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(1)

九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

Peripatetic Observasions on the Subjects treated of in Karl Marx's "Wages, Price and Profit": Preface by Aveling and/und

Vorbemerkung von Bernstein

福留, 久大

https://doi.org/10.15017/4403531

出版情報:經濟學研究. 40 (3), pp.109-125, 1974-10-30. Society of Political Economy, Kyushu University

バージョン:

権利関係:

(2)

ィ ヴ リ グ と

‑ ‑ ‑『賃銀,

価格および利濶』

緒 素 註 検

:. 

結 四 五

言 材 釈 討 語

〔一〕

第二次大戦後の日本の新制大学において,専門的な 職業人の蓑成を目的とする諌程とならんで,

の形成」という理念を掲げた一般教蓑の課程が存在す ることは,衆知のことに属する。しかし,この一般教 養の課程において掲げられた理念が,戦後四半世紀の 間に,現実的条件整備の欠如の下で,大量教育の圧力 によって,ほぼ完全に死滅状態に追いこまれているこ とは,さほど広く知られていない事実のように思われ る。 「理念」に対する「現実」の甚しい乖離の実例を 挙げれば,枚挙に暇のないほどであるが,ひとつだけ 選べば,「大学が一の授業科目について同時に授業を 行う学生数は,おおむね五十人とする」

「人闇性

(大学設置基 汎,29条1項)という規定に対して,九州大学教捉部 における現実は(それは日本的平均からすればまだし

も良い方であろうが),

関係するために,

五十人以下の聴講生というの がまずは例外,という有様である。私の目下の担当科 目「経済学」 は,必ずしも最多人数科目ではないが,

多いときは三百人を超えることが例である。最多人数 の講義になると数百の受講生ということになる。

日常的見聞・日常的経験は,主として事物の外践に

「経済学」の対象とする事実の本質 を,往々にして,逆の姿において捕捉しがらである。

丁度,見た眼には,太賜が地球の周囲を運行している ように,受取られるのと似ている。したがって,経済 学において,対象とする事実をその真の姿において開

ベ ル ン シ タイ ン の序文を巡って 一一

れざるをえない。

書というものは,かなり探索困難である。

示することは,本来容易なことではないはずである。

まして数百人を相手に,という現在の大学の教旋課程 の現実を前にするとき,その困難さは一屈大きいもの になる。

そういう情況の下で,練達の士でない私など,絶え ず絶望的な気持に押し流されがちなのであるが,自ら 選択した職務であってみれば,絶望のままに打ち捨て てしまうわけにもいかない。そのジレンマのなかで,

多少なりとも困難乗切りの方策を工夫してみることに なる。多くは予期した効果もなく,相変らず絶望的気 分は払拭されないままではあるが……。

そういう工夫の焦点の一つが教材・教科書である。

適切で確実な教科書が,講義の不十分さを補って余り ある働きをすることは,いうまでもない。無論,教材

・教科書は一人歩きするわけではなく,そこには受講 生諸君の自発性の発揮という主体の問題が存在するの であるが,この自発性の遍在を前提することができる ならば,的確な教科書との結合によって,経済学学習 の目的の過半は成就されたも等しいことになろう。

しかしながら,実際には,目的に添った的確な教科

「経済学」

という科目は,考えてみれば,過大な課題を負ってい るのであり,経済学部においては多数の科目によって 分業的に担当される経済社会的事実を,精粗の差はあ れ, 一手に荷わねばならないことになっている。賓本 主義の諸々の事実の少なくとも基本的なもの全体に相 関わる著作は,さほど多くない。その多くないものの なかから,大部のもの,例えば「資本論』などは除か 週4時 間・15週の講義の枠内にお いて,経済学専攻でない学生が多数であるという事情 の下で,咀哨が到底無理だと考えられるからである。

‑109‑

(3)

経 済 学 研 究

それやこれやの試行錯誤を繰り返しながら,昨年度 (1973年度)前期・後期,そして今年度 (1974年度)

前期と続けて一ー使用方法は各学期ごとに異なるが ー用いているものにマルクスの『賃銀,価格および 利潤』がある。

この書物は,一方で,必ずしも酋尾一tiした論理展 開から構成されているわけではないという弱点をもつ が,他方では,教養課程における教科書として,いく つかの利点をも有している。

ひとつは,原文が英語であること。 『貨銀,価格お よび利測』は,マルクスが1865年初夏,ロンドンに おいて行なった演説の草稿が,その原形をなしてい る。したがって,比較的平易な英語によって執筆され ている。他方,その由来や怠義は措いて,現実の日本 の大学生は普通数年の英語読解の訓練を経て来てい る。したがって,マルクスの経済捌連の著作として は,少ない例だと考えられるが,大学新入生が古典を 直に消化しうるということになるわけである。

ふたつには,分量の手頃さということがある。マル クスの行なった演説は二日(夜間だけ)にわたったと 考えられるが,分量は英語原本にしろ,独逸詔訳にし ろ,まず2万語前後,[ね本語の翻訳がいわゆる文即版 にして100頁以下というところである。量的な点では どうころんでも通読困難の謗りを受けることはないで あろう。

三番目には,内容の平易さがある。マルクスの洞説 の聴衆は第一インターナショナル,函際労働者協会の 中央評議会委員たちであったが,先に捉議された同じ く構成員であるウェストンの議論に反対して,これに 優る過半の構成員の同意を得るために目論まれたこと もあって,マルクス自身言うように「比較的に大衆向 きの形で1)」述べられている。その点で,教養課程の学 生が通読して大意を吸みとるのに大きな困難はない,

といってよい。ただ,反面において,同じくマルクス の言茉を借りると「伺時に不可避的に種々の問題の上 を軽く滑り通らねばならない2)」という面を免れない ことになっている。問題を十分に展開する余裕を欠い て,端折ってしまい,ために曖昧な点を生ぜしめてい

第 40巻 第 3号

るわけである。

このような不明確な点への留意は必要であるが,そ の点を問わないことにすれば,この小さい若作は,資 本主義の全側面にわたって議論を展開している。四番 目の特長として,この総体性とでもいうべき特長が挙 げられよう。マルクスのこの演説は上記のように1865 年になされているが,この年には『資本論』の草稿は ほぼ出来上るのであり, 『資本論』の改稿から適宜抽 出して構成したのが『賃銀,価格および利潤』である といってもさして過大表現でないほどである3)。した がって,資本(J)原始的苔積から斑本主義の歴史的傾向 に至り,甜品・貨柁・貧本に1対説し,刺余価値生陀を 述べた後には,賃銀に触れ,利潤・地代•利子・昨業 利潤に及ぶという具合である。したがって,講義担当 者の努力,ならびに学習者の意欲次第によっては,資 本主義の全体像を説明する手掛りとして十分活用でき る著作といえよう。 『資本論」をスクリーン上の映像 とすると,映写機に収められているフィルム上の諸点 が『貸銀,価格および利濶』である,といってよい面 が多いのである。したがって,学生の自発性如何によ って最大の経済学教科書『資本論』読解への起動力に

もなりうるといえよう。

五番目に,題材の刺戟性とでもいうべき特長があ る。マルクスの演説は,「賃銀と物価は悪循環するか」

という問題に関して,悪循環すると考え,それ故に労 働組合のストライキなどを含む賃銀引上闘争は無意味 であるとするウェストンの議論を反駁する目的で,行 なわれている。そこから, 『賃銀,価格および利刑』

においては,その最初の部分で, 「賃銀と物価は悪循 環する」という議論への反論が述べられ,その最終の 部分で,労働組合運動の意義が強謁される,という構 成になっている。 (因みに,その中間のサンドイッチ における肉・野菜にあたる位置において,資本主義経 済の運動機構の説明, 『資本論』から抽出された価値 法則論が展開されている)。 他方,簡単に過去一世紀 半の物価の推移を回顧すれば疑いようもなく明らかで あるが,二十世紀後半の現在の資本主義経済は,何よ りもインフレイションを以て特徴づけられる。したが

‑110‑

(4)

イーヴリングとベルンシュタイン

って,問題の本質には差異があるにしても,現象にお いてみるかぎり, 「賃銀と物価は悪循環するか」とい う問題は,周知のように「今日の問題」でもある。そ こで,この著作は,教養課程の学生諸君の現実の関心 を惹くという特長を有することになる。加えて,戦前 と異なり,第二次大戦後四半世紀を経た今日のほとん どの大学生は,—―—それが経済学でいう賃銀労働者た`

とするのは早計にすぎるとしても・_salariedman  となることを重要な関心事としているのであり,その いみで, 『賃銀,価格および利潤』のヒ記の特長は一 層増幅されることになる。

お お よ そ 以 上 の よ う な 利 点 を 考 頌 し て Marx's Wages,  Price and Profitを教材に用いてみたので ある。そして,当然のことながら,講義前に教材の検 討を行なうのであろが,その過程で,これまた当然の ことながら,種々検討を要する事項に漕遇する。ここ で採り挙げてみたいのは,そういう具合にして出合っ た事柄のひとつ,マルクスの演説の英附での最初の刊 行本, 『価値,価格および利潤』 (Value,Price and  Profit)へのエドワード・イーブリング (Edward Aveling)の序文と,最初の独逸語翻訳, 『賃銀,価 格および利潤』 (Lohn,Preis und Profit)へのエド アード・ベルンシュタイン (EduardBernstein)の 序文とである。この二つの序文に触れて,小さい事 で,さほどの大事ではないが,ひとつの疑問がある。

その疑問の点を取り羅めておくことが,専門研究者か ら教示を仰ぐ前提として必要なことと考えられるし,

また学生諸君との閃係では,講義の欠を補う手寸→とし て多少の価値を有しうるかとも考える。

〔二

J

PREFACE 

The circumstances  under  which  this  paper  was read are narrated at  the beginning  of  the  work.  The paper was never published during  the lifetime  of Marx.  It  was  found  amongst  his  paper after the death of  Engels. 

Among many other characteristics  of  Marx, 

this paper shows  two  especially.  These are  his patient willingness to  make the meaning of  his ideas plain to the  humblest student, and the  extraordinary clearness of  those ideas. 

In a partial sense  the present volume  1s  an  epitome of  the  first  volume of  Capital.  More  than one of  us have attempted to analyze  and  simplify that volume,  with not too muchsue‑ cess perhaps.  In fact,  a witty friend and com‑

mentator has suggested that what is  now requ‑

ired is an explanation by Marx of  our explana‑

tions  of  him. 

I am often asked what is  the best succession  of  books for  the student to acquire the  funda‑

mental principles of  Socialism.  The question  is a difficult one to answer.  But,  by way of  suggestion, one might say,  first,  Engel's Socia‑

!ism,  Utopian  and Scientific,  then  the  present  work,  the  first  volume  of  Capital, and the  Student's Marx. 

My small part in  the  preparation  of  this  work has been reading the manuscript, makmg  a few  suggestions  as  to  English  forms  of  expression, dividing the  work up into  chapters  and naming  the  chapters, and revising  the  proofs for press.  All the  rest,  and by far the  most  important  part,  of  the  work  has  been  done by her whose name appears on the  title  page. 

The present volume has already  been  trans‑ lated into German. 

〔試訳

J

序文

Edward Aveling.4l 

この論文がどういう情況の下で朗読されたかについ ては,この著作の冒頭部分に述べられている。当の論 文はマルクスの生存中には公刊されなかった。それ

‑ 111 ‑

(5)

経 済 学 研 究 第 40巻 第3号

は,エンゲルスの死後,遺された原稿類の間から見出 des Bestehens der Internationale in deren Gene‑

されたのだった。 ralrat gehaltenen Vortrags.  Die bertihmte Vere‑

多々あるマルクスの特質のなかで,この論文はなか inigung hatte ihre Tore alien Richtungen  der  んずく二点の特徴を示している。ひとつは,彼の思想 Arbeiterdemokratie  geoffnet,  und  es  handelte  の意味するところを最も凡附な学び手にさえはっきり sich nun darum, tiber die  wichtigen Fragen des  理解できるようにしたいという不屈の意志であり,い Befreiungskampfes der Arbeiter Verstandigung  まひとつは,その思想の無類の平明さである。 und womoglich  Ubereinstimmung zu  erzielen. 

一種部分的な意味合においてだが,この著作は 『資 Das war aber keine leichte Sache, denn in fast  本論』第一巻の縮小形である。第一巻に検討を加え alien diesen  Fragen  gingen schon  damals  die  て,これを平易な形のものにしようと試みた者は,わ Meinungen  auBerordentlich  weit auseinander.  れわれの間にもひとりならずいたのであるが,大した Gewerkschaftler und  Genossenschaftler,  unter  成功を収めるに至らなかったといって大過あるまい。 beiden  wiederum  die  Vertreter  verschiedener  実際,ある機智に富んだ友人の批評家の言葉を借りる Organisationsformen und Betriebssysteme, stan‑ と,いま必要とされているのは,マルクスについてゎ den sich oft  recht schroff gegentiber, und dazu  れわれが行なった説明に関して,さらにマルクス自身 kamen dann noch die Schwarmer flir bestimmte  が説明を加えることだ,ということになる。 Universalmittel,  wie  Tauschbanken  und der‑ 社会主義の基本原理を習得するのにどういう種類の gleichen.  Unter diesen Umstanden gab es  im  湛物が最も適しているか,こ ういう質問を受けること Generalrat sehr lange und ermtidende De batten,  がしばしばある。この質問に回答するのは容易ではな bei denen Marx nach  dem ZeugniB  derer,  die  いが,ひとつの示唆として,まず,エンゲルスの『社 jene  Zeit  mitdurchlebt  haben,  eine  wahrhaft  会主義,空想から科学へ』を,次に,当面の この著 tibermenschliche  Geduld an den Tag zu legen  作, 『資本論』第一巻,そして ステュプ~ ツ・マル pflegte.  Wie gewissenhaft und taktvoll er dabei  クス』を挙げることができよう。 vorging,  beweiBt  der  uns  hier  vorliegende 

この著作を刊行する準備過程において,私が演じた Vortrag. 

僅かばかりの役割といえば,草稿を読んだこと,英語 Wogegen dieser gerichtet ist,  sagt er selbst.  の表現形態について意見を出したこと,著作を章に分 John Weston war ein Sozialist aus der  Schule  かち,章の名前を付けたこと,そして上梓に際して校 Owens,  oder  vielleicht  besser,  der  Nach‑

正を行なったことである。仕事の残りすべては, ― ‑ Oweniten,  der  Schwarmer  ftir  Tauschbanken,  それこそこの仕事の飛び切りの最重要部分なのである Arbeitsgeld und dergleichen.  Aus deren Gesi‑ が一ー表題頁に姓名が示されている女性によって,果 chtspunkten heraus wollte  er  von  Strikes  ftir  されたのである。 Lohnerhohungen nichts wissen, sie griffen  das  この著作は,既にドイツ語に翻訳されている。 Ubel nicht an der Wurzel an und muBten durch  エドワード・イーブリング Verteuerung  der  Production  ihren  eigenen  Zweck wieder zu nichte machen ‑ eine  Argu‑

Vorbemerkung des Ubersetzers. 

Wie irn  Titel angezeigt, ist  die  Abhandlung,  die  wir  hierrnit  zurn  Abdruck  bringen,  die  Niederschrift eines von Marx im ersten  Jahre 

mentirung, wie wir sie  in  Frankreich bei  den  Proudhonisten  und  in  Deutschland  bei  ortho‑ doxen Lassalleanern wiederfinden. 

Dieser  Anschauung  tritt  Marx  entgegen. 

‑112 ‑

(6)

イ ー ヴ リ ン グ と ベ ル ン シ ュ タ イ ン

Er geht Satz  fiir  Satz ihre Voraussetzungen und  Forgerungen  <lurch  und  zeigt an  der  Hand  wohlbeglaubigter Tatsachen,  wie wenig sie der  wirklichen Erfahrung entsprechen.  Damit  im  Zusammenhang entwickelt er <las  Bild des gan‑

zen Raderwerks der kapitalistischen Produktion  und zeigt an der Hand der Analyse  derselben,  welche Gesetze auf die Lohnhohe in der modernen  Gesellschaft einwirken und ihre Bewegung  be‑ stimmen. In ebenso lichtvoller wie geschlossener  Darstellung giebt Marx auf solche Weise einen  AbriB der  auf  diesen  Gegenstand  beziiglichen  Grundgedanken  des,,Ka pita!",  <lessen  erster  Band  gerade  zu  jener  Zeit  seine  endgiiltige  Fassung  erhielt.  Als volkstiimliche Zusam‑

menfassung der betreffenden Entwicklungen des  Marxschen Hauptwerks kann diese Abhandlung 

‑von ihrem Werte als  authentische AuBerung  ganz abgesehen‑gar nicht iibertroffen werden. 

DaB die  Marxsche  Darlegung  im  Generalrat  die  Mehrheit  gewann,  zeigen  <lessen  auf  das  Gewerkschaftswesen, die Strikes u.  beziiglichen  Antrage an die  Kongresse  der  Internationale.  Weston  selbst  scheint an seiner  Anfassung  festgehalten zu hahen. Bis dahin selbst Mitglied  des Generalrats und noch Mitunterzeichner des  Manifests iiber angeblichen Spaltungen  in  der  Internationale, sch la gt er sich um die  Zeit  des  Haager Kongresses auf die  Seite  der  bakunis‑

tisch‑proudhonistischen  Sezession  und  ist  mit  dieser bemiiht, eine Gegeninternationale gegen  die alte,,autoritare" Internationale  zu  Stande  zu bringen.  Darauf  unzweifelhaft bezieht sich  der  Satz in  den  Erinnerungen  des  bekannten  G. J.  Holyoake:,,Er (Weston) vertrug  nichts 

setzte Resolutionen gegen ihn <lurch." In der,,Hall  of Science", dem Versammlungslokal der Londo‑

ner  Freidenker, zu deren  Sprechern  Holyoake  gehorte,  fanden  namlich  die  Sitzungen  jener  anti‑a utoritaren Internationalisten statt. 

Holyoake  schildert  Weston  als  den,,mage‑

rsten,  kraftigsten,  sanftesten  und  zugleich  feurigsten,  schnellsten  und  iiberzeugendsten  Politiker der Arbeiterklasse". Er war Kuhjunge  und  Kiichenjunge gewesen und hatte dann das  Gewerbe eines Gelanderarbeiters erlernt, in dem  er bis  im  hohen  Alter  arbeitete,,,zehn  bis  zwolf Stunden tagsiiber an der Hobelbank, und  wenn der Abend kam, hielt er Reden•…••Welche gute Bewegung immer in  der  Hauptstadt  vor  sich ging,  Weston  war bald  dabei,  wenn er  nicht iiberhaupt der Erste war,  und  <loch  gab  es mehr Schwierigkeiten Xanthippischer  Natur  zu Hause zu iiberwinden, als sie irgend  einem  Sterblichen au6er Sokrates im Wege gestanden. 

Aber keine Unbequemlichkeit hielt  ihn zuriick.  Von allen sanften Geistern,  die  ich  gekannt,  war er  der  leidenschaftlichste  Arbeiter;  ein  Molluske in  der  Rede,  war er Dynamit in  der  Aktion." 

Noch sei bemerkt,  daB  der Titel dieser  Ab‑

handlung  und  die  der  Abschnitte 1 bis 4 von  uns herriihren,5> 

( 引 用 者 註 一 原 文 は ド イ ツ 印 刷 体 , い わ ゆ る 亀 の 甲文字,髭文字であるが, こ こ で は ラ テ ン 印 刷 体 を 用 いた。 誤 植と考えられるもの三個, Lasseallanern 

→ Lassalleanern, entgiltige→ entgiiltige,  Mollusk→ Molluskeを訂正した。 そ の 他 に は 古 い 表 記 法 に よ る も の , 例 え ばThore‑‑+Tore,Ueber‑

setzer→ Ubersetzerを改変しただけである)。

von  dem imperialistischen  Kommunismus  und  〔試訳J Staatssozialismus von Karl  Marx, sondern trat  訳序

diesem Meister der  Agitation  entgegen  und  表 題 に 明 ら か な 通 り , わ れ わ れ が こ こ に 印 刷 に 付 す

‑113‑

(7)

経 済 学 研 究

論文は,国際労働者協会設立の最初の年にその中央評 議会でマルクスによってなされた演説の草稿である。

この高名な結社は労働者民主々義の全方面にその門戸 を開き,労働者の解放の闘いにおいて意志疎通とでき るかぎりの一致和合を達成することを,今やその課題 としていた。だが,それは決して容易なことではなか った。これらの問題のほとんどすべてにおいて,その 時すでに意見が甚しくへだたり分岐していたからであ る。労働組合主義者と協同組合主義者とが,さらにま たそれらのなかでさまざまの組合形態とさまざまの営 業組織との代表者が,しばしば非常に険悪な対立状態 にあったし,それに加えてまた,例えば交換銀行とか それと類似のものというような特定の万能薬的手段を 空想的に唱導する者もいた。このような状態の下で,

中央評議会において, 霙々と続く,煩雑な論争がひき おこされた。その論争に際してマルクスは,当時行動 を共にした人々のいうところによると,実に超人的な 根気強さを示すのが常だった。事を処するにあたって 彼がいかに良心的であったか,またいかに巧みであっ たか,いまわれわれの手元にあるこの論説が示してい る。

それがどこに向けられているかについては,彼自身 が言明している。ジョン・ウェストンは,オーウェン 旅の社会主義者であった。あるいは,後期オーウェン 主義の社会主義者,交換銀行や労働貨幣等々の空想に 熱中する社会主義者であったというのが,より適切だ ろう。このような観点から,彼は,労働賃銀引上をめ ざしたストライキについて,何ら理解しょうとしなか った。ストライキは,弊害をもたらすものの根源を捕 捉せず,生産物の価格騰貴を通じてその本来の目的を 無に帰すことにならざるをえない,という議論を展開 した。この議論は,フランスにおいてはプルードン主 義者のばあいに,そしてドイツにおいては正統派のラ ッサール主義者のばあいに,見いだされるようなもの である。

この見解に対して,マルクスは真向から反対した。

彼は,その前提とその帰結を一旬ー旬綿密に検討し て,それらが現実の経験にいかに甚しく背離するかと

第 40巻 第 3号

いう事実を十分確実な証明で以て,明示している。そ れとの関連で,彼は資本家的生産の機構の全体図をく りひろげ,また資本家的生産の分析によって,どのよ うな法則が現代社会において賃銀の高さに影聾を及ぼ したり,賃銀の動向を規定したりするかをも示してい る。 『資本論』の第一巻は,丁度その頃その最終的草 稿が仕上げられる段階にあったのであるが,マルクス は,当面の問題に関わりある範囲で『資本論』の根本 思想を,明解かつ簡潔な叙述でもって,要約している のである。この論文は,マルクスの主著が説き明して いるところを大衆向けに取り組恥めたものとしては一一 その信頼するに足る見解という怠味での価値を度外視 しても一ー全く他の追随を許さないものである。

マルクスの意見が中央評議会で過半数の同意を得た ことは,国際労働者協会の大会に労働組合制度につい てストライキ等に関連する提案がなされた点にも示さ れている。ウェストン自身は,自分の見解を固持しつ づけたようである。彼は,ハーグ大会の時にバクーニ ン主義的・プルードン主義的分脈に加担し, 旧 来 の

「権威主義的」国際労働者協会に対抗して,別低の国 際労働者協会を設立すべく努力するのであるが,その 時点に至るまでの間は,彼自身総評議会の構成員であ り,いわゆる分裂問題に関する宜言の共同署名者でも あった。有名なG.J・ホリオークの回想記のなかの 次の文章が示唆しているのは,明らかに上述のような 事情である。 「彼(ウェストン)はカール・マルクス 流の帝国主義的共産主義および国家社会主義には何ら 同調せず, むしろこのアジテーションの親玉と対立 し,彼とは反対の決議案を提起したりした。」 ホリオ ーク自身がその構成員であるロンドン自由思想家集団 の溜り場・「ホール・オブ・サイエンス」において, あの反権威主義的国際労働者協会員たちの会合が催さ れたのであった。

ホリオークは,ウェストンを「このうえなく疫身な がら,このうえなく頼みとなり,このうえなく柔和で ありながら,同時に誰にも劣らず情熱的で,俊敏で,

説得力のある労働者階級の政治家」として描いてい る。彼は若い頃牛飼や召使をしてすこしたが,やがて

‑ 114‑

(8)

イーヴリングとベルンシュタイン

指物大工の職業を学びとり,高年に至るまでこの仕事 にいそしんだ。「昼閻は飽かけ台で10時間から12時間働 き,夜になると政談演説を行なった……。絶えず首都 で行なわれる立派な運動には, fことえ最初は居なくと も,やがていつもウェストンが加わっていた。だが,

それにもかかわらず,ソクラテスがその妻キサンティ ッペの悪口雑言に妨害されたほどではないにしても,

誰か他の普通の人のばあいよりは多く,身辺に起こる 小うるさい非難苦情を忍ばなければならなかった。そ れでも,どんなおもしろくないことも彼を押しとどめ ることはできなかった。私が知るかぎりの温和な人々 のなかで,彼は最も熱情的な働き手だった。演説にお いては穏健派であり,行動においてはダイナマイトと 化す,というのが彼の人柄であった。」

なお,この論文の表題と第1章から第4章までの見 出しはわれわれが付したものであることを,明かにし ておく。

(引用者註ー一4月際労働者協会の執行機関は, ジュ ネープ大会まで Zentralratと称しており, 以 後 Generalratと改められた。 ベルンシュタインは Generalratで一貫しているが,訳文においては,「中 央評議会」「総評議会」と区別した)。

〔三〕

イーブリングの序文,ベルンシュタインの序文は上 記の通りであるが,そこで扱われている事柄につい て,それぞれ二,三の註解を加えておきたい。

イーブリンゲの序文の最初の蔀分, 「この論文がど ういう情況の下で読まれたかについては,この著作の 冒頭部分に述べられている」という点について。ここ で指摘されているのは, 『賃銀,価格および利潤』の

「前骰き」において「諸君,私の演説の本来の対象に はいる前に少しばかり前置きを述べることを許して下 さい」という冒頭の一句に続く次の一節であろう。

「いまや大陸では,ストライキという真の流行病と,

労賃の引上げを求める一般的な叫びとが蔓延してい る。この問題はわれわれの大会にももち出されるであ ろう。国際労働者協会の首脳部であろ諸君は,この重

要な問題についてゆるぎない確信をもっていなくては ならない。だから私としては,諸君にひどく退屈な思 いをさせる危険をおかしても,この問題に十分に立ち 入ることを私の義務だと考えたのである。」

「当の論文はマルクスの生存中には公刊されなかっ た。それは,エンゲルスの死後,遺された原稿類の間 から見出されたのだった」という部分について。マル クスの死去は,1883年3月14日のこと,エンゲルス のそれは, 1895年8月5日のこと。マルクスの末娘,

エリナ (EleanorMarx)は1897年4月27日付のカ ウツキー宛の手紙で,この演説原稿の発見に触れ「彼 によって,(確かに父の為した仕事です),国際労働者 協会の評議会に向けて,読まれた全く素晴しい論文」,

「一個の見事な経済学上の叙述」 と述べている。

次に出てくる『社会主義,空想から科学へ』や『資 本論』第一巻については,特別に説明を必要としない だろう。ただ,後者について, 1887年にムア(Samuel Moor)を主要な, そしてイーブリングを補助の翻訳 者として英語版が,前者について, 1892年イーブリ

ングの翻訳によって英語版が,いずれもロンドンのゾ ンネンシャイン (SwanSonnenschein)により出版 されていることに注意しておきたい。これらのエンゲ ルス,マルクスの著作と並記されている『ステュデン ツ・マルクス』が,イーブリング自身の著作であるこ ととの関連の下においてである。イーブリングについ て「序文のなかで,自分自身の『ステュデンツ・マル クス』を宜伝するほどに抜け目がなかった」という評 価も下されている8)

この『ステュデンツ・マルクス』は, 1891年 に 初 版刊行のもので,この時点までについていうと94年に 再刷, 97年に三刷が出ている。定義化や表式化をまじ えつつ, 『資本論』第一巻を各章ごとに個条害き的に 要約したものである9)。 日本では,故山川均氏によっ て1919年に刊行された『資本論大綱』において,

『ステュデンツ・マルクス」の大要を知ることができ る。山川氏の言葉によると, 「本書は大体において,

エドワアド・アヴェリングの『ステュデンツ・マルク ス』を反訳したものである。アヴェリングはマルクス

‑115‑

(9)

経 済 学 研 究

の末娘,エリアノルの夫で,初めて『資本論』の第一 巻を英訳した人であって, 『資本論』に対しては相応 に通暁した人である。ただアヴェリ ングの原本は,簡 潔省略に過苔た為め, 『資本論」の原文を読まぬ者に は,却って難解となって居る箇所もある。そこで編者

(山川氏のこと一一引用者)は常に 『資本論」の原文 を参照し,アヴェリングの摘録に若干の補足を加え,

又は『資本論』の原文に引戻した個所が少くない」10)

とされている。

最後に,この著作『価値,価格および利潤』の刊行 準備について。イーブリングは 「著作を章に分かち,

章の名前を付けた」としているが,正確には,後にも 言及するように, 前置きと最初の六つの章の名前をつ けたに留まるようである。また,「表題頁に姓名が示 されている女性」とは,エリナのことで,表題 頁 に は,次のような記載がなされている。

VALUE, PRICE AND PROFIT  Addressed  to working men.  by Karl Marx  Edited  by his daughter, Eleanor Marx Aveling. 

ベルンシュタインの序文についてみると,その冒頭 は「表題に朋らかな通り,われわれがここに印刷に付 す論文は,国際労働者協会設立の最初の年にその中央 評議会でマルクスによってなされた演 説 の 草 稿 で あ

る」となっている。表題は,

Lohn, Preis und Profit.  Vortrag, gehalten im  Generalrat der,,Internationale" am 26. Juni  1865  von Karl Marx  Ubersetzt von E.  R.  Bernstein 

と四段構成になっている。このうち6月26日とな っているのは,ベルンシュクインの誤りと考えられ るll)が, この著作の初期の邦訳(例えば,故河上撒 雨士による 『労賃,価格および利潤J,1921年刊)に あっては,他によるべき資料を欠いていたため,これ に基づいて, 「これはマルクスが1865年6月26日 に, 『インタアナショナル』 の総会で述べた演説の原 稿」であるとすることになったものがあるl2)。また今 日この著作が『賃銀,価格および利潤』と呼びならわ されるのは,このベルンシュタインの命名を出発点と

第40巻 第3号

するものといえよう。 いまひとっ, 「国際労働者協会 設立の最初の年」について。国際労働者協会の設立が 決議されたのは, 1864年9月28日のセント ・マルテ ィンズ・ホール(St. Martins Hall)の第会であり,

また創立宣言が採択されたのは,同じく 1864年のl1 月1日の中央評議会においてのことである13)。「賃銀,

価格および利潤』の原形を成す梱説が行なわれたのは 1865年6月以後のことであるから, 上のベルンシュク インの表現は「満一年以内」という意味にわいてのみ 妥当性を有することになる。

「マルクスの意見が中央評議会で過半数の同意を得 たことは,国際労働者協会の大会に労働組合制度につ いてストライキ等を含む捉案がなされた点にも示され ている」ということについて。 1866年9月3日か ら 8日までジュネーヴで開催された国際労働者協会第一 回大会の代議員のためにマルクスによって執策され, 大会において中央評議会の公式の報告として読みあげ られた『個々の問題についての暫定中央評議会への指 示い』の件を意味するものかと考えられる。この 『指 示』は,(1)国際協会の組織,(2)労貿の閾争にお ける協会の仲介による国際的協力, (3)労働日の制 限,(4)年少者と児窟(男女)の労働,(5)協同組合 運動,(6)労働組合,その過去,現任,未来,(7) 直接税と1蜀接税,(8)国際的信用,(9)ポーランド 問題,(10)軍隊,(11)宗教問題という1.1項 目 か ら 成っているが,そのなかで, 「大会は特殊な協同組合 制度を唱通すべきではなく,若干の一般原理を明らか にするだけにとどめるべきである」と言い, 「労働組 合は.資本と労働とのあいだのゲリラ戦にとって必要 であるとすれば,賃労働と賓本支配との制度そのもの を廃止するための組織された道具としては,さらに一 國必要である」と述べている。協同組合運動に対して 労働組合運動をより重視し,そのなかでも 日常的経済 闘争とならんで革命的政治闘争の量要性を強調してい るわけである。

「いわゆる分裂問題に関する宜言」とは,マルクス およびエンゲルスの執筆になる『インターナショナル のいわゆる分裂,国際労働者協会総評議会の非公開回

‑ 116‑

(10)

イーヴリングとベルンシュクイン

JIS)を指すものと考えられる。ここではバクーニン の指導する社会民主同盟がインターナショナル内で行 なってきた分派的活動が糾弾されており,総評議会は 1872年3月5日に全員同意の署名をしている。 もち ろん,ウェストンの氏名も署名者のなかにみられる。

国際労働者協会ハーグ 大 会 は,1872年9月2 7 日に開催されて,ここで労働者政党の創設,パクーニ ンの除名などが決議されている。その決議における賛 成・反対.渠権のいずれのグループにも,ウェストン の氏名はみいだされない16)

ついで,1873年1月26日には,脱退分離派のロン ドン大会が開催され,ウェストンは9名から成る執行 部に選出されている17)

なお,マルクス派に関して「権威主義的」という形 容涸が付され,脱退分離派に対して「反権威主義的」

という修辞句が付けられていることについては,バク ーニン0),およびエンゲルスの,次のような文章が示 唆的である。 「われわれの偉大な真の師,プルードン がこういっている,あり得べき結合のなかで最も災厄 的なものは,社会主義と絶対主義との結びつきであ る。人民の,経済的な解放と物質的幸福を求める性向 と,独裁および国家のあらゆる政治的,社会的権力の 集中とが結合されることである,と。」 これはプルー ドンの主版のバクーニンによる紹介であるが,バクー ニン自身の主張をみると「私は国家の廃絶と自由連合 (free  association)による代替を支持するのであっ て,その際,上意下逹の権威の行使 (exerciseof  authourity from above  downwards)はあっては ならないことである」18) と言う。 このような主張と 対極的な内容の一文をエンゲルスは「権威について」

と題して公表している。そのなかには, 例えば,次の ような一節がみいだされる。 「なぜ反権威主義者たち は,政治的権威に対し国家に対して反対を叫ぶだけに 留めないのだろうか。すべての社会主義者は,政治的 国家が,それとともに政治的権威が,来るべき社会革 命の結果消滅するであろうという点で,すなわち公共 的機能はその政治的性格を失なって,真の社会的利益 のために配慮する単純な行政的機能に変化するであろ

うという点で,一致している。だが反権威主義者たち は,権威的な政治的国家が,それを生みだした社会的 諸条件が破壊される以前にさえ,一挙に廃止されるこ とを要求している。彼らは,権威の廃止が社会革命の 最初の行為となることを要求している。これらの紳士 諸君は,かって革命を見たことがないのだろうか。革 命は,確かにあらゆるもののなかで最も権威的な事柄 である。革命は,住民の一部が他の部分に対して,銃 や銃剣や大砲を手段として,すなわち,およそありう

るか苔りの権威的な手段によって自分の意志をおしつ ける行為である。……」19)

「賃銀,価格および利潤』の原形をなしたマルクス の演説において論争の相手だったウェストンについて は,国際労働者協会の創立時から中央評議会の中心メ ンパーであったこと,上の論争以外にも, 資本家によ る機械使用の結果を巡る論争などマルクスと対立した ことが度々あったこと20)等々手近かには僅かのこと を知り得るにすぎない。そういう点で, ベルンシュタ インによるホリオーク (Holyoake)のウェストン像 引用は,それなりに有益である。 このベルンシュタイ

ンの翻訳・引用の原文は次のものと推定される。

John Weston‑the thinnest,  wiriest,  gen‑

tlest,  yet most ardent, prompt, and demon•

strative of working‑class politicians.  There  was nothing of him save his  voice and his  ceaseless energy.  He was a workman who  owed  everything  to  himself.  He was  a  cow‑boy and a page‑boy in his  youth, and  at last  hand‑rail maker‑a trade he lear‑ ned himself.  And no man knew it  better,  or so well,  for  he wrote a book  upon  it,  which is an authority  in  the  trade.  He  lived  to  be  seventy‑two,  working  ten  to  twelve. hours a day at the bench, and mak‑

ing speeches  when evening  came.  With  the independence which only a good work‑

man can afford to show, he  carried  his  principles into every house,  high  or  low, 

‑ 117 ‑

(11)

経 済 学 研 究 第40巻 第 3号

where he went, and gave his opinions upon  た演説の草稿である。 この演説を行なう動機にな public  questions  to  the  noblest  employer  ったのは, ジョン・ウェストン (中央 評 議 会 委 who fell  into conversation  with  him.  He  貝)が,5月2日および23日に行なった発言で stood none of the Imperialistic Communism  あった。ウェス トンは, その際に,労働賃銀の全 and State Socialism of  Carl Marx, but con 般的引上げは労働者にとって何ら益するところが fronted that master of agitation, and carried  ないことを証明しようと試み,また,それに基づ resolutions  against  him.  Whatever  good  いて,労働組合は 有害な方向に '作用するとい movement  was on  foot anywhere  in  the  うことを推論したのであった。

metropolis, Weston was soon in it, if,  in‑ マルクスのこの演説の手稿は,保 存 さ れ て い deed, he were not there first ; and yet there  る。 この演説は, 1898年に, ロンドンにおいて,

were more home difficulties in his way, of  マルクスの娘エリナによって,『価値,価格およ the  Zantippe  type, than any  man save  び利潤Jという表題で,エドワード・イーヴリン Socrates  had to encounter.  But no discom‑ グの序文を付けて,初めて公刊された。 手稿にお fort deterred him.  Of all  men of  gentle  いては,前置きと最初の6章は見出しが付いてい spirit  I have  known he  was the  fiercest  ない。これらはイーヴリングによって付け加えら worker ; a jellyfish  in  speech,  he  was  れたものであって,このテキストにおいては,角 dynamite in action. He had  the  genuine  括弧に入れてある。」22)

passion of  progress which  brings  good  to  others,  but  only gratitude and  poverty  to  those who have it.21> 

最後に「論文の表題と第1章から第4章までの見出 しはわれわれが付したものである」という点について みると,表題については前述のように確かな事実であ るが, 「第1章から第4章までの見出し」 というとこ ろは,後述するように「第1章から第6章までの見出 し」と訂正するのが妥当のように考えられる。

〔四〕

一般的に言う限りにおいて,経験が集積されること によって,マルクスの著作に関しては,現行の『マル

クス エンゲルス全集」 —-Karl Marx ‑Friedrich  Engels‑Werke.したがって厳密には『著作集j

が,目下のところ最も確実な典拠ということができる であろう。『賃銀,価格および利潤』は,「全集」第16 巻に収録されているが,この著作全体に関しては全集 版編修者によって,次のような註解が付されている。

「この論文は,マルクスが,英語で,1865年6 月20日および 27日の中央評議会の会議で行なっ

この引用の後半部分において触れられていろ「見出 し」の件から先に処理しておきたい。前述のように, イーヴリングは「著作を章に分かち,章の名前を付け た」 と言い,ベルンシュタインは「第1章から第4章 までの見出しはわれわれが付した」と述べている。こ の点は, 『全集』版編修者による註解に添って「前腐 きと最初の6章」の見出しというように訂正されるべ きであろう。イーヴリングにあっては彼自身の言菓よ り狭く,ベルンシュタインにおいては彼自身の言葉よ り広く,というのが,現存している手稿に基づく註解 の示すところである。その点は,英語版の目次,ベル ンシュタインによる独逸語版の目次,現行の 『全集

J

版の目次を並列してみることによっても,容易に確認 しうるところである。

英語版23)

Preliminary 

I.  Production and Wages  II.  Production, Wages,  Profits  III.  Wages and Currency  IV. Supply and Demand 

118‑

(12)

イーヴリングとベルンシュタイン

V.  Wages and Prices  VI.  Value and Labour  VII.  Labouring Power 

VIII.  Production of  Surplus Value  IX.  Value of  Labour 

X.  Profit  is  Made by Selling a Commodity  at its  Value 

XI.  The Different Parts into  which  Suplus  Value is  Decomposed 

XII.  General Relation of Profits, Wages, and  Prices 

XIII.  Main  Cases  of  Attempts at  Raising  Wages or  Resisting their Fall 

XIV.  The  Struggle  between  Capital  and  Labour, and its  Results 

ベルンシュタインによる独逸語版 ) Einleitung 

1.  Nationalproduct und Lohnanteil 

2.  Der  EinfluB  von  Lohnverlinderung  auf  Menge und Art der Produkte 

3.  Lohnbewegungen und Geldbewegungen  4. Vom MaBsta b der Lohne 

5.  Arbeitslohne und Warenpreise  6.  Vom Wert und vom Preis  7. Die Arbeitskraft 

8. Die Produktion des Mehrwerts  9.  Vom Werte der Arbeit 

10. Wie Profit gemacht wird, wenn Waren zu  ihrem Werte verkauft werden 

11.  Die  verschiedenen  Teile,  in  die  der  Mehrwert sich spaltet 

12. Das allgemeine Verhliltnis zwischen Pro‑ fiten,  Lohnen, und Preisen 

13.  Die  wichtigsten  Umstlinde,  unter  denen  Lohnerhobungen verlangt und Lohnhera‑

bsetzungen beklimpft werden 

14.  Der kampf zwischen Kapital  und  Arbeit  und seine Ergebnisse 

r

全集」版25)

(Einlei tendes) 

1.  (Produktion und Ltihne)  2.  (Produktion, Lohn, Profit)  3.  (Ltihne und Geldumlauf)  4. (Angebot und Nachfrage)  5.  (Ltihne und Preise)  6.  (Wert und Arbeit)  7.  Die Arbeitskraft 

8.  Die Produktion des Mehrwerts  9.  Der Wert der Arbeit 

10.  Profit wird gemacht durch Verkauf einer  Ware zu ihrem Wert 

11.  Die verschiednen Teile, in  die der Mehr‑

wert zerfallt 

12. Das allgemeine Verhaltnis  zwischen Pro‑ fiten, Arbeitsltihnen und Preisen 

13.  Die  hauptsachlichsten Versuch,  den Ar‑

beitslohn  zu  heben  oder  seinem  Sinken  entgegenzuwirken 

14. Der Kampf zwischen kapital  und  Arbeit  und seine Resultate 

これら各章の見出しを対比することによって,第 7 章以降第14章までの見出しは三者同一の意味のもの であることが明らかになる。 つまり,マルクスの手稲 にある見出しが英語版にあってはそのまま生かされ,

ベルンシュタインによる独逸語版,および『全集』版 にあっては,独逸語訳されたことを窺うことができる わけである。それに対して,第1章以降第6章までの 見出しは,英語版と,それに基づいてこれを翻訳した

『全集」版との間には当然のこととして緊密な対応関 係があるが,ペルンシュタインによるものは,その緊 密な対応関係を欠き,一個独自の趣を呈している。 つ まり,この部分は, 手稿に見出しの記載がなく,イー ヴリング, ベルンシュタインそれぞれ独自に見出しを 付し, 『全集」阪が前者のものに依拠したことを示し ているといえよう。

‑119‑

(13)

経 済 学 研 究

以上「見出し」に関して事実と推定されるところを 確認して,この項で主要対象としたい「疑問」とは,

先に引用した註解の次の部分に関わる。 「この演説 は, 1898年に,ロンドンにおいて,マルクスの娘エリ ナによって,

r

価値,価格および利潤』という表題で,

エドワード・イーヴリングの序文を付けて,初めて公 刊された」。 (DerVortrag wurde erstmals 1898 in  London  von  Marx'Tochter  unter  dem Titel  ,,Value, price, and profit" veri:iffentlicht, versehen  mit einem Vorwort von Edward Aveling.) 

ここに明らかなように『全集』版註解においては,

エリナの緬修になる版が「初めて公刊された」もので あるとしており,それ以上に,例えば独逸語訳などに ついては,何らの言及もなされていない。

他方,先にみたイーヴリングの序文においては,そ の最後に「この著作は,既に独逸語に翻訳されてい る」という一旬を伴っている。 「翻訳されている」と は,独逸語によって公刊されていることを含むのか。

とすれば,独逸語版によって「初めて」この演説草稿 は日の目をみたということになる。あるいは, 「翻訳 されている」とは,字義通り誰かの手で独逸語訳がな されていることを意味するだけで,独逸語版はなお未 刊行にとどまっており, 「初めて」公衆の読書対象に なったのは,やはり英語版だったのだろうか。そうい

う疑問が生じうる余地が存在するのである。

英語版には初版の刊行時期の記載がなく,またイー ヴリングの文章も日付を欠いているので,それだけで は,一切不分明である。しかし,独逸語版の方は,ベ ルンシュタインの翻訳および序文が掲載されたのが,

雑誌『ノイエ・ツァイト』 (DieNeue Zeit)だった ため,刊行の日付は,容易に確かめうる。すなわち, 1898年4月2日号に,「訳者序文」「前置き」「第1 章」「第2章」が記載されたのを最初として, 4月9 日号に第3章,第4章,第5章, 4月16日号に第6 章,第7章,4月23日号に第8章以下第12章まで,

5月2日号に第13章,第14章という形で連続分載さ れている。 したがって,

r

全集」版註解の言うように

第40巻 第 3号

英語版の形で「1898年に」「初めて」公刊されたとい うのであれば,その時期は,独逸語訳の登載された

『ノイエ・ツァイト』 4月 2日号の発行より前の1898 年1 3月に属するということにならねばならない。

ところで,上のベルンシュタイン翻訳の『賃銀,価 格および利潤』が分載されている 4月23日号には,

同じくベルンシュタインのエリナ・マルクス追悼の文 章 (EleanorMarx ‑ Erinnerungen von Eduard  Bernstein)26)が載っている。 そこでは,エリナの人 柄について多く筆が費され,エリナの死去そのものに ついては,この文章執筆直前であること,自殺である ことなどを知り得るていどである。しかし,後年のベ ルンシュタインの自伝的著作『わが亡命時代』 (Aus den Jahren meines Exils,  Erinnerung  eines Sozi‑ alisten)によると,1880年, 84年, 87年の3回のロ

ンドン訪問の後, 1888年以降1901年まではロンドン で亡命生活をおくるのであり,その1月,マルクスや工 ンゲルス,さらにはエリナやイーヴリング等の人々と 往来を重ねている。そういう直接的見聞に基づいて,

1898年3月31日のエリナの自殺の動機として,「自由 結婚」 (free marrige)による夫エドワード・ イー ヴリングの金銭関係と婦人関係における異常なほどの 節度逸脱が,ある極点にまで昂じて,エリナに与えた 強い衝撃が示唆されている27)。人の世の転変に常例の ないことは知りつつも,自殺にまで追い込まれるよう な悲劇的共同生活と,敬愛する父親の遺著を共同編修 によって公刊するという一種の微笑を誘う類の共同作 業と,このふたつを時を同じくして進行した出来事と して受容するには,かなりの抵抗・躊躇を覚えないわ けにはいかない。マルクスの演説が,英語版として

「1898年に」 「初めて」公刊されたということに関し ての疑問は,こうしていっこうに不分明のI支合を減じ ないのである。

もっとも,そういう種類の疑問は,たまたまこの背 作を教材に用いて,その成立の事情について説明を加 えねばならない立場の学校教師にとってこそ,多少と も解明の必要が生ずるのであって,一般的には取るに 足りない瑣末事というべきかも知れない。そういう事

‑120‑

(14)

イーヴリングとベルンシュタイン

情を反映してか,管見の限りでは, 『賃銀,価格およ び利潤』の各種版本に添付された序文や註解は,いず れもエリナ編修の英語版を以て,マルクスの演説が

「初めて」公刊されたとすることで一致しており,特 別の疑問をさしはさむことはないようである。

例えば,ベルンシュタインの翻訳に次いで公刊され た, ベルタ・ブラウンタール (BerthaBraunthal)  の翻訳によるエレメンタルビューヘル版(Elementar biicher des kommunismus, 1923年)において,ヘ ルマン・ドゥンカー (HermannDuncker)の筆にな る序文は,次のような一節を含んでいる。 一 「それ にしても, その時には (1865年,マルクスが演説を 行った後暫くの頃――—引用者),演説を印刷すること は,実現をみなかった。遥か後になって初めて(erst), エンゲルスの死後,彼の書類の間から,この演説の英 文の手稿が発見され, 1898年にマルクスの娘, エリ ナ・マルクスによって,出版された。」28)

次いで,ブラウンタール訳を部分的に改訳したもの によるインスティテュート版 (Marx‑Engels‑Lenin‑

Institut, 1933年)は,その序文で次のように述べて いる。一一「中央評議会はこれをパンフレットとして 出版しようとした。 しかしそれは, 公刊されなかっ た。この演説は,マルクスもエンゲルスも死んだ後は じめて,1897年に英語で, おくれて1898年にドイツ 訳で,出版された。」29) ここでは英語版の刊行が1897 年と,本項冒頭にあげた『全集』版註解や上のエレメ

ンタルビューヘル版序文よりも 1年だけ前に移されて いることが注意を惹く。あるいは,前述したように,

「1898年に」と「初めて」とが不協和音を発するとこ ろから,「1897年に」と移されたのかも知れない。(同 じような年次の配列を示しているものに,向坂逸郎氏 の『マルクス伝』の一節ー一「両人の死後, 1897年に イーヴリングによって英語で発表され, 1898年にベル ンシュタインの手でドイツ訳された。」30)ーーがある。) だが, ベルンシュタイン, プラウンタールに次い で,パウル・ウェラー (PaulWeller)の翻訳に基づ いて,第二次大戦後に刊行された版本では,上の年次 は再びエレメンタルビューヘル版の序文の線に伽って

いる。例えば, 1950年のアルフレッド・レムニッツ (Alfred Lemnitz)の序文を付したクライネ・ビュー ヘライ版 (KleineBiicherei des Marxismus‑Leni‑

nismus)は,「本書の歴史」という一章を設け,当面 の問題には,次のような形で言及している。ーー「こ の演説は初めて(erstmalig),マルクスの娘エリナと その夫エドワード・イーブリングによって,英語で,

『価値,価格および利潤」の表題の下に, 1898年 ロ ンドンにおいて公刊された……。同じ年に,この演説 は,独逸語で,『ノイエ・ツァイト』誌上に,『賃銀,

価格および利潤』の表題の下に,公けにされた。」31)

この線は,本項冒頭の『全集』版註解にも繋がり,

今日ほぽ一般化しているといえよう。 『マルクス・エ ンゲルス著作初版解題」 (DieErstdruck der Werke  von Marx und Engels) ‑ 1955年, ドイツ社会主 義統一党中央委員会附属マルクス・エンゲルス・レ ー ニ ン ・ ス タ ー リ ン 研 究 所 (Marx‑Engels‑Lenin‑

Stalin‑lnstitut beim ZK der SED)の 絹 集 に な る

_においても, 「 遣 稿 か ら の 初 め て の 刊 行 物 」 (Erste Veroffentlichungen aus dem NachlaB)と

して, Value,  Price And Profit.  Addressed  to  working men.  Edited by his  daughter, Eleanor  Marx Aveling. London; Swan Sonnenschein 1898  94p.  を挙げており,注記として「第一インターナシ

ョナルの中央評議会の二回の会議でマルクスがおこな ったこの演説の最初の独逸語訳は, 1898年(原文は 1889年となっているが誤植と考えられる一ー引用者)

『賃銀,価格および利潤』の表題の下に 『ノイエ・ツ ァイト」詰に公けにされた。」と追記している32)

このスワン・ヅンネンシャインは,前述のように

『資本論』英語版を出版したところであること,

t

こま たま筆者が閲読しえた(上記1898年の翌年) 1899年 ジ ョ ー ジ ・ ア レ ン ・ ア ン ド ・ ア ン ウ ィ ン (George Allen & Unwin)刊 行 の 同 一 表 題 の 英 語 版 が 同 様 に94頁という分量であることなどを傍証としうるな らば,ー一「初めての刊行物」という点は別として 一上の記述は,相当に信憑性の高いものとすること ができそうである。

‑121‑

(15)

経 済 学 研 究

とすれば,「初めて」と「1898年に」の二事項の間 の不協和音は, 「初めて」という事項の側に主として 起因するものと考えるのが妥当ということになる。

この点をかなり明らかにしてくれるのが,都築忠 七氏の『エリナ・マルクスの生涯』 (TheLife of  Eleanor Marx 1855‑1898,  A Socialist Tragedy)  である。 「イーヴリング夫妻は27日(3月の一ー引 用者)デン (Den,野獣の住む穴の意で, 彼らが自ら の住居につけた愛称と思われる一ー引用者)へ(保蓑 先から一一引用者)帰ってきた。エドワードの体調は 僅かばかり回復にむかい,エリナはロンドンで自分の 仕事に打ち込めるかも知れないと思った。エリナは帰 ってすぐにゾンネンシャインと,彼女の父親が第一イ ンターナショナルの中央評議会でおこなった演説ー一

『価値, 価格および利潤』の出版の契約を結んだ・・・

…。彼女は序文を用意し,中央評議会の会議の報告を 収録している『イースタン・ポスト』紙の綴り込みを 探している旨の広告を新聞に出した。この時点では,

彼女が死ぬことなど考えていなかったことは明らかで ある。」33) 3月31日木曜日朝, エリナは一通の手紙 を受取る。この手紙によって,エリナは,イーヴリン グが,別の女性と法律的結婚手続をおこなっているこ と,したがって最早エリナを必要としなくなっている ことを知らされ,その衝撃が自殺へと追いやったので はないかというのがベルンシュタインの推測である。

「4月16日エリナの追言証書とその補足書はイーヴ リングヘ受渡された……。彼は,マルクスの残した文 害類に関する権利を贈与するほどの器量をもちあわせ ていなかった。かえって,それを利用していくばくか の金を作ろうと画策したのである。彼は,エリナによ って編修されていたマルクスの『価値,価格および利 潤』を,彼自身の序文をつけて,しかもその序文のな かで抜け目なく彼自身の『ステュデンツ・マルクス』

の宣伝を行ないながら,出版したのだった。」34)「8月 2日,エリナの死後僅か4カ月の後に,スタッフォド

・マンションの一室で,彼は,読みさしの本を下に置 いて目を閉じ,そして死んだのだった。他の人々を,

なかでもエリナを,ひどい苦悩のなかに陥れながら,

第40巻 第3号

そういう人物にしては驚くほど静かな死だった。しか しながら,彼の死に方は,彼の生吾方とは無関係だっ たのであり,彼がいま数力月早目に死んでいてくれ たらどんなに良かったことかと思う人が少なくなかっ た。」35)

以上のようにみてくると, イーヴリングの手で Value,  Price and Profitが出版されたのは, 1898年 4月以降8月以前のこととなる。またベルンシュタイ ンの手で Lohn,Preis und Profitが公けにされたの は前述のように4月2日号から5月2日号までの週刊 誌上である。 1898年4月以降8月以前の幅のなかを 細かく確定することは困難であるが,上述の遺言の執 行の関連からみて,イーヴリングによる出版が5月以 降にずれ込んでいる可能性を相当に高い確率で考えら れそうである。そういう場合には, 「初めて」公刊さ れたのはベルンシュタインの独逸語版だということが できるだろう。また5月にずれ込むことなく 4月の後 半に手際よく刊行されたとするならば,単行本と定期 刊行物とのちがいが,比較を複雑にする。だが,その 場合でも冒頭部分だけについてはベルンシュタインの 独逸語訳が先行することは,まず疑いないだろう。と すれば,イーヴリングの序文に「この著作は,既に独 逸語に翻訳されている」とあるのは,独逸語訳の公刊 をも含むとする解釈が, より大きな妥当性を有する といわねばならないようである。少なくとも, 「初め て」公刊されたのが,英語版であるとすることに,何 らの疑問をもさしはさまないで晏如としているのは,

避くべきことといえよう。

〔五〕

(一)教科書として『賃銀,価格および利潤』を用 いるとき,学習者がこの著作の成立事情・根本思想の 概略を知るべく多く依存するのはやはり広く流布して いる邦訳書の解説ということになる。現在入手が比較 的容易であり,事実教捉課程の学生諸君などについて みて多く参照されているものに,三種類のいわゆる文 庫本がある。公刊順に挙げると長谷部文雄氏訳『賃 銀,価格および利潤』(岩波文庫),本間要一郎氏訳

‑122‑

(16)

イーヴリングとベルンシュタイン

『賃銀・価格•利潤』(角川文庫),横山正彦氏訳『賃 銀,価格,利潤』(国民文庫)である。

前項において挙げた疑問点に関してみると,長谷蔀 氏の場合はインスティテュート版の序文が収録されて おり36),したがって英語版1897年,独逸語版1898年 刊行というのが,読者への説明となる。本間氏の場合 は, 「解説」において「協会の総評議会はこの講演を パンフレットにして出版したいと思ったが,しかし実 現しなかった。それはマルクスもエンゲルスも死んだ のち, 1898年になってマルクスの末娘エリーナの手 でロンドンで公刊された。この最初の版の表題は『価 値 , 価 格 , 利 潤 』 と な っ て い た が , そ の ド イ ツ 訳 (1898年)以来, 『賃金,価格,利潤』という表題が 一般にもちいられている」37)ということで,先にあげ た「全集』版註解の趣旨と一致する。それに対して,

横山氏の場合は「解題」において「マルクスの手稿 は, エンゲルスの死 (1895年)後, 1898年にマルク スの娘エリナによってその夫エーヴリングの序文をつ けて公刊された。その表題は『価値,価格,利潤』で あった。そのドイツ語訳は,同年E・ベルンシュタイ ンによってなされ(「ノイエ・ツァイト』誌,第16巻 第2号),フランス語訳は翌99年マルクスの女婿シャ ルル・ロンゲの手でおこなわれた(「ダヴニール・ソ シアル」誌)。 表題は,英語版以外は『貨銀,価格,

利潤』となっている38)」と述べられている。 『全集』

版註解以外の情報が加えられるとともに, 『全集』版 註解から英語版を「初めて」公刊されたものとする部 分が削除されている。イーヴリングによる公刊とベル ンシュタインによる公刊といずれが先行したのかにつ いての説明が得られないのは心残りではあるが,筆者 が疑問としたような小さい問題を特別に扱う文章では ないのであるから,それは望蜀というべ合であろう。

このように先行する諮調査結果を集積してみると,

独逸語版が先行したのだと断言するには躊躇うとして も,英語版,独逸語版ともに1898年 の 春 か ら 夏 に か けてほぼ時を同じくして公刊されたこと,英語版が

「初めて」の刊行物だとの多くの説明には相当に疑問 があること,この二点は,学生諸村に対して確言で苔

るであろう。

(二)種々の文学作品の場合に比較してみると経済 学上の古典の場合,本文校訂の作業や成立ないし公刊 事情の調査など,必ずしも十分になされているように は見受けられない。特にここでとりあげた『賃銀,価 格および利潤』のように,著者の遺稿から草々の間に 編修・公刊された39) ようなものは, その著作の基本 的梢報において的確を欠く面が多く残されている40)。 上述した疑問もその一例であるが,小さいことなが ら,悲本的文献の基本的説明に属することであるだけ に,講義遂行上などにおいてその支障は,予想以上に 大きいものがある。講義準備のための,あるいは過去 の講義補充のための直接的必要から,私がとりあえず 純めえたことは以上の通りである。巨細を問わず,叱 正と教示を得られれば幸いである。

註 記

1)  2)  Karl  Marx ; Briefe  an  Engels,  24.  Juni  1865,  Karl  Marx‑Friedrich  Engels‑ Werke, Bd. 31,  Berlin,  1965,  S.  124.  3)  両者の間に存在する密接な関連については,次

の拙稿で多少具体例を挙示してある。「「賃銀,価 格および利潤」と「資本論』の交渉」(九州大学 教養部『社会科学論集」 14集, 1974)。

4)  Karl Marx; Value,  Price And Profit:  Ad‑

dressed  to  Working  Men,  Edited  by  His  Daughter Eleanor Marx Aveling,  Chicago,  Charles H. Kerr & Co., no date(九州大学経 済学部書架番号 105‑M‑59), pp. 3‑4. 

Do., London, George A11en & Unwin, First  published 1899,  12th Impression 1951(九州 大学附属図書飽500‑M‑7), pp. 5‑6,この個所で Engels'Socialism,Scientific and  Utopian  だけが異なっているが,他は全く同一である。

5)  Karl Mark; Lohn, Preis und Profit:  Vort‑ rag, gehalten im Genera/rat der,,lnternationa  le",  Die Neue Zeit, Stuttgart, XVI. Jahrgang  1897‑98,  Zweiter Band, S.  4‑5. 

6)  A.a.O., S.  5. 

7)  Eleanor Marx to  Kautsky,  27 April  1897 

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参照

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