セッション
Ⅱ 図像のなかの暮らしと文化ー日本と乗アジアの近世近世中国における芸術 と都市文化
一都市図および関連する諸問題● ‑
王 正華
都 市に張 り巡 らされ た意味の網 の 目を探究 した】ことで有名なイ タ リアの小説家、イ タロ ・カル ヴィ‑ ノは かつて、幾何学的な合理性 と人 々が織 り成す生活模様 の間に存在す る緊張 を表現す る上で 、都 市はその重要 な手段 とな る複雑 なシンボル である と述べ たQ また、都 市は多面的な構造 を持 ち、都市文化 にあるのは階層 序列 ではな く、様 々な可能性 の網の 目であ るとも示唆 してい る2。 カル ヴイー ノは都 市文化 に関す る洞察 を現 代の都 市か ら引 き出 した と推 定 され るが、中国の伝統都市 も同様に、r様 々な可能性 の網の 目」と して新 しい 文化的表現 と社会的価値 を創 出 したのであろ うか。 このテーマは一考に価す る。 中国の正統文化 である儒教 がその宇宙論や思想 の輪郭において階層序列 を明確 に示 した点 を鑑 みれ ば、 これはなおの こ と興味深いテー マであるO伝統 中国 において都 市が どの よ うに描 写 され ていたか、そ して様 々な歴 史的文脈 において都 市が シンボル と して ど う機能 していたか を探 るこ とが この考察の端緒 となろ う。
シンボル と しての都 市は、都 市文化が浮 き彫 りにす る人間の営み を描写す る 目的で、各 々の文化で文学作 品や視 覚作品に広 く活用 され て きた。視覚作品 と しての都 市図は、 日本
、
中国、イス ラム世界 、西洋 な ど多 くの社会 に存在 してお り、3000年以上の歴 史を持つ。都 市図は重要 な文化遺物 として、歴史学、地理学、都 市研 究 、文化研究、美術 史の各分野 にお いて研 究の対象 とな ってきた。 それ による と、視 覚に訴 える都 市図 には大別 して 2種類があ るo都市の地図 と、都市の生活や景観 、風習 を描いた絵 画 ・版画 ・写真 である3。本論文では、1570年代頃か ら1644年 までの明末 中国の大都 市で流行が始 ま り、19世紀初頭 までその流行 が続 いた後者の分類 に属す る都 市図 (絵画や木版 画にお ける都 市生活 の描写) に焦点 を当て る.。本論文の 目 的は、過 去3年間に著者 が発表 した3編 の論文 をその範囲の拡大 を図 りつつ統合す る著書 とす ること、そ し て著者 による今 後の書籍企画の概念的枠組み とす る ことである40
この著書 は、17・18世紀 中国の都 市生活の描写 に見 られ る芸術 ・文化 ・社会 ・政治動 向をテーマ と し、美
Iご意見やご質問、ご提案をくださった会議参加者、特に金頁我氏とメラニー トレーデ氏に対 して謝意を表明したい.本 プロジェク トは、密接に関連する‑連の題材を対象 とし、単‑の主題に的を絞る典型的な研究論文とは異なり、これまで の著者の研究を振 り返ってその要約を試みるものである。
1著者が言及 しているのは、イタロ・カル ヴィ‑ノの著作IDVjsl'bleC}'tl'es,trams.byWilli(lmWeave(NewYork:Harcourt BraceJovanovich,1974.)である0
21taloCalvino,trams.byPatrickCreagh,S}・x,fremosFoz・thede.t・ENl・11eDJ71um/meCnal・1esIVol・tODLectures,1985‑86 (NewYork:lJintageBooks,1993),p.70
3例えば、矢守一彦 『都市図の歴史‑ 日本編』(東京 :講談社、1974年)、矢守一彦 『都市図の歴史一世界編』(東京 :請 談社、1974年)、Howard良.RockandDeborahDashMoore,Cl'tyspaces/AH1‑storyOlNe〝′Yorkl'DImages(Newyork:
ColumbiaUniversityPress,2001)など。小説や映画の中で描写されている都市に関 しては、BenHigh皿Ore,Cl'tyspaces・
CultLJralReadlJ7851'J7the.Nater}'alaJ7dSymbolL'cCl'tY(NewYork:PalgraveM1'CMillanLtd.,2005)を参照O都市の 地図が持つ政治的、文化的意味に関 しては、例えば、黒田日出男/メアリ・エ リザベス ・ペ ソ/杉本史子編 『地図と絵図 の政治文化史』(東京 :東京大学出版会、2001年)を参照8
4拙稿については、王正華 「生活 ・知経典文化商品 :晩明福建版 日用類書輿其善意門」『近代史研究所集刊』第41期(2003 年9月)1‑85頁、「過眼繁華 :晩明城市圃 ・城市観輿文化消費的研究」李孝悌編 『中国的城市生活』 (台北 :聯経出版事 業公司、2005年)卜85頁、r乾隆朝蘇J州城市画像 :政治権力 ・文化消費奥地景塑造J『近代史研究所集刊』第50期 (2005 年12月)115‑84頁を参照。特に記載のない限 り、以下の考察はこれ ら3編の論文に依拠 しているO
i
セッション
Ⅱ 図像のなかの暮らしと文IL.日本と乗アジアの近世術史、歴史学、都市研究な どの分野の研究モデル に着想 の源 を求 める学際的研 究である。 また、著者 の限 ら れた知識 によると、都市図の出現は 16世紀後半の中国だけでな く、15世紀後半のフィレンツェな どの西洋 社会や16世紀初頭 の 日本 でも見 られた。つま り、都市図の出現は多 くの文化 に共通の現象であ り、その意義 については今後 さらに探究 してい くS。
都市文化 と近代化 (modernity)の関係 は19世紀パ リに関す る考察において確 立 されているが6、都市文化 と近世にお けるその描写の出現が "modernity" あるいは "modernities" と称 され る世界規模 の歴史的 発展に関す る我 々の理解 に どう寄与す るかについては、今後答 えを出すべ き、あるいは少 な くとも取 り組む べ き主要な問題 である。"modernity" お よびそれ を改良 した形である "modenlities" (様々な社会 を近代 的な状態に変容 させ る多様 な可能性 に重点 を置いた表現)の問題性が議論の的 となってい ることは筆者 も承 知 している。 また、中国における16世紀後半か ら19世紀初頭 の時代を 「近世 (earlymoderll)」 と定めるべ きか否かは、明暗史研究の大 きな論点 となってきた。 中国研 究者 は、西洋史研 究か ら派生 した 「近世」とい う概念 を 自らの分野に適用す ることを疑問視 してきたが、 これは無理か らぬことである。周知のよ うに、 こ の歴史的位置付 けは、中国史の発展が中世か ら近代に至 る西洋のモデル を踏襲す るとい う含み を持 ち、時 と
して 「近代化」を 目的 と見 る 目的論 を前提 と している。
著者 はそれで もなお 、い くつかの社会 と密接 に関連 し、他の社会 とも一部関連す る明確 な一連の歴史的現 象の特性 を明 らかにす る上で、「近世Jをその概念的枠組み とす ることを提案 したい。言い換 えれば、「近世」
は西洋の歴史的経験のみか ら導 き出 された固定化 された特性 を表す ものではない。 さらに、文化 を越 えた観 点か ら歴 史的現象 を研究す るグローバル ヒス トリーの視点に立てば、世界の諸文化の多様性や差異が認 め ら れ ると同時に、歴史研究におけるその共通性 の意義 も認 め られ るべ きであるo この意味において、17・18世 紀 中国の歴史は、「近世」 とい う概念的枠組みの中 で見直す ことが可能であ り、r近代化」の問題性 に関す る 洞察に満 ちた考察 を与 えて くれ る70
この論文では、関連す る三つの問題、す なわち風俗画の興隆、文化消費の階層分化、都市意識 と地方か ら 都市‑の文化的生産の場の移行 を探究す る上で、中国の都市図が どのよ うな役割 を果たすかを主に考察す る。
これ らの3点について論 じたのち、最後 に、近世において世界各地で同時に見 られた現象、す なわち都市が 源泉 となって文化的表現 と社会的価値 が創 出 された現象 を取 り上げるa
1.都市図の概観
17・18世紀中国では、「都市図」を表す統一的な用語は存在 しなかった ものの、一部の都市図は、山水画、
人物画、花鳥画 といった伝統的なジャンル と明確 に区別 され る絵画の一分野 として広 く認 め られていた。「摘
5都のあった京都を描いた犀風絵に言及している日本最古の記録は1506年のものであるo MatthewPhiliphlcKel、l・ay, Capl'talscapes:Foldl'J7gScl・eensandPoll'tl.CalZmaglnatj'oJ71'DLateMedl'evalKyolo(Honolulu:UniversityofHawaii Press,2006),pp.1‑2を参照。例えば、西洋の都市図研究に関しては、ChristopherBrown,DutcthTolmSCaPeJPalnt・}'Dg (Londoll:NationalGallery,1972)参照のこと。この参考文献およびその他にも関連資料を提供 して下さったCraigClunas 教授に感謝の意を表明する。
619世紀パ リの近代化に関する現代の知織は、言 うまでもなくシャルル・ボー ドレールとヴァルター ・ベンヤミンに負 う ものであるo最近の研究に関しては、PatriceHigonnet,trams.byArt,hurGoldhammer,Pan'S/Cap}'talortheWorld (Carnbridge:BelknapPressofHarvardUniversityPress,2002;Frenchversion,1999)を参照。
7 「近世」という概念に関する上記の考察については、『歴史学研究』の特集を読むことが大変有益であったo『歴史学研 究』821号 (2006年11月)、特集 「近世化を考える (1)」を参照.この特集を紹介 してくださった神奈川大学の中村政則 教授に感謝申し上げたい。この特集では、日本史における 「近世」の概念も取り上げられている。日本で都市図が出現 し たのは中世末期であったが、近世日本において都市図が流行 したことは歴史学者や美術史学者の間で以前からよく知られ ている。
早
セッション Ⅱ
図像のなかの暮らしと文化‑日本と乗アジアの近世明上河図」 と題す る作品に関す るい くつかの記録が示す よ うに、 この題名は個別的な ものではな く、賑わい を見せ る都市生活の一般的な姿 を描いた作品を指す総称的な ものである。近世中国では、北宋王朝(960‑ 1127 午)の首都があった開封、現代の首都 である北京 、また南京 ・蘇州 ・揚州な どの南部の重要都市にこ うした 都市生活 の姿が 当てはまるであろ う (図 1)。都市図 としての 「清明上河図」では、巻物 ・掛軸 ・犀風 といっ た形態 も、現在北京の故宮博物院が所蔵す る最古の 「清明上河図」 との関係 も問題 とされ なかった。
故宮博物院所蔵の 「清明上河図」は北采時代の画家である張揮端の作品 とされてお り、明末 中国で最 も知 られた作品であった可能性 が極めて高い (図2)8。 この作品の人気の高 さを示す言い伝 えがある。明末の文 学界の第一人者、王世貞 (1526‑ 1590年)は、 この作品に刺激 を受 けて、あの官能的な小説 『金瓶梅』 を書 いた とい うのである。 しか し、この末代の 「清明上河図」が明末にいかに広 く知 られていた として も、明末 か ら摘 (1644‑ 1911年)中期 に制作 された大半の 「清明上河図」は、直接的に も間接的に も末代の 「清明上 河図」 を踏襲 した作品ではない。末代の 「清明上河図」は同名の後代 の作品に、地方か ら城郭都市に蛇行 し て流れ る川 を描いた巻物 とい う枠組みを提供 したが、両者の類似性 は都市の建造物や街 中の人々の様子の詳 細な描写にまでは及んでいない。 この ことは、後代に 「清明上河図」を描いた画家の大半は采代の r清明上 河図」について明確 には把握 していなかった とい う著者の主張を裏付 ける。
明暗時代に描 かれ た 「清明上河図」は少な くとも60作品が世界各地に現存 してお り、その大半が制作年、
作者共に不詳であるか、偽の署名が入 っている9。この よ うな中で、1577年 とい う制作年が判明 している槍新 の作品は特異な存在であ り、明末において都市図が流行 し始 めた ことを示す一例 と言 える。寧波出身の無名 画家である鹿瀬は、 16世紀半ばに蘇州 を中心に活躍 した呉派 を紡沸 させ る様式を用いている100 実際、明末 摘初の蘇州 は書画の贋作制作の中心地 となってお り、「清明上河図」と題 した巻物はそ うした贋作の定番であ った11。
明末の作品 と推定 され る都市図は、「清明上河図」と題 した様々な巻物の他 にもい くつかある。例 えば、画 巻 「南都繁 曾
j
「上元燈彩」はいずれ も明の副都 ・南京の賑わいを描 いた作品である (図 3・4)。 この 2本の 巻物 の主たる焦点は、南京の よ うな大都市で盛んに繰 り広げ られた商業活動や演劇 的な光景に置かれている。南京 とその名所 旧跡は、明末のある有力な学者官僚が制作を依頼 した書物の中に も登場 してお り、その中で は、主に歴史的背景 と文学作品中の描写に基づいて選ばれた南京の40の名所が描かれている120
上記の明末の都 市図はいずれ も、その存在 も芸術活動 も歴 史上忘れ 去 られて久 しい無名 の職業画家 (また は版画家)の作品である。 しか し彼 らの作品は、その後の中国美術史上類 を見ない よ うな重要なシンボル と して都市 を作 り出 し、作 り変 え、そ して後代の都市図が手本 とす るモデル を確立 した。その一つが、乾隆帝
(在位1736‑ 1795年)に仕 えた宮廷画院画家の合作によるいわゆる院本 r清明上河図」である。乾隆版院本
8実際、この作品は現代中国でも最もよく知られた絵画の‑つであり、2002年12月に上海美術館が開催 した展覧会では、
この作品を見ようと大勢の観客が押しかけ、少なくとも3時間は行列に並ばなければならなかった。
9明消時代の 「清明上河図」の中には、16世紀の第2四半期に活躍 した蘇州の著名な職業画家、仇英の署名が入った作 品もある。
10中国絵画史において忘れ去られた存在である画家、鎗新に関する歴史的記録は残っておらず、唯一の例外は、岡山県 にある林原美術館所蔵の巻物 「清明上河図」に記された署名である。鎗噺は署名の中で、自分の出身地を四明、すなわち 寧波と記 している。
l】楊臣彬 「談明代書麦作偽」『文物』no.8 (1990年)148‑55頁、楊仁憶編 『中国古今善書真偽圃典』(藩陽 :遼寧画報 出版社、1997年)148‑55頁、EllenJolmstonLaing,"SuzhouPl'aDandOtherDubiousPaintingsintheReceivedOeuvre ofQiuTing,"inArtl'busAsjae,vol.59,no.3/4 (2000),pp.265‑95を参照。
12束之蕃 『金陵園詠
』
『中国方志叢書』(台北 :成文出版社、1983年)を参照。この挿絵入 り書物についての考察は、Si‑yen Fei,HNegotiatingUrbanSpace:TheMakiTlgandRemakingoftheSouthernMetropolisinSixteenth‑andSeventeenth‑CenturyChina''(PhDdissertation,StanfordUniversity,2004),pp.162‑67を参照。
1 舵
セッション
Ⅱ 図像のなかの暮らしと文化一日本と乗アジアの近世「清 明上河 図」 は、乾隆帝 の治世下で見 られ た数 多 くの事物や光景 を盛 り込む ため に、それ 以前 の 「清 明上 河図」 で用 い られ た あ らゆ る場 面描 写 を取 り入れ よ うと してい る。 乾隆帝が積極的 に関与 した他 の文化的表 現 と同様 に、この 「清明上河図」に も卓越 した技巧 が細部 に至 るまで施 され てお り13、その極 めて包括的 な性 格 と相 まって、安泰 な活王朝 下で多様性 と繁栄 を張歌す る世 の 中が具現 され てい るo
院本 「清 明上河図」には、乾隆帝 の輝 か しい治世 下に ある千変 万化 の世界 と して設 定 され た都 市 が描 かれ て い るが、乾隆帝 時代 の晴王朝 とい う象徴 的 な枠組 み の 中で、他 に も新 しい都市 のイ メー ジが生み 出 され て い る.。例 えば 「京師生春詩 意」は、敬度 で慈愛 に澗 ちた君 主 として の乾 隆帝 が職務 を果 た した北京 の皇宮の 敷地や祭 礼の場 が新年 の雰 囲気 に包 まれ て い る様 子 を描 いてい る0 ‑万 、画巻 r盛世滋 生図」は蘇州 のイ メ ー ジを、叙情 に溢 れ牧歌的 な風景 が広 が る16世紀 の文人 の理想郷 か ら、建造物 が立 ち並び 、商店街 が賑 わい を見せ 、人 々が生 き生 き と活動す る活気溢れ る都 市‑ と変貌 させ てい る。
絵 画 の一つの ジャンル と して、都 市図は晴の宮廷 の芸術 ・物 質文化 が持つ意 味の網 の 目の中で特別 な地位 を得 た。 上記 の三つの作品はそれ ぞれ普遍 的 な都 市 、首都 、そ して江南地 区で最 も重 要 な文化都 市 を描 いて お り、いずれ も独 自の象 徴的 な意 味 を持 つが 、全休 と しては、乾隆時代 の宮廷が創 出 した芸術 的 シンボル の 一つ と して 、都 市 が活帝 国の正 当性 を支 える奄要 な役割 を果 た した ことを示 して いる。
18世紀 中国 にお け る都 市 図の人気 の高 ま りは宮廷 内に とどま らなか ったo r清 明上河 図」の制作 が蘇州や 揚州 14な どの都 市 で続 く一 方で 、 「盛世滋生 図」 と非 常に近似 した蘇州 のイ メー ジ を描 き出 した色鮮や か な木 版 画が販 売 され 、 中国南東 部や 日本 に広 く出回 った。 旧正月 の行 事の装飾 に用 い られ た これ らの版 画 は 、望 ま しい統 治 と都 市の建 造物 の関係 に重 点 を置 くこ とに よ り蘇州政府 と晴王朝 を賛 える もの であ り、 この よ う な建造物 を代表 したのが、乾隆5年 (1740)に完成 した蘇州 の象徴 的 な建造物 で ある高年橋 で あった15。
こ うした 旧正 月 に用 い られ た蘇州版 画の t桝 こ、蘇州 の商業地域 に焦点 を当ててい る ものの、蘇州や他 の い か な る特 定の都 市 とも一見関連 のない題名 を冠 した作品が あ る。 この題 名 「三百六十行Jは 「三十 六行 」 を 誇張 した表現で 、r三十 六行」とは、当時の好景気 の 中で発展 した各種 商売 を表す非常に包括 的 な言葉 と して、
明代 中期 に生 まれ た言葉 で ある16。 18世紀 の終 わ り頃 、無地 の背 景 に個 々の職 業 を描 いた作 品が人気 を博す るよ うにな り、19世紀 には 、広東 で制作 され る輸 出絵画 に欠 かせ ない存在 となった170 これ らの絵画や版 画 は、18世紀 中国 にお け る都 市生活 、商売 、個 々の職 業 の結 び付 きを明 らかに してお り、繁栄す る都 市であっ た蘇州 の商業活 動や 商業サー ビスにはあ らゆ る職 業が存在 したので あろ う。
】3例えば、乾隆時代の官用の陶磁器か らもあらゆる形状や軸薬‑の熟達が うかがえる。
14北京の故宮博物院には、石清 く約1642‑1707年)の作品と様式が類似 していることから18世紀の扱州で制作された と見 られる 「清明上河図」が数点所蔵 されている.
)518世紀の蘇州を彫った都市図に描かれている商業文化に関 しては、YachenMa,‑PicturingSuzhou:VisualPolitics intheMakingofCityspacesinEighteentlrCenturyChina叩(PhDdissertation,StanfordUniversity,2006),chapter lを参照.ただ し、都市を描いた蘇州版画が制作 された年代の推定 と、その消費者が専 ら中下層商人であったとする結論 には同意できない。
16徐珂編 『酒稗額砂』、γol.5(北京 :中華書局、1996年)、2288頁、HuangShijian/WilliamSargent『十九世紀中 国市井風情』 (上海 :上海古籍出版社、1999年)、1貢を参照0
17 『十九世紀中国市井風情』を参照。18・19世紀中国では、地方の商品や職業に焦点を当てた冊頁や木版画でも様々な 商売が描かれた。 この種の絵画や版画は都市図以外の風俗画の主要な形態であった。
1 糾
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Ⅱ 図像のなかの暮らしと文化一日本と乗アジアの近世2.都市図 と風俗画の興隆
上に挙げた都市図はその来歴や意味においてはそれぞれ異なるが、絵画の‑分類 としては、 17・18世紀 中 国における風俗画の興隆に関す る重要な問題 に光 を当てている。風俗画 (genre painting)は西洋の概念で あるが、中国に とって全 く無縁 とい うわけではない。 中国には、地方の風習や生活 に関す る調査が宮廷 と地 方政府 によって行われ、それ らが視覚的形態で捕写 され る長 い伝統があったか らである18。 したがって、現実 世界に生 きる庶民の 日常生活 を描いた中国絵画を風俗画 と呼ぶ ことができるであろ う。その意味す る領域 に ついては r日常生活
」
「庶 民」
「現実世界」 とい う概念な どと同 じく、明確にす る必要があるが、著者が研究 す る都市図 も r風俗画」の範噂に入れ ることができるO さらに重要なことに、風俗画は都市図に、地方の生 活様式や社会風習 を描写す る中国の伝統 とい う観点、そ して、多 くの文化で都市の 日常生活が芸術の対象 と なった とい う観点の双方か らの考察が可能な明確な意義 を与えて くれ る。都市図は、 17・18世紀 中国におけ る風俗画の重要な要素 として、都 市化や都市文化 と風俗画の興隆を結び付 ける役割 を果たす。中国の風俗画は明末 よ りはるか以前か ら存在 したO采代の画巻 「清明上河図」がその最 も適切 な例であ り、
また采代に顕著に見 られ るよ うになった、農村生活 と農民の姿を描いた多 くの作品 もその例である
1 9
。しか し、関連資料 と現存作品の予備調査によれ ば、大量の都 市図が出現 したのは17・18世紀においてであ り、それ以 前の時代にはこ うした現象は生 じなかった と考 え られ る。 さらに、末代か ら明代末期 にかけては、「盛んに」
と形容できるほ ど風俗画の制作は行われなかった。第三に、末代 に風俗画が流行 していた としても、その主 題 の焦点は農民 と農村生活 であ り、その主な支援者 は昔か ら美術収集や美術鑑賞 を行 ってきた人々、す なわ ち皇帝 ・貴族 ・文人であった20。 近世 中国の風俗画では主題 と支援者の点で大きな変化が見 られた。主題の焦 点が都市生活に移行 し、消費者層 が教育水準の高い上流階級以外に も拡大 したのである。 この 2点 について は以下で さらに考察す る。
美術史の観点か ら見 ると、風俗画の興隆は、都市生活に焦点を当てた新 しい主題 に対す る社会の大きな関 心 を示 しただけでなく、芸術の主流か ら逸脱 した様式や趣向の出現 を暗示 した。町の生活 を鮮やかな色彩で 詳細に描写す る都市図の様式は、一般的な美的基準か らはかけ離れ ていた。 さらに、都市図の鑑賞には、高 尚な芸術の理解 に要す る文学的素養 も、明末までに形成 されていた中国絵画の概念の中心 となる正統的な画 風の系統に関す る知識 も必要 としない。 この意味において、都市図は墨一色の山水画 とは対照的な新 しい美 的趣 向を示 した。伝統的な中国の美術実践 ・理論 では、主 と して文人画家によって確立 され た山水画の叙情 性や高い精神性 が正統なものであると考 えられていたのである219
18世紀の都市図は、文人が理想 とす る芸術か らさらに逸脱 していった。 とい うの も、宮廷で制作 された都 市図、蘇州で制作 された都市図のいずれ も、 17世紀に流行 した都市図 とカ トリック宣教師によって もた らさ れ た外来の技法 を織 り交ぜ た様式 を用いたか らである。都市図における明暗法や遠近法の使用は、家屋や橋
18慮宣妃 「統理人倫以成王教 :清音風俗画輿中国風俗観」『故宮文物月刊』第23巻第6期 (2005年9月)、54‑63頁を参
照 。
19農村生活を主題とする末代の作品に関しては、Wen‑ChienCheng,"ImagesofHappyFarmersinSongChina(960‑1279):
Drunks,PoliticsandSocial∫dentity" (PhDdissertation,UniversityofMichigan,2003)を参照。
20Yen‑ChienCheng,"ImagesofHappyFarmersinSongChina (960‑1279):Drunks,PoliticsandSocialIdentity‑, chapter3and4
21中国の美術理論、特に文人層の美術理論に関する先駆的な研究については、SusanBush,77leα}'J7eSeLl'terat}'oJ7 Pal'DE}‑Dg/SuSJllh (1037‑1101)toTuneCh'‑ch'aJ7g (1555‑1636)(Cambridge:HarvardUniversityPress,1971)を参 照。明未の絵画伝統の形成と当時の社会 ・文化動向との関連性に関する詳細な考察については、王正章 「従陳淡経的蓋論 看晩明漸江蓋壇 :兼論江南給蓋網絡輿区域競争」『区域輿網絡』(台北 :国立台湾大学芸術史研究所、2001年)、329‑79 頁を参照。
B
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Ⅱ 図像のなかの暮らしと文化‑日本と棄アジアの近世や城壁 を包含す る構築環境 としての都 市の特徴を際立たせ、都 市の様 々な建造物に暗示 され た政治的意味合 いを強めている。都市図の消費者 に新 しい様式 を提供 した こ うした西洋 の技法の存在は、18世紀 にお ける中 国の視覚文化が均質な ものであった とい う我 々の認織 を変 え、大航海時代にお ける中国、 日本 、西洋の多国 間交流について論 じるための広い視野 を与 えて くれ る220
3.都市図 と文化消費
都市図は、巻物 ・木版画 を問わず、主要都市部において芸術作品の文化消費がます ます盛んになった こと を表 している。 明末における経 済成長 と消費主義の高ま りは、商店や露店で質の低 い安価 な芸術作品を購入 す る非エ リー ト顧客層 を対象 とした美術市場を生み出 し、そ こでは都市図が重要な役割 を果 た した。 明末の 著名な学者官僚である李 日華 (1565‑1635年)が記 しているよ うに、北京では巻物の都市図を扱 う商店が非 常に多 く、その1巻 当た りの価値 は銀 1両であった。 これは、明末の福建で制作 され、福建地区 と江南地区 で流通 していた質の低 い 日用百科事典一式にほぼ相 当す る価格である。 この金額は、明末に書物や芸術作品 を購入できた人々の基礎購 買力を測 る基準 となったよ うだ。銀 1両で質の低い芸術作品や書物が購入で き、
巻物の都市図 と福建の 日用百科事典は文化消費の一番下の階層に位置 したのである。
明末 中国における都市図 と日用百科事典の消費者 をさらに評価す るためには、これ ら2種類の文化的産物 の内容や形態、詳細について徹底的に分析す る必要があるが、ここではいくつかの所 見のみを提示す る017・ 18世紀中国において制作 された都市図の多 くには、そ こに描かれている商品や商売、サー ビス、構築環境 な
どが分かるよ うな文字が記 されている。前述 した とお り、芸術的伝統 を持たず、実生活 に近い場面描写が多 い都市図は、抽象的な山水画 を鑑賞 した り、著名な画家の手による高価で質の高い芸術作品を購入 した りで きる文化資本 を持たない人々の心を捉 えたQ また、 日常生活 に必要な読み書 きがで きる鑑賞者 、例 えば 『三 字経』な どの初歩読本 を読む能力や、会計な どの専門技能 を学ぶ ための手引書 を参照す る能力がある者 は、
読み書 きのできない鑑賞者 よ りも都市図を楽 しむ ことができた。
明末の福建の 日用百科事典 を理解す るには、都市図 と違 って読み書 きの能力が必須であったが、求め られ るのが少な くとも 日常生活に必要な読み書 き能力である点は同 じであったO南宋時代 (1127‑1279年)の も のに倣 って作 られた伝統的な 日用百科事典 を踏襲 している章を除き、福建の 日用百科事典 には、都 市環境の 中で最 も発達 した娯楽や社交の術 をは じめ、都市文化に関す る知識が満載 されていた。都市図の鑑賞者 は、
日用百科事典の読者 と類似 した経済的、文化的背景 を持 っていた もの と思われ る。す なわち、明末の経済発 展 の恩恵に浴 し、基礎購 買力 を持 ち、そのため文化消費者 の最下位層 を形成 した、 日常生活 に必要な読み書 きができる人々であるO これ らの消費者は都市文化の開花に喜びを見出 し、そ して、その彼 らによる需要を 満たす ために、質の低い安価 な芸術作品 と書物の市場が形成 された。
皇帝 と貴族 を除けば、芸術作品、特 に委託制作による作品を購入できたのは、伝統的に主 として文人層 と 富裕商人層であった。販売 目的で制作 され る商品 としての絵画‑ 例 えば、北采の首都開封で土産物 として 販売 され た絵画 な ど‑ は明末にはすでに長 い歴史を持 っていたが、手頃な価格の芸術作品に対す る庶民の 大きな需要は、安価で質の低い絵画の未曾有の大量制作 を引き起 こ した。 明末の美術市場 では、価格 と品質 の水準による芸術作品の階層分化が大 きく進んだ もの と思われ る。 同様に、概 して粗悪 なものが少 な くとも
22日本の研究者は、齢学という枠組みの中で西洋が日本の芸術に与えた影響について論 じる際、17・18世紀における日 本と西洋の相互関係を強調する。一方、同じ時代の中国の木版画とそれが日本の時代に及ぼした影響を専門とする日本の 研究者は、中国と日本の相互関係に注目する。著者はここで、中国、日本、西洋の複雑な多国間関係を考察することを提 案する。今 日もそうであるように、二つの地域の間の文化交流だけを切 り離すことは不可能だからである。
揺
セッション
Ⅱ 図像のなかの暮らしと文化一日本と東アジアの近世40版現存す る福建の 日用百科事典 も、価格 と品質の点で書物市場の最下位層 を形成 した。
経済資本か ら文化資本‑の転換、あるいはその逆の転換は、 この主題 に関 して ピェ‑ル ・プルデ ューが権 威 ある研究を行 った1970年代の フランス社会 よ りも、明清時代の中国の方が困難であったにもかかわ らず23、 商人か ら成 る支援層 の研究によると、17・18世紀 中国の富裕商人層 はその経済資本 を活用 して、文化資本 を 有す る者 たち、す なわち文人層 の趣 向を模倣 しよ うと努 めた24。明末には、芸術作品を購入す る資力を得 る人々 の増加に伴い、 「雅」 と 「俗」 とい う二つの概念 をめ ぐる談論が活発化 したO研 究者 たちが指摘す るよ うに、
この二つの趣 向基準の関係 は弁証法的な ものであ り、静的な ものではないが、異なる階層 の文化消費者の間 には強い緊張関係が生まれ たo こ うした中で、都市図 と、福建の 日用百科事典が提供す る芸術 に関す る知織 は、文人たちの著作の中で 「俗」な趣 向の象徴 として描かれた.一方 、そ うした文人が描 く知織 とは異なる 福建の百科事典 の中の芸術知識 は、庶民が独 自の芸術認識 を形成 できる社会的空間を作 り出 した0 17・18世 紀 中国で見 られた文化 の模倣 は、質の高い芸術作品を買 う余裕があ り、文人層 と頻繁 に交流で きた富裕 商人 に限 られていたよ うだ。
明末に起 きた都市文化の高ま りを明清交替が中断 させ たか否かに関 しては、いまだ答 えが出てお らず、ま た、明末における文化消費の階層分化が晴初 も続いたか否かについて も不明である。 しか し18世紀 には、画 巻 「清明上河図」や上記の都市図の よ うな色鮮やかな大量の版画の出現が、手頃な価格で芸術の香 りを楽 し
も うとす る庶民の要求 を満た した。
18世紀 中国の芸術動向のIPで、長年にわた り最 もよく研 究 されてきたのは揚州派である.中で も、鄭壁(1693
‑1765年)な どの画家たちによる新 しい主題 と様式 を持つ作品を購入す る新たな社会階層が出現 したか否か をは じめ、パ トロンと様式の関係に関す る問題は重要なテーマ となってきた250揚州派の作品においては、社 会的、経済的地位の観点か ら見た新たな芸術作品の購入層の出現 を確認す ることは依然困難であるO その主 な理 由 として、揚州の画家 たちが、文学教育を受 けた文人画家 とい う伝統的分類に属 していたが、実際は絵 画制作で生計 を立てていたことが挙げ られ るO また様式の点 において も、よく描かれ る主題 こそ山水か ら人 物や花鳥に移行 した ものの、主流の山水画が持つ洗練 された画風 を維持 していたO さらに重要なことに、絵 画が商品 として制作 され る社会経済構造 に関 して言 えば、揚州派の絵画は既成商品 としてではな く、委託制 作 とい う形で美術市場 に登場 したのである。 揚州派の絵画は、消費活動にお ける新たな傾 向を生み出す こと も、文化消費市場の階層分化 をもた らす こともなかった。
対照的に、質の低 い安価 な都 市図は、芸術作品を取 り扱 う店の定番 であ り、主要都市部で広 く販 売 され る 一般的な商品であったo都市図は様式 ・品質 ・趣 向の点で文人画 とは対極にあったOその意味において、都 市図は新 しい社会階層‑‑芸術作品や書物 に対す る自らの欲求の充足 を文化的産物 に求め、近世 中国におけ る文化消費市場の階層分化 をもた らした、わずかなが ら資力を持 ち 日常生活に必要 な読み書 きができる人々
‑ の出現 を探究す るための極めて重要な資源 となるD
23JasonChi‑shengKuo,HuizhouMerchantsasArtPatronsintheLateSixteenthandEarlyseventeent.hCenturies, inChu‑tsingLi,ed.,Art,1'stsandjbtroDS/SomeSocl'alandEconoml'cAspectsof(訪J●17eSeJb}'17tlJ7g(Seattle:
UniversityofWashingtonPress,1989),pp.177188、GingerCheng‑chiHsti,ACEJShelofPeaJ‑1S/Pal'ncl'ngforSale lDE1‑g加eeDEh‑CeDEul・yYangcho〝′(Stanford:StanfordUniversityPress,2001),chapters2and3を参照0
24pierreBourdieu,trams.byRichardNice,DIstlnc}'tloD/ASocl∂JCn'El'queoFtheJu(な四eDtOfZbsEe(Cambridge:
HarvardUniversityPress,1984)を参照。
25ABusJleloFPeaJ・15,chapters4and5
1 ∵ 1 0
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Ⅱ 図像のなかの雷らしと文化一日本と乗アジアの近世4.都市意識 と高い文化的価値 を有す る場所 としての都市
前述 したよ うに、明清時代の都市図は、都市の生活 と文化の二つの側面に焦点 を当てた明確 で一貫 した都 市の見方 を示 している。一つは商品 と商業活動 とい う側 面、 もう一つは演劇的行為 と観客性 とい う側面であ る。都市図では、歩行者、売 り手、買い手、見物人 として行動す る大勢の人々によって、 この二つの側面が 関連付け られているO こ うした都市の見方は、従来の一般的な見方 とは異なるものであったC例 えば、采代 の 「清明上河図」は労働 に関連す る活動 に重点を置いた し、伝統的な都市の地図の大半は、様 々な レベルの 政府機 関や学校 を中心 とす る公的な観点か ら都市の姿を伝 えた260
末代の 「清明上河図」は宮廷画であった可能性 が極めて高いが、宮廷や政府の委託で制作 された都市図 と 一般的な商品 として美術市場で販売 された明暗時代の都市図は、全 く異なる視点で描かれた もの と思われ る。
明暗時代の都 市図は、活気 あふれ る都市の挨 っt動 、生活に喜びを見出す、文学的素養のない庶 民の視点か ら 都市 を描いた。 この意味において、都市生活が持つ 日常性や消費主義、華やか さといった性質は、鑑賞 に値 す る重要な文化的表現 となったO文 人の中には、南部の大都 市で見 られた商業化や商品化、そ してそれ らに 伴 う俗 っぽいイメージを批判す る者 もいたが、都市で販売 された質の低い都 市図は、庶民が都市の商品や視 覚文化 に触れ る機会 を提供 したのであるo
上記の考察か ら二つの点 を導 き出す ことができる。第‑に、近世中国では、都市の文化 と生活に対す る明 確 な意識 、すなわち都市を他の人間環境 と区別 し、都市に関連す る活動や文化的表現を楽 しもうとい う意識 が出現 した。 この都市意識 は、都市 とそれ に関連す る生活様式を主題 と した 『金瓶梅』 な どの小説に も表れ ている27。 前述 したよ うに、采代の画巻 「清明上河図」に関す る明末の多 くの記録 の中に、『金瓶梅』 とこの 巻物 を関連付 ける言い伝 えを見出す ことができるO都市生活の このこつの重要な文化的表現を結び付 ける言 い伝 えの存在は、都 市者織 が人々の話題や心理に浸透 しただけでな く、様 々な形態の文化的表現の源泉 とも なったことを示唆 している。
第二に、江南地区 と首都北京 (18世紀の清宮廷 も含む)にお ける都市図の広範な流通は、高い文化的価値 を有す る象徴的な場所 としての都 市の活力を示 したO ここで言 う 「高い文化的価値 を有す る場所」 とは、社 会的、文化的威信 を集 めると伝統的に考 えられてきた具体的な場所や物理的空間である。
明末以前には、美 しい景勝地、あるいは著名な歴 史的遺跡や宗教的聖地な どが、中国の社会的エ リー トの 注 目を集 めたD フ レデ リック ・モー トが中国の都 市に関す る独創性溢れ る研 究の中で指摘 しているよ うに、
こ うした高い文化的価値 を有す る場所の大半は、都市生活の境界 を示す伝統的なシンボルである都 市の城郭 の外側 に位置 していた。畑 を耕 し学問を修 める 「耕読」が儒教の教える理想的生活 とされている間は、都市 や都市生活の重要性は軽視 されていた。 この理想的生活には、一つの生活様式 とそれ に付随す る経済 ・社会 基盤 だけではな く、ある特定の社会的価値 が伴った。地方の農村生活 か らは、商業化や商品化 、観客性 とい う都市文化の特性 を好 ま しい と見なす社会的価値観は生まれ にくかったのであるO 高い文化的価値 を有す る 場所 と しての都 市の出現が、17・18世紀 中国における主要 な社会的価値観 を変容 させ たこ とは明 らかであ るo
フ レデ リック ・モー トは
、
中国の都市 と地方は断絶的な関係ではな く連続的な関係 にあるため、都市 と地26張哲嘉 「明代方志中的地圃」黄克武編 『書中有話 :近世中国的視覚表述輿文化構園』(台北 :中央研究院近代史研究所、
2003年)、288‑312頁を参照。
27 『金瓶梅』 と明未における都市文化の急速な発展の関係に関しては、文学研究者によって考察が行われてきた。例え
ば、ShangWei,"TheMakingoftheEverydayWorld:Jl'J7Pl'DgMel'C1'huaandtheEncyclopediasforDailyUse"in DavidDer‑weiWangandShar噌Wei,eds.,Dynasl}'cCrl'sl'saJ7dCultLulalZnnot,atl'oD/P(omEheLateMl'ngtotheLate OJ'DgandBeyoJ7d(CaJnbridge:HarvardUniversityAsiaCentel・,2005),pp.63‑92を参照O
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Ⅱ 図像のなかの暮らしと文化一日本と東アジアの近世方 とい う西洋の二分法 を中国に適用す ることはできない とも指摘 している280 また、社会経済史の研究者 は、
19世紀後半に上海が近代都市 と して台頭 して くる以前は、17・18世紀 中国にお ける都市の規模 と国際性 は 唐代 (618‑970年)や末代の都市を凌 ぐものではなかった と述べている。 しか し、視点を統計や経済指標で はな く、都 市意識や文学 ・視覚作品における都市文化の描写に移す と、全 く異なる事実が浮かび上がって く る。
本プ ロジェク トでは、16世紀後半か ら19世紀初頭 に制作 された多数の都市図に焦点を当てる と共に、都 市生活 を描 いた小説に関す る最近の研究 を取 り入れ ることによ り、芸術作品の観点か らこの事実を解明す る。
17・18世紀 中国における高い文化的価値 を有す る場所 と しての都市の出現、そ して都市生活に関連 した文化 的特性の発展は、我々が近代化の問題性 について究明す る手掛か りとなるであろ う。
前述 した とお り、人間社会の歴 史的発展における文化的、社会的特性 を明 らかにす るための分析 の枠組み としての近代化 には複雑 な問題 があ り、人文 ・社会科学の諸分野において激 しい議論 を巻 き起 こ している。
ここでは、近代化の問題性 、そ して近代社会に向か う中国の歴史的過程 を都 市図が どう解 明す るかに関 し、
その全ての範囲にわた って考察 を行 うことはできない。 しか し、差 し当た り指摘できるのは、近世 中国にお いて都 市が高い文化的価値 を有す る場所 となったこと、そ して、その歴史的時代に生 じた文化的表現 と社会 的価値観の変容 において、都市文化が決定的な役割 を果た した ことである。 したが って、都市の最 も重要な 描写の一つである都市図は、近世 中国の特性 を明 らかにす るとい う難題 に適用す る分析的、概念的手段 を定 める上で一定の役割 を果たすはずである。
28FrederickW.Mote,"TheCityinT1‑aditionalChineseCivilization,"inJamesT,C.LiuandWeilningTu.,eds., Tzlad}'C1loDalCh'173(EnglewoodCliffs,NJ・'Prentice‑Hall,lnc‥1970),p.49。同氏の '朋illenniumOfChineseUrban History:Fom,TirneandSpaceConceptsinSoochow,"inRl'ceLrJ71‑versl'EySL・ud}'es,vol.58,no.4(1973),pp.101‑54
も参照o
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図1: 仇英 「清明上河 図」 17世紀初頭 中国遼寧省藩陽市 遼寧省博 物館蔵 張高夫 主編 《明四家画集》 (天 津 天津人 民美術 出版社 1995) 第231図
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ZZ国舟8tJ:b18■5L,t対JtTE]斗t沖7・}78群確図2: 張樺端 「清明上河図」 ll.〜12世紀 北京 故宮博物 院蔵
僻需年主編 《中国美術全集 》 絵画 編3 両采 絵画 上 (北京 文物出版社 1996) 第51図
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‑ ‑.̲ 毒L‑e i 妻≡ 蓋 岳
岳
垂図3:筆者 不明 「南都繁含 」 17世紀初頭
北京
中国国家博物館蔵中国歴史博 物館編 《華夏之路》 第 Eg冊 (北京 朝花出版社 1997) 第90図
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Ⅱ 図像のなかの暮らしと文化‑ 日本と兼アジアの近世E