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待遇表現としての「誘い」

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Academic year: 2022

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(1)

0. はじめに

本稿は、「共同で何かを行うことを呼びかける」表現類(例えば「一緒に行きませんか」

や「みんなでやりましょう」など)を「誘い」(1)表現と呼び、それを「待遇表現」の観 点から考察したものである。

「誘い」は、まずその具体的な表現が、「その呼びかけを行う表現者(以下「自分」と 呼称)」と「呼びかけてともに行動する人(以下「相手」と呼称)」との「人間関係」に配 慮して選択される複数の語句からなる「文話」(文章・談話)の全体であるという点で、

そしてまた、「自分」の表現内容が「相手」に理解されたうえで、「相手」がその行動を起 こすことで表現としての目的が達成される「行動展開表現」(2)であるという点で、「待遇 表現」の性格を有するものである。すなわち、「誘い」を論じるということは、常にそれ が〈だれが・だれに対して・何を・どういう「文話」構成で〉行われる表現であるのかを 総合的に考えなければならないということである。このように考えることによって、「誘 い」内部で「自分」と「相手」との「人間関係」の把握によって生じる表現の差異、ある いは外見上類似する他の「行動展開表現」との異同などを合理的に説明することができる のである。

本稿では、以上のような観点から、それ自体複雑な「誘い」の表現構造を解明し、それ が待遇表現、特に「行動展開」型の待遇表現の中でどのような位置を占めるかについて考 察したい。

1.「誘い」表現の規定

待遇表現としての「誘い」は、①「相手」と一緒に行うことで「自分」にもまた「相手」

にも利益がある行為を、②「自分」と「相手」が一緒に行うよう持ちかけ、③それによっ て「自分」と「相手」との人間関係を設定/維持/強化する行動展開表現である。

例えば、「自分」と同じジャンルの音楽を好む友人を、コンサートに誘うのは、「相手」

が一緒に行けば「自分」も「相手」も楽しい時間を共有できると思うからである。もし

「相手」がすでに何回も同種のコンサートにいっしょに行っている間柄であれば、その

川口 義一 蒲谷 宏 坂本 惠

キーワード

誘い・マセンカとマショウ・「形式誘い」と「実質誘い」・「行動展開表現」・待遇表現

(2)

「誘い」は「相手」との人間関係を確認し、かつ維持することに役立つはずである。また、

もしそのコンサートへのチケットが入手困難なものであって、それをその「相手」のため にわざわざ手に入れて来たというのであれば、「相手」は感謝し、あるいは恩義を感じ、

同等の返礼を考えるであろうから、「相手」との人間関係は強化されることになる。さら に、その友人がそれまではそれほど親しくはない間柄であるとか、顔見知り程度であると かいう関係の者であれば、この「誘い」を通じてより密接な人間関係を設定することがで き、その次の「誘い」によってその関係を維持あるいは強化することが可能になるのであ る。

「誘い」には、他の行動展開表現と同様、その表現を特徴づける「行動」「決定権」「利 益」の三つの要素に次のような特定のありかたが認められる。

①「行動」は「相手」と「自分」と一緒に行う。

(これを便宜上「AJ」(3)と表記する)

②行動の「決定権」は「相手」に所属する(A)

③「利益」は「相手」にも「自分」にもある(AJ)

先の「コンサートへの誘い」の例でこの三要素の具体的なありかたを説明すると、「行 動」すなわち、コンサートを聞きに行くのは誘った「自分」と誘われた「相手」の二人で ある。「相手」は、この「誘い」を受けるかどうかを自身の都合や気持ちによって決める ことができるので、「行動の決定権」は「相手」にある。そして、「相手」が「誘い」に応 じてこのコンサート鑑賞が実現すれば、「自分」も「相手」も楽しいはずであるから、行 動の結果受ける「利益」は両者にあると言えるわけである。

2.「誘い」の表現形式

「誘い」を表現する言語形式の、典型的なものは[(イッショニ)〜マセンカ](以下

「[マセンカ]型表現」と略称)である。他に「誘い」の表現形式には[(イッショニ)〜

マショウ](以下「[マショウ]型表現」と略称)があるが、この両者の使い分けの基準は、

文脈によって「誘いの当然性」が高いか低いかの違いによる。

「誘いの当然性」が「低い」というのは、「自分」が誘ったとき、「相手」が「自分」と ともに行動することが確実だとは断言できない、言い換えれば誘いが受け入れられない恐 れもあると予想できるということである。これには、次の二つの場合があると考えられ る。

①「自分」と「相手」が、すでに「自分」の誘いで一、二度同趣の行動をともにしたこ とはあるが、ふたたびともに行動することが確実なわけではない場合

②「自分」と「相手」がともに行動することを初めて誘う場合

このような場合には、[マセンカ]型の「誘い表現」が用いられる。この表現は、相手 の意向を伺う疑問文形式になっているので、相手に誘いを断るという選択の余地を与えて いる表現になる。「誘いの当然性」が低い場合は、誘いが受け入れられないことも考慮に

(3)

入れなければならないので、そのことを言語形式の上でも示している[マセンカ]型の

「誘い表現」は、「相手」に対する高い配慮を示した待遇表現、すなわち敬語表現になるの である。

また、例えば、一度だけコンサートに誘った友だちをもう一度別のコンサートに誘うと きなども「また、いいコンサートがあるんですけど、一緒に行きませんか」のように言う のが普通である。「別のコンサート」が初めて行ったコンサートと別のジャンルのもので あったり、同じジャンルでも別のアーティストのものであったりすれば、「初めて誘う」

場合に当たり、やはり[マセンカ]型の表現が選ばれる。いずれの場合も、[マショウカ]

型の「一緒に行きましょう」を使うと、少し強引な感じが出て、相手に悪い印象を与えて しまう恐れがあるので、特に初めて誘うときにはこの型は避けられる。

一方、「誘いの当然性」が「高い」というのは、「自分」が誘ったとき「相手」が「自分」

とともに行動することが確実だと考えられる、言い換えれば誘いが受け入れられる可能性 が極めて高いと予想できるということである。これには、次の二つの場合があると考えら れる。

③「自分」と「相手」が、すでに「自分」の誘いで何度も同種の行動をともにしたこと があり、ふたたびともに行動することがほぼ確実な場合

④「自分」が「相手」を含めてその場の行動の指導権を持っている場合

このような場合には、[マショウ]型の「誘い表現」が用いられる。例えば、いつも昼 食をいっしょにしている同僚に言う、「そろそろ昼飯に行きましょう」は③の場合の例に なる。④の例は、友人と共にハイキングをしているような面で、「自分」がそのハイキン グコースにはもっとも詳しくて案内役をしているような場合での「そろそろ休みましょう」

などがこれに当たる。

ただ、合唱団の指揮者が練習中の団員に向かって「では、もう一度初めから歌いましょ う」などと言う場合は、前述のハイキングの場合と違って、「相手」がこの「誘い」を受 け入れないことはほとんど想定されておらず、そのため行動展開表現の三要素である「決 定権」が「相手」側にではなく「自分」側にある、あるいは少なくとも「相手」側にはな いととらえられていることが多い。つまり、表現の三要素が[行動:AJ/決定権:J/

利益:0](4)となっているのである。このような特徴を持つ行動展開表現は「誘い」で はなくて「指示・命令」(5)である。「指示・命令」の典型表現は「〜テクダサイ」である が、前述の合唱練習の場合「では、もう一度初めから歌ってください」では指示色が強く 出過ぎて、合唱のような指揮者と団員との協同作業による創作活動には使用がはばかられ るという意識のある場合には、その代わりに「初めから歌いましょう」が選ばれることが 多い。このような場合の「誘い」は、本来の「表現意図」が「指示・命令」であるところ の「あたかも誘い」(6)である。

このように、[マショウ]型の「誘い表現」は、[マセンカ]型より誘い方が「強い」感 じがあり、この強さが「強引」であると感じられないようにするためには、前述の①(す でに複数回ともに行っている行為に誘う)場合でも「〜ましょう」を避けることがある。

この場合には、代替の表現として、基本的には二つの方法がある。一つは、あえて[マセ

(4)

ンカ]型を使うこと、もう一つは[マショウ]型を使いながら、「そろそろ休みましょう か」のように文末に疑問助詞を付加することによって「相手」に「決定権」があるという 意識のあることを明示することである。

誘いの「相手」が「目上」であるような場合は、なお別の配慮や工夫が必要となる。ま ず、常に[決定権:A]が明示される必要があるが、それだけでは不十分であり、[行 動:AJ][利益:AJ]も見直さなければならない。というのは、目上と同じ行動をし、

同じ利益を享受するということを積極的に示すのは、目上の「相手」を同等に扱うことに なり、目上に対しての配慮がかけると思われるからである。

例えば、目上の人を案内して食事に行く場合には、どんなにいい店があっても、「この店 に入りましょう」では[決定権:J]の解釈が可能な恐れがあることから、また「この店 に入りましょうか」や「この店に入りませんか」では[決定権:A]は明示しながらもま だ[行動:AJ]であることから、それぞれ適切ではない。したがって、このような場合 は「誘い」表現を利用することは初めから困難であり、実際に適切な表現は「この店はい かがですか」など、個人の嗜好や意見を尋ねるタイプのものになる。

また、「同僚の出産祝いにその同僚の大学の先輩である課長を誘う」とか「大学祭の学 生会企画のパーティーに指導教授を誘う」というような場合、「課長/先生もいかがです か」という「意向伺い」の形式の外に、その課長や教授に「来てほしい」という形式にし て、「課長/先生も、ぜひおいでくださいませんか」のような「あたかも依頼」で表現す ることがよくある。こうすれば、外見上の表現は[行動:A/決定権:A/利益:J]の 形になり、AJの同等感が抑えられ、かつ利益が「自分」にくるように表現できるため、

目上に配慮した表現になる(7)のである。

3.「誘い」表現の談話構造

前節では「誘い」の形式について論じたが、実は「行動展開表現」としての「誘い」は、

「〜ませんか」や「〜ましょう」の部分だけでできているのではない。それは、表現者で ある「自分」が「相手」に呼びかけ、誘いを切り出し、そして「相手」と別れるまでの

「文話」の構造の全体である。本節では、その構造のありかたについて検討する。

「誘い」表現の構造は、まず[マショウ]型の誘いか[マセンカ]型の誘いかによって 大きく異なる。前者は、「誘いの当然性」が高いため、談話全体の早い段階で「誘い」の 形式を登場させていいのだが、後者は「相手」が誘いを受け入れない可能性に配慮して、

できるだけ抵抗なく誘いを成就させる工夫をしなければならない。以下、それぞれのタイ プの「誘い」表現の談話構造のモデルを提示したい。

3−1.[マショウ]型の「誘い」

[マショウ]型の誘いは、「誘いの当然性」が高いものなので、基本的には「相手」に呼 びかけて、すぐに「誘い」を行ってよい。前節で例に挙げた「昼食に誘う」の場合は、次 のような展開になろう。

−柴田さん。

(5)

−はい?

−そろそろお昼食べに行きましょう。

−あ、そうですね。じゃ、行きましょう。

この場合、「相手」がすでにこちらを向いているのであれば、「相手」の反応の「はい?」

を聞かずに、すぐに「誘い」を行ってもかまわない。これは、参加者同士が「デス・マス 体」で話している例であるが、ダ体で話す間柄であっても、この構造は基本的には変わら ない。一つ一つの表現が「相手」のレベルに応じて(8)で次のように変わるだけである。

−柴ちゃん。

−うん?

−そろそろ、お昼食べに行こ。(9)

−あ、そうだね。じゃ、行こう。

前節でも述べたように、「誘い」の表現自体は、このような場合であっても「〜ましょ うか」「〜ませんか」が使われる可能性がある。したがって、このタイプの「誘い」表現 の談話構造をモデル化すると、次のようになる。なお、<誘い>・<応答>の下段の部分 は、「相手」レベルが「−1レベル」、すなわち「友人・家族レベル」の場合である。

1.<切り出し>(ねえ、)△△さん。/こんにちは。etc.

2.<誘 い>Vましょう(よ)。/Vましょう(か)。/Vません(か)。 Vう(よ)。/Vう(か)。/Vない(か)。

以下、受け入れられない場合

3.<応 答>あ、すみません。/ごめんなさい。(+理由)(10)

あ、ごめん。/わるい。(+理由)

4.<反 応>あ、そうですか。/そうなんですか。 じゃ、また(明日etc.)。 あ、そう。/そうなんだ。 じゃ、また(明日etc.)(ね)。

5.<切り上げ>すみません。/ごめんなさい。/どうも。/え、また(明日etc.)。 ごめんね。/ども。/うん、また(明日etc.)(ね)。

なお、前節の④のタイプである、「「自分」がその場の行動の指導権を持っている」場合 は、初めから「誘い」を提示する場合もあり、その場合のモデルは次のようになろう。各 ステップの下段は、−1レベルの「相手」向きで、<切り出し>の「よし」はどちらかと 言えば、男性的な表現である。

1.<切り出し>はい、

はい、/オッケー、/よし、

2.<誘 い>じゃ、 Vましょう。/Vましょう(か)。 じゃ、 Vう。/Vう(か)。

(6)

3−2.[マセンカ]型の「誘い」

[マセンカ]型は、もう少し複雑である。このタイプは、「誘いの当然性」が低い状況 で表現されるため、「誘い」が受け入れられないことを十分意識しておかなければならず、

そのような事態に陥らないための方略が必要とされる。まず、<切り出し>のあとだが、

「相手」がすでに「自分」のほうに目を向けていても、すぐに次のステップに進まず、一 度「相手」の反応を待つ必要がある。そして、「相手」の<反応(を)確認>のあとも、

ただちに<誘い>には入らず、そのために<前置き>を行って、「誘い」のための環境を 整備する(11)。これには、次のような内容のものが考えられる。

①その「行動」を予定している日時に「相手」も時間が取れるかを尋ねる

②その「行動」を「相手」がそもそも好きか/興味・関心があるかを尋ねる

③その「行動」やその関連事項についての「相手」の経験を尋ねる

④その「行動」を提案するに至った事情を説明する

それぞれの<前置き>の具体的な表現例は、例えば次のようになろう。

①来週の土曜日の午後、 お暇ですか。/何か予定ありますか。

②モダンジャズなんか お好きですか。/聞いてみたいと思いますか。

③モダンジャズって聞いたことが/新しい市民ホール、行ったことが ありますか。

④実は、 ジャズのチケット、2枚あるんですけど。/友人が出演するんで。

これに続いて「相手」の<応答>が起こる。それが、「自分」にとって誘いに入るきっ かけである場合(たとえば、<前置き②>に対して「ええ、好きですけど」や「ええ、聞 いてみたいですね」が<応答>であった場合)は、「〜ませんか」型の誘いが続けて行わ れる。もちろん、この「誘い」は、「いかがですか」のような、「相手」の意向を伺う表現 で代行させることができる。

一方、その時点の<応答>では、すぐに誘いに入れない場合(たとえば、<前置き③>

に対して「いいえ、聞いたことはないですけど」や「はい、一度行ったことありますよ」

が<応答>であった場合)は、続けて別の<前置き>を行って(たとえば、②や④を続け て)さらに<応答>を見ながら、誘いへと進める。

「相手」がその誘いにすぐには積極的に応じない様子であれば、さらに誘いを受けやす くなるような情報を与えて、再度誘いを繰り返す。このような情報とその具体的表現とし ては、たとえば、次の①〜③のようなものなどが考えられる。

①その「行動」を行うことは「相手」の負担にならない:

会場はすぐ近くですから。/このチケット、ただでもらったんです。

②その「行動」を行うことは「相手」にとって利益が大きい:

このアーティスト、めったに来日しませんから。/感動しますよ、きっと。

③その「行動」を行うことは「自分」にとって利益が大きい(12)

(7)

いっしょに来てくださると、うれしいんですけど。

ここまでの談話展開のモデルは、以下のようになる。<反応>以下の下段の部分は、

「相手」が−1レベルの場合である。

1.<切り出し>(ねえ、)△△さん。/こんにちは。etc.

2.<反 応> あ、こんにちは。/あ、どうも。etc.

2.<反 応> あ、こんちは。/あ、ども。

3.<反応確認>

4.<前 置 き> (前述の①〜④のようなもの)

4.<前 置 き> (その−1レベル向け異形態)

5.<応 答> (前述の①〜④に対するのようなもの)

5.<応 答> (その−1レベル向け異形態)

[必要に応じて<前置き>→<反応>を繰り返す]

6.<誘 い> Vませんか。/Vて くださいませんか。/いただけませんか。

6.<誘 い> Vない?/Vて くれない(かなぁ)?/もらえない(かなぁ)?

[必要に応じて<誘い>に応じやすくする情報を与える]

このようにして「誘い」が受け入れられれば、あとはともに行動するための打ち合わせ 事項(待ち合わせの日時など)を確認して、談話を終了することになるが、その部分のモ デルは省略する。また、「誘い」が受け入れられなかった場合のその後の展開は[マショ ウカ]型に準ずるので、これも省略する。

前節では誘う状況における「当然性」の高低によって「誘い」表現の談話構成に種別が 生じるという現象について論じたが、「誘い」表現にはもう一つ誘う意図によって生じる 種別がある。それが、「形式誘い」と「実質誘い」の別である。

「形式誘い」というのは、いわゆる「ただのあいさつ」の「誘い」である。例えば、初 対面の人同士が少し個人的な情報を交換しあったあと、一方が「じゃ、いつか一緒にお茶 でも飲みましょう」と言うような場合の例である。別れ際に「じゃ、またどこかで会おう ね」などというのも同様の例である。これらの「誘い」は、誘う側にその行動を実現させ る積極的な意志がない場合がありうる。つまり、いつまで待ってもお茶には誘われず、こ ちらから出向いて行って誘うと意外な顔をされるというような種類のものである。このよ うな「誘い」を「形式誘い」と呼び、実際に誘う意志があり、共同行動の実現に向けて表 現を行う「実質誘い」と区別して論ずる必要がある。

ある特定の「誘い」が「形式誘い」か「実質誘い」かが全く弁別ができないとコミュニ ケーションに支障を来すので、この二者は見分けられねばならないが、「形式誘い」のほ うは通常ある外面的な特徴を持っていることが多いので、それをてかがりにして特定する ことは可能である。それは、その行動を行う具体的な日時や場所が特定されておらず、代 わりに「いつか」「どこかで」「暖かくなったら」のような不定詞や一般的な条件句が使わ れることである。「そのうちに」「いずれまた改めて」のような、不特定な機会を示す副詞 句が使われるのも、てがかりとなる。「必ず」「きっと」のような強意の副詞が「いつか」

(8)

や「どこか」などの不定詞とともに使われると、「形式誘い」の解釈が強まるという、逆 説的な現象もある。一方、「実質誘い」のほうは、日時や場所が特定されることが多く、

また「誘い」を断っても重ねて誘ってくることなどでそれと知れることがある。もちろん、

「形式」か「実質」かの違いは、最終的には「表現主体」にしか分からず(13)、「相手」が 誤った反応をすることは母語話者間でもありうる。

では、このような誤解の危険を冒してまで、単なるあいさつに過ぎないことに「形式誘 い」表現を行うのは、なぜか。それは、「あいさつ」と「誘い」の表現意図上の類似性か ら説明できる。実は、「こんにちは」や「寒くなりましたね」などの「あいさつ」も、そ の表現意図は「人間関係を設定/維持/強化する」であり、基本的には「誘い」と同じだ と考えてよい。ただ、「あいさつ」は多くの場合定型的な語句を交換することだけで表現 が遂行される「理解要請表現」(14)であるのに対し、「誘い」は表現意図は同じでも「行動 展開表現」であり、その分「積極的に働きかける」というイメージが強い。つまり、「表 現主体」は、このような「誘い」の表現特性を利用して「相手」に「人間関係の設定/維 持/強化」に対する「自分」の積極性を(虚構的ではあれ)示すことができるのである。

5.まとめと課題

前節までに「誘い」の諸相を検討したが、それによって待遇表現全体の中で「誘い」の 占める位置が明らかになってきた。

まず、本論第1節で、「誘い」は「人間関係を設定/維持/強化する」という「表現意 図」を持つ表現であると定義されたが、その「表現意図」は「あいさつ」と類似するため、

「形式誘い」というタイプの表現によって、「あいさつ」と同様の(しかし、より積極的な)

表現が可能になることを第4節で解明した。このような「形式」と「実質」の表現類別は、

「ほめ」表現にも観察され(15)、待遇表現研究の論点の一つとなる点である。

第1節ではまた、「誘い」が「行動展開表現」の待遇表現であることを示したが、このこ とは他の「行動展開」型待遇表現と「誘い」表現との関連を暗示するものである。第2節 では、特定の文脈下で「誘い」を行うことの「当然性」の高低によって、[マショウ]型 と[マセンカ]型という、個別の表現形式の選択が生じることを議論し、また第3節では、

それが「誘い」の談話構成にも影響することを述べたが、「当然性」の相違に基づく同様 の表現群の選択は、「依頼」にも「申し出」にも見られる(16)。このことは、「当然性」と いう概念が待遇表現研究に有効であることの証左ともなる。

第2節では、[マショウ]型の「誘い」を「あたかも誘い」として、「してください」が 典型表現である「指示・命令」をより敬語的に表すことができることを示した。逆に、目 上への「誘い」が「来ていただけませんか」という「あたかも依頼」によって表されるこ とによって、やはり敬語的により高度な表現になる仕組みも見た。このように、「行動展 開」型の待遇表現類は、互いに「あたかも」関係になることによって、もともとの表現の 幅を広げていることが分かる(17)。このような相互関係は、「行動展開表現」の特徴を[行 動・決定権・利益]の3要素から検討することで明らかになることも示された。

以上、「行動展開」型待遇表現である「誘い」表現自身の諸相とその他の待遇表現との

(9)

関連を考察した。しかし、「誘い」自体については、本論で検討した事項のほかにも、「だ れが、だれを誘うか」「どんなことに誘えるか」「誘った/誘われた側のすべきことは何か」

「おごる場合はだれがするか」「感謝はどのように示すか」など、社会言語学的な側面に関 して議論すべき問題が残されている。また、他の待遇表現との関連で言えば、「誘い」と 形式の類似する「申し出」「提供」「セールス」などの表現についても検討しておく必要が ある。その一部は、すでに筆者グループの既刊論文によって論じられている(18)が、なお 詳細に検討を重ねることも必要であろう。

最後に、このような記述的研究の成果を踏まえて、日本語教育における「誘い」表現の 指導の現状を調査し、より効果的な指導法を提案するという方向への研究の発展も要請さ れると思う。併せて今後の課題にしたいと考える。

(1)蒲谷/川口/坂本(1998)では、「勧誘」と呼んでいたものである。しかし、「どうぞお座りく ださい」のような「勧め」表現を混在させないために、本稿以降「誘い」と呼称することとする。

なお、今「勧め」と呼んだ表現は、別途「提供」と名づけている。これについては、坂本(1997)

参照。

(2)「行動展開表現」については、坂本/川口/蒲谷(1994)参照。

(3)「A」は「相手」、「J」は「自分」の略号として用いる。

(4)特定の人の「利益」を考慮する必要のない場合、[利益:0]と記述する。

(5)「指示・命令」表現については、蒲谷/川口/坂本(1998)p.130参照。

(6)「あたかも表現」については、蒲谷(1998)、蒲谷/川口/坂本(1998)p.124参照。

(7)日本語では[利益:J]の形にして「あたかも表現」にすると、丁寧な感じを与えることがで きる。これについては、蒲谷/川口/坂本(1998)p.135参照。

(8)文体や狭義敬語の選択は、−2〜+2の4段階の「相手レベル」に基づいて行われる。これに ついては、蒲谷/川口/坂本(1998)p.240参照。

(9)−1レベル以下の「相手」の場合、動詞意向形のオ列長音はしばしば脱落する。

(10)「断り」の際の表現にも若干のバラエティがあるが、本稿では簡略に示した。「断り」表現の構 造については、ラオハブラナキット(1997)参照。

(11)このような環境整備のための先行発話は、「依頼」の場合にも見られる。これについては蒲谷/

川口/坂本(1993)および猪崎(2000)参照。

(12)「自分」が利益や恩恵を受けるように表現すると受け入れやすい言い方になるという現象の例で ある。

(13)文化によっては「形式誘い」の概念が希薄で、「誘い」は自動的に「実質誘い」と 解釈されや すい。川口が留学生に尋ねてみたところ、日本とアメリカでは「形式誘い」があるが、タイと台 湾では初対面でも誘われたら訪ねて行けるようである。

(14)「理解要請表現」については、坂本/川口/蒲谷(1994)参照。

(15)「ほめ」表現については、川口/蒲谷/坂本(1996)参照。

(16)「依頼」ついては、蒲谷/川口/坂本(1993)参照。

(17)医者が子どもの患者に言う「さあ、注射を打ちましょう」などやスポーツのコーチが選手に言 う「もう少し膝を上げてみよう」なども、それぞれ実質が「宣言」(注射を打ちますよ)および

「忠告・助言」(少し膝を上げたほうがいいぞ)である「あたかも誘い」と言える。

(18)これらについては、蒲谷/坂本(1995)および坂本(1997)参照。

参考文献

猪崎保子(2000)「接触場面における「依頼」のストラテジー:日本人とフランス人日本語学習者の 場合」『世界の日本語教育』第10号・国際交流基金日本語国際センター

(10)

蒲谷宏/川口義一/坂本惠(1993)「依頼表現方略の分析と記述−待遇表現教育への応用に向けて−」

『早稲田大学日本語研究教育センター紀要』5号・

蒲谷宏/坂本惠(1995)「「申し出」表現について」『国語学 研究と資料』第19号・『国語学 研究と資 料』の会

蒲谷宏(1998)「「あたかも表現」―「表現意図」と「文話」とのずれ―」『早稲田大学日本語研究教 育センター紀要』11号

蒲谷宏/川口義一/坂本惠(1998)『敬語表現』・大修館書店

川口義一/蒲谷宏/坂本惠(1996)「待遇表現としてのほめ」『日本語学』第15巻5号・明治書院 坂本惠/川口義一/蒲谷宏(1994)「「行動展開表現」について−待遇表現教育のための基礎的考察−」

『日本語教育』82号・日本語教育学会

坂本惠(1997)「「提供」表現をめぐって」『国際経営論集』第13号・神奈川大学経営学部

坂本惠(1999)「「敬語表現」の意味するもの」『神奈川大学言語研究』No.22・神奈川大学言語研究 センター

ザトラウスキー,ポリー(1993)『日本語の談話の構造分析―勧誘のストラテジーの考察―』・くろ しお出版

ラオハナブラキット,カノックワン(1997)「日本語学習者にみられる「断り」の表現:日本語母語 話者と比べて」『世界の日本語教育』第7号・国際交流基金日本語国際センター

参照

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