 唱が主体であって, 人間の動きは, 比= . た だこ の種の劇の中間の部分においては, 人物の対話が朗唱者の口を離れて, セリフによっておこなわ れることができるか ら, その点では次に述べ る種類の戯曲劇が部分的に実現 しているようにも,. み られるのである, なお叙事詩劇については, 筆者は当紀要の前々号で, とくに主題的に一稿を かかげて, 具体例をあげつつ論 じて おいたので, 一顧の栄を与え られれば幸いである, ′ こ, “合唱の歌詞が本文で, シテの動作はその挿絵とみるより外に, 1 ) 野上豊一郎が能について論じたさい‘ ‘能の舞台的特質“1 8頁. 解釈の方法はない” といっているのは, 適切である. 岩波講座, 日本文学, ‘. - 12 -.

(5) . 総 合 芸 術 学 に つ い て b, 戯. 曲. 劇. この種 の劇は文芸における戯曲にもと づいて , 事件的経過を現出する. 戯曲は, その本来的な もの は, 対話と動作とを中心とした事件の進展とそれに附随したことが らとを指示す るための作 品である。 これは日的の観点にたつならば 演劇に従属す るものであるが 事件の構成 人物の , , , 性格決定, セリフ内容の叙述などの点 は 文芸の本質に関することがらである 叙事詩劇が叙事 , , 詩の性格によ って規定され るように 戯曲劇は戯曲のそれによ て規制されている すなわち前 , っ . 者が叙事詩の過去性を基調と したものであるのにたい して 後者は 戯曲の現在性によ るものであ , る. そ こ に 実 現 さ れ る 内 容 は, 現 に い ま お こ り つ つ あ る 事 件 と して 制 作 さ れ て い る の で あ る.. 前. 者のまた内 容が ‘ ラ過去の現在” であるのにたいして 後者のそれは “現在の現在” なのである , . 前者に あっ ては詩が朗唱されなければならないが , 後者においては聴覚的なものと して は, 人物 のセリフが中心で, その他は情景を描写する音響が 附随するだけである 前者が朗唱 を必要と し , , それに伴って音楽的要素を豊富にもちこむという事態は 後者においてみ られない の で あ る , . それだけに, 後者は前者にく らべて写実的な傾向を多くもっということも いえるであろう か , , く の ごとく 前者が文芸的要素とそれに伴って音楽的要 素を多く総合 してい るのにたい して 後者 , はむ しろ他の要素を去 って, 戯曲という文芸 的要素によってのみ制約されて いる とはいえ そ . , れはまた人物の演技 (身体の動きのみならずセリフの発声をもあわせて) にその重要な特質をも っ て い る と い う こ と も, 考 え られ な け れ ば な らな い. こ の こ と は こ の 種 の 演 劇 が, 純 粋 舞 踊 と と. もに総合芸 術全領域の両極端をなすものと, いうことができるであろう なお セ リフをも去 . , っ て単なる身体の動きのみによ る意味表現のものとなるときは, 黙劇といわれる作品となるが も , ともと演劇か らセリフを欠くことの必然性は見いだされず, む しろ正常な演劇を奇型化したもの と, み る べ き で あ ろ う, C, 舞 踊 劇. これは舞踊的契機と演劇的契機との総合によってなりたつ領域である 舞踊的 な身体の運動を . 一つの契機とな し, 客観的な事件 の経過の表現を他の一つの契機とする 舞踊の側か らみるなら . ば, 舞踊によ って事件が展開され, 演劇 の側からみるならば 事件の展開が舞踊によ てなされ , っ る, というわけ である, このばあい動作は, 象徴的であると写実的であるとを問わず 模倣動的 , 作でなければならない. さもなければ, 客観的事件を身体をも て表現す ることが 不 可 能 で あ っ る. ところで演劇が叙事詩的と戯曲的とに二分されているように それと同 じ趣 旨でこの舞踊劇 , においても, 叙事詩的と戯曲的との二種類 のものが存するわけである すなわち , , a, 叙事詩的 舞踊劇と b. 戯曲的舞踊劇とである それらの おのおのの特性と相違とは 演劇のところで述 , , べ られ たこ と か ら, そ の ま ま 推 論 さ れ る こ と が で き る で あ ろ う . お. わ. り. に. 以上で総合芸術の全領域を一瞥して, そのなか の各分野を列挙 してみたわけである 叙述を簡 . 略にす るために, 具 体例をあげることは一切避けた これ らの分野が互 い に他から隔離されてい , る も の で は なく, 一 つ の 作品 の な か に 数 種 の も の が 混 入 して い る と い う こ と は 実 際 に あ た て っ , しば しばみ られ る こ と で あ る, た と えを 或る叙事詩劇 は そのなかに叙事詩的舞踊劇をも含んで ,. いれば, 人物の対話の箇所は戯曲的演劇にもなっ ており また人物の主観の表現においては才 子情 , 舞踊化 している, といった具合である, さ らに, 舞踊的なるものや叙事詩的なるものが音楽との 協力関係を作りだすことには触れたが, 演劇的 なるものが歌謡と結合 して 歌劇とこれに類似 し , 一1 3-.

(6) . 野 辺. 地. 東. 洋. た各種の ものを構成することも, みのが しえない点である. また総合芸術全体についていえ るこ と で あ る が,. 人 間 の 身 体 を用 い る か わ りに 人 形 を も っ て お き か え る こ と も で き る の で あ り, そ の. ばあいでも, 人形自身はセリフをいわないというような, 部分的変更をつけ 加えさえ すれば, こ れまで述 べ られた原則 はそのまま適用 されるのである. さい ごに, 別稿の “制作学とは何力ぞ において, 制作と作品 との一覧表をかかげておいたが, この稿においても便宜の ためにはあえて重複をもい とわず, 総合芸術の部分だけを表示すること と しよ う. 以 下 の と お り で あ る。. 一端瀧二 演劇. 一 14 -.

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参照

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