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吉田隆著『カルヴァンの終末論』(教文館、二〇一七年、二七二頁)

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Academic year: 2021

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本 書 の 特 徴 本 書 は 、 カ ル ヴ ァ ン の 終 末 論 の 特 徴 を 、 教 義 学 的 な 前 提 か ら 論 じ る の で は な く て 、 初 期 か ら 後 期 に 至 る カ ル ヴ ァ ン の 諸 著 作 に 丹 念 に あ た っ て 読 み 解 く と い う 方 法 論 を 選 択 し て い る 。 言 い 換 え れ ば 、 本 書 は 、 終 末 論 を カ ル ヴ ァ ン 神 学 の 「 基 本 概 念 」 (G ru nd be gri ff ) と す る よ う なM art in Sc hu lze 以 来 の 伝 統 に は 従 わ ず 、 一 九 四 一 年 に 出 版 さ れ たH ein ric h Q uis tro rp の 『 カ ル ヴ ァ ン の 証 言 に お け る 終 わ り の 事 柄 ― カ ル ヴ ァ ン の 終 末 論 』D ie letz en D ing e im Ze ug nis C alv ins : C alv ins Es ch ato log ie ( 英 訳 はC alv in’ s D oc trin e of the La st Th ing s, 19 55 ) と こ の 研 究 に 触 発 さ れ た 諸 研 究 の よ う に 、 終 末 論 を カ ル ヴ ァ ン 神 学 全 体 に 深 く 根 差 す も の と し て 理 解 し よ う と す る 。 終 末 論 が 、 カ ル ヴ ァ ン 神 学 に 深 く 根 差 す こ と を 論 証 す る た め に は 、 聖 書 註 解 、 説 教 、 書 簡 な ど を 含 む 初 期 か ら 後 期 に 至 る カ ル ヴ ァ ン の 諸 著 作 全 体 の 分 析 に 相 当 の 時 間 を 割 く 必 要 が 生 じ る 。 Q uis tro rp に よ れ ば 、 カ ル ヴ ァ ン の 終 末 論 は 、 そ の 神 学 的 ・ 釈 義 的 な 研 究 を 通 し て 発 展 し 、 最 終 的 に 「 御 自 分 の 救 い の 御 業 を 完 遂 し 、 そ の 最 後 の 諸 行 為 が 一 つ の 独 特 な 出 来 事 を 形 作 る 、 キ リ ス ト と い う 御 方 に 対 す る 感 動 的 な 証 言 」 に な っ た と み ら れ る が 、 終 末 に お け る 「 キ リ ス ト の 出 来 事 」 が 地 上 の 時 間 の 枠 組 み を 超 え た 神 の 侵 入 の 出 来 事 で あ る ゆ え に 、 「 究 極 的 な 出 来 事 が 神 話 化 さ れ る よ う な 」 黙 示 的 に は 描 く こ と の で き な い も の と 考 え ら れ て い る 。 カ ル ヴ ァ ン が 、 聖 書 の 諸 註 解 に お い て 、 黙 示 的 な 描 写 へ の 関 心 を 後 退 さ せ て い る の も 、 さ ら に ま た カ ル ヴ ァ ン の 聖 書 へ の 忠 誠 と 人 文 主 義 的 な 性 格 に よ っ て 引 き 起 こ さ れ る 「 あ る 種 の 緊 張 」 や 「 脅 威 」 も 、 こ の よ う な 理 由 に よ る と 論 評 さ れ る 。 そ の 結 果 カ ル ヴ ァ ン は 、 信 仰 者 の 救 い の 完 成 の 教 理 に 対 し て ほ ど 、 キ リ ス ト の 再 臨 や 世 界 の 終 わ り 、 時 の 徴 、 教 会 の 完 成 や 新 世 界 と い っ た 黙 示 的 な テ ー マ に は 関 心 を 示 さ な い 。 成果と展望(書評)

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uis tro rp は 、 こ の よ う な カ ル ヴ ァ ン の 終 末 論 の 傾 向 を 「 精 神 化 」 「 個 人 化 」 と 呼 ん で い る 。 Q uis tro rp の 研 究 は 、 二 〇 世 紀 後 半 の カ ル ヴ ァ ン の 終 末 論 研 究 に 影 響 を 与 え て 来 た が 、 著 者 は 、 そ の 方 法 論 と 神 学 的 な 分 析 を 批 判 的 に 扱 う と と も に 、Q uis tro rp の 方 法 論 で は 論 じ き れ て い な い 側 面 を カ ル ヴ ァ ン の 著 作 か ら 読 み 取 ろ う と す る 。 つ ま り 、 本 書 の 特 色 は 、 カ ル ヴ ァ ン 研 究 史 に 即 し て 言 え ば 、 uis tro rp の 研 究 を 批 判 的 に 乗 り 越 え る 試 み で あ る と と も に 、 彼 の 結 論 の 本 質 的 な 修 正 を 施 す 試 み と 言 え る だ ろ う 。 そ の 修 正 の 内 容 は 、 カ ル ヴ ァ ン の 人 文 主 義 的 な 出 自 に も か か わ ら ず 、 カ ル ヴ ァ ン 神 学 の 本 質 は 、 人 文 主 義 思 想 及 び そ の 神 学 思 想 に よ っ て 決 定 的 に 影 響 さ れ た り 、 そ れ と の 緊 張 関 係 に 置 か れ て い る の で は な く 、 む し ろ 宗 教 改 革 者 た ち の 伝 統 に 根 差 し た 神 学 に あ る と 考 え ら れ る 。 著 者 が 指 摘 す るQ uis tro rp の 方 法 論 の 問 題 は 以 下 の と お り で あ る ( 頁 ) 。 第 一 に 、Q uis tro rp に は 、 あ る 種 の 「 神 学 的 19 な 偏 向 」 が あ る 。 偏 向 の 内 容 は 、 「 キ リ ス ト の 出 来 事 」 と 言 う よ う な 概 念 が 、 カ ル ヴ ァ ン に 即 し て 使 わ れ る の で は な く て 、 実 存 論 的 も し く は 新 正 統 主 義 的 な 表 現 と な っ て い る こ と 。 第 二 は 、Q uis tro rp が 、 カ ル ヴ ァ ン の キ リ ス ト 論 を 「 中 心 的 立 脚 点 」 呼 ぶ が 、 そ れ は 果 た し て 彼 が 退 け た は ず の Sc hu lze 以 来 の 中 心 教 理 理 論 へ の 回 帰 で は な い か と い う 疑 問 。 第 三 は 、 カ ル ヴ ァ ン の 聖 書 釈 義 を 、 現 代 の 聖 書 学 的 な 視 点 か ら 時 代 錯 誤 的 に 批 判 し て い る 点 、 第 四 に 、 カ ル ヴ ァ ン の 旧 約 聖 書 註 解 の 分 析 が な さ れ て い な い 点 。 そ し て 最 後 に カ ル ヴ ァ ン の 先 駆 者 、 同 時 代 の 改 革 者 へ の 言 及 が 乏 し い た め に 、 カ ル ヴ ァ ン の 歴 史 的 ・ 思 想 的 な 文 脈 が 無 視 さ れ て い る 点 で あ る 。 以 上 の よ う なQ uis tro rp の 方 法 論 的 な 諸 課 題 を 指 摘 し た 後 、 Q uis tro rp 以 後 の 研 究 史 (To rra nc e, Pa rte e, H olw erd a, O be rm an , Ste inm etz ,S ch rei ne r,T ho m pso n, M ull er, G an oc zy な ど ) を 踏 ま え て 、 現 代 の カ ル ヴ ァ ン 研 究 に は 、 カ ル ヴ ァ ン の 文 学 様 式 に 注 意 を 払 う こ と が 不 可 欠 で あ る と 指 摘 す る と と も に 、 カ ル ヴ ァ ン の 教 え の 先 駆 者 や 同 時 代 人 の 神 学 的 ・ 釈 義 的 伝 統 の コ ン テ キ ス ト を 、 カ ル ヴ ァ ン の 著 作 の 様 式 的 な 多 様 性 の コ ン テ キ ス ト の 中 で 読 み 解 く と い う 本 書 の 目 的 が 示 さ れ る こ と に な る 。 こ の よ う な 目 的 を も っ て 、 カ ル ヴ ァ ン の 終 末 論 を 再 構 成 す る こ と が 本 書 の 特 徴 と な っ て い る 。 こ の 目 的 を 達 成 す る た め に 、 本 書 は 、 時 代 ご と に カ ル ヴ ァ ン の 著 作 を 分 析 す る と と も に 、 『 綱 要 』 と 聖 書 註 解 の 両 方 を 考 慮 す る と と も に 、 そ れ ら を 個 別 的 に 精 査 す る 方 法 を と る 。 以 下 は 、 そ の 内 容 の 概 要 と 評 者 が そ の 都 度 感 じ た 問 題 点 の 指 摘 で あ る 。 2 ~ 3 章 初 期 カ ル ヴ ァ ン の 終 末 論 著 者 は 2 章 で 、 初 期 カ ル ヴ ァ ン の 終 末 論 を 明 ら か に す る た め に 、 『 仏 語 新 約 聖 書 序 文 』 ( 一 五 三 五 年 ) 、 『 ク リ ソ ス ト モ ス

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説 教 集 』 序 文 ( 一 五 三 五 年 ? ) 、 『 キ リ ス ト 教 綱 要 初 版 』 ( 一 五 三 六 年 ) を 分 析 す る 。 そ の 結 果 、 初 期 カ ル ヴ ァ ン の 終 末 理 解 は 、 福 音 的 、 伝 統 的 、 聖 書 的 で あ る と と も に 、 目 的 論 的 志 向 を 強 く 持 つ と 結 論 づ け る ( 頁 ) 。 目 的 論 的 志 向 と は 、 カ 63 ル ヴ ァ ン 神 学 の 中 に 、 世 界 と 歴 史 、 人 間 が 完 成 に 向 か っ て 進 ん で お り 、 そ れ が 時 に 天 へ の 「 上 昇 」 や 「 未 来 」 へ の 志 向 を 内 包 し て い る と い う 意 味 で あ る 。 こ の こ と は 、 ま ず カ テ キ ズ ム の 構 造 を と る 『 キ リ ス ト 教 綱 要 』 ( 初 版 ) が 、 キ リ ス ト に 与 っ て 救 わ れ る 福 音 へ の 道 筋 を 教 育 的 に 整 え た 書 物 で あ り 、 目 的 論 的 な 構 造 を 持 っ て い る こ と に 現 れ て い る 。 つ ま り 、 教 育 的 な 配 慮 は 、 救 済 史 の 完 成 と い う 目 的 論 的 な 構 造 を 前 提 と し て い る の で あ り 、 同 時 代 の カ テ キ ズ ム に 対 し て 際 立 っ た 特 徴 を 示 す と 同 時 に 、 『 仏 語 新 約 聖 書 序 文 』 で す で に 展 開 さ れ た 福 音 的 終 末 観 に つ な が る 。 こ れ ら の 特 色 は 、 カ ル ヴ ァ ン が 終 末 理 解 に お い て 、 思 弁 的 要 素 を ほ と ん ど 持 た ず に 、 ア ウ グ ス テ ィ ヌ ス に 淵 源 す る 伝 統 に よ っ て い る こ と を 示 し て い る 。 著 者 は 、 『 キ リ ス ト 教 綱 要 』 ( 初 版 ) の 「 主 の 晩 餐 」 に つ い て の カ ル ヴ ァ ン の 叙 述 を 検 討 し て い る が ( 頁 以 下 ) 、 そ の 結 論 は 、 「 カ ル ヴ ァ ン の 聖 餐 論 に お け る 59 終 末 的 言 辞 に つ い て 、 そ れ ら が 他 の 神 学 者 の 著 作 に も 見 ら れ る こ と を 指 摘 す る だ け で 十 分 で あ ろ う 」 と い う 著 者 の 言 葉 に 要 約 さ れ て い る 。 し か し 、 果 た し て 、 カ ル ヴ ァ ン の 聖 餐 論 の 分 析 と し て こ の よ う な 要 約 で 十 分 で あ ろ う か と い う 疑 問 を 評 者 は 持 た ざ る を え な か っ た 。 む し ろ 、 カ ル ヴ ァ ン の 昇 天 理 解 と 「 キ リ ス ト と の 結 合 」 (un io cu m C hri sti ) 、 聖 霊 理 解 と の 結 び つ き の ユ ニ ー ク さ を 掘 り 下 げ て 、 そ こ に カ ル ヴ ァ ン の 聖 餐 論 と 終 末 論 の 独 自 性 を 明 ら か に で き る の で は な い か と い う 印 象 を 抱 い た 。 カ ル ヴ ァ ン に と っ て 、 終 末 と は 、 確 か に 未 来 に 生 起 す る 恐 れ を 伴 う 審 判 で は な く て 、 今 こ の 場 所 で 復 活 し 昇 天 し た キ リ ス ト と 結 ば れ て 、 信 仰 者 が 不 死 と 不 朽 を 賦 与 さ れ る 至 福 の 現 在 的 な 出 来 事 で あ る 。 し た が っ て 、 カ ル ヴ ァ ン は 、 天 上 へ の あ こ が れ 、 完 成 へ の 渇 望 を 常 に い だ き つ つ 、 終 末 を 待 ち 望 む 。 そ の 意 味 で 、 カ ル ヴ ァ ン の 終 末 観 は 、 き わ め て キ リ ス ト 論 的 で あ り 、 キ リ ス ト が 今 生 き て 働 き 、 現 臨 す る と こ ろ に 出 発 点 が あ る 目 的 論 的 志 向 を 持 っ て い る 。 問 題 は 、 カ ル ヴ ァ ン の 初 期 の 著 作 か ら み ら れ る 、 終 末 観 の 根 幹 に な る も の を 他 の 宗 教 改 革 者 の 議 論 と 同 一 平 面 に あ る と い う 印 象 批 評 的 な 結 論 で 平 板 化 し て 良 い か と い う 問 い で あ る 。 評 者 は 、 こ の あ た り に 著 者 の 方 法 論 の あ る 種 の 課 題 が 表 れ て い る の で は な い か と 感 じ て い る 。 つ ま り 、 時 代 ご と の カ ル ヴ ァ ン 文 献 の 分 析 に 終 始 す る あ ま り に 、 カ ル ヴ ァ ン の 神 学 思 想 の あ る 種 の ダ イ ナ ミ ズ ム を と ら え 切 れ て い な い の で は な い か 。 終 末 論 が 、 カ ル ヴ ァ ン 神 学 全 体 に 染 み わ た る よ う な 特 質 を 持 つ と 考 え る な ら 、 な お さ ら 、 歴 史 の 流 れ の 中 で カ ル ヴ ァ ン の 著 作 を 検 討 す る 方 法 と と も に 、 よ り 組 織 神 学 的 な 切 り 口 成果と展望(書評)

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伴 っ た 方 法 論 的 な 組 み 立 て が 必 要 と な っ て く る よ う に 思 え の で あ る 。 4 ~ 5 章 『 魂 の 目 覚 め に つ い て 』 と 一 五 四 六 ~ 五 九 年 の 聖 書 註 解 に 見 ら れ る 終 末 論 次 に 、 著 者 の 分 析 は 一 五 四 二 年 に 出 版 さ れ た 『 魂 の 目 覚 め つ い て ( プ シ ュ コ パ ニ キ ア ) 』 と そ の 時 代 に 続 く 聖 書 註 解 向 か う 。 『 魂 の 目 覚 め に つ い て ( プ シ ュ コ パ ニ キ ア ) 』 は 、 ヴ ァ ン が 人 文 主 義 の 残 滓 を 捨 て て 、 教 会 改 革 に 邁 進 す る う に な る 時 代 に 書 か れ た も の で 、 カ ル ヴ ァ ン の 「 終 末 観 の 庫 」 と 言 わ れ る ( 頁 ) 。 著 者 は 、 こ の 書 物 の 終 末 観 を 論 126 る に あ た り 、 古 代 か ら 宗 教 改 革 に 至 る 、 死 後 の 霊 魂 に つ い の 教 え の 歴 史 的 に 概 観 し た 後 、 チ ュ ー リ ッ ヒ の 改 革 者 ツ ヴ グ リ が 、 再 洗 礼 派 と そ の 霊 魂 睡 眠 説 を 論 駁 し た 事 実 に 目 向 け る 。 ツ ヴ ィ ン グ リ は 、 一 五 三 一 年 の 『 キ リ ス ト 教 信 仰 解 明 』 に お い て 、 再 洗 礼 派 の 見 解 を 論 駁 し た 。 そ れ に よ れ 、 再 洗 礼 派 の 霊 魂 睡 眠 説 の 誤 謬 は 、 現 在 神 に あ っ て 生 か さ 喜 び に 中 に あ る 魂 が 、 死 後 眠 り に 落 ち る と し た な ら 、 信 仰 の 生 は 死 後 よ り も 現 在 の 方 が よ い と い う 結 論 に 至 ら ざ る を な い こ と に な る 。 ツ ヴ ィ ン グ リ に あ っ て は 、 信 仰 を 通 し て リ ス ト に あ っ て 与 え ら れ る 永 遠 の 命 は 、 死 後 眠 り に つ く の は な く て 、 存 続 す る は ず だ と い う 主 張 が 展 開 さ れ た 。 カ ル ヴ ァ ン は 、 霊 魂 が 肉 体 と は 区 別 さ れ た 実 体 で あ る と い う 命 題 を 提 示 す る 。 さ ら に マ タ イ に よ る 福 音 書 章 節 な ど 10 28 に 基 づ い て 、 霊 魂 は 死 後 も 存 続 し 、 敵 対 者 も 霊 魂 に 対 し て は 無 力 で あ る と の 結 論 に 至 る 。 こ の よ う な 霊 魂 不 滅 の 根 拠 は 、 キ リ ス ト の 復 活 に あ る 。 キ リ ス ト は 死 者 の 復 活 の 初 穂 で あ る ゆ え に 、 死 者 も ま た 復 活 す る 。 キ リ ス ト が 死 者 の 救 い の た め に 目 覚 め て い る の で あ れ ば 、 人 間 の 霊 魂 が 眠 っ た ま ま で あ る と い う の は お か し い 。 キ リ ス ト は 人 性 に お い て も 神 性 に お い て も 、 死 に よ っ て 滅 び る こ と は な い 。 パ ウ ロ が 語 る よ う に 、 キ リ ス ト が 永 遠 に わ た し た ち の 内 に 生 き て い る 限 り 、 キ リ ス ト に 接 ぎ 木 さ れ た 私 た ち の 霊 魂 も 生 き 続 け る 。 著 者 は 、 カ ル ヴ ァ ン の 霊 魂 観 が ア ウ グ ス テ ィ ヌ ス に 依 拠 し な が ら 、 聖 書 的 ・ 目 的 論 的 方 向 性 を 持 ち 、 霊 魂 の 不 滅 が 「 永 遠 の 命 」 と 「 キ リ ス ト と の 結 合 」 と 同 義 で あ る と 結 論 づ け る 。 5 章 の 『 聖 書 釈 義 』 に お け る 終 末 論 で は 、 『 第 一 コ リ ン ト 書 註 解 』 ( 一 五 四 六 年 ) 、 『 第 二 コ リ ン ト 書 註 解 』 ( 一 五 四 七 年 、 ラ テ ン 語 版 一 五 四 八 年 ) 『 ヘ ブ ラ イ 書 註 解 』 ( 一 五 四 九 年 ) な ど か ら 、 カ ル ヴ ァ ン の 終 末 論 に 関 わ る 聖 書 箇 所 の 釈 義 方 法 と 内 容 に 一 貫 性 を 読 み 取 っ て い る 。 そ れ ら は 、 す で に 概 観 し た 初 期 の カ ル ヴ ァ ン の 著 作 に 見 ら れ る 終 末 理 解 を 継 承 し て お り 、 『 ヘ ブ ラ イ 書 註 解 』 で は 、 旧 約 か ら 新 約 時 代 、 さ ら に は そ の 完 成 に ま で 至 る 「 キ リ ス ト の 王 国 」 の 進 展 と 実 現 を 、 パ ウ ロ 書 簡 よ り も さ ら に ダ イ ナ ミ ッ ク に 展 開 し て い る と 見 て い る 。

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6 ~ 7 章 『 キ リ ス ト 教 綱 要 』 ( 最 終 版 ) と 旧 約 預 言 書 註 解 カ ル ヴ ァ ン は 、 『 キ リ ス ト 教 綱 要 』 最 終 版 に お い て 、 最 後 の 肉 体 の 復 活 に つ い て 詳 細 に 論 じ て い る 点 で 、 他 の 改 革 者 と の 際 立 っ た 相 違 を 示 し て い る 。 改 革 者 た ち は 、 霊 的 な 復 活 に つ い て は 多 く を 論 じ た が 、 肉 体 の 復 活 を 「 神 学 論 題 」 と し て 論 じ る こ と は 少 な か っ た 。 こ の 点 で 、 カ ル ヴ ァ ン は 、 古 代 教 父 の 伝 統 を 継 承 す る も の で あ り 、 カ ル ヴ ァ ン 神 学 が 希 望 を 生 み 出 す 福 音 的 神 学 の 礎 と な っ た 。 カ ル ヴ ァ ン の 終 末 論 は 、 復 活 の 教 理 だ け で は な く 、 終 末 に つ い て キ リ ス ト の 再 臨 や 神 の 国 、 最 後 の 審 判 に つ い て も 射 程 に 入 れ て い る こ と は 言 う ま で も な い 。 『 キ リ ス ト 教 綱 要 』 最 終 版 の 改 訂 部 分 や 付 加 部 分 に 見 ら れ る 特 徴 は 、 『 綱 要 』 に は カ ル ヴ ァ ン の 聖 書 註 解 に よ っ て 得 た 確 信 が 反 映 さ れ て い る こ と に あ る 。 具 体 的 に は 、 最 終 版 で は 、 ロ ー マ 書 の 構 造 か ら 使 徒 信 条 的 ( 三 位 一 体 的 ) 構 造 に 変 化 さ せ 、 使 徒 信 条 の 「 体 の よ み が え り 」 に つ い て 、 独 立 し た 章 を 設 け た う え で 、 一 個 の 「 神 学 論 題 (loc us ) 」 と し て 論 じ る よ う に 構 成 し 、 直 前 の 予 定 論 に 続 い て 、 「 わ れ わ れ は ど の よ う に キ リ ス ト の 恵 み を 受 け る か 」 に つ い て 論 じ る 第 三 編 の 結 論 部 に ふ さ わ し く 整 え ら れ て い る ( 頁 ) 。 208 著 者 は 、 こ の 点 を 指 摘 し た う え で 、 『 綱 要 』 最 終 版 の 主 な 特 徴 を 4 点 に 整 理 し て い る が 、 と り わ け 、 『 魂 の 目 覚 め に つ い て 』 で 論 じ ら れ た 主 題 が 、 最 終 版 で も 明 確 に 繰 り 返 さ れ 、 神 の 全 能 性 を 肉 体 の 復 活 の 根 拠 と み な し て い る 。 た だ し 、 著 者 は 、 内 容 的 に は そ れ 以 前 の 議 論 の か な り ス コ ラ 的 な 集 約 で あ り 、 独 創 的 な 論 点 は な い と も 指 摘 し て い る ( 頁 ) 。 210 本 書 の 最 後 を 締 め く く る の は 、 7 章 の 旧 約 預 言 書 註 解 の 分 析 で あ る 。 カ ル ヴ ァ ン は 、 『 キ リ ス ト 教 綱 要 』 初 版 の 序 文 に 付 さ れ た 「 真 の キ リ ス ト 者 な る フ ラ ン ス 王 の 序 文 」 か ら 、 カ ル ヴ ァ ン の 福 音 主 義 の 運 動 が 、 キ リ ス ト の 王 国 を 回 復 し 、 そ れ を 推 し 進 め る 使 命 を 持 つ こ と に 注 意 を 促 し て い る 。 「 キ リ ス ト の 王 国 」 と い う 鍵 語 を 、 ア ウ グ ス テ ィ ヌ ス 、 ル タ ー 、 メ ラ ン ヒ ト ン 、 ブ ツ ァ ー と 歴 史 的 に 概 観 し た 後 、 ブ ツ ァ ー に 至 っ て 展 開 さ れ た 「 キ リ ス ト の 王 国 」 論 が 、 こ の 世 に お け る 選 び の 民 に 対 し て 、 教 会 の 働 き を 通 し て な さ れ る キ リ ス ト の 統 治 を 意 味 す る よ う に な っ た こ と を 明 ら か に す る 。 ブ ツ ァ ー の 理 解 は 、 カ ル ヴ ァ ン に 継 承 さ れ 、 『 綱 要 』 初 版 か ら 最 終 版 に 至 る ま で 保 た れ て い る こ と を 明 ら か に す る 。 つ ま り 『 綱 要 』 最 終 版 の 「 政 治 的 統 治 」 は 、 円 熟 し た ジ ュ ネ ー ブ の 改 革 者 と し て の 政 治 思 想 を 表 す も の で は な く 、 弱 冠 歳 の 青 年 カ ル ヴ ァ 26 ン の 理 解 で あ り 、 カ ル ヴ ァ ン は 終 生 、 政 治 的 統 治 に つ い て の 思 想 を 変 え て い な い と 指 摘 さ れ る 。 カ ル ヴ ァ ン の 政 治 的 統 治 の 思 想 が 、 ル タ ー や ブ ツ ァ ー と 相 違 す る 点 は 、 終 末 理 解 に あ る と 最 後 に 指 摘 さ れ る 。 す な わ ち 、 「 カ ル ヴ ァ ン が 『 キ リ ス ト の 王 国 』 を 、 救 済 史 的 な 文 脈 に お け る 終 末 的 な 幻 の 中 で 理 成果と展望(書評)

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し た と い う 点 で あ る 」 ( 頁 ) 。 228 こ の よ う な カ ル ヴ ァ ン の 統 治 論 を 生 み 出 し た 要 因 が 、 旧 約 書 預 言 書 に あ る と 著 者 は 推 量 し 、 7 章 後 半 は そ の 分 析 に 頁 割 い て い る 。 「 キ リ ス ト の 王 国 」 論 が 、 初 期 カ ル ヴ ァ ン か 後 期 カ ル ヴ ァ ン に 、 大 き な 変 化 な く 継 承 さ れ て い る 事 実 は 、 ら な る 考 察 の 課 題 を 残 し て い る 。 カ ル ヴ ァ ン の 終 末 論 と の 係 で 、 こ の 課 題 の 考 察 は 避 け て 通 れ な い よ う に 思 う 。 な ぜ ら 、 い わ ゆ る 政 治 状 況 の 変 化 と カ ル ヴ ァ ン 自 身 の 経 験 に 関 ら ず に 一 貫 し た 神 学 的 理 解 が そ こ に は あ る か ら で あ る 。 全 体 の 評 価 本 書 は 、 カ ル ヴ ァ ン の 終 末 論 と い う 主 題 に 真 摯 に 取 り 組 ん パ イ オ ニ ア 的 な 著 作 で あ り 、 日 本 の カ ル ヴ ァ ン 研 究 へ の 大 な 貢 献 で あ る 。 し か し 、 同 時 に い く つ か の 課 題 も あ る 。 第 に 、 カ ル ヴ ァ ン 神 学 の 要 諦 と も い え る 終 末 論 と 教 会 論 の 関 が 十 分 論 じ ら れ て い な い 。 カ ル ヴ ァ ン の 終 末 論 は 、 教 会 論 契 機 と し て 、 聖 霊 論 と も 密 接 な 関 わ り を 持 つ 。 カ ル ヴ ァ ン と っ て 教 会 は 歴 史 的 に 発 展 す る 有 機 体 で あ り 、 途 中 で 退 廃 や 分 裂 を 経 験 し な が ら 、 完 成 へ と 向 か う 。 ダ ニ エ ル 書 8 章 の 註 解 で は 、 バ ビ ロ ン 捕 囚 か ら の 帰 還 を 教 会 の 第 二 の 誕 生 (sec un da ec cle sia e na tiv ita s ) と さ え 呼 ん で い る 。 カ ル ヴ ァ ン の 終 末 論 に お い て 、 「 キ リ ス ト の 王 国 」 と 教 会 の 関 係 が ど の よ う な も の で あ っ た か の 考 察 が な お 求 め ら れ る で あ ろ う 。 第 二 に 、 カ ル ヴ ァ ン は 教 会 の 始 ま り を キ リ ス ト の 昇 天 に 置 く 。 そ う で あ る な ら 、 終 末 と 昇 天 の キ リ ス ト 、 聖 霊 と の 関 わ り も さ ら に 深 く 論 じ る 必 要 が あ ろ う 。 御 霊 は 、 カ ル ヴ ァ ン に と っ て 、 霊 的 な 祝 福 の 宝 の す べ て 、 さ ら に は 神 の 国 へ の 扉 を 開 く 鍵 (cla vis ) と 言 わ れ る 。 聖 霊 の 働 き が 、 カ ル ヴ ァ ン の 終 末 論 で ど れ ほ ど の 意 義 と 重 要 性 を 占 め て い る か も ま た こ れ か ら 論 じ ら れ る べ き 課 題 で あ る 。 そ の 意 味 で 、 本 書 で は 言 及 さ れ る こ と の 少 な か っ た 『 使 徒 言 行 録 註 解 』 に も 注 目 す べ き で あ る 。 こ れ ら は 、 組 織 神 学 的 な 課 題 を 意 識 す る と こ ろ か ら 出 て く る 諸 課 題 で あ る 。 方 法 論 的 な 限 定 に 誠 実 で あ る 余 り 、 論 じ き れ て い な い 諸 課 題 が 少 な か ら ず あ る と い う の が 、 評 者 の 率 直 な 感 想 で あ る 。

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経済学の祖アダム ・ スミス (一七二三〜一七九〇年) の学問体系は、 人間の本質 (良心 ・ 幸福 ・ 倫理など)