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佛教大學研究紀要 76号(19920314) L107星明「中国社会学の廃止について : 大学改造と反右派闘争のなかでの中学社会学」

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Academic year: 2021

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中 国社 会学 の廃 止 につ いて

大学改造 と反右派闘争のなかでの中国社会学

は じ め に 1.新 中 国成 立 以前 の 社 会学 2.新 中 国成 立 以後 の社 会 学一 大 学 改 造 の なか で の社 会 学 3.新 中 国成 立 以後 の社 会 学一 反 右 派 闘争 のな か で の社 会 学 お わ り に 付 記 は じ め に 中 国 は 清 朝 末 期 の光 緒 時 代,つ ま り18世紀 の末 か ら19世紀 の始 め に か け て, 社 会 改革 とい う時 代 的 要 請 に よっ て,社 会 学 を イギ リス と 日本 か ら輪 入 した。 改 革 の た め の理 論 的根 拠 で あ る 社 会 進 化論 が 当 時 の 社 会 学 に あ った か らで あ る。 や が て,中 国 に対 す る ア メ リカ の新 た な文 教 政 策 に よって,1920年 頃 か ら は ア メ リカ社 会 学 の影 響 を 強 め つ つ,中 華 人 民 共 和 国成 立 の 前 年 の1948年 ま で の半 世 紀 にわ た っ て 中 国 に社会 学 が 盛 え た。 しか し,新 中 国 成立 後4隼 目の1952年 には 大 学 の 社 会 学 部 が 廃 止 され(中 山,雲 南 両 大 学 を 除 く。 しか し,こ の両 大 学 の社 会 学 部 も53年 に は廃 止 さ れ た),さ らに1957年 には 社 会学 の研 究 そ れ 自体 が 禁 止 され た 。52年 は 中 国 共産 党 に よる 国 家 の 統 一 と改 造 の過 程 で の 学 部 の廃 止 で あ り,57年 は 中 国共 産 党 の 反 右 派 闘 争 に よる 研究 の禁 止 で あ る。 社 会 学 の廃 止 ・禁 止 の理 由を 一 口で い え ば,社 会 学 は 資 本主 義社 会 で生 じた 社 会 問 題 を 解 決す る た め に生 まれ,資 本 主 義 社 会 の推 持 ・存 続 に 献身 す る学 問 で あ る と,中 国 共産 党 に よっ て規 定 され た 一10?一

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佛教大學研究紀要通卷76號 か らで あ る。 そ れ ゆx,こ の 小論 は新 中 国成 立 直 後 の社 会 学 の 廃 止 に つ い て,そ の理 由, 廃 止 に対 す る社会 学 者 の 意 見,社 会 学 者 の学 説 が どの よ うに 批 判 され た のか と い った 問題 をあ つ か い た い 。 1.新 中 国 成 立 以 前 の社 会 学 新 中 国成 立 直 後 の 中 国社 会 学 の廃 止,禁 止 を述 べ るに して も,ま ず新 中 国成 立 以前 の 中 国 の社 会 学 の状 況 につ いて 触 れ て お きた い。 とい うの も,こ の状 況 が 新 中 国 で の社 会 学 の廃 止,禁 止 に直 接 結 び つ い て い るか らで あ る。 孫 本 文 が1947年11月 に書 いた 「最 近 の 中 国社 会 学 の発 展 傾 向」 を も とに して 触 れ て お き た い。 孫 本 文 は旧 中 国 の社 会 学界 に最 も影 響 を 与 えた 社 会 学 者 で あ る。 か れ は北 京 大 学 で康 宝 忠(中 国人 で は じめ て大 学 で社 会 学 を 講 じた 人物, 日本 の早 稲 田大 学 留 学 生)の 社 会 学 の 講義 を受 けた の ち,ア メ リカへ 留 学 し, イ リノ イ大 学 か ら修 士,ニ ュ ー ヨ ー ク大 学 か ら博 士 号 を 受 け て い る。1926年 に 帰 国 後 は上 海 の復 旦大 学,南 京 の 中央 大 学 で社 会 学 を 講 じた 。 か れ は 当 時 の 中 国社 会 学 につ いて つ ぎ の よ うに い う: 中 国 の社 会 学 は西 洋 か ら伝 わ っ て以 来 これ まで に,顕 著 な発 展 が あ った 。 そ れ は,つ ぎの三 つ の観 点 か らみ る こ とが で き る。 1.訳 書 や著 書 に つ い て 中 国 に は じめ て社 会 学 が 伝 わ った の は,単 に名 称 の上 だ け で い え ば1896年 で あ るが,実 際 に は1902年 で あ る。 この 年 は 厳復 が ス ペ ンサ ー の社 会 学 の 翻訳 を脱 稿 し,章 炳麟 が 岸 本 能 武 太 の社 会 学 を 翻訳 し,出 版 し た 年 で あ る。 以 来40,50年 の 間 に,翻 訳 書 か ら徐kに 社 会 学 者 自身 の著 作 へ,翻 訳 の初 歩 的 教 科 書 か ら編 著 の参 考 書 へ,読 み物 的 な書 物 か ら各 領 域 の専 門 的 なそ れ へ 移 行 して き た。 これ らの書 物 の 総計 は1,000冊 を 越 え る。 2.学 校 教 育 につ い て 社 会 学 の科 目が は じめ てみ られ るの は,奏 定京 師法 政 学 堂 の学 則 の 授 業 時

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間表 で あ る。 以 来40年,社 会 学 の講 義 は少 数 の大 学 に しか な か った が次 第 に 一 般 の 大 学 に 広 が って い っ た し,大 学 で の選 択 科 目か ら学部 の設 置 に発 展 し,理 論 研 究 か ら実 際 の応 用 へ と拡 大 して い った 。 社 会 学 部 の 卒 業生 は 1,000人 を越 え た し,現 在,社 会 学 部 の 教 師 は100人 を 越 えて い る。 3.学 会 組 織 につ い て 中 国 社 会 学 界 の は じめ て の組 織 は,1922年 に つ く られ た{余 天 体 が つ くっ た 中 国社 会 学会 の こ と… … 星}。 しか し,こ の学 会 は参 加 者 が 少 な く解 散 した 。 しか し,1928年 に全 国 規 模 の 学 会 が で きる{孫 本 文 らが つ く つた 東 南 社 会 学 会 の こ と,こ の学 会 は1930年 に中 国 社 会 学 社 に な る … …星}。19 年 来,全 国 の社 会 学 者 は この 唯 一 の 学 会 の な か で そ れ ぞれ の研 究 を した 。 そ こに は 一 致 団 結 の精 神 が あ らわ れ て いた 。 これ が50年 来 の 中 国社 会 学 につ い て の 印 象 で あ る。 中 国社 会 学 が 比 較 的 発 展 した の は,実 際 に は こ こ20年 余 りの こ とで あ り,つ ぎの よ うな い くつ か の 顕 著 な 発 展 の 傾 向を み る こ とが で き る。 1.実 地 調 査 の 重 視 … … こ こ20年 来,名 大 学 の 社 会 学 部 で社 会 調査 あ る い は コ ミzニ テ ー研 究 の 科 目を重 視 しな い と ころ はな い 。 また,統 計 学 あ る い は社 会 統 計 を 基 本 科 目に して い る。 実 地 調 査 報 告 は,都 市 ・農村 調 査,概 況 ・部 分 調 査,初 歩 ・詳 細 調 査 にか か わ りな く,方 法 は 次 第 に 完 備 され, 内 容 も充 実 して きた 。 2.中 国 の資 料 の分 析 と中 国 の例 を用 い て証 明す る こ との 重 視 … … こ こ20年 の著 作 の 重 要 な発 展 は,社 会 学 者 が 中 国 の実 際 の 社 会 資 料 を 重 視 して い る こ とで あ る。 初 期 の 社会 学 は大 部 分 日本,続 いて ア メ リカ,イ ギ リス,フ ラ ンス か らの翻 訳 で あ り,そ の な か で も ア メ リカか らの 翻 訳 に 準拠 す る者 が 多 か った 。 自著 で もそ の材 料 は欧 米 に求 めた 。 しか し,最 近 で は 次 第 に 中 国 の資 料 を 採 用 しだ した。 3.名 著 お よび 大 著 の 翻 訳 の重 視 … … この時 期 の外 国 の 社会 学 書 の 翻 訳 は大 部 の 著 書 あ る いは 権 威 の あ る著 名 な著 作 が 重 視 され た 。 これ は 以 前 と比 べ て非 常 な進 歩 であ る。 4.社 会 学 の理 論 体 系 の 研究 の重 視 … … この時 期 の顕 著 な 特 徴 は,社 会 学 者 一109一

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佛歡大學研究紀要 通卷76號 が 次 第 に社 会 学 の 理 論 体系 を重 視 した こ とで あ る。 5.新 学 説 の紹 介 の 重 視 … … この 時期 の一 つ の 特 徴 は 新 しい 学 説 の紹 介 で あ る。 最 初著 者 は 『社 会 学 上 之 文 化論 』(1927年)の な か で,ア メ リカ の オ グバ ー ン(烏 格 朋)教 授 の文 化理 論 を紹 介 した が,こ れ は 当 時 と して は斬 新 な こ とで あ った 。 この 文 化 学説 の紹 介 は,国 内 の社 会 学 者 の大 きな 関心 を 引 き起 こした 。 6.社 会 事業 と社 会 行 政 の研 究 の 重視 … …最 近7,8年,社 会 学 者 は実 際 の 需 要 と学生 の卒 業 後 の 進 路 に 鑑 み,次 第 に社 会 事 業 と社 会 行 政 の 研究 を重 視 す る よ うに な った 。 これ は 中 国 の社 会 学 界 の一 つ の発 展 で あ る。社 会 学 と社 会 行 政 の関 係 を 論 ず る こ とは一 先 ず 置 く と して も,政 府 の 社会 部 の成 立 に よ って,頓 に社 会 事 業 と社 会行 政 に携 わ る人 材 の 不 足 を 感 じ させ ら れ,多 くの人 材 を 養 成 す る必 要 が あ った 。 これ に は社 会 学 部 が 最 適 で あ っ た。 そ れ ゆ え,大 学 の社 会 学 部 の 多 くは社 会 事 業 と社 会 行 政 の 課 程 を設 置 した 。 以上 の 各 方面 の発 展 傾 向 か らみ れ ば,中 国社 会 学 の こ こ20有 余 年 の 発 展 は と りわ け 早 か っ た。 一 般 的 に みれ ば,各 部 門 はす で に相 当 な基 礎 が あ る。 し か し,欧 米,と りわ け ア メ リカ に比 べ て は るか に遅 れ て い る。 わ た した ち が 全 国 の20の 大 学 の社 会 学 部 の教 授 や 学生 に希 望 す る こ とは,過 去 の 発 展 と現 在 の基 礎 に基 づ い て各 部 門 が 協 力 し,研 究 に励 み,中 国社 会 学 の ます ます の 発展 を期 す こ とで あ る。 そ うす れ ば,10年 後,20年 後 に は欧 米 に 追 い 付 く こ と もで き る。(民 国三 十 六 年 十 一 月二 十 八 目国立 中央 大 学)(孫 本 文 「最 近 の 中 国社 会 学 の発 展 傾 向」(晩 近 中国社 会 学 発 展 的 趨 勢),『 社 会 学 刊 』,第 6巻 合 刊,中 国社 会 学 社 編1948年,46∼7ペ ー ジ) 孫 本 文 は ア メ リカ へ の 留 学 生 で あ っ た の で,発 展 し た ア メ リカ 社 会 学 に そ の 目標 を 置 い た の は 当 然 と も い え る 。1920年 末 か ら1940年 代 の 『社 会 学 雑 誌 』 (TheChineseJournalofsociology)や 『社 会 学 刊 』(TheSociological Journal)を 一 暼 し て 気 付 く こ と は ア メ リ カ 社 会 学 へ の 傾 倒 で あ る。1930年 頃 か ら 中 華 人 民 共 和 国 成 立 の 前 年 の1948年 ま で は ア メ リ カ ー 辺 倒 で あ っ た が,こ

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れ に は ア メ リカが キ リス ト教 会 立 の大 学 を 数 多 く中 国 に つ くった り,庚 子 留 学 制 度 を設 け た こ とに よる: これ らの大 学(キ リス ト教 会 立 の 大 学)は 清 末 期 お よび 民 国初 期 に は 中 国 政 府 の 支持 を 末 だ 得 る こ とが で きな か った 。 そ の 卒 業生 が政 府 当局 に任 用 さ れ る機 会 は極 め て少 な い。 … … 卒 業 生 が 重 要 な 地 位 を獲 得す る こ とは 困難 で あ った 。 この こ とが ア メ リカを 促 して,教 会 の 学 校 を経 営 す る方 法 を変xさ せ た 。 つ ま り,中 国 の ア メ リカに 対 す る義 和 団 賠 償 金 を 中 国 に返 還 して学 校 を 経 営 す る方法 で あ る。 これ で 中 国 政 府 当 局 が 直 接 学校 を 自営 す る こ とに な り,ア メ リカ に とって 一 層 有利 に な っ た。(韓 明漢 『中 国社 会 学 史 』,1987 年,天 津人 民 出版 社,40ペ ー ジ) ア メ リカ は プ ロテ ス タ ン トの 伝 道 と教 会 経 営 の 高 等教 育 機 関,北 京 の燕 京 大 学,南 京 の 金 陵大 学 等 ・々を 援 助 す る一 方,1908年 か ら義 和 団 賠:償金 の 自 国 の 取 り分 の一 部 を,25年 か らは そ の 全額 を,中 国 か らア メ リカへ の留 学 生 派 遣,お よびそ の 中 国 にお け る予 備 教 育 に あ て た。 本 来 は 中 国人 自身 の もの で あ る資 金 を つ か って,中 国に お け る大 きい文 化上 の利 権 を 獲 得 し,高 等 教 育 の重 要 部 分 を握 る こ とが で きた 。22年,中 国 は それ ま で の 日本 式 か らア メ リ カ式 の 六 ・三 ・三 ・四 制 へ,学 制 を 改 革 した が,こ れ はそ の 一 つ の 画期 で あ った 。(小 野 信 爾r人 民 中国 へ の 道 』,1977年,講 談 社 現 代 新 書,176ペ ー ジ) 孫本 文 の1947年12月 の調 査 か らみ る と,当 時 中 国 の大 学 に は145人 の社 会 学 の教 員 が いた が,8名 の ア メ リカ人 を除 く中 国人 教 員137人 の うち,109人,実 に80%が 留 学 経 験 者 で あ った。 留 学 生 の うち,ア メ リカ留 学 は74名 で,留 学 経 験 者 の70%を 占め,第2位 フ ラ ンス の11名,第3位 日本 の10名 を は る か に凌 い ゆ で いた こ とが わ か る。 この よ うな知 識 人 の留 学 を 指 して,毛 沢 東 は 「中 国人 民 の精 神 を 迷 わ せ,ま た そ れ を緩 め る こ とも し な い。 これ が つ ま り,か れ らの文 化 侵 略 政 策 で あ る。 布 教,病 院 経 営,学 校 経 営,新 聞 発行 お よび留 学 生 を 引 き 一111一

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佛教大學研究紀要通卷76號 寄 せ る とい っ た こ と,こ れ こそ が 侵 略 政 策 の 実施 で あ る。 そ の 目的 はか れ らに (2) 服 従 す るエ リー トを つ く り,多 数 の 中 国人 民 を 愚 弄 す る こ と に あ る」,ま た 「侵 略 の た め に,帝 国主 義 は 中 国 に これ まで の 旧 い文 人 や読 書 人 と違 った 新 た (3) な 数 百 万 の 知識 人 をつ くっ た」 とも い った 。 晩 年 中 国社 会 学界 との交 流 を精 力的 に 行 な った 元 目本 社 会 学会 長 福 武 直 は 当 時 の中 国 社 会 学 に つ い て 「社 会 学 の概 説 書 も,30年 代 に は か な りの数 に の ぼ っ た が,と くに私 の専 門 と した農 村 社 会 学 や 社 会 調 査 の 書 物 は,そ の刊 行 点 数 に お いて,は るか に 日本 の そ れ を上 まわ っ て いた … … 中 国 の社 会 学 は,1930年 以 降 大 き く開 花 し,分 野 に よ って は 日本 の社 会 学 以 上 の 業 績 を あ げ て い た とみ て よい し,英 文 の 刊 行物 を 通 じ,日 本社 会 学 よ りも,は るか に 国 際 的 に し られ る ゆ よ うに な って い た」 とい う。 しか し,こ の 時期,社 会 学 の 学 問的 性 格 につ いて 研 究 者 の 間 で も一 致 が あ っ た わ け で は な い 。 孫 本文 は そ の 著 『社 会 学 原 理 』(1935年)の な か で,社 会 学 につ い て2つ の誤 解 が あ る とつ ぎの よ うに指 摘 して い る: この 時 代 の 人 に も,社 会 学 に つ い て二 種 類 の 誤 解 が あ る。 そ の一 は社 会 学 を 社 会 主義 と混 同 す る 誤 解 で あ る。 社 会 学 の 発 展 の 初 期 に は 研究 者 も少 な く,社 会 学 の 知識 は あ ま りに 広 ま っ て い なか った 。 社 会 学 とい う名 前 に接 す る こ とが な い の で,こ の 種 の誤 解 が あ った 。 しか し,社 会 学 が す で に か な り 発 展 した 現 在 に お い て も この 種 の誤 解 が あ る こ とは 学 界 に とって不 幸 な こ と で あ る。 わ が 国 の 書 店 に お い て あ る社 会 学 の本 はた だ 往 々に して 社会 学 の名 を お もて に だ し,社 会 主 義 を 解 釈 した も の のみ な らず,い わ んや 社会 主 義 者 が 社 会 学 者 とい わ れ た りす る。 そ もそ も社 会 学 は一 つ の科 学 であ り,社 会 主 義 は一 つ の 主 張 で あ る。 両 者 には そ れ ぞれ 領 域 が あ り,混 同す る こ とは許 さ れ な い。 この わ た しは 決 して 社 会 主 義 を研 究 す る こ とに反 対 す る もの で は な い,社 会 主 義 を 社 会 学 とし て社 会 学 を社 会 主 義 と混 同す る こ とに反 対 す るの で あ る。 そ の 二 は 社 会 学 を 一 つ の 唯物 史 観 とす る誤 解 で あ る。 最 近,社 会 学 が 研 究 す る学 理 を 一 種 の 史 観 とす る人 が あ るが,こ れ はmの 主 観 的 な 見解 で あ る。 わ た しは しば しば いわ ゆ る唯 物 史 観 社 会 学 な ど とい う名 称 を 聞 く

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が,そ もそ も社 会 学 は 科 学 で あ り,科 学 が 研 究 す る対 象 は客 観 的 な現 象 で あ る。 科 学 老 の 任 務 は 科 学 的 方法 を用 い て 客 観 的 な 現 象 を分 析 す る こ と で あ る。 つ ま り,物 は 物 で あ り,心 は心 で あ り,文 化 は文 化 であ る。 は じめ に い か な る 予 断 も もた な い とい う見解 で あ る。 科 学 者 は肉 眼 で客 観 的 現 象 の 真 相 を分 析 す るの で あ って,色 眼鏡 で事 物 を観 察 す る も の で は な い。 ゆ え に科 学 者 の 態 度 は客 観 的 で あ り,事 物 の 実 在 に 合わ せ て 見解 を移 す の であ って,事 物 を主 観 的 見解 に合 わ せ る もの で は な い 。最 近,社 会 学 者 は文 化 と社 会 生 活 との 密 接 な 関係 を理 解 し,文 化 を重 視す る分 析者 は ただ 客 観 的 な文 化 の 分 析 を 重 視 して い る。 社 会 現 象 の 真 相 を理 解 す る た め に,は じめに 主 観 的 な見 解 .. を も って は い け な い。 社 会 現 象 を 解 釈 す るか な め は観 点 は観 点 として,科 学 は 科 学 と して,両 者 を混 同 して 論 じな い こ とで あ る。 わ た しは唯 物 史 観 を 研 究 す る こ とに反 対 す る の では な い,唯 物 史 観 で社 会 学 を解 釈 し,社 会 学 を 一 種 の史 観 とす る主 観 的 見解 に反 対 す るの で あ る。(孫 本 文 『社 会 学 原 理 』, 1935年,商 務 印 書 館,631∼2ペ ー ジ) 上 の 社 会 学 につ い て の考 え方 は,当 時 の 欧米 で社 会 学 の教 育 を 受 け た 研 究 者 の 考 え 方 を代 表 して い る。 しか し,こ の 孫 本文 の社 会 学 観 は新 中 国 で は,徹 底 的 に 批 判 され る こ とに な る。 とい うの も,厂 孫 本文 は欧 米 の社 会 学 こそ 正 統 で あ り,学 問 的 で あ り,科 学 で あ る と して,社 会 主 義 は主 張 で あ り,観 点 で あ り,社 会 運 動 で あ る とい っ て,社 会主 義 や 唯物 史 観 を理 解 して い な い」 か ら と くらラ い う。 因 み に,孫 本 文 は1957年 の 反右 派 闘 争 の な か で 「ブル ジ ョア社 会 学 の 復 活 に 反 対 す る」(堅 持 反 対 資 産 階 級 社 会 学復 僻)と い う文 章 を 書 き,こ れ まで の 自分 の 研究 の反 動 性 を認 め,そ の す べ て を否 定 した。 そ して,マ ル クスeレ くの 一 ニ ン主 義 が社 会 学 に取 って替 わ る とした 。 新 中 国 は,社 会 学 の存 続 を許 さな か った 。 そ れ は1979年3月 まで 続 い た の で あ る。 一113一

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佛歡大學研究 紀要通卷76號 2.新 中 国 成 立 以 後 の社 会 学 一 大 学 改 造 の な か で の社 会 学 1949年10月1日,中 華 人 民共 和 国が 成 立 した 。 中 国 共産 党 は新 中 国 として の 国 家 の統 一 と改 造 に取 りか か った が,そ の 時 国 家建 設 と経 済 発 展 計 画 の モデ ル に な った の は ソ連 で あ った。 ソ連 を モデ ル に した こ とは 中 国 の社 会 学 の廃 止 に 対 して も大 きな影 響 を及 ぼ した。 とい うの も,ソ 連 は1930年 代 にす で に社 会 学 部 を廃 止 し,社 会 学 の 研究 も禁 止 して い た か らで あ る。 な お,ソ 連 は1956年 の 第20回 ソ連 共 産 党 大 会 で の ス タ ー リ ンの 独裁 政 治批 判 と とも に 雪 解 時 代 を 迎 } ,社 会 学 も回復 した 。 新 中 国 は 厂ソ連 の お 兄 さん に学 べ 」(学 習 蘇 聯 老 大 哥)と い うス ロー ガ ンの も とに ソ連 一 辺 倒 に な っ て い く と ともに,そ の一 方 で 帝 国主 義,資 本 主 義 を 徹 底 的 に批 判 す る政 策 を とっ た。 この 政 策 を確 固 な もの に した の は,1950年 の 朝 鮮 戦 争 で あ った 。 「ア メ リカ に抵 抗 し,朝 鮮 を 援 助 し,家 を 保 ち,、国 を 衛 ろ う」(抗 美 援 朝,保 家 衛 国)と い うス ロー ガ ンが 掲 げ られ,ア メ リカが 帝 国主 義,資 本 主 義 の 目にみ}る 最 大 の 敵 国 に な っ た。 これ は新 国家 の凝 集 性 を 高 め る の に大 きな 機 能 を 果 した 。 この よ うな社 会 的,政 治的 状 況 の なか で,新 中 国 成 立 以 前,ア メ リカ社 会 学 一 辺 倒 で あ っ た 中 国 の社 会 学 に生 き残 れ る運 命 は な か った 。 新 中 国 の人 民 政 府 教 育 部 は,1949年11月17日,「 華 北 区 お よび 北京 ・天津 地 区19高 等 教 育 機 関 責 任 者 会 議 」 を 開 催 し,高 等 教 育 の改 造 につ いて 討論 した。 この会 議 で,改 造 の方 向 は 国家 建 設,と くに経 済 建 設 にす べ て奉 仕 す る こ とに あ る と した 。 目下 の課 程 改 造 のキ ーポ イ ン トは,① 政 治 科 目を 強 化 す る こ と, お よび 実 務 科 目を 建 設 の需 要 に合 わ せ る こ と,② 学 校 の指 導 者 は政 府 の文 教 政 (7) 策 を性 格 に掌 握 しなけ れ ば な らない こ とで あ っ た。 続 い て,同 年12月23∼31日 に,教 育 部 は 第1回 全 国教 育 会 議 を 開 催 した。 この会 議 で全 国教 育 工 作 の 総 方 針 を確 定 し,旧 い教 育 方 針 を 改 造 し,新 た な教 育 をす す め,発 展 させ る方 針 を くの 明 確 に した 。 そ の 要 点 は 全 部 で8項 目に ま と め ら れ て い る が,大 学 の 改 造 と い う点 か ら重 要 と思 わ れ る1,5,6,7を つ ぎ に み て お き た い:

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1.中 華 人 民 共 和 国 の 教 育 は新 民主 主 義 教 育 で あ る。 そ の主 要 な任 務 は人 民 の文 化 水 準 を 高 め,国 家建 設 の人 材 を養 成 し,封 建 的,買 弁 的,フ ァ ッシ ョ的 思 想 を 一 掃 し,人 民 に奉 仕 す る思 想 を 発 展 させ る こ とで あ る。 この新 た な 教 育 は 民 族 的,科 学 的,大 衆的 教 育 であ り,そ の 方法 は理 論 と実 際 を 一 致 させ る こ とで あ り,そ の 目的は人民へ の奉仕であ る。第一に労働者, 農 民,兵 士 へ の 奉 仕 で あ り,当 面 の革 命 闘 争 と建 設 へ の 奉 仕 で あ る。 建 設 の た め の新 教 育 は す で に 解放 され た 地 区 の新 教 育 経 験 を 基 礎 と して,旧 教 育 の 有 用 な経 験 を 吸 収 しな け れ ば な らな い。 と くに,ソ 連 の進 んだ 教 育建 設 の 経 験 の 力を 借 りな け れ ば な らな い。 5.新 解 放 区 の教 育 活 動 の 鍵 は 知識 分 子 の獲 得,団 結 そ して 改造 で あ る。 必 ず し っか り と正 確 に 知 識 分 子 を 獲 得 し,団 結 させ,改 造 す る政 策 を実 行 し な け れ ば な らな い。 以 前 か らあ る学 校 を そ の ま ま維 持 し,次 第 に可 能 で, 必 要 な改 善 の方 針 を つ くる。新 区 の学 校 が 落 ち着 いた あ と の 主 要 な 工 作 は,効 果 的 に教 師 と学 生 に 政 治 思 想教 育 を進 め て,か れ らが 次第 に革 命 的 人 生 観 を形 成 す る よ うにす る こ とで あ る。 新 区 で は,失 業 知識 分 子 と勉 学 の 機 会 を失 った 青 年 に対 して妥 当 な身 の振 り方 を考 え なけ れ ば な らな い。 6.中 国人 が 経 営 して い る私 立 学 校 に対 して は,保 護 維 持 し,指 導 を強 め, 次 第 に 改造 す る方 針 を採 用 す る。 7.旧 思 想 を改 造 す る こ とは 並 大 抵 で な い 困難 な任 務 であ り,比 較 的長 期 に わ た る過 程 で あ る。 必 ず 各 級 の 教 育 の不 断 の 改革 を経 て,比 較 的成 果 が あ が っ た経 験 を積 んだ あ と,は じめ て比 較 的 全面 的 な改 革 を 行 な う こ と が で き る,急 い で は い け な い 。(中 央 教 育科 学 研 究 所 編 『中華 人 民共 和 国教 育大 事 記 一1949∼1982-』,1984年,教 育 科 学 出版 社,8∼9ペ ー ジ) 上 の5の も とに,新 解 放 区 は相 次 い で 人 民 革 命大 学,南 下 工 作 団 お よび 訓 練 班,夏 期 学 習 団 を 開設 した。 新 解 放 区 は 革 命 に 身 を 投 げ た多 くの青 年,学 生 そ して さ ま ざ まな 知識 分 子 を 吸収 した 。1949年 の1年 間 に,こ の活 動 に加 わ った 幹 部 は40万 人 余 りで あ る。 社 会 学 専 攻 の 教 員 ・学生,知 識 人 の多 くも この 革 命 一115一

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佛歡大學研究紀要通卷76號 ゆラ 活 動 の 一 翼 を 担 っ た 。"この 活 動 は 知 識 人 に と っ て,ど の よ う な 意 味 を も つ の か 。,費孝 通 は そ の 著 『わ た し の こ の 一 年 』(我 這 一 年,1950年)の な か で,っ ぎ の よ うに い う: わ た しの よ うに 革 命 の 隊 列 に積 極 的 に参 加 し なか った 知識 分 子 は,深 い潜 在 的 な 活 力 に つ い て 不 慣 れ で,よ くわ か らない 。 容 易 に理 解 で きな い こ とす らあ る。 だ か ら,歴 史 の 発展 につ い て 自信 が な か った し,人 間が 生 まれ 変 わ る こ とに つ い て も確 信 が もて な か った 。 この ほ んの 少 しの差 が大 き な違 い に な った が ゆ}に,世 界 の局 面 に対 す るわ た しの これ ま で の 評 価 は 誤 って い た 。 … … 思 想 の 改造 は 長期 にわ た る もの だ 。 わ た しの よ うにす で に40歳 を 越 xた 人 間 は 旧 社会 の 薫 陶 を受 けた し,そ の うえ 過 去10数 年 来 旧社 会 で 仕 事 を して きた 。 伝 統 的 な 知識 分 子 の性 格 が 必 然 的 に 骨 の 随 まで しみ 込 んで い る。 す ぐに 身 も心 もす っ か り入れ か わ る とい うの は 何 と奇 怪 な こ とでは な いか 。 … … わ た しは この種 の 改造 に全 霊 全 身 で 打 ち込 み半 年 が 過 ぎた。 討 論 会 に も 学 習会 に もす べ て 出 席 した。 結 果 は ど うか 。 ひ ょっ とす る と向上 を 願 った こ と以 外 に は,や は りは っ き りさせ る こ とが で きな い か も しれ な い。 個 人 は 機 嫌 を そ こね,団 体 は 向上 を 叫 ぶ。 会 議 に 出 るの に 忙 し く,本 を読 む 時 間 も, 新 聞 を み る 時 間 もな い,会 議 に 出 るの に 忙 しい 。 … …知 識 分 子 の 旧 い思 想 な どの 思 想 改造 の 妨 げ に な る荷 物 は重 く,伝 統 的 な 思 想 も深 刻 で あ る。 この よ うな 思 想 改造 の 妨 げ に な る も の は一 つ 一 つ あ らわ に しな けれ ば な らな い,そ の う7i..でこの 荷物 を 徹底 的 に取 り除 く必 要 が あ る。1年,2年,10年,20年 とい っ た道 程 が あ る。 一 つ の思 想 の 源 流 を 指摘 し,そ の思 想 改 造 の妨 げ に な る もの を捨 て去 り,一 歩 進 む 。 この道 程 は一一歩 一歩 進 む も の であ って,翼 は な い,飛 ぶ こ とは必 要 な い。 歩 き さ えす れ ぽ い い のだ が,歩 け る道 程 は や は り一 目 とい う長 さ で あ る。 「直 ち に石 を 金 に 変 え る と 思 わ な い」,す な わ ち,こ れが わ た しの この1年 の収 穫 に過 ぎな い 。(費 孝 通r我 這一 年 』,1950 年,三 聯書 店,6∼12ペ ー ジ) A.イ ンケ ル ス はそ の著 『社 会 学 とは な に か 』 の なか で,当 時 の 中 国 社会 学

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の 状 況 お よび孫 本 文 が ア メ リカの 社 会 学 者 に 宛 て た手 紙 を つ ぎ の よ うに紹 介 し て い る: 共 産 党 が 政 権 を 取 る 以 前,中 国 で は1,000人 以 上 の 学 生 が,約140人 の 大 学 教 授 の も と,大 学 や 学 院 で,社 会 学 を 学 ん で い た 。 新 政 権 は こ の 活 動 を い っ さ い な く し て し ま い,社 会 学 を マ ル クス 主 義 の 新 た な 科 目 に 入 れ 替 え た 。 当 時,ま だ 多 くい た 社 会 学 者 は,過 去 の 職 業 の ゆ え に,冷 淡 な あ つ か い を 受 け た 。 新 政 権 以 前,社 会 学 原 理 等 の 重 要 な 論 文,著 作 を も つ 孫 本 文 博 士 は,著 作 を 送 っ て くれ る よ う に 頼 ん だ あ る ア メ リ カ の 社 会 学 者 に つ ぎ の よ うな 人 を 落 胆 さ せ る よ う な 返 事 を 書 い た 。 「わ た く し は,つ い に 自分 の 著 作 が 一 文 の 価 値 も な い こ とを 理 解 し ま し た の で,お 送 りす る こ とが で き ま せ ん 。 過 去 わ 'た く し は,K.マ ル ク ス の 著 作 の 学 習 を 軽 視 し て き た の で,現 在 毎 日多 くの 時 間 を マ ル ク ス の 著 作 の 学 習 に 割 い て い ます 。 ど うか,も う再 び 手 紙 を 寄 こ さ な い で 下 さ い 」。(lnkeles,Alex,WhatisSociology,1964,Prentice-Ha11,陳 観 勝 ・李 培 茱 訳r社 会 学 是 什 麼 』,1981年,中 国 社 会 科 学 出 版 社, 170ペ ー ジ) この よ うに知 識 人 に 対 す る思 想 改造 と,大 学 の カ リキsラ ム改 造 は 同 時進 行 で あ った 。 「社 会 学 は そ の 特殊 性 の た め に,1949年 の大 学 教 育 会 議 で 配付 され た法 学 院,文 学 院 の 課 程 の 改 革 方 案{資 料 未 入 手 … …星}の なか に は,社 会 学 に つ い て は,そ の 他 の 社 会 科 学 の よ うに分 科 列 挙 が な く,原 則 的 な指 示 が な さ れ て い るだ け であ る。 そ のた め に,こ れ ま で多 くの憶 測 が お こ り,甚 だ しい ば ゆ あ い は,社 会 学部 は直 ち に廃 止 され るか も知 れ な い と考 え た もの が あ る」。 と い うの も,過 去20年 余 り中 国社 会 学 は ア メ リカ社 会 学,つ ま りブル ジ ョア社 会 学 と深 くつ なが っ て い た か らで あ る。 また,学 派 を超 越 し,新 中 国 の指 導 理 念 ロめ に な った マル クス主 義 は社 会 学 を 必 要 としな い と も考}ら れ た か らで あ る。 高 等 教 育 の再 組 織 と改 造 は,社 会 学 と社 会 学 者 の 地 位 に 影 響 を及 ぼ しは じめ た。 改 造 が 始 まれ ば,大 学 で社 会 学 が 生 き残 れ るか 否 か は 疑 わ しか った。 社 会 学 が生 き残 る こ とが 危 な くな った時,社 会 学 者 達 は 社 会 学 の 重 要 性 を 強調 した 一ii7一

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佛數大學研究紀要通卷76號 り,非 常 に意 欲 的 な社 会 学 の プ ラ ンを 作 成 した りして,社 会 学 の地 位 を 守 ろ う ゆ と した。 精 華 大 学,燕 京 大 学,輔 仁 大 学 の社 会 学 の教 授 らは1950年 に 討 議 を 行 い,高 等 教 育 に お け る社 会 学 の役 割 に つ い て か れ らの意 見 を提 出 した 。それが つ ぎ の文 章 であ る: わ れ わ れ は,一 致 し て,今 後 の社 会 科 学 の基 礎 が,マ ル クス=レ ー ニ ン主 義 であ る こ とを み とめ る。 そ れ故,政 治学 ・経 済 学 ・歴 史 学 お よび哲 学 の い つ れ を とわ ず,ひ と し く一 つ の共 通 した基 礎 を もつ べ きで あ って,そ れ らの 学 問 は,い つ れ も この 共通 の基 礎 の うえ に発 展 して きた 一 つ の専 門(重 点) にす ぎな い の で あ る。 した が って,い ま まで の よ うな,各 学科 が,完 全 に分 離 独立 した状 態 で維 持 され て は な らな い。 こん ごは,当 然各 科 とも交 流 しあ って,徐kに,一 つ の社 会 科 学 部 を 実 現 す べ きで あ り,現 在 あ る各 学 科 は, や が て この学 部 の な か の,一 つ の専 門(一 個 重 点)と な ら な け れ ば な らな い。 そ の時 に は,現 在 あ る社 会 学 科 の 講 座 の お もな もの は,本 学 部 の一 つ の 専 門(重 点)と な る こ とが で き る。 現 在,法 学 部 お よび文 学 部 の一 部 分 は, まだ 社 会 科 学 部 と して合 併 され るべ き条件 が そ ろ っ て い な い。 そ の他 の社 会 科 学 的 な性 質 を も っ て い る学 科 が,な お,わ か れ て存 在 して い る と き に,社 会 学 科 だ け が,そ の 前 に解 消 す る必 要 は な い。 それ ど こ ろか,社 会 学 科 み つ か らが 基 礎 とな って,マ ル クス=レ ー ニ ン主 義 の 基 本 的 な 理 論 講座 を 強 化 し,あ わ せ て,将 来 の社 会 科 学部 の た め に,準 備 的 な仕 事 をす る こ とが で き る。(費 孝 通 「社 会 学 科 を ど う改 造 す るか 」(社 会 学 系 怎 様 改造),『 大 学 的 改 造 』 所 収,1950年,上 海 出版 公 司 。 高 浜 介 二 ・道 満 悦 子共 訳 「社 会 学 科 を ど う改 造 す る か 」 『社 会 学 評論 』,17号,日 本社 会 学会 編1954年,93ペ ー ジ) この文 章 か らわ か る よ うに,社 会 学 者 は 社 会 学 の理 論 的 基 礎 と して マル クス eレ ー ニ ン主 義 を受 け 入 れ た。す でに単 なる一つの学派 で あ る こ とを超越 し て,一 国 の指 導 原 理 とな った マル クス=レ ー ニ ン主 義 を否 定 す る こ とは 不 可 能 な こ とであ った 。 しか し,社 会 学 者 は社 会 学 の廃 止 につ いて は 抵 抗 を 示 した 。 費 孝 通 らは 社 会 学 科 の 新 たな 基 本 方 針,具 体 的 な カ リキxラ ムか ら,単 位 の 配

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なの 分 表 に至 る まで,高 等 学 校 課程 改 革 委 員 会 に 提 出 した 。 これ らの社 会 学 者 の提 案 は完 全 に は 受 け 入 れ られ な か っ たが,一 先 ず 社 会 学 部 の 地位 は保 障 され ・ 社 会 学 部 の 役 割 は つ ぎの よ うに規 定 され た 。 す な わ ち,社 会 学 部 は政 府 お よび そ の他 の 関 係 機 関(内 務 部,労 働 部,民 族 事 務 委 員 会 な ど)が 必 要 とす る幹 部 を 養 成 す る こ と,お よび 高 校 以 上 の教 師 を養 成 す る こ とで あ る。 社 会 学科 も含 ま れ る法 文 両 学 部 の全 学 科 の課 程 の 原 則 は,理 論 と 実 際 を 結 び つ け る よ うに, また 教 条 主 義 と狭 隘 な実 用 主 義 を避 け る よ うに,で き るだ け 努 め なけ れ ば な ら な い。 革 命 の政 治課 程 を法 文 両 学 部 の 第 一 に重 要 な基 本 的 な課 題 とし,か つ ま た 科 学 的 観 点 と方法 で そ の他 す べ て の課 程 を確 実 に改 造 す る。 法 文 両 学 部 の 共 通 必 須科 目は 社 会 発展 史,新 民主 主 義 論 政 治 経済 学,国 文 と文 章 教 育,外 国 語,中 国 近代 史,卒 業 論 文 また は 課題 報 告 な どで あ る。 社 会 学 科 は,理 論, ロの 民族,内 務,労 働 の4科 目が 必 須 に指 定 され た 。 G.W.ス キ ナ ーに よれ ぽ,高 等 学校 課 程 改 革 委 員 会 に よ って勧 告 され た社 会 学 部 の 課 程 はつ ぎ の8つ の科 目か ら構 成 され て いた: 1.社 会 現 象 の発 展 の動 態 につ い て,社 会 の生 産 力 と生 産 関 係 につ い て,そ して この生 産 関係 に 由来 す る上 部 構造,す なわ ち法,政 治,家 族,宗 教, 哲 学 につ い て の唯 物 主 義 社 会 学 2.社 会 学 研 究 の方 法 論 3.社 会 統 計 4.近 代 世 界 史 5.社 会 の各 部 門 の新 民 主主 義 の実 際 に対 処 す る中 国 社 会 の 条件,各 社 会 階 級 の 性 格 と階 級 間 の関 係 6.人 類 学,「 労 働 は ど の よ うに人 間 を創 るか 」 につ いて,「 古 代 社会 一 そ れ は.なぜ 末 開 社 会 の人 間が あ る段 階 か ら別 の段 階 に変 わ るの か を 含 ん で い る一 」 に つ い て,「 人 間 の社 会史 の発 展 一 そ の 目的 は社 会 発 展 の 規 則 性 を 証 明 す る こ と一 」 につ い て の人 類 学 7.政 策 と法 8.マ ル クス=レ ー ニ ン主 義 の名 著 選 読 一119一

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佛 教 大 學 硯 究 紀 要 逋 卷76號 (Skinner,G.William,1951,"TheNewSociologyinChina,Far EasternQurterly,voL10,no.8,PP.365∼71.た だ し,こ こ で はWong, S.L.,1979,Sociology ,andSocialisminContemporaryChina,RKP, PP.39∼40に よ っ た) 上 の高 等 学 校 課 程 改 革 委 員会 の勧 告 は,マ ル クス=レ ー ニ ン主 義 お よび実 用 ロの 性 の強 調 で あ る。 結 局,教 育部 は 高等 教 育 につ いて3回 の調 整 を行 な っ た。 第 1回 目は,1951年11月 の工 学 院 の調 整 と1952年7月 の農 学 院 の調 整 で あ る。 両 学 院 の調 整 は,そ の後 の学 部 や 学 科 の大 規 模 な 調 整 の前 奏 で あ った 。 第2回 目 は,1952年12月,教 育 部 は全 国 の高 等 教 育 機 関 の 調 整活 動 を進 め た 。 これ は ソ 連 の先 進 的 な教 育経 験 を主 な 内容 とす る改 革 運 動 で あ っ た。 こ の第2回 目 の調 整 で,社 会 学 部 は 中山 大 学 と雲 南 大 学 の2校 だ け で,在 学 生 は110人 に な った 。 そ して,1953年10月11日 の 第3回 目の調 整 で,上 記 の両大 学 の社 会 学 部 も廃 止 に な った 。 3.新 中 国 成 立 以 後 の 社 会 学 一 反 右 派 闘 争 の な か で の社 会 学 反 右 派 闘争 が は じま った。1957年6月8日 の こ とであ る。1956年5月 か らは じま っ た 中 国共 産 党 の知 識 人 に対 す る 厂百 花斉 放,百 家 争 鳴 」 の 呼 び か け,そ して民 主 諸 党 派 に対 す る 「長期 共 存,相 互 監督 」 の提 案 は,か れ らか らの 予 想 外 の中 国 共産 党 批 判,毛 沢 東 批 判,社 会 主 義 体 制 批 判 へ と拡 大 して きた か らで あ る。章 伯鈞 の共 産 党 以 外 の 民主 党 派 も政 権 を担 う ことが で きる とい う輪 流執 政(順 番 に政 治 を担 当 す る)の 新 た な政 治 体 制 を つ くる提 案 もあ っ た。 言 者 無 罪 で あ っ た はず な の に,党 批 判,毛 批 判,体 制 批 判 を行 な っ た も の は,す べ て 右 派 分 子 の烙 印を 押 され た 。 そ の 数,80万 人 とい わ れ る。 こ こで,百 花 斉 放, 百 家 争 鳴 と反 右 派 闘 争 の もつ 政 治 的 背 景 を 述 べ る意 図 は な い。 た だ,ソ 連 共 産 党 第20回 大 会(1956年2月)で の ス タ ー リン批 判 お よび中 国共 産 党8回 大 会 で の個 人 崇 拝 的 要 素 の 排 除(党 規 約 か らの 毛 沢東 思想 とい う用 語 の 削 除)に 起 因 す る毛 沢東 と劉 少奇 お よび 鄲 小平 との権 力 闘争 の二 つ を 指 摘 して お きた い 。 一120一

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反 右 派 闘 争 で 右 派 分 子 の 烙 印 を押 され た なか に,著 名 な多 くの社 会 学者 が い た 。 陳 達,呉 景 超,費 孝 通,潘 光 旦,呉 文 藻,李 景 漢,趙 承 信 らで あ る。 か れ らが,百 花 斉放,百 家 争 鳴 に応 じて 発 言 した社 会 学 の復 活 の要 求,新 中 国成 立 以 前 の か れ らの社 会 学 の著 作,か れ らの 何 人 か が発 言 した社 会 体 制 批 判 が 右 派 と され た 。 「r右派 分 子 』 の レ ッテ ル を張 られ る と,公 式 の行 事,会 議,集 会 に 参 加 で きず,外 国 人 との接 触 も許 され な い。 い わ ば 法 律 に よらな い一 種 の処 なの 分 を うけ た の で あ る」。 さ らに,呉 景 超 のば あ い を 具 体 的 に い うと降級 減 俸, 思 想 の検 討,自 己批 判,思 想 改 造,集 団 学 習 な どの処 罰 が な され た 。 そ の 上, ロの 再 び社 会 主 義 学 院 へ 派遣 され改 め て学 習 させ られ た 。 右 派 の 学 者 を批 判 す る際 の 基 本的 な骨 子 を,郭 洙 若 と胡 縄 の つ ぎの文 章 で確 認 して お き た い: 学 術 研 究 は 学 術 研究 で あ っ て,学 術 研 究 の名 を借 りて,反 共,反 社 会主 義 活 動 を行 な うこ と とは また別 な こ とで あ る。 学 術 研 究 と政 治活 動 の 間 には 明 確 な境 界 線 が あ り,こ の 線 は絶 対 に か き乱 す こ とが で きな い。 今,一 部 の右 派 分 子 は この境 界 線 を こ っち ゃにす る こ とを 企 図 して い るが,こ れ は 白黒 を 逆 さ まに し,世 間 の耳 目を 乱 し て お り,許 され な い こ とで あ る。(郭 洙 若 「社 会 科 学界 の反 右 派 闘争 を さ らに 一歩 進 め よ う」(社 会 科 学 界 反 右 派 闘 争 必 須 進 一 歩深 入)『 反 対 資 産 階 級 社 会 科 学復 僻一 中 国科 学 院 召 開 的 社 会 科 学 界 反 右 派 闘 争 座 談 会 発 言集 一 』(第 二 輯)所 収,1958年,科 学 出版 社,10ペ ー ジ) 右 派 分 子 は ブル ジ ョア 社会 科 学 を 回復 させ よ う とい う題 目の も とに,共 産 党,社 会 主 義 に 向 か って 攻 撃 を して い る。 かれ らの意 図 は反 動 的 ブル ジ ョア 社 会 科 学 を マ ル クス=レ ー ニ ン主 義 の指 導 に取 っ て か}る こ とにあ る。 ブ ル ジ ョア社 会 科 学 を わ れわ れ の 国家 の 工 作 の指 揮 に し よ う とす る。 わ れ わ れ 人 民 大 衆 を 迷 わ せ よ うとす る。 これ に よ って,共 産 党 の 指 導 を転 覆 させ,わ れ わ れ の 国 家 を 社 会 主 義 の 軌道 か ら離 し,資 本 主 義 の 軌 道 を 走 らせ る 目的 を も って い る。 一121一

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佛數大 學研究紀要通卷76號 これ らの 右 派分 子 は かれ らの反 動 政 治 の面 目を,学 術 問題 の衣 を 着 て,と りた て て社 会 主 義,共 産 党 に反 対 し な いで,た だ マ ル クス主 義 に は,あ れ や これ や の短 所 が あ り,ブ ル ジ ョア 社 会 科 学 に は あれ や これ や の 長 所 が あ る と い い,さ らに ブ ル ジ ョア社 会 科 学 で マ ル クス主 義 を補 充 した り,発 展 させ よ う と考}て い る。 わ れ わ れ は,「 あ な た た ち の 問題 は まず 第 一 に こ こに は な く,あ なた た ち の反 動 的 な 政 治 的立 場 と政 治 目的 にあ る」 こ とを 指摘 す る。 これ らの 右 派 分 子 は,政 治 の うxで は,反 動 的 ブル ジ ョア階 級 の立 場 で共 産 党 と社 会主 義 に反 対 し,学 術 の うえで は,ブ ル ジ ョア社 会 科 学 で マル クス 主 義 に 反 対 す る。 政 治 と学 術 は,か れ らにあ って は 一 致 して い る。 かれ らの 社 会科 学上 の反 動 的 立 場 は,か れ らの 政 治 上 の 反 動 的 立場 に よっ て,決 定 さ れ て い る。 か れ らの学 術 上 の誤 った 観 点 は,反 動的 な政 治 目的 の た め に 奉 仕 す る と ころ に あ る。(胡 縄 「プ 巨レ タ リア階 級 の 世界 観 の徹 底 的 勝 利 を 勝 ち と る」(争 取 無 産 階 級 世 界 観 的徹 底 勝 利),『 棗 下 論 叢 』(増 訂 版)所 収,1978 年,人 民 出版 社,210ペ ー ジ) 因 み に,胡 縄 は,1986年4月26目,中 国社 会 科 学 院 長 と して,中 国社 会 学 会 常 務 委 員 会 で 講 話 を行 な い,中 国社 会 学 の廃 止 の 理 由 と して,史 的 唯 物 論 を も って 社 会 学 に 代 替 で きる とみ な した こ と と,革 命 が 勝利 した か らに はす べ て の ロ  社 会 問題 が ス ラス ラ と解 決 され る とみ な した こ との2つ の理 由を あ げた 。 こ こで,共 産 党 に よっ て当 時 の 右 派反 動 の 代表 的論 文 であ る とされ た 呉 景 超 の 厂社 会 学 は新 中国 で まだ 地 位 が あ るか」(社 会 学 在 新 中 国 還 有 地 位 馮?)お よび費 孝 通 の 「社 会 学 の た め に語 る」(為 社 会 学 説 幾 句 話)は どの よ うな 内 容 であ り,そ れ が どの よ うに 鏡判 され たか を み る。 呉 景 超論 文 「社 会 学 は新 中 国 で まだ地 位 が あ るか」 は全 文 を あ げ,費 孝 通 論 文 「社会 学 の た め に語 る」 は筆 ロの 者 が す で に訳 出 して い る の で,重 要 部 分 の み を あ げ,そ れ ぞれ 論 文 内容 お よび 批判 の要 点 を指 摘 した い。 な お,費 孝 通 お よび 呉 景超 と共 産 党 との 間 で,社 会 学 の性 格,そ の復 活 につ いて 議 論 が 展 開 され た わ け で な い ので,費 孝 通 お よび 呉 景 超 の い う社 会 学 と共 産 党 の い う社 会 学批 判 とは一 致 し ない 。 しか し,共 産 党 の い う社 会 学 批 判 は20年 以 上 後 に,逆 に否 定 され た 。1973年3月,胡 喬 木 は

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党 中央 を 代 表 して 社 会 学 が一 つ の学 問 であ る とい う議 論 を 否 定 し,粗 暴 な方 法 で社 会 学 の 存 在 お よび 発 展 を 禁 止 した こ とは誤 りで あ っ た と述 べ た(「 人 民 日 報 」1979年3月21日 付)。 まず,呉 景 超 論 文 「社 会 学 は新 中 国 で まだ 地 位 が あ る か」 を み よ う: 1956年10月19日 の プ ラ ウ ダに,ソ 連 科 学 院 通 信 院 士 の費 多 塞 也 夫 が 書 い た 文 章 は,国 際社 会 学 会 第3回 会 議 の 状 況 を伝 え て い る。 この会 議 には,57力 国 の500名 が 参 加 し,そ の中 に は,ソ 連 お よび東 ヨー ロ ッパ の代 表 も含 まれ て いた 。 この記 事 に は,会 議 で マル クス主 義 者 と非 マ ル クス主 義 者 が 思 想 闘 争 を行 な った こ とが載 って い る以 外 に,記 事 の 末 尾 で 特 に つ ぎの一 点 を 指 摘 して い る 。 す な わ ち,西 側 国 家 の社 会 学 者 は 労働,文 化,生 活,家 族,道 徳,都 市 お よび 農 村 に つ い て の大 量 の発 表 を した が,し か し これ らは,ソ 連 や人 民 民 主 国家 に は,重 視 され な か っ た。 東 側 の 社 会 科 学 者 は,西 側 の学 者 の これ らの発 表 に対 して 分 析 も,批 判 も しなか った 。 これ は東 側 の学 者 の欠 点 で あ り,早 急 に改 め るべ きで あ る 。 上 の 文 章 を読 んだ 後,ま た ポ ー ラ ン ド科 学 院 の奥 爾 格 爾 得 ・魏 得 志 と談 話 す る機 会 が あ った 。 かれ は国 際 社会 学会 に参 加 した とき の状 況 を 話 し,ワ ル シ ャ ワ大 学 の一 学 者 が この会 議 で 発表 した論 文 を わ た しに くれ た 。 当 時談 話 に 参 加 した の は,や は りかつ て 社 会 学 を や っ た潘 光 旦,厳 景 櫂 お よび 雷潔 瓊 京 らで あ る。 これ らのす べ て は,わ た しを 中 国 の社 会 学 は ど こへ 向 か っ て行 くのか とい う問 題 に 思 い を至 らせ た。 中 華 人 民 共和 国 の成 立 以前,中 国 の 多 くの大 学 に社 会 学部 が あ った 。1952 年 の 大 学 ・学部 の調 整 の後,こ れ らの 社会 学部 はす べ て廃 止 され た 。 過 去 に 社 会 学 を や った人 の大 部 分 は専 門 を 変xた 。 当然 い うまで もな いが,過 去 に 社 会 学 が 研 究 の対 象 と して きた 問 題 は,今 は誰 も研 究 して い な い。 こんな こ とで は い け な い 。社 会 学 の い くつ か の 領 域 は,た とえ ば 労働 問題 民 族 問 題 は わ た した ちの 大 学 の な か で,現 在 か つ て な か った ほ ど発 展 す る機 会 が 得 ら れ た 。 しか し,他 の い くつ か の領 域 は 今 の と ころ 適 当 な按 配 に は至 っ て い な 一123一

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佛教大學研究紀要逋卷76號 い 。わ た しは,こ こで,た だ この 按 配 に つ い て 初歩 的 な意 見 を 出 した い。 社 会 学 原 理 と現 代 社 会 学 思 潮 は,旧 社 会 学 の 核心 部 分 で あ る。 これ は史 的 唯物 論 と対 立 す る。 ブル ジ ョア 階 級 の 学 者 は,社 会 学 の理 論 を マル クス主 義 と対 抗 させ る。 そ れ ゆx,正 し くい}ば,ブ ル ジ ョア階 級 の社 会 学 は,そ の 立 場,観 点,方 法 が 基 本 的 に誤 っ て い る。 しか し,百 家 争 鳴 の 時 代 にあ っ て,わ た しはわ が 国 の哲 学 部 の な か に,や は り社 会 学 の課 程 を設 け る必 要 が あ る と考 え て い る。 この課 程 の な か で,史 的 唯物 論 の原 理 を 利 用 し て,ブ ル ジ ョア社 会 学 に対 して系 統 的 な 批 判 を 行 な うこ とが で き る。 また 同時 に,ブ ル ジ ョア社 会 学 の合 理 的 な部 分 を 存 分 に 吸 収 し,史 的 唯 物 論 を 豊 富 にで き る。 また わ が 国 の史 的 唯 物 論 者 は ブル ジ ョア社 会 学 と思 想 闘 争 を 行 な う過 程 で,マ ル クス=レ ー ニ ン主 義 の レベ ル を 向 上 させ る こ とが で き る。 さ らに,旧 社 会 学 のそ の 他 の 部 分,た とえ ば人 口理 論 お よび 統 計,社 会 調 査(都 市 社 会 学 と農 村 社 会 学 も社 会 調 査 の な か に 入 れ る こ とが で きる),婚 姻,家 族,婦 人,児 童 な どの 問 題 社会 病 理 学 の な か の犯 罪 学 は,す べ て 酌 量 して他 大 学 の関 係 の学 部 学 科 に 入 れ る こ とが で き る。 これ らの 課 程 を 開 設 す る にあ た っ て は,当 然 旧 い教 科 書 を 採 用 す べ きで な い し,講 義 にお いて も 旧 い立 場,観 点,方 法 を 採 用 す べ きで な い 。史 的 唯 物 論 の知 識 を 基 礎 に さ え して,こ れ らの問 題 を研 究 す れ ば,わ が 国 の社 会 主 義 社 会 の建 設 に対 し て, 依 然 と して役 立 つ 。(呉 景 超 厂社 会 学 は 新 中 国 で まだ 地 位 はあ るか 」 『新 建 設 』(月 刊),1957年1月 号) この論 文 の ポ イ ン トはつ ぎ の5点 で あ る,す な わ ち,① 西 側 の社 会 学 的 研 究 を東 側 の社 会 学 者 が 無 視 した こ と,② か つ て 社 会 学 が や っ て き た問 題 を 今 はだ れ もや って い な い こ と,③ 社 会 学 科 の設 置 が 必 要 な こ と,④ ブル ジ ョア社 会 学 と史 的唯 物 論 との論 争 が必 要 な こ と,⑤ 人 口理 論,社 会 調 査 な どの科 目を開 く こ との5つ の指 摘 で あ る。 この呉 景超 論 文 に対 して,組 織 的 に大 量 の批 判 が 行 な わ れ た 。1957年6月 の 反 右 派 闘争 開始 後,同 年10月 に早 くも編 集 され,翌 年1月 に 出版 され た科 学 出 版 社 編 輯部 『反 対 資 産 階級 社 会 科 学 復 僻 一 中 国 科 学 院 召 開的 社 会 科 学 界 反 右 派

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闘 争 座 談 会 発 言集 』(第 二 輯)(ブ ル ジ ョア社 会 科 学 の復 活 に反 対 す る)が そ れ であ る。 訳 出 しを は ば か る暴 言 もあ るが そ れ は 埒 外 と し よ う。 そ の なか に は,呉 景 超 論 文 に対 す るつ ぎの よ うな批 判 文 が 収 録 され て い る。 1.鄭 听 「呉 景超 の偽 りの 自己批 判 か ら話 そ う」(従 呉 景 超 的 仮検 討 説 起) 2.林 聿 時 厂呉 景 超 の 『自白』 か ら学 術 と政 治 問 題 に つ い て 語 ろ う」(従 呉 景 超 的"交 代"来 談 談 学 術 与 政 治 問題) 3.欄 鋒 「"意味不 明"と 陰 謀 一 呉 景 超 の"社 会 学 は ま だ 新 中 国 で 地位 は あ るか"を 排 斥 す る」("不 通"和 陰 謀 一 呉 景 超 の"社 会 学 在 新 中 国邃 有 地 位 瑪?") 4.許 征 帆 厂呉 景超 は 無罪 のか よわ い者 か」(呉 景 超 是 無 罪 的 羔 羊 瑪?) 5.麦 農 「呉 景超 は30年 来 ブル ジ ョア社 会 学 で共 産 党 に反 対 し,人 民 に 反 対 して きた 」(呉 景超 三 十 年 来 以資 産 階 級 社会 学反 共 反 人 民) 6.許 征 帆 厂呉 景超 が 社会 学 を や る 目的 は 反 動勢 力 に尽 力す る こ とにあ る」 (呉 景 超 摘 社 会 学 的 目的 是 為 反 動勢 力効 労) 先 に あ げ た呉 景 超 論 文 の ① か ら⑤ につ い て,鄭 听,林 聿 時,関 鋒,許 征 帆, 麦 農 らが つ ぎ の よ うな批 判 を 行 な って い る(社 会 学 にか か わ る議 論 の み取 り出 した)。 ① 「西 側 国 家 の社 会 学 者 は労 働 文 化 … … につ い て発 表 した が,ソ 連 や人 民 民 主 国 家 に は重 視 され なか った 」 とい う部 分 の,「 重 視 」 とは な にか わ か らな い とい う。 呉 は,費 多 塞 也 夫 の い う意 味 を,西 側 の社 会 学 は科 学 的 価 値 を もつ 学 問 と して重 視 せ よ とい うこ とだ と理 解 す る だ ろ うが,そ れ は誤 りで あ る。 費 多 塞也 夫 は,西 側 の社 会 学 の 「文 献」 を 重 視 し,そ れ に批 判 分 析 を行 な え と主 張 して い るの で あ る。 西 側 の 社 会 学 的 研 究 を東 側 の社 会 学 者 が無 視 した とい うのは,呉 の故 意 の誤 解 で あ る。(関 鋒) ② か つ て社 会 学 が や った 問 題 は,す べ て マル クス主 義 社 会 科 学 の研 究 対 象 に な っ て い る。 これ ま で の ブル ジ ョア社 会 学 は反 動 的 観 点 と方 法 で大 衆 を 欺 くこ とが 目的 で あ っ た が,マ ル クス主 義社 会 科 学 は プ ロ レタ リア階 級 の 立 場,方 法,観 点 で か つ て の社 会 学 が や った 問題 を や って い る。 客 観 的 法 則 を発 見 し,革 命 と人 民 大 衆 に奉 仕 す るた め に や って い る。 か つ て社 会 学 が 一125一

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佛 歡大學研究紀要通卷76號 や った 問 題 を誰 もや って い な い とい うの は,呉 の 党 と社 会 主 義 に対 す る挑 戦 で あ る 。(関 鋒) ③ 呉 自 ら 「史 的 唯物 論 を基 礎 に し て,こ れ らの 問題 を研 究 す れ ば よい」 とい って い るの に,タ イ トル は 厂社 会 学 は新 中 国 で まだ 地 位 は あ るか 」 と して い るの は,矛 盾 が あ る。 人 民 政 府 は社 会 主 義文 化 を発 展 さ せ る た め に,高 等 教 育機 関 の 学部,学 科 の調 整 を 決 定 して,大 学 の社 会 学 部 を廃 止 した の で あ る。 そ れ は十 分 理 由 の あ る こ とで あ る。(関 鋒,許 征 帆) ④ マ ル クス主 義 は 決 して 自 己 の社 会 学 を も って い な い。 社 会 学 は史 的 唯 物 論 で あ り,史 的 唯 物 主 義 社 会 科 学 で あ る。(議 論 の必 要 か ら)た だ 通 常 は 使 わ な い 「社 会 学 」 の名 称 を 用 い た だ け で あ る。 社 会 学 イ コール ブル ジ ョ ア社 会 学 で あ っ て,史 的 唯 物 論 とは 異 な る。(関 鋒) ⑤.人 口理 論,統 計,社 会 調 査,婚 姻,家 族 な どの科 目は ブル ジ ョア社 会 学 の 厂専 売 特 許 」 「他 には あ りませ ん」 とい うが,こ れ らは み な マ ル クス主 義 社 会 科 学 の研 究 対 象 と して現 在 研 究 され て い る。(関 鋒) 呉 景 超 は,1901年3月5日 安 徽 省 徽 州 生 まれ,文 革 で また もや右 派 と され, 1968年5月7日,失 意 の うち に亡 くな った 。 享 年67歳 で あ っ た。 っ ぎに 費孝 通 論 文 「社 会 学 の た め に語 る」 を み よ う。 か れ の 論 文 に対 して は,上 の 『反 対 資 産 階 級社 会 科 学 復 僻 』 の なか に,実 に10編 の批 判 文 章 が 収 録 され て い る。 批 判 文 章 の タ イ トル に 費 孝 通 の名 前 を あ げず に,文 章 の なか で か れ を 批 判 して い る も の を含 め る とそ の 倍 以 上 に な る。 一 緒 に,江 蘇 省 の 開 弦 弓 村 を調 査 した 研 究 仲 問 か らの批 判 文 章 もあ る。 こ こで は郭 洙 若 の 「社 会 科 学 界 の反 右 派 闘 争 を さ らに一一歩 進 め よ う」(社 会 科 学 界 反 右 派 闘 争 必 須 進 一 歩 深 入)の 費 孝 通批 判 を取 りあ げ る。 そ の 他 の 批 判 文 は,先 の 呉 景 超 に対 す る批 判 と基本 的 に 同 じ文 脈 で あ る。 筆 者 は 費 孝 通 の 厂社 会 学 の た め に 語 る」 を 訳 出 し した 時,そ の訳 者 註 で 厂この論 文 は,費 孝 通 が 上 海 の文 匯 報 の 記 者 の要請 に応 え て執 筆 した も ので あ る。 当時 の政 治的 な情 況 の な か で の文 章 で あ るか ら,恐 ら く深 い含 蓄 が あ ろ うが,訳 者 は 『新 しい社 会 に は研 究 を 必 要 とす る新 た な問 題 が あ り,そ の 問題 の解 決 に は,社 会 学 とい

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う学 問 が 必 要 な こ と,か つ て社 会 学 を学 んだ 経 験 の あ る人 が 必 要 で あ る こ と, そ して社 会 問 題 を 社 会 学 的 に 研究 す る機 関 が 必 要 で あ る こ と』 を訴}た 文 章 で あ る と理 解 して い る」 と述 べ た。 これ が 費 孝 通 論 文 の ポ イ ン トで あ る。 この費 論 文 に 対 す る郭 洙若 の批 判 を取 りあ げ よ う。 ① 費 孝 通 は 正 面 き って社 会 学 を 回復 させ よ うとい わ ず,「 社 会 論 査 」 を 回復 さ せ よ う とい う。 しか し,か れ の い う社 会 調 査 は,ブ ル ジ ョア社 会 学 を用 いた 社 会 調 査 で あ る。 ② 「党 と党 以 外 の 共 同 合 作 関係 」 と 厂階 級 が 消 滅 した 後 の 人 と人 の政 治 関 係 」 は非 党 員 が 共 産 党 に反 対す る こ とを扇 動 した もの で あ る。 ③ 人 民 代 表 大 会 制 の運 用 は人 民 代 表 大 会 制 度 に 代}て,ブ ル ジ ョア 国家 の国 家 制 度,た と}ば 両 院 制 の た ぐい を緩 用 す る こ とを 意 図 した もの で あ る。 ④ 民 主 諸 党 派 との 相互 監督 は民 主 諸 党 派 を 共 産 党 とは 独 立 して対 等 と し国家 の 指 導 を す る こ とを意 図 した も の であ る。 ⑤ 人 材 の 使 用 と分 配(つ ま り人 事 管 理 制 度)は 知識 分 子 の 思 想改 造 に反 対 し知 識 分 子 を 反 共,反 社 会 主 義 の道 に引 き込 む こ とを ね ら った もの で あ る。 因 み に,こ の よ うに否 定 され た 費 孝 通 の社 会 学 で あ った が,20年 後 の1979年 3月 に社 会 学 が 回復 す る際 の 中心 に な った のが 費 孝 通 で あ った 。 と い う の も 1979年3月,鄂 小 平 の 四 つ の基 本 原 則 の第 三部 分 「思想 理 論 工 作 の任 務」 の文 章 の なか に,四 つ の近 代 化 のた め に 社 会 学 の研 究 も必 要 で あ る とい った 公 式発 言 が あ っ た が,こ の発 言 以 前 にす でに4回 に わ た っ て,中 国社 会 科 学 院 規劃 聯 絡 局 か ら 委 託 を 受 けた 費 孝 通 が か つ て 社 会学 をや った 老 年,中 年 の社 会 学者30 人 を北 京 に 召 集 し,社 会 学 の研 究 を 展 開す る こ とにつ い て意 見 を 求 め て い るか ら で あ る。(な お,1978年12月 の中国共産党の第十一蝴 三中全会一会期4日 一 のかな り 前 の同年春 に,中 国社会科学院規劃聯絡局が社会学 の回復に向けて活動を始めてい るのは なぜか,確 かに1978年1月 か ら中国社会科学院では新 旧の研究所 の増設 と改革 のなかで社 会学研究 所の設置 も考えていたが もっと明確な根拠 はなにかにつ いて も関心があるが,こ れは筆者 の今後 の課題に したい) 一127一

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佛歡大學研究紀要通卷76號 お わ り に この小 論 で は 中 国社 会 学 の廃 止 に つ い て,そ の要 因 のす べ て を あ つ か うこ と を しな か った が(要 因 の範 囲を 決 め る こ と も困難 だ が),こ こで あ げ た 要 因 も 含 め て,そ れ らを箇 条書 き的 に列 挙 す れ ば つ ぎの よ うで あ る。 1.社 会 学 は資 本 主 義 社 会 の維 持,存 続 に 奉 仕 す る 学 問 で あ る。 2.社 会 学 は史 的 唯物 論 が あれ ば必 要 が な い。 3.資 本 主 義社 会 に あ る社 会 問 題 は社 会 主 義 社 会 で は解 決 さ れ る の で,社 会 学 は不 要 で あ る。 4.ソ 連 に も社 会 学 は な い のだ か ら,中 国 も要 らな い。 5.中 国 の社 会 学 者 の大 部 分 は資 本 主 義 社 会 で 養 成 され た。 6.社 会 学 者 は 学術 問題 を政 治 問題 にす りx,社 会 学 の 衣 を着 て共 産 党 批 判,社 会主 義 批 判 を 行 な った。 7.社 会 学 者 は社 会主 義 体 制 の転 換 を意 図 した。 8.社 会 学 者 は帝 国主 義 社 会 に 中 国 の社 会 清 報 を 提 供 した 。 この 小論 を 執 筆 して,今 更 な が らに 中 国 で は学 問 と政 治 が か か わ って い る こ とを 確 認 した 。 社 会 構造 の諸 構 成 要 素 の重 点 の置 き方 が 異 な る,つ ま り社 会 体 制 が 異 な るが ゆ えに 当 然 とい え ば そ の通 りで あ る。 あ る中 国 人 社会 学 者 は,社 会 学 は か つ て 「麻 煩 」(面 倒 な,不 自由 な)で あ った が,今 も同 じだ と語 る。 費 孝 通 は か つ て,1978年 に 中 国社 会 科 学 院 の座 談 会 に 出 席 した 多 くの 人 が社 会 学 を や る こ と に未 だ に 恐 怖 が あ る と発 言 した と語 った 。 そ の 恐 怖 は 今 は も うな くな った の で あ ろ うか。 註 (1)孫 本 文 『当 代 中 国 社 会 学 』,1948年,勝 利 出 版 公 司,319-27ペ ー ジ 。 (2)毛 沢 東 ほ か 「中 国 革 命 和 中 国 共 産 党 」,1939年12月 『毛 沢 東 選 集 』 第2巻,1991年6 月,人 民 出 版 社,619-30ペ ー ジ 。

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(3)、、毛 沢東 「幻 想 を捨 て て,闘 争 を 準備 し よ う」(芸 掉 幻 想,準 備 闘争),1949年8月14日 r毛 沢東 選 集』 第4巻,1991年6月,入 民 出版 社,1485ペ ー ジ。 (4)福 武 直 厂中 国 の社 会 学 とそ の復 活 」,丁 社 会 学 評論 』.第30巻,第2号,日 本社 会 学 会 編1979年,60-1ペ ー ジ。 (5)楊 雅彬 『中 国社 会 学 史 』,1987年,山 東 人 民 出 版社,328ペ ー ジ。 (6)孫 本 文 「ブル ジ ョア社 会 学 の復 活 に 反 対す る」(堅 持 反 対 資 産 階級 社 会 学 復僻)科 学 出版 社 編 輯 部 『反対 資 産 階 級社 会 科 学 復 僻一 中国 科学 院 召 開 的 社 会学 界 反 右 派 闘争 座 談 会 発 言 集 一 』(第 二 輯)所 収,1958年,科 学 出版 社,174-180ペ ー ジ。 (7)中 央 教 育 科 学 研 究所 編 『中華人 民 共 和 国教 育 大 事 記一1949-1982-』,1984年,教 育 科 学 出 版 社,6ペ ー ジ。 (8)中 央 教 育 科 学 研 究所 編,同 上,1984年,8-9ペ ー ジ 。 (9)韓 明漢 『中国 社 会学 史 』,1987年,天 津 人 民 出版 社,169-70ペ ー ジ。 ⑩ 費 孝 通 著 「社 会 学 科 を ど う改 造 す る か」(社 会 学 系 怎 様改 造),『 大 学 的 改 造 』所 収 。 1950年,上 海 出版 公 司 。高 浜 介二 ・道 満 悦 子 共 訳 「社 会 学科 を ど う改 造 す るか 」 『社 会 学 評論 』,17号,1954年,89ペ ー ジ。 た だ し筆 者 と訳文 は 異 な る 。 ⑪Wong,S.L.1979,500多oZogッandSocialisminContemporaryChina,RKP, p.38. ⑫Wong,S.L.,1979,ibid.,p.38. ⑬ 費 孝通 著,1950年 。 高 浜 介ご ・道 満 悦子 共 訳,前 掲 訳 書,1954年,95-7ペ ー ジ。 ⑭ 中 国 教 育 年 鑑 編輯 部 編 『中 国教 育 年鑑 一1949-1981-』,1984年,中 国 大 百科 全 書 出 版社,250ペ ー ジ。 ⑮ 韓 明 漢,前 掲 書,1987年,172ペ ー ジ。 ⑯ 竹 内実 『現 代 中 国 の展 開 』,1987年,日 本放 送 出 版協 会,76ペ ー ジ。 ⑰ 李 樹 青 「紀念 傑 出 的社 会 学 家呉 景超 先 生 」『社 会 研 究』,第4号,北 京 大 学 社会 学 部 編1988年,14ペ ー ジ。 ⑱ 張 萍 著,田 辺 義 明 訳 ・加k美 光 行監 訳 「中 国社 会 学一 現 状 と 課 題 一 」,中 久 郎 ・梶 谷 素 久 編 『社 会 学 グ ローバ ル』,御 茶 の水 書 房,1987年,215ペ ー ジ。新 田 光子 解 説)。 ⑲ 費 孝 通 著 「社 会 学 の た め に語 る」(為 社 会 学 説幾 句 話,1957年2月)『 費 孝 通 選集 』 所 収,1988年,天 津 人民 出版 社 。 星 明訳 厂社会 学 のた め に語 る」 『久下 陞 先 生 古 希記 念 集 』所 収,1991年 。 ¢◎ 費 孝 通 著 「社 会 学 の た め に再 び 語 る」(為 社 会学 再 説幾 句 説,1979年3月)『 費 孝通 選 集』 所 収,天 津 人 民 出 版社,1988年 。星 明訳 厂社 会 学 の た め に再 び 語 る」 『ソシオ ロ ジ』,第35巻,第1号,1900年5月,社 会 学 研 究会,91ペ ー ジ)。 付 記 この小論 は,1991年 度佛教大学海外長期研修(研 究課題 「中国社会学史 の研 究」)の成 果の一部分 をなナ。 この貴重な研究 の機会を与 えていただいた佛教大学長伊藤唯真先生を 一129一

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佛激大 學研究紀要通卷76號 は じめ,社 会 学 科 の先 生 方 お よび 関係 の 先生 方 に謝 意 を表 す る もの であ る。 ま た,小 生 を 訪 問研 究 員 と して 招聘 して くだ さ った 上 海社 会 科 学 院社 会 学 研 究所 長 の丁 水 木 先生,秘 書 長 呉書 松 先 生,中 国社 会 学 史専 攻 の許 妙 発先 生 を はL'め 研 究 員 の 先生 方,同 院 の外 事 処 長 の 王徳 華 先 生,副 処 長 周 益 政 先生 に 感 謝 い た します 。 上 海 虹 橋 の寓 居 に て 1991年10月22日

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