1 W09-011-1
システムの機能表現に対する言語学的考察
早稲田大学WBS研究センターシステム創造思考法研究会会員 松藤 直 早稲田大学商学研究科 黒須 誠治
2 はじめに
「京急って、ドアを閉めますって言うんだよね」森田一義(タモリ倶楽部にて)
鉄道の駅での案内放送において、通常使われている表現は、「ドアが閉まります」と言うものであ る。森田一義の発言は、「ドアを閉めます」という、多くの鉄道会社では用いない表現を、京浜急行 が用いているのが珍しい、というコンテクストの上でのものである。これらの表現の性格については、
後に言及してみたいと思う。
さて、ワークデザインにおけるシステムの機能は文章によって記述される。そして、その文章は自 然言語によって構成されている。そのため、システムの機能を記述する際のいくつかの問題は、言 語的な問題と関係している可能性もある。
しかしながら、いかなる文章が機能の表現として成り立ちうるのか、どのような表現がよくみられる のか、それはなぜなのか、といった事柄は、これまであまり検討は行われてきていないように思われ る。なぜならば、それらの問題は、日本語の母語話者にとって自然に判別することができるため、
改めてそれがなぜなのか、ということを考える必要はないからであるはないだろうか。
今回は、こういった、改めてほとんど検討されることのないレベルから、しばしば議論となる問題ま で、システムの機能表現にまつわるいくつかの問題について検討を行ってみたい。そして、それら の検討のために、言語学的な視点を導入することにする。
3 1.システム表現形式
過去のワークデザイン研究会において、システムの機能表現としてふたつの形式があり得ること が明らかになった。それは下記のような二つの形式である。
(1)
a. 学生が勉強する b. 学生に勉強させる
これらふたつの表現形式は同じ学生の勉強に関わるものであり、近接した意味内容を表している ように見えるにも関わらず、ふたつの形式として存在している。それでは、これらの表現形式の違い とは一体何なのであろうか。この問題を考えるうえでは、基本的な文の構造から検討を行ってみた い。
1.1 日本語の述語表現について
(1)の a.b.ともに述語表現は、勉強する、および勉強させる、という“勉強”という名詞に、サ行変格 活用動詞である“する”を加える形の動詞とした。この“する”という動詞は、ヲ格を伴った場合、他動 詞である。
さて、機能表現となる述語表現にはいかなるものがあるであろうか。英語においては、基本的に 文中に動詞が必要となる。下記のような文においても、英語の場合は動詞を必要とする。
(2)
a. I am a student.
b. 私は学生だ。
英語の場合は、(2)a.の文においても、be 動詞を必要とする。一方、(2)b.の日本語の文には動詞 はない。この文の述語は、「学生」という名詞に、助動詞の「だ」が付加されている。
このように、英語では文の述語をつくるためには、動詞が必要であるが、日本語では名詞+助動 詞の形もありうる。他に、日本語の述語を作ることができる品詞には、形容詞、形容動詞がある。
(3)
a. りんごは赤い b. 海がきれいだ
(3) a.の文の述語は「赤い」というものであり、これは形容詞である。一方、(3) b.の文の述語は「き れいだ」というものであり、これは形容動詞である。学校文法では形容詞と形容動詞という呼び方を しているが、このふたつの品詞の違いは、活用の仕方だけであって、それ以外に差はない。そのた
4
め近年の日本語教育においては、これらをひとつの形容詞という呼称で呼び、名詞修飾を行うとき の活用語尾を使い、イ形容詞、ナ形容詞という名称で区別する。(赤いりんご、きれいな海)
このように、日 本 語 の文 において述 語 となるものには、名 詞 +助 動 詞 、形 容 詞 、形 容 動 詞 があるが、これらの文 が機 能 表 現 となりうるかどうかを判 定 してみることにする。
機 能 表 現 とは、目 的 を表 すものであるため、判 定 する文 に「~ために、どうするか」もしく は「~には、どうするか」という文 を接 続 し、文 として成 り立 つかどうかで判 定 することとする。
この、「~ために、どうするか」「~には、どうするか」とは、「~ために」「~には」の部 分 が従 属 節 となり、この従 属 節 を目 的 とし、主 節 において「どうするか」という手 段 を問 うている。
(4)
a.?私が学生なために、どうするか b.?りんごが赤いために、どうするか c.?海 がきれいなために、どうするか
これらの表 現 はできる限 り文 になるように助 詞 や活 用 語 尾 を変 化 させているが、いずれも 文 として成 り立 っていない。これ らを文 として成 り立 たせるためには、それぞれ従 属 節 の文 に更 に大 きな変 更 を加 えなければならない。
(5)
a. 私が学生になるために、どうするか
b. りんごが赤くなる(りんごを赤 くする)ために、どうするか c. 海 がきれいになる(海 をきれいにする)ために、どうするか
これらの表 現 は文 として意 味 が通 じると言 ってよいであろう。いずれも従 属 節 に「なる」「す る」という動 詞 を加 えている。つまりもとの文 に動 詞 を加 えることによって、名 詞 文 ・形 容 詞 文 は機 能 表 現 となる。
このように、名 詞 述 語 文 、形 容 詞 述 語 文 はそのままでは、機 能 の表 現 とはならない。これ らの文 はいずれも主 格 ・主 題 の属 性 を述 べているもので、動 作 等 を述 べるものではないか らである。
さて、これまで見 てきたように、述 語 が名 詞 +助 動 詞 である名 詞 文 、イ形 容 詞 やナ形 容 詞 である形 容 詞 文 はシステムの機 能 を記 述 する機 能 表 現 とはならない。従 って、機 能 表 現 と なるのは動 詞 を述 語 に用 いた動 詞 文 のみであ る 。動 詞 文 の例 は下 記 のようなものであ る。
(6)
a.子 供 が遊 んでいる
5 b.犬 が寝 ている
c.今 日 はラーメンを食 べた
これらの動 詞 文 はそのままではシステムの機 能 表 現 とはならない。どのような場 合 にシステ ムの機 能 表 現 となるかは別 に検 討 することとするとして、動 詞 文 の主 語 関 係 をまず見 てみ る。
上 記 動 詞 文 の、a.b.には、格 助 詞 「が」で表 される名 詞 が存 在 する。この格 助 詞 「が」で 表 された名 詞 はそれぞれ、遊 ぶ、寝 る、を行 っている主 体 である。また、 c.では動 作 を行 っ ている主 体 は明 示 されていないが、ラーメンを食 べるという行 為 を行 ったのは、多 くの場 合 、 話 し手 である。
日 本 語 の会 話 文 においては、一 人 称 ・二 人 称 は、特 に明 示 する必 要 のある場 合 を除 き、
通 常 省 略 されてしまう。従 って、c.においても、ラーメンを食 べる、という動 作 を行 った主 体 は存 在 していることになる。
このように、動 詞 文 においては、動 作 の主 体 が存 在 し、多 くの場 合 、格 助 詞 「が 」によっ て表 される。この場 合 には動 作 の主 体 は主 語 となる。しかし、取 り立 て助 詞 「は」で動 作 の 主 体 を表 す場 合 もありうる。
(7)
ばくは、タンメンにするよ(仲 間 と一 緒 に中 華 料 理 店 に行 って、注 文 を行 う場 面 にて)
この場 合 、注 文 する主 体 は、「ぼく」であるが、格 助 詞 の「が」ではなく、取 り立 て助 詞 「は」
が使 われている。格 助 詞 「が」が述 語 との論 理 関 係 を表 し、動 作 の主 体 や対 象 を表 すのに 対 して、取 り立 て助 詞 「は」は、話 し手 の気 持 ちを表 し、主 題 もしくは対 比 を表 し、格 助 詞
「が」などの代 わりをする。
このように、動 詞 文 においても、格 助 詞 「が」で明 らかに主 語 が現 れる場 合 もあれば、そう でない場 合 もありうる。しかしながら、動 作 の主 体 となるものは、いずれにせよ存 在 するもの であるから、以 降 、主 語 という言 葉 は使 わず、動 作 の主 体 、という言 葉 を使 用 することとす る。
但 し、後 述 するように、「動 作 の主 体 」という表 現 がふさわしくない動 詞 文 も存 在 する。し かしながら、ここでは、動 作 という語 の意 味 を広 くとらえ、動 詞 の主 体 ということを表 すために、
「動 作 の主 体 」という表 現 を行 う。
1.2 動 詞 の種 類 と機 能 表 現 (1)他 動 詞
さて、1.1 で見 てきたように、機 能 表 現 となりうるのは動 詞 述 語 文 のみであった。それでは、
すべての動 詞 を機 能 表 現 に使 うことができるのであろうか。もし使 うことができなければ、そこ にはどんな問 題 が潜 んでいるのであろうか。
6
動 詞 の分 類 には、その観 点 からさまざまなものがある。代 表 的 なものに、自 動 詞 と他 動 詞 の分 類 がある。
日 本 語 の他 動 詞 は、「窓 を開 ける」「電 気 を消 す」の「開 ける」「消 す」のように、名 詞 +格 助 詞 の「を」という目 的 語 を取 るものを言 う。一 方 、「窓 が開 く」「電 気 が消 える」などの「開 く」
「消 える」のように、名 詞 +格 助 詞 の「を」という目 的 語 を取 らないものを自 動 詞 という。
但 し、空 を飛 ぶ、グラウンドを走 る、部 屋 を出 る、駅 へ行 く、など、名 詞 +格 助 詞 の「を」を 伴 っているが、これらの名 詞 +「を」は、いずれも通 過 点 や出 発 点 、到 達 点 などを表 しており、
目 的 語 ではない。そのため、飛 ぶ、走 る、出 る、行 く、などは自 動 詞 である。
まず、他 動 詞 を使 った動 詞 文 が機 能 表 現 となるかどうかを検 討 してみよう。
(8)
a. 窓 を開 ける b. ドアを閉 める c. 電 気 を消 す
これらの動 詞 文 を先 ほどの「~ために、どうするか」という文 に代 入 してみると下 記 のように なる。
(9)
a. 窓 を開 けるために、どうするか b. ドアを閉 めるために、どうするか c. 電 気 を消 すために、どうするか
これらの表 現 は文 章 として一 応 成 り立 っている。もっとも、窓 を開 けるためにどうするか、ド アを閉 めるためにどうするか、と問 われても手 で開 けろ、閉 めろと答 えられて会 話 は終 わりそ うである。しかしながら、そういった常 識 的 な手 段 ではなく、まったく新 しい手 段 を問 うのであ れば、いかにもシステムの機 能 表 現 らしくなってくる。
さて、他 動 詞 の種 類 はその意 味 的 特 徴 から下 記 のようなものに分 類 される。( Wikipedia 他 動 詞 より)(*怒 る・恐 れるは自 動 詞 とされるが、ヲ格 を取 るケースがあるために掲 載 )
意味 直接影響 知覚 追求 知識 感情 関係
例 殺す 壊す 温める
見る 聞く 見つける
探す 待つ
知る 分かる 覚える 忘れる
愛する 嫌う 怒る*
恐れる*
持つ 対応する
表 1
7
これらの動 詞 を使 った動 詞 文 がシステムの機 能 表 現 となるか確 認 してみると下 記 のようにな る。
(10)
a.ゴキブリを殺 すには、どうするか b.壁 を壊 すには、どうするか c.水 を温 めるために、どうするか d.月 の裏 側 を見 るには、どうするか e.クジラの鳴 き声 を聞 くには、どうするか f.徳 川 埋 蔵 金 を見 つけるには、どうするか g.恐 竜 の化 石 を探 すには、どうするか h.*友 達 を待 つには、どうするか i.昔 のことを知るには、どうするか
j.絵の真贋の違いを分かるには、どうするか k.試験に出る項目を覚えるには、どうするか l.嫌なことを忘れるには、どうするか
m.?爬虫類を愛するには、どうするか n.?姑を嫌うには、どうするか
o.?部下を怒るには、どうするか p.?お化けを恐れるには、どうするか
q.一戸建てのマイホームを持つには、どうするか r.クレームに対応するには、どうするか
これらの文 からわかることは、愛 する、嫌 う、怒 る、恐 れる、といった感 情 に関 わる動 詞 は機 能 表 現 とはなじまないということである。また、待 つ、という動 詞 も文 章 とはなっている ものの、尐 し違 和 感 のある表 現 となっている。
これらの文 章 を機 能 表 現 として違 和 感 のない文 章 にするためには、下 記 のように操 作 を加 える必 要 がある。
(11)
a.爬虫類を愛することができるようになるために、どうするか b.?姑を嫌うことができるようになるために、どうするか c.部下を怒ることができるようになるために、どうするか
d.?お化けを恐れることができるようになるためには、どうするか e.退 屈 することなく友 達 を待 つために、どうするか
f.嫁に姑を嫌わせるために、どうするか
8 g.子どもにお化けを恐れさせるには、どうするか
(11)の a.から d.までは、動詞に「こと」をつけることで、感情を事柄へと変え、それが「できるように なる」という、不可能状態が可能状態になる、という変化の表現とすることで、かろうじて文章として 成り立たせることができた。これは、感情というものは、意志的に行うというものではなく、「したい」と 思っても、できるものではない、という性格のものであることを表していると言える。
しかしながら、「嫌うことができるようになる」「恐れることができるようになる」というのは、それぞれ の文章に必然性が感じられないため、文章としては成り立っているものの、なお不自然なものとな っている。嫌う、恐れる、という感情を持つことができない状態を困ったものとして認識することが困 難なものであるためであろう。
一方、愛さなければならないと「頭で」わかっているものの、「心で」そうできない、相手の成長の ために、怒らなければならないとわかっているものの、なかなかそうできない、という場面はまれでは あるが、存在するため、一応機能表現らしく見えることになっていると言える。
一方、「待つ」という動詞は、ゴール表現を加えることで、機能表現として成り立つものになってい る。これは、「待つ」という動作自体は難しいことではないが、退屈する、いらいらする、怒りを覚える、
といったマイナスの感情を伴うことが多いため、これらのマイナスの状況を無くす、という点でシステ ムの機能表現らしくなっているものと言える。
また、f. g.のように、そのままでは機能表現となりにくい動詞も使役形であれば、使用することが 可能となる。嫁に姑を嫌わせるシステム、子供にお化けを恐れさせるシステム、というものはあまり想 定することはできないが、理論的には存在しうるものと言えよう。
以 上 のことから、他 動 詞 の場 合 、感 情 に関 する動 詞 を除 いて、概 ね機 能 表 現 として使 用 することが可 能 であると言 ってよいであろう。また、使 役 形 にすれば、感 情 に関 する動 詞 も 機 能 表 現 となりうると言 えそうである。
1.3 動 詞 の種 類 と機 能 表 現 (2)自 動 詞
日 本 語 の自 動 詞 には、自 動 詞 だけが存 在 するものもあるが、特 徴 的 なものとして、他 動 詞 と対 になった自 動 詞 がきわめて多 い。それらの例 を下 記 に挙 げる
自 動 詞 他 動 詞 自 動 詞 他 動 詞
上 がる 上 げる 暖 まる 暖 める
当 たる 当 てる 集 まる 集 める
高 まる 高 める たまる ためる
捕 まる 捕 まえる 伝 わる 伝 える
飛 ぶ 飛 ばす 詰 まる 詰 める
隠 れる 隠 す 壊 れる 壊 す
写 る 写 す 直 る 直 す
表 2
9
これらの自 動 詞 と他 動 詞 をそれぞれ、機 能 表 現 となりうるかを判 定 してみる。
(12)
a.?物 価 が上 がるには、どうするか a’.物 価 を上 げるには、どうするか b.?冷 えた体 が暖 まるには、どうするか b’.冷 えた体 を暖 めるには、どうするか c.?宝 くじが当 たるには、どうするか c’.宝 くじを当 てるには、どうするか d.?学 生 が集 まるには、どうするか d’.学 生 を集 めるには、どうするか e.?名 声 が高 まるには、どうするか e’.名 声 を高 めるには、どうするか f.?雤 水 がたまるには、どうするか f’.雤 水 をためるには、どうするか g.?ねずみが捕 まるには、どうするか g’.ねずみを捕 まえるには、どうするか h.?情 報 が伝 わるには、どうするか h’.情 報 を伝 えるには、どうするか i.*飛 行 機 が飛 ぶには、どうするか i’,飛 行 機 を飛 ばすには、どうするか j.?パイプが詰 まるには、どうするか j’.パイプを詰 めるには、どうするか k.*貴 重 品 が隠 れるには、どうするか k’.貴 重 品 を隠 すには、どうするか l.要 塞 が壊 れるには、どうするか l’.要 塞 を壊 すには、どうするか m.*写 真 に写 るには、どうするか m’.写 真 を写 すには、どうするか n.?機 械 が直 るには、どうするか n’.機 械 を直 すには、どうするか
上 記 でわかるように、他 動 詞 と自 動 詞 の対 応 がある動 詞 に関 しては、自 動 詞 を用 いた文 は基 本 的 に機 能 表 現 とはならない。これは、主 格 となるものが、「自 ら自 然 に動 作 する」、な いしは「そうなる」ことを自 動 詞 が表 すため、その動 作 自 体 に、システムが関 与 する余 地 がな いためであると考 えることができる。
10
一 方 、他 動 詞 の場 合 、主 格 が対 象 に対 して動 作 を行 う際 に、なんらかの形 でシステムを 利 用 する余 地 があるため、機 能 表 現 として問 題 がないものと言 える。これを図 式 化 すると下 記 のようになる。
図 1.
しかしながら、上 記 、自 動 詞 の文 の中 にも、機 能 表 現 として成 り立 つものがある。「飛 ぶ」
「隠 れる」「写 る」である。これらは、(12)の文 章 では、尐 し違 和 感 のある表 現 となっているが、
下 記 のような文 章 では、問 題 なく機 能 表 現 となっていると言 えよう。
(13)
a.自 由 に空 を飛 ぶためには、どうするか
b.鬼 に見 つからないように隠 れるには、どうするか c.実 物 より見 栄 え良 く写 真 に写 るには、どうするか
これらの動 詞 の主 体 は、いずれも人 、それも多 くの場 合 、話 者 である。話 者 は、多 くの文 脈 において、「(私 を含 めた人 間 が)自 由 に空 を飛 ぶためには、どうしたらいいかな」と自 問 しているのである。これが、自 分 自 身 を含 める場 合 ではなく、けがをした鳥 のことを言 う場 合 は、「けがをした鳥 が、自 由 に空 を飛 ぶことができるようになるには、どうしたらいいかな」と、
動 作 主 が動 作 可 能 の状 態 になるためには、という形 で発 話 することが普 通 である。
同 じく、隠 れる、写 る、も話 者 自 身 を含 める(多 くの場 合 は話 者 自 身 を指 す)場 合 に使 わ れることで、機 能 表 現 として成 立 することになる。このように、「私 が」という話 者 自 身 を主 格 として含 めて文 が成 り立 つ自 動 詞 は機 能 表 現 の文 として成 り立 つ。ところが、自 動 詞 の多 く は「私 が」という主 格 を取 ることができない。いずれも、動 作 の主 体 は人 以 外 のものであるか、
人 であったとしても、話 者 自 身 を通 常 含 むことができないことによると言 えよう。
自動詞の場合 他動詞の場合
主格 対象
(動作主)
シス テム
主格
(動作主)
主格
(動作主)
シス テム
シス テム 利用・関与
11
このことは、システムの機 能 表 現 は、システムの設 計 者 ・利 用 者 が何 をしたいのか、何 が できればよかったのか、ということを表 現 していることに照 合 できる。つまり、 システムの設 計 者 ・利 用 者 が話 者 自 身 となりうることが機 能 表 現 として成 り立 つ条 件 となるのである。
図 2
このことは、対 となる他 動 詞 を持 たない自 動 詞 においても、当 てはめることができる。 対 と なる他 動 詞 を持 たない自 動 詞 としては、歩 く、走 る、行 く、遊 ぶなどである。(歩 かせる、走 ら せる、行 かせる、遊 ばせる、はそれぞれの自 動 詞 の使 役 形 である)
(14)
a.山 道 を歩 くには、どうするか b.長 い距 離 を走 るには、どうするか c.宇 宙 に行 くためには、どうするか d.友 達 と仲 良 く遊 ぶには、どうするか
上 記 の文 はいずれも文 章 として成 り立 っている。d.は文 脈 によっては成 立 しにくい文 では あるが、なかなか友 達 とうまく仲 良 く遊 ぶことのできないことを悩 んでいる話 者 が、いかにして 友 達 と仲 良 く遊 ぶことを考 える場 面 では成 立 する文 となる。
これら、対 となる他 動 詞 を持 たない自 動 詞 は、いずれも意 志 的 自 動 詞 である。そのため、
意 志 的 に動 作 を行 うにあたって、方 策 を考 え、何 らかのシステムを設 計 ・利 用 することが可 能 になる。そのため、システムの表 現 として問 題 のないものとなっている。
それに対 し、対 となる他 動 詞 を持 つ自 動 詞 は、基 本 的 に非 意 志 的 自 動 詞 である。それぞ れ意 志 的 な動 作 を表 すものは、対 となる他 動 詞 が担 っている。例 外 的 に意 志 的 な意 味 合 いをもつものが、「飛 ぶ」「隠 れる」などの動 詞 である。それらの動 詞 は、主 体 が自 ら動 作 を
話者が主体とならない自動詞の場合 話者が主体となる自動詞の場合
主格
(動作主)
シス テム
シス テム 利用 関与
主格
(動作主)
12
「する」場 合 があり、非 意 志 的 自 動 詞 が内 包 する、ある状 態 に「なる」という意 味 をもつことと 対 立 する。ただし「飛 ぶ」「隠 れる」も(15)のように、非 意 志 的 意 味 を持 っている。
(15)
a.突 風 で屋 根 が飛 ぶ b.月 が雲 に隠 れる
また、「写 る」という自 動 詞 は、何 かがそのものの意 志 とは無 関 係 に写 ってしまうという、
(16)a.のような無 意 志 的 意 味 合 いをもともと持 つ。しかし、文 脈 によっては、(16)b.のような意 志 的 動 作 を持 つこともある。
(16)
a.その写 真 には、きれいな花 が写 っていた。
b.写 真 を撮 るなら、きれいに写 りたい
この場 合 も、意 志 的 に「写 りたい」と表 現 するのであれば、そこに、なんらかのシステムの力 が関 与 する余 地 が出 てくるのである。
1.4 動 詞 の種 類 と機 能 表 現 (3) 金 田 一 春 彦 の動 詞 の四 分 類
動 詞 にはさまざまな分 類 があるが、金 田 一 春 彦 は動 詞 を四 つに分 類 している。
その中 には継 続 動 詞 、瞬 間 動 詞 、状 態 動 詞 、第 四 種 の動 詞 がある。ここでは、まず、継 続 動 詞 と機 能 表 現 の関 わりについて検 討 してみたい。
金 田 一 春 彦 の分 類 した継 続 動 詞 とは、動 作 の完 了 に時 間 を要 するものである。時 間 軸 に従 って、動 詞 の形 態 は、「~する」動 作 前 →「している」継 続 中 →「した」完 了 、へと変 わっ ていく。例 として、「読 む」「歌 う」「働 く」「書 く」「見 る」「食 べる」「眠 る」「走 る」「開 ける」「閉 め る」「飲 む」がある。この中 で、自 動 詞 は「走 る」と「眠 る」のみで、あとは他 動 詞 である。
これらを機 能 表 現 の判 定 文 にしてみると下 記 のようになる。
(17)
a.ラテン語 の本 を読 むには、どうするか b.ジャズをうまく歌 うには、どうするか c.楽 しく働 くには、どうするか
d.売 れる推 理 小 説 を書 くには、どうするか e.幻 の蝶 を見 るには、どうするか
f.本 場 のインド料 理 を食 べるには、どうするか g.ゆっくり眠 るには、どうするか
13 h.グランドを快 適 に走 るには、どうするか i.鍵 のかかった扉 を開 けるには、どうするか
j.閉 めるのを忘 れた家 の窓 を閉 めるには、どうするか k.楽 しくお酒 を飲 むには、どうするか
これらの文 は、特 に問 題 はない。いずれの文 も機 能 表 現 として成 立 している。 ここに挙 げ た動 詞 は意 志 的 動 作 を表 すため、意 志 を実 行 に移 す際 にシステムを利 用 する余 地 がある。
そのために、機 能 表 現 を行 うことができる。
次 に、瞬 間 動 詞 について検 討 してみる。瞬 間 動 詞 は、概 ね、動 作 ・出 来 事 が一 瞬 の間 に 終 了 する。動 詞 の形 態 は、時 間 軸 に従 って、「する」動 作 前 →「した」完 了 →「している」結 果 の存 続 、と変 化 する。なお、瞬 間 動 詞 と分 類 された動 詞 の中 にも、動 作 が一 瞬 で終 わら ないものがあるという指 摘 があり、現 在 は結 果 動 詞 や変 化 動 詞 という名 称 に代 わっている。
これらの動 詞 の例 として「結 婚 する」「始 まる」「始 める」「止 まる」 「止 める」「残 る」「残 す」
「開 く」「閉 まる」「死 ぬ」「起 きる」 「太 る」「痩 せる」がある。これらの動 詞 の中 で、他 動 詞 は
「始 める」「止 める」「残 る」であり、他 は自 動 詞 である。
(18)
a.なんとか結 婚 するには、どうするか b.?新 しい学 期 が始 まるには、どうするか c.店 を始 めるには、どうするか
d.?車 が止 まるには、どうするか
e.暴 走 する電 車 を止 めるには、どうするか f.?金 が残 るには、どうするか
g.金 を残 すには、どうするか
h.?鍵 のかかったドアが開 くには、どうするか i.?閉 め忘 れた家 のドアが閉 まるには、どうするか j.?ゴキブリが死 ぬには、どうするか
k.明 日 朝 5 時 に起 きるには、どうするか l.新 弟 子 の相 撲 取 りが太 るには、どうするか m.ダイエット中 の人 が楽 に痩 せるには、どうするか
上 記 の結 果 からわかるのは、瞬 間 動 詞 の中 で、他 動 詞 は問 題 なく文 としてなりたっている。
一 方 、自 動 詞 では、意 志 的 に動 作 を行 うことができる可 能 性 のある、「結 婚 する」「起 きる」
「太 る」「痩 せる」である。従 って、瞬 間 動 詞 というカテゴリーが機 能 表 現 となるかどうか、とい うよりは、意 志 的 動 詞 か、非 意 志 的 動 詞 かということが、機 能 表 現 となるかどうかにかかわっ てくることがわかる。
14
次 に、金 田 一 春 彦 の動 詞 四 分 類 のうち、状 態 動 詞 と第 四 の動 詞 について検 討 してみる。
状 態 動 詞 とは状 態 を表 すもので、「ている」の形 を持 たないものを言 う。数 は多 くないが、
「いる」「ある」「要 る」「できる」「話 せる」などである。これらはいずれも自 動 詞 である。 そして 第 四 の動 詞 とは、通 常 「ている」の形 で用 いられるものである。数 は多 くないが「聳 えている」
「すぐれている」などである。
(19)
a.?野 鳥 がたくさん公 園 にいるには、どうするか b.?公 園 に静 かな場 所 があるには、どうするか c.?非 常 時 への備 えが要 るには、どうするか d.?富 士 山 に登 ることができるには、どうするか e.?アラビア語 が話 せるには、どうするか
f.?東 京 タワーが聳 えているためには、どうするか g.?日 本 の工 業 技 術 が優 れているためには、どうするか
これらはいずれも文 として成 立 していない。これらはいずれも動 作 を表 すものではなく、主 格 の状 態 や属 性 を表 す動 詞 である。そのため、そこには意 志 が入 り込 む余 地 がない。この ため、システムを設 計 したり、利 用 する余 地 というものはそこにはない。これがシステムの機 能 表 現 として成 り立 たない理 由 となる。
結 論 として、状 態 や属 性 を表 す動 詞 は機 能 表 現 として使 うことができない。継 続 動 詞 は、
意 志 的 動 作 を行 うことを表 すために、機 能 表 現 として使 用 するうえで支 障 がないように見 え る。瞬 間 動 詞 (結 果 動 詞 ・変 化 動 詞 )は、その動 作 や変 化 が意 志 的 に行 われるものであれ ば機 能 表 現 として使 用 することができるが、非 意 志 的 な内 容 を表 すものは機 能 表 現 として は使 うことができなくなっていると言 えるようである。
1.5 動 詞 の種 類 と機 能 表 現 (4)授 受 動 詞 と機 能 表 現
動 詞 の中 には、授 受 動 詞 と言 われるカテゴリーがある。これは、ものの授 受 を表 すととも に、
動 作 の授 受 的 表 現 にも使 用 される。具 体 的 には「あげる」「くれる」「もらう」などである。これ らの動 詞 を機 能 表 現 に使 えるかどうか判 定 をしてみる。
(20)
a.太 郎 に気 の利 いたチョコレートをあげるには、どうするか
b.?花 子 がバレンタインデーにチョコレートをくれるには、どうするか c.バレンタインデーにチョコレートをたくさんもらうには、どうするか
(20)a.と c.は問 題 なく文 として成 り立 っている。これらは主 格 として「私 が」という話 者 を想
15
定 することができるため、問 題 はない。動 作 は話 者 である「私 」になる。但 し、 c.では、チョコ レートを渡 すのは、主 格 ではなく、第 三 者 である。しかしながら、「もらう」という動 詞 は、それ を受 け取 ることに焦 点 をあてた表 現 であるため、主 格 が動 作 するように表 現 されている。
それに対 し、b.では、主 格 に「花 子 」という第 三 者 が立 てられているように、「くれる」という 動 作 を行 うのは、話 者 ではない。このため、文 として成 り立 っていない。
図 3
この関 係 は、具 体 的 なものの授 受 だけではなく、動 作 のやりもらいに関 する表 現 において も成 り立 つ。
(21)
a.太 郎 に英 語 をわかりやすく教 えてあげるには、どうするか b.?花 子 が英 語 を教 えてくれるには、どうするか
c.花 子 に英 語 を教 えてもらうには、どうするか
(21)において、a.には「わかりやすく」という副 詞 を加 えているが、これは、「教 えてあげる」こ
「あげる」の場合 「もらう」の場合 動作の対象
主格
(動作主)
シス テム
主格
(動作主)
主格
(動作主)
シス テム シス テム 利用・関与 動作の対象
モノ
利用・関与
モノ
主格
(動作主)
動作の対象
(話者)
シス テム 利用・関与 モノ
「くれる」の場合
もらうた めの働き かけ
?くれる ための働 きかけ
16
と自 体 は、行 うか、否 か、という二 者 択 一 の問 題 であり、そのための方 策 を考 える余 地 は 通 常 ない。しかし、「わかりやすく教 える」ためにはさまざまな方 策 を考 える余 地 がある。
一 方 、「教 えてもらう」は、本 来 、「教 える」動 作 を行 うのは、話 者 である主 格 ではなく、対 象 である花 子 のほうとなっている。そのため、教 えるかどうかという意 思 決 定 を行 うのは花 子 であって、話 者 である主 格 がその意 志 決 定 を直 接 行 うことはできない。そのため、花 子 にそ の意 思 決 定 をさせるためにどうするか、という方 策 を考 える余 地 がある。
これらの関 係 を図 で表 すと図 4 のようになる。
図 4
教 えて「あげる」場 合 は、その動 作 は話 者 が行 うわけであるから、それをどう行 うのか、とい うことについて話 者 自 身 が検 討 ・決 定 できる。そのため、教 えて「あげる」場 合 には、 機 能 表 現 として成 立 することになる。
また、教 えて「もらう」場 合 には、動 作 自 体 は、話 者 では ない第 三 者 になるが、その動 作 を引 き出 すための働 きかけを行 う余 地 があるため、ここをどうするか、という検 討 を行 う余 地 が発 生 するために、機 能 表 現 として成 立 することになる。
ところが、教 えて「くれる」場 合 には、動 作 を行 う第 三 者 に対 して、その動 作 を引 き出 すた めの働 きかけを行 う余 地 がない。そのために、機 能 表 現 として成 立 しないことになる。
「あげる」の場合 「もらう」の場合 動作の対象
主格
(動作主)
シス テム
主格
(動作主)
主格
(動作主)
シス テム シス テム 利用・関与 動作の対象
教える
利用・関与
教える
主格
(動作主)
動作の対象
(話者)
シス テム 利用・関与 教える
「くれる」の場合
教えてもら うための働 きかけ
?教えてく れるための 働きかけ
17
これらのことから、話 者 が直 接 動 作 を行 うか、ないしはその動 作 を引 き出 す働 きかけを行 うことができるかどうか、ということが機 能 表 現 として成 り立 つか否 か、ということに関 わってく ることがわかる。
1.6 機 能 表 現 と動 詞 の形 態 の関 係
これまで、さまざまな動 詞 のカテゴリーによる動 詞 文 が機 能 表 現 として成 り立 つかどうかを 見 てきた。その結 果 、まず意 志 的 意 味 合 いを持 った動 詞 が機 能 表 現 として成 立 すること、
非 意 志 的 意 味 合 いを持 った動 詞 は機 能 表 現 としては成 立 しないことが判 明 した。そして、
意 志 的 自 動 詞 が機 能 表 現 となるには、話 者 が動 作 の主 体 となる場 合 、ないしは、その動 作 を引 き出 すために、何 らかの形 で関 われる場 合 に限 られることがわかった。
この関 係 を、最 初 に検 討 した、他 動 詞 についてもういちど検 討 してみたい。(22)の各 文 で わかるとおり、他 動 詞 を使 った文 においても、「私 が」という主 格 を話 者 とする場 合 は問 題 な く機 能 表 現 となる。ところが、話 者 以 外 を主 格 とする文 においては、他 動 詞 文 においても、
機 能 表 現 として適 切 かどうかは微 妙 になってくる。
(22)
a.私 がマンモスを狩 るには、どうするか
a’.?サーベルタイガーがマンモスを狩 るには、どうするか b.私 が家 を作 るには、どうするか
b’.?ビーバーが巣 を作 るには、どうするか
(22)の文 中 、「私 」が主 格 となる a.b.の文 は機 能 表 現 として特 に問 題 はない。いずれの文 でも、マンモスを狩 る、家 を作 る、というプロセスにおいて、なんらかのシステムを設 計 ・利 用 する余 地 がある。(マンモスを狩 ることは現 在 ではできないが、旧 石 器 時 代 の人 々にとって はこれらの記 述 は身 近 な問 題 であったであろう)
一 方 、a’.b’.の文 は、文 としては成 り立 っている。サーベルタイガーは、マンモスを狩 るとき にどのようにふるまうのか、ビーバーは巣 を作 るときにどのように行 動 するのか、という生 態 を 問 う文 脈 において、意 味 の通 じる文 となっている。しかしながら、これらの文 において、シス テム設 計 やシステムの利 用 を行 う余 地 はない。
ビーバーの巣 というものは、ビーバーにとってひとつのシステムではあるが、話 者 の視 点 は ビーバーとビーバーのシステムとは関 係 性 を持 たない。つまり、話 者 が動 作 の主 体 となる場 合 、ないしは、その動 作 を引 き出 すために、何 らかの形 で関 われる場 合 ではないのである。
ここで、話 者 が動 作 の主 体 となる場 合 、ないしは、その動 作 を引 き出 すために、何 らかの 形 で関 われる場 合 とは、「私 が」という形 で話 者 が主 格 として表 されている場 合 である。しか し、通 常 、機 能 表 現 には「私 が」という話 者 が主 格 として表 されることはない。
18 (23)
a.私 がマンモスを狩 るには、どうするか a’.マンモスを狩 るには、どうするか b.私 が家 を作 るには、どうするか b’.家 を作 るには、どうするか
通 常 、システムの機 能 表 現 として表 されるのは、(23)a’b’のように主 格 を欠 いた形 式 であ る。この場 合 、主 格 は「システムが」であり、それが記 述 されていないだけである、と説 明 され ることが多 い。しかし、その「システム」の所 有 ・設 計 ・利 用 ・発 案 、を行 っているのは、話 者 、 もしくはその関 係 者 であることになる。そのため、「私 が」と話 者 を主 格 とした文 が機 能 表 現 として問 題 がないものになる。
ところが、このことは、冒 頭 に述 べた、機 能 表 現 のふたつの形 式 のうちの、下 記 a.の表 現 と対 立 する。(1)において、b.の文 には主 格 がなく、この文 の主 格 には「私 が」ないし私 が利 用 する「システムが」というものが仮 定 される。しかし、a.の文 には「学 生 が」という主 格 が表 現 されている。((1)a.の文は学 生 自 身 が話 者 であるケースもありうる)
(1)
a. 学生が勉強する b. 学生に勉強させる
この、(1)a.の文と、(22)a’.b’の従属節部分との違いとは一体何なのであろうか。これらはいずれも 話者以外の主格を取る。(1)a.の「勉強する」は自動詞であるが、(22)の a’b’の従属節の述語部分 は.他動詞である。しかし、それが機能表現となるか否かを決定する要因ではない。動詞のカテゴリ ーの違いが問題であるのであれば、(22)a.b の従属節も機能表現とならないはずである。
(1)a.の文と、(22)a’.b’の従属節との間の違いとは、文法的、外形的な問題ではない。(22)a’.b’
の従 属 節 が表 している意 味 は、自 然 現 象 である。そこには、話 者 が自 然 現 象 へ関 わること の含 意 はない。一 方 、(1)a.の文 の場 合 は、学 生 の動 作 を述 べている。ここにも話 者 が学 生 の動 作 に対 する関 わりの含 意 は表 面 上 ない。
しかしながら、自 然 現 象 の場 合 には、放 っておいても、それらの自 然 現 象 は滞 りなく起 こる であろうという前 提 がある。それに対 して、教 育 に関 わるものの間 では、「学 生 が勉 強 しない」
ことへの悩 みが前 提 としてある場 合 が多 い。そのため、「学 生 が勉 強 しない」状 況 をなんとか
「学 生 が勉 強 する」状 況 へと変 えたい、という前 提 が隠 れている可 能 性 がある。あるいは、
「学 生 が勉 強 する」にあたって、さまざまな障 害 が存 在 している、という前 提 があるのかもしれ ない。そして、これらの点 において、(1)a.の従 属 節 がシステムの機 能 表 現 として認 められる ことになるのである。
従 って、自 然 現 象 である(22)a.b.の従 属 節 も、それがなんらかの形 で妨 げられており、そ
19
れを改 善 し、滞 りなく自 然 現 象 が起 こるようにする、という文 脈 においては、システムの機 能 表 現 として認 められうる可 能 性 があることになる。それは、自 然 破 壊 が進 んでおり、それを防 止 し、自 然 環 境 を守 らなければならない、という場 合 である。
つまり、(1)の a.b.文 が意 味 する事 柄 は、次 のような構 造 となる。
図 5
このように、「学 生 が勉 強 する」という機 能 表 現 の表 す事 柄 は、この表 現 中 には登 場 しな い話 者 自 身 が、システムを使 って、学 生 が勉 強 するようになる、あるいは勉 強 できるようにな る環 境 を作 る、整 える、という文 脈 において、機 能 表 現 となるのである。
一 方 、「学 生 に勉 強 させる」という機 能 表 現 の表 す事 柄 は、使 役 主 である話 者 が、動 作 主 である学 生 に対 して、勉 強 するように明 らかに働 きかけているのである。この過 程 において、
使 役 主 である話 者 は、なんらかの形 でシステムを設 計 したり、利 用 したりするのである。
しかしながら、いずれの場 合 においても、動 作 主 である学 生 が、使 役 されていることを認 識 しているか否 か、あるいは、勉 強 するような環 境 を作 られていることに気 付 いているか否 か、
ということはここでは問 われない。まったく使 役 されていることに気 付 かないまま、学 生 が勉 強 をしていたり、知 らないうちに、作 り変 えられている環 境 において勉 強 している場 合 も想 定 されるのである。
さてこのように、(1)a.と b.の文 は、外 形 的 には異 なっているものの、その表 す内 容 は近 接 しているものである。このいずれの表 現 を選 択 するかということは、システム設 計 にあたって 設 計 者 の好 みによって選 択 されているようにみえる。それでは、その好 みの分 かれる理 由 に ついては、後 段 で再 度 検 討 することとする。
「学生が勉強する」の場合 「学生に勉強させる」の場合
利用 関与
学生
(動作主)
学生=主格
(動作主)
シス テム
話者=主格
(使役主)
主格
(動作主)
シス テム シス テム 話者
学生が勉強す る(できる)
環境
利用 関与
20 2.機 能 表 現 と理 由 ・原 因 の表 現 の関 係
ワークデザインの初 学 者 にとって、一 番 の難 関 は、機 能 の記 述 がうまく見 いだせないとい うところである。ここで躓 く初 学 者 は実 に多 い。機 能 の記 述 を見 出 すことが困 難 な理 由 がわ かれば、うまく指 導 できる方 策 を見 出 すことができる可 能 性 が出 てくる。ここでは、言 語 学 的 アプローチから、この問 題 を取 り上 げてみたい。
2.1 機 能 表 現 を行 う際 のよくある間 違 い
機 能 表 現 を行 う際 に、初 学 者 がよく行 う誤 りが、目 的 ではなく、理 由 ・原 因 を答 えてしまう、
というものである。理 由 や原 因 と目 的 の区 別 がうまくできないため、機 能 の記 述 を行 うことが できないケースがとても多 いようだ。それでは、どのような誤 りが多 くみられるのであろうか。
例 えば、風 呂 を題 材 にとり、初 学 者 に機 能 展 開 を行 うように指 導 する場 合 を想 定 してみる。
ここでは、機 能 のレベルの高 低 は問 わず、とりあえず、機 能 表 現 として成 り立 っているかどう かを見 ていくこととする。
風 呂 の機 能 を記 述 する課 題 を記 述 する課 題 を初 学 者 に与 えると、よく出 てくる回 答 が 下 記 のようなものである。
(24)
a. 疲 れているから b. 暖 まるから
c. 清 潔 になりたいから d. 汗 をかいたから e. お湯 を溜 める f. 深 さがある
g. 気 持 ちがいいから
これらの回 答 の語 尾 に着 目 すると、e.f.を除 いて、いずれも「から」というものが使 われてい る。これらの回 答 のうち、「疲 れているから」「汗 をかいたから」という答 えはあまり機 能 の表 現 らしくはない。どちらかというと、理 由 と呼 べるものに近 いようである。
一 方 、「暖 まるから」「清 潔 になりたいから」という回 答 は、機 能 の表 現 らしく感 じられる。目 的 を答 えているように思 えるからである。風 呂 に入 る、その目 的 は何 かと言 うと、暖 まるから、
清 潔 になりたいから、と答 えるのはかなりつじつまがあっているようである。
(27)の回 答 のうち、「お湯 をためる」というものは、風 呂 のひとつの機 能 と言 ってよさそうで ある。しかし、目 的 かどうか、と問 われるならば、一 般 的 感 覚 からすると、あまり目 的 という感 じはしない。一 般 的 には風 呂 の目 的 を問 われると、風 呂 に入 る目 的 を想 定 してしまうことが 多 いが、「風 呂 に入 る」目 的 が「お湯 をためる」ことにはなく、目 的 と機 能 のレベルが逆 にな っているからである。
21
「深 さがある」という回 答 は浴 槽 の形 状 を記 述 したものであると言 える。このように、対 象 の 形 状 や属 性 を述 べることは機 能 を記 述 させる課 題 において 、たびたび見 受 けられる。これ は機 能 の表 現 とは尐 し異 なっているようにみえる。しかし、風 呂 の特 性 から言 って、「深 さが ある」ことと「お湯 をためる」こととの間 には密 接 な関 係 があることは間 違 いない。
また、「気 持 ちがいいから」という回 答 はかなり目 的 の表 現 に近 く、機 能 の表 現 となるもの のようにもみえる。また、この回 答 にも「から」が使 われている。
これらの回 答 を、それぞれの関 係 性 に着 目 して整 理 してみると、まず、「深 さがある」ことに よって、「お湯 をためる」ことができ、「疲 れているから」・「汗 をかいたから」そのお湯 につかり
「暖 まる」ことができ、「清 潔 になる」ことができ、「気 持 ちいい」状 態 になることができるのであ る。このようにこれらすべての回 答 は図 6のように記 述 することができる。これによって風 呂 と いうシステムを取 り巻 く状 況 を大 雑 把 であるが、説 明 することができる。
図 6
さて、これらの回 答 をプラス的 な要 素 とマイナス的 な要 素 という観 点 で、更 に分 析 するなら ば、「深 さがある」という回 答 は中 性 的 な記 述 である。なんらかの役 にたつというプラスの要 素 になるかどうかはわからないものの、そういった形 状 をしている、という浴 槽 の属 性 を 単 に 記 述 しているようである。
これに対 して、「お湯 をためる」という回 答 は、そのままの文 面 を見 る限 り、ただ単 にお湯 が たまる、という状 態 を述 べているもので、中 性 的 な記 述 のように見 える。ただ、浴 槽 はお湯 を ためて使 うものだ、という人 為 的 な作 為 を考 慮 するならば、ややプラス的 な要 素 を述 べたも のとも取 れる。
次 に「疲 れているから」と「汗 をかいたから」という回 答 は、どちらかというと人 が良 くない状 態 にある、というマイナス的 な要 素 を記 述 している。その後 の、「暖 まる」「清 潔 になる」「気 持 ちいい」といった回 答 は、すべて人 がよい状 態 になったか、よい状 態 にあるというプラス的 な 要 素 を記 述 するものとなっている。
これらのプラス・マイナスの要 素 を考 えていくならば、人 はまず、なんらかマイナスの状 態
(疲 れている・汗 をかいた)にあることを自 覚 し、プラスの状 態 (暖 まる・清 潔 になる・気 持 ちい 深さがある
お湯をためる 疲れているから
汗をかいたから
暖まる 清潔になる
気持ちいい
22
い)になるために、なんらかのもの(たまったお湯 )を使 う。そして、なんらかのもの(たまった お湯 )を実 現 するためのメカニズム(深 さがある)がそこには必 要 である、ということになる。
人 間 の行 動 ・活 動 とは、すべてなんらかのマイナス面 を認 識 したうえで、その解 消 のため に行 うものと言 える。もっともプリミティブなレベルのマイナス面 としては、飢 えや渇 きといった ものがあろう。また、金 銭 的 な面 での不 足 感 というマイナス面 を解 消 するべく、人 は働 き、物 質 的 な面 で充 足 したとしても、精 神 的 な欲 求 に基 づき、さまざまな活 動 を行 う。そういった精 神 的 な欲 求 というものも、実 はなんらかの形 で満 たされていないというマイナス面 を解 消 した い、という形 で人 間 を突 き動 かしているのである。
その面 で、マイナス的 な要 素 を含 む、「疲 れているから」「汗 をかいたから」という回 答 は、
人 を風 呂 に入 ろうという気 を起 こさせる誘 因 を表 しているようである。ここで一 歩 踏 み込 んで、
マイナス面 を解 消 することを、目 的 ないし、機 能 表 現 である、とする ならば 、「疲 れをとる 」
「汗 を流 す」ことこそが目 的 の記 述 であり、機 能 表 現 となりうるものと呼 べそうである。
ところが、われわれは普 通 、「疲 れているから」「汗 をかいたから」というものを、風 呂 に入 る
「理 由 」と呼 ぶ。一 方 、「疲 れをとる」「汗 を流 す」というものも、風 呂 に入 る「理 由 」と 普 通 は 呼 ぶのである。マイナス的 な要 素 を記 述 する文 も理 由 であり、そのマイナス的 な要 素 を解 消 することを記 述 する文 もまた理 由 なのである。ここで、理 由 と目 的 との境 界 があいまいになっ てくる。初 学 者 が目 的 の表 現 をうまく見 出 すことができない理 由 がここにある可 能 性 がある。
理 由 と目 的 の間 の関 係 については、後 段 で再 度 検 討 をしてみたい。
2.2 なぜ、と問 うことの意 味
さて、風 呂 の機 能 として、「深 さがある」という回 答 が出 てくることがあるのだが、そういった 回 答 はいきなり出 てくることは尐 ない。むしろ、「お湯 をためる」と記 述 したあとで、同 一 人 物 が「深 さがある」と記 述 することが多 い。
そこで、なぜそのような記 述 をしたのか、と記 述 した本 人 に尋 ねてみたところ、「浴 槽 はお 湯 をためるものである。そして、なぜお湯 がたまるのか、というと、深 さがあるからである」と 回 答 を行 ったことがある。
目 的 の表 現 を導 くには、「なぜ?」と問 うのではなく、「それは何 のため?」と問 うように指 導 しても、いつのまにか「なぜ?」と自 問 している学 習 者 がみられる。その理 由 は、学 習 者 にと って、「それはなんのため?」と問 うことと、「なぜ?」と問 うことは等 価 であるためのようであ る。
われわれは、目 的 を問 う際 にも、普 通 「なぜそれを行 うのか」という形 で問 うことが多 い。
「なんのためにそれを行 うのか」という形 で問 いかけることは一 般 的 には尐 ないのである。
さて、さきほどの「浴 槽 はお湯 をためるものである。そして、なぜお湯 がたまるのか 、というと、
深 さがあるからである」という回 答 には非 常 に興 味 深 い記 述 が見 える。それは、 前 の文 には
「ためる」という他 動 詞 が使 われているのに対 し、後 ろの文 には「たまる」という自 動 詞 が使 わ れていることである。
23
この場 合 は、たまたま混 乱 して他 動 詞 と自 動 詞 を取 り違 えた可 能 性 もある。しかしながら、
分 析 的 な考 察 を行 う場 合 には、自 動 詞 を使 って検 討 するほうが自 然 であるかもしれない。
「なぜお湯 をためるのか」と他 動 詞 を用 いて問 うならば、お湯 をためることによって何 をした いのか、という目 的 、もしくは、どうしてお湯 をためたかったのか、という理 由 を答 えることにな りそうである。
一 方 、「なぜお湯 がたまるのか」と自 動 詞 を用 いて問 うならば、お湯 がたまるしくみとはい ったい何 なのか、というメカニズムを答 えることになりそうである。メカニズムには、因 果 関 係 が存 在 し、ある現 象 を引 き起 こす原 因 と関 係 性 が存 在 する。メカニズムを問 うということは、
原 因 を問 うことでもある。
ここでわかることは、目 的 や理 由 を問 う場 合 も、「なぜ」と問 い、メカニズムや原 因 を問 う場 合 も「なぜ」と問 うことである。そして、「なせ」のあとに他 動 詞 文 を続 けると、目 的 や理 由 を問 うことになり、「なぜ」のあとに自 動 詞 文 を続 けると、メカニズム や原 因 を問 うことになるようで ある。
このことが、一 般 的 に他 の動 詞 においても成 り立 つものであるのかどうか 、確 認 してみた い。下 記 (25)において、それぞれ対 となる他 動 詞 と自 動 詞 を使 い、「なぜ」で問 う文 章 を作 ってみた。それぞれのペアにおいて異 なるのは、格 助 詞 に「を」を使 うか「が」を使 うか、他 動 詞 を使 うか、自 動 詞 を使 うか、ということだけである。
(25)
a.なぜそうめんを流 すのか a’.なぜそうめんが流 れるのか b.なぜかんぬきを外 すのか b’.なぜかんぬきが外 れるのか c.なぜ障 子 を破 るのか
c’.なぜ障 子 が破 れるのか d.なぜ卵 を割 るのか d’.なぜ卵 が割 れるのか e.なぜ金 を残 すのか e’.なぜ金 が残 るのか f.なぜ文 書 を戻 すのか f’.なぜ文 書 が戻 るのか g.なぜごみを散 らかすのか g’.なぜごみが散 らかるのか h.なぜ意 見 をまとめるのか h’.なぜ意 見 がまとまるのか i.なぜシャツに色 を染 めるのか
24 i’.なぜシャツに色 が染 まるのか
j.なぜお湯 を沸 かすのか j’.なぜお湯 が沸 くのか k.なぜ金 利 を増 やすのか k’.なぜ金 利 が増 えるのか l.なぜ頭 を揺 らすのか l’.なぜ頭 が揺 れるのか m.なぜ木 の葉 を浮 かべるのか m’.なぜ木 の葉 が浮 かぶのか n.なぜ夢 をかなえるのか n’.なぜ夢 がかなうのか o.なぜチーズを裂 くのか o’.なぜチーズが裂 けるのか p.なぜ柱 を立 てるのか p’.なぜ柱 が立 つのか q.なぜタオルを乾 かすのか q’.なぜタオルが乾 くのか r.なぜお茶 を冷 ますのか r’.なぜお茶 が冷 めるのか s.なぜ服 装 を整 えるのか s’.なぜ服 装 が整 うのか
(25)でわかることは、いずれも他 動 詞 を使 い、「なぜ」と問 うた場 合 には、目 的 もしくは理 由 を問 うているようであること、自 動 詞 を使 い、「なぜ」と問 うた場 合 には、メカニズムを問 うて いるようであることである。しかし、辞 書 形 (流 れる・聞 く、のように、語 末 が-u で終 わる形 :辞 書 にはこの形 で記 載 される)の自 動 詞 を使 って問 う場 合 、原 因 を問 う感 じはしない。
例 えば、a’において、「なぜそうめんが流 れるのか」という問 いでは、そうめんが流 れるメカ ニズムが何 なのか、ということを問 うている感 じがする。これをタ形 (タ形 は多 くの場 合 、過 去 時 制 において用 いられるが、そうでない場 合 にも用 いられる)の自 動 詞 を使 い、「なぜそうめ んが流 れたのか」と問 うならば、メカニズムを問 う場 合 も含 め、原 因 を問 う感 じもする。
辞 書 形 の自 動 詞 を用 いて問 う場 合 には、普 遍 的 な法 則 に基 づく、一 般 的 なメカニズムを 問 う感 じが強 い。「そもそも、流 しそうめんのシステムにおいて、どうしてそうめんは流 れるの か」という、原 理 を考 える問 いに用 いられるニュアンスが強 く感 じられるのである。
それに対 して、タ形 の自 動 詞 を用 いて問 う場 合 には、特 定 の事 件 のメカニズム、もしくは その現 象 を引 き起 こした原 因 を問 う感 じがある。「さっきは、どうしてそうめんが流 れたのか」
ということを問 うニュアンスがある。
25
具 体 的 な文 脈 を想 定 するならば、そうめん流 しをしようとしていて、なかなかうまく流 れな い状 態 が続 いたにも関 わらず、ある特 定 のそうめんだけはうまく流 れた、それはなぜなのか、
そうめんが流 れたときのメカニズムはいったい何 だったのか、ということを問 う場 面 が想 定 さ れる。
また、別 の文 脈 を考 えるならば、まだそうめんを流 す予 定 ではなかったのに、なぜかそう めんが流 れてしまうという事 態 が発 生 した、その事 態 を引 き起 こした原 因 は何 だったのか、
原 因 をつくった人 物 は誰 なのか、ということを問 う場 面 を想 定 することができる。
このように、自 動 詞 を使 って「なぜ」と問 うた場 合 、辞 書 形 を使 うとメカニズムを問 うことに なり、タ形 を使 うと原 因 を問 うことになる。いずれにせよ、自 動 詞 を使 う場 合 には理 由 や目 的 を問 うことにはならない。
さて、前 述 の自 動 詞 を使 って「なぜ」と問 うた学 習 者 は、偶 然 、自 動 詞 を使 ってしまった のであろうか。システムの目 的 について、段 階 を追 って上 位 に展 開 する課 題 を課 した場 合 に、メカニズムを分 析 する形 で記 述 する学 習 者 は時 折 だが確 実 に存 在 する 。そういった場 合 、自 動 詞 を使 い、「なぜ」と考 えてしまった可 能 性 を否 定 することはできない。
われわれは、起 こった現 象 のメカニズムを分 析 し解 明 する考 え方 には慣 れている。問 題 が起 こった際 に、われわれは問 題 が起 こったメカニズムを明 らかにし、問 題 を解 決 しようとす る。それは科 学 的 な手 法 による場 合 もあるが、非 科 学 的 な手 法 による場 合 もあるであろう。
科 学 的 な教 育 が普 及 する前 の時 代 においては、天 災 の発 生 は、神 や悪 霊 が超 自 然 的 力 を発 揮 するというメカニズムが働 いた結 果 であろうと考 え、問 題 解 決 を図 るために、人 々 は神 を祀 り、悪 霊 を退 散 させるよう神 仏 の力 を借 りようとした。このように「なぜ」ある現 象 が 起 こるのか、というメカニズムを分 析 することは、われわれにとって自 然 な考 え方 である可 能 性 が高 い。そして、そういった際 に、われわれは、自 動 詞 を使 って「なぜ」それが起 こるのか、
あるいはそれが起 こったのか、というメカニズムと原 因 を追 究 している可 能 性 がある。
これは、自 動 詞 ・他 動 詞 の対 立 のある動 詞 の場 合 であるが、一 方 、対 となる他 動 詞 を持 たない自 動 詞 の場 合 にはどうなるのであろうか。例 えば、「走 る」「泳 ぐ」「行 く」などの対 とな る他 動 詞 を持 たない自 動 詞 の場 合 について考 えてみたい。これらの動 詞 を使 い、「なぜ」と 問 いかけてみることで確 認 をすると下 記 のようになる。
(26)
a.なぜ太 郎 は走 るのか a’.なぜ車 は走 るのか b.なぜ太 郎 は泳 ぐのか
b’.なぜロボットの魚 は泳 ぐのか c.なぜ太 郎 は駅 に行 くのか
c’.なぜロボットの掃 除 機 は部 屋 の隅 に行 くのか
26
(26)において、それぞれ人 と非 生 物 を使 い、「なぜ」と問 いかけてみた。但 し、「走 る」以 外 の動 詞 「泳 ぐ」「行 く」を述 語 にとれる非 生 物 はほとんど存 在 しないので、多 尐 無 理 のある記 述 となってしまった。
ここでわかることは、人 に対 して「なぜ」と問 うと、理 由 や目 的 などを問 うている感 じがする のに対 して、非 生 物 に対 して「なぜ」と問 うと、そのメカニズムを問 う感 じになることである。た だし、c’のロボット掃 除 機 の場 合 は目 的 や理 由 を問 う感 じもする。これは、修 飾 語 を伴 わな いと文 にならないため、「部 屋 の隅 に」という修 飾 語 を付 加 したためと思 われる。同 様 に、
a’.b’.にも修 飾 語 を付 加 してみると下 記 のようになる。
(27)
a’.なぜ車 は道 路 の左 側 を走 るのか b’.なぜロボットの魚 は海 を泳 ぐのか
(27)でわかるように、これら、非 生 物 を使 って、これらの自 動 詞 文 を作 ると、目 的 や理 由 を 問 う感 じが出 てくる。しかし、同 時 に、「どのようなしくみによって、車 は道 路 の左 側 を走 るの か」、「どのようなしくみでロボットの魚 は海 を泳 ぐのか」というメカニズムを問 う感 じもやや残 っ ている。
人 について「なぜ」と問 うて、メカニズムを問 う感 じがしないのは、通 常 、われわれは人 が
「走 る」「泳 ぐ」「行 く」メカニズムを問 題 にすることはないからではないだろうか。同 じく、これ が生 物 であるならば、それらの動 作 のメカニズムをあまり問 題 としないため、人 と同 じ扱 いに なるのかもしれない。一 方 、非 生 物 に対 して「なぜ」と問 われるならならば、非 生 物 は通 常 、 理 由 や目 的 を持 って動 作 するわけではないために、動 作 のメカニズムに焦 点 がいくと考 え ることができる。
しかしながら、修 飾 語 を付 加 し、動 作 の仕 方 を限 定 ・特 定 する場 面 では、メカニズムととも に、その特 定 の場 面 では、なんらかの意 図 が背 後 に隠 れているように感 じられる。例 えば、
「車 が道 路 の左 側 を走 る」ようにしたのは、社 会 的 なルールに基 づくものであり、そのルール を作 った人 の意 図 というものがどこかにあるはずだ、という前 提 をわれわれは持 ってしまう。
同 様 のことは、ロボットの魚 やロボットの掃 除 機 にも言 える。これらのロボットがどうやって 動 作 するのか、というメカニズムを問 題 とすることがわれわれの思 考 にあるが、それと同 時 に、
ロボットを作 った人 の意 図 が何 なのか、というところも問 題 としてあがってくる。
それでは、生 物 の場 合 は、すべてメカニズムが問 題 とならないのであろうか。それについ て、更 に検 討 してみる。
(28)
a.なぜ人 は歩 くのか
b.なぜセイヨウヒナギクの種 は歩 くのか