キーワード:J.H. クラパム,賃労働者数,産業部門別就業者構成,産業部門別 GDP 生産力
1851 年の英国資本主義
-ひとつの断面図:「資本制社会本格化段階」との関連-
一 ノ 瀬 篤
目次 はじめに
第1節 就業者総数に占める賃労働者の割合
①総人口と就業者総数 ②農業 ③製造・建築業 ④鉱業 ⑤小括と補足 第2節 産業部門別就業者数と産業部門別GDP:日本との比較
①産業部門別就業者数 ②産業部門別GDP ③資本制本格化への展望 ④両産業部門におけるGDP生産力の比較 ⑤日本の場合 ⑥小括 第3節 重要関連事項の状況
①鉄道と海運 ②鉄鋼 ③動力 ④株式会社 ⑤都市化 結語
はじめに
本稿の目的は,1850年頃の英国(Great Britain)における資本主義の進 展段階を明らかにすることである。タイトルを1851年と鋭角的に限定して いるのは,その年のセンサスに依拠した数値を多用しているためである。
1851年統計を多用している理由は二つある。第一は,クラパムが言うよう に同年のセンサスが企業規模調査を含んでいるにも拘わらず,以後のセン
サスがそれを踏襲せず,同種の統計を含んでいないこと,第二は,丁度
「世紀の半ば」における資本制進展度を見ておきたかったことである。考 察の究極目的は「英国で資本制社会が本格化段階に達したのはいつ頃か」
という疑問に答えるところにあり,本稿はその作業の前半である。1851年 事態の把握は,本格化段階把握のための,言わばベース・キャンプと位置 づけている。1851年という鏡を磨いて資本制本格化段階を反射光で照らし たいと言ってもよい。本稿では「資本制社会の本格化段階」という概念を,
その「基礎的成立段階」という概念に対するものとして用いている。
基礎的成立段階という概念は,物的生産部門(農・林・漁・鉱業と製造・建築 業)において賃労働者が就業人口の過半を占めるに至った段階という意味 で用いる1)。この概念規定は資本制経済の基本的定義に即していて,シン プルで明確だが,当時の統計が不備なので,19世紀中葉の雇用状況を把握 することは,実際には困難であり,推計に頼る他ない。
本稿での本格化段階という概念規定(具体的には以下の3条件)は,恣意的 要素を含んでいる。質的な面ではいずれも資本制経済の本質もしくはそれ に密接な関係のある条件で,恣意的要素は少ないが,量的な面(以下の2/3 など)では恣意性が高い。「なぜ,たとえば3/5ではなくて2/3なのか」等々 の批判は生じる。しかし,他の数値を設定しても同様の疑問は残る。
さて,本稿での「本格化段階」の概念内容だが,第一に物的生産部門に おいて就業者総数に占める被雇用者数の割合が2/3を超えること(本格化 条件1),第二に第二次産業就業者数が第一次産業就業者数の2倍を超え ること(本格化条件2),第三に国民所得生産面で第二次産業が第一次産 業の2倍を超えること(本格化条件3)の3つを条件とする。恣意性は含 まれるが,このように端的に問題を設定(英国は上記の意味での「本格化段階」に,
いつ頃到達したのか)することによって,19世紀中葉の英国資本主義の様相把 握が容易になる。全体として,本稿では当時の英国経済の輪郭がはっきり
するように,概括的な把握を目指す。
英国で資本制経済社会がいつごろ成立し,いつごろ本格化段階に入った のかという問題提起も回答も,従来は曖昧である。この理由は理解できる。
一つは19世紀の統計が不備であること,もう一つは「成立」や「本格化」
などの概念規定がまちまちであること,更に現実の事態の進行が多少とも 漸次的であること,によるだろう。本稿では恣意的概念規定のはらむ危険 性をおそれず,1851年時点での断面図(時の流れに対する)提示を試みる。こ れによって当時の英国経済・社会の理解に少しでも役立ちたい。本格化段 階を,単に「19世紀中葉」というように広範囲に時期指定するのではなく,
19世紀の○○年代というところまで絞り込みたい。
考察に必要な事実資料は,多くを J.H.Clapham, An Economic History of Modern Britain, vol.1, 1st ed.,1926, vol.2, 1st ed., 1932[以下,Clapham, E.H., vol.1等と略記。本稿では2008年のデジタル版(Cambridge University Press)を使用]
に依拠している(同 vol.3, 1st ed. の刊行は1938年)2)。デジタル版は,図版が幾 つか省略されるなど,原著と多少の相違がある。
第1節 就業者総数に占める賃労働者の割合
① 総人口と就業者総数
まず1850年頃の英国3)で,資本制社会の基礎的規定要因である賃労働が,
物的生産部門においてどの程度の比重を占めていたかを見よう。
その前に1851年の英国総人口を見ておくと,第1表の通り。
第1表 1851年の英国総人口 (単位:万人)
(出典)B.R.Mitchell, British Historical Statistics, 1988:犬井正監訳『イギリス歴史統計』原書房,
1995年[以下,Mitchell, B.H.S(邦訳)と略記]9頁。
男性 女性 男女計
イングランドとウェールズ 878.1 914.6 1,792.7
スコットランド 137.5 151.3 288.8
合計 1,015.6 1,065.9 2,081.5
人口は19世紀に入って顕著な増加傾向にあった。1801年に比べて1851 年の総人口は実にほぼ倍増(98%増)している(1801年1050.1万人→1851年2,081.5 万人)4)5)。
さて総人口の中で就業者の占める割合だが,1851年における就業者総数 は937.3万人(男性655.4万人,女性281.9万人)と推計されている6)。総人口2,081.5 万人(第1表)に対する割合は45%となる7)。
このような人口動向の中で,資本制進展の基本指標と言うべき賃労働者 の割合は,どうだったのか。総括的統計が得られないので,産業部門ごと に観察する。
② 農業8)
a:賃労働者の割合
英国は囲い込みや農業革命によって,農業において資本制が早くから進 展した国として知られているが,以下でも具体的に見るように,その点は 明らかである。ただ,これも以下で見るように,その英国でも工業の場合 と異なり,大規模経営が優勢となるのは困難だった。
さて,クラパムは,1851年センサスに基づいて,次の数値を示している
(Clapham, E.H., vol.1, pp.450-453, vol.2, p.24. 数値は全て1851年のもので,対象はグレイト・
ブリテン)。
農業従事者総数 179万人
〔この179万人は賃労働者ばかりでなく,自営農民,農業主(farmer:地主から土地 を借りて労働者を雇う農業資本家)も含む〕
総農場数(農場を保有している所帯数) 28.6万 賃労働者総数 144.2万人
その内 屋外農業労働者総数 107.8万人
(全年齢層を含み,女性はその内7.1万人)
屋内労働者総数 36.4万人
(召使い,馬丁,御者など:このうち少年を含む男性が 23.6万人,少女を含む女性が12.8万人)
クラパムは,上記144.2万人を明確に wage-earning workers と記述して いる9)。179万人の農業従事者のうち,144.2万人(約81%)が賃労働者とい うことになる。1851年における農業での資本制進展は顕著であって,資本 制の基礎的成立は明らかと言ってよい。
そればかりではない。既に農業就業者数の81%が賃労働者になってい たので,農業では本稿での本格化条件1(就業者の2/3が被雇用者)も十二分 に満たされていたことになる。農業革命を軸とする英国農業の歴史的先 進性は,つとに語られてきたことだが,就業面でかくも早くから顕著な 賃労働制生産が進んでいたことは銘記されてよい。
要するに被雇用者数の全就業者に占める割合という面では,1851年時点 の英国農業は,資本制経済の基礎的成立段階はもとより,その本格化段階 にまで到達していたと言える。
b:経営規模
しかし,農業の経営規模(農場当たりの労働者数)は,おしなべて大きくは なかった。クラパムは上記数値から1農場当たりの賃労働者数をちょうど 5人程度だったとしている(144.2万人÷農場数28.6万≒5人)10)。
もちろん28.6万農場の全てが労働者を雇っていたわけではないので,5 人というのは現実を映す計算ではない。28.6万農場のうち,44.7%(約
12.8万)は農業労働者を雇用していなかった11)。このような自営農場では,
平均して2人の家族が働いていたと考えてよい(例えば夫と長男,もしくは夫 と妻)12)。
全部で28.6万の農場から上記12.8万農場を控除した15.8万農場が,労働 者を雇用していたことになる。上記の144.2万人をこの15.8万農場で除する と,1農場当たりの平均労働者数は9.1人となる13)。
要するに,経営規模(農場当たりの賃労働者数)は,かなり小さかった14)。 もちろん全国的に見ると,経営規模が賃労働者数平均9人程度と小さかっ たとしても,それはあくまで平均値であって,一部(【補論1】で見るように,
特に南東諸州など:最大のハートフォードシャーでは平均値13人)では労働者数十人を 擁する大農場もあったことだろう。しかし「平均値9人程度」は,やはり,
おしなべては経営規模が小さかったことを物語る(下掲の【補論1】,【補論3】
参照)。
経営規模が小さい場合は,農業主の監視や睨み,時には懇願,が通り やすい。1851年の英国農業は,労働契約がともかくも「契約」でありう る状況からは遠かっただろう。この時期の農業は,形式的・数的には本 格化条件1を満たしていたが,その内実は近代社会的ではなかったと判 断できる。
【補論1】リーショー・テイラー(Leigh-Shaw Taylor)による Agrarian Capitalism and the Decline of Family Farming in England,(米山秀訳「イングランドにおける 農業資本主義の興隆と家族農業の衰退」:首都大学東京『オープンユニバーシティ研 究論叢』No.7,2012年3月)は,細やかな実証に基づく近年の力作である。本論文は
「イングランド南東部では,1700年には既に資本主義的農業が支配的だったと言える ほど,意外に早くから農業の資本主義化が進展していた(反面,北西部では資本主
義化はそれよりも遅れた)」ことを強調する。しかし「農業の早期資本主義化」を強 調し,大規模農業(農場)という概念を多用するその論調にも拘わらず,結局,農 場当たりの賃金労働者数については,上記クラパムの示唆を否定する結果にはなっ ていない。
論文末に示された「農業における州別の男性労働者雇用数の平均値,1851年」は,
南東部でその平均値が最大のハートフォードシャーにおいてすら,13人にとどまって いることを示している(南東部の最小値は7.2人)。尤もこの数値は「男性」に限られ ているので多少の補正は必要だろう。先掲のクラパム数値では全てで144.2万人の農業 労働者のうち女性は19.9万人(屋外7.1万人+屋内12.8万人=19.9万人)だったので,女 性と男性(144,2万人-19.9万人=124.3万人)の比率は,19.9:124.3≒1:6である。し たがって,テイラー論文における雇用労働者数最大のハートフォードシャーでも女性 が2人ほど加わって,総計15人ほどとなる。これが諸州の中での最大平均値であるこ とは注意すべきだ。全国平均となると,規模はいっそう小さかった(テイラー論文,
第一図,第二図)。雇用労働者数で見た場合,同時期の工業(次項③を参照)の上位 企業に比べると,農業の経営規模はかなり小さかったと見るべきだろう。前掲オー ウィン『発達史』(邦訳)(注8 参照)にも,農業経営の小規模性を覗わせる記述があ る(とくに117-118頁)。
③ 製造・建築業
a:賃労働者の割合
製造・建築業での雇用関係の把握は非常に困難だ。何よりも包括的な統 計が得られない。カヴァリッジが限定されてはいるが,クラパムによる第 2表-1とそれを加工した第2表-2を考察の手がかりにしよう。
第2表-1の基礎となっているのは,元々ほぼ72.4万人の労働者をカ ヴァーする1851年のセンサス統計で(以後,72万人統計),クラパムはこ
れを「繊維業を別とすれば,19世紀中葉の企業規模について正確な情報を 与え得る唯一の一般的数値資料」15)としている。別の場所では,この72 万人統計について「回答を提出した雇い主数87,270,平均被雇用者数8.3人」
(vol.1, p.70)と述べている。彼がその中から取捨選択してエッセンスを示そ うとしたのが第2表-1である。したがって原統計よりはカヴァリッジが 狭くなっている。
第2表-2は,本稿筆者が第2表-1から導出したものなので,以下の 2点(αとβ)を補足説明しておきたい。
α 第2表-2の内,C欄の( )内の数値は,該当被雇用者数の中間値を示す(例えば 被雇用者数10-19人の場合,中間値14.5人)。
β 第2表-2のゴチック数値は,上記中間値を各業種における規模ごとの企業数に乗じ た値である。 例えば仕立業の「雇用数10-19人規模」の企業(343企業)では各々 14.5 人を雇用していると想定して,この規模の仕立業では労働者を4,974人(14.5人×343)
雇用していると算定している
以下,第2表-2にしたがって考察を進める。この表のゴチック数字 は,上のβで説明したように,雇用者数の中間値に企業数を乗じるとい う方法に依っているので,多少の恣意性を含むが,その恣意性は重大で はない。しかし被雇用者数100人以上企業の平均労働者数を200人として いる点は,かなりの恣意性を含んでいる。ただ,ここで200人というの は「少なくとも200人」の意味であって,「少なくとも200人」というの はほぼ間違いないという意味では,恣意性は軽微になる(下の【補論2】を 参照)。
第2表-1 業種ごとの規模別企業数 (イングランドとウェールズ:1851年)
【補論2】平均値を少なくとも200人と想定した根拠は次の通り:綿業では1企業当たりの 平均労働者数は200人より多かったはず:クラパムは綿業では就業者350人以上の企業だけで
業種
統計を製作し ている雇用主
(A)
雇用主類型 者ゼロも被雇用
しくは数の申告 がない雇用主
(B)
規模(被雇用者数)別の企業数(C)
被雇用者数 1-2人
被雇用者数 3-9人
被雇用者数 10-19人
被雇用者数 20-49人
被雇用者数 50-99人
被雇用者数 100人以上
仕立て 10,991 4,239 3,852 2,456 343 80 10 1 製靴 17,665 7,311 6,016 3,644 444 181 38 31 エンジン・機械製造 837 160 152 295 90 72 49 34 建築 3,614 292 417 1,541 701 498 113 52 車輪 2,057 670 982 373 20 11 1 --
革なめし 349 31 41 147 68 39 8 5
ウール布地製造 1,107 131 199 329 156 179 41 82 ウーステッド製造 154 27 14 24 20 26 12 31
絹製造 272 36 30 72 22 37 29 46
製粉 2,394 403 1,147 722 84 23 13 2
醸造 776 120 228 319 67 34 3 5
レース製造 317 58 54 123 28 26 9 19
綿製造 1,670 482 81 174 124 216 172 411
陶器製造 378 68 68 112 31 56 7 36
鍛冶 7,331 2,282 4,035 967 31 15 1 -- 企業数総計 49,912 16,310 17,316 11,298 2,229 1,493 506 755
・A,B,Cの関係は,A=B+C となっていることに注意。
・クラパム表では次の5業種で記入もしくは計算の誤りがあり,これら5業種では「A = B+C」が 成立していない。しかし,いずれも微小な誤りなので,手直しはしなかった:仕立て,エンジ ン・機械,革なめし,ウール布地,綿製造。
・クラパムによる元の表の標題は「Employers and employed in certain trades in England and Wales」であるが,この表には被雇用者「数」は,直接には表示されていない。なお,クラパ ム表には最下欄の「企業数総計」は無い。
(出典)Clapham, E.H., vol.2, p.35.
も113あったと述べているし(Clapham, E.H., vol.2,p.36),200-350人企業はもっと多数だっ たはず:綿業以外では逆に,100人以上規模の企業の平均労働者数は200人を下回っていたと 想定するのが妥当*):100人超企業の数は綿業で411,その他諸業種は合計で344となっており,
「1企業当たり200人を超えると想定した綿業」と「200人未満と想定した他業種全体」との 間で相殺作用が働き,平均値を「(少なくとも)200人」としても大過はない。
*)以下でも述べるように,綿以外でも200人を超える大企業はかなりあったが,仕立て,
製靴,車輪,製粉,醸造, 鍛冶などは,圧倒的に小規模企業数が多く,この段階の これら業種では,大規模企業が成長しにくかったことを含意している。羊毛業はこ れらと綿業との中間に位置していた。
さて,100人以上規模の企業の雇用労働者数を平均200人と仮定したことは,相当な過小 評価と思われる。なぜなら,綿以外の繊維業に限っても,ウールとウーステッドで350人 以上の企業が34あったり(Clapham, E.H., vol.1,p.448),レース産業には例外的とは言え 1,200ないし2,000人もの労働者を雇う企業など(Clapham, E.H., vol.2, p.32),巨大企業が あったからである。また繊維業以外では,エンジン・機械製造業でイングランドだけでも 200人以上企業が25(そのうち14が350人以上)あった(Clapham, E.H., vol.1,p.448)。そ の他,建築業,醸造業(大企業はロンドンに集中)などでも,大企業が散見された。100人 以上規模の企業の労働者数を(少なくとも)平均200人とするのは妥当と思われる。なお,
注18も参照。
さて,第2表-2に限って言えば,製造業における賃労働者数の割合は 非常に高い。B欄の合計人数16,310人は,殆どを個人業主と見なしてよい が16),全就業者数382,612人に占める割合は,僅々 4.3%程度に過ぎず,逆 に見れば賃労働者の割合は95.7%にもなる。この表に関する限り,製造業 では資本制の基礎的成立条件のみならず,本格化条件1も満たされている ことは,明白である。
第2表-2 業種ごとの企業規模別被雇用者数:推計
(イングランドとウェールズ:1851年)(単位:人)
第2表-1の原表(72万人統計)は,就業者数の面で見て,調査対象業種 就業者の約1/3しかカヴァーしていない(後掲第3表-1,参照)。またクラパ ムは,72万人統計(企業数約8.7万)を60%(企業数約5万)弱に縮小している。
前者の問題は「対象業種全就業者数の1/3というのは,統計母数としては
(出典)第2表-1と同じ。表への注釈も第2表-1への注釈を参照。
業種
統計を申告し 主(A)た雇用
雇用主類型 者ゼロも被雇用
しくは数の申告 がない雇用主
(B)
企業規模(被雇用者数)別の被雇用者数(C)
被雇用者数
(1.5人)
被雇用者数
(6人)
被雇用者数
(14.5人)
被雇用者数
(34.5人)
被雇用者数
(74.5人)
被雇用者数 (200人)
仕立て 10,991 4,239 5,778 14,736 4,974 2,760 745 200 製靴 17,665 7,311 9,024 21,864 6,438 6,245 2,831 6,200 エンジン・機械製造 837 160 228 1,770 1,305 2,484 3,651 6,800 建築 3,614 292 626 9,246 10,165 17,181 8,419 10,400 車輪 2,057 670 1,473 2,238 290 380 75 -- 革なめし 349 31 62 882 986 1,346 596 1,000 ウール布地製造 1,107 131 299 1,974 2,262 6,176 3,055 16,400 ウーステッド製造 154 27 21 144 290 897 894 6,200 絹製造 272 36 45 432 319 1,277 2,161 9,200 製粉 2,394 403 1,721 4,332 1,218 794 969 400 醸造 776 120 342 1,914 972 1,173 224 1,000 レース製造 317 58 81 738 406 897 671 3,800 綿製造 1,670 482 122 1,044 1,798 7,452 12,814 82,200 陶器製造 378 68 102 672 450 1,932 522 7,200 鍛冶 7,331 2,282 6,053 5,802 450 518 75 -- 企業数総計 49,912 16,310 17,316 11,298 2,229 1,493 506 755 被雇用者総数(D) 366,30225,977 67,788 32,323 51,512 37,702 151,000 総計:(B+D)人 382,612
上々」と受け止めるほかない(現代の速報的世論調査などとは桁違いに母数が大きい)。 後者の問題については,クラパムは当時の製造・建築業全体をバランスよ く反映するように業種を選定している17)。縮小幅も60%なので,72万人統 計をほぼ反映しているだろう。したがって第2表-2も,72万人統計の対 象業種の相似形的縮図ではないとしても,かなり現実接近的な縮図になっ ていると見てよい18)。
表の中には綿工業などの先進産業と対極的に,零細企業が多い典型的伝 統産業(仕立て,製靴,車輪,製粉,醸造,鍛冶)が含まれている。しかし,これ ら伝統産業においてすら,就業者の圧倒的多数が賃労働者であることは,
第2表-2の各産業B欄と,「横欄で対応するゴチック数値」を対照させ てみれば,明白である。つまり,伝統零細企業をも含めて,英国製造業に おける賃労働化は非常に進展していた。
さてクラパムは第2表-1の提示に先立って,就業者数の順で見た英国 主要産業の一覧表を示している19)。この一覧表を製造業に絞って整理・再 編して示すと第3表-1となる。表中のAグループは第2表-1に登場す る産業,Bグループは登場しない産業である。つまり,第2表-1が対象 としていない諸製造業のうち,就業者数の比較的多い産業(従業者総数2万 人以上)が第3表-1の下半にBグループとして示されている20)。
上記のようにAグループの内の伝統零細産業(仕立て,製靴等)においても 賃労働が圧倒的だったことは,このBグループにおいても,既に賃労働生 産が支配的だったことを含意している。尤も所属産業を一瞥すると,Aグ ループにおけるよりは賃労働化の程度が低かったと推測できる(但し,後掲注 21も参照)。
その前提に立って,製造業「全体」の状況を具体的数値で推計してみ よう。Aグループでは,上記のように就業者総数218.4万人(第3表-1)の 95%強(約207万人)が賃労働者だったと推計できた。Bグループでは就業者
*第2表では登場している醸造業が,第3表では抜けている。
**クラパムの原著(vol.1, p.24)では合計欄は無い。
***注20参照。
(出典)Clapham, E.H., vol.2, p.24.
男性 女性 合計**
総人口 10,224 10,736 20,960
10歳以上人口 7,616 8,155 15,771
Aグループ*
綿業従事者:捺染,染色など全種類を含む 255 272 527 建築職人:大工,煉瓦工,石工,左官,鉛管工,等 442 1 443 羊毛業従事者:カーペット織り工など全種類を含む 171 113 284
製靴 243 31 274
仕立て 135 18 153
絹業従事者 53 80 133
鍛冶 112 592 113
レース業従事者 10 54 64
機械,ボイラー製造者 63 647 64
製粉業者 37 562 38
陶業従事者 25 11 36
車輪製造工 30 106 30
革なめし工,なめし革仕上げ工,毛皮商 25 276 25
Aグループ計 2,184
Bグループ
婦人用帽子工,婦人服仕立工,裁縫工(男女とも) 494 340 340
亜麻布,亜麻業従事者 47 56 103
鉄業従事者,鋳鉄業者,鋳型製造人(鉱山,釘,
金物,刃物,やすり,諸道具,機械を除く) 79 590 80
靴下・下着製造業従事者 35 30 65
パン屋 56 7 63
木びき 35 23 35
船大工,ボート製造工,滑車・マスト製造工 32 28 32
麦わら真田業従事者 4 28 32
手袋製造工 5 25 30
釘製造人 19 10 29
印刷工 22 222 22
Bグループ計 831
その他グループ総計 1,094***
第3表-1 従事者数の順で見たブリテンの主要産業:1851年 製造業 (単位:1,000人,但し下線数値の単位は「1人」)
総数83.1万人(第3表-Ⅰ)の2/3(約55万人)(おそらく相当な過小評価)21)が賃労 働者,Cグループ(AグループにもBグループにも属さない従業者数2万人以下の産業:
ガラス,家具,寝具,傘,食品加工,製塩,袋・ロープ,製紙,ろうそく・灯油,時計,人 形・玩具,楽器,装飾品,などが想定される)では就業者総数109.4万人(注20)の内,
1/2(約55万人)(社会的・経済的に minorな産業が多く,企業規模も小さいと想定できる とはいえ,これまたかなりの過小評価だろう)が賃労働者だったとすると,A,B,
Cグループを合わせれば,合計約317万人(207万人+55万人+55万人)が賃労働 者だったことになる。製造業全体の就業者数合計410.9万人(218.4 万人+83.1 万人+109.4万人)に占める賃労働者の割合は約77%となる(317万人÷410.9万人
=0.77)。これはBグループおよびCグループについて,賃労働者数を過小評 価した上でのことであって,実際の割合はもっと高いだろう。
以上から,就業者数という観点からすると,1851年の英国製造業にお いては,既に賃労働者が全就業者の2/3以上を占めていたと判断してよい。
この面では,製造業での資本制生産は,基礎的成立段階はもちろんのこと,
本格化段階にも達していた(本格化条件1を達成)と判断できる。
b:経営規模
さて農業の場合と同様,製造業についても企業規模をざっと観察して みよう。先に見た72万人統計の場合,雇用主数約8.7万人,総就業者数約 72万人で,単純に平均値をとれば1企業当たりの被雇用者は8.3人だった。
しかし総数72万人の内,殆どの人数が8人程度の小さな企業で働いていた のかと言えば,それは全く異なる。農業の場合は経営規模について巨大 企業と零細企業の格差をそれほど重視する必要はなく,企業規模につい ては先に見たように単純平均値に大いに依拠してもよいが(以下の【補論3】
参照),製造業の場合は事情が異なる。仮に第2表-1の「従業員20-49人」
の中間値35人を境界線として,(相対的)大企業グループを35人以上とすれ
ば22),大企業グループの就業者総数は,第2表-2の対象である全就業者 数382,612人の約56%を占めることになる23)。
【補論3】1851年のイングランドとウェールズの農場数は約21.6万,農業労働者は118.6万 人(上掲144.2万人からスコットランド分を控除)だった。21.6万農場の内,約9.7万が自営 で,約11.9万が労働者雇用農場だった。規模ごとの農場数は5-49エーカー(以下,a)が9.0 万,50-99aが4.5万,100-299aが6.4万,300-499aが1.2万,500a以上が0.5万だった。9.0万の 5-49a農場は,自営農9.7万に吸収される。ここでは上述のように2人が働いていた。50-99a 農場では農場面積の中間値を採ると5-49a農場の3倍の6人が働いてもおかしくないが,規 模の利益を勘案して4人とする。すると50-99農場の労働者総数は15.2万人となる:4人×
〔4.5万-(9.7万-9.0万)〕農場。同様に,100-299a農場では面積比例では16人が必要なとこ ろ,規模の利益で半分近い9人しか雇わないとする。明らかに規模の利益を過大評価気味だ が,それでも57.6万人が雇われる。次の300-499a階層では面積比例的には32人雇うべきとこ ろを1農場当たり16人しか雇わないとしても総数では19.2万人が雇用される。累計は約92万 人となる。つまり499a以下農場だけで92万人(全体の78%)が,労働者16人以下規模の農 場で働いていることになる。恣意性を含むラフな試算だが,かなり現実的だろう。要するに 農業では,相対的な(工業に比べての)均質性(牧畜業を視野に入れても)が,多かれ少な かれ土地面積比例的な労働配分を要請する一方で,中位規模農業主の比重が高かったことが,
製造業の場合と全く異なる考察を必要としている(Clapham, E.H., vol.2, p.264)。ちなみ に1870年以降20世紀初頭までの時期,ウィルトシャーのファーマー(S.W.Farmer)のよう に,個人で2.5万エーカー(1906年の値)もの農地を所有する大農業主たちも出現した。しか し彼らは,相互に離れた場所にある独立農場を数多く使用していたにすぎない。このような 例外的大農場主たちも20世紀に入ると消滅し「イギリス農業は・・・小家族経営から大資本 家的企業(へという)・・・発展をとげなかった。それは今日なお,200年前の形態そのまま の,一人企業の集合として残っている」[オーウィン,前掲書(邦訳)135-139頁]。
第2表に関する限り,「大企業グループ」(従業員35人以上)の労働者が多 数派だということになる。第2表が対象とするAグループの総就業者数は 218.4万人なので,その56%は122.3万人となる。しかし以上は,あくまで Aグループに限った話だった。
Aグループは,企業規模や総従業員数で卓抜した地位を占める綿工業を 擁していたが,これとは異なるBグループ(総就業者数83.1万人)やCグループ
(同109.4万人)では,大企業グループに属する労働者数は上記の56%よりも ずっと低い数値となることは間違いない。説明は下の【補論4】に譲るが,
B,C両グループを通じて,35人以上規模企業に所属していた労働者の割 合を(少なくとも)14%と想定すると,両グループを合わせた労働者数192.5 万人(109.4万人+83.1万人)の内,約27万人が大企業で働いていたことになる。
これを上記の122.3万人(Aグループ)に加えると合計約149万人となり,製造 業・建築業の総就業者数411万人の約36%となる。上の14%は過小評価と 思われるので,実際は411万人の40%近くが35人以上規模の企業で働いて いたと考えてよい。
要するに,1851年時点の英国製造・建築業全体では,仮に1企業就業者 数35人を分水嶺とした場合,それ以上規模の企業で働く労働者の数は,全 体約411万人の半ばには達していなかった。しかし逆に言えば,35人以上 規模の企業で働いていた労働者が40%近く居たことになる。Aグループに 端的に表れているように,個人企業を含めると10人未満企業が全企業数の 90%を占める一方で,企業数では全体の2.5%にすぎない50人以上規模企 業が就業者総数のほぼ半分を雇っているという極端な規模上の偏りが,平 均値(8.3人)と,大企業所属労働者の割合(40%に近い)との,かくも大きな ギャップをもたらしているのだ。
ちなみに大企業の分水嶺を35人でなくて,第2表-1の区分通りに20人
(以上)の線で引けば,上と同様に考えると,第2表-2に関しては20人以 上規模の企業で働く労働者の割合は63%,第2表対象産業全体の人数では 約138万人となる。B,Cグループについては,20人以上規模企業で働く労 働者の割合は約19%,全体人数で約37万人となる(【補論4】参照)。両者の合 計175万人が全体411万人に占める割合は約43%となる。
【補論4】B,Cグループで35人以上規模の企業に所属している労働者がどの程度居たのか を推定するのは難しい。しかし,この両グループはAグループとちがって先進繊維産業を含 まないので(Bグループは「非」先進の亜麻産業を含む),大規模企業に所属している労働者の 割合が小となることは間違いない。但し,Bグループでは亜麻産業や鉄産業などに,マニュ ファクチュア形態も含め相当な大規模企業があったこと,またCグループでもガラス製造業 などには大企業があったことは看過できない。両グループの企業規模の過大評価を避けるた めに,ここでも「少なくとも」というアプローチ(最低限この程度は想定できる,という)を採 る。第2表-2の諸産業の内,零細業者の多い6つの伝統産業(仕立て,製靴,鍛冶,製粉,
車輪,醸造)を選び,第2表-2によって,35人以上規模企業に所属している労働者(18,655 人:算出の方法は注23に準じる)が,当該6産業就業者全体(129,233人)に占めていた割合 を求めると14%となる。この14%は,Aグループ所属産業とはいえ,零細企業の多い産業ば かりを選んだ結果の数値なので,B,Cグループに適用したとしても,おそらく過小評価に なっている。本文ではこれをB,C両産業の総就業者数192.5万人に適用して27万人を算出し ている。
④ 鉱業
鉱業を第一次産業,第二次産業のいずれに属すると見なすか,という問 題は悩ましい。クラーク(C.Clark)は第二次産業に分類し,統計上でも 第二次産業に括られることが多い。
しかし,もし第一次産業を「自然に存在していたものを採取もしくは再 生産する産業であって,再生産する場合でも,人が手を加えた(播種,施肥,
品種改良,養殖など)結果,その形態が元のものとの同一性もしくは近似性を 明らかに識別しうるような産業」と理解すれば,鉱業は第一次産業だろう。
石炭は,いかに高度な機械を用いて採掘しても,石炭以外の何物でもない
(逆に,品種を改良し,施肥を十分に行い,支柱やハウスを用いて生産する野菜・果物など は第二次産業要素を含む)。ここでは独立項目で扱うが,第2節以降では第一 次産業に一括する。
英国では錫・銅鉱業は古くから大規模産業だった。160の鉱山をカヴァー している1838年のコーンウォールの統計は,1鉱山当たりの平均被雇用者 数を170人としている24)。炭鉱については,1850年のブリテン全体をとると,
1鉱山当たり平均従業者数は,地上・地下を含め,かつ女性も含め,80人 程度だったと推計されている25)。1851年の英国全体の鉱業従事者は約39万 人だったが(後掲第4表),この内の圧倒的多数が賃労働者で,かつ彼らの殆 どが35人以上規模の企業で働いていたと考えてよい。
⑤ 小括と補足
本節での考察を振り返っておこう。1851年の英国では,就業者に占め る被雇用者の割合という観点から見ると,資本制生産は基礎的には問題 なく成立していた。農業(就業者総数179万人),製造・建築業(就業者総数約411 万人),鉱業(就業者総数約39万人)の全てにおいて,賃労働者の割合は明らか に過半を占めていた。のみならず,農業でも製造業でも鉱業でも,本稿 での資本制本格化条件1(就業者全体の内,賃労働者が3分の2以上)さえ満たさ れていた。
ただ,農業ではおしなべて経営規模(1農場当たり被雇用者数)は小さく,
全国平均値では9人程度だった(近年のリーショー・テーラー論文も,これを覆し ていない)。加えて,平均値を桁はずれに上回る企業数は僅少だった。製造・
建築業では「72万人統計」(この統計では1企業当たりの平均就業者は8.3人だった)
以外は包括的統計が得られないので,72万人統計を圧縮したクラパムのサ ンプル的統計(第2表:この表は綿工業を含むことに注意)に依拠した。これに依 ると,被雇用者数平均値は農業よりもやや低かったにも拘わらず就業者の 過半が「賃労働者35人以上」の企業で働いていたと想定できる。ただ,ク ラパムのサンプルを脱して「製造・建築業全業種」を対象とすると,35人 以上規模の企業で働く労働者数は過半に達しておらず,ほぼ全体の40%未 満だった,と推定してよい。鉱業では総就業者39万人の大多数が,35人以 上規模の企業で働いていた,と推定できる。
このように1851年の英国は,賃労働者の割合という面では,農・製造・
建築・鉱業の全てにおいて,資本制の本格化段階に達していたが,労働者 たちは,おしなべて小さな企業(農業を含め)に所属していた。経営規模35 人以上の規模の企業で働いていた労働者の数は,就業者総数628(農業179+
製造・建築業411+鉱業 39)万人の内,製造業と鉱業を合わせて190万人(製造業 151万人+鉱業39万人)程度,農業では35人以上規模の農場で働いている労働 者数の割合は僅かであったと推定できる(上掲【補論3】)。
第三次産業を含む全産業ではどうか。第3表-2を見ると,鉱業以外の 分野では海運と鉄道を除けば,経営規模35人以上の業種は想定困難である。
農業・鉄道業・海運業を考慮すると,全産業を通じ,大企業グループ就業 労働者数が1851年の総就業者数937.3万人(第1節①)に占める割合は21%前 後(200万人÷937.3万人)だっただろう。
第3表-2 従事者数の順で見た製造・建築業以外のブリテン主要産業:1851年 (単位:1,000人,但し下線数値の単位は「1人」)
サービス業では召使い103.9万人,日雇い労働者(おそらく半浮浪者を含む)
37.6万人,洗濯婦14.5万人,日雇い雑役婦5.5万人など,前期的色彩の強い サービス業に従事する者(合計161.5万人)が,(広義)サービス業従事者全体
(226万人:商業・金融・運輸・通信+狭義サービス業)の70%ほどを占めていた(後 掲第4表)ことは注意を要する。
「この時期,小規模企業(農業を含め)で働く労働者が多かった」という ことの含意を簡単に論じることは出来ない。ただ,おしなべてドライな人 間関係(ゲゼルシャフト的な)が生じにくかったことは確実だろう。近代市民 社会への移行は,一応(もしくは一面で)160年ほど前の名誉革命によって成
※原表には合計欄はない。
(出典)第3表-1に同じ。
男性 女性 合計* 農業:農業主,牧畜業主,労働者,召使い 1,563 227 1,790
召使い(農業以外) 134 905 1,039
労働者(業種を特定できない者) 367 9 376
炭鉱夫 216 3 219
洗濯婦 --- 145 145
船乗り(商業用),水先案内人 144 --- 144
車力,荷馬車御者,御者,郵便配達夫,辻馬車御者,
乗合馬車御者,等 83 1 84
鉄道運転士等,ポーター等,労働者,線路工手 65 54 65
銅・錫・鉛鉱夫 53 7 60
日雇い雑役婦 --- 55 55
商業事務員 44 19 44
漁夫 37 1 38
鉄鉱夫 27 910 28
し遂げられたかもしれないが,中身はまだ詰まっていなかった。今見たよ うに,総就業者937.3万人の中に,召使いやそれに準ずる人々が合計で160 万人以上も居たのである。
第2節 産業部門別就業者数と産業部門別GDP:日本との比較
前節では,1851年の英国が,就業者総数に占める賃労働者の割合という 観点から見ると資本制の本格化段階に到達していたこと,しかし社会全体 として見た場合,労働者(農業労働者を含め)の大多数が経営規模の小さな企 業で働いていたことを確認した。本節では別の角度から,1851年における 英国資本主義の進展度合いを観察する。
① 産業部門別就業者数
一般的に初期資本制社会では,賃労働者の増加は何よりも製造業におい て顕著に進行するので,産業別就業者構造の動向は,「賃労働と資本」に よる生産の進展動向の,第二次的に重要な指標となる。
第4表によって産業別の就業者数を見ると,英国では1851年(第4表の原 表には1841年以前の数値はない)には既に製造業と建築業を合わせた就業者数
(411万人)が農・林・漁・鉱業の合計就業者数(244万人)を遙かに上回って いる(全就業者数に占める百分比で「44%対26%」)。しかしまだ,この面で資本制 本格化段階(第二次産業就業者数が第一次産業就業者数の2倍超)には達していない。
② 産業部門別GDP
第二次産業の成長は,この部門の生産する国民所得の比重を高める。産 業部門別のGDPを百分比で見ると,第二次産業GDPが第一次産業のそれ と並ぶのは1820-24年で,1851年には前者が31%,後者が25%となってい る(第5表)。まだ前者が後者の2倍には達していない。この面でも1851 年の英国は「資本制本格化未満」の段階にあった。
第4表 産業部門別就業人口の推移:グレイト・ブリテン
[単位:万人,( )内は%]
・B.R.Mitchell, International Historical Statistics:Europe 1750-1993, 1998:前掲邦訳,160頁。
・サービス業は行政官,軍人,専門職(娯楽・スポーツ関係を含む)およびその付随業務,自営 業(内容不明),対個人サービスの合計[Mitchell, B.H.S(邦訳)104頁]。
年 農林
(A)水産業
(B)鉱業 小計
(A+B)製造業
(C)建築業
(D) 小計
(C+D)
金融等商業・
(E)
通信業運輸・
(F)
サービス業
(G)
(E+F+G)その他小計
統計
1841 154(22) 23
(3) 177
(25) 246
(35) 38
(5) 284
(40) 10
(1) 20
(3) 150
(22) 180
(26) 52
(8) 693
(100)
51 205(22) 39
(4) 244
(26) 361
(39) 50
(5) 411
(44) 9
(1) 45
(5) 172
(18) 226
(24) 51
(5) 932
(100)
61 198(19) 46
(4) 244
(23) 407
(39) 59
(6) 466
(45) 13
(1) 59
(6) 210
(20) 282
(27) 59
(6) 1,051
(100)
71 182(15) 53
(4) 235
(19) 436
(37) 72
(6) 508
(43) 22
(2) 67
(6) 250
(21) 339
(29) 108
(9) 1,190
(100)
81 169(13) 61
(5) 230
(18) 469
(37) 88
(7) 557
(44) 36
(3) 89
(7) 278
(22) 403
(32) 94
(7) 1,284
(100)
91 156(11) 76
(5) 232
(16) 541
(37) 90
(6) 631
(43) 48
(3) 112
(8) 318
(22) 478
(33) 110
(8) 1,451
(100)
1901 148(9) 94
(6) 242
(15) 619
(38) 122
(7) 741
(45) 67
(4) 144
(9) 341
(21) 552
(34) 96
(6) 1,631
(100)
51 114(5) 86
(4) 200
(9) 881
(39) 143
(6) 1,024
(45) 316
(14) 173
(8) 537
(24) 1,026
(46) 11
(1) 2,261
(100)
81 52(2) 35
(2) 87
(4) 650
(28) 161
(7) 811
(35) 494
(21) 179
(8) 713
(31) 1,386
(60) 18
(1) 2,302
(100)
91 57(2) 22
(1) 79
(3) 540
(20) 181
(7) 721
(27) 859
(32) 155
(6) 848
(32) 1,862
(70) --
(--) 2,662
(100)
③ 資本制本格化への展望
第4表では,産業別従業者構成面において,資本制本格化段階に入るの は1871年だが〔1871年の第二次産業就業者数は第一次産業のそれの約2.2 倍(508万人÷235万人)となっている〕,表をよく見ると,実際には1860年代 後半だろう。
また,GDP面で第二次産業部門が第一次産業部門の2倍となるのは,
第5表では1880-84年だが,表をよく見ると実際の本格化段階入りは1870 年代後半だろう。
したがって,就業者構成と産業別GDPの両面で資本制の本格化条件が 満たされるのは1870年代後半ということになる。「資本制本格化第一条件」
は,1851年の遙か以前に達成されていたので,英国は1870年代後半には資 本制が全面にわたって本格化していたことになりそうである。本格化段階 については,別稿で扱う。
④ 両産業部門におけるGDP生産力の比較
次に英国資本主義の特性(とくに後発国日本に対比しての)を鮮やかに示す指 標として,「就業者1人当たりのGDP生産力」を考察する。第二次産業部 門の所得と第一次産業のそれが並んだ時期は上記のように1820-24年だっ たが,その時期の就業者構成は得られないので,15年ほど後の1841年の数 値を代置する。1841年の部門別就業者構成は,第二次産業40%に対して第 一次産業25%だった。この数値を1820-24年の数値として代用すると1820- 24年の第二次産業は,同じ価値額を生産するのに第一次産業の1.6倍の人 員を要していたことになる。別の表現をとれば,第二次産業の就業者人 数当たりの価値生産力は第一次産業の0.63倍ほどしかなかったということ である。もし1820-24年の実際の就業構成比(入手できないが)で算出すれば,
数値は0.63倍より高くなっただろう26)。
第5表 産業部門別GDPの構成比:連合王国(単位,%)
以上は1820-24年の話だが,次に1851年の産業別GDPを見ると,部門全 体の百分比では 31%:25%(第5表),この年の第一次,第二次産業の就業 者数比は 44%:26%であって(第4表),上と同様の計算をすれば,1人当 たりのGDP生産力は,やはり第一次産業に劣っていて,その0.73倍(1.24 倍÷1.69倍)の生産物しか生み出していない。次項⑤で見る日本の場合と 好対照をなしている。
国民所得面での資本制本格化期である1870年代後半の就業者構成は得 られないので,最も近い1881年の就業者構成をとると,44%:18%だっ た(第4表)。この時の両部門のGDP比は35%:16%だったので,上と同様
年 農・林・水産・鉱業 製造 ・ 建築業
1811 39 18
1820-24 29 29
1830-34 27 32
1840-44 25 32
1850-54 25 31
1860-64 22 34
1870-74 19 36
1880-84 16 35
1890-94 14 36
1900-04 13 37
1950-54 9 43 1980-84 4 39
・ミッチェルは第5表への注で,1905-9年の欄(この第5表には記載なし)について「1901年以前 の数値は1821,31,41年などのもの」という,かなり分かりにくい説明をしている。しかしこ の説明は,「例えば1840-44年値は,5年間の平均値ではなく1841年のもの」と理解するのが妥当 だろう(センサスは1851年,1861年等々に行なわれる)。
・ミッチェルの原表は鉱業を製造・建築業グループに一括している。この第5表では,鉱業を第 一次産業に移動させるために,多少の調整を行った。
(出典)B.R.Mitchell, International Historical Statistics:Europe 1750-1993, 1998:上掲邦訳,934 頁。
の計算では1人当たり所得生産力は第一次産業の0.9倍ほどになる。上記 1820-24年の数値(0.63倍:但し注26で見るように「家族数ベース」では別の値だった)
および1851年の数値(0.74倍)よりは改善されているが,なお後者より劣位 にあった27)。
以上の原因は,第一に英国では早くから囲い込みや農業革命の基礎の 上に農業の資本主義化が進展して,経営規模(雇用労働者数)こそ大きくな かったが(農場面積は大陸欧州諸国に比べて格段に広かった),生産効率が相対的に 高かったこと,その反面で全農場数の半分近くを自営農民が運営していた こと(自発的に生産性向上に努力),による。他方,製造業では綿工業などの大 規模企業と裏腹に,個人企業や家族経営すれすれの零細企業が多かったこ と,相対的大企業にもマニュファクチャが多く存在したこと,が生産効率 の低さに作用したと見てよい。但し,だからと言って農業労働者の賃金が 第二次産業のそれよりも高かったわけではない。むしろ逆だった(この点は,
以下の【補論5】を参照)。
なお,国民所得面での資本制本格化期(1870年代後半)は,就業構成面に おけるそれ(1860年代後半)と10年しか違わないが,これは今見たように1人 当たりの価値生産力が農業と製造業でさほど違わなかったことを想起すれ ば,分かりやすい現象である(次項「日本の場合」とまさに対照的)。
【補論5】Mitchell, B.H.S(p.153)によると,19世紀中の農業労働者賃金は,一般労働者,
坑夫,下級公務員といった低賃金グループの中でも,ほぼ一貫して最下位にあった。これは 総所得に占める地主と農業主による取り分が非常に高かったためだろう。1851年の数値が得 られないので,1855年のそれで代用すると(単位:100万ポンド),英国全体のGDP633,「雇 用による所得」(全産業の「被」雇用者所得)総計328,「自営所得と公・私企業利潤の合計」
199,地代93となっている(ibid., p. 828)。「農業を含む全産業」の被雇用者所得328に対して 地代が実に93となっている。上記利潤等の額199に占める農業主利潤の額は不明だが,地代
と農業主利潤が総農業所得の非常に大きな部分を占めていたことは全く明らかである。農業 労働者の低賃金を可能にした一つの理由は,彼らが家賃なしで粗末な住居を与えられていた こと,しばしば小規模貸付地(allotment)やジャガイモ栽培用の土地を供与されていたり,
農産物の現物支給を受けたりしていたという事情にもよっている(Clapham, E.H., vol.1., pp.472-475)。
⑤ 日本の場合 a:就業者構成
日本では第二次産業就業者数が第一次産業のそれを上回るのは,実に漸 く1960年代に入って以降のことだった。1960年には前者はまだ後者をか なり下回っており(第6表),上回る(本稿基準で「資本制の基礎的成立」)のは 1960年代前半28)のことである。前者が後者の2倍(本稿基準で「就業者構成面 における資本制の本格化段階」)に達するのは僅か10年後,即ち1970年代前半の ことである29)。英国と比べると,本格化段階については100年ほどの開き がある。第6表や後掲第7表は,日本の1950年から1980年に至る30年間が いかに激烈な経済変動期であったかを明瞭に示している。
b:産業別国民所得
国民所得面(以下の日本の統計ではNDP)では,日本の場合,第二次 産業が第一次産業に並ぶのが1920年代の後半,前者が後者の2倍になる
(国民所得面で資本制が本格化段階に達する)のは,1930年代後半である(第7表)。 その後,両者の関係は戦後の工業生産力低下のために逆転方向に進むが、
いわゆる「高度成長」の開始頃から、再び急速に前者が後者を引き離して ゆく傾向に戻る。
c:所得生産力比
両産業のNDPが並んだのは1920年代後半だったが,この時期の終わ り(1930年)の産業別就業者構成比を見ると,第一次産業就業者が全体