Instructions for use
Title 公共理性と正義感覚による主体的正義論 : ロールズ正義論の拡張可能性についての一試論
Author(s) 江, 楠楠
Issue Date 2013-12-25
DOI 10.14943/doctoral.k11153
Doc URL http://hdl.handle.net/2115/54702
Type theses (doctoral)
File Information Jiang̲Nannan.pdf
Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP
平成25(2013)年度 博士学位申請論文
論 文 題 目
公共理性と正義感覚による主体的正義論
—— ロールズ正義論の拡張可能性についての一試論 ——
所 属 北海道大学大学院法学研究科 専 攻 法哲学
提 出 者 江 楠楠
指導教員 長谷川 晃 教授
I 略記の説明
本論文ではジョン・ロールズの著書と論文に言及する場合は正文において以下の略記を用い、
その後に頁を記す。①単行本の場合は、例えば、「John Rawls, A Theory of Justice, Cambridge,
MA: Harvard U.P., 1971;revised edition, 1999. 」以下、TJと略記して、適宜、参照個所を、頁
の場合は前に p.を附して、節の場合は前に§を附して、算用数字で本文中の括弧内に示す。原則 としては最新版から引用する。ただし初版から引用する場合、特別な注釈を記す。②論文を引用 する場合は、(Rawls、出版年、原著頁)の順で示し、原論文の掲載誌等については省略する(例:
Rawls, 1963a, p.**)。なお、③当該文献の邦訳がある場合に、邦訳頁数も算用数字の後に/を附 して、算用数字で示し、その後に頁を附す。ロールズ以外の著者からの引用は脚注として[著者 名、出版年:原著/邦訳頁]の順で表示する。
本論文の引用様式については、引用文献が日本語の場合、その様式は『法律文献等の出典の表 示方法』に基づく。英語および欧文の場合、引用様式は『CMS(The Chicago Manual of Style)』
に基づく。当該文献の邦訳がある場合は基本的に、その訳文を利用する。ただし、用語・表記の 統一等の必要性から、一部訳文を変更することもあり、その変更にともなって生じた誤りについ ての責任は、すべて筆者にある。また、引用箇所では、本論文で必要とする範囲内で適宜省略と 補足を行う。省略した部分については、「……」と表記し、逆に補足した部分については「——
筆者」と記す。
原著と邦訳の略記記号(単行本)
TJ A Theory of Justice, Harvard U.P.,1971; Revised ed., 1999.
・(矢島鈞次監訳)『正義論』(紀伊國屋書店, 1979)
・(川本隆史ほか訳)『正義論』(紀伊國屋書店, 2010)
PL Political Liberalism, Columbia U.P.,1993; Revised ed., 1996; Expanded ed, 2005.
・序文を除いて、1996年版は初版の頁数と同じである。
LP The Law of Peoples, Harvard U.P., 1999.
・(中山竜一訳)『万民の法』(岩波書店, 2006)
CP Collected Papers, S. Freeman (ed.), Harvard U.P., 1999.
・(田中成明編訳)『公正としての正義』(木鐸社, 1979)
JF Justice as Fairness: A Restatement, Erin Kelley (ed.), Harvard U.P., 2001.
・(田中成明ほか)『公正としての正義――再説』(岩波書店, 2004)
LHMP Lectures on the History of Moral Philosophy, B. Herman (ed.), Harvard U.P., 2000.
・(坂部恵監訳)『ロールズ哲学史講義(上・下)』(みすず書房, 2005)
LHPP Lectures on the History of Political Philosophy, S. Freeman (ed.), Harvard U.P., 2007 ・(齋藤純一ほか訳)『ロールズ政治哲学史講義(1・2巻)』(岩波書店, 2011)
II
◆ ジョン・ロールズの論文
1951. Outline of a Decision Procedure for Ethics. The Philosophical Review, 60(2), 177-97.
1955. Two Concepts of Rules. The philosophical review, 64(1), 3-32.
1957. Justice as Fairness. The Journal of Philosophy, 54(22), 653-62.
1958. Justice as Fairness. The Philosophical Review, 67(2), 164-94.
1963. The sense of justice. The Philosophical Review, 72(3), 281-305.
1968. Distributive Justice: Some Addenda. Natural Law Forum, 13, 51-71.
1972. Reply to Lyons and Teitelman. Journal of Philosophy, 69(18), 556-7.
1974a. Reply to Alexander and Musgrave. The Quarterly Journal of Economics, 88(4), 633-55.
1974b. Some Reasons for the Maximin Criterion. American Economic Review, 64(2). 141-6 1975a. A Kantian Conception of Equality. Cambridge Review, 96(2225), 94-9.
1975b. Fairness to Goodness. The Philosophical Review, 84(4), 536-54.
1975c. The Independence of Moral Theory. Proceedings and Addresses of the American Philosophical Association, 48, 5-22.
1977. The Basic Structure as Subject. American Philosophical Quarterly, 14(2), 159-65.
1980. Kantian Constructivism in Moral Theory. The Journal of Philosophy, 77(9), 515-72.
1985. Justice as Fairness: Political not Metaphysical. Philosophy & Public Affairs, 14(3), 223-51.
1987. The Idea of an Overlapping Consensus. Oxford Journal for Legal Studies, 7(1), 1-25.
1988. The Priority of Right and Ideas of the Good. Philosophy & Public Affairs, 17(4), 251-76.
1989. The Domain of the Political and Overlapping Consensus. New York University Law Review, 64(2), 233-55.
1991. Roderick Firth: His Life and Work. Philosophy and Phenomenological Research, 51(1),109-18.
1993. The Law of Peoples. Critical Inquiry, 20(1), 36-68
1995. Political Liberalism: Reply to Habermas. The Journal of Philosophy, 92(3), 132-80.
1997. The Idea of Public Reason Revisited. University of Chicago Law Review, 64(3), 765-807
III
まえがき
本論文は、現代正義論の端緒を切り開いたジョン・ロールズが提示した正義を構成する諸概念 について再解釈を試みるものである。このまえがきでは、なぜそのような再解釈が必要であるの か、また、この再解釈がどのような意味を有するのかについて明らかにしておきたい。
転換期にある現在の中国では、貧富の差に代表される社会的格差が深刻な問題として認識され ており、格差是正に向けた再分配の問題も多様化している。中国から留学している筆者にとって、
現在の中国において深刻化している社会的格差を実質的に是正することは、重要な課題である。
格差問題には、所得・収入・資産・資源等の経済的あるいは物質的財の再分配における不平等の みならず、自由・名誉・機会・権利等の社会的協働の利益と負担の再分配における不平等も含ま れる。すなわち、格差問題は、自然的基本財および社会的基本財の利用可能性に関する不平等の 問題である。ここで、現代正義論は、社会的・経済的不平等、すなわち社会的格差を是正する指 針として、一定の合理的かつ普遍的な規範的基準を提示するものである。そして、基本財の公正 な配分について論じたジョン・ロールズの学説は、現在でも高く評価されており、ロールズを抜 きには現代正義論を語ることはできない。それゆえ、転換期中国の社会的格差の是正に関する法 哲学的検討においては、ロールズの正義論の意義と限界を探ることが根本的かつ現代的な課題で ある。
『正義論』の公刊以来、原初状態や無知のヴェールの設定からはじまる思考実験の是非をめぐ り活発な論争が繰り広げられ、現在でも賛否両論がある*。原初状態において無知のヴェールを被 った当事者の理性的判断の結果として示された正義の二原理は、その概念装置を信頼し、享有す る人々にとっては説得力がある。しかし、その概念装置を信頼できない人々、例えばマイケル・
サンデルからは、無知のヴェールを被ることによって無知とされる内容が恣意的であり、また無 知のヴェールを被せることは「負荷なき自己」を前提とすることになり現実の「負荷ある自己」
* 方法論的文脈からみた「原初状態」と「無知のヴェール」という概念装置がロールズの正義原理の 導出・成立・受容にとって重要な役割を果たしていることは周知の事実である。これらの概念は『正 義論』公刊以来盛んに論じられ、「正義」が直面する課題である「社会の基本構造は如何にあるべ きか」によって多くの関心と批判を集めている。渡辺幹雄の考察によれば、これらの概念装置への 注目は『正義論』及びロールズにとって不幸だと考えられる。なぜなら、「その優れた方法論の一 部、具体的には「原初状態」と「無知のヴェール」が、より大きな方法論的文脈、すなわち「反照 的均衡」から切り離されてクローズアップされた。」渡辺幹雄『リチャード・ローティ ポストモ ダンの魔術師』(春秋社, 1999)8頁。異なる文脈においてロールズの方法論を探究すべきという視 点が必要であるとの指摘に私も同感であるが、「反照的均衡」を通じてより理論的なインテグリテ ィを説明する一方、社会的格差と構造的差別といった現実的要請に応じて正義理論の発展性・拡張 性の高め方を工夫することが本論文の趣旨である。
IV
と乖離している、と批判されている。このような批判を受けて、ロールズは、経済的・社会的な 立場の偶然性や互換性を視野に「互恵性」の概念を提示し、正義の二原理、とりわけ格差原理を 成立させるための条件として、自由で平等な市民の互恵的関係を強調した。しかしながら、社会 の現実に目を向けてみれば、格差問題は依然として存続しており、正義の二原理を機能させる基 本的条件として互恵性が提示されても、人々の共感や理解を得て市民相互の協働的信頼関係が深 まるようなことにはなっていない。つまり、格差問題の是正について、正義の二原理が実効的に 機能しているとはいえず、それを機能させるために「互恵性」の概念を導入してもなお、人々の 理解を充分に得られていない。
この原因として、社会的・経済的格差の根源には、人々の差別という意識や感情が通底してい るにもかかわらず、正義の二原理を論じる際に、この差別に留意してこなかったことがロールズ の議論の限界に関わる重要な問題点としてあげられる。社会的・経済的地位の互換性を承認する だけでは、正義の二原理によって格差を是正することはできない。差別という意識や感情に留意 し、人々の対等性に配慮することにより、歪んだ人間関係を修復しなければ、格差を是正するこ とは難しい。差別は、個人の主体性や人格の対等性に対する配慮の欠如を意味する。人種、民族、
性別、あるいは宗教、学歴、障害の有無等によって人間の尊厳や自尊心、相手の価値や承認のニ ーズを無視・軽視したり、あるいは否定・排除したりするような心的態度は、それに根ざした社 会的意味の付与を経て、構造的差別へとつながる。したがって、このような差別を解消するため には、対等な配慮が必要であり、人々のアイデンティティやパーソナリティ、あるいは各自の価 値観、信仰等に基づく生活様式や態度が社会的に認容されなければならない。かくして、本論文 では、個人のアイデンティティやパーソナリティを尊重しつつ差別を解消するのに効果的な概念 装置を模索するため、従来あまり着目されてこなかったロールズの正義論における幾つかの基底 的要素、すなわち「リベラルな政治文化」、「正義感覚」、「再認」という概念に着目し、その再解 釈を試みる。
本論文の枠組みは、現代正義論とその批判の概要や、格差を是正するために検討すべき差別概 念、差別を解消するために必要な「対等な配慮」等をまとめた「導入部」、理性、政治文化、正 義感覚、再認等の諸概念を改めて詳細に検討した「再解釈部」、格差を是正するための正義の二 原理に対する主体的関与について論じた「構成部」からなる。
まず、「導入部」では、転換期にある中国社会における格差の具体的事例を紹介し、社会的・
経済的格差の背景には構造的差別があると論ずる。社会における不正義の典型として顕現する格 差は、主として国や社会における支配的集団が差別的な制度や政策を採用したことに由来する。
だが、一方、その根底においては、アイデンティティの確立および維持において、他者と比較し
V
自己を優位において肯定するといった人間に潜在している差別的意識や感情を無視することは できない。社会的・経済的格差を是正するためにはまず差別を解消しなければならないのは、そ れ故である。そのためには、人々の間の対等な配慮を成立させることが必要となる(序章・1章)。
次に、「再解釈部」においては、人々の間の対等な配慮を実現するため、ロールズが提示した
「リベラルな政治文化」、「正義感覚」、「再認」という概念に着目し、その意義を再検討する。そ して、正義の二原理の実効性を高めるための理論的基盤として、差別問題の解消に向けた可能性 を検討する。
ここでは、ロールズの政治文化論を踏まえて、文化を「自己のアイデンティティを形成・確保・
修正する主観的・客観的基盤」と定義する。既に述べたとおり、自己に相応しい公正な配分を確 立するため、すべての人々を尊厳のある者として対等にあつかい、人々の人格やアイデンティテ ィの平等性を認めなければならない。アイデンティティを形成・確立・修正するためには、一定 の社会的・政治的・経済的環境や条件が必要であり、これらの環境や条件は、いわゆる広い意味 での「政治文化」に含まれる。そこで、ロールズの「政治文化」の見方とそれを支える公共的理 性の概念の変容をたどりつつ、理由基底的公正性としての正義とその政治的構想を支えるために 必要な基本的条件について検討し、正義の諸原理を適切に構成し維持するためには、リベラルな 市民的政治文化とそこに胚胎する公共理性の働きをとおして、市民的人格を確立した人々が主体 的能力を発揮することが重要であることを指摘する(2・3章)。
市民的人格、あるいは主体的能力とは、ロールズによれば、リベラルな政治文化に暗黙の内に 含まれているとみなされる根本的な概念、すなわち自由で平等な人格としての市民が有する正義 感覚という能力のことでもある。そして、正義感覚は、「悟性のみによってつくられた単なる道 徳的観念でなく、理性によって照らされた魂の真の感情」であり、「選択された原理が尊重され ることを確保し」、「諸原理を忠実に守る」という形式的意味にとどまらず、人間の自然本性から 生まれて、実質となる自由の平等を保障する根拠となるものである。正義感覚は、人々が自由で 平等な市民として公正な協働の体系として社会を営むための規範的期待であり、原理に規制され た秩序ある社会は、その期待の副次的効果ないし表面的現象である。勿論、市民的不服従や良心 的拒否が妥当する根拠を解明するために、正義感覚だけでなく、不正義感覚も存在し、機能して いると明らかにすることも重要であろう。市民的不服従や良心的拒否は、秩序だった社会におけ る抵抗すべき不正について、自身の不正義感覚から他者の正義感覚に訴えかけることである。ロ ールズも認めているように、正義感覚による不公正への抵抗は、「抵抗様式の妥当根拠を与え」、
「通常の不公平な傾向に抵抗するのに十分な強さをもっている」。このような正義感覚は、正義 の二原理の受容と社会における不公正への抵抗について大きく開かれており、「正義に反する」
VI
という感覚を生ぜしめるものを是正または予防しうる。かくして、正義感覚には、正義の二原理 の受容や遵法と社会における不公正への抵抗というふたつの側面があり、正義感覚の目的を社会 の安定性だけに狭めないよう留意しなければならない(4章)。
さらに、ロールズに即して考えれば、このような正義感覚は「再認」(recognition)を通じても たらされる。ここで言う再認とは、正義感覚の契機であり、「正義の構想に対応する正義感覚を 生みだす」ものである。ロールズによれば、正義に適った「制度の創設と存続が可能となるのは、
互恵的な承認と共有された知識がある」場合であるのだが、これは後に述べるような理由で、こ こでは再認と捉えられる。また、再認は、人々の主体的、能動的な実践的態度であり、この再認 を通じて生み出される正義感覚は、理想状態または静的状態における思弁的なものにとどまらず、
人々の現実における経験を問題化する実践的性格をも有している。他方で、再認は、規範の基礎 づけ、法的判断の正当化手続でもある。それは、社会的制度や政策が公正かどうか疑わしい場合 には、責任倫理を伴いつつ、法実践に関わる主体の解釈的な規範創造の能動的条件となる。ロー ルズの説く「承認」は、ヘーゲルの「承認をめぐる闘争」における承認とは異なり、生死をかけ る政治闘争ではなく、正義の二原理によって設定された人間関係との関係において、その原理に よって充たされないまま残されている領域での正義感覚に合致していない状態の回復を図り、正 義の二原理をより広範な形で公共的に受容してゆくための基礎をなす(5章前半)。
以上の予備的考察を踏まえ、最後の「構成部」では、再認の手続として、「主体的関与」を基 軸とした正義感覚の新たな解釈を提示する。これは、ロールズ理解における新たな方法論的視座 を提供するものである。ロールズの言う正義の二原理は、政治哲学、法哲学だけにとどまらず、
人々がどのように正義概念を形成・受容・維持・発展させていくか、それによってどのような社 会的人間関係を確立・発展させていくかという問題関心に即して理論的に導き出されたものであ るが、ここで言う主体的関与は、その問題関心の展開の基軸をなす正義感覚の具体的表現として、
人々の個性や差異等を相互に尊重しつつ社会を構築する方法に関わる。これは、「拡張された共 感」に依拠するロールズの道徳心理学的議論と本質的に合致するものであり、正義感覚をとおし て正義の二原理を思考的に体験する機会とその条件を確立することにより、人々を社会的協働に 主体的に参加させ、よりよい人間関係に基づく秩序ある社会の構築につなげようとするものであ る。そこでは、社会的不正が存続している原因が人々の主体的関与の不足にあるという診断に基 づいて、人々の実践的思考や行動の原理を人間関係へと結びつけ、社会的不正を是正するための 処方箋として、既存の制度により排斥されたり等しく配慮されているとはいいがたい人々の存在 を浮かび上がらせ、それに留意しようとしない人々に対して主体的関与を促し、すべての人々が 等しく尊重されるべき人格的存在であることに関する理性的、モラル的そして戦略的コミットメ
VII
ントを形成させることが方法的に重要となる。そしてその際には、自己のアイデンティティの真 のあり方を再認するとともに、正義を社会的に形成・受容・維持・発展させて、とりわけ差別問 題の解消を進めてゆくことも求められるのである(5章後半)。
なお、個人的な正義感覚は、正義原理を構成する決定的要素ではなく、社会的制度を構築する ための情念的素材(人間としての自然な情)にすぎない。他方、普遍的な正義感覚は、主体的・
能動的関与をとおして、当人に正/不正の判断、正義感/不正義感をもたらす。そして、当人以 外の人々も、その当人による正義感/不正義感の表明を受けて自己の正義感/不正義感との比較 の契機を獲得し、個人的な正義感覚を超えて間主体的に正義の共通意識や原理を把握して、普遍 的な正義感覚で捉えた道徳原理に合致した判断を保持するようになる。
以上のようにして再解釈されたロールズの正義感覚論は、配分的正義に合致した社会制度をも たらすだけのもの、あるいは社会的・経済的格差等の諸問題を配分的正義の問題に還元してしま うものではなく、関与をとおして社会的正義を実現するために、さらに広範な形で文化的諸権利 にも着目すべきであるという問題意識をも含みうるものとなる。つまり、ロールズの正義感覚と それに連動する正義の二原理の再解釈は、社会制度を形づくる政治や法の役割を超越的な価値基 準に照らした価値合理性の問題に還元してしまうのではなく、社会や諸集団が制度を構築し、諸 政策を策定・実施・改正する諸理由を個々人の感情も含めた人間相互の間主体的関係から生じる リアルな思考に基礎づけようという試みであり、またそれは、他者との関係において自己のアイ デンティティやパーソナリティを様々に形成・維持・修正しようとする現実の人々を正義原理の 下で規範的に位置づけ、社会における正義の働きを実効的に確保しようという試みともなるので ある(6章)。
VIII 目 次
序章 中国社会の現実と現代正義論:社会的格差と構造的差別 ... 1
第1節 転換期中国における「格差と差別」問題 ... 1
第2節 差別意識による格差の固定化:「農民工」問題に象徴される社会的不正義 . エラー! ブック マークが定義されていません。 第3節 公正な配分と対等な配慮の要請:ロールズ正義理論を手がかりとして エラー! ブックマー クが定義されていません。 第1章 ロールズ正義論の拡張可能性のための哲学的再考 ... 20
はしがき ... 21
第1節 再考の背景(Ⅰ)配分的正義の文脈 ... 20
第1款 ロールズの配分的正義の概観 ... 20
第2款 ロールズの配分的正義の位置づけ ... 23
第2節 再考の背景(Ⅱ)平等的要請の文脈 ... 27
第1款 経済的社会的領域における平等の意義:公正な配分 ... 27
第2款 文化的領域における平等の意義:対等な配慮 ... 35
第3節 ロールズ正義論の拡張可能性という問題提起:自由の平等による対等な配慮 ... 39
第1款 拡張可能性とは何か ... 39
第2款 対等な配慮の志向:同質志向的平等と異質志向的平等 ... 43
第3款 異質志向的平等による対等な配慮:自由の概念と政治文化の文脈を求めて ... 54
小 括 ... 69
第2章 ロールズ正義理論の発展性:公共性から公共理性への変容の再検討 ... 72
はしがき ... 72
第1節 公正としての正義における公共性 ... 73
第1款 理性・理由の復権と言われるロールズ正義理論とその文脈 ... 74
第2款 原初状態の背後にある2つの実践理性:合理性と適理性... 76
第3款 内在的な適理性の展開 ... 81
第2節 正義の政治的構想における公共理性・理由 ... 86
第1款 正義の政治的構想における理性の位置づけ ... 87
第2款 重合的合意の本質とその二段階構想 ... 92
第3款 公共理性 ... 97
第3節 公共性から公共理性・理由へ ... 101
第1款 理性概念の変容に関わる諸条件の整理 ... 102
第2款 理由基底的公共性のために ... 104
IX
第3款 理由基底的公共性による政治的構想の妥当化 ... 107
小 括 ... 109
第3章 公共理性に支えられた「リベラルな政治文化」の基礎的考察 ... 112
はしがき ... 112
第1節 政治哲学としてのロールズ正義論と文化との関係 ... 116
第1款 政治哲学の源泉としての政治文化 ... 116
第2款 政治文化の充実に伴う正義理論の拡張・実践可能 ... 118
第2節 ロールズにおける政治文化への配慮とその接近方法 ... 120
第1款 政治文化への配慮の諸表現:「無から有へ」と「弱から強へ」 ... 120
第2款 正義理論構成における政治文化の方法論的考察 ... 123
第3節 ロールズにおける「リベラルな政治文化」の基本内容 ... 125
第1款 リベラルな政治文化の基本構成と特徴 ... 125
第2款 リベラルな政治文化をめぐる諸問題とロールズの見解 ... 132
第3款 リベラルな政治文化による正義理論拡張の方向提示 ... 139
小 括 ... 142
第4章 正義感覚とその開かれた理解:ロールズ正義理論に含まれる拡張契機の解明の試み ... 144
はしがき ... 144
第1節 ロールズの正義感覚論の通説的解釈 ... 150
第1款 通説的解釈の概要:「形式的意味の道徳能力」と「安定性の保証」 ... 150
第2款 通説的解釈の疑問点 ... 154
第2節 ロールズの正義感覚論の基本的特徴 ... 158
第1款 正義感覚における内的視点と外的視点 ... 158
第2款 正義感覚とは何か:正義の理論を記述するもの ... 162
第3款 正義感覚の実質:自由で平等な人格的存在者の規範的期待 ... 168
第3節 ロールズの正義感覚論の再検討:相互的主体性の視角から ... 173
第1款 「市民的不服従」からみた正義感覚の主体的構成 ... 175
第2款 正義感覚の2つの側面:「正義の受容」と「不正義への抵抗」 ... 180
第3款 正義感覚の基礎となる相互主体性:「対等な市民性」と「能動的志向性」 ... 191
第4款 相互的主体性の背後にある注意点 ... 198
第5款 正義感覚の間主体性論に係る二重目的... 203
第4節 ロールズの正義感覚論に対する開かれた理解 ... 212
第1款 開かれた理解による平等志向の本質化 ... 214
第2款 開かれた理解による人間社会の紐帯強化 ... 218
第3款 開かれた理解による法的思考の主体性発揮 ... 224
第5節 道徳認知に関する心理学的・神経科学的研究からの補論 ... 226
X
小 括 ... 234
第5章 再認による主体的関与:ロールズ正義理論の拡張解釈の確立 ... 237
はしがき ... 237
第1節 ロールズ正義理論における再認概念の検討 ... 238
第1款 2つの再認のモデル:「権力闘争的承認」と「法的承認」 ... 238
第2款 法的承認とは何か:H.L.A.ハートの「承認のルール」を手掛かりに ... 246
第3款 ロールズ正義理論の意味拡張に係る再認概念の諸特徴 ... 257
第2節 再認による主体的関与の視座の確立 ... 262
第1款 法の妥当根拠:3つの視点から ... 262
第2款 自由の平等からみた再認の位置 ... 269
第3款 主体的関与の基盤としての平等 ... 272
第4款 関与主体の比較的理解 ... 274
第3節 主体的関与の原理とそのアプローチ ... 279
第1款 主体的関与の原理:消極的側面と積極的側面 ... 279
第2款 理性的コミットメントのアプローチ:正義感覚抽出 ... 283
第3款 モラルコミットメントのアプローチ:正義感覚移入 ... 286
第4款 戦略的コミットメントのアプローチ:共感的配慮 ... 291
第5款 主体的関与の実践的意義 ... 296
小 括 ... 299
第6章 社会的正義への主体的関与:自由の平等への漸次的接近 ... 302
はしがき ... 302
第1節 「社会規範」の研究における「規範感覚」の位置づけ ... 305
第1款 法はどこに存在しているのか? ... 305
第2款 法はなぜ変動・発展できるのか? ... 307
第3款 合理性と道徳性との関係の再考 ... 311
第2節 主体的関与の実践的諸条件 ... 317
第1款 Who=主体的関与の主体 ... 318
第2款 What=主体的関与の内容... 320
第3款 When=主体的関与の時間的条件 ... 321
第4款 Where=主体的関与の空間的条件 ... 324
第5款 時空的条件による主体的関与の強度 ... 325
第6款 Why=主体的関与の法変容 ... 327
第7款 How=知的理解と追体験的理解との統合 ... 329
第3節 主体的関与に期待される人間像 ... 332
第1款 主体的関与の出発点にあるもの:感覚秩序 ... 332
XI
第2款 強い人間像の背面 ... 338
第3款 期待可能な人間像の提案 ... 343
第4節 主体的関与の法解釈学 ... 350
第1款 R・ドゥオーキンの「第3の道」 ... 351
第2款 法と道徳との相互転化 ... 355
第3款 主体的関与の平等に関する法的思考 ... 363
第5節 ロールズ正義論の拡張解釈から中国問題への示唆 ... 379
第1款 中国におけるロールズ研究の現状と問題 ... 379
第2款 ロールズ正義論の拡張解釈からの示唆 ... 382
第3款 残された課題 ... 388
小 括 ... 391
結 語 ... 394
1
序章 中国社会の現実と現代正義論:社会的格差と構造的差別
第1節 転換期中国における「格差と差別」問題
現在の中国は、内外の急激な社会環境の変化に対応すべく、あらゆる領域において構造 改革の必要に迫られており、重大な転型期にある。1980年代から、政治・経済・行政・税 制・金融等の様々な領域において重要な改革が推し進められてきた。しかしながら、いず れの改革も様々な要因によって阻害され、必ずしも円滑かつ十分に実施されてきたとはい えず、現在でも厳しい状況にあって、改革の行方は定かではない。現在の諸改革は、中国 独自の政治経済システム、社会および文化の急激な変容という内的要因によって要請され ているものの、他方で、グローバル化や欧米諸国からの圧力といった外的要因も強力な推 進力となっている。中国における「法」、あるいは「法」制度をめぐる改革も、このような 動向の例外ではない。現在すすめられている様々な改革と連動して、中国の「法」制度全 体が変容しつつあり、さらに社会制度の要ともいうべき「法」制度を拡充すべく、根本的 な改革のための議論が展開されている。
中華人民共和国の建国以降、中国において近代化に即応するべく展開されてきた法観念 と法制度は、中央集権的かつ共産主義的色彩を帯びた「富国強民」という観念に立脚しつ つ「人民の平等」1を前提とするものであった。このような理念は、マルクス主義に由来し ている。1917 年のロシア 10 月革命によってプロレタリア独裁政権が樹立されたのを契機
1 中国の語境において「人民」という用語を理解するにあたり、これは法学概念よりむしろ政治 学の概念として使われ、広い意味では国家の構成員を指し、国民と同義であるが、狭い意味で は「幹部」との対比でみれば、被支配層としての国民を指し、また一定領域において特定な政 治的権利を奪われた「敵」「犯罪者」との対立概念である。後者の意味は特に毛沢東時代によ く使われた。例えば、毛沢東が最高国務会議第十一回(拡大)会議でおこなった「人民内部の 矛盾を正しく処理する問題について(1957年2月27日)」という講話によれば、「まず、
人民とはなにか、敵とはなにかをはっきりさせなければならない。人民という概念は、異なっ た国家と、それぞれの国家の異なった歴史的時期において、異なった内容をもっている……現 段階、すなわち社会主義建設の時期には、社会主義建設の事業に賛成し、これを支持し、これ に参加するすべての階級、階層、社会集団はみな人民の範囲に属し、社会主義革命に反抗し、
社会主義建設を敵視し、これを破壊するすべての社会勢力、社会集団はみな人民の敵である。」
その後、毛沢東は、当時の記録にもとづいて整理し、いくらかの補足をおこなって、1957年 6月19日の『人民日報』に発表した。引用は『毛沢東選集 第五巻』(外文出版社, 1977)565 頁。
2
に、中国においても政治的・社会的不平等を撤廃するべく社会主義国家を実現するべきだ と説かれるようになった。そのため、国家建設の初期段階では、平等主義が政策の基軸と なっていた。なぜならば、すべての人々を平等に尊重することによって「進歩的」、「人道 的」社会を実現するという社会主義の正当性を人々に示さなければならなかったからであ り、また、それによって民衆の支持を獲得し、国家の建設を加速させるとともに、その後 の国内を安定化させなければならなかったからである。
しかしながら、1970年代の改革開放以降、中国の社会的格差は多様化し、また深刻化し ている2。国家の役割が肥大化するとともに、権力が極端に集中し、官僚主義化がすすんで いる。このような一元的・集権的な権力構造が、不平等な配分の主因となり、階級制度が なくなったにもかかわらず、特権階級などと揶揄される社会的格差が中国国内のいたると ころに顕在している3。具体的には、⑴共産党員と非共産党員、あるいは官僚と人民との「政 治的格差」、⑵農民工に代表される貧困層と新貴族等とよばれる富裕層、あるいは都市に住 む者と地方に住む者との「経済的格差」、⑶漢民族とそれ以外の少数民族との「文化的格差」、
⑷都市部と農村部、あるいは沿海部と内陸部との「地域間格差」、⑸男性と女性との「性別 格差」、「ジェンダー格差」、⑹富裕層の子どもと貧困層の子ども、官僚の子どもと人民の子 どもとの「世代間格差」等である。これらの格差は、相互に関連しており、経済的格差の 劣位にある者のほとんどが、地域的・文化的・政治的格差においても劣位にある。以下で は、中国におけるそれぞれの社会的格差の内容について概観する。
まず政治的格差について、1949 年から 2001 年までの統計に基づく中国社会科学院
(CASS)の調査報告『当代中国社会流動』によれば4、子どもが共産党幹部の地位を獲得 するためには、父親が共産党幹部であることがもっとも重要な要件となっている。さらに、
父親が子どもの学歴を操作できるだけの権力を有しているならば、その子どもが幹部にな る可能性は、非幹部の父親をもつ子どもの 2 倍だという。このような潜在的な権力の世襲 が、正常な民主的政治秩序を乱し、公職に就く機会の平等を破壊している。被選挙権にも
2 石川晃弘・川崎嘉元『社会主義と社会的不平等』(青木書店, 1983)10-3頁参照。
3 同上書13頁参照。
4 陸学芸編『当代中国社会流動』(社会科学文献出版社, 2004)235頁。この報告書に関するも のとして、次の著作も慣行されている。陸学芸編『当代中国社会階層研究報告』(社会科学文 献出版社, 2002)。中国社会階層状況をめぐるこの一連の調査研究の評価について、張貴民「中 国における地域格差の是正と調和社会の構築」地域創成研究年報第2号68頁(2007)。
3
格差がある。例えば、全国人民代表大会、政府、中国人民政治協商会議およびその直属機 関、国家正部級企業、大軍区、軍種などにおいて指導者に就けるのは党員のみである。一 般の人民、すなわち共産党や共産党青年団に属していない人々、あるいは政治的に「幹部」
と対立している人々が選挙によって公職に就く可能性はほとんどない。平等選挙が代表民 主制にとってきわめて重要であることは、説明を要しない。小林直樹は、現代の選挙制度 をつらぬく諸基本原理の中核に「平等原則」を位置づけており5、山下健次もそれを「選挙 制度に関して国民主権から導き出される原則の第一」だとしている6。しかし、中国ではこ の重要性が看過されている。都市部と農村部から選出される代表ひとりあたりの基礎人口 の格差、すなわち「投票価値の格差」は、中国の選挙制度をめぐるもっとも重要な問題の 一つとして注目される7。中国における「投票価値の格差」は、選挙法の規定に由来してい る。現行の選挙法が1979年に制定されて以降、この格差は幾度の改正によってわずかなが ら是正されてきており、とりわけ 1995 年の選挙法の一部改正8によってかなりの改善がみ られたが、都市部と農村部の「投票価値の格差」は、それでもなお1対4である9。
経済的格差については、人民の所得は全体的に増えているものの、所得の格差も拡大す る傾向にある。統計によれば、都市部と農村部における人民の所得の格差は、1978年の2.36 対1から、2009年には 3.33対1に拡大している。地域的にも、中国東部に暮らす人民の 平均年収が38,587 円であるのに対し、西部に暮らす人民の平均年収は18,090 円となって いる。行政区画別にみると、人民の平均年収は、上海が最高で76,976円であるのに対して、
貴州省が最低で67,789円となっており、ここにも格差が見いだされる10。就職や就労の機 会も平等ではない。縁故や親の地位を利用して就職する者は、あらゆる就職活動において 公正に、あるいは誠実に就職しようとしている者から機会を剥奪している。就職競争に真 正面から挑む人々のほとんどは、出身大学・性別・障害や持病・情誼等を理由に不採用と なっているが、これらの理由のほとんどは不合理なものである。また、出身地域によって
5 小林直樹『〔新版〕憲法講義(下)』(東京大学出版会, 1981)103頁。
6 山下健次『現代憲法入門』(法律文化社, 1986)196頁。
7 浅井敦『中国憲法の論点』(法律文化社, 1985)90-2頁。王叔文ほか『現代中国憲法論』(法 律文化社, 1994)53-6頁。
8 中国選挙法の12, 14, 16条が改正された。
9「全国人大常務委員会関於修改全国人大和地方各級人大選挙法的決定」1995年3月1日付『人 民日報』3頁。
10 中共中央宣伝部理論局『理論熱点面対面(2010)』(学習出版社, 人民出版社, 2010)3-4頁。
4
も就職の機会が奪われている。例えば、中国の首都、北京にあるスーパーの求人広告には、
河南地方や東北地方出身者を採用しないと明記されている。スーバーの人事担当者は、「河 南の人は頻繁に万引きをする」とか、「東北の人はすぐにけんかをする」といった理由をあ げているが、このような担当者の偏見、あるいは個人的な印象によって、人々の就職の機 会が剥奪されている。学歴による就職格差の現象も大きな社会問題となっている。改革開 放により高等教育が復活したが、このことが学歴社会をもたらした。いわゆる教育産業が 市場において拡大し、功利主義的な教育観が蔓延した。学歴格差が収入格差へとつながり、
人々が自己の努力によってその格差を是正することは、ますます困難になっている。具体 的には、それほど高度な技術が必要な職場でもないのに博士号取得者や大学院卒業者だけ を募集する、という会社も少なくない。また、一部の地域では、「211工程(プロジェクト)
11」を元凶とする「211差別」が横行している。「211差別」とは、企業が「211工程」の重 点大学に認定されていない大学を卒業した者の採用を敬遠する事態のことである。このよ うな学歴偏重社会に対する批判も少なくはないが、それほど厳しいものではない12。
文化的格差としては、教育格差が拡大している。具体的には、都市部と農村部に対する 教育予算、重点学校と一般学校に対する教育予算の配分における格差、男子と女子、ある いは成績上位者と下位者に対する教育の質の格差、さらに富裕層と貧困層の家庭教育にお ける格差も問題として認識されるようになっている。教育格差の他には、マイノリティと マジョリティの文化継承における格差があげられる。少数民族は、自分たちの言語や文字、
伝統文化の維持、継承が難しくなっており、これらを維持、継承するためには、マジョリ ティ以上に努力しなければならない。また、「非主流」文化とみなされる同性愛者等のマイ ノリティも、偏見や差別等によって、社会において自分らしく生きることが困難になって いる。
11 「211工程」とは、およそ10年を目途に、国家経済建設や社会発展において今後生じうる重 大な経済および科学技術の問題を解決しうるだけの基盤を確立することを目標に、それに相応 しい教育研究レベルにある 100 余りの大学を重点大学として認定、あるいは一部の学部を重 点学科に指定するとともに、国家が重点的に資金を投入する制度で、1993年から教育部によ って実施されてきたものである。中国には、現在1700校以上の大学があるが、この「211工 程」において認定された大学は、第1期から第3期をとおして112校であり、全大学のわず
か6%に過ぎない。
12 園田茂人『不平等国家 中国』(中公新書, 2008)第 2章「復活する学歴社会」参照;薛進 軍・荒山裕行・園田正『中国の不平等』(名古屋大学大学院経済学研究科附属国際経済政策研 究センター叢書12, 2008)第9章「学歴の差と所得不平等」参照。
5
地域間格差は、中国政府が地域別に経済発展を追求したことによりもたらされたといえ る。中国政府は、「西部大開発13」、「東北振興(振興東北老工業基地)14」、「中部勃興(中部 崛起計画)15」および「東部新飛躍」という地域別の経済発展戦略を構想し、結果として経 済成長には成功したが、同時に地域間の格差を拡大させた。地域間格差が拡大した主な原 因は、東部、沿海地域における非農業部門が優遇政策によって急速に発展したのに対して、
中西部地域の発展が相対的に停滞したことによる16。また、各地域内でも都市部と農村部、
沿海部と内陸部、漢族聚居区と少数民族聚居区等の地域間格差が観測されている。中国に は「不患寡而患不均、不患者貧而患不安」(寡なきを患ずして、均しからざるを患う。貧し きを患ずして、安らかざるを患う)という孔子の格言がある。また、過去の歴史を教訓と してみても、格差が拡大すれば政治不信が高まり、社会の不安定化につながる。とりわけ 少数民族が集住している内陸部では、地域間格差の問題が容易に民族問題に転化する。官 僚の腐敗、汚職問題に加え、格差の拡大が今後の中国の発展にとって大きな障害となる可 能性は否定できない17。
性別格差には、男性と女性の生物学的差異に基づく異なる扱いだけでなく、性差による 社会的地位の差異等、いわゆるジェンダー差別も含まれる。中国では伝統的に、男性と女 性の社会的役割について「女主内、男主外」、つまり女性は家庭にあって家事や育児を担い、
男性は家の外で仕事に励むものだ、と考えられてきた。このような伝統的な概念は、就職
13 西部大開発はその範囲が重慶と四川、貴州、雲南、チベット、陜西、甘粛、青海、寧夏、新 疆、内蒙古、広西の12の省・自治区・直轄市を含む内陸西部地域を指し、改革開放政策の恩 恵に浴した東部沿海地方に比べて、西部の諸地域的発展は総体的に遅れており、東部地方との 所得格差は拡大するばかりであった。中国中央政府は地域格差を是正させ、調和型の経済発展 を実現させるために、1999年末から一連の西部開発政策を打ち出し、それらの地域の優遇措 置を強化した。
14 市場経済化と国際化の流れの中で立ち遅れた東北地方(遼寧・吉林・黒龍江)を再生するた め、胡錦涛指導部が2003年、「西部大開発」に並ぶ新たな国家プロジェクトとして提唱した。
15 安徽、湖南、湖北、河南、山西、江西の 6つの省といった中国西部地方も長い間改革開放政 策の運恵を受けずに、地域発展が停滞した。2004年頃から中部6省は「中部勃興計画」に基 づいて自ら連盟を作り、中央政府に「中部勃興」という考えを提示し、翌年にはさらに30ヵ 条からなる政策援助措置を要請した。長谷川啓之監修『現代アジア事典』(文真堂, 2009)755 頁参照。
16 薛進軍・荒山裕行・園田正『中国の不平等』(名古屋大学大学院経済学研究科附属国際経済 政策研究センター叢書12, 2008)54頁参照。
17 同上書16頁参照。
6
機会の格差、賃金の格差、昇進の格差(能力があるにもかかわらず女性ということで昇進 できない不可視の壁という意味でガラスの天井ともいわれる)につながっている。女性を 積極的に採用しない企業は、女性は出産を控えると充分に働けなくなるため採用すると会 社の損失になると説明し、生物学的差異に基づく合理的な区別だと主張するが、やはりこ れは、中国の伝統的な男性と女性に関する社会通念に由来するジェンダー差別であるよう に思われる。伝統的な社会通念等を背景とする制度上の差別、政策における差別は、広義 の文化的格差といいうる18。
世代間格差は、既存の政治制度や政策等のみならず、歴史にも由来しており、個人の自 己決定に深刻な悪影響をおよぼしている。例えば、現在の50代には、文化大革命における
「上山下郷運動」19によって高等教育を受ける機会を失い、90 年代に国営企業等の人員整 理によって失業した人々も少なくない。このような高等教育を受けていない人々の再就職 が難しいことはいうまでもなく、再就職しうる職種は肉体労働に限られていくが、そこで は農民工に代表される若い世代と就労を争わねばならない。失業後になかなか就労できな い人々は困窮し、子どもに高等教育を受けさせることができず、貧困が子どもに継承され
18 例えば、性という観念は実は文化的な制度の産物であり、「同性愛者」のような存在現象は それ自体も「文化」的な産物なのだという指摘がある。「男」とか「女」というカテゴリー自 体が、われわれの生きる現実を「理解」するための文化的な、そして暴力的な方便でしかない ことがわかってくるのではないだろうか。人が生まれ持った「身体的・生物的性」から完全に 自由になることが、現実的にはまだほとんど不可能である以上、われわれはその「自然」をど う扱うかについては慎重にならなくてはならない。例えば、ゲイ男性のことを(いや、どんな 男性のことでも)「男らしい」かどうか考える必要など本来はないはずだが、それでもわれわ れはそういったことをつい、ほとんど無意識のうちに考えてしまう社会に生きているのである。
ジェンダーについて、あるいは文化一般について考えるということは、この「無意識」につい て考えることである。杉野健太郎編、杉野健太郎ほか著『アメリカ文化入門』(三修社, 2010)
306-7頁参照。
19 「上山下郷」とは、文化大革命期において毛沢東の指導によって行われた、都市部の若者が 農村部に移住させられ、貧農・下層中農の再教育を受け、地方での農村体験、生産労働に携わ った運動。「上山下郷」を「下放」とも呼ぶ。「文化大革命(1966〜76年)中の68年、「知 識青年は農村に行って貧農たちの再教育を受ける必要がある」という毛沢東の号令で始まった、
都市の青年を地方へ移住させる政策。約1,600万人とされる都市部の青年層が辺境地域などに 半強制的に移り住んだ。都市の失業問題や食糧不足の緩和も狙いとされた。文革で原理主義的 な毛沢東思想を信奉する紅衛兵と呼ばれる若者らが暴走したため、無職の青少年が政治的脅威 となる前に都市から追放するという政治目的もあった。文革は大躍進運動(1958〜60年)な どの失敗で権威を失った毛氏の復権運動の側面があり、共産党幹部の子弟らも下放の対象とな った。」毎日新聞(2012年11月15日) 東京朝刊参照。
7
てしまう。経済的格差は、マタイ効果といわれるように、世代間で固定され、さらには拡 大してしまう20。中国では、1980 年代に生まれ、1 億元以上の財産を相続した民間企業経 営者の子どもを「富二代」という。もちろん、富二代にも恵まれた環境を活用して努力し、
さらに成功を収める者もいるが、ほとんどは「ドラ息子」で、自ら努力することなく親の 財産を使い果たしてしまうという。こうした状況について、裕福な者は、子どもにすべて の財産を相続させずに一部を社会に献げるべきであり、そうしなければ貧富の差が拡大し、
社会の安定や経済の発展が損なわれると主張する専門家もいる。他方、「富二代」の対語と して、貧困な家庭の子どもを指す「貧二代」も定着しつつある。財力が社会的地位を左右 する社会になり、貧困層の子どもは、自らの努力で裕福になることが困難になっている。
また、貧二代は、親を頼ることができず、自力で這いあがるしかないため、「拼二代」とも よばれる。「拼」とは「一生懸命、命がけで、必死にやる」という意味で、「貧」と発音が 似ていることから、同じ意味で用いられるようになった。さらに、中国では上級公務員の 子どもを指す「官二代」という言葉もある。このことは、中国において、中央であると地 方であると、上級公務員を親にもつ子どもが様々な面で優遇されている実情が定着してい ることを表している。
以上のように、現代の中国において顕現した社会的格差は、拡大するとともに固定され つつあり、政治的、経済的、社会的、文化的地位等、あらゆる局面で劣位にある人々の尊 厳、個人の自己決定を尊重する基本的自由の保障を損なっている。このような種々の格差 は具体的にどのような事情の下でどのような形をとるのか。この点をさらに明確にするた めに、次節では、政治的格差、経済的格差、地域間格差、世代間格差等が集約され、現在 の中国における社会的格差の象徴ともいいうる「農民工」の問題を概観し、社会的格差の 背景事情を分析する。
第2節 差別意識による格差の固定化:「農民工」問題に象徴される社会的不正義
社会的格差の主因は、国家や社会における支配的集団が差別的な制度を設け、様々な差 別的施策を実施してきたことにあると思われるが、他方で、社会に生きる人々の本性も無 視できない。人々はそれぞれ、あの人よりも学歴が高い、あの家よりも立派な家に住んで
20 馬欣欣・李実「中国都市部におけるMatthew Effectの検証——親子2世代間の所得の移動に 関する実証分析」PRI Discussion Paper Series, No.08A-02:27頁(2008)。
8
いるなど、他人と比較しながら自己の存在価値を自ら高めようとする。人々は、本性とし て、他人に比べて自分が優位にあるものを肯定してアイデンティティを形成、維持する傾 向があるように思われる。そうであるならば、人々は、潜在的に差別意識や感情を有して いることになる21。人々は、理性によって、すなわち他人よりもすべてにおいて自分が優位 にあるとは考えられないことを理解しているため、差別意識や感情を顕わにしないよう努 めているが、つねに理性的に行動すること、あの人は私よりも学歴は低いが私よりも優れ ていることがあるかもしれないといった想像力をつねに働かせることは、なかなか容易で はない。したがって、社会的格差を根本的に是正するためには、差別的な制度や施策と同 時に、人々の潜在的な差別意識や差別感情にも留意しなければならない22。人々がすべての
21 例えば、中島義道の指摘によれば、不快、嫌悪、軽蔑、恐怖といった他人に対する否定感情 と、誇り、自尊心、帰属意識、向上心といった自分に対する肯定感情との間に、差別の動因が 形成され、構造的差別への契機となる。中島は、制度上の差別撤廃を主張するとともに、われ われ人間の中の悪意に基づいて差別感情を抱くという事実にも留意する必要があると強調す る。注意すべきなのは、中島が差別の形成動因について「単純にある他人を不快に感じたり、
嫌ったり、軽蔑したり、恐れるわけではない。じつに、その背景には自分自身を誇りに思いた い、優越感をもちたい、よい集団に属したい、つまり『よりよい者になりたい』という願望が ぴったり貼りついているのだ」と説く一方で、「各人が自分に対する肯定的感情を根絶させる ことを提案しているわけではない」と強調していることである。中島によれば、自己肯定とい う感情を根絶するのは「不可能であり、たとえ努力の果てに実現したとしても、自己欺瞞の渦 巻く状態を実現するだけである」。中島義道『差別感情の哲学』(講談社, 2009)114-5頁参 照。
22 文化人類学、社会学の領域では、「個人の感情に言及することによって社会制度を説明する ことの可能性について」論じた研究がある一方(R・ニーダム(三上暁子訳)『構造と感情』
(弘文堂, 昭和52)1頁)、政治理論の領域では、アメリカの哲学者マーサ・ヌスバウムは、
従来のリベラリズムが少数派や社会的弱者への差別問題に適切に対処できていなかったこと を認め、共同体主義やフェミニズムとははっきりと異なる視点から、差別問題を「感情」の問 題として定式化している。感情は、「人間の間に階層作り出し、社会生活において他者に対す る著しい攻撃を惹起するという問題を抱えている」。つまり、「普通ならざる」人々が「人間」
の枠組そのものから感情的な仕方で排除されているのだという。「差別意識は、カントの言葉 を使えば、『人を目的として扱う』ことを困難にさせる。これらの感情が法と結びつけば、こ のような差別待遇を助長させることになりかねない」。マーサ・ヌスバウム(河野哲也訳)『感 情と法』(慶応義塾大学出版会, 2010)444, 447頁参照。確かに、アメリカ社会では、市民権 を有する者には政治的自由、社会的・経済的権利を平等に保障すべきだと考えられており、憲 法や法律の制定等、制度構築をとおして「自由で平等な市民」が確立されているように思われ る。しかし、現実には差別問題が依然として存在しており、これは、差別意識という感情的な 排除の結果のように思われる。「そうだとすれば、これはもはやリベラリズムだけの問題にと
9
人々の自由と平等を尊重しなければならないことを学び、このような差別意識や感情を克 服するにあたり、どのような問題に留意しなければならないか、そのための具体的アプロ ーチにおいてどのような条件が必要か、ということを明らかにしなければならない。
いずれにしても、これらのことを念頭に置きながら、本節では、中国の「農民工」の問 題をとおして、社会的格差として顕現している現象と人々の差別意識や感情との関係につ いて、制度化、固定化された社会的差別、いわゆる構造的差別の背景には、人々差別意識 や感情、あるいはそれらが集約された差別的な社会通念があることを明らかにする。そし て、そのことによって、中国における社会的格差は、広義の文化的格差であり、政治文化 の問題であることを確認する。
さて、中国における様々な社会的格差のうち、もっとも深刻なものは地域間格差である ように思われる。上記のとおり、中国では、都市部と農村部、発展地域と未発展地域の格 差がますます拡大している。本節で概観する「農民工」とは、農村部から都市部への出稼 ぎ労働者のことである23。近年、日本のメディアでも報じられた「農民工」の現状は24、中 国が現代化し、都市部のみが急速に発展するプロセス25において顕現した特殊かつ重要な問
どまるものではない。道徳や法、正義を論じることは、人間や人間社会のあるべき姿を追求す ることである」。ヌスバウムは、感情という観点から「人間性」または「理想的人間像」等の 概念が抱える問題点を指摘し、リベラリズムの新たな視座を提供している。同上書445頁。
23「出稼ぎ労働者」とは居住地を一定期間だけ離れ就労すること。日本の場合は多く農漁村から 大都市や企業中心地域へ出てゆき就労することをさし、長く日本の労働問題、社会問題の特質 とされた。農漁村における季節による労働の繁閑、都市における単純労働者の必要性が背景に あり、都市での労働の多くは季節労働、不安定雇用である。農村では米作主体の農業から多様 化が進み、漁村でも栽培漁業へと変わりつつあり、農閑期出稼ぎの労働形態は減少している。
したがって、日本の「出稼ぎ農民」と中国の事態は違う。
24 農民工の現象は中国の唯一の問題ではなくて、欧米諸国は工業化の初期段階に同じ登場して いる。前世紀の70年代半ば急速な産業発展のために、東欧諸国の産業労働者は農村部から、
ほとんど半分の農民を追加した。Hann, C. 1987. “Worker-peasants in the Three Worlds.” In Peasants and Peasant Societies: Selected Readings, ed. T. Shanin, 114–20. 2nd ed.
Blackwell.また、同様の問題がアフリカにも存在する。Potts, Deborah. 2000.
“Worker-Peasants and Farmer-Housewives in Africa: The Debate About ‘Committed’
Farmers, Access to Land and Agricultural Production.” Journal of Southern African Studies 26 (4[Special Issue: African Environments: Past and Present]): 807-32.
25 アーバニゼーション(urbanization)とも。都市固有の文化形態が都市以外の地域に広がり定 着すること。人口密度の増加,市街地化のみでなく,農村的生活様式から都市生活様式化する 質的変化をも含む。中国の都市化の概念は、2 つのモードがある。1 つは、「都市——衛星都 市——農村」主に都市中心から衛星都市へ都市の拡大のプロセスであり、他は「農村——都会
10
題である26。中国において「農民」は、職業であるだけでなく、制度上の身分でもある。し たがって、農民工は、都市部で就労できたとしても農民としての身分を失うわけではない27。 都市部で雇用された農民工は、農作業を離れ、都市部の工場でどんなに一生懸命働いても、
都市部において都市部の人々と同様にあつかわれることはない。このことは、政府の採っ た政策に由来する28。政府は、都市部と農村部を区別した二元管理モデルを採用し、これに 基づいた戸籍制度として「農業戸籍」と「非農業戸籍」を設けた。住居提供、初等中等教 育、医療、食糧配給等の社会保障制度や選挙制度29は、戸籍ごとに設けられている。したが って、農村部から都市部の大学に進学する際、あるいは大学を卒業して国家機関、団体あ るいは企業に就職する際には、戸籍を切り替えなければならない。その背景には、中国が 社会主義路線を採っている以上、貧困、とりわけ貧困にあえぐ人々の存在が明らかになら ないようにするため、農民を土地に縛りつけようという共産党の思惑があったといわれて いる30。経済が自由化される以前は、二元的戸籍制度によって農村部と都市部の人々の移動 を制限することにより、農村部の農民と都市部の労働者それぞれについて、労働力の供給 と雇用の需要のバランスを維持することに成功していた。しかし、経済が自由化され都市 部の工業化がすすむにつれて、都市部の雇用需要が高まり、「農業戸籍」は急速に発展する
の機能を持つ町と鎮——都市」である。中国では都市化を政府主導のプロセスとして、いま「反 都市化」、即ち「都市は農村になる」の危険性がある。以下の関連研究を参照せよ:辜勝阻ほ か『現代中国の人口移動と都市化』(武漢大学出版社, 1994)。
26 園田茂人『不平等国家 中国』(中公新書, 2008)第3章「激増する農民工」参照。
27 「農民」この言葉は中国で特別な意味がある。農民は農業を生業にしている人である、即ち 農民はある種類の職業である。でも、中国では農民は職業だけではなく、身分でもある。ある 視野で、身分の意味はもう強いである。このような理解は英語圏の国と違う。英語圏の国で、
農民(farmer)は農作業者や農場を経営する人。農夫(peasant)は小規模農家やテナントや シェアクロッパーによって構成し、その土地の労働者が、農業の主要な労働力を形成します。
つまり、農業と土地を依存対象としてのグループであり、職業性を強調される。
28 ダヴィド・ハーヴェイ(竹内啓一・松本正美訳)『都市と社会的不平等』(日本ブリタニカ 株式会社, 1980)178-9頁参照。
29 出稼ぎ労働者の選挙権に関する他の制約要因について参照、雷偉紅「都市における出稼ぎ労 働者の選挙権と被選挙権を保障する問題についての研究」甘粛社会科学3月号49-52頁(2006)
徐增陽「誰が出稼ぎ労働者の選挙権を保障するのか?——出稼ぎ労働者の村民委員選挙への参 加の実態調査と考察」中共寧波市委党校学報6月号22-8頁(2003)。
30 園田茂人『不平等国家 中国』(中公新書, 2008)81頁。郭曉黎「出稼ぎ労働者の選挙権に つ い て の 思 考 http://www.cnki.com.cn/Journal/G-G1-RMZS-2007-04.htm, 最 終 訪 問 日 期 2007-04-30。
11
都市部への農民の流入を制限するにすぎないものとなった。「非農業戸籍」を有していない 農民工は、都市部で就職できたとしても、「非農業戸籍」を有する労働者と同等の労働条件 を保障されることもなければ、「非農業戸籍」のための行政サービスを提供されることもな い。80 年代以降は、農民工の都市部への流入が雇用需要を上回ってしまい、工場等への就 職はもちろん、日雇労働への就労さえも困難になっている。こうして、現在では、都市部 における農民工の貧困が大きな社会的問題となるに至っている。
以上のとおり、中国における「農民工」と都市部労働者との社会的格差は、二元管理モ デルに基づく戸籍制度に由来している。農村部と都市部の地域間格差が、都市部における 農民工と労働者の経済的格差として維持されてしまうのは、都市部で就労しても「農業戸 籍」から「非農業戸籍」に切り替えることができない現行制度のためである31。これまで、
少なくない研究者によって、このような戸籍制度の抱える課題が指摘されてきたが、近年 では、戸籍ごとに異なる行政サービス制度を改めるべきだとの意見が、農民工からだけで なく、一部の「非農業戸籍」を有する都市部の人々からも主張されるようになっている32。
それにもかかわらず、中国政府が二元的管理モデルの戸籍制度を改めようとしない背景 には、鄧小平の「先富論」がある。鄧小平は、文化大革命の後、中国が陥った貧困状況を 一刻も早く改善させるため、「富める者から富め」、「可能な者から裕福になれ」、「先に富ん だ者や地域が取り残された者や地域をひきあげよ」と説いた33。中国の現状をみれば、経済 の自由化によって、富める者から富み、都市部の貧困状況の改善、経済的発展には成功し たといえる。しかし、そこでは「先に富んだ者や地域」が「取り残された者や地域」をひ きあげようとはしていない。先に富んだ者がますます富むばかりである。そして、「先に富 んだ者」にはあらかじめ「先に富む」ことが約束されていたということも問題であろう。
すなわち「非農業戸籍」を有する人々、公務員、あるいは共産党幹部とその家族は、すで にそれ以外の人々よりも制度的に優位な立場にあった。社会的格差、二元的管理モデルの
31 農民工をめぐる研究動向と関連政策に関する先行研究、特に社会保障の側面からの考察につ いて、参照:厳春鶴「中国における農民工の社会保障問題に関する一考察」海外社会保障研究 179号72-84頁(2012)。
32 園田茂人「中国社会における流動性の高まりとその国内/国際的インパクト」アジア研究55 巻2号13頁(2009)。
33 この中国語は、以下のとおり。「我們的政策是譲一部分人、一部分地区先富起来、以帯動和幇 助落伍的地区、先進地区幇助落伍地区是一個義務。」