経営と労務−
野田信夫教授還暦記念希文集
須 崎 正 義
太論文集は昭和二十八年四月還暦を迎えられた成瑛大学政治 経済学部長野田信夫教授を祝賀するために刊行せられたもので
ある︒執筆者ほ成践大学の十三民の外に一橋その他の大学およ び東界から九氏が参加し合型一十二蕾五百余具に達するもので あって︑内容的に︑は改拾︑経済︑経営︑労務に跨るものである◇
野田教授の多年の研究成果である諸男作はよくこの・記念論文集
の仝論題をもカバーし得るものであることを思い︑今更ながら 深き敬意を表するものである︒
全論文は大体においてアップ︒ツク・デイトな問題を取上巧
㌧かも平明な用語並びに文調をもって論述されており︑従って
広い読者層にとり極めて有益であることを確信するJ唯誤植に ょる誤字がかな㌢多くあることは残念である︒
以下において︑劇応目次の順序に従って簡単な紹介を行うと
と粧する︒既に述べた通り極めて広汎な論題の全てを詳細的確 に解述することは制底不可能であるので︑狭並の経常と労務に 第二十九巻 第 山 号 /\卓
紹 介
︵九六︶ 九六関するものについてのみ梢詳細に且若干の読後感を加え説述す ることとしたい︒
巽博−拡大再生産表式の経済成長論的考察
拡大再生産表式と経済成長の理論とを比較検討するための地
固めとして︑拡大再生産表式か二般化して経済成長論的に考察
し︑マルクス理論の放心を明かにするnことに遠点を置くとして︑
多数の数式による分析により資本の有機的構成の高度化と資本 の加速度的蓄積の相互作用を明かにし︑蓄積過程の限界を拒弼 する︒即ち平均利潤率の低下傾向を蓄積率の増大によって補い
得なくなり︑資本の蓄積がそれ自体を阻止するに至ること︑放
言すれば︑資本の有機的柄成を高度化するよう資本が蓄積され ず︑従って拡大再生産ほ行詰らざるを得なくなると結ぶ︒
郷司浩平 生産性向上の問題
生産性向上問題ほ戦後逸早く世界的な関心を集めたが︑我国
でほ合理化への契機を包蔵しながらも︑インフレ.の昂進や朝鮮
動乱のために︑それについての意欲や関心の減退があり︑昭和
二十八年の国際収支の悪化による経済窮迫化により漸く根本的
な経営建直しが要請されるに至ったとなし︑負の経済白ユ山への
通は生産性向上に盛付けられた永続的なコスト引下げでなけれ
ほならぬと主張する︒
今次の生産性向
方式の導入であったのに対しでで企業活動全般に亘る経常管麗
の改替に主眼が置かれていること︑即ち経営管理ほ経営の諸套
素を結合して生踵力に具体化させることであるので︑その改善
柁この結合職能を質的に高めることであり︑従って生産性向上
対策の中心をなすものといいうるとする︒
我国においては︑経営管理の改酋がユスト引下げに及ばす重
要性が充分にほ認識せられていなかっ灸とし︑次い▲で生産性の
意義と当面の生産性同上対策の方向を取上げる︒﹁生産性とほ
企集の効率を意味し︑本来質的な概念であり︑労働︑設備︑経
営管理等経営に参加する一切のものを含めた生産力で︑マン・
アワー当りの生産m盟をもつて表わされる︒﹂とする︒これを利
潤的にいえほ︑生産性向上が結びつくのほ展気利酒でほなく︑
経営利潤である︒
生産性向上対儲当面の方向としては次の四項目を指摘する︒
イ︑設備の合理化よりも経営方式︑管理親絨の合理化︒ロ︑
慣接の生産部門よりも間接部門︑例えば輸送︑荷造︑修理︑資
材︑治・工具︑検査用具の整備等︒ハ︑生産技術向上のための
単縄化︑標準化︑専門化の徹底︒ニ︑調査機構の充実︒
最後に︑生産性向上虹ほ生産の現実の担い手であり労働者の
理解と協力︑少くとも抵抗.の解消が達成ざれていなければ成果 汁
ほ期待できないとして︑英国の労働組合が新しい進歩に対んて
行う協力を引用する︒
経営と労務1野田信夫教授還暦記念論文集 安芸鮫膚 日本の資源閑適
孜国水力電力資源の特殊性を取上げ次いで食塩等土地の生産
物について︑明治︑大正︵中期迄︶ の躍進とそれ以降における
停滞性を指摘し︑その原因として︑学問や技術が米︑蚕以外で
ほ大きな役割を果たしでいないことをあげる︒資源の合理的活
用が英行されていない例として︑澱粉過剰︑蛋白不足という国
民的食事情においてしかもなお外米劇五〇万屯を輸入する矛眉
を衝く︒
電力費源については︑その新規開発の困難化および費用の増
常性︑即ち投蟄に対する開発可能性の減少を明示する︒コスト
面での国際弥縫済競争力の低下を防ぎ︑且つ国際収支の均簡を
計り︑生産活動の規模を拡大するためには︑我国が現に持ちま
たほ取得し得る原料の特性と︑それを叡有効に使いこなすこと
のできる技術の可能性が国民経済に大きく反映するようになっ
て来るのである︒
かくて経済のあり方は資源につながるのであって︑この点の
理解から問題解決の方策ほ出発せねばならぬと結ぶ︒
肥後和夫 為替レートとl琴備水準
現在の我国が置かれている諸条件の下で国民生活水準を維持
するためには︑二々において我々の消費水準が輸入−加羊−輸
出0過程で発生する加工手間賃を超過しないこと︑しかも他方
でほ全産業の合理化のための資本帯帝が必要であることを明か
︵九七︶ 九七
第二十九巻 第一号
にする︒即ち耐乏恩恵を一応是認して︑合理的な耐乏方法の検
討を問題にする︒そしてそのための為替レートの水準のあり方
を井上財政に対する高橋財政の批判者としての経過に乱世る︒
為替レートの適正水準隼ついてほ︑既存の水準を所与の前提
として︑その上に国際収支の均衡する点に国民産嬰菌の水準を
決めるか︑完全履傭水準に見合う貿易規模︵および為療レー
ト︶で国際収支の均衡を計るかの二種であるとし︑諸価体系と
均衡したレートの必要性を説く︒大企業と零細企業の二極集中
とぃう我国産業構造における緊縮政策ほ︑価格引下と同時に数
多くむ限界企業を倒産せしめるとし︑昭和六年十二月の政変に
ょって井上財政に代っ壷局橋財政において︑完全展傭と国際収
支の正常化とを両立せtめた方式の構造に触れる︒
即ち戦前︑戦後の緊縮政策を対比し︑割高なレートの下で雇
傭政策との矛盾なくして国際収支の正常化を遂行し得るか否
か︑換言すれば為替高・低物価政策と平価切下げ方式とを比較
検討する︒
国弘鼻人 操業度測定の基本的な方億
メレログイッツの﹁原価と原価計算﹂︵山九五一年版︶に対す
る批判を︑多品種生産の場合を例にとって展開する︒まず操業
度の意義を経営の生産能力とその利用度の関係であるとし︑つ
ぎ鱒操業度の構成要素として時間的および る︒ ︵九八︶ 九八
経営能力とその利用度の測定用具としてつぎのニケの尺度を
数える︒
1︑生産物による測定︒
2︑生産費寮による翻定︒
また今B最も叫般的である多品種生産企業において必要とせ
られる⁚各品種の生産塩の基準品種生産量への換算について︑
メレログイッツの所説を引用する︒この場合にほ生産豊の換琴
が操米産謝走の不可欠の要件であるが︑メレログイッツほ換軍
紀当って使用せられる基準によって操業度測定方法を次の三種
に分ける︒
1︑標準品種に換算して測定する方法−例えば標準品種の生産
鼠に換肋弊︒
2︑所要作業時間数転より換算して測定する方法−標準所要作
業時間数により換算︒
3︑設備の所要利用時間によって換算する方法1設備の標準所
要運転時間数により換算︒
そこで多品橡生産企業での換算に当って問題となる点は︑第
一にはどの品種の生産塾に磯節するかであり︑︑撃荘ほ如何な
る基準により換算するかである︒そして第二の問題について
はこれを更に物恩義準と価値基準の二種とする︒物鼠基準とし
ては︑的確幾時間数︑回設備利用時間数︑1内相料使用量︑彗
㈹︑回﹂Mの二以上の組合せ︑㈹∴定時問の生産藍の五種をあ
同材粁費︑伺㈹︑回︑㈹の組合せ︑㈹同変動費︑N販売価格︑
洞限界利益率の七ケをあげる︒
猶価値基準を使用して換算する場合にほ︑そのうちで限界刻
益率を用うるのが最適正であるとし例示する︒
扮企業にとり操業度の測定はそれ自体が目的でほなく手段で
ある︒そしてそれにょって達成しょぅとする目的は︑特定の操
業度に対応する費用︑収益︑損益の変動を把録し︑それらを計
画し管理することであらゎぼならぬ︒そして費用︑収益︑偏益の
額と︑その動どきにマッチするような操業度を算出しようとす
れば︑限界利益率︵売止高から変動賀を差引いた残額︶を基準
として各品種の生産費
またそれが最適正風最的確な方法であると結論する︒
操光度の測定ほ損益分岐点︑ひいては利益管理を中心とする
問題の重要な部分であって︑教授が特に数年来熱情をかたむけ
ておられるところであって︑本論文は学問的にも実際的にも大
きな貢献をなし得るものである︒
西野茎二郎 利潤分配制度とその批判
まず利蘭分配とほ純利益の分配︑しか鳥契俄に基く︑そして
従業員の三分の仙以上に対する個人的分配であ為とし立論す
る︒次に制度の沿革および諸方式を述べ︑分配基準と支払方法
軋触れ︑各国における利潤分配制度実施状況一覧表を経本労働
窒調査から引用する︒
経営と労務﹂野田信夫教授還暦記念論文集 次に昭和二十六年十二月四日の.﹁経本労働室立案の利潤分配
法案要綱﹂▲の骨子なあげ略批判を行う︒批判の要点は次のよう
である?γ︑平時にあってほ利潤分配制度を取上ぐべき客観的
条件がないこと︒二︑この制度の実施ほその目的とする産業平
和にも貢献し得ないこと︒三︑制度実施に伴う経理公開等のた
めに却って紛争を多からしめること︒
利潤分配制実施の効果並び軋それ軋対する労働組合の態度を
米国における調査資料にょり解明し︑結局﹁我国でほ上フプル
なしに実施するためにほ︑利潤のある部分を厚生の面に使用す
る基金にするということになれば問題も少いのではないか︒﹂と
いう︒もっともこの方法ほ個人分配に限定する氏の定義からす
れば利潤分配制度で軋ないこととなる︒
最後に利潤分配制度と期末賞与制との関連につき考察する︒
そして利潤分配よりほむしろ期末賞与を可とし︑その決定を団
体交渉ぬよって行うことほ徒らに紛争を招くとする︒即ち経営
による自主的決定と経費処理を可とする︒
期末賞与の性格ほ要するに利潤の分配であるか︑または経賀
である賃金の後払分であるかであろう︒個人の分配分を生活保
障と綺合せしめるかあるいほ能率報償とかかゎらしめるかほ利
潤︑経費いずれの場合忙も可能である︒我国の現状では︑期木
質与ほ利潤あらば原則としては支給せられることになっている
慣習的な給付である︒
そしてその性格が利潤の存在に拘りなく支給さるべき賃金筏
︵九九︶ 九九・
第二十九巻 第一号
払部分を含むとなす考え方が山一︑三年前から塔頭していること
⁚膵周知の通りである︒
経費と利潤とはもともと相対的なものであるから︑西野氏の
説くように単に税法上の理由蔽よって形式的にほ経費支出の形
なとる如き場合にはその実際ほ利潤の分配であるとも解し得ら
れるであろう︒利潤分配を純利益の分配に限定して考察するな
らば︑この制度が労使関係の改善に対して有効でないとの氏め
見解には全く同感である︒この制度ほこれ迄に歴々論議せられ
たところであって︑好況時︑戦時統制︑労使関係紛糾時等に︑
それぞれ異なる衣を凝って登場している︒
概して︑特定の目的達成のための手段として実施せられる労
働者対策は︑それが必要とせられることが大であればある程︑
却って所期の効果を発揮し得ない条件や環境が存在することが
多く︑利潤分配制度もその例外ではない︒逆に制度が有効に実
施せられている経営においてほ︑必らずや賃金水準は高く︑︑労
務管理も全般的に卓越したものがあるであろう︒換言すれば︑
剖虔実施によって達成せんとす鳶﹁好ましき労使関係﹂ほ既に
大なる程度に実現しているであろう︒チェコの製靴王︑故バー
チヤー︵Bata︶は職長以上に対して︑損失の分配をも含む損益
分配制度を有効に実施し得たのである︒
孜労働に対する直接的対価としての狭義の賃金が︑最低賃金
制度や統岬的国父による決定によって︑所謂世間並水準︵gOing
訂詔l︶において平準化される傾向にあることほ周知の事実であ 二〇〇︶ 山00
る︒この平準化作用に対して︑経営の優劣による個度羞を形成
するものが賃金補完物︑プリンデ︵frin駕︶ 福利施設による給
付等の間接的給.蔓である︒これらの多くは現実にほ経費として
支出せられてはいるが︑その性格がプロシーズであることは申
す迄もなく︑︑更にほ変形された利洒であるともいい得るである.
ぅ︒このことは源資を生董出し得ない劣弱経営と対比すれば明
白であろちノ︒
利潤の分配を純利㌶の分配に限定せず労政者が特産経費の従
業員であるどとによって受ける広義の給与の叫環として隠花碑
物的に考察することも無意味でほないと思う︒もつともかかる
考え方ほ本論文の意図するところから逸脱するものごほある︒
中村清叫 法人企業統計調査とその分析
A ︵年二回︶︑B ︵年四回︶両調査による法人企業の旗借対照
表および損益計算器に基きケインズ公式を用いて国民所得討筆
にも貢献せしめんとする︒即ち特に国民所得と経済情勢に対す
る関係という副題の示す如くである︒文中においてだ本細⁝査の
精度の吟味が詳密になされている︒
高宮晋 経営組織と委員会
アメリカ経営者協会0調査による山五〇杜のうちの一山○祉
について︑委員会の還用状況を意思決定︑調整︑助言勧嘗に分
ち説述する︒先ず委員会がより有効環場合と︑個人決定が有効
な場合とが例証されているが︑それを図示すれば次の如くなる
個人換定が有効
委員会ほ公式に制度化逆られた会議︵fO巧mal meetin巴であ
′るとし︑そこにおける共同の判断︑共同0決定が︑如何なる条
・件のもとにおいて必要であり︑またほ不適当であるかの問題を
・検討する︒委員会にょる決定の長所は︑それが安全性︑説得性︑
・納得性を具えているためであり︑短所ほ判断の創意性︑能率性︑
遍員任と権限の明確性等を欠く点であるとせられる︒
組織論的には︑委員会が各々職務を異にする委員紅よって構
・成される場合にほ︑組織の原則に反す故誤であるとして販売︑
経営と労務−野田信夫教授還暦記念論文集 JCあろちノ︒
委員会が有効 製造︑経理等の各部長から構成せられる委員会匿よって新製品 の決定を行う場合を例示する︒そしてかかる場合には委員会は
自己調整機関として機能すべきであって︑その基礎の上に立
ち決定を行うのは直接の上位者でなけれほならぬとする︒
意思決定機関としての委員会は︑委員会と同じ職務を担当す
る委員ぬよって構成さるべきであるとし︑適例を取締役会に見
出す︒またそこでの決定は基本方針虹限定すべきであって︑全
般的執行方針の決定は社長においてなすぺきであるとする︒
次紅調整の機能は職能の分化のうちにすでに含まれている︒
即ち他の職務との関連で目己の職務を遂行して行くためにほ︑
内面的調整である白己調整が必要であり︑また行われている︒
自己調整ほ意見が分立した場合にほそれ自体としてほ調整し
〟得ないので︑この場合調整の公的権限わ保持者は直接の上棟着
である︒
委員会の共同決定にょる調整ほ上の何れの.調整でもなく別個
のものであり︑即らそれは安全性︑説得性︑納得性が必要な場
合紅有効になされるものである︒
扱方針決定に関する共同判断は多くの雉点をもつが︑助言勧
告に利用せられるならば多くの効果せ発揮することが認められ
る︒尤も勧告案ほ依然として共同決定せられるものであるので︑
程度の差に過ぎないともいえる︒そこで︑特に必要でない限り
は助言勧告迄行かずに自己調整機関に止めて置くことが妥当で
あるとされる︒即ら討議の結果を整理し︑.多激怒見少傲意見と
︵山○こ 血○山
第二十九巻 第一号
して社長に勧告するに止⑬る︑か︑直接上位者が委員会に参加し
七自己掴整不可能の部分をその場で調整する方法が能率的であ
るとされる︒
経営組織において委員会の占める役割は重大であるにも不
拘︑敦国でほ未だこれについては充分な解明が行われていない
サ ので本論文の如き資重な成果を得たことほ串である︒ 今井忍 経営組織の基本問題と原価管理組織
原価管理を技術的経営管理に対する経済的経営管理︑即ち経
顔面における管理であるとし︑管理のための原価計算はそれが
経営の実態を反映するものでなければならぬとする︒即ら単に
奥造のために発生した原価費用を討静するので濾なく︑現場か
らの詳細な報告た基き原材料︑加工々程︑製造方法等を原価数
.値に反映せしめるとともに︑その経済合理性を判断し︑その結
尭を製造現場に報告する義務・督有するものであるとする︒
原価区分の問題については︑﹁計算の枠﹂の合目的的再編成
を説ヰ︑理想として管理単位と原価単位の一致︑更には作業単
位との劇致を説く︒
=佐藤功 行政組織における職階制
我国の行政組織
が︑本格的採用を見ない前に影浮くなりつつある理由を探求す
為︒米国匿おける制度の成功は︑それが科学的管理法の政府行 ︵山〇二︶一〇二
政分野への適用にょるものであったことと︑猟官制度 ︵sp邑s
Sy裟em︶ゐ弊が甚大であったため︑それを是正する冒的をむつ
て採用せられたことによるとされる︒もともと歴史的にほ行政
の組織が軍隊の組織とともに経営粗放の中に母体として取入れ
られたものであるので︑職階制の場合ほ経営組織における成果
が行政の分野に逆移入せられた訳である︒
斑我国の国家公務員法箪一条は公務の民主的且能率的運営の
保証を要求している︒これについて教授ほ︑民主的と能率的の
優先順位について︑企業の場合
即ち企業では能率が第一次的であり︑行政でほ両者が第一義的
そあるとする︒併しながら現実紅は︑行政能率と民主的統制と
の矛盾なき調和︑同位的併存は問題であろう︒
次に﹁職﹂の観念が企業の場合と行政とでほその内容を異に
する点を衝く︒由ら企共における職ほ︑作業場での分業と協同
に基き各人に割当てられる概念であるの札苅し︑行政において
はそれとともに︑外部即ち人民に対する関係においてほ権力行
使であるという面をもつのである︒ヒエラルヒ一についても︑
行政でほまず権限︵官庁の鼠高位者の権限︶が先きにあり︑そ
の権限が漸次下紅おろされて行き︑その結果ヒエラルヒーが出
来る︒行政でほかくて元来官職濫対する社会的評価が︑官職に
対する身分的評価に容易に結びつくこととなる︒
ところでへ職階別においてほ官職を占めている職員に対する
的な評価を職階制と もの上して排斥するのであ
為米国における行政職階制の成功は︑権限と身分が混同せられ
ることがなかったことと︑能率と民主的統制の両立にょる庵の
とせられている︒これに反し我国では制度の成功のための条件
が備わっていないとし︑故国の特殊性に基く諸制約として次の
ものをあげる︒
イ︑我国官界での能率の観念ほ末梢的であり︵事務的︑機械的
技術的︶︑単に机の配置︑採光︑ファイリング等のみを問題
卑し︑大衆のための行政機能め発揮という政治理念と結びつ
いたものとしては考えられなかったこと︒
淫︑官尊民卑思想から︑官職を私企業での同州隊務と異るもの
のように見て来たため︑官職の職務頑容の分析︑襲現を避け
る傾向を生んだこと︒
人︑我国では専門家ぬよる専門行政という考え方が極めて稀薄
であったこと︒即ち庁内の各種部門の仕事を歴任して上級の
地位に昇るというやり方が一般的であったこと︒
皇︑我国では伝統的に官職が身分的評価を伴って来たこと︒
ホ︑給与水準が余りにも低いために︑.生活可能な給与を支給し
ようとすれば係長以上の官職に就かせなければならなかった
こと︒即ら給与法での分類の不備が行政機構の不合理な尤大
化をもたらしたこと︒
要之︑我国の官および私企業においては合理的な職務観が存
在せず︑このことが職階制のみならず広く科学的な管理方法を
適用する社会的基経の欠如となっているのである︒
経営と労務−野田信夫教授還暦記念論文集 木村遵こ 米国におけるl九こ○年代の職務分析の発展につい
て
職階給制は職務の評定と評定結果に対する賃率の簡妖という
二.つの手続を経て構成せられるのであるが︑本
の職務評定の基礎をなす職務分析の進展の歴史を跡づけたもの
である︒テイラーのなし得なかった職務分粋がリッチナ一にょ
って始められたこと︑その動機は正しき刺戟給︑労働者の納得
の得られる賃金の設定にあったこと︑その後クレイやノイッぺ
ルの努力にょって分析方法が改善されたこと︑職務分析に当っ
て採用される職務構成費紫の理論的根拠を求めるためになされ
た種々の暗中模策的試み︑分析用語の明確化等々当時の米国に
おける職務分析の発展経過並びに職務確立への努力が明らにせ
られている︒
米谷隆三 監査役小論
株式会社法上の泥沼的課題とせられている監査役制度を現行
法上の問題として取上げた充実した有益な論文であを︒業務執
行と監査︵兼務および会計の︶ほ相対立する機能であるとの前
提粧立ち︑オランダおよぴドイツ系から英米系へ移行した我国
の監査役制度が︑それぞれの国における制度の在り方とほ異る
歩みをもち無力化し︑立法の期待を袋切った原因な討究す︑る︒
我国監査役が機能を正当に果し得なかった理由として教授
は︑監査役が取締役の下風に立つこと︑会計の分らない監査
〇三︶一〇三
第二十九巻 第一号
h役や業務の分らない監査役の多いことをあげる︒が蕊でほ指摘
.れている長老︑顧問︑大口俵権者または株主︑年功を経た部長 乳れないが︑別の処で日本の監査役の毛並の種類としてあげら
▲等のうち︑前二者はドイツ的監査役の色調を嵩びることも多い
であろうから︑そうなれば制度的にでほないが事実上取締役の
い上風に立ち会社の主役となることにより法の期待する機能を止
・当に果し得ない監査役は我国にも存在するといえよう︒
孜業務監査については︑株主の利益代表と経営有能者︵即ち
・大株主たる社外重役と非株主たる専門経営者︶ とが併存対立す
るならば理論的には差支えないが︑我国の現状でほ必ずしもそ
・うでほなく︑従って現行制度でほ業務執行と監督とが取締役会
という同山の機関に属すことほ職能の分化以前である︒即ち尊
らあるいは主として社内重役からなる取締役会が︑監査役のも
つ業務監査権を巻頭したことほ不合理であると循摘する︒さら
にこれを是正するためにほ︑業務の執行と業務の監査を同穴同
l類が担当する不合理を改めることが必要であり︑そのためには
由緒役選任方法に法的規整を加え︑株主代表として監査機能を
・もつべき老と︑業務執行をもつぺき者とによって構成されるよ
.うせねばならぬとする︒
次把以上の立論を更に進めて︑取締役会ほそこで資本と経営
とが耐屠するところであらねばならぬとして︑経営学の通説た
る出暦と経営の分離に対して立法的抵抗を試みんとする︒そし
ゼ監査役の問題として寧ろ監査役の方に業務監査権を奪遊せし ︵一〇四︶一〇四
めんとすノる︒
次に会計監査について︑公認会計士によるものと監査役にょ
るものとを対比せしめ︑株式民主化という理念的立場からは会
計士によるぺきであるとする︒併しながら︑監査役が有能且強
力であかならば︑内部の者による監査にほそれとしてまた別の
意味があるとする︒
監査役の問題ほ業務監査についてほ取締役会と接触し︑会計
監査についてほ公認会計士の問題と接触する︒いずれにしても
我国の立浪転監査役についてほ不定全︑不用意であるので︑そ
の蟄格︑一選任︑職務権限や音任等に関する規定については深い
反省を加えねばならぬとし︑特に何よりも先ず比較法学的に吟
味すべきであるとする︒そして株式会社泳二本でほ不合理であ
牒とし︑大規模会社と中規模会社の二本建制をとり︑前者の監
査役についてほ現行法の方向において︑また後者のそれについ
てぼ旧法の方向において立法がなされるべきであると結ぶ︒
独白の監査機能存在の意義ほ承認されねほならぬとするが︑
今日では広義の藍査機能には既述の業務および会計の監査のは
かに業務執行者たる社長がコントローラーをして実施せしめる
内部統制的なものがあることを忘るぺきでほない︒業務監査は
株主の利益代表としての監査であるというが︑今となってほそ
れが株主の近視眼的利益の代表でほあり得ないし︑また厳密に
言えば業務執行の批判的監督稟蔽は農務執行者以上の経営的有
能性が要求せられる筈である︒かくて所謂広義の監査機能転分
化すぺくして分化し︑取締役会︑公認合計士︑コン小口ユフー の三者にょって分担せられるに至っているのである︒
監査機能の有効適限な発揮を実現すべきことにはもと︑より異 ▼論はないが︑それほ教授も指摘されるよう匿大部分は取締役会 の構成の問題であって︑そうなるペき必然性にょって半身不随
化した監査役の機餞の強化後清に今更活路を求めることほいか
がなものであろうか︒
絶島久雄 アリストテレスの家庭経済及び経営観
アリストテレスの経済学もしくほ経済的思想を体系づけ︑そ
れが現代の家政学あるいは家政経済学において踏襲されている
ことを指摘する︒
顔藤隆富 商店経営の類型とその立地条件について
武蔵野苗の商店街︵あるいほ商店群︶に闇する調査であり︑
尭ずそれを専門塾︑社会型︑生活型の三類型蔽分ち︑それぞれ
の形成過程及び相互関係を解明する︒
専門型両店群ほ生活型及び社会型の二類型あ発展的形式であ って︑住宅街としては他の二型の商店を欠く地域忙おいて専門
塾が成立する条件ほ見出されないという︒社会型商店群ほ主婦
の員廻り歩行限度︵半径約五〇〇米︶内外におーYて︑生活型商 店群の同心円的発展として︑あるいほニケの生活型商店群を連
結する位置を占めるものとして形成せられる︒
経営と労務−野Ⅲ信夫教授還暦記念論文集 生活型商店群は他の二類型の何れにも必ず附随Lて存在する
が︑それ以外に専門型を中核として社会型︑生活型が田植造を 示す場合︑専門型と社会型との間でパッチ的に構成される場合︑
あるいは市場︵ィチバ︶を形成する場合等があげられる︒次で従来のこの程研究において不充分であっ′た商店経営のた めの立地条件む検討のために統計的な量質的研究を取上げる︒ 二駁的にいえば︑商業が問題とせられるのほ都市においてであ るが︑都市の立地条件にほ地理的︑礼会的︑産業的の三面がある とし︑それらを南米に限定して考察する︒即ち商業的立地の問 題ほ発言商品を需敦する場所め位覿及びそれへの距離︑二以 上の場所の相互関係㌧準正野良人口の貿と崖の問題︑第三に
ほ警貝︵販貫︶せられる商品の質と鼠の問題︑第四年商品を薙座し交易する機能の貿と鼠の問題であるとする︒そして商業経 営の立地条件がそれらとの関連で静態的にあるいほ軌態的に複 雑な組合せを作るものと考え︑各格の人口統計︑地域別にょる 地目別土地面積比率表︑地域別にょる業態別商店数︑地域別に よる商店数及び従蓉只の企米形態別比較表等を基臍資料として 挙げる︒ 次に飲食品店︑飲食店︑衣料店等につき更に詳細な分析を試 み︑商店数及び従業員数︑劇店当り世帯数段階表等にょり商店経 営上の限界条件を探求する︒即ち前記業稗についてそれを細分 し︑小店当り世帯数の多少により各々を六ケのグループに分ち 第三グループ以上の性補数を必要とする商品の取扱ほ専門型商
︵仙〇五︶ 1仙〇五
無二十九巻 男 山 号
虐筒に限ることを示し︑また輿る菜種を同一グループに配すこ
とにょって生活型から兼営を経て社会型へ移行する根拠を示
す︒
第二次大戦を契機として急激に膨麗した中央線沿線都市の特
殊性を始めとし︑教授の指摘される各種の修正要素を駆使して︑
武蔵野市の商店経営の立地条件の歴史的解明を望野することを
許されたい︒
女藤英治 ドイツにおける独占資本の¶傾向
自由主義及び個人主義思想の欠如と国家の独占化助成とによ
ぅて︑ド小ツにおいてほ産業資本の発展開始と同時に独占の崩
寿が見られた︒また独占の前提である大企業化は︑資本主義的
綾進性のため最初から大企業的性格をもつものが中核であっ
た︒そして資源を持たざる国であるため︑生産技術が大きな役
剖を果たし︑技棉が資本集中を要求する部門において独占が強
力に形成せられたとし︑独占形成の歴史的傾向を肇一次大戦の
前と後とに分けて論究する︒
第一次大戦前の独占は重工業を中核とし︑後には化学工業及
び電気産業において成立した︒そして集中の推進力については
鍛行を不可欠のむのとし︑企業家団体やユンカーが大きな役割
︑を果たしたことを指摘する︒
第劇次大戦後の不況克服策として再軍備が重工業によって求
あられ︑ナチ政権の出現により藍工其の天国とユンカーの楽園 〇六︶ 山〇六
︵ユンカーの生産品た藩穀物及び飼料の高価格︑農民の生産物
たる家畜及びその産物の低価格政策による︶ が実現した︒また
これとともに中小商工業者ゐ労働力源泉化︵計画的プロッタリ
ア化︶が行われ︑更に重工業面での生産拡大ほ生産条件の拡大
を必要とし︑プールやオーストリヤ併合が行われたとする︒
かくて十九世紀においては大資本と小農本とが対立していた
のが︑今世紀に入ると独占の発展により全シソデケートが小資
本化し︑更にナチ政権においてほナチ領袖自身の重工業資本家
化にょり︑重工業以外の山切の独占栗本が小資本化した︒
そして重工業資本とナチの使者及び政治支配淀ドイツの後進
性と結合して﹁ドイツの悲劇﹂となったことを指摘する∵
村瀬興雄 ワイマール共和制期の農民の政治的動向二九一九
−岬九三二年︶
東プロイセン︑ボンメルン︑メクレンプルク︑ハンノーフエ
ル︑ライン地方︑バイエルンにおける虚民の投票の変速を通し
て︑ワイマール共和制下の農民が広い政治経済トあ自由をも
ち︑概して政治意識に富姦︑よく各政骨を選択して幅の広いう
ごきを示していたことを明かにする一︒
小島綻作 我′が国における近代企業の形成
副題の示す如く︑工作機械工業について明治維新以後の我国
の資本主義化を新技術の習得という生産技術上の要件と︑株式
会社経織化という企業粗放上の要件に分け叙述する︒ 我国の機械工業は造船︑車輌︑電機等軍事的機械工業の発達 と︑その基礎部門たる工作機械工其の近代化の立遅れ︑エ作機 械の全面的輸入依存という特殊性をもら﹁日本資本主義におけ る頗倒形態﹂として指摘せられている︒上述の如き特殊性を︑
由中久重の田中製作所︵彼の芝浦製作所︶︑池月庄太郎−の池月
鉄工所︑八幡製鉄所等々の発展史を通して吟味する︒ 工作機械工業が漸く近代企業としての緒についたのは第血次
大戦にょってであり︑大正四年に−ほ僅かながらも対英︑対露輸
血を見るに至った︒併しながら戦後の不況にょって後退軍縮⊥︑ 疲術的にも企業的にも斯菓が確立されたのほ昭和十三年以降︑ 軸ち法による保護奨励を保証されてからであるとする︒尤も明 治初期においても保波育成下にありながら︑しかも他産菜に比 し発展の立遅れたのほ︑マテエフアクチェア的素地さえ皆無で あった当時の我国の技術並びに設備の貧困と︑大量生産を支持 する市揚の欠如にょり企業に安定性がなかったことにょるとせ られる︒ 略十年日毎に経験した戦争にょる武装経済化と︑これまた約 十年という工作機械の耐用年数の一致により︑工作機械工衆ほ 近代化への発展を辿り︑第二次大戦では経済被封鎖による海外 依存からの脱却の必要性及び需要増加にょる膨脹︑そして駿滅 的打撃を受け︑戦後の生産数は重畳に換算して︑最高の昭和十
人年に比較すれほ︑二十五年ほ二%︑二十六年は四%に過ぎな
経営と労務−野田信夫教授還暦記念論文集 い︒併しながら生産力の復興が喫緊の要務とされている現在︑ そして高級工作機械の生産へ指向すれば前途の光明の期待し得 ないでもないとする︒ 山中宏 米国資本市場とプライベート・プレイスメント
一九三四年以降における米国の企業資本の調達の特徴を都留
箋人教授に従って次の二つに求める︒
第山︑長期資金調達としての内部調達たる自己金融︵精立金及
び減価僧都による︶のウよイトの増加︒
第二︑外部調達についてほ﹁直接引受﹂による.pコ邑e︒rdi・
rect p−acementが増加しっつあること︒ プライベート・プレイスメンバとは︑有価証券の発行に当っ
て投資銀行などの手を経由せず︑発行者と投資家とが直接に発 行条件について交渉を行い︑投資者が直接直その証券を最終投
資者の資格において発行者から買うことをい㌢︒米国では有価
証券の発行に当ってほ投資銀行が介在するのが普通であるが︑
山九三三年の有価証券法制定により︑有価証券を公募する揚合
には同法に基き種々の義務︵登録費用や手続︑法上の式任︑待
機期間等︶を課せられるため不便不利を蒙ることとなった︒こ
のため直接引受の方法が採用せられるに至り︑これが投資者た
る保険会社特に生保会社の事情と相倹って飛躍的発展を生んだ
のである︒即ち生保会社は尤大な長期資金を抱えしかも投資に
は厳重な制限が設けむれている︒︵生保会社の普通株への投資
︵山ノ〇七︶ l一〇七
第二十九巻+男 ∴ 号
症二九五山年迄ほ認められておらず︑同年以降始めて総資産の
三%を限度として認められるに至った︒︶従って仙流会杜の社債
・ほ生保会社にとり鹿二二り莞全確実な投頁対象たる長期債権であ
Lソ︑一九四〇年以降?丁年問︑生保による壇按引受は連年それ
による社債発行額の九〇%な超えている︒この事実ほ直接引受
による資金供給老としての生保会社の地位の重要性の急増を示
すものであるとともに︑反面投資銀行の活動分野を便蝕狭塩化
・することを志昧する︒
英国においても同様のことが見られ︑また我国においても戦
前既に同様の構想が提案せられたこともあるので︑生保会社の
責力充実につれて問題化するであろうとする︒
勝木新次 経営と労幼帝生
大阪労働基準局が実施した従業員二〇〇人以上を有する二九
孟単発場についての労働衛生管理の実態調査を手掛りとして立
人肌されたものである︒先ず衛生管理費支出の内容から見て︑施
・設関係の支出の多い.事業場と医療支出の多い事業場の二類型を
あげ︑前者が概して衛生管理に熱意を有する老舗であり︑後者
は戦後始めて管理表務せ課せられるに至つた戦後派であるとす
る︒
蜜た哉国の医療施設の特徴として︑診療施設をもつものが会
し体の八〇%を占め︑しかも諸外国の工場虹見ちれる如き救急所
ヰ施米肋程皮のものでなく︑﹁病院﹂の形を具えたものが多い 二〇八︶ 二じ八
ことと︑社会保険の存在にも不拘経営の医療歯音出が多額であ
ることほ︑ともに我国の男拗衛生管理の特徴であるとされる︒
そしてこれらの特徴の発生原因を歴史的に探求し︑繊維産業に
おける結核問題︑寄宿舎から発病者な帰郷せしめることに対す
る世論の批判︑社会保険の運営並びに診療舶綾函の欠醗︑戦時
中の健民強兵恩恵に基く因の政策の代行︑業務外的私病に対す
る父椿主裁的施療等々を指摘していることほ誠に同感である︒
次に近代的経営と労働衛生︑及び産業合甥化と労働衛生管理
を取上げ︑医療が労働薯ゐ保健対策車で大き姦ウエイトを占め
る状態の下でほ労働衛生管理ほ労働者のための福利厚生の仕事
としてのみ考えられ︑鎮産の担い手としての労働者そのものの
管理として経営内紅おいて正当な位置を考えられることほない
とする?また工場医の僅終についての吟味がなされ︑第±次大
戦中の鼠的質的労働力不足の洗礼匿より始めて正しき労働衛生
管理へ開眼されたことや﹁衛生管理者﹂の実現に触れ︑兼に職
業病問題の構頑︑作業環境改昔努力の顕著化︑
持との関連において︑疾病コストや疾病による労働時間損失に
関する研究が進展したこと等により︑労働衛生管理と生産管理
との協同が生れ︑また労働衛生管理が近代的経営管理の中にお
いて正当な盛を与えられ始めたことを指摘する︒
猶職務分析︑疲労研究等による標準作業費︑標準男拗要員の
決定に対する労働衛生管僅側め音献が説かれているが︑これら
の事項は私見によれば前記の労働時間損失を含む労働力損失と
ともに標準労働力の吟味忙必要なものであり︑標準労働力の育
成及び維持が経営労務管理の究極の目標であることは聾者が古
くから主張しているところである︒
佐々木斐失 投術と人間性−アメリカ産業社会における人間関
係を中心として
人間の運命を支配しているさまざまな歴史的契機のうち最優
勢なるものは人間白身の作り出した﹁技術的環境﹂という因子
であり︑七かもそれほ︑その働きかけに対してわれわれがきび
し.い形で対決を迫られている重大問題であるとする︒そして人
間性に及ぼす技術の影響を︑﹁産業関係﹂を指礫として米国産
柴社会の分析から求め︑問題の跡伺けに対する米国社会学の功
績と限界を解明する︒
アメリカ産業ほ最初から資本主義経済の軌道に乗った発展を
示しているが︑これ程豊かな産業発展の内部で十九世紀におい
て既に資本主義的生産構造ほ労働者たちの運命に暗い屈折を与
えている︒そしてこれに対する戦いが労働騎士団︵∵八六九年︶︑
A・F・L ︵仙八八一年︶ Ⅰ・W・W ︵山九〇五年︶ であると
する︒
次にアメリカ資本主義経済の発展過程において労働や生産工
程がどのような方式を示し︑またそれに伴って人間関係や労働
関係がいかなる形で変遷してきたかを見る︒即ち手作業から磯
城作業への移行に伴う労働者の非個性化︑機械に対する従属化
経営と労務1野田信夫教授還暦記念論文集 の成立︑労働のもつポジティブな意義の喪央︑自由平等の形式 的保障の上に現実紅は階級関係と人間の機械化の存在等を指摘 する︒そして近代産業の生産形式の行きついた蚤としてマス・ ブロをあげ︑テナフー・γステムやフ︐牙−ド・システムによっ て労働者ほ新しき苦界に沈倫するに至ったとする︒これに対す る闘争ほ︑経済闘争が労働組合運動を通じて行われたのに対し て︑人間性の取扱に対する不満の表現という形を取り︑従来の 労働関係においてなおざりにされていた根本的問題についての 反省を促すに至ったとする︒
精神工学−人間工学−産業社会学の発展過程を跡づけ︑行わ
れた二連の実験を型の如く紹介する︒そして一方に豊富な栗源︑
高き生産性に基く高き生活水準によって維持されているアメリ
︑カン・デモクラレーが腐らす比較的安定せる社会的精神構造と
産業平和︑他方帝国主義的な巨費の支出により辛うじて免れ得
ている慢性不況及び大蜃失実の不安︑大衆の精神的顆廃と支配
階級のファッレズム化の徽候という脅威を鉄く衝く︒
産業関係は山般的な社会的精神的関係の基本的な骨組であ■
り︑米国ではそれがまたあらゆる人間関係の基準とならざる懲
得ないことを説き︑人間朗係論についてのシカゴ・グループの
爵献に触れる︒
アメリカ社会学者が実践的目標を追求するあまり︑心理の世
界に深入りし過ぎ︑経済構造のなかに根をもっている主要な産
業葛藤の解決を︑心理の面からほかろうとする﹁向う見ずな野
〇九︶ 山〇九
第二十九巻 常 州 母
心﹂にとりつかれたとのフリードマンの言を引用する︒
技術の進歩が産業払おける人間関係と人間性とに懲らした今
一つの重大な変化として︑新型の経営エソジュヤ1の誕生をあ
げ彼らほトップ・マネー汐メソトと労働者とを媒介すべき役割
をにないながら︑実は両者の間に社会的分裂を拡げる結果とな
っていること︑乳た経営エソ汐こ盲−ほ人間を事象の如く取扱
い︑工学エソジュヤーはあまりにも分化された専朋に閉じヱも
り︑広い社会的責任を負おうとほしないとして︑経営︑工学両
エソ汐ニヤーQ角質化を指摘する︒
米国社会学は刻念な現地調査や実証的研究により貴重な記録
を積み上げてほいるが︑そのパースぺクティプは微視的である
ため︑多元的複合的な存在である人間の具体像を把握すること
はできないであろうとする︒
社会はその底面に必ず人顆学を含を︑頂点ほ仙つのヒユマニ
ティーの理念に帰結されねほならない知識の円錐体である︒
人間問題ほまた制度の変革によるだけでも解決され得ないと
し︑ソ連においても上述したことほ共通の課題であり︑従って
米国での人間関係研究ほソ連における労働関係の解明に対し寄
与するところのない異質なものでほないであろうと結ぶ︒
藻利重隆 ﹁経営的人間指導﹂と労務管理−フィッレヤーの所
論を中心として1
欝一次大戦後科学的菅野法紅対する反省として成立した米国 劇○︶ 山一〇
の人事管理は︑第二次大戦を経過することによっで人間工学︑
精神技術的方法のもつ限界を克服するため人体関係論的方法の
登揚を見るに至っキこのことはド﹂ッ担おける社会的経営政
東から経営的社会政策への発展においても見られるどして︑ギ
ドー・フィッレヤーの﹁人事管理と経営における人間指導﹂を
取上げ精緻な展開を試みる︒フィッシャーは人事管理が経営匿
おける人間指導ないし経営的人間指導へと拡大されつつあるこ
とを強調する︒即ち人事管理は雇用︑評価︑昇進︑配置転換︑
解雇に関する一切の業務であって︑そこでは労働者ほつねに管
理せられるものとして客体的にの魂把握せられる︒そして人事
管理のうらに成立する匿至った社会的配慮も人事管襖の本質を
変更するものでほ決んてない︒かかる人事管理に満足し得なく
なった経営努力は︑経営における労働者を主体として把握し保
謹せざるを得ないとの認識に到達して︑経営的人間指導へと拡
大されざるを得なくなるとザる︒
彼によれば今日の人間は技術︵人事管理もかかる裁術の.一つ
︶並びに近代的時代精神により︑労働時間及び自由時間を通じ
てつねに﹁大衆化﹂の危険にさらされている︒そして大衆化は
人間性喪失︑作業紅対する個人的責任の忘却︑作某能率の低下︑
労働の音びの削減を招来するとし︑その対策として経営共同雁
北による個性の高塩︑人間化の努力を説くのである︒
彼ほ経営を目して︑資本取引の場所であるとともに︑そこに
おいて多数の人が同時に職務を遂行し︑生活の資を得る作業場
所であるとする︒そして人間的社会秩序の領域においては︑経
営は国家︑地方自治体︑家族等についで見られるような﹂つの
有機体をなすものであり︑このことが企業者の任務に関して新
しき認識を要請することとなるとする︒︵経営を共同体あるい
ほ有機体と見ることについては多くの吟味を必要とするところ
であるが︑経営がそこで働く人間への必要な配慮を意識せざる
を得なくなっていることには疑問の余地はない︒︶
次に偲ほ﹁大衆化﹂克服の目標たる経営共同体の形成につい
ての要件に触れ︑経営共同体の形成に関して解決に努力せね
ばならぬ二らの任務領域として︑社会学の共通財産たる﹁扶助
性﹂及び﹁連措性﹂をあげる︒この同原理に基く管理にあって
ほ︑従兼良ほ︑原料や金銭の如く単に密理せられるものでない
ことが明瞭となり︑個々の人間が問題とされ︑個性価値が伸張せ
られ︑各個人が全個性を経営のために投入し得るような経営雰
囲気乃至気風が形成され得ることとなかとする︒
かくて人間焼喪失の対策としての経営的人間指導ほ︑﹁人間
化的黍力﹂の岬つとして理解されるのであるが︑教授ほフィッ
レヤ﹂がそれを必ずしも企業の内面的要請にもとずくものとし
て考えてはいないことを指摘する︒
彼の経営的人間指導め特質ほ︑右に述べねように労働者の個
性を尊重し︑伸張し高揚︑することを任務とするものであるが︑
とれを基礎ずける原理として﹁作業心理学﹂および特に﹁経営
心理学﹂を提唱する︒
経営と労務−野田信夫教授還暦記念論文集 彼ほ人事管理から経営的人間指導への進展の過程を︷作菜の 組織化﹂む発展のうちに理解できるとし︑そのための用具とし てテイラーの労働精神技術から適性心理学︑作菜心理学を経て 経営心理学への発展を説く︒即ち労働精神技循蔽おいてほ単に ﹁作業の最普の形成﹂のみが問題とせられ︑適性心理学ほかか る作業に適合する人間を類型的に探求し︑作業心理学に至って 人間を研究の中心に措定し︑この人間が作美︑職場︑経営に対 しでもつ交互作用を確立しようとした︒経営心理学は進んで同 じ経営︑同じ作業場に働く労働者相互間の交互作用を問題とす るのである︒
作発心理学及び経営心理学が経営過程の粗放的形成に使用せ
られることによっで人事管理は経営的人間指導へと発展すると
いう︒
フィプレヤーによる経営的人間指導の課題ほこれを次の如く
整理し得る︒
常山の課題†作業阻害の克服︑即ち人間協働の阻害を追及し除
去すること︒
1︑技術的︑専門的作菜阻害の克服︒
イ1 訓練ないし職務経験の木足に由来するもの
の克服︒
ロ︑作業方法︑作業場の形成及び現存作業関輝
から発生するものの克服︒
ハ︑住居及び私的環境が作業領域に及ぼす影響
︵一∵こ ﹂ニー
ヽ
第二十九巻 常 山 号
によるものの克服︒
2︑人間的作兼阻害の一克服︒
イ︑閻々の労働者の素質に由来するものの克服︒
ロ︑家庭的関係が従業員間の不和を通じて表出 ′
するによるものの克服︒
ハ︑社会的領域での同情や反感が職場や経営に
作用するものの克服︒
第二の課題Ⅰ人間関係秩序化の積極的側面︑即ら経営共同体の
形成︑﹁人間関係の形成﹂であって︑それに関し
て四つの可能性をあげる︒
1︑協働者の教育︒
2︑協働者の訓練及び昇進︒
3︑上位者と下位者との間の心理的に正しい関係
の形成︒
4︑全協働者の経営事象の利害に対する参与︒
以上の・一連の努力によって︑機械化された作兼方法の部分と
して︑また合理化施筒の対象として代替性をもつに至った人造
人間ほ︑再び肉体と精神とからなる本来の人間に立帰るとす
る︒
猫彼ほ在来の人事管理が取上げてて釆た諸問題中とくに次に
ついての人間指導的展開の必要を強調する︒
1︑経営秩序ないし就業規則の問題︒
2︑新入従業員の人間的世話︒ ものと解すぺきであるヱと︑及び喪失された人間性の内容ほ ︵仙 二一︶一一二
そして社会的経営政策ほ端的に労働能率の増進を志向するもの 3︑病気︑休暇等の場合の代理の問題︒
政経営的社会政策から区別せられる経営的人間指導は経営的
経済政策︵またほ単に経営政策︶の二樺であり︑経営縛経済政.
策ほ社会的経営政策と技術的経営政策によって構成せられる︒
であると解されるので︑経営的人間指導あるいほ経営的経済政
策を効果あらしめるにほ︑経営的社会政策の実施を前提とする
こととなる︒かくて人事管理︑経営的人間指導︑社会酌経営政
策︑経営的社会政策︑労務管理等の関係が取上げられることと
なる︒
教授によれほ近代的人事管理の特質ほそれが精神技術的人事
管理であることであり︑即ち作業心理学による精神技術的な﹁
作業の最善取成﹂と適正心魂学による﹁人間の最善適合﹂によ
り実現する人間作業の精神技術的合理化の完成を意図するもの
であるとされる︒
フィッシャーの経営的人間指導ほかかる人事僧理の発展形態
として理解され︑その指導原理は適性心理学のような個人心理
学に求めるのではなく社会心理学としての経営心理学に求めら.
れ.る︒
猶教授ほ︑フィッジャーが経営的人間指恕の目的の仙つとし
てあげる大衆化による従業員の人間性の喪失の克服を取上げ︑
それが単なる個性化でほなくそれを超えた社会的思考なも含む
イッジャーの見る如き﹁個性﹂ではなく︑何よりもまず労働者
の﹁自由﹂であるとする︒即ち単なる大衆化でほなく機械化の
所産である﹁拘束化﹂であるとする︒
しかもフィッレヤーは︑かかる大衆化に対称することそれ自
体を自己目的に追求するものが経営的人間指導であるとするの
に対し︑教授ほそれを労働意欲の高揚という企業の内面的要請
との結びつき忙おいて理解し︑そうすることによ?てその企染
的必然性を把握せんとする︒
労働意欲の問題ほ社会的経営政策ないし人事管理の枠内では
ついに越えることの出来ない限界に到達せざるを得なくなり︑
そこに経営的社会的政策またほ米国用語でほ﹁労務管理﹂が必
要とせられることが理解されるとする︒かくて米の用語による
﹁人事管理﹂の発展形態である﹁経営的人間指導﹂と︑﹁経常的
社会政策﹂︵米の表現では﹁労務管理﹂︶とは明かに問題領域を
異にすることが分る︒しかも両者が等しく労働意欲の高揚を中
心問題として展開せねばなら庖ところに労働意欲の喪失︑遡っ
ては人間性ないし自由の喪失という現実里琴態を直視すること
が出来るとする︒
石上良平 政治と企業
戦後我国が指向している民主政治紅対して種々の妨害的要因
が作用しているが︑企某経営に見られる種々の傾向がかかる妨
菩要図の刷っをなしているとし︑資本主義の原理と民主々義の
経営と労務−野田信夫教授還暦記念論文集 それとの問の矛盾の問題として概挿的忙諭ぜられている問題 を︑耗国の特殊性を考慮しっつ論考する︒
第﹂に思想及び言論の自由が個々の企菜紅おいて妨害せられ
ているとして就職試験を例証する︒
第二に主として地方議会の議員の多くが独立小企兼者であり
国民中で知識水準が高いといわれるサラリーマンが極めて少い
こと︒これは能力におい\てほ好適であっても︑彼らほ時間的及
び生活的余裕という議故に必要な条件を充足することが出来な
いためであるとする︒即ち現代社会の成員の多数は民主国家の
市民であると同時に企業匿おける私民であるとする︒
人ほ専門的職軍人であるのみならず︑またあるより前に︑分
化されない人間︑全き人間性を具えた人間であらねばならぬこ
とは︑民主々義恩療痘よれば草本的な考え方であるとし︑人間
関係論における人間化の問題なこの角度から捉える︒
次に自由企業の三条件の脚つである民主性について︑野田教
授が﹁企業における民室性とは企業内の労働条件が団体交渉で
決まる体制をそなえていることである︒﹂とするのに射し︑かか
る民主々義は政治上の民主々義とは合致しないのみでなく相反
するとする︒即ち堕父ほ民主的方式でほなく専制政治下におけ
る人民の抵抗の方式であり︑専制君主制から立憲君主制への移
行の第一歩に過ぎぬとし︑企其の経営ほ企業に働く従巻貝全体
の同志によって行わるものでなければならぬと︑政治的民主々
義原理の貫徹を主張する︒
︵山 劇三︶ 副ム三
第二十九巻 第一号
次に教授は上からの人事︵リンゼイのいう反民主々鶉的原則
による選任︶と官僚制的機構が改められない限り︑それほ政治
的民主々裁と異る原理に立つものであり︑温情主義以外のもの
でほないとする︒そしてかかる反民主々義的應別により適任せ られた経営者に対して︑労働者自らを防衛するための指導者を
選ぶ組織が労働組合であり︑従って労解こそ骨民主々義原理に
基くものであるとする︒そして政治と企業の対立の根源を︑企
業内部における民主々義と反民主々義のこの対立直求める︒
官僚制的機構や人格の物格化の問題は大規模企英近代的生産
力式に附随する必然的なものであるとの野田教授の論を反駁
し︑企業目的の変更によって戎程度の救済は可能であるとす
る︒︵このことは近代的生産方式に伴う非人間性が本質的なもの
であることに変更を与えるものでほない︒︶
拓也方議会議員の画な取上げた第二の問題については︑今日
の民主々養は個人的民主々裁から大衆的民主.々義へ移行したの
であって︑このような発展傾向に対処せんとする一方策がコー
ルの職能的民主々義その他の主張であるとし︑かかる諸条件に
生み出した短めて重大な原因が︑近代的企業経営あ形態の発達
にあげとする︒しかもこの事ほ資本主義経済︑社会主裁縫済に
略同株な形であらわれるとする︒
そし︑て民主々義を現在の窮地に陥入れた窮極の原因ほ︑人口
の増加と科学技術の発達という今後も持続するそして不可抗的
なものであるとする︒ 井 上 康 男 山 口 宗 之 中 村 賢二郎 須 崎 正 義 今 川 執 筆 者 紹 介
止 二 山四︶ 仰 山四
香川大学経済学部講師
香川大学経済学部講師
香川大学附属図書館司書
香川大学経済学部助手
香川大学経済学部教授