近世・近代ドイツ国法学における国家目的「自由」
「安全」「生命」(2・完) : 環境国家論への予備的 覚書
著者 藤井 康博
雑誌名 静岡大学法政研究
巻 17
号 1
ページ 386‑344
発行年 2012‑05‑31
出版者 静岡大学人文社会科学部
URL http://doi.org/10.14945/00006774
近世・近代 ドイツ国法学における国家目的 「自由」「安全」「生命」
(2・完
)論 説
近世・近代ド イツ国法学における国家目的 「自由」「安全」「生命」 (20完
)一―一環境国家論への予備的覚書一一―
藤 井 康 博
目 次 序論
1 なぜ "(憲 )法 学 にお いて環 境 を保護すべ きか ? 一 なぜ "国 家 は環 境 を保護 すべ きか ?
2 国家 目的 (国 家 目標 ・ 国家任務 との相違
)3 国家哲 学 にお ける国家 目的 (背 景 ):
「自由・安全 (自 由の確 保
)」「福祉・安全」「生命 ・生活」
補論 ―一 国家 目的 の 明文 (確 認 的規 定
)I 神 聖 ローマ 帝 国 国制 下
1 帝 国公法学 の 自然法思想期
2 プ ロイセ ンー般 ラン ト法 の起草期
Ⅱ フ ランクフル ト憲法前
一―権 力制 限的 な国家 目的 「法 (自 由
)」(法 治 国家原 理
)1 初 期立 憲主義 の黎 明
2 二月前期
― 「法治 国家」 モ ノグラフ イー :国 家諸 目的 「生活」
― 「国家 目的」モ ノグラフイー :民 主 国家 目的 「個人 の 自由」
‑21(386)一
一一国法 学体 系書 の主要論 点
以上、前号
Ⅱ I 北 ドイ ツ同盟憲法下、 ドイ ツ帝 国憲法下
1 二月革命 の残 光 ―― 過渡期
2 国家 目的 「法 」。国家 目標 「法治 国家」批判 。国家手段 「法」
3 実証主義 国法学 の台頭 ―一 国家 目的 の凋落 ?― 一 国家手 段 「法」
――批判 ―― 反論 ―― 再批判
――隠れ た講義 :「 自由」「人格的尊厳 」「福 祉 」「健在」
―一国法 学体 系書 の論 点外 ?
4 世紀末 の集大成
――類型論 の分析
―一国家 目的 「環境保護」 の萌芽 ?
―一 目的地 (結 論 )に 代 えて 一― 中間地点近 くの視点 か ら 以上、本号
‑22(385)一
近世・近代 ドイツ国法学における国家目的「自由」「安全」「生命」
(2・完
)Ⅲ 北 ドイツ同盟憲法下、 ドイツ帝国憲法下
1 二月革命の残光 一― 過渡期
三月革命 の目指 した一筋の光―一 フランクフル ト憲法は、潰えた。隣 国スイスに生まれ三月革命の残光漂 う西南 ドイツで活躍 した JoC。 ブル ンチ ュ リか ら再出発 しよう (後 に 日本 にも影響 を与えた
)。その学説は、
国家を有機体 と比較 して道徳的・精神的人格 とみな した点が知 られるが、
ここでは他の点 に着 目したい。その 「歴史的 に根拠づ けられた」体系書
『一般 国法』初版では、国法学 とは、国家の法規定・特性・関係 を論ず るものであ り、政治学 とは、「国家 目的を実現す る、国家の任務を実践的 に解決する有用な手段」を説 くもの とされた
159。この国法学 と政治学の二 つを区別 しつつ も関連づけた『一般国法』の第 5版 にあたる改題『近現代 国家学』では、それぞれ二つが第 2巻 「一般回法」 と第 3巻 「政治学」 に ほぼ対応 し、両者に共通する基礎を第 1巻 「一般国家学」 として分冊 とし、
旧版まで立ち入 られなかつた 「国家目的論」が新たに付け加えられた 0(こ の二つの方法論 nの 過渡性 に位置する
)。その最終版の『近現代国家学』第 1巻 5編 「国家 目的」を開 こう
1位。そ の第 1章 では、国家は 「目的」か 「手段」か ?し ば しば投 げかけられる 疑問か ら始まる。すなわち、国家の 「自己 目的」か、個人または多数派 の自由・福祉な ど「生活諸 目的 (Lebenszwecke)の ための手段」か、 と
159J.C.Bluntschli,Allgemeines Staatsrecht,1852,S.1;表 現は改版 ,分冊 によって 改 まったが I,11868,S.2,参 照、加藤弘之訳『國法汎論』首巻 (文 部省、 1872)〔 31864 の訳〕、西村克彦 「ブル ンチ ュ リ『国法汎論』 (Allgemeines Staatsrecht)新 訳
(1)」青 山法学論集 17巻 1号 (1975)90頁 。
160 Ders.,Lehre von■ modernen Staat I,51875,S.ヽ
/1.1例
参照、石橋 一紀 「19世 紀 ドイ ツ国家学 にお ける (法 〉 と 〈 政治 )一 J.K.ブ ル ン
チ ュ リ国家科学 をてがか りとして」現代社会文化研究 6号 (1996)161頁 以下 も。
162
以下は
ebd。,61886,S.346 ff.
‑ 23 (384)一
法政研究
い う疑間である。 しか し、二者択一ではな く、両者は時に交錯 し時 に疎 遠 になる点が着 目された。いかなる条件でいかなる限界まで国家の 自己 目的 によつて私人を服従 させ る権限があるか、いかなる前提で国家は私 人のための手段か、具体的に吟味す るのが肝要 とした。
第
2、3章 では、次のように国家目的の 「誤 り」「過不足」が例示 された。
国家 目的を実現する手段たる国家支配は、絶対 (専 制 )的 なのは 「誤 り」
で、相対 (立 憲 )的 でなければな らず、また、国家 目的は、神政的なの は 「誤 り」で、人間によつて認識・決定 。達成が可能でなければな らな い。カン トらのい う国家 目的 「法」 (法 治国家 )は 最低限であつて、それ だけでは文化や公共の経済の利益がなお ざ りになつて 「不十分な国家 目 的」である。逆 に、国家 目的 「公共の幸福」は広 きに失 し、国家は個人 の生活 目的を把握できないため 「過分な国家 目的」である。国家 目的は、
より詳細 に画定 されなければな らない。
第4章 で、以下の「真の国家 目的」が探究 された。法 (Recht)は 、政 治の 目的 よりも、む しろ政治の条件である。 〔 前述のムールハル トや ヨル ダン とは別の意味で〕「直接的な国家 目的」は、「国民資質 を発展 させ、
国民生活 (Volkslebens)を 完全なものに近づけること」であ り (特 定の 個性や諸国民の生活要求も顧慮 して
)、これは「人類の使命」 lBestimmung der MenschheiOと 矛盾 しない。 こうした総合的な国家目的の中に、個々 の国家 目的 として、「力の展開」
(「強大国」な ど
)、「経済」
(「産業国家」
な ど
)、国民生活の 「文化利益」
(「文化国家」
)、なおも中心的な 「法的保 障」「自由」
(「自由な法治国家」
)、「国民の共同体・統一の表明」
(「国民 国家」 )が 挙げられる (加 えて 「間接的な国家任務」 として私人の生活諸 目的の促進
)。国家は、その外面秩序たる性格か ら、個人の内面には介入 できない とい う限界や、人間・ 国民の共通の性質・要求の上に立脚す る とい う限界がある。国家支配は法的根拠 を要する限定があるが、その法 も限定がある (人 々の平和共存・共同生活条件 に拠 って私法・刑法があ
‑24(383)一
近世。 近代 ドイツ国法学における国家目的「自由」「安全」「生命」
(2・完
)り、安全・福祉の面で国民の生存 。発展 に拠 って憲法・行政法、租税法、
軍事義務がある
)。そ して、限界はあ りつつ も、社会の福祉・生活 目的の ための国家 による配慮への拡大 を再言 して章 を結んだ。
そ して、ブル ンチュ リは、その没年 に、16世 紀か ら当時までの国家学 者たちを24の 章で扱 う『近世近代の国家科学の歴史』第 3版 (初 版の『一 般国法 と政治学の歴史』は副題へ改題 )を 公刊 し、国家 目的 も随所で論 じたЮ
3。同書最終章では、ブルンチュリ自身も扱われている。その 「本来 の国家 目的」は、第一 に「国民生活 (Volkslebens)の 発展」 、二次的 に
「社会の福祉 は sellSChaftlichen Wohifahrtlの 促進」とまとめている ・
4。以上の よ うに、 もはや参政や 自由ではな く、法・ 自由 と生活・福祉 と の調和が強調され、 もはや 「立憲的」 とは呼べずЮ
5、二月に吹き荒れた 「自 由」は一過的で 「生活」秩序 に埋没 しつつあると、ブル ンチ ュ リについ てはいえよ うか
6。163 Ders.(N18)[31881],S.123,134,181,207,234,255,377f.,399,431,438,441,479, 553,587,594,679,702は 、前述のホ ッブズ、 ロック、ス ピノザ、 ライプニ ッツ、 トマ ジウス、ヴォルフ、ア ッヘンヴァル、カン ト、フィヒテ、フンボル ト、ハ ラー、 ロテ ッ ク、ヴェルカー、モール、シユタールな どの国家 目的 も言及 した (初 版 1864年
)。アル
トジウスについて も前註
52)。164 Ebd.,S.758.
165 vgl.stolleis(N18)II,S.433.
166「 生活」「福祉」優位 とまでいかないが、前述の よ うに三月前期 に、ムールハル ト や ヨル ダンも国家 目的 「法」「自由」 を起点 としつつ 「福祉」を説 き、 ツァハ リエ、加
えて国家科学 。官房学のF.Schmitthenner,Gl‐ tlndlinien des allgel■ leinen oder idealen Staatsrechtes,1845,S.306,340も 、国家 目的 「法」 と「福祉」を併存 させていた。同 書は『 国家にまつわる12篇 一国家科学の体系的百科』 3巻 =7篇 にあた り、1巻 =15篇
にあた る ders.,Grundlinien der Geschichte der Staatswissenschaften,der Ethnologie,des Naturrechtes und der Nationa10konolnie, 21839,S.9は 、 先のプ
ラ トン とア リス トテ レスを参照 して国家 目的 「自足性 」「最高の公共の福祉」 を説 いて いた。他の篇が未完のまま、 この著者は三月革命の翌々年 に没 した。
同年、 Ahrens(N131)[1852]=『 法 お よび国家 の哲学』第 1部 『法哲学 または 自 然法』 よりも先 に公刊 された、未完のders.,Die ottanische Staatslehre,1850,S.102 ff.=『 法の哲学』第 2部 1巻『有機体的国家学』の総論 「哲学 。人間学」に次 ぐ各論 「一 般国家学」 の 「国家 の 目的」 の章 では、国家 目的の特性 と人間の究極 目的 との関係 も
‑25(382)一
前述モールか ら後述 ゲルバーヘ の 「過渡的」Ю7方 法論 にあ り、南北 ドイ ツ とも縁 あ るH・ シュル ツェ『 ドイツ国法序説』 は、「国家科学」 と「法 学」 を区別 し、「国法学」 は両者 に跨 る (そ れぞれ 「一般国法」 と 「個別 国法」 )と 考 え、「国家科学」 に関 し、「哲学的一般 国家学」 は 「国家諸 目 的 を発展 させ」、逆 に 「政治学」 は 「手段 の学であ り、それ によつて国家 の諸 目的は可能な限 り完全 に達成 され る」 と総論 にて説いた
168。そ して、
「一般国法の基本的特質」の一つ の章 として 「国家の 目的」 を論 じたЮ
9。そ こでは、国家 目的 「法的法則」「福祉」「人倫法則」 「 0の 諸説 を挙げ、以 下の 自説が示 された。国家 目的を決定する際、注意すべきは 「国家は、
理性的発展の必要条件である諸個人の自由を否定 してはな らず、保障 し 承認 しなければな らない」点 とされる。「国家は人間によって人間のため にある」ゆえ、「真の国家 目的」は 「個人の真の諸 目的のみであ りうる」
知 るために 「 1)国 家の置接由 または自若あ内的な 目的、 2)国 家の蘭農占そ外的なま たは究極の目的」の区別 を要 し、 1)で は法的全体たる国民、 2)で は様々な職業身分 が組織 されるべきとい う。参照、村上淳一 「身分制・職能代表制 。議会制一 ドイツ近 代憲法史の一側面」比較法研究 44号 (1982)192頁 も。
二 月後で は、 ブル ンチ ュ リに影 響 を受 けつつ も法哲学の J.Held,System des
、 rerassungsrechts der rnonarchischen Staaten Deutschlands I、 1856,S.2841,287 は、人間の公共利益を可能な限 り増大する国家の目的・本質を説き、さらに ders.,Staat und Gesellschaft vom Standpunkte der GesChichte der Ⅳ Ienschheit und des Staats III,1865,S.342;ders.,Grundzuge des Allgemeinen Staatsrechts,1868,S.374 ff.
は、絶対的な唯一の国家 目的ではな く、ある国家 目的 として 「法治国家」 を論 じた。
7海 老原 。前註 149)367頁 。C.v.Kaltenborn,Einleitung in das constitutionelle Verfassungsrecht,1863,S.44 ff。 も過渡期 に位置づ けられ よ う。
8H.schulze,Einleitung in das deutsche Staatsrecht,1865=1867,S.26,36.参 照、
木下周一訳『 國檀論』 1‑4号 ・ 附録 2号 (獨 逸學協會、 1882)。
9別 の章 「国家の概念」で も、「国家の学問上の定義は、徹頭徹尾、国家 目的の言明 も要求する」、 とりわけ最重要なのは 「人間の下の法秩序の確立」であ り、加えて 「あ らゆる他の国民の諸任務」 も国家 目的になる
(「国家 目的の全体性」 )と い う。Ebd.,S.
120f.
n)国 家 目的は 「人類の 目的」 に合致する説。 この方向は、「人間の生存」の 「物質的」
側面か ら出発 して 「幸福・福祉 。一般的利益」 も国家 目的 にす るか、あるいは、人類 の最高次の 「理想的」任務を拠 り所 として 「人倫的な完全化」を国家 目的 とす るよう に説 くか、いずれかである、 と概観 され る。
一 ‑ 26 (381)一
近世。 近代 ドイツ国法学における国家目的 「自由」「安全」「生命」
(2・完
)ともい う。結局、「全般的な」国家 目的 として 「経済生活」
(「裕福」 )。 「社 会 生 活 」 (特 に 「法」 )。 「教養生活」 の三つ が示 され るが、 これ らは 「人 間」「国民」 の公 的 「共 同生活」 (Gemeinleben)で あ り、「個人」の私的 生活 に介入 しない。以上の点で、「諸個人の 自由 (Freiheit der Einzelnen)」
によつて 「鋭 く限定 された国家 目的」が重視 された
1■。 その意味では、 ブ ル ンチ ュ リと若千異 な り、全般的な 目的であ りつつ も 「生活」 よりも 「自 由」 が軸 とな って い る。
この過渡期 と同時代 に欠 くことがで きない国法学者 として L・ フォン ◆ シ ュタイ ンがい る。 フランス革命以後 を 目の 当た りに した『 フ ランス社 会運 動史』 の序論部 で、以下 の よ うに国家 の一定義 と原理 を述べ る。「国 家 とは人格性 (Persё nlichkeit)の 理念の最高形態であ り、国家の生活原 理 とは国家権 力 によって各個人 を最高度 に完成 させ る とい う任務である」
と承認す ることで「国家は 〔 …〕自由である」と説き、その「自由 (Freihei0 とは、す なわ ち各個 人の最 も完全 な 自己決定であ り、 国家 の原理 である」
(現 実 国家 の不 自由の克服 へ
)r2。次 いで、 同書 の構想 を発展 させ るも未
171
理 人■は ebd.,S.135f. ヽ江 gl.ders.,Lehrbuch des deutschen Staatsrechtes I,1881, S.18f.の 要約 も。
なお、北 ドイ ツ同盟の同時代 に『現在の ドイツ国法』の 「国家理念」の章で 「実践 的 になる国家理念または国家の 目的は、人間の純粋 に世俗の利益へ向けられ る」「国家 目的の決定 は 〔 …〕更 に本質的な限定を要する。なぜな ら、法生活全体 も、自由の発 展 と人間の公共 の福祉 の条件全体 も、国家の 目的 によつて捉 え られないか らである」
との意味で限定をかけるG.A.Gl‐
otet‐end,Das deutsche Staatsrecht der Gttenwart, 1869,S.3も ある。
172 L.Stein,Der Begriff der Gesellschaft und die Gesetze ihrer BeⅥ regung,ini Geschichte der socialen Be、 vegung in Frankreich:von 1789 bis auf unsere Tage I,1850,S.LXII f.,参 照、森田勉訳『社会の概念 と運動法則』
(ミネル ヴァ書房、 1991)
53、
54頁 、同『 ロー レンツ 。シュタイン研究―憲法一憲政論 。国家一社会学説・法哲 学』
(ミネル ヴァ書房、 2001)104頁 以下 〔 初出
1988〕の 「国家の概念 と原理」、
E.‐W.
BOckenforde,Lorenz von Stein als Theoretiker der Be、vegung von Staat und Gesellschaft zum Sozialstaat,1963,in:Recht,Staat,Freiheit,CW 2006,S.170 ff.;
これを合むE.Forsthoff(Hg.),Lorenz von Stein:Gesellschaft Staat Recht,1972に
‑27(380)一
完 に終 わ った『 国家科学の体系』 の 1巻 は、「国家科学」 の定義、す なわ ち 「自然的世界 で活動す る現実的 な生活 の総体 を、人格性 の本質 に基づ く、独立 して生 きた有機体 として認 める学」の概念論か ら始 まる 「
3。同書 総論 の 「国勢学」では 「国家 の指示」 (納 税 ・兵役 な ど )は 「常 に一定の 国家諸 目的か ら導 き出 され る」 とい う説示が見 られ るが、 同書 2巻 各論 の
「社会学」 (Gesellschaftslehre)で は国家 に対立す る社会が主題であ り、
国家 目的論 には項 は割 かれ ていない
174。シュタィンの本格的な国家 目的論 それ 自体 は未だ管見では見 出せないが、「行政」 を扱 う次 の数冊 に散見 さ れてい る。 まず『行政学』 1巻 では、人格論・ 団体論 の基礎 として 「永続 的な国家 目的」が論 じられ る 「
5。後 には『 行政 学便 覧』第 2版 にも垣間見 られ る。 同書 の 「国法 と憲法」 の項 で は 「国家 の諸 目的 に よって発生す る有機体」た る国家 に触れ る し、「行政学」の項では 「国家 のあ らゆ る諸 活動 と諸 目的 を統一体 として統括す る第一 の基本思想 一― 活動す る国家 生活 の原理 一一 は、 国家 を通 じた個 人 の発展 でな けれ ばな らない」 と説 く
r6。さ らに後 の最晩年 に『 ドイ ツ行政法辞典』 で担 った 「行政 〔…〕」
つ き平野武 「西 ドイツにおけるロレンツ 。フォン・シュタインの評価 について (1)一
③ 」龍谷法学7巻 2号 (19741180頁 以下、7巻 3=4号 298頁 以下、8巻 2号
(以上 197D 211頁 以下。青柳幸一 「ローレンツ 。フォン・シュタインの社会国家論」 『人権・社会・
国家』 (尚 学社、 2002)特 に 249頁 以下 〔 初 出
1980〕も参照。
173L.Stein,System der Staatswissenschaft I,1852,S.2f.参 照、柴田隆行『 シュ タインの社会 と国家』 (御 茶 の水書房、 2006)特 に374頁 以下 〔 初 出
1993〕の 「国家学 体系」。 174 Ebd.,S.51:II,1857.
r5Ders.,Die Venvaltungslehre I,1865,S.576.「 法人格 〔 法学上の人格性〕は、結 社の究極 かつ最高の形態であ り、それ は 〔 …〕団体において永続的な国家 目的を与え る。 〔 …〕団体の目的は、国家の目的であ り、その性質上、常に同一で永続的な 目的で ある。 〔 〕団体か ら自治の 自由を奪 うことな く、団体に国家 目的の永続性 を付与する 新原理が成立 しなければな らない。 〔 …〕そ もそも法人格の概念は、永続的な国家 目的 によつて条件づけられるのである」。 もっとも、団体は国家 目的に とって充分なわけで はない (S.523)と もレヽう。
r6Ders.,Handbuch der Venvaltungslehre,21876,S.42,49,参 照、渡邊廉吉訳『行 政學』上 (元 老院、
1887)、荒川邦蔵摘訳『國理論』 (獨 逸學協會、
1882)。初版 (1870)
と第 3版 1巻 (31887)で は大き く構成が異な り、見当た らない。
‑28(379)一
近世。 近代 ドイツ国法学における国家目的 「自由」「安全」「生命」
(2・完
)の項 によれ ば、「国家のあ らゆる任務 の究極 的 な対象」 〔国家 目的〕 は、
国家 自体 ではな く「個々の国家公民」 〔 国民個人〕の 「生活 (Leben)」 「力
(Kraft)」 「進歩」であることは否定 し難 く、 この見地か ら初めて 「行政」
へ と至 るのである
r7。こ ぅした国家 目的、具体的な国家任務・行政任務 は、
諸機 関 によって執行 され る。行政学のみな らず、国法学か ら分化 した 「行 政 法 学」 の端緒 に影 響 したの は、 シ ュタイ ンが 国家組 織論 に溶 か し込 ん だ国家 目的論 の近 代化であ つた、 との指摘 もある
178。なお、 シ ュタイ ン国法学 は 日本ヘー定 の影響 を与 えた
179。ここで は、そ の社会 国家論 が影響 を与 えた国家社会 主義 に も言 及 してお きたい。 この 主張者であ り、 自由主義 国家 を 「夜警思想」 (Nachtwachteridee)〔 夜警 国家〕 と批判的 に称 した F・ ラ ッサール のい う「国家 の 目的」 とは、そ う した 「ブル ジ ョワジーの人倫 的 国家 目的」で ある 「個人 に人格 的 自由 と 所 有 を保 障す る こ と」 のみ で はな く、「人 間 の本 質 を積極 的 に展 開 させ (posit市 en Entfaltungl、 進歩的 に発展 させ ること」、換言すれば 「人間 の使命 ―― すなわ ち人類 が可能 な陶冶 〔文化〕 を 一一 現実 の存在へ と形 成 す る こ と」、つ ま り、「自由へ の人類 の教育 と発展」である ・
0。後 に、 こ の国家論 は、 ビスマル ク憲法下 の国家政策 ・社会立法へ影響 を与 えるが、
革命 の意 味 での過渡期 を経 た 「国家 の死滅」 を唱 えるマル クス経済学的 国家論 か らは批 判 され る。 以上 は 20世 紀 の積極 国家 。社会 国家論 へ の影
177 Ders.,Art.Venvaltung,Verwaltungslehre,Polizei,Venvaltungsrecht,ini K v.
Stengel(Hg.),ヽ
lπOrterbuch des Deutschenヽ
rer、valtungsrechts II,1890,S.707.
178 Friedrich(N18),S,306.
179も っ とも、誤解 を合む受容 もあ り、また大 日本帝国憲法への影響は少ない。参照、
陸奥宗光筆記 ・瀧井一博編『 シュタイ ン国家学 ノー ト』 (信 山社、 2005)、 同『 ドイツ 国家学 と明治国制一 シュタイ ン国家学 の軌跡』
(ミネル ヴァ書房 、 1999)、 偕行社編纂 部編『外 人の観 た る我 が國罷 一換 國ス タイ ン博 士の國法学』
(改1933)。
lЮ
F.Lassalle,Das Arbeiter‐ Programm,1874[1862],S.36f.,森 田勉訳『憲法の 本質・労働者綱領』 (法 律文化社、 1981)180、
181、182頁 。そ こか ら万人の結合を説 き、 プ ロイセ ンの制 限選挙 を批判 し、労働者 の普通選挙権 を主張 した。
‑29(378)一
響 も小 さ くない
181。2 国家 目的 「法 」・ 国家 目標 「法治国家」批判・ 国家手段 「法 」
三月前後、それ まで と異なる法治国家論 を展開 しつつあったのは F・ J・
シ ユタールの『 法 の哲学』第 2巻 『 ― キ リス ト教 に基づ く法 学 と国家学』
第 2部 第 Ⅱ章第 1節 「国家の本質」であった。 しば しば同書 には看過 され る点があ るゆ え、各版 を再読 。再考 したい。
第 1版 では、「国家の 目的 は、 自由の相互保障または法的法則 の支配で あ る こ とはあま りない。 お よそ国家 は、個 々の人間、個人 のた めにある ではな く 〔…〕共 同体 の人間のために存立す る」 と説いていた
B2。国家 目 的 「個人の 自由」「法」 に否定的であ り、特 には法治国家論 も展開 されて いなか った。
第 2版 は些 か異 な る。 まず は有 名 な一節 を引 こ う。「国家 は法 治 国家 (Rechtsstaat)で あ るべ きである。それ は近代の標語 であ り、現 に近代 の進展 力で もある」。 ここまではいい。だが、問題は続 く文である。「〔…〕
お よそ法治国家は、国家の 目標 (Ziel)と 内容 を意味す るのではな く、そ れ を実現す る態様 〔 方 式 〕 (Art)と 性格 のみ を意 味す るので あ る」
B3。この文が、 ドイ ッで も 日本 で も法治 国家論 において頻繁 に引かれ、 日 本 の法 学説 略4で は 「法治 国家 は国家の 目的 〔…〕で はな く」 と読 まれて
駁 なお、やは り国家 目的論そのものではないが、シュタィンの国家任務・社会的国家 論、それ に対する経済学者 K・ メンガー らによる批判
(この弟の法学説 は後述
)、A・
ヴァグーナーの福祉 目的国家論 について、木村 。前註 18)401頁 以下。
82F.J.Stahl,Die Philosophie des Rechts Ⅱ
,2.Abt.,1837,S.17.
183 Ebd.,21846,S.106.
` 1高 田・前註 106)[1979]6、 14頁 、同 「シュタール における法治国の概念」法哲学
‑30(377)一
近世。 近代 ドイツ国法学における国家目的 「自由」「安全」「生命」
(2・完
)きた 問題 点 があ る (法 治 国家 は手段 とい う理解 は重要 で あ る
)。しか し、
国家 目的 け物θε力 )と 国家 目標 (Zθ ′ )は 異 なるのではないか (同 義 に用 い られ る こ とが多 かったが、 ここで は
)。とい うの も、 シュタール第 2版 は、 国家 目的 「法 」 を否定 していない どころか、 これ を肯定 してい るの で あ る。 その続 く箇所 を読 も う。
「国家の 目的は、人倫的 ・知性的な ライ ヒとしての国家概念 に従 って、
まず は じめ に人間の共 同生活 を完成 させ ることである」。「それ に劣 らず、
人倫 的 。知性 的 な ライ ヒ としての国家概 念 に、 も う一つ の 目的、す なわ ち個人の 自由 と法 〔自由 と権利 ・客観法〕 (die Freiheit und das Recht des einzelnen Menschen)が ある。詳 し くい えば、個人の福祉 ・人倫 ・ 教育 は国家 の諸 目的 で あ る。 ただ し、 これ らが一方 向 に共通す る限 りで、
間接 的 には、個 人 の福祉 。人倫 が公共 の福祉 。人倫 な どに合 まれ る限 り で 国家 目的 とな るにす ぎない。 それ に対 し、無条件 で、個人 の 自由 と法 は、 それ 自体 で 国家 の 目的 その ものであ る」。「お よそ法 は 一一 これ は単 に権 利 の保 障で はな く客観 的生活秩 序 〔 客観 法 〕全体 を合 む ―― ま さ し く国家 の最 高 の 目的 と思 われ る。 なぜ な ら、共 同生活 の倫理 的秩 序が 国 家 目的 の あ らゆ る促進 よ りも先行す るか らで ある」 螂
5。この よ うにシ ュタール第 2版 は 「法」 を国家 目的 とした。 で は、「法治 国家」 は国家 目標 ではない としたのは、 なぜ か。「法」 は 目的で も、法治
「国家」 は 目的ではな く手段 のみ と考 えたのか と思い きや、 そ うで もな い。「国家は、それ 自体 が 目的であるの と同 じよ うに、人間の状態 と努 力 のためのまさしく手段である」とも説いたのである
B6。国家の存立 目的「法」
と、す で に存立 した国家 の 目標 「法 」 とを区別 し、だか らこそ、後 者 を
年報 1963上 (1963)179頁 以下、仲哲生 「シュタール の国法論 につ いて」早稲 田法学 会誌 26巻 (1976)203頁 な ど。
185↓
ス上 1は ebd.,S.112f.
13FI Ebd.,S.114.
‑ 31 (376)一
否定 し、「法」 を通用する手段ない し態様・方式 と考えた、 と読み とるこ ともできるだろ う。
第 3版 (=没 後の第
4、5版 )は 、更 に以下のように変説 した (上 述の 第 2版 の法治国家論の有名な一節は変わ らない
)。「国家の目的 (Zweck) は一一人倫のライ ヒの実現である。 このことは、一方で、支配 (Beherr̲
schung)そ れ 自体を合み 〔…〕他方で、人間の保護 と育成、民族 (Na―
tion)の 状態 の展開、神の命令の執行 といった支配の諸 目標 (Ziele)を 合む」 。すなわち 「単 に個人の目的のためにあるのではな く、それ に劣 ら ず民族の目的 のために、共 同 (客 観的 )状 態を完成 させ るためにあるの が、国家である」。例 えば 「罪に応報する正義」は 「統一体たる民族の天 分 と力であるべ きで、そのために個人の献身 と犠牲 を要求する」。また、
〔 第2版 での権利 (主 観法 )目 的が消え薄れて〕「国家の主たる目的は (客
観法の意味での )法 と正義である」
ly。そして、「国家の最高の目的は 〔 …〕
十戒の守護神 と復讐神であることである。 〔 … ・〕ここに、個人の自由と法 は、すでに合 まれてお り、法秩序の本質的な構成要素である」
B8。ただ し、第 2版 も第 3版 も共通するのは以下の展開である。以上の国家 目的に基づき、「国家の活動は、人間の共同生活全体を把握する。国家は、
ある目標 (e i n ziel)の ためのある社団ではな く、もっぱ ら共同体の特 定の 目標 (d a s ziel)の ための特定の社団である」。一つ に、国家が包
187 Ebd.,31856[=11870,51878],S.144f.
螂 8 Ebd.,S.146f.「 以上全て に従い、国家の 目的は、徹頭徹尾た しかに単一であるが 単純ではない」 。 なお、恐 らくあろ う変説の背景 に関 し、ヘーグル哲学に取 り組み、三 月革命前後 にあって、立憲君主制論者 。いわゆる保守派で、ユダヤの生まれでプロテ スタン トとい う観点では本稿 は追究 しない。 この点 に関 し、高田 。前註 106)[1987]
48ア 雪、 P.Drucker,Friedrich Julius stahl:Konservative Staatslehre und geschichtliche Entwicklung,1933:W.Fussl,PrOfessor in der Politik,Friedrich Julius Stahl(1802‑1861),1988:IIIoos(N18),S.58 ff.
― ‑ 32 (375)一
近世。 近代 ドイツ国法学における国家目的「自由」「安全」「生命」
(2・完
)括す る人 間関係 は、「単 な る個人 の諸 目的で はな く、共 同生活 の諸 目的で あ る限 りであ る。 とい うの も、 国家 の任務 (Aufgabe)は 、人 間生活全 体ではな く、人間共同生活全体のみである」 。対象は「諸個人」(Individuen) ではな く 「民族 〔 国民〕」 (Nation)で あ る。 も う一つ に、「国家は、 内面 的 に積極 的 に実現す る任務で はな く、外面的 に秩 序づ け誘導す る任務 を もつ にす ぎない。 それ ゆ え、 内面的精 神 〔 内心 〕 の性 質 な らば、 間接 的 な促進 の任務 に とどま るにす ぎない」 ・
9。上述 の国家 目的 に基づ き、国家任務 が、「個人」 の内心 (内 的 自由 )に
直接 的 には立 ち入 らない 限定 は残 してい る ものの、「特 定 の人 間共 同体」
(外 的秩 序 )を 方 向づ け しよ うとした とい え よ う。
以 上、 プ ラ トンか らヘ ーゲル まで参照 して新 た に打 ち立 て られ た シ ュ タール『法の哲学』は、第 1版 の国家 目的「人間共同体の生活」重視説
(「法」
「個人の 自由」軽視説 )か ら、第 2版 の国家 目的 「法」「イ 国人 の 自由」「人 間共 同体 の生活」重視説 (国 家手段 「法」説 も )を 経 て
190、第 3版 の国家 目的 「人倫 」「客観 法 」「民族 の生活 」重 視説
(「個 人 の 自由」「権 利」軽 視説 、 国家手 段 「法 」説 も維持 )へ 進 んだ。 個人 の 自由は色付 い たか と 思 えば色褪せ、「人倫国」 (sittliches Reich)法 秩序の影 に埋没 して しまっ た とい え る。 国家 目標 を実現す る手段・態様 。方式 で あ る 「法 治 国家」
を 「形式 的法 治 国家」 と称 す る通説 に対 し、実現 す る 「手段」 にす ぎな い 「法 治 国論 」 は 「形式的法 治 国理論 」です らない とい う有 力説 Dlも 傾 聴 に値す る。理論 か否 かは措 くとして、「法」 力` 国家 「目的」で あ り、「内
189 stahl(N182),21846,S.118f.,31856,S.151f.
1"第 1版 と第 2版 の重 視 /軽 視 の差 異 は
H.―U.Erichsen,Verfassungs― und verwaltungsrechtsgeschichtliche Grundlagen der Lehre vonl fehlerhaften
belastenden 1/‐
er、valtungsakt und seiner Aufhebung im Proze3,1969,S.129に 一 部示唆 を受 けた。
Ю l高 田 。前註 106)[1979]14頁 。
‑33(374)一
容 =実 質 」 でな く目的実現 「手段 =方 式」 で もあ る法 治 国家 も 「形式 的 法 治国家」 と捉 えてお こ う。 そ の後 、法治 国家 は国家 目標 Ю2で ないが国 家 目的か (と い う本稿上述 の再考論 点 )は 無視 されて 一一 シュタール の 真意 にかかわ りな く―― 人倫 性 も脱 色 され て 一― もっぱ ら手段 とい う視 点 に影響 を受 けてい く後 の学説、特 に形式面 を追求 した国家手段 「法」
説 が台頭 す る こ とにな る。
3 実証 主義国法学 の台頭 一一 国家 目的の凋落 ?一 一 国家手段 「法」
一 批判
北 ドイ ツ同盟 。ドイ ツ帝 国の憲法 が制定 されてゆ く 19世 紀後半、 国家 有機体論 か ら転 じ、実証主義 国法学 の創始者 となつた C・ F・ グルバ ーの 国家 目的へ の言 及 に着 目 しよ う。 そ の『 ドイ ツ国法体 系の基本的特 質』
は、 た しか に、 国家権 力は、絶 対的 な意思 力でな く、権 力 を限界づ ける
「国家の 目的 にのみ資す るべ きで、その 目的のためにのみ存立すべ きで あ る」 と説いた。 しか し、 国家 目的 の理論的 な確定 は曖味であって、人 倫 的 な共 同生活 を 目指 す 国家意思 は 「個人 の 自由」 と区別 され る点 を指 摘 した。「国家権 力の限界 を個別事例 で確定す るために 〔…〕一般的で理 論 的 な国家 目的 の見解 に立 ち戻 る こ とは稀 に しか必要 ない。なぜ な ら、
個別 事例 につ いて国民 の具 象的 な考 えが、立法 自体 において実践的 に既 に表現 されたか ら、そ して、続 々 と表現 され るか らである」。以上の よ う に国家 目的論 の有用性 を批判的 に極小化 した Ю
3。り 2な お、本稿では立ち入 らないが、現在の ドイツでは 「法治国家」は国家 目標規定 と 理解 され うる。例えば、人間の尊厳や個人の 自由の保障を目指す実質的法治国家につ き、 Sommermann(N14),S.2101.取 り立てて法治国家は検討 されていないが、国 家目標規定の法規範性・法的拘束・法命題の論 点も併せてて 1.K.Rode,Rechtsbindung und Staatszielbestirnmung,2010,S.32 ff.
193 c.F.v.Gerber,Grundzuge eines systems des deutschen Staatsrechts,1865, S.29f.そ の註でも「国民の立法全体は、国家諸 目的 についての国民の目下の具象的考
‑34(373)一
近世。 近代 ドイツ国法学における国家目的 「自由」「安全」「生命」
(2・完
)一―反論
このゲルバーによる批判に対 して反論 を向けた者は少なか らずあつたЮ
4。まず、前述 (H2二 月前期 )か ら四半世紀以上が経 ち、すで に学界の重鎮 とな つていたモ ール に よる反論 があ った。
そ の反論 の前 に、後期 モール の 自説 は とい うと、 『 国家科 学百科 事典 』 にて以下 の よ うに披涯 されていた Ю
5。その体系 は、「I教義学 〔 規範論〕的 な国家科 学」 (1‑般 国家学、 2公 法 〔 国法 、 国際法 〕、 3国 家人倫 学、 4国 政術 〔 政 治学〕 )と 、「Ⅱ歴史学 (事 実論 )的 な 国家科学」 (1国 家史、 2国 勢 学 )に 分 類 され た (Iの 1〜 4ま で は連 関す る
)。そ の 「 1‑般 国家学 」 の 冒頭 「国家 の 目的」 の節 で以下 の よ うに論 じていた。様 々な人間の生 活領域 の発展 か ら 「国家 の 目的」 は明 らか にな る。 国家 は永続的 に設 け られ る もの 〔 制度 〕 でな けれ ばな らない。 なぜ な ら、 そ もそ も人 間が現 にい る限 り「生活諸 目的」 (Lebenszwecke)が 存続 し、 その達成 のため に保 障 と援助 が必要 だか らで あ る。 国民 の 「その時々の」生活諸 目的 が 考慮 され 、 一定 の発展段 階 に固執 して はな らない。諸個 人 のみ な らず 国 民総体 も、時 には急速 に時 には遅 々 とした不断 の変 化の中で把握 され る。
「複数 の様 々な生活諸 目的」が考 え られ る。「人間の本性」は充分 に精神 的 。身体 的 な力 を備 えてお り、 それ を主張 ・遂行す る こ とは 「個 人の意 思 」 また は 「国民 の発展段 階」 に依 るので、 あ らゆ る時代 と諸 国民 のた
えの実践的表出である」 とい う。国家 目的を論点 としていないが、参照、栗城壽夫 「ゲ ルバーの国家観」法学雑誌 8巻 2号 (1961)特 に70頁 、近年では西村清貴 「 C・ F・
v・グルバーの国制論」早稲 田法学会誌 57巻 (2007)特 に
131、133頁 も。
1"以 下 の他 に vgl.P.v.Oertzen,Die soziale Funktion des staatsrechtlichen Positivismus,1974,S.240 ff.;国 家 目的否定が法的絶対主義の前提 になつた と指摘す る H.Boldt,Deutsche Staatslehre im Vormarz,1975,S.29f.;こ れ らを参照する栗 城壽夫 「一九世紀 ドイツ国家有機体論 における国民 (Volk)思 想の機能」同 。前註 18)
328、
335頁 。
1% R.v.Mohl,Encyklopadie der staatsvFissenschaften,1859,S.65 ff.,21872,S.71
ff.
一 ‑ 35 (372)一
めの一つの生活 目的 (調 和 した国家 目的 )の み に定まることは決 してな い。 もつ とも、広 汎 す ぎ る国家 活 動 は 「個 人 の人格 性 (einzelne Persё nlichkeit)196と その存在 〔 生存〕 (Daseins)の 意義」を不当にも制 限する。その うえ、「個人の自己決定 (Selbstbestimmung)」 に代わる手 段はなかなか工面できない。単 にば らば らにある生活諸 目的のための配 慮は、全 く無関与の大多数の者の貢献 を不 当にも強い る。例 えば疑間の ある目的がそれ 自体 として立派であつても 〔 国家の〕正 当化にはならな い。そ して、同書 「2公 法 A国 法 Ⅱ特別哲学的国法 5法 治国家」 におい て、二重の 「任務」 として、「法秩序の維持」のみな らず、個人・小集団 の手段が不十分な場合の 「人間の理性的諸 目的の支援」が説かれたЮ 7.こ れは、前述の前期モール と基本的 に同様で、国家 目的 「法」に基づ くポ
リツァイ と符合する
1。かように、モールは、生活諸 目的を重視 し、広汎 にな らぬ よう個人 にも配慮 しつつ、各国家 に応 じた相対的な諸 目的の可 能性 を説いた。
そ こでは立ち入 られなかつた具体的な国家 目的 について、モールは、
最後期の『 ドイツ帝国国法』にて (副 題 にも示 された )絡 み合 う「法的 お よび政治的な論究」を展開 し、その 「帝国の 目的」 としては、「領土の D6逆 に ebd.,1859,S.72,21872,S.78は 「目的なき服従は人格性 と人倫義務の全否認 である」 とも註記 した。
また ebd.,1859,S.141,21872,S.151は 、前述の 自然法論のよ うに 「国家は、 自己の ため に存在するのではな く、国民の 目的を促進す るために存在す る」 と説いた。
197 Ebd., 1859,S.325,21872, S.325f.
p8Ders.(N l19),(N122)は
、再編 されて『法治国家の諸原則にもとづ くポ リツァイ学』
仝 3巻 として3版 を重ねた (ebd.I―
IⅡ,31866)。 木村・前註 18)336,337頁 は、私的 自 治を認 める国家の 「ポ リツァイ」的干渉の補完性 によつて、夜警 国家的 「安全」 目的 のみ とい う袋小路に入 り込む ことな く
(「福祉」 目的的干渉を否定せず )旧 き後見的千 渉国家 を脱却す る旨を読み とり、その意味で 「法治・ポ リツァイ国家」 とモール説 を 評す る。同349頁 は、「個人の 自主的開展」 とい う目的を最高規範たる 「人間生活」 目 的 として定立 し、 これ を 「支援」す る国家 目的 と結びつ けて私的 自治を実現 しようと する 旨、モールの国家 目的論を近代 自由主義的 に把握 した。重要な把握だが、時に広 汎な 「人間の生活」 目的 は 「個人の 自由」 目的 と衝突 しうる点 も本文の ように配慮 し て もしすぎることはなかろ う。
‑36(371)―
近世・近代 ドイツ国法学における国家目的 「自由」「安全」「生命」
(2・完
)保護 」、前述 の前 期 モ ール の法治 国家 目的 と同様 に 「 (国 内外 で の )法 」 や 「 (国 民 の )福 祉 」 を帝 国憲法 の解 説 と併せ て説 い た ・
9。で は、 ゲルバーの批判 に対 し、モ ール は如何 に反論 を展 開 したか。 そ れ は、前 述 ツ ァハ リエ ら と並 び 自身 も編 集協 力 した 「 ドイ ツ国法 。ドイ ツ憲法 史雑誌」創刊号 (か つ 廃刊号 )の 中で一般 ドイ ツ国法 学 につ き考 察 した以下の論文であつた。そ こでは、国家権 力の意思が基づ く「法貝
1」・ 国家行為 の必要性 を示す 「最高原則」。国家行為 の基準 となる生活 「目標」
につ いて、ゲルバ ーは沈黙 して全 く論 じない欠点 をモ ール は突いた。 こ れ らは 「民族 の全 生活 の法 形式」 とい うゲル バ ー の国家概念 か らも全 く 導 かれ ない、 ともいい、更 に以下 の よ うにモ ール は反論 を展 開 した。「自 らの存在 のため に理性 的 に達成 可能 な 目的 を据 えて全 力 をもって追 求す る ときのみ」、 国家 (国 家 人格 )は 人倫的 に行為す る。「しか し、 この 目 的 が何 た るか語 られ な い な らば、 そ の問題 に少 しも依 然 として答 えて い ない。 とい うの も、今 さ ら改 めて証 明す るまで もない が、個 人 のた め に 据 え られ るべ き理 性 的 な生 活 目的 は 〔…〕人 為的 に作 られ た集 団人格 の ための存在 目的 にす ぎない もので もある。 このために決 め られた 目的 は、
全 ての存在理 由 に応 じて、明確 に確定 され な ければな らない」。上述 のゲ ル バ ー の 「沈黙」 で は不十分 で、換言 すれ ば 「国家 目的 につ いての明確 な決断 は、 この問題 が不評 で あ るか も しれ ないが、避 けて は通れ ない」。
これ につ いて確 定せず とも、 国家 の単 な る事実上 の存立 か ら、せ いぜ い 国家 の維持 な どは国法体 系 につ き理解 され よ う。「だが、 国家 は、単 に 自 らを維持 す るもの とは異 な る。芸術作 品が美 を 目指 す よ うに、国家 は 目 的 な くして存立 しない」。逆 に、 ゲルバ ー は 「理性 的 な国家存在理 由 につ いて全 く沈黙 し、彼 の全体 系で も最小 限 の考察 も しないので、空疎 で断
ree
Ders., Das deutsche Reichsstaatsrecht,
1873, S. 52ff.
‑37(370)一
片的 であ るの は相変わ らず の帰結 であった」。なお、 グルバーが 「いかな る理性的な国家 目的 を採 るべ きだったか」、 これ はモール 同論文では対象 外 とされ た (モ ール 自説 は上述 した
)。この よ うにゲルバーの国家 目的批 判 の不備 を突 こ うとしたのが以上 のモール の反論 であ った
200。以 上 の よ うに、後期 モール も、法 と政治 の展 開 を分説 しつつ も (法 か ら政 治 を脱 色 したゲルバ ー に対抗 して )法 的 かつ政治的 な生活の織 り成 す 国家 目的 (生 活 目的 )を 説 き続 けた。
また、前述 の シュル ツェも、上掲誌 で 「 ドイ ッ国法 の原理 ・方法 。体 系」 を論 ず るにあた リゲルバ ーヘ の反論 を展 開 した。 まず、 国家概 念 に 関 し、 3種 の法領域で国家 に帰属す る人格性の うち、公法領域 では、国家 は (財 産保持者ではな く )支 配 し行動 す る 「国家 目的 の人格 化 〔化身〕」
として考慮 され る
2∝。次 に、方法論 に関 し、 ドイ ツ国法 も、実定国法 の学 問的 理解 のため に不可欠 な 「一定 の一般 的基本概念」 を疑 いな く必要 と し、「国家概念 自体 の発展、 国家の 目的論 と法的根拠論、国家権力論、そ の機 能論 と限界論、様 々な国家形式論 は、 ある実定国法 の立場か らでは な く、 国家の普遍史的 な考察 か らのみ 出て き うるのであ る」 とい う (傍 点 は藤井
)。そ して、 ゲルバーがその体系の基本的特質 に一般 国法の序論 部 を前置 き していないゆ え に、む しろゲルバ ーが努 めた実定法的性格が 損 なわれて しまったので あ って、一般 国法序説 と ドイ ツ国法体系 とを結 びつ けて こそ厳格 な実定法体 系 の貫徹 を可能 にす る と、 シュル ツェは反 論 した (そ の『 ドイ ッ国法序説 』 は前述 した
)202。200 ]Ders.,Bemerkungen iber die neuesten Bearbeitungen des allgemeinen deutschen Staatsrechts,in:Zeitschrift Deutsches Staatsrecht und Deutsche Verfassungsgeschichte,1867,369f.も っ とも、ゲルバーは最小限の考察 もしていな いわ けではな く、前述のよ うに考察の うえで極小化 した といえる。
201 11。
Schulze,Ueber Princip,]/1ethOde und System des deutschen Staatsrechts in:ebd.,423.
3)2
以上 は ebd.,435f.
‑38(369)一
近世・近代 ドイツ国法学における国家目的 「自由」「安全」「生命」
(2・完
)――再批判
以上 の反論 の的 にな つたゲルバーは、前掲書 の第 2版 に加 えられた付論
Ⅲ 「国法 の画定 」 にて、モール に触れ、 また シュル ツェの反論 に対 し、
再批 判 を展 開 した。 (国 勢学 の実証性 ではな く )法 学 の 「実定性 」 力` 重要 で あ り、「歴 史の序論 を添 えた法律 の紹介では、未 だ法学の学問的営為で はない」 のであって、「法学 とい う学 も、その観点 に従 つて抜 か りな く全 く自由 に一般 国法 の諸原理 を展開す る使命 が あ り」、 その法学 の営為 と政 治学・哲学 の営為 は異 な る
203。それ ゆ え、すで に初版 につ き前述 した よ う に、グルバーは法学 にお ける国家 目的の有用性 を極小化 した。 もっ とも、
ゲル バ ー は、 モ ール が 国家 目的論 を国法へ採 り入れ る こ とに特別 な成果 が ある と期待 した こ とに触れ、そ うした古 き国家 目的論 も少 な くとも一 部 は考 慮 して い る、 と最低 限の留保 はあ つた
204。後 の論者 がま とめ る ところに依れ ば、以下 の よ うに概観 され る
205。伝統 的 な 「国家学的」方 法 は、包括的 な国家学 の 中に国法学 を位置づ けた。
203 Gerber(N193),21869,S.232.
204 Ebd.,S.231.関 連 して、初版 か ら改題第 3版 ders.,Grundzuge des deutschen Staatsrechts,31880,S.4で も、「〔 国家人格 の〕法的意思 は、支配す ることであ り、す なわち全 国民 を義務づ ける作用 を備 えた国家 目的のた めの法的行為で ある」 と国家 目 的概念 を用い続 けた。参照、小林孝輔 「実証主義 の国法学」 『憲法 にお ける法 と政治』
(三
二催拿」圭、 1980) 〔 初
J日1976〕381て 。
な お 、 K.Plog, Die Krise der allgemeinen Staatslehre in der
Wissenschaftsgeschichte der Poliak,1969,S.135を 参照 し、栗城 。前註 18)387頁 は、 当のモール 自身が国家 目的を法的意味を込めて論究することを放棄 していたか ら、
モールのグルバーに対す る反論 は迫力のないものであった とい う。だが、前述のよ う に、モールは法的意味の国家 目的 を多かれ少なかれ放棄 していなかつただ ろ う。
2E海 老原 。前註 149)370、 367頁 。 Stolleis(N18)H,S.23も 「国家科学」的方法か ら 「法学的」方法へ のパ ラダイム転換 が 「実定性 」 を導いた とい う。
またebd.,S.337が 忘れ去 られた文献 として挙げる W.E.Lindgen,Die Grtlndb(9耐 fe des Staatsrechts,1869,S.169は 、実証主義的に国家の法学的構築を試みるもので、「国 家 目的 は『権利保障』 にはない」 とい う (生 得権 で も既得権 で もない
)。‑39(368)一
モール、 ブル ンチ ュ リを経 て、 国法学 の 「国家学的」方法か ら 「法学的」
方法へ の 「過渡的」 な シ ュル ツェは、国家学 か ら実定 国法学 を切 り離 し て法学 に位置づ けなが らも、 国家学の 中の一般 国法学 と法学の 中の実定 国法 学 を結 びつ けた。 だが、優勢 となつてい ったゲルバーは、一般 国法 学 の部分 も 「法学的」考察 に服せ しめ、政 治学 ・哲学・歴 史学 的 な 「国 家学的」考察 か ら完全 に切 り離 され た純粋 に 「法学的」 な国法 学 を位置 づ けた。
こうした移ろい と重な り、 ここでは国家 目的論も衰退 したかに見える。
一一隠れた講義 :「 自由」「人格的尊厳」「福祉」「健在」
さらに、ゲルバーが先駆 けた実証主義国法学を確立 させ ようとしたの が、周知の如 く P・ ラーバン ト『 ドイッ帝国の国法』 と云われる。その初 版 に加わった第 2版 はしがきは、国法学の 「国家学的」方法に対する 「法 学的」方法の勝利宣言であつた、 と評 されている
206。それ と相侯 つて、国 家 目的論 も一顧だにされな くなつたかに見えたのである
207。しか し、その
206 P.Laband,Das Staatsrecht des Deutschen Reiches I,1876,S.VII,21888,S.XII:
これへの海老原・前註 149)384頁 の評。
207な お、国家目的でな く国家任務の語だが、同書の初版 (ebd.H,1878,S:200)で は、
国家の 「任務」 として 「法」「他国家の攻撃 に対す る国家の構成員 と領土」「国民の福 祉」の保全 を挙 げるが、「この 〔 「法」以外の〕諸任務の実現は、法準則の定立によつ て達成 されえないばか りか、法規 〔 法命題〕のあ らゆるサンクシ ョンがな くとも可能 である。なぜな ら、その諸任務は、そ もそ も法の実現 と何 ら関わ りないか らである」
とい う。 これが第 2版 (I,21888,S.675f.)以 降では若千 トーンダウンし、 国家の 「任 務」 として 「法秩序」「他国家の攻撃 に対す る国家の構成員 と領土」「国民の人倫的お よび物質的な福祉」の保全を挙げるが、「この 〔 「法」以外の〕諸任務は、法準則の運 用 によって実現 され えないばか りか、他方で、活動が特別な諸法律 によって指示や指 名 されず とも、その諸任務の遂行は考えられるし可能である」 とい う。「それゆえ、執 行の概念 は、行政の概念へ拡大 されなければな らない」 ともい う (以 上は 「行政」の 章、 ebd.,S.175f.,213な どにも 「国家の諸任務 と諸 目的」の言及がある
)。「国家 目的」
と「法」 (初 版 )の 無縁 な点 に Erichsen(N190),S.134も 栗城・前註 18)387頁 も着 目 するが、「国家任務」 と「特別な諸法律」 (第 2版 )の 無縁な点 に限定 された とも読める。
‑40(367)一
近世。 近代 ドイツ国法学における国家目的 「自由」「安全」「生命」
(2・完
)ラーバ ン トにあって も、 国家 目的論 は実 は意外 にも語 られていたのであ っ た。
ラーバ ン トの (近 年初 めて公刊・編集 された『 国法講義』所収 )講 義 録『国家』の9章 「国家の 目的」では、国家 。国家権力の究極的な根拠か ら国家 目的も明らかになる、 として、下記の国家 目的論 5点 への批判か ら 説 き起 こし、 自説 を展開 していた
208。まず、① 「人倫法則」実現 (神 の似姿たる人間共同体の人倫的完全性
)とい う国家 目的が批判 され る。 この高貴な国家 目的 「人倫」説は、「人間 の尊厳に値 しないもの」を国家の生活領域から排除してしまい、また、「個 人の 自由」 を否定 して しま う。国家や法は 「個人」 に道徳や人倫的生活 を強制することはできず、国家 に不可能な使命 =任 務 〔ここでは 目的〕
を課す説である。結局、 こうした 「自由」なき一方的な 「人倫」説は 「人 倫的ではない」 と批評す る
209。また、②国家 目的 「 (公 共 。国民の )福 祉」 (一 般の幸福 )説 は、概念 が曖味で、定まった内容がな く、空虚な常套句 と批判 され る。個人の幸 福 は個人の願望 に依 り、一般の平均的幸福な どな く、強制的 に市民 を幸 福 にしようとする国家は、市民の多 くを不幸 にす る。 この 「福祉」説 は、
国家の意のままに牛耳 られる危 うさがあ り、官僚主義、ポ リツァイ国家 に通ず る。それゆえ、国家権力に対する 「個人」を保障 しない点で排 さ れ るべ き説 とされ る
20。こうした 「福祉」説の影の面 (短 所 )は 、③国家 目的 「 (個 人の )自 由」
(法 治国家 )説 の光の面 (長 所 )と され る。 しか し、 これ にも批判の矛
gお
P.Laband。 ,Der Staat,c1877,inI B.Schluter(Hg。 ),staatsr∝ htliche Vorlesungen, 2004,S.101■ 西村清貴 「パウル・ラーバン トの国制論」早稲田法学会誌 58巻 2号 (20081
436、437頁 も参照。
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以上 は ebd.,S.102,104.
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』 ス■ 1は ebd.,S.104f.
‑ 41 (366)一
先 は 向 く。 国家 は既得権 を保 障す る こ とが任務 に他 な らないな らば、 国 家 の発展 は途 絶 え、法治 国家説 は頑 なな保守主義 に至 って しま う。 この 説 か らすれ ば、 国家 に対 す る防御 、個 人 の権利や法状態 を侵害 しない こ とな ど消極的要因があ るにす ぎず、 国家 に積極的使命 〔目的〕 が課 され な くな る。 この説 は、国家 目的の積極的 内容 と国家権 力の 限界 (そ の た め の個人の既得権 )と の混 同 を基礎 とし、実質的な福祉の ための配慮 を 看過 して い る点が批判 され る
al。④思弁的な哲学に応 じ、 (エ ジプ ト、ユダヤ、ギ リシャ、 ローマ、フラ ンスな ど )諸 国家 に相異なる目的が付 されている。 しか し、ある具体的 な国家 目的 (諸 国家の歴史的意義の思弁的考察 )で はな く、「抽象的」な 国家 目的が重要である (全 ての国家 に該当しなければな らない一般的定 式 )と 説 くれ
2.⑤国家は 「自己目的」 (そ の国家 自身の理念や組織が国家 目的 )と す る 説 も批判 され る。 この説で真の国家 目的 を説明するな らば、その価値 を 減 じ、循環論法や極めて トリヴイアルな問題 とな り、定義することを知 らない とい う告 白になる。 しか し、すでに国家 目的は知 られている、 と ぃ ぅ
213。では、 ラーバン ト自身の説 く国家 目的の 「正 しい見解」 とは何か。以 下、講ずるところを聴 こ う。国家の使命 〔目的〕は、「国民の文化 (Kul‐
tur)・ 共同体」の利益全体を促進することのみでもあ りうる。国家は、個 人の領域 を越 えた 「公共の利益総体」を促進 しなければな らない。それ ゆえ、国家は、個人の福祉 に配慮 して個人の生業ヘポ リツ ァイ国家的・
後見的に保護介入するのではな く、農業・商業・営業活動の向上な ど「国
211以 上は ebd.,S.106 ff.
■ 2以 上は ebd.,S.108f.仮 に後述のイェ リネクが聴講 していれば、その類型 Ⅱとして 批判 され るのが抽象的国家 目的である。
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