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中林瑞松

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(1)

サイラスという男(VIII)

H。E.ベイツのあるヒーロー一

中林瑞松

V.サイラスのユーモアのセンス(その一)

は じ め に

 「H.E.ベイッとはどんな作家だろうか, MyF切Vα,E SIL、4Sを読ん でユーモア作家という印象をうけたのだが」とP氏が言った。時は 1979年,場所はイングランド中部地方の小都市ラッシュデンーH.E.

ベイッはこの町に生まれ育った一にあるホテルの食堂。三人の友達と 夕食の卓を囲んでいたときである。氏は隣町のハイアム・フェラーズに ある皮革製造会社に勤めていて,もちろん文学の専門家ではない。しか し英国人である氏の口からユーモアという言葉が出たからにはその感想 は聞き捨てにはできない,と思ったのは17年前のこと。今回「サイラス のユーモアのセンス」を書くにあたって氏の言葉を冒頭においたのは,

いまだにP氏が忘れ難いからである。(ただしH.E.ベイッはユーモア 作家の範疇には入らない。)

 躍}7θNCLE 5yL、4Sの序文のなかにCertainly there was no strain

of the Puritan in my Uncle Silas, who…  told lies…  and yet

succeeded in rernaining an honest, genuine and lovable character.(P.

10,11.20−28)(たしかに私のサイラスおじには清教徒らしいところはこれ ぼっちもなく……嘘はつきほうだい……それでいながら正直で誠実,そ

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れに愛すべき性格を失わなかった)という,サイラスの人間像を一口で 表現した文があって,それをもとにして前項まで「サイラスの酒」「サ イラスの女たち」「サイラスの寝たち」「サイラスの土」というように,

彼のそれぞれの面を見てきた。そして今回は最後のtold liesの面を見 ることになった。

 ところが,序文ではただliesと一語だけで言い表わしているのだが,

彼の口から出るのはliesの一語に納まりきれるものではない。まった くの嘘を呈しやかにつくときもある,冗談や皮肉を言うとき,あること をとてつもなく大袈裟に言うとき,微笑ましいユーモアを言うときがあ るかとおもうと,一転して攻撃性を含んだユーモアを連発するときや,

痛烈な嫌みを言うときがあるといったぐあいである。このように,サイ ラスが発する言葉の質は様々であるが,どの言辞もその場面に相応しい ものであって,不相応なものは皆無である。そしてこれらはすべて,彼 のユーモアのセンスから発しているといってよい。なお,言葉だけがそ のセンスから発するのではなく,行為についても同様のことが言えると 思うので,それも一緒に見てみたい。

 ここで,アーサァ・ブライアント卿が㎜ 。M47YOML CHん尽

、4C7E1〜のなかで「良質のユーモアは英国人の生得権の一部のような もの」と言っている,英国人のユーモアについて少し触れなければなら ないのであるが,これは我々日本人には容易に理解(?)できぬものら しい。本国でもこれまでに数多の書物がこれに関して書かれている事実 をみても,英国人自身もこれには大いに関心をもっているようである。

しかしこれを定義するとなると,とても一筋縄ではいかないものらしい。

又聞きに類することであるが,G. K.チェスタトンは「ユーモアの定義 をすること自体,ユーモアの欠如を示すもの」と言っているそうだ。

(これには取り付く島もない。)筆者はむかし「上品な滑稽」という定義

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を聞いた覚えがあり,これと似たものであるが,ある辞書には「思わず 微笑させるような,上品で機知に富んだしゃれ」と定義されている。か

とおもうと攻撃性を含んだものもあって,「ユーモアがある種の敵意に

基づくもの」(「ユーモアの秘密』,Lファインバーグ著,勝浦・安達・田中共訳)

であるということになると,ユーモアとはいったい妙なのだ,というこ

とになる。

 迷路にはいりこんでしまった思いでいたときに,Humour has been

well defined as thinking in fun while feeling in earnest. (E2vGゐ1SE

HσMOσR, J. B.プリーストリイ著)『真剣に情を働かせながら楽しく遊ぶお

もいで知を働かせる』に出会った。もちろんこれでユーモアが解ったわ けではけっしてないが,17年来の英国の友人であるH.C.ベイリィ氏の 助けもかりて,サイラスのユーモアのセンスが現われている言葉・行為 を読んでゆきたい。なお,テキストには1967年にJonathan Cape社か ら出た躍yθ1VCLE訂し/1Sを用いた。したがって各引用文に付けた 頁と行の数字は,同版のものと一致する。

THE LILY

 この短篇はすでに『サイラスという男」の1,III, V, VIで,サイラ スと酒,女,男,土との関わりを見ている。

 物語は,夏のある日「私」がサイラスの家を訪れるところがら始まる。

その家というのは,人生が残り少なくなった老人が隠居するのに相応し いもので,そこに住む人間は緑色のスリッパで家の中を俳徊し,暖炉の 火をつついたり,所在なげに髪をなでまわしたり,眼鏡をさかさまに掛 けて新聞を読んでみたり,薬を飲みすぎたりしているうちに,退屈さに うんざりしてあの世へ行ってしまう一このような家であった。

 ところが,サイラスは並の老人とはまったく違っていた。「93歳にし

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てなお若駒のように,休むことなく軽快に動きまわる。朝は5時半とい うと起きだしてひげを剃るのだが,剃刀ときたら当人よりも古い時代が

ついた代物」(p.14,1.23−p.15,L2)であった。しかも年齢に不相応に大い

に食らい,かっ大いに呑むといったぐあいで,本人の口からは,

   God strike me if I tell a lie, he used to say, but I ve drunk enough beer, rne boyo, to float the fleet and a drop over. (P.16, IL5−6)

 「これが嘘なら,神様,罰を与えてください」と言うのがおじの口癖で あった,「だけどな,いいか,これまでにわしが呑んだビールの量はな,

らくに艦隊を浮かべて,まだ回るんだよ」

という言葉がでる。もちろんこれは嘘ではない。本人はalieを用いて いるが,まったくの嘘ではなくて,表現が大袈裟なのである。本人の言 うことを信ずれば,3歳のときにビールを呑み始めた  A Teetotal Tale の冒頭にある のだから,90年ものあいだ呑んでいたことにな り,並大抵の量ではないであろう。しかしそれにしても「艦隊を浮かべ ても……」は度が過ぎる。しかしサイラスが時に放つ桁外れに大袈裟な 表現は,徹底して度外れであるだけに,聞いていて(読んでいて)痛快

でさえある。

 それは7月の,風もなく太陽が照りつけている日であった。そのうえ 林のすぐ脇の暑いところ,庭の一隅にあるイモ畑でイモを掘っていた。

「私」が「暑いですね(Hot)」というと「ちょっと暖かいな(Warm−

ish)」という返辞。 The Wedding という短篇の冒頭に「私が7つか8 つで,大おじサイラスが70歳に近いときに……」とあるから,二人の年 齢の差は60くらい。30歳代の「私」が暑いと感じているのに,93歳にな るサイラスのこの返辞には彼らしさが現われていて,笑いを押えられな

い。

 やがて畑仕事を終えて,庭を歩いて家へ戻る道々「私」が作家のトマ

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ス・バーディの名を口にした。年齢が二人は同じくらいだと思ったから である。ところがサイラスは作家の名を知らなかった。そこで「私」が 本を書いた人だと説明すると,

   Idaresay. And then in a flash: But could he grow goosegogs like

that? (pユ9, ll.1−2)

 「いいか」そして間髪を容れず,「だけど,ヤッにはあんなグズベリィを

作れたんか」

とサイラスが言った。その口調には真底から軽蔑が現われていたと描写 されている。というのも,これより少し前におじが育てあげたグズベリ ィの木の傍を通ったときに,桃の実くらいにまで成育していた実を食べ たからであって,彼が自慢するのもとうぜんである。もちろんサイラス は本というものが何であるかを充分に承知している。それだからこそ,

それに対応できるものとして,もっとも自分が誇れるグズベリィをだし た。負けず嫌いなサイラスの,しかし憎めない子供っぽい一面がここに 見えているように思える。

 やがて二人は家に着き,さて一杯,ということになる。冷たいカウス リップワインを呑みながら庭に視線を遣っていると,赤い百合が咲いて いるのが「私」の目にとまった。「百合が咲いていますね」と言うと,

   あ れ

「あ・,彼女が咲いている」とサイラス。これが最初であって,彼は最 後まで百合を指すのにsheを用いて表わす。百合を代名詞で表わすと普 通はitだから,「私」は最後までitを用いているのだが,サイラスは女 性の代名詞sheを用いて指す。もちろん百合の花を指すのにsheを用い ていけない訳はないのだが,中性の百合をsheで表わすのには何らかの 心理的な理由,いいかえればその百合にたいするサイラスの思い入れが あるはずである。「私」ならずとも興味をそそられ,彼がsheを用いる

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理由,さらにはそれがそこにある理由を知りたくなる。

 言い渋るサイラスの口を開かせて,やっと聞き得た経緯は次のような ものであった。彼がまだ若い頃(年齢は明記してないが「馬車に積みあ げた干し草の天辺に乗っていた」(p.23,1.13)とあるから10歳代の半ば か)に,ある大きな屋敷の庭にあるそれを,高い塀越しに見た。どうし てもそれが欲しくて,その晩の12時頃に,ひそかに塀を乗り越えて花に 駈けよったとき,その家の娘と鉢合せをした。とうぜん娘は言牙って少年 サイラスを詰問した。百合の花が欲しいくらいで,大鐘にも真夜中に他 人の屋敷に忍び込むなどとは考えられない,ほかに何か目的があっての ことと考えるのがふつうである。娘の問いに少年サイラスは,

..。

hlost something, Isays._And then she wanted to know what

I dlost, and I felt as if I didn t care what happened, and I said, Lost my head, I reckon. ... (p.23, IL21−24)

「……『大へんな物を失くしたんだ』とわしが言った。すると娘はそれは 何か知りたがった。それでわしは,もうどうにでもなれと思って,「首っ 玉なくしちゃった,とおもうんだ』と言ったのさ。……」

というのだが,それはそれでよい。しかしこの五〇s my head。(斜体筆 者)を日本語に訳すのは難しい。この意味は「惚れている」ということ

でIhave fallen in love with you.という意味を表わす数ある表現の一つ

なのだが,もちろんここでは直前に言った110s something.(斜体筆者)

を念頭においている。同じ単語を用いて,しかも相手がうら若き女性

(少年サイラスと同年輩くらいか?)であることを充分に考慮してこの 表現を用い,そして窮地を切抜けた。ここは,少年サイラスのユーモア のセンスが遺憾なく発揮されている場面であって,喝采をおくりたくな る。それはともかく,このlose one s headを「理性を失くす」「取り乱 す」「夢中に(ボーつと)なる」などと,ありきたりに訳してよいはず

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はない。この表現の奥にある意味を熱直したうえで,英文をそのまま読 むのがよいのではなかろうか。物語では,その娘が自分で百合の球根を 掘ってくれたとある。

 こう考えて(読んで)くると,93歳になるサイラスが今もって百合の 花を,itなどを用いずに,頑なまでに女性の代名詞を用いて呼ぶ理由が,

充分すぎるほど解る。

 サイラスとこの大邸宅の娘,さらには娘がくれた百合にたいする彼の 執心については,すでに『サイラスという男』(III)でふれたので,こ こではサイラスのasense of humourだけにとどめた。ただしこの話の 最後のところには,110st something。やLost my head.などのユーモア のセンスが現われている少年の頃の思い出を語る老人サイラスの声は,

rusty(さびついた,だみ声)でcrabbed(聞きとりにくい,判じ難い)

であり,柔らかさも温和さもない,聞く者に不快さをさえ覚えさせるも のであった,と描写されている。

THE REVELATION

 サイラスは身体を自分ではけっして洗わない男であった,という話。

為すべきことを為さないというマイナスの行為も彼一流の論理によるも ので,ユーモアのセンスから出たものと考えてよいのだが,彼の言葉を 借りると次のようになる。

God A mighty, he would say, why should I?It s a waste of time. I got summat else to do sides titivate myself wi soap. (p.28, IL2−4)

「どだい,なんでわしが。そんなごたア時間の無駄遣いよ。なんで石鹸な        めかんか塗りたくって粧しこまなきゃならんのだ。ほかにやらなきやならんこ

とがある」

というわけで,おもしろいことに「代りに家政婦が長年のあいだサイラ

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スの身体を洗ってきた」(p.28,11.4−5)のである。この「長年のあいだ」

は原文ではFor yearsであるが,サイラスが70歳になってからと考えら れるので,20年と少しの間である。というのは彼が68,9歳のときに長男 の結婚式一 The Wedding という短篇で,息、子のAbe1がGeorginaと いう女と結婚する一があるのだが,家政婦はまだ登場していない。彼 女がサイラスの日常生活に加わるのは,彼が独り暮しをするようになっ

てからである。

 しかし,いくら彼が独自の論理をふりまわして自分で身体を洗わない からといって,女の身である家政婦が男の生活に加わるばかりではなく て(ちなみにこの家政婦は住込みである),これほどまでに深く関わる のには,それなりの理由があるはずである。サイラスがバスタブに浸っ ているときに背中を流す,というだけではない。彼の家には浴室などは ないので,とくに冬期には居間の暖炉の前へ盤を据えて,それへ湯を満 たして沐浴をさせる。これほどまでのことをする深い理由が明らかにな るのが,この短篇である。これもすでに『サイラスという男』1とIIIで 読んだが,ここでは彼のユーモアの面を中心に読んでみたい。

 冬のある金曜日一サイラスが沐浴をする日一に「私」はおじの家 を訪ねた。家の中は熱気と湯気が充満している。台所でさかんに湯を沸 かしているのである。ノックもせずに居間の戸を開けたとき,おじは暖 炉の前でズボンを脱いでいるところで,そのとき彼の口から出た言葉は,

   Oh 1 It s you, he said. I thought for a minute it might be a young woman. ip.31, ll.12−13)

      おなご

 「おッ,お前か。わしはとっさに若い女子かと思ったぞ」

であった。このIthQughtにはIhopedという気持ちが奥深くに隠れて いると考えるのがサイラスらしい。(ただしthoughtをhopedと置替え

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ると,まことにいやらしくなる。それは作者のベイツも充分に心得てい て,そのような品のない発言を主人公にはさせない。そのようなことを したら,作品そのものも品のないものになってしまう。)映画『チップ ス先生,さようなら』のなかで,チッピングが「ユーモアも過ぎれば嫌 み」と言っていたのを思い出す。

 閑話休題。サイラス老が家政婦と二人きりで住む家に若い女性が,し かも案内も乞わずに居間まで入ってくるわけがない。しかし,そこが93 歳にして「なお陽気で人間離れのした豪放心落さをみせることがあり,

そこがまたご婦人にとってはたまらない魅力であった」(p.16,IL2−3)サ イラスのこと,ましてこの時はその年齢に達していなかったわけで,そ の発する言葉には面目躍如たるものがある。そしてここは,彼のユーモ アのセンスが感じられるところでもある。

 それと同時に,これも少し横道に逸れるが,この箇所は作者H.E.ベ イッの話を展開させていく巧みさを知らされるところでもある。という のはこの短篇の題名がThe Revelation(暴露,もらすこと,意外な新 事実)であって,己の身体を洗いたがらないサイラスを,老齢であると

はいえ半身不随でもなく歩行困難などという障害を抱えているわけでも ないのに,(おそらく全身を)女の家政婦が洗っている理由を明らかに するのが目的である。すなわち,あのサイラスの言葉につづいて,

   God A mghty, I ain t frit at being looked at in me bath. ,.. Never mattered to me since that day when... (p31, ll.15−18)

 「どだい,風呂に入ってるのを見られたって,わしゃ驚いたりせんのだ よ」……「わしにとつちゃ,……の日からっていうもの,どうってこたア

なくなつちまってんだ」

と言う。物語の冒頭に家政婦がサイラスを沐浴させることが述べられて おり,つぎに彼の言葉でayoung womanがあり,そしていまthe day

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when…  がでた。こうなると,これらをすべて結びつける事実があ るはずで,話の筋はその事実を求めて「その日」まで年月を遡ることに

なる。

 物語は,話が此処まできて,まさにサイラスがwhen以下でその日の 出来事の顛末を語ろうとした時に,湯気のたつバケツを持って家政婦が 駈けこんできた。これが最初で,彼が話を続けようとすると彼女が入っ

て来て話が中断一こういったことが何度か繰りかえされるうちに,家 政婦がいる時には話をしたくない,彼女には話の内容を聞かせたくない というサイラスの考えが解ってくる。彼女に密接に関わりのある話であ ることが解ってくる。それであるのに,彼が事の顛末を「私」に聞かせ たくて仕方がない気持も解ってくる。しかし暫くは話を続ける機会はや

ってこない。

 やがて沐浴も終り,二人目ワインを呑みはじめる。とはいってもサイ ラスはまだ服を着おわっていない。ズボンを穿きシャツは着ているが,

その裾は出たまま,しかも立ったままで呑んでいる。彼女は今度は盤の 湯をバケツに入れて捨てに行く。ここで二人きりになる時間が,断続的 ながらも生じた。

 一むかしサイラスが子供の頃(8歳か9歳)に,数人の友達と川へ 泳ぎに行った。子供のことであり,誰に揮ることもなく全裸になって,

衣類は土手に脱ぎ捨てたままで泳いでいた。どれほど時が経ったか,ふ と気がつくと三人の少女が橋の上にいて,彼らの衣類を川の中へ樋りこ むと言っている。飛び出していって捕えるのはなんの造作もないが,素 裸のこと。水の中にいて口で嚇しはするものの,実力行使にはでられな い。彼女たちもそれを充分に知っていて,さかんに少年達をからかう。

たっぷり泳いだあとで,さらに水から出られずにいて,身体が冷えてい らいらし始めていた。ついに我慢しきれなくなって,サイラス少年が大

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謄にも飛びだしていった。少女達はびっくり仰天,二人は衣類を捨てて 逃げ去った。だけど一人の女の子だけは,サイラス少年の服を抱えて走 りだした。そして牧草地をどこまでも逃げて行った。もちろん少年はど こまでも追って行った一。そして「いまだに女の子の名は判らずじま

いだ」(p.38,L9)という言葉で話を終らせた。

 サイラスが最後の場面を語り始めるだいぶ前から,家政婦は戸口まで 来ておりながら中へは入らず,物音もたてずに聞いていたが,ここで姿 を見せて「誰だったか,まだ判らないんですか」(ibid. L16)と言う。

「そうなんだ。(だけど)わしはな,昔の話をして聞かせてただけなんだ。

ずいぶんと昔のことになる」(ibid.1.17)とサイラス。これにたいして家 政婦は笑いながら一彼女が笑うのはこの時だけ一「私はその鎮が誰 か知ってますよ。あなただって知ってるくせに」(ibid.1.19)と言う。こ れにはサイラスも返答に窮する一彼が困惑するのはこの時だけ一の である。さすがのサイラスも「わしも知ってるよ」とは,知っているか らこそ,答えられない。

 このような心理状態で立往生しているサイラスの,そしてまだ服を着 おわっていないサイラスの背後に廻って,「はやく服を着てしまいなさ いなッ。あのときは服を持って逃げたけど,今はそんなことしないか

ら」(ibid. IL24−25)と,いっとき笑いを見せた顔も平常の厳しい表情に なり,そして平常の辛辣な口調で言いながら,シャツの裾を入れボタン を留めてやりはじめるのである。このときサイラスは「微笑んでいるの だが,なんとも名状し難い表情をうかべていた」(ibid.1.29)のであるが,

そうであろう。サイラスにしてみれば,ここまで事実を明らかにするつ もりはなかった。沁めかすだけにしておきたかったのだ。しかし状況が 進みすぎて,家政婦が自分の口から,特定の少年の服を持って逃げると いう,単なる悪戯にとどまらない行為を告白したものだから,彼として

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は複雑な心境になったにちがいない。

 この短篇は「そして『私』にはその時,以前には解らなかったことが 解りはじめていたのです」(p.40,IL3−4)で終っている。このときの読者 の思いは「私」とまったく同じである。

AFUNNY THING

 この短篇もすでに,サイラスと酒とのつながりを見るために『サイラ スという男』のIIで読んだ。ここでは彼がそのユーモアのセンスで,コ ズモという男の高慢の鼻を圧し折るところを読んでみたい。

 「高慢な鼻を圧し折る」といっても,言葉の一つ一つに棘があるわけ でもなく,まして攻撃性が含まれているわけでもない。相手の高慢を利 用して煽てあげ,まったくの嘘を真実と思いこませて,ついには窮地に 追いこんでしまう,その話術の巧みさが見どころ(読みどころ)である。

これもユーモアのセンスが発揮された例といえるであろう。

 サイラスとコズモはその気質は同じでありながら,まったく別の世界 に住んでいるという。また一方がある意味で一族の食み出し者なら,他 方は別の意味で一族の食み出し者であるという。このコズモが親類衆の 墾整を買っている理由というのは次の通り。毎年冬になると避寒と称し て海外の気候温暖な地方へ行き,そして行く先々から得意気に絵葉書で 便りをよこす。マントンーフランス東南部の地中海に臨む保養地一 のオレンジの樹木,ナポリ湾,ヴェスヴィオス山,ヴェニスのゴンドラ などの絵葉書があるかとおもうと,クリスマスにポンペイで麦藁帽子を 被っている自分の写真入りのものもあるというぐあい。こうなると,長

くて寒い冬を自国にいて耐えなければならない連中にとっては,許し難 いことであった。

 これだけならまだしも,追い打ちをかけるように,春に戻ってくると  46

(13)

きには土産と称して,各国の珍しい産物を持ってくる。こればかりでは なく,スパゲティの食べ方を講釈されたり,遙か南の島で見た間欠泉の 話や,バナナが1ペニィで20本も買える話,カイロではすんでのところ でプロシア人と決闘をする羽目になった話などをとくとくとされると,

親戚の者は誰もが妬ましさを覚えるどころか,ただただ感銘をうけてし まうのであった。

 コズモという人物は「旅行体験の豊富な人当たりのよい色男であって,

人に強い印象を与える」(p.74,Il.1−2)と描かれている。彼が各国を歩き まわり,それを自慢しているくらいならばよかった。サイラスはまった く関心のないことであったから。ところが色男(alady−killer)である ことを鼻に掛けて,女のことで法螺をふいたから,サイラスは赦さなか

った。

 サイラスは旅行体験など殆んどない人で,住む地域から出たのは Queenie White 一Sσ㎝R FOR㎜μ0肥に収められている一 で描かれている若い頃の駆け落ちのときくらいで,国の外へは出ていな い。また彼は「人当たり」は,お世辞にも良いとはいえず,不愛想その ものである。彼が愛想よく振舞ったのは ASilas Idyll のなかで,針子 のエリザベスに声を掛けたことくらいである。また彼はどう見ても色男 とはいえない。しかし The Lily にもあるように,93歳にして「なお陽 気で人間離れのした豪放嘉落さをみせることがあり,そこがご婦人にと

っては堪らない魅力であった」(前出)ということで,コズモとは違っ た意味で「強い印象を与える」人物であった。

 この二人が出会ったとき,コズモはサイラスを前にして,異性のこと で自慢話が嵩じて大法螺をふいてしまった。マルセイユ,ヴェニス,ナ ポリ,ローマはよいとして,アテネ,ポート・サイドはおろか,東洋は シンガポールに上海,あげくは日本にまで懇ろになった女性がいるとい

(14)

う。ほかのことならコズモが何を自慢しようが法螺をふこうが,はたま た大風呂敷を広げようが,いっこうにかまわない。しかし女性のことに なると,そうはいかない。これを聞いてサイラスの悪戯心が頭を擾げ,

ユーモアのセンスがそれに加担した。

 コズモが法螺のなかで,香港で懇ろになったロシア娘が体に亀の刺青 をしていることを話したとき,サイラスが口を挟んだ。

   Well, there ain t nothing wonderful in that, either. Down a亡 The

Swan in Harlington there used to be a barmaid with a cuckoo or

something tattooed on一 (p.75, ll.22−23)

 「な一に,そんなごたアどうってこたアない。ハーリングトンの『臼鳥』

にゃ,カッコーか何かを刺つた娘っ子がいたっけ」

 これはサイラスが相手の反応をみるために,ちょっと探りを入れたと ころ。ところがこれを聞くと,コズモはすぐに「そうだ,あれはカッコ ーだった。わしはよく知つとる。わしが刺らせたんだからな。……」

(p.75,ll.25−26)と言った。誘いに乗ってきたのである。これが手始めで,

サイラスは川もない所に川を流し,館城もない丘に館城を建てるなどし て,嘘で固めた世界を築いて自分が主人公になって住み,最後の重要な 事を除いて,自由気儘に振舞うのである。その様子を,彼のユーモアの センスから出た言葉で表わすと,次のようになる。

   No, Silas said。 But did I ever tell you of the month I spent with the duchess s daughter in Stoke Castle?...You can remember her?

   We11,1−how long ago was this?

   This was the winter of ninety−three. You ought to remember her.

She used to ride down to Harlington twice a week,_. (p.76,11.15−21)

      ●      ●      ●      .      ●      ●

   Never Iooked at a man in her life. My Uncle Silas went on. Never wanted to. Cold as a frog. Nobody couldn t touch her. Chaps had been after her from everywhere−London, all over the place. Never made

(15)

no difference, Cosmo....See?

   Well,1一

   You know the castle at Stoke?Stands down by the river.

   Oh, yes, Silas. Very well, very well. (p.77, Il.1−9)

 「そうじやない」とサイラス。「だけど,ストウクの館城で公爵夫人の娘 と1ヵ月過ごしたと,前に話したっけか? その娘のこと思いだせるだ

ろ?」

 「え・と,わしは一どれくらい前のことだ?」

 「 93年の冬だ。あの娘のことは思いだすはずだよ。週に二度はハーリン

グトンへやって来てたんだ」

      ●      ●      ●      ●      ■      ●

 「まあ,ちょっと待てよ,コズモ。あの娘のことをみんなが何て言って

たか,お前,知っているだろ」

 「うむ……」

 「男にゃ一度だって目もくれなかったんだ」サイラスおじは続けた。「そ

んなことしたくもなかったんだ。まつこと心が冷たいんだな。彼女をその 気にさせた奴ア,一人もいない。方々から男達が来てたよ一ロンドンか ら,あっちからもこっちからも。何てこたあなかったんだ,コズモ。……

わかるか?」

 「う一,わしは一」

 「ストウクにある館城を知ってるな。川ぶちに建ってる」

 「お・,知ってる。よく知ってるよ」

 ここまでくると,慢心を巧みに煽られて,すでにコズモには虚と実の 区別がつかなくなっている。最後のコズモの言葉,サイラスの問いにた いするコズモの答えが,それを正確に証明している。それをみてサイラ スはなおも言葉巧みに,嘘の世界を完成させてゆく。もちろんこの世界 には,男などには目もくれないという評判の娘とサイラスの二人しか住 んでいない。爽雑物は何もない。そして(今のところ)コズモがそこへ 入りこむことは出来ない。サイラスが入れてくれないのだ。そうしてお いて,サイラスが川で密漁することや,娘が絵を描く趣味があることな どを要素にして,巧妙な話術によってストウクの館城の世界を完成させ

ていく。

(16)

 もちろんこの世界が完成するということは,とりもなおさず,そこに 住む男女の心が結ばれるということである。しかし事態はスムーズに進 展しなかった。というのはサイラスが語るところによれば,無料で公爵 家の川の鰻を漁らせてもらい,その代償に釣り姿を娘に画かせる。こう

いつた日が暫く続いた頃,一昼夜半も大雨が降り続いて川は増水し,い つも渡っていた橋が冠水して大廻りをしたために,いつもの時間よりも だいぶ遅れて娘の部屋に辿りついた。見ると娘は鏡の前で全裸になり,

それに映して自分のヌードを描いていた。娘はサイラスに絵の批評を求 めたが,彼はモデルとの交際期間が短かいことを理由に,それを断った。

すると娘は明日も来てくれという。こうして約1ヵ月,午前中は鰻を漁 り,それから娘の部屋へ行って,彼女が自分の姿を画くのを見ていると いう日が続いた。そして1ヵ月も終ろうとする頃には,川の鰻もほぼ漁

りつくし,それとともにサイラスの娘にたいする見方も変ってきていた

という。すなわち,

   You heard me say she was cold? he said. Never looked at a man and never wanted one?That s a fairy tale, Cosmo. Don t you believe it. It s true she never looked at men. But she looked at one man. And you know who that wasノ(p.80, ll.8−11)

 「彼女は心の冷たい娘だってわしは言ったな。男には目もくれない,く れようともしなかったと言ったな」と彼が言った。「ありゃ嘘だよ,コズ モ。そんなごたア信じちゃいかん。男にゃ目もくれなかったこたア確かだ が,一人の男のほかはだ。そしてお前はそいつを知っているよ」

と言う。今まではストウクの館城へは入る可能性はまったくなかった。

サイラスと娘の世界へは入れてもらえなかった一こんな思いで,切歯 拒腕の思いでサイラスの話を聞いていた。しかしここへきてコズモには 幽かな希望の明りが見えてきた。サイラスの言葉にあった,娘が目をく れたというone manが彼の心を櫟つた。だからすぐに「あ・,だけど

(17)

なぜ止めたんだ」と話の続きを催促している。こうなると彼の自制心は なくなって,サイラスが言葉で誘導するままに終局までゆかねばおさま らない。このコズモの心理状態を看破して,サイラスは最後の仕上げに

かかる。

」...There were twenty bedrooms in the castle, and we slept in every one of em. Then, one night, I was a Iittle fuzzled and I must have gone into the wrong room. As soon as I got in I saw her in bed with another Inan.

She gave one shout. My husband! she says, and I ran like greased

lightning and down the drainpipe。 The funny thing is she wasn t

married, and never was, and I never did find out who the chappie was.

(p.80,IL14−21)

「……その館城には寝室が20もあってな,わしらは毎晩,部屋をかえて寝 てたんだげと,ある晩,わしは少しばかり酔っててな,ちがう部屋へ入つ ちまったんだよも入った途端,娘が別の男とねておるのがわかった。娘は 叫んだもんだ。「わたしの夫よッ」ってね。そいでわしは脱兎のごとく飛 びだして,縦樋を伝って逃げたよ。おかしいんだが,娘はそのとき結婚し てなかったし,それからも結婚なんかしてないんだ。それで,今もってそ

いつが誰だか判らんのだよ」

 サイラスのユーモアのセンスを探るのは,この言葉まででよい。彼の 話のなかで,さきのone manがこのthe chappieであって,サイラス

を出し抜いた男である。自他共にalady−killerと認める己がその男で なくて何とする(とコズモは思った)。それで大いに勿体を付けたあと で,「言いたかない。言いたかないんだがな,サイラスよ,あの男はわ

しだったんだよ」と言ってしまった。このあとでサイラスが,今までの 話は嘘で,ストウクには川もないし館城なんかもない,ぜんぶ作り話だ ったと明かして,コズモを遣りこめたことはいうまでもない。しかし,

この短篇でサイラスが発した言葉には棘のあるもの,まして攻撃性のあ るものは一つもない。

51

(18)

THE DEATH OF UNCLE SILAS

 この短篇もすでに3回,『サイラスという男』1,V, VIで,酒,男,

土,それぞれとの関わり方を見た。ここでは彼が死ぬ直前までユーモア のセンスを発揮しつづけた,その姿を読んでみたい。

 物語は,ある日「私」が「サイラスが危篤」という知らせを受取った ところがら始まる。これほど重大な報知に接したら,取るものも取り敢 えず飛んで行くべきところなのに,そうはしなかった。というのも以前 にもこのようなことがあって,急いで行ってみると,当人は寒風の吹く なかで上衣も脱いで,汗を流しながら林檎の木を勇定しているところで あった。しかもその時の,急いで駈けつけた「私」を見て,サイラスの 言った言葉は次のとおり。まことに心外な噂を流す奴もいるものだ,と でも言いたげな口調で,

   Ever hear the tale of the old gal who heard I was dead and buried,

and then∫6εゴme in The Swan ?She never touched another drop. (p.

164,ll.15−17)

 「わしが死んで埋められたってことを聞いたのに,『白鳥』でわしが呑ん でるのを見たっていう女の話,聞いたことないか。女はぷっつり酒を断っ

たよ」

と言ったのだが,これはもちろん彼一流の作り話であって,このわしが そんなに容易く死んでたまるか,という意地をみせたユーモラスな言葉 にほかならない。ふつうならここに男をもってくるところなのに,女を 登場させたのも面白い。大して酒も呑めないのに,いい気になって呑ん だ揚げ句に,酒の恐ろしさを思い知ったやつがいる,と言いたいのであ

ろう。

 物語では,しばらくしてまた報知が届いたが,言葉がちがう。「サイ ラスは自分が何をしているのか,さっぱり分っていないようだ」という

(19)

ものであった。彼は常日頃「わしは自分が何をしているのか充分に承知 している(訳のわからんことは絶対にやらん)」と豪語している。その 男がこのような状態になったということは,一大事である。それに時期 が冬とか春ならば(農作物の収穫期ではないから)まだしも,収穫期の 秋にこの報知が届いたとなれば,聞き流すわけにはいかない。それで

「私」は直ちにおじを訪れた。

 家政婦が出てきたが,その様子からやはり普段とは異なるものが感じ られて,おじの居場所を訊ねた。すると,

   All among the fo1−di−dols, called my Uncle Silas.℃ome in. (p.

167,11。14−15)

 「入れよ」とサイラスおじが言った。「我楽多のなかに埋まってるんだ」

と言う。ここでサイラスが「我楽多」というのは次の頁で言及されてい る「百年ほどにもなる骨董品」の数々のことで,乳白色の可愛い硝子の 花瓶,薔薇の模様が描かれたカップの類,マホガニィ製の茶入れ,深紅 色のワイングラスなどはかなり綺麗なものなのだが,生命のないものは 彼にとっては価値のない唾棄すべきものであった。そして一度として使 ったことがないという。これもサイラスという人間の一面を表わしてお

り,また「我楽多のなかに埋まっている」というのは,もちろん現在の 己の有様を嘆き,そして怒ってさえいる。かつては太陽を浴びながら40 エイカーの牧草地を刈っても,なお疲れを知らぬ男であったのに,いま は生命のない陶磁器などに埋もれて,心ならずもベッドに臥っていなけ ればならない我が身を,精一杯の皮肉をこめて椰楡している。

 しかも家政婦の言葉では,医者からは彼を疲れさせないようにと注意 されているとのこと。それで彼女が「疲れるといけないから,話は程々 に……」と言ったことが原因で,例によって二人の間で,表面はまこと

(20)

に激烈な言葉の遣り取りがある。そしてその直後に,

  Ipuff like an old fro9, he said.(P.168,1.18)

「毫れ蛙みたいに息切れがするんだ」と彼が言った。

その通り。サイラスの容態は本人の言葉だけではなくて「しばらくのあ いだサイラスは黙っていた。その両眼は涙で潤み呼吸が苦しそうだった。

『私』は言うべき言葉もなく,呼吸がもとにもどるまで,おじをまとも

には見ていられなかった」(p.168,II.17−20)。普通に呼吸をしたのでは酸

素の吸入量が足りない,それで意識して大きく息を吸いこんでいる姿を,

川からでた蛙が地面にすわって,喉のあたりを大きく上下させている姿 に見立てた。自分でも死期が近いことを承知していて,そのうえでのユ ーモラスな言葉である。ユーモアのセンスというものは,己に対しては ことさら厳しく出るものなのだろうか。さらに,ふたことみこと「私」

と話したあとで,

  He shook his head. I ain t worth a hatful o crabs. (p.170, L6>

 もう駄目だよと首をふった。「わしはもう帽子一杯のクラブ林檎の値打

ちもありゃせん」

と言うのだが,これは「わしにはもう何もできない,肉体を働かすこと ができない」という意味だろう。長い年月彼が誇りをもって行なってき たことは,肉体を動かすことであった。「93歳にして若駒のように片時

もじっとしておらず,軽快に動きまわっていた」のに,今やベッドに臥 つたきりで,しかも医者からは「もう一杯でも酒を呑んだら,御陀仏 だ」(p.171,1.2)といわれている身であれば,いくら我が身を皮肉ってみ ても気が治まらないにちがいない。サイラスの様子を目で見,弱気にな っている言葉を聞いて,「私」はすっかり滅入っていた。

       や

 そのときサイラスが「一杯則ろう」注いでくれ,と言う。「私」が耳

(21)

を疑ったのも無理はない。ベッドに入ったきりで身動きもできず,しか も飲酒は医者に厳禁されていて,もちろん家政婦が手助けするわけでは ないのに,誰がどんな方法で地下室からワインを持ってくるのだ。とこ ろがサイラスは,ベッドの脇にあるサイドテイプルの上の二本の薬瓶に は,水薬ではなくてワインが入っているというのだ。中味の水薬は捨て てしまい,夜中に家政婦が眠っている間に自分で地下室に行って,濃い 色の瓶にはエルダベリワインを,淡い色の瓶にはカウスリップワインを 入れてくるのだという。二人はワインをグラスに注いで呑んだ,もちろ ん医者の言葉を充分に承知のうえで。

 これをもって,大酒呑みの無謀な,あるいは意地汚い行ないというの       しは当らない。「自分の凡ていることはよく承知して」行なっているサイ

ラスのこと,この場面では,長年の友であったワインと最後まで付き合 って世を去ろうとする,彼のユーモアあふれる心意気さえ感じられて痛 快である。またワインを満たしたグラスを口にもっていくとき,彼の表 情には清々しさがあると読むのは,好意的にすぎるだろうか。

 短篇では,このときカケスが豆畑にきている。目敏くそれを見つけて

「また奴がきてやがる。鉄砲をかしてくれッ」と,大声をたてた。それ を聞きつけて家政婦がとびこんできて,彼をベッドに押しもどす。そし て薬を飲む時間だからと言いながら,瓶から水薬をグラスに注いで手渡 す。サイラスは好物のワインであることを気取られまいとして,

...he kept lolling out his tongue, sick−fashion, and rolling his eyes and complaining, It s like drinking harness oil and vinegar, oh!it s like drinking harness oil and vinegar. Ach!

   Drink it! She forced the glass into his hands and he crooked his elbow on the pillow, lolling his tongue in and out.(p.171, lL23−29)

……

゙は吐き気がするというように舌をだらりと垂らし,目をぎょうつか せて不平を言いつづけた,「そいつは馬具油や酢みたいだ。あ・,馬具油

(22)

や酢を飲むみたいだ」

 「飲むのよッ」彼女はグラスをサイラスの手に圧しつけた。彼は枕に片 肘をついて舌を出したり引っこめたりしていた。

という芝居になっているのであって,これもユーモアのセンスからでて いるものとみてよい。

 一週間の後に「おじが死にそうだ」と知らされて「私」が見舞うと,

       も家政婦は「とても明日までは保たない」(p.173,L6)と,それに加えて

「あの人が今まで保ってきたのは,薬のおかげです」とも言う。もちろ ん彼女は瓶の中味は本物の薬だと信じている。いっぽう真実を知ってい る「私」も彼女の言う通りだと思っている。この一週間に,サイラスは 遣り残してあった畑仕事を殆んど済ませている。豆畑を荒らすカケスま で射ち殺して,棒に吊している。これらについてはすでに「サイラスと いう男』(VI)で詳しく述べた。しかしサイラスが二つの薬瓶にワイン を満たすことは,彼自身の口からほんの一言だけ語られているが,物語 のなかで描写されてはいない。作者が描写していないシーンを自由気儘 に想像するのは,読者の権利であろう。作者の権利を侵害することには なるまい。それで次のように彼の姿を描く。

 一何時頃だったか,家政婦が居間へ入ってきて様子を見ていった。

それはもうだいぶ前のことになる。そして彼女はとうに床に就いていた。

彼が病気になってからというもの,口癖のように「ほんとうに,あの人 のおかげでくたくただわ」(p.167,L4)と言っているので,もうぐっすり

と眠っている。深夜,サイラスはそっと目を開いた。眠っていたのでは ない。ゆっくりと毛布を押しのけた,つぎは片肘を枕について上体を起 こし,両脚をベッドの外に出して立ち上った。そろそろ歩いて部屋をで て,片方の肘で壁をつたって地下室への階段を下りる。その手には薬瓶 を二つ,もう一方の手には明りを持っている。下りきった所は熟知して

(23)

いる場所,濃い色の瓶にはエルダベリワインを,淡い色の瓶にはカウス リップワインを間違いなく満たしてから,来たときと同じようにそろり そうりと歩いて部屋に戻り,ベッドに横になる。毛布を元通りに掛けて から,闇のなかでニコッと笑みをもらす。

 重態の身を夜ごと地下室へ運ぶサイラスの姿は,笑いと共に涙を誘う。

ただ酒欲しさの一念からの行動であれば,明日とも知れぬ老人がよたよ たと廊下を辿る姿には,なんとも遣りきれない不気味さだけが漂うので あろうが,彼の場合はそうではない。もちろん,長年にわたって,おそ らく70年以上も親しんできた酒と死ぬ間際まで付き合いたいという気持 と,瓶の中味が水薬と思いこんでいて,無理に飲ませて安堵している家 政婦を出し抜いて愉しむサイラスの罪のない悪戯心とが混ざり合って,

その姿をユーモラスなものにしている。ユーモアのセンスが行動になっ て現われたと見るべきであろう。

 この短篇だけではなく,「サイラス物」(Silas stoτies)のすべてに当 て嵌まることなのであるが,サイラスという人間の何処かにユーモアの センスが埋っていて,それが外からの刺戟を受けて見覚める。そしてそ れが目覚めてからの現われ方は,時に言葉であり時に行為である,と考 えてよいのではなかろうか。

      この項目のおわりに

 1991年3月に『サイラスという男』(1)を書き始めたときには,そ の「はじめに」に記したように「サイラスという老人が常に語り手とし てまた主人公として登場する『サイラス物』といってよいものが19篇

(いま手許にあるもの)ある。MyωVCZE S圧、4∫の14篇と Shandy Lil A Teetotal Tale (共に㎜砺EZ)の刀>G P4R7Yに収められて いる), Sugar for the Horse The Bedfordshire Clanger (共に

(24)

COLO配E乙ノOL五42>に収められている), Loss of Pride (7HE yEL一

五〇罪〃亙4粥OF、4冊0盟)の5篇で……」あった。ところが,

1993年10月に『サイラスという男』(VII)を書き終えた直後に,

Sσα41〜Fα〜7万E即RSEが手に入った。これには「サイラス物」

だけ12篇が収められている。ただしこのなかに Sugar for the Horse と The Bedfordshire Clanger の2篇が入っているので,現在のとこ ろ手許にある「サイラス物」は29編ということになる。それで先に記し た「丁数篇の物語で主人公を務め遂せているのだから……」は「三十篇 に近い……」と訂正しなければならない。

 またSひG、4R FOR 7HEμORSEを読むと,すでに活字になってい る箇所で完全に訂正しなければならないところがある。〈1.サイラス の酒(その二)〉に「彼が飲んだ酒にはビールもウィスキーもあったが,

主としてはワインであって,それもサイラスの家の庭で取れたニワトコ の実やキバナノクリンザクラの花を原料にして,サイラスが自分の手で 作ったものであった」と記したが, Queenie White のなかでは「私」

が持参した赤スグリ酒(カーラントが原料)を呑んでいる。

 また,異性との関わりも多彩である。 The Widder にしても Aunt Tibby にしても,また The Double Thumb にしても「サイラスの女 たち」でぜひ読んでおきたい短篇であり, Queenie White では若かり

し頃のサイラスが,「サイラス物」のどれにも見られない劇的な事をや ってのけている。しかしこれは若気の至りなどというものではなくて,

熟慮の末に断行した行ないを,老いたサイラスが物語っている。これも 機会があれば,ぜひ読んでみたい短篇である。

 もちろん,この短篇集のなかにも,サイラスのユーモアのセンスを示 す言動は数々ある。それらはこれからのくV.サイラスのユーモアのセ

ンス〉でとりあげたい。       (未完)

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