飛 鳥浄御原 宮推定地 の調査
(昭和56年9月〜昭和57年 1月) 飛 鳥 寺 の北 方 の飛 鳥 浄 御 原 宮 推 定 地 で は
,こ
れ ま で 二,三
の部 分 的 な調 査 を 除 き,本
格 的 な調 査 は行 わ れ て い な い。 しか し,近
年 の飛 鳥 地 域 に お け る調 査 成 果 か ら,そ
の調 査 に多 くの期 待 が寄 せ られ て い る。 そ こで 今 年 度 よ り同推 定 地 解 明 の糸 日 と もな る小 字 「石 神 」 の水 田 (石神 遺 跡 と仮 称 す る)の
調 査 を 開 始 した。 ま た今 年 度 は,昭
和47年に発 見 され た史 跡 飛 鳥 水 落 遺 跡 の整 備 に伴 う 調 査 を合 せ て 実 施 した。I窪 翠 ―
石 神 遺 跡
. 言
t l
i裂
傘 へ \
水 落 遺 跡 水 落 遺 跡 は 昭 和47年に飛 鳥 小 学 校 南 の家 屋 新 築 に伴 う事 前 調 査 で 発 見 され た 。 そ の調 査 で は方 形 に巡 る石 組 溝 状 遺 構 と
,そ
の 内側 の礎 石 建 物 の西 側 柱 列,溝
状 遺 構 の南 外 側 に接 す るTFB立柱 建 物 の一 部 を検 出 した。 この石 組 溝 状 遺 構 が 一 種 の基 壇 化 粧 とみ られ,他
に例 の な い構 造 で あ り,飛
鳥 浄 御 原 宮 推 定 地 の一 画 で発 見 され た7世
紀 後 半 代 の大 規 模 な礎 石 建 物 で あることか ら,昭 和51年 3月 に国 の史 跡 に指 定 され た。 今 回 の調 査 は史 跡 整備 事 業 の一 環 で実 施 した もの で
,前
回 様 々 な制 約 か ら調 査 し得 な か った基 壇 上 面 と北 。東 辺 石 組 溝 状 遺 構 を 中心 に,礎
石 建 物 の規 模 と構 造 を 明 らか にす る こ とお よ び南 の掘 立 柱 建 物 につ いて もそ の規模 を 明 らか にす る こ とを 目的 と して実 施 した もので ある。 な お
,東
を流 れ る吉 野 川 分 水 路 改 修 に際 して一 部 補 足 調 査 を行 った。<礎
石 建 物> 基 壇 上 で は床 土・ 褐 色 砂 質 上 の下 の灰 褐 色 砂 礫 層 上 面 で,先
に検 出 した礎 石 建 物 西側 柱 列 の東 に
,径
1.0〜1.2mの
不 整 円 形 を 呈 す る 穴 を 検 出 した。 この結 果,建
物 が 中央 を 除 く総 て に柱 を備 え た4間
四 方 総 柱 の建 物 で あ る こ とが 判 明 した。 この穴 は深 さ0,8mの
摺 鉢 形 で,底
に は径40 cm,深さ12 cmの円形 凹 座 を もつ礎 石 が あ る。 穴 は この 凹 座 に挿 入 し立 て られ る柱 の抜 取 り穴 で あ る。 礎 石 は一 辺
1.5mの
不 整 方 形 の花 南 岩 で,
高 さ0.5mで
あ る。 平調査地全景 (東か ら)
―‑ 48‑―
AN
【 T 下 ¬ 庁
― 早 一 ― ―̲̲̲̲̲一 二 甲m
水落遺跡遺構配置図
(1:250)
滑 に整 え た上 面 に 円形 凹 座 を穿 つ 。建 物 は礎 石 凹 座 心 々間 で総 長
10.95m(30尺
)四方 の 正 方 形 で,柱 間 は 各 辺 と も2,74m
(7.5尺
)等間 で ある。基 壇 は飛 鳥 川 の氾 濫 原 を深 さ1,7m掘
り込 み,灰
褐 色 砂 上 を主 体 とす る土 を版 築 状 に積 ん で作 られて お り,礎 石 や柱 を 基 壇 築 成 過 程 に据 え 付 け て い る。 隣 り合 う礎 石 間 に
は
,径
50 cm大 の 自然 石 を3〜 4個
連 ね,互
い に突 っ張 り合 せ る。 ま た,柱
筋 の 外 側 延 長 線 上,対
角 線 上 に も,同
様 の 石 を5〜 6個
連 ね て お り,地
下 に据 え た礎 石 の ズ レに対 す る配 慮 の 周 到 さが うか が わ れ る。 この よ うな総 柱 の地 下 式 礎 石 を互 い に連 結 させ た頑 丈 な建 物 は
,そ
の工 法 と と もに他 に例 を み な い特 異 なもの で
,建
物 の性 格 を示 す もの と して 注 目 され る。<方
形 石 組 遺 構> 礎 石 建 物 の 四周 は底 幅1.8mの
石 組 溝 状 遺 構 で 囲 まれ て い る。 これ は一種 の基 壇 化 粧 で,底
の 内 外 両辺 か ら約17覧20°の傾 斜で 立 ち上が る側 壁 は, 0.6〜 1.Om大
の 花 南 岩 を 内側 で は3〜4段
(推定 高 0。9〜1.2m),外
側 に は
2〜 3段
(同0,6m)積
み上 げ て 作 られ て い る。 溝 内辺 が 描 く方 台 状 基 壇 の下 底 辺 長 は 約22.4mで
あ る。 溝 底 は 東 南 で 高 く,
西 北 で 低 い。 比 高 差 は 約0.4mで
あ る。 西北 隅 で は,
底 石 は北 へ1.8m突
出 して お り,
そ こで 西 折 し て い る。 そ の北 端 の 石 に は水 抜 きの溝 を彫 り込 み,水
を西 方 へ 抜 く工 夫 が され て い る。 溝 埋 土 は炭 化 物 を 多 く含 む暗褐 色 粘 土 で あ るが,底
に は灰 色 粘 上 が 堆 積 して お り著 しい流 水 は考 え られ ず,溝
底 の傾 き と と もに,石
組 溝 状 遺 構 が 水 を た た え る た め の施 設 で な い こ とを示 して い る。<方
台 状 基 壇 内 の諸 施 設> 基 壇 内 で は 中央 の 台 石 上 の漆 塗 木 箱・ 木 樋 暗渠・ 銅 管 を検 出 した。 そ れ らの設 置 過 程 に つ い て は
,先
ず 掘 込 地 業 の底 に礎 石 と 台石 を据 え,基
壇 土 で 途 中 まで 固 め た後 に木 樋 や木 箱 を据 え,更
に基 壇 土 を積礎石 と突 っ張 りの石 (北西か ら)
‑50 ‑
み あ げ て
,最
後 に周 囲 の石 張 り化 粧 を す る工程 が 認 め られ,建
物 と一体 の 施 設 で あ る こ とが わ か る 。<漆
塗 木 箱> 基 壇 中央 で は東 西1.5m,
南 北2.2mの
方 形 抜 取 り穴 の底 で,巨
大 な 花 南 岩 台 石 とそ の上 に置 か れ た漆 塗 木 箱 の残 片 を検 出 し た。台 石 は南 北2.2m,
東 西 1.6m, 厚 さ0.6mで ,
平 滑 に整 え た 上 面 の 西 寄 りに南 北1.65m,東
西 0.85m, 深 さ 4 cmの 方 形 彫 り込 み が あ る。 方 形 彫 り込 み の 西 辺 南 半 に は南 北 幅65cm,深
さ17 cmの切 り欠 きが 設 け られ 漆塗木箱 と木樋 (東か ら)そ の底 は西 方 へ 著 し く傾 斜 して い る。 漆 塗 木 箱 は台 石 の方 形 彫 り込 み に 内接 し て 置 か れ て い た の で あ るが
,木
質 部 分 は朽 ち果 て て お り,彫
り込 み側 縁 に沿 っ て 高 さ 9 cm程 の 漆 膜 の 立 ち あ が りが あ った他,底
面 の北 半 に比 較 的 残 りの良 い 漆 膜 を認 め た に す ぎ な い。 漆 膜 の上 に は厚 さ 4 cm程 の 微 細 な砂 が堆 積 していた。漆 塗 木 箱 の復 原 に は
,な
お検 討 を加 え ね ば な らな い が,現
時 点 で は,彫
り込 み側 縁 に沿 う漆 膜 が木 箱 の底 材 外 面 に塗 布 され た もの で
,底
材 は厚 さ13 cmの一 枚 板 と考 え て い る。 底 面 北 半 の 漆 膜 は一 辺37 cm程 の 内法 を もつ木 箱 の可 能 性 が あ る。 方 形 彫 り込 み の外 側 の 台 石 上 に は,20〜
30 cm大の 自然 石 が 2〜3段
積 み上 げ られ,内
側 が ほ ぼ木 箱 外 面 に揃 って い る。 これ は基 壇 中 に木 箱 を固 定 す る裏 込 め石 に あ た る と考 え られ る。<木
樋 暗渠> 漆 塗 木 箱 を 中心 に して,西
。北 。東 に木 樋 暗渠 が通 っている。東 の木 樋 は
2本
あ り,
うち先 ず 南 側 の木 樋 に つ いて の べ る。 基 壇 内 で の残 りは 悪 く,幅 0.35m,深
さ0.18mの 粘 土 化 した木 質 を検 出 した。 東 辺 の 石 組 溝 の下 を 通 って 敷 設 され,東
外 辺 斜 面 外 側 の 吉 野 川 分 水 路 改 修 時 の補 足 調 査 で は良 く 残 って い た。 木 樋 は外 法 幅49 cm,同 高42 cm,内 法 幅21 cm,同 高30 cmで あ り,断
面 を
U字
形 に く りぬ い た もの で,底
部 と両 側 を基 壇 上 で 取 り巻 くよ うに固 め て い る。底 に は厚 さ5 cmの青 灰 色 粗 砂 が堆 積 し,流
水 の痕 が うか が わ れ る。 この 木 樋 は方 台 状 基 壇 中 央 台 石 の南 を通 り,基
壇 西 辺 外 方 へ 抜 け て い る。 次 に この 北0.7mに
並 走 す る木 樋 も大 半 が 粘 土 化 し,底
部 が わ ず か に残 る程 度 であ るが,先 述 の木 樋 と同 規 模 と考 え られ る。 この木 樋 は台 石 の東 に向 って敷 設 され て い るが
,西
端 に は南 北55 cm,東西45 cmの角 材 が 垂 直 に埋 め られ て い る。 水 量 調 節 の桝 とみ られ る。木 樋 は東 西 14.5m分 を検 出 した が,底
は西 で 低 く,33 cmの 差 が あ る。 この木 樋 に は桝 の東1.8mの
建 物 入 側 柱 の位 置 に南 接 して 大 銅 管 が蓋 材 に挿 入 され て い る。 大 銅 管 は径3 cm,蓋
材 に埋 め込 ま れ た末 端 部 分 が 最 大 径6 cm,木
樋 内 に突 き 出 した先 端 で 4 cmの太 さで あ った。 末 端 か ら長 さ35 cmで折 損 して い るが,当
初 は柱材 に沿 って 基 壇 上 へ延 び て い た とみ られ る。 木 樋 は桝 か ら台 石 を迂 廻 す る よ うに,北
へ0,75m,西
へ2.5mの 2本
の短 い木樋 を連 ね,台 石 の 西 北 で 南 北 に長 い木 樋 に継 いで 基 壇 北 辺 外 方 へ 延 び て い る。 い ず れ も幅 24 cmの底 の部 分 の木 質 が 残 り
,上
面 に は 白色 粗 砂 の堆 積 が あ る。 南 北 の木 樋 は 長 さ13.4m分
を検 出 した が,南
端 で の高 さ は基 壇 検 出 面 下lmで
ぁ り北 端 よ り 1l cm高い。 基 壇 西 方 に延 び る木 樋 は,台
石 南 を通 過 す る木 樋 の北 に平 行 して敷 設 され て い る。 南 の木樋 と一 連 に,幅 1.8m,
深 さ1.3mの
掘 形 を 掘 っ て敷 設 され,中
央 台 石 の切 り欠 きか ら基 壇 西 辺 の石 張 りの下 を 通 って 西 方 へ 抜 か れ て い る。 幅0.6m,
深さ0。35mの
粘 土 化 した木 質 が残 って い る。 この 台 石 に 取 り 付 く木 樋 は,他
よ り も幅 広 く,南
の木 樋 よ り急 傾 斜 で 西 方 へ 抜 か れ て い る こ とか ら
,一
度 に大 量 の水 を抜 くた めの 工 夫 と考 え られ る。<小
銅 管> 漆 塗 木 箱 の西 か ら北 へ 小 銅 管 が敷 設 されて い る。 小 銅 管 は外 径 1.2 cm,内 径0.9 cm,長 さ80 cm程の管 を継 いで い る。 外 側 は 3 cm幅の 木 で 被 覆 され,内
法 幅10 cmの木 樋 に納 め られ て い る。 南 北 の木 樋 に沿 って敷 設 され る力ヽ 中 央 付 近 で は重 複 し,木
樋 埋 設 後 に幅20 cmの溝 を掘 って 通 して い る こ とが わ かる。 漆 塗 木 箱 付 近 で は基 壇 検 出面上 に露 出 して お り
,南
端 は削 平 され 明 らか で な い が,木
箱 北 端 か ら20 cm南 の位 置 まで痕 跡 が た どれ る。 そ こで は木 樋 底 か ら 70 cmの 高 さ に あ る。 北 方 で は木 樋 と同 じ高 さ に並 ん で,石
組 底 石 の下 を通 って―‑ 52 ‑―
い る。 長 さ
14.lm分
を検 出 したが,比
高 差 は約 73 cmで,木
樋 よ り著 しい傾 き を もつ 。<掘
立 柱 建 物> 昭 和47年の調 査 で 北 側 柱 列6間
分 を検 出 した建 物 は,東
の妻 柱 列 を検 出 し た こ とに よ り桁 行8間
(総長 約22m),
異 行2 間 (同 5。8m)の 東 西 棟 と判 明 した。 方1.5m
の柱 掘 形 を もち
,柱
間 は 両脇 間 が 若 干 狭 い他 は 礎 石 建 物 とほ ぼ等 しい。 南 側 柱 列 の南2.5mの
位 置 を南 端 とす る一 帯 の掘 込 み地 業 に よ って築 成 した基 壇 上 に掘 形 を穿 ち
,柱
を建 て た 後 に化粧 の石 張 りを して い る こ とか ら
,礎
石 建 物 と一連 の建 物 で あ る。 石 張 りは北 側 柱 に接 す る位 置 に まで 及 び,基
壇 は石 組 溝 底 か ら0.6mの
高 さ と推 定 され る。これは方 台状 基 壇 推 定 高 よ り約
0.3m低
い。東 の補 足 調 査 で は東 妻柱 列 の東2.4mの
位 置 に南 北 に並 ぶ3個
の柱 穴 を検 出 した。 柱 掘 形 。柱 間 と もに同規 模 で あ り,柱
筋 を揃 え た東 西 棟 で あ ろ う。掘 立 柱 建 物 の 内側 に は一 辺60 cmの柱 掘 形 や 石 が 並 び,建
物 の床 束 と もみ られ るが 明 らか で な い 。<遺
構 の性 格> 以 上 の よ うに礎 石 建 物 の 中 に は,木
樋 暗 渠,漆
塗 木 箱 等 の 水 を 用 い る施 設 が存 在 し,そ
れ らは基 壇 築 成 に合 せ て敷 設 され た一 連 の 施 設 で あ る こ とが 明 らか に な った 。水 の流 れ を復 原 して み る と,東
方 の木 樋 を通 じて 導 い た水 は,台
石 の東 に設 け た桝 を 閉 じる こ とで 水 圧 を上 げ,蓋
に挿 入 した大銅 管 を通 って 基 壇 上 に導 か れ る。 余 水 は桝 か ら北 へ木 樋 を 通 って 基 壇 北 へ 排 水 され る。 基 壇 上 の水 は漆 塗 木 箱 へ集 ま り台 石 の切 り欠 き か ら西 の木 樋 を通 って 一 気 に排 水 され る。 漆 塗 木 箱 上 に は極 く微細 な砂 が堆 積 し
,木
樋 底 の粗 砂 と比 べ る時,基
壇 上 で は水 飾 を した清 浄 な水 を必 要 と した とみ られ る。 これ ら周 到 な配 慮 工 夫 の な され た水 利 用 の施 設 と,そ
れ らを埋 設 した頑 丈・ 精 緻 な礎 石 建 物 は漏 刻 (水時 計)と
そ れ を納 め た漏 刻 台 と考 え るの が 最 も妥 当 で あ ろ う。 中 国 古 代 の漏 刻 は,既
に周 代 か らそ の使 用 が知 られ,唐
代 に は漆 塗 木 箱 を水槽 と し,細
い銅 管 で連 結 した サ イ フ ォ ンの原 理 に よ って した た り落 ち る一 定 の水 量小銅管 と木樋 (北か ら)
を 測 る仕 掛 に な って い る 。 我 が 国 の 漏 刻 は
4
骨 ¶冒 燃催て正叉
6
良・ 平 安 時 代 に もそ の 備 え の あ った こ とが知
られ る。 『 延 喜 式 』 に Cm
は漏 刻 の鐘 を撞 く松 木, 出土土器 (1〜7:石組堆積層
,8:木
樋直上)凍 結 防 止 用 の木 炭 の他
,水
舗 用 の曝 布 の必 要 な こ とが 記 され て お り,検
出遺 構の特 色 と一 致 す る。 『 日本 書 紀 』天智 10年 条 に「 漏 刻 を新 台 に置 く
,始
め て候 時 を打 つ,鐘
鼓 を動 か す 」 と記 され る よ うに,建
物 が 総 柱 礎 石 建 ち の 一 種 の楼 閣 建 築 で あ り,規
模 と頑 丈 さを考 え る と,一
階 に漏 刻 を,三
階 以 上 に鐘 鼓 を置 い た と考 え られ る。 平 安 時 代 に降 るが,『
中 右 記 』 の記 録 で は陰 陽 寮 の鐘 楼 に は漏 刻 の他,渾
天 図 等 が 備 え られ て い た こ とが 知 られ,こ
の建 物 の 中 に天 文 機 器 を置 い た可 能 性 もあ ろ う。<そ
の 他 の遺 物> 礎 石 建 物 の 東 北 部 を 中心 に,方 0。8mと
方0.4mの
大 き さの柱 穴 が あ る。 礎 石 建 物 の柱 の 間 を ぬ って 掘 られ て お り, 2.8m等
間 の 柱 間 を復 原 で き るが,塀
か建 物 か は不 明 で あ る。 いず れ も埋 土 に黄 色 粘 上 が 混 じる 共 通 した特 色 を示 し,礎
石 建 物 抜 取 り穴 を こわ した り,基
壇 化 粧 石 張 り埋 上 の 上 か ら掘 り込 ま れ,基
壇 建 物 廃 絶 後 に造 営 され た こ とが わ か る。 昭 和47年の調 査 で は,本
調 査 区 北 東 隅 の トレ ンチ を 中 心 に して, 7世
紀 中葉 の上 器 に混 じて7世
紀 後 半 の上 器 が 少 量 出土 して お り,こ
れ らの柱 穴 と関 わ る可 能 性 が 高 く,礎 石 建 物 等 の廃 絶 と周 辺 地 域 の大 規 模 改 変 の 時 期 を示 す もの と して注 目され る。
<遺
物> 基 壇 化 粧 石 組 溝 の堆 積 層,木
箱 抜 取 り穴 等 か らは多 量 の炭,フ
イゴ羽 口
,ス
ラグ と と もに7世
紀 中葉 の上 器 が 出土 した 。 ま た木 樋 直 上 か ら も7 世 紀 中葉 の須 恵 器 杯 が 出土 し,遺
構 を斉 明6年 (660年 )に
中大 兄 皇 子 が造 っ た漏 刻 とみ る こ と と矛盾 しな い。 炭,
フ イ ゴ羽 日,ス
ラグ の性 格 に つ い て は前 回 調 査 時 出上 遺 物 を含 め今 後 の整 理 の結 果 を待 ち た い。 な お,飛
鳥 寺 軒 丸 瓦 を―‑ 54‑―
含 む 瓦 類 が わ ず か に 出上 して い るが
,瓦
葺 の建 物 を想 定 で き る量 で は な い。<ま
とめ> 上 述 の よ うに,方
台状 基 壇 に営 ま れ た礎 石 建 物 とそ の 内部 施 設 は,漏
刻 と漏 刻 台 で あ る との 結 論 を得 た。 しか も『 日本 書 紀 』斉 明6年
5月条 に記 され る中 大 兄 皇 子 が 造 った 漏刻 に あ た る と推 定 され る もの で あ る。漏 刻 の 具 体 的 な構 造 を は じめ,南
の木 樋 の機 能 や導 水 元,小
銅 管 の行 く先,お
よ び遺物 の性 格 と帰 属 な ど解 明す べ き課 題 は 多 い。 しか し
,今
回 の成 果 が 広 く飛 鳥 と そ の 時 代 を 理 解 す る上 で 大 き な鍵 とな る こ とは確 か な こ とで あ り,今
後 の検 討 と周 辺 地 域 の調 査 を期 した い 。石 神 遺 跡 旧 飛 鳥 小 学 校 の東 に あ る
6筆
の水 田 は小 字 「石 神 」 の名 で 呼 ば れ,そ
の東 南 部 の不 整 形 な水 田 が 明治 35年 に「須 弥 山石 。石 人像 」 の石 造 物 が 出上 した 水 田 で あ る。 水 田西 北 隅 の石 造 物 出土 地 点 を 中心 と して,昭
和 11年 春 に は石 田茂 作 氏 らに よ って部 分 的 な調 査 が 行 な わ れ,出
土 地 点 を め ぐる位 置 に 石 組 溝 が あ り,そ
の東 方 に石 敷 遺 構 の あ る こ とが 確 認 され て,石
造 物 が石 組 溝 を め ぐ ら した庭 園 の 噴 水 施 設 で あ り,年
代 的 に は斉 明3年
・ 同5年
条 に み え る「 甘 樫 丘 東 川 上 」 「 飛 鳥 寺 西 」 で の 須 弥 山造 立 の 時 期 に あ た る とさ れ た 。 ま た この成 果 は 旧飛 鳥 小 学 校 の北 に あ る石 敷 と と もに この地 域 を飛 鳥 浄 御 原 宮 に推 定 す る一 つ の有 力 な 根 拠 と もな った。 そ の後
,昭
和47年の飛 鳥 水 落 遺 跡 の発 見 に続 き,昭
和52年に は飛 鳥 寺 北 大 垣 が確 認 され て,こ
の水 田が 飛 鳥 寺 寺 域 の 西 北 隅 に あ た る こ とが 判 明 し,こ
の地 域 を「飛 鳥 寺 西槻 木 」 の広 場 の 一 画 に含 め る見解 も出 され た 。 ま た そ の成 果 に よ って,飛
鳥 寺 西 門 の前 を通 る 中 ツ道 と壬 申 の乱 の 記 事 に登 場 す る「 飛 鳥 寺 北 路 」 の交 点 が,こ
の水 田 の東 南 部 に想 定 さ れ る こ とに な るな ど,新
た な視 点 に よ る全 面 的 な 調 査 が 必 要 に な って き た 。 そ こで,今
年 度 か ら開始 す る飛 鳥 浄 御 原 宮 推 定 地 の 本 格 的 な調 査 の一 貫 と して, 今 回 は石 造 物 出上 の 水 田全 域 とそ の 北 の 水 田 を対 象 と し,昭
和 11年 の 調 査 を再 確 認 す る こ とで 解 明 へ の糸 口 を さ ぐる こ と と した 。調 査 地 の層 序 は そ の東 半 で は上 か ら耕 土・ 床 土 ・ 褐 色 砂 質 土 。黄 色 粘 土 ・ 灰 褐 色 砂 礫 で あ り
,黄
色 粘 土 以 下 が 地 山 で あ る。 西 半 で は 自然 流 路 に あ た る砂 礫 層 が 黄 色 粘 土 を流 失 させ て 厚 く堆 積 して お り,遺
構 は灰 褐 色 砂 礫 面 で 検 出 した。<遺
構> 昭 和 11年 の調 査 (以下, S.11調 査 と略 す)で
検 出 され た石 組 溝 と 石 敷 遺 構 の ほか に,掘
立 柱 建 物,掘
立 柱 塀,溝 ,土
壊,竪
穴 住 居 な どが あ る。大 き くI(7世 紀 代),I(奈 良 。平 安 時 代),皿
(6世
紀 以 前)の 3つ
に分 け られ るが,主
にIの
遺 構 に つ い て概 略 を記 す こ とに す る。I,7世 紀 代 とみ られ る遺 構 は さ らに
,そ
の 重 複 関 係 や 出土 遺 物 に よ って,前 半 〜 中葉 の 遺 構
(A)と ,後
半 代 の 遺 構 (B)およ び ど ち ら と も決 め難 い遺 構(C)と
に分 け られ る。A)S.11調
査 で検 出 され た石 組 溝 な どが あ る。S D 130は
調 査 区 西 南 の 南 北 溝 で 幅 0,8m,深さ 0.7m。 調 査 区 南 端 か ら12m北
で 西 折 し,同
規 模 の石 組 溝―――――S168850
AN
ネ
│わ溶 Ψ I珊
'
│―
⑧ ; .(
SE140
――――S168880
││
石神遺跡遺構配置図 (1 :300)網目は昭和11年調査 トレンチ ーー 56 ‑―
` ― SD151 ̲
S D 131と
な る。S D 131は
調 査 区 西 端 まで の2.8m分
を検 出 した。 S.11調 査 で は約 20尺 西方 で 北 折 し,南
北 石 組 溝S D 132と
な る こ とが確 か め られ て い る。 幅1.5mの
掘 形 内 に幅50 cm,高 さ60 cmの一 枚 石 を た て な らべ て側 石 とし
,底
に は20 cm大の 玉 石 を敷 く。 側 石 上 端 の納 め具 合 か ら検 出面 が ほ ぼ 旧状 の 高 さを示 す 開渠 とみ られ る。 溝 内堆 積 層 に つ い て は S,11調 査 時 に完 掘 され て い て 明 らか で な い。S D 131が
ほぼ真 東 西方 向 に通 って い るの に対 し,S S D 130。 131(北か ら)
D130は
北 で 東 に約 3°振 れ て い る。 この 振 れ は南 の水 田 畦 畔 の振 れ に近 似 して お り, S D 130が
な お 南 へ の び て,飛
鳥 川 か らの 導 水 の位 置 を 占め る こ とを 暗 示 す る もの と して注 目 され る。S D 130の
南 端 西方 に取 りつ くS D 133は
幅45 cm,深さ45 cmで,他
の 溝 よ り 小 さい もの の,一
枚 石 を た て並 べ る点 で は共 通 す る。 底 に は40× 25 cm大,厚
さ20 cmの矩 形 の石 を 西 か ら東 へ 段 々 に下 げ て石 畳 と して い る。 東 端 の底 石 とSD
130の
底 石 とは25 cmの差 を もつ段 を な して い る。S D 130の
東 に はS D 133と
南 側 石 を そ ろえ た位 置 にS D 134が
取 りつ く。S D 134は
幅 0.9m,深さ0.8mで
東 へ7mの
と ころで 弧 を描 い て 北 折 し, S D135と
な る。S D 134の
側 石 は 西半 の4石
ほ ど は大 型 一 枚 石 を た て並 べ,東
方 で は や や大 型 の 石 の上 に
2〜 3段
の 小 型 の石 を横 積 み に して い る。底 石 は な く,抜
取 り痕 跡 もみ られ な い 。S D 135は
調 査 区 北 端 ま で の33m分
を検 出 した が,S.11調
査 で は南 端 か ら140尺
の と ころで 北 北 東 に向 って 由 が る こ とを確 認 して い る。 幅 2mの掘 形 内 に40 cm大 の 自然 石 を3〜 4段
横 積 み に して 側 石 と し て い る。 溝 内 の大 半 は完 掘 され て い た が,北
半 に掘 り残 され た部 分 が あ って,堆 積 層 が 確 認 で き た。 溝 堆 積 層 は底 か ら5 cmほ どの 灰 色 細 砂 と50 cmの厚 み を も
つ灰 色 粗 砂 で あ り
,激
しい流 水 の あ とを うか が わ せ る。 ま た,そ
の 上 は暗 褐 色 粘 上 で 埋 め られ,さ
らに は厚 さ15 cmの整 地 土 を介 して 後 述 す る石 敷 遺 構 が 営 ま れ て い る。堆 積 層 お よ び埋 土 か らは7世
紀 中葉 の土 器 (1)が少 量 出上 した 。 これ らの 溝 は大 規 模 な計 画 の下 に広 範 囲 に め ぐ らされ た一 連 の導・ 排水 施 設 で あ るが,底
石 の有 無 や 側 石 の 用 材 法 に み られ るよ うに, S D 130以
西 の溝 と S D 134・135と
で は若 干 の性 格 の違 いが 推 測 さ れ る。 な お,各
溝 の底 はSD131西
端 を0と した場 合,S D 130北
端 が‑2 cm,同
南 端 が‑5 cm, S D 133
東 端 が+14 cll, S D 134東端 が
‑15 cm, S D 135北
端 が ‑37 cmと な って お り,S.11調査 で は
S D 132→ 131→ 130→ 134→ 135の
順 に,あ
た か も石 造 物 出土 地 点 を め ぐる よ うな水 の流 れ を 推 定 して い る。と ころで
,こ
れ ら石 組 溝 と密 接 に 関 わ る石 造 物 の 出土 地 周 辺 は,S.11調
査 の ト レ ンチ が 深 くお よ ん で い て,当
初 の 状 況 は確 認 で き な か った。 た だ 幸 い に も S,11調 査 の お よ ば な か った部 分 で 花 商岩 石 造 物 の痕 跡S X 150・144を
検 出 し た 。S X 150は
幅7〜
14 cmの花 南岩 薄 層 が 1.2〜1.Omの
不 整 形 な 輪 状 に残 っ た もの で あ る。 水 田 西 北 隅 の床 土 面 か ら掘 り込 ん だ穴 の底 に あ り,
これ が 明 治 35年 出土 時 の痕 跡 で あ る こ とは疑 い な い 。 そ の形 状 を 出土 石 造 物 の各 部 と比 較 した結 果,「
須 弥 山 石 」 の 第 一 石 目 の 上 端 に酷 似 す る こ とが 判 明 した 。 出土 当 時 す で に天 地 逆 の状 態 で あ った こ とを 示 して い る。S X 150の
下 で 検 出 した東 西溝S D 147か
らは7世
紀 後 半 の 土 器 が 出上 し,S X 150の
上 層 に 瓦 器 が 含 ま れ る こ とか ら,原
位 置 か ら出土 地 へ の 移 動 は8〜
12世 紀 の 間 の こととみ られ る。S X 150の
東 方6mに
あ るS X 144に
つ い て は,東
西 に相 接 して 並 ん で い た と され る「 須 弥 山石 」 の 第 二 。第 二 石 目あ るい は 「 石 人 像 」 の痕 跡 と考 え られ る。い ず れ にせ よ
,
これ ら石 造 物 の原 位 置 は さ ほ ど遠 方 に あ る とは考 え難 い。B) 7世 紀 後 半 の 遺 構 に は
,石
敷 遺構
S X 127,石
列S X 128,掘
立 柱 建 物S B 125,塀 S A 105,土
壊S K 127な
S X 150(東か ら)‑58 ‑―
どが あ る。
S X 127は
石 組 溝 を埋 め,整
地 した の ち に20 cm大の 玉 石 を敷 きつ め て い る。 後 世 の 溝 や 流 路 な どで こ わ され虫 喰い状 に残 る。
石 敷 東 端 は 西 に面 を そ ろ え た石 列
S X 128で
区切 られ る。 そ の 東 方 は一 段 高 く,そ
こに は石 列 以 前 の斜 行 溝 SD 調査地全景 (西方上空か ら)
155や 152の
ほか石 列 以 東 の 整 地 に伴 う とみ られ る土 墳SK l17が
あ る。 SKl17か
らは7世
紀 後 葉 の上 器 (7)が出上 した。S X 127は
所 々 に不 等 沈 下 に よ る凹 み を もち な が ら,東
南 か ら西 北 へ わ ず か に傾 斜 して 石 組 溝 の 西方 に まで 広 が って い る。S X 144と
重複 す る東 西溝S D 142は
幅 1.3m,深 さ0.4mの
素 掘 り溝 で
,埋
土 か ら7世
紀 中葉 の上 器 (2)が出土 した 。 この溝 の 中 に あ る 石 列S X 143は
南 に面 を そ ろえ て並 ぶ2個
の石 で あ り,石
敷 の南 を 区 切 る施 設とみ られ る。
S D 142は
石 組 溝 の 東 に も延 び て お り,石
組 溝 の 埋 め た て後,石
敷 遺 構 の 造 成 に伴 う整 地 に関 わ る遺 構 と考 え られ る。 石 敷 は東 西
16m以
上,南
北
19m以
上 の 広 が りを も って い た こ とに な る。石 敷 の 南 に あ る掘 立 柱 建 物
S B 125は
桁 行5間 ,果
行1間
の東 西棟 で,桁
行柱 間
2.2m等
間,果
行 柱 間 は3.8mで
あ る。 方 1.8m,深さ0.8mの
掘 形 で,南 側 柱 列 に は径20 cmの柱 痕 跡 が あ る。 西端 の 柱 穴 が 石 組 溝
S D 135の
西側 石 を こ わ して 掘 られ て お り,石
組 溝 よ り も新 しい建 物 で あ る こ とが わ か る。 ま た,東 妻 柱 列 が石 列
S X 128の
南 延 長線 の 西1.8mに ,北
側 柱 列 が 石 列S X 143の
東 延 長線 の南 0。9mの 位 置 に あ り,全
体 と して 石 敷 遺 構 の 南 面 を塞 ぐ位 置 に あって
,互
い に 関 連 を もつ もの と考 え られ る。S B 125の
南 側 柱 列 に取 り付 く掘 立 柱 塀S A 105は , 5間
以 上 の東 西塀 で 柱 間 は2.2m等
間 で あ る。S A 105の
柱 穴 は
, 7世
紀 後 半 で も新 しい 頃 の上 器(8)
を含 む 溝S D 121・
122に
こわ され て お り,
これ らの 遺 構 の年 代 を
7世
紀 後 半 で も比 較 的 古 い 頃 とみ る こ とが で き よ う。C)そ の他
7世
紀 代 とみ られ る遺 構 に は,掘 立 柱 建 物
S B 101,掘
立 柱 塀SA lll, SA102が
あ る。S B 101は
調 査 区 東 南 に あ る梁 行3間 ,桁
行2間
以 上 の 南 北 棟 で,柱
間 は異 行 が1.76m等
間,桁
行2.lm等
間 で あ る。 西側 柱 がS D 121に
こわ され る点 で はS A 105と
同 じだ が,S A 105の
柱 穴 埋 上 に7世
紀 後 半 の上 器 が 含 ま れ,こ
の建 物 の柱 穴 出土土 器 が6世
紀 代 に 限 られ る点 か ら, 7世
紀 代 で も前 半 に ま で 遡 る 可 能 性 を もつ 。S B 101の
北10mに
あ る東 西塀SA lllも
同 様 の特 色 を もち,柱
間2.lm等
間 で4間
分 検 出 した 。S B 101の
北 に あ る塀S A 102は
柱 間2.lm
等 間 で
2間
分 検 出 した 。 真 北 に 対 して東 で 北 へ 約17髭0′振 れ て い る。 時 期 は不 明 で あ る。■.奈良 平 安 時 代 の遺 構 に は調 査 区 北 半 に あ る小 柱 穴 群
,土
壊S K 120,自
然 流 路 SD H0の ほか
,約
7mの間 隔 で 並 ん で 西流 す る東 西 溝0 10 15cm
出土土器
(1:SD 135,2:S D 142
4〜
6:SK 120,7:SKl17, 8:sD 121, 3・
9:S D l10) S D 123。 124・ 126・151お
よ び南 北 溝S D 160が
あ る。S K 120は
隅 丸 方 形 の穴 の 南 寄 りが 径2m,深 さ1,3mの
円形 に深 く掘 られ て い る。 多 量 の炭 が 混 じる埋 土 か らは,平
安 時 代 初 め の 上 器(4〜 6)の
ほか 瓦 類,施
釉 陶 器,土
馬
,金
銅 製 飾 金 具 な どが 出土 した。 自然 流 路S D l10は
幅 3m,深 さ70 cmで西 南 に 著 し くあ おゝれ 出 して い る。 粗 砂 を 主 とす る堆 積 土 に は,奈
良 時 代 中葉 か ら 平 安 時 代 前 半 を主 体 とす る土 器(3・ 9)と
と もに,飛
鳥 寺 の 瓦 類,基
壇 化 粧‑60 ‑
の凝 灰 岩 切 石 な どが 出上 した。 飛 鳥 寺 の北辺 を え ぐ って流 れ込 ん だ もので あ ろ う。 調 査 区 北 半 の 小 柱 穴 群 は重 複 関係 か ら
,石
敷 →S D 160・ 柱 穴 群 →S D 151 の 順 序 が 知 られ,出
土 遺 物 か らは9世
紀 〜 10世 紀 代 の遺 構 とみ られ る。 な お,この 時 期 の遺 物 を多 く含 む砂 礫 層 が 南 半 を厚 くお お って い る。
Ⅲ.6世 紀 以 前 の遺 構 に は
,弥
生 時 代 の上 墳 と古 墳 時 代 中期 の竪 穴 住 居 が あ る。SB H5は 東 西4.6m,南北4.2mの
規 模 で,西
南 部 壁 寄 りに カ マ ドが あ り,西
。南 には製 塩土 器 を含 む貯蔵 穴 が あ る。5世
紀 後 半 の上 器 が 出土 した 。 上 壊S K 104・ 106・108か
らは 炭 化 物 と と もに弥 生 時 代 前 期 末 葉 の上 器 が 多く出上 し
,歯
牙 の破 片 もみ られ た。<ま
とめ> S.11調
査 で 検 出 され た石 組 溝 は7世
紀 中葉 の 遺 構 で あ り,近
在 す る石 造 物 の 原 位 置 を含 め た大 規 模 な計 画 の 下 に造 成 され た もの で あ る。 石 造 物 の構 造 は,庭
園 に造 立 され た噴 水 施 設 とみ られ る もの で,斉
明朝 の須 弥 山 造 立 記 事 を想 起 させ る。 な か で も小 字 石 神 の 名 とそ の広 が りに注 目す る と き,斉
明
6年
(660年 )の「石 上 池 辺 」 で の造 立 に あ て る こ とが で き よ う。 ま た,斉
明紀 同 条 に記 され る漏 刻 の 遺 構 で あ る水 落 遺 跡 と年 代・ 位 置 と もに深 く関 わ って い る こ とは疑 い な い と ころで あ ろ う。
石 敷 遺 構 は
,前
身 遺構 を埋 め た て て 営 ま れ て お り,年
代 的 に は飛 鳥 浄 御 原 宮 の営 まれ た7世
紀 後 半 に位 置 づ け られ る。 検 出 した遺 構 を 直 ち に宮 殿 に関 わ る もの とす る こ と は難 しい もの の,水
落 遺 跡 に お い て も7世
紀 後 半 に大 改変 が 認 め られ る こ とか ら,広
範 囲 で 大 規 模 な一 大 改 変 が7世
紀 後 半 の この地 域 で 実 施 され た こ とが 知 られ,そ
の 主 た る要 因 を浄 御 原 宮 造 営 に求 め ることもで き よ う。調 査 区 内 を 通 る と想 定 した 中 ツ道 に 関 す る遺 構 は
,検
出 され な か った。 そ の 想 定 位 置 に あ た る石 敷・ 石 列 に つ い て も,前
面 を塞 ぐ位 置 に掘 立 柱 建 物 が あ る な ど問題 が 多 く,中
ツ道 の存 否 を含 め て,結
論 を 得 るに至 らな か った 。これ らの 課 題 は