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中林瑞松

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Academic year: 2021

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(1)

サイラスという男(X)

H.E.ベイッのあるヒーロー一

中林瑞松

V.サイラスのユーモアのセンス(その三)

は じ め に

Humourを(λE. D.はつぎのように定義している。

  7.α.遊び心をそそる行為,言葉あるいは文章などの特質であって,

風変わり,おどけ,おどけた言行,滑稽さ,おかしさ,あるいは戯れ。

6.滑稽なものや人を笑わせるものを受け容れる才能,あるいはそれを言 葉,文字,または他の構成法で表現する才能であり,対象を面白く想像し たり扱ったりすること。

 知的なところがいくぶん少ないこと,しばしば情念と結びつき,や・情 緒的特質を有することで機知と区別される。

 このユーモアに関わる人がユーモリストであってLouis Cazamianは 7肋Dθ副。卿zθ班(ゾ翫g1納H襯oγのなかで「ユーモリストは,人生 とは楽しさを秘めたものであることを見抜く眼力を備えた人」といって いるが,これまでに読んできたサイラスはまさにこの言葉に当て嵌まる 人物であると思われる。前々回と前回につづいてあと数篇を,そのユー モアのセンスに的を絞って読んでみたい。まず前回に読み残した二つの 短篇で主として行為に現われたユーモアのセンスを,その後でサイラス と家政婦の二人だけの会話では,このセンスがどのように現われている

       早稲田人文自然科学研究 第54号  98(H.10).10  73

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かを読む。なおテキストにはThe Fire EatersをSσG/11〜FOR 7HE 日ORSE (Michael Joseph,1957)から,他の5篇を1V y『乙WiCLE 甜L、4S(Jonathan Cape,1967)から選んだ。

THE WEDDING

 サイラスが70歳に近いときに39歳になる、ひとり息子のエイベルが結婚 した。相手はジョジーナという19歳の女であった。彼が20年近くも庭師 として働いてきた貴族の邸に,女はその年の春に奥方の女中として働き はじめ,結婚は5月であった。それだから口の悪い「私」の祖母は「あ んな小娘と結婚するなんて,そりゃ苦労するよ」と陰口をたたいていた。

 男が20も年下の若い女と結婚する場合,およそ二通りが考えられるだ ろう。まず男に力があって選り好みが激しくてついつい結婚が遅れた場 合で,派手好きで人前に出たがるタイプ。多分に嫌味をもっているけれ

ども実力では人後におちず,人間社会では堂々と胸を張って生きていく だろう。これに対して第二のタイプはその正反対で,すべてに自信がな く,引込み思案で派手なことは大嫌い,人前に出るのが怖くて,保護者 がいれば何歳になってもその陰にかくれている。同性にも物怖じするく

らいだから,まして異性には恐怖心が先にたって,ろくに口も利けない。

エイベルがこれであった。それなのに会ってからやっと1か月の女と結 婚するというのを聞くと,男が言い寄ったなどとは誰も思わない。女の 方が積極的に出たのだと考える。

 結婚式は厳粛で形式を重んじるものだから祖父は黒い礼服,糊で固め たカラーと胸当て,それにネクタイという装い。祖母は灰色に紫色がま ざった絹のドレス。「私」も含めて両親も小母も,それなりの服装であ        ば ねる。皆は黒と黄に塗りわけた二輪の発条付き軽馬車に乗り,それを曳く のは精桿な白馬であった。

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 サイラスの家に着いた。家は葦で屋根を葺いたちっぽけな石造りであ るのに,パドックには不釣合なほどの大天幕(marquee)が張ってある。

それは教会の尖塔を押しつぶしたような巨大な天幕でフランス菊のように 臼く,その上では黄,緑,青,赤など色とりどりの小旗がはためいていた。

細長いトレッスルテーブルが天幕の中にも外の草原にも準備されていて,

すでに給仕が幾人も上衣を脱いで旧い布をテーブルに掛けたり花瓶を配置 したり,グラス,カップ,皿,食卓用ナイフ,フォーク,スプーン,それ に塩漬けのハム,牛の骨付き肉,蒸焼きにした鶏肉,パン,チーズ,ワイ ンの壕,ビールの箱,自家製の酒壷を荷馬車からおろしてはテントのなか へ運びこんでいた。その荷馬車を曳いてきた二頭の眞黒い馬は耳には絹の 可愛い網がかぶせてあり,尻尾の毛は編んで蝶結びにした臼と青のりボン で飾ってあった。(p.46)

 20年近くも貴族の家で働いていたとはいえ,庭師であるエイベルにこ れほど豪勢な結婚披露宴が開けるわけがない。財力などありはしない。

もちろんこれらの費用はすべて雇い主の貴族夫妻が賄ってくれたのであ るが,エイベルの性格には不似合いな舞台装置であった。しかしサイラ スにはピッタリであった。これを芝居に讐えると,主役は新郎と新婦で あってサイラスはあくまでも脇役である。主役の一人である花婿が尻込 みするような豪華な舞台装置を持えてしまったら,そうでなくてさえ怯 えているのに,舞台度胸のないエイベルが姿を現わせるはずがない。こ れに反して,サイラスは水を得た魚のように動き回っている。

 「私」たちが家に近づいたとき,サイラスが現われた。黄色いコール        いでたち テンのズボンに青いシャツ,赤いチョッキに茶色のパナマ帽という扮装 で,グラスや瓶を盆にのせて運んでいる。しかも,もう大分アルコール が入っている様子。すかさず「私」の祖母がそれを讐める一幕があって,

皆が大天幕のなかへ入ると,

眞白いテーブルクロスを掛けた長いテーブルの上には骨付肉,蒸焼きにし        75

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た鴨肉や鶏肉,サラダや葡萄酒,色鮮やかな臼ワイン漬けのトライフル,

ワイン・ゼリー,珍しいソース,ケイキ,手のこんだつまみや菓子がとこ ろ狭しと並べてあった。(p.50)

これら二つの引用文は,結婚披露の宴が豪華に行われようとして,舞 台装置が完全に整ったことを示している。それに脇役達も登場している。

だがここに登場すべき主役の一人であるエイベルはいまだに姿を現わさ ない。そこで「私」の祖父がたずねた。

   And where s Abel P

   Skulking upstairs Iike a young leveret, Frit to death.

  When we left the marquee and went across the paddock towards the house my Uncle Silas bawled out:

   Abel!

  An upstairs window opened and Abel put his head out. Abel looked as though he had been carved crudely out of raw beef;he had athick black wig of hair and the eyes of a mournful cow. There was something sleepy, simple, and pathetic about him. I believe my Uncle Silas was eternally ashamed of him.

   Damn it, man, said my Uncle Silas, sharply, there s half the guests here a ready and you still a−bed!

   Iain t a−bed, said Abel. Tm buttoning me shoes up.

  It was mQre than my Uncle Silas could stand. Buttoning me shoes up, he muttered, waddling off.(p.50,11.13−28)

 「で,エイベルは何処にP」

 「臆病な子兎みてエに二階に隠れてらア,死ぬほど怯えてよ」

 私達が大天幕を離れ,家の方へとパドックを横切って行くとき,わがサ イラスおじは大声で叫んだ。

 「エイベルツ!」

 二階の窓の一つが開いて,エイベルが首を出した。何とも締りのない様 子で,もじゃもじゃの頭髪は櫛も入れてなく,両眼は悲しみにくれた雌牛 のそれのようであった。まだ目は覚めきらず,知性のかけらもなく,哀れ をさそう風があった。わがサイラスおじにしてみれば,そんな息子が恥し かったのだと思う。

 「ちくしょう」とサイラスは激しい口調で言った,「もうお客人が半分も 御座ってるてエのに,おめエはまだ蒲団の中ってことかッ!」

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 「ねちゃいないよ」とエイベル。「靴のボタンを嵌めてんだよ」

 それを聞いてサイラスはいっそう腹をたてた。「靴のボタンを嵌めてん だと」よろよろ歩きながら独り言をいった。

 この引用文でエイベルが如何なる男であるか理解できるし,その頼り ない息子にたいする父親サイラスの歯痒さも解る。自分の結婚披露宴の 準備がここまで,そしてこれほどの規模で進行しているのを知れば,主 役としては盛装して姿を見せなければならないところである。それが出 来ていないのだから,つまり主役が主役としての務めを果せないのだか ら,父親である自分が代ってその役を果さなければ来客に対して礼を失 すると考えるのは,サイラスのような人物のばあい至極とうぜんのよう に思われる。

 式に参列する100名を越す人々は飾り立てた馬車で教会へ憩った。サ イラスも先刻のけばけばしい服装を改めて,明るいグレーの上下に暗黄 色のチョッキ,胸には黄色いカーネーションの花を挿してグレーの山高 帽を被っていた。式が終って新婚の二人が教会から出てきた。新郎は

「ブルーのサージの三揃いに身を包み,山高帽を被り,薄茶色のボタン 留めブーツをかすかにきしませて歩く姿は,いつになく重々しくて、純 情そう」(p.52)であったという。が,これはあくまで外観であった。

一同が大天幕に入って祝宴が始まった。ヘンリ卿の祝辞に続いてサイラ スがスピーチをし,そのなかで「皆さんのためにわしと花嫁とで歌を唱 いたい」と繰りかえし言った。(これは新郎が行なうべきことであろ

う。)

 これが実現したのは客達が大天幕から出て芝生でダンスに興じはじめ たころであった。

My Uncle Silas and Georgina stood at the entrance to the marquee, and Silas took the girl s arm in his and they sang 1 m Seventeen Come

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Sunday without the fiddles or the piano.(p.54, IL 12−15)

わがサイラスおじはジョジーナと並んで大天幕の入口に立った。そして二 人は腕を組んで,楽器の伴奏もなしに「この日曜日で17歳よ」を唱った。

これは品のない酒場の唄で,サイラスと共にそれを歌うことなど「私」

の祖母は大反対であったが,そのあいだエイベルは新妻を見詰めていた。

「瞳をこらし,その両の目からは片時も敬愛の念が消えることはなかっ た。妻のためならば死をも厭わない,彼女のすることは何でも恕すとい う気持が面に現われていた。あまりにも強い妻への愛と崇敬とで頭がぽ うっとなっているように見えた」(p.54)という。

  When the song was over my Uncle Silas kissed Georgina with a loud smack.(p.56, IL 3−4)

  歌いおわるとわがサイラスおじはジョジーナに大きな音をたて・接吻

した。

そして,それを見たとき「なんの幡りもないエイベルの微笑みには,心 底祝福したいという心情が溢れていた。四達は大声で笑い,手をたたい て誉めそやした。」(p.56)

 宴のあと眞夜中も過ぎた頃,家へ帰る馬車のなかで祖母は「サイラス       うちと接吻するなんて,とんでもない。私の娘だったらこっぴどく叱ってや

るのに」と言っていた。しかし披露宴であった事のうち二箇所の英文で 引用した事は,どちらも本来ならば新郎がするべき事であり,和文で引 用した事は脇役であるサイラスがするべき事である。ところが主役と脇 役が逆になってしまった。しかしこれはエイベルを筈めるべきでもなく,

サイラスを責めるべきでもない。

 結婚式も披露:宴も新郎と新婦が主役であって,二人を中心にして事が 運ぶ。だから二人が陽気であればそれは陽気なものになり,陰気であれ ば宴に加つた者も陰気になる。エイベルとジョジーナの披露宴はすべて

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二人の雇い主である貴族が負担してくれたために,エイベルにとっては 身分的には不相応,性格的には不釣合いなほど豪華になってしまった。

この華やかな舞台では,彼は主役を務めちれない。それを見兼ねて父親 のサイラスが主役を買って出て,宴を盛りあげ客を持て成したというわ けである。ただそのとき少しばかり遣り過ぎがあって,従姉妹である

「私」の祖母の二二を買ったのだが,当人にとってはそのようなことは どこ吹く風徹底的に他人を愉しませ自分も愉しんだ。これも,サイラ スにユーモアのセンスがあったればこそである。

THE FIRE EATERS

 この短篇は「ひと頃わがサイラスおじはどら声のフリーマンと痩せの クウィンシイという二人の紳士と仲が良く,彼ら三人で,文字通りの意 味でも比喩的な意味でも,町(the town)を火事にした」で始まる。

この「町」とは後に教区牧師も「この小さな町」(this little town)と いっているが,実在の町はHigham Ferrersであって,1970年代には人 口が1万5,6千というから,作家が此処を舞台にした頃,すなわち 1890年代には5千に達していたかどうか,文字通り小さな町であった。

しかし町の歴史はローマ時代まで遡り,当時の遺物が出土しているとい う。そして13世紀の半ばにはafree boroughであり,1558年から1832 年までM.P.を出していた。さらにこの地で生まれたHenry Chichele が1422年にキャンタベリの大主教となり,Henry皿によって阻止され て成らなかったものの,collegeを設立してここを大学町にする夢を抱 いていた。(その建物は18世紀までには二二となり,1970年代のいま残 っているのはかっての学校の敷地を囲む石の高い塀と納屋のみ。)また 彼は教会の敷地内にthe Bede House(救貧院)と,暫くはグラマ・ス クールとして使用されていた建物をつくった。(前者は使われていない       79

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から,やがてはカレッジの校舎と同じ運命を辿ることになる。しかし後 者は小さいながらも美しい建物で,1970年代のいまも特別な礼拝に使用 されている。)ということでこの町は現実には,政治的ばかりではなく て宗教的にも,古くかつ厳めしい歴史を背負っている。

 これに加えて物語では,町には聖歌隊員やこちこちの聖書信奉者が満 ち溢れているのであって,そこに前記の三名は住んでいた。わがサイラ スおじは小兵でありながら大酒飲みの大食漢,異性に関する経験の多さ では人後におちないと自慢しており,嘘はつき放題,気にくわない男は 徹底的に痛めつけないと治まらない性格であるが,ユーモアのセンスも 有っている。フリーマンは最近一1890年代の初め一インドの駐屯地 から帰国して退役したばかり。駐屯地の西北辺境州(the North−West Provinces)では1アンナで女が二人も買えて人の命も同じくらいの値 段。町に火を掛けることくらいは女王(ヴィクトリア)の兵士にとって

は朝飯前のことであった。クウィンシイというのは「痩せでのっぽ」。

 ただ重要なことは彼らは三人とも低回会派であったということである。

(ただし作品中では明記されていない。)とくにサイラスは「教区牧師を 徹底的に嫌っていた」(p.112)のであって,教会を毛嫌いしていたわ       せいてんけではない。だからこそ「聖歌隊員やこちこちの聖書信奉四達 聖典

を重んじるのは高教会派一が大勢いるこの辺りでは,彼(サイラス)

は悪魔に与する血気盛んな無鉄砲者になった」(pp.112−113)のであり,

「教区牧師を見るとサイラスの内にサクスン気質,すなわち原始的で純 粋で,現世を謳歌したい本性みたいなものが覚醒し(聖職者の権威を認 めるのは高教会派)」(p.112)たり,「聖職者の白衣や教会の祭服一ど ちらも聖職者を象徴する一を見ると,彼の胸の内にはむらむらと怒り が燃え上った」(p.112)りしたのである。さらにサイラスは怒りにま かせて,カトリック教を食わせもの・金儲け野郎とまで罵っていた。も

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ちうん高教会派はカトリック教とはちがう。しかし「高教会主義はカト リック教的英国国教会」(齋藤勇著「キリスト教思潮』)といわれているほ どだから,非常にカトリック教に近い。であるから,聖職や聖典を重視 せず儀式などにも重きをおかずに,福音を強調する低教会派のサイラス には赦せないのである。

 この頃,たまたま老教区牧師が死去して,その後にオックスフォード 出の若者が赴任してきた。彼は職務に熱心で高潔,どちらかというと近 視(比喩的に)で,説教壇では,町のいたるところに悪魔がいて悪事を 働いていると説いていた。そればかりではなく,三人が例によって例の 如く,消防車の引き馬を厩から放したり真夜中にthe Bede Houseの鐘 を鳴らしたり,また漫心を風見鶏に括りつけたりという悪戯をしたとき に,苦渋と悲しみを面にうかべて,「この小さな町の心臓に邪悪な三叉 槍(the black trident)カ§擬せられているのです」(p.113)と会衆に向

って説教をした。Tridentとはギリシア神話ではポセイドンが,そして ローマ神話ではネプチューンが携えているもので支配力・統治権を象徴 する。しかも彼はblackという形容詞をつけていた。

 これ,を知ってサイラスは「彼が言うにゃ,わしらは三叉槍だと。わし と老いぼれのどら声と痩せのクウィンシイがよ」(p.113)と言い,そ の言葉一邪悪な支配力を恣にする悪の三人組と取れる を挑戦状と 受取った。そしてサイラスの心のなかには,これに対しては断乎として 応えようという意志が生じていたにちがいない。(ただしサイラスのこ と,その応戦もユーモアの味を充分に利かせたものになるはずである。)

 若い牧師は町の小さな広場を教会暦(ecclesiastical calendar)に從 って日によって,さらには午前と午後でも着替えて,目のさめるような 色合いの緩やかな外衣を靡かせながら一教会規律を重視するのが高教 会派一気忙しく歩きまわっていた。それに金色と紫色の頸垂帯が長い       81

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聖職者の白衣の下からのぞいていた。低教会派のサイラスにすれば,そ れも我慢のならない光景であって,カトリック教会がこの町に忍び込ん でいると思った。もちろんこの「思い」のなかには燃えるような憤りが あったはずである。

 当時の英国国教会は,見るに耐えない有様であったという。すなわち,

そのころ(1830年頃)の英国国教会牧師は保守的な政府の威力をかりて,

任務を怠りつつ安逸をむさぼっていた。革命的な詩人シェリが彼らを呪っ てやまなかったのにも相当な理由があった。それのみならず1831年選挙法 改正案が貴族院において議せられたとき,これを否決した41名の議員中21 名までが国教会監督であった。(前出『キリスト教思潮』)

とある通り。そして1840年代の初めに生まれたサイラス  Silas the Good による は政治的関心はさておき,信仰の面では低教会派にな

ったものと考えられる。だから若い教区牧師が被っている帽子を見て

「まるでカトリックの冠みてえだ」(p.113)と当てつけがましく言った のも頷ける。

 物語では,ある日サイラスが街で教区牧師につかまってしまった。

The Griffinというパブから出たところで,顔にも動作にもアルコール が相当に入っていることが現われていた。牧師に引き留められて話を聞 く羽目になる。もちろんいわゆるお説教であって,町中の者が三人を怖 がって夜は外を歩けないでいる,三人の生活態度を見ているとまるで旧 いじめや無頼生活が普通であった時代へ逆戻りしたようだ,三人は神の 家である教会へも顔を見せない等々であったが,結局はたまには教会へ 来いということであった。

 次の日曜日,最前列の席に三人が神妙な顔をして坐っていた。たっぷ りと説教があり祈りがあり,讃美歌の合唱があり神への感謝の言葉を捧 げ,鐘が打ち鳴らされた。この間三人は一刻も早く脱けだして,パブで

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汚れを清めることばかりを希っていたのである。しかしその後の牧師の 予告は三人には意外なものであった。すなわちヴィクトリア女王の在位 60年を記念して,宗教を離れた俗世の祝いをしよう,おおいに騒ぎ,松 明行列も盛大な焚き火もしょうというのだ。三人の心は好機到来という ことで一致した。

 祝賀会の当日は夜の8時には町の広場には人々が群がり集っていて,

      そ だ焚き火がその中央で始つた。燃料はもちろん粗朶である。広場だけでな く周囲の通りまで明々と照らしだす火炎と火の粉の柱を見て,人々は興 奮した。しかしその中で一番興奮していたのは教区牧師自身で「それ燃 せ,もっと燃せ。どんと燃せ」と掛け声をかけていた。牧師館の庭には 粗朶が荷馬車に二台分も準備してあったという。

 牧師のこの意気込みに便乗して,11時頃には三人は牧師館から家具を 持ち出して燃やし始めた。

Fust we got a coupla bolsters orf the bed and then we dressed it up,

nightshirt and every mite o umbuggin palaver you could think on. I should think we put half a hundredweight o bibs an cassocks an nightshirts an fo1−di−dols on that thing. In the finish they wadn t another mite o poppery left we could lay hands on. (p.118, ll.7−13)

 「はじめわしらはベッドから長枕を二つ引きずり出して,寝間着だとか,

ありったけのものを着せたんだ。よだれ掛けだとか日常の法衣も,寝間着 も一枚だけじゃなく,ほかにもありったけのものを着せた。おしまいにゃ カト臭いものなんか,なんも残っちゃいなかったな。」(poperyはカトリ ック教を危険なものと看倣す人が用いる罵倒的,軽蔑的表現)

という人形を作りあげて広場へ運びだした。三人と人形一体の行列は素 晴しいものに見えたにちがいない,とサイラスは言う。もちろん人形は   く火に焼べられた。群衆の目の前で,そして若い教区牧師の目の前で紅蓮 の炎に包まれて,すべてが美しく燃えたよ,とも言う。

       83

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 これを聞いて「私」は,他人の家具や衣服,しかも聖職の表象を燃や すなどはただの乱暴や狼籍ではすまないと言った。すると,わしらは誰

も彼もが愉しんだのだ,と言う。さらに「私」が牧師以外の人達はね,

と異議を唱えると,ほんの少し前に聖職者が焚刑になった一16世紀に 一司祭が焚刑に処せられて殉教した のを忘れちゃいないだろ,わし

らが燃やしたものは木を少しばかりと台所の古い椅子,それに櫨襖ばか りだと切り返した。牧師の衣類を着せた人形も艦襖だと言いたいのだ。

それにしても少し度が過ぎたという「私」の意見にたいして,いまは誰 もが愉しむことを止めてしまった,とてつもなく柔和になってしまった,

人生は愉しむときには豪快に愉しむべきだというのが,サイラスの偽ら ぬ感慨なのである。

サイラスと家政婦

 前々回にサイラスの言葉に現われたユーモアのセンスを読んだとき,

家政婦との会話には故意に触れないでおいた。二人だけの間で使われて いる言葉やその調子は特殊であると読んだからである。それでここでは 二人の間で遣り取りされた言葉と調子に的を絞って読む。

 この家政婦はサイラスが独り身になってから世を去るまで20年近く,

通いの家政婦ではなくて住み込みの家政婦(acompanion house−

keeper)として,身の回りの世話 入浴させることまで一はもちろ ん家の中のことはすべてを切り盛りしてきた。だからであろう「サイラ ス物」では彼女の姓名は一度も現われず,「家政婦」が固有名詞になっ ている。(ただし現在手許にある「サイラス物」29篇のうちで6篇にし か登場しない。)二人の間がこれほど親密であるにも拘らず(あるいは それだからこそ),互に辛辣な,口喧嘩とも思えるような言葉をぶつけ 合う。「彼女とわがサイラスおじとはまるで火打ち石と鋼みたいで,ぶ

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つかり合っては火花を散らす」(The Eating Match, p.96)のだが,こ れは多分に性格によるものと思われる。

 イギリスの歴史家Arthur Bryantは7物A物 ∫oηα1 C加箔αo 6プのなか で,「あの硬い表皮の下には,我々が祖先から受け継いできた英国国民 性の多彩な中味が豊かにつまっているのです。すなわち偏見であり,鈍

い保守的性向,公正を求めて止まぬ情熱,強情なまでの愚かしさと直覚 的な賢明さ,勇気,度し難いまでの陽気さ等々であります。」と言って おり,われらが家政婦の性格の主成分は「強情なまでの愚かしさと直覚 的な賢明さ」ではないかと思われる。これとサイラスの性格の主成分を なす「度し難いまでの陽気さ」一これを支えているものはユーモアの センスーとが打打発止と斬りむすんで火花を散らすことになる。しか もそれが二度や三度ではない,「二人は心ひそかにそれを愉しみながら,

昼夜を問わず遣り合ってきた」(The Lily, p.21)とある。それとはも ちろん激しい言葉の応酬を指すのだから,これら両短篇からの引用文が 二人のそれを知るうえで重要なポイントになる。

THE LILY

 この短篇はすでに「サイラスという男』の1,Ill, V, VIとvmで見て

きた。

 あるli「私」はサイラスおじを訪ねた。おじは松林のすぐ脇に建つ小 さな石造りの家に,家政婦と二入きりで住んできた。93歳になっても嬰 礫として異性をひきつける活力に溢れ,大いに食いかつ飲んでいる。食 う方はともかくとして「わしは三つのときからビールを飲んできた」

(Silas the Good)とか「これまでに一艦隊を浮かべてもまだ余るほど 飲んできた」(The Lily)とか「日にワインを一一壕は空ける」(The Sow and Silas)と言っているのだから,相当に割引いてもその量は想        85

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像を絶するものと思われる。

 この日は7月の,風もなく焼けつくような日であった。サイラスは庭 の外れで松林のすぐ脇にある,普段でも暑い馬鈴薯畑で暑さも感じない かのように,短い脚に分厚い胸の,古いインドのずんぐりとした土偶の        からだ

ように不恰好な体躯をリズミカルに動かして,薯を掘っていた。やがて 仕事を終えて連れだって家に入り,サイラスの口癖になっている「一杯 やろうかP」で,酒になる。

   Woman!If you re down the cellar bring us a bottle o cowslip!

  Tm upstairs, came a voice.

   Then come down. And look slippy.

   Fetch it yourself!

   What s that, y 01d tit P I ll fetch you something you won t forget in a month o Sundays. D ye hear P There was a low muttering and rumbling over the ceiling. Fetch it yourself, he muttered. Did ye hear that P Fetch it yourself! (p.19, II.13−22)

 「お一いッ! 地下室にいるんならカウスリップ・ワインを一壕持って

こうし、ッ!」

 「二階ですよ」と声が返ってきた。

 「じゃ降りろ。急げよ」

 「自分でやんなさいッ!」

 「何だと老いぼれのあまつちょ。いやというほど仕置きがほしいんだな。

そうだな」

 う え 二階でぶつぶついう声や物音がした。「自分でやんなさいだと」サイラ スが言った。「聞いたかいP 自分でやんなさいだとさッ!」

 そもそも初めの If you re down the cellar…. というサイラスの言 葉が普通ではない。地下室にあるのは二種類のワインの壕と,毎週金曜 日の夕方にサイラスが湯浴みで使う盟だけである。そのことを家の主人 であるサイラスが知らないはずがない。だから家政婦がこの時間に地下 室に用事で降りているはずがない。それを知っていて,なおかつ彼女が

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どのように反応するかも承知していて声をかけた。反応は彼が予想して いた通りであって,二人の激しい(とも思える)言葉の応酬の第一幕が 開いた。この場にいたら「私」ならずとも驚いて,「ぼくが取ってきま す」と言わざるを得ないほどに激しいものであった。

 すぐに第二幕が始まる。家政婦は紐を結ばない靴をカタカタいわせな がら一前後三回p.20,p.35, p.166にこれが描写されている。彼女の 癖なのか,いつもは裸足でいて客があると靴を履く習慣なのか一壕を 持って上ってきて,音をたて・テーブルに置き,一言もいわずに傲然と 出ていった。そこで,

Glasses! yelled my Uncle Silas.

Bringing em if you can wait! she shouted back.

  Well, hurry then!And don t fall over yourself! (p.20,11.18−20)

「グラスもだッ!」サイラスおじが怒鳴った。

「待ってなさい,持ってきてあげるからッ!」彼女が怒鳴りかえした。

「じゃ,急げッ。だけど転んだりするなよッ!」

 この「転んだりするな」というのは,家政婦の癖を熟知しているサイ ラスの椰楡である。このあとすぐに彼女はグラスを二つ持ってきて,先 程と同じようにわざと音をたて・テーブルに置いて出ていった。ところ がドァを出るか出ないうちに,彼女に聞こえよがしにサイラスは言った

ものだ。

Tart as a stick of old rhubarb.

What s that you re saying P she said at once.

Never spoke. Never opened me mouth.

Iheard you!

Go and put yourself in curling pins, you old straight hook!

1 mleaving, she shouted,

Leave! he shouted.  And good riddance.

Who re you talking to, ehP Who re you talking to, you       87

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corrupted old devil P You ought to be ashamed of yourself 1 If you weren t so old I d warm your breaches till you couldn t sit down.1 m off.  (P。20,1。28−P。21,1.10)

 「なに,なんて言ったの」間髪を入れずに彼女が言った。

 「何も言やせん。口なんか開かんよ」

 「聞こえましたよッ!」

 「あっちへ行って,ピンカールでもしてろッ,この老いぼれの役立たず がッ!」

 「出て行きます」彼女は大声をあげた。

 「出てけッ!」彼が大声をあげた。「そうすりゃいい厄介払いだ」

 「誰に言ってるんです,え。誰に向って言ってるんですか,この汚らし い人でなしの老いぼれが。恥ずかしくないのッ1 そんなに老いぼれてな きゃ,いやというほどお尻をひっぱたいてやるのに。出て行きます」

 彼女は捨て台詞を残して姿を消した。その後姿にサイラスはさらに悪 態を投げつけた。

 この後でサイラスと「私」はまた酒を飲みはじめるのであるが,二人 の応酬をすべて聞いて,「またやりましたね」と言うと,サイラスは

「彼女はこの20年間,毎日出て行くと言いつづけてきたこと,それに二 人が心ひそかにそれを愉しみながら昼夜の別なく遣り合ってきたのを

『私』も知っているのだうと言いたげにウィンクを返してよこした」(ll.

19−23)とある。この文だけで,二人の激しい言葉の応酬は互に了解ず みのことで,決して大事には至らないことが理解できる。

 「激しい言葉の応酬は互に了解ずみ……」と書いたが,これは二人の 間で初めから終りまで細い打合せができたうえでの,見せかけの口喧嘩 という意味ではない。いくら激しい,辛辣な言葉が飛び交っても,二人 の間はけっして破局には至らないことを互に熟知してのことなのである。

先に家政婦の性格を「強情なまでの愚かしさと直覚的な賢明さ」がその 中味の主成分であると分析しておいたが,この両極端とも思えるものが 融合しているのではなくて混合していて,時に一方が時に他方が現われ

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るのではないだろうか。サイラスの言葉に過剰に反応して,その場その 場でいちばん使いたい言葉で思うことを表現する。(これはサイラスが 計算していること。)そうすると辛辣さで,サイラスの次の言葉は彼女 の言葉の上をいく,次の彼女の言葉はさらにその上を…,という具合に,

言葉の激しさ辛辣さがエスカレイトしていく。そしてとどのつまりは

「出て行く」という,彼女だけが持っている切札を使うことになる。そ れでこの20年間この切札を毎日々々出してきた。ということは,何度使 ってもこの切札は彼女の手許に戻ってきていることになる。すなわち彼 女の「直覚的な賢明さ」が働いた結果なのである。

 さらに,この切札はサイラスの手許にはない。「出て行く」と言うの はいつも家政婦であって,サイラスが先に「出て行け」と言ったことは ない。彼女が「出て行きますッ!」と意気込んで言うものだから,「そ れならそうしろ,いい厄介払いになる」と応じる。サイラスには切札な ど必要ではない。ユーモアのセンスは破局を回避するためのものである ことを,彼自身がよく承知していたから。もうひとつ,サイラスはけっ して直接的な言葉あるいは表現を用いない。つねに比喩を用いて表わし ている。直:接的な表現は聞く者には理解しやすいが,使う者にとっては 面白くない。サイラスは自分にとって面白くない表現は使いたくはなか った,ということである。結局,サイラスは言葉を使って遊び心を存分 に高揚させていたのであり,家政婦はその相手役をしっかりと務めてい る。彼女は良きパートナであるというべきであろう。

THE REVELATION

 これもすでに『サイラスという男』1,III, Vlllで読んだ。サイラスが 嫌がる湯浴みを無理にさせられる合間を捉えて,10代になるかならぬ昔 の出来事を「私」に話して,意外な事実が明らかになる話である。

       89

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 「どだい,なんでわしが。そんなごたア時間の無駄よ。なんで石鹸な         めかんか塗りたくって粧しこまにやならんのよ。ほかにせにやならん事があ

るわい」(p.28)と常々言っているサイラスのこと,毎朝の洗顔でさえ も家政婦まかせ。放置しておけば一週間でも10日でも洗顔しないのだか ら,無理強いするということになる。それだけではない。性格が現われ ているのだろうが,彼女は三冬でも井戸から汲んだ水を温めもせずに使 う。自分が冷たくても苦にならないから彼も構わないだろうと考えての ことで,けっして悪意があってのことではない。

 毎朝サイラスにしてみれば,彼女がこれを忘れていてくれればいいと,

新聞を読む振りをして彼女の動静を窺っている。そのようなことにはお 構いなしに,タオルに石鹸をぬって,新聞をひったくるや否やそれをサ

イラスの顔面に押しつける。

Got damn it, woman 1 You want to finish me, don t you P You want to finish me!You want me to catch me death, you old nanny−goat!I know. You want me_ (p.30, II.5−8)

「畜生めッ1 わしを殺したいんだな。殺したいんだッ! そうなんだろ ッ,この老いぼれ雌山羊めッ!解ってんだ……」

 家政婦は毎朝これを行っており,サイラスは毎朝これをされているわ けだから,何もこれほど大袈裟に騒ぎたてる必要はないわけであるが,

相手が相手だから並一通りの言葉では物足りないのである。彼がここで 用いたnanny−goatは「雌山羊」の意味であるが, a goatには比喩的な 意味でafool;adupe(愚人,ばか者,ぼんやり者,間抜け)があるこ

とをσE1λは教えてくれている。ここでも彼は直接的な言葉を用いず,

   とげとげ

口調は刺々しいけれども比喩を用いて攻撃している。

 これに加えて週に一度(通常は金曜日)は,家政婦が矢張り無理に湯 浴みをさせていた。顔を洗うだけでもこの騒ぎだから,全身を洗う段に

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なると,その騒ぎは想像を絶するものとなる。ところでサイラスの家は 古いので浴室の設備がない。それで大昔の網代舟に似た盤を使わなくて はならない。それはいつもワインの壕や馬鈴薯を貯えてある地下室に置 いてある。だから家政婦は週に一度はそれを居間の暖炉の前に据えて湯 を張らなければならない。

 たまたま「私」が訪れたのが金曜日であって,しかも湯浴みが始まる 直前の,彼女にとってはその準備で忙しい時であった。おじと「私」が 話をしていると,

   Out of my way! she ordered.

   Get us a glass o wine, said Silas, and don t vapour about so Inuch.

   You ll have no wine, she said, until you ve been in that bath.

   Then git us a dozen taters to roast. And look slippy. She was already out of the door with the empty bucket. Geゼem yourself! she flashed.

   Igot me trousers off! he shouted.

   Then put em on again! (p.31,1.25−p。32,1.5)

 「どきなさいッ!」彼女が居丈高に言った。

 「酒をくれ」サイラスが言った,「そして,そんなに湯気をたてるなよ」

 「お酒はだめ」彼女が言った,「お風呂に入ってからです」

 「じゃ,薯をくれ焼くから。急げよ」彼女は空のバケツを持って部屋を 出ていた。「自分でおやりッ!」彼女はあたまへきて言った。

 「ズボンを脱いじまったんだッ!」彼がわめいた。

 「それじゃ,穿けばいいでしょッ!」

 ああ言えばこう言うで,まるで頑是無い子供の口喧嘩である。ここで も家政婦が口火を切っている。それにサイラスが負けてなるものかと応 戦している。

 家政婦は忙しい,サイラスは裸体。ということで「私」が地下室へ行 くことになった。電燈の設備がないので灯りをもって降りてゆき,5分 ほどしてワインの壕と馬鈴薯:を持って上ってくると,第二幕が開いてい       91

(20)

た。

   Sit down, man, can t you P Sit down! How can I bath you if you don t sit down P

   Sit down yourself! Idon t want to burn the skin off me behind,

if you do! (P.32,11.25−28)

 「坐れないの。お坐んなさいッ! 坐らなきゃ洗えないじゃないの」

 「お前が坐れッ! お前はいいかもしれんが,わしは尻を火傷したかな いわいッ!」

という荒々しい言葉の応酬のあとで,サイラスはおとなしく躯を洗って もらう。家政婦は黙々と「まるで木の像でも洗うように,情容赦なくゴ シゴシと擦った。」もちろんこれは「サイラス憎し」の気持からでたも のではなくて,彼女の平素のやり方なのである。さて,出る段になって 素直に出るかとおもうと,また一悶着ある。「湯に浸かったからつて,

どうってこたあないやね」とサイラスは減らず口をたたく。家政婦はそ れには相手にならず,

   You re coming out now, she said.

   Idon tknowasIam.

   Did you hear what I said? You re coming out!

   Damn, you were fast enough gittin me in−you can wait a minute. I just got settled!(p.33,1L 24−28)

 「さあ出るのよ」と彼女が言った。

 「さてどうしたもんか」

 「聞こえなかったの。出るのよッ!」

 「畜生ッ,急いでわしを入れといて一少しくらい待てるだろ。やっと落 着いたところだ。」

 家政婦の言い成りになっていればよいのに,悪戯心が頭をもたげて少 しばかり反発する。すると根が真っ正直な家政婦はきつい言葉で遣り返 す。するとサイラスは面白がって行為も交えて,彼女の感情を弄ぶので

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ある。すなわち湯浴みが終ったら盟の湯を捨てなければならない。これ も家政婦の仕事,だからサイラスに盟から出るように催促した。それな のに彼はそれを知っておりながら,すぐに出ようとはしない。湯に浸っ たま・湯を玩んでいる。その児戯にも等しい行為を見て,

   He s just doing it on purpose, she said to me at last. Just because you re here. He wants us to sit here and admire him. That s alL I know.

   Don t talk so much! he said. 1 m getting out as fast as you 111et me.,

   Come on, then. Come on! she insisted. Heaven knows we don t want to look at you all night. (p.34, ll.6−12)

 「この人はわざとやってるのよ」とうとう彼女は「私」に言った。「あな たがいるからなのよ。私たちに体躯を誉めてもちいたいんだわ。ただそれ だけ。私にはよく解ってるんだから」

 「御託を並べんなッ!」彼が言った。「すぐに出てやるわい」

 「それじゃ,早く。さあ,さあ」彼女はせかした。「夜通しあんたの裸な んか見ていたくないんだから」

 この作品ではサイラスの年齢は明示されていないが,おそらく90歳代 であろう。それで33頁にhis old and rugged body(彼の老いさらばえ た繊だらけの体)とあるように,裸の外観を指摘されるのは,彼の唯一 の弱点をつかれることになる。それで早々に盟から出た。このような応 酬の合間に,家政婦が傍にいない時をねらって,何十年も昔の少年時代 のある出来事を語った。それは一

 サイラスがまだ10歳になるかならない頃,夏の或る日,数人の友達と 小川で泳いでいた。昔,しかも田舎のことで,彼らは素裸になって,衣 類は土手に置いたま・であった。やがて泳ぎにも飽き躯も冷えてきたの で,出ようと思って見ると衣類がない。橋の上では少女が二,三人,彼 らの服を持っていて,川へ放り込むと言っている。しばらくは口で威嚇       93

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していたが,効き目がない。ますます躯は冷えていく。忍耐も限界とい うところでサイラス少年が飛び出していった。少女達は吃驚して,服を 捨てて逃げ去った,一人をのぞいて。その一人はサイラス少年の服だけ

を抱えて野原をどこまでも逃げて行く。サイラス少年もどこまでも追っ ていく一

 これが遠い昔の出来事であって,「おかしな娘だったよ。あの娘が誰 だか判らんのだ。今だに判らんのだよ」とサイラスが言ったとき,

   Didn t you ever find out 2 she said.

   No. I was just telling the boy. It s been so damn long ago.

  She looked at him for a moment and then said:

   Iknow who she was. And so do you。 (p.38, IL l6−19)

 「まだあなたには判らないんですか」と彼女が言った。

 「判らんな。いまこの子に話してたんだよ。ずいぶんと昔のことだもん

な」

彼女はしばらく彼を見ていたが,やがて言った。

 「私は知ってますよ。あなただって知ってるくせに」

 この時の二入の言葉にはいつもの嫡かしさはない。遠い昔を懐かしむ 様子さえみえる。その通りであって,「サイラス物」を吹き込んだテイ プがあり,それを聞いてもこの部分だけは,家政婦は別人ではないかと おもわれるほどに穏やかに,優しく,そして柔らかい口調で喋っている。

と同時に,問に挾まれたサイラスの口調も柔かである。ところがその直 後,彼女はいつもの激しい言い方に戻って,

   Get yourself dressed, man! 1ain t running away with your

clothes now, if I did then. (p.38, ll.24−25)

 「さあ,服を着てしまいなさいなッ! あの時はしたけど,今は服を持 って逃げたりはしないから」

これは,いってみれば愛情の裏返しの表現であるかもしれない,その

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ような表現方法しかとれない性格もあるわけだから。この時,サイラス がやっと服を身につけ始めると,彼女はその背後にまわって身仕度を手 伝ってやるのである,遣り掛けの仕事を中断してまで。口ではいつも 荒々しい言葉しか吐かないが,この場面では,彼女の隠れた性格の一面 が垣間見られる。これを知ると,二人の言葉の応酬がいっそう味のある

ものに思えてくる。

SILAS AND GOLIATH

 この作品はすでに『サイラスという男』Vで読んだ。タイトルは旧約 聖書の「サムエル記」第17章の少年ダビデがペリシテ軍の巨人ゴリアテ

と闘って発す話に擬えたものである。ゴリアテというのは身の丈six cubits and a spanというから3メートルをこえる大男,たいするダビ デは少年だから,その半分に達するか達しないか。少年の身長が明記さ れていないので定かではないが,いずれにしても物凄い大男と子供の闘 いをいうのであろう。

 作品のなかで「私」が「おじさんは小柄だ」と言い自分でも「そうだ,

わしは小さかった」と認めているから,サイラスは小男であったことは 確かである。そうするとダビデは小男のサイラス自身ということになる。

いっぽうゴリアトにあたるのが,ここではゴリラと渾名されて近隣で怖 れられていたポーキイ・サンダーズである。彼は背丈が2メートルほど,

体重は127キ・ロもあり,ビールのグラスなら片手で6コは持て,そのズ ボンの片方に並の大人なら二人が入ってしまうという。そのうえむかし 船乗りであって,アフリカ海岸沖の無人島に島流しになっていたことが

あり,その時ゴリラの肉ばかり食っていたとかで,ゴリラと異名をとる 怪力の持主である。この男に青年のころサイラスが素手の闘いを挑んだ のだが,それには止むに止まれぬ事情があった。

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 ポーキイは躯が大きいうえにその性まことに狂暴で,酒場へ入っては ビール樽を蹴飛ばす,それを亭主が筈めようものなら,亭主に殴りかか る。林檎が食いたくなると,どこの家でも塀越しに手を延ばして取って 食う。羊が食いたくなると肉屋へ入って取って食い,空いた片手で肉屋

を殴る。気に入った娘に出会おうものなら,小脇に抱えて掠ってしまう。

こんな乱暴狼籍の限りをつくすものだから,女たちは道でポーキイを見 かけようものなら家へ逃げこみ,男たちにしても幾人もが身を寄せ合っ て難をさけようとする。

 このような無法な振舞いを聞いても,サイラスは動かなかった。しか し事もあろうに,サイラスが懇意にしているヴィッキイをポーキイが掠 うに及んで,怒りが爆発した。とはいうものの,小男が大男で怪力の持 主のポーキイと如何に闘うべきか。そこは「そうだ,わしは小男だった。

だがな頭はでかかったんだぞ」(p.134)と言っていた彼のこと,自慢 の「頭」を働かせて一計を巡らせて,二週間後に素手による殴り合いの 決闘をポーキイに申し入れた。

 その一計とはまずヴィッキイに言い含めて,ポーキイをたっぷり煽て あげて興奮させること,次に闘いに勝つためには冷静でなければならな い,そのためには胡瓜を食べて血を冷やしておくのが良いといって胡瓜 を勧めたこと。にのために彼は二週間というもの胡瓜しか食べなかっ た。)さらに酒場の亭主に働きかけて,毎晩ポーキイにはビールを無料 で飲ませてやってほしいと頼み,ただしそのビールには細工をしてもら った。すなわちタンカードー杯に塩を一匙と丸薬を一、二剤、それに薬 屋で入手した薬を一包入れておく。これらは飲んだ者の胃腸を目茶苦茶 にしてしまうはずであった。この飲食が二週間も続いた後では,サイラ スの思惑通り,闘いの場に現われたポーキイは文字通り「青葉に塩」と いった体たらくであった。

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 いかに大男で怪力のポーキイでも,二週間も食べるものは胡瓜だけ,

しかも飲むビールには下剤まがいのものが入っていて胃腸が徹底的に痛 めつけられていたのでは,力の出しようもない。サイラスはまずポーキ

イの腰にとりついて,腹部へ群発も頭突きをかませた。のちには少し離 れたところがら勢いをつけて,体ごとぶつかっていった。やがてポーキ イは一層目を食うたびに坤き声をもらしはじめ,じりじりと川ぶちへと 後ずさりしはじめた。勢いを得てサイラスは,ここぞとばかり渾身の力 をこめて,胃袋目がけて頭から突進していき,彼を川の中へ突き落した という。サイラス自身の言葉では「わしはポーキイ・サンダーズをあの 世へ叩き込んでやった」(p.138)となる。ここまでサイラスが話しお えたときに,

Is it P avoice would say.(p.138,1.6)

「そうかしら」と声がする。

 二人が振り向くと,家政婦が部屋に入ってきている。この話をすべて 聞いていた(と想像すべきである)彼女は,その性格からしてこれほど でたらめな全くの作り話には我慢できない。そのような話をすることは 赦せないのである。だから怒りをこめた厳しい表情をあらわにし,攣想 が尽きたといいたげに冷やかな目つきでサイラスを見ていた。そしてそ れだけではなく,

Well, if it is, she would say, Td be ashamed.1 d be ashamed I would。

Telling the boy such downright nonsense and such tales about things that never happened.  (p.138,11.9−11)

「そんなこと」と彼女は言う,「聞いてるほうが恥しいわ。ほんとうに恥し い。頑是無い子の頭に,そんな愚にもっかないこと,ありもしないことを 叩き込むなんて」

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(26)

と,でたらめぶりを攻撃するのである。家政婦の性格の生一本の面から すれば上の引用文の言葉通りであって,荒唐無稽な話をでっちあげて,

それをまるで事実であるかのように,まして真偽善悪の判断力もない子 供に得々として話して聞かせるなどということは,ぜったいに赦せない のである。その非を暴いたつもりであった。ところがサイラスは怯むど ころか,彼女の矛先を躾す手段を用意していた。

Tales P he would say. I don t see no difference in telling a tale like that and telling a tale about a woman turning into a pillar o salt, or a man who was alive for three days in a fish s belly. (p.138, ll.15−18)

「作り話だって」と彼が言うのだ。「塩の柱になつちまった女だとか魚の腹 ンなかで三日も生きてたなんて男の話をするのと,今みたいな話をするん とでは,いったいぜんたいどれほどちがうってんだ」

と言い返した。もちろん「塩の柱になった女」というのは旧約聖書の

「創世記」第19章26But his wife looked back behind him, and became       うしapillar of salt.(ロトの妻は後ろを振り向いたので,塩の柱になった。

一聖書・新共同訳による)であり,後者はやはり旧約聖書の「ヨナ

書」第1章17Now the Lord had prepared a great fish to swallow up Jonah. And Jonah was in the belly of the fish three days and three

nights.(さて,主は巨大な魚に命じて,ヨナを呑み込ませられた。ヨ ナは三日三晩魚の腹の中にいた。一同書,ただし訳では ヨナの救助

1 となっている〉である。正しく旧約聖書にある話を持ち出して家政 婦の矛先を躾したのは,たんにサイラスのユーモアのセンスばかりでは ない。すでに短篇The Fire Eatersで知った通り,彼がLow Church−

manであるからこそ, High Churchmanからみれば神を冒漬するとも いえることをやってのけたのである。とにもかくにも低土会派のサイラ スが己の信条とユーモアのセンスで,家政婦の辛辣な言葉を受け流した

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場面であって,図らずも(というか計算通りにか)彼の宗教的信条が明 らかになった場面である。

 蛇足になるのだが,ゴリアテを艶したダビデ少年は,いつもは羊の群 れの世話をしている羊飼いであって,獅子や熊などの野獣が羊を襲った

ときにそれを殺したり追い払ったりするために,日頃から石投げ紐とい う武器を扱うことに習熟していた。そして,その使い慣れた武器を用い て巨人ゴリアテを発した。いっぽうサイラスはいつも本人が「わしはで かい頭をもっている」と言うように,「でかい頭」にたつぶりと詰って いる知恵が彼にとっては使い慣れた武器であって,それで怪力の大男ポ ーキイを叩きのめした。サイラスの「頭」がダビデ少年の石投げ紐に匹 敵するということである。ここで作者のベイッがつけたタイトル SILAS AND GOLIATHが生きてくる。

THE DEATH OF UNCLE SILAS

 この作品もすでに『サイラスという男』1,V, VI, vmで取りあげた。

タイトルの通り,95歳になったサイラスが病床に臥してからこの世を去 るまでの数日間の,サイラスという人間の死に臨んでの生き様を描いて

いる。

 初秋の収穫期の真っ最中に,「サイラス危篤」という知らせを「私」

は受けとる。しかし農事にとってこれほど大切な時期に,サイラスたる 者が農作物を収穫もせずに,実ったま・熟したま・に放置して,後は野

となれ山となれとでもいうように,この世を去るわけがない,いや去れ るわけがない,そのようなことはサイラスらしくないと考えたので

「私」は見舞いに行きもしなかった。サイラスのサイラスたる所以はこ こにある。すなわち「わしは自分のやっていることは承知している」と 口癖のように言っていたサイラスが,収穫期に死んでいくなどというこ       99

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とは,己がやっていることを承知していないも甚だしいと思ったので,

二度目の「サイラス危篤」に接しても「私」は見舞わなかった。

 ところが「彼は自分で何をしているのか判らなくなっている」(p.

165)という知らせがきたときには,翌日「私」はおじを見舞った。家 政婦が迎えてくれて「あの人のお蔭でわたしはクタクタです」,それに 加えて「お医者が,あの人を疲れさせないようにですって」とも言う。

おじは医者などとは縁のない人間であった。40エーカーの牧草地を刈っ ても疲れなど知らなかった男がなんということか,と思いに沈んでいる

と,

   Now don t go and talk and tire yourself, said the housekeeper,

   Go and wring yourself out, y 01d wet sheet! he croaked.

   What s that P If you ain t careful,1 11 pack me bag and Ieave you lying there. So I ll tell you!

   Pack it!And good riddance.

   Ah, and I will! She flashed off to the door.(p。168, IL 1−7)

 「おしゃべりして疲れたりなんかしないようにね」と家政婦が言った。

 「水気を絞りだしてこい,この老いぼれのべソッかきッ!」と彼が彫れ 声で言った。

 「何ですって。口を慎まないと,荷物を纏めて出ていきます。いいです ねッ!」

 「そうしろッ! そうすりゃ,いい厄介払いだわ」

 「え・,そうしますともッ!」彼女はドアの方へすっ飛んでいった。

 家政婦の「疲れないように」という気遣いからでた一言が,サイラス の死期を迎えてもなお残っていたプライドを傷つけたのである。そして,

これが明日ともしれぬ命の男が口にする言葉だろうかと誘る憎まれ口を たたき,それにたいして家政婦も遠慮会釈もなく悪言で応える。いずれ にしてもこの二人は,どちらかが居なくなるまでは激しい言葉のぶつけ 合いは止められない。というよりはそれを愉んでいるのだから,最後ま

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で止めるわけにはいかない。この部分もそのように読んでいてよいのだ が,ここに注目すべき表現がある。サイラスの wet sheet という言葉。

おそらくこれはサイラスの(作者ベイツの)造語,あるいは正式な語の 異形として用いたのだと思われるが「ベソッかき」くらいの意味であろ うか。正式な語というのはwet blanket(水に浸した毛布)で,比喩的 な意味はaperson who has a depressing effect on those around him

(0.E. D.),あるいはsomeone who tries to spoil other people s fun

¢oηg規αη),あるいはadismal person inclined to damper other people s spiritsで「憂うつな人,興をそぐ人,他人の元気を低下させ

てしまう人」である。それに,もちろん表の意味では「水に濡れた毛 布」(あるいはシーツ)ということだから,死期が近いというのに流石 にサイラス,wet sheetとwring yourself outを見事に関連させている。

 そしてwet sheetを用いた時のサイラスの心の内を覗いてみたい。今 やサイラスが,20年ものあいだ親身も及ばぬ心遣いで世話をしてきたサ イラスが,明日をもしれぬ命となって,しかも医者からも見放される身

となっては,流石の家政婦も,知らず識らずにメソメソする毎日ではな かろうか。その姿を見てサイラスは思い遣りと皮肉をユーモアのセンス でこのように表わした。(これは余りにもウェットな日本人的な見方で あろうか。)いまひとつは,甥(正式にはgrandnephew)が訪ねてき てくれて,久しぶりに,そして大っぴらにワインのボトルが開けられる 理由ができたのに,その楽しみに水をさされるのをきらってこの語を用

いた。ここでは両者のどちらかを採るというのではなくて,良い意味で も悪い意味でも海千山千,老猜にしてユーモアのセンスをもつサイラス のこと,両方の意味を含めてこの語を用いたと読みたい。それだから直

ぐ後に,

101

(30)

   Look slippy and bring us a bottle o cowslip, he said.  And don t talk so much. (p.168, ll.11−12)

 「急いでカウスリップ酒を一品持ってきてくれ」と彼が言った。「それに,

あんまり御託を並べるなよ」

とサイラスが言っている。この言葉だけから考えると,wet sheetは後 の見方だけで間に合いそうであるが,情も大きな部分を占めているのが ユーモアであるので,やはり両方を合わせた見方を採りたい。

 物語では,威勢よさそうに家政婦を怒鳴りつけはしたもの・,サイラ スの容態は悪い。しばらくは黙って横たわっているのだが,両眼は潤み 胸が幽かながら上下していて,呼吸を整えなければならない様子であっ た。それなのにサイラスは「私」を誘って酒を飲むのだ。枕許にある小 さい籐のテーブルにはワイングラスと薬瓶が二つずつ置いてあるのだが,

じつはそれぞれの瓶には別々のワインが入れてあるのだと言う。家政婦 が寝ている真夜中に地下室へ行ってワインを詰めておくとのこと。そう とは知らず彼女は水薬と信じこんでサイラスに飲ませている。「もう一 滴でも飲んだら,あの心行きだ」と医者に言われておりながら,飲みに

くい水薬を飲む風を装って,好物のワインをひそかに,しかし家政婦の 前では堂々と飲んできたことになる。

 今も二人が薬瓶からワインをグラスに注いでいるとき,心心にカケス が来ているのに気がついて,「あッ,奴がまた来ている。鉄砲をとって くれ」とサイラスが大声をあげた。この声を聞きつけて家政婦がとんで

きた。

   Oh!he 11 wear me out!

  She seized him sternly, forcing him back on the pillows while he shouted at her:

   You interferin old tit! 1 11 shoot that jay if I have to shoot you first!

102

(31)

   He don t know what he s saying or doin , she said to me. And then to him, as she straightened his blankets inexorably:

   You II take your medicine now, jay or no jay, and then get some sleep. (p.171, II.13−21)

 「あ・,この人のお蔭でクタクタよッ!」

 彼女は彼をしっかと掴まえて,がなり立てているのもかまわず枕へ押し つけた。

 「邪魔すんな,この老いぼれ婆ッ!カケスより先にお前を撃つぞッ!」

 「この人は言ってることも為てることも判らないんだわ」と私に言い,

それから彼に,邪険に毛布を直しながら,

 「カケスのことはいいから,薬を飲みなさい,そして少し眠りなさい」

と言い,水薬をグラスに注いで渡す。サイラスは,

lt s like drinking harness oil and vinegar, oh!it s like drinking harness oil and vinegar. Ach!

   Drink it! (p.171, ll.25−27)

「まるで馬具油や酢を飲んでるみたいだ,ああッ,まるで馬具油や酢みた いな味だ。げッ!」

 「飲むんですッ!」

と言いながら家政婦はグラスをサイラスに無理やり持たせようとする。

これが二人の辛辣な言葉の応酬の最後である。まことに呆気ない幕切れ のようであるが面白い。20年もの間,二人の間では優しい言葉を交わし たことは,一度を除いて,表面的には皆無である。口を開くと,必らず 相手を激しく罵倒するような言葉しか発しなかった(ここでも「表面的

には」という但し書きをつける。)とくにサイラスが酒を飲む場面で,

それが甚だしかったように思われる。そしてしかも「私」と二人で飲む 時に,そうであった。酒爆を持って来いと命じられては反発して遣り返

し,ワイングラスを持って来いと言いつけられては,素直に従わずに遣 り返していた。まして行為では勿論のこと,言葉でさえもサイラスに酒 をす・めたことは一度としてない。ところがここ,サイラスがこの世で        103

参照

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