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律令の民事訴訟法

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Academic year: 2022

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(1)律令の民事訴訟法. 律令の精神と民事訴訟. 瀧. 川. 律ムηの民事訴訟法. 政次郎. 我が大賓・養老の律令は︑いうまでもなく當時の世界の丈明國であつた唐の律令を模倣したものであるが︑ 唐の律. 剛. 訴決謹談理. 訴訟當事者 出訴の手績. 裁判斯の管轄と換推の制. 定季訴訟法と臨時訴訟法. 律令の精憩と民事訴訟. 〇九八七六五四三=一 上判人書審出訴裁定律.

(2) 律令の民事訴訟法. 二. 令は︑漢民族敷千年の國家生活の経験によつて産出せられた文化的所産であつて︑その背景を爲すものは︑春秋戦國. 以來漢民族の政治思想を支配した儒家・法家なる二つの相封立す届思想である︒この二つの思想は︑前漢の武帝が法. 家にして且つ儒家の思想に造詣の深い薫仲紆を用いて︑陰に法家の法治を行い︑陽に儒家の徳治を標榜する偶善・欺. 朧の政治を行つてから︑爲政の用具である法の中に昊越同舟の姿において介在するに至つた︒故に漢法を承け縫いだ. 階唐の律令の中には︑その立法の目的が明かに相反する規定が︑李然として同じ篇の中に蛇存している︒一例を墾ぐ. れば︑闘訟律は︑﹁獲いて直と爲す者︑君子これを悪む﹂という儒家の倫理によつて懸名の書を投じて人の罪を告げ. る者を徒二年の刑に庭し︑匿心名の書を披いて見る有司をも同罪としているが︑謀反大逆の罪については︑君灌奪重の. 法家の主義に基いて密告を奨働し︑謀反大逆の罪あるを知つてこれを官に告げざる者を絞刑に庭している︒儒家の思. 想は︑法を以て人民を懲戒して善に遷らしめる手段であるとし︑明刑弼教刑︑刑は無きを期するを以て主義としてい. るが︑法家の思想は︑法を以て矩規準縄とし︑法に鰯れる者は寸毫も假借せず︑信賞必罰︑以て杜會の治安を維持し︑. 君灌を強大にして易世革命を避け︑國家を永綾せしめることを目的としている︒しかし︑人民天賦の灌利なるものを. 認めない黙においては︑爾者共に一であつて︑人は道義國家或いは灌力國家の秩序を維持する法を自己の法としてそ. の實現を國家に要求することはできるが︑天賦の人灌を主張し︑自己の幸輻を追求するために︑國灌の護動を國家に. 要求することはできなかつた︒﹁水を飲み︑肱を枕にするも樂しみ其の中にあり﹂という儒教の倫理を實現せんとす. る國家が︑人民の編祉を増進するために︑その財産灌を保護することに熱心でないことはいうまでもなく︑﹁朝に道. を聴いて夕べに死するも可なり﹂とする法律が︑人の生命身朧の樺利を擁護するに熱意を訣いていることは賭易き道.

(3) 理である︒﹁大義は親を滅す﹂るものとして︑國家の利盆の前には︑人問の本能的愛構をも犠牲に洪せしめる法家の. 思想に立脚する國家が︑個人の親族相績の問題について︑その感情及び性慾の満足を得しめるような裁到をすること. を念としなかつたことは︑もとより怪しむに足りない︒個人の構利なるものが認められていない肚會に︑今日いうよ. うな意味の民事訴訟など有り得よう筈はない︒愛に私が律令時代の民事訴訟法と禰するものは︑當時の國家が︑或い. は道義を維持し︑或いは國家の秩序を維持するために︑國家が不當に個人の生命財産に關する利盆を侵害することを. 禁制した法を︑自己の法として實現することを國家に要求する手績のことであつて︑ヨーロッパ的な法律翻念しか持. たない現代の日本人の理解に便するために︑愛では民事訴訟法なる語は勿論︑現代民事訴訟法の各種の用語を用いる. が︑エキザクトにいえば︑愛に用いられる用語は︑現代の法律用語と少しずつその意が違うものであることを先ず御 承知いただきたい︒. 律令法は︑前述の如く︑道義若しくは君主の灌力を確立するために︑人民の自由を制限することを目的とする法で. あつて︑人民の自由なり灌利なりを保護塘進せしめることを目的とした法ではない︒故に律令法は︑﹁法禁﹂なるその. 名が示す如く︑原則として禁止︑禁制の法である︒故に律令の法騰系においては︑法禁を犯した者を罰する刑罰法規. が重要な地位を占めている︒從つて訴訟といえば︑原則として刑事訴訟であつて︑民事訴訟は︑訴訟の中で輕い意味. しか持つていない︒貸金の返還を求める訴訟は︑今日においては︑個人の財産灌の保護を求める行爲として翻念せら. れているが︑當時にあつては︑それが債務者の不徳義を責める行爲として考えられていたのである︒當時の消費貸借. 三. には︑利息附きのものと無利息のものとがあつて︑前者を出撃といい︑後者を借貸といつたが︑借貸の物を借りて期 穂一令の民事訴訟法.

(4) 律令の民事訴訟法. 四. 濟しない者があつても︑債灌者は最初から利益を目的としたものであるからという. 限に至つて辮濟しない者は︑忘恩の者としてその怠つた期限の日敷と借りた物の額の多少とに從つて︑一定の刑罰が. 科せられた︒出畢の物を借りて. 理由で︑債務者の不徳義を訴えることは聴されず︑自力を用いて債務者の財産を差押えることが聴されたのみであ. る︒故に當時の貸金請求事件は︑これを純然たる民事訴訟とみることができないのであつて︑訴訟の性質は唯一つで. あつた︒しかし︑律令は︑貸金の請求の如き事急を要せざる事件と︑殺人︑傷害︑強盗︑彊姦の如き事急を要する事. 件とを匠別し︑その管轄裁到所と訴訟手績とを別々に規定した︒事急を要する事件は︑大たいにおいて刑事事件であ. り︑事急を要せざる事件は︑大たいにおいて民事事件である︒故に私は︑律令における事急を要せざる事件の庭理方 法を︑律令の民事訴訟法として︑愛にそれを叙述することとした︒. 二 定季訴訟法と臨時訴訟法. 律令は︑事急を要する事件は︑時季を限らず︑事の起るに臨んで直ちに官司に出訴することを聴したが︑事急を要. せざる事件は︑一年内の或る特定の時季に限つて出訴すべきものとした︒故に私は︑前者を臨時訴訟︑後者を定季訴. ニノカ. 訟と名づける︒臨事訴訟の手綾は︑即ち刑事訴訟法であり︑●定季訴訟の手綾は︑印ち民事訴訟法である︒. 養老の雑令には ヌベ. 凡ノ訴訟ハ︑十月ノ一日二起ッテ︑三月ノ三十日二至ルマデニ検校セヨ︒以外ハ合カラズ︒若シ交二相侵奪セバ..

(5) 此ノ例二在ラズ α. という條文があつて︑事急を要せざる訴訟は︑毎年十月の一日から出訴し始めて︑翌年の三月の三十日までに到決が. 下されるようにすべきことが命ぜられている︒公式令には︑獄案は三十日とあるから︑審理開始から到決までには︑. 一箇月かかるものと見なければならない︒故に出訴はおそくとも二月末日までにこれを行うべきものと解さなければ. ならな卵︒奮暦十月は既に冬である︒故にこの訴訟手綾は︑またこれを冬季訴訟法と名づけてもよい︒令が事急を要. せざる訴訟を冬のうちに行うべきことを定めたのは︑訴訟によつて農桑の事を慶することを避けんとしたものであ. る︒商工業の獲達しなかつた當時にあつては︑人民印ち農民であつて︑庶民印ち﹁百姓﹂は︑今も農民を意味する言. 葉となつている︒故に當時の法律は︑すべて農民を封象として制定されているのであつて︑賦役令には︑篠丁・雇役. の丁を使うのは︑十月一日から翌年の二月三十日の間においてせよという條文があり︑それ以外の時季にどうしても. 民を役する必要のある場には︑家に二人以上の正丁がある戸の者を使えという條文がある︒是れ印ち﹁民を使うに時. を以てす﹂という儒家の教えによつて制定せられた法である︒但し︑律令が冬季に訴訟を行うべきものとした理由を. そればかりに限定するのは︑あまりにも現代的な合理的解繹である︒漢唐の人は︑陽氣の立つ春夏の候に訴訟・裁到・. 行刑の事を行えば︑災殊が生ずるものと考えていた︒漢族の信仰によれば︑天象と人象とは密接た關係を有し︑君主. が失徳の行いをすれば︑天は日月の蝕を以て君主に警戒を與え︑人民が無道を行えば︑天は水旱轟霜の災異を生ぜし. めるものとされた︒それがいわゆる天謂である︒訴訟・裁到・行刑は︑陰事なるが故に︑陰時劇ち秋冬の季節に行う. 五. べきものと考えられていた︒その事は︑裁到官のことを﹁秋官﹂ということによつても知られよう︒陽時に陰事を行 律令の民纂訴訟法.

(6) 律令の民事訴訟法. 六. い︑陰時に陽事を行えば︑陰陽の調和は失われ︑災害頻りに藤るというのも︑漢民族固有の信仰である︒この思想が. 奈良時代の日本にも輸入されていたことは︑我が大實・養老の職員令・太政大臣職掌の條に﹁陰陽ヲ蔓和ス﹂とある. ことによつても知られる︒養老の獄令には︑また﹁立春ヨリ秋分二至ルマデ︑死刑ヲ奏決スルコトヲ得ズ﹂という條. 文があつて︑立春から秋の比岸に至る期問には︑死刑の到決を下すこともできず︑死刑を執行することもできないこ とになつている︒. マサ. 定季訴訟手綾によつて出訴すべき事件が︑いかなるものであるかについては︑前掲雑令の條文の義解に. 謂ヘラク︑財物︑良賎︑譜第ノ類ハ︑事侵害二非ズ︒慮二時ヲ待ツテ申訴スベキ者也︒. オモ. とあつて︑財物に關する一切の訴訟及び良賎︑譜第の身分に關する訴訟が︑その例として畢げられている︒財物に關す. る訴訟は︑前に畢げた出畢︑借貸に關する訴訟︑費買︑交換︑質入︑相績に關する訴訟等であつて︑田宅︑奴脾︑馬. 牛等に關する訴訟も︑またこの手綾によるべきものと解せられる︒從つて家屋の賃貸︑土地の境界︑田畑の小作︑水. 利︑山林︑沼澤の入會椹︑鑛物の採取灌等に關する事件︑及び舟車交通に關する事件等も︑またこの手績によつて出. 訴すべきものであつたと考えられる︒良賎の訴訟というのは︑現在良民︵自由人︶である人を自己所有の賎民︵奴隷︶で. あると主張し︑また現在賎民である者が︑己れの良民であることを主張する訴訟であり︑譜第の訴訟というのは︑己れ. が國造の出自であること︑他人が國造の出自にあらざることを訴える訴訟である︒當時の杜會には︑良・賎なる二つ. の大きな身分階級があり︑賎民の中にはまた陵戸︑官戸︑家人︑官奴脾︑私奴碑なる五種の身分があつて︑これを五色. の賎といつた︒陵戸︑官戸︑家人は︑賎民とはいうものの︑その意に反して他に費買︑質入せられることなく︑また.

(7) 無制限に使役せられることがなかつたから︑官奴脾が己れの官戸なることを訴え︑私奴碑が己れの家人なることを訴. えることも︑また良賎の訴訟であつた︒譜第なる語は︑.ひ石く官職世襲の特椹を有する家柄を意味し︑敢えて郡司に. 選擬せられる國造の家柄に限らないが︑訴訟事件を惹き起したのは︑主として國造の家柄についてである︒大化の改. 新は︑世官世職の晒習を慶し︑專ら徳行・才勢によつて人材を登庸する原則を立てたが︑地方官である郡司及び神官. 等については例外を設け︑選叙令の中に﹁其ノ大領︑少領ニハ︑才用同ジクバ︑先二國造ヲ取レ﹂という條文を置い. た︒この故に譜第を箏う訴訟も多く出で來つたのである︒これを要するに︑良賎・譜第の訴訟なるものは︑身分に關す. る訴訟である︒故に義解がこの二例を峯げている以上は︑すべての人事訴訟は︑またこの手綾によつて出訴せらるべ. きものであつたと解すべきである︒當時特灌を件う身分には︑三位以上の孫である蔭孫︑五位以上の子である蔭子︑. 八位以上の子である位子等があつたが︑それらの身分を雫う訴訟は︑みなこの手綾によつたものと思われる︒妻︑妾︑. 嫡子︑養子︑庶子等の親族的身分︑及び婚姻︑養子縁組︑等の戸籍の記載に關する一切の訴訟も︑事侵奪にあらざる. ものは︑すべてこの手績によるべきものであつたと思われる︒條交にいう侵奪とは︑いかなるものをいうかという間 題について︑義解は︑. 謂ヘラク︑交トハ徐遅二非ザルノ詞也︒侵ハ人を侵損スル也︒奪ハ財物ヲ強牧スル也︒. と註解している︒故にこの條文において︑最も肝要な文字は﹁交﹂の一字であつて︑結局人を侵損し︑財物を奪うこ. とになつても︑その行爲が﹁徐遅﹂であるものは︑定季訴訟に鵬するのである︒故に彊姦事件は臨時訴訟事件である. が︑護人を立てて妻の密通を訴えるのは定季訴訟事件である︒從つて定季訴訟事件がすべて民事々件であるとは限ら. 緯令の民事訴訟法七.

(8) 律令の民事訴訟法. 八. ない︒刑事々件であることもある︒同様に臨時訴訟事件の中にも民事々件はあるわけであつて財物に關する事件であ. つても︑急激に財物を奪う事件︑例せば債務者の夜逃げのような事件で︑今日の民事訴訟法で假庭分︑假差押等の保. 全庭分を必要とする事件は︑いずれも臨時訴訟手績によつて︑いつそも出訴することができたと解すべきである︒事. 件が徐逞であるか否かによつて︑その救濟の方法を異にしたのは︑徐遅なるものは肚會の治安に關係なく急激なるも. のは事些細なりと錐も治安に關するからである︒律令が臨時訴訟手綾を設けて敏速に事件を庭理したのは︑個人の利. 盆を保護するためにあらずして︑治安の維持を確保するためであつた︒律令法は︑前章に詳述した如く︑どこまでも. 公盆を保護するための法律であつて︑私盆保護の目的をもたない︒その私盆がこれによつて保護せられるのは︑公盆 保護の反射的作用に外ならない︒. 律令は︑臨時訴訟に關する規定を大たい獄令に牧め︑定季訴訟に關する規定を公式令に牧めた︒故に臨時訴訟法︑. 定季訴訟法の名に代えるに獄令訴訟法︑公式令訴訟法の名を以てすることも︑また可能である︒但し︑現行犯に關す. る規定は︑これを捕亡令に置いた︒律令の刑事訴訟法は︑原則として弾劾主義であつて︑告訴がなければ裁到はない. 裁判所の管轄及び換推の制. が︑現行犯はその例外である︒故にこれを特殊な訴訟手綾として︑これに關する規定を獄令から除いたものと思われ る︒. 三.

(9) 裁到所の管轄は︑臨時訴訟事件と定季訴訟事件とによつて異つた︒臨時訴訟事件の出訴裁到所は︑事件の起つた場. フ. サマタゲ. フ. 所を管轄する地方官臆齪ち郡司︑京職であつたが︑定季訴訟事件の出訴裁到所は︑被告の本司本属官司であることを 原則とした︒公式令には︑翻ち. 凡ソ訴訟ハ皆下ヨリ始メヨ︒各前人ノ本司本属二経レヨ︒若シ路遠カラム︑及ビ事凝アラバ︑臆近ノ官司二経レ テ断ゼヨ︒. なる條文がある︒本司というのは︑役人の奉職している官司であり︑本属というのは︑人民の戸籍を保管している地. 方官聴である︒各官廉には︑その官司に奉職している官吏の名帳が保管されているが︑名帳罰ち官吏の戸籍であると. いつてよい︒名帳保管の官司は︑官吏が奉職している官司を管轄している上級官司である場合がある︒例えば後宮の. 十二司に奉職している宮人︵女官︶の名帳は︑すべて中務省に保管されている︒故に宮人を被告とする定季訴訟は︑. 中務省に出訴すべきものであつたと思う︒職員令によれば︑玄蕃寮は﹁佛寺僧尼ノ名籍ヲ掌ル﹂とあるから︑檜尼を. イタ. カリ. 被告とする定季訴訟は︑玄蕃寮に出訴すべきものであつたようにも思われるが︑檜尼令には﹁凡ソ曾尼︑私ノ事ノ訴. 訟有リテ︑官司二來リ詣ラバ︑灌二俗ノ形二依ツテ参事セシメヨ﹂という條丈があるから︑その寺の所在する地方官. 聴に出訴したものと思われる︒四品以上の親王家及び職事三位以上の家司に奉職する家令︑帳内︑資人等の名帳は︑. 式部省に保管せられていたから︑これらの人を被告とする定季訴訟は︑式部省に出訴せられたものと思われる︒又帝. 都内に滞在している唐入︑新羅人︑蝦夷等のいわゆる夷狭は︑玄蕃寮の管理するところであつたから︑これら夷独に. 九. 封する定季訴訟は︑玄蕃寮で裁到したものであろう︒しかし︑これらはいずれも特別の場合で︑一般人民を被告とす 律令の民事訴訟法.

(10) 律令の民事訴訟法. 一σ. る定季訴訟は︑その本貫である郡司に出訴すべきものであつたのであ番︒戸令によれば︑戸籍は三通作成して二通を. 太政官に邊り︑一通を國衙に留めることになつているから︑人民の戸籍を保管している官司は國衙及び京職であるか. ら︑本属官司といえば︑國衙・京職であるが︑前掲公式令の條文には﹁凡ソ訴訟ハ皆下ヨリ始メヨ﹂とあり︑その義 解注には 下ヨリ始メヨトハ︑郡司ヨリ始ムルヲ言フ也︒. とあるから︑諸國においては定季訴訟の第一審裁到所は郡衙であつたのである︒但し︑京都においては郡に相當する. 地方官磨がないから︑京都における定季訴訟の第一審裁到所は左右京職であつたと解さなければならない︒叙上の管. 轄裁到所は﹁路遠カラム︑及ビ事畷ア﹂る場合には︑随近の官司に攣更することが許される︒﹁路遠﹂しとは︑原告. の佳所より本司本属の官司に至る距離が一日程以上であることをいい︑﹁事凝﹂ありとは︑原告又は本司本圃官司に. 都合のわるい事があることをいう︒前掲條丈の義解には︑印ち. 謂ヘラク︑路遠シトハ︑一日程以上也︒何トナラバ︑宮衛令下番ノ兵衛︑及ビ断獄律囚ヲ移スノ條︑皆一日程ヲ タマ 以テ遠シト爲スベキノ故也︒事磯アリトイフモノ︑擬ハ止也︒公私ヲ問ハズ︑倶事蕨有ルモノ皆是レ也︒. とある︒公式令によれば︑陸路の行程は︑馬は日七十里︑歩は五十里︑車は三十里であるから︑原告の佳所より被告. の本司本属官司までの距離が五十里︵現在の約八里︶以上ある場所には︑最寄りの官司に攣更してもらうことができ たわけである︒. 事物の管轄については︑律令に何等の規定がない︒人民の灌利の保護を第一目的としない律令の精紳からいつて.

(11) も︑係事物の多寡などは問題にされなかつたと思う︒故に人民の定季訴訟は︑事大小となく︑すべて郡司裁判所に出 訴すべきものであつたと思う︒. 三灌分立の思想がなかつた當時にあつては︑すべての官司が行政官磨であると同時に裁到所であつた︒律令制の官. 司は︑すべて長官︑亥官︑到官︑主典の四等官より成つていたが︑到決をなし得るのは長官︑次官であつて︑到官以 下は訴訟事件を審理することはできたが︑到決を下すことはできなかつた︒獄令には. タヤス. 凡ソ諸司ノ事ヲ断セムコト︑悉ク律令ノ正文二依レ︒主典ノ事ヲ検セムコトハ︑唯事歌ヲ検出スルコトヲ得ルノ ミ︒靱ク與奪ヲ言フコトヲ得ズ︒. とあり︑又職員令︑紳紙官の條には︑長官は事を到じ︑到官は官内を糺到し︑文案を審署し︑主典は文案を勘署し︑. 公文を讃申すとあり︑叉次官の職掌は長官に同じとある︒故に長官︑次官は到事︑到官は検事︑主典は裁到所書記の. 職務を行つたと見て大過ないようである︒爾叉職員令︑太政官左官掌の職掌には︑﹁訴人ヲ通傳シ︑使部ヲ検校シ︑. 官府ヲ守當シ︑廉事ノ鋪設ヲ掌ル﹂とあるから︑諸司雑任の官は︑廷丁及び裁到所守衛の職務を行つたことが知られ る︒. アダ. 凡そ丈明國の裁到所にあつては︑裁判の公正を期するために︑忌避・回避の制度が設けられているが︑律令の制に. トハ. おいても︑亦この制度は設けられていた︒養老の獄令には. カ. ト. 凡ソ獄ヲ鞠ム官司︑鞠ハル人ト五等以内ノ親︑及ビ三等以上ノ婚姻ノ家有ラム︑併セテ業ヲ受ケタル師︑及ビ離. 一一. 嫌有ラム者ハ︑皆換へ推フコトヲ聴セ︒暖内資人タルコトヲ経タルモノ︑本主二於ケルモ亦同ジ︒. ソネミ. 種入口の民 事 訴 訟 法.

(12) 律含の民 專 訴 訟 法. 一二. という條文があつて︑回選と忌避とは匝別せられず︑共に換推と呼ばれている︒五等以内三等以上という親等の敷. え方は︑現在の敷え方とは蓮つて︑血縁の遠近の外に︑奪卑の麹念によつて次第されている︒故に夫は妻の一等親で. あるが︑妻は夫の二等親である︒從つて五等親の範園及びその親等は︑敷理的にはこれを知ることができず︑儀制令. 五等親條に列畢せらているものを棒暗記するより外に致し方がない︒受業の師というのは︑大學の博士と大學生︑暦. 博士と暦生といつたような關係であり︑灘嫌ある者というのは︑義絶になつた妻と故夫人を殺して死すべくして赦に. 會つた者とその被害者の遺族といつたような關係にある者をいう︒法文が﹁帳内資人タルコトヲ脛タルモノ︑本主二. 於ケル亦同ジ﹂といつているところを見ると︑現在本主でなくとも︑むかし本主であつた薔主人と家人奴碑たりし者. との問にも︑換推の法が適用せられたことが推蜥される︒賊盗律には︑夫死して後改嫁せる妻妾が︑故夫の租父母を. 殺さんと謀る罪を︑凡人の謀殺罪より重く罰する條文があるから︑故夫の祀父母と改嫁せる妻妾との間にも︑換推の. 訴訟當事者. 法が適用されたものと考えねぼなるまい︒. 四. 律令においては︑定季訴訟の原告を訴人といい︑被告を前人といつた︒公式令義解には 冤ヲ告スルヲ訴ト日ヒ︑財ヲ孚フヲ訟ト日フ︒. とあるが︑それは輩なる字義の説明であつて︑訴人と訟人とを匿別した例はない︒鎌倉時代には︑ 被告のことを論人.

(13) といつたが︑論人なる語は李安末期から既に使用されていたようである︒. 原告となる者は︑訴灌を有する者でなければならないが︑賎民中の最下級にある官私の奴碑は︑己れの良民たるこ. とを訴える以外には︑訴灌を持たなかつたようである︒良民は男女長幼を問わず訴灌を有したが︑原告が幼者若しく. は慶篤疾者にして自ら法廷に立つて事を慮理する能わざるときは︑その父母若しくは侍人が訴訟代理人となつたもの. のようである︒しかし︑良民男女が幾歳に達すれば︑自ら訴訟を行う能力を與えられたかは明かでない︒十七歳以上. の中男には課役があり︑又中男を兵士︑峰子︑侍に取ることもあるから︑申男中女は自ら原告として法廷に立つこと を聴されたものであろう︒. 戸令には︑祀父母父母︑伯叔父姑︵父方のおぢ︑おば︶︑兄弟︑外耐父母︑同居せる舅媛︵母方のおぢ︑おぱ︶︑同. 居せる從父兄弟︵父方のいとこ︶の順位で婚主の地位に就く規定がある︒婚主はその婚姻が違法であつた場合に刑事. 上の責任を負う者であるから︑原則として未成年者である婚姻當事者の法定代理人であつたといえる︒故に原告が未. 成年者である場合の訴訟代理も︑これらの親族が右の順位に從つてつとめたものと思われる︒しかし︑律令は本入訴. 訟主義をとり︑これらの法定代理人の外は︑訴訟代理を許さなかつたようである︒寛李八年四月二日の官符は︑諸院. 諸宮王臣家の家司が︑百姓に相代つて田宅資財を孚訟することを禁制しているし︑叉延喜五年十一月三日の官符は︑. 諸院諸宮諸司王臣家の家司が︑土浪道俗等の人を使者として法廷に派遣して訴訟を辮定せしめることを禁じている︒. 後の官符に﹁其ノ遣ハストコロノ使已二其ノ人二非ズ﹂とあることは︑律令が本人訴訟主義を操つていたことの明か. 一三. な謹嫁である︒しかし︑われわれは︑右の二つの官符によつて︑國郡司に封して横車を押し得る灌門勢力家の威を籍 律令の民事訴訟法.

(14) 律令の民事訴訟法. 一四. りて︑訴訟を代理する土浪道俗の徒がみつたことを知り得る︒寛李六年十一月三十日の官符には︑去る寛李三年九月十. 一日︑新制を立てて舎人︑帳内︑資人の外︑諸宮諸院王臣家に託仕することを一切禁断したに拘らず︑無頼姦猜の土. 浪道俗等は︑猫王臣家の人と稻して暴威を振い︑國郡司の命に從わず︑地方官吏を侮慢して管内を騒擾せしめること. が見えているから︑これらの訴訟代理人の弊害は︑相當甚しかつたことが窺われる︒これらの訟師に法律の知識を供. 給した者は︑恐らく官途に就くことのできなかつた明法科の學生であつたろうと思う︒九條家延喜式紙背文書には︑. 宮内史生某が︑相績事件について法律家の意見を問うた永延二年閏五月十七日の質間欺︑及び織部司の織手長葛井某. が︑損害賠償事件について法律家の意見を間うた正暦二年正月十四日の質問朕があるが︑この質問者は︑官司の勢威 を籍りて訴訟を代理する訟師であり︑この懸答者は恐らく明法生くずれであつたと思う︒. 自然人以外で訴訟能力を認められていたものに寺がある︒帥肚は寺院と相並んで寺杜と構せられたが︑軸肚は國家 ヤ の官魔と同様に考えられ︑凋立した法人格を認められなかつたようである︒寺なる法人格を代表するものは︑寺主.. 上座・都維那の三綱であつて︑寺が費買交換等の法律行爲を行うときは︑その丈書に三綱の署名を連ねている︒寺が. 定季訴訟の原告又は被告となつたときは︑三綱の一人が寺なる法人格を代表して法廷に出席したもののようである︒. 當時の人民は︑その本属長官である國司をも被告として訴えることが聴された︒國史には︑國司が百姓に訴えられ. て職を冤ぜられ︑或いは配流せられたことが散見している︒しかし︑子及び家人奴脾は︑その父母及び本主の侵奪を. 受けても︑これを被告として訴えることができなかつたようである︒闘訟律には︑謀叛以上の罪にあらずしてその父. 母︑本主を告言する者を絞に庭する條丈があり︑又父母の教令に違犯し︑供養閾くる有る子孫を徒二年の刑に庭する.

(15) 條文がある︒しかし︑父母以外の者は︑たとえ尊属であつても︑その尊属から直接侵損を受けた場合には︑これを被 告として定季訴訟を提起することが聴された︒闘訟律には. 凡ソニ等ノ奪長︑外租父母︑夫︑夫ノ祀父母父母ヲ告スルモノ︑實ヲ得ト錐モ徒一年︒︵中略︶其ノ相侵シテ自 ラ理訴スル者ハ聴セ︒. とあり︑その疏には. 訴. の. 提起. 謂ヘラク︑二等以下五等以上︑或ハ財物ヲ侵奪シ︑或ハ敲ルヲ是レト爲ス︒ とある︒. 五. 定季訴訟の訴は︑前述の如く︑原則として被告の本司本属官司に︑必ず毎年十月一日以後二月三十日以前に提起し. なければならなかつた︒訴の提起は︑臨時訴訟における告言と同じく︑書面によつて行うのを原則としたが︑訴人が. 無筆である場合には︑訴を受理する官司の役人が︑訴人の言うところを聴いて訴欣を作成すべきものであつたようで ある︒闘訟律には. 一五. 凡ソ人ノ爲二鮮牒ヲ作リ︑其ノ状ヲ加塘シ︑告スル所ノ如クナラザル者ハ︑答四十︒若シ加増シテ罪重クン︑バ︑ 謎告二一等ヲ減ズ︒. 律令の民事訴訟法.

(16) 律令の民事訴訟法. 一六. 云々なる條文があるが︑この條文は︑無筆の告人訴人が︑人を雇うて告駄訴欺を代筆せしめ︑或いは受推の官司の主. 帳・史生その他の文案の勘造を掌る官司をして口辮を筆録して告歌訴状を作成せしめることが多く行われたために︑. 告人訴人の眞意がこれらの文書作成者によつて歪曲せられることなく︑正確に文書に表明せられることを確保するた. めに置かれた條文である︒官位ある者及び度縁を有する檎侶が︑原告として官司に提出する訴欺は︑鮮牒又は牒と構. せられ︑庶民の訴欺は鮮︑又は解と構せられた︒鎌倉時代に訴状のことを本解状といつているところをみると︑解と 呼ばれることが一般であつたようである︒. 原告の訴を受理した官司は︑遅滞なくその訴歌の爲しを被告に邊達し︑期日を定めて被告に出廷を命ずる︒官司よ ことわりめし り出廷を命ぜられた被告は︑期日より三日以内に出廷しなければならない︒この三日の期限を﹁到召﹂という︒到召 ことわりまち を過ぎて被告が出廷しないときは︑受推の官司は︑更に二十日問被告の出廷を待つ︒この二十日の期限を﹁到待﹂と. いい︑到召到待の二つの期限を合せたものを﹁爾限﹂という︒雨限を経過するも︑なお被告が官司に姿を顯わさない サヅ. オ. ときは︑受推の官司は︑原告の要求に從つて鉄席到決を下す︒公式令には︑印ち次の如き條文がある︒. 凡ノ事ヲ受ケムニハ︑一日二受ケバニ日二付ケ畢ヘヨ︒︵中略︶其ノ到召ハ三日ヲ限レ︒若シ至ラザレバ︑到ツ. テ待テ︑到リ待ツノ後︑二十日マデニ至ラザレバ︑主典検護シテ︑事ヲ量ツテ到決セヨ︒. 到待の期問は︑一慮二十日と定められているが︑二十日問待つ必要もないと思われる場合には︑この期限は必ずし. もこれを嚴守する必要がなく︑主典はもつと早い時期に訣席到決を下すこともできた︒是れ條文が﹁事ヲ量ツテ到決 セヨしといつている所以であつて︑前掲條文の下には︑次の如き但し書きがある︒.

(17) 翻チ事期限有ルモノハ︑此ノ條二在ラズ︒. ムカ. ツイデ. 爾限を経過しているに拘わず︑原告が請求しても︑訴歌を受理した官司が︑敏席到決を與えて呉れないときは︑原. ムカ. 告はその直近上級官臆に上訴することができる︒公式令には︑印ち次の條文がある︒. 凡ノ訴訟追撮シテ劃へ問フコト有ルニ︑若シ其ノ人延引逃避シテ︑爾限マデニ赴キ封ハザレバ︑家ヲ越エテ上陳 スルコトヲ聴セ︒印チ推治スルコトヲ爲セヨ︒. 爾限なる語は︑この條文に初めてあらわれている︒凡そ訴訟は︑事急を要すると否とを問わず︑すべて下級裁到所. より始めて︑上級裁到所に至るべきものであつて︑その順序を越えて上級裁到所に訴える者は︑その訴を受理した官. 吏と共に︑越訴の罪に問われることになつているが︑爾限を過ぐるも訣席到決を得ない者は︑上級官司に越訴するこ. とが聴され︑上級官司もその事情を審かにすれば︑その訴を受理してこれを審理し︑到決しなければならなかつたの. である︒條文に﹁推治スルコトヲ爲セ三とある﹁推治﹂は︑推訊︑治獄の意であつて︑裁到というに等しい︒建國. 常初の満洲國において︑裁到官を推事と構した︒推理によつて事實の眞相を把捉することが︑法に照らして事を到ず ることよりも裁到官にとつて大切な仕事であるからである︒. 訣席到決は輿奪を言うものでないから︑長官次官の裁決を仰ぐことなく︑到官がこれを行うことを聴された︒從つ. て被告は主典のなしたる訣席到決に封して︑故障の申立をなすことを許された︒被告が鉄席到決に封して故障を申立. てないときは︑訴訟手績は戴に終止して︑鋼決は執行力をもつに至るが︑被告が故障を申立て︑その故障が理由ありと. 一七. して観席到決が破棄せらるれば︑訴訟はその裁到所に繋綾し︑審理が開始せらることとなる︒前條の義解には︑即ち 律令の民卑訴訟法.

(18) 律令の民事訴訟法. 一八. 謂ヘラク︑假令バ甲︑乙己レノ財物ヲ奪ヘリト注スル有リ︒官司到リテ乙ヲ召ス︒三日ニシテ至ラズ︒更二到り. 待ツコトニ十日︑途二亦至ラザレバ︑主典検獲シテ︑到官前人ヲ待タズ︑事ヲ量ツテ到決スルノ類︑若シ後二前. 六 審. 人申訴スル有リ︑改到スベキモノ︑亦随ツテ改到スル也︒ とある︒. る︒. まろ. おほやのか. ぜ. 口□□□伊郡人夫茨田久比麻呂解. 山背國紀. ま. ろ. 申大宅朝臣加是廉呂與嶋久比麻呂一雫二良人賎麟□. 事. の解文は︑茨田久比麻呂が︑大宅加是麻呂から賎を訴えられたに封して︑山背國紀伊郡の郡衙に提出した答辮書であ. まんだのくび. が︑奈良時代においても︑裁到所は︑訴状に封する答辮書を被告に提出せしめたようである︒正倉院文書に見える次. して原告より更にこれを反駿する再訴歌を出さしめ︑三訴状︑三陳状の提出を待つて奉行が裁許朕印ち到決を與えた. たものであつたようである︒鎌倉時代においては︑原告の訴欺に封して被告より陳欣を提出せしめ︑被告の陳状に封. が︑訴訟當事者の法廷における襲言は︑口状として文書に作成せられたから︑定季訴訟の審理は︑書面審理を主とし. 事者の封決︑口頭辮論も行われたことは︑前章に引いた公式令の條文に﹁封問﹂の語があることによつて知られる. 定季訴訟の審理は︑裁到官が訴訟當事者を訊問し︑書謹を調査し︑護人を喚問することによつて行われた︒訴訟當. 理.

(19) 合捌人. 見寺侍十七人. □□忌寸族登與足. の. □背忌寸族三嶋責. ゆ. 山背忌寸族刀自費 女千縄︑帳不レ除. 輕部造伊與志. 輕部造眞屋足費男安居麿女毛知喪女多比費巳上三人帳除不 茨田奈爲費男聯呂︑帳不除 ︵庚︶. 茨田刀自責男椋人男大奈廠呂男瀞廓呂女稻刀自費已上五人︑帳不レ除. 久比麻呂. 以前人夫祀父租母籍︑自康午年始五比七比籍︑附浄良人所貫一︑価悉款欺録︑恐々謹以申 天李勝賓三年三月七日. 茨田. 田. 大. 石. 垣. 男. 足得 茨. 田. 遊部. 茨. かような文書が遺されているところを見ると︑王朝末期から鎌倉時代にかけて行われた所務沙汰︑雑務沙汰たる民. 一九. 事訴訟は︑奈良時代に行われた律令の定季訴訟の手績を踏襲したものであり︑検噺沙汰たる刑事訴訟は︑律令の臨時 律令の民事訴訟法.

(20) 律令の民事訴訟法. 二Q. 訴訟の手績を承け纏いだものであつて︑奈良時代に口頭辮論主義であつた民事訴訟法が︑鎌倉時代に至つて書面審理 主義に攣つたものとは考えられない︒. 民事訴訟において書面審理主義が操られたことは︑當時の裁到に影いて書謹が重んぜられたことを語るものであ. る︒律令においては︑拷問の制度が認められているが︑拷問が行われたのは︑刑事々件を主として裁く臨時訴訟手綾. においてであつて︑定季訴訟においては拷問は行われなかつたと思う︒臨時訴訟事件においては︑謳告を防ぐために. 告人を拘禁すると同時に︑官司は直ちに被告の家に立ち向つて強力を用いて被告を逮捕するが︑定季訴訟事件におい. ては︑鉄席到決の手段がとられたから︑強力を用いて被告を法廷に拉致することはなかつた︒召喚に彊力が用いられ. なかつた以上は︑訊問にも強力は用いられなかつたと推断してよい︒律令においては︑臨事訴訟事件においても︑拷. 問を行うことには愼重を期し︑同司の主典以上の官の意見の全員一致がなければ︑拷問は行えないことになつている. から︑定季訴訟事件にまで拷問が濫用せられたと翻る節はない︒拷問によつて被告に眞實を吐かせることが拒まれて. いるとすれば︑裁到官は物的謹嫁によつて事實を認定する外ない︒物的謹擦の王ともいうべきものは書謹であるから︑. モロモロ. 定季訴訟においては︑書謹の鑑定及び調査が審理の中心となり︑書面審理主義が操用せられるに至つたものと考えら れる︒獄令には. 凡ソ察獄ノ官ハ︑先ヅ五聴ヲ備ヘヨ︒又諸ノ謹信ヲ験セヨ︒. とあるが︑五聴を備えよとは︑原被爾造及び謹人の鮮色を察して心讃を得べきことを命じたものであり︑もろもろの 謹信を験せよとは︑物的謹擦を蒐集してこれを精査すべきことを命じたものである︒.

(21) 七 書. ツク. の事は我が國においても同様であつて︑法曹至要抄引くところの詐爲律には. 凡ソ詐ッテ官私ノ文書ヲ爲リ︑増減シテ以テ財賞ヲ求ムル者ハ︑盗二準ジテ論ズ 律令の民事訴訟法. 一二. る︒皇帝丈書の偽造攣造︑及び封皇文書である表︑奏の誤爲は︑不敬の意味も加つて特に重く庭罰せられる︒これら. それよりも遙かに重く罰せられる︒官文書は︑詔勅︑告身等の皇帝文書と符・移・牒・解等の官府文書とに分たれ. ど絶封といつてよいほど強いから︑官丈書の爲造攣造︑及び官文書の讃明に用いられる官印の偽造盗用は︑私文書の. の振出人︵護信者︶が官司なるか私人なるかによつて︑公文書︵官文書︶と私文書に分たれる︒官丈書の謹擦力は殆. よつて生じたものであつて︑我が國の丈書には︑多分に六朝文書の形式が淺存しているのである︒唐代の交書は︑そ. とが獲見せられる︒それらの差は︑日本の丈書が︑六朝時代に我が國に露化した東西の史部によつて作られたことに. タイン︑ペリオ︑ルコッグ等によつて敦燵附近から襲見せられた唐代の丈書とを比較してみると︑そこに差のあるこ. 奈良時代の文書の形式は︑唐の文書形式に則つたものであるが︑正倉院所傳の奈良時代の文書と今世紀の初めにス. 書の種類及び形式について語ろう︒. 性質を探ることは︑我が國に痴ける謹擦法の護達を跡づけることにもなるから︑特にこの一章を設けて當代の公私文. 律令制下において書讃として探用せられた文書はいかなるもの孤︑あつたものであつたであろうか︒その文書の種類. 讃.

(22) とも︑. 律令の民事訴訟法. 凡ソ詐ツテ官文書ヲ作ルモノ︑杖一百︒. 二二. ともある︒官文書には︑その成立を讃擦立て且つその偶造攣造を防ぐために文字の上に朱印がべた一面に押捺せられ. る︒朱印は鑛物性のものであるから︑永久に消えることなく︑且つ朱印の上に墨書すれば︑墨が浮き上つて見えるか. ら︑朱印を押捺せられた文字は︑攣造することができない︒又朱印の押捺せられていない丈字は︑後人の書入れであ. ることがわかるから︑丈字の上にべた一面に朱印を押捺した交書には書入れができない︒丈書の偶造︑攣造を防ぐ手. 段においては︑唐代の丈書及びこれを模倣した日本の丈書は︑ヨーロッパ近代の文書よりも寧ろ進歩している︒丈書. が攣造される危瞼のあるのは︑暫特に激字が書かれている部分である︒故に後世官文書の上にべた一面に朱印を押捺す. る習慣がなくなつた時代においても︑敷字の上にだけは朱印を押捺した︒又格の少ない一二三五なる激字は攣造を受. け易いので︑官文書には格の多い壼武参伍のいわゆる大字が用いられた︒公式令には︑印ち ツク 凡ノ公文︑悉ク眞書二作レ︒凡ソ是レ簿帳︑科罪︑計臓︑過所︑抄膀ノ類︑敷有ルモノハ︑大字二爲レ︒. という條文がある︒故に官文書は︑最初から法廷における謹嫁書類として作成せられているといつてよい︒官符文書. は︑その下達の文書を符といい︑その上達の文書を解といい︑同格の官司に達する丈書を移といい︑被管所管以外の. 上級下級の官司へ達する丈書をすべて牒といつたが︑それらの丈書の形式には︑公式令に定められているから︑裁判. 官はまた文書の形式を検することによつて︑その眞偽を鑑定することができた︒律令制下においては︑印章を用いる. ことが聴されているのは官司のみであつて︑私人は印章を用いることが許されなかつた︒綾日本紀︑天李蜜字二年八.

(23) 月甲子條に︑恵美押勝︵藤原仲麻呂︶に封して︑恵美家の印を用いることを聴された記事があるのは︑一般私人に封. して印章を用いることを許していなかつた何よりの謹捺である︒故に公丈書と私文書とは︑印章の有無を見れば一見. してこれを識別することができる︒印がべた押しに押してある公文書は︑赤く見える︒故に公正の責買讃文は︑﹁赤. 契﹂とも構せられた︒﹁赤契﹂の語は︑中國では明清の時代まで用いられている︒朱印の押捺のない私文書は︑赤契 に封して﹁白契﹂と呼ばれた︒今昔物語︑巻二十五の源頼義朝臣罰安倍貞任等一語には︑. ト. 而ル間︑貞任等彌ヨ威ヲ振テ︑諸ノ郡二行民ヲ仕フ︒経清ハ多ノ兵ヲ具シテ衣河ノ關二出デ︑使ヲ郡二放テ官物. ヲ徴り納メテ云ク︑白符ヲ戸用︑赤符ヲバ不レ戸用ト︒白符上蓋ハ脛清ガ私ノ徴符也︒印ヲ不レ押バ白符ト云フ︒ 赤符ト云ハ國司ノ符也︒國印有ルガ故二赤符上ム也︒. と見えているから︑我が王朝時代においても︑赤契︑白契の語は用いられたものらしい︒私印章を用いるようになつ. たのは室町以後のことであり︑百姓町人までが朱印を押すようになつたのは明治維新以後のことである︒私丈書には︑. 天皇又は天皇の官府に封して護せられる劃公文書と私人に封して襲せられる封私文書との二種があり︑封公文書はそ. の形式梢公交書に類似している︒官吏が個人として天皇︑皇后及び皇太子に上る文書を表︑啓といい︑天皇の官符に. 封して差出す丈書を牒というが︑この牒は官符の牒と匠別するために自牒と呼ばれる︒寺院︑檜尼の丈書は︑上達下. 達すべて牒という︒庶民の官符に差出す文書は解又は辮であるが︑その手書したものに限つて︑これを手實と呼ぶこ. ともある︒故に私人の訴欺及び訴欺に封する答辮書は︑牒又は解である︒私人の法廷における口供書は︑白状と呼ば. 二三. れたが︑後にはこの語が自白を意味する語となつた︒私文書の成立を謹明するものは︑その印章にあらずしてその自 律令の民事訴訟法.

(24) 律令の民事訴訟法. 二四. 署である︒江戸時代以來︑庶民が印章を用いるようになつてからは︑記名捺印を以て自署に代える習慣となつたが︑. 奈良時代においては︑庶民竜ヨーロッパにおける如く自署を用いた︒自署のない私交書は︑作成者が否認することが. できるから︑法廷における謹篠力はない︒武家時代に盛んに用いられた花押は︑印ち自署の記號化したものであつ. て︑その過渡期を示すものに草名がある︒無筆にして姓名を自署し能わざる者は︑左手若しくは右手の人指し指の長. さと關節とを叢いて自署に代えた︒これを議指記を爲すという︒戸令︑棄妻︵離婚︶條には︑部ち. 皆夫手書シテ之ヲ棄テヨ︒尊属近親ト同署セヨ︒若シ書ヲ解セザレバ︑指ヲ叢イテ記ト爲セヨ︒. とあるが︑蟄指は離婚状に限つたものではなく︑あらゆる私文書に慮用せられた︒正倉院文書には︑月借銭解︵借金. 護文︶その他に叢指が見えている︒この番指の攣形したものが︑帥ち今日の栂印︑爪印であり︑その過渡期を示すも. のは手到である︒公私文書にとつて大切なことは︑その文書の首尾を明かにすることである︒故に中國においては︑. 文書の初めに關防の印を捺し︑終りに落款の印を捺したが︑この慣習は文人の問にのみ用いられ︑一般には普及され. なかつた︒しかし︑交書の一騰性を識明するためには︑紙の継目に印を押し︑若しくは署名することは廣く行われた︒. 今日謹書が激葉に亘る場合に割印するのは︑その遺習である︒地方裁到所の到決書に割印が一箇所脱落していること. が控訴の理由となつた話はよく聴かされるが︑奈良時代の裁到所においても︑縫目裏印なき交書は︑謹族として探用. 十︒. 凡ソ人ノ罪ヲ告スルモノ︑皆須ラク明カニ年月ヲ注シ︑實事ヲ指陳スベシ︒構疑ナルコトヲ得ズ︒遠フ者ハ答四. ⊆れなかつたのである︒もう一つ公私文書にとつて大切なことは︑明確なる日附のあることである︒闘訟律には︑ ン・.

(25) なる條文があるが︑日附の必要なのは告歌︑訴朕に限つたことではない︒年月日の明確に知られない文書は︑また充 分なる謹擦力を認められなかつたのである︒. 戸籍と計帳. 良賎の訴訟その他の人事訴訟において︑謹篠となつたものは︑戸籍と計帳とである︒當時の戸. 次に當時の民事法廷において︑最も普通に擾用せられたと思われる交書について概説しよう︒. 一. 籍は︑調・径役なる人頭税を徴牧する必要のために作られたものであつて︑個人の身分關係を明かにすることには重. 驕を置いていないが︑身分について疑義のある場合は︑戸籍の記載は︑一懸の公信力をもつた︒丈保記引くところの. 養老の名例律に は 人ノ年ヲ構スル者ハ︑籍ヲ以テ定メト爲ス︒. とある︒しかし︑戸籍と戸籍との間に相違がある場合には︑いずれの戸籍を以て正しとするかについて︑法は規準を. 示さなければならない︒大化以來︑譜第・氏姓・良賎に關する訴訟は屡々起り︑その國史に載録されたものは︑いず. れも何年の戸籍には︑斯く記載せられていたのが︑何年造籍の際には︑誤つて斯く記載されてしまつたといつて訴え. ている︒故に養老刊修の令においては︑氏姓・良賎の身分については︑天智天皇の七年︑庚午の年に造られた戸籍の. 記載を絶封正しいものとして︑これに撮るという方針を決定し︑普通の戸籍は︑五比すなわち三十年保存すれば︑こ. れを破殿するが︑庚午の年籍だけは︑永久に保存すべきものとした︒養老の戸令には︑翻ち. 凡ソ戸籍ハ︑恒二五比ヲ留メヨ︒其ノ遠キ年ノ者ハ︑次二依リテ除ケ︒近江大津ノ宮ノ庚午ノ年籍ハ除カザレ︒. 二五. という條文が置かれている︒王朝政府が︑この方針を決定したのは︑文武天皇の大寳三年七月であつて︑綾紀・同年 穣 令の民事訴訟法.

(26) 律令の民事訴訟法. 同月甲午の條には. 二六. 詔シテ日ク︑籍帳ノ設ケハ︑國家ノ大信ナリ︒時ヲ逐ウテ攣更セバ︑詐偽必ズ起ラム︒宜シク庚午ノ年籍ヲ以テ 定メト爲シ︑更二改易スル無カルベシ︒. とある︒大賓律令が施行せられたのは︑大費二年であるから︑﹁近江大津ノ宮ノ庚午ノ年籍ハ除カザレ﹂という條文 は︑大賓令にはなかつた條文である︒. 戸籍は毎年造られるものでなく︑六年目に一回造られる︒毎年造られるのは︑計帳である︒故に近々六年問の身分. の異動については︑計帳の記載に篠らざるを得ない︒計帳も戸籍と同じように︑戸主から提出される計帳手實を集め︑. 國郡の官吏がこれを審査して︑その實に叶えるや否やを検した後に︑これを勘造し︑巻尾に署名して官印を押捺した. 公丈書であるから︑戸籍同様の公信力をもつたことは勿論である︒戸籍計帳の調製に當つて︑戸主から提出せられる. 戸籍手實︑計帳手實は︑私文書であるから︑公信力はもたないが︑これを書謹として法廷に提出することは妨げなか. つたに相蓮ない︒計帳手實に奴脾として名を録されていないことは︑戸主から賎を訴えられた者にとつては︑自己が 其の戸の奴脾にあらざることを抗辮する最も有力な謹捺であつたであろう︒. ツイデ. カゾ. 籍帳の有する公信力は︑一慮の公信力であつて︑絶封的なものではなかつたと思う︒養老の戸令には. ミヅカ. ミ. 凡ノ戸口帳籍ヲ造ルノ次二當ツテ︑年ヲ計フルニ丁・老・疾二入ラントスルモノ課役ヲ徴冤シ︑及ビ侍ヲ給フベ. キ者ハ︑皆國司親ラ形欺ヲ貌テ︑以テ簿ヲ定ムルコトヲ爲セヨ︒一タビ定メテ以後ハ︑更二貌ルベカラズ︒若シ 斯欺有ルカト疑ハバ︑亦事二薩ツテ貌定シテ︑以テ帳籍二附ケヨ︒.

(27) という條文がある︒新欺ありと見て貌見を許す以上は︑貌見の結果︑事實と籍帳の記載が椙違している場合には︑事. 實によつて籍帳の記載を改易することを許したものと解さねばならない︒國史には事實によつて籍帳の記載が改めら. れた例は見えないが︑何等かの方法によつて事實が立派に謹明されるときは︑籍帳の記載に拘らず︑勝訴の到決が與 えられたようである︒綾日本紀・璽墾二年八月癸亥の條には. 備中國淺口郡ノ犬養部鷹手︑昔飛烏寺ノ盤僥戸二配シ︑誤ツテ賎ノ例二入ル︒是二至ッテ途二許サレテ冤ゼラル︒. という記事があるが︑これなどはその籍帳の記載の誤りであることが︑何等かの方法によつて謹明せられたものと思. う︒また綾紀・天李賓字八年七月丁未條の記事によれば︑紀寺の奴脾盆人等は︑庚午年籍には︑その祀先が奴脾であ. り︑紀寺の古い資財帳には︑その名が逸している︒法の趣旨によれば︑庚午年籍によつて當然奴脾と到定せらるべき. ものであるが︑淳仁天皇は︑﹁罪ノ疑ハシキハ輕キニ就ケヨ﹂という原則に從つて︑盆人等を良人と勅断せられた︒. 賊盗律には︑﹁非常ノ漸︑人主コレヲ專ラニス﹂とあるから︑聖噺によれぱ︑庚午年籍の記載といえども︑これを無. 田籍と田圖. 田籍・田圖のことは令に明文がないが︑養老の田令に. 覗することができたのである︒. 二. 凡ソロ分田ヲ給フ者︑男二二段︑女ハ三分ノ一ヲ減ゼヨ︒︵中略︶給ヒ誰リナバ︑具サニ町段及ビ四至ヲ録セヨ︒. 二七. とある以上は︑その町段及び四至を録した田圖があつたに相違ない︒令は田籍・田圖に關する規定を式に譲つたもの であろう︒延喜左京職式には 凡ソ田籍ハ三通ヲ造レ︒ 律令の民事訴訟法.

(28) 律令の民事訴訟法. 二八. とあつて︑その筆紙演装の科を詳細に定めている︒田籍の現存するものはないが︑敦燈出の唐の田籍によつて想像す. るに︑後世の坪付帳の如く︑田の條里坪並を書きあらわし︑その田を受けた百姓の姓名を書きしるした帳面であつた. ようである︒田圖も國衙及び民部省において保存する公田の田圖は傳らないが︑東大寺領墾田の田圖は敷鋪傳つてい. るから︑それがいかなるものであつたかは︑これによつて知られる︒田圖は圖師によつて邊られた地圖であつて︑山. 川林野は縮をもつて描かれ︑條里坪並が正確詳細に圖示されている︒土地の用盆椹に關する訴訟︑土地の境界に關す. る訴訟等において︑田籍・田圖が讃篠として援用せられたことは︑譜第・良賎の訴朕において戸籍・計帳が謹捺とし て援用せられたのと同様であつたと思う︒養老の公式令には. 凡ソ交案ハ︑詔勅奏ノ案︑及ビ考ノ案︑補官解官ノ案︑鮮端︑財物︑婚︑田︑良賎︑市枯ノ案︑此ノ如キノ類ハ 常二留メヨ︒以外ハ年別二検簡シテ︑三年二一タビ之ヲ除ケ︒. という條丈があり︑義解は﹁田トアルモノハ︑田籍︑田圖ナリ﹂といつている︒令が戴に例畢された文案の永久保存. を命じているのは︑それが裁到の讃擦書類となるものであるからである︒嵯峨天皇の弘仁十一年以後は︑田籍の保存. を罷めて田圖のみを保存することとなつた︒類聚三代格︑巻十五には︑﹁田圖ヲ留メテ田籍ヲ除クベキ事﹂という弘. 仁十一年十二月廿六日の太政官符が掲載亙られている︒その文には︑明かに﹁天李十四年︑勝費七歳︑賓縮四年︑延. 暦五年ノ四度ノ圖籍ハ︑皆謹験タリ﹂とある︒弘仁以後においても︑田籍が作成せられたことは︑東寺百合文書によ. つて知られるが︑李安末期には田籍亡んで田圖のみとなつた︒職原抄︑百寮訓要抄等の書は︑田圖のことしか述べて. いない︒田圖は民部省に保管されているから︑民問ではこれを御圖帳と呼んだ︒江戸時代に土地璽帳のことを水帳と.

(29) 責買公券及び借銭解. いつたのは︑この御圖帳の音の遺れるものである︒. 篤. 養老の田令には フ 凡ソ宅地ヲ費買センニハ︑皆所部ノ官司二経レテ申牒シテ︑然ル後二之ヲ聴セ︒. という條文がある︒律令制においては︑口分田の費買は聴かれなかつたが︑園地︑宅地の費買は聴されていた︒右の. 條文には︑宅地とあるのみであるが︑園地の壷買もこれに准ずべきものであつたことは︑同條義解に 略宅地ヲ暴グ︒田園皆同ジ︒. とあることによつて明かである︒﹁所部ノ官司に経レヨ﹂というのは︑費買の目的物である土地を管轄する郡司また. は坊令に届け出でよということである︒奈良時代における園宅地の費買の實例を見ると︑壷買當事者は︑まず責買謹. 文を作製してこれを所部の郡司に属け出でる︒責買謹文には︑追奪︑覆疵を捲保する保人と費買の事實を立謹する謹. 人の署名があるのが普通である︒郡司その費買の事實のあつたことを認めるときは︑これに謹到を加えて︑國衙に邊. る︒これを國衙に邊るのは︑國衙に保管されている田圖・田籍の記載を攣更せしめるためであつたと想定せられる︒. 國司は郡司の謹到の有無を検して︑更にこれに謹判を與えて︑費買當事者に返還する︒當事者及び保人謹人の署名し. かない謹文は︑白契であるが雪これに郡到・國到が加われば︑國郡の印が押捺されるから︑立派な紅契である︒この. 二九. ような手綾を踏むことを﹁費買の券を立てる﹂といい︑また軍に﹁立券﹂ともいう︒立券すなわち今日の登記に當る ものである︒次に奈良時代の宅地費買雰の一例を示そう︒. 律令の民事訴訟法.

(30) 律令の民事訴訟法. 有宇治郡瓜美郷堤田村. 謹解 申家地費買券文進事 合地捌段屋戴問. 地主加美郷戸主宇治宿禰大國. 直総拾匹税布拾端. 以前地︑責二進薔正三位藤原南夫人家一已詫︑価具録状︑謹解 ︵自署︶. 責地人宇治宿禰﹁大國﹂. 天李廿年八月廿六日. 到郡司 大領外正七位宇治宿禰﹁君足﹂. 主帳元位今木連﹁安萬呂﹂. 少領外從八位 下 宇 治 宿 禰 ﹁ 都 恵 ﹂. 到國司 介從五位下動十二等若犬養宿禰﹁東人﹂ 史生正八位上船連﹁田作﹂. 史生 從 八 位 下 大 友 村 主 ﹁ 眞 治 ﹂ 天李廿年十月十八日. 三〇. 口分田の費買を絶封に禁止すれば︑田主が病氣その他で耕作不能となつたときには︑ 田地は荒慶してしまう︒故に.

(31) 律令は︑一年を限つて口分田を賃租することを聰した︒田令には マヤ 凡ソ田ヲ賃租センコトハ︑各一年ヲ限レ︒園ハ任二賃租シ及ビ費レ︒皆所部ノ官司二経レ︑申牒シテ然ル後二聴 スベシ︒. とあつて︑田地の賃租も︑所部の官司に屈け出でることを要したのである︒田地の賃租は︑當時これを一年間の耕作. 灌の費買と翻念せられていたから︑賃租の契約書も︑これ至買買券と呼んでいた︒賃租は近世の小作よりも︑江戸時. 申費田事. 代の田地の年期費買に近い︒次に賃借謹文の一例を墾げよう︒. 謹解. 合萱町雛段捌拾歩墾城下郡一 右︑來丑年分︑充二直銭試貫文↓費與已誰︑伍注レ欺申邊︑謹解. 天李賓字三年六月十日. 專費戸主松原王. 知御原相坂 往來吉使水通諸國. 天季實字三年は亥年であるから︑丑年の分は天李寳字五年の分である︒かように來年︑再來年と+年も先きの耕作灌. まで費つてしまえば︑田籍の上では田主になつていても︑實際の牧入は皆無となる︒口分田の費買禁止という法制. 三一. も︑この抜け穴から有名無實になつてしまつたと︑私は翻ている︒田地の賃租を官に届出を要するものとしたのは︑ 律令の民事訴訟法.

(32) 律令の民事訴訟法. 三二. それが個人の灌利に關するものであつたからでもあるが︑國司は管内の田地が現に耕作されている實歌を知つていな. ければならなかつたからである︒管内田地耕作の現歌を明かにした帳簿を青苗帳といい︑その書式は延喜主税式に見. えている︒何人が何人の田を賃租しているかは︑この青苗帳を見れば︑一目にしてわかるようになつていた︒故に育. 苗帳は賃租の豪帳であつて︑賃租佃作灌の訴訟に關しては︑青苗帳の記載が一慮の公信力をもつていたものと思われ る︒. 費買に立券を要する物件は︑土地のみではなく︑奴脾︑馬牛もそうであつた︒養老の關市令には サヅ 凡ソ奴蝉ヲ費ランニハ︑皆本部官司二経レ︑保護ヲ取リ︑立券シテ贋ヲ付ケヨ︑其ノ馬牛ハ︑唯保謹ヲ責7テ︑ 私券ヲ立テヨ︒. という條文がある︒この規定によつて立てられた奴碑責券は︑正倉院に保存されている︒奴蝉の所有椹について雫い. がある場合に︑これが法廷に提出されることは云うまでもない︒土地と奴碑とは︑當時の人々にとつて最も大切な財. 産であつたから︑その所有権なり用釜灌の移韓には︑かような嚴重な形式を踏むことを要求せられたのである︒土地 くげル 及び奴碑の費買に當つて︑正規の手綾によつて立てられた公舞のことを公験といつた︒公験すなわち今日の灌利謹で. ある︒李安中期以後︑朝綱衰えて戸籍︑計帳︑田籍︑田圖の制が崩丸去つた後においては︑公験のみが梅利者の椹利. を立讃する唯一の謹豫であつたから︑公験の訴訟法上における地位は愈々重大となり︑公験を持つているということ. が︑土地を所有しているということと同意義に用いられるようになつた︒後に述べる紛失歌や手縫文書は︑かくして 起つた土地所有罹の讃券化が生んだ現象である︒.

(33) 前に掲げた闊市令の條交には︑﹁其ノ馬牛ハ︑唯保讃ヲ責ウテ︑私雰ヲ立テヨ﹂とあろが︑奈良時代の馬牛の費券. の現存するものはない︒しかし︑雫安時代の文書には︑佛像︑佛具︑屏風その他の調度の費買私券があるから︑馬牛. に相當する重要財産の費買に當つて私舞を立てることは︑一般の風習であつたことが推測される︒. 費買に際してすら︑第三者からの追奪に備えて保謹をとつた當代の人々が︑誰文を取らずに貸借を行つたことは考. えられない︒當時利息のつく消費貸借を出繋といい︑利息のつかない消費貸借のことを借貸といつたが︑出蟹及び借. 貸には︑私契あるを原則とした︒出暴私契には︑軍濁債務あり︑共同債務あり︑連樽債務あり︑質物を件うものあり︑. 件わざるものあり︑保讃債務を件うものあり︑件わざるむのあり︑その種類甚だ多いが︑次に奈良時代の出墾私契の. 申請月借銭事. 一例を掲げて︑それが大たいどんな形式のものであつたかを示そう︒. 文部濱足解. 裏伍要璽蛸別質家霞群〜諮養撫嘱饗糠 專受濱足. 右墾三箇月一本利井將二進納囲若期日過者︑沽二成質物2倍將二進上︷糖録二事状一解︑. 實鋸三年二月廿五日. この借鐘謹交は︑造東大寺司に勤務する脛師文部濱足が︑造東大寺司が月極めの利息で貸出す﹁月借銭﹂なるものを. 借りた護交であるが︑弦に約束されている利息は︑月二割六分の高利であつて︑令の利息制限法に反するものであ. 三三. る︒造東大寺司というような堂々たる役所が︑こんな反則を李氣でやつているのであるから︑令に規定されている利 律令の民 事 訴 訟 法.

(34) 律令の民事訴訟法. 三四. 息制限法や複利禁止法が實際に行われたものとは︑到底考えられない︒當時の裁到所が︑かような違法な讃文をどう. 紛失状と手纏文書. 公験が土地の所有灌を立謹する唯一の謹檬物件となるに及んで︑それが大切に保管せら. 取扱つたかは︑我々の最も知りたいところであるが︑これを知るような史料が遺つていないのは遺憾である︒. 四. れたことは︑云うまでもない︒現存する奈良李安時代の文書の中に土地に關する公験が多敷を占めているのは︑水火. の難に當つて公験が第一に持出されたからである︒しかし︑公験はそれほど大切なものであるだけに︑盗難に罹るこ. ともある︒また水火の難に際してこれを持出すに暇なく︑焼失紛失する場合もある︒か瓦る際に灌利者の灌利をいか. にして保護するかについては︑律令に規定はないが︑李安中期以後獲達した慣習法は︑これが救濟方法を産むに至つ. た︒その方法というものは︑在地の有力者の讃判を得て︑紛失歌なる護券を立てることである︒石清水丈書に見える 次の紛失歌は︑現存する紛失歌のうちで最も古いものの一つである︒. 大宰大試宅解 申請 左京職裁事 請被特給職到︑爲後代讃文︑所領明地庄壼慮本公験焼失朕 在美濃國可見郡日理郡家爾郷. 四最駿顯縢櫻賭嘩. 右︑件庄元始租小野宮殿御領︑傳韓領掌之問︑無他妨︑伍代々國司無槍田入勘牧公︑近代爲荒屡地︑無人寄作︑. 然而四至内田畠︑随見作冤除︑而去九月十八日夜︑土御門宅嶢亡之次︑代代國到井南院充文等悉以嶢失︑相傳領 掌四至載在歌︑右望請職裁早給謹到︑爲後代明鞭︑以解.

(35) ︵自署︶. 事業從七位上和氣宿禰﹁時元﹂. 承暦二年十二月廿二日. 左京職鋼. 少進橘. 依件庄公験嶢亡紛失︑解欺顯然︑與到如件︑同年同月廿六日. 大夫藤原朝臣 ︵ 花 押 ︶ 李. 源. 藤原 紀. 少属菅野 多治. 到件庄相傳被領掌之旨︑敢無相違︑任嶢失之職到︑不可有後妨︑在地郡司承知可勤行之 同年同月廿九日 大介藤原朝臣︵花押︶. 郡 到. 三五. 任國到旨︑検四至肝糖無相違︑本家領知給旨︑鵜四至内田畠︑偏爲庄領︑官物租視所被奉冤也︑ 爲後日在 律令の民事訴訟法.

(36) 律令の民事訴訟法. 郡司署之. 同三年正月十九日 四度使件︵花押︶. 郡到無相達︑故在地加謹署之. 從七位下壬生︵花押︶. 從八位上縣︵花押︶. 三六. 紛失状は本雰に代る舜ものであつて︑公験と同様の効力が認められた︒盗難によつて公験が失われた場合には︑紛失. 田︵花押︶. 部︵花押︶. 臣︵花押︶. 秦︵花押︶. 賀︵花押︶. 國︵花押︶. 縣︵花押︶. 生︵花押︶. 從七位上守部︵花押︶ 張 壬 張 中. 目 代. 島物大郡勝村番主.

(37) 状に﹁本券をもつて訴える者は盗賊たるべし﹂という文句を載せるを常とした︒故に紛失状を立てることは︑本公験 の失灌を宣言することで毛あつたのである︒. 手縫文書というのは︑土地の最初の灌利者である開襲領主から現在の所有灌者に至るまでの罐利者の公験を蓮絡し. て︑現在の所有灌者が正當の椹利者であることを立護する一蓮の文書である︒所有灌の移韓が相綾に依る場合には︑. 被相績者の慮分歌が添えられ︑購與に依る場合には︑瞼與者の和與歌が添えられるから︑手績交書は公舞のみとは限. つていない︒かような文書が多く傳つているのは︑土地が詮舞化した結果︑椹利の譲渡に當つて譲渡する者が譲渡さ. れる者にその土地に關する一切の灌利謹を譲渡することが慣例となつていたからである︒法廷において︑土地の灌利. 者が自己の有する灌利が正罐限に基ずくものであることを護明するために︑以前の樺利者がもつていた権利謹を次々. と示してゆくことを﹁手纏を引く﹂という︒手縫を引いて最初の灌利者に達せず︑途中で中断している場合には︑そ. の灌利者は正當な灌利者とは認められない︒約束手形の裏書が中断している場合と同様である︒故に庭分歌︑和與状. が︑その土地以外の土地をも一緒に慮分し︑または和與していて︑慮分状︑和與歌を手縫文書に添えて渡すことがで. きない場合には︑その旨を明記した文書を手縫文書に添えて渡した︒手縫文書なるものが護達するに至つたのは︑卒 安時代の民事法廷において︑手纏を引くことが屡々要求せられた結果に外ならない︒. 耶安時代の手纏文書の實例としては︑東寺百合文書﹁へ﹂に牧められている左京七條一坊家地手縫券文を墾げるこ. とができる︒この手縫文書は︑延喜十二年七月十七日附︑延長七年六月廿九日附︑天暦三年四月九日附︑天元二年十. 三七. 月二月附︑正暦四年六月廿日附の各費券及び延喜十九年四月廿一日附のい庭分歌より成つている︒この六通の文書は︑ 律令の民事訴訟法.

(38) 律令の民事訴訟法. 三八. 糊を以て緯ぎ合せられ︑紙縫の裏には︑夫々二個の朱印四箇の花押をもつて﹁縫目裏到﹂が施されている︒延喜十二. 年︵西暦九二一︶七月十七日の費買券は︑散位正六位上山背忌寸大海なる者が︑その所有に係る在京七條一坊所在の. 宅地四戸主とその上に建つている三間檜葺板敷の屋一宇︵寝殿︶︑五問板屋二宇︵東西の封︶︑中門一庭︑門︵四足門︶. 二庭とを正六位上源朝臣理なる者に費渡したことを謹する︒衣の延喜十九年︵西暦九一九︶四月廿一日の庭分歌は︑. 源朝臣理が右の私宅をその男市童子並びに市童子の母橘美子等に譲與したことを護する︒次の延長七年︵西暦九二九︶. 六月廿九日の壷買券は︑右の私宅を源朝臣市童子及び橘朝臣房子が安倍朝臣良子及び散位正六位上布敷首常藤に費渡. したことを護する︒次の天暦三年︵西暦九四九︶四月九日の費買券は︑安倍朝臣良子が右の私宅を檜前宿禰阿公子に. 費與したことを謹する︒次の天元二年︵西暦九七九︶十月二日の費買舞は︑親母の所領であつた右の宅地を穴太某な. る者が吉志安國に費渡したことを謹する︒穴太某の親母は︑恐らく檜前宿禰阿公子であろう︒その事は︑この文書の. 上では立謹せられないが︑戸籍によつて法廷に顯著なる事實であつたために︑その立謹を必要としなかつたものと推. 断される︒最後の正暦四年︵西暦九九〇︶六月廿日の責買雰は︑吉志安國の男忠兼が右の私宅を紀滋忠に費渡したこ. とを謹する︒延喜十二年から正暦四年までには︑七十八年の歳月が流れている︒七十八年前のこの宅地の所有者であ. る山脊大海の所有権を箏う者が現われたとしても︑年紀多積の故を以て敗訴せしめられたであろうから︑紀滋忠はこ. の手纏讃文を所持しておりさえすれば︑安心であつたであろう︒この手纏文書の全丈を掲載することは︑あまりにも 紙面を食うから︑弦にはその最後の部分だけを掲げることとする︒. 七條令解 申立費買家券丈事.

(39) 物. 合壼匠地難戸主 在一坊+五町西一行北四五六七門. 立. 三間檜葺板敷屋壼宇在庇四面︑井又︑庇酉北又在小庇︑南面戸五具︑大二具小三具. 五問板屋菰宇在一宇庇︑南面在一宇庇︑西面戸各壷具. 中門壼慮 大 門戴庭︑ バ. ︵自署︶. 散位正六位上山背忌寸大海︵花押︶ 正六位上源朝臣﹁理﹂. 三九. 令下依二辮欺一加中. 右︑得蔽位正六位上山背忌寸大海當氏辮欺一構︑己家以二延喜銭陸拾貫文哨充二償直一責二與左京一條一坊戸主中. 納言從三位兼行陸奥出羽按察便源朝臣湛戸口正六位上同姓理一既畢︑望請︑依レ式欲レ立券二文者. 覆審b所レ陳有レ實︑傍勤壷買爾人拝保謹等署名↓立二券文樋如レ件︑以解. 保証. 買人. 費人. 延喜十二年七月十七日令從八位上縣犬養宿彌﹁花押﹂. 主料. ・:伯者講師︵朱印︶::︵花押︶::︵花押︶::有:・︵花押︶::︵花押︶. ︵紙縫目︶裏. 陽成院釣殿宮舎人長宮庭﹁今水﹂. 右衛門府生正六位上佐伯宿禰﹁忠生﹂. 律令の民事訴訟法.

(40) 律令の民事訴訟法. 内竪從七位上布敷﹁常勝﹂. 進. 李. 野. 大麗阿刀コ李緒﹂. 小. 少進小野﹁花押﹂. 大. 四〇. 左京甥︑漿畿通扇講錘喜輩青+吉套︑井同八年九早九昌紙奪封行如件・畢二 年八月廿八日 大夫源朝臣﹁長頼﹂. 亮︑兼伊勢灌大豫藤原朝臣﹁三仁﹂. 属閥. 少屍許西部﹁久範﹂. 少. ほ ニ :︵花押︶::︵花押︶::へ花押︶:・有・:・伯春講師︵朱印︶・: ︵花押︶::. 充行私宅事 在條坊舞丈 但 東 七 條 宅 者. 庭分歌と遺 言 状. 養老の戸令には︑慮分條なるものがあつて︑各相綾人の相綾分を定めているが︑それは被. 延喜十九年四月廿一日源理. 右︑男市童子井母橘美子等︑副二雰交輔所レ行如レ件. 五. 相綾人が生前に遺雰を馨ずして死亡し︑法霜禦開始さ裂場禽重雰つて・﹁亡人︵籍綾人︶膏︵生.

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