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資本主義の發逹と世界市場

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

資本主義の發逹と世界市場

吉村, 正晴

https://doi.org/10.15017/4488704

出版情報:經濟學研究. 19 (2), pp.1-35, 1953-09-20. Society of Political Economy, Kyushu University

バージョン:

権利関係:

(2)

アメリカの発見︑アフリカの廻航は︑勃興しつつあったプルヂョアジーのために新しい活動分野をつくり出した︒東イ

ンドと中国との市場︑アメリカの植民︑植民地との貿易︑交換手段と商品一般との増加は︑商業を︑航海を︑工業を︑未

曾有に踵進させ︑崩披しつつあった封建社会内の革命的な要素をこれによって急速に発展させた︒

これまでの封建的またはギルド的な工業経営方法は︑新しい市場とともに増加する需要に最早おうじきれなくなった︒

賽本主義の生成と世界市楊 の分子がでてきた︒ 商品流通と商品生産は資本の出発点である︒

第十九参

資 本 主 義 の 獲 逹 と 世 界 市 場

広く世界的に拡大された商品流通は︑資本主義の生成︑発逹の歴史的な前提条件をなすものであった︒

主義は︑その出発の当初から︑外国貿易をもち︑それによって批界市場に結びつけられていた︒外国貿易が︑資本主義に

とつて鋏くことの出来ない宿命であることの第一の理由は︑まずこの点にもとめられる︒

﹁中泄の農奴のなかから︑初期の諸都市の城外市民がでてきた︒そしてこの城外市民のなかから︑

それゆえ︑資本

プルヂョアジーの最初

(3)

描き出されているからである︒ 査本主義の生成と世界市場

マ——ュファクチュアがそれにとつてかわった。ギルドの親万は工業的中間層におしのけられた,

分業は︑個々の作業揚そのものの内部の分業のまえに消滅した︒

だが市場はたえずひろがり︑需要はたえず増加した︒

が︑全産業の指揮官が︑すなわち近代的プルヂョアがあらわれた︒

大工業は︑アメリカの発見によってすでに準備されていた批界市場をつくりだした︐世界市場は︑商業に︑航海に︑脇

上交通にはかりしれない発股をもたらし︑その発股がまた工業の拡大に反作用した3

拡大するのに比例して︑プルヂョアジーは発股し︑その資本を増加させ︑中世から残されたすべての蹟赦をうしるにおし

やっ

た︒

︵共

産党

言︑

選集

二下

の四

九一

頁︶

ここにマルクス・エンゲルスの古典のなかから租々長い引用を試みたのは︑

く世界商菜の劃期的な発股とが︑近代資本王義的生産の成立にあたつて演じた役割が︑

航海と世界商業が資本玉義的生産の成立に与えた影響ーーまず最初にはマニュファクチュアの発逹に与えた影響は︑

別して二つの側面から考察される︒その一っは︑商品流通のひろがり︑市場の拡大という側面︑

を一躍進辰させてという側面︒この二つの側面において︑それは︑封建的諸制跛の粉砕︑ 近代的大工業がマニュファクチュアにかわり︑

資本︑王義的生産様式えの移行に もう一っは︑資本の蓄積

この文章においてまことに適確に いわゆる﹁地理上の二大発見﹂とそれに続 そして︑工業︑商莱︑航海︑鉄道の が工業生産に革命をおこした︒

工業的中間屈にかわって産業的百万長者

マニュファクチ1アもまた不充分になった︒

そのとき蒸気と機械 いるいろの同業組合間の

(4)

賽本主蓑の生成と世界市楊

は︑まず第一に該生産様式の堅固さと内部的編成とに依存する︒﹂

︵資

本論

︑長

谷部

訳一

︱一

の九

︑三

七一

頁︶

に︑商業や高利貸は︑古代的および封建的な生産様式を衰弱させ︑破滅せる作用を営むが︑それかといつて︑

様式を創造することをしない︒ある与えられた生産様式を利用し︑外部からそれに関係するだけに過ぎない︒

当然︑生成期の資本主義と世界商業との関係についてもあてはまる︒

資本主義の成立に際して︑商業が演じる作用のこの対抗的性質は︑わが国の学会で︑数度にわたって︑

び起したことがあった︒戦前のいわゆるマニュフュクチァア論争の︱つの重要な鍵がここにあったし︑

学﹂をめぐる論争の中心点もこれである︐最近わが国に紹介されたスウィージー︑ドップ両氏の論争においても︑

における商業および商人資本の役割をどう評価するか︑ということが︑

われわれが本章で︑資本主義の生成期における世界市場の意義を考察する場合にも︑

では︑むろん︑ごく大まかな銀察しかできないが︑このところに鍋察の焦点を合わせながら︑ に

対し

いたるところで多かれ少かれ分解的な影響を及ぽすが︑ ﹁商業は︑当面の諸生産組織ーーその形態のあらゆる相違にも拘らず︑ 貢けんした︒

産様式から資本主義的生産様式えの移行を説明するには不充分である︒ しかしながら︑世界商業の拡大は︑それ自体としては︑

資本主義の幼年期から確立 基本的な問題点はここにある︒本章 両者の見解の重要な分岐点の一つになっている︒ 過渡期 主として使用価値を目ざすような諸生産組織│ー,

どの租度まえ商業が旧生産様式の分解を生ぜしめるか マニュファクチュアの本格的な発展を︑

活澄な論争をよ

戦後の﹁大塚史 このことは 新しい生産

から

であ

る︒

一般

したがつて︑封建的生

(5)

る東方の特産品および奢移品と︑ョーロッパ産の貴金属︵金︑銀︶︑銅︑宝石類︑毛織物等︒ ロッパとのいわゆる仲介貿易であった︒

︑ こ ︒

てし

f 諸革命がイタリアの商業的至上権を破壊するまでは︑

香料︑染料︑高級織物︵木綿︑絹︶等からな 北イタリアの小共和国は︑ョーロッパの商莱的繁栄の焦点に立つ 剌戟を与えた︒

査本

主毅

の生

成と

世界

市場

初期の世界商業

ローマ帝国没落後においてヨーロッパに復活した最初の遠隔旭貿易の中心地は︑

クリアの商業諸都市6ヴェニス︑ジェノア︑ビサ︶とであった︒就中後者は︑

アメリカの発見と東インドの征服とによって一躍進歩をとげた十六世紀以

降の世界商業の事実上の起点をなすものである︒異教徒︵トルコ人︶から雖地と東方商業の鍵を奪遠するために︑

の大君主たる法王によって組織された「神雖」な戦争ー~十字軍の遠征は、ヴェニスやジェノアの海運業と商業に異常な

︵国

富論

︑第

三編

︑第

一二

章︑

大内

訳︑

二の

一三

三頁

︶そ

れ以

来︑

十五

世紀

末︑

このイタリア諸都市に繁栄した近世初期の世界商業の枢軸をなしていたものは︑東方諸国

(L

eu

an

t,

東インド︶とヨー

この仲介商業の対象となっていた主な商品は︑次のようなものであった︒

このうち最も重要且つ代表 十六世紀初めに生じた世界市場の 地中海 心点に位置して︑そこに繁栄した世界商業は︑ 東方諸国と西ヨーロッパ諸国との商業の中 期えかけての世界市場の発展の足騎をたどることにしよう︒

北ドイツのハンザ同盟諸都市と︑北イ

(6)

他方

花 ︑ 島 ︑ 界産額の半ばを超えていたといわれる南ドイツ産の銀とであった︐この東酉二大生産物の交易が︑ 的なものは︑当時のヨーロッパにおいて塩漬肉の薬味として需要の大きかった東方の﹁胡椒﹂その他の香料と︑

︵大塚久雄﹁近代欧州経済史序説﹂

東西の交易が︑これらの熱帯性特産物や奢修品や貨幣に限定されていたというこの事実は︑

性格を︑端的に物語るものである︒生産物の交換が発詳するのは︑諸共同体の接触地点においてである︒

は︑それ

K

\の自然的環境のうちに︑相異なる生産手段や生活手段を見出すことになるが︑この自然的環境の相違こそは︑

生産物の交換を︑したがつて︑これらの生産物の商品えの漸次的転化をひきおこす基礎である︒

香料︑染料その他の熱帯性特産物は︑かかる自然発生的な商品の見本をなすてものであって︑

絹な

ども

は︑当時の東方貿易においてはまだ第二次的な地位しかしめていなかったが︑この品目もまた︑

ようするものである︒

すな

わち

て︒というのは︑資本主義以前の伝統的な︑封鎖的な社会においては︑

査本主義の生成と世界市場 この系列に属するものであるが︑ 香料群島の別名をもつーー'の特産である胡淑は︑

その典型である︒

移品ー—封建関係の下では封建的地代部分に対応する生産物である奢移品だからである。

当時のヨーロッパの主な輸出商品であった銀についてみれば︑銀はいうまでもなく︑

古代ローマから伝えられ 比較的広汎な流通の対象となる最初の商品は︑奢 ﹂れらの生産物がもつ自然的な性格において︑

また

その奢修品としての性格におい 木綿や絹の高級織物

交易の原始的性質を象ち 生産物の自然的な性格は香料が最も顕著である︒ のちにアジア商業の重要な品目となった茶︑棉 枢軸を形成していたのである︒︵上︶第一編︑第一章︑第一節参照︶ 近世初期の批界商業の

当時の世界商業の原始的な

相異なる諸共同体

︵資 本論

︑同 上︑ 一︱ 一の 八二 頁︶

南アジアの諸島嶼│ー薬味 当時の世

(7)

出によって得られるのではなく︑ て

いた

かくして︑この初期の仲介商業は︑まさに︑ では︑そうである︒﹂︵資本論︑同上︑一の三七六頁︶ ﹁まさに商品流通の端緒においては︑ 査本主装の生成と世界市場

編︑

第五

章︶

これ

こそ

は︑

この場合には︑商人資本は︑それによって媒介され 自給自足を目標と 諸使用価値の過剰分のみが貨幣に転形されるUかくて

︵経

済学

批判

︑宮

川訳

︑一

七四

ヨーロッパの商品流通の中枢神経となった一般的な貨幣商品であった︒

︵国

富論

︑同

上︑

第一

銀は生れながらにして︑商品として︑貨幣として生産され︑骨のずいまで商品性でかたまつている第一級の商

であった︒そして︑このヨーロッパ産の銀は︑﹁貨幣の蓄蔵がプルヂョア経済におけるがように総生産機構の従属的機能品と

してあらわれずに︑この形態の富が最終の目的として固持されるところのアジア︑殊のインド﹂

頁︶に輪比されたのである︒

金銀は︑おのずから︑富裕あるいは富の社会的表現となる︒かた<閉された範囲の諸慾望が伝統的で︑

する生産様式に照応している諸国民のもとでは︑この素朴な貨幣蓄積形態が永遠化する︒アジア人︑

それによって媒介される両極たるアジアとョーロッパの未開状態に立脚し

﹁商人資本の自立的発展が資本制生産の発展度に逆比例するという法則は︑たとえばヴェネツア人やゲヌア人やオランダ

人などの場合の如く︑仲介商業の歴史において最もよく現われるのであって︑この場合には主要利得は︑

商業的またはともあれ経済的に未発逹な諸共同体の諸生産物の交換を媒介することによ

り︑そして双方の生産国を搾取することによって得られるのである︒

る諸極ー_—生産諸部面から1から分離された純粋な商人資本であるJ

て ︑

ローマ帝国没落後には︑

殊にインド人のもと

自国生産物の輪

商人資本形成の一の主要源泉であ 第十九巻第一一号

(8)

査本主義の生成と世界市楊

九の

三六

四頁

の独自的な成長が︑商業諸都市の繁栄がそびえ立つことになるが︑

第 十 九 巻 庫 二 号

最後にはイギリスの産業的商人 ポルトガルが世界商業の王座にすわる そして︑初期の仲介貿易が東西社会の未開を条件としていた︑ということのなかに︑この貿易のぜい弱性と︑

えの必然性がひそんでいた︒生産が未発展であればあるほど︑貨幣財産はます/\商人たちの手に集積されて︑商人資本

ところの諸国民の経済的な発朕が進むにつれて︑この仲介商業そのものが衰退する︒﹁仲介商業の場合には︑

この仲介商業の基礎の上に立つ特殊的商業部門の衰えとしてあらわれるばかりでなく︑純疵業国民の優越の衰亡および︑

ていた彼等の商業的富一般の衰亡としてあらわれる︒これこそは︑資本主義的生産が発逹するにつれて商業資本の産業資

本えの従属があらわれるところの一特殊形態に他ならない︒﹂︵資本臨︑第一一篇︑第二十章︑商人資本に関する監史的考祭︑同上︑

北イクリア諸都市の商業上の覇権が滅んで︑新興の商莱的国民であるスペイン︑

ようになる︒後者はやがてまた︑より産業的な国民であるオラング︑ 九

の三

六七

頁︶

る︒

﹂︵

資本

論︑

同上

︑九

の三

六四

瓦︶

フランスによって︑

によって︑批界商業の至上権を奪取される︐商業資本の産業資本えの従属が進行するところの世界史的な過涯である︒

これ

は︑

その未開が商人資本ー—贔商業都市の存立の基礎である 早急な衰 ﹁最初の自然的で大きく発展した商業諸都市および商業諸国民の商業は︑純粋な仲介商

業として︑彼等がその間の媒介者たる役割を演じたところの生産的諸国民の未開に立脚していたのである︒﹂︵資本論︑同上︑

(9)

雄︑

前掲

書︑

第一

親︑

第一

章︑

第一

節︶

︶の東インド貿易の性格に大きな変化が生じたのは︑

イギリスがインドの主人公とな

った

いなむしろ︑交易量が増加するにつれて︑ る︒しかしながら︑その取引の対象は︑依然として︑胡椒と銀の交換であって︑

﹁香料貿易﹂がますます前面に押しだされていく結果になった︒︵大塚久

初期的の仲介貿易の域を出ることがなか

た︒インド貿易がもたらす巨利は︑商人たちの手に莫大な富を集積させた︒すなわち︑

貨幣財産の蓄積を促進したのであ

東インド貿易が︑ポルトガルの強大な商船隊によって営まれるようになってから︑

東西の交易の規模が急激に拡がつ

あったポルトガルとスペインによるこの﹁地理上の二大発見﹂の結果︑

た︒リスボンを根拠蛾とするボルトガル商人が︑東方貿易ーー!東インド貿易の独占者となった︒

ヴ:一スの商業的繁栄はたち苓ちにして圧倒され

九七年︶︒また︑スペイン人は︑コロンプスの手によって︑新大陸アメリカを発見した︒ が機えんとなって︑ボルトガル人︵ヴァスコ・ダ・ガマ︶は︑ を奪つて︑十五世紀中葉には遂にコンスタンチノプルを占領した︵一四五三年︶︒商人であるアラピア人と違って︑

コ人の掠奪と蛮行は︑いたる処で通商を脅して︑東西の交易を破滅の危機におとしいれた︒ところが︑ 陸路による東方商業の担い手はアラピア人であったが︑

l  

商業

ーー東インド貿易とアメリカ貿易

安本主義の生成と世界市場

希望峰を廻つて東インドに逹する新航路を発見した(‑四

十一世紀以降︑オスマン・トルコ人が次第にアラビア人の勢力

当時ョーロッパの二大海運国で

この通商上の禍い

トル

(10)

った世界商業の新分野を開拓した︒この点においてそれは︑

他方

では

民地から︑金銀︑特に銀の大量が﹁奔流﹂のようにスペインに︑ ほ﹂︑彼等自身が鉱山を発掘せねばならなくなった︒ されたものであったが﹂︑

第一一号 ヨーロッパに流人した︒

ポルトガルの旧態依然たる東インド貿易とかく然と区別され 対アジア貿易にほかつて見られなか

︵大

塚久

雄︑

前掲

書︑

第一

編︑

それまではこの伝統的な性格に本質的な変化がほとんどなかったー│鼻ヨーロッパの諸国民が東

インドその他アジアの各地で試みたもう︱つの風変りな商業活動である大規模な盗掠行為は別として︒

スペイン人のアメリカ植民が批界商業に及ぼした影響は︑これとは大いに趣きを異にしている︒

の冒険者達がョーロッパに輪入した金の全部または大部分は︑ ﹁黄金に対する神迎なる渇望﹂であった︒

無抵抗の土人を掠奪するというようなたやすい方法で獲得

﹁六年乃至八年のうちに土人の所有している金銀全部がきれいにはく奪されてしまつてから

︵国

富論

︑第

四編

︑第

七章

︑第

二節

発見されて︑ここにスペインの最初の植民地が設定され繁栄した︒十六世紀の中葉以降には︑

章︑第三節︶それは交換手段を一躍して増加させ︑また︑貨幣財産の集積を進展させた︒かくして︑資本主義的生産の物質

的前提を準備する上に著しく貢けんした︒

シルバー・ラッシュに先べんをつけられたスペインのアメリカ植民は︑

る︒新分野の一っは︑アメリカ植民池の金銀鉱山に対して︑後には砂糖や煙草や棉花の栽培場に対して大量の労働力を供

賽本主義の生成と批界市場 重要な誘因となっているように︑スペイン人のアメリカ渡航の動機は︑ およそ新植民地に対するョーロッパ人の最初の植民に際して︑ つてからのことであって︑

第十九巻 メキシコとペルーに豊富な銀山が

このスペイン領アメリカ植

﹁最

シルバー・ラッシュまたはゴールド・ラッシュが極めて

(11)

色奴隷﹂の漸次的な滅亡を招いた︒ 査本主義の生成と世界市場

アフリカ間の商品取引と通商路を拡大するこ

ヨーロッパに莫大な資本の蓄積

︵ウェィクフィールド﹁イギリズとアメリカ﹂第十稿・アメリカ 約一世紀半の間︑ 給したところの奴隷貿易である︒アメリカ植民者逹が最初につまずく障碍は︑労働力の鉄乏であった︒彼等はまず︑

イン政府を説きふせて︑土着民たるインディアンの払い下げを受けて使役したが︑過度の酷仮はやがて︑この﹁歳弱な赤

そこで慈悲深いキリスト教徒の奴隷廃止主義者によって︑アフリカから頑丈な黒人奴

隷を輪入することが提唱され︑ここに大規模な黒人狩と奴隷貿易が泄界商業の重要な一環として登場した︒

奴隷貿易ほ︑黒人のストックが充分に蓄積されて︑新規の供給をアプリヵに仰ぐ必要がなくなるまで︑

毎年数千人の黒人奴隷をアメリカ植民地に送りこんだのである︒

奴隷制度の起源︑発逹および将来︑中野正訳本︑⇔ノ︱一四ー︱二三頁︑資本論︑第一巻︑第二十四章︑長谷部訳︑四の三九五ー六頁︶

アメ

l J カ植民地の偉大なる発展の一切の基礎は︑他ならぬこの奴隷貿易によってきずかれたのである筑︑その点を別にしJ

てもなお奴隷貿易は世界商業の拡張と資本主義の準備に貢けんした︒すなわち︑第一に︑

を導入することによって︑第二に︑この貿易自体がョーロッパ︑アメリカ︑

とによって︒

註一﹁櫃民地にその価値を与えたものは奴隷制度であり︑世界貿易を創造したものは植民地であり︑大産業の条件たるものは枇界

貿屁

であ

る︒

﹂︵

背学

の貧

困︑

嵩向

木訳

︑一

四七

頁︶

畦一その一事例ーー﹁ラム酒は︑アメリカ人がアブリカの悔岸に対して行なうところの貿易におけるすこぷる重要な商品であっ

て︑

彼等

はそ

の代

りに

黒人

の奴

隷を

もち

帰る

ので

ある

︒﹂

︵國

富論

︑第

四編

︑第

七章

︑第

二節

︑大

内訳

︑一

︱一

の二

八二

頁︶

第十九筆修一

i

t o , 

そして︑この

スペ

(12)

きわめて古い文明の歴史を誇るインドや中国は︑

第 十 九 巻 第 二 号

それはヨーロッパの商品に対する大きな 躙密な人口に蔽われて富み且つ進歩していたが︑︑反

面︑

その伝統的 ヨーロッパが今までのところ東インドとの商業に その他 であって︑それは旧大陸にとつてたしかに有利であったが︑ 新しい分業と技術の進歩を この他に︑アメリカ植民地はもう︱つの新しい商業分野を開拓した︒すなわち︑

て広大な市場を提供した︒

﹁アメリカの発見がョーロッバを富ましたのは︑金銀の輪入によってではない︒

. . . . . .  

;・アメリカの発見はたしかに最も根

本的な変革を齋らした︒それは︑ヨーロッパのあらゆる商品に無じんぞうの新市場を開いて︑

齋らしたが︑もし商業の範囲が昔のように狭まかったなら︑彼等の生産物の大部分をさばくべき市場が訣乏するから︑こ

ういうことは決して起りえないのであった︒

. . . . . .  

要するに︑従来思いもよらなかったような新種の交易がここに始ったの

当然に新大陸にとつても同じく有利であった︒﹁アメリカに

ほ何らかの点で野蛮人以上といえる民族は一1つにすぎず︑それらも発見後まもなく亡ぽされてしまった︒そして︑

のものほ純然たる野蛮人であった︒しかるに︑支那︑インド︑日本の諸帝国はもとより︑

価値の量は︑野蛮人との交換量よりもより大きい筈である︒しかるに︑

よってあげえた利益は︑アメリカとの商業に較べてはるかに少い︒﹂

賽本主義の生成と覚界市場 東インドにおける他の諸国も︑

金銀の豊富な鉱山こそもたなかったが︑その他の点ではメキシn

また

はペ

ルー

に比

較し

て・

・・

・・

・は

るか

に富

み︑

より

よく

け︑また一切の技術及び製造法においてより多く進歩していたのである︒そして︑富み且つ文明な国民が相互に交換する

︵国

富論

︑鐵

西縞

︑第

一章

︑大

内訳

︑国

の三

九ー

四一

頁︶

た︑自給自足的な経済体制はヨーロッパの商業に対して固く門をとざしていた︒ それはヨーロッパの工業生産物に対し

(13)

業とは反対に︑ 査本主義の生成と琶界市場

潜在的市場には違いなかったが︑現実に市場としての価値を発揮出来るためには︑

物業を絶滅﹂することが必要であった︒この分解工作は︑本質的には︑イギリスの機械制大紡績業の発逹をまって十九批

︵マ

ルク

ス﹁

東印

度会

社︑

その

歴史

と活

動の

成果

﹂選

集八

上の

一九

八ー

一九

九頁

︑同

﹁イ

ンド

の状

態﹂

選集

八上

の一

三︱

︱‑

﹇一

三七

頁︶

﹁先資本制的︑国民的生蔽様式の内的堅固および編成が商業の分解作用を妨げる諸障碍は︑

易において適切に示されている︒生産様式の広汎な基礎が︑ここインドおよび支那では︑

土地の共有に立脚する村落共同体の形態が加わるのであるが︑

これはまた支那でも本源的形態であった︒⁝

. .

.  

彼等の商業がここで生産様式に革命的な影響を及ぽすのは︑

このエ

l l

農的生産の統一の太古的

11

不可鋏的部分をなす紡績業と織物業とを絶滅

し︑かくして共同体を破砕するかぎりでにすぎない︒ここインドでさえも︑

しな

い︒

. .

.  

・・農業と加工業との直接的結合から生じる大きな経済と時間的節約とが︑

格には大工業のいたるところに介入する流通過産の空費が入りこむ—ーに頑強な抵抗をする。これに反し、

ロシアの商業は︑アジア的生産の経済的基礎には手をふれないのである︒﹂ 等が︑彼等の商品の低価格によって︑ つて形成されているのであって︑その上なおインドでは︑ なアジアの特産物乃至奢修品と貴金属との交易よりもむしろ︑

︵資

本論

︑同

上︑

九の

三七

四頁

イギリスの商 Jこでは大工業の生産物ーI—その価 彼等のこの分解工作は極めて徐々にしか進捗

それはただ彼

小農莱と家庭工業との統

によ

イギリスの対印および対支貿 組織的な掠奪行為にほとんど局限されたままであった︒ 紀になってはじめて達成されえた︒それまでの長い間は︑アジアにおけるョーロッパ人の主たる活動範囲は︑前述のよう ところの小農業と家内工業との結合を破砕することが︑インドではこの結合の﹁太古的

l l

不可鋏的部分をなす紡績業と織 第十九巻

その封鎖的な体制の基礎をなしている

(14)

当然毛織物が輸出の中心であった︒ してアメリカ植民地の鉱山や農場は︑生れながらにして︑ て供給することが出来なかった︒それらのものは一 切 ︑

ただ二つに過ぎなかった﹂ために︑ョーロり︒ハ人の渡航者は︑みずからの資本をたずさえて行って︑新しい事業を︑はじ

めには金銀鉱の発掘を︑のちには砂糖︑煙草︑棉花等の栽培事業を起すより方法がなかった3

ロッパ人の渡航者や︑鉱山と農場で使役される奴隷労働者に対して︑

た︒ョーロッパの工業生産物はここにはじめて一般的な国外市場を︑

られたのである︒その大宗をなすものは織物類であって︑当時はまだ綿織物の製造が発逹していなかったから︵国富

論︑

四編

︑第

七誼

︑第

一節

︑大

内訳

︑三

の二

四七

真︶

商業の嫡出子ともいうべき地位をしめるものである︒

マ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア と 世 界 市 場

資本が生産を支配する最初の歴史的形態は︑本来の意味のマニュファクチュアー工場制手手工業である3

が︑生産的資本の最初の形態であると同時に︑

紀中葉から十八世紀の最後の三分の一期︑初期資本主義の時代︶は︑

査本主義の生成と世界市場 のちの綿織物︑鉄製品︑槻械類も︑この系列に属する︒

その支配的な形態をなしていた本来的マ―—ュファクチュアの時代(+六世 これに反して︑アメリカの新大陸では︑

アメリカの発見と東インドの征服によって世界商業 しかも極めて急速に発展する広大な国外市場を与え 彼等の必要とする生産手段や生活資料を何一っとし

遠く栂国のョーロッパから連んでこなければならなかった︒かく

ヨー

ソ︒ハ商品に対する完全に開放された市場を形づくつてい Jの種の障碍は絶無に等しかった︐

したがつて︑

而して︑これ

毛織物こそは近代的世界 原住民たる野蛮人は︑

ヨー

﹁何らかの点で野蛮人以上といえる民族は

(15)

﹁ヨリ精巧にしてョリ完全な製品に対する趣味は︑ の

穀物

と︑

している︒その一っは︑﹁外国貿易の子孫﹂と彼が名付けるところのものである︒ アダム・スミスは国富論第三編第一二章で︑

安本主義の生成と世界市場

が急速に成長した時代であり︑貴金属の流入︑掠奪︑植民制度︑奴隷貿易︑

関係を考察しよう︒

マニュフアクチュアの二つの起源

論︑

同上

1一の一三四頁︶イングランドの羊毛と︑ 本源的蓄積の過程が無慈悲にくりひろげられた時代であった︒

これ

が︑

ローマ帝国没落後において︑西

だから当時のョーロ これを少からず大資産家の虚 製造業の二つの類型を区別 保護制度等々の牧歌的方法によって︑資本の

次ぎにこの時代における批界市場とマニュファクチュアの

﹁遠方の販売に適する製造業﹂の起源を論じて︑

﹁商業都市の住民はヨリ富裕なる諸地方の精巧なる製造品および高価な奢修品を輪入して︑

栄心の涸足に供したので︑かれ等は彼等自身の所有峨の大量の粗生産物を以て競つてそれを買った︒

ッパの商業は大部分︑主として彼等自身の粗生産物を彼等よりも開化した国民の製造品と交換することにあった︒﹂

フランスのプドォ酒・フランダースの精巧な織物との交換︒

フランスのプドォ酒・フランス・イタリアの絹織物・ビロオド︒ ポーランド

かくして外国貿易によりこれまでそういうものの製作が行われていな

かった諸地方え移入されたQそしてこの趣味が一般化して相当大きい需要が起つてくると︑商人は︑その運送費を節約す

るために当然にもそれと同稲の製浩業を彼等自身の国内に設けようと努力した︒

1一号

一 四

(16)

業に対立させている︒

L

ヨーロッバの諸地方に遠方販売向の最初の製造業が設立された由来である︒﹂

︵ 国

︑同

上︑

二の

二四

﹁遠方の販売に適する製造業が︑諸国に輸入されたのは︑次の二つの方法によったものと思われる︒

時として︑こういう製造業は上述した方法で︑同種の外国の製造業を真似て設立した特定の商人又は企業者の資本のいわ

ば暴力的行動によって移入されたものといつてよい︒このような製造業は︑外国貿易の子孫であって・・・・・・かくの如くにして

移植された製造業は︑外国綾品の模造であるから︑普通外国の材料を使っていた︒﹂

フランダースに栄え︑

︵ 国

富論

︑同

上︑

二の

二二

五ー

ニニ

九頁

その例として次のようなものをあげている︒ルークカ︵フローレンスの近く︶に栄えた絹布︑ビロオド︑

エリザベス時代の初めにイングランドに輸入された高級織物の製造︒リヨン︑

の絹布製造業︒主としてスペインおよびイングランドの羊毛を用いるフランダースの製造業︒

るイングランドの製造業︒外国産の絹を材料とするリヨンの製造業︒ スペインの羊毛を材料とす

遠方販売向製造業のもう︱つの類型は︑国内の︑主に農村の家内工業を出発点とするものである︒ 金欄︑その昔

ス︒

ヒト

ルフ

ィー

ルズ

遠方販売向

の製造業は︑時としては︑最も貧窮蒙昧の国においても必ず常に行われているところの家庭的粗雑手工業が漸次に改良さ

れて︑自然にいいわば自力によって︑成長して出来ることもある︒そういう製造業は国内で生産された材料に加工する・・・

︵同上︑一三七ー八頁︶スミスは︑この種の製造業を﹁農業の子孫﹂と名付けて︑

スミスがここで遠方販売向の製造業

( M a n u f a c t u r e s )

といつているのは︑

査本主義の生成と世界市場

前の﹁外国貿易の子孫﹂である製造

家内工業

(H om e m a n u f a c t u r e s )

などと

﹁ま

た︑

(17)

孫﹂たる製造業であって︑

さて

スミスによれば︑ ンの諸都市がそうである︒

﹁ヨーロヅ︒ハの近世史においては﹂︑﹁幾業の子孫﹂たる製造業の発達と改良は︑一般にその マニュファクチュアのこの二つの類型のうち︑

まず最初に発逹をとげるのは

﹁外国貿易の子 ンフト等が存在していなかった農村につくられる︒﹂

︵﹁

資本

七義

的生

産に

先行

する

諸形

態﹂

︑選

集九

上︑

二七

七頁

マ︱︱ュファクチュアは外国市場のための既成の基地を見出す︒したがつて︑そこでは︑

あて

にし

てい

るが

︑こ

れら

の中

心地

以外

では

︑・

・・

・・

・マ

ニ ュフ

ァクチュアは︑はじめは都市にではなく村落に︑すなわちッ

︑︑

生産はいわば自然に交換価値をめ 紡績と織物︑すなわちッンフト的熟練や技芸的習熟を必要とすることが最も少い種類の労働である︒大商業中心地では︑ マニュファクチ1アがはじめにとらえるものは︑ ︑︑︑︑︑いわゆる都市手工業ではなく︑

︑︑

︑︑

農村の副業︑

れを

査本主義の生成と羊界市場

ほとんど同じ意味のことを述べている︒ ﹁改良進歩﹂をとげた製造業︑

バルセロナなどのような若干のスペイ ﹁資本がはじめて散発的に︑ つまり︑彼の時代における資本主義的生産の最も一般的な形態で

あったいわゆるマニュファクチュア︵工業制手工業︶を︑主に指していることは明かである︒

マ一一ュファクチュアの二つの起源に関するスミスの定式化として受取ってよいわけである︒

する︒イタリアの諸都市︑ は区別された意味での︑

コンスタンチノープル︑フランスやオランダの諸都市︑ エンポリウム

︹商業中心地︺に発生 主義的生産に先行する諸形態﹂の中で︑︑

︑ ヽ

・処々に︑古い生産様式とならんであらわれ︑至る処で少しずつ古い生産様式をほりくずしてゆく︑

︑︑︑︑︑︑︑一面からすれば本来の意味のマニュファグチュアである︒マニュファクチュアは︑外国市場のための輸出を目当てとする

︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑?大量生産が行われる処に︑したがつてまた大規模な海上および陸上貿易の根拠地に︑ 最初の歴史的形態は︑ あるいは マルクスも遺稲﹁資本 したがつて︑われ/\はこ

(18)

る ︒ ﹁後塵を拝した﹂︒

つま り︑

マ ニ

ニフアクチ1アは︑したがつて資本主義的生産は︑

出発した︒その最もよい例は︑東方貿易によってヨーロソ︒ハに移入されてから︑イタリアやフランスやイギリスの商業都

市乃至その近傍で繁栄した絹の製造業であろう︒しかし︑この種の製造業におけるマニュファクチュアの形成は︑おおむ

ね資本主義的生産の単に早熟的な開花を誇示しえたにすぎなかった︒封建的生産様式から資本主義的生産様式えの移行に

際して︑その移行の主導者となって真の革命的役割を担当したものは︑

なく

て︑

スミスのいう﹁農業の子孫﹂たるマニュファクチュアである︒その最も根本的な原因は︑前者は︑

貿易を中心として営まれていた初期の外国貿易の子孫︑つまり︑商人資本の子孫に他ならなかった︑

し︑また︑中世的都市工業の同職組合的手工業に対立する︒これは現実的に革命的な途である︐

産を直接的に支配する:;••この途は、それ自体としては、旧生産様式の変革をもたらすことは殆んどなく、

産様式を保存し、自己の前提として維持するのである。:;••それは、生産様式を変革しないで、ただ、

の状態を悪化させるだけであり︑彼等をば︑直接に資本の支配下に包摂されたそれよりも劣悪な諸条件の下にある単なる

賃労

働者

およ

びプ

ロレ

タリ

アに

転化

させ

るだ

けで

あり

・・

・・

・・

︑︑

︑︑

﹁かくして三涌りの移行が生じる︒第一には︑商人が直接に工業家となるのであって︑商業を甚礎とする諸工業特に奢

査本主義の生成と世界市楊

﹁封建的生産様式からの移行は二菫の仕方で行われる︒

穿

直接的生産者たち むしろ︑旧生 さもなければ︑商人が生

生産者が商人および資本家となって︑農業的自然経済に対立

という点に見出され いわゆる仲介 ﹁外国貿易の子孫﹂たるマニニファクチュアでは 外国貿易の直接の所産として︑まず

(19)

例にみられるような諸種の奢修品の製造が︑

資本主義の生成と世界市場

移品工業

i

これは商人によって︑原料および労働者もろとも外国から輸入される:・:・ーー'の場合にはそうである︒

︑ ︑には︑商人が小親方を自分の仲介者たらしめるか︑あるいはまた直接に自立的生産者から買うのであって︑

︑ ︑

を名目的には自立させておき︑その生産様式を変化させないでおく︒第三には︑工業家が商人となって︑

的として大規模に生産する︒﹂

維持するのである︒﹂

れ無関係に進行する︒ たがつて︑それは︑

︵資

本論

︑同

上︑

九の

一︱

︱七

八頁

れた生産様式を利用するのであって︑これを創造するのではなく︑

自己の前提として 外部からこれに関係ずる﹂にすぎないからである︒し ﹁外国貿易の子孫﹂たるマニュファクチ1アの発展は︑それを導入して︑﹁生産を直接的に支配する﹂

本そのものの本来的な性格によって︑第一に制限を受けている︒けだし︑商業および商人資本なるものは︑

﹁ 旧

生産様式の変半をもたらすことは殆んどなく︑むしろ︑旧生産様式を保存し︑

第二に︑この種のマ︱︱Hファクチュアの独自的な発展は︑その社会内部の基本的な諸生産部面の発展とは︑

いなむしろ︑それは一般に︑後者の発展とは逆比例するものである︒だからこそ︑商業によって外

部から導入せられ︑商'八資本が﹁生産を直接的に支配する﹂形をとるのである︒また︑それだからこそ︑

この種のマニュ

ファクチュアの主要な活動領域とならざるをえないのであ

る︒商人資本によって創設されたところの﹁外国貿易の子孫﹂たるマニュファクチュアの早熟的な発展が︑

式の本格的な出発点となりえないことの︑もう︱つの重要な理由は︑ここに見出される︒

第十九巻

. 

J¥ 

新しい生産様 前述の絹工業の 多かれ少か ところの商人資 直接に商莱を目

﹁ある与えら 商人は生産者

第ヽ

—‘

(20)

にぶつつかることになるが︑ る

のは

とりもなおさず︑

国内の強固な壁 かかる歴史 古い農村社会のこうし 小生産者層︵農民︑手エ 資本主義的生産様式のための歴史的前提条件であって︑

︑︑

︑︑

︑︑

﹁種々の経済的社会構造の中で成熟するところの︑且つ資本主義的生産様式の時代以前に資本そのものとして意義をもっ︑︑︑̀︑︑︑︑︑ところの︑二つの異った資本の形態﹂︑すなわち商人資本と揺利貸資本が︑これらの前提条件を準備する︒

﹁それ自体としては﹂︑古い生産様式から新しい生蘇様式えの移行を説明するには不充分で

ある︒それが︑新生産方法形成の有力な一手段となりうるためには︑資本主義のための他の︑

封建的経済楠造の内部的崩壊の進行であって︑なかでも決定的な雷みをもつてい

この社会の全基礎をなしているところの農村における古い生産関係の解体である︒すなわす︑農民に対する種々

の身分的束縛や封建的搾取が撥絶されると共に︑農業からの工業の分離が行われること︑また︑

業者︶の両極分解によって︑小生産者の賃労働者えの転化が大箪的に進行することが必要である︒

た内部的な解体の過程が進んでいないところでは︑資本はその必要とする広さと翠固さをもった国内市揚を与えられない

し︑また︑自由な賃労働に対する資本の渇望をみたすことも出来ない.しかるに︑商人資本の子孫たるマニュファクチュ

アが農村的マニュフアクチュアの発逹に先立つて︑独自的な繁栄をとげるということは︑

的︑社会的前提条件がまだ充分に成熟していないことの結果に他ならない︒したがつて︑やがてそれは︑

査本主義の生成と世界市場

最も本質的な条件は︑

一言

でい

えば

んと成熟していなければならない9 資本や高利貧資本の発展は︑

この抵抗線を破砕する困難な事業は︑商人資本乃至この種のマニュファクチュアの任ではな 貨幣財産の集積および商品生産のある程度の発展は︑

より本質的な諸条件がちゃ しかし︑商人 中拡の

(21)

な原動力として作用するからである︒ここにはじめて︑ ものに関しては︑

かく

して

スミスのいう﹁外同貿易の子孫﹂たるマ︱︱ュファクチュアは︑概して︑資本主義的生産の早熟的な先駆者で

マ ︱

1

ファクチュアからさらに機械制大工業えと発展して︑資本王義の巨人的な成長を主導するところ

のものは︑その﹁後塵を拝する﹂農村的マニ

ニ フ

ァク

1アであるQ古い農村社会の母胎の解体と共に生れて︑

の上に成長しきたった﹁農業の子孫﹂たるマー一ュファクチュアである︒

このようにして︑マ︱︱ニファクチュアの両類型が資本主義の生活史において演じる役割は本質的に異るが︑

マニュファグチュアの関係を考察するにあたつても︑この差別は極めて重要な意味をもつている︒

ど﹁外国貿易の子孫﹂には違いないが︑それは資本主義的生産の本格的な創立者ではありえない︒

マ ︱ ︱

ュファクチ

ュ ア

に対する世界商業の作用は直接的且つ決定的ではあるが︑

展を促進するという点にかけては︑この場合の批界商業の作用は間接的であり︑且つ局限されている︒

二の類型のものに関しては︑世界商莱がこれに結びつくや否や︑この種のマニ1ファクチュアの発展は殆んど際限をしら

ないものとなる︒世界市場はマニュファグチ1アの製品に無限の市場を提供して︑その発逹を促進するし︑

したマニュファクチュアはまた︑古い生産関係を内部から掘りくずして︑資本主義的生産のための新しい地盤を培う強力

る︒少くとも︑その端緒が完成される︒したがつて︑近代的生産様式の発展の促進において︑ あるにすぎない︒ ︑ ︒

査本・王姦の生成と世界市楊

世異市場の拡大がはかりし かくして成長 資本主義的生産様式の発 ︱

これに反して︑第

封建的生産様式から資本主義的生産様式えの革命的移行が行われ したがつて︑この種の 第一の類型は︑なるほ 世界市場と その廃墟

(22)

れない重要な契機をなす︑というのは︑主にこの類型のマニHファクチ1アに対する世界市場の影響を指しているものと

理解すべきであろう︒

ところで︑こうしたことが行われうるのは︑封建的経済構造の内部的な崩壊が特に農村部面において進行していて︑近

代的生産様式のための物質的諸前提が内部的に成熟している場合である︒

は︑かかる内部的崩壊の結果であって︑その測定器である︒

て︑資本主義的生産様式のための諸条件をたえずつくり出し︑

張﹂は︑このマ=ュファ

クチ

1アと結びつ巻︑これに対して無限の市場を提供するときにのみ︑

上に︑はかりしれない重要な真けんを果すことになるのである︒したがつて︑

の︑資本主義的生産様式えの移行のための︑最も板本的な条件となるものは︑その社会における内部的必然性の成熟であ

る︒なるほど︑十六世紀以降のマニェフr

クチ

1アのの成長に際して︑世界市場の革命が演じた歴史的役割は︑

関してもしきれないほど偉大なものであったには相違ないが︑それは︑

備されていたところでのみ︑かかる内的必然性と合体したときにのみ︑その偉大さを発揮したにすぎなかったのである︒

﹁十六および十七世紀には︑地理的諸発見にともない商業上に起つて商人資本の発展を急速に高めたところの大きな諸

革命が︑封建的生産様式の資本制生産様式えの移行の促進において一の重要契機をなすということには︑

い ︒

. . . . . .  

世界市場の突然の拡張︑流通する商品の倍加︑アジアの諸生産物やアメリカの財宝を支配しようとするョーロソ

賽本主義の生成と世界市場

と同

時に

何らの疑いもな マニ

ュフ ァ クチュアの内的必然性があらかじめ準

いくら強

﹁農

莱の子孫﹂たるマニ

ュ フ

ァク

ュアの発逹

おしひろげて行

く︒﹁世界市場の突然の拡

資本主義的生産の発展の

マ ︱ ︱

︱フ

クチュアの本格的な発展のため それはまた︑

だからこそ︑ 逆に古い生産関係の崩壊を促進し

(23)

般消牝資料の生産部門︑ 一般的にいつて︑ ﹁農業の子孫﹂たるマニュファクチュアの典型は︑

資本主義の生成と世界市楊

パの諸国民間の競争︑植民制度ーーこれらのものは︑生産の封建的諸制限を粉砕するために本質的に貢けんした︒

近代的生産様式は︑その第一期すなわちマニュフアクチュア時代においては︑ただ︑そのための条件が中世の内部で生じ

ていたところでのみ発展したのである︒たとえばオランダをポルトガルと比較してみよ︑また︑十六世紀において︑

び部分的にはなお十七世紀においても︑商業の突然の拡張および新たな一世界市場の創造が旧生産様式の滅亡と資本制生

産様式の興降とに優勢な影響を及ぼしたとしても︑こうしたことは逆に︑ちゃんと出来上った資本制生産様式の基礎の上

で生じたのである︒世界市場は︑それ自身︑資本制生産様式の基礎を形成する︒他面︑たえずより大きな規校で生産しよ

うとする資本制生産様式の内的必然性は︑祉界市場のたえざる拡張に駆りたてるのであり︑

が産業をでなく︑産業がたえず商業を変革する︒

. . . . .

.   たとえばイギリスをオランダと比較してみよ︒

てのオランダの滅亡の歴史は︑商業資本の産業資本えの従属の歴史である︒﹂

毛織物マニュファクチュアの二つの類型 かくしてこの場合には︑

支配的商業国民とし

︵資

本論

︑同

上︑

九の

三七

三頁

資木主義的生産の主等点をなすものは︑早くから商品生産が普及している奢修品工業ではなくて︑

および生産手段の製造部門である︒ところが︑生産手段の製造が資本主義的な成長をとげたはの ヨーロッパでは毛織物工業のそれであった︒ ースペイソ︑オランダ︑イギリスの興亡ーー

商業 お

︑ こ . ︑

︑fヵ

(24)

機械制大工業の発逹後のことであって︑それまでは一般泊費資料の生産部門が資本王義的生産の枢軸をなしている︒そし

一般消費資料部門のうちでは︑農業ではなくて加工業が︑加工業のうちでは衣料のそれが︑

﹁実際のところ︑小農民を賃労働者に転化させ︑そして小農民の生活手段や労働手段を資本の物象的要素に転化させる諸

事件は︑同時に︑資本のためにその国内市場を創造する︒以前には農民家族は︑

ろの生活手段および原料を生産し且つ加工した︒これらの原料および生活手段はいまや商品になっている︒

. .

.  

;•各農民家

族がその手持ちのものを原料として自家用に紡いだり織つたりした物品は︑

であって︑その販路は他ならぬ農村地方である︒

. . . . . .  

以前の自常農民たちの収奪および生産手段からの彼等の隔離と相並

︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑

んで︑農村的副業の破壊が︑マニュファクチュアと農業との分離過租が進行する︒

のみが︑資本制生涯様式の必要とする広さと翠固さとを一国の国内市場に与えうるのである︒﹂︵資本論︑同上︑四の三七頁︶

ヨーロッパでは︑最初には︑毛織物工業がまさにかかる光栄ある地位をしめていた︒産業革命の時代において木棉工業が

しめていたのと丁度同じ主導的地位を、毛織物工業がマー—ュファクチュア時代にしめていたのである。

第二編︑第一章︑一七ニー一七四頁参照︶毛織物こそは︑最初の︑代表的な︑

後世︑亜麻・木棉・絹・鉄工業が大隆盛をきたす以前においては︑ て ︑

査本主義の生成と泄界市場

業分野における資本の征服は︑ 主導点となる︒衣料生産こそは︑

ヨーロッパのあらゆる国民とくに北欧諸国との貿易な 資本主義的批界商品であった︒ 封建的生産関係の基盤をくつがえすと共に︑

﹁ラシャ工業は 近代的生産様式の最初の

農業と工業との自然経済的な一体的結合のキイ・ポイントをなすものであって︑この産

のちに彼等が大部分を自ら泊耗するとこ

いまやマニュファクチュア製品に転化するの

そし

て︑

かかる農村的家内工業の破壊

︵大塚久雄︑前掲 資本のための広大な国内市場を創造する︒

(25)

フランス︑ベルギー︑ドイツから輸入され︑ のはイタリアのフローレンスであった︒ らびに地中海東岸地方や東印度および西印度との貿易用の交換品の大部分を提供していたということである︒程度に行われていたかは︑

ヤコプ一世当時すでに羊毛製品の輸出額がイギリス輸出総額の十分の九に上つていたというこ

しかしながら︑毛織物マ︱1

ファクチュアは︑必ずしも常に﹁農業の子孫﹂として発逹したのではなかった︒あるもの は︑半ば外国貿易ないし商人の子孫としての性格をおびていることがあった︒イギリスの毛織物工業と比較した場合のイ

タリ

ア︵フローレンス︶やオランダ︵北ネーザーランド︶の毛織物工業がそれであった︒

て︑これを例えば前述の絹工業などと比較すれば︑明かにそれは﹁農業の子孫﹂に所属するものであるが︑

替の歴史こそは︑資本主義の生

活史においてマニュファクチュアの二つの類型が演じる役割の本質的な相違をあざやかに

立証するものであった︒

マニ

;ファクチュアの二つの相異る類型が鑑別されるのであって︑ その毛織物工

ョーロッパの主要な羊毛︵原料︶生産地はスペインとイギリスであったが︑最初にその加工業が商業的な繁栄をみせた

前掲害︑七0

頁 ︶

業自体のなかではまた︑ とから明かである︒﹂

﹁十

二︑三世紀にはすでにこの地の絹および羊毛工業がきわめて盛んであって:

. .

  羊毛工業だけで二百のエ堀を数え;•;•それに要する原料はスペインから翰入された。この外に:·;・粗製布がスペイン、

それらはここで精製されて地中海岸のアジア地方え輸出された︒﹂ ︵リス

ト﹁

国民

経済

学体

系﹂

谷ロ

・正

木訳

︑一

〇七

頁︶

査本主義の生成と世界市場

︵リ

スト

Jの両者がたどった消長︑交

毛織物工業全体を一部門とみ

ニ四

これがどの

(26)

に︑この地方の粗布がフローレンスに輸出されて︑

" r

F

フローレンスの毛織物工業がスペインからの輸入原毛の加工業で

次に毛織物および生産の中心地になったのはスペインであって︑十六批紀中葉頃にその毛織物工業は繁栄の頂点に達し

た︒この国は古くから見事な羊群を所有していたが︑十六世紀初めに同国が冊界商業の中心地となって︑

﹁乞食や浮浪人を強制的に工場で労働せしめ﹂︑また﹁到るところ多数の外国労働者の流入﹂をむかえながら︑・スペイン

の全人口の三分の一を養うほどの国民的工業にまで成り上っ

た︒と同時に︑南ネーザーランドおよびイギリスの毛織物が

この国に輸入されて︑南スペインの商業都市セヴ︵リヤの商人の手で新大陸に販売された︒

一章︑第三節︑四一ー四五頁︶

このスペインの毛織物工業を圧倒し去ったのは︑ネーザーランドであった︒

ンスとならんで︑毛織物生産の著名な先進地であって︑

あったと同じように︑この地方の毛織物は原料をイギリス産の羊毛にあおいでいた︒だが︑それはフローレンスの工業と

違っ

て︑

いちぢるしく農村工業的な性格をもつていて︑この点では︑のちに毛織物工業の世昇的な覇者となったイギリス

のそれに類似していた︒そして︑イギリスが北ネーザーランドの精製工業に粗布を供給するようになったと丁度同じよう

同地で精製の上︑地中海沿岸の諸地域に再輪出された︒

の衰退後は︑南ネーザーランドの製品はスペインに輸出されることになり︑新大陸の大販路をえてこの地方の毛織物工業

の繁栄が加わったが︑それと共にイギリス産の粗布の仕上・加工が次弟に発展した︒

資本主義の生成と世界市場

洪水がおしよせるまでは︑

フローレンス

スペイン軍による南ネーザーランド

主に原料供給国としてとどまつていた︐

南ネーザーランド︵ベルギー︶はフローレ ︵大塚久雄︑前掲書︑第一編︑第 新大陸貿易の発展と共に︑その幼弱な加工部門は︑ 新大陸の需要の

(27)

の仲介商業によってしめられていたのであった︒

安本主義の生成と恨界市場

スペインの毛織物工業は新大陸市場の開拓 の蹂りん︑およびオランダ共和国︵北ネーザーランド︶のスペインからの独立という十六世紀の大事件は︑

この出来事以来︑ネーザーランドの毛織物工業の中心は南部から北部に移動した

が︑同時にそれはいちぢるしく都市工業の性格を帯びるようになった︐イギリス産粗布の仕上・加工がます/\優勢にな

つて︑あたかも曾つてのフローレンスと同じ地位をオランダの毛織物工業がしめるにいたった︐

の対照では︑まさしくそれは商業の子孫と呼ぶにふさわしいものであった︒

最後の勝利者となったイギリスの毛織物工業は︑どの国の生産と較べてみても︑

びていた︒最も商業的であったフローレンスの毛織物工業は論外として︑まずスペインとイギリスを比較してみるに︑両

国は共に原毛の生産国である点において︑確かに共通性をもつていた︐だが︑

という外的要因に支えられて︑

勢であって︑

すな このすう勢に

イギリスの毛織物工業と

﹁農業の子孫﹂としての性格を強く帯

にわかに拡張されたものにすぎなかった︒それだけに︑生産に対する商人資本の支配が優

この国の毛織物工業の最盛時においても.その経済活動の重要な部分が南ネーザーランドやイギリスの製品

これに対して︑イギリスの毛織物生産はきわめて着実な足取りを示している︒その第一歩は︑先進地たる南ネーザーラ

ンドに対する原料の供給者であり︑第二の歩みは︑大陸の仕上・加工業に対する半製品︵粗布︶の供給者であった︒

わち︑同国の羊毛業は︑原料部門︵農業︶の発展を準備した後に︑第一次の加工部門の展開えと進んだものであって︑エ

業は農業によって︑商業は産業によって衷打ちされながら︑確実に前進していったのであった︒農民の副業として出発し 決定的な拍車をかける結果となった︒

二六

(28)

と移つていったのに対して︑ より深い勝因が前以つてすでにつくられていたのである︒イギリス産の粗布がネーザーランドに輸出されて︑上・加工の上︑世界市場に再輸出される仕組みは︑オランダの商業的降盛に比例して︑ます/\拡大の傾向をたどることになったが︑この事実こそはとりもなおさず︑イギリスの産業的優越に押されたオランダが︑次第に専ら商人としての活動領域にとぢこめられて行くことであった︒

ネーザーランドの毛織物工業は︑もと/\農村工業として出発したもので︑その点ではイギリスのそれと軌を同じくし

ていた︒しかも︑この地方は毛織物生産の先進地であった︒

ある︒その原因としては︑スペイン軍の南ネーザーランドの蹂りんとオランダの独立という政治上の大事件や︑

の保詭政策などを数えることも出来ようが︑その他に︑両国の毛織物生産の構造上の相違を見落すことが出来ない︒すな

わち︑イギリスでは︑相対的にいつて︑生産の発展がまず農業部面に起り︑次いで半製品部門︑最後に仕上・加工部門え

ネーザーランドの毛織物業は最初から世界商業と直接に結びついていたために︑

資本主義の生成と世界市楊

いにあずかつて力があったことはもちろんであるが﹂

二七 イギリス た織布業は次第に大規模な農村的マニュフr

クチ

ュアに成長して行き︑ここに︑次の飛躍にそなえるべき産業的基礎の準

備が完了した︒十五世紀の最後の三分の一期からはじまる例の大規模な暴力的土地収奪連動

( E n c l o s u r e M ev em en t)

そは︑かかる行程の焦点に立つものであった︒﹁イギリス羊毛業の第三歩は︑仕上・加工業においてもオラングを圧倒し

て︑冊界市場の完全な勝利者となったことである︐それには︑羊毛の輸出禁止や精製品の輸入禁止などの保護政策が︑大

にも拘らず︑遂にイギリスの競争によって敗北を喫したので

︵リ

スト

︑前

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充分な産業 同地で仕

参照

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