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中 林瑞松

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H.E.ベイツの女(ヒ・イン)たち

         一1皿一

中 林瑞松

は じ め に

 H.E.ベイツ(1905−74)はCOU:M 1〜}7 T・4五ESという選集の序文に かわる The Writer Explains のなかで次のように述べている。「これ

ら(選集に収められた30の短篇)は何らかの哲理を,何らかの見解を,宗 教上の何らかの信条を,モラルを,あるいはまた善悪に関する説教等々を 担っているものではない。わたしがいちばん望みたいことは,これらの物 語が書かれたときの心にも似たものをもって,すなわち慰めのために,あ るいは人生にたいする強い関心から読んでほしいということである。」こ のことは単にこの選集の短篇だけに限らず,作家の全短篇に当て嵌まると 思われるので,まず引用した。

 『H.E.ベイツの女(ヒロイン)たち』として The Enchantress (可 愛い女)に描かれたBertha Jackson(バーサ・ジャクスン)と Thelma

(セルマ)に描かれたThelrna(セルズ)を選んだ。

 バーサ・ジャクスンは,50年間に,はっきり判っているだけでも6人の 男と結婚したり恋愛関係におちいったり,あるいはもう少し淡い関係をも

ったりしながらも,けっして相手を自分に引き寄せず(とはいっても女性 特有のパッシヴな引力はあるが),つねに自分が相手に同化する,それも 無理に努力してというのではなくて,生来そなわった性格で同化する。ど        早稲田人文自然科学研究 第38号(H2.10)  33

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のようなタイプの男にも見事に同化してしまう女がバーサである。だから,

「可愛い女」なのである。

 ロシアの作家アントン・チェーホフも邦訳「可愛い女」という短篇で可 愛い女を描いている。時代や状況はちがうが,どちらもタイプは同じであ る。W.サマセット・モームはいかにも彼らしく,上記の二人が描くヒロ インとは正反対の女を描いている。すなわち Louise (ルィーズ)とい う短篇のヒロインで,非常に女性的魅力があって数人の男と結婚,死別を 繰り返すのであるが,心臓が弱いのを口実にして男に奉仕させつづけ,最 後は娘の結婚のことで思い通りに事が運ばないと,心臓の発作でさっさと 死んでしまう,まことに「可愛くない女」である。 「可愛い女」にしても

「可愛くない女」にしても,作家であれば一人は描いてみたいのではなか ろうか。長編小説で,一人の女の生涯を描く「女の一生」がいろいろな作 家によって公けにされているのと同じである。なお,「可愛い女」も「セ ルマ」もテキストには1972年Cedric Chivers Ltd.から出版されたNoω ε1θθρs漉θCγ伽soη、Pθ α 研P O盟ER∬ORZESを用いた。

「可愛い女」のバーサ・ジャクスソ

 バーサは.Evensford(イーヴソズフォード)というロソドソから北北西 へ90キロほどのところにある小都市の,その町ではthe Pit(地獄)と呼 ばれているスラムでも最低の場所に生れ育った。ここは道幅が2メートル あるかないかで,両端にはおぞましい共同便所があり,浮浪老達が地面に 坐りこんで博突を打っており,聾唖老が警官が入って来るのを見張ってい たり,余所者が通りかかると唾をはきかけたりする。常人ならよほどのこ

とがないかぎり入ろうとはしない。此処の生れであるということは,社会 的には癩患者と同じにみられていた。

 この町は靴の製造でもっていて,下層階級の者はほとんどが製靴工場で

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H.E.ベイツの女(ヒロイン)たち

働いている。バーサの母親も昼間は工場で働き,家では夜半まで煤と埃で 汚れた窓際でミシンを踏んで革靴を縫っている。そのために滴れ劒えた顔 つきになり,年齢よりも老けてみえ,病的な黄色い目が眼窩に深く窪んで しまっている。それでも週に二回の質屋通いは欠かせない。月曜日には質 草を入れに行き,土曜日には受け出しにいくのである。

 日曜日にはきまってメソジスト教会へ行くのだが,黒い普段着をきて飾 りもない黒い麦藁帽子をかぶり,踵がひどく磨り減った靴をはいていく。

この町では最低の貧乏人でさえも履かないと思われる代物。服も一着しか ないわけではないが,ほかはすべて質草になっている。

 父親というのは引退したボクサーで,20年も前にチャンピオンであった。

これが自慢で,パブに入り浸っては,顔見知り余所者の見境いなくその話 を聞かせて悦に入っている。

 母親がこれほどまで生活費を切詰め,不健康な顔をしてまで夜なべをし,

そのうえ質屋通いまでしているのは,生活力のない亭主がいるからでもな く,子供が多い(物語では一言もふれていない)ためでもなく,もっぱら 娘のバーサのためであった。というのは彼女は幼い頃からポッチャリと可 愛くて,白い肌は透き通るよう,董色の瞳はキラキラと輝やき,長い金髪 は背中までとどき,13歳の時にはもう16,7の娘のように背が高く,両肩 は:丸味をおびて胸は固く張っていて,脚の線の見事さは,二度とはいわな いまでも,擦れ違った男は一度は振りかえって見るというものであって,

この娘セこいつも身分不相応な綺麗な身形をさせておくためであった。

 それで近所の者は,母親が娘のために服を作っているのだと噂をしてい たが,そうではない。町でいちぼん高級な洋裁店の経営者は「バーサが着 る物はぜんぶ私共で持えたものなんです,私と妹が。彼女の下着までもで すよ。ペティコートには必ず手編みのレースをつけました。そしていつも 現金で払っていただきました」というのである。イーヴソズブォードで最       35

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底の生活をしているジャクスソ家が,特に母親が如何なる犠牲を払っても,

娘のバーサにだけは上流階級の者に負けない装いをさせていた。如何なる 考えによるのか分らない(物語のなかではそれには触れていない)が,母 親は血の滲むような努力によってレ娘を.ヒ流階級に向くようにつくりあげ ていたのである。

 バーサは14歳て学校を卒業し,ほかの者と同じように製靴工場て働き始 めた。この頃のバーサは,母親が自慢する一度も切ったことのない髪の毛 一色はそれほど明るくはないが金髪で,毛の質は触れると軽やかでフワ

ッとしている一をアップにし,通学するときのように洋裁店で作らせた 服を着て行った。

 このような環境に生れ育ったバーサの性格を作品のなかで探すと,次の ような記述がある。すなわち「彼女は他人からは決して何も奪わない女で あった」とか「彼女はどうしても男が惚れてしまうような女であって,そ れは彼女が惚れられるのが好きだったからである。」もちろん彼女が意図 して男を惹きつけるのではなくて,彼女はしらないのに,彼女の内にある 魅力が男を惹きつけてしまう。ただし彼女もその状態が嫌いではない。た

とえ「地獄」の生れであるとはいえ,容姿に申し分がなく服装も上流階級 に伍して遜色がなく,無邪気で,相手から奪うことをせずに与えることに 喜びを感じる性格の・ミーサは,17歳のときにWilliam James Sherwood

(ウィリアム・ジニイムズ・シャーウッド)という男と結婚した。

 シャーウッドは年齢が70,かつては皮仕上げの腕のいい職工であったが 引退して,かなりの収入がある。身綺麗にしており礼儀正しく上品で,古 風な男。立派なエドワード朝風の家に住み,それを林檎や梨の果樹園が取 りまいている。夏の午後セこはカソカソ帽を被ってクリーム色のアルパカの 服を着,ランドー型の馬車を駆ってあるくのが趣味であった。70歳の老人 が17歳の,孫といってもよい娘と結婚するなんて,彼女は彼の好みに合わ

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H.E.ベイツの女(ヒロイン)たち

ない,合うはずがない。今にどうなるか見ていよう,というのが町の人達 の気持であった。ところが,

  Presently Bertha was to be seen driving out with William James Sher・

 wood in a landau oロfine summer aftemoons. By the way she sat thefe,

 upright, composed, holdiロg a parasol over her head, one hand restio9  1ightly and decorously o且the side of the carriage, you could have supposed  that she had rarely do瓢e anything else but dτive in landaus for the better  part of her seventeen years. (P.11,11.9−15)

というように町の思惑は完全に外れて,彼女はすこぶる満足で幸せであっ

た。

 それからの三年間,彼女は仕種も雰囲気も70歳の夫に合わせたので,や がては良家の生れで大邸宅に育った,30歳二半ぽの上品で落着いた女のよ

うになっていた。二人が果樹園を散歩するときなど,その歩き方もゆっく りと物静かで,喋るときも思慮深い話し方で,平穏で調和のとれた夫婦に なっていた。この結婚によってシャーウッドも幸せであったのだが,それ は町の者には窺い知る由もなかった。ところが,彼女が20歳になったとき,

夫は梨の木を勢定しているときに梯子から落ち,二日後に出血多量のため に他界してしまった。

 夫の死後半年ほど経ったころ,バーサがTom Pemberton(トム・ペム バートソ)の車に乗っているのを人が見た。この男は裕福な製靴業者の一 人息子で,城のような大邸宅に生れ育った。頭のなかは空っぽで何の取り 柄もない男ながら,テニスだけは上手で,クラブ仲間ではかなり洗練され たプレイをする。父親というのが息子に甘く,欲しいといえぽスポーツカ

ーや普通小切手,さらには高価な服を買って与え,息子が車で事故を起し たりすると,すぐに罰金を払ってやる。

 バーサはこの男と,夫と死別してまだ半年というのに,スポーツカーに 乗っていた。髪は短く切ってしまい,帽子も被らずに助手席に坐って,ハ

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ンドルをにぎるトムの首に腕を絡ませていて,車が急カーヴをまがるとき など嬉しそうに嬌声さえ発していた。何よりも人を驚かせたのは,彼女が テニスをすること。かつてテニスをするなどとは聞いたこともないのに,

トムやその友達一人並以上のプレイをする一を相手に引けを取らずに

打ち合うのである。

 What impressed Ine so much was that she had trai且ed herself to Pem.

 bertoロ s pattern. She二〇10pger looked like a woman llestling down into  the co且tentnlent of her middle thirties. Though she was且ow a widow she  looked, with her close−bobbed hair, severe twe範tyish tennis frock, her low  waist and short skirt that showed her mag且ificent Iegs to superb advantage,

 1ike a careless wild。headed girl of seventeen.(P.13,11.14−20)

薄情ともいえるほどに悲しみを,また良心の苛責を感じもせずに,彼女は まことに素早く「古いペティコートを脱ぎすてるように」未亡人の役割り を棄てさって,別の男の雰囲気,行動のパターン,そして外観を真似てい たのである。

 思慮がたりず,そのうえ思いのままに行動するトムを見てクラブの年配 者達は,彼はとても長生きはできないだろうと噂していた。これが現実と なり,嵐の晩に彼女を隣りに乗せてスポーツカーで帰宅する途中,街路樹 に激突,バーサは奇蹟的に無傷で車外に投げ出されたものの,トムは若い 命をおとした。彼女が21歳のときのこと。

 トムの死後3日経って,Ormsby−Hi11(オームズビィ嵩ヒル)という若 い牧師補が,夕方の6時頃にバーサの家を訪れた。教区内の信者の関係者 の不幸ということで,教区牧師が訪問すべきであるのに,「地獄」一夫 と死別したあと彼女は両親の家に帰り,ふたたび製靴工場へ働きに出てい た一という処が嫌悪すべき場所なので,代理に牧師補のオームズビィー

ヒルを行かせたのである。

 彼は名門の出身であってオクスフォード大学を卒業しており,ウイルト

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H,E.ペイツの女(ヒロイン)たち

シャーには大きな屋敷があって母親が一人で住んでいる。大柄で筋骨逞し く,肉感的な唇をしていてラグビィとビ}ルが大好きで,あらゆる点で因 襲的な若い牧師補たちとは正反対なタイプであった。そして彼は,福音と いうものは聖職者が身形を整えて手に十字架を持って説くよりも,ツイー

ドの服を着て手には泡立つビールのジョッキを持って説いたほうがよく伝 わる,そして時にはパブで酒を飲みながら説教したほうが効き目がある,

と考えていた。このような彼がなぜ宗教界に入り聖職に就いたのか,誰も が不思議に思うのであった。

 牧師の代理として訪れたことが切掛けとなって二人の交際が始つた。も ちろん男の方が積極的であった。二人が通りで話し合っているところを見 られたり,教会主催の行事でダンスをしているのを見られたり,工場の退 け時に門で待っている彼の姿が目撃されたり,さらに彼が「地獄」の家ま で女を送っていくのを目撃されるようになっては,オクスフォード大学出 の牧師補と「地獄」生れの若くて美貌の未亡人とのスキャンダルは急速に 町中にひろまった。

 この二人の関係がその年の秋,そして冬,翌年の春と,長くなるにつれ て密度も濃くなっていき,前の二人のときと同様にバーサは男に染ってい

った。

She also went to church, though her mother was a Methodist aロd went to chape1, and watched him take part in the services aロd listened to him preachi且g a且d reading the lessons. She took on also some of his accent.

slightly Oxford, his phrases a豆d his muscular mannerisms. She was some.

times to be seen i夏country pubs outside the town, drinking from large ta亘kards of draught ale,1aughing with ravishing heartiness alld saying such things as=

  Darling, how could you?You re too, too awfuL You re really shame・

making, honestly you are. Really shy6making, All right, pet,1et s have aロother. Why not? (P.19,11.13−24)

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 しかしこの年の6月に,とつぜん牧師補の姿が町から消えた。コーンウ ォールの片田舎にある教会へ遣られたということであった。いうなれば左 遷である。この場合も先の二度の場合と同様に,彼女は本質的には男から 何も奪ってはいない。そうではなくて,できる限り相手に同化しようとし たのである。

 牧師補とのことがあってから約一年後,彼女は22歳になっていた。世は 1920年代に入っていて,快活で放矯で無茶な時代で,ダンスが大いに流行 した。そして町でダンスがあるとバーサはいつも主役で,二度と同じ装い で現われたことがなく,生気に満ち上品で人気があった。ダンスが上手で あろうと下手であろうと,年寄りであろうと若者であろうと,また職業,

階級を問わずに如何なる人ともステップを踏み,気さくに相手が使う言葉 で応対した。ここにも彼女の本質が現われている。

 このとき彼女のパートナァとなった者のなかに「私」がいた。すでに作 家として世に出て,新聞にも幾度か寄稿していて,そのうちの花に関する 随筆を彼女も読んだことがあるという。これがもとで記事の蘭を見に行く ことになった。行く手段としては「私」の自転車が一台だけ。彼女は持前 の気安さから,ダンス用の服装であるにもかかわらず自転車の後部荷台に 乗って行くという。それでは服や靴下を破くといけないからと,彼女がサ ドルに坐ってハンドルを握り,「私」が荷台に乗って彼女の腰に腕をまわ してペダルを踏んでいった。

 夜も更けて刃物園は静寂そのもの。聞こえるのは胸の鼓動のみ。蘭を見 てまわるうちに雰囲気に酔って「私」は彼女を抱いて接吻していた。「私」

にとっては自然な行為であって,彼女の肉体も静かに応えていた。 「私」

はふとジョン・ダンの詩を口遊んだ。もちろん彼女は詩人の作とは知らな い,「私」の作と思っている。

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H.E.ベイツの女(ヒロイン)たち

 She stood, dream−like herself, for a few molnents as illsubstaロtial as the flowers she was holding, while I quoted to her with ardent quiet且ess Donne s words about excess of joy. She Iistened not only as if she had been used all her life to hearlng youロg men quote verse to her at皿ight,

in summer woods, but also as she must have listened to those other accents, the acceロts of James William Sherwood, Tom Pembertoロ, Ormsby.

Hill a且d the rest, charmingly ready to take on their pattern of speech,

just as she was ready, now, to take on mine.(P.24,11.18−26)

 ここにもバーサの順応性の高さが示されている。「地獄」に生れ育ち,

製靴工場で働いているうちに70歳になる男(もとは皮仕上げ職人)に見初 められて結婚,そして死別。つぎは大金持の一人息子,気儘に短い人生を 送った男との恋愛。そのつぎはスポーツマン・タイプの牧師補との恋愛。

こう見てくると,彼女のこれまで(22歳になるまで)の人生は文学とは無 縁であった。それなのにいま突然に文学が入ってきても,臆することもな く自然にそれを受け入れてしまうのが彼女がもって生れた資質であった。

 これだけではない。「私」との交際が始まったときには,すでにGeorge Freeman(ジ。一ジ・フリーマン)という荷馬車で酒を運ぶ男との付合い

も進行中であって,「私」のデイトの申込みに対しては,一週間に三晩は ジョージと会うことになっているので,それ以外ならいつでもよいと言い,

Ilove the way you talk. I love that poetry. I want to hear all

about you and your writing.と付け加えていた。複数の男と同時に交 際しながら,それぞれに順応性を示す,常人には想像もつかないほどの包 容力というか吸収力が感じられる。これでもし彼女の心の底に少しでも打 算があれば,この行為は鼻持ちならない唾棄すべきものとなる。ところが そこにあるのはイノセンスだけなので,頬笑ましくもあり心地よくもある。

しかしこの交際も世間一般の見方からすれぽ危険でもあり不道徳なもので あって, 「私」の父による干渉があって終りをつげることになる。

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 そして17年後にバーサと再会するのであるが,今は米空軍司令官夫人と なっている。第二次大戦中のことであり,英国の各地に米空軍の基地があ って,そのうちのひとつイーヴンズフォードに近い爆繋機の基地の司令官 がColonel Garth F. Parkington(ガース・F・パーキントン大佐)で ある。 「私」は英国空軍の軍属になっていて,生れた町に近いこともあっ てその空軍基地へ取材を命じられた。

 パーキントン大佐はゲルマン系の感じのよい偉丈夫で,一点の汚れもな い軍服の胸にはたくさんの綬をつけていて,「私」が挨拶に行ったときは 電話の応対にいとまもない忙しさでありながら,初対面の「私」を気さく に01d boyと呼ぶのである。そして送話器にいう言葉は,

Always chaロnels. Always channels. They think of皿othing but channels.

This is an operational station. Dammit, I can t wait!Where do they thiロk tllis goddam war is beiコg fought?In Albuquerque or where? (p.

28,1.30−p.29,1.2)

 この引用文だけでは,もちろん話の内容は正確には把握できない。しか し,大佐の要求に対して本国政府,特に軍の.ヒ層部の対応が遅々としてい ることに腹をたてている有様がよくわかり,最後の痛烈な皮肉も理解でき る。しかもこの表現(言葉)が口癖(あるいは十八番)になっている(こ れは後で判明する)。

 このとき「私」は士官のパーティに招待され,しかも大佐に,夫人が英 国人であるとのみ知らされる。夕方,パーティに出席してみて驚いた,大 佐夫人はバーサその人だったのである。今は40歳になっている。他に女性 の軍人もいるのに,若い男の士官ぽかりが彼女を取りまいている。金町を やユ長めに肩までたらし(当時の流行),襟到が深くて締った胸が.見えて いる。西洋梨の形をした大きな耳飾りをつけているので,上体をそらせて 豪快に笑う(大佐の身振りを身につけたものであろう)たびに,それが揺

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H.E.ベイツの女(ヒロイン)たち

れて電燈の光に輝やく。そして夫の部下である若い士官達にいう言葉は,

 She spoke, I now discovered, with a slight American accent, just clipped  enough to be charming.

   Oh!it s all chanllels, channels, Iheard her say. Nothing but chan.

 nels. It s like Garth says−you,d thiロk they were fighting the war in Albu.

 querque or somewhere. For goodness sake what does Washington k∬ow?

 (p.32,11.4−10)

 言葉の読りだけではなくて,夫の大佐が始終口にしている言葉(表現)

そのものまで,いっか自分のものにしていた。それを聞いて若い士官達は ドッと笑い,彼女を特命全権使節として本国へ行ってもらおうと冗談をい うのであるが,彼女は」:官達をことさら笑わせようとして夫の言葉を真似 たのではなくて,それがすでに身についてしまっていたのであろう。

 やがて戦争も終り,風の便りにバーサが離婚したことを「私」はきいた。

あれから6年が過ぎ,いま8月,「私」はイタリアを旅行している。とあ る山麓のホテルに泊っていて,散歩をしていた。道端では唖の少女が花を 売っていた。彼女からイタリア人の老紳士とその妻らしき二人が桃色のシ クラメンを買っているのだが,花の名を知らない。娘に訊ねても答えられ ない。老紳しが100リラを渡そうとするのだが,娘は受取ろうとしない。

妻らしき女が自分の紙入れからやはり100リラ取りだして渡そうとしなが ら「堕かしら」ときくものだから,娘は意味にならない叫びを発して逃げ てしまった。「私」がそっと「野生のシクラメンですよ」と言った。もち ろん彼女は礼を言った。50歳にはなっているバーサであった。

 男はCount Umberto Pinelli(ウンベルト・ビネーリ伯爵)で白い帽 子をかぶり,藤色のスーツを着ている。女は白いハンドバッグを持ち白い 絹の服に身を包んでいた。それだけではなくて靴も耳飾りもネックレスも 白であった。バーサの好きな色は白と黄であったとはいえ,50歳になった いまも文字通り自尽くめの服装であることは,白い色は純潔,無邪気さ,

      43

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貞節を表わすので,今でも彼女自身が純潔でありイノセントであることを 意味し,そして,今でも相手の色に染まる用意ができていることを表わし ている,と読めないだろうか。

 17歳で70歳の男と結婚してから少なくとも6人の,それぞれタイプの異 った男と生活し交際をもちながら,誰の性質から何も奪いとることはなく,

つねに自分が変化して男たちに合わせてきた。ウィリアムの死後,トムと 交際するようになったとき 「彼女を一時的にもせよ,かなり年配の紳士 に相応しい上品な妻に仕立てあげた特質と,いま彼女を大声で雑な喋り方 をさせたり,膝上の短いスカートをはかぜたり,うさん臭いクラブでの乱 痴気騒ぎを好む尻軽女に仕立てあげた特質とが同じものだということを知 ったのは,ずっと後になってからでした」とあるが,最後の場面は,彼女 のこの特質なるものが50歳の今も変っていないことを示しており,たとえ このあと話が続いたとしても,この特質に変化がないこと,言いかえれば バーサという女は変化しないことを暗示している。ここにバーサ・ジャク スンが「可愛い女」である所以がある。

「セルマ」のセルマ

 Thelma(セルマ)は14歳のとき,ロンドンから西へ80マイルの片田舎 にある宿屋The Blenheim Armsで住込みの客室係女中として働き始め,

ふとしたことで男の客を愛してしまい,慕いつづけて結婚することもなく,

57歳で世を去るまで同じ宿屋で働いていた。この短篇はいわぽセルマの生 涯の物語である。

 14歳のセルマの容貌に関する描写は次の通り。

  When she first begaロto work at T運針励θ伽みγ〃3s she was a plump  short girl of fourteen, with remarkably pale cream hands and a head of  startling hair exactly the colour of autumn b㏄ch leaves. Her eyes seemed

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      H.E.ベイツの女(ヒロイン)たち bleached and 1狐guid、 The only colour in their lashes was an occasionaI touch of gold that made theln look like cuτ1ed paint brushes that were 且ot quite dry.(P.135,11.5−11)

 この宿屋はロンドンと西部の勢州とを往復する行商人の定宿になってい るために,客のほとんどが行商人で,定期的に同じ人物が宿泊した。それ で彼女はすぐに客の扱い方や個人々々の好みや癖をのみこんでしまった。

鶏卵の半熟が好きな客や三岳を好む老,ぐっすり寝込んでいる客は上品に 扉をノックしたのでは駄目であること,寝惚け癖のある客は恥しがらずに 部屋へ入っていって叩ぎ起こすこと,髭剃り用の湯が一層でいい客と二缶 ほしがる者,髭を剃るとき顔に傷をつけて脱脂綿を必要とする者,また誰 が何時の列車に乗るか,もちろんすべての客の名前まで憶えてしまった。

 これぽかりではなく,当初のおどおどした応対の仕方は影をひそめて,

誰に対しても年長者のように振舞った。けれどもセルマの口振りには優し さがあったので,他の娘ならばともかく,彼女から言われると誰もが温和 しく従った。このような記述は,彼女の積極的な性格を表わしているとい えるかもしれない。

 彼女は月に一度,日曜日に仕事が終る3時頃,撫の森一宿屋:の東,西,

北の三方を大きく馬蹄型に囲んでいる(南側には村がある)一を散歩す ることにしていた。村人の言うには,一日歩きつづけても外に出られない ほど大きなものだそうで,まだ試したことはないが,彼女はこの森のなか にいるのが好きであった。

 18歳になったとき,George Furness(ジョージ・ファーニス)という 35歳の,小間物や安物の刃物類を商う客が土曜日から日曜目にかけて泊っ た。ふとしたことから,彼が榛の実やクルミは食べられても,撫の実は食 べられないと思いこんでいることを知って,森で食べさせてやると約束す

る。

      45

(14)

 次の日,ジョージをつれて森へ入り,撫の実をむいて存分に食べさせた。

彼は自分ではけっして殻をむこうとはせず,もっぱら彼女が剥いた実を空 中にほうりあげては口で受けとめて食べている。肉感的な厚ぼたい唇を開 いて赤い舌で受けとめている。「ロンドンにもこんなにたくさん木がある かしら」という問に, 「リッチモンド・パーク,キュー植物園,ハイド・

パークなんかがあって,ここよりずっとたくさんある」という答え。さら に「いっかロンドンへ来いよ,そうしたら方々を案内してやる。そして酒 を飲んで楽しくやろう」とも言う。

 広い森に二人きりということもあり,気心を知りあったことでもあって,

当然のことながら抱擁,接吻,愛撫,そしてさらにジョージは進みたがっ たのであるが,セルマには心の準備ができていなかった。彼はそれでも

……ニ言い張ったが,彼女が次の機会をかたく約束したことで男も納得し たようであった。たとえここで止まったとはいえ,これはセルマにとって は初めての経験で,強烈な印象となって心に残った。と同時に「ジョー ジ・ファーニスの唇がしっとりと心地よく温かであった」ことが忘れられ なくなってしまった。後で部屋で一人きりになったとき,彼の希望を叶え てやれぽよかったと,後悔の念が強く彼女を責めたが,それをやわらげた のは金曜日か来週の月曜日には戻ってくるという男の言葉であった。また,

彼が鉄道を使わずに自動車で行商をしていたことも,彼女にとっては珍し いことであった。

 その週の金曜日をセルマは待ち望んだ。彼は来ない。月曜日を待った。

来ない。つぎの週を待った。やはり彼は来なかった。

 She waited with particular a皿xiety on Fridays狐d Mondays. She found  herself becoming agitated at the sound of a Inotor.car. Then for the few  remaining S岨days of that autumn she walked i且the forest, sat down in  the exact spot where George Furness llad thrown beech.且uts into the  air a且d caught them in his red fleshy mouth, aロd tried inte且sely to

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H.E.ベイツの女(ヒロイン)たち

re・experie:1ce what it was like to be kissed by that mouth, in late warm sunlight, under a million withering b㏄ch・1eaves.(P.142,11.1−9)

 会いたい男を待ちつづけながら会えないでいる女にとって,これは当然 の変化であり行動であろう。そして行商人の仲間なら誰かがジョージの消 息を知っているか訊ねはじめていた,これもごく自然のこと。もちろん初 めは何気ない風を装って,些細な事を訊ねる口振りであったのが,効果が 現われないとわかると,明白な形の単刀直入の質問へとかわっていった。

 セルマは20歳になっていた。初夏のある日曜日の午後,撫の森へ歩いて いると,やはり行商をしているPre皿tis(プレソティス)という男に出会 った。細い籐のステッキを持っていて,歩きながらキンポウゲを薙いでい た。その仕種は,2年前にジョージがやはりステッキで10月の蝿の群を薙 いでいたのとそっくりであった。プレンティスの仕種がすぐにジョージの 仕種と結びつくということは,2年を経った今でもセルマの心にはジョー

ジが強く残っていることを意味する。二人は森へ入り,

Prent量s began kissi夏g her very much as George Fumess had done, Under the thick bright mass leaves,颯otionless ill the heat of after且oon, she shut her eyes and tried to persuade herself that the moist red lips of Furness were pressiロg down o且hers. The recaptured sensation of warmth and softne$s excited her illto trembling.(p,143,11.17−22)

 ここでもジョージの影が色濃く残っていることがわかる。ところで,さ きに「強く残っている」と言い,今また「色濃く残っている」と言って,

「残っている」という言葉を二度も用いたが,この言葉をこの時のセルマ の心に関しては用いてはいけないように思われる。というのは, 「残る」

ということは時間の経過とともに本来なら消滅していくものが,十分に時 間が経たないから消え去りきらないでいるのであって,時間さえ経てば無 になってしまうのである。すなわちマイナスの感じを伴った表現に思われ       47

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る。ところがこの時のセルマの心にあるジョージの面影,あるいはジョー ジへの思慕はますます色濃く,大威張りでその存在を主張しているように 感じられる。このような訳で,この言葉はセルマの心理を表わしてはいな い。それだからセルマの意識のなかでは,このときプレンティスとラヴ・

シーンを演じているのではなくて,あくまでもプレンティスは人形あるい は影であって,行為の実質的な対象はジョージなのである。だからプレン ティスと抱きあい口付けしているときも,セルマの腕のなかにいるのは,

あるいは彼女を抱いているのはジョージその人であり,彼女の唇と接して いるのは彼の唇であった。そしてまた彼女の髪の毛を杭っているのは彼の 指であったのである。だから,愛撫に対する彼女の反応も,もちろんプレ ソティスに対するものではなくて,長いあいだ待っていたジョージに対す る反応であったわけで,それだからこそセルマの真実の籠った愛の応えと もなった。もちろんプレンティスはそのような彼女の心を知る由もない。

すべてが自分にむけられた愛情の現われと思いこんでいた。

 ただしセルマにとっては,プレンティスとの愛の行為がなければジョー ジとの愛の行為は感覚されない。それだからプレンティスとの愛の行為が ジョージとの愛の行為を感覚するために必要にして不可欠なものなのであ って,これが端緒となって,セルマは多くの男と様々な程度の愛の行為を もつことになる。

 セルマは25歳になった。20歳のときにプレンティスとの間で始まった,

彼女にとってはジョージを感覚するための唯一の手立てが,しかし男にと っては心から自分を愛してくれる(と思う)女との愛の行為が幾度となく 繰り返されて,今では「日曜日の午後に撫の森へ誘った男の数は算えきれ ないほどになっていた。」

 一口に行商人といっても,もちろん一様ではない。商いには好景気や不 景気があり,私生活では喜びがあり怒りがあり,哀しみがあり楽しみがあ

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H.E.ベイツの女(ヒロイン)たち

る。セルマとこれら行商人達との交歓はつぎのような風であった。客の注 文でココアやウィスキー,あるいは茶のポットやシナモン入りのラム酒な

どを部屋に運んだときに,今では身体の線が崩れはじめて無様になった胸 に太い腕を組み,これも太くなった脚をやや開きぎみにして立って,彼ら の喜びや悩みを聞いてやった。あるいはベッドの端に腰掛けているときも あって,そんなときには客もベッドに腰掛けて,話しながら彼女の髪の毛 を弄んでいるのであった。客の誰かが女友達と不和になったり妻に逃げら れたりしたときには,男の苦悩を受けとめてやった。そのようなときにも,

Not o且e of them guessed that she was really thinking of George Fumess or that as she let them twist her thick red hair, stroke her pale comfort−

i皿g,comfortable arms and th量ghs or kiss her u且aggressive lips she was really letting someone else, in imagination, do these things. In the same way when slle took off her clothes and slipped into bed with the∬1 it was from feeliIlgs aロd motives far removed from wantoロness. She was simply groping hungrily for experiences she felt George Fumess, and only George Furness, ought to have shared.(P.145,1.27−P.146,1.4)

 セルマは30歳になっていた。最初の体験から12年が過ぎ,そのあいだに 数知れぬ男をジョージの身代りにしてきたのであるが,身代りはあくまで も身代りでしかなく,あるいはそれが逆効果を齎したのか,この年ジョー ジに会いたいという思いが押えきれなくなって,生れて初めて村を出てロ ンドンへ行こうと思い立った。そして9月のある日に,これも初あての休 暇をもらって,出発した。

 村の駅から12マイル程のところが乗換駅で,ロンドン行きの列車がくる までに30分もある。駅の簡易食堂で茶を飲むことにして入った。すると Lattimore(ラティモア)という宿の常連客がいて,もうしたたかに酔っ ている。これから宿へ行くのだというのだが,とてもひとりで行ける状態 ではない。この原因は妻からの手紙であり,それには「もう終りよ,貴男       49

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には愛想が尽きたから出て行ぎます」とある。放っておいたらどうなるか 分らない。止むなくロンドン行きを諦めて,彼を連れて宿に帰ることに.し

た。

 ・に中でジョージのことを訊ねてみると,なんと,彼は友人でメイダ・ヴ ェイルという所に住んでいるとのこと。それから次に彼女が質問をするま での間に,窓外に移りゆく景色の描写と,男の酒臭い息を嫌って彼女が窓 を開ける描写とが挿入されているのだが,この描写の問は激しい心の動揺 を彼女が押えようとしているのだと読むべきであろう。

 しぼらくして彼女が質問したのは,さいきん彼に会ったのはいつかとい うこと。とうぜんの質問である。答えは「水曜口だったよ。わたしは彼と 毎週水曜日に玉突きをするんだ。」今日は土曜口(行商人達が宿へくる日)

だから,つい三日前に,目の前にいる男がジョージに会っていたのだ。こ のすぐ後に「一ヵ月もすれば撫の葉は色づくだろう。喉を血液がドクドク と流れるのを覚えながら,彼女は色づき枯れていく厩大な葉を思い,ずい ぶん昔に彼女が剥いてやった実を彼が空中へ放りあげ,唾液で濡れた赤い 舌で落ちてくるのを受けとめていた様を思いだしていた」という記述があ るのだが,これは彼女が最初の激しい心の動揺をのりこえて,いくらか余 裕を取り戻したことを示すものであろう。そして次の質問は「あの人の商 いは,この頃どうかしら」というごく当り前のものになっていた。このあ と話題がジョージの商売の種類におよび, 「家具や絨毯だ,今は主として 絨毯だけどね」というのを聞いたとき,彼女は初めて,今まで同名で異人 のことを(とくに彼女は)熱心に話し合っていたことを悟ったのであった。

 この日ラティモアは酔いにまかせて,結婚指輪をはずして無理にセルマ の指にはめた。男がひどく酔っていたために,彼女は強いて返さないでお

り,翌日彼は思いだしもしなかったので,そのままセルマの所有になって しまった。こうした客からの贈り物一ハンカチ,下衣類,香水の瓶,白

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粉,寝間着,模造真珠の首飾りなど  は彼女の 誕生日やクリスマスのた めのものであって,いっか彼女の衣装箪笥の抽斗はこれらの品物でいっぱ いになっていた。

 Some of the men who hadgiven them came back only once or twlce and she never saw them again. They changed jobs or were moved to other districts, But tkey never forgot Thelma and trave11ers were always arriving to say that they llad seen Bill Haynes and Charlie Townsend or Bert Hobbs only the week before and that Biil or Charlie or Bert wished to be remembered. Among themselves tGo men would wink and say Never need be lonely down at T乃8β」励gf〃1. What do you say, Harry?Thelma always looks after you, and many a man would be recommellded to stay thcre, on the edge of the forest, where he would be well looked after by Thelma, rather than go on to bigger towns beyond・(P.151,1L 10−21)

 セルマは40歳になっている。この年代での行商人との停りについては特 に記述されてはいない。が,これまでと同じであっただろうことは想像で きる。とくに記されていることといえぽ髪の毛の変化  白髪の増加 であって, 琶髪は年を取ると共に自然に,そして当り前に変化するもので あるにもかかわらず,やはり彼女も鈍なのであろうか,それを染めること によって隠そうと腐心する。肉体的な変化はこればかりではなく,年相応 に胸も形が崩れてしまい腰の線もなくなって寸胴となり,ヒップはスカー トを持ちあげるほどに肥大し,脚は二本の丸太のようになっていた。総体 的に女性特有の線はすべてなくなって,年寄りの体型になっていたのであ

    る。か,

 The one thing that did not change about her as she grew older was the colour and appearance of her eyes. They remained unchangeably blcached and distant, always with the effect of the mild soft lashes being still wet with a touch of gold paint on them. While the rest of her body grew plumper and older and greyer the eyes remained, perhaps because of thcir extrcme pallor, very young, almost girlish, as if in a way that part

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 of her wouldロever grow l1P.(P,152,11.10−17)

 目は生命を表わして「目を閉じる」とは死ぬことを意味する。また目は 精神的な内なる人間が現われるところでもあり,性格や気持が現われると

ころでもある。そして目も肉体の一部であるからには,肉体の老化と共に その変化も免れない。それであるのに,肉体の他の部分には著しく老いが 現われているにもかかわらず,目だけは14歳のときと少しも変っていない ということは,彼女の内面は昔のままに純粋で,無垢のままである,すな わち汚臓をしらないでいることを示している。

 さらに10年以上が過ぎて,セルマは50代に入っている。いまだに女中と して働いていて,Sharwood(シャーウッド)という客に会ったときも,

その目は「青白く漂白したような色で,不自然なほどに未熟な」ものであ った。この日,雨もよいの10月中下旬の朝,朝食前のティと新聞を客室に 届けたあと話しこんでいた。「今日はどちらへ行らっしゃるの」という問 いに,ロンドンへ帰る,という答え。ロソドソという地名が出るときっと 訊ねていた問いが,このときにも出た。 「そこでジョージ・ファーニスに はお会いになりませんでした?」と聞いたセルマに,シャーウッドは「こ の宿を教えてくれたのは,そのジョージだった」と答え,ひと月ほど前に グラスゴーで彼と偶然に会ったこと,この11月で35年にもなり,土地の釣 りまで身についてしまっていることなどを話してきかした。

 あの日,ジョージはヘレフォードへ行くのだと言っていた。それなのに 所もあ.ろうに,ずっと北,スコットランドのグラスゴーまで行ってしまっ たとは! シャーウッドが語るのを聞きながら,セルマは両手をしっかと 握りしめて,震えるのを懸命に押えていた。そうでもしなけれぽ,吾が身 がどうにかなってしまいそうだったのである。何故そんなにも遠方へ行っ てしまったのか分らない。あのとき彼は35歳だったから,70歳になる。

「ずいぶんと変ったでしょうね」ときくと,ほとんど変らず,以前と同じ

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ようだとのこと。新聞に載った写真を見せられると,あの時とほとんど変 っていないジョージが見詰めている。いかに写真では変らないといっても,

彼は70歳になり,彼女は53歳,そして住んでいる所は遥かに北のグラスゴ ー,二度と会うことは叶わない。

 その日,週の半ばではあったが,午後の3時頃にセルマは独りきりで撫 の森へ入っていった。もちろんジョージの消息を知ったことが彼女の心に 作用している。そして35年前に彼に撫の実を食べさせた場所で実を拾って みたが,この年の夏は雨が多くて気温が低かったせいか,実が入っていな い。この時,今までしたこともないこと一冒険一をした。

 Finally she walked oロand d三d somethiロg she had never do且e before.

Slowly, in brightenillg sunlight, through shoals of dre且ched fallen leaves,

she walked the entire width of the forest to the other side. It was really,

after all, not so far as people had always led her to believe,(p.154,1.30−

p.155,1.2)

 森を通りぬけて,開けた土地が見える所で,太陽が温かく照っていると はいえ,落葉が降りつもった雨あがりの湿った大地に,2時間ほど横にな っていた。仰向いている顔に陽光がやわらかくあたっていた。14歳のとき から少しも変っていない目で木々の梢,そこからさらに上へ,いまはすっ かり晴れた空を見上げていた。

 その晩彼女は背中に痛みを覚えて眠れなかった。呼吸をすると更に痛む。

医者が診て,年を取っているのに地面にねるなんて無謀だ,もう少し身体 に気をつけなければいけないと言うのだが,その言葉を理解した様子は見 せなかった。それから5卜して,セルマは世を去った。行商人のひとりが 宿のバーに募金箱を置いたので,相当の金が集った。ほとんどが何らかの 意味で彼女の世話になった男からのものであった。白菊の大きな花輪が墓 を飾った。それには白いカードが添えてあり「みなに愛されしセルマの霊,

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安らかに眠らんことを」とあった。

 18歳のときに,情事というにはあまりにも淡く幼い情事を経験し,生涯 その相手が忘れられずに慕いつづけ,そのために外の男といるときにも心 で思うのはその男,それで自然に情がこもって数知れぬ男から愛されるの だが,そのじつ,彼女は生涯にたった一人の男しか思わず,抱かず,そし て死んでいった。いうなれぽ彼女なりに恋に生き,恋に死んでいった。こ の短篇はそういう女,セルマの「女の一生」である。

       (つづく)

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