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中林瑞松

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Academic year: 2021

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サイラスという男(IX)

一H.E.ベイッのあるヒーロー一

中林瑞松

V.サイラスのユーモアのセンス(その二)

は じ め に

 J.B.プリーストリイ(1894−1984)はその著ENG乙EE HIワMO碑 のなかで,シェイクスピアが創造したフォールスタッフという人物につ いて,つぎのように述べている。

By the time we have come to know the two parts of漉ηη1γwe find that our attitude towards Falstaff is by no皿eans the same as it was when we were first making his acquaintance:we have learned to love the old rasca1, though we still recognize the fact that he is an old rasca1.

  This humour of character, reaching its greatest height in such figures as Falstaff, is itself the richest and wisest kind of humour,

sweetening and mellowing Iife for us. In England it ripens like the

apple.(p.18, ll.2−12)

『ヘンリィ四世』の第一部と第二部を知ったいま,フォールスタッフにた いする我々の気持は,当初のものとはまったくちがってきているのに気づ く。すなわち,この男は年を経たごろつきだとは充分に承知しておりなが らも,好もしく思うようになってきているのである。

 この性格のユーモアはフォールスタッフという人物のなかで巧みに発揮 されていて,それ自体が豊かで鋭いユーモアになっていて,我々のために 人生を楽しく豊潤なものにしてくれている。英国ではそれがまるで林檎の

ように実っているのである。

早稲田人文自然科学研究 第52号  97(H.9).10 1

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 このフォールスタッフのユーモアのある数ある所作のなかで,ほんの 二箇所だけを覗いてみる。はじめは『ヘンリィ二世』第一部の第二幕第 四場で,彼が王(ヘンリィ四三)の真似をし王子(後のヘンリィ五二)

がフォールスタッフになって問答をする。余人ならばいざ知らず,無頼 漢でごろつき,飲んだくれの大食漢,厚顔無恥の大法螺吹き,臆病のく せに平気で強盗を働き,やくざの老親分で好色漢,それに老いぼれ道化 で見栄坊といわれている男が王に成り済ますのだから,並大抵のことで はないと思われるのに,それを立派にやってのけている。もう一箇所は

『ウィンザーの陽気な女房たち』のなか。もちろん此処でも彼は度し難 い好き者で強欲で,弱者を狙っては懐を肥やそうとしている。そのため に三度も罠にかかり一初回の逢引のときは洗濯物を入れる籠にかくれ て難を回れたのはよかったが,中身もろともテムズ河に回りこまれ,二 度目は老婆に変装して逃げようとしたために亭主にさんざん棍棒で叩か れ,三度目は採られたりローソクの火で焼かれたあげくに正体がばれる 一ながら,そしてそのたびに精神的にも肉体的にも痛い目に会いなが

らも,最後にページ夫人が「……(夫に〉あなた,さ,みんなで宅へ帰 って,田舎家の燈側で今夜のをかしさを笑い話にしませう。ジョンさま も,どなたも。」(坪内誼口訳)と言って誘ったときに,これを拒否しない どころか,誘われて皆と一緒に退場していく。

 もちろんここで「幕」だから後の場面はないが,暖炉を囲んで,それ ぞれの失敗を肴にビールを飲みながら談笑したはずである。おそらくこ の芝居を観た者は等しくこの場面を想像するし,それ.が観客(または読 者)の権利である。ところで我が国では昔から「仏の顔も三度」といわ れてきて,如何に温和で慈悲ぶかい人でも,たびたび無法を加えられる

と終には怒る意味に使われている。もちろんフォールスタッフは温和で もなく慈悲ぶかくもなく,それとは正反対の人間でありながら三度も笑  2

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       サイラスという男αX)

い物になり一これは身から出た錆一ながらも,腹をたてるどころか 皆で己の失敗を笑おうとする。両場面で見られる行為は,フォールスタ

ッフにユーモアのセンスがあるからだと考えてはいけないだろうか。彼 に先導の役をつとめてもらって,サイラスの,主として行為に現われた ユーモアのセンスを読んでみたい。

 なお,読む作品はM}7回忌〕LE訂し4S(1953, Jonathan Cape)か ら AHappy Man を, S㏄且1〜FOR 71HE HORSE(1957, Michael Joseph)から Queenie White を7EE躍EDD㎜1み11〜Ty (1965,

Michael Joseph)から Shandy Lirを選んだ。

AHAPPY MAN

 この短篇はすでに「III.サイラスの男たち」(早稲田人文自然科学研究 第42号)でとりあげ,そこではもっぱらサイラスのウォルタ・ホーソー

ンにたいする男の友情にテーマを絞って読んだ。今回は,その友情にユ ーモアが加わるとどうなるか,それに重点をおいて読んでみたい。つぎ の文で物語は始まる。

 わがサイラスおじの性格には素直に受けとれないところが多かったが,

ことウォルタ・ホーソーンにたいする友情については,何ら疑う余地はな

かった。(p,122,11.1−3)

 このウォルタ・ホーソーンなる人物は大柄で両肩が張り,大きな手は 黒く日に焼けていて頑健そのものといった様子。それもそのはず長年に わたって軍務に服し,それもパキスタン,スーダン,シンガポールやア フガニスタンといった外地勤務が主であった。それだけではない。スー ダンでは一度、パキスタンでは二度も負傷し,アフガニスタンでは部隊 が土民軍の待伏せに遭ったときに,目覚しい働きをして味方を窮地から

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救っている。これらの手柄や勤務ぶりが抜群であるということで,数々 の勲章や綬を与えられている。

 ところが彼はこれらの勲章や綬を身につけて人に見せびらかすことを けっしてしないばかりか,軍隊時代の話,とくに自分の手柄が絡んだ話 などは自分から進んでしたことは一度もない。傍の者が誘いをかけても,

「そう,あれは79年だった。だめだった」とか「そう,あれは84年のこ とだった。勝ちだった」というように,まことに素っ気無い返事をする だけで,それ以上は何も語ろうとはしない。無口であって性格が温和,

しかも内に剛を秘めていて,いかにも武人らしい男,兵士の鑑といって もよい人物がウォルタ・ホーソーンであった。この人物とサイラスとは 60年,いや70年ものあいだ友人の間柄であった。しかし,この長い歳月 の半分以上は互に会っていないという。(ちなみにサイラスは1840年代 のごく初めの生まれで,95歳で世を去っている。)

 ウォルタは40年以上にわたる軍役を去って,いまは引退した身。民間 人となってからの日々は,サイラスと対比させて次のようなものである。

彼〔ウォルタ〕は……腰を落着けて草花を育てた。

 彼が草花を育てたといっても,べつに驚くことではない。どんな花を育 てたかが問題なのだ。わがサイラスおじだって花を育てた。おじは不恰好 な小男であった。そして綾小であり不細工であるがために,ことさらに巨 きなもの素晴しいものを作りだしたがっているようであった。(p.24,IL2−

9︶

ということで,彼が庭で好んで育てた花というのは勿忘草,董,水仙,

雛菊の類,夏になるとヒメアラセイトウ,キンギョソウ,ナデシコ,シ ナギクの類といった,小型のものばかりであった。これにたいしてサイ ラスの家の庭には,大きなヴェルヴェットのクッションのようなダリア が黄色がかった桃色や深紅色に咲き乱れ,ダチョウの羽毛のようなシナ  4

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      サイラスという男(IX)

ギクは桃色や藤色に咲きほこり,茎の項に咲くバカデカイ百合の花は交 響楽団のなかの金管楽器のように輝やいていて,薔薇はといえば人の顔 がすっぽり埋ってしまうくらいであった。

 この二つの庭は隣り合ってあり,物事の正と負,陰と陽であって,反 発しあうところはまったくなかった。二人の性格はこの庭の花々にも現 われていて,70年にもわたって真の友情が続いてきた理由がよく理解で きる。こればかりではない。彼らの友情が平衡を保っていたのは,次の 理由にもよる。二人は性格的に正反対であったために,物の感じ方や意 見などで衝突することなどはなく,まして角突き合わせることなどなか ったばかりではなくて,二人がまったく平等の立場で互を受け入れてい たのではなくて,何事につけても控え目で大らかな性格のウォルタが,

正反対の性格のサイラスを包みこんでいたからかもしれない。

 すなわち,ウォルタは兵役に服していたころ海外勤務が長かった,だ からサイラスに較べると,はるかに多く外の世界を見てきたし,また多 くの事を経験してきている。それなのに彼はそれらを曖にも出さなかっ た。ところが AFunny Thing (すでに「サイラスという男(II)」早 稲田人文自然科学研究,第39号で読んだ)という短篇のなかでは,サイ ラスの縁者のコズモという男が見もしないこと為もしないことを,さも 見たように為たように嘘八百を並べたてるものだから,サイラスは彼一 流の手段を使ってコズモの嘘を見抜いて高慢の鼻を圧し折る。

 また The Race (これも前の作品と同じ時に読んだ)という短篇が あり,このなかではゴフィという男が足の速いのを鼻にかけるので,小 男で短足のサイラスが挑戦する。ここでも彼一流の策略を用いて試合に 勝つ。この場合もゴフィがサイラスの神経を逆撫でするようなことをし なければ,面目を失わなくてすんだのである。ゴフィにしても度の過ぎ た自慢話(あるいはその性格)のために,サイラスの怒りを買った。

      5

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 本題に戻ると,ウォルタの性格はコズモやゴフィの性格とは正反対の ものなので,サイラスも彼にたいしては純粋な心で接していた。他の者 には花を自慢したり,異性との交際範囲が広いことを吹聴することがし ばしばあったが,ウォルタにだけは嘘いつわりを言わず,大袈裟に物を 言うこともなく,正直な心で交際を続けていた。さすがのサイラスもウ

ォルタの前でだけは汚れのない性格の面だけを見せていたのである。

With other men my Uncle Silas boasted of his flowers as of his women,

or he lied of one as easily as he lied of the other. But he never boasted to Walt Hawthorn, and, except for o瑠∫珈卿06α器ガ。π, he never lied.

(p.125,11.1−5.斜字体筆者)

ほかの内達には異性との付き合いを吹聴したり花を自慢したり,あるいは あれやこれや平気で嘘をついたりした。だけどウォルタ・ホーソーンにだ けは自慢話をしたこともなげれば,ただの一度を除いては,嘘をついたこ ともなかった。

 サイラスの性格は短篇集躍yθNCZE SZL、4Sの序文に…  my

Uncle Silas… told lies…  とあることからも解るように,嘘はつ き放題,自慢の仕放題であり,それでいながら他人が大法螺を吹いたり 鼻を高くしたりすると,黙って見過ごせないという,まことに厄介なも の。しかしウォルタには正反対の面だけがでていたのであるが,ただ一 度の場合(one simple occasion)にだけは,なんとしても嘘をつかざ

るを得なかった。これが如何なるときであったか,その「場合」(場面 といってもよい)に立ち会うのが小論の目的である。

 これまで指摘してきたように,サイラスとウォルタとでは何もかもが 異なっていたが,ただ一つだけ共通していたことがあった。それはパブ で飲むこと。毎日12回すこし前になると,きっと二人は  The Swan with Two Nicks まで歩いていって,ビールを1パイントつつ飲むの である。二人が別々にパブに姿を見せることはなく,誘い合って二人で  6

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パブまで必らず歩いて行くのである。その日は,垣根越しにサイラスが 声を掛けた。二,三分たってウォルタが現われた。7月の,目も眩むよ

うな陽の光が降りそそぐ日であった。』 アれまでとはかラリとちがう異様 なウォルタの姿を見て,サイラスは話しく思った。上衣のボタン孔には 花を数本束ねて挿してある。ふだんはサイラスと並ぶと大柄なウォルタ は竹馬に乗っているように見える。それなのに今日は,並んで歩いてい るサイラスにはウォルタが少し丈が縮んだように思えた。それに両足を 少し引き摺って歩いている。これらのことはどれひとつとってみても,

かってなかったことである。

  My Uncle Silas looked at the flowers in his buttonhole. Toffed up abit? he said.

   Ah, Walter said. His eyes were fixed on the distance−Got me medals on、 (p,125, ll.25−28)

       めか

 サイラスおじはボタン孔に挿した花を見た。「ちょっと粧しこんだね」

と言った。

 「あ・,」とウォルタが答えた。その両目はずっと遠くにいったままで あった。「勲章をつけたんだよ」

 このサイラスの言葉「ちょっと粧しこんだね」は,もちろん仲の良い 友にたいする好意的な冷かしであった。かつて勲章など一度として身に つけたことのないウォルタ,それなのに「勲章をつけた」と言う。しか もそれは正真正銘の勲章などではなくて,ただの草花である。サイラス ならばいざ知らず,ウォルタはこのような戯れのできる男ではないし,

またとっさにこのような冗談が言える性格でもない。しかし戯れにして は面白いし,よくできている。それでサイラスはとくに気にも留めず,

その時はその言葉を冗談と受け取っていた。そしてさらに「閣下,もう 少しゆっくり歩いてください」と彼が言ったときにも,今までにも幾度 かサイラスのことを「閣下」と呼んでいるので,大男の「もっとゆつく

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り歩け」という要求も,さして気にもかけないで歩調をゆるめていた。

 このウォルタの変調を,サイラスは大して気にも留めなかったが,ま ったく気にしていなかったわけではない。翌日はさらに酷い暑さであっ た。彼がボタン孔に挿した花の束は,昨日のものより大きくなっていた。

それでサイラスが「また勲章をつけたね」と言ったのにたいして,ウォ ルタは「そうだよ」と言いながら,花束のなかからパンジィーを一本抜

きとって,サイラスのボタン孔に挿しかえたものである。二人の間では この花は昨日から勲章ということになっている。それを己の身につけて いるだけならば戯れといってもよいし冗談にしてもよいのだが,その一 本を取って友の身に飾るとなると,この行為は子供同士ならば普通にあ り得るものとみられても,大人同士の場合には,神経が正常であるなら ば,かなり度が過ぎた行為ではないだろうか。だから,サイラスは何も 言わずに花を挿してもらった。ウォルタの異常な行動はパブでも続く。

  Walter began to take all the flowers out of his own coat and put them into Silas s buttonhole臣not only the buttonholes of his coat but the buttonholes of his waistcoat and then the buttonholes of his trousers. The large sun−browned hands moved very gently. They handled the little virginia stocks and pansies and pinks, limp now from sun, with crazy affection. My Uncle Silas did not say anything, but as he sat there,1etting the flowers be threaded foolishiy and lovingly into.

his garments, he felt that he saw a big man growing Iittle before his eyes.(p.126, IL19−28)

 ウォルタは自分の上衣から花をすべて抜き取ってサイラスのボタン孔に,

それも上衣のだけではなくて,チョッキのボタン孔といわずズボンのボタ ン孔にまで,それらを挿し始めたのである。陽に焼けた大きな手がきわめ.

て尊翰に動いた。可愛らしいヒメアラセイトウを,パンジィーを,そして セキチクの花を,すでに萎れかけているのに,愛おしそうに扱った。サイ ラスおじは一言もいわなかった。が,じっと坐って,愚かしくも愛おしげ に花々が自分の衣服に挿されるま・になっているときに,大柄な男が目の 前で小さく小さく縮んでいくような気がしていた。

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 この場面を芝居に喩えたら,このようになるだろうか一舞台はパ ブの内部。サイラスもウォルタも買ったビールも飲まないで,作業に余 念がない。ウォルタは骨張った大きな両手でぎごちなく,しかし物静か に自分の服を飾っている草花を一本抜き取ると,それをサイラスの服の ボタン孔に挿す。また一本抜き取ってサイラスの服を飾る……この動作 がいつ果てるともなく続く。そのあいだサイラスは黙って坐っていて,

ウォルタの動作を見守っている。もちろん店内にはバーマンもいるだろ うし客も何人かいて,ある者は驚きのあまり彼の動作を凝視しており,

またある者は忍び笑いをしている。しかしサイラスだけはその異常な行 動を止めようとはせずに,為すがままになっていた。

 この辺りからサイラスの心の中では友情以上のものが働いていたとみ ることができる。単に友情だけからの反応とすれば,黙って坐ったま・

で友の異常な行動を受け入れることはないはずである。正常な神経で判 断して友らしからぬ行動を,かつては幾度となく敵と戦い,沈着冷静し かも剛胆にして武勲に輝く勇士のすることとは思えない行動を注意する か,さらに進んで,直ちにその行為を止めさせて家に連れて帰り,しか

るべき所に知らせるといった措置を講じたはずである。いずれにしても,

ウォルタの為すがままになってはいなかったはずである。そうではなく て,この時のサイラスは自ら進んで(もちろん此処では気持のうえで)

友の行為に参加していたと読むのがよいのではなかろうか。草花を一 本々々いとおしむように,自分の服からサイラスの服へ挿しかえる,こ の幼子の仕草にも似た友の穏やかな動作を,サイラスは肯定する目差し で見守っていたのではなかろうか。とするとこの時の,消極的にではあ るが友の異常な行為に参加するサイラスの態度は,友情とユーモアが混 り合ったものといえる。

 ウォルタの奇怪な行動はなおも続く。サイラスが家に連れて帰る途中

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で,

Suddenly Walter leapt into the air and slid down into the ditch by the roadside, pulling Silas with him, and began to fire at rebel tribesmen on the North−West Frontier.

  It was then that lny Uncle Silas began to tell lies to Walter Hawthorn. He told him lies about everything;the dead, the living, the way the fight was going.(pユ27, ll.6−12)

とつぜんウォルタは跳び上ったかとおもうと,サイラスを引張って道端の 溝に滑りこんだ。そしてパキスタン西北部国境の土民の叛乱軍に向って射 撃をはじめたのである。

 その時である,サイラスがウォルタ・ホーソーンに嘘をつきはじめたの は。彼はあらゆることで嘘をついた,戦死者の数,生存者の数,戦闘の状 況などについて。

 ウォルタは完全に精神錯乱の状態であった。かつて駐屯したパキスタ ンの西北国境地区にいるものと思いこんでいる。そして敵の姿を発見し たと思いこんでいる。それだから隣りにいる戦友を助けるために,彼の 頭のなかでは畑田(あるいは窪地)へ引張りこんで……ということにな

ったのである。それはそれでよい。ウォルタの精神は正常ではなくなっ ていたのだから,何を妄想してもおかしくはない。しかし,路傍の溝に 引きこまれたサイラスの精神は正常なはずである。それであるのに,ウ ォルタの行動を阻止した形跡はない。そのような描写はされていないか らである。ということは友と一緒に「錘壕」か「窪地」の溝のなかに身 を入れたということである。すなわちここでは,サイラスは自らの意志 で精神が錯乱した友の異常な行動に参加しているのである。

 この参加はなおも続く。戦闘であるからにはとうぜん戦死者はでる,

そして生き残る者もあり,戦況の進展ということもあろう。それらをサ イラスは友に告げていた。もちろんこれらは出鱈目な数であってすべて が嘘である。(この時が6頁の引用文にあるone simple occasionにあ  10

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たる。)ウォルタが草花をサイラスのボタン孔に挿しかえたときと,路 傍の溝にサイラスを引きずりこんだときは,とくに逆らいはせずにウォ ルタの為すがままを受け入れていた。しかしこの嘘をついたことは,自 分の意志でしかも積極的にウォルタの行動に加わったのである。

 物語では,この叛乱軍との小競合の後でサイラスは友を家に連れて帰 り,ソファに寝かせてから我が家へ帰った。もちろんウォルタの異常な 行動はこの後にもあって,草花があらかた引き抜かれて、家のなかとい わず外といわず,到る所に散乱しているのだが,それはサイラスとは特 に関係はない。しかしこれらの描写はウォルタが完全に狂気になってし まったことを証すものであって,その日の夕方おそくに車が来て彼を病 院へ連れて行くことになる。サイラスは友に手を貸して車に乗せてやっ た。友の大きな武骨な手には草花が握られていた。このとき,

   Well, general, he said to Silas, where are we bound for this timeP IndiaP

   India it is/Silas said.(p.128, ll.11−13)

 「で,閣下」とサイラスに言った,「つぎはどの方面へ向うのですか,イ ンドですか」

 「そうだ,インドだ」サイラスが答えた。

 このサイラスの答えが,ウォルタの狂気の世界へ彼が積極的に参加し た最後である。この日,ウォルタが自分の服に飾ってあった草花を取っ てサイラスの服に飾る行為を黙認したことから始って,この最後の,完 全に狂気になってしまった友にたいする答えに至る一連の行為は,けっ して友情だけから出たものではない。これは前述したことではあるが,

友情だけからでた行為であるならば,正常な精神から出た正常な行為に なるはずである。しかし彼の行為はそうではなかった。正常な精神の持 主の目には,彼の行為も(ウォルタの行為と同じように)異常に映った

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にちがいない。しかし彼の場合には,友と同じ行動をとる以外に方法は なかった。無二の友が精神錯乱状態になっているのだから,言葉をかえ れば無二の友が笑い物になっているのだから,自分も共に笑い物になっ てやる,精神錯乱状態を演じてやる,というのがサイラスのじ根であっ た。そして余人が啖うならば喘え,友と共々喧われてやる,そしてその 時には俺も一緒になって己を笑うそ,というのがサイラスの本心であっ た。そして彼にこのような行動をとらせたものは,「眠を決して」など という堅苦しい意気込みではなくて,ほかならぬ彼のユーモアのセンス であった。あえて蛇足をつけ加えると,もし友情だけからでた行為であ

るならば,あるいは見る者を感動させはするだろうが,真っ正直な処置 にしかならなかったであろう。ユーモアのセンスからでた行為であるか らこそ,涙を伴った笑いを誘うのだと思う。

QUEENIE WHITE

 物語は次の文で始まる。

 クウィーニィ・ホワイト(Queenie White)という名は我が家族のあい だでは絶対に口にださないが,ただひとりわがサイラスおじだけは別で,

よく口にだしたがつた。

 「あの年はわしとクウィーニィが・・・…@」 (p.24,Il.1−4)

と言いだそうものなら大変なことになり,「それは聞きたくない,たく さんだ。やめてくれ,聞きたくないったらッ」と総すかんを食うことは 必定であった。何故にわが家族の者がすべてこの女の名を話題にするこ とを避けるのか,とくに女達がこの名を蜥蜴のように嫌っているのか,

長いあいだ「私」には理解ができなかった。これほどまでに嫌われると は,この女はどういう人物で何をしたのか,それを「私」は知りたかっ  12

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た。

 ところが或る日の午後,偶然にも赤スグリ酒を一壕もっておじを訪ね たことで,この謎が解けることになった。おじと「私」はプレニム林檎 の木陰にテイブルを移して飲みはじめた。一口飲むとすぐに,おじには それと分かり,これは赤スグリ酒じゃないかと言いながちまた一口含ん で,舌の上でゆっくり転がしてから,ニワトコ酒より少しばかり辛口で カウスリップ酒みたいに花の薫が強くない,と誰にともなく咳いていた。

久しぶりに赤スグリ酒を味わって,その味を充分に楽しんでいる顔付で

あった。

  Amoment later he started to look very dreamy, as he always did in the act of recollecting something far away, and said;

   You know the last tilne I tasted red−currant? It s bin about forty years agoo−over at 7椀θCα α雇Cκsホαz4動ちat Swineshead.

He gave one of those ripe, solemn pauses of his. Wi Queenie White.

(p.25,1L16−22)

 しばらく間をおいてから,いつもの,遙か昔のことを思い出すときにす る,夢見るような表情をみせて言った。

 「わしが最後にこれを飲んだのはな,もう40年ほども昔のことだ……,

『猫とカスタードポット』でだ,スワインズヘッドにある。」ここでおじが       ためらいよくみせる,老狛な勿体ぶった躊躇をみせて「クウィーニィ・ホワイトと 一緒にな。」

口に出したくてたまらない女の名,言おうとするたびに傍の者から制止 されて,心のなかで熟しきっている思い出の中心にある女の名,それを やっと誰に悼ることもなく言いだせる一この気持が,年は取っても茶

目ッ気たっぷりな「老狛な勿体ぶった躊躇」に現われてはいないだろう か。これまでサイラスは許多の女性と交渉をもった。今でもその一 人々々を心のなかで大切にしている.この女もその一人であって,今で は思い出のなかにだけいる女を愛おしむ気持が,引用文に続く彼の仕草

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になって現われている。すなわち「すると,しばらくしてから彼はグラ スを取りあげて,きれいに澄んだ酒を透して見つめていた。半透明で艶 のあるカラントの実そのものよりも,純粋でまじりけのない鮮明な深紅 色であった……。」(p.25,IL26−29)

 この,思い入れよろしく往時を懐かしみながら赤スグリ酒を見詰めて        し おいる老人サイラスの姿からは,これを機会にクウィーニィ・ホワイトの

ことを存分に語れるぞという嬉しさも感じられて,頬笑ましい。もちろ ん彼は語り始めた。それによると,この女は大柄で,腰回りは大きな小 麦の束のようだという。腕や脚は雌馬のように太くてガッシりしている,

それでいて美しい。サイラスの基準だと,女を形容して大柄でガッシり しているというのは醜女と相場がきまっているが,彼女に限ってはそれ は当て嵌まらない。そして彼女の容姿の描写を上へ移していき(ここで サイラスは顔をあげて,視線を二階の窓へ移した,「私」も二階を見た,

そこに誰かがいて二人の話を聞いていはしないかと思ったからである,

しかしそうではなかった),

   Beautiful bosom, he said. Like a winder ledge, You could a laid a bunch o flowers on it easy as pie.

  This charming picture of the upper parts of Queenie White s figure brought her fully to my mind s eye at last, except for one thing.(p.28,

1L6−10)

 「りっぱなバストだよ」と彼が言った。「まるで窓の下田みたいだった。

花束をちゃんと置けるんだ」

 クウィーニィ・ホワイトの上半身をこれほどチャーミングに描写してく れたので,一つのこと以外は,私の心眼には彼女の容姿がしっかりと焼き ついた。

ここでもそうだが,目についたものや聞いたもの,あるいは心に浮んだ ものに喩えて対象を描写するのがサイラスの特技である。引用文の訳で  14

(15)

      サイラスという男(IX)

は「りっぱな……」とだけにしておいたが,これだけでは不充分である。

そのbosomは形が美しくて堂々としたものであったろう。ちなみに,

作者H.E.ベイツは自伝のなかで,ルノワールが画く女性にひかれると いう意味のことを書いている。サイラスが口で描写したクウィーニィは ルノワールが画く裸婦に衣服を着せたと考えればよいであろう。

 本論へもどると,彼女の容姿のうちで引用文の最後にあるone thing については言及されないま・である。「私」としてはどうしてもそれが 知りたくて「髪の毛はどんな色でしたP」と質問した。もちろんこの問 いは誘いであって,それに乗ってこないサイラスではない。

…  and he paused for several moments longer, pondering on it.

   lf I wur to tell you it wur lust about the colour of the sand that day we nipped off to the sea, he said at last, that d be about as near as I could git to itノ(P.28,11.13−17)

……サして彼はそのことを考えて,もうしばらく黙っていた。

 やっと口をひらいて「言うなれば髪の色はな,わしらが海へとんづらし た日の,ちょうど砂の色っていうところかな」と言った。「それがいちば ん近い色ってとこだ」

サイラスは珍らしくこの言葉を発する前に「……を考えて,もうしばら く黙って」いるのだが,ここが如何にも彼らしいところである。女の名 が出れば,そのあとはどうしても二人が手を携えて海岸へ行ったことを 明らかにすることになる。この出来事も彼が話したくてならないのであ り,このことがあるからこそ彼女の名が家族の者に嫌われているのであ った。ところが彼にとっては髪の色を問われたのを幸いに,海岸の砂の 色を喩えにして,それを切掛けにして本筋一二人の海岸への逃避行 一へと話を進めていく。しかしそこでまた中断し,何を思っているの か両目を閉じて考えこんでいる。そして目を開けると足許にころがって いる林檎を拾いあげて,

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After he had polished this apple on his corduroy trousers he held it up to me, clenching it hard in his hands.

   She wur as firm as that there apple, he said. Beautiful an firm.

No:she wadn t one o them skinny Lizzies, Queenie, all gristle and bone and suet.. . . (p,28,11.22−27)

その林檎をズボンでていねいにこすってから,両手でしっかと握りしめて 私に見せた。

 「彼女はこんなふうに引き締ってたんだ」と言った。「美しくって堅いん だ。そうなんだ,クウィーニィって女はガリガリのレズなんかじゃない,

骨皮筋子じゃないんだ。……」

これが最後であって,クウィーニィ・ホワイトという女の頭から足まで,

それも目に見えるところだけではなくて,もう少し深入りしたところま でが喩えによって描かれた。臨機応変というか当意即妙というか,この あたりは彼の機転と同時にユーモアのセンスを感じさせるところである。

 では,なぜ彼がこの女と海へ「ずらかる」ような,無鉄砲とも思える 行動をとったのか。サイラスに言わせると彼女の夫チャーリィ(Char−

ley)に全ての責任があるという。それでは夫ある身の女と,無鉄砲だ けではすまず,とうぜん道徳的にも世間の指弾を受けるような不名誉な 事を実行したのは何故か。

 この夫婦はパブを営んでいるのだが,夫のチャーリィとは豆つる支柱 に茄玉子を突き刺したような恰好(というから,痩せて背の高い身体に 青白い顔の頭部が乗っているのだろうか)で,性格はなんとも賎しくて 嫉妬深い。それに二人の年齢の差が大きいものだから若い妻の所行が心 配で,四六時中家に閉じこめて働かせていて,一日として外出させるこ

とがない。というわけで,亭主のために毎日店で客を相手に酒を売って いるのだが,彼女がいなければ自家製のビールは半パイントも売れるこ とはない(とサイラスは確信している)。それに,さもしくって陰気く さく,卑劣でけちんぼときている。ビールを注ぐときには強欲な売り方  16

(17)

      サイラスという男(IX》

をするし,半ペニィ銅貨もしっかりと数え,4分の1ペニィ銅貨も南京 錠の掛かる金庫にしまいこんでおく。けちが嵩じて頻繁に呼吸をするの さえもったいないという。また妻が馬鈴薯の皮を厚く剥きすぎると文句 を言い,どうせ豚に食わせるのだからできる限り薄く剥けと叱る。

 このように,籠の鳥のように家に閉じこめられて,来る日も来る日も 酷使されているクウィーニィを見て,サイラスはチャーリィに憤りをお ぼえ,同時に彼女が可哀想になった。広い所へ連れて行ってやりたい,

広々とした海を見せてやりたい,そして生涯忘れることのできない思い 出をもたせてやりたいとおもった。しかし結婚している女を夫に無断で 連れだすことは,たとえ夫が如何に非難されるべき男であり,そのため に女を憐れに思う止むに止まれぬ気持かちでた行為であっても,道徳上 は赦されるべきことではない。しかしサイラスは道徳に縛られて行動す るような男ではなかった。それ以上のことを心に秘めていたのである。

 むかしからPity is akin to love.(憐れみは恋に通ずる)とかPity and love are closely akin.といわれてきているので,サイラスは世間が

どのような色眼鏡を掛けて二人の行動を見るか充分に承知していた。あ れこれと尾鰭をつけたり,いろいろと色彩をほどこして二人の行動を話 題にするであろうことも承知していた。それだからこそ,彼女が生涯忘 れられない最高の日が持てるのならば,世間の思惑の通りになってやろ う,そのために彼女が後指を指されるのなら,己も指されてやろう,彼 女が世間の笑い物になるのなら,己もいっしょに笑い物になってやろう ではないか,というのが彼の心の内であった。そして40年を経た今でも

「彼女に一生忘れられない思い出をもってもらいたいだけだった」と言 えるのだから,その心には世間が考えているような濁りはなかったはず である。だからこそ,夫のチャーリィが何だ,世間の陰口が何だ,彼女 が結婚していることが何だ,結果が何だ,そんなものは糞を食えだと思

(18)

っていた。そして夫というのが嫉妬深くて量見の狭い男であるだけに,

それを計画するにあたっては慎重を要し,女には一日だけと言い含めて

おいた。

 二人は計画を実行に移した。ある水曜日に,夫が市場へ出掛けた隙を みて家を出た。海岸へ来て,終日,砂丘に横になって広々とした海を眺 めていた。海は美しかった。美しい青,美しい砂,女は初めて見る海を 飽かず眺めていた。が,やがて帰る頃になって,帰りたくないと言いだ

した。もちろんサイラスは翻意させようとしたが,不可能であった。当 初は彼女の気持ちは落ちこんでいた。気持ちが落ちこんでいる女を説得     たやす

するのは容易い。しかし丸一日たっぷりと海を眺め暮らして,女は変っ ていた。気分は昂揚していた。このような女を説得するのは容易ではな い。サイラスの言葉を借りると「いったん旨い草がふんだんにある放牧 地へ小馬をだしたらさいご,牧舎へ帰って切藁なんかを食おうとするも んか」ということで,泊ることになった。そしてこの滞在は一泊や二泊 ではなくて,丸々二週間になってしまった。サイラスは日帰りのつもり だったから所持金に余裕があるわけではなく,結局は彼女の金,つまり

は強欲なチャーリィの金で泊まり続けたということになった。

 事態がこのようになっても,彼は慌てはしなかった。事態が変化する とは予想もしていなかった。だからといって意外な事態の変化に遭って 度を失うような男ではなくて,冷静にそれに対応できるだけの心に余裕

はあった。それが次の言葉に現われている。

   lt wur oncommon awk ard, my Uncle Silas said. But arter a few days I started to git used to it. (P.32, ll.16−17)

 「まつこと,やっけえなことになったもんよ」とわがサイラスおじは言 った。「だけど二,三日もすんと,それが慣れっこになってたな」

18

(19)

 「憐れみは恋に通じ」るし,小麦の束をおもわせるウェストと,成熟 した雌馬をおもわせる四肢,らくに花束が置けるほどのバスト,それに 引き締った林檎をおもわせる肢体の女と二人きりでいるのだから,すぐ にもその事態に順応しないほうがおかしいと「私」も思った。いま話を きいて「私」もそう思うのだから,40年前の駈落事件がおきた当時は,

当事者の二人は事態の最終段階まで順応したにちがいないと,世間の誰 もが考えた。

 物語では,持ち金が底をつくという事態になった。それに続いて夫の チャーリィがやって来て大変な事態となった。とうぜん二人の男の間で は,動物の世界と同じく肉体による闘争が始まった。ところがサイラス は小兵ときている。二,三度くらいは負けずに殴り返しても,いつまで

も続くわけはなく,殴り倒されて気を失った。ところが気が付いてみる と,奇妙なことが進行中であった。クウィーニィが夫を殴りつけている のだ。こちらも勝負は明白で,やがて妻が夫を徹底的に罰しおわると,

倒れている夫を引きずって連れて帰った。これで二人の駈落劇には幕が 下りたことになる。

 しかしこれで万事が終ったわけではない。もちろんスキャンダルであ る。年寄りは寄るとさわると噂話に花をさかせ,何年も何年もそれは止 むことがなかった。このような村人のなかにいてもサイラスは,

   Oh!yes, I used to see her, he said. Used to see her quite

often.. . . (P,34, ll.8−9)

 「あ・,そうだよ,彼女には会ってたな」と言った。「しょっちゅう会っ てたもんだ。」

   Iused to take her a bunch o flowers sometimes of a Sunday, he

said.(p.34, IL21−22)

 「日曜日にゃ,時たま花束を持って行ったもんよ」と彼は言った。

(20)

 この引用文の箇所を芝居に見立てると,パブの内部になる。カウンタ のなかにはクウィーニィがいる,夫のチャーリィもいるはずである。客 も何人か飲んでいる。そこヘサイラスが入って行く。昨日も来たのに今 日もまた一と考えてよいだろうquite oftenがあるから で,夫の表 情が変わるが何も言えない。二二はそれぞれの憶測を胸に秘めて探るよ うな目付で二人を見ている。当の二人はというと,言うこと為すことま ことに天真二二。夫も客達も二人の言動から「何か」を嗅ぎだそうとす るが,まったくの徒労である。それもそのはず、当時の世間そして今の

「私」の気に懸っていること一「お前が何を考えとるのか,わしには 判つとるぞ。わしとクウィーニィがどうだったかと思つとるんだろ

……vとサイラスの方から切りだした一にたいしては,ただの三語

well, we never…… (「そ})や,わしらはぜったいになかった……」)

で片付けた。傍の思惑を一笑に付してしまったわけである。

 「パブの場」はさらに続く。当時の世間は二人の駈落を情事と極め付 けていたから,どうにかして「何か」すなわち情事の匂いを嗅ぎとろう

としていた。ところが二人にとっては情事などではなかった。それだか ら今日も,日曜日にサイラスは臆する様子もなく花束を持ってクウィー ニィに会いに来た。仲の良い友から贈物をもらうように,女は花束を受 け取って頬ずりをしてから豊かな胸に抱き,あの海の美しさを語り会う。

       いわれ

この花束を贈る理由は当の彼女さえも知らなかったはずである。40年後 の今は「私」も「花束」から連想するものを有っているが,当時は花束 を持ってパブに入るたびに,彼は独り秘かな喜びを感じていたのではな かろうか。品のない噂話や好奇な目を充分に承知していて,それであり

    わだかま

ながら何の幡りもなく,己が好むように振舞う若き日のサイラスの姿に は頬笑みを禁じ得ない。

 物語では今は,すなわちサイラスが40年前を回想している今は,すで  20

(21)

       サイラスという男(DO にクウィーニィはこの世の人ではない。わしも死んだら彼女に会えるだ ろうかと,しおらしいことを言ってから,

  With that certain air of sadness that sometimes overlaid his devilry he once more contemplated the soft September distances, raised his glass and then blessed the name of the woman whose waist was like a sheaf of corn and on whose queenly bosom you could have laid a bunch of flowers.

   Mek the most on it while you can, boy, he said. Mek the most on it while you can. (p.35,11.11一ユ8)

 (サイラスには)人間離れした様子が影を潜め代って悲哀に満ちた様子 を見せるときがあるが,今がそれで,彼はやわらかな9月の遠景に目を遣 り,グラスを挙げて、その腰が小麦の束のように頑丈で,その豊かなバス トにはらくに花束が置ける女に幸いあれと祈った。

 「一日一日を無駄にすんな」と言った。「いいか,出来なくなつちゃおし めえだ,一日一日をけっして無駄にすんなよ」

 この最後の教訓めいた言葉は60くらい年下の「私」一 The Wed−

ding のなかで明らかである一にむけられたようであるが,じつはサ イラス自身のためであった。というよりも40年も昔の,まだ若かった頃 の行動,一見若さにまかせた無品とも思える行動に悔いはないという自 信のほどを示す言葉である。二人で過した海岸での二週間は倖せな日々 であった。そればかりではなく彼女にもよい結果をもたらした。(おじ の言葉によると,あの後では彼女はよく外出もした,好きなときに好き なことをした,自由な女になっていた,ボスになっていた。)ただサイ ラスの家では,物語の冒頭にあるように,40年を経た今でも女の名を忌 み嫌って口にしないのだが,そのようなことは彼にとっては問題ではな い。機会さえあれば,すなわち赤スグリ酒が飲めるときには,クウィー ニィ・ホワイトの名を口にし,二週間の海岸での生活を語ることになる のだろう。それこそユーモアのセンスから出た行為である。

(22)

SHANDY LIL

 この短篇はすでに「IV.サイラスの土(その二)」(早稲田人文自然科 学研究 第44号)で,サイラスと植物の関わりに重点をおいて読んだ。

ここではサイラスのユーモアのある行為について読んでみたい。

 「女の口説き方を知らん奴にゃ,遣って見せるより他ないやね」

...when a chap don t know how to do his courtin you best git on

and show im. というサイラスの言葉がこの作品の(したがって小論 の)鍵になるといってよい。物語は,例のごとく「私」がサイラスと二 人だけでいるところがら始まる。この日彼らはジャムを作る材料にとう ズベリィを摘んでいる。しかしどちらも摘んでは食べ摘んでは食べてい て,その合間にサイラスが切掛けを見つけて昔話を始めた。それがラズ ベリィで「こんなラズベリィを見ると,わしはパイキイ・ウィリズを思 い出しちまうんだ」 These ere raspberries remind me of Pikey Willis. という。

 パイキイ・ウィリズは筋骨たくましい赤毛の大男で,その毛深いこと といったら手の甲に大麦が生えているようで,顎髪は狐の尾がぶら下っ ているみたいダという。力の強さは150キロもある雌豚を片手で持ちあ げてしまう。ところがこの見掛けに似合わず内面はまことに性格が善良 で物静か,たいへんに内気で口数の少ない小心者。この大男の心臓はノ ミの心臓といってもよく,いつも恥かしげに顔を赤らめていて,まるで 乙女のようであった。このパイキイがラズベリィを育てているのだが,

その実は不思議なことに黄色で形がよくて甘く,しかも大きくて柔かい,

見事なものであった。

 気は優しくて力持ち,しかも立派なラズベリィを育てられる男が,じ つに可哀想な境遇にある。或る日サイラスが干し草畑を刈り終えて,パ  22

(23)

ブのThe Swan with Two Nicksへと向つた。その途中でパイキイと出 会った。出会ったといっても,彼は正常な様子ではなかった。紙袋を胸 に抱きかかえ,まるで野鳥の巣を見つけながらも物怖じして手を出せな いでいる少年のように,顔を赤らめて身を震わせているだけであった。

あまりにも哀れな姿に,見兼ねて訳を訊ねると一。

 彼はシャンディ・リル(Shandy Lil)という女に秘かに想いを寄せて いた。女の母親はネザー・ディーンの村でThe Blacksmith s Armsと いうパブを営んでおり,彼女も店を手伝っているものだから,毎晩店へ 行ってビールを飲むのだが,カウンタ越しに女を見詰めているだけで,

声も掛けられないでいる。今夜は意を決してプレゼントを持って行き,

それを機会に彼女と話をするつもりなのだ,贈物には自分が育てたラズ ベリィを摘んで紙袋に入れてきた,と言う。それを聞いてサイラスは驚 き呆れた。異性に関しては百戦錬磨の兵と自他共に許す彼のこと,その 贈物を一笑に付して,口説きのお膳立てとなるものを伝授した。それを 箇条書にすると次のようになる。

 1.女へのプレゼントは丁寧に,そして綺麗に包装しておかなくては   いけない。紙袋に入れたま・などというのはもってのほか。女とい   うのは,包みを開けるのが殊のほか好きなのだ。それが女にとって   はミステリィで,わくわくするのだ。

 2.パブへは馬車で乗りつけなくてはいけない,一廉の人物のように。

  だから馬車とそれを曳く威勢のよい雌馬を手に入れること。

 3.馬の尻尾と鞭にはリボンの飾りをつけておくこと。そして上衣の   ボタン孔には大きなアメリカナデシコの花を挿して行くこと。

 4.女と話をしている時は,ぜったいに手や膝を震わせてはいけない。

  女はそれが大嫌いなのだ。

と,この時はこれらをしっかりと言ってきかせた。他人の色恋沙汰であ

(24)

るのに,自分が女を口説きに行こうとしているような,熱の入れようで あった。それというのも,あまりにパイキイが哀れに見えたので,一肌 も二二も脱ぎたくなったのである。

 ところが当人は,そんなことはとても出来ないと後込みする。いや、

怯えている。無理からぬこと。二人の性格が正反対であるので,サイラ スが考え,そして喜々としてやってのけられることを、パイキイに出来 るわけがない。それで二日の後に,

...my Uncle Silas borrowed a trap and a little brown mare from a man named Joe Billington and tied a blue and yellow ribbon on the mare s tail and a crimson bow on the whip.

   Pikey picked a beautiful lot o raspberries and I laid em on a nice bed o 1eaves in a little bit of a flat basket. Then I covered em over with a bit o white muslin and tied it on with blue ribbon and then slipped a few cornflowers round the handle and tied them on too. Then Iput a big red rose in me buttonhole and a big pink and white Sweet William in Pikeゾs and we spanked off like a couple o dukes gooin to the races. (p.98,11.11−22)

……墲ェサイラスおじはジョウ・ビリングトンという男から馬車と黒鹿毛 の雌馬を借り,馬の尻尾には青と黄に染めわけたりボンを,鞭には深紅色 の蝶結びのリボンを取りつけた。

 「パイキイがラズベリィをたくさん摘んできた。それでわしは平らな可 愛い籠に木の葉を敷きつめて,その上に並べて置いたんだ。それからそれ を臼いモスリンで包んで青いリボンを掛け,ハンドルには矢車草をあしら って留めた。それからわしのボタン孔には大きなバラを,パイキイにはピ ンクと臼の大きなアメリカナデシコを挿して,競馬へ出掛ける二人の公爵 よろしく馬に鞭をあてたというわけだ。」

 引用文を読むと,パイキイの口説きのお膳立てはすべて,ラズベリィ を摘むことのほかは,サイラスが我が事のように甲斐々々しく整えたこ とがわかる。さらに彼は自分の身まで飾ってパブへ回った。この部分だ けだと,どちらが主役であるのか理解に苦しむのであるが,異性に関す  24

(25)

      サイラスという男(IX)

ることになると,無精者一 The Revelation では自分の身体を家政婦 に洗わせている一も一変する。この場面を芝居に見立てると,小柄で 不恰好な男が背を屈めてこまごました手作業をしている。その一心不乱 に手を動かしている姿を見て,観客の胸にはふと笑いがこみあげてこな いだろうか。さらに,満面に笑みを浮かべて手綱まで握っている姿を見 ると,他人の色恋沙汰にどこまで深入りするつもりなのかと,微苦笑を 禁じ得ない。

 やがてパブに着いた。そこでサイラスは「パイキイ,お前は馬車に乗 っていろ,おれが娘に話をつけてやる。彼女が出てきたら,二人で馬車 に乗って行け。必ず来た道を走れよ。生垣の端に綺麗にスイカズラが咲 いているのを見つけておいたから,それを摘んで娘にやれ。女の心を捉 えるにはスイカズラーこの花には『高潔で献身的な愛情』の意がある 一がいちばんだ」と言い残してパブへ入った。どれほど時が経ったか,

娘を連れて出てくると,馬車にパイキイの姿がない。籠だけが置いてあ る。主役が姿を消してしまったからには,介添人が主役をやらざるを得 ない。ヒロインが登場したのにヒーローがいなくては芝居は進まない。

すぐさまサイラスがその役を演じることになる。

 「いちばん美味い実は木のテッペンに成る」と人は言う。スイカズラ もそうだ。花もテッペンに綺麗に咲いている。しかし小男のサイラスの 手には届かない。芝居がここまできたら,残るところは男が女に花を捧 げる場面だけである。そのためには何としてでも花を手折らなければな

らない。まず娘の両脚を抱きかかえて持ちあげたが,娘は手を伸ばすど ころか笑いがとまらず,そのうちにサイラスが牧草地へ倒れこみ,その 上へ娘が転げ落ちて,失敗。つぎは腰を抱いて肩に乗せようとしたが,

これも失敗。娘が牧草地へ転げ落ち,その上ヘサイラスが倒れこんだ。

 この,スイカズラの花を手折る共同作業が成功したかどうかは,つい

(26)

に作品のなかでは言及がない。しかし本来ならば,これはパイキイとリ ルの共同作業のはずである。この代役が友情だけから出た行動であるな らば,パイキイの異常に内気な性格をる・説明して本人に代って詫び,

彼女の気持が許せば,次の機会を与えてやってくれるように懇願するく らいであろう。ところがあの日から幾十年が経っているのか,リルの孫 娘が同じパブで働いているいま,サイラスはラズベリィを食べながら当        し み

時を回顧して「綺麗な肌をしていた」……「どっこにも肝斑なんかなか った」(p.101,11,11−14)と言い,「本当にそうP」と「私」が追求する と「わしに見えた所はな」……「だけどだいぶ暗くなりかけてたんで な」(p.101,IL17−18)と矛先をかわしてはいたが,あの時は間髪を入れ ずに充分に代役を務めてヒロインを落胆させることはなかったはずであ

る。この変り身の早さもユーモアのセンスによる。

 さらにサイラスは「そんなわけで,黄色のラズベリィを見ると彼女を 想い出すんだよな  」 That s why them yeller raspberries allus remind me of her一 と言う。しかしこの物語は,黄色のラズベリィ

を見て,パイキイ・ウィリズを想い出して始まっている。それなのに,

同じものを見てシャンディ・リルを想い出して終っている。サイラスに すればこれは当然のことであって,正直な言葉である。この言葉を読ん        こうべ

で読者(あるいはこの言葉を聞いて観客)は頭を縦に振り一もちろん,

この所作は「さもありなん」と肯定する一ながら,思わず笑みをもら してしまうのである。この笑いには,友(?)の恋を横取りした不増な 男を非難する気持は微塵も含まれてはいない。作中でサイラスが見せた 一連の行動に好意的な喝采を送る気持の笑いであるはずだ。

         この項目のおわりに

前回(早稲田人文自然科学研究 第50号)の「はじめに」に登場を願っ 26

(27)

たP氏の言葉の通り,「サイラス物」を読む限りではH.E.ベイツはユ ーモア作家といってよい。作家はユーモアの塊とも思えるサイラスとい う人物を創造し,29の短篇(現在までに筆者が知り得た数)に主人公と して登場させているからである。であるから彼の言うこと為すことユー モラスでないものはない。もちろんこれは彼が有つユーモアのセンスの 然らしむるところ。

 ただ,この言うこと為すことは互に連動していて,分離させることが 難しい。それを無理に分けて,前回は主として言葉に現われているユー モアのセンスを読みとることに始まって,主として行為に現われている それを読むことで終っている。後者の続きとして今回も3篇を読んだ。

前回の4篇と合わせても7篇で,29篇からすると少々物足りない思いが するし,4分の1を読んだだけでサイラスのユーモアが解ったなどとは,

とても痴がましくて言えない。それであと幾篇か,両方の場面にそれぞ れ重点をおいて読んでみたい。

      (未完)

27

参照

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Keywords : the First Sino-Japanese War, Opposition Party (Hard-liners), Invasion of Korea, Japanese

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Iwata, “Index characteriza- tion of differential-algebraic equations in hybrid anal- ysis for circuit simulation,” International Journal of Circuit Theory and Applications, 38 ,

   He didn t, Isaid. He drank hilnself to death.

   What s that, y 01d tit P I ll fetch you something you won t forget in a month o Sundays. D