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ドイツの「難民」問題とアフガン人の位置 : 「二級」市民が意味するもの

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論 説

ドイツの「難民」問題とアフガン人の位置

─「二級」市民が意味するもの

嶋  田  晴  行

目次 はじめに 1.ドイツとアフガニスタン間の人口移動  1-1 ドイツを目指すアフガン人  1-2 劣後して扱われるアフガン人  1-3 自主帰還の促進と流入の抑制 2.アフガン人への対応が劣後する理由─「二級」の意味  2-1 周縁化されるアフガン人  2-2 アフガン人の本国帰還とアフガニスタンが「安全」である理由 おわりに

はじめに

 2015 年、シリア、イラク、北アフリカから多くの人々がヨーロッパへ押し寄せたいわゆる「難 民危機」の際、遠い旅路を経てヨーロッパへたどり着いた人々への対応は、受け入れ側各国の それぞれが置かれた状況や事情を反映したものであった。その中でドイツでは、海外から流入 した多くの人々の受け入れをためらわないという趣旨とされる、メルケル首相による〝Wir Shaffen das”(we can do it)との発言、あるいは人道的理由からシリアからの庇護を求める人々

に対して、「ダブリン規約」を適用しないといった措置に見られるように、2015 年当時は「難民」

支援や受け入れに「前向き」な姿勢をとっていた1)

 元来、ドイツの移民・「難民」への対応は “willkommenskultur”(welcome culture)と呼 ばれ、様々な理由で海外からドイツを目指す人々を積極的に受け入れてきたことが、このよう

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民」の受け入れに批判的な政党「ドイツのための選択肢」(Alternative für Deutschland、以 下 AfD)に見られるように、特に再ドイツ統一から 25 年以上が経過しても経済的な格差が残 る東部、「難民」のドイツへの玄関口となっているバイエルン州などの南部を中心に、従来の 姿勢を見直し移民・難民へ厳しい姿勢をとるべしとの主張が目立つようになっている。  そのドイツにおいて、アフガニスタンからの移民・「難民」は「二級庇護希求者」(the second class asylum seekers)あるいは「二級市民」(the second class citizen)と呼ばれる ことがある。そのような差別的な呼び名は、特に「難民」が大量に入国した 2015 年以降、ド イツへの受け入れに関して、国籍によって取扱いの格差があると考えられる状況に由来してい る。  本稿では、これまでの経緯を整理し、アフガン人がそのような状況に置かれることとなった 理由を明らかにしていく。そして、ドイツにおけるアフガン人(難民、移民、庇護希求者含む) が置かれた状況は、「難民」に対するドイツ政府・社会の姿勢の変化を示す一例として見るこ ともできる。

1.ドイツとアフガニスタン間の人口移動

1-1 ドイツを目指すアフガン人  ドイツ(ここでは 1990 年の再統一前の西ドイツ)へ向かう国外からの人口移動、例えば労 働力としての移動、家族呼び寄せ、難民、庇護希求者などに関しては、多くの資料、文献で紹 介されてきた3)。大まかにこれまでの経緯を確認しておくと、第二次世界大戦後の西ドイツで は、戦後の経済復興が海外からの労働力「輸入」へ旺盛な需要をもたらしたが、冷戦による東 西ヨーロッパの緊張関係により東ドイツ、ポーランドなど周辺の社会主義圏からの人々の移動 が難しくなった。そこで 1960 年代、西ドイツ政府はイタリア、スペイン、ギリシア、ポルト ガル、モロッコ、チュニジア、ユーゴスラビアといった南欧、北アフリカ諸国と政府間で二国 間協定を締結し、滞在期間を三年間に区切る「ローテーション・システム」で労働者を受け入 れたことで、「労働力」(ガスト・アルバイター)として多くの外国人が流入した。  その後、1973 年の石油危機により外国人労働者の多くが従事していた第二次産業の雇用情 勢が悪化し、二国間協定は停止された。しかし、西ドイツへの再入国が困難となったことから 既存の外国人たちの滞在が長期化、あるいは短期滞在の入国者がそのまま「不法」に滞在する という現象が起こり、増え続ける「外国人」へどのような対応をとるのかがドイツ社会の大き な問題点となっていった4)  1970 年代末から 80 年代にかけては共産圏、社会主義圏からの人口移動、さらに 1990 年代 には旧ユーゴスラビアにおける紛争による「難民」がドイツを目指した。そして近年では、

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2015 年から翌年にかけてシリア内戦、アフリカ諸国での人道危機、貧困などから多くの人々 がヨーロッパを目指し、再び「難民危機」と呼ばれる状況が出現したが、その中でもドイツは ヨーロッパ諸国内では最多の庇護申請がなされた(図 1)。  次に本稿の関心の対象であるドイツにおけるアフガン人の動態を見る。ドイツ連邦統計局に よれば、2017 年 12 月末現在でドイツに滞在するアフガン人は約 25 万人で全外国人のうち 2.4% を占める5)。あるいは 2015 年時点で 15 万人以上のアフガン人がドイツ国内に居住し、隣国の パキスタン、イランさらに出稼ぎ先として多くのアフガン人が向かったサウジアラビアに次ぐ、 アフガン国外におけるアフガン人の居住国となっているとする統計もある6)  このように統計によって数値が異なるのは、「ドイツの市民権を取得した瞬間からそれまで のアフガン人としての経歴は統計から消えて」しまう帰化した「元」アフガン人、ドイツで生 まれ育ったアフガン人、その他公式統計には現れない「不法滞在」のアフガン人などがおり、 どこまでがあるいは誰がアフガン人なのか、そしてその正確な数を把握することは極めて困難 であることが理由である7)  しかし、1950 年代 60 年代にかけてガスト・アルバイターとして受け入れ、その後、家族の 呼び寄せ、ドイツ内での定住が進んだという経緯があるトルコ人の占める割合がドイツの全人 図 1 ヨーロッパにおける各国別の庇護申請者数(2016-2017 年) 出所:Euro Stat(http://ec.europa.eu/eurostat/statistics-explained/index.php/Asylum_statistics) 千人

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口の 14%、近年急増したシリア人 6.6%であること、さらに他に多い外国籍の人々がドイツか ら地理的に近いヨーロッパ諸国からであること考えれば、外国人としてのアフガン人の数は決 して少なくないと言える。  一方、送り出し側としてのアフガニスタンを見れば、1960-70 年代にその経済発展が進ま ない中で雇用機会を求める人々によるパキスタン、イラン、さらに産油国であるサウジアラビ アなどの中東諸国への移民、出稼ぎが急増した。その後、1979 年-1989 年のソ連の侵攻・駐 留とそれへの抵抗などによる混乱を原因とする海外への人口流出(第一の波)、1990 年代前半 -2001 年のムジャヒディーン政権下での各派による内戦およびタリバーン政権下での海外へ の避難(第二の波)、そして 2001 年 10 月以降のタリバーン政権への米国などによる攻撃を逃 れるための流れ(第三の波)と大きな人口移動を経験してきた8)  この混乱の 30 年間の中で 300 万人とも言われるアフガン人が、それぞれが国境を接する隣 国であり言語的、文化的近接性が高いパキスタン、イランへ主として逃れ、現在にいたるまで そこでの生活を営んでおり、滞在が長期化する中でアフガン「難民」たちの本国への帰還は時 として関係各国間の懸案ともなっている9)  さらに「第四」の波として、「権限移譲」(transition)と呼ばれた 2014 年末の NATO 軍(国

際治安支援部隊、International Security Assistance Forces, 以下 ISAF)の撤収、オバマ政 権下で目指された米軍の駐留規模の縮小、さらに 2015 年 9 月および翌年には北部の主要都市 であるクンドゥーズが数日間ながらタリバーンによって占拠されたことに代表される国内の治 安さらに経済情勢の悪化により、将来への不安から多くの人々が 2008 年以降にヨーロッパへ と向かった10)  そのような中でアフガニスタンの人々がドイツをヨーロッパにおける移動先の一つとして目 指すようになったのは、両国の歴史的な結びつきにも由来する。20 世紀前半に英国、ロシア に遅れてアジアへの進出を企てたドイツは、英露の直接的な影響力が及んでいなかったアフガ ニスタンをアジアへの橋頭保とするために接近を試みた。他方で、「グレート・ゲーム」と呼 ばれた中央アジアおよびインド亜大陸地域での英国とロシアの勢力争いの中に置かれたアフガ ニスタン側は英露以外の別の選択肢として、そして「進んだ」ヨーロッパの大国の一つとして ドイツとの関係を深めてきた11)  以上のようにドイツとアフガニスタンが「100 年以上特別な関係を維持」してきた経緯によ り、かつては主として留学、ビジネス、政府関係者としてアフガニスタンからドイツへ渡り、 その後、家族呼び寄せ、結婚、出産によりアフガン・コミュニティが形成され、そのネットワー クを通じて移民あるいは避難先として選ばれるようになった12)。それが後で述べるようにタ リバーン政権後の国家再建への支援に際し、開発援助のみならず治安維持のために多くの軍を 派遣することにもつながっている13)

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 ドイツにおいて庇護申請を行ったアフガン人の数を、1980 年の数値から利用が可能な OECDデータベースで確認しておく(図 2)。1979 年末のソ連侵攻後に 5 千人を超えた申請者 数(第一の波)はその後若干減少するが、1990 年代の内戦とタリバーン政権下(第二の波) で増加した後、2001 年の 9.11 後の米国などによる攻撃を避けるために再び増加している。そ の後、復興と国家再建を目指す中での国内の安定から減少に転じたが、2008 年以降は治安悪化、 将来への不安から急増している(第四の波)。  このように、アフガニスタンからの人口流出の推移、傾向に沿って、アフガン人がドイツも 移動先の一つとして選択していることが確認できる。さらに、いわゆる「難民危機」が発生し 図 2 ドイツにおけるアフガン人の庇護申請者数(1980-2013 年) 0 1000 2000 3000 4000 5000 6000 7000 8000 9000 1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 年 人 出所:OECD Stat http://www.oecd.org/els/mig/keystat.htm から作成 図 3 ドイツにおけるアフガン人の庇護申請者(1980-2016 年) 0 20000 40000 60000 80000 100000 120000 140000 19 80 19 81 19 82 19 83 19 84 19 85 19 86 19 87 19 88 19 89 19 90 19 91 19 92 19 93 19 94 19 95 19 96 19 97 19 98 19 99 20 00 20 01 20 02 20 03 20 04 20 05 20 06 20 07 20 08 20 09 20 10 20 11 20 12 20 13 20 14 20 15 20 16 人 出所:OECD Stat http://www.oecd.org/els/mig/keystat.htm から作成

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た 2014 年以降のデータも加えると図 3 のようになり、2014 年以降かつてないほどのアフガン 人がドイツを目指したことわかる。 1-2 劣後して扱われるアフガン人  様々な理由でヨーロッパの国々へ避難あるいは移動してきた人々は、保護・滞在を許可され るべきか、または域外へ退去させられるべきかの審査を「ダブリン規約」に基づきそれぞれの 国で受けることになる。ドイツにおいては、庇護申請がまだ連邦政府に登録されていない人を 庇護希求者(asylum-seekers)、庇護申請が審査中あるいは結果がまだ出ていない人々を庇護 申請者(asylum-applicants)、ドイツ滞在のための何らかの許可を得た人々を「保護あるいは 滞在許可者」(persons entitled to protection and persons entitled to remain)としてい

る14)。そして、審査の結果、滞在・保護を認められた場合の在留資格は 4 つに分類されてい る(表 1)。 表 1 ドイツにおける在留資格 分類 概要 難民としての保護 (Refugee Protection) 難民条約に基づく難民として認定された人々に対する滞在許可 庇護資格認定者 (Entitlement to Asylum) 本国等(無国籍者も含む)へ帰還すれば政治、宗教、民族的理由をもとに深刻な人権侵害を受ける可能性がある人々への滞在許可 二次的庇護認定者 (Subsidiary Protection) 本国等へ帰還後に深刻な脅威(死刑、拷問など)に晒される危険性があ るが、上の 2 つの資格には当てはまらない条件の人々への滞在許可 国外退去禁止措置

(National Ban on Deportation) 上の 3 つの条件には適合しないが、健康上の理由などで移送が困難な人々への滞在許可 出所:Federal Office for Migration and Refugees ホームページから作成 http://www.bamf.de/EN/

Fluechtlingsschutz/AblaufAsylv/Schutzformen/schutzformen-node.html

 以上のような分類を決める審査は〝Germany Asylum Act〟に基づき書類、インタビューを もとに実施されるが、近年でもっとも申請者数が多かった 2016 年における主たるドイツへの 「難民」送り出し国の審査結果をまとめたものが表 2 である。  また、申請数が増え始めた 2015 年以降のアフガン国籍者のデータは表 3、他国も加えたデー タは表 4 のようになっている。  なお、以上のデータを見るにあたっては、単純に数値の大小だけで何らかの判断を下すこと には注意が必要である。まず、庇護申請がなされてから審査結果が出るまでには後に述べるよ うに数か月から 1 年以上の期間が必要であるため、ある年の庇護申請者の数を分母に、審査の 結果数を分子にして「認定」あるいは「却下」の割合を見ることには、申請処理中の者と申請

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結果が出た者が同一人物とならないというズレの問題がある。  また、難民は「難民条約」で定められた定義に従って「適格性」を審査され、認定されれば 「条約」で定められた保護、支援を受けるが、政治・経済環境の変化によってそれぞれの基準 を満たす申請者が、たまたま多い年、少ない年があるという可能性も考えられる。つまり、集 積された数値の結果が高いか低いかについての判断は慎重になされる必要がある。  以上のような問題点に留意する必要は理解しつつも表を見れば、アフガン人についての難民 認定率などの低さは目立ち、庇護申請そのものが却下されるケースも他の国籍の申請者と比べ て多い。  さらに表 5 にあるように、庇護申請後に何らかの審査結果が出るまでの期間についても、ア フガン人はより長い期間が必要となっており、多くのアフガンからの庇護申請について判断が 表 2 ドイツにおける国籍別の庇護申請数と認定数等(2016 年) 申請者数 保留数 (未決定) 難民認定率 (%) 二次的庇護率 (%) 申請却下率 (%) シリア 268,866 58,399 57.6 42 0.1 アフガニスタン 127,892 102,856 22 9.3 39.4 イラク 97,162 53,852 59 17.5 22.8 エリトリア 19,103 13,439 81 17.8 0.6 出所:aida Asylum Information Database Country Report Germany から作成

表 3 ドイツにおけるアフガン人の庇護申請数と認定数等 申請者数 難民認定率(%) 二次的庇護率(%) 申請却下率(%) 2015 20,830 48.8 9.1 20.6 2016 127,892 22 9.3 39.4 2017 16,423 16.6 6.4 52.6 出所:表 2 に同じ 表 4 ドイツにおける国籍別の庇護申請に対する難民認定率(%) 2015 年 2016 年 2017 年 アフガニスタン 48.8 22 16.6 シリア 99.5 57.6 38.2 イラク 97.3 59 39 エリトリア 91.1 81 54.2 出所:表 2 に同じ

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保留、取り扱いが劣後あるいは他国からの申請が優先されていると考えざるをえない15) 表 5 国籍別庇護申請審査に必要な期間(月) 2013 2014 2015 2016 2017* 全体平均 7.2 7.1 5.2 7.1 10.0 アフガニスタン 14.1 13.9 14.0 8.7 13.1 シリア 4.6 4.2 3.2 3.8 6.1 イラク 9.5 9.6 6.8 5.9 8.0 *第三四半期まで

出所:aida Asylum Information Database Country Report Germany 19 ページ

 審査にかかる期間が長期化することは、申請者自身の不安や負担の増大、受け入れ側にとっ ては申請中の滞在施設確保、その他滞在に必要な費用といったコストも嵩むことになる。特に 2015 年の「難民危機」に際して庇護申請者の急増に直面した連邦難民移民庁(Federal Office for Refugees and Migration)は、庇護申請者をその出身国によって 4 つのクラスターへ分類 する「システマチック・クラスター・アプローチ」を採用することで、庇護申請書処理の迅速 化を図るようになった16)  その概要を下の表 6 にまとめる。各クラスターのうち A と B の申請者は正式な庇護申請手 続きへと進み、クラスター C と D は各アライバル・センターでのインタビューへと進む17) 表 6 庇護申請審査の際に用いられる分類(クラスター) クラスター 分類の基準 A 申請のうち 50%以上が保護を認められた国から来た申請者 B 申請のうち 20%未満が保護を認められた国から来た申請者 C 複雑な背景あるいは事情をもつ申請者 D ダブリン・ケース(ドイツ以外でシェンゲン協定域内に入った申請者) 出所:Federal Office for Migration and Refugees(2017:12)ページから作成

 この手順には申請が受理される可能性が極めて高い、あるいは低い人々については、出身国 によってまず「ふるい」にかけて審査の手間を省き、申請を受理するか否かの判断を短縮する

狙いがある18)。ただ、このような方針を採用した後でも、アフガン人含む多くの庇護申請者

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1-3 自主帰還の促進と流入の抑制

 難民問題への対応について国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)などでは、従来から本国 への自主的帰還(voluntary repatriation)が「持続的な解決法」(durable solution)であり、 それが不可能な場合、移動・避難先への「統合」(integration)、あるいは第三国での定住 (resettlement)があるとされてきた19)。おそらく、自分たちが生まれ育った場所へ戻ること が可能であるならば、少なからずの難民がそこへ戻ることを希望する可能性は高いであろう。 但し、戻る場所が安全であり、安定した生活を送ることができるとの期待があってはじめて帰 還は自主的に選択される。  これまで見てきたように、近年ドイツに入国したアフガン人の多くが、長期間にわたって暮 らすことができる安定した滞在資格を得ることができていない。残された選択肢は、第三国へ の移動あるいは本国への帰還となる。ただ、ドイツにおける審査で難民あるいは庇護対象とな らなかった人々が、たとえば他の EU 諸国へ移動することは、最初に入国した国での審査を義 務付けているシェンゲン協定からも基本的には困難である。  そこで本国へ帰還が残された道となる。ドイツ政府も EU とも協力し「難民」の本国帰還を 促進する方策をとっている(表 7)。 表 7 ドイツにおける難民、移民の本国帰還(一部は第三国定住)への支援 REAG(Reintegration and Emigration

Programe for Asylum-Seekers in Germany) 帰還支援のための資金援助であり、ドイツの資金により IOM(国際移住機関)が実施する。帰還または第三国定 住のための旅費、移動に関する支援、移住当初に必要な 資金を支援する。

GARP(Government Assisted Repatriation Programme)

StarthilfePlus

ERIN(European Reintegration Network) 欧州委員会の拠出による自主帰還後の In-kind(現物支給)型の再統合支援であり、社会・医療・法務支援、職業訓 練、職探しなどを支援する。

The Returning to New Opportunities Programme

ドイツへの滞在の可能性あるいは志望しない人々に対し、 自主帰還と自国での再出発を支援する

出所:Die Bundesregierung, Federal Government Report on the Status of and Outlook for Germany’s Afghanistan Engagement – Report to German Bundestag, February 2018 から作成。

 これらのような一般的な自主帰還促進の制度に加え、特にアフガン人を対象とした次のよう な方策もとられている。2016 年 10 月に EU とアフガニスタン政府の間で、庇護申請を却下さ れたアフガン人は、EU 域内からアフガニスタンへ送還される旨を記した「アフガニスタンと

EU間 の 移 民 に 関 す る 共 同 宣 言 」(Joint Way Forward on Migration Issues between

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Declaration of Intent on Cooperation in the Field of Migration”(以下、共同宣言)を二国間 で合意した。  これにより、審査で庇護申請を認められなかった多くのアフガン人の本国送還が進むと思わ れた。しかし、2017 年 5 月にカブール市中心部のドイツ大使館前で発生した大規模な自爆テ ロで大使館が破壊されるなど、ドイツ国内にアフガニスタンの治安状況の悪化が印象付けられ たことから、状況確認のため国外退去の手続きは一時凍結された21)  ところが、2018 年 2 月にはバイエルン州から、犯罪などの治安悪化の原因となる恐れがあ るとされドイツ国内での滞在を却下された 14 名が退去処分を受けカブールへと移送されたが、 それは外務省がアフガニスタンに関する治安情勢分析結果を公表する前の措置であった22) その後、それまでで最大のアフガン人の退去送還措置として、2018 年 7 月には、ドイツ政府 は滞在許可を与えなかった庇護希求者アフガン人 69 名を国外退去とし空路カブールへ移送し た23)  国内に残るアフガン人へ帰還を促す一方で、ドイツを目指すアフガン人そのものを抑制しよ うとする方策もとられている。例えば、人々がアフガニスタンを離れるとの決断は SNS や口 コミによって拡がった噂や根拠のない期待に基づくものであるとの考えから、ドイツ政府は移 動経路やヨーロッパにおいて「難民」の置かれた「現実」を知らせる手段を講じている24)

 一例として、〝# rumors about germany” とのホームページを開設し、ドイツへの移民・移

動に関する様々なデマ、噂について訂正を行った25)。その中で #RumoursAboutGermany:

Public awareness campaign in Afghanistanというアフガニスタン向けの箇所では、「ドイツ

政府は、特にアフガン人向けに 80 万人の受け入れの枠(slot)を設けている」との噂について、 「明かに嘘であり、特定の国へのそのような受け入れ枠は存在せず、個別に審査される」(A clear no! There are no such slots for specific countries. Each case is examined

individually)と記されている26)。また、首都カブールやドイツのアフガニスタン支援の拠点

である北部のマザリシャリフ市内などでは、安易なドイツへの移動を戒めるために、「アフガ ニスタンから出る?気は確かか?よく考えたか?」(Leaving Afghanistan? Are you sure?

Thought it through?)とのメッセージを市内の広告板に掲示するキャンペーンも行われた27)  他方でアフガニスタン政府側による人々の流出を止めようとする動きもある。国外へ流出す る多数の人々に向けてガーニ大統領は、「国家再建のためにアフガン人はアフガニスタンに残 るべきである。海外へ逃れる人々に同情心は持てないし、それは国家との社会契約を破ってい る」などと呼びかけた。しかし、治安をはじめとする将来への不安を拭い去ることは難しく、 それどころか反対に米国に住む自分の子息を呼び戻さないガーニ自身が批判を受けることにも なった28)

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2.アフガン人への対応が劣後する理由─「二級」の意味

2-1 周縁化されるアフガン人

 これまで見てきた通り、アフガニスタンからの「難民」は他の「難民」送り出し国からの人々 に比べてドイツ政府から劣後する扱いを受けている可能性が高い。そのような現実を反映し、 その他の「難民」と比較してアフガン人たちは「二級庇護希求者」(the second class asylum

seekers)あるいは「二級市民」(the second class citizen)と呼ばれている29)。ただ既述のよ

うに、歴史的にアフガニスタンと関係が深いドイツには多くのアフガン人が移住あるいは移動 し生活を営んでいる。その意味では、決して「新顔」の入国者とは言えないアフガン人に対す る姿勢が厳しいものとなった理由はいくつか考えられる。  まず、「難民危機」以降多くの「難民」がドイツへやって来たが、その際に焦点が当てられ たのは急激に増加したシリア、イラク、北アフリカ諸国からの人々であり、相対的にアフガン 人への注目や関心が低下していったことが指摘される。  例えば、筆者が調査したドイツの NGO の職員は、「二級」との意味は「シリア、エリトリア、 イラク人の難民認定率が 50%以上なのに比べ、アフガン人の率は低い」ことに由来すると語っ た30)。ちなみにこの NGO では平日の午前中に「難民」を対象とした相談受付(コンサルテー ション)を開いており、開場前から行列ができる日も多い。そのような中、長時間待たされる 相談者の中には「我々が優先されるべき」と「一級」とされるシリアやイラクからの人々が主 張することもあるという。その際の「一級」とは、申請が受理される割合が高く、審査期間も 比較的短いという事実からくる優越的な地位との意味である。  Dimitriadi(2018)は、2015 年にシリアなどから多くの「難民」が押し寄せたことで、ア フガン人は「歓迎されざる、しかも庇護希求者ではなく経済移民として」ドイツをはじめとす るヨーロッパ各国で見なされるようになったとする。  あるいはドイツ国内の治安にとって「危険」な存在と見られることが、差別的な扱いを受け る要因となっていることも考えられる。表 8 は近年、ドイツ国内で報道されたアフガン人が関 係したとされる主な事件であり、それぞれの事件が起こる度に「アフガン人」である点が強調 され報道されている31)。そしてそれら報道によって「アフガン人」あるいは「アフガニスタン」 という単語が、ドイツ国内においては外国人や「難民」との言葉とともにインパクトをもって 否定的に印象付けられた可能性がある。  しかし、このような事件に関わったとされる「難民」は、ドイツ国内への衝撃の大きさから 「難民」問題への対応の転換点ともなった 2015 年大晦日にケルンで発生した大規模な集団暴行 事件に見られるように、アフガン人だけに限られるわけではない。さらにはドイツ国内の犯罪

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率は低下しており、人々の感覚と統計で示される数値とのズレも指摘されている32) 表 8 ドイツ国内でアフガン人が関係したとされる事件 日時 場所 概要 2016 年 7 月 南部ヴェルツブルク 17 歳のアフガン難民が列車内で斧を振り回し 3 人に重症を負わせる。 2016 年 10 月 フライブルク アフガン人庇護希求者が女性を暴行、殺害した。 2017 年 6 月 バイエルン州 41 歳の庇護申請者が 5 歳のロシア人少年と母親を刺殺した。 2017 年 9 月 バイエルン州 難民キャンプ近くで 16 歳の少女が暴行された。 2017 年 12 月 南西部カンデル 15 歳のアフガン人がドイツ人少女をナイフで負傷させた。 2018 年 4 月 中部フルダ 19 歳のアフガン人がパン屋の配達運転手を襲撃した。 出所:BBC などの報道から筆者作成  このような「難民」をめぐる言説は、「難民」の受け入れや処遇についての国内における論争、 具体的には受け入れに前向きな側とより厳しい国境管理や排斥を求める側の間のドイツ国内の 政治的対立と駆け引きに影響を受け、政治的な意図をもって「難民」の危険性を強調すること に利用されている可能性は否定できない33)  一例として、2018 年 7 月、10 月に予定されていたバイエルン州議会選挙を前に、内相かつ メルケル首相の「キリスト教民主同盟」(CDU)の姉妹政党として政権を担う「キリスト教社 会同盟」(CSU)の党首であるゼーホーファーは、「難民」問題への対応を巡って首相側と対 立し内相は閣僚の辞任も示唆した34)  その際は、ドイツの南部国境に位置する「難民」の玄関口であるバイエルン州を基盤とする CSUは、政府の方針に反対して国境を閉じ「難民」を他の国(イタリア、ギリシア)へ追い 返すことを主張した。この背景には、難民への批判的な主張を全面に出す「ドイツのための選 択肢」(AfD)の躍進による危機感から、選挙に向け厳しい国境管理と「難民対策」を有権者 へ主張する必要性があった。さらに移民・難民問題を所掌する連邦移民難民庁の職員が、不正 に庇護申請を承認したとの汚職問題が起こったことが、より厳しい方策を取る流れに追い打ち をかけた35)  シリアや北アフリカなどのヨーロッパ域外からのヒトの流入が爆発的に増大し、各国がそれ らの人々を受け入れるか拒否するかの判断が国内の政治問題化、つまり「安全保障化」 (securitization)される流れの中に、以上のようなドイツ国内の動きも位置付けられる36)。つ まり外国人あるいは「難民」の「危険性」が言説化していく中で、他の国籍を持つ人々と同様 にアフガン人へも厳しい視線が注がれるようになった。しかし、それだけではアフガン人に対 する一種の差別的な地位と待遇を説明することは難しい。そこには次節で述べるような、アフ

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ガニスタンの復興と開発を支援するドイツ政府の立場が関係していると考えられる。 2-2 アフガン人の本国帰還とアフガニスタンが「安全」である理由  ドイツのアフガニスタンへの関わりは、2001 年 11 月にタリバーンが政権を追われた後に本 格的に再開された。そのことはアフガニスタンを再建のための基本構想をタリバーン「以外」 の内外の関係者で議論し合意した 2001 年 12 月の会合が、ドイツのボン郊外で開催されたこと にも示されている。その直後には、首都カブールの治安維持を目的として国連安全保障理事会 の承認によって組織された ISAF の最初の派遣国の一つとして、英国、フランス、トルコとと もに現地にドイツは国軍(連邦軍)を派遣した37)  その後もドイツ政府は軍事的支援のみならず人道・開発援助などのいわゆる民生支援を含め、 アフガニスタンの再建と復興へ協力してきた。民生支援に関しては図 4 のように米国、英国、 日本などと共に主要な支援国となっており、その中でもアフガニスタン警察強化に対する支援 は 1960 年代から続く代表的な貢献とされている。  軍事面については、これまで最大で 4,500 名、2018 年 7 月時点でも米国に次ぐ 1,300 名の連 邦軍がアフガニスタン北部に駐留している38)。このような連邦軍のアフガニスタンへの派兵 については、2001 年当時、ドイツ国内においてその是非に関して活発な議論が起こり、その 後の増派や派遣延長の決定の際にも常に政治的な問題となってきた。第二次世界大戦の経験と 記憶から、日本と同様に自国軍を海外へ派遣することは政治的に繊細な問題であるドイツにお 図 4 主要ドナーの対アフガニスタン ODA 供与額の推移(単位:百万ドル) 0 5000 10000 15000 20000 25000 30000 35000 40000 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 ドイツ 日本 英国 米国 出所:OECD データベースから作成

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いて、世論を二分してまでアフガニスタンへの派兵を行ったのは、米国との外交関係への配慮 とヨーロッパの「大国」としての責任を果たす意味があった39)  そして、2002 年当時の国防相であったピーター・シュトルック(Peter Struck)の「ドイ ツの安全はヒンドゥークシ(ドイツにおいてアフガニスタンを示す言葉)で守られる」との言 葉が頻繁に引用されるように、アフガニスタンをテロリストの隠れ家(safe heaven)へ戻さ ないための「対テロ戦争」の中に位置づけられるアフガニスタンへの派兵は、ドイツ自身さら にヨーロッパの治安をテロの恐怖から守るという意義があるとされた40)  政治的に様々な問題を孕むアフガニスタンへの派兵に関して、ドイツ政府は一貫して国軍の 活動は「戦闘」ではないとの見解を示すなど世論への配慮を行ってきた。しかし、ドイツ軍が 駐留する北部の主要都市クンドゥーズで、2009 年 9 月にそのドイツ空軍の空爆により民間人 を含む 140 名以上の死傷者が出たことは、それまでのアフガニスタン派兵に関する政府の説明 と現実がかけ離れたものであることを明らかにした41)  2016 年 11 月にはマザリシャリフの領事館がタリバーンの攻撃を受け、2017 年 5 月にはカブー ル市内のドイツ大使館付近で大規模な自爆テロが発生し、大使館施設が使用不能になった。さ らに 2018 年 9 月までに派兵者から 50 名を超える犠牲者を出すという厳しい現実の中で、ドイ ツ国内では派兵・駐留の意義と効果への疑問が呈されるようになった42)  加えて、2010 年のカブール銀行の口座から海外から供与された援助資金を含む 10 億ドルの 預金が経営陣によって不正に引き出され銀行が倒産した事件に見られるように、アフガニスタ ン国内で蔓延する汚職や、2009 年と 2014 年の大統領選挙で見られた不正や混乱といった政府 の統治能力の低さは、国家再建を目的とする民生支援の効果に対しても深刻な疑念を与えるこ とになった43)  このような状況を踏まえ、ドイツの歴代の国防大臣は現実を踏まえた発言を行うようになっ ていった。ユング(Jung、在任期間 2005 年 11 月-2009 年 10 月)は、「戦闘任務」(combat mission)との言葉を使用し、次いで国防大臣となったグッテンベルク(Guttenberg、2009 年 10 月-2011 年 3 月)は、アフガニスタンでの国軍の置かれた状況を「戦争のような状況」 (war-like circumstances)とした。  ただ、ドイツのアフガニスタン安定へ向けた関与は継続されており、帰還に関する「共同宣 言」の中にも「ドイツ政府はアフガニスタンの開発と民間の再建に多大な貢献をしてきた。ま た軍と警察の強化にも多くの支援を行ってきた。ドイツによるアフガニスタンへの技術的、資 金的協力は二国間の深く、信頼で結ばれた協力関係の象徴」であるとその前文に記されている。 それにもかかわらず目に見える成果が表れない、あるいは状況の悪化は、対アフガニスタン支 援の効果あるいは意義そのものへの疑念を深めこそすれ晴らす方向に作用することは無い。そ して、それを認めるわけにはいかない政府は、やがて「難民危機」でドイツへやって来た多数

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のアフガン人を受け入れ「ない」理由として対アフガニスタン支援を政治的に利用することに なる。  2009 年から 2018 年の間、メルケル政権下で内務大臣や国防大臣を歴任したデメジエール (Thomas de Maizière)の以下の発言にそのことが端的に表れている。2015 年末には「治安 維持のために連邦軍と警察がアフガニスタンに駐留しているのだから、アフガン人は海外へ逃 れるべきではない」あるいは、「アフガニスタンが安全な国であるとは言わないが、北部(筆 者注、連邦軍の駐留地)など地域によっては比較的安定した場所がある」とドイツのプレセン スを強調し、流入するアフガン人への警戒感を示した44)  国際社会が支援しているアフガニスタン、特にドイツが様々なかたちで復興と開発を支援し ている北部が「難民」を生み出すほど危険な状況にあるならば、それはこれまでの支援が失敗 であったことになる。しかし、それは政権への批判へつながり国内の政治情勢からも簡単に認 めることはできない。そこで、支援しているからこそ安全であり、そこから逃れる人々は難民 でも庇護が必要な状況にも「ない」との論理が語られることになる45)  デメジエーレは、2015 年には「難民」の急激な流入への対応として、「国外へ出るのではな くアフガン人は自国の再建に貢献すべき」とし、庇護申請を却下されたアフガン人の本国送還 を積極的に進める方向性を示した46)。「アフガニスタンには危険ではない地域があり、それら 地域の出身者については、庇護認定を却下された場合早急に送還を行う」ことになったのであ る47)。この流れが、既に述べたアフガン人の本国帰還の促進の流れへとつながっていく。

おわりに

 政府に期待される伝統的な役割としての公共財の提供、つまり国防・治安の維持、社会基盤 (インフラ)の整備、社会保障制度の拡充といった義務を果たすことと、国境を越えて自国にやっ て来た人々の生命・生活を守ることは、今日、対立する命題として捉えられる。自国民の安全 か「難民」を含む人々の安全かという問い、あるいは国家の安全保障と人間の安全保障との相 克と言える状況が生じている。  海外からの多くの人々の流入を経験したドイツでは、「遅くとも 2015 年後半以降には、世論 や国内政治の論議の焦点は難民の社会統合へと移りつつ」あり、その成果として 2016 年 8 月 から施行されている難民を対象とした「統合法」がある48)。しかし、本稿で焦点を当ててき たアフガン人に限らず、ドイツにおける「難民」をはじめとした外国人への風当たりは次第に 強まってきている。  2018 年 8 月下旬、ポーランド、チェコ国境に接するザクセン州のケムニッツ(Chemnitz)で、 イラクとシリア人がキューバ系ドイツ人を刺殺したとされる事件が発生した。数時間後に 800

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名、翌日には 6000 名のネオ・ナチ、フーリガン、AfD 支持者のみならず「現状に懸念を示す人々」 がデモ行進を行った。ドイツの報道は、その光景は 1992 年、リヒテンハーゲンで群衆がベト ナム人労働者の宿舎に放火し、近隣住民が拍手を送った事件を彷彿させるものと伝えた49)  そのような環境下、歴史的に関係が深いドイツには多くのアフガン人が移動し、生活を営ん できた。その意味では、決して「新顔」とは言えないアフガン人に対する姿勢が厳しいものと なった理由として、「難民危機」に際しシリアなどから多くの「難民」がドイツを目指したこ とで相対的にアフガン人への関心が低下したこと、統計資料からは疑問も呈されるが、アフガ ン人をはじめとした外国人が関係した「犯罪」増加への警戒感とそのような言説が政治的に利 用されたことなどがその理由として考えられる。  さらに、政権の維持、選挙も見越して「難民」に対する厳しい対応が求められるという政治 情勢と、犠牲者を出しながらも多大な貢献を行ってきた対アフガン支援の正当化を迫られたド イツの現政権が、「ドイツが支援してきたアフガニスタンは安全であるべきであり、アフガン 人がそこから逃れる理由は無い」と主張することで、アフガニスタンからやって来た人々の立 場を相対的に低いものとし「二級市民」としての扱いを正当化することに寄与してきた可能性 がある。本来であれば別個に議論されるべき論点が一つのものとして扱われること、つまり政 治的に利用あるいは「濫用」されたことで、アフガン人はその「被害者」になったとも考えら れる。 1 ) EU 諸国などのシェンゲン協定締結国においては、最初に入国した国において庇護・難民申請等を行 うことを定めた規則。 2 ) 本稿において、括弧付きの「難民」を使う場合、難民認定された者だけなく、庇護申請及び審査中の者、 申請が却下されたが滞在中の者、不法に滞在するものなども含む。 3 ) 松坂、内藤(2018:105)などによれば、東ドイツもまたキューバ、ベトナムなど社会主義圏の政府 と二国間協定を結び海外からの労働者受け入れを行っていた。 4 ) ここでは手塚(1990)を主として参考にした。 5 ) 〈https://www.destatis.de/EN/FactsFigures/SocietyState/Population/MigrationIntegration/Tables_ ForeignPopulation/Gender.html〉(最終アクセス:2018 年 10 月 17 日)。

6 ) Daxner and Nicola(2017:15)および(2018:18)。さらに他統計として、OECD Stat では 2016 年 時点の「国籍別で見た外国人人口」(Stock of foreign population by nationality)で約 13 万人、「出 生国別で見た外国人人口」(Stock of foreign-born population by country of birth)で約 11 万人のア フガン人がドイツに居住するとしている。

7 ) Daxner, Michael and Nicola, Silvia-Lucretia (2018: 18)

8 ) Marchand, Kartin, Siegel,Melissa, Kushminder,Katie, Majidi,Nassim, Vanore,Michaella, and Buil, Carla (2015) Afghanistan Migration Profile, International Organization for Migration. 9 ) パキスタンにおいてはアフガン「難民」キャンプ閉鎖や国内滞在許可期限の短縮、イランにおいては

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国内における差別やアフガン人がシリア内戦への参加を強いられた例などが報告されている。 10) Icduygu and Karadag (2018).

11) 嶋田(2013:192-200)。

12) Icduygu and Karadag, op.cit.,p.495. 13) Daxner and Nicola (2017: 9).

14) Federal Office for Migration and Refugees ホームページ〈http://www.bamf.de/EN/Fluechtlingsschutz/ AblaufAsylv/Schutzformen/schutzformen-node.html〉(最終アクセス:2018 年 10 月 17 日)。 15) 他のデータ(Lam, 2016: 62)でも、「2015 年に庇護申請を行ったシリア、エリトリア、イラク人のう

ち許可された割合はそれぞれ 96、92、89 パーセントであるのに対して、アフガン人のそれは 50%パー セント以下、あるいはシリア人が審査に要した期間が 3.2 か月であったのに対しアフガン人は 10.2 か 月」としている。

16) Federal Office for Migration and Refugees (2017), Integrated refugee management, 〈http://www. bamf.de/SharedDocs/Anlagen/EN/Publikationen/Broschueren/broschuere-integriertes-fluechtlingsmanagement.html〉(最終アクセス:2018 年 10 月 17 日)。 17) 「アライバル・センター」はドイツ領内へ入国した庇護希求者が最初に移送される施設であり、そこ で各種手続き、審査等が行われる。 18) 渡邊(2017:129)によれば、保護率が低いのは、ドイツ政府が「安全な出身国」とするアルバニア、 コソボ、ガーナなどからの人々で、審査は受けられるがドイツ国内での居住や移動に制限が課される。 19) UNHCR ホームページ〈http://www.unhcr.org/solutions.html〉(2018 年 10 月 17 日アクセス)。 20) 〈https://eeas.europa.eu/sites/eeas/files/eu_afghanistan_joint_way_forward_on_migration_issues. pdf〉(最終アクセス:2018 年 10 月 17 日アクセス)。なお、当初アフガニスタン政府は合意の存在を 否定しており、治安面から安全とは言い難い土地への送還に関して人権団体から非難も起こった。 21) 〈https://www.aljazeera.com/news/2017/06/germany-suspends-afghan-deportations-kabul-blast-170601165442219.html〉(最終アクセス:2018 年 10 月 17 日)。 22) 〈https://www.dw.com/en/germany-deports-more-rejected-afghan-asylum-seekers/a-42668751〉(最 終アクセス:2018 年 10 月 17 日)。 23) なお、帰還者の一人は帰国後にカブールで自殺し、他の帰還者についてはドイツ側の行政手続きのミ スが明らかになり再びドイツへ戻されるなど様々な問題が起こった。Tolo News, July 5, 2018 〈https:// www.tolonews.com/afghanistan/afghan-migrant-deported-germany%C2%A0commits-suicide〉(最 終アクセス:2018 年 10 月 17 日)。

24) The Federal Government of Germany(2018:22).

25) 〈https://rumoursaboutgermany.info/〉(最終アクセス:2018 年 10 月 17 日)。

26) 〈https://www.auswaertiges-amt.de/en/aussenpolitik/themen/migration/-/209206〉(最終アクセス: 2018 年 10 月 17 日)。

27) The Economist, Apr. 2, 2016.

28) BBC 31 March 2016 〈https://www.bbc.co.uk/news/world-asia-35928538〉(最終アクセス:2018 年 10 月 17 日)。

29) Rutting(2017)、Vo(2016)など。なお同じアフガン人であっても、アフガニスタン国内では少数 派となるシーア派、さらに歴史的に社会階層の中で低い地位に置かれていたハザラの人々がそのよう に呼ばれることもある。

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30) 調査は 2018 年 3 月と 9 月にドイツ西部ノルトライン=ヴェストファーレン州ハーゲン市の Diakonie の事務所および関連施設で実施した。 31) トランプ米大統領による「多くの外国人を受け入れたことでドイツの犯罪は増加している」との 2018 年 6 月のツイッター発言もその一例である。 32) 〈https://www.dw.com/en/germany-crime-rate-drops-but-fear-rises/a-43692277〉(最終アクセス: 2018 年 10 月 17 日アクセス)。 33) Spiegel(January 17, 2018)は、「難民」が起こしたとされる性犯罪の少なからずは事件そのものを 特定できず、また性犯罪と言えるレベルでもない可能性があることを伝えている。〈http://www. spiegel.de/international/germany/is-there-truth-to-refugee-sex-offense-reports-a-1186734.html〉(最 終アクセス:2018 年 10 月 17 日)。 34) 〈https://www.bbc.com/japanese/44678844〉(最終アクセス:2018 年 10 月 17 日)。 35) 〈https://www.thelocal.de/20180420/former-migration-official-in-bremen-suspected-of-illegally-approving-1200-asylum-cases〉(最終アクセス:2018 年 10 月 17 日)。 36) 「移民あるいは難民の安全保障化」とは、移民・難民が国内で安全保障にかかわる問題として認識され、 聴衆(国民)によって受容され、それが特別措置の発動に至る経過である。 37) その後、アフガニスタン全土の治安維持が任務となり 30 カ国を超える国が参加した。なおドイツ国 軍は、2014 年 12 月までは ISAF、それ以降はアフガニスタン国軍への訓練と助言を主たる任務とす る “Resolute Support Mission” の一員として駐留している。

38) Dimitriadi (2018:198) .

39) 嶋田、前掲書、第 4 章を参照のこと。

40) 〈https://www.afghanistan-analysts.org/protecting-freedom-at-the-hindukush-source-of-famous-afghanistan-quote-dies/〉(最終アクセス:2018 年 10 月 17 日)。

41) Schroeder, Robin, Zapfe and Martin (2015)

42) 〈https://www.statista.com/statistics/262894/western-coalition-soldiers-killed-in-afghanistan/〉(最 終アクセス:2018 年 10 月 17 日)。 43) 〈https://www.theguardian.com/world/2011/jun/16/kabul-bank-afghanistan-financial-scandal〉(最 終アクセス:2018 年 10 月 17 日)。 44) 〈https://www.dw.com/en/de-maiziere-and-german-states-bicker-over-deportations-to-afghanistan/ a-37648433〉(最終アクセス:2018 年 10 月 17 日)。 45) 2016 年には、フィンランド政府がアフガニスタンはイラク、ソマリアと並んで「難民」帰還が可能な 安全な国であると宣言し、英国でも全土ではないがカブールなど特定の州は帰還可能な安全地帯であ るとの判断を司法が下し帰還が再開された(Independent, May 18, 2016 および March 3)。 46)

〈https://www.bundesregierung.de/Content/EN/Artikel/2016/02_en/2016-02-02-de-maiziere-in-afghanistan_en.html〉(最終アクセス:2018 年 10 月 17 日)。 47) 久保山(2016:107)。

48) 日本国際交流センター(2017:24).

49) Spiegel On-line Aug.31, 2018 など。この事件の後、ドイツ政府の治安・情報機関(Office for the Protection of the Constitution、ドイツ語で BfV)のマーセン長官が、SNS で拡散された外国人が極 右グループと思われるドイツ人に追いかけられ暴力を振るわれる映像について「偽情報の可能性があ

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る」との発言を雑誌で行った〈https://www.dw.com/en/german-domestic-intelligence-head-relieved-of-duties-but-promoted/a-45547719〉(最終アクセス:2018 年 10 月 17 日)。その後、彼は更 迭されたが、ゼーホーファーの支持もあり内務省の大臣級ポストに就き、事実上の昇進となった。こ のことは、メルケル首相が政権維持のために国内の左派、右派それぞれのバランスに目を配る必要に 迫られており、かつ「難民」が容易に政治問題化するドイツの状況を表している。 参考文献 日本語 ・石井由香(2018)「序論 移民・難民をめぐるグローバル・ポリティクス」『国際政治』第 190 号、1- 16 頁。 ・久保山亮(2016)「ドイツにおける難民の社会統合─労働市場統合と自治体の役割に焦点をあてて」『難 民研究ジャーナル』第 6 号、難民研究フォーラム、100-134 頁。 ・ 小池克憲(2017)「難民問題解決としての労働について」『難民研究ジャーナル』第 7 号、難民研究フォー ラム、34-51 頁。 ・嶋田晴行(2013)『現代アフガニスタン史─国家建設の矛盾と可能性』明石書店。 ・手塚和彰(1990)『労働力移動の時代─「ヒト」の開国の条件』中央公論社。 ・日本国際交流センター(2017)「ドイツの移民・難民対策の新たな挑戦─2016 ドイツ現地調査報告書」 公益財団法人。http://www.jcie.or.jp/japan/cn/german-research/final.pdf ・松坂好次、内藤裕子(2018)『難民支援─ドイツメディアが伝えたこと』春風社。 ・ 渡邊 亙(2017)「ドイツにおける難民政策の課題とその憲法的意義」『法政治研究』関西法政治研究会、 第 3 号、123-145 頁。 外国語

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・_ (2017) Prepare – Protect - Promote Mapping of and Report on the Afghan Diaspora in Germany, Center for International Migration and Development.

・Dimitriadi, Angelili (2018) Irregular Afghan Migration to Europe – At the Migrants, Looking in, Palgrave.

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(20)

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Afghan “refugees” in Germany – why are they

described as “second-class?”

During the period of “refugee crisis” in Europe, a huge number of “refugees” flowed into European countries. Among those countries, Germany was the most popular destination. Afghans also headed for Germany, but they were sometimes described as “second-class” citizens.

Germany and Afghanistan have maintained a good relationship since the earlier 20th century and

it is not rare to meet Afghan and Afghan-origin people in Germany. Thus, Afghans are not newcomers in Germany. Nevertheless, the Afghans have been treated subordinately. This article examines why it has happened. One of the reasons is that the issue of Afghan refugees is politically linked with German assistance to Afghanistan. Germany has provided large amount of assistance to Afghanistan, particularly after 2001. But due to its unstable situation, skepticism has grown about the effectiveness of this assistance. In addition, “refugees” have become a politically sensitive issue in Germany. In order to justify its assistance and show a severe attitude to “refugees” preceding the elections, the German government introduced the rationalization that Afghanistan is “safe place” due to Germany’s long-term assistance. In this context, Afghans have been degraded and have become victims of political disagreements on refugee issues and the controversy over assistance to Afghanistan.

表 3 ドイツにおけるアフガン人の庇護申請数と認定数等 申請者数 難民認定率(%) 二次的庇護率(%) 申請却下率(%) 2015 20,830 48.8 9.1 20.6 2016 127,892 22 9.3 39.4 2017 16,423 16.6 6.4 52.6 出所:表 2 に同じ 表 4 ドイツにおける国籍別の庇護申請に対する難民認定率(%) 2015 年 2016 年 2017 年 アフガニスタン 48.8 22 16.6 シリア 99.5 57.6 38.2 イラク 97.3 59 39

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