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北米先住民に関するエスノヒストリー研究の最近の展開について(その1)

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(1)Title. 北米先住民に関するエスノヒストリー研究の最近の展開について(その1 ). Author(s). 岸上, 伸啓. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. B, 社会科学編, 43(1): 63-77. Issue Date. 1992-07. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/4522. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 平成4年7月. 北海道教育大学紀要 (第1部B) 第43巻 第1号 43 I Joumalof Hokkaido University ofEducation(Section IB) Vol ‐ , , No. ly Ju ,1992. 北米先住民に関する エスノヒス トリー研 究の 最近の展開について (その1). (Recent Develop 1ment of Ethnohi storicaIStudies N P i l f h th A merica) on at ve eop es o t e Nor. 岸. 上. 伸. 啓. (北海道教育大学函館分校総合科学課程). 1. 序 ]oh i logi I Hi エ ス ノ ヒ ス トリ ー ( tow) は, こ の 1 story) な い し 人 類 学 的 歴 史 学 (anthropo eth ca s. 2 0年の間に北米において急速な発展を遂げてきた社会科学の一つである(Camlackl972; Trigger l982;Kr 91;関 1 986 ) (注1) echm l9 . 歴史学が主に有文字社会の歴史を研究対象としてきた. のに対し, エスノヒストリーは無文字社会の歴史を研究対象としてきた. そして両者の間では、 歴 史を再構成するのに利用する データの質が多少なりとも異なるため, その方法やアプローチにも相 違が見られる. 北米においては, 人類学者, 歴史学者, 地理学者, 人口学者や考古学者が, 北米インディ アン社 会に関する歴史的変化の分野に関心を示し, 様々なアプローチを適用し, いろいろな成果を挙げて き た. エ ス ノ ヒ ス ト リ ー 研 究 の 泰 斗 B. G. ト リ ツ ガ ー (Tr i ) に よ る と, 北 米 に お ける 代 表 的 gger パ サ ー な 研 究 は, ① ス イ l lacel970 (Spi ), ③ ジ ェ ニ ン グ ス cerl962) , ② ウ ォ ー レ ス (Wa ( jenni ngsl975), ④ フ ィ ッ シ ャ ー (Fi sherl977), ⑤ レイ (Rayl974), ⑥ レイ と フ リ ー マ ン (Ray and. Freemanl 978), ⑦ フ ラ ン シ ス と モ ラ ン ツ (Franc i s and. inl978 (Mart. Morantzl983 ) , ⑧マーチン. ⑨ ドバイ ンズ (Dob 9 83 ) と⑲ロールズ (Rawl 84 ) らの研究であると言う sl si9 ~ n l. (注2) . 」 本稿の目的は, これらの研究にトリ ツ ガーの研究 (Tr i 1 976 ) を加えた1 1研究を批判的に紹 r gge 介, 吟味し, 北米先住民に関するエスノヒ ストリー研究の展開の跡をたどることである. 筆者は, 1 )研究主題,( 2 )使用したデータ, この11研究を( ( 3 )採用したアプローチおよび( 4 )成果の点から整理し, 検討を加えたい. また, この11研究を比較し, エスノヒストリーにおける研究方法や問題点を整理 してみたい. そして最後に, 北米先住民についてのエスノヒストリー研究で考案, 適用されてきた 研究方法がアイヌのエスノヒストリー研究へ適用することができるかについても論 じたい 枚数の . 関係上, 本稿を2つに分けて掲載することをお断りしておきたい.. 63.

(3) . 岸 上 伸. 啓. 2. E. H.Spi cer の 『征 服 の サ イ ク ル』 (1962) に つ い て 、 -. .. J. 北米インディ アンの歴史は, ヨーロッ パ 人による植民地化の歴史でもある. スパイサーの 『征服 )が出版される以前にも, 何人かの人類学者は, 古老のインフォ ーマントから得 1962 のサイ クル』 ( た情報や歴史的な資料を用いて, 征服期以前の北米インディ アン諸部族の伝統文化を再構成しよう として き た (Fentonl936;Speckl935). こ れ ら の 研 究 者 は, ヨ ー ロ ッ パ 人 と 接 触 す る 以 前 の バ ン ド社会や部族社会は静的ないし固定的であり, ヨーロッ パ人との接触が必然的に, それらの文化の 930年 代に入り, リ ントン 崩壊や同化的変化を結果した, と仮定するむき が多か っ た. しか し1 i ld) ら が 行 っ た 北 米イ ン デ ) や レ ッ ドフ ィ ー ル ド (Redf t e (Li s nton), ハ ー ス コ ビ ッ ツ (Herskovi. ィ アン諸部族の文化変容研究 (注3) によっ て, インディ アンの諸 グループは, 同じような文化接 9 40; ton l n 触の状況に対 して 多様 な反 応を してい たこ と が認識さ れるよう に な っ て きた (Li す外部要因のみならず, Herskovi t 9 37 ) sl . そしてこれらの成果は, 研究対象の人々に影響を及ぼ これらの人々の 外部要因に対する反応をも詳しく研究しなく てはならない, ということを人類学者 に 確 信 さ せ た と い っ て よ い.. 2 ) は, 合衆国の南西部のイン ディ アン部族であるナ バホ, 196 ス パイサー ( , ユーマン ズや西部ア パッチなどの10部族に対して支配者社会であっ たスペイ ン, メキシコや合衆国の影響を吟味した. 彼の研究主題とは,「イ ンディ アンが西欧文明に対して行なう反応の主なやり方はどのようなもので i l l Sp i 62:v ) を解明すること 9 あり, 接触の結果としてそれらの諸文化に何が起こっ たのか」 ( rl ce であっ た. スパイサーのこの研究はエスノヒストリー研究の最初の体系的なモノグラフであるとい っ ても過言ではない. 0のインディ アン部族とスペイン人との 著作の第一部では,合衆国の南西部文化地域に存在 する1 接触および諸部族のこの接触に対する多様な反応をス パイサーは記述している. そして彼は, 征服 者に対するこれらの部族による異なる反応は,単純な公式によっては説明されえないことを示した. 彼は次のような見解を表明している. 「多様な反応を生み出した原因は 多数ある それらを解明するためには, , . 各部族の歴史をたどり, 接触の諸条件と反応の バターンとのつ ながりをみる ことが必要である. また, 支配者社会の政策 プロ グラムの違いに留意するこ ) と が 必 要 で あ る.」 (Spi cerl962:17. 第二部では, スペイン, メキシコそして合衆国の植民地化プロ グラムが先住インディ アン部族に 与えた影響と諸部族によるこれらの プログラムに対する反応を詳細に吟味している. 第三部では, 政治, 言語, 社会, 宗教およ び経済の領域にお ける各部族の歴史的な変化の過程を記述, 分析し, 最後の第四部ではその結果を要約している. ス パイサーの研究で, 最も重要な発見の一つは, この領域に居住している諸部族が, ヨーロッ パ 人に対して画一的で受動的なやり方で反応したのではなかっ たということである. むしろこれらの 部族は, 各々の部族が置かれた特 殊な条件のもとで, 積極的にかつ異なるやり 方で反応したのであ る. さらに, 彼は変化の過程を理解するためには, 各部族の経済構造と同様に 社会構造を考慮に入 Sp i れな ければならないことを発見した ( ce rl952:585‐6). を利用している. 一つは, 彼自身 ス パイサーは, この研究をすすめるにあたっ て2種類のデータ, 彼はヤクイス族 ールド調査で収集したデータである が行なったフィ , セリス族, 西部ア パッチ族 . i i ). も う 一 方 cerl962:vi お よ び パ パ ゴ ス 族 の 間 で, 集 中 的 な フ ィ ー ル ド調 査 を 行 な っ て い る (Spi. のデータは, 欧米人の征服者が残した記録である. この記録の中には, 1)宣教師による記録, 2) 64.

(4) . 北米先住民に関するエスノヒストリー研究の最近の展開について. 法廷の記録や宣教師のコメント, 3) 歴史家の著作物, 4)宣教師や官吏の私信や日記, および5) インディ アン局の人間が残した多数のメモなどの政府関係文書が含ま れている. ス パイサーが, この研究の中で採用 したアプローチは, 文化人類学で言う統制比較 ( l l t ro ed con ・ i E l 9 5 4 と 個人を文化の担持者として注目するという2点 ) ( ) によっ て特徴づけられ comparson ggan , て い る (Dob~msl 9 65:11 42-3 ) ‐ まずス パイサーは, 同一の文化・地理的領域に存在している各部 族の多様な反応を記述してみせた後に, 支配者社会がイ ンディ アン諸部族に対して実施した植民地 政策を吟味し, 社会・文化変化の仲介者としてのインディ アンを個人レベルで研究している. 別言 すれば, ス パイサーは, 各イ ンディ アン部族の歴史的な変化の過程を研究する際に, 各部族に共通. する変化要因と特殊な変化要因との両方を 考慮に入れていると言えるのである. ス パイサーのこの 研究は, エスノヒストリー研究の展開における画期的な業績 であることには違いないが, ア プロー チやデータの使用に問題がないわけではない. 次にスパイサーの研究の問題点を指摘してみたい‐ 第一に, ス パイサーは, 白人との接触や白人による征服に対してイ ンディ アンの人々 が行なっ た 反応に関心を示してはいるが, 彼は征服者側によっ て書き残された記録を主に利用しているため, 結果的に一方の側からの解釈になってしまっ ている. 別言すれば, 彼は, 先住民側の視点を考慮に 入 れ て い な い の で あ る (Spi 962:307 ) cerl . 先住民たちの白人との接触や征服に対する反応を理解. するためには, 我々は征服者と被征服者との相互作用の過程を両者の観点から考察を加えなければ ならないと言えよう. このような問題点を克服するために, ス パイサーは, インディ アンが残した 考古学資料や口承伝承のような利用しうるすべ ての情報を活用すべきではなかっ ただろうか. 考古 学的遺物や遺跡および口承伝承は, 先住民が特定の動機によっ て作り出したものであるため, 彼ら の視点や反応を理解するうえで役に立つかもしれないのである. 第二に, ス パイサーのこの著作では, 社会構造の重要性は指摘されているものの, 各イ ンディ ア ン部族の特定の文化や社会構造に十分な論及がなされていない ( Sp i 62 5‐6 ) ce rl9 :58 . エスノヒス トリー研究家は, 各部族の社会構造や文化がその成員の行動を制約したり, 条件づけたりすること を忘 、れるべきではない. 第三に, 利用しうる生のデータは限られているうえに, そのデータについて質的な問題が存在し ている. 通常, エスノヒストリー研究家が取り扱う記録は, 当該社会にとっ ては外国人による, そ の社会についての記述であるうえに, その人物が記録を残そうとした意図は, 通常, その社会の生 活様式を記録に残すことではなかっ た ( Sp i 62:289 9 ) ce rl . ほとんどの場合, これらの記録には先 住民の世界観や道徳観についての情報が欠落しているのである( Sp i ce rl962:309). し か も 記 録 は, ヨーロ ッパ 人の価値観に基づいて記録されることが一般的であると言える ( Sp i ce rl962:323) .. 問題点はさらに, 記録が非常に多様な人々によっ て残されていることである. ス パイサーは, 宣 教師の記録を使用することがいか に歪曲されたデータを生み出す可能性につ いて次のように述べ て い る.. 「私たちが利用しうる記録を残した 大半の者 (宣教師たち) は ス ペイ ン出 , 身というよりも ドイツかイタリアの出身であっ た. それ故に記録は, 出身国 の 文 化 に 由 来 す る バ イ ア ス が か っ て い る の で あ る-」 (Spi cerl962:309).. ス パイサーが指摘した問題点は, 私たちが利用しう るデータの質を評定することに深く係わっ てい る. 我々が気づかない偏見や誤りがエスノヒストリー研究に入り込むことが多々あると言うこと で ある. これは, エスノヒストリー研究家が, 彼ら自身にも, そして研究対象社会に対しても外国 人 にあたる人々によっ て書き残されたデータを利用しつつ異文化社会を研究することが多いため であ る と い え る. トリ ツ ガ ー は, こ の バ イ ア ス の 可 能 性 を 少 し で も 抑 える た め に は, エ ス ノ ヒ ス トリ ー 65.

(5) . 岸 上 伸. 啓. 研究家は少なく とも2つの要件を満たされな ければならないと主張している. 第一の要件は, エス ノヒストリー研究家が研究しようと思っている社会についての民族学的研究や他の文献に精通 する べきことである. 第二の要件は, データを分析する以前に, エスノヒストリー研究家は記録を残し た人物の社会文化的背景と個人的特徴もまた考慮に入れるべきであると言うことである. この2つ の要件を満たすことによって, エスノヒストリー研究家は潜在的なバイアスを減少させ, 客観性を i 6 ) 97 高めさせうるのである(Tr rl gge . すなわちエスノヒストリー研究家は, 異文化についての質 の 異なる 多様なデー タを利用 しな けれ ばなら ないの で, 研究に必要な史料 を集成する 歴 史編纂 7 i 82:9 ;1 97 6:1 ) iography) の技法を考案すべき であるといえよう (Tr (hi tor rl9 s gge . lace の 『セ ネ カ 族 の 死 と 再 生』 (1970) に つ い て l 3. A.F. Wa. ウオ ーレスの著作 『セネカ族の死と再 生』 は、 セネカ・イン ディ アンの植民地時代の後半期と居 留地時代の初期について書かれたものである. これは, 特に予言者ハンサム・レイ ク、 彼の幻想, 800年頃に彼と彼の信奉者が行なっ たセネカ社会の道徳的お よび宗教的活性化の歴史 そして西暦1 についての著作である. ウォ ーレスは, 2種類のデータを使用している. すなわちデータは, 主に白人が書き残した記録 と現在のインディ アン居留地で彼自身が行 なっ たフィ ールドワークの成果である. なお前者のデー タには, クエーカー教徒やイエ ズス会に属する 官教師の記録, セネカ・イン ディ アンによっ て捕ら われの身になっ た白人女性の自伝, 白人官吏の記録, オラン ダ人旅行家の記録, アレガニィ 居留地 でのハンサム・レイ クの同世代人や子孫についての記録, 合衆国政府のエージェ ントの報告書, 日 記, ハンサム・レイ クが合衆国大統領宛てに出した 手紙などが含まれている. このようにウオーレ スは多様なデータを利用して研究を進めてきたといえる. この研究には, 2つの特徴がみられる. 第一の特徴は, フランスやイ ギリスが北米大陸の植民地 化を進めたことによってセネカ族に及した衝撃およびこの衝撃に対するセネカ族の人々の反応を取 り扱っ ていることである。 そしてこの研究の重要な点の一つは, この植民地化に対抗するためにイ ンディ アンが伝統的な宗教を利用したことを例証したことである. 換言すれば, セネカ族の社会・ 文化変化は, ヨーロ ッ パ人の影響という外的な要因によっ て一方的に引き起こされたのでは なく, その影響に起因する文化変容をコントロールしようとしたインディ アン自身の努力によっ て引き 起 こ さ れ た こ と を ウ オ ー レ ス は 示 し た の で あ る.. 第二の特徴は, ウオーレス がセネカ族の文化や社会よりも個人や個人の 認識を分析の主要な単位 とした点である. 彼は, セネカ族の歴史は一種の 「偉人」 によって作られたものという視点を取っ ている. 彼は, 特に影響力のある個人の認識の吟味を通して, 文化や社会の全体像を理解しうると 考えているようにみう けられる. しかしながら我々, 文化人類学者は, ハンサム・レイ クのような 部族の偉人と看徴されうる 個人が, 部族の歴史を作り出したのではなく, むしろ当時の歴史的な状 況下にあっ た部族の文化や 社会が彼のような宗教・政治的な指導者を輩出させたと考えているので ▽rhi tel 949 ) ある ( . ウ オ ー レ ス の 研 究 に は, エ ス ノ ヒ ス トリ ー に 深 く 係 わ る 3つの問題点がある. 第一の問題は, ウ. オ ーレスが, 西欧人と接触する以前のセネカ族の社会は, 静的な変化のない社会の ごとくに考えて h l ける民族誌的現在( t i 86 ) e l 971:1 o い る こ と で あ る(Tr ggerl . このような考えは, 文化人類学にお な見解は 考古学 i ) (注4)の考え方に由来していると言えよう. しかし, このよう s ent cpre , graph i 的 研 究 に よ る と 受 入 れ る こ と が で き な い こ と が 分 か っ て い る (Tr ggerl980). 第 二 の 問 題 は, ウ オ. 6 6.

(6) . 北米先住民に関するエスノヒストリー研究の最近の展開について. 一レスが, 植民地化の衝 撃に対する先住民の反応について記述しているものの 現実には先住民の , 視点を十分に取り入れているとは言い難い点 である. エスノヒストリー研究 に先住民の視点を取り 入れることは, 必要ではあるが, 容易なことではないことを十分 に理解する ことができるものの , 彼の場 合も 観 察 しう る 行動 か ら推 測 によ っ て先 住民 の 視点 を再 構成 した にす ぎな いと言 える l (Wa lacel970:170). 第 三 の 問 題 は, ウ オ ー レ ス が す で に 指 摘 し た よ う に い ろ い ろ な 資 料 を 利 ,. 用 してはいるが, いかにデータの質を統制するかやデータの信頼性の基準を提示してはいない点で ある. この問題に関連して言うならばエスノヒストリー研究家は研究のために利用しうるいろいろ な資料の質的差異をいか に対処するかを明確に論じる必要があると言えよう . 4. F.Jennings の 『ア メ リ カ の 侵 略』 (1975) に つ い て. ジェ ニングスの労作 『アメリカの侵略』 は, 新世界に見られる野蛮-文明神話のようなイ デオロ ギーの起源を吟味し, その誤信を示すことを目的としていた ( i 97 je 5:v i i i ) r l n ngsl . すなわち, 彼 の 目 的 は, F. パ ー ク マ ン (Parkman) の よ う な フ ロ ン テ ィ ア 学 説 ( f i ) 学 派 (注 5) ronterthes s. に属する歴史家とは異なり, 野蛮-文明神話が北米において は植民地を拡大するう えで自らの行為 を正当化するため にヨーロ ッ パから来た植民者 によっ て利用されてきたことを暴露することであっ た. なお, 野 蛮 - 文 明 神 話 の 論 理 と は 次 の ご と き で あ る ( je・mingsl 97 5:1 27 ) . 文明とは, 国家を持. つ人々 が持つ特質 である. 北米イ ンディ アンは国家を持っ ていないから, 文明化していた とはいえ ない. 文明化していないインディ アンは, 無政府状態のもとで野生の生活を送っていた 従って . , ヨーロ ッパ 人は北米に移住することによっ てかわいそうな野蛮人であるインディ アンに国家と文明 を も た ら した の で あ り, 何 も 悪 い こ と を した は ず が な い 事 実 ヨ ー ロ ッ パ 人 は イ ン ディ ア ン に . , ,. 対し高貴なミッ ショ ンの役割を果たしてきた のである‐ この論理がヨーロ ッパ 人によっ て北米の植 民地化に利用されたのであっ た. ジェ ニングスの研究成果を要約 してみると次のようになる. ヨーロ ッパ 人が北米大陸で開拓活動 を開始した ばかりの時代には, ヨーロ ッ パ人の植民地 ( l i ) は政治的に相互に独立していた。 co on e s そしてお互いに相手 の領土や政治力が拡大しないように牽制 しあっ ていた ところが 各々の植民 。 , 地はもっ と広大な領土を獲得 しようという欲望を持っ ており, その動機を顕示させることなく 目 , 的を達成させるため に, 野蛮-文明神話のイ デオロギーを利用してインディ アンに対するプロパガ ン ダを作り出した。 イ ンディ アンとの戦争は, 新たな土地を入手するために植民地によって開始さ れたのである. すなわちインディ アンは植民地相互間の 政治的な駆引きの犠牲 者だったのである . この歴史の解釈はフロンティ ア学説学派のそれとは非常に異なっ た見解である ジェニングスのこ . の研究は, 植民期における白人の行動の背後にある動機 を再解釈した最初の研究であると言える . ジェニングスは, 多様なデータを利用している そのデータとは イエ ズス会やモラビア派の富 . , 教師の報告書, マサチュ ーセ ッツの総督, 植民者, 法律家 地理学者や その他の学者によっ て書き , 残された記録, インディ アンの昔話や口承伝承や記憶などであっ た この研究の特徴はジェニング . スがイ ンディ アン側に由来する情報を利用したことである . ジェ ニングスが採用したアプローチは, 2つの点で革新的 であっ た 第一に 彼は2 つの文化な . , いし社会の相互交渉の歴史は, 一方の文 化ないし社会のみの視点から研究さ れるべきではないと主 張しているの である. これは, 強力な社会とそう でない社会の接触や相互交渉 であっ たとしても一 方は変化せず, もう一方のみが完全に変化してしまうも のではなく 対立や協調の相互過程を通し , 67.

(7) . 岸 上 伸. 啓. て, その2つの 社会では, 文化要素を相互に交換し, お互いに変化させあっ ているからである. す なわちエスノヒス トリー研究家が, 北米インディ アンについて行なっ ている研究は, 北米インディ 27 ) i 97 5:1 Jenn ng sl アンの文化変容研究であると言えるのである ( . この 視点は, 先住民の行動や 反応を説明しようとはしないフロ ンティ ア学説学派の歴史家たちの視点とは大いに異なっ ていると 言える. この研究のもう一つの重要な特徴は, ジェニングスが歴史研究やエス ノヒストリー研究に見られ 生まれ育っ 4 ) 5:1 i 97 Jenn ng sl る固有の 難しさを認識していることである( . 歴史家は, 自分自身が た文化伝統か ら完全に自由であるこ とはできないので, インディ アンとヨーロッ パ人の文化的相互 交渉史をその 歴史家が記述, 考察を加えよう とする 時, 自分自身が属している文化によっ て無意識 のうちに制約を受けている視点を採用 するのが一般的である. かかる意味で, そのエスノヒストリ ーは客観的ないし中立的なものであるとは言えない. さらに歴史家は, 原資料としてインディ アン についてヨーロ ッ パ 人が書き残したものを利用することがほとんどであるが, このことも客観的な エ ス ノ ヒ ス ト リ ー に 疑 問 を 投 げ か ける. だ が, ジ ェ ニ ン グス は, 叙 上 の よ う な 問 題 は あ る も の の,. 歴史家がイ ンディ アンは~したかもしれないというふうに想像力を働かせることも 必要であると主 張している. 先住民を神秘的な人間であるとみなすよりも, 合理性を有する人間であるとみなし, 彼らの行動や反応を状況や記録された証拠から推測することはそんなに難しいことではない, と述 の中に入り込んでいるとする見解 ) べ て い る( 5:14 97 Je rmi ngsl . 自民族中心主義的な考え方が研究. の表明 は, アメリカの植民地史を研究するための方法論のかなりの進展を示しているものと解する ことができる. しかしながら, ジェニングスの 方法論上の立場にも問題 がないわ けではない. ジェ ニングスが先 住民は合理性を有する人間であると言う 時, この言明はいっ たい何を意味して いるのか. 文化人類学的知見によると, あらゆる社 会の人間は, その社会が担持する文化によって 条件付けられて いるのである. 従って, 私が解釈するに 「合理性を有する」 とは, 文化的に特殊 な 「合理性を有する」 ことに他 ならない. 我々が特定の 社会にお ける 個人の行動の合理性を理解しよ うと望むなら ば, 第一にその行動を条件付 ける文化を考察しなければならない. ところがジェニン グス自身は, この研究の 中では先住民の文化を適切に取り 扱っ ていないのである. しかしながら, この研究では, 2つの点でエスノヒス トリーの発展に貢 献していると いえる. 第一に, すでに述べ たようにジェニン グスは先住民の歴史を研究する新しい可能性を示している. 第二に, 彼は野蛮- 文明神話を反証し, フロンティ ア学説学派の立場を批判したことは高く評価されるべきである. 5. R.Fi sher の 『接 触 と 葛 藤』 (1977) に つ い て フ ィ ッ シ ャ ー の 『接 触 と 葛 藤』 (1977) は, 2 つ の 文 化 間 の 接 触, す な わ ちイ ン ディ ア ン と ヨ ー ロ. 歴 ッ パ 人との関係の歴史を主題として いる. 彼は, カナダ国東部の ブリティ ッシュ ・コロンビアの 史においてイン ディ アンが果た してきた役割を明 確にしようとした. このような問題領域は, フロ i i ). rl977:xi she ンティ ア学説学派の歴史家によっ て無視されて きた領域であっ た, と言える (Fi フィ ッ シャーは, 旅行者の日誌, 宣教師の日記や 手紙などヨーロッ パ人によっ て残されたデータ 1 5 ) と同様に, 彼らが使用したデータの 97 を主な資料として利用している. 彼は, ジェニングス ( r she 欠 点を認識しており,「これらの 原資料は無知や偏見に由来する歪曲を明らかに含んでいる」(Fi これ i i i )ことを指摘しているのである. しかしながら, 彼は楽観的ともいえる 立場をとり, 977:x l らのデータには, いろいろと問題点があるにも かかわらず, インディ アンの行動や思想についての i i ). he i rl977:xi s 情報を引き出すことができると考えている (F 68.

(8) . 北米先住民に関するエスノヒストリー研究の最近の展開について. フイ ッ シャーの採用したアプローチは, カナ ダの植民地史の研究にはフロンティ ア学説学派の歴 史家の史観を適用できないと考えていたために, それとは大いに異なるもの であっ た 彼は, ロー ‐ レンシアン学説学派 ( the Laurentian thes i l ) (注 6) に も 問 題 点 が あ る こ と を 認 め て は い sschoo た が (Fi i i ), 彼 は そ の 説 か ら 2つの考え 方を採用 した。 一つは インディ アンが毛皮 sherl977:xi ,. 交易において非常に重要な役割を果したと いうことであり, もう一つは毛皮交易はイ ンディ アンの 絶滅を防ぎはしたが, 白人の入植はインディ アン社会を退化へと導いたということである (Fi he s r l977:xi )‐. フイ ッ シャ ーは, ヨーロ ッ パ人の侵入に対するインディ アンの反応や ヨーロッ パ 人の入植がかな り進んだ時期のインディ アンを研究した。 そして彼は, 毛皮交易に係わるインディ アンとヨーロ ッ パ 人の関係の性質は, ヨーロ ッ パ 人の 入植の後期のそれとは非常 に異なっ ていることを発見し た (Fi sherl977:xi v). 毛 皮 交 易 が 始 ま っ た 当 初 は, ヨ ー ロ ッ パ 人 の イ ン ディ ア ン に 及 ぼ す 影 響 は 小. さく, 大きな文化変化は起こらなかっ た. これは毛皮交易についてインディ アンとヨーロッ パ 人は, 相互に恩恵を受けるような経済システムを有していたからであっ た. 毛皮交易者は, インディ アン の協力を必要としていたので, インディ アンの社会システムを急激に変革させたり, 彼らの生活手 段を破壊するようなことはしなかっ た‐ むしろ毛皮交易者の方が, インディ アンのやり方に同調し, それを受け入れざるを得なかっ たのである. 一方, ヨーロッ パ人の入植は, イ ンディ アンの文化や 生活にとっ ては破壊的な作用を及ぼした。 ヨーロッ パ 人の入植が増加するに従い, いかなる点にお い て も, イ ン ディ ア ン に 依 存 し た り, 同 調 し た り す る 必 要 の な い 白 人 の グ ルー プ が や っ て く る よ う. になっ た. このようなヨーロッ パ 人の入植は大きな文化変化を急激にイ ンディ アンにもたらし, イ ンディ アンもその変化に適応したり, 制御したりすることができないようになっ てしまっ たのであ る (Fi sherl977: xi v-xv). こ の 研 究 は, プ リ ティ ッ ン ュ ・ コ ロ ン ビ ア に お け る イ ン ディ ア ン と ヨ ー ロ ッ パ 人 と の 関 係 に つ い て の 歴 史 的 な 事 例 を用 い て, フ ロ ン テ ィ ア 学 説 を 批 判 し、 カ ナ ダの ブ リ テ ィ ッ シ ュ ‐ コ ロ ン ビ ア に. おける植民地史を真に理解するために, ローレンシアン学説の欠点の是正を促した点で, 学問的な 意義がある. それに加え, 著者はインディ アンのイメージや ダグラス総督のようなヨーロッ パ人の 個人の パー ソナリティ ーまで吟味している. これらの点は, 当時までのエ スノヒストリーの学史を 考 え る と, 特 筆 す べ き で あ る と 言 え る. こ の 研 究 に 係 わ る 問 題 点 の 一 つ は, プ リ テ ィ ッ ン ュ ・ コ ロ. ンビアのイ ンディ アンの文化が適切 に取り扱われていないという ことである さらに先住民の視点 . がほとんど研究の中に取り入れられていない. 管見によれば, これらの欠 点を補うためには フィ , 8 ッ シャーは口承伝 承や1 , 17世紀に書かれた記録を批判的に利用すべき ではなかっ たかと思う. 6. A.F.Ray の 『毛 皮 交 易 に お け る イ ン デ ィ ア ン』 (1974) に つ い て. レイの労作 『毛皮交易におけるインディ アン』 ( 1 97 4 )は, 毛皮交易の開始によっ て多様な機会が 生 じた が, カ ナ ダの ア シ ニ ボイ ン・イ ン ディ ア ン や 西 部 ク リ ー・イ ン ディ ア ン ( boi theAss ini d ne釦l wres tem Creelndians ) が そ れ ら の 機 会 に どの よ う に 適 応 し て き た か を 取 り 扱 っ た 研 究 で あ る 彼 .. は毛皮交易においてイ ンディ アンが果した役割に関心を持ち, この地域における自然資源およ びそ の資源がどのように変化したか, インディ アンの土地利用およ び占有の パターン 部族間の相互関 , 係, 移住, 疾病の蔓延と人口の変化, 白人の財物と物質文化の変化, 変化し続ける経済的な機会や イ ンディ アンの適応 パターンを記述し, 分析している . レイは, いろいろな種類のデータを利用している. このデータの中には, ハ ドソン湾会社の記録 , 69.

(9) . 岸. 上 伸. 啓. 宣教師たちが残した記録, 交易所日誌, 旅行者の記録, インディ アンの口承伝承や考古学的な記録 iAgency の デー タ は 利 用 さ ssour のよう な資料が含まれている. だ が Fort Union や the Upper Mi Shar rokl974:278). れていないと いう批判もある ( する二つの新規な技法を採用 しているが, これはエスノヒス ト 中で次に指摘 レイ は, この研究の リー研究の発展に大 きく貢献したと考えら れている. エスノヒス トリー研究家は, これまで, 通常, i be ) や政治‐経済的グルー プを基礎的な分析単位として取り上 げてきた. ところがレイは, 部族 ( t r ) を分析の単 logi lzones eco ca ウ ッ ドラ ン ド, 移 行 的 パ ー ク ラ ン ドや グラ ス ラ ン ドの よ う な 生 態 域 (. 位として採用した. 彼は, 各生態域において通時的に変化するイ ンディ アンの適応的 パターンを吟 味したのである. 二番目の特徴は, レイ が地図や数量化された データを広汎に利用した点である. 彼は, 以前に比べてはるかに洗練され, 目で見えるやり方でイン ディ アンの空間上および時間上の 諸活動を吟味したのであった. これらの 二つの技法は, この研究が世に出るまでエスノヒストリー 研究家や民族 誌学者によっ てほとんど利用されたこ とがなかった点を強調しておきたい. この調査の成果は, 以下の点で, 人類学的な知識の増大に寄与するところ が大であっ た. インデ ィ アンの毛皮交易に対する適応的反応は単純ではなく複雑かつ多様であっ たことを彼は我々に示し た. さらに, 同一の生態域であってもインディ アンはグルー プによっ て異なる適応のパターンを示 すことがあっ たのである. このことは, イ ンディ アンの社会・文化変化や文化変容についての単純 明快な公式は存在しないことを暗示しているのである‐ この研究の問題点は, インディ アンについ てエスノヒス トリー研究を行なうにあたっ て, 文化人類学者 が関心をよせるような部族の広範な文 化や社会についての問題を取り扱っ ていないことである. レイは, 社会組織や宗教のよう な社会・ 文化現象の変 化を取り扱っ ていないのである. J.Ray と D.B.Freman の 『我 々 に 良 い 尺 度 を く れ』 (1978) に つ い て 7. A. レイ と フ リ ー マ ン は, 1763 年 以 前 の イ ン ディ ア ン と ヨ ー ロ ッ パ 人 と の 間 で 行 な わ れ た 毛 皮 交 易 に. ついての研究を行なっている. 彼らは, ①毛皮交易のシステムの記述と分析, ②交易システムの性 質の解明, ③毛皮交易の実践と動機の変化の解明, ④ヨーロッ パ 人のイン パクトとそれの引 き起こ した変化の解明 および⑤比較経済地理学の 可能性を探ることと言う 5 つ を 研 究 テ ー マ と し た. レイらは, ハ ドソン湾会社の古い帳簿を第一次資料として利用 した. それに加え, 毛皮交易者が 残した当時の日誌, 書簡, 私的な日記や本を利用して いる‐ ハ ドソン湾会社の仲買人は, 年間の毛 皮の取入れ高, 物財の流出量, 運営費, 在庫目録や交換レイ トのような大変に興味深い 情報を含む 帳簿をつ けていた. これらの データは, これまであまり知られていないうえに, ほとんど研究に利 用 さ れ る こ と が な か っ た.. 彼らが採用したデータの分 析方法は, 2つの理由 でユニークであっ た. 第一に, レイ らはハ ドソ 2 )交易された物財の総 )交易された毛皮の総数,( 1 ン湾会社のデータを統計的に分析した. 彼らは、( )仲買人の支出の総額という4つの変数を帳簿から抽出し 4 l 3 )得た ove 量,( rp us(余剰) の総数量と( ンディ アンの反応にお ける変異を測定するために, 1 0章) た( . 彼らは,交易者間に見られた競 合とイ 「ove l rp u s 」の概念を利用することを提案した. 当時, ビー バーの毛皮の数で, 取り引きの計算がな されていた. すなわちビーバーの毛皮は, 交易に携わる人々にとっては, 貨幣の役割を果た してい l た. ove rp usとは, 交易者が入手した毛皮の総数から, インディ アンに支払っ た代金に相当する毛 皮の数を引 き去った残りの総数のことである(Rayand Freemanl978:126)‐ こ の 概 念 は, 彼 ら の Ja rvenapl981:288). 経済分析の中で特に重要なものであっ た ( 70.

(10) . 北米先住民に関するエスノヒストリー研究の最近の展開について. 第二に, 彼らは, ハ ドソン湾会社の交易ネッ トワークを, 空間的にも時間的にも表現しうる経済 システムであるとみなしていたため, 地図を非常に効果的に利 用した‐ これら2つの技法は エス , ノヒストリー研究の発展に対 して非常に重要な貢献であっ たと思われる . 分 析 の 結 果 は, 毛 皮 交 易 に つ い て 多く の こ と を 教 え て く れ た レ イ ら は イ ギリ ス 人 と フ ラ ン ス , .. 人との間で見られた毛皮交易をめ ぐる競合は, ハ ドソン湾会社とイ ンディ アンが行なう取り引 きに 大なる影響を及ぼしていたことを統計的に実証してみせた ( 11章) 96 0 ) chl . さらに, リ ッチ (Ri や ロ ッ ト ス テイ ン (Rot inl te 967 ) の初期の見解とは対照をなすような交易経済についての新しい s 解釈を提出した. リ ッチやロ ッ トステインは, 毛皮交易はインディ アンの生活の政治 的領域に深く 係わっ ており, フォ ーマルな 経済学理論 ( heformaleconomictheory) (注 7) はイ ン ディ ア ン の t 交易活動には妥当しないと主張していた. 一方, レイとフリーマンは亜極北における政治‐経済的 な条件を熟考すれば, 交易の儀礼は純粋に経済的な目的を果すように変化したと主張 した(Rayand Freemanl 97 8:62 ) .別言すれば,彼らは毛皮交易を主に経済的な視点から理解しうると考えている のである. 彼ら自身, 毛皮交易にかかわりをもっているインディ アンの経済行為は大変に複雑であ るということに気づいているが, この行為のほとん どは, 利益を最大化するという考えによっ て特 徴づけられるフォ ーマルな経済理論によっ て説明しうると考えているのである 例えば 毛皮の需 , . 要が低い時でも, イ ンディ アンは彼らが提供する供給品を減らすことを拒否し その需要が高いと , きには, 彼らはなかなか厳しい毛皮取り引きを展開したという事 実に基づき, インディ アンは 交 , 易が彼らの有利になるよう にイ ギリス人とフランス人との毛皮交易における競合を利用 した とし , イらは考えているのである (Ray and Freemanl978:169)‐ レイ とフリーマンとは, 毛皮交易の記録を研究している時に, もうひとつの興味深い現象を発見 した. すなわち, 毛皮の価格 がイ ンディ アンにとっ て有利になればなる ほど インディ アンが提供 , する毛皮の数が少なくなっ ているのであっ た(Rayand Freemanl978:218- 9) こ のイ ン ディ ア .. ンの反応は, 競合的な市場経済を説明するために使用される需要-供給の仮説によっ ては説明でき な い の で あ る. こ の 問題 を レイ ら は 次 の よ う に 考 え て い る ヨ ー ロ ッ パ 人 の 物 財 に 対 す る イ ン ディ ‐. アンの需要は相対的に 固定 しているう えに ( l b i d 8:225 ) , 運搬手段にも 限界があるため に . 197 l b ( i d : 1 1 6 インデ ) ある一定レベ アンは ルの要求を満たせば利益を最大化することをやめて ィ , . , l しまうのである( b i d 5 ) . 要約すれば, レイらは, 毛皮交易 におけるインディ アンの交易活動 .:22 の研究から, 経済人 (ホモ・エコノミッ クス) の新たなタイ プを提唱したわけである その人間像 . とは, ある一定の限界の欲求を満たすまでは利益を最大化しようとする人間の姿 であるといえる . この画期的とも言える研究にも, いくつかの問題点があることを指摘しておきたい まず レイ , . や フ リ ー マ ン は,イ ン ディ ア ン がイ ギリ ス 人や フ ラ ン ス 人の 競 合 をう ま く 利 用 し た と 信 じて い る が , 彼 ら は イ ン デ ィ ア ン が ど の 程 度, そ の 両 者 を 反 目 さ せ あ っ た の か を 示 し て は い な い (Krech m. l 980:6 42 ) . さらに, この研究では, フランス人の交易者側か らの毛皮交易についての情報がほぼ 完全に欠落している. また, ハ ドソン湾会社の記録 はインディ アンの動機については語っ てくれな い の で(Krech. m. l980:642), レイ た ち はイ ン ディ ア ン が 特 定 の 行 動 を と っ た 理 由 を 推 測 す る た. めに他のデータも利用すべき ではなかったかと 思わ れ る. そ して 最 後 に, レイ た ち は こ の 研 究 の , 中にイ ンディ アンの文化や先住民の視点 をもっ と体系的にか つ大胆に取り入れるべき ではなかっ た か と 思う・. 71.

(11) . 岸 上 伸. 啓. i 8. D.Franc s と T.Morantz の 『毛 皮 交 易 の パ ー トナ ー た ち』 (1983) に つ い て. 870 ) にお けるジェームス湾の東側 沿岸部地域のイ ンディ 600一1 1 フランシスら は, 毛皮交易期 ( アンの歴史を再構成している. 彼らの研究には, 次のよう な3つの目的がある. その目的とは,(1) イ ンェームス湾の 東側沿岸部地域の 地方史を再構成すること, (2) 毛皮交易や毛皮交易がクリー・ ンディ アンに及ぼした影響を理論的に検討すること, そして (3) カナダの中で比較的知られてい i s and な い 地 域 に つ い て の 一 般 の 人 に と っ て も 興 味 深 い 歴 史 研 究 を 行 な う こ と で あ っ た (Franc Morant zl983: x i) .. l ) に所蔵, 保管されて he ArchivesofCo t ony この研 究に使用されたデータは, 植民地資料館 (. ) に the HBC Archi ves い る ニ ュ ー.フ ラ ン ス (ケ ベ ッ ク) に 関 す る 記 録 と ハ ドソ ン 湾 会 社 資 料 館 (. 所蔵, 保管されているハ ドソン湾会社関係の 記録であっ た. 前者の資料は, 主に, 公式な交易の記 録であっ たことやこの地域のフランス人の 交易所が仮設置の出張所のようなものであっ たために, lbid フ ラ ン ス 人 の 交 易 活 動 やイ ン ディ ア ン の 生 活 に つ い て の 情 報 は ほ と ん ど 含 ま れ て い な い ( .: ×. 内容の豊富な情報が含まれていた. すなわちハ ドソン湾会社関係 i i) . それに対し, 後者にはより の記録には. この地域にお ける毛皮交易所の日 誌や帳簿, 交易所間やロン ドン本社と交易所との間 て フ ラ ン シ ス ら は, 主 にハ ド i i d l b で交わされた通信書簡なとが含まれていた( .:x i i ). 従 っ , ソン湾会社関係の データを利用 したが, こらのデータにも問題点が無いわけではない. すなわち, これらの データからイン ディ アンの視 点を理解することができないうえに, これらのイ ンディ アン. の人々の 宗教活動や他のイ デオロギー的局面についての情報 をほとんど引き出すことはでき ないの である. 「 フランシスたちが採用 した歴史学的ア プローチはオーソドッ クスなものであり, 歴史学的方法と l i b d 民族学的方法」との両方を統合 して利用するア プローチである( . 民族学的方 法とは, .:×ii) もともとは別の 目的で書き残された史料を用いて 社会組織を復元することをさし, 歴史学的方法と 983: i zl zmt sandMor は変化が起こっ た状況,事件,動機や諸過程の記述を行なうことである(Franc 沿岸部地域にお ける毛皮交易の歴史研究にこれらの方法を適用した i ) xi . 彼らは, ジェームス湾東側 が, 彼らの試みは, 既存の歴史資料を利用 して吟味することによっ て, その地域の社 会・経済史を 再構成することが可能であることを示している. この研究の 成果を要約すれば, 次のようになる. この研究の大部分にお いて, フランシスらは, クリー・イ ンディ アンは毛皮交易に巻き込まれた救い難い犠牲者ではなく, 毛皮交易への積極的な 参加者であっ たことを強調している. すなわち, 毛皮交易が開始さ れた時期には, イ ンディ アンは 経済的にも 技術的にも独立しており, より大きな利潤をあげるためにイ ギリス人とフランス人の毛 皮交易の競合 関係をうまく 利用していたのであっ た. フランシスらは, この研究を行なうことによ i l t he f t ng ami 8世紀にも特定の家族の狩猟活動領域 ( y hun 9世紀には, そしておそらく1 っ て, 1 i ) (注8)が存在していたことを発見した. さらに交易所に簡単にたどりつくことのでき な to t r ry e r い内陸部に住むインディ アンは, ヨーロ ッパ製の物財を常に得ることができると感じるように なる まで伝統的な技術を保持し続けていたことも判明したのである. そして最後に, フランシスらは, 毛皮交易がインディ アンの生活全般に及ぼした影響は強力であっ たが, 必ずしも否定的なものでは なかっ たことを指摘したのである. 他のエスノヒス トリー研究に共通してみられる問題点がこの研究の中にも見られる. その問題と は, 主に使用しているデータに起因するものである. すでに指摘したように, フランシスらはハ ド ソン湾会社の記録を第 一次資料として利用して いたが, これらの記録は, ヨーロッ パ系の白人が書 72.

(12) . 北米先住民に関するエスノヒストリー研究の最近の展開について. き残したものである. すなわちこれらの記録は, 毛皮交易であるイ ギリス人の見解や考えを反映 し た も の で あ り, イ ン ディ ア ン や フ ラ ン ス 人 の 見 解 や 考 え を ほ と ん ど 反 映 し た も の で は な い 従 っ て , .. ハ ドソン湾会社の記録からはインディ アンやフランス人の見解を理解することがほぼ不 可能に近い のである. 私は, すべてのエ スノヒストリー研究家は, 彼らが使用する原資料をどのように批判的 に評価した後に利用 しているかを明示すべ きであると主張したい. この問題は, 本論稿の最終部分 で再度取り上げたいと思う. 9. C.Mart in 『獲 物 の 番 人』 (1978) に つ い て. マーチンの労作 『獲物の番人』 は, カナ ダの東部地域 に住むアル ゴンキン語族系に属するミクマ ), オ ジ ブ ワ 族 ( bwa), ク リ 一 族 ( the Mi i the oj cmac the Cree) と モ ン タ ニ エ ー ナ ス カ ッ ク族 ( . ピ族 ( i the Mont雄鶏a ) が 白 人 と 行 な っ た 毛 皮 交 易 の 研 究 で あ る (注 9) マ ー チ ン が 提 s-Naskapi .. 起した最も中心的な問題 は,「インディ アンは毛皮交易への参加が彼らに対し破壊的な効果を及ぼす こ と に 気 づ いた 後 で さ え, な ぜ そ の 交 易 に 参 加 し た の か」 (Mar i t n l978 a: 2) と い う も の で あ っ た.. マーチンが利用したデータは, 17世紀初頭のイエ ズス 会の記録や Cour r eu s de Bois と 呼 ば れ て いたフランス人の毛皮交易者達の記録や現代の民族誌な どであっ た . 彼のアプローチ には, 3つの特徴が見られる‐ 一つはマーチンが 「エスノヒストリー的方法」 と 呼ぶものである ( l b i d ) :7 ‐ ‐ 彼は, 現代の民族誌も古文書記録とともにインディ アンと白人との関 係についての初期の歴史を再構成し, 吟味する有益な資料 となると考えている ( l b i d ) .:8 ‐ 二つ目の特徴は, 毛皮交易におけるインディ アンを研究する際に 彼は経済学の実体論者( tを subs , i i ) (注 10) の 観 点 を 取 っ て い る こ と で あ る 例 え ば, 次 の よ う に 主 張 し て い る の で あ る 経 nt vi st . .. 済学の形式論者 ( f i l ) の視点を取れば, インディ アンは, 捕獲手段に問題がなければ 可能 t o rma s , なか ぎり多くの獲物を捕らえただろうと推測できるが, 現実にはイ ンディ アンはそのような行動を とることはなかっ た. むしろ彼らは, 必要な数だけ獲物 を取っ ていたの である したがっ て イン ‐ , ディ アンの狩猟活動の経済的な側 面は, 形式論者の立場では十分に説明を行なうことができず 実 , 体論者の立場の方が有効 であろうと主張している. 三つ目の特徴は, 彼が先住民の歴史を叙述する時に, マーチンは先住民の すなわちエミ ックな , 視点 (注11) を採用している点 である. 彼は次のように述べている. 「多くの読者にとっ て 以下でのべることは 幻想のよう に思われるかもし , , れない. というのもその話しは, 先住民の口承伝承, 特に精霊信仰に満ち満 ち て い る か ら で あ る. い か に 幻 想 的 で あ っ て も, 信 仰 の こ の 中 核 は イ ン デ ,. ィ アンが熟知している環境…イ ンディ アンが活動している領域…の絶対に決 定的な背景である. イ ンディ アンは行動環境をほんとうに真剣 に受けとめ , 懐疑的な白人がいる時でさえ, その諸原則に従っ て立ち振る舞っているので あ る.」 ( lbid ) .:20. このようにマーチンの研究は, エミ ックな視点か ら北米の先住民の歴史を再構成するという 最初 の試みであると言えよう. こ の 研 究 を マ ー チ ン 自 身 は, 次 の よ う に 要 約 して い る(Mar inl978b:52) エ ス ノ ヒ ス ト リ ー 的 t .. な証拠は, カナダのミクマッ ク族, モンタニエ ー ナスカ ピ族 クリ一族 オジブワ族らは 動物の , , , 精霊を怒らせば, 人間に報復すると信じていたために, 毛皮獣や他の野生動物を無駄にかつ過度に 73.

(13) . 岸 上 伸. 啓. 殺 数することはなかったと言う. ところがヨーロ ッパ人によっ て疾病が新大陸に持ち込まれたが, インディ アンはこの疾病の蔓延は, 人間に対し悪意を持っている動物たちの 攻撃のせいであると信 じ込んだ. このこと が, 動物を無用に殺しすぎては いけないとする伝 統的な規制を取り除く役割を 果し, 動物に対して復讐 心に燃えたインディ アンたちは, 交易のうえで貴重な毛皮獣を含むいくつ かの動物種を復讐を目的として殺したのであった. インディ アンが白人との交易に従事し, 交易品 を入手した いと欲していないわ けでは決してないのだが, インディ アンがこの交易に対して考えて いたことは経済的なこと以上のことであっ た. カナ ダの毛皮交易は, 宗教的ないし霊的次元と係 わ っ ており, 毛皮交易が単なる 経済活動ではないことを意味している. すなわち毛皮交易は, 実体論 者の立場にたっ てはじめて理解できるというものである. 以上のようなマーチンの結論は, その他の研究成果とはかなり違っ たものであるといえ, この研 I I 980 ) echD 究をめ ぐっ て研究者のあい だではかなり熱の入っ た論争が行われた(例えば, Kr .こ の研究に対する批判の大半は, 理論的なものではなく, むしろ 特定の事実関係に向 けられたもので 方の観点からマーチンの研究に検討を加 9 80 ) n l l あった(Kr ech , . ここでは, 理論と事実関係の両 え る こ と に した い.. 第一の批判は, マーチンが使用したデータに関する ものである. 彼が利用した資料のいくつかは 明 確 で なか っ た り, 信 頼 性 に 欠 ける も の で あ っ た. ス ミ ス は, デ ビ ッ ド・ ト ン プ ソ ン, ア レ ク サ ン. h t ダー・エンリや 古老から引き出さ れた データは信頼性 が欠けていることを指摘している (Smi 部分においては, 証拠として都合のよいデータの 977:353 ) l . さらにマー チンの研究のいくつかの i gger l982;Krech み が窓 意 的 に 選 ん で 利 用 さ れ て い る こ と も 指 摘 さ れ て い る (Tr. m. ). l981. 第二の批判は, マーチンが毛皮交易に関して非常に刺激的な仮説を提起してはいる が, それを確 固たる事例を挙 げて例証しているわ けではない点である. まず, マーチンは, カナダの内陸部では ヨーロッ パの病気が毛皮交易に 時間的に先行して蔓延していたにもかかわらず, 毛皮交易がかなり 進展する以前にはインディ アンが動物を過 度に殺したということを例証する証拠を提示していない 「 ならば, 狩猟動物に対し敵意をもっ 93-4) 980:1 (Day l . 次に, 彼の言う 復讐説」を採用する て接するという伝統的なインディ アンの哲学が20世紀に入っ ても残り続 けた理由を説明すること 「復讐説」には2つの ) 9 4 9 80:1 ができない(Day l . また, 動物の過度な殺 数を説明しようとする 問題があると思う. 一つは, 動物が人間に制裁を加える という先住民の信仰が存在していたという 民族誌的な証拠はほとん ど存在しない. もうひとつは, もし仮に動物が人間に制裁を加えることが できることを前提とする復讐説が正しいとして受け入れたとしても, なぜインディ アンが, 他の動 物に比べ, ビー バーなどの毛皮 獣をより集中的にかつ過 度に殺したかをその説では納得のいくよう 「 に説明 することができないのである. すなわち, 仮にジョ ーンズが記録に残した オジ ブワ族は, すべての動物, 鳥類, 魚, 草木, 石などに不死の精霊 が宿っ ており, それらを尊敬しなかっ たり, 04 8 61:1 ) Jone s 1 不必要な浪費をする人間に制裁を加える 超自然力を有していると考えている」 ( ことが事実 なら, 復讐心に燃えたイ ンディ アンたちはなぜ多数の異なる動物を殺さずに, 毛皮獣の みを集中的に殺したのかという疑問が残る. 管見によれば, この 毛皮獣の集中的な殺数につ いての 説得力のある説明は, やはりイ ンディ アンが毛皮交易に経済的に巻き込まれたことであるように思 われる. またも しマーチンの仮説が正しいとしても, 動物に対するイン ディ アンの聖なる戦い がど のよう に歴史的 な毛皮交易へと変質していったかを示す明確な証拠を彼は出せ ないままであると思 つ.. 第三の批判は, マーチンが採用 したエミッ ク・ア プローチに対してである. 当然のことながら先 978 ) が出版されるま 1 住民の歴史は, エミッ クの視点から書くことができる が, マーチンの著作、( 74.

(14) . 北米先住民に関するエスノヒストリー研究の最近の展開について. で, そのような試みは皆無に近かっ たと言える‐ 従っ て, 彼の研究は高く評価されるべき である . しかしながら, エスノヒストリー研究家は, 先住民ではなく異文化に属する非先住民によっ て書き 残された歴史的資料を原典として利用しているのが常 である 最も重大な問題は 我々は既存のデ . , ータからエミッ クないし先住民の視点を正確に知 るためにはどのようにすればよいか という こと , ・ である. 特定の記録を残した人物が実際にインディ アンの思想や行動 を正確に理解していたか どう か我々は知ることができないのである. インディ アンは, しばしば隠職的な表現を用いる 例えは . , 彼らが狩猟に出かける時, 彼らはよく 「我々は戦さに出かける」 と言う このような問題を考慮す . ることなく, 記録にとどめられたインディ アンの話しや会話 をただ単に利用することは非常に危険 なことであると言える. 事実, マーチンと, 各インディ アン部族についての民族学的知識を十分に もっ ていなかっ たためか, この種の誤りを幾つか犯している この問題は マーチンの研究のみな . , らず, ほぼすべてのエスノヒストリー研究にとっ ても妥当するもの であると思う さらに先住民で . はない人物によって書き残された記録を通して先住民の視点を知ろうとするならば 我々は記録を , 残した人物の属性をよく知ることによっ て, その人物が持つ バイアスを統制するために特別な注意 を払わなければならないと言えよう. マーチンの研究では, この種の考察が完全に欠落しているの である. 私は, 先住民の視点を理解したり, 記録を残した人物のバイアスを統制するためには 非 ,. 先住民である記録者の社会文化的背景および個人的な背景や先住民の文化に精通し, 吟味する必要 が あ る こ と を 指 摘 し て お き た い.. (次 号 に 続 く). (謝辞)エスノヒストリーの門外漢である私に, ご指導の労を厭わなかっ たカナ ダの McGi l l大学の ト リ ッ ガー(Tr i )博士に感謝の意を表したい. また, 北海道教育大学函館分校の佐々木馨教授 r gge , 吉井明助教授と清水敏行助 教授から専門用語についてご教示を得た 記して感謝の意を表わすもの . で あ る. )王. (注1) エスノヒストリーと歴史学は相互に独立した学問ではなく, 前者は後者の下位部門にすぎないという見解や エスノヒストリーは社会科学ではなく人文学に属するとする見解も存在する (Kr 991 ) ech m l . (注2)この10研究は, トリッガー教授が大学院生の個人指導を行なうために選 び出したものである これらの著者 ‐ のう ち ス パイ サ ー, ウォ ー レ ス, モ ラ ンツ と トリ ッ ガー は 人 類 学 者 で ある フ ラ ンシ スは 歴 史家 も しく は , . ジ ャ ー ナ リ ス ト であ り, ジ ェ ニ ン グス, フィ ッ シ ャ ー マー チ ンとロ ー ル ズ は 歴 史家 である レイ と フ リー , .. マンは人文地理学者である. そして ドゥバインズは人口学者である . (注3) 文化変容 ( l i ) とは, 二つの文化が接触し, 相互交渉を行なうことによって, 一方もしくは双方 tura t accu on の文化が変化する過程のことを指す. (注4) 民族誌現在とは, 無文字社会が西欧文化と接触する以前ないしその直後の時点のことである これまでの民 ‐ 族誌は, 民族誌3 現在の無文字社会の生活様式を再構成, 記述することを目的としていた ‐ (注5) フロンティ ア学説 ( i ) と は, F. J ター ナ ー (Tumerl962 hefront i t erthes s ) に よ っ て 主 唱さ れた も の . で, アメリカ合衆国の民主主義の成立を西部開拓の所産であるとする説である 西部開拓にとって 北米イ . , ンディ アンは入植者が西進するうえでの障害物であり, 取り除かれるべき存在であったという解釈を可能に した. 白人による西部開拓を別の視点から考えるならば, インディ アンが古来から占有してきた土地は 白 , 人が自由に開拓, 所有することができるという考えを前提としていたと言えるのである ‐ (注6) ローレンシアン学説 ( heLaurent i t he i ) とは, カナダ国の発展は, 主要な外国市場へ輸出するための ant s s いくつかの原料の生産に基づくものであるという説である 特に カナダ国の成立過程において インディ , . , アンとその文化は決定的に重要な役割を果したと認識されている このような説の主唱者ハロルド‐イニス ‐ 1 ( 9 30 ) は, カナダは政治的な実体として毛皮交易によって規定されたと主張している [mi sl . (注7)市場経済の理論は, 無文字社会の非市場経済にも普遍的に適用しうるとする立場を形式主義( f l i o rma sm)と 言フ。 一方, 非市場経済の社会では, 「経済は社会に埋め込まれている」ので, 市場経済の分析から生まれた 75.

(15) . 岸 上 伸. 啓. i i t t v sm) と言う. s an ubs 理論によって非市場経済を説明することはできないという立場を実体主義 ( (注8) クリー‐インディ アン社会などでは, 特定の家族集団が, 特定の地域で狩猟や毘猟を行なってきたことが知 「 られており, 特定の家族集団が特定の地区を専有しているようにみえる. この特定の地域のことを 特定の 家族の狩猟活動領域」 と呼ぶ. 2‐1 2 ‐18) によ っ て す でに なさ れて いる の で, 参照 さ れた い. 0:1 1 99 (注9) この研究についての内容紹介は, 北機 ( ) 注7を参照せよ. (注10 0年代に米国の言語学者K‐ バイクによって提唱 9 4 ) という概念は, 1 i t ) とエティック ( c e (注11 ) エミック ( c emi 進める立場をエティックの立場と言い, 観察し 記述や分析を その文化の外から 文化現象について された. , , 文化の内側から住民が文化をどう意識しているかを調べる立場をエミックの立場と呼ぶ.. 引用文献 Carmack,R.C . i IRev ewof i i f i thods l t e t n on i oPment Ethnoh sDeve to 1972 ew ofi ・ Annua s ,andAims ,~[ 1γ: A Revi ,De 4 I 2 2 7 2 6 V 1 lo AnthroPo . : O を郭 . . Day,G. 4 . 1980. r “ h i to s i Book Rev 1γ,VOI softhe Game ew: Keeper .27:193-194 . Ethno F H Dobyns , . . l 65:1139‐1143 log i t i s l t Book Revi can Anthropo . esofConques 1965 . ew: Cyc ,Vo . Amer th D te P l i l r n Nor i t csi n Eas i A h N T d t a o n B i c a n o u ynami The i nne : a ve mer p 1983 omber ecomes r Nu p fT i h i ≦ 鴻 l l T U t r e K ね メ i ミ 鵜 e e e n n e o A1 i v e r s e n v e: y erca r . . . Eggan ,F I i i t her s og l l can Anthropl son イ 【 . logy andtheハ edCompar . ro Soc i 1Anthrop ethod ofCont ,VO 1954 . A1 a 56:743‐763 . V V N Fenton . , ‐ i ionsi i l ty Publ n cat ve rs i e Uni dspr i e ng Longhous l i esat Gol An out l936 neofSeneca Ceremon ‐ Ya 3 9 1 ‐ 2 l N Antheropoogy . ., , o Fi r she ,R. 1977. lombi i i t l i a:1774-1890 sh Co l i n Br t:lndian European Re at onsi Contac ‐Vancouver: tand Conf c l i i t i Un i ty ofBr u コ 亡 nbia pre鮎‐ sh Co ver s. T M【 i Fr zmc s ,D.and . orantz tonand ngs tem Jamnes Bay 1600 870 n Eas toけ ofthe Fur Tradei Pa【nersi s , Ki l983 n Furs: A Hi P i i -Queeばs Unversty r l: McGi l l e鶏. Mont rea Her t s skovi . , M.J t logi i s i thropo1 can Aぬthropo l turat 0gy f onfor An ‐ The si i i 1937 . Amer canceofthe Study ofAccu g 口 q VO I 39:259‐64 . . l rmi s , H‐ 1930. i ty Pres l s s ver The Fur Tradei e Uni n Canada . ‐ Ya. lawenap ,R 1981. 28:287‐289 I i to [ r s i Book Rev e l easur y ve US Good M ‐ ew: Gi . . Ethoh ,VO. Jenni ngs ‐ ,F 1975. l i IHi l: Un t ver ‐ lon i l i i i a sm,andtheCantofConques i Thelnvas ans ca:lnd .Chape onofAmer ,Co l i th Caro i na pre ミ 渇. ty ofNor s. jones ,P 1861. i i i i ty t i s an lr s on to Chr i r conver th spec ef erence to the a . Hi tory ofthe oiebway lndians wi s London .. Ki takamae ,T.(北構太郎) 社会変動への解釈論的接近 0 1 99 『帯広畜産大学人文社会科学論集』. 第8巻第1号 pp. 9 -30 ‐ Krech m,S . l logi t i s Book Revi can Anthrop 1980 . easure .82:640…642 ew: Gi veus Good N[ ,Vo . Amer. 76.

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