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知覚環境論の人文主義的再検討 -K.リンチ研究-

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Academic year: 2021

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(1)

K。リンチ研究-         内  田  忠  賢

      (教育学部地理学研究室)

Reconsideration from Humanistic View about

  Perceptual Environment Discussions

    :a

study on Kevin Lynch's works

         Tadayoshi

UCHIDA

      1.●はじめに 人間が周囲の環境をどのように把握・理解するかという問題は,すぐれて地理学的である。同時 に,それがどのようなプロセスを辿るかという問題は,心理学的に重要である。また子供の知覚環 境というテーマならば教育学に深く関わるし,知覚環境の創造は建築学や都市計画のテーマである。  このように知覚環境論はきわめて学際的であり,多くの興味深い知見・諸課題を我々に与えてく れる。小稿では,元MI T (マサチューセッツエ科大学)教授,故ケヴィン・リンチ(1918∼1984) の知覚環境論を一つの視覚一人文主義地理学の立場一一から再検討することを目的とする。 すでに彼の仕事には数多くの批評が加えられているが,そのほとんどは彼の初期の著作『都市のイ メージ』に対する絶賛と後の著作に対する沈黙である。その理由は,彼の初期の著作には都市計画 にすぐ役立つ具体的な手法が示されているのに対し,後の諸論文では明確な手法は示されず,彼の 環境に対する思想が展開されるからである。実際,リンチ自ら手懸けた都市計画もボストンの道路 網整備など,さほど多くない。づまり彼には建築畑の多くの人々が重視する゛作品″がほとんど無 く,実践面で役に立たないという評価である。しかし他の視点,例えば彼の空間・景観に対する思 想を評価する必要があろう。T.バナジーやM.サウスワースが言うように,リンチの持つ「空間 の質」に対するロマンチシズムやユートピア思想の言説に注目すべきである‰ この彼の思想に, 筆者は人文主義地理学の立場からコメントを加えてみたいo。 岡本耕平が示唆するように彼の都市 への視点は,空間や景観に生活者にとっての「意味」を探ろうとする人文主義的なアプローチに近 いように思われる0.        2.知覚環境へのアプローチ  リンチの研究に焦点を絞る前に,知覚環境をめぐる諸研究の流れを大まかに見ておきたい。この 中には,環境を知覚するプロセスに注目した心理学的研究も含める。  現代の知覚環境研究は20世紀中頃に,心理学者トールマンや社会学者フィアリーなどにより始 められた。環境内での人間行動は,人間の内部の主観的要因に負っていると彼らは指摘した町そ して1960年代に入ると,リンチやボールディングがイメージの問題として知覚環境を論じ始めた(l)。 さらにウォルパートは空間行動における意志決定過程に議論を進め,一方,グールドらはメンタル

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マップの計量的分析を提唱しだ。これにともない学際的研究が数多くなされ, 1969年には『Envi-ronment and Bahavior』が発刊され,地理学・心理学・社会学・都市工学等の交流が行われるよ

うになった。  ダウッズによれば環境を知覚する概念モデルは次のようなものである‰すなわち人間が現実の 物理的環境を前にしたとき,それを自分の諸感覚を通して受容しにその際ある種の選択が行なわれ 知覚の段階に達する。そして,それらのフィードバックの結果として生活世界の認識が形成される。 したがって人同一環境関係で,もっとも重要なテーマは知覚の問題である。  この環境知覚を分析する手法として,メンタルマップ研究が挙げれる。近年,教育現場で児童・ 生徒に手描き地図を描かせ,子供たちの発達や彼ら独自の世界観を見る試みが行われつつある。こ れはメッタルマップ研究のひとつである。たとえばハートは子供の手描き地図から,子供は成長す るにつれ周囲と自分の相対的位置関係を把握してゆくことを指摘した吼また寺本潔は同種の資料 から子供の成長に伴う生活空間の拡大を実証し,大人には見られない独自の丁子ども世界」の存在 ているo一方,現代の交通機関の発達に伴い,人間が空間を点と線で把握していること, と知覚される距離が異なる場合があることなどをアダムスらが明らかにしてきだ。 うな研究の多くは,データから得られた主成分を計量的に分析する方法を採用している。 貴重な成果が得られたことも事実である。ただ,それらの成果には,各個人がもっ特定 る微妙な感情やそれが形成されてきた歴史的過程・社会的文脈に対するナイーブな分 が欠けていると考えられる9。次章でK.リンチの著作に言及する理由は,ここにある。 初期の彼の研究は物理的環境に対する客観的イメージの理解から始まった。都市計画一環境デザイ ンの分野なら当然のスタンスであろう。しかし彼の関心は徐々に「人間一環境」関係に埋れている 時間(歴史)の問題やそれらから生成される「意味」に移っている。 3。都市の知覚環境  前述したようにK.リンチの業績を語る時,『都市のイメージ』(原著1960年)をまず採り上げる ことに異論はあるまいo。この著作は次の2点で先駆的であった。まず,都市空間を知覚すること は,都市をテキストとして記号論的に読み解くことであることを示唆した点。次に,その都市を構 成する記号およびその集合が都市のイメージ形成につながることを仮定した点,である。この画期 的な著作は多くの分野に影響を与え続けてきた。特にリンチ自身が記号論や図像学(イコノロジー) に関心を持っていなかったと思われるにもかかわらず,記号論的「イメージ論」として『都市のイ メージ』が現在でも高く評価されていることは特筆されよう。  さて,この著作での記号とは,都市景観のなかで目を引くらつの要素(エレメント),すなわち 道路path,目印landmark,縁edge,結節点node,地域districtである。これらのエレメントおよ びエレメント間のわかりやすさlegibility,見えやすさvisibilytyが,都市のイメージを形遣るとし た。これを彼は「イメージアビリティ」と呼んでいる。『都市のイメージ』の主旨は,このイメー ジアビリティを高めることが美しく楽しい環境への条件である,ということであった。そして都市 計画の立場から  「われわれの命題は,いまやわれわれが,内的学習によってと同様に外的な物理的操作によって も,環境のイメージを発展させることができるという点にある。」(邦訳16頁) と述べている。「知覚環境の計画」宣言と言光る。  このように対象を視覚で把えられるものに限定したリンチの調査方法は次の2つである。ひとつ は市民の中から選んだ数人に対し,インタビューで環境に対するイメージを質問するごとである。

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これは被面接者に,その都市の略図を描かせ,市内での移動経路を語らせ,エレメントとなるよう な場所を説明させる方法である(図1参照,ロサンゼルスの例)。もうひとつは,環境に対する観 察眼を身に付けた研究者が市内を踏査し,イメージを系統的に析出する方法である(図2)。この 2つを比較して,都市のパブリック・イメージを取り出す。さらに,ポイントとなる個々のエレメ ントに対して再びインタビューと踏査を行なう。その結果から都市計画案を考えようとしている。 つまり,リンチがまず計画するのは,各エレメントの充実である。エレメントの特徴・性格を明確 にし,イメージアビリテイを高めることが,都市計画の第一歩であると考えられる。 11111 §   f i r e w f a w   糾 祠 r ・ L m A t ・ 9 ● S ● ● f   べ / . ' 1000 ft  鰐四皿S エッジ 頻度75%以上㎜ l凧凧 ・ 2 5 - 5 0 5 o '   i l   -   ㎜ ㎜ 5 0 − 7 5 % 1   9 9 1   ㎜ / - │   - ㎜ 1 醐 ! - 2 5 ? ; ≫   ● ● ・ ・ ● ● ● ●   ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 卜 ・

大1 ⑩ 州

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図1.インタビューによるロサンゼルスのイメージ ク一 万草▽yy ラ

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i y ゛ ゛ ゛ ″ 図2.踏査によるロサンゼルスのイメージ y以, イ 000-I  ㎜㎜  以上のようなリンチの立場にコメントを加えてみたい。  まず対象を物理的環境に限定した点は注目される。彼は,環境イメージの3成分(アイデンティ ティ・構造・意味)のうち視覚で把えられるアイデンティティと構造のみについ取り上げ,個人や 集団にとっての「意味」には触れなかった。この「意味」には彼らの歴史・社会が関わり,それ故, 環境には様々な機能が期待される。「意味」の内身を考えることが『都市のイメージ』の次のステッ プであった。しかし後の都市計画家たちの多くは,前述の手法のみを利用し,これ以後のリンチの 研究に無関心であると思われる。反対に言えば『都市のイメージ』の手法がいかに実践的であり, これ以後この手法を越える研究が出ていないことを物語っている。またリンチが「意味」を無視し ても,充分,都市を語れた背景には,合衆国という歴史の浅い国土が考えられる。ヨーロッパや日 本に多く存在する歴史的都市では,この手法は必ずしも応用できない。  次にパブリック・イメージがひとつしかないことを前提としていた点は不適当だろう。合衆国の 諸都市のような多民族社会では人種・民族集団によりパブリック・イメージが異なるであろう。こ の反省は,リッチを顧問とするロサンゼルス都市計画委員会の総合調査(1971年)で生かされたo。 その成果のひとつは,社会的地位や人種・民族の違いが,知覚される都市の範囲を制限することで あっだ。たとえば高所得の白人がロサンゼルス都市圏のほぽ全域を知覚していたのに対し,低所 得でスペイン語しか話せないメキシコ人は近隣地区しか知らない。   ㎜■㎜■㎜        −  その他,知覚の経路の中で視覚のみに重点をおいたため,イメージが一面的に偏って扱われたの ではないか等の批判もあろう。しかしこの著作が知覚環境へのひとつのアプローチを示したことは 確かである。      −

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       4.知覚環境と記憶   『都市のイメージ』本論であえて避けた環境に潜む「意味」について,同書付録A「オリエンテー ションに関して」の中で次のように言及している゜。   「原始人はたいてい自分が住んでいる土地の風景に深い愛着を感じていて,あまり重要でない部 分さえも見分けて,それらに名前をつけているらしいということがわかる。人の住まないような土 地においてさえたくさんの地名がつけられていること,また彼らの地理的興味は異常な程強いとい うことも指摘されている。環境は原始文化にとって欠くことができない要素であり,人々は自分の 凋囲の景色と調和しながら,働き,創造し,遊ぶのである」(邦訳155頁)  同様のことは現代でも通用し,ささやかな土地であっても「原住民にとっては,伝説がまつわる たくさんの場所の陳列館」(同156頁)であるとリンチは述べている。現代の都市に関しても「都 市には,名称や思い出,独特な形態,神聖な場所などが一杯つまっている」(同上トとしてる。そ して。   「風景はまた,社会的な役割も果たすものである。固有の名がついていて,だれでもよく知られ ている環境は,集団を結びつけて相互間の`意志伝達を可能にする共通な思い出とかシンボルの材料 を提供している。景色は,集団の歴史や理想を維持するための巨大な記憶法としての役目も果たす ものである。」(同160頁)  この論文は,現状の景観を慎重に保存するべきだという論調のため,後にリンチの著作が進む方 向への伏線であると考える人は少ないようである。たとえばR.M.ダウンズとD.ステアは,この論 文を都市デザインのプランナーヘのテキストのひとつと位置付け,「文化人類学の研究への優れた 手引き」と評価するに過ぎないe。だが『時間の中の都市』や『居住環境の計画』で彼が示した空 間と記憶の結びつきへの関心がすでに示されている。  空間と時間及び記憶との結びつきが充分に展開されるのは『時間の中の都市』においてであるo。 時間と空間の密接な関係は誰しも認めることだろう。しかし多くの空間デザイナーは,静的な現在 の空間にしか目を向けておらず,他人には一見無意味に感じられる過去,しかも動的な過去には一 顧だにしないとリンチは批判している。リンチが挙げている例で言えば,ある原住民の生活環境を 「合理的」にしようと,ヨーロッパ人が彼らの環境に手を加え,その結果,彼らの方向感覚が無く なり,生活から安心感が,さらには伝統文化が消えた。つまりヨーロッパ人は自らの理性で,しか も好意から行なった行為が,実は原住民を過去から切り離し,彼らの環境の質を悪くしているので ある。したがって環境の保護という点で彼は次のように述べている。   「何を残すべきかを決定するには,現在の利用者がそれを思い出の品にしておきたいと思ってい るかどうか,あるいは,利用者が自分自身との関係をそこに読み取ることができるかどうかという 点を,判断の基準にしなければならない。プランナーは,住民が何を記憶していて,何を記憶した いと望んでいるのか,それを学びとるように努力しなければならない。」(邦訳84頁卜  そしてリンチは空間に埋もれた記憶を個人のレベルにまで下げて論じている。もはや都市計画屋 の視点ではない。  ・I       。■   「日常生活に付随する感情を検討してみると,歴史的なモニュメントがその中で占めている場所 は小さなものであると気づく。‥‥過去の重要な思い出は,自分自身の子供時代や,両親,あるい は祖父母の生活に結びついている。‥‥古典的な過去に焦点をあわせた歴史保護の多くは,人びと の切実な関心とは遠く離れたところで,ほんの一瞬の間だけ人びと感動させるにすぎない。それは, 違い過去であると同時に,非個人的なものである。‥‥私たちは,近い過去と中間的な過去-す なわち,私たちと現実的な結びつきを持っている過去を保護するように努力しなければならない。」

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 (同85・86頁)  このような発言をするリンチの思想は,「ボストン・タイム」という章で姿を現わす。この章は 彼の生活世界の現象学的な「記述」と呼べるだろう。ボストンで暮らすリンチが生活者として街角 で彼の目に止まる景観を,その過去を掘り起こしながら,あくまでも冷静に記している。彼が注目 する対象は,他所者から見れば取るに足らない痕跡であったりもする。  むろんリンチはプランナーでもあるから空間に未来という時間を含めることを忘れてはいない。 人体や自然のリズムに合う時空間の創造を提言し,より良い環境の質を主張している。しかし彼は 「環境のマネージメントがこのような目的(環境の中で人間が豊かに生きること,筆者注)を達成 する唯一の方法だと主張したことはない。」(同345頁)と自分の職業を否定する発言さえ行なって いる。また環境を研究する方法も「それだけ(生物学的・心理学的な客観データ,筆者注)でなく, 文学と芸術,共有の体験,現実の変化しつつある都市などからも説き起こす」必要を主張するo。 如何に主観とされるデータを生かすかが,都市計画にも重要だとするのである。  以上のように,リンチは時空間の人間味ある調和が環境の質の向上につながるとしている。また 環境の質を考える際に彼は五感の存在を見逃していない。従来,知覚環境と言えば視覚のみを想定 しがちであった。だがリンチは気温・湿度・音など視覚以外の感覚に訴えるよう要素が環境イメー ジに深く結びつくと考えている。しかも注目すべき点は彼が雑踏の音や臭い,体温や体臭といった マイナスのイメージで扱われやすい条件さえも重要視していることである゜。町工場の音や下町の 揚物の匂いが,ある人々に親しさ,なつかしさを感じさせる。つまり五感で把えられるものすべて が,空間に埋もれていた記憶を呼び起こし,環境イメニジを形成する場合も多い,とリンチは指摘 するのである゜。 5。知覚環境と「場所」  これまで述べたように,リンチの知覚環境論は物的環境だけでなくに生活者の感情や記憶といっ たナイーブな側面まで立ち入っている。そして彼は都市景観の構成要素に生活者の過去・現在・未 来を見ようとした。特に環境の「意味」が空間Iと記憶の結びつきから発生すると理解した。このこ とは人文主義地理学が「場所」に注目することと類似する。「場所」とは「経験によって構造化さ れた意味の中心」であり,その空間には人々の記憶が埋蔵されている゜。たとえば,ある空間はあ る人々には恐怖感を与えるが,そこに関わりがない人々には何ら影響を与えないという場合,前者 にとって「場所」が形成されたと考え芯。リンチの思想を人文主義地理学に引きつければ,彼は都 市環境の中で「場所」を探し,「場所」が構造化することで環境イメージが形成されると考えてい た,と換言できる。リンチが都市景観の美学を語る時,それは生活者にとっての親しみ,安らぎ, 住み心地の良さである゜。他所者にとってのそれではない。しかも単に清潔で,無臭で,光に満ち た都市を理想としていないよ彼は建築家として,モダニストともポスト・モダニストとも分類され ない。ひとつの理由は,評論家たちが分類するに足る作品を彼が残していないことであろう。だが 生活者の視点で街を見ることが,リンチをいずれにも分類させない理由ではないかと思われる。モ ダニストもポスト・モダニストも必ずしも生活者の視点に立っていない。このことはA,ガウディ の作品を見れば明白である。芸術と生活の質は必ずしも対応しない。リンチが作品を多く残さなかっ た訳は,ここにあるのかもしれない。

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6。おわりに

 K.リンチの知覚環境論を思想として理解した場合,それは人文主義地理学の主張と重なる側面 があることを指摘した。無論このことは彼の莫大な業績のほんの一部分にすぎない。しかし彼の視 野には他の都市計画家が見つけられなかった多くのものが入っていたことは間違いない゜。

① T. Banerjee and M. Southworth (eds.) (1990) CITY SENSE AND CITY DESIGN: Writ- ing and projects of Kevin Lynch, MIT Press

② 人文主義地理学とはレ景観・空間の感情・価値観・想像力など「意味」に関する側面を研究する立場で  ある。詳しくは下記の拙稿を参照のこと。

 内田忠賢(1987)「場所の理解 Yi-Fu Tuan の著作に関する覚書-」現代風俗研究会編『ノスタ  ルジック・タウン』リブロポート

③ 岡本耕平(1990)「ケヴィン=リンチの都市論」名古屋大学文学部研究論集107 ・ 史学36 ④ B. Tolman (1948) Cognitive map in rat and man, Psychological Review 55

 W. Firey (1945) Sentiment and synbolism as echological variables, American Sociologic- al Review 10

⑤ K.ボールディング(1962)『ザ・イメージ』(大川信明訳),誠信書房

⑥ J.Wolpert (1964) The dicision process in spatial context,Annals o∫theAssociaれonof  AmericanGeographersU

 P.グールド・R.ホワイト(1981) r頭の中の地図−メンタルマップー』(奥野・山本訳),朝倉書店

⑦M.ダウンズ(1970) Geographic space perception : past approaches and future prospec- ts,Progress in Geographン2

⑧ R.Hart (1979) CHILDREN'S EXPERIENCE OF PLACE, Cambridge Univ. Press ⑨ 寺本潔(1988)『子ども世界の地図一−一秘密基地・子ども道・お化け屋敷の織りなす空間¬司黎明書房

⑩J. Adams (1969) Directional bias in intra urban migration, Economic Geograph"\ ⑥ このことは筆者はすでに報告したことがある。  内田忠賢(1989)「歴史地理学の人文主義的展開・試論」人文地理41− 6 ⑩ K.リンチ(1968)『都市のイメージ』(丹下健三・富田玲子訳),岩波書店 ⑩ P.オルレアン(1976)「都市居住者の環境認知における差異−マッピングに及ぼす社会規模の影響」   (R.ダウンズ・D.ステア編『環境の空間的イメージ』吉武泰水監訳,曾田忠宏・林章ほか訳)鹿島出版  会,所収 ⑩ 岡本耕平はさらに,社会階層による居住位置の違いが知覚範囲に影響を与える可能性についてもコメン  トしている。  岡本,前掲註③ ⑩ 前掲註⑩のアンソロジーには「オリエンテーション:定位に関して」と邦訳され収録される。 ⑩ 前掲註⑩ ⑤ K.リンチ(1974)『時間の中の都市一一内部の時間と外部の時間一司(東大大谷研究室訳),鹿島出版会 ⑩ 地理学での同様の主張は次の文献に詳しい。

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ex- perience of space, Croon Helm

⑩ K.リンチ(1979)『知覚環境の計画』(北原理雄訳),鹿島出版会      ∧ ⑩ 地理学では次の文献を参照。

 D. Pocock (1989) Sound and Geographer, Geograph.ツフ4−3

⑥ Y.Tuan (1975) Place : An experiental perspective, The GeographicalReiノ加ω65-2

⑩ K. Lynch (1985) Reconsidering the image of the city (L. Rodwin and R. Hollister

(ed- s.) CITIES OF THE MIND:Image and Themes of the city in the Social Sciences,

Plenu- m所収)

⑩ 彼の風俗学者的側面については次の拙稿を参照のこと。

 内田忠賢(1991)「空間の風俗学一一K.リンチ論-」現代風俗研究会編『恋愛空間』リブロポート

(平成3年9月30日受理) (平成3年i2月2プ日発行)

参照

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