印 度 學 佛 敏 學 研 究 第 六 十 四 巻 第 二 号 平 成 二 十 八 年 三 月
長
松
日
扇
に
お
け
る
教
化
活
動
の
一研
究
曼
荼
羅
本
尊
授
与
に
み
る
教
導
を
め
ぐ
って
武
田
悟
〇 四 一 一は じ め に
1
問
題
の所
在
長 松旦
扇 〈 清 風 〉 ( 一 八 一 七 − 一 八 九 〇 ) は、安
政 四 ( 一 八 五 七 )年
一 月 一 二 日 、京
都 新 町 蛸薬
師 南 の 百 足 屋 町 に 住 す る 谷 川 浅 七郎
宅 の 一 室 に お い て 、 数名
の 在家
者 を 集 め て 華 洛 本 門 佛 立 講 を 開 講 し て い る 。 こ の講
は 、 出 家 の 僧 侶 を 中 核 と し な い在
家 者 を中
心 とす
る 信 仰 共 同体
で あ り 、 社 会 的 に は 京 都 本 能寺
、 尼 崎 本 興 寺等
を 本 山 と仰
ぐ 八 品 門 流 の 在 家 講 と し て 活動
を 開 始 し て い る こ と は 明 ら か で あ る 。 と こ ろ で 、 日 扇 が華
洛
本 門 佛 立講
開 講 の 年 か ら 明 治 二 三 ( 一 八 九 〇 ) 年 ま で の 三 四 年 に わ た る 教 化 活 動 に 注 目 し て み る と 、 信 徒 が 日 常 の 信 行 に お い て 根 本 尊 崇 す べ き 本尊
、 信仰
の証
と す る 曼 荼 羅 本尊
を 日 扇 みず
か ら 書 写 し、信
徒
に授
与
し て い る行
為 を 見 逃 す こ と が で き な い 。 そ も そ も 、旦
扇 が曼
荼
羅 本 尊 を染
筆
す る の は 、 日 扇 自 身 の 教学
を 継 承 す る 立場
と し て 、法
華 経 、 日 蓮 遺 文 、 日隆
聖 教 を 明 鏡 と し 、 佛 立 講 が そ の信
仰
的集
団 で あ る こ と の表
明 で あ る 。 す な わ ち 、 こ の 佛 立 講 は 、 日 蓮 の 本 化 別 頭 の 教 学 、 日 隆 の 本 門 八 品 教 学 を 再 興 し た 正 当 教 団 で あ る と いう
強 い宗
教 的 自覚
を有
す る も の で あ っ た 。 こ の 日 扇 の 曼 荼 羅 本 尊 の 染筆
お よ び 授 与行
為
に 対 し て 、 本能
寺 と 本 興寺
と の 両 本 山 か ら は 、旦
扇 が 在 家 者 で あ る こ と か ら禁
止 す る 。 し か も 、 両本
山 は 、 日 扇 に対
し て安
政 六 ( 一 八 五 九 )年
に は 「 請 書 」 を 、 慶 応 四 ( 一 八 六 八 )年
八 月 に は 「誓
書
」 を提
出
さ せ 、 本 尊 の染
筆
・ 授与
を 行 わ な い こ と を誓
約
さ せ て い る 。 こ れ ら の 誓 約 を 日 扇 は 、 一 時 遵守
す る が 、数
年
後 に は 再 ( 1 ) び染
筆
・ 授与
を行
い 、 そ の 数 は 現 在 九 〇 〇点
確 認 で き る 。 さ て 、筆
者 は こ れ ま で旦
扇 の 染筆
し た 曼 荼 羅 本 尊 に つ い て 分析
を 行 っ て き た 。 そ の具
体 的 な検
証 は 、次
の 通 り で あ る 。 一 、 曼 荼羅
本尊
に 記 さ れ る 形 態 の 分 類 二 、 経 典等
に よ る 讃文
の 検 証 三 、 曼 荼 羅 本尊
に み ら れ る旦
扇 の 自署
の表
記 四 、 曼 荼 羅 本尊
授 与者
の 分 類 一628
一
右
の 四 点 を検
証 し た 結果
、 一 の問
題 は、 大 別 五 系 統 一 六 種 類 に 分 類 で き る 。 二 は 、 九 〇 〇 点 の 曼荼
羅
本尊
のう
ち 七 五 七 ( 2 )点
に讃
文
の表
記 が 見 ら れ 、 そ の種
類 は 九 〇 種 類 で あ る こ と 。 三 の 問 題 に つ い て は 、 九 〇 〇 点 全 て に 自署
お よ び 花 押 は表
記 さ れ て い る が 、 そ の表
記 に 相 違 が み ら れ 、 一 九 五種
み ら れ る こ と 。 四 に つ い て は 、 九 〇 〇点
の う ち 七 五 一点
に授
与 者 名 が ( 3 )記
さ れ て い る こ と 、等
が 明 ら か と な っ て い る 。 以 上 の 考察
は 、 「 曼荼
羅
本
尊 」 に着
目 し て の 検 証 で あ っ て 、 日扇
の 教 化 活 動 の 一端
を 明 ら か にす
る 一 視 点 で は あ る が 、 そ の 一方
に お い て は 、 こ の 曼 荼 羅 本 尊 の授
与
を と お し て 、 ど の よう
に 教導
し た の か 、 あ る い は 本 尊 の授
与
、 授与
後
に お い て信
徒
に 対 し、 日 扇 は どう
教 化 活 動 に 活 か し た の か 、 と いう
視点
か ら 問 題 提 起 し て み る と 、検
討 の 余 地 が存
し て い る の で は な か ろう
か 。 そ こ で本
稿
で は 、第
一 に 日 扇筆
の曼
荼
羅
本
尊
に表
記
さ れ て い る 授与
者
に つ い て 、 新 加 の 曼荼
羅本
尊
も あ る こ と か ら 再 度 確 認 し 、授
与
者
の 全 体 像 を 概観
し て お き た い 。第
二 に 、 日 扇 は 曼荼
羅本
尊
授
与
を 通 じ て どう
教 化 活動
に 活 か し た の か、 と いう
視
点
か ら少
し く たず
ね て み た い 。 二曼
荼
羅
本
尊
に み る授
与
者
に つ い て叙
上 の と お り 、 日扇
の曼
荼
羅 本尊
は、 現在
九 〇 〇 点 確 認 で き る 。 そ の 基 本 と な る資
料
は 、御
牧 日 勤他
編 『佛
立 開 導旦
扇 長 松 日 扇 に お け る 教 化 活 動 の 一 研 究 ( 武 田 ) 聖 人御
本
尊
集
』 掲 載 の 八 八 一点
と 、 著者
が 調 査 し た 一 九点
で あ る 。 検 証 し た 結 果 、授
与 者 名 の記
載 は 、 七 五 一点
確
認
で き る 。 そ の 内 訳 は つ ぎ の よう
であ
る 。講
中 に 対 し 授 与 し た も の日 扇 の 弟
子
に 授与
し た も の信
徒 に 授与
し た も のA
男 性 に授
与 し た も のi
講 中名
と 氏 名 が 記載
さ れ て い る も の 且 講 中名
の 記 載 は な い が 、 氏 名 の み の も のB
女性
に 授 与 し た も のi
講 中名
と 氏 名 が記
載 さ れ て い る も のi
講 中名
の 記 載 は な い が 、 氏 名 の み の も のC
複数
名
の名
前 の 記載
が あ る も のD
不詳
の も の ・ 1 苗 字 の み が 記 載 さ れ 性 別 が 不詳
の も のh
授 与 者名
が 判 読 で き な い も の … m 未 収 録本
尊 の た め 名前
が 確 認 で き な い も の授
与
者 名 が抹
消 さ れ て い る も の 四 六 点 一 四 点 六 五 一 点 五 三 八 点 ( 二 七 二 点 ) ( 二 六 ⊥ ハ 占 … ) 九 二点
( 三 五 点 ) ( 五 七 点 ) 六 点 一 五 点 ( 一 二 点 ) ( 一 点 ) ( 二 点 ) 四 〇 点 まず
、 は 華 洛 本 門 佛 立講
に 所 属 す る各
講 中 に対
し て の 授与
が見
ら れ る 。 こ の 場 合 は 、各
講 中 で の法
要 の折
に 掲げ
る 曼荼
羅 本 尊 と し て 授 与 さ れ た も の と 考 え ら れ る 。次
のは 、 日 扇 の
弟
子 と し て 仏 門 に 入 っ て い る 者 に対
し授
与
し て い る も の 一 〇 五 一629
一長 松 日 扇 に お け る 教 化 活 動 の 一 研 究 ( 武 田 ) で あ る 。 つ い で
は 、 信 徒 に 授
与
し た も の で あ る 。 こ の う ち 信 徒 に 授 与 し た も の を 細 分化
す る と 、 性 別 に 分類
で き る も の 、 複数
名 の 授 与 者 名 が 表 記 さ れ て い る も の 、苗
字 の み で 性 別 の 判 断 が で き な い も の や 、 『佛
立開
導旦
扇 聖 人 御 本尊
集
』 に 収 録 さ れ て い る が 、 写真
の掲
載
が な い た め 、授
与 者 名 を 確 認 す る こ と が で き な い も の が挙
げ ら れ る 。 最後
の は 、 授 与 者 名 の 箇 所 が 、事
情 に より
抹消
さ れ て い る も の で 、 墨 で 塗 り つ ぶ さ れ て い た り 、 あ る い は授
与者
名
の 箇 所 が 意 図 的 に 切 ら れ て い る も の や 、 新 た に 紙 を 貼 付 さ れ て い る も の が該
当
す る 。 ま た 、 授与
者
名 の 記 載 が な い 冖 四 九 点 のう
ち 、 二 六 点 は 「 護持
」 と表
記 し て い る の み で名
前 が 空欄
の も の も 確 認 で き る 。 こ の よう
に、 日 扇 の 曼 荼 羅 本 尊 の授
与
者
名
に は 、傘
下 の 講中
に 対 し て の 授与
、弟
子 へ の 授 与 、 個 々 人 へ の授
与
に も み ら れ る こ と が 確 認 で き る 。 三曼
荼
羅
本
尊
の記
載
に み ら れ る教
導
に つ い て前
項
に お い て は 、 授 与者
名
に 注 目 し て 分 類 を確
認
し た 。 こ れ ら の 点 か ら 一 つ の 方法
と し て 、 曼 荼 羅 本 尊 に 記 さ れ る 祈 願 、 た と え ば、 『 法 華 経 』薬
王 菩 薩 品 の 「 病 即 消 滅 不 老 不 死 」 の文
が 表 記 さ れ て い れ ば 、病
者 へ の 平 癒 で あり
、 あ る い は法
師功
徳
品 の 「 安楽
産福
子
」 の 文 で あ れ ば 、 安 産 を 願 っ て の 教導
と見
る こ と が で き よう
。 そ れ ら を 確 認す
る こ と に よ っ て、 一 〇 六 教 化 活 動 の 一端
を た ず ね る こ と も 可能
で あ る 。 し か し 、 日 扇 が そ も そ も曼
荼
羅
本尊
を 染 筆 し 授 与す
る の は 、 法 華 経 本 門 八 品 の 信 仰 に 帰依
で き た こ と に 対 す る授
与 、 す な わ ち 信 仰 の 証 で あ り 、 信行
を実
践 す る た め の 授与
で あ る 。 そう
す る と 、先
述 の 病 気 平 癒 や安
産 等 の 点 を 軸 に 教 化 活 動 を考
え て み る と 、少
し く 意 図 が 異 な る 懸 念 が 生ず
る 。 そ こ で 今 一 度 、 教 化 活動
の 視 点 か ら 少 し く見
て み る と 、 】 に は 、 管 見 の 限 り 、 曼 荼 羅本
尊 の 記 載、 あ る い は 本尊
の表
装 の 裏 側 や 、表
具 の 付 属 品 に教
導
が 示 さ れ て い る こ と 、 二 に は 、 日 扇 が 講会
に お い て 説 法 し た 記 録 等 の 文書
、 あ る い は 著書
か ら 本 尊 授 与 に 対 す る 教 導 が み ら れ る 。 そ こ で 以 下 、確
認 し て み た い 。 ま ず 、 安 政 四年
=
月
、 信 徒 の嶋
田 清 二 に 授与
し た曼
荼
羅 本尊
の 表 装 の裏
側 に つ ぎ の よ う な文
が み ら れ る 。 こ れ は 安 政 四 年 の 冬 島 田 清 二 尼 二 た の ま れ ま ゐ ら せ て 拝 写 し 奉 る 大 曼 荼 羅 也 。 さ る 越 渡 辺 栄 七 ぬ し 強 盛 の 大 信 者 に 而 多 く の 人 を 教 導 し マ マ ソ 本 門 仏 立 講 二 帰 入 せ し め 給 ふ 二 よ り 此 事 を 感 じ て か の 君 よ り 此 人 に 送 ら れ つ る も の 也 。 こ れ を 子 々 孫 々 に つ た へ て 永 く 信 心 退 転 な か ら る し め む と の た め 二 か く ハ し る し を き つ る も の な り 。 こ の文
に よ れ ば 、 当 初 日 扇 は 、 信徒
の 嶋 田 清 二 に曼
荼
羅本
尊
を 授 与 し た が 、 そ の 二 ヶ 月 後 の 安 政 五 ( 一 入 五 八 ) 年 一 月 二 日 、 清 二 は そ の 本尊
を 信徒
の渡
辺 栄 七 に 譲与
し て い る 。 そ れ は 、 栄 七 が多
く の 未 信徒
を帰
入 さ せ て い る 状 況 に 、清
二 は 心 一630
一が 強 く 動 か さ れ た と い
う
の で あ る 。旦
扇 は 、 清 二 か ら 本 尊 を 預 か っ て こ の事
実 を記
し 、渡
辺 氏 の 信 心 の 強 さ が 子孫
に わ た り 退 転 せ ぬ よう
に と 教導
を記
し て い る こ と が看
取 で き る 。 つ ぎ に 、慶
応 二 ( 一 入 六 六 ) 年 一 二 月 、 日 扇 が 授 与 し た 曼茶
羅本
尊 の 裏 側 に 、 つ ぎ の 文 が 記 さ れ て い る こ と が 『慶
応 二 年 授 与 御 本尊
裏 書 』 か ら 知 る こ と が で き る 。 そ の文
に よ れ ば 、 此 大 ま た 羅 ハ 慶 応 二 年 の 冬 お の れ 事 あ り て 御 法 の 為 二 障 礙 出 来 し く る し む こ と あ り し を 谷 川 浅 七 郎 西 村 梅 二 郎 佐 藤 兵 助 主 等 の 深 き 信 心 の な さ け こ よ り て ま ぬ か れ し に よ り し た ・ め て 三 人 に 送 り ら 参 ら せ た る こ れ ハ 其 一 な り 。 す な わ ち 、 こ の 年旦
扇 は 、教
化
活
動 に お い て 何 か し ら の ト ラ ブ ル が 生 じ た と い う 。 こ の 問 題 を解
決 す る た め に 、京
都
の 講 元 の 谷 川 、大
津
佛 立講
の 西 村 ・ 佐 藤 の 三 氏 に よ る 支 援 が あ っ た結
果 、 日 扇 は 難 を ま ぬ が れ る こ と が 出 来 た と い う 。 そ れ は 、 三 氏 の 深 い信
心 に よ る も の で あ り 、 曼 荼 羅 を授
与
し た よう
で あ る 。 三 氏 は、 講 の な か で も信
徒 を 指導
す る幹
部 と し て の 立 場 で あり
、 讃 文 に は 「 弘 通 広 宣 当 講 永 続 」 と表
記 し て い る こ と か ら も 、 そ の教
導 の 一端
を 知 る こ と が で き る 。 つ づ い て 、 『御
法 難 御 本尊
』 に よ れ ば 、 曼 荼 羅 本 尊 を収
納す
る箱
に 、 左 記 の よう
な 記 述 の存
在
が 知 ら れ る 。 長 松 堂 の 法 難 の 日 ハ 七 月 廿 九 日 二 有 シ 故 二 毎 年 此 日 宥 清 寺 本 堂 二 懸 奉 り 当 講 永 続 を 祈 る も の 也 弘 通 広 宣 門 葉 繁 栄 の 御 本 尊 と ハ 長 松 旦 扇 に お け る 教 化 活 動 の 一 研 究 ( 武 田 ) ら り 此 大 曼 荼 羅 也 す な わ ち、 慶 応 四 ( 一 八 六 八 )年
七 月 二 十 九 日 、 近 江 国大
津
を 拠 点 と し て活
動 し て い た 日 扇 が 、 地 元 の 寺 か ら 禁 教 キ リ シ タ ン の者
と讒
訴
さ れ 、京
都
府
に よ っ て捕
縛
、 京 都 六 角本
牢
に 投 獄 さ れ た事
件
、 い わ ゆ る大
津法
難
で あ る 。 日 扇 は法
難
の 一年
後
に曼
荼
羅 を 染 筆 し 、当
講
の 永続
を 記 し 、 毎 年 こ の 日 に 本 堂 に掲
げ
る こ と に よ っ て 、信
者 に対
し布
教 の繁
栄 を教
導
し て い る と見
る こ と が で き る 。 四曼
荼
羅
本
尊
授
与
後
に み る教
導
に
つ い て 日 扇 の曼
荼羅
本 尊 授 与 に み る 教 導 は 、 授 与 後 の 教導
も さ れ て い る こ と が知
ら れ る 。 管見
の 限 り 、 以 下 六 点 の史
料
か ら確
認 で き る 。 ま ず 、 『 教 導 九葉
鈔
』 に は 次 の 文 が み ら れ る 。 ブ リ 御 本 尊 一 幅 二 て 不 足 の 念 お こ す べ か ら ず 。 未 曽 有 大 マ ダ ラ 云 云 右 の 文 は 、 明 治 五 ( 一 八 七 二 )年
五 月 四 日 、 二 条 組 井 上勘
兵
衛 宅 で の講
席
に お い て の 説法
で あ る 。 日 扇 は 、 曼 荼羅
本
尊
一幅
し か な い か ら と い っ て 利益
が あ る の か と いう
気 持 ち を 起 こ し て は な ら ぬ と 教 導 し て い る 。 そ の 具 体 例 と し て 、 つ ぎ の文
が知
ら れ る 。 慶 応 三 ( 一 八 六 七 )年
二 月 二 五 日 、 大 谷 近 重 宅 の講
会
に て 、 日 扇 が 説 法 し た 記録
『 愚蒙
勧信
抄 』 に は、 一 〇 七 一631
一長 松 日 扇 に お け る 教 化 活 動 の 一 研 究 ( 武 田 ) 本 尊 二 向 ヒ 合 掌 低 頭 読 誦 唱 題 ス レ バ 。 何 不 足 ノ 念 ア リ テ 。 余 仏 余 神 ヨ ね ヲ 敬 ハ ン ヤ 。 此 一 大 法 ノ 外 二 仏 神 等 ヲ ウ ヤ マ ヘ ハ 。 大 謗 法 也 。 ま た 、 同 年 、 中 井 徳 兵
衛
の 求 め に よ っ て 書 き 記 し た 『 下種
即脱
回 向 の 義 』 に は 、 此 中 に ま し ま す 大 法 な れ ば 。 此 一 法 を 持 奉 れ ば 。 万 法 を 具 足 し て 持 に て あ る な り 。 こ の 本 門 の 大 法 を 持 奉 る 身 と し て 。 本 仏 の 御 を し へ 。 御 経 の 意 に 背 き 。 如 説 修 行 の 道 に 迷 ひ 。 三 大 秘 法 の 大 曼 荼 羅 に 。 不 足 の 念 を。 お こ し 。 本 尊 の 外 に 。 余 仏 。 余 尊 。 諸 天 等 を あ が ワ め 。 ま つ ら ば 。 大 謗 法 と な る な り 。 と し て、 曼荼
羅本
尊
を 授与
の 後 、 本 尊 に 対 し て読
経 唱 題 す れ ば よ い の に、 不足
の 念 が 芽 生 え て 曼 荼 羅 本尊
以外
の 諸 仏 諸 神 を 敬う
こ と は 謗法
の 罪 に ほ か な ら な い と の 教導
が 示 さ れ て い る 。 以 上 列 挙 し た 三 つ の 史料
か ら は 、 曼 荼 羅 本 尊 以外
の 余 神余
仏 へ の 帰 依 を 止 め 、 曼 荼 羅 本 尊 へ の 信 行 勧 奨 を 教導
し て い る こ と が確
認
で き る 。 つ ぎ に掲
げ
る 『 講 談 要義
上 下 』 に は 、 明 治 三 ( 一 八 七 〇 ) 年 一 一 月 一 二 日 上村
席
で の 講 会 の 際 に 、信
徒 に 対 し て 教導
し て い る も の と考
え ら れ る 。 そ れ は 次 の よう
で あ る 。 今 モ マ タ 世 間 ノ 事 二 心 ロ ヒ カ ル ・ ヨ リ モ 。 御 本 尊 二 向 ヒ 。 り 強 ケ レ バ 。 諸 ノ 難 ヲ ノ ガ レ 。 所 願 成 就 ス ル 事 疑 ヒ ナ シ 。 口 唱 ノ 心 す な わ ち 日 扇 は 、 授 与 さ れ た 曼荼
羅本
尊
に 対 し て 、 唱 題 の 一 〇 八 心 を 強 く持
ち 信 行 に 励 め ば 、 諸 々 の難
を 逃 れ る の み な ら ず 、 願 い も 成就
出 来 る こ と は 疑 い な い と の 教 導 を 示 し て い る 。 ま た 同書
に は、 折 を 見 て 日 扇 は信
徒 に 対 し 、 常 日 頃 か ら 次 の よう
な 教 導 を し て い た こ と が み ら れ る 。 常 二 此 御 本 尊 ノ 中 央 ノ 御 題 目 ノ 中 二 。 心 ヲ 深 ク 入 レ テ 。 余 念 ナ ク ロ 唱 シ ア レ バ 。 即 法 花 経 二 此 迷 ヒ ノ 身 ヲ 任 セ 奉 リ タ ル ナ レ バ 。 御 題 目 ハ 此 信 者 ノ 迷 ヒ ノ 身 ヲ 御 預 リ 下 サ レ テ 。 タ ト ビ 臨 終 二 心 ヲ 。 ト リ ウ シ ナ イ 。 死 ス ト モ 。 常 二 一 心 ガ 本 地 寂 光 へ 朝 タ ニ 参 詣 ア ル 事 ハ 。 釈 尊 上 行 照 覧 ナ レ バ 。 此 人 寂 光 二 還 帰 セ ズ ト 云 事 ナ シ 。 ト 安 心 シ テ 行 け ソ ズ ベ キ 也 と し て 、 曼 荼 羅 本尊
に向
か い 唱 題 し て ゆ け ば 、 た と い 臨 終 の 時 に 心 が 迷 っ た と し て も 、 日 頃 の 信仰
を釈
尊
と 上 行 菩 薩 は こ 照 覧 で あ る か ら 問題
は な い 。安
心 し て信
行
に精
進 す る べ き で あ る と の 教導
が み ら れ る の で あ る 。 そ し て 、 最後
の 『 護 持 唱 題 如 説 鈔 』 に は 、 さ れ バ 。 此 身 を 一 切 如 説 修 行 の 御 教 へ に う ち も た れ 。 う ち ま か せ て 。 い さ さ か も 。 私 の ハ か ら ひ な く ハ 。 御 題 目 の 御 力 。 信 心 の 一 念 に よ り て 。 寂 光 の 本 宮 。 事 の 霊 山 。 高 祖 大 士 の 。 御 た ま し ひ 。 南 無 妙 法 蓮 花 経 の 。 御 本 尊 の 浄 土 へ 。 参 詣 せ ん 事 。 更 二 疑 ふ 二 及 バ さ る に こ と な し 。 ( 中 略 ) 御 本 尊 ノ 外 二 寂 光 ハ ナ キ 也 と し て 、 授 与 し た曼
荼羅
本
尊
以外
で は成
仏
で きな
い と 断 言 し 、 信 仰 の 教 導 を諭
し て い る こ と が看
取 で き る の で あ る 。 一632
一五