白百合女子大学 博士論文審査報告書
氏 名 平石 文香 学 位 の 種 類 博士(心理学)
学 位 記 番 号 甲第56号
学位授与年月日 平成28年4月7日
学位授与の要件 学位規則第4条第1項該当者 学 位 論 文 名
主 題 乳幼児期における養育者の逆模倣が子どもの模倣の発達過程にお よぼす影響の分析
副 題
論 文 審 査 委 員 委員長 教授 石井 直人 主 査 教授 田島 信元 副 査
副 査 副 査
教授 五十嵐 一枝 教授 宮下 孝広 教授 鈴木 忠
論文内容の要旨
模倣とは、古典的な模倣研究の論考によれば「他者の行為を知覚し、生じる反応」と論じられ ている。しかしながら、自閉症スペクトラム児の実験的な模倣研究において、自他認識の障害と メカニズムが主な論拠となり、模倣表出が困難であるとの研究が多く報告されている。他方、他 者によって「模倣される」ことで社会反応が刺激され、他者との社会的関係を構築する研究がい くつか報告されている。これらの疑問点を第1の背景として、自閉症スペクトラム児の模倣研究 についてヒトとヒトの間で模倣をとらえ直す必要性を指摘した。そこで「他者の行為を、他者と の行為の中で知覚し、 生じる反応」としての模倣の発達を考える上で、 その証左に養育行動の 1つとして子どもの動きを養育者が模倣する、 逆模倣(being imitated)のやりとり(Pawlby、
1977; Uzgiris et al.,1989)に着目し、 ヒトとヒトの間に生じる模倣をとらえる視点を第2の背
景とした。しかし、乳児の模倣研究においてもその重要論拠として子どもの個体内発達に関する 生得的メカニズムに基づく理論が提唱されてきており、ヒトとヒトの間で生じる模倣の発達につ いては十分な知見が得られていないのが現状である。
以上のような背景について模倣の発達を理論的に位置づけるために本研究では、自己と他者の 関係論を代表するTomasello(1999)のシミュレーション説を基盤とすることで、発達早期におい て子どもと養育者の対人的な自己と他者の相互交渉過程が発達論的に定位し、模倣の発達がとら えられることを想定した。また模倣の発達を自己と他者の相互交渉過程で拡張させるため、養育 者と子どもの相互交渉過程の特徴を表すVygotskyのメタ理論を展開し、社会文化的視点から模 倣の発達に影響をおよぼす養育者と子どもの相互交渉過程の基礎的データを得ることを総合的な 目的とした。
研究Ⅰ(1-1、1-2)では、 模倣表出が困難であると示唆される自閉症スペクトラム児の模倣を社 会文化的視点の養育者と子どもの相互交渉過程においてとらえ直すことを目的として検証した。
まず 1-1では、 ケースの縦断データによる質的分析として2歳3ヵ月の自閉症スペクトラムの 男児とその養育者の日常の遊び場面をビデオ記録し分析を試みた。また1-2では、 2歳3ヵ月~
3歳4ヵ月の自閉症スペクトラム児(男児8名、 女児7名)とその養育者の15組を対象にビデオ 記録と養育者の記述を検討した。また研究Ⅱでは、模倣が自己と他者の相互交渉過程に生じると いう基礎データを得るため、健常児とその養育者を対象に相互交渉そのものをとらえる分析の検 証を試みた(2-1、2-2、2-3)。まず2-1では縦断データによる量的分析として生後14日齢児(男児 7名、 女児8名)とその養育者15組を対象に、14日齢~12ヵ月をビデオ記録し、検討した。2-2 では、 生後6ヵ月児とその養育者、 生後9ヵ月児とその養育者にマイクロジェネティック・ア プローチを適用し、 影響過程そのものを描写することでとらえ、 プロトコル化をもとに両者の
変容過程の分析を試みた。また2-3では、 生後6ヵ月児とその養育者57組を対象に質問紙調査 をもとに模倣の発達に関連する機能的・構造的側面の検討を行った。さらに研究Ⅲにおいて、 研 究Ⅱで得られた基礎データをもとに健常児と養育者のペア、自閉症スペクトラム児と養育者のペ アの相互交渉過程の比較を通して、その共通性と特殊性を抽出し、模倣の発達プロセスの仮説的 な説明を試みた。
これらの結果、研究Ⅰでは、社会文化的視点において模倣表出が困難であるとされた自閉症ス ペクトラム児が養育者との間に逆模倣を介した「見る-見られる」「模倣する-模倣される」関係が 成立し、同型的な模倣を表出することが示唆された。また両者の相互交渉過程でコミュニケーシ ョン機能としての媒体が使用され、 活動そのものが変容し、 形作られることが示唆された。そ の際には養育者の主観的解釈ではなく、Wertschのいう子どもの立場から状況定義に結びついた ことばや身振りによる状況が自発的な模倣を表出させることが示唆された(田島、 2000)。この立 場においては、模倣行為が個体の中に閉じられたものではなく、個体間で共有するという対等な 参加に基づく発達の本質をとらえるものとして分析するのに有効な枠組みであることが示唆され た。
研究Ⅱでは、 研究Ⅰの結果を受けて基礎データを収集した。その結果、 3ヵ月頃の「見る-見 られる」が養育者と子ども間で「主体-媒体-他者」という三項関係が明確な過程として機能し
(Wertsch,1985/ 2003)、 生後6ヵ月頃において、 自己とズレた逆模倣に興味を示す「見る」の
増加とともに、 養育者が特定の動きに意味づけを行い、動きが調整されていた。このことから
Vygotskyのいう相互交渉が認知的な不均衡を子どもの内部に発生させるだけでなく、新しい知識
を形成するための情報提供として機能していることが示唆された。また9ヵ月頃から、子どもの 模倣様反応に養育者が意味を含む模倣表出を期待し、動きが異なる点を強調した結果から、
Tomaselloが指摘した9ヵ月革命の時期として、模倣の発達においても意味を含む模倣を獲得す
る段階へ移行する時期として推測された。この時期は、Vygotskyの養育者や他者が次の段階へと 方向づける橋渡しの状況を提供する時期として、養育者と子どもの関係も大きな変化を伴ってい ること、そして発達初期から養育者と子ども間で動きと情動を共有・共感する基盤は模倣の発達 が生じる1つの条件であることが示唆された。以上のような個人間のプロセスが示唆され、数量 的分析による補完を行った結果、両者間の相互交渉過程において子どもの模倣様反応が生起・変 容していく①両者の「同じような動き」の気づきと身体の同一化の過程、 ②両者が「同じような 動き」を媒体に情動を伴う共同行為の過程、 ③「ズレの動き」の気づきと養育者の動きを内化す る過程、 の3つの過程が示唆された。
研究Ⅲでは、研究Ⅱで得られた模倣の発達に影響をおよぼす 3 つの発達プロセスについて、健 常児と養育者、 自閉症スペクトラム児と養育者を比較検討した結果、 健常児と養育者のペアで は、 3つの発達プロセスがすべて支持され、 自閉症スペクトラム児と養育者ペアでは、 ①②の プロセスを支持し、健常児と非常に近似する発達プロセスをたどるものの、③の「ズレの動き」
の気づきを伴うプロセスについては、 「ズレの動き」への反応が生じづらく、 動きが内面化で きない特殊性が示唆された。この「ズレの動き」の気づきが生じにくい要因として、 自閉症スペ クトラム児の予測しづらい動きとしての認知特性のあり方が推測され(Gergely,2001)、 さらに 模倣の発達の多様な発達経路についても想定する必要があることが示唆された。以上の結果から、
模倣の発達に関わる社会文化的視点の相互交渉過程として①同一化認識の身体の一体感の過程、
②養育者と情動的一体感を伴う共同行為への移行の過程、③ズレの認識の統合をめざした他者の 動きの習得と専有の過程、と修正し、発達早期から養育者と子ども間で実践的な3つの模倣の発 達プロセスをたどることが仮定された。
論文審査の結果の要旨
本研究は、最近、子どもの発達への中核的機能を持つとして再び注目を浴びている模倣能力の 発達について、個体内発達としてモデル化してきた古典的模倣研究に対して、社会文化的視点か ら捉え直すことで、模倣の発達を特徴づける発達基盤が日常の養育者と子どもの相互交渉過程に あることを明らかにしようとしたものである。この問題意識は、著者の日常的な実践現場から発
したもので、とりわけ自閉症スぺクトラム児といった発達障害児における発達の困難さ、その基 盤となると考えられる模倣の困難さを支援する立場として、健常の子どもたちに対する模倣能力 の発達理論の見直しから始め、健常児と障害児の比較のもと、障害児の模倣の発達支援の理論と 条件を見出そうとした意欲的なものである。それだけに、先行諸理論に対して物申すことになる ので、それに見合うべく手堅い実証性を持ったアプローチが行なえているかどうかを最大限にチ ェックしつつ審査が行なわれた。
審査を通して認められた本研究のもつ成果と意義を3点に渡って整理してみる。
① 社会文化的視点からとらえ直すことにより、 自閉症スペクトラム児が模倣を生起させる相互交渉 過程が明らかとなり、 模倣行為を再考する視点が得られた(研究Ⅰ・Ⅲ)。
本研究では、 精神年齢 1歳4 ヵ月以上の自閉症スペクトラム児を対象とし、 養育者と対象 児の相互交渉過程に生起する模倣について検討を試みたところ、自閉症スペクトラム児と養育者 の相互交渉過程において、養育者の対象児への働きかけが、その子どもにとって意味のある行為 としてとらえられたとき子どもは養育者が行うものと同じ形態の行動を再現し、直接的に模倣行 為の表出につながることが示唆された。このことは、自閉症スペクトラム児の模倣能力を個人に 閉じられた能力として考えるのではなく、 自己が社会的存在として他者と相互交渉し合い、 共 同行為する経験と過程の中で可能になってくるものと考える Vygotsky、 L.S.の社会文化的視点 を導入することの重要性を示唆する。自閉症スペクトラム児が他者に無関心ではなく、自分より 発達の進んでいる養育者からの働きかけに対し、 積極的に相互交渉し、 この活動から得られた ものを自己の中に内面化していくという健常児に共通の能動的な文化的発達のプロセスとしてと らえられる。
しかしながら、 健常児と養育者のペアでは、 相互交渉が進む過程で、 自己とは異なる養育 者の「ズレ」に対して興味を抱く過程が見られたが、自閉症スペクトラム児と養育者のペアでは、
「ズレ」の動きには関心が見られなかった。Vygotskyは、 子どもの文化的発達において障害児 が健常児とは同じプロセスを辿るとしながらも、その一方で、文化的発達の回り道も指摘し、独 自の発達を辿ると述べており、筆者はその説に従う形で、障害児の模倣能力の発達について、基 本的には、健常児と同一のものとして、 しかし、その形態やプロセスは独自のものとしてとら えていく視点が必要であると主張している。
② 模倣の発達に影響をおよぼす過程として、 「逆模倣」を介した社会的相互交渉過程の構造・機能 的側面を明らかにした(研究Ⅱ・Ⅲ)。
本研究では、 模倣の発達の社会文化的視点の基礎的なデータとして、 一方向的な個体内のみ の発達や状況を越えた抽象的な活動ではなく、 Tomasello、 M.の理論を参照し、実際の養育者 と自己の社会的・実践的な相互交渉のなかで見られる模倣行動について吟味している。その結果、
相互交渉の出発点では、 養育者と子どもの視点や立場が異なっていても、 養育者が子どもの動 きをとらえ、 「逆模倣(養育者による子どもの行動の模倣)」することで対等なやりとりが行わ れ、 さらに、養育者の逆模倣行為に「ズレ」を感じて、それを解決する過程(逆模倣の調整)で 共通の意味を共有するという双方向で影響し合う発達メカニズムを示唆している。
模倣の発達においては、 模倣の概念の広さから、 模倣活動が展開されている文脈から切り離 され、個体内発達としてとらえられることが多かったことから、模倣の意味が構成される過程や その際の文化の役割といった視点から得られた知見は少く、これらの知見は意義深いものとなっ ている。
その上、本研究では、 養育者の逆模倣が調整され、 自己とは異なる動きを取り入れること で、 子どもは養育者の行為の意図や意味の理解が獲得されていないにもかかわらず、 先に身体 に取り入れ、 自ら新しい行動を形成していく場面をとらえ、その融合過程を模倣の発達に影響 をおよぼす文化的学習のプロセス・モデルとして、 提案している。具体的には、①自他同一化認 識の身体の一体感の獲得過程、 ②養育者と情動的一体感を伴う共同行為への移行過程、 ③ズレ の認識の確立と統合をめざした他者(養育者)の動きの習得(形の模倣)と専有(自分なりのも のにした模倣)の過程、という3つの過程から構成されたもので、こうした過程を通して模倣の
文化的発達に移行していくととらえられたものである。このモデルは、相互交渉過程の中で、 実 践的に養育者と「同じような動き」を再現し(内面化表象)、 情動をともなう共同行為の活動を通 して双方が変化していくこと、 またその相互変化の中で動きの 「ズレ」を見出し、 新しい行動 と意味を獲得していく機能面を明らかにしたもので、模倣の発達をさまざまな文脈で吟味し、さ らに実証的な発達的観点を展開していく上で大きな意味があると考えられる。
③ 模倣の発達に影響をおよぼす相互交渉として逆模倣を介した相互交渉に着目したことで、 真の模 倣とされる意図的模倣の発達への前駆的な過程を検討する契機となった(研究Ⅱ・Ⅲ)。
Tomaselloが指摘するように、生後9ヵ月前後において、他者の行為の背景にある意図を理解
し、模倣して取り込むことが出来るようになり、人間的な真の模倣として文化獲得に大きな貢献 を始める(9 ヵ月革命)と考えられているが、そこまでの発達過程については十分な実証的研究 は少なかった。本研究では、実践的な相互交渉過程においては、子どもは他者の意図や目的を理 解する前に、身体が先に動き、他者と「同じような動き」を再現することが推察された。また養 育者は、子どもの動きを選択的に逆模倣し、同一化を反復的に再現する過程の中で、養育者が文 化の体現者として文化的意味を与え、子どもも選択的に養育者の逆模倣の取り込みといった、模 倣の発達において習得や専有していくシステムを示唆した点で、子どもは他者の意図や目的を理 解獲得してから模倣を行うのではなく、行為の意図や目的の理解が得られていなくても、個体内 発達では不可能な養育者(他者)との共同行為の中で、実践的な相互交渉を経験し、養育者の動き の習得と専有の過程を経て、意図的模倣を獲得していく可能性を想定することができた。
以上のことからも模倣が発達する過程では、発達早期において、子どもの動きをとらえた主導 的な養育者の関わりによって、子どもは動きの理解より、先に身体の模倣へと動機づけられてい く相互交渉のシステムが形成されていることが考えられる。その過程での模倣の発達は、共同行 為による新しい意味構築の過程であり、とりわけ子ども自身が能動的に行動や知識を獲得するこ とである。したがって、意味や目的の理解を獲得する以前の模倣は、共同行為をする経験と過程 の中で、大人の示す手がかりにより、文化を学習するという傾向性が高められていくと考えられ る。そして、 養育者の選択した「逆模倣」という道具や手がかりは、 文化的な知識として端的 に示されており、この道具や手がかりを土台に意味体系のあるものを取り入れている。この過程 は、それぞれの文脈に応じた独自の発達の方略と獲得があると考えられる。この点は Cole,M.
を代表とする発達の文化的文脈説の立場、すなわち、子どもの発達は、個々人の育つ文化におい て意味のあるものを取り入れて 自分自身の意味空間を構築していくといった立場と同じ視点で あり、障害児を含む、それぞれの子どもの多様な発達を示唆するものである。
これまでの模倣の発達研究では、他者の意図や目的の理解による模倣として理解先行であった が、縦断的に養育者と子どもの相互交渉過程を検討した上で、独自の文脈との関係で子どもと養 育者の共同的な作業として模倣が生起する結果を示し得たことは意義があると考えられる。
以上のように、本研究において、伝統的な個体主義的な模倣の発達研究に対して社会文化的視 点で見直すことを提案したことは、単に、発達理論上の問題だけでなく、実践上、特に自閉症ス ぺクトラム児といった障害児への支援という観点から意義あるものと考えられた。論文構成上か らも、実践現場でのケース観察からの仮説提起、健常児の典型発達状況の観察に基づく仮説検証、
健常児と障害児のケース比較観察に基づく実践レベルでの検証という手続きをとり、最終的に、
今後の課題につなげるプロセス・モデルの提起を行なっている、という点で、手堅い手法をとっ ていることが認められた。審査委員会では、上記の点を認めつつも、自閉症スぺクトラム児の本 質を捉えているとは言えないのではないか、彼らの支援を打ち出しているが、具体的な支援法に までは至っていない、といった意見も出されたが、最終的には、今後の課題につなげていくもの として、課程博士論文としては十分な要件を満たしていることが確認された。
以上により、審査委員会は本論文が博士(心理学)の授与に値するものと認めた。