教員養成大学における教育課程と教科教育と社会科教育 : とくに教員養成制度審議会の建議案を中心として
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(2) 教員養成大学における教育課程と教科数育と社会科教育. 研究の. 23. 目 的. 戦後の教員養成大学機関は,画期的な大改革が行なわれてそれなりに多くの実績をあげ て今日におよんだ。 しかしながら十余年の成績に鑑みて再検討を必要とする意見が,大学の内部からと教育 界の諸団体から起ってきた.その大要は,現行の教育課程は形式的にせよ戦前よりも高い 水準の学問的教養であるが,学問の基礎教養が不足しているoまた教師の専門的職能人と しての科学と技術の貧弱さと,教師の使命観の欠如とが指摘されている。. このたび教育職員養成審議会より,教育の専門家を養成するために必要な大学の教育教 程の基準案が文部大臣に建議された。 この基準案の内容は,現行の教育課程よりも明確に強く教員のもつべき専門科目と教職 科目を重視し,両者の調和を図ったものであるo とくに今まで軽視された教科教育を強化 している。今後この教科教育の量・質ともに増加に応じて格段の充実を図らねばならなく なってきたので,その内容の充実はいかにあるべきかを述べたのである。 とくに教科教育の-科である社会科教育は,創設以来兎角論議の多い教科であったので, この際独自の学問的構想のある体系試案を示し読者の批判を求めることとした。 この小論を要約すれば,教員養成大学の教育課程の中の一般教育と専門教育についての 私見をのべ,ついで教科教育の位置と内容を検討し,教科教育に共通する学問的内容を論 じ,最後に社会科教育学の構想をのべたものである。. Ⅰ.教員養成大学の酸味な性格 1.酸味な法的性格. 昭和24年国立学校設置法によって,学芸大学(学部)と教育学部が発足した。その設 ●. ●. ●. 置の目的は, 「教員養成を主たる目的とする」とあり,法的には教員養成を固有の目的と する大学は存在していない。唯教員に必要な教員免許状を満たす科目がおかれているにす ぎない。この取得者に対して,各府県の教育委員会が簡易な採用試験を行い,殆んどが狭 い門もくぐらずに教師になってきた。とくに教師の聖職化を鎌うた糾こ使命観をもたずに. 教師になるから父母の期待を裏切り,学者でもなければ教育者でもない所謂デモ・シカ先 生が多く出現した。. 昭和24年の発足当時からこの安易で匪味な開放性の教員養成制度を憂えて,明確な教 員養成検閲を設置せよとの卓論もあったが,これに賛成する世論の盛り上りもみせず黙殺 されてしまった。この原因は戦前の国家統制の固い鋳型にはめこまれた職人塾の師範系列. を極度に嫌った反動のあらわれに外ならない。 日本の教育ほ-実は形の上だけではあるが一世界最高の水準を進むものといわれな がら,教員養成を独自の目的とする教育棟閑がないのは,日本だけで諸外国にはその例を みないというのは,世にも不思議なことでもあり琴心にたえない。 法的にほ教員養成固有の目的大学が存在しないにも拘らず,学芸大学(学部),教育学部.
(3) 24. ・ニーヒ 章1. 田. 太. 郎. の卒業生の約9剖が教員になっている。同じ教員養成といっても,主たる養成は小学校教 員である。副次的に中・高校の教員養成であるのに,学校当局とか学生はこの道の順序で 高・中・小校教員の順に力を注ぎ,学生も魅力をもっているのが率直な実態である。 学校教育の最初の基掛ま小学校であるというのに,教員養成では未だに軽視されたまま である。この実状では上級学校の教育負担がますます重くなるばかりである。教員の素質. から見て富士山塾であるべきなのに,摺鉢型であるこ辛が心配である。 教育の板木ほ,教師にその人を得るにありといわれているのに,目的が暖味なままの教 員養成大学で養成されたのでは,いかに開放型が大らかな教員を育てるといっても安心し てはおられない.目的を明らかにした教育課程を作っても,教員志顕著数の少ない教員養 成大学では,よい素質の教師に仕上げる教育は容易ではない。まして目的を擾昧にすれば よい教師が生れてもそれは偶然という外はないと思う。 2.教員養成大学の教育課程批判. 教員養成大学の教育課程は,一般教育・専門教育・教職教育に三分されている。 一般教育は,高校の教育に比Jiてどれほどの差があるか,また専門教育との連関がどの ように行なわれているかは未だに反省されてはいない。. 専門教育は,教員のためのそれでなくアカデトプクな学問を余りに専門的に分化しすぎ ている。しかもこの分化した中から更に断片化した内容を課するので,学生は消化しきれ. ず,かえって専門の基礎教養が不足しているとの非難が起っている。教員養成の専門教育 は当然教科の学力を顧慮したものでなければならぬのに,現状では教師の好みによる学問 的内容が講ぜられているところが多いと言われている。. 例えば,社会科の専門教育は,法律・経済・社会・政治,地理,歴史の学問を僅かに1 -2単位履修すればよいことになっている。それに加えて教官の中には教科としての社会 科のための社会諸科学を錬ったり,学習指導要領を否定する学説を教えることも稀ではな いと聞いている.. 教職教育は,教員免許法の基準単位を最低に満たすだけで終り,教育実習の基盤にもな らないといわれている.とくに教科教育は時間数の不足と教官の定員が少いためもあって, 学習指導要衝の解説で濁しているのが実状である.はなはだしい大学では,教科教育は未 だ学問としての価値を認められていないので,専門教育担当の片手間に済ませ,専任の教 科教育担当の教官を置かぬところすらある。 上述の説明でも明らかなように,教員養成に必要な専門教育と教職教育を形ばかり配置 したに過ぎない。まして両者の質と量とか,有機的な関連,調和とかに配慮されていると は考えられない。 (往 この章は各国教育の比較研究(Ⅵ)教員養成,国立教育研究所紀要第30集を 参照にした。). ⅠⅠ.教員養成を目的とす大学設置の要望 1.教職の専門性の要請. 近代教育の体制では,教育の専門性の要請が強くなっているoその理由はつぎのごとく.
(4) 25. 教員養成大学における教育課程と教科教育と社会科教育 であるo. (1)学校では,科学と教育の結合が要求される。すべての学校の段階ごとに科学と教 育の結合が企てられ,とくに初等教育関係の教職課程においてはそれが強く要求されるの である。. (2)学校における教育の仕事は,. 「教授学習活動」のみに限られないで,子どもの生活. の全面から教育の再編成することになるので,教職はますます高度の専門の技術が必要と なる。. (3)教員の仕事が専門化されるに伴なって,仕事の内容が一定の技術の体系をもった ものとして標準化し規格化されることになる.このた糾こ,他の職種によって代替するこ とができないものとなるo. (4)各種の教職の教育権限は,固有の権限として認められるo (持田栄一. 日本の教育計画. 96-97頁). 以上の理由によっても専門職としての教師養成機関が必要であり,この専門を更に目的 別に細分化された学校種別,教科別に見合う教員養成専門の教育課程が要求されることに なるo. 例えば,小学校教員は全教科担任を建前として養成してきたが,低学年は別としても 中・高学年では戦前のような家庭科・音楽科の専科担当ぐらいでほ間に合わなくなってき た.そのた捌こ他の教科にも専修課程をおく教員養成大学の教育課樫案が用意されてい る。既にここ数年来小学校で実験的に教科担任制を実施して相当な好成績をあげているこ とが報告されている。 2.教員養成の目的大学への反論. 教職の専門化は時代の要請であるからには,明確な目的大学を設置するより外に解決の 方法はない。しかしこの目的大学設置は殆んどの教育諸団体の一致した要請であるのに, お膝元の一部の学芸大学(学部)からつぎの理由で設置反対の粘り強い運動が行われてき たoこの反対のた釧こ教員養成大学の改組が遅れたことも事実であるo反対の理由はつぎ のごとくである。. (1)教員型を固守した師範系の復活となる。 (2)教員養成大学を作れば,文部省を中心とする国家統制に服従することになる。 (3)教員養成所化して規模が縮小し,他の大学に劣るものとなるo (4)教員養成大学になれば,大幅に研究が制約され,教育に専念させられる. (5)教員の資格・免許法が固定して,人間味の乏しい職人型の教師を養成することに なる。. これは戦前の師範系の教員養成機関の欠点のみを掲げた反論である。兎角変動期にほ極 端から極端への転換を考え平衡感覚を失うのは,日本の知識人の通弊である。そ.の著しい 例がこの目的大学設置の反対理由である.この反論を噛みしめて内容に改革を加えて現代 版の教員養成大学を設置すれば,この反論は自然に解消することになる。 3.教員養成大学設置の要望 現行の開放性の酸味な教員養成大学卒業の教師の日常の実態をみて,各種の教育団体か.
(5) 26. 普. 田.太. 郎. ら明確な教員養成を目的とする大学を速やかに設置せよとの要望が,ここ数年来盛んにな ってきた。. その好例ほ,全国数常長協議会から教員黄成制度審議会に提出された要望書であるoこ の内容ほ,戦後の教師9千人を対象にして全国の分立の小・中学校長と教員(新卒を含む) の教員養成大学えの要望である。. (昭和38年夏の調査). 注)教員養成制度の改革案ほ,国立大学協会,全国高・中・小校長協会など18団体から提出され ているo. この調査報告の内容を校長席と教員鰍こ区分して,つぎをこその要点を記すとつぎのごと くである。. (1)校長の意見 イ. 教員養成目的大学i学部の設置を望むもの. 80 !/7o. p. 教育課程の基準を国がある程度示すべきであるとするもの. 70 ETo. 教育課程についての意見. -. i. 敦材研究,教科指導法の充実を望むもの. ヰヽ・中. 61ヲち. ii教職専門科目の充実を望むもの. 小. 59%. 中. 65%o. iii教育実習の充実を望むもの. 小. 59%. 中. 577o. (2)教員の意見 現行の教育教程にあきたらず内容の充実を望む項目は,つぎの表のごとくであるo. 上述の詞査の結果をま,教卸の専門哉能入としてもっとも必要な科目の充実の要求度を示 しているo. このことほ一般の教養を主とする大学に,議u次的な薮騒教養の教程を付設した 所産に外ならないo. III.教員養成制度審議会の建議案の特色 教員養成制度審議会(路して教・養・審という)は,内外の意見を参考にして現行の教 員養成大学の教育課程の改善を試み,教員養成のための教育課程の基準についての建議案 を作成して真澄大臣に提出したo. (昭和40年6月22日). 文部省はこれを参考にして「教員養成を目的とする大学」の教育課程案を作り,今年の 通常国会に提出し通過すれば,明年度から蒼々と教育内容の整備を行う予定であるというo この建議実作成の経緯からしてこの案と著しくかをナ離れた文漆省塞が作成されると絃考え られない。. 建議案は,小・中校の教員養成を目的とする大学の教育課程の改定案である。その特色 をま義務教育校の貴簡入としての専門教養を整僚し充実したことにあるo.
(6) 27. 教員養成大学における教育課程と教科教育と社会科教育. この実に対して早くも反論があらわれた。その共通した見解ほ,余りにも教員意識が濃 厚な教育課程で,音の狭量な/j、手先いじりの職人的な教育技術者の養成に戻ったというの である。 注). Ⅱ.. 2.教員養成大学-の反論を参照されたいo. 私見でほ,この建議案こそは,専門的な教育職能人を養成するのにふさわしい学問的な 教養と教職教養とがうまく調和されている良案と思う。 この良否の判定を3:,この教育家程をうをナた大学の卒業生が現場の教恕となっての反省と, 現行の教育課程をうけた教師との比絞まで待たねばならぬことはいうまでもない。恐らく はこの建議案が現場の意見を多分に取り入れた修正案であるだ桝こ,現場から歓迎される 有能な教範が育成されるであろうことほ党ず疑う余地ほないと患うo この案の具体的な特色ほ,現行制と対比すれば明白になることであるが,ここでは教科 教育の充棄に債点をおいて述べることにするo 1.小・中校の教員養成課程の確立. 教育は時代の進運に伴なってその専門が分化することほ当然である。現行の教育免許状 は,同一人が卒業時に小・中・高校の免許状3枚を取得しうる仕組になっている。 注) ,j、学校は全教科1穀,中・高校ぼ教科の2毅の免許状が取得できる。甚しい飼をあげると教育, 心軌英語などの専修生が広領域の社会科の免許状をも容易軒こ取得できる。専門教育は,一般 教育期間の1年-. 2年のにうわ積みされ3年-2年の履修期間しかないことを思えば,その教. 科の学力がいかをこ低度のものか想像がつくと思う.このゆえをこ生徒なり父母なりから,今の教 師ほ教科の学力が足りないといわれる所以がよく分る。. 戦前では普通師範校で小学校の全科(修業年限ほ小・高卒者は5年,中・卒老は2年), 高等師範学校で(鯵業年限4年). *等学校の専門教科の免許状だをナであったo. 注)専門教科ほ,国語,英監地理,歴史,公民,博軌. 理科,体才気. 家庭などで,その外に修. 身,教育の免許状が取得できた。. 蔵前に比べて免許統が安売りされているの絃,時代錯誤もほな絃だしく,教員の学力低下 のそしりをうむナるのほ当然であるo このたびの教育課程では,厳然と小・中の2本建にし てあるので,これを守って本当の学力をつけて卒業させるべきである。講義の内容も小・ 中兼用の単位を極力遼をナるべきであり,高校の教員免許状は,上位の教育磯閑にいさぎよ く譲るべきであると患う。 2.教科数育の拡充化. 現行の教科教育の貧弱さに比べて,建議案のそれ経絡長の充実を要求しているo. これほ,. 惑をこ喜ばしいことであるとともに,教科教育研究の倍増の必要にせまられている. 現行の教科数青ば,小学校でほ教材研究,中学校では教科教育法という。教材研究は, 全教科8×2単位-16であり,教科教育法ほ1教科につき4単位であるo 注) 1単位とほ2時FF13の講義を15摂行うことであるが,大体ほ毎週1回90分の活義を精々13 回位行えば最高であると思う。. 両者とも各教科の学習指導要額を中心に要点を抽出して,発育方法を講ずるのが各大学に.
(7) 28. 普. 田. 太. 郎. 共通した講義内容と思う. 中学の敦科教育法になると広範域の社会科・理科ほますます困難を感ずる.先ず当該教 科の教育の概論を行い,専門の各蜜域の教育を加えなをナれば完全でほないo社会科で緑地 軌歴史,政・経・社の3債域が必要であるのに,この中の2慣域を随意に履修させて番 屋れりとしている飼が多い。従ってこのままで中学の社会科教師になれば,未修甑域をも 教えなければならなくなる。 建議棄では,小・中校の教科教育を「教科教育の研究」と改め,その内容は教科の専門 領域と教科衣育との有横的関連を図ることにした. 小学校でほ専修教科を設をナて6単位をおき,その飽の教科の研究をこ22単位をおき経計 28単位とした。現行の教材研究16単位より大幅に12単位も増加することになった。専 修教科の設置ほ,今後小学校の中・高学年で教科担任間を加味することになるので,先見 の明のある名案であるo 中学校は教科教育法の3単位を4単位としたo広餌域である社会科・理科は1単位の増 加とほいえ,各分野にまで万遍なく履修しうることになるo 建議案の教育課程の中で最も充実したの絃教科数育であるoこのことぼ今まで専門教科 の添え物扱いから一躍対等の地位に上昇したことになり,教師の敬能性が明白になったこ とを示すものである。これで環境教師からの教科教育拡充の希望に応える枠付けができた ので,その内容の充実を-1屑研究しなをナればならぬことになるoこれからは衣料教育の内 容に鑑みて,教科教育担当の教師から教科専門担当教短に対して科白の内容をこ立ち入った 協力を要請することが必要となりてくるoかくしてこそ教科専門科目と教科教育との有機 的な関連と講和が因られることをこなるo. ⅠⅤ・教科教育学樹立の必要性 1・教員養成のための教育課種の内容. 教員養成を目的とする大学では,一定の独自の基準を示す教育課擬の中に,教科の種類 と履修すべき単位が明示されねばならぬ。それは教師に要請される具体的な高い教養と専 門的な学力を与える構想を示す内容でなシナればならない。 教育教程の構造ほ, ≡養鰻の一般・専門・教職の三科目であるoその内容妄こついて教員 養成のために改善されるべき私見をのべてみる。 (1)一般教育は大学設置基準により広い教養を高軌調和のとれた知識人の育成にあ るが,現状では高校の復習をこすぎず,内容をこ深みもなく断片的な知識書こすぎないとの弄発 が多いo このゆえにこの際思い切った改革を試みたらよいと患うo例えば人間教育のため にいくつかの広域の主題を設シナ,それを人文・社会・自然の諸科学から学問的に解明して ほいカ、がと}監う。. (2)専門教育ほ,児童・生徒に教授すべき教科をこ関する知識・技術について教員とし ての専門の学力を高めるものを望む.一般に学芸大学(学部) ・教育学部の出身者ほこの専 門の学力が喜寿体であるといわれている。教育養成大学の学生経他の大学・学部の学生に比.
(8) 教員養成大学における教育課程と教科教育と社会科教育. 29. べて,一般に入学前の学力が低いので専門教育の消化力に乏しいことも事実である。しか し学力を高めるといっても唯学問的な雑然とした専門教育を高めるのではなくて,現場の 要望に応えて教科中心の内容に傾斜させるべきである。すなわちこの専門教育科削ま学問 的教養ではあるが,同時に教科の学力の基礎をなす内容をもつものでなければならない。 教科教育と密接な連関をもった専門科目とし,現場の教師となって教科指導をなしうる科 学と技術を身につけさすべきである。大学院向きの部分的な高度の学力よりも,幅の広い 教養の方が教科の学力としてはまず必要だからである。 (3)教職教育は,教育という職能活動の特性から要求されるから,現場に直結した内 容であることを望む。今までの教職教育ほ,専門教育と無縁であり,現場の実践活動から も距離がありすぎるといわれている。形式的・断片的・抽象的であることを反省して,覗 場の実践に役立つ基礎の学力と技術を検討すべきである。 教職教育は,教科教育と教育実習が中心である。今回の建議案では,教科教育が余りに も貧弱であるのに鑑みて多くの教育内容と時間とを用意している。教生実習は,教員養成 大学の仕上げの舞台であるだ桝こ教生を充分に指導する教師を選定することが大切であ る。実際には実習校に必ならずしもすべてが指導力の高い適性な教師がおるとはいえな い。戦前に比べて教生期間も短かいし教生の真剣な熱意も不足していると思う。指導する 実習校の教師も時間外勤務を好まない傾向が強いので,後輩を教育する情熱をもたず,唯 事務的に上ヒりの指導でごまイヒすことが多くなってきた. 教員養成大学では3街域(一般教育・専門教育・教職教育)の知識と技術を習得すれば, 一応は職能的教育になりうるかも知れないが,果してよき教育者となりうるかは疑わし これを啓培するため い.戦後の教師は,教育的情熱とか使命観が乏しいといわれているo に課外の時間を設け,教育者の伝記の講読とか,教育実践者の苦心談を聴講するとか,精 薄児の教育施設の見学などを行うのが適当である。. 上述の3額域間の連絡を図るとともに,安易な単位の履修に終らせないために教師自ら が講義の内容を研究し,学生にも相当に厳しい研究を求むべきである。 外国の教員養成大学の教育課程の区分は,大体日本と同じく三本建であるが,一般教育 を重んずるのは米国であり,教職教育を重んずるのは西欧諸国であるという。専門教育ほ,. 一般教育をより高度に学問的にする国と,教職教育に近接した学問的にする国との相違は ある。. 日本の教育課程は,西欧諸国の教職教育を重んずるようにして,専門教育が教職教育の 基礎学力となるような学問的内容をもつことを望む。 近い将来には,教員養成大学に大学院を置くべきである。大学院の専門学科は,既設の 大学院大学に置かれている学問の飼域でなくて,教員養成大学として最も特色を発揮すべ き教科教育学などを特設したらよいと思う。また教員養成大学の修業年限を5年にするの もー奏である。既に米国では5年制の教員養成大学もある。義務教育校の教員養成機関は 4年でよいという理由は成り立たない。 5年になって教科教育と教育実習を十分、に履修させるのがよいのでほないか。.
(9) 30. 」二 l二I. 田. 太. 郎. 医師養成大学は,修業年限が長い上に臨床医学の実習を行い,更に大学院や医局に入っ て専門医の学問と治療術を学んで始めて医師たりうるのである。人間の生命を治療する医 師になるにほ十年以上の修学年限が普通である。人間の精神的生命を教育する大学に大学 院を置いたり,修業年限を5年にすることは無理な要求ではないと思う。 2.現行の教科数育の貧弱性. 現行の教科教育は,時間数の不足,教科の研究が学問でないとする通念,教師の不熱心 などの理由で極めて振わない。ただ各教科の教育方法を講じているにすぎない状態であ る.この程度では教科教育が学問の領域とはいえない。唯徒らに教科の教育技術面を教科 の学習指導要街中心に解説しているのみである。学習指導要餌は,教科の教育内容および 方法の国家基準を定めたものである.学習指導要餌を解説するには,教科専門の論理的な 知識と技術が必要であり,教育の方法は,教育心理学的な知識と技術が必要であるo現行の 教科教育で行っている学習指導要衝の解説では余りにも貧しい内容である.完全.な解説を 行うためには教科専門の知識を駆使しての教育方法を教えなければ十分とはいえない。 教科教育は,教育学の一種か一部門にすぎないといわれている。一般教育学に対して特 殊教育学,理論教育学に対して応用教育学というような範時に入れられ,教育方法は,敬 育心理学とか教育技術学の範暗に入れられよう.教材の内容は,学問や科学の内容である から,そこから取捨選択すればよいという。 上述の理由で,教科教育は,教育科学と教科専門学の応用であり谷間であるから,独立 の学問ではないといわれている。現行の教科教育では,正しく応用であって独立の学問と はいえたものではない。現場での授業研究でも両科学の応用では指導の根拠は不十分であ る。. 教科教育は,担当教師でも不完全さを十分知りながら今日まで行ってきたし,学生も教 生実習に行ったときに不満を訴えていたままで十幾年を過してきた。教科教育担当の教師 ち,大半は教科教育専攻学者ではなくて,教科に関係することを予想しないある学問とか 技術そのものを専攻した人が,戦後の教科教育講座の新設に伴なって教科教育に転身した 人である。それも教科教育の専攻一本槍で研究している大学教師は少なく,定負も,多い 大学で3名,少いところでは1名である。はなはだしいところほ,専任の定員をおかずに. 専門学担当の教師が輪番で受持っている有様である。私見では教科教育こそ教員養成大学 独特の花形学科にしなければ,教育課程の特色は失われると思う。 今度の改定案で大幅に拡充され,研究内容も示されているのを契機にして,諸科学や技 術の隷属から脱出して独自の学問としての研究に精進すべきではなかろうか。 各教科の学習指導要領の解説も大切ではあるが,今後は各教科の学習指導要領を創り出 す教科教育学であって欲しいものである。 3.教科数青学の体系. 教科教育の研究の対象は,各教科である。その研究の内容は,該当する教科の専門慣域 の学問や技術と,当該教科の教育に関する原理,教育訣程,方法,評価等を有機的に関連 せしめて独自の専門教育科目とすることにある..
(10) 31. 教員養成大学における教育課程と教科教育と社会科教育. 研究の内容は上述のごとく定義づけられるけれども,自他ともに容認しうる独立の新し い学問とするまでにほ,容易ならぬ努力を要するのである.. 教科教育の研究の広さと探さは無限にある.日常行われている授業が教科教育の有力な 一つの研究の対象である。その教育効果をあげるためには理論と実践の連関研究が必要で あり,学習指導のきめ手を究めることだけでも容易なことではない。例えば児童が「分っ た」というがその「分った」内容の追究だけでも容易なことではない0 毎日行っている授業も相当の効果をあげているものの,まだまだ手さぐり的な勘の餌域. が多く実証的な効果判定は少ない。 教科教育が学問的体系となるた糾こは,教科成立の基礎条件から吟味しなければならな いo. (1)教科の構造を明らかにすることである。 教科の設定と内容は,社会の要求や現在および将来の社会生活からみてどのような機能 を果すべきかを予想して明らかにしなければならない。学問や技術の内容はそのまま教科 の教材に碍なり得ないが,重要な教材の源泉になることは間違いはない.そのために教科 に親近性のある専門学科の教育が必要である。 教科の内容が一方的に現代の科学や技術から導き出されるのではなくて,逆に教科の基 本的原理,概念とそれらを学習する態度や方法からなり立つ側に立って,専門学者が教科 の内容を編成するた捌こ協同的であることが必要である。 「われわれの文明」を設けたとすると, 例えば,社会科で今までにみられない新範囲に, この主題を中心に関係の深い諸学老が専門の立場から素材を提供しつつ学習者の能力を勘 案して新しい教科としての「われわれの文明」の内容を設定すべきである. 教育は,何時も学問や科学の業績を伝達することだけでなくて,教科に必要な主題を専 門学者の協力によって作成することが今後の課題となってこなければならぬ。このた糾こ 教科教育の教師は,専門学者としての科学者の性格が必要である。 (2)教科を学習する被教育者の心理的な成長発達の段階の量と質を知ることである。 学問や科学の専門的教養を深く積んだものが,直ちによき指導者になり得ないのほ,敬 教育者に伝達する教育原理とか教育方法とかを知らないからであるo. よき教育者であるた. めには,教科に含まれる諸原理や諸概念が形成される過程,技補修得の過程,比校,分析, 総合,浜釈,帰納などの推理思考の機構を心理的に明らかにしなくてほならない。 これには教育科学の教養が必要であり,とくに教育技術者としての実験科学者の性格を もたねばならない。. 教科数育成立の基礎的2つの条件は,常に授業の形態によって実験されるo授業では, (1)の教材と,. (2)の学習者の能力を予想して行なわれるが両者が決して安易に結びつく. ものではなくて,むしろ苦脳の連続が多いのである。 教科教育ほ,教科の内容を被教育者にいかに学習(授業)によって定着させるかにある ので,被教育者が未熟であればあるほど,微細な教育技術に注目しなければならない。し かしこの教育技術を単に技術に終らせないた桝こ,理論的な研究が必要となる。今日,こ.
(11) 32. 吉. 田. 太. 郎. れまでの授業の研究を反省して,科学的実証的な分析と総合の研究が盛んになってきた。 唯個々の授業研究に終るのでなくて教科に共通する教育の傾向性とか法則性を生み出すの が目的でなければならない。. 例えば,教材によって資料の精選と活用,有効な学習形態などについて一つの類型が示. 苧れるようになる.勿論この定型をどこにでも通用させようとするのではなくて,基準型 として理解し,被教育者と地域性を勘案しての教師の応用は許さるべきである。 注)大嶋三男. 教科教育の課題と方法,初等教育資料1964年6月号. p.. 1-5を参考とした。. 教科教育成立の基礎的な2つの条件が,相即不離であることは,教材の語義を知れば自 ら明白である。. 人間を学校で教育する一分野として,教科の教育を行なうのであるが,教科に即した世 界観・社会観・人生観などを伴なうので,教師はこれを養うた糾こ哲学者としての性格を 、\. 養う必要がある。. 教科教育学は,教材をうみだしたり,教材の内容を分析したり総合したりするに必要な 学問的餌域と,教材をいかに被教育者に学習させるかの教育的街域とで成立するo 教科教育学の構造は,つぎの諸項目であると思う. o教科数青原諭, o教科教育各論,教科教育の歴史,外国の教科教育との比較,教科の 学習心理学,. o教科教育法,教科教育研究法。. 以上の諸項目が大学における「教科教育の研究」内容であると思う.教科教育の重要な 必修項目は,. ○印の3つであろう。残余は,教科教育の専修生に履習させるのが適当であ. る。. Ⅴ.社会科教育学の構造 1.大学における社会科教育不振の理由. (1)社会科は教科であって学問研究の街域でないとする. 社会科が教科として創設されたのは,昭和22年からである。しかも日本人が創造した 教科でなくて釆国輸入の新奇な教科であるo新奇で幼弱なために,保守派からも進歩派か らも常に批判をうけた教科である。教科は教育者の研究するもので,学者の研究の対象に はならぬという通念がある。元来わが国では学者は教育者よりも優位であり,同じ学校の 教師でも高校の教師が小学校の教師よりも優位であるという自負心が社会通念として根強 く存在している。. 教員養成大学は,教師養成を目的とするならば,教科の研究が学問の研究でないとす畠 のは暴論ではある飢こか。といっても,現状においては他の専門諸学専攻の教官は学問の 研究と同等祝してはいない。従って社会科教育の研究業績を,誰が価値判定するのか未だ 明らかになっていないのみならず研究業績は無視あるいは軽視されているのが実状であ る。. (2)社会科担当の教師が劣等感をもっている。 社会科は,今まで学者の研究対象でないことから,学問に弱い教師が担当しているとの.
(12) 33. 教員養成大学における教育課程と教科教育と社会科教育. 劣等感を社会科担当の教師が自ら潜在してもっていると思う。この例証としてつぎの文を 引用する。. 「とりわけ悪いことは,全体の大学の教授の陣容の中では比故的学問的に弱い教. 授がその方面にタッチし,社会科教育の講座を担当しているということであって,このこと はともすれば社会科の講座が大学の教授の姥捨山というような感を与えているのである。」 (柳田国男,和歌森太郎共著 社会科教育法 p・ 175-176) 社会科教育の教師ほ,大学で社会諸科学を専攻した師範系の教員の経歴者が大半であ る。学者としての経験よりも,教育者としての経験者が担当している方が社会科教育の内 容から推して適任であるのも事実である。. (3)社会科専攻教師の定員が不足している。 社会科教育担当の教官の定員は,教員免許法に定められた小学校教材研究2単位,中学 校社会科教育法3単位の時間数から割り出した数であると思う。学生定員の多い学芸大学 でも3人,少いところでは1人のところもある。はなはだしい大学でほ社会科専攻教師の 定員を全く置かないで,社会諸科学担当の教師が片手間に,輪番に受持っている大学が可 成り多くなっている。社会科教育の複雑な内容から専任を置かないで済まされる訳がな い。寧ろ今後は専任の教官を置いてこの教科教育の振興を図るべきである。 (4)社会科教育法の講義内容が貧弱である。 社会科教育の講義の内容は,時間と定員の不足から社会科の教育方法か学習指導要餌の 説明に終っている。今のところ所謂学問的内容でない教科のためもあって社会科教育を専 政する学生は少く,卒業論文を選ぶ学生ほ尚少数である。学生の学問的興味ほ社会諸科学 の街域が大半である.これは社会科教育を教育方法で済ましている貧弱さにも原因してい ることなので,学生に魅力のある講義の内容になすべく担当の教師が精進することが先決 の課題である。. (5)社会科教育は,複雑多岐な研究内容をもっている。 社会科ほど批判の嵐をうけた教科は稀である。社会科教師の教養ほ社会諸科学を中心と する人間・社会の学問領域と,学習指導を中心とする教育諸科学の額域に及ばねばならな い。加うるに小中学校の社会科教育の現場も研究範囲である。これだけの広い範囲を研究 の対象にもつ教科であるから,その内容も複雑多岐であるのは当然である. これほどの教養を習得することほ夢物語であるが,これが社会科教師の研究の独壇場で あるから着実に研究を積みあげる努力を怠ってはならない。 (6)社会科教育には,戦前からの業績の遺産がない。 国語教育や数学教育は,たとえ内容が変化したにせよ戦前からの長年の遺産があって, 今日の商科の教育研究に多大の寄与をもたらしていることが大きいのであるo 社会科は,修身・地理・歴史・公民の前史的な教育はあってもこれを殆んど破壊し否認 しているので今日への研究の遺産として継承することほできない。学ぶべき社会科は米国 の社会科教育であるが,民族的風土と歴史を異にしているので余程吟味しないと日本で育 つ社会科研究の種にはならない憾みがある。 社会科教育担当の教師は,上述の苦難な体験の中で現状に滞足せず,社会科教育独自の.
(13) 34. 田. 太. g冒. 学問的構想を求めつつ今日に及んでいる。まだ囲ってはいないが学問的樹立を期するため の意見は若干発表されている。 2.社会科教育学構想の発芽 1960年(昭35)に社会科教育の研究集会が文部省の助力によって,全国を4地区に分 広島大学,静岡大学,横浜国立大学,北海道学芸大学を会場校として催された。. 仇. 注)各会場での発表内容ほ,会場校でまとめられ要録として発表された。筆者ほ,全会場の動向を 研究集録をもとにして,. 「社会科教育研究集会の動向」にまとめた。. (日本社会科教育学会機関. 誌,社会科教育研究16号1962年). この研究集会では,小学校から大学までの社会科専攻の教師が一堂に会し,多種多様な 発表が行なわれた。小・中学校からは授業中心の多彩な研究報告があり,大学からは社会 科教育の時間の教官数の不足を訴えるとともに,社会科教育の現状に甘んぜず社会科教育. を学問たらしめなければ,他の専門学と同等祝されないとの自省から若干の構想が発表さ れた。しかしこのときはまだ発想に留ったものが多かった。. これが動機となって,日本社会科教育学会の関東地区会で1963年(昭38)に「社会科 教育学の構想」を中心主題として, 社会科教育研究18号. p・. 4人が構想をのべ,活発な討論が行なわれた。. 33-36. (詳細は,. 1963年を参照されたい。). 1964年(昭39)には「社会科教育学の構想」の特集号を南緯した。. (社会科教育研究19. 号1964年) 新しい学問は常に学問の谷間すなわち境界から発生するといわれているが,さて学問体. 系をもつ社会科の樹立は容易なことではない。 論者の構想は区々であるものの,共通するものが煮つまってきていることは感じとれ る。. すなわち社会科教育学の研究の対象,研究の慣域,研究の方法,概念などが明らかにな ってきた.社会科教育の怒域は,人類の歴史と同じ長さと世界全体の広さをもち,現在お よび将来に生きぬく日本の社会生活の基礎を教育する任務をもっている。このような尤大 な研究餌域には,どこから着手してよいか解らないが,さりとて鋭手陪観は許されない。 そこでこれからは同学の士の研究を盛んにして,共通の理解による所産の社会科教育の学 問的構想を得ることが急務である。 注)社会科教育学の学問的構想をうるのに,多くの示教を与えてくれる良書をあげておく。 Manrice Lonard. P・. Mo庁att:. S・ Kenworthy:. Social Social. Studies Studies. lnstruction, Teaching. Third. Ed.. in Secondary. (Prentice・Eall, Schools.. 1963).. (Wadwortn,. Inc.. 1962). 3.社会科教育学の構造 社会科教育学が学問として成立することを望むならばまず研究の対象がなければならぬo その研究の対象は,学校教育の教科の一つである社会科であり,社会諸科学を対象とした. ものではない。研究の対象が決定すれば,その研究餌域と研究法を明らかにしなければな らない。.
(14) 教員養成大学における教育課程と教科教育と社会科教育. 35. これを学問的に成立させるた糾こは,原理的,実践的,歴史的,比較的の諸額域を客観 的,論理的に研究することが必要になってくる。 教・養・審の建議案の「教科教育の研究」の内容によれば,. 「当該教科の専門餌域と当該. 教科の教育に関する原理,教育課程,方法,評価等を有機的に関連せしめる,独自の専門 教育科目とすることにある。」という。 上述の見解を汲んで具体的な学問的な研究の項目を列挙すると,つぎのごとくである。 (骨子は,内海厳の社会科教育学の構想・社会科教育学研究16号所収,と尾崎席四郎・藤本光・ p・ ll-24を参考にして構成した。) 大森照夫編著 小学校,社会科学習内容の順序と資料の活用. 社会科教育学の中心の構造とそれを支える基礎の構造とに区分してのべるとつぎのごと くである。. (1)社会科教育学の中心構造 イ.社会科教育学原論. 社会科の目的を理論的に究明し,教科としての存立の根本的意義を明らかにする。具体 的内容は,性格・本質・方法・評価の原理を示すことである。社会科の学習指導要想は, 社会科の教育内容と学習指導方法の国家基準を示したものであり,社会科教育の結晶であ るので,これを原理的に検討し批判することは,この原論の研究の一つの対象であるo た道に学習指導要領の一案を作成することもこの原論の研究範囲であるo ロ.社会科教育史. 日本と社会科を行なっている主な外国の社会科教育発達史の研究を行なう。日本では, 戦前の社会科教育的前史はあるが社会科教育史はない。先駆的な業績に留岡晴男の米国の 社会研究科の紹介はあるが,昭和13年ごろの国家総動員運動の臨戦体制下には普及発達 すべくもなかった。 注)教育. 岩波書店1938年6月号参照。. -.比較社会科教育学 同時代の諸外国の社会科や社会科的な基礎教科と日本の社会科とを比較研究することは, 日本の社会科の進展の資になることはいうまでもない。丁度比較教育学が世界的規模で行 恵われ,自他ともに教育計画の向上に役立てているのでも明らかである。. 数年後には社会科の学習指導要領の改訂が行なわれるであろうから,そのためにも諸外 国の資料を参考にして21世紀に生きる日本人教育の土台になる社会科を研究すべきであ る。. ニ.社会科学習心理学. 教育心理学の一部門であるが,この領域の研究は未熟であるo被教育者の社会科学習の ,b理的発達段階が明らかになれば,教師は自信をもって教育計画がたてられ教育が能率化 することはいうまでもない。例えば社会科の地理・歴史・政・経・社の意識調査の研究を 全国的な規模で,小・中・高校一貫して行ないその結果が分れば,どれほど学習指導に貢 献するか測り知れないものがあるo 尚測定・評価などもこの思域である。 この部門の研究ほ社会科教師の専門外であるので,教育心理学者の協力を仰がねば完成. ま.
(15) 36. 田. =【ニ ロ. 太. 郎. することほ困難である.. ホ.社会科教育法 社会科の教育方法は,学習指導が中心となる。内容は,学習計画,指導形態,評価,教 材研究,教具の活用など学習指導に一応実証済の確かな結果を取扱う。 -.社会科教育実験法 社会科教育を向上させるた桝こほ常に実験の積み重ねが必要である.社会科教育の研究 では理論と実践とは相即不離である。日本では原理的な科学の研究が一段と高度なもので, 手を取って教える技術が一段と低いものとの誤った考え方が根強く存在している。例えば 人工衛星をとばす原理を作り出した頭脳はすばらしいが,飛べるものを作る技術が伴なわ なかったら完全なものとはいえない。両者に軽重の区別はないのである。この事例に鑑み て,社会科教育の諸問題について常に理論をよしとしても,実験をまたなければその理論 可否の判定はできない。 道に実験の結果によって理論の修正を必要とすることも度々起ってくる。その一つの事 例ほ授業にある。実用的な工業製品を作り出すためには,研究所で数多くの実験を重ねた 試作品に更に幾度かの改良を加えるのである。ここの中心課題は,授業である。授業は社 会科教育の教師の指導の図式が試みられる実験場である。この実験の結果について視点を 設けて分析したり,総合したりして科学的実証の研究成果を発表し批判をうけ,更にまた 実験の操り返えしを行う. 必ならずしも授業のみにこだわらず社会科教育の諸問題について実験学校を設けて,長 期におよぶ実験研究を行わねば本当の日本の社会科は生れてこない。 上述の社会科教育学の中心部を全部行なうことは,少数の教官と少い履修時間ではなし うるものではない。 社会科教育で最低必修の項目は,社会科教育学原論と社会科教育法である。前者は社会 科教育の基礎原理であり,後者は学習指導のための実践方式である。社会科専修生には, その他の4項目を必要に応じて学ばせるとよい。. (2)社会科教育学の基礎構造 社会科教育学の中心構造は,山の頂上に当る.この頂上を支える裾野が基礎構造の諸科 学である.社会科は, 「人間行動に関する綜合的研究」といわれるだ桝こ,基礎科学の貿域 ほ無限の広さをもっている。しかし無限の基礎科学の中にも,社会科教育の中心に向って は近遠の差はある.. 基礎科学ほ, 「人間・社会の局部的飯域の研究」であり,教材の内容に関係の深いのは, 社会諸科学であり,人文科学,自然科学も関係をもつ。学習指導の内容に関係の深いのほ, 教科教育学であり,これを支えるのに教育科学があるo. 社会科教育学で直接必要な基礎科学ほ,大学の教育課程でほ教科専門と教職専門で習得 することになる。 イ.基礎的諸科学 ・社会諸科学を中心として人文科学,自然科学の諸税域の学問分野を示すとつぎのごとく.
(16) 教員養成大学における教育課程と教科数育と社会科教育. 37. である。基礎の諸科学によって養われる専門知識は,学問体系上の知識である。社会科教 育で最も活用される知識ほ,社会諸科学の鏡域であるo この知識の中には「教育の中立性」 を敢えて冒かす知識がある。しかし学問は教育の中立性とほ無関係に研究されることはい. うまでもない。社会科教師は常に広い教養をもつと同時に教育の中立性を守るた桝こ,教 材に必要な知識を選択する見識を養う修練を積まねばならぬ。 基礎の諸科学の知識は抽象的概念的なものが多い。このような知識をよくかみくだいて 十分に会得し,その概念を説明するにふさわしい多くの具体例を知っておく必要がある。. 例えば,歴史でよく使われる「封建」という用語がある。この実例をあげてこの封建の意 義を説明しなければ,生徒に分らせることはなかなかできることではない。学者間で容認 している定説をよく理解し,それを生徒によく解らせるためには言葉や文字の解説よりも, 具体的な事例をあげて説明する方が理解し易いのである。 社会科教材を明らかにする知識は,学問的知識に依存するが,必要な知識は具体的な事 例の知識である。 社会科教師の知識には,技能を伴なう知識が随分とある。例えば地図・地球儀・年表・ 統計グラフなどの理論と実践,歴史や考古資料に対する知識などの技能的教養を実践して おかなければ,指導が徹底しないことになる。 社会科教育に役立つ基礎科学の講座において,上述のことを含んで専門教育の講義を要 請したいのである。. 学問が発達することは,専門的に分化することである。社会科教師の教養は,微視的な 教養よりも巨視的なものが望ましい。社会科のための巨視的な主題を掲げて,視野の狭く なるのを防ぐのも良案であると思う。例えば「日本の現実」というような主題を設定し, 諸科学老の協力によって「日本の現実」の大綱を知ることである。 しかし上述の事例は,特殊なことであって専門学者の好意ある協力がなければできるも のではない。. 現状では社会科教育に必要な基礎の諸科学は,専門の学問分輝によるより外によい方法 はない。例えば米国のKenwor/thy. (Brooklyn. College)は,主な基礎科学と協力する基. 礎科学とに分けて,諸学問の名称をあげている。. (内海 厳,社会科教育研究19号5頁より. 転載). 主な基礎科学の名称。. (心理学・社会心理学・地理学・人質学・社会学・歴史学・経済. 学・政治学・哲学) 主な基礎協力学の名称。. (文学・自然科学・莫術・音楽・宗教). 上述の米国の事例の特長は,基礎協力学の東城にある.社会科教材の学問的な素材は, 無限大であることを示している。わが国の現在の教員養成大学の専門科目を列記するとつ ぎの諸学の範囲が適当である. i. 基礎的社会諸科学 歴史学(史学理論・日本史・東洋史・西洋史・考古学・古文書学・民族学・民俗学が あり,中には技能的実習を行なう学問もある。).
(17) 38. 吉. 田. 太. 郎. 地理学(人文地理学・地誌学・地図学・気候学・地理的統計法があり,技能的実習を 行なう学問が非常に多い。) 法律学(法律学・憲法・公法・私法・社会法) 社会学(社会学・社会思想史・社会調査法) 経済学(経済学・経済学史・経済史) ii. 基礎的人文諸科学 哲. 学(哲学・東洋哲学史・西洋哲学史・論理学) 倫理学(倫理学・倫理思想史) 文化人額学。. 上述の基礎の諸専門学の講座が全部存在している教員養成大学は,殆んどあるまいと思 う。そこで現在行なっている専門教育担当教師と社会科教育担当教師と連絡をして,専門. 教育の中から社会科向きの科目の選択を行い,必修と自由選択の2種に区分すべきである。 なお基礎諸科学は,教科専門科目の単位に限界があるので,非常に科目数が制約されるこ 20単位,中学校のそれは46単位)。小・中学校 とになる(小学校の社会科専門科目は, とも単位数は増加しているが,小・中校別に科目を選んで,ピーク型でなく高原型の内容 である方が,社会科の学問的教養としては適当である。 ロ.基礎的教育諸科学 教育科学の中,教育原理と教育心理学は,全部の学生の必修科目であるo. これを取り除. いた教育科学が,教職科目であり,小学校は10単位,中学校は8単位を履修することに. なっている。この場合選択を許されるので社会科の学習指導に役立つ科目を中心に履習す べきである。 教育科学の基礎的学問の項目は,つぎのごとくである。 i. 基礎的教育科学. 教育哲学,日本教育史,西洋教育史,学校経営学,比較教育制度学,教育行政学,教 育財政法。 ii教科数青学の基礎科学 教育方法学,教育心理学,学習心理学。. 社会科教育に近接した教育の基礎科学は,. iiの教科数青学であることはいうまでもない。. 社会科の学習指導法は他教科に比べて複雑であり困難であり,また理論だけでなくて実践 も必要である。例えばグループ学習,視聴覚教具の利用にしても教育の原理を知るだけで ほ授業のときに不安であるので,学生自らの実践運用の体験が大切である。このような厄 介な学習指導が社会科の特質であるので,進んで自ら困難と複雑に飛びこむ勇気が必要で ある。. 社会科は斜陽教科といわれるのは,本物の社会科教育を行っていない教師が多いからで ある.社会科の教科書の文字の詰め込みに終ったり,常識でごまイヒしていることほ,正当 な社会科の授業ではない。そのた捌こ現場の教師から社会科縮小論か廃止論が起ってきて いる。.
(18) 教員養成大学における教育課題と教科教育と社会科教育. 39. 上述のごとく社会科は実に複雑な困難な教養を必要とするが,これが教科の独自な性格 である。現場の社会科を衰退せしめた遠因は,大学の社会科教育の貧弱さにも責任がある と思う。. 度々書いたように,教員養成大学の教育課程の中の教科教育が大幅に拡大強化されるの を機縁に,社会科担当の教師はあらゆる困難に打ちかって本格的に大規模な共同研究の場 を設けて独自の学問領域の開拓に選進すべき好横が到来していると思うo 今後の課題. 教員養成を目的とする大学の教育課程は,他の大学にみられない教科数育と教職教育が 特色でなければならぬ。筆者が社会科教育専攻の学徒であるために教科教育の例を社会科 教育中心にのべたにすぎない。 今までの副次的な教科教育法から,一躍して教科専門科目と比肩しうる教科教育学の樹 立に努めなければならない。また大学の教科教育の内容は,現場の学校教育の教科教育と 密接な相関性があることを忘れてはならぬ。. この小論の結びにかえて,今後における教科教育学の研究課題を列挙すればつぎのごと くであると思う。 1.教科教育の内容,背景をなす専門科目の科学・技術に対する研究。 2.教材選択に関する専門的研究。 3.教育の段階に応じて適当な教材を配分する研究。. 4.教材と被教育者の能力を勘案した学習指導方法と評価に関する研究。 5.授業過程の実験的研究。 6.教科教育担当教官の体験的研究。. 教科教育担当教官は,常に現場の小・中・高校の各教科教育の動向を注目し,ときに研 究会に招かれて有効な指導助言をなしうるよう実力を蓄えることが必要である。 教科教育の向上の板木は,担当教官の定数確保と,後継者養成にあることはいうまでも ない。. 1.専任の教官定数を確保すること。 小学校は8教科,中学校は10教科がある。それぞれの教科教育の教官数は,小・中兼 担として8人,それに中学だけで2名計10人は必要である。最小規模の大学で各教科小 ・中兼担の専任教官2人は必要となる。しかるに現状は誠に貧弱極まる定数である。教科. 教育専任の担当教官をおいている大学は甚だ稀である。教科教育の拡充に伴なって大幅な 定員増加を図ることが各大学の急務となってきている。 2.教科教育担当教官の養成を図ること。 現在の教科教育担当の教官は,専門に教科教育を受けた人は皆無である.その上現在の 大学院大学で教科教育の講座のあるところほ見当らない。従って本格的な後継者の養成は. 今まで何も考えられてはいない有様であるo遅ればせで不完全ながら明年度に東東学芸大 学で4教科教育(理科・社会・英語・数学)の修士課程をおくべく立案されているo是非 ともこの実現を期するとともに,その他の教科教育の修士課程の増設を望むものである。.
(19) 40. 田. 太. 郎. 教科教育の大学院講座の開設は,教員養成大学の独自のものであり画期的な進歩である。 早く全教科教育の大学院課程(博士コース)が設置されて若い秀れた専任の後継者の出 現を切望する次第である。. 以. 上.
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