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最近の西ヨーロッパ経済政策の課題と第三次戸メ協定の問題点

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論 説

商経論叢第22巻第1号

昭和61年11月

最 近 の 西 ヨ ー ロ ッ パ 経 済 政 策 の 課 題 と

第 三 次 戸 メ 協 定 の 問 題 点

Il一九八三‑八五年の﹁景気回復﹂過程の西ヨーロッパ経済の政策課題と第三次ロメ協定の問題点ー1

清 水 嘉 治

139

一︑まえがき

二︑拡大ECの課題

ωスペイソとポルトガルのEC加盟の意味

②スペイン経済の課題

㈹ポルトガル経済の課題

ω両国加盟の今後の課題

三︑一九八三‑八五年の西ヨーロッパ主要国の﹁景気回復﹂基調の問題点

ω一九八三‑八五年のECの﹁景気回復﹂の性格

ω危機克服下のイギリス経済の政策課題

㈹﹁景気回復期﹂の西ドイツの経に済政策の課題

㈲﹁景気回復期﹂のフラソス経済の課題

四︑一九八〇年代後半のEC経済の構造変化と主要政策課題

(2)

商 経 論 叢i第22巻 第1号 140

ω改めてEC経済の難問を考える

②﹁景気回復期﹂の高失業率を考える

㈹EC再活性化政策の理念とは何か

㈲EC経済の活性化と拡大ECの課題

㈲ECにおける南北問題の妥協的帰結

五︑第三次ロメ協定の性格と課題

ωロメ協定の基本理念とは何か

㈲第三次ロメ協定の問題点

騨︑まえがき

一九八〇年代の後半に入って世界経済は︑再び曲り角に直面している︒日・米・欧の先進国間の経済摩擦は従来に

まして鋭角的性格をもつようになった︒一方南北間の経済摩擦も新しい次元に直面するようになった︒その特徴は︑

南北間の経済格蓮構造が拡大するなかで︑発展途上国間の格差が表面化している点にある︒つまり﹁南南問題﹂が対

抗的性格を帯びるようになった︒他方︑社会主義諸国においても︑ソ連におけるゴルバチョフ政権の登場により︑従

来の体質改革を志向するようになり︑緊張関係の枠内で米・ソ﹁対話﹂を具体化している︒

本稿での問題は︑こうした世界経済の新しい状況変化の中で︑改めて米・ソの両大国に﹁経済的﹂に︑欄相対的L独

自性を保持しながら︑自らの﹁共同体﹂的経済力を発揮しているECの最近の経済発展と︑世界不況下からの脱出過

程におけるEC(欧州共同体)とACP(アフリカ・カリブ海.太平洋地域)との経済協力関係を検討することにある︒と

くに注目したい点は︑世界経済の不況からの脱出過程においてイベリア半島に位置するスペイン︑ポルトガルが一九

(3)

最 近 の西 濁一 βッパ経 済 政 策 の課 題 と第 三 次 ロ メ協 定 の 問題 点 141

八六年一月一日からEC(欧州共同体)に加盟したことで︑これを改めて検討したいと考える︒あるEC加盟国のジ

ャーナリストは︑この二か国が︑一九八六年一月一日からECに加盟したことによってEC一二か国時代になり︑新

しい課題を帯びるようになったという︒たしかに両国が加盟したことによってEC一二か国の人口は二億七三〇〇万

人になり︑面積は一六三万平方キロメートル︑国内総生産は二兆三〇五〇億ドルになり︑両国は︑EC全体の中で︑

人口が一五%︑面積が二八%︑国内総生産が七%をそれぞれ占めるようになった︒まさに拡大ECである︒だがEC

一二か国の誕生によって︑従来のECの地域統合の体質がこれでよいかどうかを迫られることになった︒

拡大ECの誕生の主眼は︑西ヨーロッパ資本主義の生産力を米・ソ・日の生産力に対抗させる一大市場圏の形成に

ある︒もちろん︑それはグローバルな意味での市場圏であるが︑一方︑ECにおける先進国と後進国という二極化の

市場的統合の性格をもっている︒

こうした問題を︑本稿の第一の課題としたい︑とくにEC加盟に当ってスペイソとポルトガルの国内の政治経済の

課題は何か︑どうして両国は︑ECに加盟せざるをえなくなったかを究明したい︒スペインとポルトガルのEC加盟

は︑ECの新しい発展であるのか︑逆にECは︑ヨーロッパ先進国︑とくに西ドイツ︑フランス︑イギリス︑イタリ

ァの経済力の相対的低下によって︑新しくスペインとポルトガルというヨーロッパ後進国の加盟を通じて︑生産性の

向上を図り︑両国の雇用拡大と所得向上を図ることを目指しているのか︑この点を究明したい︒

第二に︑本稿では︑こうした歴史的新局面の中で︑ECは一九八〇年代後半において︑どのような経済の実態と政

策的対応を示したのかを分析してみたい︒とくに︑イギリス︑西ドイツ︑フラソスの政策担当者は︑米・日の経済進

出にどのように自国の経済力の活性化を目指して︑新しい政策対応をしたのか︒この点の問題点を究明したい︒

今日︑ECの指導国家は︑それぞれ個性的な政策課題を提供しているが︑それはEC内におけるナショナリズムの

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商 経 論 叢 第22巻 第1号 142

経済力の向上にある︒だが一方で︑こうしたEC内での国益を志向する各加盟国が︑改めてEC全体としての経済の

再活性化を志向している︒加盟国は︑ECと各国経済主権とのアソチノミーをどのように認識しているのか︒にも拘

わらず︑ECは表面上共同体全体の経済の再活性化政策を大肛に打ち出している︒この問題を解明したい︒これが本

稿の第三の課題である︒とくにECの経済の再活性化の理念とは何かを検討してみたい︒この場合も︑一方で︑イギ

リス︑西ドイツ︑フラソスの二十一世紀をめざす先端技術産業指導型の産業政策の課題とは何かを改めてグローバル

に分析してみたい︒

最後に︑こうしたEC経済の発展の中で︑一九八六年から発足した︑第三次ロメ協定の性格を検討する︒この問題

は︑今後の発展途上国の重要なインパクトを与えることになるであろう︒というのは︑一九八三年のユーゴスロバキ

アの第六回︑アソクタッド会議における途上国の共通した課題はロメ協定の世界経済における定着化を目指したから

である︒もちろん第三次ロメ協定は︑世界経済史的位置づけただけの問題ではない︒当面するECの拡大の中で︑改

めてECとACPの経済協力協定は︑前進しているのか︑それとも︑後退しているのか︑この点の問題を究明する︒

本稿の課題は︑広範囲にわたっている︒だが共通の導きの系は︑EC経済の発展が市民参加と市民自治に基づく共同

体の発展であるかどうかという視角にある︒それは︑アメリヵの経済力︑ソ連の経済力︑日本の経済力に対しても︑

量・質の発展を目指した︑EC独自の経済発展でなければならないし︑それはローマ条約とロメ協定の市民的共有の

定着化でなければならないからである︒

二 ︑ 拡 大 E C の 課 題

ωスペイソとポルトガルのEC加盟の意味

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最 近 の 西 ヨ ー μ ッパ 経 済 政 策 の 課 題 と第 三 次 ロ メ協 定 の 問 題 点 143

一九八五年一月︑ECは︑スペイソ︑ポルトガルの加盟によって︑改めて新しい出発をした︒従来︑両国は西ヨー

ロッパ後進国の性格を示してきたが︑両国ともヨーロッパとのかかわりは非常に強く︑文化的︑歴史的︑社会的にみ

ても︑本来ヨー百ッパ文明の範疇に入っていた︒

ところで︑両国の加盟によってEC10からEC12になった︒この経済的メリット︑デメリットを考えてみたい︒

まず単純な経済指標からみよう︒一九八三年︑ECは︑スペインの総輸出の四八%を︑またポルトガルの総輸出の五

九%をそれぞれうけもった︒一方ECからのスペイソの輸入は三二%︑ポルトガルの輸入は三九%を占めている︒こ

うして両国ともECとの貿易収支構造では黒字であった︒これは︑両国がEC市場との交流なしに発展しないことを

示す指標である︒だからこそ両国の政策担当者は︑EC加入はメリットをもたらすという考え方に立ったのであろう︒

一方少しさかのぼって考えると︑EC側は︑一九七〇年にスペインとの貿易協定︑一九七二年にポルトガルとの貿易

協定を結んだ︒ECは︑両国の輸出する農産物に対する関税率の引下げなどにみられるように︑両国に対して特恵待

遇を与︑兄たのである︒さらにECは︑スペインの工業製品輸出の大部分に対して関税引き下げを実施し︑スペイソの

EC加盟条件を有利にし︑さらにポルトガルの工業製品輸出の関税を廃止した︒他方︑ECは︑両国が相対的に低い

技術水準にあった基幹産業に対して︑山瞬同い関税のもとに保護することを認めてきた︒こうした事実をみてもわかるよ

うに︑ECは両国の経済発展のための自由貿易と保護貿易の両政策を通じてスペイン︑ポルトガルの加盟要因を主体

的に作ってきたのである︒もちろん︑ECがアメリカ︑日本︑ソ連のそれぞれの生産力に対抗しつつ︑自らの地域経

済圏の確立を図り︑EC市場拡大の中で︑先進国における指導権を発揮するねらいを見せたことも否定できないであ

ろう︒

問題は︑ECと両国の経済水準格差をどのように克服していくかにあるであろう︒そうでない限り︑既成加盟国の

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商 経 論 叢 第22巻 第1号 144

支配力の犠牲になりかねないからである︒もちろんこうした経済的理由だけでなく︑両国の民主主義の確立と近代国

家への確立の志向なくして加盟の実現はなかった︒世界地図をみてもわかるように両国の位置するイベリア半島は︑

ヨーロッパに深く組み込まれている︒この半島は︑たえずドイツ︑フラソス︑イギリスの大国の中で︑自らの経済自

立を図ってきたが︑たえず強権支配のもとにおかれ︑経済発展を阻害されてきた︒両国の労働者︑市民︑中小経営老

の基本的人権に当る自由権も福祉権も権力者によって抑圧されていた︒

両国とも・基本的には︑農業国から工業国への過渡期の途上国である︒したがって両国とも農業部門が︑既成加盟

国よりかなりの比重を占めている︒既成加盟国の国内総生産(GDP)に占める農業生産の比率は三.五%であるのに

対して︑スペイソは六%︑ポルトガルは八%である︒こうした農業生産の格差をどのように埋め合せるかが今後のE

Cの課題である︒スペイン一国の加盟によって︑ECの耕地面績は︑約三〇%増加する︒ECは︑農業生産を︑ヨー

ロッパの新しい環境政策の一環として位置づける基盤ができたとおもう︒農業の都市的生産基盤を作らないかぎり︑

新しいECの﹁創造性﹂はないとおもう︒たしかにスペイソは農業大国である︒ワイソ︑果実︑野菜︑オリーブ油な

どでの生産量は︑既成加盟国にある程度のイソパクトを与える︒他方︑近代化が遅れているため︑低い食生活と︑労

賃の低い国である︒したがってミルク︑野菜︑食肉の供給を豊富に提供することができず︑それはこの分野の生産量

の著しい低下に端的に示された︒

②スペイソ経済の課題

もう少しスペイソ経済を総体的に解明してみよう︒

現段階のスペイン経済は︑ヨーロッパへの市場拡大なしにその発展を保証されないメヵニズムにおかれている︒例

えぽ一九七〇年代後半に成長が鈍化した中でインフレ︑国際収支の悪化︑失業者数の増大が表面化した︒こうしたス

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最 近 の 西 ヨー ロ ッパ経 済 政策 の課 題 と第 三 次 ロ メ協 定 の 問題 点 145

ペイン経済の停滞に対して︑八二年一二月に政権を獲得したフェリペ・ゴンザレスは︑金融引き締め政策を取り︑企

業の競争力を強化し︑その結果国際収支の改善とインフレ抑制政策に成功した︒国内総生産(GDP)の伸び率は八〇

年から八二年の一%前後の伸び率から八三年二%︑八四年二・二%と着実に上昇した︒経常収支も八二年の四一億ド

ルの赤字から八四年の二〇億ドルの黒字へと転換した︒この点でゴンザレスの経済政策は︑一応成功したといわれて

いる︒だが一方スペインがECに加盟したことによって︑一九八六年から付加価値税を導入することになった︒この

付加価値税の導入は︑消費者物価を引き上げる︒スペイン当局の計算によると︑物価上昇率を一・五%から二%引き

上げることになる︒このことを予想して当局者は︑予め経営者と労組との協力関係を作り︑﹁経済社会協約﹂を結んだ

(八四年一〇月)︒一九八二年には消費者物価上昇率が一四%であったのが︑八四年には九%︑八五年には七%台に抑制

したのだから︑経済政策は一応﹁成功﹂したといってもよい︒だが﹁付加価値税﹂導入とともに︑低廉な工業製品を

輸入することによって︑物価抑制策は可能であると当局は考えていた︒この点︑イギリスのEC加盟前の論争と共通

している︒

ともあれ︑ECの景気回復過程においては︑輸出も増加し︑生産性上昇を可能にし︑賃金も上昇し︑国内需要を増

大させる中で︑物価抑制策を図る以外にないであろう︒この点の政策内容は不透明である︒一方ゴンザレス政権にと

って厳しい課題は︑失業者対策の問題であった︒八五年に二六〇万人の失業者を五年間に解消するために企業の中成

長を企図したのである︒当面一九八四年から四年間にかけて八〇万人の雇用吸収力を創出する計画を立てた︒この政

策は︑ECと国内の景気拡大策を期待する以外にはなかった︒だが当局はその反省を踏えて改めて市民・労働者・経

営者の協力の中で︑下からの計画経済を樹立し︑総合的雇用政策を具体化すべきではなかったか︒この点︑一九八五

年四月に発表した﹁新経済政策﹂に注目したい︒その一貫した性格は景気拡大のための政策にあった︒例えば︑①個

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商 経 論 叢 第22巻 第1号 146

人所得税の引き下げによる国内消費需要を拡大し︑雇用吸収力を図る︒②国内の企業の生産基盤確立のための公共投

資の拡大を通じて需要効果を促進し︑雇用吸収力を図る︒③公共建築需要を刺激し︑民間の経済力を誘導するという

ものである︒こうした政策の相乗効果を図りながら④として雇用拡大政策をめざしたのである︒

この点スペインは・EC加盟によって︑ECの経済政策と国内政策とをどのように連動させて︑雇用政策を具体化

するのであろうか・この難問を注目したい︒問題はEc加盟によってスペイソのメリ.ト︑デメリットをどのように

調整するかが不明確であり︑今後スペイソ経済の主体的政策とEcとの簗・政策との関係を見守る以外にないであろ

う︒にもかかわらず・スペイソがEC加盟を主体的に促進せざるをえない理由は︑スペイソのヨーβッパ大陸におけ

る孤立化からの脱皮にあろう︒ここには︑スペイン経済の新しい時代における自立と連帯の政策思想があるといって

よいであろう︒

鋤ポルトガル経済の課題

つぎにポルトガルの場合をみよう︒一九八五年︑人旦〇一〇万人︑GNp(冗八四年)二四七億ドルのポルトガ

ルが・Ec加盟を決め蓮由は︑こうである︒国内経済における中小企業の倒産︑失萎の増大︑重税︑教育費負担

増などで・国民は・政府に不満を示し︑経済の安定化を望んでいた︒一九八三年六月に誕生した︑社会党のソアレレ

ス政穫金融・財政・貿易全盤わたる厳しい引き締め政策をとり︑ニスクード(通貨)三%の切り下げを実施す

ることによって国際収支の改善を図った︒この結果︑対外的信用を回復︑‑MFから四憶八〇〇〇万ドルの信用供与

(スタソドパイクレジット)の契約をうけるのに成功した︒この契約に当って経常収支の改釜閂目標を示し︑同時にさら

に厳しい緊縮肇を続行することによって八四年に対外霧︑イソフレ率などの目標値を達成・レた︒.あ限りにおい

てポルトガルは・﹁‑MFの優等生﹂といわれた︒だが経済引き締め政策と合理化政簾︑中小企業の倒産を嘉き︑

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最近 の西 ヨー ロ ッパ経 済 政策 の課 題 と第三 次 ロ メ協 定 の 問題 点 147

失業者を増加させた︒失業率は八二年の七・六%から八三年一〇・四%︑八四年=%に増大した︒雇用者一〇〇人

のうち一〇人が失業した︒この結果は︑一九八五年一〇月六日の総選挙に表面化した︒社会民主党が第一党になり︑

シルバ氏が首相になった︒だが︑第一党とはいえ︑国会の議席数二五〇のうち八八議席を占めたにすぎず︑第二党の

社会党(前政権を握った政党)が五七議席︑第三党の民主革新党が四五議席で︑この第三党がキャスチイソグボートを

握った︒だが︑最終的には︑シルバ氏を中心とする社会民主党単独政権で乗り切った︒経済政策の目標は︑ソァレス

政権の厳しい引き締め政策から景気振興政策に転換した︒公共投資を通じて︑基幹産業の国際競争力を強め︑中小企

業に対する援助政策を採用した︒ポルトガルの銀行総裁ピトール・コソスタンシォ氏によると八五年の実質成長率は︑

目標の二・九%に達せず︑一・六%であり︑依然として低成長であり︑経常赤字は一億五〇〇〇万ドルで︑GDPの

○・八%の水準まで低下した︒だがポルトガルにとって︑どのように経済を安定させ︑﹁ピレネー山脈から南はヨー

ロッパではない﹂ことを打ち消すためにもECに加盟し︑生産性の低い農業の構造改革を着実に実行し︑農民の所得

を増加させ︑内需を拡大し︑工業生産の活性化を図る以外にないであろう︒これには従来の閉鎖的市場から開放的市

場への転換を図らない限り︑前進はないというのがポルトガルの政策である︒だからECへの加盟を志向せざるをえ

なかった︒ECもまたそれを望んだ︒

もともとポルトガルは︑四〇年以上続いたサラザールの独裁政権の支配下にあり︑国民は民主主義の権利を抑圧さ

れ︑一方的合理化政策のために搾取と窮乏化状態におかれていた︒一九七四年﹁リスボソの春﹂といわれた無血革命

によってやっと民主主義を実現させた︒国土の二二倍もあった植民地も手放すことになった︒かつての帝国主義的支

配を展開したアフリヵのアンゴラやモザンビークなどを解放した︒ポルトガルは︑外なる植民地支配と内なる独裁的

統治からやっと近代化路線を選択したのである︒したがって国内産業資本の蓄積も乏しく︑IMFや西欧の経済に依

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商 経 論 叢 第22巻 第1号 148

存せざるをえない経済体質になっていた︒だから政府は︑外国資本の誘致政策・各種の減免措置.低利融資.輸入許

認可手続きの簡素化の方針を打ち出した︒この結果︑外国資本の輸入が急増し︑八三年は対前年比一八.一%増の一

億五〇〇〇万ドル︑八四年には︑同三〇・八%増の一億九〇〇〇万ドルと急増した︒この外国資本の割合は︑アメリ

カ資本三五%︑フラソス資本一二%︑スイス資本=%︑イギリス資本一〇%であり︑日本は西ドイッ︑オラソダな

どと並んで︑四%である︒いかにEC資本への依存度が高いかがわかるであろう︒国内市場も狭く︑自動車や電機の

部品︑繊維製品加工など︑EC資本の下請け工業基地化体制を受け入れざるをえなくなっている︒問題は︑EC加盟

によって︑国民経済が安定するかどうかである︒国有企業が八一社を数え︑その粗付加価値形成は︑全体の一五.四

%にのぼり︑きわめて効率的である︒にも拘わらず︑すでにEC加盟の中で︑もし生産性低下をもたらすならば︑一

部民営化を政策として打ち出すであろうといわれている︒問題は︑EC加盟が︑EC大手企業の市場進出の場になる

ことから︑ポルトガルの経済をどのように公的に守るかである︒EC加盟の本質は︑国民の生活水準の向上と安定で

なければならない︒そのための具体的政策課題を明らかにしなければならない︒この点は依然として不明確である︒

ω両国加盟の今後の課題

ともあれ︑スペイソとポルトガルの加盟によってEC市場は︑新しい段階に入ったといってよい︒問題は︑外なる

EC市場の拡大と内なるEC経済の自己革新を︑EC議会は︑どのように調整していくかである︒ソ連︑アメリカ︑

日本に対する一大市場圏の形成は︑同時に︑EC内における新しい﹁南北問題﹂を作りださないであろうか︒この点︑

拡大ECの新しい課題である︒

スペイソとポルトガルのEC加盟の契機は︑一九七〇年代の世界不況︑とくに国際通貨危機と国際石油危機のイソ

パクトからの脱出にある︒両国とも失業者数の増大︑物価高︑生産性の低下︑国際収支の悪化などに直面し︑政策担

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最 近 の 西 ヨ ー ロ ッ パ 経 済 政 策 の 課 題 と 第 三 次 ロ メ協 定 の 問 題 点 149

当者は︑従来の﹁保護主義﹂的経済政策では限界であり︑国民の生活向上をもたらさないという認識に到達し︑EC

加盟を一九七五年頃から企図していた︒こうした認識が正しいかどうかは︑今後さまざま問題を解決する中で証明さ

れるであろう︒

一方EC側は︑両国の加盟を西ヨーロッパ市場圏の拡大と地域経済協力の拡大策としてうけとめている︒単なる受

身の姿勢でなく︑主体的な経済領域の拡大強化を目指している︒それは︑ローマ条約の前文にもあるように︑﹁われ

われの理想を共有したいと願う他のヨーロッパ諸国民を歓迎する﹂という﹁共同体﹂の精神が示され︑ローマ条約は︑

出発点においてまさにナショナルな次元の国家の自立と連帯という理念をもっていた︒ローマ条約第二三七条はこう

規定している︒﹁ヨーロッパのすべての国は︑共同体の構成国となることを要求でぎる︒その要求は理事会宛に行い︑

理事会は︑委員会の意見を徴した後︑全会一致の決定を行なう︒

加入の条件及び加入に伴うこの条約の修正は︑構成国と申請国との間の協定の対象とする︒この協定は︑すべての

締結国により︑それぞれの憲法上の規則に従って批准される﹂と︒EC側は︑この規定が大きな役割を果したとして︑

原加盟六か国の共同体を一二か国に拡大したことをあげている︒一九七三年にデンマ1ク︑アイルラソド︑イギリス

の三か国が加盟して九か国になり︑一九八一年には︑南欧に及び︑ギリシヤを加え︑EC㎝○となり︑一九八五年に

は︑イベリァ半島に及び︑スペイン︑ポルトガルの加盟となり︑EC12となった︒

スペイソの加盟申請は一九七七年三月であり︑ポルトガルは同年七月であった︒両国とも従来の全体主義国家体制

から近代民主主義体制に移行した直後であった︒具体的な加盟交渉は︑ポルトガルが一九七八年一〇月から︑スペイ

ンが七九月二月から始めた︒いずれも世界不況の深刻な時期であった︒一九八五年三月末までに交渉が纏つれ込んだ

のは︑世界不況の中で︑ECが対応しきれなかったことにある︒その点では︑イギリスにしろ︑西ドイツにしろ︑フ

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商 経 論 叢 第22巻 第1号 X50

ラソスにしろ︑オラソダにしろ︑自国の失業と不況の両対策に追われ︑無我夢中であったといってよいであろう︒と

くに既成EC内の不況産業である農業︑漁業︑繊維業︑鉄鋼業などにおける経営主体との調整がつかなかったからと

いわれている︒とくにスペイソ︑ポルトガルの両国の加盟によってワイソ︑果実︑野菜などの食糧品の需給関係の貧

しさに対して︑EC側が抵抗した点にある︒この当時の状況を一言でいえば余剰農産物をどのように処理するかにあ

った︒既成EC側が求めたのは︑両国のイソフラストラクチュアの近代化と生産構造の改革にあった︒その資金的保

証として︑欧州投資銀行(EIB)が︑一九八一‑八五年内にそれぞれ五億五〇〇〇万ECUの援助を行った︒両国は︑

この資金を中小企業振興に重点的に配分し︑経営と雇用の安定を企図した︒とくにエネルギー産業︑運輸業︑森林業︑

観光業などに対して傾斜配分の融資方式を採用し︑その結果︑内需は前述のように拡大した︒

こうしたプロセスの中で︑両国の加盟は実現した︒もちろん︑自由主義の市場圏拡大は︑そこにおける大手企業と

中小企業のそれぞれの市場獲得競争にさらされ︑大企業の支配力が働く︒とくに両国はEC拡大市場圏の中で︑大手

企業間の競争に︑左右される可能性がある︒この点︑革新政権が︑市民主体の政策を通じて大企業をどのようにコソ

トロールするかにかかっている︒ところで︑次節では︑拡大ECの問題点を指摘したうえで︑一九八三年以降八五年

のEC景気振興策をみてみたい︒もちろんそのために︑まずECの経済動態のポイソトを示したい︒

三 ︑ 一 九 八 三 ‑ 八 五 年 の 西 ヨ ー ロ ッ パ 主 要 国 の ﹁ 景 気 回 復 ﹂ 基 調 の 問 題 点

ω一九八三‑八五年のECの﹁景気回復﹂の性格

一九八〇年代後半における拡大ECの問題は︑ヨーロッパの経済協力圏の拡大にあり︑

に平和の市場圏の拡大にある︒だかそれはいくつかの課題をもっている︒EC理事会が︑ 過去の経験からみて︑まさ

拡大ヨーロッパの市場と計

(13)

最 近 の 西 ヨー β ッパ 経 済 政 策 の 課 題 と 第 三 次 ロ メ協 定 の 問 題 点 151

画をどのように民主的に運営するかにかかっている︒EC議会は︑世界経済をどのように認識し︑平和の経済条件の

もとで︑EC加盟国の生活水準の量と質の向上をどのように図っていくかを具体的に示すべきではないであろうか︒

この点は依然として不透明である︒では︑一九八〇年代に入ってからのECの経済政策の問題点を動態的に分析して

みよう︒

一九八〇年代に入ってECは︑鉱工業生産指数の低下︑対前年比増加率は約四%である︒ところが一九六〇年代の

鉱工業生産増加率は︑おしなべて一〇%台であった︒一九八一年には︑イギリスがマイナス四・一%︑フラソスが︑

マイナスニ・三%︑イタリアがマイナスニ・三%︑西ドイツがマイナス一・三%︑ちなみに日本をみると︑三.一%

である︒これらの数字はいずれも鉱工業生産の増加率がいかに低下したかを示す指標である︒一方消費者物価上昇を

みると︑八一年には︑イギリス一一・九%︑フラソス一三・四%︑イタリァ一七・八%︑西ドイッ五・九%︑日本四・

九%となり︑前年比でみると若干低下したが︑西ドイツと日本を除いていずれも二ヶタ台であった︒失業率も日本を

除いて四%から六%台である︒こうした背景には︑西ヨーロッパが︑第二次石油危機後のスタグフレーションの体質

をビルトイソせざるをえなかった理由がある︒こうした不況から脱出するために︑各国政府は︑厳しい財政・金融引

き締め政策︑規制緩和政策を選択した︒だがそれは計画通りにもり上がらなかった︒例えばイギリスでは︑一九八三

年に鉱工業生産指数は︑前年比三・六%伸びたものの︑消費者物価指数は︑対前年比一四・六%と高かった︒失業率

は一二・一%であった︒また西ドイッの場合をみると︑一九八三年鉱工業生産指数は前年比○・六%と低水準の伸び

にすぎなかったが︑八四年には三・七%の伸びを示した︒これは八三年後半からの世界経済の景気回復のイソパクト

によるであろう︒消費者物価指数は︑八三年の対前年比三・三%であったのが︑八四年にも前年比三・二%︑八五年︑

前年比三・四%と︑おしなべて三%台で安定している︒フラソスの場合をみると︑八三年の鉱工業生産指数は︑前年

(14)

商 経 論 叢 第22巻 第1号 152

第1図 西 ヨ ー ロ̀Yパ 各 国 の 経 済 成 長

say=ioo) cosr

1'〉

i

'v

双 プノ

 

C西E

9998

(第1)

9796

JVIIIIilIVI工IIIINIIIIIIIVIIIIIINIIIIIHV(期)

一80‑一 一ノ ー81‑‑82‑一 一一ノ'83"一84‑一 一一!(年)

(備 考) (資 料)

〔出所J

西 ド イ ツ は 実 質GNP。 そ の 他 は 実 質GDP。

OECD「QuarterlyNationalAccounts」,'ブ ソ テ ス,.〉.ソク 月 報 」 昭 和60年 『通 商 白 書 』99ペ ー一ジ 。

第1表

西 ヨ ー ロ ッパ 各 国 の 消 費 者 物 価 上 昇 率 (対前 年 比,%)

83 84

\ 」

SO 81 82

2.4 7.3 5.0 10.6 3.3

9.6 4.6 14.9 5.3

11.8 8.6 16.4 6.3

13.4 11.9 x.8.7 5.4

13.6 18.0 21.3 西 ド イ ツ

フ ラ ソ ス イ ギ リ ス イ タ リ ア  

これによって︑一九八四年ECの成長率は前年の一 比○・八%︑八四年には二・三%︑

八五年には二二%とあまり伸びてい

ない︒失業率をみると八三年八・八

(3)%︑八四年九・九%と上昇している︒

こうして西ヨーロッパの主要国は︑

経済の停滞が長期化し︑どのように艦作してこの危機から脱出するかが問わ

揃 れ た ・ さ ま ざ ま 窺 制 緩 和 贅 を 実

侭施しても︑西ヨーロッパの内発的政

10策効果から景気回復をもたらすこと茜

醐ができなかった︒一九八三年から︑

卵きわめて緩慢な﹁回復基調﹂を示し咄たのは︑アメリカへの輸出増大によ

・○%から二・四%に上昇した︒この

ECの対アメリカとの貿易収支は=二四億ドルの黒字を示した︒つまりアメリカ向け輸出が急増した理由には︑

八三年からの石油価格低下と政府による所得減税に基づく住宅関連企業の活性化︑自動車需要増加などによるもので

ある︒とくに︑西ヨーロッパ製品の品質の向上︑価格の安定化などによるアメリカ市場への進出が目立った点である︒

わが国の﹃通商白書﹄は︑八三年後半から八五年までの西ヨーロッパの景気回復についての特色をこういっている︒

(15)

最 近 の 西 ヨ ー ロ ッパ 経 済 政 策 の 課 題 と第 三 次 ロ メ 協 定 の 問 題 点 153

﹁①各国政府の引締め政策︑原油・一次産品市況の軟化︑賃金上昇率の鈍化等を反映して︑イソフレが鎮静化してい

ること(第‑表)︑②緩やかな景気回復基調にあるにもかかわらず︑失業率には改善傾向がみられず︑高水準で推移し

ていること︑③アメリヵの高金利等により︑ドルに対して欧州通貨が弱くなったこと︑④先端産業振興に対する意欲︑

産業協力への積極的な取り組み方等に産業構造変革への動きがみられたこと︑などである﹂と︒この指摘は一面では

評価できるものの他面では︑正しくないのではないか︒というのは︑第一に︑賃金上昇率の圧縮が物価上昇を抑制で

きたという︒この傾向は西ドイッにみられるが︑イタリア︑フランスでは︑物価上昇率が︑一九八四年で︑それぞれ

一〇・六%︑七・三%で賃金上昇率はそれ以下であるから依然として景気回復は本格的基調を示していない︒第二に︑

全体として失業率が低下していない︒第三にドルに対して欧州通貨が弱くなったことがECの対米輸出を増大し︑貿

易黒字を増大させたこと︑この面から部分的に景気回復をもたらしたことは事実である︒だが︑この点からECの景

気回復の本来的形態と内容を示すことは困難であろう︒もちろん︑石油価格の低下と輸出拡大は︑西ヨーロッパ経済

の硬直性を改善するのにかなり役立ったことは認めてよいであろう︒第四に︑西ドイツ︑フランスはそれぞれの先端

技術産業の国際競争力をもっているが︑EC全体としての国際競争力は弱い︒この点を重厚に指摘すべきではなかっ

たか︒

EC全体としては︑一九七四年から七六年の第一次石油危機後の世界不況に対していかなる政策対応をするかが課

題であった︒そのためハイテク産業育成のために科学技術政策を選択せざるをえなかった︒加盟各国は先端技術部門

育成の基盤作りの公共投資を展開し︑電機︑自動車︑機械の各産業への需要効果を導出する政策を選択した︒それは

先端技術部門を中心にEC経済全般の経済活性化をめざすものであった︒こうしたECの経済政策の思潮は一九八三

年の﹁情報技術研究開発ヨーロッパ戦略計画﹂(ESPRIT)を発動させ︑アメリカ︑日本の各分野との競争に対応

(16)

商 経 論 叢 第22巻 第1号 154

第2表 西 ヨー ロ ッパ各 国の貿易収支 ・経常 収支

li8・18118218384年

イ ギ リ ス

貿易収支 1,360 (32)

3,360 (68)

2,055 (36)

△1,165 (01$)

△4,255 (△57)

百 万 ポ ソ ド (億 ドル)

経常収支 3,476s1)(141)6,929

4,943 (ss)

2,543 (39)

51 (0.7)

百 万 ポ ソ ト (億 ドル)

西 ド イ ツ

貿易収支

(49)

89

277

(Y23)

513

(211}

421 (165)

540 (190)

億 マ ル ク (億 ドル)

経常収支 D286

(△157)

△124 (△55)

82 (34)

105

(41)

177

(62) 億 マ ル ク(億 ドル)

貿易収支 △604[△sosl△933

(p143)(093)(0142)

0435 {D57)

・:

(X23)

億 フ ラ ソ (億 ドル)

経常収支

0176(D42} D258(△47) 0793(△121) △338(△44) Q3{00.3) 億 フ ラ ソ(億 ドル)

貿易収支 01,867

(△218)

D1,763 {0155)

△1,697 (0125)

01,147 (△76)

01,923

(d109) 百 億 リ ラ(億 ドル)

経常収支 △1,015

(Q115)

△768 (osg}

△1,005 (074)

171

(11)

D756 {043}

百 億 リ ラ (億 ドル)

〔出 所 」 前 掲 書,104ペ ー ジ 。

する姿勢を示したことで明快である︒これは一九八五

年三月のEEC条約の改正となって表面化した︒それ

は︑EC市場の拡大をめざし︑企業の競争力を強化す

るというものであった︒もちろんEC内の先進国と準

先進国との対立︑つまり国際競争力の強い国と弱い国

との格差をどのように着実に克服するかの課題が残っ

ている︒例えば︑西ヨーロッパ各国の貿易収支・経常

収支をみても西ドイッの八四年の貿易黒字は五四〇億

マルクで戦後最高であり︑経常収支も一七七億ドルの

黒字である︒フラソスもよくなってきたが︑イギリス︑

イタリアは構造的赤字である(第2表)︒

②危機克服下のイギリス経済の政策課題

ともあれ︑一九八四年から八五年にかけてECは景

気回復を示しても︑産業の構造的改革は充分になされ

ていない︒

例えばイギリスは︑一九六〇年代後半から一九八一

年まで︑全般的に成長率の停滞を続けてきた︒これに

は︑国際収支が慢性的に.弱体化してきたこと︑労使関

(17)

最近 の西 ヨー ロ ッパ経 済 政策 の課 題 と第三 次 ロ メ協 定 の 問題 点 155

係のたえざる緊張関係の中で︑労働者の労働意欲が低下していたこと︑国際競争力に対抗できる新技術開発がおくれ

ていたこと︑などをあげることができる︒とくに国際収支の実質悪化は︑イギリスの製造業の生産の低下にある︒こ

(4)のことは︑すでにC・フリーマソなどが指摘した通りである︒

こうしたイギリス経済の停滞の体質は︑一九八四年に実質GDP二・四%に上昇しても改善されなかった︒だが八

四年に成長を支えた要因は︑おくればせながらの内需拡大策による設備投資と輸出にあった︒とくに輸出についてみ

ると︑アメリカ︑日本︑ヨーロッパなど先進諸国の景気回復に基づく輸出の拡大に助けられた︒この輸出依存体質で

は︑前述の経済体質を改革することができなかった︒というのは︑一方で減税による個人消費の拡大︑電機︑自動車

および流通・金融業など第三次産業など内需拡大を図ったが︑このことによって輸入が急増し︑とくに炭鉱ストの

﹁打撃﹂に基づく石炭石油などエネルギー関連の輸入も増加したことなどによって貿易収支赤字は︑八三年の一一億

ポンドから八四年には四一億ポソドに拡大したが︑八五年には︑二〇億ポンドの赤字に直面している︒他方消費者物

価上昇率は︑八三年の四・六%から八四年の五%と○・四%上昇した︒八五年には︑六%に上昇した︒

この背景には︑一九七九年五月に発足したサッチャー政権による労働党政権の﹁福祉政策﹂に対する︑強力な資本

優先の政策があったことをあげなければならない︒つまり︑﹁民間活力再活性化﹂のための厳しい財政・金融引き締

めを主体とする経済政策によるインフレ抑制にあった︒具体的には﹁福祉を含む公共投資の削減︑付加価値税の引上

げと個人所得減税︑クローズド・ショップ制の見直しなどを内容とする雇用法制定などによる労働組合の弾力化︑国

(5)有企業の合理化・民営化などを行った﹂点にあるという︒この点労働組合︑市民から厳しい批判がでた︒福祉と教育

の切り捨て︑労働組舎の団結権の﹁解体化﹂︑賃金抑制︑合理化などの政策であり︑大手資本家と投資家の利益優先

ではないかという批判が一貫して展開された︒例えば国有企業の民営化による企業の効率化と競争力を強化すること

(18)

商 経 論 叢 第22巻 第1'号 156

によって︑労働者の行政整理を徹底化する︒これによって財政負担を減らす政策を実施してきた︒すでに国有企業で

ある航空機製造(ブリティッシュ・エァロスペース)︑海外通信サービス(ケーブル・アソド.ワイヤレス)︑北海石油生産

(ブリトイル)︑その他に英国電々公社などの民営化を実現した︒

この民営化の性格は︑一九八四年一〇月イギリス大蔵省の次官であるジョソ・モァによって示された言葉で明快で

ある︒﹁われわれの目的は︑私的所有にもとついた民主主義を築ぎあげることと大衆的な資本市場を活性化すること

である﹂と︒これは︑大手私企業の所有を主体とした﹁大衆資本主義化﹂の再定着を公然と表明した思想である︒

民営化の定義はきわめて政治的性格をもっている︒一般的に︑民営化とは︑国民資産の所有権と支配権を民間部門

に移転させる過程である︒それは資産の五〇%以上を民間の投資家に売却することを意味するとイギリスでは考えら

れている︒ところで︑民間部門が公共部門より効率性があるとはどういう内容で証明されるか︑比較の基準はなにか︒

この点イギリスでも不透閉のまま︑国営企業を単純な非効率性と低生産性の理由で﹁民営化﹂している︒

とにかくサッチャ!政権は︑国有企業と公的所有地の売却とによって一二〇億ポソド以上を稼いだといわれる︒さ

らに一二の国営企業の民間への売却とすでに民間部門に属する数社︑例︑比ばブリティッシュ・ペトロリウムのような

会社ー1の政府保有株削滅によって七〇億ポソド以上を稼いだという︒

こうして一九八〇年代前半におけるイギリス経済体質の改革は︑財政政策を通じてイギリスの活性化を試みている

が︑前述したイギリス経済の指標をみる限り︑部分的景気回復をみせただけであって︑イギリス経済の構造体質を改

革する方向に︑進んでいない︒だからこそECという引共同体Lの中で︑イギリスの﹁再活性化﹂を試みざるをえな

いのかも知れない︒

にもかかわらず︑ECの中で︑イギリス経済の活性化をどのように打ち出すかは︑今後の課題である︒問題は︑保

(19)

最近 の 西 ヨー ロ ッパ 経済 政 策 の 課題 と第 三 次 ロ メ協 定 の 問 題点 157

護主義の立場からの世界経済不況の克服でなく︑市民の自立と連帯による新自由主義の立場からの不況克服の問題意

識を必要としているのではないであろうか︒

ここであえて西ヨーロッパ経済の中でイギリスを取り上げたのは︑EC加盟後も︑自ら世界経済の指導権をもつこ

とをめざしているからである︒おそらくアメリカを除いて︑イギリス国民の﹁資産﹂保有量は︑依然として他の先進

国を圧倒しているのではなかろうか︒にもかかわらず︑発展途上国の視点で考えるならば︑今後も︑たえざる自己変

革をとげていかざるをえないであろう︒

㈹﹁景気回復期﹂の西ドイツの経済政策の課題

ECの中で︑安定した経済体質をみせているのは西ドイツである︒第二次石油危機以後EC加盟国の中では︑鉱工

業生・産指数の低下率も低く︑一九八〇年を一〇〇とした場合︑八一年が九七・八︑八二年が九四・九︑八三年が九

五・五であり︑景気回復後の八四年九八・七︑八五年は一〇二・七で着実に上昇した︒消費者物価上昇率をみると︑

八〇年五・四%︑八一年六・三%︑八二年五・三%︑八三年三・三%︑八四年二・四%︑八五年三・○%であり︑他

のEC加盟国が八一年には二ヶタ台(仏一三.四%︑英一一.九%︑伊一八・七%)であったのに比べてきわめて安定し

ていた︒八四年の︑フランス七・三%︑イギリス五・○%︑イタリア一〇・六%をみても西ドイッの物価がいかに安

定しているかがわかるであろう︒一方問題点としてあげられるのは︑失業率が八〇年三・八%と低くかったのに対し

て︑八一年五・五%︑八二年七・五%︑八三年九・一%︑八四年同じく九・一%︑八五年九・三%と着実に増大して

いる︒貿易収支をみると︑八〇年マイナス八九億マルクであったのが︑八一年プラスニ七七億マルク︑八二年プラス

五一二億マルク︑八三年プラス四二一億マルク︑八四年プラス五四〇億マルク︑八五年プラス七三三億マルクと一貫

(7)して貿易黒字を続けている︒

(20)

商 経 論 叢 第22巻 第1号 158

こうして一九八〇年から八三年前半までのEC全体の景気後退の中でも︑西ドイッは失業率を除いて︑すべて経済

指標はかなり安定していたということができる︒八三年に入って順調に景気が回復したのは︑ECの経済力に直接支

えられたのではなくアメリカの景気回復に支えられた点が特徴的である︒もちろん政府の減税政策による内需拡大政

策も効果的であった︒輸出の担い手は自動車︑電気機械︑化学の各産業であり︑一方︑設備投資の主軸は︑電気機械︑

金属︑化学などの第二次産業であり︑さらに第三次産業の投資意欲がみられた点にある︒また消費者物価安定の背景

には︑財政赤字を克服するための行政改革と財政︑金融引き締め政策があった︒のみならず︑民間経営者は︑政府の

政策に対応するかのように合理化と賃金値上げ抑制策を選択した︒それは八四年前半の金属労組のストライキの例を

みれば明らかである︒

EC全体の中で西ドイッが選択した不況対策は︑国内の設備投資の順調な進展と一貫した貿易黒字にみられる輸出

基調の確立にあった︒さらに物価安定の犠牲になった労働者の賃金安定化への協力を見逃がしてはならない︒

だが西ドイッ経済体質が他のEC加盟国と比べて不況への対応力を身につけたのは︑七〇年代後半の第一次石油危

機から学んだ結果によるものと考えられる︒とくに一九八二年以後の経済政策は︑大手民間企業の国際競争力強化の

条件づくりにあった︒このことは︑企業の投資意欲の旺盛さに表われた︒当初︑政策担当者は︑企業の購買力と稼働

率が低下し︑資本コストが前回の景気後退(舶九七四‑七八年)と同程度までに上昇するのではないかという受け取め

方をしていたが︑現実には︑それと逆の方向で作動した︒W・ゲルシュテソベルガー氏によると︑とくに投資意欲が

(8)安定したのは次の三点の理由にあるとしている︒

第一点は︑国際競争力を維持する必要からかなり安い新資本財の供給が連続的になされ︑企業界に技術革新への動

きを活発化させた点にある︒マイクロエレクトロニクスの採用によって生産の自動化(産業用ロボット.マイクロプロ

(21)

最近 の 西 ヨー 胃 ッパ経 済 政 策 の課 題 と第三 次 ロ メ協 定 の 問題 点 159

セッサーなど)および事務︑行政︑その他のサービス活動の合理化(データ処理技術︑新通信技術など)に大きな投資機

会が生まれ︑それが自動車産業︑銀行︑保険業などの一部の分野で広く利用されるようになったこと︒

第二に︑第三次石油危機に続いて省エネの必要性︑とくに石油節約の必要性が一般に認められるようになったこと︒

一方︑技術的にも省エネの機会が拡大・向上してきたため︑この分野の需要も投資活動の増大をもたらすようになっ

たこと︒

第三に︑マイクロ・エレクト冒ニクスの登場およびエネルギー価格の相対的上昇が製品計画を実行させる誘因とな

ったこと︒

以上の三点を要約するとこうである︒企業の投資意欲をもたらした要因が︑国際競争力への対応としての新技術革

新にあったこと︑省エネ政策が設備投資誘因をもたらしたこと︑先端技術産業の開発の相互競争要因が︑投資意欲を

もたらしたこと︑などである︒

一九八三年後半以後のEC全体の景気回復の中で︑西ドイツの景気にインパクトを与えたものは設備投資と輸出で

あった︒輸出についてはすでに述べた︒景気回復の主軸を形成したのは両者の相乗効果作用であったと考えるべきで

あろう︒西ドイツ企業の資本コストが低下し︑外国需要が設備稼働率に安定的効果を発揮したからである︒それだけ

でなく︑八〇年代に行なった西独マルクの切り上げ政策も︑イソフレ抑制に効果があっただけでなく︑逆に西ドイツ

輸出競争力を強化するのに役立ったといってよいであろう︒問題は︑西ドイツ市民︑中小企業者︑労働者などの各階

層にとって景気回復がどのような実質的効果をもったかが今後検討されるべき課題ではないであろうか︒

西ドイッ経済にとってもっとも深刻な問題は︑雇用と失業問題であった︒八三年後半から八五年までの景気回復期

にも︑西ドイツが雇用吸収力をもたなかったのはなぜかという問題である︒この点はEC全体の問題としてあとで取

(22)

商 経 論 叢 第22巻 第1号 160

り上げたい︒ただし次のことは共通の認識になるのではないか︒

一九八〇年代の先進国の不況と景気回復の波動性の本質が︑現代資本主義の体質における脆弱性にあること︑今後

その体質の改革をどうするかが問われるであろう︒

西ドイッの経済の主眼は︑一方で東ドイッを︑他方でアメリカと日本の経済発展を︑強く意識しつつ︑ECのみな

らず︑世界経済の中での︑闘社会経済L自立化の道を歩むと同時に︑EC全体の連帯を絶えず求めている点にある︒

とくに景気回復期における失業問題は︑新技術革新の波及効果を軽視した点にあろう︒したがって︑市場主義のメカ

ニズムに依存するよりも︑市場性と計画性を︑有機的に連関させながら︑雇用吸収力を図るべきであろう︒

ω﹁景気回復期﹂のフラソス経済の課題

現代フランスは政治ドラマの激動の国である︒ECの中で︑恐らくもっとも政治意識の高い国ともいわれている︒

八五年三月二一日︑総選挙の結果︑社会党政権から保守連合政権へと移行した︒社会党は︑政党としては第一党であ

るが︑過半数をとれず︑保守派にゆずった︒保守派は︑共和国連合(RPR)と仏民主主義連合(UDP)の野党連合

という形で過半数を獲得し政権の座についた︒

一般的には︑社会党党主ミッテラソ大統領のもとでの﹁保守連合政権﹂が発足することになった︒これを﹁コアピ

タシオソ﹂(保革共存)の政権ともよんでいる︒フランス憲法では対内︑対外的にも最高の権力は大統領にあり︑この

権力のもとでのフラソス一般の政治・経済などを担当するのがシラク保守政権である︒

一九八一年三月︑社会党は国会で過半数を占め︑社会・共産両党の手で政権を取った(八三年共産党は政策上の不一

致で政権から離脱)︒当時の問題は︑六%台にのった失業率︑つまり失業者の増大︑ニケタ台のインフレ︑原材料︑エ

ネルギーの海外依存︑国際収支の大幅赤字︑企業の非効率性などの問題をどのように解決するかにあった︒もちろん︑

(23)

最 近 の 西 ヨ....̲P.yパ 経 済 政 策 の 課 題 と 第 三 次 ロ メ協 定 の 閥 題 点

161

当時︑世界不況に対応するフランスの課題はEC共通の課題でもあった︒とくに社会党政権は不況の悪条件の中で失

業追放とインフレ抑制及び大手企業の国有化政策を実施せざるをえなかった︒

失業者を吸収するためには︑企業の生産性向上と当時他の国と違った生産性の既存の国営企業の自主管理と︑大手

企業の公有化政策しかないと考えた︒だからこの方針を実施した︒国際経済環境の条件がきわめて悪い中で︑この政

策が四年間で実施できるとは考えられなかった︒またイソフレ抑制については︑財政・金融引き締め政策を実施し︑

同時に国営企業の収益を公共投資にあて︑民間企業を活性化し︑国際競争力を強化し︑市場開放の道を選択した︒

こうした政策の結果は四年間で実るものではない︒にも拘わらず︑八五年三月の国民の審判は︑社会党の経済政策

を失敗としてうけとめたのである︒もちろん新田俊三氏もいうように︑﹁実際︑社会党政権下の基本的経済指標のうち︑

の前保守政権より改善されたものは少ない︒購買力の年平均上昇率は二・九%二九七四‑八〇年)から○・九%二

九八一1八五年)へ︑国内総生産の年平均成長率は同じ時期に二・九%から一・︼%へと低下し︑工業生産指数は政権

発足時から下降を開始し︑一九八五年にようやくスタート時の水準に回復した︒そして失業者はスタート時より五〇

(9)万人も増える結果となった︒比較的良好な指標を示しているのは物価水準である﹂と︒ところが他方で社会党政権は︑

教育改革︑地方分権化政策などを具体化し︑前保守政権にはでぎなかった民主化政策を実行した︒この点を高く評価

してよいであろう︒こうした社会改革や物価抑制策は︑国民に十分に浸透しなかった︒だが社会党は今回の総選挙で

政権をとれなかったものの︑第一党の地位を保持することができた︒この点︑改めて評価したい︒

ここで最近のフラソスの主要な経済指標をみよう︒

一九八一年の鉱工業生産指数は︑対前年比マイナスニ・三%︑八二年マイナス一・五%と連続マイナスであったが︑

八三年には○・八%︑八四年には二・三%と着実な増加をみせた︒これは︑八三年後半から八五年の景気回復過程と

(24)

商 経 論 叢 第22巻 第1号 is2

対応している︒貿易収支をみると︑八一年五〇六憶フラソの赤字︑八二年九三三億フランの赤字︑八三年四三五億フ

ラソの赤字・八四年に二四四億フラソの赤字︑八五年には二三六億フラソの赤字で︑八四年と八五年の両年には二〇

〇億フラン台にまで好転しつつある︒一方失業率は︑八一年七・七%︑八二年八.七%︑八三年八.八%︑八四年九.

九%と毎年増大し︑フラソスにとって失業政策は重要課題となっている︒

一九八四年︑フランスは厳しい財政・金融の引き締め政策にも拘わらず︑公共投資を通じて︑先端技術部門の内需

を拡大すると同時に住宅︑教育投資部門への投資を拡大する中で︑国内需要の相乗効果を発揮させた︒とくにアメリ

カ・EC加盟国の景気回復に支えられたこと︑さらにフラソの対ドルレート下落に支えられて︑輸出が拡大したこと

(前述の八三年のマイナス四三一二億フラソからマイナスニ四四億フラソに低下)が景気をリードしたといってよいであろう︒

主要部門の貿易収支をみても︑エネルギー赤字が中心で︑工業製品の収支は一貫して黒字であり︑また農業食糧の収

支も黒字である︒だがエネルギーの赤字がこれらの部門の黒字を吸収し︑さらに二〇〇億フラソ台の赤字をだしてい

(10)るのが特徴的である︒

フラソスは日本と同様︑原材料やエネルギーの輸入依存度の高い国である︒フラソスが外国資源に依存する鉱物資

源は・銅︑チタソ︑シリコン︑ニオブ︑モリブデン︑クロム︑バナジウム︑プラチナなどである︒これらは希少非金

属鉱物資源で・フラソスの工業原料に不可欠のものである︒こうした鉱物資源への依存度を少なくするには新材料の

調査研究とその生産体制を作る以外にないのである︒同時に先端技術産業︑航空機産業︑電機︑機械など高付加価値

の産業の競争力を強め︑EC市場︑アメリヵ︑日本︑途上国の各市場に輸出することによって貿易収支を均衡させる

政策を採用すべきであろう︒

消費物価上昇率について︑労働者の賃金引き上げ抑制による生産コストの低下︑原料品の値下がりなどで︑一九八

(25)

最 近 の西3‑Rッ パ 経 済政 策 の課 題 と第三 次 麟 メ協定 の 問 題点 163

第3表

民 間産業の 平均 労働時 間 と雇 用数 の動 向 (農業,住 宅,金 融サービスを除 く)

(平 均 年 率,%) }・967‑73年 ・973‑8・ 年1・98・‑83̀x・*・983‑.・

付 加 価 値 6.1 2.7 1.5 3.2

時間当た り労働生産性 5.4 3.3 2.8 4.2

年 間労 働時 間 の長 さ 一1 .0 一U .4 一一〇.s

雇 用 数 1.6 0.4 一 〇.9 一 〇.4

(注)*印 は トレ ン ド上 昇率 。 政 策 転 換が な い 場 合 の予 想 。

〔出所 〕 金 森 久 雄編 『世 界 経済 再 生 へ の道 』 日本経 済 新 聞 社, 1982年,269ペ ー ジ 。

四年には︑七・四%になった︒これは政府見通しの五%より高かったが︑フラソス

は︑長期的視点に立って︑国際競争力を強め︑労組︑市民︑経営者の主体的政策参

加によってイソフレを抑制し︑貿易収支を改善すべきであろう︒この点シラク政権

に課せられた課題であろう︒

前述したようにフラソス経済の課題は失業問題である︒この点︑第3表に基づい

て考察してみよう︒この表は農業・住宅・金融サービスを除いた民間産業の平均労

働時間と雇用数の動向を示したものである︒一九六七1七三年の付加価値の年率は︑

六・一%︑時間当たり労働生産性は年率五・四%︑雇用数も年率一・六%︑それぞ

れ増加したのに︑年間労働時間の長さはマイナス○・八%である︒一九八〇ー八三

年の不況期には︑付加価値︑労働生産性も年率それぞれ一・五%︑二・八%しか増

加していない︒かなりの落ち込みを示した︒雇用数に至っては年率マイナス○・九

%であり︑年間労働時間の長さも年率マイナス○・四%であり︑失業者数の増大に

対して労働時間は長くなったことを示している︒例えばイル・ベルテロ氏は七四年

と八一年の失業者数を比較している︒﹁経済活動人口が引き続き増加してきたこと

もあって失業は極めて急速に増大し︑七四年三月の四五万人から八一年三月には一

六一万九〇〇〇人に達した︒経済活動人口の伸びは人口動態によるものであり︑こ

れは八五年まで変化しない︒また成人女性の参入率が伸びたことにある﹂と指摘し

ている︒つまりこの傾向は︑八三年から八五年の景気回復期においても続くことに

(26)

商 経 論 叢 第22巻 第1号 164

なる︒とくに︑中高年層の再就職難と若年労働者の失業難に直面している︒景気回復期においても︑新技術開発など

によって雇用吸収力が充分でないこと︑さらにそれに輪をかけて︑新規労働力が増加しているから︑失業者数は増大

していることになる︒したがって︑今後フランス政府は︑雇用政策と産業政策を総合的に考えていかなければならな

い︒ただし︑不況期︑景気回復期を問わず︑年間労働時間が低くなっている点を評価したい︒一九八五年の日本の年

間平均労働時間が二〇五〇時間に対してフラソスは一七五〇時間である︒産業部門によっては日本の労働生産性が高

く︑競争力もすぐれている︒

問題は︑福祉政策を貫徹する中で︑今後持続的な安定成長をとげながら物価の安定︑経常収支の改善︑失業者の減

少策を︑どのように政策的に打ち出すかである︒それは︑下からの市民のニーズによる総合的政策を体系化すること

から出発すべきではなかろうか︒

なおいまフラソスは︑シラク政権がミッテラソの打ち出した主要大手企業の国有化政策に対して反対している︒も

ともとフラソスの国有産業は︑公共性と効率性を発揮し︑雇用吸収力を図ってきた︒ところが︑財界の勢力を背景に

登場した保守系のシラク政権は︑ミッテランが実行しつつある国有化政策から再び民営化政策に逆戻りする法案を提

(12)出している︒この点は︑今後のフラソスの経済をどのように活性化するかという問題と関連して︑国民から問われる

であろう︒

四 ︑ 一 九 八 〇 年 代 後 半 の E C 経 済 の 構 造 変 化 と 主 要 政 策 課 題

ω改めてEC経済の難問を考える

われわれは︑ECを代表するイギリス︑西ドイツ︑フラソスが︑一九八〇年代初頭の世界不況をいかに克服しつつ︑

(27)

最近 の西 ヨー ロ ッパ 経済 政 策 の課題 と第 三 次 ロ メ協 定 の問題 点 165

景気回復過程に入って︑経済政策を実施したかを検討してきた︒

そこには︑いくつかの共通する問題があった︒第一には︑ECの経済構造が一九七〇年代の三つの危機︑すなわち

七一年の国際通貨危機︑七四年の第一次石油危機︑七九年の第二次石油危機という三重の危機にゆさぶられた点にあ

る︒こうした危機に直面するたびに︑ECはたえざる政策転換に迫られた︒ECの政策担当者は従来の景気循環に対

する財政.金融の総需要管理政策からの視点では限界であり︑より危機を増幅させるのではないかという判断に立ち︑

EC全体の協調と連帯の立場から総合的経済政策を構築しなければならない立場におかれた︒

EC経済のスタグレーショソ化の進行過程で︑政策転換はまず政権の交替劇として表面化した︒イギリスでは一九

七九年六月以来︑サッチャー政権が誕生し︑経済危機への対応として強引な合理化政策を取り続けている︒例えばイ

ンフレ抑制を最優先とする﹁経済再活性化政策﹂を選択し︑他方で労組の賃上げを抑制した合理化政策を打ち出し︑

さらに国営企業の民営化政策を通じて大手企業の収益増大策を選択した︒西ドイツでは︑八二年一〇月の諏ール政権

成立後︑構造的危機に直面した財政再建を中心とする﹁構造改革﹂を強力に推し進めている︒フランスでは︑前述し

たように八一年五月のミッテラソ政権が﹁自主管理﹂を基調とする国有化政策とインフレ抑制︑雇用増を主目的とす

る需要拡大策を選択した︒だがインフレの高進︑経常収支悪化によるフラン危機から八二年六月︑引き締め政策に代

わり︑八四年七月以降︑ファビウス内閣は産業構造再編成策を前面に打ち出した︒だが八五年三月保守政権に変わり︑

保革共存の構造改革路線を選択したのである︒

こうした一九七九年から八三年前半までのEC経済危機に対して︑各国は︑自らのイソフレ対策︑失業対策︑産業

の活性化対策︑貿易収支の改善策に狂奔せざるをえなかった︒EC加盟各国は︑ECという開かれた経済圏で︑共通

に経済危機に対応するよりも︑一国の経済政策課題として取り組まざるをえなかった︒その点ではきわめて一国経済

参照

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