李犬釧と
『世界の資本主義』
森 正 夫 (教育学部歴史研究室) Li Ta二Chao and“World Capitalism” by Masao Mori I H Ⅲ IV 目 次 近代中国における「経済上の変動」 「世界の資本主義」と「世界の無産階級」 「世界の無産階級」とその役割 -(11-むすびにかえて・「世界の無産階級」とその役割−(2ト は じ め に 「あるとき,彼は,李犬釧同志が『新潮』に発表した『物質の変動と道徳の変動』と『新青年』 に発表した『経済上より中国近代思想変動の原因を解釈す』をつづけて読んだ.この二つの爆弾は 彼の頭脳の中で連続的に爆発した.“小さな骨董屋さん”の〔人生観であった〕〔‘’正心,誠意,修 身,斉家,治国,平天下”という〕“大道理”は烏有と化した」.青年巷秋白は,こうして李大釧の 二つの論文によって,「人間の意識が彼らの存在を規定するのではなくて,逆に彼らの社会的存在 が彼らの意識を規定するのである」という史的唯物論の基本的な命題を自分のものとし,“再生” した丿曹靖華氏が伝えるエピソードは, 1919年の12月から翌20年の1月にかけて発表された李犬 釧のこの二つの論文が,観念論とたたかってマルクス主義の根を中国に下す上で果たした重要な役 割2)を示唆している. その一つ, 1920年1月1日の「新青年」誌上に発表された「経済上より中国近代思想変動の原因 を解釈す」には,中国近代思想の「変動」を究極的に規定するものとしての中国近代の「経済上の 変動」についての特徴ある叙述が重要な位T置を占めている.李犬釧にとって,近代の中国において 資本主義とは何であったのか,資本主義はどのように克服されるべきものであったのか,という問 題がそこでは展開されている. 筆者は, 1967年,「このうち『経済上より中国近代思想変動の原因を解釈す』で注目されること の一つは,世界資本主義経済の一環としてアジアの近代経済をとらえるという正しい方法を,マル クスや,レーニンの関係論文の紹介以前に李犬釧が明ら・かにしたことである.日本では’この方法は 十年以上のちの1932年,ようやく羽仁五郎の論文「東洋における資本主義の形成」で示された」 と,述べた3)が,その当時からこの発言をより具体的に展開する責任を感じていた. 木稿は,論文「経済上より中国近代思想変動の原因を解釈す」を中心として,近代の中国にお ける資本主義をどのようにとらえ,それをどのように克服していくかという問題をめぐる李犬釧の 認識の特徴とその発展について,ごくあらい見とおしをたてることを目的とした未完の覚書であ る.従って,本稿で提示した論点は,将来,筆者自身により,深められねばならないだろう.筆者 があえて不十分な覚書を提出するのは,右に述べた自分の発言を展開する責任からのみではない. 現在の社会主義中国を論ずるにあたって,・なお,「中国はおくれた農業国であった」という指摘が 帝国主義による中国の半植民地化という冷厳な事実をぬきにして立論の根拠とされた勺,また,い わゆる上部構造のみを論じて,それを究極的に規定する経済的基礎,ひいては歴史的社会的基礎に130 高知大学学術研究報告 第i8巻 人文科学 第11号 ふれられることのない傾向を残念に思うからであり.,後の点についての筆者自身の怠惰を反省した いと思うからである. ’‘ なお,本稿の主題にもかかわる著作,M・メイスナニの「李犬釧と中国マルクス主義の起源」に ついての紹介と批評が最近坂出祥仲によって詳細になさレれている.り筆者は,この著作をいまだに 入手していないので,本来そこで示された論点にはふれるべきではないが,坂出の紹介に即して若 干の見解を述べた.また,「物質の変動と道徳の変雨」,及び「経済上より中国近代思想変動の原因 を解釈す」という二論文のもつ思想史的意義については,先にも若干ふれたようにマルクス主義の 立場から書かれた張静如編・石峻校閲の「李大釧同志の革命思想の発展」がすこぶる適切な指摘を 行なっており,筆者もこれと基本的に見解を同じ’くするものである.5) I 近代中国における「縁済上の変動」 「凡そ一つの時代において,経済の上でもし変動が生じれば思想の上にも必ず変動が生じる.い いかえると,経済の変動は思想の変勁のm要な原因Jである.いま,中国の現代思想の変動の原因を ただ経済の上からのみ解釈してみよう」. 論文「経済上.より中国近代思想変動の原因を解釈す」の冒頭において,このように主題を設定し た李犬釧は,中国近代における「経済の変動」を,「西洋め工業経済か東洋の農業経済を圧迫した」 ことによってもたらされた変勁として把握する丿 . 「孔子の学説が中国の人心を二千余年ものあいだ支配することができた理由は,彼の学説そのも のが絶大な権威をもち,永久不変の真理であって,中国人の“万世の師表”に価するからではな く,それが中国の二千余年来いまだかつて変勤しなかうた農業経済組織に適応したことの反映とし て生じた産物だったからであり,それが中国の大家族制度の上部構造であり,経済上.の基礎をもっ ていたからである.このように年を経るにつれレ中国の学術思想は,いずれもかの静まりかえった 農村生活と照応しあい,静止状態のうちに停滞しづづ,死の静けさの現象を呈してきた.単に中国 だけではない.日本,高麗,越南等の国も,その農業経済組織が中国とほぽ似ており,同じく孔門 倫理の影響を少なからず受けてきた」. 李犬釧によれば,「西洋の工業経済」の圧迫を受ける以前の中国では,「農業経済」が,すなわち 孔子の思想を基礎づけた大家族制度と固く結合した「農業経済」’が,二千余年来持続してきた.そ れは中国においてのみでなく,日本,朝鮮,ヴェト,ナム万ど東アジアの諸国においても同様であっ た.「西洋の工業経済」はこのような「東洋の農業経済」を変動させる. 「時代は変った/西洋の動的な文明が進出してきた/西洋の工業経済が東洋の農業経済を圧迫し てきた/孔門倫理の基礎は根本から動揺した.なぜなら西洋の文明は,工業・商業経済の構造の上 に建設されたものであり,動的な精神をもち,常に人間が自然を征服することを求め,日々進歩 し,日々創造することを求めるからである. \ 近世に到って,科学は日に盛んになり,機械の発明の結果は工業革命をひき起こした.交通機関 は日にますます発達し,産業の規模は日にますます広大となった.彼らは一方では市場を拡張せざ るを得ず,一方では原料を探し求めざるを得ない/この経済上の必要は,西洋の商人を駆って東洋 の沈まりかえった大門を叩かせた. 1635年頃,すでにオランダの商人が日本へ来たことがあった が,以後,ペリー,ハリス,エルジン卿の諸人か相い継いで東に来たり,商業上の使命を帯びて東 洋:への足場をきりひらいた.日本,そして中国.東洋の農業本位の各国は,みな西洋工業経済の圧 ● ● がd 迫を受けた」. 中国の「農業経済」は,それでは,「西洋の工業経済の圧迫」をどのように受けとめたのか.李 犬飼はいう.
李大釧と「世界の資本主義」 (森) 矧 「中国は土地が広大で産物が豊かであり,農業経済の基礎はより深かったので,西洋の工業経済 の圧迫を受けたとはいえ,経済上の変動はにわかには表われてこなかった.しかしながら,中国人 は,意識するにせよしないにせよ,この工業経済の勢力の中国人の生活に加えている圧迫が真に苛 烈なものであることを理解していたようであり,それ故に極端にこれを敵視し,これを排斥した. 単に人を排斥しただけではなく,その器物を排斥したのである.ただ東西交通の初めの時期には, 中国は彼らと通商することを拒絶し,彼らの科学上の発明ぱ奇抜淫巧”(なみなみならぬ技能と 異常な巧みさ)であるといい,彼らの製造したレールをひどく恨んで海中に投げ棄てたりするに過 ぎなかった.義和団はキリスト教を敵視する気持から起こって西洋人のいっさいの器物をみな焼き こわしたとはいえ,これにはいずれも経済上の意味が含まれており,いずれもいく分かは工業経済 の圧迫の反動であって,すべてが政治上.,宗教上,人種上,文化上の衝突ではないのである」. 中国の土地の広大さ,生産物の豊かさ,このことと固く結びついている「農業経済」の基礎の深 さによって,「西洋工業経済の圧迫」は,ただちには「経済上の変動」を表面化させなかったこと を,李犬飼は指摘する.と同時に,彼は,「西洋の工業・商業経済の勢力」に対する中国人の排斥の 活動の中に,中国人によって「経済上の変動」が早くから本能的に直覚されていたことを見出す. そして,彼は,義和団の活動が「いずれも経済上の意味を含んでいる」ことを正当にも指摘する. 「西洋の工業経済」の圧迫はますます強化される. 「ヨーロッパ各国の資本〔主義〕制度は,日一日と盛んになり,中国がそれから受ける経済上の 圧迫も日一日と激しくなった.中国はかつて政治上.の力をもっていくたびか抵抗したが,結果はい ずれも敗北であった.全国の沿海の重要な通商港は,いずれも他国に貸与されたり,他人に割譲さ れたりした.関税や鉄道等々の権益もいずれも他人の掌握に帰した」. 中国の「政治上の力による抵抗」がいずれも敗北に終る過程で,沿海の重要な通商港の開放,関 税,鉄道等々の諸権益の譲渡が行なわれ,「経済上の圧迫」はいっそう激しくなる.李犬釧は,こ うして,資本主義諸国による中国の半植民地化の基本的な過程を示す. しかし,彼は夷秋が中華をどのように犯すかというような中華思想の立場をとるのではもちろん ない.また単純に西洋一般が東洋=般を侵略するという論理を展開しているのでもない.この点 てすこぶる注目されるのは,彼が,日本資本主義の圧迫,彼の表現によれば「日本の経済勢力の圧 迫」という現実をふまえ,同じ「東洋の農業本位」の国の一つであった日本がどのように「西洋の 工業経済の圧迫」を受けとめたか,という問題を提出し,分析を加えていることである.この問 題,すなわち,「日本の近代における経済上の変動」の問題の分析は,李犬飼の「中国の近代にお ける経済上.の変動」のとらえかたをより深いものにしている. 「日本,そして中国・東洋の農業本位の各国はみな西洋の工業経済の圧迫を受けた」.この引用 部分は,以下のように続く. 目ヨ本は国が小さく土地がやせており,人口もまた多く,この圧迫に耐えきれなかったので,ま ず変動が起こった.三日本は〕明治維新を促進,成立させ,西洋の物質文明を採用し,産業上,の革 命を起こしー-いまなおまさに革命中である一一,農業国から一変して工業国となり,自ら〔独立 を〕保つことができただけでなく,・最近では欧米各国と肩を並べる勢力をもつようになったj`日本 の農業経済組織に変動があった以上,ヨーロッパの文明,思想もまたその経済勢力に随ってともに 来たり,思想界にも絶大な変動が起こった.最近,デモクラシーの声は全国を震動させ,日本人が “国粋”として誇る万世一系の皇統にも動揺の様子かおる.かつて中国から伝来した孔子の倫理は, いまではまったく効力を失ってしまった」. 日本は,中国,朝鮮,ヴェトナムと同じく「農業本位」の国であり,「農業経済」を基礎として いたことを李大剥が前提としていることに注意しておこう.彼が「地大物博」の中国では「農業経 済の基礎はより深い」としたとき,その比較の対象は実はこの「国小地薄」で「人[│もまた多い]
1ろ2 高知大学学術研究報告 第18巻・ 人文科学 第11号 -日本であった.従って,李大釧は,日本では「農業経済の基礎はより浅い」ととらえていたのであ る.彼は,そこにこそ,日本が明治維新を成立させ,産業上の革命を急速に起こさざるを得なかっ た条件を見出す.彼は,中国,日本,朝鮮,ヴェト.ナムの経済の前近代における同一性を,それら がともに「農業経済」を基礎としているという点ゼぱっきりと認識し,他方,「農業経済」の基礎そ のものの深浅を,すなわち基礎が深い場合よりも,’むしろ基礎が浅い場合において,いちはやくた やすい変動が起りえたことを指摘する.ここには,19世紀半ば以降の東アジア諸民族の,当面の歴 史発展の相異性に関する大ずかみではあるが示唆的な洞察があるノ) さて,李大釧にとって,日本を論じることは,比較のための比較がI目的だったのではない.中国は 「西洋の工業経済の圧迫」をどのように受けとめたか,が彼の問題である.彼は,日本がその「経済 上の変動」によって中国を圧迫する勢力になったこと,この結果,西洋のそれとともに中国経済に 一層の変動をもたらしてきたことを指摘する.中国が半.植民地化されつつあったとき,日本はどう であったか. ぺ 「このとき日本がにわかに勃興し,資本〔主義〕制度を発達させた結果,西洋の経済力は〔日本 に〕侵入できなかっただけでなく,〔日本自身が〕その勢力を他国に拡張しようとした.ただ,日 本は新興の工業国であるので,急にたちあかって西洋各国,と対抗することは,とうてい不可能であ った.〔だが〕中国は日本のとなりあわせであり,産物も非常に豊富なので,その勢力はおのずか ら中国の上にのしかかろうとしている」. ’ 「西洋の工業経済」と「日本の工業経済」の二重の圧迫の下に,・近代中国の「経済上の変動」は 深刻化する.この二mの圧迫は,中国の「農業経済」,及びそれと結合して併存している「手工業」 「家内工業」経済にどのような影響を与え,どのような結果をもヽたらしたか. 「中国が西洋各国ととなりあわせの日本の二mの圧迫を受けている以上,経済上生じる現象は次 のようである.過剰人口は自由に移動することができず,海外の華僑は到る所で他国人の排斥,虐 待を受け,国内の住民の生活の本拠はしだいに外国人に侵入される一台湾,満蒙,山東,福建等 はもっとも甚しいー.関税権は条約に束縛され,ちょうど一種の.“反保護制度”となっている. 輸入される商品と輸出される原料については,課税は極めて軽いのに,内地の商品はかえって自由 に移動することができない.ここで一厘とられ,あぞこで検問されるというように,ほとんどー歩 ごとにみな〔国内〕関税があるほどだ.その結果,国内で産出した原料は非常に低い税で国外に輸 出される.国内の工業は,いずれも手工業と家内工業であるヽ.どうして国外の機械〔制〕工業,工 場〔制〕工業と競争できようか. その結果,中国の農業経済は国外の工業経済の圧迫を防ぎとどめることができず,中国の家内工 業は国外の工場制工業の圧迫を防ぎとどめることができず,中国の手工業は国外の機械〔制〕工業 の圧迫を防ぎとどめることができない.国内の産業は多く圧倒され,輸入は輸出を超過し,全国民 はしだいに世界の無産階級(世界的無産階級)に変り,いっさいの生活はみな窮迫した不安な現象 を露呈する」. 「仝国民がしだいに世界の無産階級に変り,いっさいの生活はみな窮迫した不安な現象を露呈す る」.西洋と日本の「工業経済」の圧迫のもたらした結果は,中国人民が「世界の無産階級」の地 位に陥し入れられることに他ならなかった,と李犬釧は指摘するのである. それでは,「世界の無産階級」となっていく中国の「全国民」,中国人民の置かれた具体的な状況 はどうか. 「一国の資本主義(一国的資本制)の下に圧迫されて生活している〔その〕社会の無産階級に は,まだ資本家の生産手段を用いる機会かおる.だが,世界の資本制の下に圧迫されて生活してい る世界の無産階級には,資本〔主義〕国の生産手段を用いる機会はな.い.国内では,〔軍閥の〕兵 士となったり匪賊となったりし,国外へ逃走しては困窮した中国人労働者(華工)となり,転々と 移動してその労働力を安売りし,また他国の労働階級に敵視される.欧州大戦の期間中,一時フラ
李大釧と「世界の資.木主義」 (森) 155 ンスやロシアに赴いた中国人労働者の数は非常に多かったが,戦後は彼らが必要とされなくなった ので,また故郷へ帰るほかなかった.これこそが,世界の資本階級が世界の無産階級を圧迫してい る現象であり,これこそが世界の無産階級が仕事をさがすことのできない現象である.欧米各国の 経済活動は,いずれも内部における自然の発展によるものである.しかし,中国の経済活動は外力 の圧迫の結果であり,従って中国人の受けた苦痛はより多く,犠牲はより大きい」. 旧盆界の資本制の下に圧迫されて生活している世界の無産階級」は「一国の資本制の下に圧迫さ れて生活している〔その〕社会の無産階級」と異なり,「資本〔主義〕国の生産手段を用いる機会 がない」.李犬釧は,近代中国の「経済上の変動」の下で「世界の無産階級」イヒしていく中国の「全 国民」,中国人民が,その下で資本主義国の労働者階級が搾取され圧迫されているところの一般的 な資本主義的生産関係,資本=賃労働関係からさえ疎外され,排除されていることを明らかにす る.彼らは,国内で軍閥の兵士となるのでなければ匪賊となり,国外では不安定かつ劣悪な労働条 件の下にまさに“世界の臨時工”としての「華工」となるほかない.彼らは失業状態に置かれてい る.李犬釧は,「欧米各国の経済変動」の生みだしたこれらの国々の労働者階級の「苦痛」と「犠 牲」をはっきりと認識しながらも,「内部における自然の発展」によってではなく,「外力の圧迫の 結果」としてもたらされた「中国の経済変動」の下で,「中国人」,中国人民の受ける「苦痛」と 「犠牲」がより多くより大きいことを指摘するのである. n 「世界の資本主義」と「世界の無産階級」 以上のような李犬釧による近代中国の「経済上の変動」の分析の方法や観点の特徴は,どのよう な点にあるのか. 李犬釧の分析は,「物質的生活の生産様式」の変動を「歴史における究極の規定的要因」とする 史的唯物論の方法にもとづいている.そして,この史的唯物論の方法を近代中国の「経済上の変 動」,中国における資本主義の形成の分析に適用するに際して,彼は,資本主義が世界的な生産様 式として成立し,地球上のあらゆる民族を資本主義の経済法則に従属させようとすること,すなわ ち資本主義経済は世界経済であり,資本主義とは世界資本主義に他ならないという観点に立ってい る.従って,近代中国の「経済上の変動」,中国における資本主義の形成は,「西洋の工業経済」に よる「東洋の農業経済」の圧迫のいっかんとして,資本主義の世界史的発展の過程としての東洋に おける資本主義の形成のいっかんとして把握された. 「〔世界の資本主義の下で,〕全国民がしだいに世界の無産階級に変り,いっさいの生活はいず れも困窮した不安な現象を呈している」.「世界の資本階級が世界の無産階級を圧迫している」.これ は,近代中国の「経済上の変動」についての上記の方法・観点による分析を凝縮した簡明な概括で ある.この概括における「世界の無産階級」(世界的無産階級)という範鴎は,彼独自のものであ り,直線的に「全世界のプロレタリアート」という範鳴と対応するものではない.しかし,史的唯 物論の方法とそれにもとづく「世界の資本主義」(世界的資本制)としての資本主義の把握という 観点を前提としたこの「世界の無産階級」という範鴫は,決して非科学的な,恣意的な造語ではな い.「世界の無産階級」とは,世界資本主義をもっとも底辺から支える土合として位置づけられ, 世界資本主義によって圧迫され搾取された民族の「全国民」,かかる民族の成員であるすべての人 民を指している.この範鴫は,すでに帝国主義の下の被抑圧民族となっていた当時の中華民族の特 徴を正確に概括したものといえるであろう.s’ 李大釧の方法・観点は,かくして,近代中国の「経済上.の変動」とは「世界の資本主義」によっ て「世界の無産階級」がつくりだされ,「世界の資本主義」と「世界の無産階級」との矛盾・対立 が生みだされたことによってもたらされたものであることを明らかにした.
154 j辿]大学学術研究報告 第18巻 人文科学 第11号 李大釧は,このことによって,東洋における,そして中国における資本主義の形成を,資本主義 による世界経済の形成,資本主義の世界史的発展とき.りはなしてとら,える方法・観点を否定した. 近代中国における「経済上の変動」は,中国の農業における一般的な資本主義的発展,すなわち農 民眉分解の進行と商品生産の発展,農業における資本=賃労働関係の発展によってもたらされたも のではなかった.「中国の農業経済」は「国外の工業経済」,の丁防ぎとどめることのできない圧迫」 の下にあって,それ自身の発展を阻止されていた.またこの点と関連して,近代中国の「経済上の 変動」は,工業における中国社会内部の一般的な資本主義的発展,機械制大工業段階にいたる資本 主義的生産力と資本=賃労働関係の発展によってもたらされたものでもなかった.「中国の家内工 業」は「国外の工場制工業」の「防ぎとどめることのできない圧迫」の下にあり,「中国の手工業」 は「国外の機械制工業」の「防ぎとどめることのできない圧迫」,の下に置かれてそれぞれの発展を 阻止された.李犬飼の方法・観点は,近代における諸民族の歴史的発展を,それぞれの民族が不可 避的にとり結ばされた諸関係,なかんずくもっとも規定的な世界資本生義によって創出された関係 から観念的恣意的にきりはなし,人為的に近代における諸民族を各々独立した単位として設定した 上で相互を比較し,その先進,後進を論ずる方法・観点と対立する.すなわち李大釧の方法は,資 本主義による世界経済の形成,資本主義の世界史的発展という観点を欠落させ,世界資本主義・帝 国主義による民族的搾取と抑圧の事実に眼をつぶるととにようて構築されたロストウらの近代化論 の方法・観点と真向から対立する. 李犬釧の方法・観点は,日本社会の近代への転化,近代のアジア・中国と日本資本主義との関係 についても,すでに述べたような理解を可能にした.李犬飼の方法・観点の正しさを前提とする以 上,当然といえば当然であるが,彼の理解は,今日・においても基本的に正確である. 1920年(大正 9年)に発表されたこのような理解は,日本で193・2年(昭和7年)に発表された羽仁五郎の「東洋 に於ける資本主義の形成」で上の主題をめぐって全面的に展開された考察を先駆的に包含していた と考えられる丿 井上肢は,羽仁の該論文のーつの意義について次のように発言している10)「本 論文は,古代から幕末までの日本自体の歴史的発展の主,要特徴を総括し,開港,絶対王政への転 化,独得な日本資本主義の形成を,資本主義の世界史的発展との必然の関連のもとに,法則的に明 らかにした.そして,インドを植民地化し,中国を半植尿地化し,日本に民主革命の遂行にまでは いたらないが,結新の変革と民族の独立を実現せしめた全過程について,それぞれの国内の歴史的 条件,帝国主義に移行しようとしている時期の外国資本主義の複雑な政策,その諸矛盾,そこに生 ぜしめられた東洋の三国の歴史のからみあい,を緊密に統一的に把握している論理は,世界史的観 点とはどういうものかを,具体的に示した範例でもある」=,と‥井上の概括した羽仁論文のーつの意 義を,私たちは李犬釧のこの論文の中にも見出すことができる; 彼の方法や観点の特徴,それにもとづく近代中国の9「経済上の変動」に関する分析や理解の正し さ,普遍性は,どこから生まれたのか.史的唯物論の方法の把握.世界経済を形成するものとして 資本主義が戊立したという観点の確立.こうした.ごと自体が,マルクス主義が受容されたばかりの 1920年の中国では決して容易なことではなかった..しかも,この方法・観点をもって近代中国経済 の具体的な分析を行なうことは,いっそう容易ではなかった.李犬釧にこのことを可能にさせた理 由を,彼の思想形成の過程,中国におけるマルクスま義受容の発展の過程に即して全面的に明らか にする準備はない.筆者の乏しい準備は,前掲の拙著■. (19.67)執筆時のそれを越えるものではな い.だが,問題を解決する方向は決して不分明で・ばない..日本の羽仁五郎に先立つこと12年,世 界における資本主義の形成のいっかんとしてのアジすにおける資本主義の形成,そのまたいっかん としての中国における資本主義の形戊の特質を正しく理解する方法と観点を李犬飼に与えたもの は,究極的には世界資本主義,帝国主義の圧迫と搾取の下にあった半植民地中国の現実であった. 中国における資本主他の形成は,李犬釧が指摘しているように,基本的には,生産手段を自ら所有
李大釧と「世界の資本主義」 (森) 155 する自国の資本によって推進されたものではなく,世界資本主義による商品市場化,原料市場化と して形成された.その過程で民族を構成する勤労人民大衆の生産と生活は,いちぢるしい困難に陥 入っていた.李犬飼は,勤労人民大衆・の諸階級について,商品市場化と原料市場化が生産と生活に もたらした変化を,この論文で必ずしも綿密に分析しているわけではないが,いくつかの重要な言 及は行なわれている. 彼が第一に指摘しているのは,目自由に移動することができない」「過剰人□」の存在であった. このような相対的過剰人口が,世界経済にまきこまれた農民の貧窮化の産物であったことは明らか であろう.さらに彼は,「世界の無産階級」となった「全国民」が,国内では「〔軍閥の〕兵士とな り,匪賊となり」,国外では「困窮した中国人労働者一華工一」となっていく現象を指摘していた. たとえば,この「〔軍閥の〕兵士となり匪賊となる」のがまさに「外国帝国主義の圧迫下」にあっ た当時の貧窮化した農民そのものであったことは,後年彼自身が鋭く分析するところであった丿) 半植民地中国のこのような現実を直視するとき,中国における資本主義の形成とは,基本的には, 世界資本主義の形成以外にはありえなかったのである. . 最近,この論文における李犬釧の方法・観点にもとづいて導き出された近代中国の「経済上の変 動」の概括たる「世界の無産階級」という範鴫に関連して,李犬釧が「プロレタリア的民族」とし て中国を把握していたとするアメリカの論者の存在が伝えられる12)論者は,中国の「個々のマル クス主義者独自の知的情緒的傾向」を重視し,李犬釧の’「階級闘争のとらえかたの中における民族 主義と革命的な自発論の反映」を高く評価しているということである.論者の著作に直接接してい ない今,論者の見解の全面的な検討を行なう資格はないが,「世界の無産階級」という範嗚が,李 犬釧の「知的情緒的傾向」’としての「民族主義」的発想の産物だと評価されているとすれば,筆者 はこれに反対である.李犬飼は, 1920年当時マルクス主義の受容とその擁護に献身,凡ゆる意味で 中国共産党創立の前提条件をつくるために努力をかさねていた13)中国における「世界の資本主義 による世界の無産階級の創出」という命題,「世界の無産階級」という範鴎の設定は,基本的には, マルクス主義を半植民地中国の現実に即して具体化した成果と考えるべきであろう.「マルクス・ レーニン主義の偉大な力は,それがそれぞれの国の具体的な革命の実践とつなが・つている点にあ る,中国共産党としては,マルクス・レーニン主義の理論を中国の具体的環境に応用することを学 かとらなければならない」.毛沢東は1938年10月,このような指摘をイない,その上で,つづけて 「イ章大な中華民族の一部分であり,この民族と骨肉のつながりをもつ共産党員でありながら,中国 の特徴をはなれてマルクス主義を論じるとすれば,それは抽象的な空虚なマルクス主義にすぎな い」と述べた.1o「民族主義」というような超階級的範鴫では,李犬釧をも含めて中国のマルクス 主義を把握することはできないであろう. Ⅲ 「世界の無産階級」とその役割 -d)一 近代中国における「経済上の変動」を以上のような分析によって論証したことによって,李犬釧 の論文はその意図を完全に実現した.「孔子の学説」,すなわち儒教思想の物質的基盤としてこれを 支えていた「農業経済」が「西洋の工業経済」の圧迫によって根本から動揺せざるをえなかったこ とを明らかにすることができたからである.論文の総括部分の冒頭で,李大釧は「われわれは孔子 主義(中国人のいわゆる綱常名教……J茸 ができた)と述べている.また彼は同じ総括部分の末尾で,「あなたがたがもし現代の世界の経済関 係を完全に打破することができれば………新思想はおのずと生じないであろう.あなたがたがもしこ の新しい経済勢力を如何ともすることができないならば,そのときはただ新思想の自由な流行にま かせるのみである.なぜなら新思想は経済の新状態,社会の新要求に応じて生まれなのであって,
156 高知大学学術研究報告 第18巻 人文科学 第11号 いく人かの青年がいわれもなくつくりだしたものでないからである」と結んでいる. それでは,李犬釧は近代中国における「経済上の変動」として「世界の資本主義による世界の無 産階級の創出」を明らかにし,中国の商品市場化∠原料市場化,勤労人民大衆の生産と生活の貧窮 化,総じて中国の半植民地化の現実を指摘するにとどまったのであろうか.「現代の世界の経済関 係」を打ち破りえないものとし,「新しい経済勢力」を如何ともしがたいものとして認識するにと どまったのであろうか.「吐界の資本主義」と「世界の無産階級」の矛盾・対立を止揚し,世界資 本主義・帝国主義の支配から中国を解放して半植民地の現実を変革する方向については,何ら展望 することがなかったであろうか. ∧ 羽仁五郎の論文「東洋に於ける資本主義の形成」‥のもうども主要な意義は「東洋においても,こ の帝国主義との対立においてプロレタリアートが,資本主義によって形成されながら,資本主義の 解決し得ない問題を解決するものとして,成長し七きた」ことを理論的に論証した点にあった. 李犬釧は,本論文「経済上より中国近代思想変動の原因を解釈す」ヽにおいて,「世界の無産階級」 としての中国人民のとりくむべき課題を明らかにしようとしている.そこでは,旧址界の資本主義」 が中国人民に強制した「世界の無産階級」の地位を彼ら自身の手で克服していく方向が摸索されて いる.論文の総括部分で李犬釧は次のような論点を提出する. 「われわれは中国が,今日,世界経済の上で,真実まさに:世界の無産階級たらんとする地位に立 っていることを理解することができた.われわれぱどめようにして世界の生産手段と生産機関をし て中国の労働するもの(中国労工)と関イ系を生ぜしめるかを研究ずべきである」. 「世界の生産手段と生産機関と中国の労働するものとのT関イ系」とは何か.資本主義国の無産階級 がまだしも用いることのできる「資本家」の生産手段すら’,「世界の資本制」の下にある「世界の 無産階級」は用いることができない,と彼は述べていた.とすれば,上の関係とは,「中国の労働 するもの」が「世界の生産手段と生産機関」を用いることを可能ならしめるような関係である.こ の関係の発生とは,「世界の無産階級」の一部分である海外流出の中国人労働者(華工)が資本主. 義国の資本家に雇傭され,その生産手段と生産機関を用いることのみを必ずしも意味しないであろ う.李大釧は「どのようにして世界の生産手段と生産機関,をして中国の労働するものと関係を生ぜ しめるか」という表現によって,世界資本主義9下で,゛その「世界の生産手段と生産機関」から, 中国の勤労人民大衆が全く切り離されている現状を改めで確認七,この現状を変革するという課題 の所在を読者の前に明らかにしたのである.「中国の労働するもの」が「世界の生産手段と生産機 関」をどのような具体的な形態で用いるかはここでは明確にされていない.恐らく李犬飼は,この とき資本主義国へ出ていった中国人労働者がその職場を確保するというようなもっとも実際的な意 味から,労働者階級をはじめとする中国のすべてめ勤労人民大衆による「生産手段と生産機関」の 社会主義的所有の確立という将来のありかたにい靫るま,でのさまざまな形態を含めて,日比界の生 産手段と生産機関と,中国の労働するものとの関係」を直覚的に構想していたと考えられる. ここで,指摘しておかねばならないことは,彼が「世界の生産手段と生産機関」と中国の資本, 資本家との関係につい七は,これを考慮の外に置いて=いたということである.彼とても,第一次大 戦中における中国の民族資本の一定の発展を全く知らないのではないであろう.しかし彼は,近代 中国社会のもつ矛盾を解決する担い手として,中国の資本家とその階級に言及するところがない. さてこの論文で「孔子主義」及び「農業経済」と固く結合して「孔子主義」の社会的基礎をなし ていた「大家族制度」が,「西洋工諜経済」による「農業経済」の圧迫と後者の動揺によって,必 然的に崩壊の方向をたどることを明らかにしてきた軍犬釧拓他方,「孔子主義」や「大家族制度」 を主体的に打破していく迎動の発展について論じている. 「中国の労働運動も孔子の階級主義を打ち破る運動である.孔派の学説は労働する階級(労働的 階級)をすべて被支配者の地位に置き,支配階級の・犠牲とした.イ……現代の経済組織は労働階級
李犬釧と「世界の資本主義」 (森) 137 ---一一- (労工階級)の自覚を促がし,社会の新しい要求に過合させ,“労働は神聖なり”(労工神聖)とい う新倫理を生じさせた.これも新しい経済組織から必然的に生じた構造である」. 「婦人については,近代工業の進歩の結果,非常に多くの婦人に適した労働が増加したので,こ れも彼らの〔大家族制度からの〕解放運動を助けるーつの原因となった」. 李大釧は,「農業経済」の支配する段階に形成された思想,社会制度を近代において打破し,そ れからの解放を推進する主体として「労働階級」を,あるいは「近代工業」の下での「労働」に従 事する婦人をあげる.李犬飼は彼らの「労働運動」,「解放運動」を高く評価している.彼は,「現 代の経済組織」が必然的に生みだした「労働は神聖なり」の新しい倫理こそ,「孔子主義」を打破 する力をもっていることを指摘した. 大づかみにいえば,李犬釧も羽仁五郎と同様に,そして羽仁に先立って,「東洋において」,「資 本主義によって形成されながら,資本主義の解決し得ない問題を解決するもの〔=主体〕」を追求 していた.ただ李大釧は,のちに羽仁が「理論的に論訂五」したプロレタリアート,近代工業労働 者階級のみを,そのまま半植民地中国の問題解決者として設定していない.李大釧は,この論文 を発表して以来,その死の間近にいたるまで,「世界の資本主義」の支配下にある「│廿界の無産階 級」の直面する課題を解決する方向と,解決の担い手についての検討を,理論の上でも,実践の上 でも半植民地中国の現実に即して追求しつづける.以下,本稿で検討してきた論点にかかわりの深 い若干の資料を中心に,その過程を見よう. 1921年3月,中国共産党の創立を約3ヶ月後に控えた時点で,雑誌「評論と評論」第1号に載せ られたーつの書簡19 で,彼は,中国が世界の資本主義を克服するためには社会主義制度の確立が 必要であることを明らかにする. 「中国が今日社会主義をよく行ないうるか,どうか,いいかえれば社会主義を実現する経済的条 件が中国に今日備わっているかどうかは,非常に緊急な,かつ深い研究を行なうべき問題である」 と主題を設定した李犬釧は,彼の見解をつづけて簡単に述べる. 「中国が今日社会主義を実行する経済的条件をすでに備えているかどうかを問おうとすれば,ま ず世界が今日社会主義を実現する方向での経済的条件をもっているかどうかが,問われねばならな い.なぜなら中国の経済情勢は,実際上世界の経済勢力の範囲外に出ることはできないからである」 中国の経済を世界経済との不可避的な関連の下に把握しようとする態度は,当然のことながらこ こにも貫かれている. 「現在,世界の経済組織はヽすでに資本主義から社会主義に及んでいる.中国は,まだ自から欧 米,日本等の国のような資本主義を行なって産業を発展させてはいない.しかし,一般の平民は間 接的に資本主義経済組織の圧迫を受けており,各国の直接的に資本主義の圧迫を受けている労働者 階級(労働階級)に比べてとりわけはげしい苦痛を味っている」. 世界資本主義と中国人民との関係,前者による後者の圧迫と搾取は,前の論文と比べてより平明 に叙述される.そして,前の論文では言及されなかった世界経済の新しい特徴,資本主義を克服す るものとして成立した社会主義の成立が明確に指摘される. . なお,李犬釧はこの書簡以来“労働階級”という中国語を用いて,労働者階級,プロレタリアー トのことを表現しはじめる,しかし,彼の“労働階級”という中国語には,これからのちもなお勤 労する人民大衆の他の諸階級をも含むニュアンスがこめられる16) 「中国国内の労資の階級間には,まだ重大な問題は生じていないけれども,中国人民は,世界経済 の中に位置し,すでにこの労働迎動が日一日と盛んになる風潮の中に立っており,資本家を保護す る制度を行なおうと考えても,論理的には可能であるが,そもそも勢のよくせざるところである」. 世界経済と中国の経済とが不可避的な関連をもっている以上,世界の労働運動の発展は,まだ矛 盾が深刻化していない中国においても労働者の地位を重要なものとさせるであろう.従って,資本
1ろ8 高知大学学術研究報告 第1包巻 人文科学 第11号 の保護のための制度を実施することは不可能であるy李大飼は,ここで,前論文よりも明確に,間接的 に世界資本主義の経済的圧迫を受けている「一般平民」の中に,資本と直接的に生産関係を結んだ 近代工業に従事する賃銀労働者の階級が生まれていることを指摘する.世界資本主義と「一般平民」 との関係か基本的なものとして決して見失なわれることなく,しかも新しく成立した階級が着目さ れてい乙ことに注意しよう.李犬釧は,中国の内部における新しい階級の存在を前提とし,中国で 資本を保護する制度を実施することが不可能であることを指摘することによって,労働者階級のた めの新しい制度樹立の可能性を示唆する.そして再び資本主義から社会主義にまで及ぶ世界経済の 中での中国の地位をかえり見て,中国に社会主義制度を樹立・しなければならない必然性を述べる. 「ふたたび中国の国際上の地位を見ると,他人はすでに〔資本主義的〕自由競争から社会主義 〔的〕共営を必須とする地点にまで到達している.われわれは他人の出発点から始めたばかりで, 他人の〔歩んだ〕順序の通りに歩こうとしている.ぢょうど他人はすでに壮年に達したのに,われ われはまだ幼な・く,人はすでに幾千万里のはるかを歩んでいるのに;われわれはまだ第一歩にあ右 ようなものである.このような勢力の下で存立をはかり,この〔世界的な〕共同生活に適応しよう とすれば,恐らくは,倍の速さで力をあわせ,社会共営組織をつくるのでなければやっていけな い.だから今日,中国において産業を発展させようとすれば,純粋の生産者によって政府を組織 し,国内の掠奪階級をとりのぞき,この世界の資本主義に抵抗し,社会主義組織によって産業を経 営するのでなければできない」. ` 李犬飼は,中国の経済の発展,社会的生産力の発展めためには,生産者が政府を組織して国内の 搾取階級をとりのぞき,世界資本主義,帝国主義と抵抗し,社会主義制度を樹立する以外にはない という展望を述べる.当時の李大釧にとっては半植民地・半封建的社会から社会主義社会を樹立す るまでの一つの過渡段階としての人民民主主義革命の必要性を理論的に明らかにすることはできな かった.しかし,世界資本主義,帝国主義の支配の下では,中国の資本主義的発展はありえないこ とを,彼は断言した. 1921年7月,中国共産党創立の後も,李犬釧はご│仕界資本主.義とどのようにだたかうかという課 題を追求しつづけた. 1922年2月19日,北京のマルクス学説研究会の第一回公開講演会で李犬釧は 「マルクスの経済学説」と題する講演を行なった丿)中国共産党が車国革命の最高綱領として,共 産主義社会の建設,最低綱領として封建的軍閥の打倒,国際帝国主義の顛覆を明確に規定し,帝国 主義と封建主義に反対する民族民主主義革命の展望をうちたて,革命の原動力として,労働者階 級,農民階級,小ブルジョア階級をあげ,民族ブルジ‘白す階級をも革命勢力のー・つとして位置づけ たのはこの講演から約半年後の1922年7月のことであっ七 さらに,レーニンの指導の下で,コミ ンテルンガ極東各国の共産党と民族革命団体の第i回代表大会(極東革命組織大会)を開き,帝国 主義と封建主義が中国及び東方の各被圧迫民族の当面の最大の敵であり,これらの民族の革命の任 p F ● 務は帝国主義と封建主義に反対する民族民主革命であることを明らかにしたのは,この年の1月21 日から2月22日にかけてであり,李大飼がこの講演‘を行なったのはち’ようどこの開のことであっ た13J李犬釧は,この講演の中で,「外国の資本家」の圧迫の下懲,すなわち彼の従前からの表現に よれば「世界の資本主義」の圧迫の下で,それと対抗するために中国の労働者階級(労働階級)と没 落して「無産階級」となっていく小生産者(小工業)をどのように組織するか,という問題につい ての見解を発表した.上述のように,この講演の峙点では,ヰ[国共産党の綱領はまだ制定されてお らず,その制定に理論的基礎を提供した極東各国の共産党と民族革命団体の第1回代表大会が明ら かにした半植民地半封建中国の革命の任務に関する規定も李犬釘の知るところではなかった.李犬 飼は彼独自で問題を考察せざるを得なかった.しかし彼は,かつて「経済上より中国近代思想変動 の原因を解釈す」を発表して以来,資本主義を世界資本主義として把握する観点を保持しつづけ,
’が犬釧と「世界の資本主義」 (森) -一一 一一 1ろ9 世界資本主義の圧迫を中国の勤労人民大衆がどのように克服するかという課題を執拗に追求してい た.すなわち,コミンテルンの規定や中国共産党の最低綱領を基礎づけた半植民地中国の現実とそ の特徴そのものについての認識を片時も離れることなしに,彼はこの講演で中国の労働者階級,小 生産者をどのように組織するかという課題を追求する. I「中国の労働者階級は経済的組織をもたないので,世界の労働者階級と連合することはできな い,という人かおる.しかし私はまったくその通りだとは思わない.なぜなら中国は現在外国の資 本家の影響を受けており,中国人労働者(華工)もまた全世界に散らばっているので,中国の労働 者階級が鶏:要でないということはできない」.・ 中国の労働者階級は決して無視することができない 勢力となっている.しかし,彼らか自らを組織するための条件は,目せ界の各国」と異なり,必ず しも整っていない. 「私たちは考える.世界の各国では,労働者は資本家といずれも対決する趨勢にある.若干の小 生産者(小産業)は資本家の圧迫を受けて無産者となっている.彼らはいずれも集合する地点をも っ七おり,彼らは資本家たちをさがして彼らと対抗することができる」.李犬釧は,「世界の各国」 の労働者が集中性をもち対決しうる資本家をもっていることを指摘する.それに比べて中国の労働 者はどうか. 「しかし,中国の労働者は,事情を異にする.彼らは集合する地点をもたないばかりか,資本家 たちをさがして彼らと対抗することができない/国内の小生産者(小工鎌)は外国資本家の経済勢 力の圧迫を受けて次第におとろえ,生活するすべがない.彼らはこのような他国の資本家の間接的 圧迫の影響を受けるが,これは各国の無産階級が彼ら資本家の直接的圧迫の影響を受けるのに比べ てもっとはげしい.〔彼らは〕流浪して頼る所を失ない,四方に敞り敞りになり,どこへ行って仕 事し,集合することができるかわからない.〔だが,中国の〕国内にこのような状態があり,この ように多くの無産階級がいるとき,われわれはいまいちど全世界的に考えて,どうして中国の労働 者(労働者)が社会と関係がないということかできよう.もしなお社会と関係がないというなら, 必ずしも理にかなってはいない./」. 李犬釧は,いかにして中国の労働者階級を組織し,世界の労働者階級と辿合させるかという課題 を追求する場合にも,中国に新しく成長しつつある単なる近代工業に従事する賃銀労働者,近代工 業プロレタリアートのみについて考えるのではなく,あの「世界の無産階級」としての中国の勤労 人民大衆全体のことを重視したのである.彼は,「外国資本家の経済勢力の圧迫」を受けて無産化し ていく「国内の小生産者」の状態に力点を置いている.(筆者は「国内的小工業」という部分をあ えて目玉│内の小生産者」と翻訳したが,これは,半植民地中国において破産していく手工業の重要 な部分が,たとえば綿紡織業.において都市の手工業者のみでなく,多くの農民の手によって担われ ていたという事実を念頭に置いてのことである.李大釧自身の含みこませた意味を必ずしも逸脱し ていないと思う)失業者群としてのこれら半植民地の「多くの無産階級」をも,対決すべき自国の ブルジョア階級をもたない労働者階級とともどもにどのように組織するかという課題は李犬釧にと って決してたやすくは解決しうるものではなかった.彼は,一方で中国の労働者には組織がなく, 世界の労働者階級と連合できない,中国の労働者は社会と関係がないという議論を批判し,講演の 終りで,中国においても「マルクスの経済学説の影響」の下に,国内,的,国際的な労働者の組織化 が進みつつあることを暗示し七いる.こうした発言は1919年に長辛店の鉄道労働者たちを組織しは じめて以来,労働者の組織活動において少なからぬ成果を自らの手であげていた彼自身の実践にも とづくものであろう.19りこもかかわらず,他方で,彼は,無産化し,しかも分散化していく小生産 者をも含む半植民地中国の多くの「無産階級土を組織する困顛な課題を自らに提起しつづけたので ある’.
140 高知大学学術研究報告 第1g巻 I人文科学 第11号 _ rv むすびにかえて 「世界の無産階級」とその役割 −(2)一 1924年の第一次国共合作以降,帝国主義に反対し,その支配の基礎としての封建軍閥勢力を打倒 する国民大革命の発展は,「世界の資本主義」に衝撃を与えぢ 文字どおり世界を震憾させた.とく に1925年の5. 30事件以来,中部,南部を中心にく中国め労働運動,農民迎動はかつてない昂揚を見 せた. ← ` 李大釧は, 1921年の中国共産党創設以来,党北方区委員会書記として北方での活動のいっさいの 責任を担うとともに, 1924年から中国国民党北京持市党部の指導をもあわせて行ないながら,奉・ 直等軍閥の支配する北方で,反帝,反軍閥の民衆迎動を指導して.きた. 1926年3月18日の民衆の大 デモに対する段誤瑞政府のテロルののち,李大釧は,共産党員及び左派を中心とする国民党員とと もに地下に入り,翌27年4月,張作霖に逮捕・処刑されるまで,共産党,国民党における任務を果 たしながら民衆運勁の指導をつづけ,北伐軍支援の工作を行なうだ.李犬釧はこのようなきびしい 環境の中でも,北方の中国共産党の機関紙「政治生活」,誌上などにおいて理論活動を中絶しなかっ た20)この間,彼は,論文「経済上より中国近代思想変動の原因を解釈す」以来抱いてきた近代中 国における「経済上の変動」,すなわち「世界の資本主義」による半植民地化の認識を深め,「世界 の資本主義」の支配下にある「世界の無産階級」(?)直.面する課題を解決する方向と,解決の担い手 としての「世界の無産階級」に関する見解を発展させた.中国革命の前進,この前進の過程におけ る彼の実践活動,自己のマルクス主義理論へのあぐことのない学習が,こうした彼の認識の発展を もたらしたのである. 1926年3月,その死の約1年前,「吐界の資本主義」による中国の「経済上の変勁」,半植民地化 の当初の段階について,李犬釧が到達していた認識は次のようなものであった. 「1833年以後,イギリスの綿製品及び羊毛製品の輸入はたでっづけに増加し巨大な額に達した. アヘンの流す毒は潮のようにおしよせてきた.中国の銀貨もまた潮のようにインドに流出し,中国 民族の汗とあぶらを消耗し尽さんばかりとなった.こ・の一世紀において,イギリス〔のインド〕政 庁はその収入の七分のーを中国人にアヘンを売って得ており,同時にイギリス製品に対するインド の需要もまた,すべてインドにおけるアヘンの生産に依存していた.当時,イギリス資本主義の発 展の結果,インドに〔イギリスから〕輸出される商品の額は日に日に増加したので,インドで生産 させて中国人に売るべきアヘンの額も必然的にそれに従って増加した.イギリスがこのとき中国の 門戸を打ち破ろうとしたのは,たんにインド懲生産される巨額のアヘンのはけ口を求めるためで はなく,同時に本国でさかんに生産される製品の販売市場を求めるためであった.イギリス人はこ の目的を達するために, 1840年において猛烈な砲火を用い,中国の南方の外国人には開放されてい なかった門戸一広州を攻撃し,武力でアヘン及びその他の商品などの経済の力をむりやりにもちこ んで中国を圧迫したのである.その結果,イギリスの砲火は中国の門戸を打ち破り,帝国主義はつ いに広州から中国に侵入したのである」21J 「1840年のアヘン戦争以後,中国の門戸は解放され.外国の商品はどんどん輸入されてはばまれ ることがなかった.この外国製品の輸入は,〔輸入された〕その国の製品に対しておのずから破壊 的な影響を生ぜずにはおかない.当時の中国へのかかる影響は.小アジア,ペルシア,インドヘの その影響とまったく同様であった.外国商品との競争の下で,中国の紡績工や織工.は最大の困難に 遭遇し,社会生活は外国商品の圧迫に比例して不安の現象を呈し,破産した手工業者と農民大衆を 発生させた.さらにアヘンの不生産的消費,アヘン貿易によって生じた貴金属の流出,アヘン戦争 の対英賠償,アヘン販売をめぐる賄賂の公然化,及び政府の行政の弊害百出.かかる諸々の原因が かさなりあって人民の巨大な負担を増加し,新しい税は/増設され,旧来の税は増額されて,ついに
李大釧と「世界の資本主義」 (森) 141・ 太平天国の大革命を醸成した」22J 太平天国の革命運動をもたらした歴史的条件をこのように分析する中で,李大釧は,条件の基底 にある19世紀前半期の中国における「経済上の変動」が,「世界の資本主義」をリードするイギリ ス資本主義によってひき起こされた過程を上のように述べる.その過程は,イギリス本国における 資本主義の生産力の発展がイギリスとインドと中国とを結んで世界経済を形成していく過程として 具体的な事実にもとづいて明らかにされているのである.李大釧の認識はさらに深まる. 「1850年頃,イギリスの産業は比べるもののない猛烈な発展をとげ,恐慌(産業危機)まぢかい 徴候があらわれた.たとえ大規模な移民の出国があっても,たとえカリフォルニアとオーストラリ アがあっても,イギリス産業の発展と市場の拡大の均衡を調整することはできなかった.当時イギ リスの茶税の引き下げは,茶の輸入を増加し,対中国製品の輸出増加を奨励することを意図した もので,新しい市場を開拓し,旧い市場を拡大する必要にもとづくものであった.太平天国の動乱 はイギリス製品の市場を縮少し,イギリス産業の危機を切迫させ,社会的革命を加速した.大御所 マルクスが当時述べたように,イギリスは中国の革命をつくりだし,中国の革命はロンドンに反響 し,・ロンドンを経てヨーロッパに反響しようとしている」23) 「世界の資本主義」がつくりだした近代中国の「経済上の変動」が,日比界の資本主義」自体の 変動をもたらすという関係をも李犬釧は把握するにいたったのである. こうした「経済上の変動」,半植民地化に関する認識の深まりの中で注目されるのは,目址界の無 産階級」という範鴫がより具体化され豊富になっていることである.外国商品との競争の中で紡織 業が非常な困難に陥入り,外国商品の圧迫によって,「破産した手工業者及び農民大衆を発生させ た」という指摘がそれである.とくに,農民大衆の「破産」,すなわち生産と生活の破壊が,それ として明確に指摘されている点は,当時の李犬釧が中国革命における農民階級の役割を鋭く指摘し ていたこと24)と関連して注目される.太平天国の運動の一側面として,彼が「帝国主義の経済的 圧迫下の農民革命運動」という評価を与えていることも,このような指摘と無関係ではない. 「世界の資本主義」の支配下にある「世界の無産階級」の当面する課題をどのような方向で解決 するのか.いねば,半植民地中国における人民の革命とはどのような性格をも,つているのか.もち ろん,中国共産党員としての李大釧が, 1922年7月以後,党の最高綱領,最低綱領に示された解決 の方向を基礎としていることは当然である.しかし, 1926年の,国民大革命の発展と,彼のマルク ス主義認識の発展の中で,彼自身の思考はいっそう深められた. 「1840年,イギリス人の砲火か中国の門戸を撃破し,中国人民を毒害するデヘンの輸入を強行し てから,英仏連合軍との戦争,清仏戦争,日清戦争,義和団と八ケ国連合軍との戦争,日露戦争, 第一次大戦における日独の戦争を経て, 1925年の5.30運動以来,帝国主義者の上.海,沙面,浅口, 九江等の地方における中国民衆の屠殺に至るまでの過程は,徹頭徹尾,帝国主義の中国民族圧迫史 である‥‥‥‥1841何E,広東三元里の郷民が,イギリス人が戦争の余勢をかって中国に軍費600フ?7元 の賠償と香港の割譲を迫ったことを憤り,民衆数万を集め奮起して平英団を結成してより,……太 平天国の革命運動,三合会,班老会の覆清仇洋運動から白蓮教の流れをくむ義和団の扶清滅洋運 動,強学会,保国会の立憲運動,興中会,・同盟会の革命運動へ,“五・四”から“五りIPまで全 国に拡大した反帝国主義の大運動に至る過程は,徹頭徹尾,中国民衆の帝国主義に反抗する民族革 命史である.……簡明に言えば,中国民族革命運動史は,中国民衆を圧迫する帝国主義が完全に消 滅したとき,はじめて光栄ある勝利の終結をむかえる」25) ここでは,「世界の資本主義」は「帝国主義」と規定しなおされ,「世界の無産階級」は「中国民 衆」と呼ばれることになった.旧址界の無産階級」,従って「中国民衆」が,当面する自らの課題を 「帝国主義に反抗する民族革命」の完成という方向で解決すべきことを,李犬釧は示した.しか
142 高知大学学術研究報告 第18巻 人文科学・ 第11号 も,李犬釧の指し示したこの反帝国主義の民族革命は,トもちろん,決して,排外主義的な性格をも ったものではない.論文「中山主義の国民革命と世界革命」十の結びの部分で李犬釧は次のように述 べる. 1 「十月革命の成功は,中山先生の中国国民革命は世界革命の一部だという信念をますます強固な ものとし,中山先生の中国国民革命迎動を世界の無産階級の革命運動と結合しようとする努力はま すます猛烈となった.いいかえれば,中国民族革命の潮流は,中山先生の晩年の沓闘に至ってはじ めてその世界革命の潮流に接近する方向を真に確定して,完全に一本に合流された.すなわち中山 先生の指導によってはじめて世界革命の正しい軌道に入り,人類の歴史上の偉大な建設〔事業〕と なった. 孫中山先生の革命の奮闘は,すでに深く眠っていたアジアをよび起こした.中山主義の指導した 中国国民革命の成功は,また必らずイギリスに影響し,イギリスを経過してヨーロッパに影響し, 全世界に到るであろう.マルクスとレーニンのことばは,中国の民衆革命の努力が中山主義のみち をとおっていくことを通じて必ず一つ一つ証明されるであろう. 全世界の被圧迫民族と被圧迫階級よ,連合せよ/ 中山主義万才/ レーニン主義万才/」26J 反帝国主義の民族革命とは,李犬飼にとっては,民族革命一般ではなく,帝国主義に圧迫された 被圧迫民族の革命であり,世界の圧迫された階級の革命迎動と連合してたたかわるべきものであっ た.しかもそれは,いみじくも李犬釧がここで述べているように「中国民衆の革命」であり,単純 に「プロレタリア的民族」などといいかえることのできない,被圧迫民族の勤労人民大衆の革命で あっ友. さて,「世界の無産階級」についての李大釧の見解の到達点ぱすでに行論の中で明Iらかになりつ つある.結論的にいえば,「世界の無産階級」とは最後まで単なるプロレタリアートのみを指すこ とはなかった.李大釧は,太平天国運動の開始に至るまで長期にわたって反清復明の思想を保存し 育ててきたのが,清朝支配下の下層階級であったという事実を指摘したのち,このようにいう. 「この民族思想が下層階級に貯えられていたという苓実は,・われわれに,革命の力量がつねに工 談階級に肩する下層民衆の間に蓄私されていたことを明らかにし,かつわれわれに,中国民族解放 の成功は大半は工農民衆の努力によらねばならないごとを預め示す」27’と.李犬釧にとって,近代 中国の「経済上の変動」以前から,歴史を変革する担い手は「工農階級に属する下層民衆」であ り,「変動」以後の民族解放運動の担い手も「コニ農民衆」であった.それではここでは,「世界の無 産階級」としての歴史的規定性は刻印されていないの,であろうか.そうではない.「工農民衆」は, 目廿界の資本主義」による「経済上.の変動」以後,その多くが,すでに見たように「破産した手工 業者と農民大衆」としての規定を与・えられているのである.また,李犬釧は,国民革命の段階の 「工農階級」をめぐって,次のように言及している.「彼(孫文)は,中国工農階級の利益を代表 する共産党員を受け入れて中国国民党を改組し,至農組織冨重視しするcとによって国民党を普遍 的な大衆政党とし,中国の国民運動を世界革命運動と非常に密接に結びつけた」28’と. 1924年以降,第一次国共合作下の「工農階級」とは,中国共産党の構成に照らしても,文字どお りのプロレタリアートたる労働者階級及び直接生産者農民階級である.そして,私たちは,ここに また李犬飼の中で新たに歴史的に規定しなおされた「世界の無産階級」を見出す. ただ,かさねて留意しておきたい.彼の「世界の無産階級」という範鴫が,半植民地化の過程で 生産と生活を破壊された事実上の勤労人民大衆にあることをン従って,すでに彼が1919年に示して いた次のような認識は,以後も変ることなく受けづがれ,そのこ,と,こそがまた,「世界の資本主義」 を打倒する担い手を正しく見出すことを可能にした(とを.