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一 カヌー ト王の法文書による一 考察

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(1)

アングロサクソン期の法文書から見る

中世イングランドにおけるキ リス ト教化

一 カヌー ト王の法文書による一 考察

和 田

1 .はじめに

西暦

1 000

年頃はイングラン ドにおいて後期古英語の言語 によ りい くつかの著 名な作品が残され、当時のイングラン ド社会 ・文化の形成に多大な貢献を してい る。例 えば、聖書

( t heBi bl e )

および説教集

( homl l i e s )

を題材 とするラテン語 原典か らの古英語への翻訳作品は俗人に対 してキ リス ト教信仰の定着を促すメッ セージとして大いに役立 ったと考えられる 1。そ して、キ リス ト教を根付かせ る ことに関 して言えば、それ以外の古英語作品も関与の度合いが大 きいはずである。

その うちの一つ として挙げ られるのが、イングラン ドの政治的歴史を主に扱って いる文書であ る法文書

( La w‑ c ode )

である。 この法文書はアングロサ クソン時 代の歴代の王たちが一般国民のために国家の規律を示 した法律だけでな く、王 と 教会の関係性、教会関係者の権利を守るための法律 といった内容について述べ ら れている 。そ して、キ リス ト教化に強 く関わ りを有す る法文吾 として、カヌー ト

( Cnut 、 985

または

995‑ 1 035)

王の法文苦がある。 カヌー ト王 とはノルウェー 王であ り、デ ンマー クの王 も兼ねていたスヴェイ ン

( Swe i n)

王の第

2

子であっ たが

、1 0】 7

年にそれ らの国々とともにイングラン ドも王 として支配 していた人 物であるo彼の時代はヴァイキングの侵略の影響によ りブ リテン島が依然 として 混乱 していていた2。 またこの時期はヴァイキ ングとしてスカンジナヴィアか ら 波来 した北方の人々 (この時期は主にデンマー クか らのデー ン人であるため、以

1 当時の王 と教 会 との関連性 についてはM K Lawson

,CnuL :Th eDan eけlE門 g/ al l dL l lL h ee a r l y e l e v e J l l hc e n

EHly(NewYork Longman,1993).pp.56‑57を参照。

2当時のイ ングラン ドにおけるヴァイキ ングによる侵略の証拠等はSlrnOnKeynes, 'TheVlkings lnEngla‑1d',C790‑1016,

L

n

TF l eOx / o r dI I I u s t r at e dms

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TJ l eV l k川g

S,ed byPeterSawy er,(Oxford OxfordUnlVerSltyPress,I997)pp.74‑75

TJ l eAl l g/ 0 ‑ Sa x o nCh r o m' c l e"l E" gh ' S / I mS t O r 7 1 c a l Do c z L me l l L

c.

5 0 0 ‑ 1 0 4 2 ,u o l .

).ed byDorothyWh■telock(London‥EyTeMelhuen,1979),pp236‑38を参照。

(2)

下はデー ン人 とする。)がイングラン ドのアングロサ クソン人 と徐 々に同化 して いく過程でもあった。カヌー ト王は元々イングラン ドに住みついていたアングロ サクソン人 と後からイングラン ドへや ってきたデー ン人 とを うま く同化させるた めにそれ ら

2

つの グループに対 してそれぞれ異なる法律 を制定 した。その同化 政策のポイ ン トとな ったのは信心深いカヌー ト王によるキ リス ト教の更なる布 教、定着であった。そこで、本稿ではキ リス ト教化を促 したカヌー ト王 とその作 成に関与 していたとされるヨー ク大司教

( Ar c hbi s hopoFYor k)

の ウルフスタン

( Wul f it a n)

の残 した法的資料か らこの時代のキ リス ト教化の一面を探 ってみた い。

2.

カヌー ト王の法文書

カヌー ト王の法文書は

2

つの内容で構成 されている。ひ とつは教会関係の内 容で、 もうひ とつは非宗教的な (Ltr俗的)内容である3. (それぞれJ Cnut

、H

CnuEと表記される.)この法文書の作成時期についてははっきりしていない.お そ らく

1 020

年頃 とされている (他 に も

1 029

年 頃 とす る誠 もあ る。) が、カ ヌー ト王は

1 01 9

年 に故郷であるデ ンマー クへ向かい、同年の冬 を故郷で過 ご した。その後、イ ングラン ドへ帰還 した時期に触れている告物が存在 しないた め、法文書の作成時期が判明 しないのである。 ロバー トソン

( Robe r t s on,1 925

,

p.42)

によると、イ ングラン ドへ帰還 してす ぐの

1 020

年にサイ レンセスター

( ci r e nc e s t e r )

にてカヌー ト王は最初の発布を行 ったと考えられている4。一方で、

ウオーモル ド

( Wor mal d.1 999.pp.345‑ 46)

、1 020

年におけるカヌー ト王 自身の書簡をもとに考察すると、王は

1 020

年 または

1 021

年のクリスマスにウイ ンチェスター

( Wi nc he s t e r )

にて法を定めた との見解を示 している5。いずれに せよ

、1 020

年 も しくはその翌年頃の作成 と考 えるのがよいであ ろう。そ して、

カヌー ト王の法文書は歴代のアングロサ クソン時代の王による法文書の中で最 も 分品が多いが、その大半はカヌー ト王以前の王たちによって作成 された法律の抜

3ENgI,sJtHISlOrtCaIDocuuLeNrC.500‑LO42,vol.),p454とLawson,p.61を参照。

4 TheLa

w

so

/

theK1,1gS

0 /

Eltg/alLd:Fro,nEd,nu"dtoHellryI.ed alldlTanS byA.∫.Robertson (cambrldge.CambrldgeUnlVerSltyPress,1925)p42を参照。

5 PatrlCkWormald,TJLeMak7'J

l

g

0 /

EugIIShLow:KlJLgA//redtotheTwo/PtCeJl/tLry,OH (Oxford:

Blackwell,1999)pp.345‑46を参照。

54

(3)

粋を用いている。 このカヌー ト王の法文書の特徴 としては説教的な内容が含まれ ていることであるが、それに携わったのが前述のウルフスタンである。

3. ヨーク大司教ウルフスタン

ウルフスタンはウスター

( Wor c e s t e r )

で司教を務めた後、 ヨー クにて大司教 となったが、アゼル レッ ド

2

( Ae t he l r e d

口)およびカヌー トの

2

代にわたっ てアングロサ クソン王の諮問役 としても活躍 した6。 また、 当時巌 も著名な説教 作者でもあ り、多 くの著作を残 している。カヌー ト王の法文普 (「第‑法典」 ノ

Cnut

、「第二法典」

H Cnut

ともに)に関 してはウルフスタンが作成責任者であっ たと言われている。 この中で、ウルフスタンは当然なが ら主 に教会関係問題につ いて記述 しているが、 これまでのウェス トサクソンの王たちが作成 してきた法律 を再構成 しよ うとも言式みていた。そ して、ウルフスタンはカヌー ト王の下で責任 のある地位を占めているという矧 虫か ら、カヌー ト王の考えに矛盾 しないように 心掛けていたようである.法文告 というある程度きまりきった形式や表現が多い が、ウルフスタンが関わった注文書の中には彼の説法者 らしい表現を感 じさせる 部分がある7。 これは当時のまだヴァイキ ング侵略の影響による混乱期にあった 中でキ リス ト教の価値観を少 しでも表現 しようとしていたことを示 しているとも いえる。

4. カヌー ト王の法文書によるイングラン ドのキリス ト教化

イ ングラン ド王 として認められる以前、カヌー ト王が自らヴァイキングとして イングラン ドを侵略、略奪 した頃はキ リス ト教徒ではな く、ゲルマン民族の有す る神話に基づ くゲルマ ン的巽教を信仰 していた8.そ して、イ ングラン ドの王座 に就いてす ぐ洗礼を受け、イングラン ド王 となってか らは聖職者に対 して費容な

6 R D FulkandChrlStOPherM Ca

ゎ. AHI S t

O

l ツ0 /0I dEI L gl t s l l Ll t e r a hL

y

e

(0,trord:B)ackwell,2003)pp.

24‑25を参照。

7StanleyB GreenrleldandDamelG Cald

e

r

, AN

e

u JCy t l t c a lHt s t o r yo /Ol dEl t g/ t s

JL

Lt t e l ・ a E ur e

M ew York NeWYorkUniversltyPress,】986)p.I10を参.H.(!

8 Jesch,Judlth, .ScalldlnaVlanSand ‥Cuhura】PaganlSm'1.,

l

n

Tl t eC

J

ms L l al tL r a dt l t o l tI "A) 1 g/ 0 ‑ Sa x o J l

EJ l g l a J z d . Ab J 1 1 ・ O aC J t e sl oCu y r e "ISc h o / a r s ht ' pa J l d7 T e a c J I L

"a,ed byPaulCavlll(Cambrldge.D S Bre、ver, 2004),pp 57158参照。

(4)

心を持 っていたと考えられている。 またその結果、カヌー ト王はイングラン ド地 域において彼の支配以前にすでに確立 していた教会の財産についてはそのままの 状態での維持を所有者である聖職者たちに確約 している9。 ここで、まず 1020 年のカヌー ト王の布告 (前段のカヌー ト王によるイングラン ド国民への書簡)の 一部を考察する10。

1.力メー ト王はイングラン ドにおける我が大司教及び大司教補佐、豪族 のソルケルまたすべての豪族、そ して自由民、司祭、平信徒 といった すべての人々に対 して心か らの挨拶をする。

2.

そ して、私は信仰深い領主であ り、神の正 しい法律に対 して背信 しな いことを誓 う。

(以上、試訳)

この書簡は豪族であるソルケルの指示で示される法律に背 く人々に対 して書かれ たものである。以上 に挙げた

2

文はカヌー ト王の挨拶か ら始 まり、次に教会の 権利 と世俗の法律について述べ られている。 まず教会の権利について述べている ということからもカヌー ト王がキ リス ト教の信仰を重要視 していた とい うことが わかるOキ リス ト教を通 じて国家を治めるとい う態度は、カヌー ト王以前のアン グロサクソンの歴代の王たちについても当てはまる。む しろ、歴代のイングラン ド王のようにカヌー ト王 もキ リス ト教を通 じて国家を支配することの必要性に迫 られてキ リス ト教徒 とな り、キ リス ト教の影響力を思い知 ったと考 えられる。 ま た、外国人 としてイ ングラン ドを支配するにあたって、歴代の王のや り方に合わ せるということを自ら望んでいたとも考えられる。そ して、 この書簡の作成には ウルフスタンが関わっていることから、それ故、以降発布されるカヌー ト王の法 文書に関 してもウルフスタンの文章表現法が色濃 く示されることとなる。

次にカヌー トの第一法典 (

/Cnut

)の聖職者に関する法律に関 して、カヌー

9 Stenton,FM

Au g I o ‑ Sa x o J I En g / a

n

d

,3rdedn.(Oxford:ClarendoTIPress,1971)p409を参照。

10以後の例文は

TJ T eLl u L J S0 / t h eK7 7 1 g S0 / El t gl a l l d . ・ F

7O

mEd mt L J , L dl oHe

Jt

y

y

I

.pp.140‑2]9

E, l g/ l ' s h Ht ' s t o r L C G IDo c L I Wl e

uLc.

50 0 ‑ 1 0 4 2

,pp452‑78による。特に後半の法掛 こついては大沢一雄、Fアン

グロ ・サクソン

(

‑古 英)法典』(爽涼、朝El出版社、2010年)から引用。

56

(5)

ト王がキ リス ト教の力を うまく利用 して、イングラン ドでの支配に結びつけたと 思われる部分の例を挙げる。

第 1条

それは、先ず第‑に、彼 らは、他のいかなるものにも増 して‑神のみ を愛 し、かつ、たたえ、キ リス ト教 とい う‑宗教のみを全員一致 して 信仰 し、また、王カヌー トを真に忠実な心で愛さな くてほならないと い うことである。

(大沢一雄

、201 0

、449

ページの該当箇所 よ り抜粋)

この文章ではイングラン ド国民は神であるキ リス トとともに王であるカヌー トに も尽 くすことを求めている。 この表現はカヌー ト王の前王であるエゼル レッ ド王 でも用い られている。 これはエゼル レッ ド王にも仕 えていたウルフスタンがカ ヌー ト王の法文書においてもエゼル レッ ド王の法文書同様の表現を利用 したと考 えられるtl。おそ らく、カヌー ト王 もこれまのアングロサ クソンイングラン ドの 伝統を引き継 ぐことができ、かつイングラン ド地域の人々の掌握のために必要な、

そ して重要な概念 として、神 と自身 とを同列に敬わせる表現を好んでいたのでは ないだろうか。 また、 この文章にはそれ までにイングラン ドに住みついているア ングロサ クソン人 と後か ら侵入 したデー ン人 との良好な関係を保ちながら支配で きると考える意図も含んでいるように見受け られる。キ リス ト教徒でないヴァイ キングは無慈悲にイングラン ドを荒廃させた。先住のアングロサ クソン人がキ リ ス ト教に従っているようにキ リス ト教徒でないデーン人にキ リス ト教への信仰を 促せば、王はキ リス ト教を通 じて国家統一が望める。宗教 とい う媒体を うまく利 用 して、国家の統一を図ることはこれまでのアングロサ クソン王たちも行ってき た。カヌー ト王 もそれに乗 じ、さらに時代の状況に合わせた形でキ リス ト教化を 進めたのである。

カヌー トの第二法典

( D Cn u

t)は教会関係者でない世俗 の人々に対する法律 であるが、この法律の対象者は

2

つの民族であ り、先住のアングロサクソン人 と

11TheLawso/IkeKllTgS0/EJlg/and:FromEdm7Llld/oHe〃yyI,p348を参照.

(6)

後に移住 してきたデーン人である。またそれはすなわち、キ リス ト教徒 と非キリス ト 教徒に対 しての法律である。ここでは非キリス ト教徒に対する法律の一例を挙げる。

5

条 異教信仰

余はすべての異教信仰を厳重に禁止する。

1.異教信仰 とは、偶像、異教の神、および太陽または月、火また は洪水、泉、または石 または何 らかの種類の森の木々を崇拝 し、

または魔法を好み、または何 らかの方法で人の死を招 くことを 促進 し、または犠牲 もしくは恐怖によって、またはその種の幻 想 によって何事かをおこな うことである。

(大沢一雄、2010年、473ページの該当箇所よ り抜粋)

この部分はイングラン ド国民に対 して、異教的行為を禁ずることを示 しているが、

この文章における対象者は明 らかに後からイ ングラン ドへ侵入 してきたデー ン人 であ り、先住のアングロサ クソン人でない。 また、具体的に違法な行為を示 して いるので、アングロサ クソン人に対 しても異教徒は悪であるとい う警戒心を強め させる効果もあったかもしれない。 この表現はイングラン ドに定住 して同化 した いと考えているデー ン人のキ リス ト教化に対 して、大きな効果があったと考えら れる。そ して、これはウルフスタンのキ リス ト教を根付かせるための知恵が含 ま れているともいえる。

さ らに、 カ ヌー トの 第 二 法 典 (

〟 Cnut )

か ら デ ー ン法 施 行 地 域

( t he Da ne l a w)

についての法律の例を挙げる。

第 15条

また、デー ン法施行地域においても、王は、私闘、兵役の忌避、平和 の素乱お よび住居侵入に対す る罰金を徴収す る権限を持つ もの とす る。ただ し、王が何人かに対 して格別の恩恵 として罰金の徴収権をあ たえることを望む ときはこの限 りでない。

(大沢一雄、2010年、478ページの該 当箇所 よ り抜粋)

58

(7)

4 8

条 何人かが教会諸税の納入を拒否 した場合

何人 も、暴力に訴えて教会諸税の納入を拒否 した ときは、デー ン法施 行地域においてはデー ン法による罰金を、イギ リス法施行地域におい ては満額の罰金を支払わなければな らない。 または 目 名の免責宣誓 者を選び、その者 自身を

1 2

番 目の宣誓者 とする宣署によって身の証 を立てなければな らない。

(大沢一雄

、201 0

、499

ペー ジの該当箇所 よ り抜粋)

上記の 「デー ン法施行地域」とは

、 9

世紀後半に活躍 したウェセックス

( We s s e x )

のアルフ レッ ド大王

( Al f r e dt h eGr e a t )

とデー ン人の首領 グズルム

( Cu t hr u m)

との間で

878

年に交わされた 「ウェ ドモア条約

」( Tr e a t yofWe dmo r e )

によっ て定められたおおよそイングラン ド北部および東部にあたる地域であ り、この広 大な地域がデー ン人に割譲された。もちろん、デー ン法施行地域においてもカヌー ト王は強大な権力を握 ってお り、この地域に対 してもキ リス ト教の力を用いた支 配を行 っていることがわかる。 この時代にイングラン ド地域における多数派を占 めていたアングロサクソン人 もゲルマン民族であ り、ノルウェー人および、デー ン人 と起源は同 じである。そうした意味でもデー ン人のイ ングラン ドにおけるイ ングラン ド人 との同化は容易だったのかも しれない。そ して、その同化の鍵 と なったのが、「イングラン ドにおける外国人 (デー ン人)のキ リス ト教化」であ り、

実際、イングラン ドへ移住 したデーン人はキ リス ト教に従い、イングラン ド人 と して同化 した。

5. おわリに

カヌー ト王の治世のイングラン ドはそれまでに住みついていたアングロサクソ ン人はすでにキ リス ト教徒であったが、後か ら移住 してきたスカンジナヴィアの 人々やデーン人は全員がキ リス ト教 とは言えない状態であった.そのような状況 において、カヌー ト王の顧問であったウルフスタンはイングラン ドにいるキ リス ト教徒を再教育するとともに新 しくイングラン ドへやってきた人々のキ リス ト教 化を法律面か らも図った。 ウルフスタンのキ リス ト教化の思考はカヌー ト王 と一 致するところで、カヌー トモの意向も強 く表 されているように思われる。キ リス

(8)

ト教によ り、異なる人々を一つに し、その結果国をも支配することが可能 となっ た。キ リス ト教 とい う宗教が政治において重要な役割を果た した ことを示すカ ヌー ト王の時代は中世イングラン ド期におけるキ リス ト教化の側面を探 る観点か らしても興味深い時代であるO

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