大乗仏教の説法者︵渡辺︶ ご紹介にあずかりました東洋大学の渡辺章悟です。本日 は最近中心的に取り組んでいる大乗仏教の起源とその推進 者の実際にかかわる問題を、大乗仏教の説法者としてのダ ル マ バ ー ナ カ︵ dharmabhā n ・aka ︶ に 視 点 を 当 て て お 話 し することにいたします。 た だ し そ の 前 に、 「 大 乗 の 起 源 と 展 開 に つ い て 説 法 師 を 中心に 」 スケッチしておきたいと思いますので、だいたい 以下のような順で大乗仏教の流れと説法師の役割を説明す ることになります。 ︵ 1 ︶大乗とは新たな教えを纏め、それを宣教する運動 ︵ 2 ︶大乗経典の編纂者は誰か ︵ 3 ︶大乗の二つの説法形式︿法滅と誓願﹀ ︵ 4 ︶大乗は第二の転法輪 ︵ 5 ︶塔廟 ︵ caitya ︶ と説法師 ︵ dharmabhā n ・aka ︶ の登場 ︵ 6 ︶仏塔信仰の展開 ︵ 7 ︶大乗運動の推進者としての説法師 ︵ 8 ︶比丘としての説法師︵ dharmabhā n ・ aka ︶ ︵ 1 ︶ ま ず、 大 乗 仏 教 と は 何 か を ひ と 言 で い え ば、 新 た な教えを経典として編纂し、それを宣教していく宗教運動 といえます。最新の研究では紀元前一世紀頃から北西イン ド、或いはガンダーラなどで始まり、次第にその周辺地域 に広まっていきました。さらにインド各地においても幾つ 【講演会】
大乗仏教の説法者
││ダルマバーナカ
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Dharmabhā
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渡
辺
章
悟
大乗仏教の説法者︵渡辺︶ かの信仰集団が新しい教えを中心に結成され、それぞれの 経典として纏められていく、それら新しい経典の総称が大 乗経典といわれ、さらにそれらの経典が随時、各地域の言 語に翻訳され、多様な教えとなって広がっていったわけで す。このように大乗仏教の特性はその経典の広がりと多様 性にあります。 ︵ 2 ︶ 次 に そ の 大 乗 経 典 は 誰 に よ っ て 編 纂 さ れ た の か と いうことですが、これは経典の編者は明記されませんので 判りません。ただし、すべて経典は伝統に従って、ブッダ が説いたということになっています。そのよく判らない編 纂者、あるいは伝承者について、本日はダルマバーナカ、 つまり説法師を取り上げてみるつもりです。これは今日の 中心のテーマで最後に詳しく述べるつもりです。 ︵ 3 ︶ 次 に 「 大 乗 の 説 法 形 式 と し て 法 滅 と 授 記 」 と い う 二つの要素があることを指摘しておきます。 まず、法滅思想とは 「 ブッダの説かれた正しい教え自体 も︿無常﹀の例外でなく、その伝統はやがて滅してゆく 」 という悲観的な仏教史観のことで、これは後代の大乗仏教 にいたって正法・像法・末法という段階を経由して末法思 想として広がってゆきます。 次 に 授 記 で す が、 こ れ は 「 面 前 の ブ ッ ダ が 修 行 者 に 対 し、 ︿ 未 来 の 世 に お い て 必 ず 仏 と な る こ と ﹀ を 予 言 し、 保 証を与えること 」 です。その根源として燃燈仏授記があり ます。この話ではシャカムニ仏もこのような授記を得たと されます。 授 記 の サ ン ス ク リ ッ ト 原 語 は ヴ ィ ヤ ー カ ラ ナ ︵ vyākara n ・ a ︶ と い い ま す。 ヴ ィ ヤ ー カ ラ ナ は 文 法 学 と 解 釈することはありますけれども、これは言葉と言葉をはっ きり、鮮明に区別するという意味です。ただし、仏教の中 で授記という場合には、他者と選別された存在であるとい うことで、予言、記を授けるという意味で使うわけです。 この授記のモデルが燃燈仏です。燃燈仏の授記について は、初期仏教の時代から伝承されてきたジャータカ︵本生 話︶という中に有名なお話があります。燃燈仏の説法を聞 き た い と 願 う ス メ ー ダ と い う 青 年 が、 燃 燈 仏 に よ っ て、 「 ス メ ー ダ よ、 あ な た は 将 来 サ ハ ー︵ 娑 婆 ︶ と い う 名 前 の
大乗仏教の説法者︵渡辺︶ 世 界 に お い て、 シ ャ ー キ ャ と い う 名 前 の ブ ッ ダ に な り ま す 」 と予言されるわけです。こういうお話が燃燈仏授記で あって、スメーダは前世のシャカムニ仏です。このシャー キャ、つまりシャカムニ仏の前にも燃燈というブッダがい たことを前提とするお話なのです。 そしてこの授記と法滅思想が、大乗仏教のほとんどすべ ての経典の中に構成の骨組みとして見られるのです。なぜ かということはこれからお話ししますが、大乗仏教の法滅 思想というのは、法滅句という定型句で表現されることが 多いわけです。それは 「 如来の滅亡後の五百歳において、 正法がまさに滅せんとする時︵如来滅後後五百歳、正法欲 滅 時 ︶」 と い う よ う な 表 現、 こ れ が 定 型 句 に な っ て く る の です。 そして、 「 仏滅後、後の五百歳 」、その時にあらたに何が 起こるのか。これを説くのが大乗仏教の主張なのです。つ まり、ブッダが滅して五百年たって、このように仏の教え が顧みられないひどい状況になった。しかし、このような 世界にこそ新しい教えを信奉する、徳の優れた者、この新 しい教えを支持する菩薩が必ず現れますよ、と言うわけで す。 そ し て 『 般 若 経 』 で あ ろ う が、 『 法 華 経 』 で あ ろ う が、 『 大 宝 積 経 』 で あ ろ う が、 ほ と ん ど の 大 乗 経 典 で 同 じ ことが説かれているわけです。 これは当時、つまりブッダの教えが次第に失われつつあ る時代に、この教えを聞いた者が、ブッダはかつてこのよ うに予言していた。それがいま現に私が聞いているこの経 に説かれていると理解されるわけです。それによって、そ の予言がいまこうして実現されていると実感できるわけで す。 ですから、その “ ブッダの新しい教えを信仰する者が必 ず現れる ” という言葉にあるもの、それが実は私なんだと 自覚する構造になっているのです。大乗仏教の根幹という のはそこにあるのです。そのように大乗の教えを鼓舞し、 そしてそれに信を持つ人を勇気づける。こういうような構 造が大乗経典には必ず含まれているのです。 そ し て こ の 法 滅、 正 し く は 正 法 滅 尽 と 言 い ま す け れ ど も、これは初期仏教から大乗経典に至るまで一貫して説か れ て い ま す。 こ の “ 正 し い 教 え が 滅 す る ” と い う の は、 パ ー リ 相 応 部 の 「 因 縁 編 第 五 迦 葉 相 応 」 の 第 十 三 節 「 像
大乗仏教の説法者︵渡辺︶ 法 」︵ saddhamma-pa t ・irūpaka ︶にあります。 今日は時間の関係上、詳しくお話しできないですけれど も、この初期仏典の 「 像法 」 という経典によれば、仏教教 団の人たちが怠惰で、仏法僧の三宝を敬わなければ、正法 は滅びて像法が出現してきます。だから正法と像法は、順 を追って展開していくものではないというわけです。そう ではなく、像法の出現はあなたたちの信仰に関わっている ということです。 正法が永続するのはその逆です。つまり、四衆が怠惰で なく、信仰や戒を保ち、そして三宝を敬う。そのような生 活をすれば、正法は滅びないのです。この説に依れば、正 法・像法の二つは対峙して存在するという構造になってい ます。 ブッダの滅後五百年たって、正法が消滅してしまうとい い ま す が、 そ れ は 仏 教 の 存 続 を ま さ に 危 ぶ ん だ 表 現 で す が、 大 乗 は こ の 相 応 部 の 「 像 法︹ 経 ︺」 の 表 現 を そ の ま ま 使います。ただし、正法というのは何かと言うと、ブッダ の教えに決まっています。けれども、大乗では少々事情が 異なります。例えば 『 般若経 』 に書かれていた表現でいう と、いままで誰も説いていなかった新しい教説である 『 般 若経 』、それを正法と指示するのです。 つまり大乗は正法の意味を変えていきます。最初の正法 は伝統的なブッダの教えですが、それを大乗に変えてゆく わ け で す。 正 法 が 滅 び つ つ あ る と き に こ そ、 こ の 『 般 若 経 』 だったら 『 般若経 』、 『 法華経 』 だったら 『 法華経 』 と いう大乗仏教の教えを信仰し、実践する菩薩が必ず出現し ます、という構造になっています。このように、正法の意 味を変えていくわけです。 授記も初期経典にありますけれども、ここでは簡単に説 明していきます。重要なのは正法の解釈、つまり釈尊から 伝えられた法ですが、これを伝統的な仏教と考えますと、 新しく解釈された正法︵大乗︶と読み替え、その伝統・伝 達を授記すると示される。つまり、正法の説示方法に授記 の形式を取り入れるわけです。 さ ら に、 あ な た こ そ が こ の 会 座 で 信 を も っ て 立 ち 上 が る。そういう人︵菩薩︶こそ将来、新しいブッダになると いうことを宣言する構造になります。また、それはこの経 典に基づいた智慧によって善根を積む菩薩を、過去の無数
大乗仏教の説法者︵渡辺︶ の善根によって、今世で正法を聞くことができた。いまあ なたがこの新しい教えを聞く機会を得たのは、かつて計り 知れない善根を積んだからですと、このようにして説明し ていきます。 この話のモデルは、前にお話しした燃燈仏が前世の釈尊 に授記を与えた燃燈仏授記の物語です。まだシャカムニ仏 になる前のスメーダという青年が、燃燈仏の前で修行し、 そ の 結 果、 “ あ な た は 将 来、 サ ハ ー と い う 世 界 に お い て、 シャーキャという名前のブッダになれる ” ということを予 言、授記されるわけです。この話がモデルになって、同じ ように過去の善因によって、未来の果︵成仏︶が実現され るというわけです。こういう構造が大乗経典の多くに採用 されます。 この考え方は、初期のブッダの教えが廃れようとしてい る時代に、優れた智慧を持つ菩薩が現れますが、彼らは仏 の神秘的な力により、必ず加護される。だから迫害されて も大丈夫だ、安心しなさい、というものです。それは過去 の善業の成果だからです。こういった内容は、当時の大乗 経典の信奉者に、必ずや勇気を与えたものだと思います。 この構造における授記の記述は、燃燈仏が前世の釈尊に 授記を与えたときの記述と類似していますが、中心は 「 新 たな教えを聞くこと 」 にあります。ここに法滅思想におけ る新たな正法の伝達と、授記における過去の善根によって 得られた現在の聞法︵現在この教えを聞いている︶という ことが一つに結びつくわけです。そしてこのような法滅と 授記の構造は、般若経典をはじめとして、それ以降続く大 乗経典のほとんどに採用されてゆきます。 この授記と誓願のお話はもうお話ししたので、時間の都 合上、一番下だけ読みます。 シャカムニ仏も私たちと同じように輪廻を繰り返しなが ら、つまり菩薩として輪廻を繰り返してきた。苦しんでき た。ある時ディーパンカラというブッダに出会って、その 説 法 を 聞 い て 修 行 を 積 み 重 ね て ブ ッ ダ に な っ た と い う の が、原則としてあるわけです。 繰り返しますが、燃燈仏の授記のお話というのは、こう いうストーリーです。スメーダという青年、バラモンがい て、両親が亡くなり、いろいろな苦悩を持って、修行中に 燃燈仏というブッダが説法をするという話を聞いて、私も
大乗仏教の説法者︵渡辺︶ その説法の会座に入りたいと参加した。ただ、その時にみ んなでお出迎えをする際に、スメーダさん、あなたはその ぬかるんでいる道を、ブッダの来訪時にどうにかしてくれ ということだったのですが、修復が間に合わない。そこで ぬかるんだ道に体を投げ出して、自分の髪の上を渡っても らったという話です。 そして燃燈仏がその上を渡っているときに、スメーダと いう青年は新たな信仰を生じて、そこで自己の救いから、 すべての衆生の救いを誓うわけです。この誓いというのが 本願ですね。 スメーダ︵前世のシャカムニ仏︶は燃燈仏の前で、燃燈 仏と同じような立派なブッダになりたいということでその 努力を誓うのですが、それを誓願というわけです。 そ し て ス メ ー ダ に 信 仰 の と も し び を 点 じ た 燃 燈 仏 と は ディーパンカラというのですが、このディーパというのは 「 ともしび 」 という意味で、カラというのは 「 点す 」「 起こ す 」 という意味なのです。要するに、 「 灯を 点 とも す 」 がディー パンカラなのですから、この燃燈仏の名前がそもそも、信 心の伝統といいますか、覚醒の伝統を象徴しているものな のです。 それに対して燃燈仏が、あなたは将来サハーという世界 で、必ずシャカムニというブッダになるという予言を与え る、これが授記です。そして、これに基づいてブッダにな るための道を修行する。このような人を菩薩と言ってきた わけです。悟りを求めて修行するものということです。 スライドをお願いします。 ︵図版 1 ︶ 標題にあるようにこれは 「 悟りの予言︵授記︶を与える ディーパンカラブッダ 」 で、クシャーン時代のガンダーラ 仏です。 このうずくまっているのがスメーダ青年です。彼がシャ カムニ仏になるわけですが、立っているのがディーパンカ ラです。 次をお願いします。 ︵図版 2 ︶ これは 「 ディーパンカラ・ジャータカ 」 と書いてあるよ うに、燃燈仏本生話をモチーフとしたものです。この像も パキスタンのガンダーラで二、三世紀に発見されたもので す。この種の像は北西インドに伝わったもので、北西イン ドで生まれたこの伝承が、大乗仏教に大きな影響を与えた
大乗仏教の説法者︵渡辺︶ と予想されます。 次 の 図 も み ん な そ う で す。 ︵ 図 版 3 ・ 4 ︶ デ ィ ー パ ン カ ラ、燃燈仏、右の図は上部が欠けてしまって、燃燈仏の足 だけが残っています。その足下にスメーダ青年が額ずいて います。私のような頭ではこういうスメーダ青年のような ことはできませんけれども、たくさんの毛があれば何とか できたのでしょう。これはフランスのパリにあるギメ博物 館に所蔵されているものです。 このようにディーパンカラ仏の像は多くのものがありま す。この話がほかの多くのブッダの信仰に影響を与えると いうのは、次の阿閦仏等にも見られます。しかし、大乗以 前はブッダは原則的には単数です。シャカムニ仏以外はな いですから。将来仏としてのマイトレーヤ︵弥勒︶はいま したけれども、原則的に他方世界というのは考えない。そ し て 他 方 世 界、 三 世 十 方 の 世 界 が あ る と い う の は 大 乗 に なって強調されるわけです。この娑婆世界と同じように多 くの世界があって、そこで同じようにブッダが説法をして いる、このような音楽が鳴り響いているような宇宙的世界 を描くわけです。 そしてその一つに、阿閦の授記があります。娑婆世界を 去 る は る か 東 方 に ア ビ ラ テ ィ︵ 阿 比 羅 提 ︶ と い う 国 土 が あって、それも全部浄土です。そこで大目如来というブッ ダ が 諸 菩 薩 の た め に 六 波 羅 蜜 説 な ど の 教 え を 説 法 し て い て、その中の一人として、ある比丘︵阿閦菩薩︶が教えを 受けたわけです。そしていかり︵瞋恚︶を断じて悟りを得 よ う と 決 意 し た。 阿 閦︵ ア ク シ ョ ー ビ ヤ Ak s ・obhya ︶ と い うのは怒りを断って︿震動しない﹀という意味で、その境 地が阿閦地であって、 そこにとどまるのが阿閦仏です。 阿閦菩薩は長年にわたって功徳を積んだ結果、ついに阿 閦仏になった。そして現に遠方の妙喜国において説法をし ている。このような構造は燃燈仏授記が基になってつくら れ て い る わ け で す。 『 阿 閦 仏 国 経 』 に そ れ が 書 か れ て い ま すが、この阿閦仏信仰は 『 般若経 』 の中に述べられている 大乗でも最も古い信仰です。 そ し て 『 八 千 頌 般 若 経 』 で も、 シ ャ カ ム ニ 仏 が ガ ン ガ デ ー ヴ ィ ー 天 女 に、 「 菩 薩 は た と え 猛 獣 の い る 荒 野 に あ っ ても決して恐れない。そして偉大な甲胄に身を固めて、一 切の衆生のために般若波羅蜜という智慧を実践すべきであ
大乗仏教の説法者︵渡辺︶ る 」 と仏が説き、これに対してガンガデーヴィーが、それ を実践することを誓うわけです。 そ う す る と シ ャ カ ム ニ 仏 が、 「 あ な た は 将 来、 タ ー ラ コーパマ・カルパ︵星宿劫︶という時代に、男性としてア クショーブヤ ︵阿閦︶ 如来の阿比羅提世界に生まれます 」。 こ の よ う な 授 記 を 与 え る わ け で す。 先 ほ ど の 『 阿 閦 仏 国 経 』 にあるあの世界です。そこで禁欲修行に励んで、転生 しながらさまざまな仏国土を遍歴していくわけですが、そ のことができる理由は、彼女は過去において、ディーパン カラブッダのもとで、無上正等覚を得たいという菩提心を 起こしたからというのです。ですから、ここではっきりと ディーパンカラのお話と、その後の阿閦如来の話が、一つ に 関 連 付 け ら れ て い る わ け で す。 こ れ が、 『 八 千 頌 般 若 経 』 という大乗の一番古い経典の一つにすでに描かれてい るのです。 それから、よく知られているのは、法蔵菩薩と阿弥陀仏 の関係です。多くの方がご存じでしょうけれども、ここで は 『 無 量 寿 経 』 を 引 用 し て き ま し た。 先 ほ ど と 同 じ よ う に、久遠の昔に燃燈仏のいた時代をさらにたどる過去世に 世自在王仏が現れた時代、その時に一人の国王が菩提心を 発して、その王の位を捨てて出家したわけです。これを法 蔵菩薩︵ダルマーカラ︶というわけです。これは法蔵比丘 とも書かれていますが、この菩薩は発心して世自在王仏の 前で本願を立てるわけです。これが四十八願です。サンス クリットや漢訳によって多少違いますが、よく知られてい る教えだと思います。特にその中の十八番は、浄土教に興 味を持つ方であればどなたも知っているものでしょう。 そ の 法 蔵 菩 薩 が、 五 劫 と い う 途 方 も な く 長 い 修 行 の 結 果、その修行を達成して阿弥陀仏になっていく。こういう 構造です。ですから、先ほどの燃燈仏の話と骨格が同じな の で す。 そ し て 阿 弥 陀 仏 の お ら れ る 西 方 の 極 楽 世 界︵ ス カ ー ヴ ァ テ ィ ー 安 楽 国 ︶ と い う 世 界 に お い て 説 法 を す る という構造が、この経の中で描かれています。 ︵ 4 ︶ 次 は 大 乗 仏 教 が 宣 言 す る 「 第 二 の 転 法 輪 」 で す。 ご存じのように、サールナートの初めての説法が初転法輪 で、その後、釈尊の説法の場は何度もありましたが初期経 典ではそれを転法輪とは言いませんでした。要するに、大
大乗仏教の説法者︵渡辺︶ 乗 に な っ て 初 め て 第 二 の 転 法 輪 と い う 言 い 方 が 登 場 し ま す。 その第二の転法輪を初めて宣言したのが般若経です。こ の例を般若経の中でも古い内容を持つ 『 八千頌般若経 』 か ら見てみましょう。 「 そ の と き、 何 千 何 万 と い う 神 々 が 空 中 で︹ 喜 ん で ︺ 叫 び 笑 い、 衣 を 振 っ て、 “ 実 に ジ ャ ン ブ ド ゥ ヴ ィ ー パ︵ 閻 浮 提︶ において、 二度目に教えの輪が回転されるのを見る ”」。 ジャンブドゥヴィーパ︵閻浮提︶とは、このインドの世 界という意味です。そしてその後にも、二度目の教えの輪 が出てきますし、漢訳︵大正蔵六巻、五〇六上︶でも 「 第 二轉妙法輪 」 とあります。 こ の よ う に 述 べ ら れ た あ と、 「 す べ て の も の は 本 質 的 に 離脱しているから、ものの本性すべては本来生起していな いから、第二の転法輪に固執すべきではない 」 ということ が、この経には書かれています。要するに、大乗の新しい 教えを第二の転法輪と言ったわけです。 この古い般若経から四百∼五百年たって、およそ四世紀 頃に 『 解深密経 』 という経典がでてきます。これは瑜伽行 唯識学派の根本経典です。この経典の中で、第三の転法輪 ということが言われます。いま言いましたように、第二の 転法輪があったけれども、私たちのこの経典こそが第三の 転法輪だと言い始めます。 そ の こ と を 『 解 深 密 経 』「 無 自 性 相 品 」 に 説 か れ る の を 見ていきますと、まず第二の転法輪と第三の転法輪で、第 二の転法輪の後に、その転法輪の中に説かれる教えが書い てありますが、二番目に引用してありますパラグラフの真 ん 中 あ た り、 「 隠 密 の 相 」 に よ っ て 正 法 輪 が 転 じ ら れ た。 つまり第二の転法輪では大乗が説かれたが、まだ本当の意 味は隠されている。隠密なのだというわけです。 そしてこの第三の転法輪のとき、普く一切乗に向かって 修 行 す る 者 に 対 し て、 こ の 教 え が 説 か れ る。 そ し て そ れ は、 「 顕了の相 」、この経典︵解深密経︶において初めて、 すべての真実が明らかにされる。こういう教えなんだとし て、自己の教えが最高だということを主張するわけです。 こ の よ う に 第 一 の 転 法 輪︵ 初 転 法 輪 ︶、 第 二、 第 三 の 転 法輪というように、ブッダは新たな教えの境地を展開して いった。大乗仏教ではこのような構造になっています。
大乗仏教の説法者︵渡辺︶ ︵ 5 ︶ 次 は 「 塔 廟︵ チ ャ イ テ ィ ヤ ︶ と 説 法 師︵ ダ ル マ バーナカ︶ 」 のお話に入ります。 まず、ここからは皆さんの手もとにある資料とともにお 話 し し ま す。 ま ず、 ダ ル マ バ ー ナ カ ︵ dharmabhā n ・aka ︶ と いうのが説法師の原語だと言いました。 ダルマ ︵ dharma ︶ は 法、 バ ー ナ カ︵ bhā n ・ aka ︶ は 説 く 者 と い う 意 味 で す。 こ れは実は、大乗仏教において初めて使われた言葉です。で すから大乗仏教の特徴の一つなのです。 そ し て、 大 乗 以 前 は バ ー ナ カ と ダ ン マ カ テ ィ カ ︵ dhammakathika ︶ と い う 言 葉 は 確 か に 使 わ れ て い た。 バーナカというのは朗詠者とか読誦する者、これは一つの 役職だったのです。音楽に関わる朗詠者という意味で、一 般社会では使われている。仏教の中では仏典を読誦し、朗 詠するような専門職としてバーナカ、これはもちろん僧団 の中の役職ですから出家者︵比丘︶です。 一方、パーリ語ですとダンマカティカ、サンスクリット ですとダルマカティカですけども、これはダルマを語る者 という意味です。これも実は教団の中の職制の一つで、教 えを解説する人という役職であったわけです。これがダン マカティカという比丘であるというものでした。 ところが、大乗仏教になりますと、先ほどの表現はほと んど見られなくなります。それに代わってダルマバーナカ が 使 わ れ て い る。 た だ、 ダ ー ル マ カ テ ィ カ と か ダ ル マ カ ティカというのが例外的に使われる。これは説法第一とし て 知 ら れ る プ ー ル ナ や、 解 空 第 一 と し て 知 ら れ る ス ブ ー ティという人が十大弟子の中におります。この人たちは初 期仏教以来の伝統的な特定のブッダの弟子です。このよう な人たちのみ定評があるために、ダルマカティカが残った よ う で、 大 乗 経 典 の 中 で は 本 当 に 例 外 的 に 使 わ れ ま す。 『 法華経 』 や 『 般若経 』 にも見られます。 しかし、大乗経典ではほとんどダルマバーナカが使われ ます。したがって説法者は大乗仏教に特有の表現で、これ こそが大乗仏教の起源に関わるんだということです。 この資料的な根拠を簡単にお話しします。律蔵の中で比 丘 の 職 制 を 説 い て い る 箇 所 が あ り ま す。 そ れ を 見 る と 「 パ ー リ 律 」 で す と、 ⑴ Suttantika 経 師、 ⑵ vinayadhara 持 律、 ⑶ dhammakathika 法 師、 ⑷ jhāyin 禅 師、 こ の よ うな四つの職制というのがあった。これはたとえば⑷禅師
大乗仏教の説法者︵渡辺︶ であれば、禅定をもっぱらにする人、これを職分として、 多くの人に禅定を指導している比丘です。 同 じ よ う に、 『 根 本 説 一 切 有 部 毘 奈 耶 』 で は ⑴ 経 師、 ⑵ 律 師、 ⑶ 論 師︵ abhidhammmika ︶、 ⑷ 法 師、 ⑸ 禅 師 と い う五つが見られますが、この中の第三番目が論師です。こ れはパーリ語ですとアビダンミカです。つまりアビダルマ ですから、教え︵法︶を研究する者です。ここでは、論師 と訳していますが、これが加わっている。そして第四のダ ンマカティカ︵法師︶はダルマ︵法︶を語る者で、お経な どを記憶し、語る者、教法の解説者と考えられます。 次にダンマカティカという比丘の職制ですが、漢訳には 律蔵が五大広律といって五種類の律があります。その中の 『 四 分 律 』 や 『 摩 訶 僧 祇 律 』 で は、 ⑴ 阿 練 若 阿 練 若 共 同。 ⑵乞食乞食共同。⑶納衣納衣共同。⑷不作余食法不作余食 法共同。⑸一坐食一坐食共同。⑹一摶食一摶食共同。⑺塚 間坐塚間坐共同。⑻露坐露坐共同。⑼樹下坐樹下坐共同。 ⑽常坐常坐共同。⑾随坐随坐共同。⑿三衣三衣共同。⒀唄 匿唄匿共同。⒁多聞多聞共同。⒂法師法師共同。⒃持律持 律共同。⒄坐禅坐禅共同という十七種類の職制を伝えられ ています。 1 番目はアレンニャ︵阿練若︶と読みます。ア レンニャ、サンスクリットでアラニャというのは、森とか 静かな場所、林という意味です。こういったところで修行 する人のことを言います。注目するのは 13番目、唄匿︵ば いのく︶と書いてありますが、先ほどのパーリ律の職制を 対応させると、バーナカの音訳だと思います。ですから、 これが職制として 13番目に取り入れられている。 そして⒁、⒂、⒃、⒄までがパーリの四つの職制に対応 しますので、この四つの職制プラス⒀の唄匿と⑴から⑿ま でが十二頭陀支です。 十二頭陀支というのは、初期仏教以来、十二頭陀という 形 で は ま と っ て は い な か っ た で す け れ ど、 求 那 跋 陀 羅 に よって五世紀に翻訳された 『 十二頭陀経 』 というのがあり ますが、ここによく十二頭陀として知られていた、初期仏 教以来の伝統的な修行者の姿を知ることができます。これ によれば、先ほどの⑴から⑿に掲載されていたものと一致 することが分かります。 第一の人里離れた静かな所に住する、阿練若に住むとい うことから始めて、常に乞食によって生活する。乞食をす
大乗仏教の説法者︵渡辺︶ るのに、このうちはいつも食事をくれないので、この家は 飛ばしていこうというのは駄目です。いつも同じ家に必ず 行く。これは福徳を積む機縁をなくしてしまうから、必ず このようにやる。要するにこういうものがずっとありまし て、面白いのは、墓場や死体置き場を住居とする。初期は まだ僧団としてビハーラ、僧院はありませんでしたから、 木の元に止まる。そして屋根がない所、空地に座る、そし て常に座って横たわらない。これは苦しくて嫌な生活です けれども、こういうような苦行に近い生活が十二頭陀支と して知られていました。 そして次に、十二頭陀支を大乗の経典の中で見てみます と、もうちょっと大乗の教理が発達した 『 二万五千頌般若 経 』 がありますが、この中にいま述べた十二頭陀支と、ダ ルマバーナカが使われます。どのように使われるかと言い ますと、実はダルマバーナカは、修行者の総称として使わ れます。 ⑴から⑿までは、先ほどの十二頭陀支です。はっきり漢 訳では十二頭陀という言葉さえもあります。したがって、 このような初期的な修行者の姿をまとめて、大乗ではダル マバーナカと言っているということが、ここで明らかにな ります。 次 に、 『 金 剛 般 若 経 』 第 十 二 節 に 面 白 い 表 現 が あ る の で これを見てみましょう。これは最初に言いました大乗仏教 の起源にかかわるチャイティヤ、塔廟ですね。ストゥーパ とはちょっと違いますが、そこで 「 チャイティヤに等しい 場所 」 という表現があります。これを少し読みます。 さらにまた須菩提︵スブーティ︶よ。ある場所で、こ の法門の中のたとえ四句からなる詩頌を一つだけでも 把握し、解釈し、あるいは説明することがあったとし ま し ょ う。 そ の 時 そ の 場 所 は、 神 々 や 人 間 や ア ス ラ ︵ 阿 修 羅 ︶ を 含 め た す べ て の 世 界 に と っ て、 塔 廟 に 等 しいものとなるでしょう。たとえ誰であっても賢い師 にふさわしい場所になるでしょう。 こ の 最 後 の 塔 廟︵ caitya ︶ に 等 し い も の は、 「 caitya-bhūta ︵ チ ャ イ テ ィ ヤ・ ブ ー タ ︶」 と 書 い て あ り ま す が、 こ の ブ ー タ︵ bhūta ︶ の 解 釈 が よ く 問 題 に な り ま す が、 私 はこのように 「︹塔廟に︺ 等しいもの 」 と解釈しています。 これは驚くべきことを言っています。例えば、私がある
大乗仏教の説法者︵渡辺︶ 所で説法者として説法をします。その場所が、ブッダの遺 骨が本来納められていて、そこで多くの人たちが修行をす るような場、それと等しいものと考えるべきだと言ってい るのです。すごいことだと思いませんか。 つまり、説法者が教えを説くその場所が聖地になるので す。そしてそこは 「 チャイティヤと等しいもの 」 となるべ きだといいます。漢訳でも 「 如佛塔廟 」 とあるのがそこで す。 そして 「 その場所には師がおられることになるだろう 」 とします。たとえ師がいなくても、そのように説かれると ころはそうなるのだ。あるいは、誰であっても師にふさわ しい方がおられることになりましょう。羅什の漢訳︵七五 〇上六︶ではここは 「 尊重弟子 」 となっています。 いまのは 『 金剛般若経 』 でしたけれども、この 「 四句か ら成る偈頌とチャイティヤに等しきもの 」 云々の表現が、 大乗仏教の起源に関わるものとして有名なのです。実はグ レグリー・ショーペンという学者が注目していた一節でも あります。しかしながら、むしろその後の文章︵たとえ誰 であっても賢い師にふさわしい場所になろう︶の方が大事 なのです。 い ま 見 て い た だ い て い る の は 『 宝 積 経 』 の 迦 葉 品 と い う、これも初期大乗の代表的な経典の一つです。このラト ナ ク ー タ 「 宝 積 」 と い う 教 え が、 あ る 場 所 に 置 い て 説 か れ、示され、そしてその経典が書写され、書物として置か れているその場所は、神々を含めたこの全世界にとって、 チャイティヤと等しく聖なるものとなるであろう。こうい うコンテキストです。 また、誰かある説法師のもとでこの法門を聞き、受持 し、 書 写 し、 あ る い は そ の 内 容 を 了 解 す る な ら ば、 カーシャパ︵迦葉︶よ、あたかも、かの説法師に対し て、 まさしく如来に対するのと同様な 尊重の心をおこ すべきである。 ︵ Holstein ed. 1926 , pp. 227 –228 ︶ この部分のサンスクリットを見た方はお分かりになると 思 い ま す。 「 ま さ し く そ の 場 所 こ そ 如 来 と 同 じ だ 」 と 言 っ ているわけです。 『 法華経 』 も同じです。 『 法華経 』 のダルマバーナカを唱 題とする 「 法師品 」 というのがありますが、そこで法師は ダルマバーナカです。これは非常に重要視されていた。こ
大乗仏教の説法者︵渡辺︶ のチャイティヤ崇拝とストゥーパ崇拝が、ここでは次のよ うに両方説かれます。 ところで、薬王よ、ある場所でこの法門が述べられた り、説かれたり、書写されたり、書写されたものが書 物とされたり、暗唱されたり、斉唱されたりするとし よ う。 薬 王 よ、 地 上 の そ の 場 所 に は 、 高 く そ び え 立 ち、 宝玉よりなる巨大な 如来の塔︵ tathāgatacaitya ︶ が建立されるべきである 。 だから法華経信者は如来の塔を建てるのです。続いて、 し か し、 そ こ に か な ら ず し も 如 来 の 遺 骨︵ tathā-gataśarīra ︶ が 収 め ら れ る 必 要 は な い。 そ れ は な ぜ か というと、そこにはすでに如来の完全な遺身が安置さ れ て い る か ら で あ る。 ま た、 あ る 場 所 で︵ yasmin pr ・thivīpradeśe ︶、 こ の 法 門 が 述 べ ら れ た り、 説 か れ たり、暗唱されたり、斉唱されたり、書写されたり、 あるいは書写されたものが書物とされたりするとしよ う。 そ こ で は、 ス ト ゥ ー パ︵ stūpa ︶ に 対 す る よ う な 恭 敬 と 尊 重 と 尊 敬 と 供 養 と 讃 仰 が 行 わ れ る べ き で あ る 。︵ Vaidya [ 1960 b: 145 , ll . 22 ff ]︶ こ こ に あ る よ う に、 「 し か し、 そ こ︵ caitya ︶ に 必 ず し も 如 来 の 遺 骨 が 納 め ら れ る 必 要 は あ り ま せ ん 」。 な ぜ な ら、如来の遺骨は限られているではありませんか。どんど ん つ く っ て し ま っ た ら、 如 来 の 遺 骨 は 足 り ま せ ん。 そ こ で、その代わりでいいんですね。それはなぜかと言います と、 「 そ こ に は す で に 如 来 の 完 全 な 遺 身 が 安 置 さ れ て い る からだ 」 と言っています。 その場所というのはどこかというと、いま強調した 「 教 えが説かれたり、説法される所 」 です。そういう所が聖地 なのです。 次も同じようなものですが、ここではストゥーパになっ て い ま す が、 「 そ こ で は ス ト ゥ ー パ に 対 す る の と 同 様 な 恭 敬 と 尊 重 と 尊 敬 と 供 養 と 讃 仰 が 行 わ れ る べ き で あ る 」。 こ れ は 『 法 華 経︵ サ ッ ダ ル マ・ プ ン ダ リ ー カ ︶』 の 梵 本︵ ケ ルン・南條本二三二頁︶にこう書いてあるのです。 『 金 剛 般 若 経 』︵ 第 八 節 ︶ で も う 一 つ 展 開 を 見 て い き ま す。 「 と こ ろ で ま た、 ス ブ ー テ ィ よ、 善 き 男 子 で あ れ、 善 き 女子であれ、この三千大千世界を七種の宝で満たし、正し
大乗仏教の説法者︵渡辺︶ い悟りを得た尊敬すべき諸々の如来に布施するとしよう 」。 これは七宝に対する供養で、如来への布施とやはり考え られているわけです。 「 一 方、 こ の 法 門 か ら 四 句 か ら な る 偈 頌 を た っ た 一 つ だ け取り上げて、他の人々のために説明したりする。その場 合、どちらが大切かというと、後者こそが、それによって より多くの功徳を積み重ねることができる 」 と言っていま す。つまり、実際の布施や、ストゥーパや、そういうもの に対する実際の供養よりも、この経典を読誦する供養のほ うが、はるかに大きな効果がある。このように言っていま すが、これは仏塔崇拝から経巻崇拝への転換を意味してい るのです。 どうしてかと言いますと、仏塔の核心とは何かという問 題が根底にあるのです。まず、如来はどうして如来になっ たのですか。如来は覚った方、ブッダだからです。それで は何を悟ったのですか。その 「 何 」 というのが、ブッダの 教えそのもの、如来の説いた言葉だとしたならば、その正 しさ、たどりついた教え︵法︶によってブッダになったの だから、Aさんであれ、Bさんであれ、Cさんであれ、誰 でもそれに目覚め、その境地に至ればブッダになると考え られます。このように考えれば、例えば、ゴータマがブッ ダになったのは、その教え、つまりダルマに目覚めて目覚 めた者︵ブッダ︶になったんですよ、と言えるわけです。 そ う い っ た 意 味 で、 「 そ れ は ど う し て か と い う と、 ス ブーティよ、正しい悟りを得た尊敬すべき如来の無上の正 しい悟りは、実にこれ︵四句の偈頌︶から生ずるからであ り、これから諸仏、世尊が生まれるからである。 」︵一切諸 佛 及 諸 佛 阿 耨 多 羅 三 藐 三 菩 提 法 皆 從 此 經 出。 ︵『 金 剛 般 若 経 』 大正蔵 No. 235 , 749 b 24 ︶、 こ う い う 表 現 に な る わ け で す。 だからこそ、この経典とか教えそのものを崇拝するのが 根本なのだ。これから諸仏世尊が生まれるからなのだとい うことです。 ︵ 6 ︶次は 「 仏塔信仰の展開 」 に移ります。 ︵図版 5 ︶ こ の 画 像 は ダ メ ー ク・ ス ト ゥ ー パ で す。 こ れ は 初 転 法 輪、皆さんもインド仏跡巡礼をされる方も多いと思います が、その写真です。下はヴァーラーナシーですね。ガンジ
大乗仏教の説法者︵渡辺︶ スのガートの写真です。その近くにブッダが行って、初め てここで説法をした場所にストゥーパが作られました。最 初のアショーカ王がつくったものから、どんどん補修を重 ねて、いまや三十メートル近い巨大なストゥーパになって いるわけです。その反対側にある博物館には、右の図のよ うな説法印をとるブッダが収められています。 次お願いします。 ︵図版 6 ︶ これは大英博物館に収蔵されているストゥーパの礼拝像 です。要するに、このようなものがブッダの、先ほどのダ メーク・ストゥーパと同じストゥーパ崇拝が、ずっと伝統 的に継承されてきました。 次お願いします。 ︵図版 7 ︶ こ れ は 中 印 度 に あ る 世 界 遺 産 の サ ー ン チ ー の 仏 塔 で す が、これがしだいに日本の五重塔のようになっていくわけ です。要するに、その起源に紀元前三世紀から紀元前二世 紀、 非 常 に 古 い 時 代 か ら こ の よ う な 仏 塔 信 仰 と い う の が あった事を示しています。 次の画像は、インドの石窟寺院の分布図ですけれども、 中インドには石窟寺院がたくさんあります。西海岸の中心 都 市 ム ン バ イ か ら 東 の 内 陸 部 に か け て 集 中 し て い ま す。 ︵図版 8 ︶ 次 の ス ラ イ ド が カ ン へ リ ー と エ レ フ ァ ン タ 島 に あ る ス ト ゥ ー パ と チ ャ イ テ ィ ヤ で す︵ 図 版 9 ︶。 こ れ を 同 一 視 し て仏塔ということもあります。左の写真の中央奥にあるス トゥーパの基壇部が覆鉢、先ほどサーンチーなどにあった ように卵形のものです。このスライドには何の飾りもあり ません。そして上に傘蓋があって塔の形になる。 このストゥーパを含め全体がチャイティヤです。 次はカンヘリーという所と、エレファント島の未完成な チ ャ イ テ ィ ヤ で す︵ 図 版 10︶。 こ の よ う に 岩 山 に 彫 ら れ た カンヘリーにはたくさんの石窟があります。ムンバイの北 四十キロメートルほどにある仏教の石窟寺院群で、二世紀 ∼九世紀にかけて造営されました。総計一〇九もの石窟寺 院 が あ り、 大 半 は 小 さ な 窟 院 で す が、 数 と し て は イ ン ド 最 大規模の窟群です。 続 い て ア ウ ラ ン ガ ー バ ー ド の 第 4窟 で す︵図版 11︶。 こ れ は 一 世 紀 に 掘 ら れ た も の で す け れ ど も、 一 番 奥 に ス トゥーパが、ブッダの代わりとして安置されていますし、
大乗仏教の説法者︵渡辺︶ その周りに柱があって、後ろがぐるりと経めぐって、経典 なんか読誦できるようになっていますし、この奥に僧が休 憩をとる空間も彫られています。このようにストゥーパと チャイティヤの二つが見られるわけです。このチャイティ ヤ中央にあるストゥーパの基壇は高く、覆鉢は下の部分が ややすぼんだ球根型で、列柱は後の時代に補われたとされ ています。アウランガーバード石窟寺院の中で唯一の前期 窟です。 ︵図版 12︶ ところが、次のアジアで最初に世界遺産になったインド のアジャンタに見られるチャイティヤ窟をみると、そのス トゥーパの形が時代を追って変わっていくのが判ります。 まず、第 9窟と第 10窟は前期チャイティヤ︵祠堂︶窟で紀 元後一世紀のものですが、少しばかり下の台の部分が大き くなってきます。 ︵図版 13・ 14︶ 次 の 第 19窟 は 後 期 チ ャ イ テ ィ ヤ 窟 で、 こ れ を 見 る と、 ブッダなんかを描く必要ないんですけども、だんだん発展 し て き ま す と、 功 徳、 ブ ッ ダ を 描 く よ う に な る。 こ れ が ブッダだと判るように具象化するわけです。 ︵図版 15︶ そして第 26窟になると、さらにブッダが一歩前進、これ は五世紀末ですけれども、ストゥーパの前にブッダが出て 来 ま す。 も う 飛 び 出 し て し ま っ て 存 在 感 が あ り ま す。 ︵ 図 版 16︶ そして次のスライドに至っては、ストゥーパとブッダは 完 全 に 別 に な っ て い ま す︵ 図 版 17︶。 こ れ が チ ャ イ テ ィ ヤ で す。 こ の よ う に し て 全 体 の チ ャ イ テ ィ ヤ 窟 の 中 に ス トゥーパが安置されている。そしてこれは、いずれにして もブッダのシンボルのはずです。そして先ほど読んだよう に、 「 チ ャ イ テ ィ ヤ の よ う に 崇 拝 せ よ 」 と い う の は、 ブ ッ ダと同じように崇拝せよというわけです。そのように説法 師を崇拝しなさいという表現でした。 経巻崇拝とその功徳を 『 金剛般若経 』 から出しておきま すと、これはもう先ほど検討した 「 塔廟に等しきものとな る で あ ろ う 」︵ caitya-bhūto bhavet ︶ と い う 言 い 方 で す 。 つまり、この法門を取り出して解釈して人に説法をする。 その場所が、このように言われるわけです。そして、それ は賢い師にふさわしい場所なのだということです。 ︵ 7 ︶ 次 は 「 大 乗 仏 教 運 動 の 推 進 者 と し て の 説 法 師 」で す 。
大乗仏教の説法者︵渡辺︶ 次のスライドは 『 法華経 』 の一節です。これがいつ説か れ る の か と い う こ と で す が、 こ れ は 「 法 師 品 」 の 中 で、 「 薬 王 よ、 誰 か あ る 菩 薩 摩 訶 薩 が、 如 来 が 涅 槃 に 入 っ た 後 の時代、後の時節に、この法門を四衆に解き明かすとしま しょう。薬王よ、その菩薩摩訶薩は、如来の室に入り、如 来の衣を身にまとい、如来の座にすわって、この法門を四 衆に、教団のみんなに説くべきである 」 とあります。そし て 「 菩薩は菩薩の集団を前にして、ひるまず菩薩の乗り物 によって出発した、赴いている教団の人たちに対して、こ の教えを説き明かすべきだ。そして薬王よ、他の世界にい る 私 は そ の︹ 説 法 者 で あ る ︺ 善 男 子 の た め に、 ︹ 神 通 力 に よって︺化作されたもの︵化人︶によって聴衆を集めるで あろう 」 といいます。 こ れ は ダ ル マ バ ー ナ カ︵ 説 法 師 ︶ の こ と を 言 っ て い ま す。一行目の菩薩摩訶薩というのは、説法師のことをこの ように言い換えているのです。そして、この菩薩を今度は 説法者である善男子と言い換えています。 善 男 子 は 日 本 で は 在 家 者 の こ と を 言 う か も し れ ま せ ん ね。そういう墓石を私は見たことがありますが、インドで は異なります。ただ、ここではその説法者のことを菩薩、 そして善男子と言い換えています。 それでは、そのような説法師はどこに住んでいるのか、 つまり説法師のとどまる場所の問題です。 ・ 荒 野 に せ よ 山 岳 に せ よ、 人 気 の な い と こ ろ で、 彼 が た っ た 一 人 で 住 ん で、 暗 唱 し て い る と き に は、 ま た ︵ 30︶ ・ そこへ私は、彼のために光り輝く私の身体をあらわす であろう。また、彼が暗唱するのに口ごもるなら、私 は︹それを思い出させるように︺再三再四説くであろ う。 ︵ 31︶ ・ 彼 が 一 人 で 森 で 修 行 し︵ ekasya vanacāri n ・ ah ・ ︶、 そ こ で生活するならば、彼の仲間として、多くの神々やヤ クシャ︵薬叉︶たちを派遣するであろう。 ︵ 32︶ ・ 四衆に︹この法門を︺解き明かす彼︵説法師︶には、 こ の よ う な 功 徳 が あ る。 ︹ 彼 が ︺ た っ た 一 人 で 森 の 洞 窟で生活し︵ eko vihāre vanakandare s ・ u ︶、暗唱を行 うとしよう。彼はまさに私を見るであろう。 ︵ 33︶ 先ほどアランニャというのがありましたが、その 「 荒野
大乗仏教の説法者︵渡辺︶ にせよ山岳にせよ、人気のないところ 」 そこに 「 彼がたっ た一人で住んでいて暗唱しているとき 」、 「 私は、彼のため にこの身体をあらわす 」 というわけです。 「 そ し て ま た、 彼 が 暗 唱 を す る の に 口 ご も る 」 と い う の は、説法者は四無礙智を持っているから、説法を前にして どんな場合にもひるまない。そして口ごもらない訳です。 そういう力を説法師は与えられるということなのです。 そして 「 暗唱するのに口ごもる場合には、私が思い出さ せてあげましょう。再三再四きちんと説きます。彼が一人 で森で修行し、そこで生活するならば、彼の仲間として、 多くの神々やヤクシャ︵夜叉︶たちを派遣する 」。 そ し て 「 四 衆 に こ の 法 門 を 説 き 明 か す 彼︵ 説 法 師 ︶ に は、このような功徳がある。彼がたった一人で森の洞窟で 生活し、暗唱を行うとしよう。彼はまさにその場合、私を 見るんだ 」 と、一人でも大丈夫だと勇気づけるわけです。 『 法 華 経 』 と 同 じ よ う な 表 現 は ほ か に も あ り ま す。 た と えば先の 『 八千頌 』 という初期大乗の表現には、もう一つ 特徴があります。 「 ス ブ ー テ ィ よ、 説 法 師 で あ る 比 丘 た ち は、 一 人 で 住 む ことを好むものとなる。一方、聞法者たちはその集会を欲 します。彼ら説法師は、私に従ってくるものたちにこの般 若波羅蜜という教えを与えよう。私に従ってこないものに は、 そ れ は 与 え な い 」。 求 め な い も の に は 与 え な い と い う わけです。 「 こ う し て 善 男 子、 善 女 人 た ち は、 欲 求 し、 熱 望 し、 教 えを重んじて、その説法師に従っていく 」 というのですか ら、これは聞法者としての在家者をいうのでしょう。 そして同じ経典に 「 常啼菩薩品 」 という章があるのです が、ここではこの菩薩のことを 「 善男子よ 」 と呼びかけま す。そして 「 このように修行するならば、あなたはほどな くして、書物の形にされるか、あるいは、説法師の比丘の 身体にこの智慧が宿る、そういう教えを聞くでしょう。善 男 子 よ、 お ま え は こ れ ら の 恩 恵 を 考 え て、 ︿ 説 法 師 の 比 丘﹀に対して教師と思え。その観念を起こすべきだ。しか し、 善 男 子 よ、 お ま え は 世 財 に ひ か れ る 心 を も っ て、 ︿ 説 法師の比丘﹀ に従うな。教えを求め、 教えを重んじ、 ︿説法 師である比丘﹀ に帰依しなさい 」と。 このように言います。 このように、明らかに説法師は比丘ということが、ここ
大乗仏教の説法者︵渡辺︶ では明言されていました。これをまとめますと、説法師と 菩薩摩訶薩と善男子は、実はなかなか区別はできないで、 相互交換性があります。両者に区別はありません。特に菩 薩摩訶薩は大乗仏教の支持者である善男子と同じ言い方で す。 入 れ 替 え が 可 能 で す。 菩 薩 と 善 男 子 は 説 法 師 と 聞 法 者、在家者にも共有される言葉でして、この言葉自体には 上下の差別はありません。 し た が っ て、 菩 薩 は 説 法 師 で あ る と 同 時 に 比 丘 で あ っ て、かつ在家者。菩薩は両方です。善男子も両方使うので す。ですから、そこには立場の違いはあるけれども、上下 の 差 別 は な い。 た だ し、 説 法 者 で あ る 法 上 菩 薩 が、 「 善 男 子よ 」 と呼びかけられることはあっても、説法師というの は一つの役割です。ですから、あくまでそれは供養の対象 であって、そういう意味は、この用法は限定的です。 今度は 「 四天王とダルマバーナカ︵説法師︶の関係 」 で す。これは多くの大乗経典で説かれていますが、まず初め に、 『 維 摩 経 』 を 見 て み ま す。 そ こ に は、 説 法 師 と い う 言 葉は一度しか出てきません。それは 「 嘱累品 」 の最後のと ころです。 「 そ の 時、 四 天 王 は 世 尊 に 申 し 上 げ た。 世 尊 よ、 ど の よ うな所であれ、村や町、市、国、王城、どこであれこのよ うな教えが行われ、教示され、開示されるところ、そこに 世 尊 よ、 私 た ち 四 天 王 は、 軍 隊 を 伴 い、 車 や 眷 属 を 伴 っ て、教えを聞くために近づきます。そしてその説法師の周 りに控えて、説法師を守護する 」 というのです。 「 例 え ば か の 説 法 師 に 付 け 入 る も の、 邪 魔 を し よ う と し て も、 そ の よ う な 余 地 を 与 え な い 」。 こ の よ う に、 ど う い う場所であっても、この教えを説くときは、説法師とその 場所は、四天王によって守られるということです。 四 天 王 と い え ば 『 金 光 明 経 』、 護 国 最 勝 の 経 典 と し て、 日本ではよく知られているのは皆さんもご存じかと思いま す。日本の大規模な儀礼では、最勝会というのが一番大が かりで最初の法会でした。この 『 金光明最勝王経 』 の一節 に 四 天 王 章 が あ り ま す が、 こ こ で は、 ま と め ま す と、 「 人 間の王︵国王︶がこの経典を聴くことがあれば、王はその 『 金 光 明 経 』 を 信 奉 す る 比 丘 に 対 し て、 怨 敵 か ら 守 り、 援 助します。このことを通して四天王は、国王とその衆生を 守 る 」。 こ の よ う に 言 い ま す。 こ こ で は こ の 教 え を 説 く 比
大乗仏教の説法者︵渡辺︶ 丘を説法師としています。 ですから、国王は説法師を守護するのですけれども、説 法師は国王に説法するわけです。この国王と説法師の関係 は、相互的な関係があるわけですが、実際に守ってくれる のは四天王です。ですから、このような説法師を守護する 国王に対して、四天王がその力によって国王を守護すると いう関係です。 ここで、国を守護するのは誰かというと、実際には国王 です。したがって、この経典を読誦する人、これを大切に せよ。だから経典を読誦するほうへ働きかけるのです。そ うすることによって四天王が、この国を守ってくれます。 国王が守るべきこの力を、四天王が代わりに守ってくれる という構造です。 ですから、先ほども 『 維摩経 』 にも四天王が出てきまし たけれども、四天王の役割というのも、大乗経典のもう一 つの説法師と絡み合って守護しているというポイントが明 らかになるのです。 「 尊 き 世 尊 よ、 わ れ わ れ 四 天 王 は ま た、 そ れ ぞ れ 五 百 の ヤクシャ衆の眷属とともに、常に説法師である比丘を尊崇 し、 そ の 説 法 師 に 愛 慕 と 守 護 の 念 を 抱 き 続 け る で あ り ま しょう 」 という、定型的な言葉がこの 『 金光明経 』 にも見 られます。 ︵ 8 ︶比丘としての説法師 最 後 に 『 華 厳 経 』 の 中 の 『 十 地 経 』 で す。 『 十 地 経 』 と いうのは、簡単に言いますと、仏に至るための菩薩の十の 階 梯 を 説 い た も の で し て、 『 十 地 経 』 と い う の は、 も と も と 別 の 経 典 だ っ た の で す。 そ れ が い ま は 『 華 厳 経 』 の 中 に 編入されています。 この 「 十地 」 というのは、菩薩の十の位、ステージとい う 意 味 で す。 こ の 経 で 説 か れ る 十 地 と い う の は、 仏 に 向 かって菩薩が進んで行くその境地を、この⑴歓喜地から⑽ の法雲地まで分類していて、だんだん上がっていき、やが て仏の世界に入っていくわけです。このように菩薩にもレ ベルがあるわけです。そして、説法師︵ダルマバーナカ︶ との関連を抜き出しますとこういうことになります。 第 三 番 目 の 発 光 地 と い う、 こ の 明 る い 修 行 地 に お い て は、一切法を明らかにする仏知を観察し、法を求める菩薩
大乗仏教の説法者︵渡辺︶ が登場する。この菩薩にとっては、ダルマバーナカに会う ことは非常に難しいというふうに言われますが、まだ修行 者と説法師があまり詳しく説かれていません。 第五番目のステージである難勝地、この菩薩には、一切 の菩薩である説法師に随順することによって、大いなる尊 重と恭敬をもって師事する。 そして、多くはこれらの如来の教えに従って出家すると あります。どういうことでしょうか。つまり、それ以前に 出家していない人がいたわけです。この境地で出家したの で す。 出 家 し て か ら 聴 聞 し た 教 え を 保 持 す る 説 法 師 と な る。この第五の難勝地では、それ以前と決定的な違いが見 られるわけです。 かの菩薩は、何百千億那由他の仏の面前で、非常に長い 劫の間、忘れることがないというダーラニーを説法師は必 須 の 条 件 と し て 持 っ て い な け れ ば い け な い。 そ の よ う な ダーラニーを得た説法師となる。このように第五の難勝地 は非常に重要です。 そして今度は第九の善慧地ですが、善慧地で説法師の性 質をなしております。この善慧地の菩薩は、如来の教えを 守護し、彼は説法師の職分を得て、善巧なる知は無量とな り、四無礙智を持つ。つまり、説法者は四無礙智が必要な んですね。これによって菩薩の言葉で法を説示する。 繰り返しますけれども、第九の菩薩地に至って、偉大な る法師の性質、マハーダルマバーナカに立ってダーラニー を備え、多くのダーラニーを獲得するんだということでし た。 最後にもう一回 『 法華経 』 を見てみます。説法者である ダ ル マ バ ー ナ カ と い う の は、 ど の よ う な 説 法 者 で あ る の か、そしてそれを周りの人たちがどのように見ていたのか と い う こ と が、 『 法 華 経 』 の 第 十 二 章 で あ る 「 勧 持 品 」 に 見られます。 そ れ を 読 み ま す と、 「 こ れ ら の 比 丘 た ち は 異 教 徒 だ 」 と。おまえたちは伝統的な修行者ではないんだというわけ で す。 「 利 得 と 名 誉 に と ら わ れ て、 自 分 勝 手 な 言 い 分 を 教 えているのではないか 」 と言います。これがダルマバーナ カのことなのです。 ここでいう比丘でありながら異教徒というのは、非常に 強烈な言い方です。自分勝手な教えを主張する者というこ
大乗仏教の説法者︵渡辺︶ とです。まだ大乗、この場合は 『 法華経 』 ですけれども、 『 法華経 』 は周囲に認知されていなかったからです。 そしてまた 「 利得と名誉を求めて、自分で経典を編纂す る。集会の中央で説教する。こういうことをしていると、 私 た ち を の の し る も の も い る で し ょ う 」。 こ こ で 『 法 華 経 』 を説くものが、伝統的な教団からこのように非難を受 けている。 つまり、新しい教えを勝手に編纂し、多くの人たちの前 で、ダルマバーナカとして説法している。そのことに対し て、 「 私 た ち の こ と を 非 難 し て、 異 教 の 教 義 を 広 め る も の 」 と も 言 う の で す ね。 し か し、 「 私 た ち の 偉 大 な 聖 仙 た ちを尊敬することによって耐えろ。忍耐だ 」 と。すべてそ のような悪口雑言にも耐えましょうと言います。 結論です。説法師︵ダルマバーナカ︶は大乗経典におい て、ダルマカティカにかわる存在として登場しました。そ の姿は次のようにまとめられます。 ⑴ 出家者であるダルマカティカ、これはすでに大乗以 前にあったという役職でした。その属性を継承しながら、 説法師として新たな信仰、つまり大乗仏教の推進役になっ ていった。 ⑵ 大 乗 の 教 え と い う の は、 如 来 の 滅 後、 五 百 年 代 に あ っ て、 説 法 師 に よ っ て 唱 導 さ れ た。 そ し て、 説 法 師 に よって大乗の教えが説かれるその場所、まさにそこがチャ イ テ ィ ヤ と 呼 ば れ た。 も と も と 墳 墓 か ら 発 達 し た チ ャ イ ティヤには、本来あるべき如来の教えを示す “ 遺身 ” が所 蔵されていなくても、そのように存在していると考えるべ き だ。 そ の た め に そ の 教 え を 説 く 説 法 師 は、 い ま は な き ブッダの新しい教えを語るわけです。その代わりを示す存 在なのだから尊崇すべきだ。 ⑶ 説 法 師 は 帝 釈 天 や 四 天 王 等 の 神 々 に よ っ て 守 ら れ る。その説法によって守られる。その説法に当たっては、 無礙智とダーラニーの呪句、ダーラニーパダ、神々がこう いう力を説法師に与えるわけです。これは説法師が四無礙 智に代表される教えの記憶力が重視された。そしてそれを 含む四無礙智は必要条件でした。その中の雄辯の力を説法 師は必要とするのです。この力を神々が付与してくれると いうわけです。 このような聖なる言葉の威力、これを認める点で、説法
大乗仏教の説法者︵渡辺︶ 師は 『 法華経 』 や 『 金光明経 』 で重視されました。また、 神々が説法師にこのプラティバーナ、これはひらめきと言 うのでしょうか、このプラティバーナを与えるわけです。 辯才だけでなく能弁のひらめきを与えて、力づけてくれる わけです。それで説法に対処するのです。 ⑷ 説法師はほとんどの経典では比丘とされますが、十 地の修行体系では第五の難勝地にいたって出家し説法師と なる。ですから、比丘である説法師という表現は、多くの 大 乗 経 典 に 共 通 し ま す が、 『 十 地 経 』 で は こ の よ う に 限 定 的に使われていました。 ⑸ 説法師は、森や人気のないところにとどまる修行者 で し た。 そ し て 『 法 華 経 』 の よ う に 経 典 編 纂 も 行 っ て い た。彼らは 「 これら比丘たち 」 と言われるように明らかに 出家者でしたが、当時の僧団からは、異教の教義を広める として疎まれ、精舎から追い出された。このように非難さ れる異端であることが、はっきり書かれています。 その理由は、自分勝手な教えを説き、勝手に経典を編纂 する。しかも集会の中心となって説法を行う、こういうこ とが非難をあびたのです。 これらの詳細な 『 法華経 』 の記述は、当時の教団の内情 を示すものだと想像できます。 ⑹ 大乗では菩薩も善男子も出家・在家の区別はありま せん。出家の菩薩というのが大乗の菩薩。大乗で経典に関 与した菩薩かもしれませんが、菩薩も説法師も聞法者もお 互いに、善男子︵クラプトラ︶よ、と呼び合います。した がって、この言葉に上下の差別と言いますか、区別と言い ますか、そういうものはない。 以上のような六項目にまとめましたが、このことからダ ルマバーナカこそが、新たな大乗経典の製作を担い、大乗 の宣教を行う、まさに大乗の推進者だったという訳です。 最近、こういうことを研究しているものですから、今日は 私にとって最新の内容をお話しさせていただきました。以 上です。 ◎質疑応答 ○ 質問 どうもありがとうございました。 なかなか大乗仏教の起源に関するお話を聞く機会がない ものですから、大変楽しく聴かせていただきました。
大乗仏教の説法者︵渡辺︶ それで結論のところでは、特段お話を伺ったことかなと 感じますが、途中の、ページが打ってないのでちょっと分 からないのですけども、菩薩摩訶薩と善男子という言葉で すね。あるいは説法師と聞法者という言葉についてなので すが、これはどうも区別がないというか、差別がなしに使 わ れ て い る と い う こ と だ っ た の で す が、 経 典 の 中 で は ひょっとしてそうかもしれませんが、経典以外のところで もこういうことが言えるのか、あるいは、たまたま経典の 中では、菩薩のことを善男子と言っているだけであって、 菩薩と善男子は違う意味領域をもっている語であるという ようなことはありますでしょうか。 ○ 回答 はい。結論では簡単にまとめましたが、その根拠 というのは、限定的な資料だったものですから、あまり詳 細に検討できなかったのですけれども、ここでの結論とい うのは、だいたい初期大乗経典の中での言い方です。 ですから、その後の展開、あるいはほかのジャンルの論 書などでは違うかもしれません。まだ大乗経典が確立して いない、大乗仏教運動ができたころの使い方としては、こ ういうことが言えるのではないかと、そういう見解です。 もちろん、クラプトラとかボーディサットヴァ、あとは サットプルシャとか、大乗を担う者の言い方というのは、 それぞれまた背景があり、同一ではないと思いますし、そ のニュアンスも違うと思います。例えば、サットプルシャ は、初期では在家者や出家の聖者のことを言っていたので すけども、阿毘達磨では完全に、阿毘達磨の階梯の中に組 み入れられて、そして大乗ではまた違った在家の菩薩とし て使われる。これは経典や使われる論書とか、これによっ て違うと思います。 ですから、その点では、この結論は大ざっぱな言い方で す。 初 期 大 乗 経 典 の 分 析 と し て し か い ま は 何 も 言 え ま せ ん。ただし、これが大乗仏教の起源と深い関係を持ってい たということで、おわりにしたいと思います。大ざっぱな 話で失礼しました。
大乗仏教の説法者︵渡辺︶
Dīpaṅkara jātaka,
Gandhara (NW Pakistan) 2nd–3rd C. AD
2
Dipankara Buddha Giving the Prediction of Enlightenment
Gandhara, Kushan Period
大乗仏教の説法者︵渡辺︶ 4
燃燈仏
ギメ博物館蔵
燃燈仏(
Dīpaṅkara)
3大乗仏教の説法者︵渡辺︶
ストゥーパの礼拝
大英博物館蔵
6
サールナートとヴァーラーナスィー
大乗仏教の説法者︵渡辺︶
インド石窟寺院地図
8 7 7 東トーラナ(東塔門)と 第1ストゥーパ (前3世紀~前2世紀、 高さ 16.5m、直径 36.6m) 三重の傘蓋と平頭 (ひょうず)覆鉢 7大乗仏教の説法者︵渡辺︶
カンヘリー石窟寺院(1)
2世紀~9世紀総計109もの石窟
10仏塔(ストゥーパとチャイトヤ)
KanheriとElephanta
9大乗仏教の説法者︵渡辺︶
アウランガーバード第4窟(2)
12アウランガーバード前期石窟寺院 1C
チャイティヤ第4窟(1)
11大乗仏教の説法者︵渡辺︶
アジャンタ第10窟 AD1前後
14
アジャンタ第9窟 チャイティヤ窟
大乗仏教の説法者︵渡辺︶
第26窟
5世紀末
16アジャンタ第19窟
15大乗仏教の説法者︵渡辺︶